「去年といはん」の巻、解説

初表

   寛文十三(みずのと)(うし)のとしの内に春(たち)ければ

 去年(こぞ)といはんこといとやいはん丑のとし 幾音(きおん)

   庄屋のそののうぐひすの声

 青柳(あをやぎ)も殿にやこしをかがむらん

   (その)一国をふくはるの風

 きり(はれ)(あたひ)千金月に影

   墨跡(ぼくせき)かけて鴈わたるらし

 (をれ)(くぎ)もうつや(きぬた)(つち)の音

   蘇鉄(そてつ)まじりの浅茅生(あさぢふ)の宿

 

初裏

 日覆(ひおほひ)も霜よりしもに朽果(くちはて)

   大工つかひや橋のつづくり

 昼めしの櫃川(ひつかは)さしてはこぶらし

   ふしみ竹田も(うう)るただ中

 かり駕籠(かご)のねぶりを(さま)郭公(ほととぎす)

   たばこのけぶりむら雨の雲

 槙のはに霧(たち)のぼる高桟敷(たかさじき)

   芝居もはてて秋はさびしき

 むしの声かんぜぬ物はなかりけり

   かかる名句もあり明の月

 臨終にうち向ひぬる西の空

   そこのき給へ人々いづれも

 花をふんで勿体(もったい)なしや御神木

   梅の(たち)()にこく鳥のふん

 

 

二表

 (わが)宿の(はは)()の先やかすむらん

   ありとは見えて(むね)天水(てんすい)

 一生は棒ふり虫のよの中に

   かち荷もちして日ぐらしの声

 山姥(やまうば)や月もろ共に(いで)ぬらん

   はるる舞台のまへの前きり

 巾着(きんちゃく)も大慈大悲の観世音

   南をはるかに見る遠めがね

 鉄砲の先にあぶなきおとこ山

   ふるぐそく着てたてるとおもへば

 ひかへたるかのやせ馬に針の跡

   (あね)小路(こうぢ)をくろ木はくろ木は

 えいやえい三条殿の床ばしら

   (とび)(ぐち)もつてくるよしもがな

 

二裏

 いかんせん火事ほどもゆる(わが)おもひ

   折ふし恋風はげしかりけり

 (たちまち)に家もつぶるるおごりやう

   目貫(めぬき)()づかも後はふるかね

 奈良の都ねるは御座(ござ)れの地黄(ぢわう)せん

   たたく太鼓の音もなる川

 (あけ)ぬとて(おき)別れ(ゆく)道のもの

   まくらのゆめもやぶれ草鞋(わらんぢ)

 ()づかひの銭懸(ぜにかけ)(まつ)(ふく)あらし

   しぐれもめぐる念仏講中(かうちう)

 十四日五日の暮の月(さえ)

   大しほさせば千鳥なく(なり)

 ちりちりやちつたところが花の波

   春風誘ふ滝の糸くづ

 

 

三表

 山姫やのこれる雪の綿仕事

   立田(たつた)のおくは手習(てならひ)どころ

 歌よみや紅葉(もみぢ)()(わけ)(いり)ぬらん

   猿丸(さるまる)太夫(だいふ)きく鹿の声

 判官(はうぐわん)のまなこさやかに月(ふけ)

   すすめ申せば寝酒何杯(なんばい)

 小夜(さよ)(ごろも)おもき(がい)()の枕もと

   鍾馗(しょうき)のせいかゆめかうつつか

 節句までありてなければかみのぼり

   菖蒲かる()の末のはつけ木

 池波(いけなみ)のよるよる来るやおちひねり

   ときはの里にばけもののさた

 (うしろ)からぞんぞとしたる松の風

   芭蕉はやぶれて肌着一枚

 

三裏

 古寺のからうすをふむ庭の月

   菩提もとこれ木おとこ(すさま)

 ぼんなうのきづなをきるや(むかう)(がみ)

   恋の山また遁世(とんせい)のやま

 やもめでは物の淋しき事ばかり

   始末(しまつ)をしても(いり)あひのかね

 (ひと)かせぎいのちのうちにと存候(ぞんじそろ)

   江戸まで(こゆ)小夜(さよ)中山(なかやま)

 甲斐(かひ)かねをさやにもみじか旅がたな

   似せ侍もいさやしら雪

 たつときも(だん)()衛門(ゑもん)も花に来て

   あるひは猿楽(さるがく)蝶々の舞

 春日野(かすがの)は七日が間のどやかに

   若菜つみつつ今朝は増水(ぞうすい)

 

名表

 かせ所帯(じょたい)(わが)衣手にたすきがけ

   妻子(つまこ)にまよふ闇の()づかひ

 滝つせやいとどかはいの涙川

   岩ねの床にだいたかしめたか

 奥山に(さて)も狸のはらつづみ

   東西東西さるさけぶ声

 (いり)みだれ(いくさ)はその日七つ時

   (めし)(たき)すててかまくらの里

 (すし)(をけ)由井(ゆゐ)(みぎは)に急ぎけり

   ゆめぢをいづる使者にや(ある)らん

 口上(こうじゃう)のおもむき(きけ)ば寝言にて

   ねつきはいまださめぬとばかり

 夕月や(ひたひ)のまはり(てら)すらん

   けぬきはなさぬ袖の秋風

 

名裏

 人はただはたち前後か(はな)(すすき)

   いたづらぐるひのらのらの露

 夜這(よばひ)には庭もまがきものり(こえ)

   かけがねもはや(ふく)(ねや)の戸

 をとがいを水鶏(くひな)やたたきやまざらん

   さてもさしでた洲崎(すざき)島さき

 きく王や舟に其比(そのころ)花の春

   異国もなびく御代のどか(なり)

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

   寛文十三(みずのと)(うし)のとしの内に春(たち)ければ

 去年(こぞ)といはんこといとやいはん丑のとし 幾音(きおん)

 

 寛文十三年(一六七三年)の(さい)(たん)だが、年内立春のためややフライングして寛文十二年の立春の句になる。十二月十七年(西暦一六七三年二月三日)が立春で、立春から正月まで二週間と長かった。

 古今集の、

 

 年のうちに春は来にけりひととせを

     去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ

             在原元方(ありはらのもとかた)

 

の歌を本歌とする。

 宗因の長点があり「え方うしの年とは今こそ(うけたまはり)候へ」とある。

 

季語は「丑のとし」で春。

 

 

   去年といはんこといとやいはん丑のとし

 庄屋のそののうぐひすの声

 (去年といはんこといとやいはん丑のとし庄屋のそののうぐひすの声)

 

 園の(うぐいす)は、

 

 わがそのの梅のほつえに鶯の

     ねになきぬべきこひもするかな

             よみ人しらず(古今集)

 

の歌に詠まれている。これに庄屋という俗で俳諧にする。

 墨点あり。原書には長い\が墨で、長点はそれにヽが加わる。

 

季語は「うぐひす」で春、鳥類。「庄屋のその」は居所(きょしょ)

 

第三

 

   庄屋のそののうぐひすの声

 青柳(あをやぎ)も殿にやこしをかがむらん

 (青柳も殿にやこしをかがむらん庄屋のそののうぐひすの声)

 

 園の鶯に青柳は、

 

 梅の花咲きたる園の青柳は

     かつらにすべくなりにけらしも

             よみ人しらず(風雅集)

 

の歌に出典がある。

 庄屋殿に敬意を示して、柳も腰をかがめているのだろうか。まあ、柳に風というし。

 長点があり、「草木もなびくばかり也」とある。

 

季語は「青柳」で春、植物、木類。「殿」は人倫。

 

四句目

 

   青柳も殿にやこしをかがむらん

 (その)一国をふくはるの風

 (青柳も殿にやこしをかがむらん其一国をふくはるの風)

 

 前句の殿を一国の大名として、柳に春風を添える。

 青柳に春風は、

 

 春風の霞吹き解く絶え間より

     乱れて靡く青柳の糸

             (いん)富門院(ぷもんいんの)大輔(たいふ)(新古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 墨点あり。以下「点あり」と略す。

 

季語は「はるの風」で春。

 

五句目

 

   其一国をふくはるの風

 きり(はれ)(あたひ)千金月に影

 (きり晴て値千金月に影其一国をふくはるの風)

 

 千金というと、

 

    春宵      蘇軾

 春宵一刻直千金 花有清香月有陰

 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈

 

 春の宵の一刻は値千金、

 花清らかに香り月も朧げに

 歌に笛に楼台の声も聞こえてきて

 中庭の鞦韆(しゅうせん)に夜はしんしん

 

で、前句の一国を一刻に掛けて値千金を導き出しているが、月に「霧晴れて」の秋の言葉は春宵のイメージを弱くして、秋への転換がやや強引な印象を与える。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「きり」は聳物(そびきもの)

 

六句目

 

   きり晴て値千金月に影

 墨跡(ぼくせき)かけて(かり)わたるらし

 (きり晴て値千金月に影墨跡かけて鴈わたるらし)

 

 雁が草書の文字を連綿(れんめん)させるみたいに連なって月夜に渡ってくる。

 月に雁は、

 

   題しらず

 白雲にはねうちかはし飛ぶかりの

     かずさへ見ゆる秋の夜の月

            よみ人しらず(古今集)

 

などの歌がある。

 長点があり、「本尊かけ鳥より風味よく候」とある。本尊かけ鳥はホトトギスのことで「本尊かけたか」と鳴く。まあ実際は「きょっきょっきょっきょ」って感じだが。昔は本尊を「フォンソン」と発音してたから、その方がホトトギスの声に近い。

 

季語は「鴈」で秋、鳥類。

 

七句目

 

   墨跡かけて鴈わたるらし

 (をれ)(くぎ)もうつや(きぬた)(つち)の音

 (折釘もうつや碪の槌の音墨跡かけて鴈わたるらし)

 

 前句の墨跡を墨縄を使って材木に釘を打つ位置を記すこととして、雁の渡る夜に雁の墨の跡に釘を打つかのような碪の槌音が聞こえる。

 雁に砧は、

 

 衣打つ砧の音を聞くなへに

     霧たつ空に雁ぞ鳴くなる

            曽禰(そねの)好忠(よしただ)(新勅撰集)

 

の歌がある。

 長点があり、「からりころころこちこちまじりに、聞事(ききごと)に候」とある。

 

季語は「碪」で秋。

 

八句目

 

   折釘もうつや碪の槌の音

 蘇鉄(そてつ)まじりの浅茅生(あさぢふ)の宿

 (折釘もうつや碪の槌の音蘇鉄まじりの浅茅生の宿)

 

 釘から鉄の縁で蘇鉄を出し、砧の音に浅茅生の宿が付く。

 砧に浅茅生の宿は、

 

 長き夜の霜の衣を打ちわびて

     ねぬ人しるき浅茅生の宿

            源通光(みなもとのみちてる)(新千載集)

 

の歌がある。

 長点があり、「新しき取合(とりあはせ)候」とある。釘に蘇鉄の取り合わせを指す。

 

無季。「蘇鉄」は植物、木類。「浅茅生」は植物、草類。「宿」は居所。

初裏

九句目

 

   蘇鉄まじりの浅茅生の宿

 日覆(ひおほひ)も霜よりしもに朽果(くちはて)

