「応仁二年冬心敬等何人百韻」解説

初表

 雪のをる萱が末葉は道もなし    心敬

   ゆふ暮さむみ行く袖もみず   宗祇

 千鳥なく河原の月に船留て     修茂

   きけば枕にすぐるさ夜風    覚阿

 桜花咲くらむ方や匂ふらむ     長敏

   春に遅るる山かげの里     宗悦

 鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて    満助

   かへるか雲ののこる一むら   宝泉

 

初裏

 晴れくもる雨定めなき秋の空    銭阿

   よわき日影ぞ露にやどれる   初阿

 篠の葉に虫の音憑む野は枯れて   心敬

   まくらおもはぬ夜半の松風   宗祇

 夢よなど人こそあらめいとふらん  修茂

   かくても心猶やまたまし    満助

 このままに哀れといひて出し世に  宗悦

   雲にも跡は見えぬ山みち    覚阿

 せはしなき柴の庵に年を経て    長敏

   時雨かなしき冬の暮がた    幾弘

 袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせん   宗祇

   かへる都ぞ秋をわするる    銭阿

 野を遠み手おりし草の花散て    心敬

   かはるやどりぞとふ人もなき  宗悦

 

 

二表

 有増の程こそさそへ山のおく    修茂

   はつほととぎす過るむら雨   長敏

 うらめしくこぬ夜あまたに又成りて 心敬

   枕のしらむ独ねもうし     宗祇

 心だに思ひまさればうき物を    宗悦

   なみだはしひて猶や落らん   心敬

 君が代を誰白河の瀧津浪      宗祇

   ふるき桜のかげぞさびたる   幾弘

 あまたへし春のみつらき草の戸に  長敏

   かすむともなく寒き山風    修茂

 雪はらふ遠方人の袖消えて     心敬

   かれ野にたかきあかつきの鐘  宗祇

 在明の影やさやかに成りぬらむ   覚阿

   うちぬる宿の夜なよなの秋   満助

 

二裏

 山ふかし稲もるひたの音はして   長敏

   つらきはさらにやむ時もなし  銭阿

 雲となる人の形見の袖の雨     心敬

   夢より外に何をたのまん    宗悦

 散る花につれなき老を慰めて    宗祇

   春のこころは昔にも似ず    幾弘

 すむ山は日も長からで送る身に   満助

   はたうつ峯の柴を折りつつ   長敏

 哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて    心敬

   まくら程なき露のかり伏し   宗祇

 廻りきて故郷出し夜はの月     修茂

   わすれぬ物を人や忘れん    長敏

 かはらじのその一筆を命にて    心敬

   はかなき跡をみるぞ悲しき   満助

 

 

三表

 千年ともいひしやいつの塚の松   宗祇

   こころぞひける舟岡の山    心敬

 霞さへ月はあかしのうき枕     長敏

   藻塩の床に雁かへる声     宗祇

 一夜のみかれる苫屋にね覚して   銭阿

   うき身のうへに涙そへぬる   覚阿

 父母のおもひをみるもくるしきに  宗悦

   いまこんとてぞ捨る世中    修茂

 罪あるを迎の車おそろしや     心敬

   御かりのかへさ野もひびく也  宗悦

 霰ちる那須のささ原風落ちて    修茂

   草葉のかげをたのむ東路    長敏

 見ぬ国の玉とやならむ身の行衛   心敬

   はてもかなしき天つ乙女子   宗悦

 

三裏

 面影の月にそひしも跡なくて    満助

   人だのめなる小簾の秋風    修茂

 下紅葉誰に分けよと見えつらん   宗祇

   くるれば帰る山ぞはるけき   覚阿

 行方もいさ白雲の奥にして     宝泉

   すぎぬる鳥の幽かなる声    銭阿

 旅人のこゆる関の戸明る夜に    長敏

   友をやまたむ宿ごとのみち   宗悦

 木本ははつ雪ながら消えやらで   満助

   かつ咲く梅に匂ふ朝露     心敬

 春の野や馴れぬ袖をもかはすらん  修茂

   かすみ敷く江に舟かよふみゆ  宗祇

 心なき人の夕べは空しくて     宗悦

   つとむるかねを寿ともきけ   心敬

 

 

名残表

 杯をめぐらすまどひ惜しき夜に   長敏

   琴の音のこるあり明の空    宗祇

 消えもせぬ身をうき人の秋深けて  幾弘

   雲きりいく重すめる山里    宗悦

 五月雨は水の音せぬ谷もなし    心敬

   ながれの末にうかぶむもれ木  宝泉

 あふ瀬にもよらば片しけ名取川   修茂

   よそにもれなん色ぞ物うき   銭阿

 かいま見もあらはに芦の葉はかれて 心敬

   冬はすまれぬ栖とをしれ    満助

 都には雪はあらめや小野の山    宗祇

   時雨に月の影もすさまじ    覚阿

 木がらしの空にうかるる秋の雲   心敬

   かりもうちわび暮れわたる比  満助

 

名残裏

 身にかかる涙ならじと慰めて    修茂

   品こそかはれ世はうかりけり  長敏

 目の前にあるを驚け六道      宗悦

   まなぶはうとき歌のことわり  心敬

 浦遠く玉つ嶋山かすむ日に     宗祇

   春しる音のよはき松風     覚阿

 花にのみ心をのぶる夕間暮     満助

   さかりなる身ぞ齢久しき    幾弘

 

       参考;『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)

初表

発句

 

 雪のをる萱が末葉は道もなし   心敬

 

 場所は品川で「白河紀行」の旅を終えたばかりの宗祇を迎え、総勢十一人の連衆による賑やかな興行となった。

 金子金次郎は鈴木長敏邸での興行ではないかと推測している。鈴木長敏は品川湊を仕切る豪商で、城のような屋敷に住んでいたと思われる。

 心敬が発句を詠み、宗祇が脇を付け、第三が上野国大胡城主の大胡修茂(おおごのりしげ)、四句目に時宗の僧覚阿と続き、五句目に鈴木長敏が登場する所を見ると、心敬から覚阿までが来賓待遇だったのだろう。序列としては当代きっての連歌師心敬に最近になって頭角を現してきた宗祇が続き、大胡修茂は連歌以外でも大物なのでそれに続き、覚阿も当時のそれなりの連歌師として待遇されたようだ。

 句の方は、萱(かや)の葉の先は雪が乗っかって折れて倒れて、それが道を塞いでしまっているというもの。

 興行開始の挨拶としては目出度さもない。

 皆さんこうして都を遠く離れた都に集まって、この国がどうなってしまうのかさぞかし心配なことでしょう、ということで応安元年の独吟の七十八句目に、

 

   神の為道ある時やなびくらん

 風のまへなる草の末々       心敬

 

と詠んだように、神風に一斉に靡くはずの草の末葉も、今や雪の重みで潰されてしまっている。一体道はどこにあるのだろうか、と連衆に訴えかける。

 神の道は無為自然にして自ずと人はひれ伏すが、今や雪の重みという暴力によって民は抑え付けられてしまっている。

 

季語は「雪」で冬、降物。「萱」は植物、草類。

 

 

   雪のをる萱が末葉は道もなし

 ゆふ暮さむみ行く袖もみず     宗祇

 (雪のをる萱が末葉は道もなしゆふ暮さむみ行く袖もみず)

 

 雪に夕暮れの寒さ、道に行く人もないと四手にしっかりと付けている。

 基本に忠実ではあるが、心敬の天下国家を憂う含みを取らずに、旅の風景としてさらっと流した感じがする。

 心敬は心で受けずに小細工しやがってと思ったかもしれない。宗祇の方としてもそんなアジテーションには乗らないぞという感じで、ひそかに火花を散らしている、そんな感じがする発句と脇だ。

