「空豆の花」の巻、解説

元禄七年夏(『炭俵』)

初表

    ふか川にまかりて

 空豆の花さきにけり麦の縁     孤屋

    昼の水鶏のはしる溝川    芭蕉

 上張を通さぬほどの雨降て     岱水

    そっとのぞけば酒の最中   利牛

 寝処に誰もねて居ぬ宵の月     芭蕉

    どたりと塀のころぶあきかぜ 孤屋

 

初裏

 きりぎりす薪の下より鳴出して   利牛

    晩の仕事の工夫するなり   岱水

 妹をよい処からもらはるる     孤屋

    僧都のもとへまづ文をやる  芭蕉

 風細う夜明がらすの啼わたり    岱水

    家のながれたあとを見に行  利牛

 鯲汁わかい者よりよくなりて    芭蕉

    茶の買置をさげて売出す   孤屋

 この春はどうやら花の静なる    利牛

    かれし柳を今におしみて   岱水

 雪の跡吹はがしたる朧月      孤屋

    ふとん丸けてものおもひ居る 芭蕉

 

 

二表

 不届な隣と中のわるうなり     岱水

    はっち坊主を上へあがらす  利牛

 泣事のひそかに出来し浅ぢふに   芭蕉

    置わすれたるかねを尋ぬる  孤屋

 着のままにすくんでねれば汗をかき 利牛

    客を送りて提る燭台     岱水

 今のまに雪の厚さを指てみる    孤屋

    年貢すんだとほめられにけり 芭蕉

 息災に祖父のしらがのめでたさよ  岱水

    堪忍ならぬ七夕の照り    利牛

 名月のまに合せ度芋畑       芭蕉

    すたすたいふて荷ふ落鮎   孤屋

 

二裏

 このごろは宿の通りもうすらぎし  利牛

    山の根際の鉦かすか也    岱水

 よこ雲にそよそよ風の吹出す    孤屋

    晒の上にひばり囀る     利牛

 花見にと女子ばかりがつれ立て   芭蕉

    余のくさなしに菫たんぽぽ  岱水

      参考;『「炭俵」連句古註集』竹内千代子編、1995、和泉書院

         『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館

初表

発句

 

   ふか川にまかりて

 空豆の花さきにけり麦の縁(へり)  孤屋(こをく)

 

 元禄七年(一六九四)初夏、深川芭蕉庵での興行の発句。このすぐあと五月十一日には芭蕉は西へと最後の旅に出る。

 初夏は麦秋ともいわれ、麦の穂が稔り、葉は枯れ、あたかも晩秋の田んぼのようになる。

 ソラマメもまた春から初夏にかけて、白と濃い紫とのコントラストのある、可憐な花をつける。「まかりて」は田舎に下る時の言い回しであり、都に上るときには「まうでて」となる。

 この句は都を離れて田圃を尋ねる句であり、芭蕉を陶淵明のような田園の居に隠棲する隠士に見立ての句だ。

 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には「まかりハ、あなへゆくに用る詞。まうでハ、此方へ来る事に用る詞。」とあり、『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)には「都へハ参といひ、鄙へハまかるといふ。」とある。

 

季題は言葉はなくても内容からいえば「麦秋」で夏。「豆の花」という春の季題があるが、ここでは麦秋の風景であるため、句全体として夏の句となる。「空豆」「麦」はともに草類。

 連歌や蕉門の俳諧は実質季語で、句全体の内容から季節を判断する。これに対して近代俳句は「季語」が使われていればほぼ自動的に一定の季節に分類される形式季語で、そのため季重なりがあったときにも、実質的な季節で判断せずに自動的に判断するため混乱が生じる。そのため近代俳句では季重なりに対して厳しくなる傾向にある。

 『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にも「蚕豆(そらまめ)は夏季、其花は春季のもの、麦は夏季のものなれども、冬の播種より長く畠に在り。されば此句空豆の花とあるに、季の春、夏おぼつかなしと難ずる者あり。されど蚕豆の花、夏猶ほ咲くあれば、麦の縁とあるにかけて、夏季の句なることに論無し。」とある。近代俳句の立場から「季の春、夏おぼつかなし」という人も多かったのだろう。

 芭蕉の時代より一世紀くらい後だが、

 

 そら豆やただ一色に麦のはら  白雄

 

という句がある。

 