 (日覆も霜よりしもに朽果て蘇鉄まじりの浅茅生の宿)

 

 「霜よりしもに」は、

 

 世やは憂き霜よりしもに結び置く

     老蘇(おいそ)の森のもとの朽ち葉は

            藤原定家(拾遺愚草)

 

の歌があり、これが本歌になる。

 日覆(ひおほひ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「日覆」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 日の光をさえぎるおおい。ひよけ。《季・夏》 〔羅葡日辞書(1595)〕

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「日覆も霜よりしもに朽果て 大工つかひや橋のつつくり〈幾音〉」

  ② 舞台上部の奥につるされた幅二尺(約〇・六メートル)程の渡り廊下の称。現在は鉄製だが以前は簀の子であった。ひよけ。〔随筆・俗耳鼓吹(1788)〕

  ③ 夏、制帽などの上面をおおう白布。〔風俗画報‐五四号(1893)〕」

 

とある。夏の日覆いも今では霜に朽ち果てて、朽ち葉のようになっている。

 墨点あり。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

十句目

 

   日覆も霜よりしもに朽果て

 大工つかひや橋のつづくり

 (日覆も霜よりしもに朽果て大工つかひや橋のつづくり)

 

 「つづくり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「綴」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (動詞「つづくる(綴)」の連用形の名詞化。「つつくり」とも) 修理。修繕。補修。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「日覆(ひおほひ)も霜よりしもに朽果(くちはて) 大工つかひや橋のつづくり〈幾音〉」

 

とある。

 日覆いも朽ちた荒れ果てた建物だから、橋の部分に大工を入れて修理をしている。

 墨点あり。

 

無季。「大工」は人倫。「橋」は水辺(すいへん)

 

十一句目

 

   大工つかひや橋のつづくり

 昼めしの櫃川(ひつかは)さしてはこぶらし

 (昼めしの櫃川さしてはこぶらし大工つかひや橋のつづくり)

 

 櫃川(ひつかわ)は山科を流れる川で、木幡(こはた)で宇治川に合流する。当時の山科から大阪方面への物流に用いられていたのだろう。ここでは昼飯のお櫃と掛けているが、枕詞のような用法で、あまり意味はないのだろう。

 物流の要衝なので大工を使って橋も修理する。

 長点があり、「秀句あたらしく候」とある。

 

無季。「櫃川」は水辺。

 

十二句目

 

   昼めしの櫃川さしてはこぶらし

 ふしみ竹田も(うう)ただ中

 (昼めしの櫃川さしてはこぶらしふしみ竹田も植るただ中)

 

 伏見は櫃川の下流になるが、竹田は賀茂川の方の流れになる。節を竹の節に掛けて竹を導き出し、竹田の田から田植のさなか、ということなのだろう。

 植えると飢えるを掛けて竹田の田植で櫃川から昼飯を運ぶというのだろうけど、地理的に流石に無理がある。点なし。

 

季語は「竹田も植る」で夏。「ふしみ」は名所。

 

十三句目

 

   ふしみ竹田も植るただ中

 かり駕籠(かご)のねぶりを(さま)郭公(ほととぎす)

 (かり駕籠のねぶりを覚す郭公ふしみ竹田も植るただ中)

 

 (かし)駕籠(かご)の方はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「貸駕籠」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 江戸時代、使用料を取って貸す駕籠。

  ※俳諧・天満千句(1676)九「かし駕籠や恋の重荷と成ぬらん〈利方〉 二十貫目にあまる俤〈宗因〉」

  ※浮世草子・椀久一世(1685)下「あたりなる貸駕籠をまねき〈略〉三挺借らんと言ふ」

 

とある。かり駕籠は借りた貸駕籠であろう。

 田植の季節なのでホトトギスの声がする。

 伏見のホトトギスは、

 

 あはれにもともに伏見の里にきて

     かたらひあかすほとときすかな

             藤原俊成(玉葉集)

 

などの歌がある。

 墨点あり。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。旅体。

 

十四句目

 

   かり駕籠のねぶりを覚す郭公

 たばこのけぶりむら雨の雲

 (かり駕籠のねぶりを覚す郭公たばこのけぶりむら雨の雲)

 

 寝覚めのたばこの煙の末には村雨の雲が広がる。

 ホトトギスに村雨は、

 

 心をぞつくしはてつるほととぎす

     ほのめく宵の村雨のそら

             藤原(ふじわらの)長方(ながかた)(千載集)

 

などの歌に詠まれている。

 墨点あり。

 

無季。「けぶり」「雲」は聳物。「むら雨」は降物。

 

十五句目

 

   たばこのけぶりむら雨の雲

 槙のはに霧(たち)のぼる高桟敷(たかさじき)

 (槙のはに霧立のぼる高桟敷たばこのけぶりむら雨の雲)

 

 「真木の葉に霧立」は、百人一首でも有名な、

 

 むらさめの露もまだひぬまきの葉に

     霧立のぼる秋の夕暮

             (じゃく)(れん)法師(ほうし)(新古今集)

 

で村雨にも付く。

 芝居を見る人は煙草を吸う人が多かったのだろう。その煙が高桟敷に上って行く。

 点なし。煙草の煙を霧に見立てたのだけど、ありきたりと判断されたか。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「槙のは」は植物、木類。

 

十六句目

 

   槙のはに霧立のぼる高桟敷

 芝居もはてて秋はさびしき

 (槙のはに霧立のぼる高桟敷芝居もはてて秋はさびしき)

 

 高桟敷から芝居の連想は特に大きな展開はない。「秋はさびしき」は公演最終日の千秋楽は淋しいということを言うのだろうけど、展開不十分の上に特に目新しさもなかったのだろう。

 点なし。

 

季語は「秋」で秋。

 

十七句目

 

   芝居もはてて秋はさびしき

 むしの声かんぜぬ物はなかりけり

 (むしの声かんぜぬ物はなかりけり芝居もはてて秋はさびしき)

 

 「かんぜぬ物はなかりけり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、古浄瑠璃(こじょうるり)常套(じょうとう)の言葉とある。

 虫の声の淋しさは古歌の時代から言い古されているし、芝居のイメージから抜けていない。

 点なし。

 

季語は「むしの声」で秋、虫類。

 

十八句目

 

   むしの声かんぜぬ物はなかりけり

 かかる名句もあり明の月

 (むしの声かんぜぬ物はなかりけりかかる名句もあり明の月)

 

 「名句もあり」に「有明」を掛けて、前句の「かんぜぬ物はなかりけり」ほどの名句もない、とする。

 前句を台詞と取り成しての名句と自賛する展開を評価したのだろう。長点があり「自まんほどに候」とある。

 

季語は「あり明の月」で秋、夜分、天象。

 

十九句目

 

   かかる名句もあり明の月

 臨終にうち向ひぬる西の空

 (臨終にうち向ひぬる西の空かかる名句もあり明の月)

 

 西へ行く月は西方浄土へ向かうということで臨終に喩えられる。

 

 西へ行く月をやよそにおもふらん

     心にいらぬ人のためには

           西行法師(山家集)

 

の歌に詠まれている。

 ここでは前句の「かかる名句も」が生きていない。

 点なし。

 

無季。釈教。

 

二十句目

 

   臨終にうち向ひぬる西の空

 そこのき給へ人々いづれも

 (臨終にうち向ひぬる西の空そこのき給へ人々いづれも)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『忠度(ただのり)』の、

 

 「六弥太が郎等、御後より立ち廻り、上にまします忠度の、右の腕を打ち落せば、左の御手にて六弥太を取つて投げのけ今は叶はじと思し召して、そこのき給へ人人よ西拝まんと宣ひて、光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨と宣ひしに、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.819). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。謡曲の言葉を用いた本説だが、オリジナルをそのまんま用いている。何か新味があれば長点だっただろうか。

 点あり。

 

無季。「人々」は人倫。

 

二十一句目

 

   そこのき給へ人々いづれも

 花をふんで勿体(もったい)なしや御神木

 (花をふんで勿体なしや御神木そこのき給へ人々いづれも)

 

 御神木の落花ならそれもまた有り難いことで、踏んずけたりしては勿体ない、そこのき給えと付く。

 長点があり、「さりとては/\」とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。神祇。

 

二十二句目

 

   花をふんで勿体なしや御神木

 梅の(たち)()にこく鳥のふん

 (花をふんで勿体なしや御神木梅の立枝にこく鳥のふん)

 

 前句の花を梅の花として、そこに留まる鳥が糞をして、勿体なしやと付く。

 点あり。

 

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「鳥」は鳥類。

二表

二十三句目

 

   梅の立枝にこく鳥のふん

 (わが)宿の(はは)()の先やかすむらん

 (我宿の箒木の先やかすむらん梅の立枝にこく鳥のふん)

 

 梅の立枝から落ちた鳥の糞を掃いたので、(ほうき)の先が霞む。汚れるのは分るけど霞むというのは意味がよくわからない。春の句だから無理やり入れた季語という感じがする。

 点なし。

 

季語は「かすむ」で春、聳物(そびきもの)。「我宿」は居所。 

 

二十四句目

 

   我宿の箒木の先やかすむらん

 ありとは見えて(むね)天水(てんすい)

 (我宿の箒木の先やかすむらんありとは見えて棟の天水)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 

 園原や伏屋におふる(ははき)()

     ありとは見えてあはぬ君かな

             坂上(さかうえの)是則(これのり)(新古今集)

 

を引いている。本歌と見ていい。

 天水(てんすい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「天水」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 空と水。水天。

  ※性霊集‐五(835頃)為大使与福州観察使書「但見天水之碧色、豈視山谷之白霧」

  ② 天から降った水。雨水。

  ※続古事談(1219)四「座の前に鉢を置きて、天水をまちてうけて飲む」

  ③ 「てんすいおけ(天水桶)」の略。

  ※俳諧・犬子集(1633)七「屋ねにもなくや蛙鶯 天水に枝をさしたる梅花」

 

とあり、天水桶は、

 

 「〘名〙 防火用に雨水を貯えておく大桶。昔は屋根の上・軒先・町かどなどに置き、雨樋(あまどい)の水を引いた。また、江戸時代、吉原では、大桶の上に小桶を杉形(すぎなり)に積んで、飾り物ともした。天水。」

 

とある。

 箒が霞むんだから軒先の天水桶も霞む。霧ならともかく、春の霞みでそんな近くにあるものが霞むのは無理がある。

 点なし。

 

無季。「軒」は居所。

 

二十五句目

 

   ありとは見えて棟の天水

 一生は棒ふり虫のよの中に

 (一生は棒ふり虫のよの中にありとは見えて棟の天水)

 

 棒ふり虫はボウフラのことで、「一生を棒に振る」と掛ける。

 無芸無才でも何とか生きて行ける所はあっても、それがいつまでも続くとは限らない。軒の天水はボウフラが棲むにはいいが、いつまでもその水があるわけではない。

 長点があり、「狂言綺語(きぎょ)観念のたよりに候」とある。人の一生をボウフラに喩えて一寸先は闇の教訓にする。

 

季語は「棒ふり虫」で夏、虫類。述懐。

 

二十六句目

 

   一生は棒ふり虫のよの中に

 かち荷もちして日ぐらしの声

 (一生は棒ふり虫のよの中にかち荷もちして日ぐらしの声)