 

季語は「さむみ」で冬。「袖」は衣裳。

 

第三

 

   ゆふ暮さむみ行く袖もみず

 千鳥なく河原の月に船留て     修茂

 (千鳥なく河原の月に船留てゆふ暮さむみ行く袖もみず)

 

 暮れが出たから月に行くのは順当な所だろう。「千鳥」「河原」「船」とこれでもかと水辺で攻める。

 前句の「行く袖もみず」で人けのない寂しげな所としての展開。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類。「河原」は水辺の体。「船」は水辺の用。「月」は夜分、光物。

 

四句目

 

   千鳥なく河原の月に船留て

 きけば枕にすぐるさ夜風      覚阿

 (千鳥なく河原の月に船留てきけば枕にすぐるさ夜風)

 

 「千鳥なく」を「きけば」で受ける。夜分なので船中泊とし、枕に夜風とする。

 

無季。羇旅。「さ夜風」は夜分。

 

五句目

 

   きけば枕にすぐるさ夜風

 桜花咲くらむ方や匂ふらむ     長敏

 (桜花咲くらむ方や匂ふらむきけば枕にすぐるさ夜風)

 

 ようやく亭主の登場となる。

 当時は定座はなかったし、ここは亭主の特権というところか。

 前句の「夜風」に桜の匂いを付ける。「咲くらむ方や」という言葉の続きがややぎこちない。そこはプロの連歌師ではないから仕方ないか。

 

季語は「桜花」で春、植物、木類。

 

六句目

 

   桜花咲くらむ方や匂ふらむ

 春に遅るる山かげの里       宗悦

 (桜花咲くらむ方や匂ふらむ春に遅るる山かげの里)

 

 宗悦は『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)に、

 

 「『新撰菟玖波集』の読人不知衆として三句入集の宗悦であろうか。同集作者部類に、「宗悦法師 越中国住人 三句」とあり、故人衆の注記はない。文明五年(応仁元年か)十二月五日心敬発句何路百韻に加わるが、川越千句には参加しない。その点は同じ越中の時宗覚阿と同様である。」

 

とある。

 宗が付く所を見ると、宗祇と同様宗砌の系統か。

 前句の「らむ」を遠い山陰の里に思いを馳せてのこととし、あのあたりも匂っているのだろうか、とする。

 

季語は「春」で春。「山かげ」は山類の体。「里」は居所。

 

七句目

 

   春に遅るる山かげの里

 鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて    満助

 (鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて春に遅るる山かげの里)

 

 満助は鎌田氏で武士と思われる。川越千句に参加していると『心敬の生活と作品』にある。

 山かげの里なので樵夫を登場させる。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。「嶺」は山類の体。「樵夫」は山類の用、人倫。

 

八句目

 

   鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて

 かへるか雲ののこる一むら     宝泉

 (鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びてかへるか雲ののこる一むら)

 

 『心敬の生活と作品』にも未詳とある。僧か。

 「友よびて」に「かへるか」と繋ぐ。樵夫は帰り、雲だけが残っている。

 

無季。「雲」は聳物。

初裏

九句目

 

   かへるか雲ののこる一むら

 晴れくもる雨定めなき秋の空    銭阿

 (晴れくもる雨定めなき秋の空かへるか雲ののこる一むら)

 

 阿と付くから時宗の僧なのだろう。詳しいことはわからない。

 秋の空は定めないとはいうが、晴れ、曇り、雨と並べ立てるのはいかにもくどい。

 

 雲はなをさだめある世の時雨哉   心敬

 

の句は、この興行の少し前の吟か。

 

季語は「秋の空」で秋。「雨」は降物。

 

十句目

 

   晴れくもる雨定めなき秋の空

 よわき日影ぞ露にやどれる     初阿

 (晴れくもる雨定めなき秋の空よわき日影ぞ露にやどれる)

 

 これも時宗の僧のようだが定かではない。

 定めなき天候だから、雨が上がり薄日が射せば露もきらめくとする。

 

季語は「露」で秋、降物。「日影」は光物。

 

十一句目

 

   よわき日影ぞ露にやどれる

 篠の葉に虫の音憑む野は枯れて   心敬

 (篠の葉に虫の音憑む野は枯れてよわき日影ぞ露にやどれる)

 

 一巡して心敬に戻る。「篠」は「ささ」、「憑む」は「たのむ」と読む。

 前句の「よわき日影」を野が枯れて晩秋の日が射したからだとする。こうした理詰めのとりなしは心敬の得意とする所で、「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」では多用されている。

 心敬はよく「冷え寂びた境地」と言われることが多いが、理屈っぽさも心敬の特徴だ。

 先の、

 

 雲はなをさだめある世の時雨哉   心敬

 

の句も、「世は定めなき」ということを「雲は定めある」と逆説的に言っている。

 草が枯れて日が差し込み隠れるところのなくなった虫たちは、常緑の笹の葉を頼りにする。倒置を解消して「野は枯れて篠の葉に虫の音憑む」とすればわかりやすい。

 後の『水無瀬三吟』の七句目、

 

   霜置く野原秋は暮れけり

 鳴く虫の心ともなく草枯れて    宗祇

 

の句などと較べても、理屈っぽさが目立つ。死に瀕した虫たちの哀れさと共感は心敬の句には欠けている。

 

季語は「虫の音」で秋、虫類。「篠の葉」は植物で木類でも草類でもない。

 

十二句目

 

   篠の葉に虫の音憑む野は枯れて

 まくらおもはぬ夜半の松風     宗祇

 (篠の葉に虫の音憑む野は枯れてまくらおもはぬ夜半の松風)

 

 虫の音は笹の葉を頼むが、愛しい人を待つこの枕には頼むものもなく松風が寂しげな音を立てる。

 理に走る心敬に対し、宗祇は容赦なく心情に切り込んでゆく。

 

無季。恋。「夜半」は夜分。

 

十三句目

 

   まくらおもはぬ夜半の松風

 夢よなど人こそあらめいとふらん  修茂

 (夢よなど人こそあらめいとふらんまくらおもはぬ夜半の松風)

 

 言いたいことはわかるが、てにはが整理し切れてない感じの句だ。

 意味は「夢よなどいとふらん、人こそあらめ」、つまりあの人が夢に出てきて欲しいのに何で夢はそれを拒むの、ということ。

 前句の松風の心情を具体的に膨らませるのは、定石とも言えよう。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

十四句目

 

   夢よなど人こそあらめいとふらん

 かくても心猶やまたまし      満助

 (夢よなど人こそあらめいとふらんかくても心猶やまたまし)

 

 ここで出勝ちになったか、順番関係なく満助が登場する。

 夢にすら出てこないあの人を恨んではみても、やはり心はあの人を待っている。

 八代亜紀の「雨の慕情」の「憎い恋しい憎い恋しい/めぐりめぐって今は恋しい」(作詞:阿久悠)のような心情か。

 

無季。恋。

 

十五句目

 

   かくても心猶やまたまし

 このままに哀れといひて出し世に  宗悦

 (このままに哀れといひて出し世にかくても心猶やまたまし)

 

 出家しても猶未練があるというふうに展開する。

 

無季。述懐。

 

十六句目

 

   このままに哀れといひて出し世に

 雲にも跡は見えぬ山みち      覚阿

 (このままに哀れといひて出し世に雲にも跡は見えぬ山みち)

 

 出家はしたものの、山籠りへの道は楽ではない。雲は煩悩を象徴し、山籠りを妨げる。

 

無季。述懐。「雲」は聳物。「山みち」は山類の体。

 

十七句目

 

   雲にも跡は見えぬ山みち

 せはしなき柴の庵に年を経て    長敏

 (せはしなき柴の庵に年を経て雲にも跡は見えぬ山みち)

 

