「青葉より」の巻、解説

延宝六年冬

初表

 青葉より紅葉散けり旅ぎせる   似春

   時を感じては眠る遠山    春澄

 頬杖にかたぶく月の影消て    桃青

   座頭はかたを衣うつ也    似春

 糸よせてしめ木わがぬる秋の風  春澄

   天下一竹田稲色になる    桃青

 

初裏

 淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや  似春

   やよ時鳥天帝のさた     春澄

 鶯の不受不施だにも置ぬ世に   桃青

   残るものとては古寺の雪   似春

 花は根にもとの裸でかへる也   春澄

   水風呂の底は龍宮の春    桃青

 出女の玉依姫は是とかや     似春

   神代もきかず百文の恋    春澄

 霊寶の枕草子をふし拝み     桃青

   奉加の帳の首書まで     似春

 爰に中比儒者一人の月澄て    春澄

   或は広沢熊沢の秋      桃青

 

 

二表

 状箱の名をわすれたる雁の声   似春

   とかういふ間にしぼむ初萩  春澄

 ふり袖の薄も髭と生出て     桃青

   小町が果の女方ども     似春

 恋訴訟ふしんながらも指上ル   春澄

   告にまかせて口説申候    桃青

 ああ稲荷くるしき中をおもへただ 似春

   杉の庵に腹ぞさびしき    春澄

 針立の玄賓僧都見まはれて    桃青

   秋果ぬれば湯山の月     似春

 あみ楊枝きのふは峯の薄紅葉   春澄

   四五文ほどが露時雨るらん  桃青

 

二裏

 夕日影光はちよくにかたぶきて  似春

   塩からあらふ沖津白浪    春澄

 竹戸棚阿波の鳴門や明ぬらん   桃青

   渦きりきりとまきし蜘蛛の巣 似春

 山一つこぶの根おろし花の雲   桃青

   耳せせかくす岸の青柳    春澄

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 青葉より紅葉散けり旅ぎせる   似春

 

 これは、

 

 都にはまだ青葉にて見しかども

     紅葉散り敷く白河の関

             源頼政(千載集)

 

の歌から「青葉より紅葉散けり」の言葉を貰ったもので、それに当世風の「旅ぎせる」を添えたもので、松島を旅して京へ帰る途中に江戸の桃青の所に寄ってくれた春澄への、労いの挨拶になっている。

 旅ぎせるはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (キセルはkhsier) 道中用のキセル。筒ざしのもの。女性用は長キセルを雁首と吸口を二つに分けた継キセルになっている。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)九「青葉より紅葉散けり旅きせる〈似春〉 時を感じては眠る遠山〈春澄〉」

 

とある。

 本歌の方は、

 

 都をば霞とともに立ちしかど

     秋風ぞ吹く白河の関

             能因法師(後拾遺集)

 

との類似がしばしば議論になる歌で、頼政の歌は歌合せの余興で詠まれた歌で、紅葉の色を添えたところに独自の見どころがあるとされてきた。

 発句の方はおそらく春澄が江戸に着いた時の、

 

 のまれけり都の大気江戸の秋   春澄

 

を発句とした歌仙の後に作られたもので、このあと冬に春澄が京へ旅立つときの、

 

 塩にしていざことづてん都鳥   桃青

 

を発句とする歌仙と合わせて、三人がそれぞれ発句を詠んで三部作になる。

 

季語は「紅葉散る」で冬、植物、木類。「青葉」も植物。旅体。

 

 

   青葉より紅葉散けり旅ぎせる

 時を感じては眠る遠山      春澄

 (青葉より紅葉散けり旅ぎせる時を感じては眠る遠山)

 

 「時を感じては」のフレーズは有名な杜甫の「春望」で、「眠る遠山」は「山眠る」で落葉した山の静かなさまをいう。郭熙の、「春山淡冶而如笑 夏山蒼翠而如滴 秋山明淨而如妝 冬山慘淡而如睡」が出典だという。

