「種芋や」の巻、解説

午ノ年伊賀の山中

初表

   春興

 種芋や花のさかりに売ありく    芭蕉

   こたつふさげば風かはる也   半残

 酒好のかしらも結ず春暮て     土芳

   ぬぎかへがたき革の衣手    良品

 有明の七つ起なる薬院に      半残

   ひさごの札を付わたしけり   芭蕉

 

初裏

 秋風に槇の戸こぢる膝入れて    良品

   小僧のくせに口ごたへする   土芳

 やすやすと矢洲の河原のかち渉り  芭蕉

   多賀の杓子もいつのことぶき  半残

 手枕のおとこも持たで三つ輪組   土芳

   人にとりつく憂名くちおし   良品

 萱草の色もかはらぬ恋をして    半残

   秋たつ蝉の啼しににけり    芭蕉

 月暮て石屋根まくる風の音     良品

   こぼれて青き藍瓶の露     土芳

 蕣の花の手際に咲そめて      芭蕉

   細や鳴来る水のかはりめ    半残

 

 

二表

 猫の目の六つ柿核に四つ円く    土芳

   あすのもよひの繊蘿蔔きる   良品

 からうすも病人あればかさぬ也   半残

   ただささやいて出る髪ゆひ   芭蕉

 とりどりに紺屋の形を取散し    良品

   冬至の縁に物おもひます    土芳

 けはへどもよそへども君かへりみず 芭蕉

   まだ元服のあどなかりける   半残

 朝夕にきらひの多き膳まはり    土芳

   いとあはれなる野々宮の衆   良品

 田鼠の稲はみあらす月澄て     半残

   風ひえそむる牛の子の旅    芭蕉

 

二裏

 露しぐれ越のさきおり袖もなし   良品

   しなずば人の何に成べき    土芳

 神風や吹起されてかい覚ぬ     芭蕉

   筆をおとせば烏書出す     半残

 しらしらとひとへの花に指むかひ  土芳

   長閑き昼の太鼓うちけり    良品

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

   春興

 種芋や花のさかりに売ありく   芭蕉

 

 里芋は秋から冬に収穫すると地下一メートルの深さに埋めて保存し、春に掘り起こして種芋として用いる。元禄七年夏の「夕㒵や」の巻十八句目に、

 

   花の香に啼ぬ烏の幾群か

 土ほりかへす芋種の穴      惟然

 

の句がある。桜の季節がちょうどその頃だったようだ。

 里芋は仲秋の名月に供えるもので、芋名月とも呼ばれる。その芋の種芋を準備がちょうど桜の季節になることで、花の句でありながら、言外に名月を匂わせる。

 今は花の盛りだが、この時分に種芋を売り歩く人がいるように、われわれもこの花の中で月のことも気にかけましょうというメッセージも込められている。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

 

   種芋や花のさかりに売ありく

 こたつふさげば風かはる也    半残

 (種芋や花のさかりに売ありくこたつふさげば風かはる也)

 

 昔は掘り火燵だったので、春になると火燵の穴を塞ぐ。「風かはる」に猿蓑調へ向けての決意があったのかもしれない。

 

季語は「こたつふさげば」で春。

 

第三

 

   こたつふさげば風かはる也

 酒好のかしらも結ず春暮て    土芳

 (こたつふさげば風かはる也酒好のかしらも結ず春暮て)

 

 昔は坊主以外はだいたい髷を結っていて、それをほどいたままというのは無精で、働く気がないという感じがする。

 

季語は「春暮て」で春。

 

四句目

 

   酒好のかしらも結ず春暮て

 ぬぎかへがたき革の衣手     良品

 (酒好のかしらも結ず春暮てぬぎかへがたき革の衣手)

 

 革羽織であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「革羽織」の解説」に、

 

 「① 燻革(ふすべがわ)で作った羽織。多く防火用、防寒用。江戸時代から明治時代にかけては、特に鳶頭(とびがしら)や職人の棟梁(とうりょう)などが着用した。《季・冬》

  ※一柳家記(1641)「羊之革羽織、為二褒美一四郎右衛門に給レ之」

  ※俳諧・虎渓の橋(1678か)「むねにたく火は消えすみになる〈西鶴〉 かたみこそ今はあだなれ革羽織〈松意〉」

 

とある。酒好きの職人で、夏の衣更えも近いというのに革羽織が手放せない。

 