 柴の庵というとあこがれのスローライフかと思いきや、何でもかんでも自分でやらなくてはいけないから、慣れぬうちは結構せわしない。いつになったら道が見えてくるのか。

 

無季。述懐。「柴の庵」は居所。

 

十八句目

 

   せはしなき柴の庵に年を経て

 時雨かなしき冬の暮がた      幾弘

 (せはしなき柴の庵に年を経て時雨かなしき冬の暮がた)

 

 幾弘は初めて登場するが、『心敬の生活と作品』には、「幾弘、栗原入道、千葉被官」で「暴走の千葉氏に仕えた武人作者」とある。

 前句の「年を経て」を一年が終ろうとしてるという意味にして時雨を付ける。

 

季語は「冬」で冬。「時雨」も冬、降物。

 

十九句目

 

   時雨かなしき冬の暮がた

 袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせん   宗祇

 (袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせん時雨かなしき冬の暮がた)

 

 袖を濡らさないような貴族や武家の仕事での移動などの旅であっても、時雨くる冬の暮れ方の悲しさには袖を濡らす。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。羇旅。「袖」は衣裳。

 

二十句目

 

   袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせん

 かへる都ぞ秋をわするる      銭阿

 (袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせんかへる都ぞ秋をわするる)

 

 前句の袖を濡らさない旅を、晴れて都へ帰れる旅だからだとする。心も浮かれて秋だということすら忘れる。

 

季語は「秋」で秋。羇旅。

 

二十一句目

 

   かへる都ぞ秋をわするる

 野を遠み手おりし草の花散て    心敬

 (野を遠み手おりし草の花散てかへる都ぞ秋をわするる)

 

 前句の浮かれた雰囲気から一転して、都へのはるか長い道のりに、手折りし草の花も散ってしまい、旅立ったときが秋だったのもわすれる。

 「野を遠み」は武蔵野のイメージが反映されていると思われる。

 後世なら花の定座の位置だが、五句目に「桜花」が出ているし、ここでは「草の花」なので単なる偶然。

 

季語は「草の花」で秋、植物、草類。

 

二十二句目

 

   野を遠み手おりし草の花散て

 かはるやどりぞとふ人もなき    宗悦

 (野を遠み手おりし草の花散てかはるやどりぞとふ人もなき)

 

 前句の「手おりし草の花散て」を時間の経過とし、毎回違う宿に泊るので尋ねてくる人もいない、とする。

 

無季。述懐。「人」は人倫。

二表

二十三句目

 

   かはるやどりぞとふ人もなき

 有増の程こそさそへ山のおく    修茂

 (有増の程こそさそへ山のおくかはるやどりぞとふ人もなき)

 

 「有増の程をさそえばこそ」の倒置。「あらまし」は「こうしたい」ということ。山の奥ですんで見たいという友人の夢を聞かされて、自分も山の奥に籠ってみたが、友人の方は気が変わってしまったか。

 

無季。述懐。「山」は山類の体。

 

二十四句目

 

   有増の程こそさそへ山のおく

 はつほととぎす過るむら雨     長敏

 (有増の程こそさそへ山のおくはつほととぎす過るむら雨)

 

 友人の誘いは「初時鳥を聞きたい」というものだった。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「むら雨」は降物。

 

二十五句目

 

   はつほととぎす過るむら雨

 うらめしくこぬ夜あまたに又成りて 心敬

 (うらめしくこぬ夜あまたに又成りてはつほととぎす過るむら雨)

 

 金子金次郎は、

 

 いかにせむこぬ夜あまたの郭公

     またじと思へば村雨の空

              藤原家隆(新古今集)

 

の歌を引いている。

 「こぬ夜あまたの郭公」を分解して歌てにはとして使用し、ホトトギスではなく愛しい人の来ぬ夜あまたから、ホトトギスは鳴いたけどあの人は来ないとする。

 

無季。恋。「夜」は夜分。

 

二十六句目

 

   うらめしくこぬ夜あまたに又成りて

 枕のしらむ独ねもうし       宗祇

 (うらめしくこぬ夜あまたに又成りて枕のしらむ独ねもうし)

 

 眠れぬ夜を明かして夜も白むと枕も白む。その白むに「知らむ」を掛けている。

 

無季。恋。「独ね」は夜分。

 

二十七句目

 

   枕のしらむ独ねもうし

 心だに思ひまさればうき物を    宗悦

 (心だに思ひまさればうき物を枕のしらむ独ねもうし)

 

 来ぬ人を待つ独り寝から片思いの独り寝に変える。

 

無季。恋。

 

二十八句目

 

   心だに思ひまさればうき物を

 なみだはしひて猶や落らん     心敬

 (心だに思ひまさればうき物をなみだはしひて猶や落らん)

 

 この場合の「しひて」は止めようもなく、止め処もなく、という意味か。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   なみだはしひて猶や落らん

 君が代を誰白河の瀧津浪      宗祇

 (君が代を誰白河の瀧津浪なみだはしひて猶や落らん)

 

 金子金次郎は、

 

   さきのおほきおほいまうちぎみを、

   白川のあたりに送りける夜よめる

 血の涙落ちてぞたぎつ白川は

      君が世までの名にこそありけれ

            素性法師(古今集)

 

の歌を引いている。本歌は白川が血の涙で赤くなったというものだが、その辺は取らずに、白河の滝のように涙は止め処もなく落ちるとする。

 「浪(なみ)」に「なみだ」と繋げるあたりも芸が細かい。上句全体が「なみだ」を導き出すための序詞のように機能している。

 「誰白川」も「誰知る、白川」と掛詞になっている。

 

無季。懐旧。「君」「誰」は人倫。「瀧津浪」は水辺の用。

 

三十句目

 

   君が代を誰白河の瀧津浪

 ふるき桜のかげぞさびたる     幾弘

 (君が代を誰白河の瀧津浪ふるき桜のかげぞさびたる)

 

 金子金次郎は、

 

 なれなれて見しは名残の春ぞとも

     など白川の花の下陰

            飛鳥井雅経(新古今集)

 

を引いている。前句の辛い別れから「君が代」の昔を偲ぶ方に展開する。昔を偲べば華やかなはずの桜も悲しげに影がさびて見える。

 

季語は「桜」で春、植物、木類。

 

三十一句目

 

   ふるき桜のかげぞさびたる

 あまたへし春のみつらき草の戸に  長敏

 (あまたへし春のみつらき草の戸にふるき桜のかげぞさびたる)

 

 目出度いはずの春を辛いと感じるのは、杜甫の「春望」の「時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」の心であろう。

 昔からある桜が今年も花を咲かせているのすら辛く思えば、花も色を失ったように感じる。

 

季語は「春」で春。「草の戸」は居所。

 

三十二句目

 

   あまたへし春のみつらき草の戸に

 かすむともなく寒き山風      修茂

 (あまたへし春のみつらき草の戸にかすむともなく寒き山風)

 

 前句の辛さを単に山風の寒い土地柄とする。修茂の城のある上州も空っ風が有名だ。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。

 

三十三句目

 

   かすむともなく寒き山風

 雪はらふ遠方人の袖消えて     心敬

 (雪はらふ遠方人の袖消えてかすむともなく寒き山風)

 

 激しく降る雪が遠方人(おちかたびと:遠くに見える人)の姿をかき消してゆく。それは霞むなんて生易しいものではない。

 

季語は「雪」で冬、降物。「遠方人」は人倫。「袖」は衣裳。

 

三十四句目

 

   雪はらふ遠方人の袖消えて

 かれ野にたかきあかつきの鐘    宗祇

 (雪はらふ遠方人の袖消えてかれ野にたかきあかつきの鐘)

 