 発句の「青葉より紅葉」の時間の経過を「時を感じて」で受けて、旅にこれから向かう遠山を付ける。

 特に寓意のない発句だけに、脇の方も寓意はない。

 紅葉に遠山は、

 

 嵐吹く遠山里のもみぢ葉は

     露もとまらむことのかたさよ

              紫式部(紫式部集)

 

の歌がある。

 

 

季語は「眠る遠山」で冬、山類。

 

第三

 

   時を感じては眠る遠山

 頬杖にかたぶく月の影消て    桃青

 (頬杖にかたぶく月の影消て時を感じては眠る遠山)

 

 前句の「眠る」から頬杖を付け、「時を感じては」から「かたぶく月」を付ける。

 頬杖ついて居眠りしていたら、いつの間にか月も傾いて沈み、夜が白んでうっすらと遠山が見える。

 遠山の月は、

 

 岡野辺の楢の落葉に時雨降り

     ほのほの出づる遠山の月

              後鳥羽院(新拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

四句目

 

   頬杖にかたぶく月の影消て

 座頭はかたを衣うつ也      似春

 (頬杖にかたぶく月の影消て座頭はかたを衣うつ也)

 

 按摩を仕事とする座頭であろう。肩を叩くのを「衣打つ」と洒落てみる。

 月に衣打つは、

 

 さ夜ふけて砧の音ぞたゆむなる

     月をみつつや衣うつらん

              覚性法親王(千載集)

 

の歌があるが、元はやはり、

 

   子夜呉歌       李白

 長安一片月 萬戸擣衣声

 秋風吹不尽 総是玉関情

 何日平胡虜 良人罷遠征

 

 長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。

 秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関の心。

 いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。

 

であろう。

 

季語は「衣うつ」で秋。「座頭」は人倫。

 

五句目

 

   座頭はかたを衣うつ也

 糸よせてしめ木わがぬる秋の風  春澄

 (糸よせてしめ木わがぬる秋の風座頭はかたを衣うつ也)

 

 「しめ木」は琴の糸を締める道具で、「わがぬる」は「わがねる」でweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「わ・ぐ【×綰ぐ】

  [動ガ下二]たわめ曲げる。わがねる。わげる。

 「髪の筋、裾つきいみじう美しきを、―・げ入れて」〈堤・このついで〉」

 

とある。この場合は糸を緩めるとこだと思う。前句の座頭を琴を弾く座頭とする。

 弦の張替え作業で、肩が凝るのか。

 衣打つに秋風は、

 

 みよし野の山の秋風小夜ふけて

     ふるさと寒く衣うつなり

              飛鳥井雅経(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋の風」で秋。

 

六句目

 

   糸よせてしめ木わがぬる秋の風

 天下一竹田稲色になる      桃青

 (糸よせてしめ木わがぬる秋の風天下一竹田稲色になる)

 

 天下一竹田は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「竹田近江」とある。ウィキペディアに、

 

 「初代 竹田近江(しょだい たけだおうみ、生年不明 - 宝永元年7月3日〈1704年8月3日〉)とは、江戸時代のからくり師。また、そのからくりを使って興行をした人物。」

 

 「万治元年(1658年)、京都に上り朝廷にからくり人形を献上して出雲目(さかん)を受領し竹田出雲と名乗ったが、翌年の万治2年(1659年)に近江掾を再び受領し竹田近江と改名する。そののち寛文2年(1662年)大坂道頓堀において、官許を得てからくり仕掛けの芝居を興行した。竹田近江のからくり興行は竹田芝居また竹田からくりとも呼ばれ大坂の名物となり、のちに江戸でも興行されて評判となった。」

 

とある。

 前句の「糸よせてしめ木わがぬる」を芝居の仕掛けとし、「秋の風」に竹田だから「稲色」を付ける。

 秋風に稲は、

 

 夕されば門田の稲葉おとづれて

     葦のまろやに秋風ぞ吹く

              源経信(金葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「稲色」で秋。

初裏

七句目

 

   天下一竹田稲色になる

 淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや  似春

 (淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや天下一竹田稲色になる)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、謡曲『融』の、

 