無季。「革の衣手」は衣裳。

 

五句目

 

   ぬぎかへがたき革の衣手

 有明の七つ起なる薬院に     半残

 (有明の七つ起なる薬院にぬぎかへがたき革の衣手)

 

 夜明けが明け六つで七つはその一時間以上前のまだ暗いうちを指す。唱歌の「お江戸日本橋」にも「七つ発ち」とある。有明の月が照らす。

 薬院」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「施薬院・薬院」の解説」に、

 

 「(「施」の字を省いて読むのを例とする)

  [1] 諸国から献納された薬種をもって、京中の病人の治療に当たった施設。また、江戸時代、各藩に所属した養生所・保養所。薬草も栽培した。せやくいん。

  ※俳諧・己が光(1692)「有明の七つ起なる薬院に〈半残〉 ひさごの札を付わたしけり〈芭蕉〉」

  [2] 江戸幕府が享保七年(一七二二)に江戸小石川に設けた養生所の別称。」

 

とある。

 ウィキペディアによると、

 

 「施薬院(やくいん / せやくいん)は、奈良時代に設置された令外官である庶民救済施設・薬園。「施」の字はなぜか読まれないことが多く、中世以降は主に「やくいん」と呼ばれた。

 天平2年(730年)、光明皇后の発願により、悲田院とともに創設され、病人や孤児の保護・治療・施薬を行った。諸国から献上させた薬草を無料で貧民に施した。東大寺正倉院所蔵の人参や桂心などの薬草も供されている。また、光明皇后自ら病人の看護を行ったとの伝説も残る。」

 

と、古代に作られたものだが、

 

 「しかし、中世に入ると施薬院は衰微し、次第に形骸化していった。院司は長く丹波氏の世襲であったが、鎌倉時代からは和気氏もこれに加わり、両家の間で争いが起きる。しかし、実務自体はほとんど無くなっており、形式的な職位に過ぎなかった。戦国時代に、丹波氏の後裔である全宗が、豊臣秀吉に側近として仕え、正親町天皇より勅命で施薬院使に任ぜられ、形骸化していた施薬院を復興する。同時に「施薬院」を姓とするようになった。以後江戸時代は、この施薬院氏が院使を世襲した。」

 

とあるように、芭蕉の時代にはそれほど実質的には機能してなかったようだ。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   有明の七つ起なる薬院に

 ひさごの札を付わたしけり    芭蕉

 (有明の七つ起なる薬院にひさごの札を付わたしけり)

 

 おそらく薬院が実際に機能していたのは主に薬草などの栽培だったのではないかと思う。誰もが知っている瓢箪にわざわざ「ひさご」という札を付けているあたり、今の植物園とそれほど変わりない。

 

季語は「ひさご」で秋、植物、草類。

初裏

七句目

 

   ひさごの札を付わたしけり

 秋風に槇の戸こぢる膝入れて   良品

 (秋風に槇の戸こぢる膝入れてひさごの札を付わたしけり)

 

 前句の「ひさごの札」を庵の門の額か何かにしたか。いわば「ひさご庵」であろう。

 建付けの悪くなった古い槇の戸を、隙間から膝をつっこんでこじ開ける。

 

季語は「秋風」で秋。「槇の戸」は居所。

 

八句目

 

   秋風に槇の戸こぢる膝入れて

 小僧のくせに口ごたへする    土芳

 (秋風に槇の戸こぢる膝入れて小僧のくせに口ごたへする)

 

 小僧の口答えに腹を立てて外に追い出そうとするが、小僧は膝を戸に挟んで戸を閉じさせないようにする。

 

無季。「小僧」は人倫。

 

九句目

 

   小僧のくせに口ごたへする

 やすやすと矢洲の河原のかち渉り 芭蕉

 (やすやすと矢洲の河原のかち渉り小僧のくせに口ごたへする)

 

 天の安河原の宇気比(誓約)であろう。小僧は素戔嗚尊で、海原の支配を命じたのに黄泉の国へ行くと口答えし、姉の天照大神に会おうとやってきて天の安河原の宇気比(誓約)を行う。このあとさんざん悪さをして、天岩戸になる。 

 

無季。神祇。「河原」は水辺。

 

十句目

 