 

 「かち荷」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「徒荷・歩行荷」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 陸路を人足が荷物をかついで運ぶこと。また、その荷物。馬や舟による輸送に対していう。かちにもつ。

  ※仮名草子・尤双紙(1632)下「取らるる物の品々〈略〉商人のかち荷()は山だちにとらる」

 

とある。

 前句の「棒ふり」から天秤棒で荷物を運ぶ(かち)()()ちをしては日当を貰ってその日暮らしをする。日暮らしは蜩に掛る。

 何か失敗して一生を棒に振ってしまった成れの果てであろう。

 点あり。

 

季語は「日ぐらし」で秋、虫類。

 

二十七句目

 

   かち荷もちして日ぐらしの声

 山姥(やまうば)や月もろ共に(いで)ぬらん

 (山姥や月もろ共に出ぬらんかち荷もちして日ぐらしの声)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『山姥』の、

 

 「仏あれば衆生(しゅじょお)あり・衆生あれば山姥(やまンば)もあり。柳は緑、花は(くれなゐ)の色色。さて人間(にんげん)に遊ぶ事、ある時は山賤(やまがつ)の・(しょお)()に通ふ花の(かげ)、休む重荷に・肩を貸し月諸共(もろとも)に山を()で、里まで送る折もあり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4288). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。前句の「かち荷もちして」が「休む重荷に・肩を貸し」と重なり、山姥は月もろともにとなる。

 この本説付けもそのまんまでオリジナリティを欠く。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十八句目

 

   山姥や月もろ共に出ぬらん

 はるる舞台のまへの前きり

 (山姥や月もろ共に出ぬらんはるる舞台のまへの前きり)

 

 前句の山姥を能舞台の上の山姥を演じる役者として、舞台の霧が晴れるとする。

 「前きり」は切前か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「切前」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 一日の興行の最後から一つ前の番。また、その演目。切狂言、切舞、切語り、真打(しんうち)などの始まる以前、またはそこに出演する芸人。

  ※化銀杏(1896)〈泉鏡花〉二「唯(はい)、ですから切前(キリマヘ)に帰りました」

 

とある。

 山姥は(きり)能物(のうもの)で五番目物とも言い、最後に演じられる。その頃に舞台霧が晴れ、月も現れる。

 霧が晴れて月が見える情景は比喩にしても、実際の能舞台のリアリティを欠くか。

 点なし。

 

季語は「きり」で秋、聳物。

 

二十九句目

 

   はるる舞台のまへの前きり

 (きんちゃく)も大慈大悲の観世音

 (巾着も大慈大悲の観世音はるる舞台のまへの前きり)

 

 大慈大悲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「大慈大悲」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「大慈」は、衆生に楽を与えること。「大悲」は、衆生の苦をとり除くことの意)仏語。広大無辺の慈悲。特に、観世音菩薩の大きな慈悲をたたえて、観世音菩薩そのものをさすことがある。

  ※法華義疏(7C前)二「従二大慈大悲一以下。歎二外徳一。言如来以二大慈大悲一。常無二懈惓一」

  ※保元(1220頃か)上「聖代聖主の先規にたがはず、罪ある者をもなだめ給事、大慈大悲の本誓に叶ひまします」

 

とある。

 前句の前切を巾着切りとする。巾着切りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「巾着切」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「きんちゃっきり」とも) 人混みにまぎれて、または人とすれ違う時に、他人の巾着や懐中物などをすりとる者。すり。ちぼ。ちゃっきり。巾着すり。

  ※子孫鑑(1667か)中「あるひは博奕あるひはきんちゃくきり、さてはこつじきなどして」

 

とある。前巾着切りとなることで、ここでは前巾着を切る、前巾着はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「前巾着」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 前腰のあたりに下げる、小銭などを入れる巾着。まえさげ。

  ※俳諧・宗因七百韵(1677)「ちとこなた目をかりませう質の札〈素玄〉 前巾着の口をあけつつ〈定祐〉」

 

とある。

 芝居小屋に入るところの雑踏で前巾着を盗まれてしまう。巾着は大慈大悲の観世音くらい大事なもの、血も涙もない。

 ありそうなことだが、意味が取りづらいのが難か。

 点なし。

 

無季。釈教。

 

三十句目

 

   巾着も大慈大悲の観世音

 南をはるかに見る遠めがね

 (巾着も大慈大悲の観世音南をはるかに見る遠めがね)

 

 前句の巾着を遠眼鏡入れとする。

 巾着から遠眼鏡を取り出してはるか南を見れば、大慈大悲の観音堂が見える。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『熊野(ゆや)』の、

 

 「シテ:南を遥かに眺むれば、

  地 :大悲(だいひ)擁護(おおご)の薄霞、熊野(ゆや)権現の移ります御名(みな)も同じ(いま)熊野(ぐまの)、稲荷の山の薄紅葉(うすもみぢ)の、青かりし葉の秋また花の春は清水(きよみづ)の、ただ頼め頼もしき春も千千(ちぢ)の花盛り。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.1537-1538). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 点あり。

 

無季。

 

三十一句目

 

   南をはるかに見る遠めがね

 鉄砲の先にあぶなきおとこ山

 (鉄砲の先にあぶなきおとこ山南をはるかに見る遠めがね)

 

 男山はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「男山」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[1] 〘名〙

  ① けわしい男性的な山。一対の山のうち、一方を男性に見たてていう語。男岳(おだけ)。⇔女山。

  ② 兵法で、見晴らしがきいて敵が攻め上るのに不便な山をいう。陽山(ようざん)。⇔女山。

  ③ 兵庫県伊丹地方から産出される銘酒。

  ※洒落本・金錦三調伝(1783)「酒は二合ばかし。もちろんけんびしか男山」

  ④ 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。百二十種名香の一つ。

  [2] 京都府八幡(やわた)市の北部にある山。淀川を隔てて天王山と対する。京都への西の関門をなし、南北朝以来しばしば戦場となる。山頂に石清水八幡宮がある。標高一四二メートル。雄徳山。八幡山。御山(おやま)。」

 

とある。

 京の都から遠眼鏡で南を見れば(いわ)清水(しみず)八幡宮(はちまんぐう)のある男山が見える。そこは昔から戦場となった所で、鉄砲で多くの人の撃たれた危ない場所だ。

 長点はあるがコメントはない。

 

無季。「おとこ山」は名所、山類。

 

三十二句目

 

   鉄砲の先にあぶなきおとこ山

 ふるぐそく着てたてるとおもへば

 (鉄砲の先にあぶなきおとこ山ふるぐそく着てたてるとおもへば)

 

 古いぼろぼろの具足では鉄砲の弾も簡単に通してしまって危ない。

 これも長点はあるがコメントはない。まあ、説明不要か。

 

無季。「ふるぐそく」は衣裳。

 

三十三句目

 

   ふるぐそく着てたてるとおもへば

 ひかへたるかのやせ馬に針の跡

 (ひかへたるかのやせ馬に針の跡ふるぐそく着てたてるとおもへば)

 

 古具足(ふるぐそく)()せ馬とくればあの「いざ鎌倉」の佐野源(さのげん)()衛門(えもん)。謡曲『(はち)(のき)』に、

 

 「かやうにおちぶれては(そおら)へども、御覧候(ごらんそおら)へ、これにちぎれたる具足(ぐそく)一領(いちりょお)持ちて候。錆びたれど薙刀一(なぎなたひと)えだ。痩せたれどもあれに馬を一匹(つな)いで持ち置きて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2977). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。

 馬に一応「針の跡」というオリジナルにないものを加えているが、この種の本説付けには点が辛いようだ。まあ、古具足が出た時点で展開が見えているということもある。

 点なし。

 

無季。「やせ馬」は獣類。

 

三十四句目

 

   ひかへたるかのやせ馬に針の跡

 (あね)小路(こうぢ)をくろ木はくろ木は

 (ひかへたるかのやせ馬に針の跡姉が小路をくろ木はくろ木は)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「縫針師、都において根本姉小路に住して其名高」(人倫訓蒙図彙)とある。

 「くろ木」は後の元禄二年の「かげろふの」の巻二十七句目に、

 

   黒木ほすべき谷かげの小屋

 たがよめと身をやまかせむ物おもひ 芭蕉

 

とあるように、京都大原は古くから炭焼きの盛んなところで、炭だけでなく乾燥させた黒木も薪として大原女(おはらめ)が売り歩き、都で用いる燃料を供給していた。

 その大原の黒木売りの引く馬には姉小路の縫針師によって傷が縫われた跡がある。

 ここでは馬を引いた男の炭売で「くろ木はくろ木は」は売る時の言葉になる。

 新味もあって長点があり、「()()一ばんのだてものの句体に候」とある。

 

無季。

 

三十五句目

 

   姉が小路をくろ木はくろ木は

 えいやえい三条殿の床ばしら

 (えいやえい三条殿の床ばしら姉が小路をくろ木はくろ木は)

 

 前句の黒木を床柱(とこばしら)にする黒木に取り成し、それを引いて三条殿の屋敷に運ぶ情景とする。

 三条殿はコトバンクの「世界大百科事典内の三条殿の言及」に、

 

 「【足利直義】より

  …父貞氏,母は尊氏と同じ上杉頼重の女清子。兵部大輔,左馬頭を経て相模守,左兵衛督となり,住宅のあった京都の地名から三条殿,錦小路禅門などと呼ばれた。元弘の乱当時にはすでに壮年に達していたが,鎌倉幕府の中枢に登用された形跡はない。…」

 

とある。

 点あり。

 

無季。「床ばしら」は居所。

 

三十六句目

 

   えいやえい三条殿の床ばしら

 (とび)(くち)もつてくるよしもがな

 (えいやえい三条殿の床ばしら鳶口もつてくるよしもがな)

 

 材木を運ぶ時には鳶口を用いる。

 鳶口持って来てほしいものだ、ということだから、鳶口がなかったのだろう。何で鳶口がないのかは不明。

 点はないが、「『ひとにしられで』のうたに候や」とコメントがある。

 

 名にしおはば相坂山のさねかづら

     人にしられでくるよしもがな

            藤原(ふじわらの)定方(さだかた)(後撰集)

 

の歌は百人一首でもよく知られている。

 

 

無季。

二裏

三十七句目

 

   鳶口もつてくるよしもがな

 いかんせん火事ほどもゆる(わが)おもひ

 (いかんせん火事ほどもゆる我おもひ鳶口もつてくるよしもがな)

 

 前句の鳶口を火消の延焼防止の道具として、恋の炎の火事とする。

 点あり。

 

無季。恋。「我」は人倫。

 

三十八句目

 

   いかんせん火事ほどもゆる我おもひ

 折ふし恋風はげしかりけり

 (いかんせん火事ほどもゆる我おもひ折ふし恋風はげしかりけり)

 

 どういう恋なのかという展開ではなく、軽く恋風が激しいから燃え上がってと受ける。

 下手に具体的に踏み込んだ展開にすると重くなって身動きができなくなりがちだが、この軽さは宗因も好感したようだ。長点があり、「かろくやすらかにてかんしんにて候」とある。

 

無季。恋。

 

三十九句目

 