 「木幡山伏見野竹田淀鳥羽も見えたりや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.88200-88203). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

から来ているという。竹田はここでは深草の南西で、近鉄京都線に竹田という駅がある。

 天下一は鏡に刻む銘で、ネット上の國學院大學博物館の企画展「柄鏡の美」のパンフに、

 

 「江戸時代に入ると円鏡は重厚な作風のもの、界圏の無い絵画的文様構成をとるタイプとに分かれると同時に、その主流は柄鏡となってゆきます。特に江戸時代初期の柄鏡は鏡背面に残る鈕が外され、全体に動植物や人物などの素朴な絵画的文様が描かれるようになり、「天下一」「天下一作」 等の銘に加え、「天下一若狭」「天下一但馬」「天下一佐渡」 などの受領国名を刻んだ鏡工の名が出現します。」

 

とある。天和二年に天下一の銘に禁令が発せられたという。

 天下一竹田の鏡に淀や鳥羽の稲色の景色が映る。

 

無季。「淀鳥羽」は名所。

 

八句目

 

   淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや

 やよ時鳥天帝のさた       春澄

 (淀鳥羽も鏡のかげに見えたりややよ時鳥天帝のさた)

 

 「天帝」に「ダイウス」の仮名が振ってある。デウス(deus, Deus)の訛ったもの。かつて下京区菊屋町のあたりに松原だいうす町、上京区堅富田町にだいうすの辻子があったという。

 淀、鳥羽という伏見の地名から、そこのホトトギスまでが南蛮の遠眼鏡で見えるということか。遠眼鏡は元禄九年の桃隣が金華山を旅した時の句に、

 

 水晶や凉しき海を遠目鑑     桃隣

 

の句がある。

 淀のホトトギスは、

 

 いつ方に鳴きてゆくらむ郭公

     淀の渡りのまた夜深きに

              壬生忠見(拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「時鳥」で夏、鳥類。

 

九句目

 

   やよ時鳥天帝のさた

 鶯の不受不施だにも置ぬ世に   桃青

 (鶯の不受不施だにも置ぬ世にやよ時鳥天帝のさた)

 

 「不受不施」はウィキペディアに、

 

 「不受不施派(ふじゅふせは)とは、日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという不受不施義を守ろうとする宗派の総称である。」

 

 「寛文5年(1665年)、受派の策謀を受け、幕府は、全国の寺社領朱印地に、「敬田供養」の名目で朱印の再交付し、受領書を出すよう迫ったほか、翌年には飲水や行路も「敬田供養」の一環であると主張して不受不施派に圧力をかけた。「施しを受けないこと」を宗旨とする不受不施派はいずれも拒否した。さらに、寛文9年(1669年)、幕府は不受不施派に対しては寺請を禁じ、完全に禁制宗派とした。なお、一部のグループは、幕府が寺領を宗教的布施である「敬田」と言っても、実際は道徳的布施である「悲田」に過ぎず、これを受けても問題ない、と解釈して幕府と妥協した。これが「悲田派」や「恩田派」と呼ばれる「軟派」である。この「軟派」の立場に立ったのが、小湊の誕生寺などであった。」

 

 元は豊臣秀吉(とよとみのひでよし)の方広寺大仏殿の千僧供養に反発したところに端を発したようだ。その後、徳川幕府にも不受不施を主張し、寺領を幕府から与えられた土地とすることを拒否した。いわば寺領を幕府の権力の及ばぬ治外法権として認めさせようとしたといってもいいだろう。

 寛文九年に幕府が寺請を禁じたのは、幕府に従わないならそれによって得ている寺の特権も認めないというもので、これによって寺としての存続が危機になる。そのため寺領を幕府からの布施であっても実質的には貧者・病人などを憐れんでの人道的支援なので問題はないとする悲田派が現れるに至った。