   やすやすと矢洲の河原のかち渉り

 多賀の杓子もいつのことぶき   半残

 (やすやすと矢洲の河原のかち渉り多賀の杓子もいつのことぶき)

 

 近江の多賀というと彦根の多賀大社だが、野洲からは結構離れている。伊弉諾伊弉冉両神が祀られていて、前句と神話で繋がっている。

 多賀の杓子はウィキペディアに、

 

 「多賀社のお守りとして知られるお多賀杓子は、元正天皇の養老年中、多賀社の神官らが帝の病の平癒を祈念して強飯(こわめし)を炊き、シデの木で作った杓子を添えて献上したところ、帝の病が全快したため、霊験あらたかな無病長寿の縁起物として信仰を集めたと伝わる。元正天皇のころは精米技術が未発達で、米飯は粘り気を持つ現代のものとは違い、硬くてパラパラとこぼれるものだったらしく、それをすくい取るためにお多賀杓子のお玉の部分は大きく窪んでいて、また、柄は湾曲していたとのことで、かなり特徴のある形だったという。なお、現代のお多賀杓子はお玉の形をしていない物が多く、今様の米に合わせて平板な物が大半である。このお守りは、実用的な物もあれば飾るための大きな物もある。」

 

とある。

 伊賀から多賀大社に詣でる時には水口の方を経由したのだろう。野洲の川を渡るのは簡単だが、結婚は一体いつになるのか。

 

無季。神祇。恋。

 

十一句目

 

   多賀の杓子もいつのことぶき

 手枕のおとこも持たで三つ輪組  土芳

 (手枕のおとこも持たで三つ輪組多賀の杓子もいつのことぶき)

 

 「三つ輪組」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に「年老いて腰が曲る意」とある。結局結婚できぬまま老婆になってしまった。

 

無季。恋。「おとこ」は人倫。

 

十二句目

 

   手枕のおとこも持たで三つ輪組

 人にとりつく憂名くちおし    良品

 (手枕のおとこも持たで三つ輪組人にとりつく憂名くちおし)

 

 これは、

 

 忘らるる身をば思はず誓ひてし

     人の命の惜しくもあるかな

              右近(拾遺集)

 

の心か。

 年老いていった自分のことはさておいて、浮名に取り付かれてしまったあの人が残念だ。ざまあ、ざまあ。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

十三句目

 

   人にとりつく憂名くちおし

 萱草の色もかはらぬ恋をして   半残

 (萱草の色もかはらぬ恋をして人にとりつく憂名くちおし)

 

 萱草は「忘れ草」とも呼ばれている。忘れようにも忘れられない恋をしてという意味。

 

季語は「萱草」で夏、植物、草類。恋。

 

十四句目

 

   萱草の色もかはらぬ恋をして

 秋たつ蝉の啼しににけり     芭蕉

 (萱草の色もかはらぬ恋をして秋たつ蝉の啼しににけり)

 

 「秋たつ蝉」は「悲し悲し」と鳴くヒグラシであろう。叶わぬ恋をしたまま鳴いて死んでしまった。

 

季語は「秋たつ蝉」で秋、虫類。

 

十五句目

 

   秋たつ蝉の啼しににけり

 月暮て石屋根まくる風の音    良品

 (月暮て石屋根まくる風の音秋たつ蝉の啼しににけり)

 

 石屋根は板葺きの上に重石を置いた屋根のことか。板の隙間から風が入ると、重石などすっとばしてまくり上がることもある。台風が近づいているのだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   月暮て石屋根まくる風の音

 こぼれて青き藍瓶の露      土芳

 (月暮て石屋根まくる風の音こぼれて青き藍瓶の露)

 

 藍瓶はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「藍瓶」の解説」に、

 

 「〘名〙 藍染めの藍汁を蓄え、藍染め作業をするかめ。紺屋(こうや)で用いる。あいつぼ。

  ※財政経済史料‐二・経済・工業・衣服・寛文八年(1668)一二月二六日「藍瓶壱つに付壱斗づつ雖下令二収納一来上」

 

とある。

 まくり上がった屋根から吹き込んでくる強風に、藍瓶も波立ち、外に青い露をまき散らす。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十七句目

 

   こぼれて青き藍瓶の露

 蕣の花の手際に咲そめて     芭蕉

 (蕣の花の手際に咲そめてこぼれて青き藍瓶の露)

 