   折ふし恋風はげしかりけり

 (たちまち)に家もつぶるるおごりやう

 (忽に家もつぶるるおごりやう折ふし恋風はげしかりけり)

 

 恋風が激しいというだけの前句なので、遊郭に財産をつぎ込んだ男への展開もスムーズになる。

 長点だがコメントはない。

 

無季。「家」は居所。

 

四十句目

 

   忽に家もつぶるるおごりやう

 目貫(めぬき)()づかも後はふるかね

 (忽に家もつぶるるおごりやう目貫小づかも後はふるかね)

 

 目貫(めぬき)小柄(こづか)は刀の装飾で、これに(こうがい)を加えて三所物(みところもの)という。

 目貫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「目貫」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「め」は孔(あな)の意) 刀や槍(やり)の目釘のこと。鎌倉以降、頭と座の飾りと釘の部分を離して別の位置につけるようになり、釘の部分を真目貫(まことめぬき)・目釘といい、飾りの金物を目につく箇所につけて空目貫(そらめぬき)という。近世には普通、空目貫をさす。

  ※神楽歌(9C後)採物・劔「〈本〉銀(しろかね) 女奴支(メヌキ)の太刀を さげ佩きて」

  ※平家(13C前)四「甲の鉢にあまりにつよう打あてて、めぬきのもとよりちゃうどをれ」

 

とある。この場合は(そら)目貫(めぬき)になる。

 小柄(こづか)はコトバンクの「百科事典マイペディア 「小柄」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「日本刀の鞘(さや)に添える刀子(とうす)(小刀)で,三所物の一つ。刀や脇指(わきざし)を腰にさした場合,内側に位置する。柄の部分に彫金が施され,実用性よりも装飾性が強い。南北朝ごろから出現し,江戸時代には装剣金具の一つとして発達。」

 

とある。

 ちなみにもう一つの(こうがい)は女性の髪飾りの意味もあるが、ここでは「精選版 日本国語大辞典 「笄」の意味・読み・例文・類語」の、

 

 「③ 刀の鞘(さや)の付属品の一つ。金属で作り、刀の差表(さしおもて)に挿しておき、髪をなでつけるのに用いる。中世以降のものはほとんど実用の具ではなく、装飾品として、高彫の文様が施され、小柄、目貫と組合わされて用いられている。また、江戸時代、割笄(わりこうがい)といって二本に割ったものを作り、箸の用とすることもある。」

 

の意味になる。

 さんざん浪費した挙句、装飾を施された名刀も古鉄屋(ふるがねや)に売ることになる。

 これも長点でコメントはない。

 

無季。

 

四十一句目

 

   目貫小づかも後はふるかね

 奈良の都ねるは御座(ござ)れの地黄(ぢわう)せん

 (奈良の都ねるは御座れの地黄せん目貫小づかも後はふるかね)

 

 「拾遺集」の、神楽歌(作者不記)に、

 

 (しろがね)のめぬきの太刀をさげきて

     ならの宮こをねるやたがこぞ

 

の歌があり、これを本歌として「奈良の都ねる」と導き出し、「ねる」を練り歩くことから練り物の地黄煎とする。

 地黄煎(ぢわうせん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「地黄煎」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「じおうせん」から「じょうせん」となりさらに変化した語)

  ① 水飴(みずあめ)のこと。漢方の地黄を煎じたのに水飴を混ぜて、飲みやすくしたのが元で、のちにただの水飴や竹の皮に引き伸ばした飴、固形の飴の名称となった。

  ※浮世鏡(1688)「地黄煎(ぢおうせん)中国には『ぎゃうせん』『じょうせん』」

  ② 昆虫「あめんぼ(水黽)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕」

 

とある。延宝の頃は「じおうせん」だったが、のちに「じょうせん」「ぎょうせん」になったか。

 奈良の都を練り歩くのは練り物の地黄煎を売りの声。

 点あり。

 

無季。「奈良」は名所。

 

四十二句目

 

   奈良の都ねるは御座れの地黄せん

 たたく太鼓の音もなる川

 (奈良の都ねるは御座れの地黄せんたたく太鼓の音もなる川)

 

 地黄煎売りは太鼓を鳴らして売り歩いていたか。「音も鳴る川」に鳴川という奈良の地名を掛ける。今の奈良市鳴川町はウィキペディアに、

 

 「奈良市の中央部に位置する。北は高御門町、南は東木辻町・三棟町、東は元興寺町・西新屋町、西は南城戸町・西木辻町と接している。」

 

とあり、その由来は、

 

 「小塔院の護命僧正が読経を邪魔する蛙の声をやめさせて、不鳴川と称し、誤って鳴川となった。」

 

とある。かつて遊郭のあった所で、コトバンクの「日本歴史地名大系 「木遊郭跡」の解説」に、

 

 「奈良県:奈良市奈良町木辻町木遊郭跡

  [現在地名]奈良市東木辻町・鳴川町・瓦堂町付近

  西鶴の「好色一代男」に「爰こそ名にふれし木辻町、北は鳴川と申して、おそらくよねの風俗都にはぢぬ撥音、竹隔子の内に面影見ずにはかへらまじ」と記す。「奈良曝」に木辻遊郭の名はみえないが、木辻町・鳴川なるかわ町にくつわ(遊女屋)・揚屋を数十軒あげ、「八重桜」に遊女屋の図を載せている。

 

とある。

 点なし。

 

無季。「なる川」は名所、水辺。

 

四十三句目

 

   たたく太鼓の音もなる川

 (あけ)ぬとて(おき)別れ(ゆく)道のもの

 (明ぬとて起別れ行道のものたたく太鼓の音もなる川)

 

 鳴川遊郭での後朝とする。道の者はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「道の者」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 一芸をきわめてそれを職とするもの。また、その道の達人。専門家。学者、芸能者、職人、俳優など、さまざまな分野に用いられた。

  ※今鏡(1170)六「道のものにもあらぬ法師ばら、よく習ひたるものありけるになん」

  ※申楽談儀(1430)音曲の心根「道のもの参会して音曲する」

  ② 宿駅の遊女。転じて一般に、遊女の称。

  ※極楽寺殿御消息(13C中)六八条「けいせをとめ、又はしらひやうしなとあらんに、みちのものなれはとて」

 

とある。

 点なし。

 

無季。

 

四十四句目

 

   明ぬとて起別れ行道のもの

 まくらのゆめもやぶれ草鞋(わらんぢ)

 (明ぬとて起別れ行道のものまくらのゆめもやぶれ草鞋)

 

 前句の道の者を宿駅の遊女として、旅体に転じる。

 点あり。

 

無季。旅体。「草鞋」は衣裳。

 

四十五句目

 

   まくらのゆめもやぶれ草鞋

 小づかひの銭懸(ぜにかけ)(まつ)(ふく)あらし

 (小づかひの銭懸松を吹あらしまくらのゆめもやぶれ草鞋)

 

 銭懸松はコトバンクの「日本歴史地名大系 「銭掛松」の解説」に、

 

 「三重県:津市北郊地区高野尾村銭掛松

  [現在地名]津市高野尾町

  伊勢別街道沿いの、高野尾たかのお町と大里睦合おおざとむつあい町一帯の豊久野とよくのにある。豊久野は、応永三一年(一四二四)に「武蔵野に伊勢のとよくのくらぶればなをこの国ぞすゑはるかなる」(室町殿伊勢参宮記)と歌われ、また歌人尭孝も「君が代をまつこそあふけ広きのへ末はるかなる道に出ても」(伊勢紀行)と永享五年(一四三三)に詠んだ松原の名所である。このなかにあった銭掛の松を、文政一三年(一八三〇)「伊勢道の記」中で葉室顕孝が「ゆふかけておかみまつりし豊久のの松は今しも枯はてにけり」と詠んだ。」

 

とある。

 前句の「やぶれ草鞋」を夢も破れて草鞋を履くという意味から草鞋が破れると取り成し、小遣いの銭もなくなって新しい草履を買うこともできない、とした。

 長点があり「度々一見の心ちし候」とある。要するにお伊勢参りあるあるということか。

 

無季。「銭懸松」は植物、木類。

 

四十六句目

 

   小づかひの銭懸松を吹あらし

 しぐれもめぐる念仏講中(かうちう)

 (小づかひの銭懸松を吹あらししぐれもめぐる念仏講中)

 

 念仏講(ねぶつこう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「念仏講」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。

  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」

 

とある。

 この時代は念仏講(ねぶつこう)(たの)母子講(もしこう)に代わる時期だったか。念仏講でみんなの小遣い銭を集めて回る。

 「時雨もめぐる」とあるが、十夜念仏(十月)の念仏講か。

 点なし。あるいは念仏講と十夜(じゅうや)念仏(ねぶつ)はもともと関係なく、次の句の展開を見越して強引に時雨の季節にしたか。

 

季語は「時雨」で冬、降物(ふりもの)。釈教。

 

四十七句目

 

   しぐれもめぐる念仏講中

 十四日五日の暮の月(さえ)

 (十四日五日の暮の月寒てしぐれもめぐる念仏講中)

 

 十夜念仏は十月六日に始まって十五夜で終わる。この時期の夕暮れは時雨になりやすく、時雨が上がれば空は晴て月が見える。時雨の月は、

 

 時雨れつるまやの軒端はのほどなきに

     やがてさしいる月のかげかな

             藤原定家(千載集)

 

などの歌に詠まれている。

 点なし。前句の時雨の念仏講(ねぶつこう)で既に十夜念仏への展開が見えてしまってるので、意外性はない。

 

季語は「月寒て」で冬、夜分、天象。

 

四十八句目

 

   十四日五日の暮の月寒て

 大しほさせば千鳥なく(なり)

 (十四日五日の暮の月寒て大しほさせば千鳥なく也)

 

 満月の頃は大潮なので、大潮の海に千鳥を出す。

 点なし。月の千鳥は、

 

 須磨の関有明の空に鳴く千鳥

     かたぶく月はなれもかなしき

             藤原俊成(千載集)

 

の歌のように明け方に詠むもので、夕暮れの月の千鳥は減点だったか。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類。「大しほ」は水辺。

 

四十九句目

 

   大しほさせば千鳥なく也

 ちりちりやちつたところが花の波

 (ちりちりやちつたところが花の波大しほさせば千鳥なく也)

 

 「花の波」は松永(まつなが)(てい)(とく)の『俳諧(はいかい)御傘(ごさん)』に「正花也」とあり波に花の散る様で、「波の花は非正花、白波のはなに似たるをいふなり」と区別されている。

 海辺の桜として、大潮で潮が満ちてくれば、散った花が花の波となる、とする。

 「ちりちり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「浜千鳥の友呼ぶこゑは、ちりちりやちりちり」(狂言小唄・宇治のさらし)とあり、千鳥の声と花の「散り散りを掛けている。

 長点で「面白とは(この)ときか」とある。狂言小唄の言葉を用いたことも評価されたのであろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   ちりちりやちつたところが花の波

 春風誘ふ滝の糸くづ

 (ちりちりやちつたところが花の波春風誘ふ滝の糸くづ)

 