 前句の「遠方人の袖消えて」を雪のちらつく朝未明に旅立っていった人の姿がはるか彼方に見えなくなったとし、広大な枯れ野原に暁の鐘が鳴り響く。

 宗祇もまた都を逃れ武蔵野を旅してきた。

 

季語は「かれ野」で冬。

 

三十五句目

 

   かれ野にたかきあかつきの鐘

 在明の影やさやかに成りぬらむ   覚阿

 (在明の影やさやかに成りぬらむかれ野にたかきあかつきの鐘)

 

 この頃はまだ月の定座はなかったが、二の表にこれまで月の句がなかったので、ここで月が登場することとなった。

 定座の起源はみんなが月や花の句を遠慮して付けないので、最後の長句で詠むことが多くなったからだという。

 

季語は「在明」で秋、夜分、光物。

 

三十六句目

 

   在明の影やさやかに成りぬらむ

 うちぬる宿の夜なよなの秋     満助

 (在明の影やさやかに成りぬらむうちぬる宿の夜なよなの秋)

 

 「うちぬる」は「寝る」に接頭語の「うち」が付いたもの。「うち」は元は不意に、という意味を持っていたが、「不意に寝る」というところから、「不本意にもここで寝る」というニュアンスに変わっていったか。

 長く旅を続けていると、いつしか秋も深まり、以前見た有明よりも今朝の有明はさやかに見える。

 

季語は「秋」で秋。羇旅。「夜なよな」は夜分。

二裏

三十七句目

 

   うちぬる宿の夜なよなの秋

 山ふかし稲もるひたの音はして   長敏

 (山ふかし稲もるひたの音はしてうちぬる宿の夜なよなの秋)

 

 「ひた(引き板)」は鳴子のことで、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「大きな音を立てて鳥獣を驚かしこれを追い払う道具。おもに農作の害となる鳥獣を防除するために用いられるが,防犯用として用いられることもある。小さな板に竹管などを紐で添え,綱にこれを多数取り付けておく。農家ではおもに子どもや老人がこの綱の一端を引いてこれを鳴らす役目にあたる。金属器を用いた鳴子もある。竹筒などで水を引き入れたり,流水を利用して音を立てる〈ばったり〉〈ししおどし〉も鳴子の一種といえる。案山子(かかし)【大島 暁雄】」

 

とある。

 「デジタル大辞泉の解説」の「引板」のところには、

 

 「わが門のむろのはや早稲かり上げておくてにのこるひたの音かな」〈宇治百首〉

 

の用例が記されている。

 『応安新式』の一座一句物のところにも、「隠家 そとも なるこ ひだ とぼそ 閨 如此類」とある。

 前句の「うちぬる」に「ひた」の打つを掛けた掛けてにはのよる付け。

 

季語は「稲もるひた」で秋。「山」は山類の体。

 

三十八句目

 

   山ふかし稲もるひたの音はして

 つらきはさらにやむ時もなし    銭阿

 (山ふかし稲もるひたの音はしてつらきはさらにやむ時もなし)

 

 『源氏物語』手習巻の本説であろう。

 匂宮と薫との間で板ばさみになって入水した浮舟は、奇跡的に助けられて比叡山の麓の小野山荘で暮らすが、ここでも近衛中将から恋を持ちかけられる。辛いことはこんな山の中でさえ止むことがない。

 

無季。恋。

 

三十九句目

 

   つらきはさらにやむ時もなし

 雲となる人の形見の袖の雨     心敬

 (雲となる人の形見の袖の雨つらきはさらにやむ時もなし)

 

 前句の「やむ」に「袖の雨」を付ける掛けてには。

 火葬の煙が雲となるのは哀傷歌の一つのパターンで、

 

 なき人の形見の雲やしぐるらむ

     夕べの雨に色は見えねど

              太上天皇(後鳥羽院、新古今集)

 

の歌もある。

 

無季。恋。「雲」は聳物。「人」は人倫。「袖」は衣裳。「雨」は降物。

 

四十句目

 

   雲となる人の形見の袖の雨

 夢より外に何をたのまん      宗悦

 (雲となる人の形見の袖の雨夢より外に何をたのまん)

 

 金子金次郎の注にもあるように、巫山の雲雨の本説による付け。

 コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《宋玉の「高唐賦」の、楚の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と契ったという故事から》男女が夢の中で結ばれること。また、男女が情を交わすこと。巫山の雲。巫山の雨。巫山の夢。朝雲暮雨。」

 

とある。

 ここでは亡くなった人と巫山の雲雨のようにまた夢で逢えることを願う。

 

無季。恋。

 

四十一句目

 

   夢より外に何をたのまん

 散る花につれなき老を慰めて    宗祇

 (散る花につれなき老を慰めて夢より外に何をたのまん)

 

 興の乗ってきたところで、二本目の花となる。

 散る花は本来悲しいものだが、老人はそれに慰められるという。

 奇をてらった展開だが、花だって散ってしまうのだから、自分がやがて死を迎えることも定めだ、この人生すべてが夢であってくれればいい、という一種の悟りとする。

 心敬は二条良基の時代からの千句興行などの速いペースで付けてゆく連歌のゲーム性を重視して、ある意味で通俗的なわかりやすさを良しとするところがある。出典を取るにしても誰もが知っているようなものを用い、むしろ実景を比喩に取り成したり比喩を実景に取り成したり、あまり情をはさまない理詰めの展開の意外さ、面白さが持ち味でもある。

 これに対し宗祇は心情を深く掘り下げようとしてゆく。連歌はこれによって一つの芸術的な頂点には達するが、心情が深ければ深いほど次の句が付けにくくなり、ゲームとしての面白さが失われて行くことにもなる。

 宗祇は連歌において一つの頂点を築いたが、頂点を極めてしまうと、あとは衰退の道が待っている。それは芭蕉にしても同じだったかもしれない。

 

季語は「散る花」で春、植物、木類。述懐。

 

四十二句目

 

   散る花につれなき老を慰めて

 春のこころは昔にも似ず      幾弘

 (散る花につれなき老を慰めて春のこころは昔にも似ず)

 

 多分一座としては付けづらい重くなる場面だったのだろう。せっかく興が乗ってきたところで、心敬としては内心面白くなかったのではないか。

 散る花を悲しむのではなく慰めにするという複雑な老境の情を、どう取り成せばいいものやら、展開がしにくい。

 幾弘の答えは「若い頃はそんなこと思いもしなかった」というものだった。

 

季語は「春」で春。述懐。

 

四十三句目

 

   春のこころは昔にも似ず

 すむ山は日も長からで送る身に   満助

 (すむ山は日も長からで送る身に春のこころは昔にも似ず)

 

 昔は春の日は長いと思っていたが、山に住むようになってから身辺のことを全部自分でやらなくてはならずいろいろ忙しいので、日が長いと感じなくなった。

 

季語は「日も長からで」で春。「身」は人倫。

 

四十四句目

 

   すむ山は日も長からで送る身に

 はたうつ峯の柴を折りつつ     長敏

 (すむ山は日も長からで送る身にはたうつ峯の柴を折りつつ)

 

 その山の暮らしというのは、山の上の畑を耕し、柴を折る生活だ。

 

季語は「はたうつ」で春。「峯」は山類の体。

 

四十五句目

 

   はたうつ峯の柴を折りつつ

 哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて    心敬

 (哀れにも粟飯急ぐ火を焼きてはたうつ峯の柴を折りつつ)

 

 前句の柴で粟飯を急いで炊く。粒が小さいので米より早く炊ける。

 「黄粱一炊の夢」という言葉もある。「邯鄲の夢」のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 

 「人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などともいう。中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による。[田所義行]」

 

とある。

 この故事にちなんだ展開を期待したか。季節は秋に転じる。

 

季語は「粟」で秋。

 

四十六句目

 

   哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて

 まくら程なき露のかり伏し     宗祇

 (哀れにも粟飯急ぐ火を焼きてまくら程なき露のかり伏し)

 

 「黄粱一炊の夢」の故事にちなんで粟に枕は付け合いということになるが、その方向では話を膨らませてない。

 邯鄲の夢を見るような立派な枕ではなく、旅の野宿で用いる枕はあまりに小さすぎる。

 粟飯をさっと炊いてさっと食って、ひと寝したらまた旅の続きがある。文字通りスルーした形になる。

 まあ、出勝ちだから別に宗祇に振ったわけではなく、誰もうまく展開できなかっただけだろう。

 

季語は「露」で秋、降物。羇旅。

 

四十七句目

 

   まくら程なき露のかり伏し

 廻りきて故郷出し夜はの月     修茂

 (廻りきて故郷出し夜はの月まくら程なき露のかり伏し)

 

 秋が二句続いたのでここは月を出すところだ。

 旅立って一ヶ月経ったかという句で、前句の「まくら程なき」を短い旅の意味にする。

 

季語は「夜はの月」で秋、夜分、光物。羇旅。「故郷」は居所。

 

四十八句目

 

   廻りきて故郷出し夜はの月

 わすれぬ物を人や忘れん      長敏

 (廻りきて故郷出し夜はの月わすれぬ物を人や忘れん)

 

 旅立って一月、私はまだ忘れてないのにあなたは忘れてしまったのでしょうか、となる。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

四十九句目

 

   わすれぬ物を人や忘れん

 かはらじのその一筆を命にて    心敬

 (かはらじのその一筆を命にてわすれぬ物を人や忘れん)

 

 「かはらじ」と書かれた手紙を信じるけな気な女を描いてみせる。

 

無季。恋。

 

五十句目

 

   かはらじのその一筆を命にて

 はかなき跡をみるぞ悲しき     満助

 (かはらじのその一筆を命にてはかなき跡をみるぞ悲しき)

 

 「はかなき跡」は一筆のこととも取れるが、ずっと待っていたのに既に亡くなっていた取ることもできる。展開の大きさとしては「はかなき跡」を墓所のことと取る方がいい。

 

無季。恋。

三表

五十一句目

 

   はかなき跡をみるぞ悲しき

 千年ともいひしやいつの塚の松   宗祇

 (千年ともいひしやいつの塚の松はかなき跡をみるぞ悲しき)

 

 前句の「はかなき跡」を千年前の死者の墓とする。いわゆる古墳のことであろう。

 金子金次郎は『徒然草』第三十段の、

 

 「果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。」

 

を引いているが、松が伐採されたからはかなき跡だというのは読み過ぎだろう。千歳とも言われている松の木を眺めながら「はかなき跡」とする方がいい。

 

無季。哀傷。「松」は植物、木類。

 

五十二句目

 

   千年ともいひしやいつの塚の松

 こころぞひける舟岡の山      心敬

 (千年ともいひしやいつの塚の松こころぞひける舟岡の山)

 

 前句の塚を京都の船岡山とする。

 前句の松に「引ける」と正月の子日の小松引きの縁で受けている。おそらくこれで「松引き」としてこの一句を春の句としているのだろう。

 船岡山はウィキペディアに、

 

 「古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。一方では都を代表する葬送地でもあり、吉田兼好も『徒然草』137段にて「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と述べている。」

 

とある。

 なおウィキペディアには、

 

 「応仁元年(1467年)、応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して立て籠もった(西軍の陣地となった船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。」

 

とある。心敬はこのことを知っていたかどうか。

 

季語は「(松)ひける」で春。「舟岡の山」は山類の体。

 

五十三句目

 

   こころぞひける舟岡の山

 霞さへ月はあかしのうき枕     長敏

 (霞さへ月はあかしのうき枕こころぞひける舟岡の山)

 

 「うき枕」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 水べや船中などに旅寝すること。浮き寝の枕。

  ※曾丹集(11C初か)「そま川の筏の床のうきまくら夏は涼しきふしどなりけり」

  ② (「涙で枕が浮く」の「浮き」に「憂き」をかけて) ひとりねの悲しさにいう語。つらいひとりね。

  ※堀河百首(1105‐06頃)冬「水鳥の玉藻の床のうき枕ふかき思ひは誰かまされる〈大江匡房〉」

 

とある。

 前句の「舟岡の山」を「舟、岡の山」と分解し、「岡山」のこととしたか。ネットの地名由来辞典によると、

 

 「鎌倉時代より見られる名で、地名の由来は城周辺の小高い丘を『岡山』と呼んだことに因む。」

 

とある。岡山城は心敬の時代より後の築城だが、その城の立つ前から岡山という地名はあったようだ。

 岡山から見れば明石の門は東にあり、そこから昇る朧月は明石に夜泊しているかのようだ。

 

季語は「霞」で春、聳物。羇旅。「月」は夜分、光物。「あかし」は水辺の体。「うき枕」は水辺の用。

 

五十四句目

 

   霞さへ月はあかしのうき枕

 藻塩の床に雁かへる声       宗祇

 (霞さへ月はあかしのうき枕藻塩の床に雁かへる声)

 

 霞む月に帰る雁、明石に藻塩、四手に付ける。基本的な付け方でこの巻の脇もこの付け方で付けている。

 藻塩の床のうき枕は在原行平を髣髴させる。

 

季語は「雁かへる」で春、鳥類。羇旅。「藻塩」は水辺の用。

 

五十五句目

 

   藻塩の床に雁かへる声

 一夜のみかれる苫屋にね覚して   銭阿

 (一夜のみかれる苫屋にね覚して藻塩の床に雁かへる声)

 

 一夜の借り枕とする。

 藻塩は焼くもので刈るのは玉藻だから、ここは掛けてにはにはなっていない。

 

無季。羇旅。「一夜」は夜分。

 

五十六句目

 

   一夜のみかれる苫屋にね覚して

 うき身のうへに涙そへぬる     覚阿

 (一夜のみかれる苫屋にね覚してうき身のうへに涙そへぬる)

 

 苫屋の寝覚めの心情を付ける。述懐への展開で変化をつけようという狙いか。

 

無季。述懐。「身」は人倫。

 

五十七句目

 

   うき身のうへに涙そへぬる

 父母のおもひをみるもくるしきに  宗悦

 (父母のおもひをみるもくるしきにうき身のうへに涙そへぬる)

 

 「涙そへぬる」は父母の涙とする。

 

無季。述懐。「父母」は人倫。

 

五十八句目

 

   父母のおもひをみるもくるしきに

 いまこんとてぞ捨る世中      修茂

 (父母のおもひをみるもくるしきにいまこんとてぞ捨る世中)

 

 「今来むとて捨てる世の中ぞ」の倒置。

 老いた父母の世話をしなくてはならない苦しい時に、今にも死ぬからと言って世の中を捨てられるか、と反語に取るのがいいだろう。

 

無季。述懐。

 

五十九句目

 

   いまこんとてぞ捨る世中

 罪あるを迎の車おそろしや     心敬

 (罪あるを迎の車おそろしやいまこんとてぞ捨る世中)

 

 金子金次郎の注は仏教の三車火宅の車としているが、この場合は罪のある者を地獄に連れて行く火車のことであろう。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「仏教経典が地獄に関して説く〈火車(かしや)〉の和訓で,猛火の燃えている車。罪人を地獄で責めたり,あるいは罪人を地獄に迎えるのに用いる。初期の経典には〈火車輪〉〈火車炉炭〉などと罪人の責め具として出ているが,のちには命終のとき罪人を地獄に迎える乗物として説かれている。《観仏三昧海経》第五観相品には阿鼻(あび)地獄に18種の小地獄があり,その一種に18の火車地獄があるとして,火車で罪人を迎え,火車で呵責する種々相が描写されている。」