 前句の藍瓶を藍色に咲く朝顔の比喩とする。

 丹精込めて咲かせた朝顔に露が降りて、あたかも藍瓶から青い露が零れ落ちるようだ。

 

季語は「蕣の花」で秋、植物、草類。

 

十八句目

 

   蕣の花の手際に咲そめて

 細や鳴来る水のかはりめ     半残

 (蕣の花の手際に咲そめて細や鳴来る水のかはりめ)

 

 「鳴来る」は「なりくる」。庭をちょろちょろと流れてくる水が、このごろめっきり細くなったということか。

 

無季。

二表

十九句目

 

   細や鳴来る水のかはりめ

 猫の目の六つ柿核に四つ円く   土芳

 (猫の目の六つ柿核に四つ円く細や鳴来る水のかはりめ)

 

 猫の目の瞳孔の形で、夕暮れの頃には柿の種のような形で、夜の十時頃になると丸くなる。その頃には水の音も細くなる。

 

無季。「猫」は獣類。

 

二十句目

 

   猫の目の六つ柿核に四つ円く

 あすのもよひの繊蘿蔔きる    良品

 (猫の目の六つ柿核に四つ円くあすのもよひの繊蘿蔔きる)

 

 繊蘿蔔はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「繊蘿蔔」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「蘿蔔」は大根の意) 大根を細長く刻んだもの。味噌汁などの実とする。千六本。

  ※庭訓往来(1394‐1428頃)「菜者繊蘿蔔、煮染牛房、昆布」

  ※譬喩尽(1786)七「繊蘿蔔(センロフ) 刻大根汁を云」

 

とある。辞書では「せんろふ」とあるが『校本芭蕉全集 第四巻』には「せろつぽん」とルビがある。

 明日の準備で夜に大根を千六本に切るわけだが、浅漬けにするのか、膾にするのか。

 

無季。

 

二十一句目

 

   あすのもよひの繊蘿蔔きる

 からうすも病人あればかさぬ也  半残

 (からうすも病人あればかさぬ也あすのもよひの繊蘿蔔きる)

 

 唐臼はシーソーのような形で足で踏んで米を搗く臼で、粉塵が飛ぶので病人のいる時には用いなかったのだろう。大根の千六本は病人に食わせるためのものとした。

 

無季。「病人」は人倫。

 

二十二句目

 

   からうすも病人あればかさぬ也

 ただささやいて出る髪ゆひ    芭蕉

 (からうすも病人あればかさぬ也ただささやいて出る髪ゆひ)

 

 髪結(かみゆひ)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「髪を結う職人。平安・鎌倉時代には男性は烏帽子(えぼし)をかぶるために簡単な結髪ですんでいたが,室町後期には露頭(ろとう)や月代(さかやき)が一般的になり,そのため,結髪や月代そりを職業とする者が現れた。別に一銭剃(いっせんぞり),一銭職とも呼ばれたが,これは初期の髪結賃からの呼称とされる。また取りたたむことのできるような簡略な仮店(〈床〉)で営業したことから,その店は髪結床(かみゆいどこ),〈とこや〉と呼ばれた。近世には髪結は主に〈町(ちょう)抱え〉〈村抱え〉の形で存在していた。三都(江戸・大坂・京都)では髪結床は,橋詰,辻などに床をかまえる出床(でどこ),番所や会所の内にもうける内床があるが(他に道具をもって顧客をまわる髪結があった),ともに町の所有,管理下におかれており,江戸で番所に床をもうけて番役を代行したように,地域共同体の特定機能を果たすように,いわば雇われていた。そのほか髪結には,橋の見張番,火事の際に役所などに駆け付けることなどの〈役〉が課されていた。さらに髪結床は,《浮世床》や《江戸繁昌記》に描かれるように町の社交場でもあった。なお,女の髪を結う女髪結は,芸妓など一部を除いて女性は自ら結ったことから,現れたのは遅く,禁止されるなどしたが,幕末には公然と営業していた。」

 

とある。全部ではないにせよ被差別民がやる場合が多かったのではないかと思う。

 この場合は道具をもって顧客をまわる方の髪結であろう。病人がいるところでは髪を結う必要が何ので、玄関でひそひそとその状況を伝えられ、出て行く。

 『俳諧次韻』「世に有て」の巻十三句目に、

 