   空豆の花さきにけり麦の縁

 昼の水鶏(くひな)のはしる溝川   芭蕉

 (空豆の花さきにけり麦の縁昼の水鶏のはしる溝川)

 

 クイナは水田などに住むが、夜行性でなかなか人前に姿を表わさない。そのクイナが昼間に姿を表わしたということで、珍しいお客が芭蕉庵に尋ねてきてくれたことの寓意としている。

 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「発句ニ珍シカル体有ヨリ、昼ノ水鶏ト珍ラシク言テ其姿ヲ附タリ。」とある。

 

季題は「水鶏」で夏。水辺、鳥類。「溝川」も水辺。

 

第三

   昼の水鶏のはしる溝川

 上張(うはばり)を通さぬほどの雨降て  岱水(たいすい)

 (上張を通さぬほどの雨降て昼の水鶏のはしる溝川)

 

 水鶏が昼に出てきたのを、雨で行く人も稀だからだとする。そんな雨の中、上張を羽織って行く人は旅人か。

 『梅林茶談』(櫻井梅室著、天保十二年刊)には「卯月の空あたたなるに、小雨ふりかかりたる野路を過る旅人のさまなるべし。」とある。上に羽織るものを一般に上張りというなら、旅人の着る半合羽も含まれるのか。

 

無季。「上張」は衣装。「雨」は降物。

 

四句目

    上張を通さぬほどの雨降て

 そっとのぞけば酒の最中     利牛(りぎう)

 (上張を通さぬほどの雨降てそっとのぞけば酒の最中)

 

 前句の「上張を通さぬほど」はここでは雨の状態を表す単なる比喩になる。外は雨が降ってるので仕事も休み、家の中で密かに酒を飲んでいる。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「静なる日をたのしミ居たらん。そっとの語余情あり。」とある。

 

無季。

 

五句目

   そっとのぞけば酒の最中

 寝処に誰もねて居ぬ宵の月    芭蕉

 (寝処に誰もねて居ぬ宵の月そっとのぞけば酒の最中)

 

 「宵の月」というのは、まだ日も暮れてないうちから見える月のことで名月のことではない。旅の疲れで寝床で休んでいたが、いつの間にか誰もいなくなっている。何だ、みんな酒を飲んでいたか。七夕の頃の宴の句。

 土芳の『三冊子(さんぞうし)』(元禄十五年成立)には、「前句のそつとといふ所に見込て、宵からねる体してのしのび酒、覗出だしたる上戸のおかしき情を付けたる句也。」とある。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「打よりて遊びうかれてあるくなど、七夕頃の夜ルの賑ひとも広く見なして趣向し給ひけん。」とある。

 

季題は「月」で秋。夜分、天象。「寝処(ねどころ)」は居所。「誰」は人倫。

 

六句目

   寝処に誰もねて居ぬ宵の月

 どたりと塀のころぶあきかぜ   孤屋

 (寝処に誰もねて居ぬ宵の月どたりと塀のころぶあきかぜ)

 

 前句を若い衆のみんな遊びにいってて誰もいないとし、塀が倒れて起こさなくてはいけないのにという、主人のぼやきとした。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「折あしく事ある体、附合の死活を考ふべし。」とある。

 秋風で塀が倒れたのではなく、古くなってた塀が倒れて秋風が吹き込んできたと見たほうがいいと思う。月が出てみんな浮かれ歩いて留守なのに野分の風は無理がある。

 今日だと漫画アニメなどの温泉回のお約束の場面も浮かぶが、昔の風呂は混浴が普通だったのでそれはない。ただ、酔って暴れまわったり相撲を取ったりして塀が倒れたというのはあるかもしれない。

 

季題は「秋風」は秋。「塀」は居所。

初裏

七句目

   どたりと塀のころぶあきかぜ

 きりぎりす薪の下より鳴出して  利牛

 (きりぎりす薪の下より鳴出してどたりと塀のころぶあきかぜ)

 

 前句を古くなって横倒になった塀とし、人住ぬ荒れ果てた家に放置された薪の下ではキリギリス(今でいうコオロギ)が鳴き出して、しみじみ秋を感じさせる。

 

季題は「きりぎりす」で秋。虫類。鳴く虫は通常夜分で、打越に月があるため輪廻になるが、難かしい展開のところなので流したのだろう。コオロギは別に昼に鳴いていてもいい。『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「虫ハ夜分にして差合を繰べからずとハ、鳴くことの夜分に限らざれバならし。爰に後句の働を賛せざらんや。」とある。