 滝の糸の風に散る様を糸屑に見立てて、滝の糸を散らすくらいの風に、滝の傍の桜も散るとする。ちりちりを塵塵にも掛けているのだろう。

 点なし。花の波に春風の展開自体はありふれてて、塵と糸屑の縁は花を詠むにはあまり綺麗とはいえない。

 

季語は「春風」で春。「滝」は山類。

三表

五十一句目

 

   春風誘ふ滝の糸くづ

 山姫やのこれる雪の綿仕事

 (山姫やのこれる雪の綿仕事春風誘ふ滝の糸くづ)

 

 前句の糸屑から綿を付けて、春風に「残れる雪の綿」として、前句の滝の糸屑を、山姫が綿仕事(綿打ち)をしたからだとする。

 雪が溶けて滝の糸屑になるのはわからないでもないが、苦しい展開か。

 点なし。

 

季語は「のこれる雪」で春、降物。

 

五十二句目

 

   山姫やのこれる雪の綿仕事

 立田(たつた)のおくは手習(てならひ)どころ

 (山姫やのこれる雪の綿仕事立田のおくは手習どころ)

 

 前句の春の山姫を佐保姫のこととして、(たが)え付けで龍田姫は手習いをしていると付ける。

 点なし。

 

無季。「立田」は名所。

 

五十三句目

 

   立田のおくは手習どころ

 歌よみや紅葉(もみぢ)()(わけ)(いり)ぬらん

 (歌よみや紅葉葉分て入ぬらん立田のおくは手習どころ)

 

 古今集に、

 

 秋はきぬ紅葉は宿にふりしきぬ

     道ふみわけてとふ人はなし

             よみ人しらず

 ふみ分けてさらにやとはむ紅葉葉の

     ふりかくしてし道とみなから

             よみ人しらず

 

などの歌があり、前句の立田から紅葉を付けて、歌詠みは紅葉の名所の龍田山の奥に好んで入って行く。手習い所があるからだろうか、とする。

 点なし。

 

季語は「紅葉」で秋、植物、木類。「歌よみ」は人倫。

 

五十四句目

 

   歌よみや紅葉葉分て入ぬらん

 猿丸(さるまる)太夫(だいふ)きく鹿の声

 (歌よみや紅葉葉分て入ぬらん猿丸太夫きく鹿の声)

 

 奥山に紅葉踏み分けといえば、

 

 おく山に紅棄ふみわけなく鹿の

     こゑきく時そ秋は悲しき

             よみ人しらず

 

の歌が有名で、百人一首では猿丸太夫の歌とされている。

 「紅葉葉分て」で誰もが思いつきそうな展開ではある。

 点なし。

 

季語は「鹿の声」で秋、獣類。

 

五十五句目

 

   猿丸太夫きく鹿の声

 判官(はうぐわん)のまなこさやかに月(ふけ)

 (判官のまなこさやかに月更て猿丸太夫きく鹿の声)

 

 幸若舞の「富樫(とがし)」に、

 

 「むこう歯そって猿眼こびんの髪の縮んで色の白きをば、鎌倉殿の御舎弟に源九郎義経の御首とこうして遥かの上に懸けられたり。」

 

とあり、九郎判官義経は(さる)(まなこ)だったとされている。猿眼はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「猿眼」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 猿の目のように、大きいくぼんだ目。きょろきょろと動くまるい目。また、猿のように赤い目。さるぼおまなこ。さるめ。

  ※長門本平家(13C前)八「たけ七尺ばかりなる男の〈略〉猿眼の赤髭なるが」

 

とある。

 判官の猿眼に月も更けて頃、鹿の音が聞こえてきたので、猿つながりで判官が猿丸太夫になったか、とする。

 義経も大夫(たいふ)判官(ほうがん)だったから、猿丸ならぬ猿まなこ判官か。

 長点があり「『太夫』よく(つき)候」とある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

五十六句目

 

   判官のまなこさやかに月更て

 すすめ申せば寝酒何杯(なんばい)

 (判官のまなこさやかに月更てすすめ申せば寝酒何杯)

 

 謡曲『船弁慶(ふなべんけい)』は義経が梶原景(かじわらかげ)(とき)讒言(ざんげん)を受けて、落ち延びるために(しずか)御前(ごぜん)と別れる場面を能にしたもので、

 

 「まだ()(ぶか)くも雲居(くもゐ)の月、()づるも惜しき都の名残(なごり)」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3587). Yamatouta e books. Kindle .

 

と夜も更けて月が出る。ここで静御前と別れの酒を酌み交わす場面とする。

 

 「げにげにこれは御門出(おんかどいで)の、行末(ゆくすゑ)(ちよ)と菊の(さかづき)、静にこそは勧めけれ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3592). Yamatouta e books. Kindle 版)

 

という場面だが、静御前に酒を進めながらも自分の方は既に何杯も飲んでへべれけになっている。

 宴会なんかで酔った奴に限って、「何、俺の酒が飲めねえか」とか言って人に酒を進めてくるもんだ。

 これも長点で「静が杓おもひやられ候」とある。

 

無季。「寝酒」は夜分。

 

五十七句目

 

   すすめ申せば寝酒何杯

 小夜(さよ)(ごろも)おもき(がい)()の枕もと

 (小夜衣おもき咳気の枕もとすすめ申せば寝酒何杯)

 

 前句の寝酒を風邪ひいた時の寝酒とする。

 点なし。

 

無季。「小夜衣」は衣裳。

 

五十八句目

 

   小夜衣おもき咳気の枕もと

 鍾馗(しょうき)のせいかゆめかうつつか

 (小夜衣おもき咳気の枕もと鍾馗のせいかゆめかうつつか)

 

 鍾馗と瘴気を掛けているのだろう。瘴気はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「瘴気」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 熱病を起こさせる山川の悪気や毒気。瘴氛(しょうふん)。〔倭語類解(17C後‐18C初)〕

  ※即興詩人(1901)〈森鴎外訳〉大沢、地中海、忙しき旅人「牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を焼きて、瘴気を払ふなるべし」 〔後漢書‐南蛮伝〕」

 

とある。

 ただ、病魔退散の神でもある鍾馗様と(かく)(こう)正気散(しょうきさん)を掛けたとも取れる。藿香正気散はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「藿香正気散」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「藿香」はかおりぐさ) 粉薬の名。疲労回復に、あるいは頭痛止めに用いたものと思われる。

  ※言継卿記‐天文一七年(1548)正月二七日「小女阿茶々所労之由申候間、藿香正気散一包与之」

 

とある。

 瘴気だと、うなされていると鍾馗様が現れてありがたや、だが、正気散だと薬が効いてきたかという意味になって、どっちの意味なのかという所がある。ゆえに点なしか。

 

無季。

 

五十九句目

 

   鍾馗のせいかゆめかうつつか

 節句までありてなければかみのぼり

 (節句までありてなければかみのぼり鍾馗のせいかゆめかうつつか)

 

 前句の鍾馗様を端午の節句の(かみ)(のぼり)の絵とする。

 「ゆめかうつつか」から「ありてなければ」の移りは、

 

 世中は夢かうつつかうつつとも

     夢ともしらず有りてなければ

             よみ人しらず(古今集)

 

の歌による。

 長点で「誠によく書物に候」とあり、鍾馗様の紙幟はあるあるだったようだ。

 

季語は「かみのぼり」で夏。

 

六十句目

 

   節句までありてなければかみのぼり

 菖蒲かる()の末のはつけ木

 (節句までありてなければかみのぼり菖蒲かる野の末のはつけ木)

 

 「はつけ木」は(はつけ)()磔柱(はりつけばしら)のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「磔柱」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 罪人の手足をしばりつけて磔の刑に用いる柱。十字架。磔木。たくちゅう。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「はり付柱まつ風の音〈正友〉 江戸はづれ磯に波立むら烏〈松意〉」

  ② =はりつけ(磔)②

  ※歌舞伎・隅田川続俤(法界坊)(1784)口明「何ぢゃい、磔柱め」

 

とある。

 節句に菖蒲(しょうぶ)は付け合いで、(はりつけ)になって(かみ)(のぼり)のようにあるか無しかの命だ、と展開する。

 点なし。

 

季語は「菖蒲」で夏、植物、草類。

 

六十一句目

 

   菖蒲かる野の末のはつけ木

 池波(いけなみ)のよるよる来るやおちひねり

 (池波のよるよる来るやおちひねり菖蒲かる野の末のはつけ木)

 

 「おちひねり」はかもじ屋のことだと『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注にある。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「かもじ屋」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「かもじを製造・販売する店。「かもじ」(髢)や「かつら」(鬘)は16世紀の室町後期には、京都の郊外に「鬘捻(かずらひねり)」とか「おちやない」という女性の落ち毛を集めてかつらやかもじをつくる女性の職人がいた。17世紀の江戸初期には京都にかつら師・かつら屋という専門店ができた。18世紀の江戸中期にはかつら屋からかもじ屋が分化した。1779年(安永8)春に京都で『当世かもじ雛形(ひながた)』が出版されたが、かもじの需要が高まってきたからである。そのほかの都市にもかもじ屋ができてきた。材料の髪は落ち毛だけでなく、需要によって頭頂の髪の毛を切って売る女性もみられるようになった。女髪結いの梳子(すきこ)・梳手も髪の毛を集めておいた。近代では、洋髪が流行してくると、それにあうヘアピースが使われるようになり、和風のかもじは少なくなってきた。

[遠藤元男]」

 

とあり、落ちた毛を集めてかつらを作るのを「おちひねり」と言ったのであろう。

 処刑される人の髪の毛を集めに、よなよなおちひねりが来てたのだろう。

 菖蒲に池波は縁で、和歌では、

 

 白浪のよるよる岸に立ちよりて

     ねも見しものをすみよしの松

            よみ人しらず(後撰集)

 

のように、浪の寄ると夜夜とを掛けて用いる。

 長点があり、コメントはない。

 

無季。「池波」は水辺。「よるよる」は夜分。

 

六十二句目

 

   池波のよるよる来るやおちひねり

 ときはの里にばけもののさた

 (池波のよるよる来るやおちひねりときはの里にばけもののさた)

 

 常盤の里はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「常磐・常盤」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[] (左大臣源常(みなもとのときわ)の山荘があったところから) 京都市右京区中部の地名。双ケ岡(ならびがおか)の南西方にあたる。常盤の里。」

 

とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注によると、かつら屋が多かったという。

 前句をおちひねりの所に何かが(よる)(よる)来るやと取り成して、常盤の里に化け物が夜な夜な出るとする。

 点あり。

 

無季。「ときはの里」は名所、居所。

 

六十三句目

 

   ときはの里にばけもののさた

 (うしろ)からぞんぞとしたる松の風

 (後からぞんぞとしたる松の風ときはの里にばけもののさた)

 

 「ぞんぞ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ぞんぞ」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘副〙 (「と」を伴うことが多い) 寒気を感じたり、恐ろしさでふるえあがったりするさまを表わす語。ぞくぞく。ぞっと。

  ※病論俗解集(1639)「洒々(しゃしゃ)そぞろさむし。水をかかるやうにぞんそとするものなり」

 

とある。

 化け物が出ると噂を聞いて、ただの松風の音にもぞくっとする。

 点なし。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

六十四句目

 

   後からぞんぞとしたる松の風

 芭蕉はやぶれて肌着一枚

 (後からぞんぞとしたる松の風芭蕉はやぶれて肌着一枚)

 

 芭蕉葉は、

 

 いかがするやがて枯れゆく芭蕉葉に

     こころして吹く秋風もなし

           藤原(ふじわらの)為家(ためいえ)夫木抄(ふぼくしょう)

 

の歌にもあるように、薄物の秋風に破れやすきを本意とする。

 ここでは謡曲『(たけの)(ゆき)』の、

 

 「名のらずはいかがそれとも夕暮(いうぐれ)の、面影(おもかげ)変る、月若かな。あはれやげにわれ添ひたりし時 は、さこそもてなしかしづきしに(あづさ)(ゆみ)、やがていつしかひきかへて、身に着る(ころも)はただ(うづら)の、所所(ところどころ)もつづかねば、なにとも更に木綿(ゆふ)四手(しで)の肩にもかかるべくもなし。花こそ(ほころ)びたるをば愛すれ、芭蕉(ばしょお)()こそ破れたるは風情(ふぜい)なれ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.2886-2887). Yamatouta e books. Kindle .