 同じ弾圧を受けたダイウスの徒に掛けて、鶯の鳴き声の「法華経」から不受不施派の置く(存続する)ことを許さぬ世に、ましてや時鳥のように稀なダイウスの徒は、となる。

 芭蕉に限らず俳諧師やそのほかの芸能の人たちの間にも、中世的な公界を幕府が潰してきたことに反発があったのではないかと思う。田舎わたらいをしながら自由に生きてきた遊女を遊郭の中に閉じ込めたことに関しても風流人としては放置できぬ問題で、いわゆる心中物の芝居もその文脈で詠む必要がある。それが元禄期までの風流の根底にあった。

 ホトトギスに鶯は違え付けになる。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。釈教。

 

十句目

 

   鶯の不受不施だにも置ぬ世に

 残るものとては古寺の雪     似春

 (鶯の不受不施だにも置ぬ世に残るものとては古寺の雪)

 

 不受不施派の寺の荒廃を付け、前句に和す。ただ微妙に、残っているのは古寺ではなく雪だと言い逃れできるようにしている。

 

季語は「残る‥雪」で春、降物。釈教。

 

十一句目

 

   残るものとては古寺の雪

 花は根にもとの裸でかへる也   春澄

 (花は根にもとの裸でかへる也残るものとては古寺の雪)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 花は根に鳥は古巣に帰るなり

     春のとまりを知る人ぞなき

             崇徳院(千載集)

 

の歌を本歌として引いている。

 花は根に帰り、人もまた裸で生まれ裸で帰って行くことになる。古寺も最後は土に帰る。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十二句目

 

   花は根にもとの裸でかへる也

 水風呂の底は龍宮の春      桃青

 (花は根にもとの裸でかへる也水風呂の底は龍宮の春)

 

 この時代の風呂はまだサウナが主流だったが、浴槽にお湯を張った「水風呂」も登場していた。ただ、初期の頃、特に上方では湯女がいて売春に結びついていた。

 底というか水風呂の裏では龍宮の春が売っていて、金が無かったら裸で放り出される。水商売の語源は江戸時代の水茶屋から来ているといわれるが、ひょっとしたら水風呂まで遡れるのかもしれない。

 

季語は「春」で春。恋。

 

十三句目

 

   水風呂の底は龍宮の春

 出女の玉依姫は是とかや     似春

 (出女の玉依姫は是とかや水風呂の底は龍宮の春)

 

 玉依姫(たまよりひめ)は綿津見神(わたつみのかみ)を父とする。浦嶋太郎の竜宮城と山幸彦の綿津見神の宮殿が一緒くたになっている。

 出女(でおんな)はウィキペディアに、

 

 「出女(でおんな)は、 江戸時代の私娼の一種である。各地の宿場の旅籠にいて、客引きの女性であるが、売春もした。曲亭馬琴の『覉旅漫録』20に、岡崎の出女の項に、娼婦の意で用いている。」

 

 とある。許六編の『風俗文選』にも木導の「出女ノ説」がある。

 

無季。恋。神祇。「出女」は人倫。

 

十四句目

 

   出女の玉依姫は是とかや

 神代もきかず百文の恋      春澄

 (出女の玉依姫は是とかや神代もきかず百文の恋)

 

 「神代もきかず」は言わずと知れた、

 

 ちややぶる神代もきかず龍田川

     からくれなゐに水くくるとは

             在原業平(古今集)

 

の言葉を借りている。百文は出女の相場だったのだろう。一両が四千文だとすると、かなり安い。「色付や」の巻九十九句目の、

 

   壱分にいくら相場聞也

 折添て薪に花は花は花は     桃青

 

が大原女の相場だとしたら十分の一以下になる。

 百文は神代も聞かぬ破格の安さということか。

 

無季。恋。神祇。

 

十五句目

 

   神代もきかず百文の恋

 霊寶の枕草子をふし拝み     桃青

 (霊寶の枕草子をふし拝み神代もきかず百文の恋)

 

 霊宝は寺社などの秘宝で、「枕草子」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注には春本とあるが西鶴以前の春本はよくわからない。学習院大学のウェブライブラリーの小林忠さんの「浮世絵の構造」には、春画に関しては浮世絵の勃興と並行して寛文の頃から盛んになったという。寛文期から浄瑠璃本なども盛んに出版されたから、それと同時に春本が誕生したとしてもおかしくはない。