 

八句目

   きりぎりす薪の下より鳴出して

 晩の仕事の工夫するなり     岱水

 (きりぎりす薪の下より鳴出して晩の仕事の工夫するなり) 

 

 夕暮れてコオロギの鳴きだす頃、薪を割ったりくべたりしながら、夜の仕事のことを考えている。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「仕事ハ薪に用あり。」とある。薪に仕事が付くといっても良いだろう。薪という体に仕事という用を付ける物付けになる。

 

無季。「晩」は夜分。

 

九句目

   晩の仕事の工夫するなり

 妹をよい処からもらはるる    孤屋

 (妹をよい処からもらはるる晩の仕事の工夫するなり)

 

 妹が良家に嫁に行くことが決まったが、それには相応の婚資もいれば衣装もいる。嬉しいけど頭の痛いことでもある。

 

無季。「妹を‥‥もらはるる」は恋。「妹」は人倫。

 

十句目

   妹をよい処からもらはるる

 僧都のもとへまづ文をやる    芭蕉

 (妹をよい処からもらはるる僧都のもとへまづ文をやる)

 

 これは恵心僧都(えしんそうず)の面影。恵心僧都は天台宗の僧、源信(九四二~一〇一七)のことで、横川の僧都とも呼ばれ、『源氏物語』「手習い」に登場する横川の僧都のモデルと言いわれている。光源氏の子薫(かおる)と孫の匂宮(においのみや)との三角関係から身投みなげした浮船(うきふね)の介護をし、かくまっていた横川の僧都こそ、恋の相談にふさわしい相手。妹の良縁も真っ先に知らせなくては、ということになる。

  晩年の芭蕉は「軽み」の体を確立して、出典にこだわらない軽い付けを好んだが、源氏物語ネタは昔からの連歌・俳諧の花であり、嫌うことはなかった。このことは『去来抄』にも、『猿蓑』の撰の時、物語の句が少ないと言って、

 

 粽(ちまき)結ふかた手にはさむ額髪(ひたひがみ) 芭蕉

 

の発句を新たに書き加えたエピソードからもうかがわれる。

 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「ココニ僧都ト出セルは、活法ト可言。但、余情ハ恵心僧都ノ妹ノ面影ナルベシ。」とある。

 出展を知らないと意味が通りにくいような付けは「本説」で、「面影(俤)」という場合は、出典を知らなくても一応の意味が通るが、知っているとより味わい深いものになるような、出典に必ずしも依存しない付け方を言う。

 

無季。「僧都」は人倫(僧都は案山子を意味する場合があり、その場合は非人倫となる)。釈教。「文をやる」は恋。

 

十一句目

   僧都のもとへまづ文をやる

 風細う夜明がらすの啼きわたり   岱水

 (風細う夜明がらすの啼きわたり僧都のもとへまづ文をやる)

 

 出典のある句が困るのは、「僧都」を出した時点でイメージが『源氏物語』の横川の僧都に限定され、展開が重くなることだ。そのため、「軽み」の風では好まれなくなった。

 出典には別の出典でというのが一応の定石。ここは中世歌壇を代表する頓阿法師(とんなほうし)が小倉で秘会を催すことを兼好法師に知らせるために、深夜に使いを出して、明け方に横川の兼好法師のもとに到着したという古事による。

 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には「前句夫々ヘモヤレド、遠キ兼好僧都の許へ先文をやる体ト見立、夜深の様を付たり。風細う夜明烏の鳴渡トハ、兼好のござる横川へハ、小倉の頓阿の許より余程あれバと、夜深に支度させれど、此使臆病にて猶予のうち、漸明けれバいざと出ゆく様也。」とある。

 もちろん、出典と関係なく、単に景色を付けて流した「遣り句」と見てもいい。そこはあくまで面影。

 

無季。「夜明」は夜分。「からす」は鳥類。

 

十二句目

   風細う夜明がらすの啼きわたり

 家のながれたあとを見に行    利牛

 (風細う夜明がらすの啼きわたり家のながれたあとを見に行)

 

 風も細くなって嵐も去り、夜も明け、ようやく家の流された跡を見に行く。洪水の中を必死に逃げた昨日のことが思い出される。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「雨も漸く晴たるふぜいと見たらん。明侍かねてどやどや出るあんばい自然いふべからず。」とある。