 

とある。

 地獄へは行きたくないから火車が来る前に出家しよう、ということになる。

 

無季。釈教。

 

六十句目

 

   罪あるを迎の車おそろしや

 御かりのかへさ野もひびく也    宗悦

 (罪あるを迎の車おそろしや御かりのかへさ野もひびく也)

 

 前句の車を牛車のこととする。

 狩が殺生の罪であるというテーマは、

 

   罪の報いもさもあらばあれ

 月残る狩り場の雪の朝ぼらけ    救済

 

の句が既にある。

 ここでは皇族の狩で立派な牛車に乗ってのものであろう。しかし殺生の罪を思うとそれも地獄へ行く火車のように思えて恐ろしい。野を走る車の音さえ不気味に聞こえる。

 

季語は「御かり」で冬。

 

六十一句目

 

   御かりのかへさ野もひびく也

 霰ちる那須のささ原風落ちて    修茂

 (霰ちる那須のささ原風落ちて御かりのかへさ野もひびく也)

 

 「那須のささ原」はあまり聞かない。普通は「那須のしの原」だが、意味は変わらない。地域にもよるのかもしれない。

 前句の「ひびく」を霰の音として、霰に縁のある那須の篠原を登場させる。那須の篠原の霰といえば、

 

 もののふの矢並つくろふ籠手のうへに

     霰たばしる那須の篠原

              源実朝(金槐集)

 

であろう。

 

季語は「霰」で冬、降物。「ささ」は植物で木類でも草類でもない。

 

六十二句目

 

   霰ちる那須のささ原風落ちて

 草葉のかげをたのむ東路      長敏

 (霰ちる那須のささ原風落ちて草葉のかげをたのむ東路)

 

 霰の打ちつける中、一面の篠原では防いでくれる木すらない。草葉の影だけが頼りだ。「草葉のかげ」は死んだあとに現世に残してきた人を見守るのに「草葉の陰で見ている」という言い方をするので、取り成しを期待しての言い回しであろう。

 

無季。羇旅。「草葉」は植物、草類。

 

六十三句目

 

   草葉のかげをたのむ東路

 見ぬ国の玉とやならむ身の行衛   心敬

 (見ぬ国の玉とやならむ身の行衛草葉のかげをたのむ東路)

 

 「玉」は「魂」のことであろう。見しらぬ国で死して霊魂となってしまうかもしれないので「草葉の陰」を頼むということになる。

 旅に死ぬと魂が成仏できずにその地に留まり、道祖神になることもある。その時は社を立てて祀ってくれということか。

 宗祇の最期は宗長の『宗祇終焉記』に、

 

 「かく草のまくらの露の名残も、ただ旅をこのめるゆゑならし。もろこしの遊子とやらんは、旅にして一生をくらしはてぬる人とかや。是を道祖神となん、」

 

と記されている。

 心敬はそれよりまえの文明七年四月十六日に大山の麓の石蔵で七十年の生涯を閉じることになる。今の伊勢原市の産業能率大や伊勢原大山ICのある辺りだ。心敬塚古墳もあるが、金子金次郎によれば天保十二年の『新編相模国風土記』に記述のないところから、新しい伝承だという。

 

無季。「身」は人倫。

 

六十四句目

 

   見ぬ国の玉とやならむ身の行衛

 はてもかなしき天つ乙女子     宗悦

 (見ぬ国の玉とやならむ身の行衛はてもかなしき天つ乙女子)

 

 「天つ乙女子」は天女のことで、各地に羽衣を失って天に帰れなくなるという羽衣伝説がある。この場合も羽衣を失った天女であろう。今でいう人外さんだから非人倫になるのか。

 

無季。

三裏

六十五句目

 

   はてもかなしき天つ乙女子

 面影の月にそひしも跡なくて    満助

 (面影の月にそひしも跡なくてはてもかなしき天つ乙女子)

 

 天女に月というとかぐや姫。永遠の命を持つかぐや姫は月に帰って行き、残された人間は悲しみにくれる。それでもたとえはかない命でも人は力強く生きてゆく。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。恋。

 

六十六句目

 

   面影の月にそひしも跡なくて

 人だのめなる小簾の秋風      修茂

 (面影の月にそひしも跡なくて人だのめなる小簾の秋風)

 

 秋風が簾を揺らすことで、時折月が見えるが、月にあの人の面影を重ねてみても風が止めば簾が閉まり見えなくなる。「人だのめ」というか風まかせというか。

 

季語は「秋風」で秋。恋。「人」は人倫。「小簾」は居所の体。

 

六十七句目

 

   人だのめなる小簾の秋風

 下紅葉誰に分けよと見えつらん   宗祇

 (下紅葉誰に分けよと見えつらん人だのめなる小簾の秋風)

 

 秋風にめくれた簾から見えるのは月ではなく紅葉の下のほうの葉で、この下葉を掻き分けて誰がやってくるわけでもないのに、妙な期待を抱かせてしまう。

 

季語は「下紅葉」で秋、植物、木類。恋。「誰」は人倫。

 

六十八句目

 

   下紅葉誰に分けよと見えつらん

 くるれば帰る山ぞはるけき     覚阿

 (下紅葉誰に分けよと見えつらんくるれば帰る山ぞはるけき)

 

 誰も分け入らぬ下紅葉を夜の山とする。暮れてしまえば山は真っ暗で来る人もいない。

 

無季。「山」は山類の体。

 

六十九句目

 

   くるれば帰る山ぞはるけき

 行方もいさ白雲の奥にして     宝泉

 (行方もいさ白雲の奥にしてくるれば帰る山ぞはるけき)

 

 「行くかたもいざ知らず」に「白雲」を掛ける。

 山の中でガスに巻かれてしまえばどっちへ行っていいかもわからない。夕暮れになったら帰らなくてはならない山だが、果して無事に帰れるものか。

 

無季。「白雲」は聳物。

 

七十句目

 

   行方もいさ白雲の奥にして

 すぎぬる鳥の幽かなる声      銭阿

 (行方もいさ白雲の奥にしてすぎぬる鳥の幽かなる声)

 

 前句の「行方」を鳥の飛んで行く方とし、その声を付ける。

 

無季。「鳥」は鳥類。

 

七十一句目

 

   すぎぬる鳥の幽かなる声

 旅人のこゆる関の戸明る夜に    長敏

 (旅人のこゆる関の戸明る夜にすぎぬる鳥の幽かなる声)

 

 夜が明けて鳥が鳴くと、関守も関所の戸を開ける。

 

 夜をこめて鳥の空音ははかるとも

     よに逢坂の関は許さじ

              清少納言(後拾遺集)

 

の歌もある。鳥の音に関所は付け合いと言ってもいいだろう。

 

無季。羇旅。「旅人」は人倫。

 

七十二句目

 

   旅人のこゆる関の戸明る夜に

 友をやまたむ宿ごとのみち     宗悦

 (旅人のこゆる関の戸明る夜に友をやまたむ宿ごとのみち)

 

 「友をまたむや」の倒置。「宿ごとのみち」は宿を重ねる道、長い旅路という程度の意味か。

 朝早く旅立って距離を稼ぎたい所だが、相方はなかなか起きてこない。

 

無季。羇旅。「友」は人倫。

 

七十三句目

 

   友をやまたむ宿ごとのみち

 木本ははつ雪ながら消えやらで   満助

 (木本ははつ雪ながら消えやらで友をやまたむ宿ごとのみち)

 

 雪道は一人で行くには危険が多く、誰か他の人が通りかかるのを待ち、一緒に行くようにした方がいい。

 

季語は「はつ雪」で冬、降物。「木本」は植物、木類。

 

七十四句目

 