   枯ゆく宿に冬子うむ犬

 髪結の住けん庭は蓬して     揚水

 

の句がある。髪結いの生活の様子がうかがわれる。

 

無季。「髪ゆひ」は人倫。

 

二十三句目

 

   ただささやいて出る髪ゆひ

 とりどりに紺屋の形を取散し   良品

 (とりどりに紺屋の形を取散しただささやいて出る髪ゆひ)

 

 紺屋型のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「紺屋型」の解説」に、

 

 「〘名〙 紺屋が模様をえらばせるために客に見せる型紙、見本。

  ※雑俳・住吉おどり(1696)「とりどりに・下女あつまりてこんやかた」

 

とある。

 紺屋も髪結同様、被差別民に関係している。貞享五年春の「何の木の」の巻十八句目に、

 

   もる月を賤き母の窓に見て

 藍にしみ付指かくすらん     芭蕉

 

の句があり、隠す理由があったと思われる。

 髪結が紺屋のサンプルを持ってきたとしてもおかしくなかったのだろう。

 

無季。「紺屋」は人倫。

 

二十四句目

 

   とりどりに紺屋の形を取散し

 冬至の縁に物おもひます     土芳

 (とりどりに紺屋の形を取散し冬至の縁に物おもひます)

 

 貝原好古編の『日本歳時記』に、

 

 「陽気の始て生ずる時なれば、労働すべからず。安静にして微陽を養ふべし。閉戸黙坐して、公事にあらずんば出行すべからず。又奴僕をも労働せしむる事なかれ」

 

とある。

 藍染の衣を着る人は未分も低く、商家に奉公する女性であろう。冬至は仕事もなく暇なので縁側で物思いにふけると、恋の情も募ることになる。

 

季語は「冬至」で冬。恋。

 

二十五句目

 

   冬至の縁に物おもひます

 けはへどもよそへども君かへりみず 芭蕉

 

 化粧しても着飾っても君は振り向いてくれない。前句の恋の悩みの内容とする。

 

無季。恋。「君」は人倫。

 

二十六句目

 

   けはへどもよそへども君かへりみず

 まだ元服のあどなかりける    半残

 (けはへどもよそへども君かへりみずまだ元服のあどなかりける)

 

 「あどなし」はあどけないということ。君が振り向いてくれないのはまだ子供で色気づいてないからだ。

 昔は早婚だったから、結婚したのに全然かまってくれないということが結構あったのだろう。

 

無季。

 

二十七句目

 

   まだ元服のあどなかりける

 朝夕にきらひの多き膳まはり   土芳

 (朝夕にきらひの多き膳まはりまだ元服のあどなかりける)

 

 子供だから好き嫌いが多く、特に野菜が食べられなかったりするのは今と同じだろう。

 

無季。

 

二十八句目

 

   朝夕にきらひの多き膳まはり

 いとあはれなる野々宮の衆    良品

 (朝夕にきらひの多き膳まはりいとあはれなる野々宮の衆)

 

 嵯峨の野々宮はウィキペディアに、

 

 「天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢に赴く前に身を清める場所であり、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた清浄の地を選んで建てられた。その様子は源氏物語「賢木の巻」にも描かれている。」

 

とある。前句の「きらひ」を好き嫌いではなく、食事の禁忌が多いという意味に取り成す。

 

無季。神祇。「衆」は人倫。

 

二十九句目

 

   いとあはれなる野々宮の衆

 田鼠の稲はみあらす月澄て    半残

 (田鼠の稲はみあらす月澄ていとあはれなる野々宮の衆)

 

 田鼠はクマネズミという説とモグラという説がある。稲を食うのはハタネズミの方。

 嵯峨は田畑が多く、嵯峨の為有は「嵯峨田夫」という肩書になっている。稲を食うハタネズミもいかにもいそうだ。定座なので月を出す。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「田鼠」は獣類。

 

三十句目

 

   田鼠の稲はみあらす月澄て

 風ひえそむる牛の子の旅     芭蕉

 (田鼠の稲はみあらす月澄て風ひえそむる牛の子の旅)

 

 牛の子の旅は遠回しな言い方だが、要するに売られて行くということであろう。風が冷たい。

 

季語は「ひえそむる」で秋。「牛の子」は獣類。

二裏

三十一句目

 