 百文でそのお宝を拝ませてくれるが、それが高いのか安いのかはよくわからない。

 

無季。恋。

 

十六句目

 

   霊寶の枕草子をふし拝み

 奉加の帳の首書まで       似春

 (霊寶の枕草子をふし拝み奉加の帳の首書まで)

 

 「奉加」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「神仏へ財物を寄進し、堂舎の造営、補修、仏像の造立などを助成すること。事業に自分の財物を加え奉る意で、知識ともいわれた。奉加の趣旨を記したものを奉加状、財物の目録や寄進者の氏名などを記した帳簿や目録を奉加帳、奉加簿という。転じて、一般に財物(金品)を与えたりもらったりすること、またはその金品、寄付をもいう。[佐々木章格]」

 

とある。

 首書(かしらがき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 書物の本文の上の欄に、解釈、批評その他の書き入れをすること。また、その書いたことば。頭注。標注。とうしょ。かしらづけ。

  ※満佐須計装束抄(1184)三「かしらがきは二殿の御手なり」

 ② 書物や文書の冒頭に、その書の趣旨などを書くこと。また、そのことば。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)九「奉加の帳の首書まで〈似春〉 爰に中比儒者一人の月澄て〈春澄〉」

  ③ 脚本の台詞(せりふ)書きの上に添書きをして、その台詞を述べる役者の名を書くこと。また、その役者の名。かしらづけ。

  ④ 鎌倉幕府の訴訟制度で、評定沙汰において判決草案の各条の頭部に是非の判定を書き加えること。また、その書類。かしらづけ。

  ※沙汰未練書(14C初)「一同評議縡終後、事書之頭に、是非を被二書付一、是を頭書と云」

 

とある。

 奉加帳の首書は②と思われるが、前句の「枕草子」に付く場合は①の意味になる。延宝二年刊の季吟の『枕草子春曙抄』も本文の上に首書がついている。

 

無季。

 

十七句目

 

   奉加の帳の首書まで

 爰に中比儒者一人の月澄て    春澄

 (爰に中比儒者一人の月澄て奉加の帳の首書まで)

 

 奉加の帳に儒者の名もあった。神仏習合の日本にあっては、儒者といえども神仏と無関係ではない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「儒者」は人倫。

 

十八句目

 

   爰に中比儒者一人の月澄て

 或は広沢熊沢の秋        桃青

 (爰に中比儒者一人の月澄て或は広沢熊沢の秋)

 

 広沢は京都の広沢の池で、

 

 広沢の池に宿れる月影や

     昔をうつす鏡なるらむ

              後鳥羽院(後鳥羽院御集)

 やどしもつ月の光の大沢は

     いかにいつとも広沢の池

              西行法師(山家集)

 

などの歌で名高い。

 その広沢と沢つながりで熊沢蕃山という儒者を登場させる。寛文七年まで京で私塾をやっていた。

 月に秋を詠んだ歌はたくさんある。

 

 このまよりもりくる月の影見れば

     心つくしの秋はきにけり

              よみ人しらず(古今集)

 月見れはちぢに物こそかなしけれ

     わが身ひとつの秋にはあらねど

              大江千里(古今集)

 

など。

 

季語は「秋」で秋。「広沢」は名所。

二表

十九句目

 

   或は広沢熊沢の秋

 状箱の名をわすれたる雁の声   似春

 (状箱の名をわすれたる雁の声或は広沢熊沢の秋)

 

 状箱は手紙を入れる箱で、届け先の名前を忘れて、広沢だったか熊沢だったかわからなくなる。前句の「秋」に「雁の声」を付ける。

 月に雁は、

 

 初雁の鳴きわたりぬる雲間より

     名残おほくてあくる月影

              紀友則(新拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。

 

二十句目

 

   状箱の名をわすれたる雁の声

 とかういふ間にしぼむ初萩    春澄

 (状箱の名をわすれたる雁の声とかういふ間にしぼむ初萩)

 