   木本ははつ雪ながら消えやらで

 かつ咲く梅に匂ふ朝露       心敬

 (木本ははつ雪ながら消えやらでかつ咲く梅に匂ふ朝露)

 

 これは散った白梅を初雪に見立てたものか。

 天満本が梅を花になおしているのは、この三の懐紙が花をこぼしているからであろう。当時は花の定座はなく、花は一座三句物で「懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一」とあるだけで、必ず一つの懐紙に花を出さなくてはならないという決まりはない。三句までだから極端な話一句もなくても良いということになる。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「朝露」は降物。

 

七十五句目

 

   かつ咲く梅に匂ふ朝露

 春の野や馴れぬ袖をもかはすらん  修茂

 (春の野や馴れぬ袖をもかはすらんかつ咲く梅に匂ふ朝露)

 

 「袖をかはす」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 男女が互いに衣の袖を振りかわす。また、男女が衣の袖を敷きかわして寝る。

  ※永久百首(1116)秋「袖かはす人もなき身をいかにせんよさむのさとにあらし吹なり〈源顕仲〉」

  ② 袖がふれるほど近くに並ぶ。袖をつらねる。

  ※六百番歌合(1193頃)春上・六番「袖かはす階のきはに年ふりて幾度春をよそに迎へつ〈藤原兼宗〉」

 

とある。

 この場合は①の意味。

 

 あかねさす紫野行き標野行き

     野守は見ずや君が袖振る

              額田王

 

のような春の野の恋になる。

 

季語は「春の野」で春。恋。「袖」は衣裳。

 

七十六句目

 

   春の野や馴れぬ袖をもかはすらん

 かすみ敷く江に舟かよふみゆ    宗祇

 (春の野や馴れぬ袖をもかはすらんかすみ敷く江に舟かよふみゆ)

 

 前句の袖を交わす人は船で通ってくる。

 

季語は「かすみ」で春、聳物。恋。「江」は水辺の体。「舟」は水辺の用。

 

七十七句目

 

   かすみ敷く江に舟かよふみゆ

 心なき人の夕べは空しくて     宗悦

 (心なき人の夕べは空しくてかすみ敷く江に舟かよふみゆ)

 

 心なき人が舟で帰ってきてくれるのを空しく待つ。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

七十八句目

 

   心なき人の夕べは空しくて

 つとむるかねを寿ともきけ     心敬

 (心なき人の夕べは空しくてつとむるかねを寿ともきけ)

 

 これは咎めてにはで、前句の「心なき」を信心の薄いという意味に取り成し、仏道に励む人の撞く入相の鐘に、今日も一日また年取って、死に近づいているんだと悟ってくれ、となる。

 これも信心の薄い自分を励ます体であり、信心のない人々をディスっているのではない。「心なき」は自分のことで、自分自身に「寿ともきけ」と命じている句だ。

 金子金次郎は、

 

 けふ過ぎぬ命もしかとおどろかす

     入相の鐘の声ぞ悲しき

            寂然法師(新古今集)

 

を引いている。

 

無季。釈教。

名残表

七十九句目

 

   つとむるかねを寿ともきけ

 杯をめぐらすまどひ惜しき夜に   長敏

 (杯をめぐらすまどひ惜しき夜につとむるかねを寿ともきけ)

 

 還暦か喜寿か、そういった長寿の祝いの席だろう。夜通し飲み交わし、夜明けの鐘を聞けば、それも長寿をことほいでいるのだと聞くことになる。

 

無季。「夜」は夜分。

 

八十句目

 

   杯をめぐらすまどひ惜しき夜に

 琴の音のこるあり明の空      宗祇

 (杯をめぐらすまどひ惜しき夜に琴の音のこるあり明の空)

 

 明け方の琴は『源氏物語』橋姫巻の薫が宇治八の宮を尋ねる場面か。

 

季語は「あり明」で秋、夜分、光物。

 

八十一句目

 

   琴の音のこるあり明の空

 消えもせぬ身をうき人の秋深けて  幾弘

 (消えもせぬ身をうき人の秋深けて琴の音のこるあり明の空)

 

 金子金次郎は、

 

 わび人の住むべき宿と見るなへに

     嘆きくははる琴の音ぞする

              良岑宗貞(古今集)

 

の歌を引いている。本歌による付け。

 

季語は「秋」で秋。述懐。「身」「うき人」は人倫。

 

八十二句目

 

   消えもせぬ身をうき人の秋深けて

 雲きりいく重すめる山里      宗悦

 (消えもせぬ身をうき人の秋深けて雲きりいく重すめる山里)

 

 前句の「消えもせぬ」を「雲きり」で受ける。これによって「消えもせぬ」は身の消えぬと雲霧の消えぬとの二重の意味を持つことになる。

 

季語は「雲きり」で秋、聳物。「山里」は山類の体、居所。

 

八十三句目

 

   雲きりいく重すめる山里

 五月雨は水の音せぬ谷もなし    心敬

 (五月雨は水の音せぬ谷もなし雲きりいく重すめる山里)

 

 これは心敬の得意なパターンと言うか、水の音はするが水の姿は見えない谷があるということを逆説的に述べたもの。そこで前句の雲霧幾重に繋がる。

 

季語は「五月雨」で夏、降物。「谷」は山類の体。

 

八十四句目

 

   五月雨は水の音せぬ谷もなし

 ながれの末にうかぶむもれ木    宝泉

 (五月雨は水の音せぬ谷もなしながれの末にうかぶむもれ木)

 

 五月雨の増水に、埋もれ木も浮かんでしまう。

 「うもれぎ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①木の幹が、長い間水や土の中に埋もれていて炭化したもの。細工物に用いる。仙台に近い名取(なとり)川のものが有名。

  ②世間から捨てられて、顧みられない身の上のたとえ。◆中古以降は多く「むもれぎ」と表記。」

 

とある。名取川のものは長く川底に沈んでいた流木で、数百年数千年腐らず、鉄分などを吸収し黒色化したものをいう。それが時折河原に打ち上げられ採取され、細工に用いられる。

 みちのくの名取川の埋もれ木は、

 

 名取川せせの埋れ木あらはれは

     いかにせむとか逢見そめけむ

              よみ人しらず(古今集)

 

など歌に詠まれている。

 

 みちのくにありてふ川の埋れ木の

     いつあらはれてうき名とりけん

              源時清(続古今)

 

の歌ではあれはれては「浮き」と掛けて用いられている。

 

無季。

 

八十五句目

 

   ながれの末にうかぶむもれ木

 あふ瀬にもよらば片しけ名取川   修茂

 (あふ瀬にもよらば片しけ名取川ながれの末にうかぶむもれ木)

 

 「むもれ木」に名取川は当然と言えよう。

 「ながれの末に」は、

 

 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の

     われても末に逢はむとぞ思ふ

              崇徳院(詞花集)

 

のような、流れに引き裂かれながらも流れの末でまた会おうという恋の情につながる。

 この場合は滝川の水ではなく埋もれ木なので、別々に流れていても川の狭くなったところでまためぐり合う。「片しけ」は一人寝をしろということになるが、めぐり合うまでは一人で寝るのにも耐えろということか。

 

無季。恋。「名取川」は水辺の体。

 

八十六句目

 

   あふ瀬にもよらば片しけ名取川

 よそにもれなん色ぞ物うき     銭阿

 (あふ瀬にもよらば片しけ名取川よそにもれなん色ぞ物うき)

 

 名取川は「名」がつくので、名が立つ、噂が広まるということに掛けて用いられる。一人で寝ていても噂が立って気が気でない。

 

無季。恋。

 

八十七句目

 

   よそにもれなん色ぞ物うき

 かいま見もあらはに芦の葉はかれて 心敬

 (かいま見もあらはに芦の葉はかれてよそにもれなん色ぞ物うき)