 「雪の松」の巻に、

 

   粟をかられてひろき畠地

 熊谷の堤きれたる秋の水     岱水

 

の句がある。元禄元年(一六八八)に荒川大洪水があったから、このころはまだそのときの記憶が鮮明だったのだろう。

 

無季。「家」は居所。「ながれた」は水辺。

 

十三句目

   家のながれたあとを見に行

 鯲(どぢゃう)汁わかい者よりよくなりて 芭蕉

 (鯲汁わかい者よりよくなりて家のながれたあとを見に行)

 

 「よくなりて」はよく食いてという意味。洪水の後には水の引いた地面にドジョウが落ちていたりしたのか。酸いも甘いも噛み分けてきた老人だけに、そこは落ち着いたもので、これこそ塞翁が馬、災転じて福と成すとばかりに、家の流れたあとを見に行っては、拾ってきたドジョウを食いまくる。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「後附の二句一章といハん。」とある。後ろ付けは七七の下句に五七五の上句を付けたときに、後から付けた五七五に七七が続き、五七五七七の和歌のように読み下せる付け方を言う。

 本来連歌ではこのように付けていたのだが、「て」止めに限っては七七に五七五を続けるような前付けでもいいとされてきた。それがちょうどこの元禄の頃から崩れ始めて、七七に五七五を付ける時には前付けが普通になり、この芭蕉の句のような古風な付け方を「後ろ付け」と呼ぶようになっていった。

 二句一章も、本来連歌は上句と下句を合わせて一種の和歌を完成させるゲームだったのだが、それが次第に忘れ去られ、こういう昔風の一首の和歌としてすんなり読み下せる付け方を二句一章と呼ぶようになった。

 

無季。「わかい者」は人倫。

 

十四句目

   鯲汁わかい者よりよくなりて

 茶の買置をさげて売出す     孤屋

 (鯲汁わかい者よりよくなりて茶の買置をさげて売出す)

 

 ドジョウ汁には酒が付き物というわけで、酒の飲みたい老人は茶の買い置き

 

を安く売って、金を工面する。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「商のうへ飲む以為に転ぜり。与奪なり。」とあり、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「酒好親父トミテ、此頃ハ酒デモヒツパクニ附テト言意ヲ、此方ヨリ前句へ与エテ奪ヒ終レリ。」とある。

 

無季。

 

十五句目

   茶の買置をさげて売出す

 この春はどうやら花の静なる   利牛

 (この春はどうやら花の静なる茶の買置をさげて売出す)

 

 花の定座を二句繰り上げている。茶会から花見の連想が働くため、それを逃す必要はない。

 当時はまだ今のような煎茶がなく抹茶が主流で、花見の季節にはお茶会も盛んに開かれ需要が増える。それが景気が悪かったりして花見が盛りあがらないとなれば、花見特需による値上がり見込んで買占めた茶も安く放出せざるをえなくなる。

 『梅林茶談』(櫻井梅室、天保十二年刊)には「前句のさげて売出すをこころにとめて、此春は何となく不景気にて、商もはかばかしからず。花見に行人も例年よりハすくなしと思ひとりて、花も静なりと軽く作せり。」とある。

 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)に「北枝考、前句茶の買置を下てうるハ、世上不景気ト見立其時節を付たりト云り。」とあるから、芭蕉の『奥の細道』の旅でも交流のあった北枝の説が元になっているようだ。

 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)に「新茶ノ頃ニナレバ、買オキノ茶ヲヤスクウル。」とあるが、抹茶は半年壺に入れて寝かせるため新茶の季節は十一月になる。

 

季題は「春」と「花」で春。「花」は植物、木類。

 

十六句目

   この春はどうやら花の静なる

 かれし柳を今におしみて     岱水

 (この春はどうやら花の静なるかれし柳を今におしみて)

 

 素性法師の歌に、

 

 見渡せば柳桜をこきまぜて

    都ぞ春のにしきなりける

             素性法師

 

とあるように、桜と柳はともに春を彩るもので付き物。桜の木のそばにあった柳が枯れてしまえば、桜もどこか寂しげで、枯た柳を惜しんでいるように見える。

 『梅林茶談』(櫻井梅室、天保十二年刊)には「古年の春までは、柳のみどりもたち添ひて、花も一しほうるはしかりしに、其柳かれて花も淋しくおもはるると一転して付られたり。」とある。