 雁が「状箱の名を忘れた」と言っている間に初萩は凋む。

 初萩は、

 

 我が岡に小男鹿来鳴く初萩の

     花妻とひに来鳴く小男鹿

             大伴家持(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「初萩」で秋、植物、草類。

 

二十一句目

 

   とかういふ間にしぼむ初萩

 ふり袖の薄も髭と生出て     桃青

 (とかういふ間にしぼむ初萩ふり袖の薄も髭と生出て)

 

 これは振袖姿のいい女だと思ってたら髭の生えた男で、気持ちも凋む、ということか。

 萩に薄は、

 

 秋萩の花野のすすき穂には出でず

     我が恋ひわたる隠妻はも

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。恋。「ふり袖」は衣裳。

 

二十二句目

 

   ふり袖の薄も髭と生出て

 小町が果の女方ども       似春

 (ふり袖の薄も髭と生出て小町が果の女方ども)

 

 小野小町も老いれば卒塔婆小町になるように、美しかった女方の役者も寄る年波には勝てず、化粧の乗りが悪くなり髭を隠せなくなる。

 「小町が果」というと、『猿蓑』の「市中は」の巻三十二句目の、

 

   さまざまに品かはりたる恋をして

 浮世の果は皆小町なり      芭蕉

 

の句がある。

 

無季。「女方」は人倫。

 

二十三句目

 

   小町が果の女方ども

 恋訴訟ふしんながらも指上ル   春澄

 (恋訴訟ふしんながらも指上ル小町が果の女方ども)

 

 「訴訟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① うったえること。公の場に訴え出て裁決を願うこと。うったえ。公事(くじ)。

  ※十七箇条憲法(604)「五日〈略〉明辨二訴訟一。其百姓之訟」

 ※平家(13C前)一「後日の訴訟を存知して、木刀を帯しける用意のほどこそ神妙なれ」

  ② 要求、不平、願いなどを人に伝えること。嘆願すること。うったえ。

  ※米沢本沙石集(1283)七「訴訟可レ申事候て、一門列参仕れり」

  ※浮世草子・世間娘容気(1717)一「思ひ切て亭主に訴詔(ソセウ)し、笄曲の髪を切て、二つ折に髩(つと)出して」

  ③ 詫びて、とりなすこと。

  ※咄本・楽牽頭(1772)三人兄弟「もふ親父どのに知れても、そせうはせぬ」

  ④ 裁判によって法律関係を確定し対立する当事者間の紛争を解決したり、刑罰権を実現したりするため、事実の認定ならびに法律的判断を裁判所に対して求める手続き。民事訴訟、刑事訴訟などに分けられる。〔哲学字彙(1881)〕」

 

とある。

 ここでは恋の気持ちを詫びて取り成すことで、疑いはあるものの、「指上(さしあげ)ル」というのは、指を切って差し上げるということか。衆道の女方の恋とする。

 「ふしんながらも」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に謡曲『鸚鵡小町』の、

 

 「不審ながらもさし上げて、雲の上はありし昔に変らねど」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.27790-27791). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

によるとする。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   恋訴訟ふしんながらも指上ル

 告にまかせて口説申候      桃青

 (恋訴訟ふしんながらも指上ル告にまかせて口説申候)

 

 前句を裁判として、告訴状に基づき口説き申し候、とする。

 

無季。恋。

 

二十五句目

 

   告にまかせて口説申候

 ああ稲荷くるしき中をおもへただ 似春

 (ああ稲荷くるしき中をおもへただ告にまかせて口説申候)

 

 前句の「告(つげ)」をお稲荷さんのお告げとする。

 

無季。恋。神祇。

 

二十六句目

 

   ああ稲荷くるしき中をおもへただ

 杉の庵に腹ぞさびしき      春澄

 (ああ稲荷くるしき中をおもへただ杉の庵に腹ぞさびしき)

 

 稲荷といえば験の杉で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「京都の伏見稲荷大社の境内にある杉。二月の初午(はつうま)の日、参詣人はその枝を手折ってお守りにしたり、また、持ち帰って植え、枯れるか枯れないかによって、禍福を占ったりしたもの。験(しるし)の杉。