 

のようにぼろぼろの(うずら)(ごろも)の比喩とする。上着は破れ果てて肌着一枚が残るというところに当時のリアルな俳味がある。

 点あり。

 

季語は「芭蕉」で秋、植物、木類。「肌着」は衣裳。

三裏

六十五句目

 

   芭蕉はやぶれて肌着一枚

 古寺のからうすをふむ庭の月

 (古寺のからうすをふむ庭の月芭蕉はやぶれて肌着一枚)

 

 前句の肌着一枚を寺の小坊主が(から)(うす)を踏む重労働をして、汗かいて肌着一枚になると取り成す。

 肌着一枚に古寺の唐臼を踏む、芭蕉は破れて庭の月、となる。

 大きな寺で、宿坊まであるなら、精米する米の量も半端ではあるまい。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。「庭」は居所。

 

六十六句目

 

   古寺のからうすをふむ庭の月

 菩提もとこれ木おとこ(すさま)

 (古寺のからうすをふむ庭の月菩提もとこれ木おとこ冷じ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は『六祖壇経』の、

 

 菩提本無樹 明鏡亦非台

 本来無一物 何処惹塵埃

 

を引いている。禅の言葉で、菩提樹の木が有り難いのではなく、明鏡の台が有り難いのではない。大事なのは心で物ではない、そんなものは塵や埃にすぎない、という意味であろう。

 実際の寺では好色の稚児はもてはやされて、色気のない木男は冷たくあしらわれ、唐臼踏みの重労働の方に回され、胚芽の粉塵にまみれている。

 木男はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「生男・木男」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 無骨な男。不粋な男。うぶな男。〔日葡辞書(160304)〕

  ※浮世草子・好色一代男(1682)八「きれいに程なくもとの木男(キオトコ)となりぬ」

 

とある。

 恋に転じる。

 点あり。

 

季語は「冷じ」で秋。釈教、恋。「おとこ」は人倫。

 

六十七句目

 

   菩提もとこれ木おとこ冷じ

 ぼんなうのきづなをきるや(むかう)(がみ)

 (ぼんなうのきづなをきるや向髪菩提もとこれ木おとこ冷じ)

 

 向髪は前髪のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「前髪」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「② 少年や女性が髪の毛の額の上の部分を別に束ねたもの。ぬかがみ。ひたいがみ。向髪。

  ※わらんべ草(1660)二「声もたち、前髪も落てより、又こまかに心を云べし」

 

とある。

  ③ 元服以前の男子をいう。

  ※評判記・剥野老(1662)序「前がみのむかしをしたふはつもとゆひ、ふり袖のかほりゆかしきわかむらさき」

  ④ 男色の稚児。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二一「あれともしくみ是にても恋 前髪は尻のかるいに頼あり」

 

とあり、向髪を切るというのは稚児を止めて衆道を卒業して出家僧になるという意味だろう。

 これまで目をかけて来たお坊さんからすればつれないものだ。

 点あり。

 

無季。釈教。恋。

 

六十八句目

 

   ぼんなうのきづなをきるや向髪

 恋の山また遁世(とんせい)のやま

 (ぼんなうのきづなをきるや向髪恋の山また遁世のやま)

 

 恋はなかなか成就しがたく、恋に破れて出家する者も多い。思いを断つため遁世の山に入る。西行法師の俤か。

 点なし。

 

無季。恋。「山」は山類。

 

六十九句目

 

   恋の山また遁世のやま

 やもめでは物の淋しき事ばかり

 (やもめでは物の淋しき事ばかり恋の山また遁世のやま)

 

 恋の憂きを逃れて山で隠棲すれば淋しくなる。古典的なテーマでもある。

 水無瀬三吟十句目の、

 

   山深き里や嵐におくるらん

 慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き  宗祇

 

や、後の、

 

 うき我を淋しがらせよ閑古鳥  芭蕉

 

などの系譜になる。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 

 山里は物の淋しきことこそあれ

   世の憂きよりはすみよかりけり

             よみ人しらず(古今集)

 

を引いている。憂きと淋しきの対比はこの歌に元があったのだろう。

 点あり。

 

無季。恋。

 

七十句目

 

   やもめでは物の淋しき事ばかり

 始末(しまつ)をしても(いり)あひのかね

 (やもめでは物の淋しき事ばかり始末をしても入あひのか)

 

 始末はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「始末」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙

  ① 事の始めと終わり。始めから終わりまで。終始。本末。首尾。

  ※史記抄(1477)四「いかに簡古にせうとても事の始末がさらりときこえいでは史筆ではあるまいぞ」 〔晉書‐謝安伝〕

  ② 事の次第。事情。特に悪い結果。

  ※蔭凉軒日録‐延徳二年(1490)九月六日「崇寿院主出二堺庄支証案文一説二破葉室公一。愚先開口云。始末院主可レ被レ白云々。院主丁寧説破」

  ※滑稽本・八笑人(182049)二「オヤオヤあぶらだらけだ。コリャア大へんな始末だ」

  ③ (━する) 物事に決まりをつけること。かたづけること。しめくくり。処理。

  ※多聞院日記‐永祿十二年(1478)八月二〇日「同請取算用の始末の事、以上種々てま入了」

  ※草枕(1906)〈夏目漱石〉二「凡ての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する」

  ④ (形動) (━する) 浪費しないこと。倹約すること。また、そのさま。質素。

  ※日葡辞書(160304)「Ximat(シマツ) アル ヒト」

  ※浮世草子・好色一代男(1682)七「藤屋の市兵衛が申事を尤と思はば、始末(シマツ)をすべし」

 

とある。この場合は④であろう。

 夫を亡くして寡婦となった女は経済的な柱がなく、質素倹約を強いられる。夕暮れの「入相の鐘」と「要りあひの金」を掛けている。どんなに倹約しても金が足りない。

 点あり。

 

無季。

 

七十一句目

 

   始末をしても入あひのかね

 (ひと)かせぎいのちのうちにと存候(ぞんじそろ)

 (一かせぎいのちのうちにと存候始末をしても入あひのか)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 

 今日もはや命の内に暮れにけり

     明日もや聞かん入相(いりあい)の鐘

 

という説経僧の常套歌があったという。

 これを入相の鐘に発心して出家を促すのではなく、金が要るの声に就職を促すふうに変える。

 長点があり、「御こころがけ尤に候」とある。

 

無季。

 

七十二句目

 

   一かせぎいのちのうちにと存候

 江戸まで(こゆ)小夜(さよ)中山(なかやま)

 (一かせぎいのちのうちにと存候江戸まで越る小夜の中山)

 

 江戸で一旗揚げようと、田舎から大勢の人々が江戸に集まってくる。

 「いのちのうちに」と「小夜の中山」は、西行法師の、

 

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや

     命なりけり小夜(さや)の中山

 

の縁。

 点なし。

 

無季。旅体。「小夜の中山」は名所、山類。

 

七十三句目

 

   江戸まで越る小夜の中山

 甲斐(かひ)かねをさやにもみじか旅がたな

 (甲斐かねをさやにもみじか旅がたな江戸まで越る小夜の中山)

 

 前の西行法師の本歌に対して、

 

 甲斐がねをさやにも見しかけけれなく

      横ほりふせる小夜の中山

             よみ人しらず(古今集、東歌)

 

を逃げ歌にする。「さやのなかやま」を刀の鞘に掛けて、短い旅刀かな、とする。

 点なし。

 

無季。旅体。「甲斐がね」は名所、山類。

 

七十四句目

 

   甲斐かねをさやにもみじか旅がたな

 似せ侍もいさやしら雪

 (甲斐かねをさやにもみじか旅がたな似せ侍もいさやしら雪)

 

 甲斐が嶺から、

 

 甲斐がねは山の姿もうづもれて

     雪の半ばにかかる白雲

             順徳院(夫木抄)

 

などの歌に詠まれてるように、甲斐が嶺の雪を付ける。

 似せ侍は侍を装った盗人だろうか。本物かどうかわからない長刀をちらつかせて脅すが、旅人も旅刀で武装していて、まさかの返り討ちに合う。

 点なし。

 

季語は「しら雪」で冬、降物。「似せ侍」は人倫。

 

七十五句目

 

   似せ侍もいさやしら雪

 たつときも(だん)()衛門(ゑもん)も花に来て

 (たつときも団左衛門も花に来て似せ侍もいさやしら雪)

 

 前句の似せ侍を非人団左衛門とする。非人頭で帯刀していても武士ではない。

 前句の白雪を散る花の比喩として花の定座を繰り上げ、団左衛門の旅立ちとする。

 点なし。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「団座衛門」は人倫。

 

七十六句目

 

   たつときも団左衛門も花に来て

 あるひは猿楽(さるがく)蝶々の舞

 (たつときも団左衛門も花に来てあるひは猿楽蝶々の舞)

 

 前句の団左衛門を歌舞伎役者とする。歌舞伎役者も非人身分だった。

 芸達者で、花見の余興に猿楽の蝶の精の舞を見せてくれる。謡曲『胡蝶』であろう。

 

 「四季折折の花盛り、四季折折の花盛り、梢に心をかけまくも、かしこき宮の所から、しめの内野も程近く、()(くわ)黄蝶(こおちょお)春風(しゅんぷう)を領し、花前(くわぜん)に蝶()()紛紛(ふんぷん)たる、雪(めぐ)らす舞の袖かへすがへすも、面白や。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1620). Yamatouta e books. Kindle .