 

季題は「柳」は春。植物、木類。「枯し柳」はここでは冬で葉の落ちた柳の意味ではないので、冬の季語ではない。

 

十七句目

   かれし柳を今におしみて

 雪の跡吹はがしたる朧月     孤屋

 (雪の跡吹はがしたる朧月かれし柳を今におしみて)

 

 柳に積もっていた雪も春の風に吹きはがされて、朧月が出ている。しかし、柳は枯たままで緑はなく、まったくもって惜しい。

 花の定座が繰り上がり月がまだだったのでここで出す。春だから「朧月」になる。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「折にふれて思ひ出たる風情ならん。」とある。

 

季題は「朧月」で春。夜分、天象。「雪」はここでは跡なので冬ではない。

 

十八句目

   雪の跡吹はがしたる朧月

 ふとん丸げてものおもひ居る   芭蕉

 (雪の跡吹はがしたる朧月ふとん丸げてものおもひ居る)

 

 春は恋の季節で、朧月の夜は寝付けけずに、布団を丸めて物思いにふける。

 この頃の蒲団は冬の夜着で、今のような四角い布団ではない。そのため蒲団は畳むのではなく丸める。春とは言っても雪の跡がまだ残るため、それまでは蒲団を着ていたのだろう。雪がはがれて蒲団もはがれるというあたりが細かい。月の朧も涙によるものでもあるかようだ。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「朦朧たる春宵に閨愁のさまをよせ給ひけん。はがしたるの語もまた用あるに似たり。」とある。

 

季題は「ふとん」で冬。衣装。「ものおもひ」は恋。

二表

十九句目

   ふとん丸げてものおもひ居る

 不届な隣と中のわるうなり     岱水

 (不届な隣と中のわるうなりふとん丸げてものおもひ居る)

 

 隣同士の幼い恋も、親同士仲が悪くて、さながらロミオとジュリエット?

 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)に「隣と中悪くなり物を思ひゐる也。」とあり、これはわかりやすい。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「後附なり。○誰かあぐべきなどいひけん。ふりハけ髪の兼言も仇になりぬる思ひなるべし。」とある。出典をひけらかしていてわかりにくいが、「誰かあぐべき」「ふりハけ髪」は『伊勢物語』の筒井筒からの引用で、幼馴染の男と女が成長につれ異性を意識し、男が女を妻にしたいと思うものの女の親に反対され、

 

 筒井つの井筒にかけしまろがたけ

    過ぎにけらしな妹見ざる間に

 

と詠む。女もこれに、

 

 くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ

    君ならずして誰かあぐべき

 

と返した。このエピソードの面影と考えたのであろう。ただ、「ふとん丸げて」だとあくまで江戸時代の設定になる。古典の風雅の当時の現代的翻案と見られなくもないが、古典のことを知らなくても十分あるあるネタになっている。

 古典の風雅を江戸の日常で表現する。それはまさに「軽み」だといえよう。

 「兼言(かねごと)」は約束の言葉。

 

 昔せし我がかねごとの悲しきは

    いかに契りしなごりなるらむ

               平定文『後撰集』

 

の用例がある。

 

無季。「中(仲)」は恋。

 

二十句目

   不届な隣と中のわるうなり

 はっち坊主を上へあがらす  利牛

 (不届な隣と中のわるうなりはっち坊主を上へあがらす)

 

 はっち坊主は鉢坊主のことで、托鉢に来た乞食坊主のこと。昔の人は信心深かったから、そんな怪しげな坊主でも食い物を恵んでやったりしたが、わざわざ家に上がらせるというのはあまりないこと。いろいろな家を訪ねる托鉢僧だから、隣の家の人間がどんなにひどいことをするか話て聞かせ、噂を広めてもらおうということか。

 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)には、「隣と不和になりたる折、鉢坊主の来たるに上へあがらせ、あくぞもくぞを咄すハ、身軽き人のさま也。」とある。「あくぞもくぞ」は人の欠点をいう。

 

無季。「はっち坊主」は釈教。人倫。

 

二十一句目

   はっち坊主を上へあがらす

 泣事のひそかに出来し浅ぢふに   芭蕉

 (泣事のひそかに出来し浅ぢふにはっち坊主を上へあがらす)

 