  ※大鏡(12C前)二「いなりのすぎのあらはにみゆれば、明神御らむずらんに、いかでかなめげにてはいでん」

 

とある。

 ここでは稲荷に杉の縁で、前句の「くるしき中」を空腹のおなかとして、貧しい草庵のこととする。

 杉の庵は槇立山の庵で、

 

 寂しさはその色としもなかりけり

     槙立つ山の秋の夕暮れ

              寂蓮法師(新古今集)

 

を腹のさびしさとする。

 

無季。「杉」は植物、木類。「庵」は居所。

 

二十七句目

 

   杉の庵に腹ぞさびしき

 針立の玄賓僧都見まはれて    桃青

 (針立の玄賓僧都見まはれて杉の庵に腹ぞさびしき)

 

 玄賓僧都はウィキペディアに、

 

 「玄賓(げんぴん、天平6年(734年)- 弘仁9年6月17日(818年7月23日))は、奈良時代から平安時代前期の法相宗の僧。河内国の出身。俗姓は弓削氏。

 興福寺の宣教に法相教学を学び、その後伯耆国会見郡に隠棲し、その後備中国哲多郡に移った。805年(延暦24年)桓武天皇の病気平癒を祈願し、翌806年(延暦25年)大僧都に任じられたが玄賓はこれを辞退している。」

 

とある。

 鴨長明の『発心集』には、

 

 「むかし、玄敏僧都(げんぴんそうず)といふ人ありけり。山科寺の、やんごとなき智者なりけれど、世をいとふ心深くして、さらに寺のまじはりを好まず。三輪河のほとりに、わづかなる草の庵をむすびてなん、思ひ入つゝ住みける。

 桓武の御門の御時、この事きこしめして、あながちにめし出だしければ、逃るべきかたなくて、なまじゐに交はりけり。されども、なほ本意ならず思ひけるにや、奈良の御門の御代に、大僧都になし給けるを辞し申すとて詠める、

 

 三輪川のきよき流れにすすぎてし

     ころもの袖をまたはけがさじ

 

とてなん奉りける。」

 

とある。三輪の大神(おおみわ)神社の神杉の縁で、杉の庵の主を玄敏僧都とする。

 桓武天皇の病気平癒を祈願だけでなく平城上皇の病気平癒も行っているが、ここでは針立(針治療)の医者とした。その都度禄を断っているので腹はすいてる。

 

無季。

 

二十八句目

 

   針立の玄賓僧都見まはれて

 秋果ぬれば湯山の月       似春

 (針立の玄賓僧都見まはれて秋果ぬれば湯山の月)

 

 鴨長明の『発心集』に玄賓の、

 

 山田もるそうづの身こそあはれなれ

     秋はてぬれどとふ人もなし

 

の歌がある。案山子のことも「僧都」ということから、「山田守る僧都」になる。

 前句を玄賓が針立のお世話になってとして、それでも病気が治らず有馬の湯で療養する。

 

季語は「秋果ぬれば」で秋。「湯山」は有馬の湯で名所。「月」は夜分、天象。

 

二十九句目

 

   秋果ぬれば湯山の月

 あみ楊枝きのふは峯の薄紅葉   春澄

 (あみ楊枝きのふは峯の薄紅葉秋果ぬれば湯山の月)

 

 「あみ楊枝」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「有馬名産染楊枝。くろもじを十本程藁で編み、温泉につけて色を染めた楊枝(有馬名所鑑)」

 

とある。有馬温泉は昨日はあみ楊枝を染めたような薄紅葉でも、秋の一日が終われば月も美しい。

 月に薄紅葉は、

 

 宵の間の月の桂の薄紅葉

     照るとしもなき初秋の空

              鴨長明(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「薄紅葉」で秋、植物、木類。「峯」は山類。

 

三十句目

 

   あみ楊枝きのふは峯の薄紅葉

 四五文ほどが露時雨るらん    桃青

 (あみ楊枝きのふは峯の薄紅葉四五文ほどが露時雨るらん)