 

 長点で「猿かれにあふては猫のまへの蝶に候」とある。「猿かれ」はよくわからないが、本物の猿楽師が見たなら、歌舞伎役者の見真似芸は猫の前の蝶ということか。

 

季語は「蝶々」で春、虫類。

 

七十七句目

 

   あるひは猿楽蝶々の舞

 春日野(かすがの)は七日が間のどやかに

 (春日野は七日が間のどやかにあるひは猿楽蝶々の舞)

 

 前句を本物の猿楽として、奈良の春日の興福寺で行われる薪御能とする。かつては薪猿楽と呼ばれていて、コトバンクの「世界大百科事典内の薪猿楽の言及」に、

 

 「…奈良興福寺の修二会(しゆにえ)に付した神事猿楽で,薪猿楽,薪の神事とも称され,東・西両金堂,南大門で数日間にわたって行われた。《尋尊御記》には〈興福寺並びに春日社法会神事〉,《円満井(えんまい)座壁書》には〈御神事法会〉,世阿弥の《金島書(きんとうしよ)》には〈薪の神事〉などと記されている。…」

 

とある。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「二月七日から七日間」とある。元は修二会の行事で、二月堂のお水取りも修二会の行事だった。

 長点で「近々(ちかぢか)(くる)春も見るやうに候」とある。

 

季語は「のどやか」で春。「春日野」は名所。

 

七十八句目

 

   春日野は七日が間のどやかに

 若菜つみつつ今朝は増水(ぞうすい)

 (春日野は七日が間のどやかに若菜つみつつ今朝は増水)

 

 増水は雑炊のこと。七草粥のこと。前句の七日を正月の七日の七草の日に取り成す。

 点あり。

 

 

季語は「若菜つみ」で春。

名残表

七十九句目

 

   若菜つみつつ今朝は増水

 かせ所帯(じょたい)(わが)衣手にたすきがけ

 (かせ所帯我衣手にたすきがけ若菜つみつつ今朝は増水)

 

 「かせ所帯」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「悴所帯」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 貧乏所帯。貧乏暮らし。貧しい生活。かせせたい。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「童子が好む秋なすの皮〈在色〉 花娵(はなよめ)を中につかんでかせ所帯〈雪柴〉」

  ※浄瑠璃・双生隅田川(1720)三「あるかなきかのかせ所帯(ショタイ)、妻は手づまの賃仕事(しごと)

 

 貧乏人の子沢山という言葉があり、子供の多さが手枷足枷になって貧しさから抜けられないという意味合いもあるのだろう。

 前句の「若菜つみ」から、

 

 君がため春の野に出でて若菜つむ

     我が衣手に雪はふりつつ

            (こう)(こう)天皇(てんのう)(古今集)

 

を本歌として、貧しい家でも七草の雑炊を作るとする。

 点なし。

 

無季。「我」は人倫。「衣手」は衣裳。

 

八十句目

 

   かせ所帯我衣手にたすきがけ

 妻子(つまこ)にまよふ闇の()づかひ

 (かせ所帯我衣手にたすきがけ妻子にまよふ闇の鵜づかひ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 

 人の親の心は闇にあらねども

     子を思ふ道にまどひぬるかな

            藤原兼(ふじわらのかね)(すけ)(後撰集)

 

の歌を引いている。

 親が子を思うのは自然なことではあるが、今の世でもモンスターペアレンツ(通称モンペ)がいるように、子供のこととなると人は血相を変えて理不尽なことをするものだ。

 昔は仏道の迷いになるとされ、中世の『西行物語』ではこれが出家の妨げだと娘を蹴っ飛ばす場面があったりするが、それもまた極端だ。

 鵜匠の仕事は殺生の罪を犯すということで、謡曲『鵜飼(うかい)』でも、

 

 「()(ぶね)(とも)(かがり)()の、(のち)闇路(やみぢ)を、いかにせん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3497). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。

 殺生の罪とは言え、鵜匠も妻子を養ってゆくためには鵜飼の仕事を続けなくてはならない。

 点あり。

 

季語は「鵜づかひ」で夏、鳥類、夜分。恋。「妻子」は人倫。

 

八十一句目

 

   妻子にまよふ闇の鵜づかひ

 滝つせやいとどかはいの涙川

 (滝つせやいとどかはいの涙川妻子にまよふ闇の鵜づかひ)

 

 「かはい」は川合と可愛を掛けたものか。「かはゆし」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「形容詞ク活用

  活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}

  ①恥ずかしい。気まり悪い。

  出典右京大夫集 

  「いたく思ふままのことかはゆくおぼえて」

 [] あまりに自分の思っているままのことでは恥ずかしく思われて。

  ②見るにしのびない。かわいそうで見ていられない。

  出典徒然草 一七五

  「年老い袈裟(けさ)掛けたる法師の、…よろめきたる、いとかはゆし」

  [] 年をとり、袈裟を掛けた法師が、…よろめいているのは、たいそう見るにしのびない。

  ③かわいらしい。愛らしい。いとしい。◆「かほ(顔)は(映)ゆし」の変化した語。

  語の歴史室町時代から③の意味でも用いられるようになり、形は「かはいい」に変わり、現代語「かわいい」につながる。」

 

とある。今の「可愛い」に近い意味でも用いられた。

 「妻子にまよふ」に「可愛の涙川」、「闇の鵜づかひ」に「滝つせの川合」が付く。

 点なし。

 

無季。恋。「滝つせ」「川」は水辺。

 

八十二句目

 

   滝つせやいとどかはいの涙川

 岩ねの床にだいたかしめたか

 (滝つせやいとどかはいの涙川岩ねの床にだいたかしめたか)

 

 「だいたかしめたか」は分りにくいが、今日的には「抱きしめる」というべきところを、この頃は別々に言ったか。

 「しめる」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「締・絞・閉・搾」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「④ 男女が手足をからみ合わせる。強く抱きあう。情交する。

  ※仮名草子・恨の介(160917頃)上「まだ夜は夜中、しめて御寝(およ)れよの」

 

という意味がある。

 滝つ瀬の岩の上でまぐわったということか。

 点あり。

 

無季。恋。「岩ね」は山類。

 

八十三句目

 

   岩ねの床にだいたかしめたか

 奥山に(さて)も狸のはらつづみ

 (奥山に扨も狸のはらつづみ岩ねの床にだいたかしめたか)

 

 岩の上でそんなうまいことがと思ったら、やっぱり狸に化かされていた。

 前句の「しめた」が鼓の紐を締めるの縁になる。

 点なし。

 

無季。「奥山」は山類。「狸」は獣類。

 

八十四句目

 

   奥山に扨も狸のはらつづみ

 東西東西さるさけぶ声

 (奥山に扨も狸のはらつづみ東西東西さるさけぶ声)

 

 「東西東西(とざいとうざい)」というと相撲の時の口上。

 奥山で狸が相撲を取って猿が行司になる。

 点なし。

 

無季。「さる」は獣類。

 

八十五句目

 

   東西東西さるさけぶ声

 (いり)みだれ(いくさ)はその日七つ時

 (入みだれ軍はその日七つ時東西東西さるさけぶ声)

 

 七つは申の刻で、不定時法で季節のずれはあるが午後四時ごろ。前句の「さるさけぶ」を申の刻に叫ぶと取り成す。

 戦を始めるにはやや遅い時刻ではあるが、和田合戦は申の刻に始まっている。

 点あり。

 

無季。

 

八十六句目

 

   入みだれ軍はその日七つ時

 (めし)(たき)すててかまくらの里

 (入みだれ軍はその日七つ時飯焼すててかまくらの里)

 

 七つ時は朝未明の時刻にもなる。

 先ほどの和田合戦だが、ウィキペディアには、

 

 「申の刻(16時)、義盛ら和田一族は決起し、150騎を三手に分けて大倉御所の南門、義時邸、広元邸を襲撃した。義時邸は残っていた兵が防戦し、広元邸には客が残って酒宴を続けていたが、和田勢がその門前を通り過ぎていった。政所の前で合戦となり、波多野忠綱や幕府側へ寝返った義村が来援して和田勢を防戦している。」

 

とあり、その翌日は、

 

 「夜が明け始めた翌3日(24日)寅の刻(4時)、由比ヶ浜に集結していた和田勢の元に横山時兼らが率いる横山党の3000余騎が参着、和田勢は勢いを盛り返した。時兼と義盛はもともとはこの日を戦初めと決めていたので、時兼はこの日になって到着したのだった。」

 

とある。

 鎌倉での早朝の戦闘に、飯を炊いたまま食う間もなく出陣する。

 点なし。

 

無季。「かまくら」は名所。

 

八十七句目

 

   飯焼すててかまくらの里

 (すし)(をけ)由井(ゆゐ)(みぎは)に急ぎけり

 (鮨桶を由井の汀に急ぎけり飯焼すててかまくらの里)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、謡曲『(もり)(ひさ)』の、

 

 「シテ 鐘も聞こふる東雲(しののめ)に、

  ワキ (ろお)より(ろお)輿(こし)に乗せ、

  シテ 由比(ゆい)(みぎわ)に、

  ワキ 急ぎけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3077). Yamatouta e books. Kindle 版)

 

という、盛久が由比ガ浜に処刑のために運ばれてくる場面を引いている。

 ここでは、言葉だけ謡曲から取って、意味は飯を捨ててしまったため、急遽馴れ寿司の桶を運んでこさせる、というだけの句になる。

 点あり。

 

無季。「由井の汀」は名所、水辺。

 

八十八句目

 

   鮨桶を由井の汀に急ぎけり

 ゆめぢをいづる使者にや(ある)らん

 (鮨桶を由井の汀に急ぎけりゆめぢをいづる使者にや有らん)

 

 ここで再び謡曲『盛久』の先ほどの一節の続きの、

 

 「夢路を出づる曙や、夢路を出づる曙や後の世の門出なるらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3078). Yamatouta e books. Kindle .

 

と続ける。

 この使者に盛久の処刑は中止され、命拾いすることになる。

 単に言葉だけの使用から物語の本説へと展開する。

 これは長点で「御盃すしを肴にこそ」とある。謡曲『盛久』はこのあと、目出度く宴会の場面になり、

 

 「シテ せん(かた)もなき盛久が、

  地  命は千秋(せんしう)万歳(ばんぜい)の春を(いお)()ぞと、御盃(おんさかづき)(くだ)さるれば、

  シテ 種は千代(ちよ)ぞと菊の酒、

  地  花をうけたる、気色(けしき)かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3082). Yamatouta e books. Kindle .