 田舎の荒れ果てた家に隠棲している身で、誰か亡くなったのであろう。おおっぴらに葬儀も出来ず、たまたまやってきた托鉢僧にお経を上げてもらう。

 どういう事情でおおっぴらに葬儀ができないのかは、いろいろ想像の余地がある。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)は「邸中の孫の君などなくしまいらせたる賤がふせ家に、形のごとくの営ミ事もうち憚れる按排ならんか。」とあり、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)は「幼い落君をかくまひ置しが、医療叶ハず、なくし参らせたるふせ家に、野辺の送りさへ世を憚れる按排ならんか。」とあり、『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)には「人のなくなりたるなるべけれど、ゆゑありて、まづハ人にも告ざる也。」とある。

 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)は「桐壺の更衣の母の愁傷のすがた也。」とし、『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)は「賤しからぬひとの故ありて、世をしのぶ田舎住居と、はからずも世を去りしものありて、忍ぶ身の人にも告やらで」とある。

 土芳の『三冊子』には、

 

  「桐の木高く月さゆる也

 門しめてだまって寝たる面白さ

 

この事、先師のいはく、すみ俵は門しめての一句に腹をすへたり。試に方々門人にとへば皆、泣事のひそかに出来しあさ茅生といふ句によれり。老師の思ふ所に非ずと也。」

 

とある。『炭俵』の特に評判の良かった句と言えよう。

 

無季。「なくこと」は哀傷。

 

二十二句目

   泣事のひそかに出来し浅ぢふに

 置わすれたるかねを尋ぬる  孤屋

 (泣事のひそかに出来し浅ぢふに置わすれたるかねを尋ぬる)

 

 貧しい浅茅生の家で必死に貯めた金だったが、それがどこに置いたかわからなくなったら、やはり泣きたくなる。

 前句がいわゆる有心体の深い情を持った句である場合、次の句は重くならないようにあえて卑俗に落とすことが多い。「むめがかに」の巻の、

 

   門しめてだまつてねたる面白さ

 ひらふた金で表がへする    野坡

 

と同様に考えればいい。 

 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「泣事のひそかに出来しと云より転じて、貧家のわりなき事にて質置たる金をうしなひ、家うち取かかりて捜す体を見せたり。」とある。

 

無季。

 

二十三句目

   置わすれたるかねを尋ぬる

 着のままにすくんでねれば汗をかき 利牛

 (着のままにすくんでねれば汗をかき置わすれたるかねを尋ぬる)

 

 これは夢落ち。大切な金がなくなった夢を見てはっと目が覚める。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「前句を夢に転じて汗とハいへり。しかもその字のわざとならぬ句作の工夫を察すべし。」とある。

 

無季。「汗」は近代では夏の季語だが、どのみちここでは冷や汗のことで、夏にかく汗ではない。「ねる」は夜分。

 

二十四句目

   着のままにすくんでねれば汗をかき

 客を送りて提る燭台     岱水

 (着のままにすくんでねれば汗をかき客を送りて提る燭台)

 

 昔の遊郭はいきなりことに及ぶようなことはせず、まずは遊女の姿を垣間見、やがて対面するが、そこでも話をするだけ。遊びなれぬ客は間が持てずにもじもじするばかりで、酒ばかりかっくらって、ついには居眠り。冷や汗かきながら、遊女の灯す燭台で送ってもらう。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「初対面なる遊女とも見たらん。」とある。

 

無季。「客」は人倫。「燭台」は夜分。

 

二十五句目

   客を送りて提る燭台

 今のまに雪の厚さを指してみる    孤屋

 (今のまに雪の厚さを指してみる客を送りて提る燭台)

 

 「今の間」はちょっとの間ということ。客を送り出だした後、またたく間に

 

積もった雪を杖で指して計りながら、客を送るときに門に提げた燭大の蝋燭が

 

あたりを照らしている。

 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)には「客を送りて出れバ、思ひの外に雪積りし也。」とある。

 

季題は「雪」で冬。降物。

 

二十六句目

   今のまに雪の厚さを指してみる

 年貢すんだとほめられにけり 芭蕉

 (今のまに雪の厚さを指してみる年貢すんだとほめられにけり)

 

 またたく間に積もる雪を見て、粋な代官が杖で雪の深さを測りながら、「うむ。これで年貢もすんだな」とでも言ったのだろうか。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「雪に豊年の故語あるより趣向し給ひけん。もしくハ県令の巡見などミゆ。前句に実をとめたるの附にあらず。」とある。