 

 あみ楊枝は四五文で買えたのか、峯の薄紅葉に四五文ほどの露時雨になる。露時雨と紅葉は、

 

 白露も時雨もいたくもる山は

     下葉のこらず色づきにけり

              紀貫之(古今集)

 

の歌の縁になる。

 

季語は「露時雨」で秋、降物。

二裏

三十一句目

 

   四五文ほどが露時雨るらん

 夕日影光はちよくにかたぶきて  似春

 (夕日影光はちよくにかたぶきて四五文ほどが露時雨るらん)

 

 「ちよく」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「猪口」とあり、前句の四五文を御猪口一杯の酒の値段としたとある。

 時雨の夕日影は、

 

 夕日影群たる田鶴はさしながら

     時雨の雲ぞ山廻りする

              藤原定家(拾遺愚草)

 

の歌がある。

 

無季。「夕日影」は天象。

 

三十二句目

 

   夕日影光はちよくにかたぶきて

 塩からあらふ沖津白浪      春澄

 (夕日影光はちよくにかたぶきて塩からあらふ沖津白浪)

 

 酒の肴の塩辛は海で獲れるから、夕陽とともに白波に洗われるとする。『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある通り、

 

 なごの海の霞の間よりながむれば

     入日をあらふ沖津白浪

              藤原実定(新古今集)

 

による。

 

無季。「沖津白浪」は水辺。

 

三十三句目

 

   塩からあらふ沖津白浪

 竹戸棚阿波の鳴門や明ぬらん   桃青

 (竹戸棚阿波の鳴門や明ぬらん塩からあらふ沖津白浪)

 

 塩辛を竹戸棚から取り出す。鳴門海峡が開いたみたいに塩辛が出てくる。

 鳴戸の沖津白波は、

 

 けふ春に鳴戸の浦をながむれば

     いつしか霞む沖津白波

              藤原範光(正治後度百首)

 

の歌がある。

 

無季。「阿波の鳴門」は名所、水辺。

 

三十四句目

 

   竹戸棚阿波の鳴門や明ぬらん

 渦きりきりとまきし蜘蛛の巣   似春

 (竹戸棚阿波の鳴門や明ぬらん渦きりきりとまきし蜘蛛の巣)

 

 竹戸棚を明けるとまるで鳴門だ、蜘蛛の巣の渦がきりきりと廻っている。

 

無季。「蜘蛛」は虫類。

 

三十五句目

 

   渦きりきりとまきし蜘蛛の巣

 山一つこぶの根おろし花の雲   桃青

 (山一つこぶの根おろし花の雲渦きりきりとまきし蜘蛛の巣)

 

 春澄の番だが桃青に花を譲る。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「瘤の山から吹く山颪。前句の巣→こぶの根。和漢三才図絵『蜘蛛─蜘蛛ノ網ヲ以テ疣贅(イボコブ)ヲ纏ヘバ七日ニシテ消落チ験有リ』。」

 

とある。前句の「渦きりきりと」をつむじとし、こぶの毛の禿げているところを花の雲に見立てる。

 

季語は「花の雲」で春、植物、木類。「山」は山類。

 

挙句

 

   山一つこぶの根おろし花の雲

 耳せせかくす岸の青柳      春澄

 (山一つこぶの根おろし花の雲耳せせかくす岸の青柳)

 

 「耳せせ(完骨・咡)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「みみぜぜ」とも) 耳の後ろにある、少し高くなった部分。耳のつけね。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※浮世草子・男色大鑑(1687)三「咡(ミミセセ)には昔の垢の名残も見え」

 

 前句の頭の見立てに、耳の所の髪の毛はさながら青柳のようだとして、一巻は目出度く終わる。

 柳と桜は、

 

 見わたせば柳桜をこきまぜて

     都ぞ春の錦なりける

              素性法師(古今集)

 

の縁で、春の錦を折り成して目出度く一巻は終わる。

 

季語は「青柳」で春、植物、木類。「岸」は水辺。