   風ひえそむる牛の子の旅

 露しぐれ越のさきおり袖もなし  良品

 (露しぐれ越のさきおり袖もなし風ひえそむる牛の子の旅)

 

 「さきおり」はウィキペディアに、

 

 「裂織(さきおり)とは、傷んだり不要になったりした布を細く裂いたものを緯糸(よこいと)として、麻糸などを経糸(たていと)として織り上げた織物や、それを用いて作った衣類のこと。地域により「サクオリ」「サッコリ」「ツヅレ」などの呼び名がある。」

 

とある。また、

 

 「17世紀になって北前船が入るようになると、近畿から古手木綿が入るようになった。木綿の肌触りのよさは多くの人を魅了したが、古布とはいえ安いものではなかったため貴重品として「使い切る」文化の中で裂織文化が発展した。

 1,まずは端切れを縫い合わせて着物にしたり、炬燵布団にしたりして使い、擦り切れるとそこにまた継ぎを当てる。

 2,布がくたびれてくると、今度は縫い目をほどいて端切れに戻し、それを裂いて長い紐にする。安い麻糸を経糸とし、緯糸に端切れの紐を用いて機を織ると出来上がるのが、狭義の裂織である。

 3.さらに裂織が使い古されると、最後は裂いて組み紐に作り直し、背負子などに利用された。

 4.最後に紐の端に火を付けるとゆっくり燃えるため、農作業中に煙を虫除けとして使い、灰は土に返った。

 このように最後まで布を捨てることなく活用し、次々に新たな用途へと甦らせる文化を背景として裂織は広く行われた。古手木綿にはさまざまな色合いの端布が混ざっており、その継ぎ接ぎで色の組み合わせを楽しんだり、次いで裂織を織るときには緯糸となる端切れの微妙に異なる色合いの組み合わせを楽しむなどして、民芸品としての性格も帯びるようになる。」

 

とある。

 昔は袖なしのさきおりが多かったのだろう。多分厚手で袖を付けると動きにくくなるからではなかったか。

 廃物利用で袖なしだとどうしても貧相な印象を受ける。牛の売買をする博労が着ていたか。

 

季語は「露しぐれ」で秋、降物。「さきおり」は衣裳。

 

三十二句目

 

   露しぐれ越のさきおり袖もなし

 しなずば人の何に成べき     土芳

 (露しぐれ越のさきおり袖もなししなずば人の何に成べき)

 

 今の語感だと死なないなら何の役にも立たないという意味になりそうだが、これは聖書の「一粒の麦地に落ちて死なずば」を連想してしまうからだろう。

 この場合は、死なないなら、生きていれば人の何かになることができるという意味ではないかと思う。死んで花実の咲くものか、life is beautifulということではないかと思う。

 

無季。「人」は人倫。

 

三十三句目

 

   しなずば人の何に成べき

 神風や吹起されてかい覚ぬ    芭蕉

 (神風や吹起されてかい覚ぬしなずば人の何に成べき)

 

 「かい」は強調の接頭語で神風に吹き起こされてはっと目覚める、ということ。神風は伊勢の神風で、この時代に特攻隊のイメージはない。

 元寇の時も神風で敵方の船が大破し、起死回生の勝利を収める。

 生きていればたとえ国が破れても復興することができる。一億総自決なんてのはやはり馬鹿げたことだ。今度日本が戦争になったなら、地を這い泥を舐めても生き延びよう。

 

無季。

 

三十四句目

 

   神風や吹起されてかい覚ぬ

 筆をおとせば烏書出す      半残

 (神風や吹起されてかい覚ぬ筆をおとせば烏書出す)

 

 筆を落とせば偶然カラスの絵になることもある。何が起こるかわからないということ。

 

無季。「烏」は鳥類。

 

三十五句目

 

   筆をおとせば烏書出す

 しらしらとひとへの花に指むかひ 土芳

 (しらしらとひとへの花に指むかひ筆をおとせば烏書出す)

 

 前句を絵師として、花の咲くのを前にしながらまずはカラスを描き出す。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   しらしらとひとへの花に指むかひ

 長閑き昼の太鼓うちけり     良品

 (しらしらとひとへの花に指むかひ長閑き昼の太鼓うちけり)

 

 城下町では時を告げる太鼓が打ち鳴らされた。城下には桜の花が咲き長閑の昼に太鼓の音が響く。

 

季語は「長閑」で春。