 「雪に豊年の故語」というのは、『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)に「雪ハ豊年の瑞といふ事ハ、韓退之の父に、春雲始繋時、雪遂降実豊年之喜瑞也。」とあるそのことを言うと思われる。出典はよくわからない。韓退之の父は韓仲卿で、韓愈(韓退之)三歳の時に死別したという。

 

季題は「年貢納」で冬。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の冬之部に「年貢納」があり、「青藍云、年貢納といへること、増山の井及び苧環にこれを載せず。しかりといへども、[炭俵集]にㄟ今の間に雪のふかさをさしてみる、といへる前句に、ㄟ年貢すんだとほめられにけり 芭蕉 又、ㄟ千鳥なくひとよひとよに寒うなり、と云る前句に、ㄟ未進の高のはてぬ算用 芭蕉、云々。いづれも冬季にいれたれば、冬季として子細あるまじ。」とある。

 

二十七句目

   年貢すんだとほめられにけり

 息災に祖父(ぢぢ)のしらがのめでたさよ  岱水

 (息災に祖父のしらがのめでたさよ年貢すんだとほめられにけり)

 

 今年も無病息災で祖父も元気で働くことができた。おかげで年貢も早く納めて褒められた。

 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)に「前句の人也。」とある。年貢すんだと褒められた人がどういう人なのかを付けた句。

 

無季。「祖父」は人倫。

 

二十八句目

   息災に祖父のしらがのめでたさよ

 堪忍ならぬ七夕の照り    利牛

 (息災に祖父のしらがのめでたさよ堪忍ならぬ七夕の照り)

 

 七夕の頃の日のジリジリと照りつける中を、若い者に負けじと農作業に精を出す老人。まさに無病息災目出度いかぎりである。

  今いまは高齢化社会で老人は珍らしくないが、死亡率の高い江戸時代では人口もピラミッド型。老人になるまで生きられるのが稀な時代。それゆえ元気で闊達な老人は若者の憧れでもあり、無条件に尊敬された。

 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「健ナル爺ノ田野ニ出テ、残暑ニ愁ザル趣言外也。」とある。

 さて、次は月の定座だが、七夕の昼からどうもって行くか。

 

季題は「七夕」は秋。

 

二十九句目

   堪忍ならぬ七夕の照り

 名月のまに合はせ度(たき)芋畑       芭蕉

 (名月のまに合はせ度芋畑堪忍ならぬ七夕の照り)

 

 夏の旱魃に里芋の生育を気遣う。名月には昔は里芋を具え、豊年を祈った。そのため「芋名月」という言葉もある。

 月の定座だが、七夕の昼の句にそのままでは月は付けられない。こうした場合は時間の経過で乗り切るのが一応の定石といえよう。『去来抄』の

 

   ぽんとぬけたる池の蓮の実

 咲く花にかき出す橡(えん)のかたぶきて   芭蕉

 

の句や、

 

    くろみて高き樫木の森

  咲く花に小き門を出つ入つ   芭蕉

 

の句もそうした一つの例といえよう。

 『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)には「名月の 月前七夕の照と出て、常の月ハ附られず。よって斯あしらひたる時候附也。」とある。   

 

季題は「名月」で秋。夜分、天象。「芋」も秋で植物、草類。二十五句目に「今のまに」とあり、ここでも「名月のまに」とあるが、俳諧では同字三句去りなので問題はない。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にも「かかることを兎角いふべきにはあらず」とある。 

 

三十句目

   名月のまに合はせ度芋畑

 すたすたいふて荷なふ落鮎   孤屋

 (名月のまに合はせ度芋畑すたすたいふて荷なふ落鮎)

 

 前句を「名月の芋畑で、まに合わせたき(とばかりに)」と読み、名月の芋畑を背景として「すたすたいふて」とつながる。「すたすたいふて」は「すたすたと」という意味。「落ち鮎」は秋の産卵後の鮎のことで、時期が限られるため、急いで売らなくてはならない。

 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「間に合せたきといふ詞を噺の上と取なし、鮎売どもの道すがらと思ひよせたり。」とある。

 