 

 芦の葉に囲まれた苫屋だろうか。芦の葉が枯れればそこに住む女性が他所の男に垣間見られてしまう。「もれる」を噂ではなく、住んでいること自体がもれるとする。

 

季語は「芦の葉はかれて」で冬、植物、草類。恋。

 

八十八句目

 

   かいま見もあらはに芦の葉はかれて

 冬はすまれぬ栖とをしれ      満助

 (かいま見もあらはに芦の葉はかれて冬はすまれぬ栖とをしれ)

 

 「栖」は「すみか」。鳥の巣の意味もある。

 

季語は「冬」で冬。「栖」は居所の体。

 

八十九句目

 

   冬はすまれぬ栖とをしれ

 都には雪はあらめや小野の山    宗祇

 (都には雪はあらめや小野の山冬はすまれぬ栖とをしれ)

 

 京都の小野山は大原三千院の東にある。このあたりは日本海の方から雪雲が入り込んでくるので雪が降る。

 京都北部までは雪が降りやすいが、南部になると雨に変わることが多く、それゆえに、

 

 下京や雪つむ上のよるの雨     凡兆

 

ということになる。

 小野の山は雪に埋もれて冬は住みにくい土地だが、都の方でも降っているのだろうか、という句で、凡兆の句の「下京や」の上五は『去来抄』によれば芭蕉が考えたものだというから、発想が似ている。多分京都に住んでる人にとっては「あるある」なのだろう。

 

季語は「雪」で冬、降物。「小野の山」は山類の体。

 

九十句目

 

   都には雪はあらめや小野の山

 時雨に月の影もすさまじ      覚阿

 (都には雪はあらめや小野の山時雨に月の影もすさまじ)

 

 前句の「あらめや」を反語とし、雪ではなく時雨で、時雨の晴れ間からみる月が寒々としているとする。

 

 月を待つたかねの雲は晴れにけり

     こころあるべき初時雨かな

              西行法師(新古今集)

 たえだえに里わく月の光かな

     時雨をおくる夜半のむらくも

              寂蓮法師(新古今集)

 

などの歌がある。

 和歌では時雨の月は冬だが、連歌では秋になる。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。「時雨」は降物。

 

九十一句目

 

   時雨に月の影もすさまじ

 木がらしの空にうかるる秋の雲   心敬

 (木がらしの空にうかるる秋の雲時雨に月の影もすさまじ)

 

 時雨(冬)の月(秋)を木枯らし(冬)と秋の雲(秋)で受ける一種の四手付けであろう。

 秋の雲というと今日では鰯雲や羊雲を言う場合が多いが、江戸時代の俳諧だと、

 

 山々や一こぶしづゝ秋の雲     涼菟

 岫を出てそこら遊ぶや秋の雲    北枝

 枕出せ裏屋にまはる秋の雲     丈草

 

のように小さくて定めなく漂う雲というイメージがあったようだ。

 ここで言う「うかるる」というのも空一面に現れる鰯雲や羊雲ではなく、木枯らしの澄んだ空に小さくぽっかり浮かぶ雲のイメージのようだ。

 

季語は「秋の雲」で秋、聳物。

 

九十二句目

 

   木がらしの空にうかるる秋の雲

 かりもうちわび暮れわたる比    満助

 (木がらしの空にうかるる秋の雲かりもうちわび暮れわたる比)

 

 秋の空だから雁は当然と言えよう。「うかるる雲」に「うちわぶ雁」を対比させている。

 

季語は「かり」で秋、鳥類。

名残裏

九十三句目

 

   かりもうちわび暮れわたる比

 身にかかる涙ならじと慰めて    修茂

 (身にかかる涙ならじと慰めてかりもうちわび暮れわたる比)

 

 金子金次郎は、

 

 なき渡る雁の涙やおちつらむ

     もの思ふやどの萩の上露

              よみ人知らず(古今集)

 

の歌を引き、雁の涙は寄り合いだという。

 秋の露を雁の涙を見立てたもので、露は天然のもので、自分の涙ではない。これは「かこちがほなる」のパターンであろう。雁の涙が自分にかかったのではない。涙はあくまで自分自身の悲しみから来るものだ、誰のせいでもない、すべては自分の問題なんだと慰める。

 恋の涙はえてして泣かせた相手を恨む者だが、それは相手も苦しんだ末に出した結論で、自分だけが傷ついたわけではない。ふられれば傷つくがふるほうも傷ついているものだ。

 

無季。述懐。「身」は人倫。

 

九十四句目

 

   身にかかる涙ならじと慰めて

 品こそかはれ世はうかりけり    長敏

 (身にかかる涙ならじと慰めて品こそかはれ世はうかりけり)

 

 前句を他人の涙として、身分はいろいろ違っていても悲しいね、と付ける。

 『源氏物語』帚木巻の雨夜の品定めの左馬頭(さまのかみ)によれば、上品は基本的には三位以上の上達部でそれより下の殿上人が中品になるが、成り上がりは上達部でも中品で、没落した殿上人も中品になるという。

 参議予備軍の四位は上品に準じ、受領は中品になる。

 

無季。述懐。

 

九十五句目

 

   品こそかはれ世はうかりけり

 目の前にあるを驚け六道      宗悦

 (目の前にあるを驚け六道品こそかはれ世はうかりけり)

 

 品の上下から仏教の六道に持ってゆく。ここでは「むつのみち」と読む。

 天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の上下に較べれば、貴族の上中下の品など何だというわけだ。「驚け」は咎めてには。

 

無季。釈教。

 

九十六句目

 

   目の前にあるを驚け六道

 まなぶはうとき歌のことわり    心敬

 (目の前にあるを驚け六道まなぶはうとき歌のことわり)

 

 六道を詩の六義に取り成す。詩経に、

 

 「故詩有六義焉。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。」

 

とある。古今集仮名序には「うたのさま、むつなり。」とあり、「そへうた、かぞへうた、なずらへうた、たとへうた、ただことうた、いはひうた、」の六つを言う。

 

無季。

 

九十七句目

 

   まなぶはうとき歌のことわり

 浦遠く玉つ嶋山かすむ日に     宗祇

 (浦遠く玉つ嶋山かすむ日にまなぶはうとき歌のことわり)

 

 和歌といえば和歌の浦の玉津島神社。ウィキペディアには、

 

 「古来玉津島明神と称され、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けることになる(近世以降は北野社に代わって柿本人麿)。」

 

とある。

 春に転じることで花の少なかったこの巻の花呼び出しにもなっている。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。神祇。「浦」「玉つ嶋山」は水辺の体。「日」は光物。

 

九十八句目

 

   浦遠く玉つ嶋山かすむ日に

 春しる音のよはき松風       覚阿

 (浦遠く玉つ嶋山かすむ日に春しる音のよはき松風)

 

 秋の松風はしゅうしゅうと物悲しいが、春の風だと穏やかに聞こえる。

 

季語は「春」で春。「松風」は植物、木類。

 

九十九句目

 

   春しる音のよはき松風

 花にのみ心をのぶる夕間暮     満助

 (花にのみ心をのぶる夕間暮春しる音のよはき松風)

 

 風が弱いので花もすぐに散る心配もなく穏やかな夕暮れを迎える。

 「花にのみ」というのは隠棲の身で一人花を見て過ごすという意味であろう。都を離れ、品川の片田舎で過ごす心敬への共鳴であろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花にのみ心をのぶる夕間暮

 さかりなる身ぞ齢久しき      幾弘

 (花にのみ心をのぶる夕間暮さかりなる身ぞ齢久しき)

 

 まだまだ元気でこれからも長生きできますよ、と祝言でしめて終わり。

 

無季。「身」は人倫。