 

となり、鮨はその時の肴か、ということになる。

 

無季。「使者」は人倫。

 

八十九句目

 

   ゆめぢをいづる使者にや有らん

 口上(こうじゃう)のおもむき(きけ)ば寝言にて

 (口上のおもむき聞ば寝言にてゆめぢをいづる使者にや有らん)

 

 口上は今は芝居の口上の意味だが、元々は多義だった。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「口上・口状」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙

  ① 口頭で述べること。口頭で伝えること。また、その内容。また、型にはまった挨拶のことばをいう。

  ※続日本紀‐天平勝宝元年(749)二月壬戌「式部更問二口状一、比二挍勝否一、然後選任」

  ※承久軍物語(1240頃か)二「口上に申さるるやう、義時昔より君の御ために忠あって私なし」

  ② ものいい。口のききかた。口ぶり。弁舌。

  ※無名抄(1211頃)「あしたにするをばあさりと名つけ、夕にするをばいさりといへり。これ東のあまの口状なり」

  ※虎寛本狂言・八句連歌(室町末‐近世初)「久敷う逢ぬ内に、口上が上った」

  ③ 歌舞伎その他の興行物で、出演者または劇場の代表者が、観客に対して述べる挨拶(あいさつ)。また、それをいう人。初舞台、襲名披露、名題昇進、追善などで行なわれる。また、題名、出演者などの紹介をすることや、それをする人をさしていうこともある。

  ※評判記・役者評判蚰蜒(1674)ゑびすや座惣論「榊武兵衛が、たて板に水をながすやうなる口上のいさぎよき」

  ④ 注意事項や疑問点を書き込んで、文書や書籍にはりつけた紙。押紙(おうし・おしがみ)。付箋(ふせん)。〔物類称呼(1775)〕

  ⑤ =こうじょうちゃばん(口上茶番)

  ※人情本・春色雪の梅(183842頃か)二「そいつア面白くねえでもねえが、口上茶番(コウジャウ)か立茶番(たち)か」

 

 この場合は①の、使者の口頭での伝達で、それが意味不明というかとんでもないことを口走ってるので、寝言を言うなということになる。寝言だけに夢路からやって来た使者かってことになる。

 点なし。

 

無季。

 

九十句目

 

   口上のおもむき聞ば寝言にて

 ねつきはいまださめぬとばかり

 (口上のおもむき聞ば寝言にてねつきはいまださめぬとばかり)

 

 「ねつき」は寝付きと熱気を掛けたか。

 前句を③の芝居の挨拶と取り成し、観客の熱気の醒めないうちにまたとんでもないことを言い出す。寝言みたいだから寝付いたばかりで目が覚めてないみたいな、とする。

 点なし。

 

無季。

 

九十一句目

 

   ねつきはいまださめぬとばかり

 夕月や(ひたひ)のまはり(てら)すらん

 (夕月や額のまはり照すらんねつきはいまださめぬとばかり)

 

 月代(さかやき)と月を掛けた古典的なネタで、前句の「ねつき」はこの場合熱気で夕涼みの句にしたのであろう。ただ、句としては秋の句になる。

 点なし。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。

 

九十二句目

 

   夕月や額のまはり照すらん

 けぬきはなさぬ袖の秋風

 (夕月や額のまはり照すらんけぬきはなさぬ袖の秋風)

 

 月代はすぐに毛が生えてくるので、その都度毛を抜かなくてはならない。永久脱毛などない昔の人は痛くて大変だった。

 「額のまはり(月代)」に「けぬき」が付き、「夕月」に「秋風」が付く。

 

 かたしきの袖の秋風小夜ふけて

     なほ出でかての山の端の月

            藤原知家(続拾遺集)

 

の歌もある。

 点なし。

 

季語は「秋風」で秋。「袖」は衣裳。

名残裏

九十三句目

 

   けぬきはなさぬ袖の秋風

 人はただはたち前後か(はな)(すすき)

 (人はただはたち前後か花薄けぬきはなさぬ袖の秋風)

 

 昔は大体十五で元服し、二十歳前後が男盛りになる。女は十五で嫁に行く。

 この場合の花薄は月代の手入れではなく白髪抜きのことか。後の芭蕉の句に、

 

 白髪ぬく枕の下やきりぎりす  芭蕉

 

の句がある。

 すっかり白髪頭になって、別の意味で毛抜きが離せなくなり、若かりし頃を思ってあの頃は良かったなと思う。述懐の句と言って良い。

 長点で「冬がれたる身にもうらやましく候」と宗因も毛がふさふさしてた頃を思う。

 

季語は「花薄」で秋、植物、草類。「人」は人倫。

 

九十四句目

 

   人はただはたち前後か花薄

 いたづらぐるひのらのらの露

 (人はただはたち前後か花薄いたづらぐるひのらのらの露)

 

 二十歳前後は男盛りとはいえ、夜は遊郭に入り浸って、昼はのんべんだらりと無駄に過ごす。「のらのら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「のらのら」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる)

  ① 動作がにぶいさまを表わす語。のろのろ。

  ※浄瑠璃・傾城吉岡染(1710頃)中「此人立へのらのらと命しらずと云物」

  ② なすこともなく漫然と時間を過ごすさまを表わす語。のらくら。

  ※浄瑠璃・源氏冷泉節(1710頃)下「女房共はのらのらと、どこにのらをかはいてゐる」

 

とある。

 花薄に露は、

 

 ほのかにも風はふかなむ花薄

     むすぼほれつつ露にぬるとも

             斎宮(さいぐうの)女御(にょうご)(新古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 点なし。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。

 

九十五句目

 

   いたづらぐるひのらのらの露

 夜這(よばひ)には庭もまがきものり(こえ)

 (夜這には庭もまがきものり越ていたづらぐるひのらのらの露)

 

 「のら」に「庭もまがきも」は、

 

 里はあれて人はふりにし宿なれや

     庭もまがきも秋ののらなる

             僧正遍照(古今集)

 

の縁になる。

 前句の「いたづらぐるひ」を都会の遊郭ではなく田舎の夜這いに転じる。庭も籬も乗り越えて野良の露まみれになる。

 長点だがコメントはない。まあ、分かり易い句で説明の必要もあるまい。

 

無季。恋。「夜這」は夜分。「庭」「まがき」は居所。

 

九十六句目

 

   夜這には庭もまがきものり越て

 かけがねもはや(ふく)(ねや)の戸

 (夜這には庭もまがきものり越てかけがねもはや更る閨の戸)

 

 籬を乗り越えたまでは良かったが、扉には鍵が掛かっていて残念。

 点なし。

 

無季。恋。「閨の戸」は居所。

 

九十七句目

 

   かけがねもはや更る閨の戸

 をとがいを水鶏(くひな)やたたきやまざらん

 (をとがいを水鶏やたたきやまざらんかけがねもはや更る閨の戸)

 

 「をとがひ」は下あごの突き出た部分を言うが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「頤」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 下あご。あご。⇔腭(あぎ)

  ※霊異記(810824)下「彼の禅師の(オトカヒ)の右の方に大きなる黶(ふすべ)有り〈真福寺本訓釈  ヲトカヒ〉」

  ② (機能上関係が深いところから転じて) 「くち(口)」をいう。

  ※歌舞伎・幼稚子敵討(1753)六「ムウ、ハハハハ、おとがひ明いた任(まか)せに。こなたに知行は貰わぬ」

  ③ (形動) さかんにしゃべること。広言、悪口などをはくこと。また、そのさま。おしゃべり。

  ※浄瑠璃・心中天の網島(1720)上「返報する、覚へておれと、へらず口にて逃出す。立寄る人々どっと笑ひ、踏まれてもあのおとがひ」

 

と口だとか喋るという意味もある。

 この場合は「水鶏は頤を叩いて止まざらんや」であろう。水鶏の泣き声は戸を叩く音に似ているというので、水鶏がいつまでもなくように開けろ開けろと戸を叩き続けているという意味であろう。

 ここでは夜這いではなく、通ってきたけどもう逢いたくないと戸の鍵を固く閉ざされてしまって、いくら戸を叩いても開けてくれない、という意味になる。

 長点で「おかほどたたく(とも)あき(ある)まじく候」とある。

 

無季。「水鶏」は鳥類。

 

九十八句目

 

   をとがいを水鶏やたたきやまざらん

 さてもさしでた洲崎(すざき)島さき

 (をとがいを水鶏やたたきやまざらんさてもさしでた洲崎島さき)

 

 洲崎は何か有名な地名なのかと思ったが、江戸の洲崎はまだこの頃はないので、実在の地名なのかどうかはよくわからない。前句の「をとがい」を顎の方の頤として、突き出たものということで洲崎島崎とつないだのであろう。

 島崎はコトバンクの「デジタル大辞泉 「島崎」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「島の海に突き出た所。また、築山などの池に突き出た所。

  「やい太郎冠者、あの―に見ゆる木は何ぢゃ」〈虎寛狂・萩大名〉」

 

とある。

 「さしでた」は今も「差し出がましい」という言葉に残っていて、水鶏の戸を叩くような口ぶりが差し出がましく、顎をとんがらかしているようでそれを洲崎島崎に喩える。

 点なし。

 

無季。「洲崎島さき」は水辺。

 

九十九句目

 

   さてもさしでた洲崎島さき

 きく王や舟に其比(そのころ)花の春

 (きく王や舟に其比花の春さてもさしでた洲崎島さき)

 

 「きく王」は菊王丸でコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊王丸」の解説」に、

 

 「11681185 平安時代後期の武士。

  仁安(にんあん)3年生まれ。平清盛の甥(おい)平教経(のりつね)につかえる。元暦(げんりゃく)2219日屋島の戦いで,教経の射たおした佐藤継信(つぐのぶ)の首をきろうとしたところ,継信の弟忠信に射殺された。18歳。」

 

とある。

 謡曲『八島(やしま)』には、

 

 「鉢附(はちつけ)の板より、引きちぎて、左右(そお)へくわつとぞ退()きにけるこれを御覧(ごらん)じて判官(ほおぐわん)、お(むま)(みぎわ)にうち寄せ給へば、佐藤(つぎ)(のぶ)能登殿(どの)の矢先にかかつて馬より(しも)に・どうと落つれば、船には(きく)(をお)も討たれければ、ともにあはれと(おぼ)しけるか船は沖へ(くが)は陣に、(あい)()きに引く汐のあとは(とき)の声絶えて、磯の波松風ばかりの音寂しくぞなりにける。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.774-775). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。

 季節は春で、

 

 「落花(らツくわ)枝に帰らず、破鏡(はきょお)二度(ふたたび)照らさず。(しか)れどもなほ妄執(もおしう)瞋恚(しんに)とて、鬼神(きしん)魂魄(こんぱく)境界(きょおがい)に帰り、われとこの身を苦しめて、修羅(しゅら)(ちまた)に寄り来る波の、浅からざりし、業因(ごおいん)かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.776). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。句は「きく王は舟に其比(そのころ)花の春(を散らす)や」の倒置になる。

 前句を八島の景色として菊王は花の春にその命を散らしたとする。

 長点で「(その)日の形勢(この)句にあり」とある。合戦の日の情景が浮かんでくるようだ、ということか。

 

季語は「花の春」で春、植物、木類。「舟」は水辺。

 

挙句

 

   きく王や舟に其比花の春

 異国もなびく御代のどか(なり)

 (きく王や舟に其比花の春異国もなびく御代のどか也)

 

 前句の「きく王」を「聞く王」と取り成す。あえて平仮名で表記する時は取り成しがあることが多い。

 聞くところによると異国の王も我が御代になびくと言うではないか。花の春はのどか也と目出度く一巻は終わる。

 点なし。

 

季語は「のどか」で春。

 

 「愚墨五十四句

     長廿九

      西幽子(さいゆうし)判」

 

 西幽子は宗因の別号。

 点のあったのは五十四句で、そのうち長点がニ十句。この『大坂独吟集』の中では平均的な点数で、この集の十の百韻はそれほど突出して点の多いものもなければ、極端に少ないものもない。

 墨の数は四十八から六十二の間、長点の数は十九から二十九の間に収まっている。

 

  即興かうもあらふか

 こていうしにからすきかけて、もつてひらく

 作においては、かへすがへすも申ばかりはなか

 りけり

 

 こう言っては殊に牛に唐鋤かけて以て開く作ににおいては、返す返す言うようなこともない。

 作はこの作品だが、発句の牛に掛けて耕作の畑を打ち返すに掛けている。

 

まあ丑年の歳旦の百韻でこの集の巻頭を飾るのに、申し分のない出来だった、といったところか。