季題は「落鮎」で秋。水辺。なぜか連歌の式目には獣類や虫類、鳥類はあっても「魚類」はない。

二裏

三十一句目

   すたすたいふて荷なふ落鮎

 このごろは宿の通りもうすらぎし  利牛

 (このごろは宿の通りもうすらぎしすたすたいふて荷なふ落鮎)

 

 前句の「すたすたいふて」を客がいないからだとする。

 『月居註炭俵集』(年次不詳、文政七年江森月居没す)には「落鮎の多くとれる時分、秋もすゑになり行、旅人の通りもうすらぎし也。」とある。『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「暮秋の光景。」とだけある。

 

無季。「宿」は居所。

 

三十二句目

   このごろは宿の通りもうすらぎし

 山の根際(ねぎは)の鉦(かね)かすか也 岱水 

 (このごろは宿の通りもうすらぎし山の根際の鉦かすか也) 

 

 さびれた宿場はシーンと静まりかえっていて、平地と山との境目あたりから、チーンと鉦を叩く音が聞きこえてくる。

 名残の裏に入り、軽く流すような付け。ただ、宿場が寂れたから落ち鮎売りもすたすた通り過ぎるという付けに、同じように、宿場が寂れたから遠くの鉦の音が聞きこえると付けるあたりは、やや展開に乏しい。

 『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「会釈の附にして、寂莫をたすく。」とある。鉦は『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)に「山根の常念仏の鉦」とある。 

 

無季。「山の根際」は山類。「鉦」は釈教。

 

三十三句目

   山の根際の鉦かすか也

  よこ雲にそよそよ風の吹出(ふきいだ)す    孤屋 

 (よこ雲にそよそよ風の吹出す山の根際の鉦かすか也) 

 

 「横雲」というのは、

 

  春はるの夜よるの夢の浮橋とだえして

    峰にわかるるよこぐものそら

                   藤原定家

 

の歌も思い起こされるように、明け方の雲。夜明けの景色に転じる。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「夕時を朝時に転ず。」とある。『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「鉦かすかなりといふより明ぼのの空の星の光りおさまり、上もなく静なるに西風のわづかにふくさま也。洛外などの景様なるべし。」とある。 

 

無季。「よこ雲」は聳物。 

 

三十四句目

   よこ雲にそよそよ風の吹出す

 晒(さらし)の上にひばり囀(さへづ)る  利牛

 

(よこ雲にそよそよ風の吹出す晒の上にひばり囀る) 

 

 芭蕉の貞享五(一六八八)年夏に岐阜で書かかれた『十八楼の記』に、

 

 「たなかの寺は杉の一村(ひとむら)にかくれ、岸にそふ民家は竹のかこみのみどりも深し。さらし布所々に引きはへて、右にわたし舟うかぶ。」

 

とある。河原ではしばしば布を引き伸ばして晒す風景が見られた。ここでは暁の空に薄くたなびく横雲とその引き干た晒し布とが重なり合うようだ。

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「日和と見て附たらん。」とある。横雲にそよ風で今日はいい天気になりそうだ、というところで雲雀を登場させる。 

 

季題は「ひばり」で春。鳥類。

 

三十五句目

   晒の上にひばり囀る

 花見にと女子(をなご)ばかりがつれ立ちて 芭蕉

 (花見にと女子ばかりがつれ立ちて晒の上にひばり囀る) 

 

 女のおしゃべりは雲雀のさえずりにたとえられる。

 『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「人倫の噂遠きよりいえりけん。女子斗といふにほのかに響きあるハ囀るの字ならん。姦の字を思ふべし。」とある。雲雀の囀りと女の姦しさが「響き」となって付いている。

 

季題は「花見」で春。植物、木類。「女子」は人倫。 

 

挙句

   花見にと女子ばかりがつれ立ちて

 余のくさなしに菫たんぽぽ  岱水 

 (花見にと女子ばかりがつれ立ちて余のくさなしに菫たんぽぽ) 

 

 「余の」は他のということ。「くさ」は草と種(くさ)との両方に掛かる。

 

女ばかりで他の者もいずに、菫やタンポポのようだ。 

 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「女バカリと言ヨリ、余ノ草ナシトハ作レリ。但、木瓜・薊ノ類ヒニハ有デ、菫・蒲公英トハ議敷草ノ名ニテ、女ト言ニ栞タリ。」とある。

 女ばかりと菫・蒲公英が響き付けとなる。

 

季題は「菫」と「たんぽぽ」で春。植物、草類。