「稲葉山」の巻、解説

貞享四年十一月二十六日荷兮宅にて

初表

   同じ月末の五日の日名古や荷兮宅へ行たまひ

   ぬ。同二十六日岐阜の落梧といへる者、我宿

   をまねかん事を願ひて

 凩のさむさかさねよ稲葉山    落梧

   よき家続く雪の見どころ   芭蕉

 鵙の居る里の垣根に餌をさして  荷兮

   黍の折レ合道ほそき也    越人

 有明の夜中は人の影もなし    蕉笠

   湊に舟の入かかる声     舟泉

 

初裏

 住居するあたり見立に歩行らん  野水

   芥子など有て竹痩し村    落梧

 被とる顔色白くおとろへて    芭蕉

   あの髪そりて来るかいたわし 荷兮

 精出して金持心はづかしく    越人

   紅葉をのみに薪伐ル山    蕉笠

 雨降りの蜩声のあわれなり    舟泉

   硯もなくて居るか秋の野   野水

 糸はづれ琴掻さがす月の下    落梧

   まだ目の覚ぬ眉のうつくし  越人

 しのび来し鐘撞堂の花盛     野水

   追行蝶の高くなりけり    舟泉

 

 

二表

 青々と動かぬ石の長閑にて    蕉笠

   酔てまたぬる此橋のうへ   芭蕉

 夕暮は諷もきかぬ蓮池に     荷兮

   行水したるさまの児ども   野水

 追帰る木幡の馬をかざりつれ   芭蕉

   半よごれし蔀おろしつ    落梧

 寝たければ絵を書さして寐成けり 越人

   女師走の月とちぎるか    荷兮

 雪の日の碪に泪落したる     野水

   柴焼壁の破れてほろほろ   蕉笠

 砂原の川をこちらに宮有て    舟泉

   終に牛をば捨ずつり行    野水

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   同じ月末の五日の日名古や荷兮宅へ行たまひ

   ぬ。同二十六日岐阜の落梧といへる者、我宿

   をまねかん事を願ひて

 凩のさむさかさねよ稲葉山    落梧

 

 岐阜の稲葉山といえば斎藤利永によって築城された稲葉山城があり、後にこの斉藤氏を引き継いだ斉藤道三の城としても有名だ。そのあと織田信長がここに入り名前を岐阜城に改めた。ただ一六〇一年に徳川家康によって廃城となり、芭蕉の時代にはどうなっていたのかはよくわからない。金華山ともいう。

 この日は岐阜から来た落梧がゲストということで発句を詠む。

 「凩(こがらし)」は貞享元年に名古屋に来た時の、

 

 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉  芭蕉

 

の句によるものだろう。稲葉山には伊吹颪と呼ばれる木枯しが吹くが、その木枯しの季節に狂句木枯しの芭蕉さんが来ていただければ、という意味だろう。

 

季語は「凩」「さむさ」で冬。「稲葉山」は名所、山類。

 

 

   凩のさむさかさねよ稲葉山

 よき家続く雪の見どころ     芭蕉

 (凩のさむさかさねよ稲葉山よき家続く雪の見どころ)

 

 「さむさかさねよ」と芭蕉さんに呼び掛けているので、脇は芭蕉さんが付ける。

 落梧の家が岐阜で代々続く豪商だということを聞いていたのだろう。

 敦賀の方に高い山がないため、日本海の方からやってくる雪雲は伊吹山に大雪を降らせる。昭和二年二月十四日には十一メートル八十二センチの積雪が観測されたという。岐阜からだとこの伊吹山が良く見えるので、落梧の家を「よき家続く雪の見どころ」とし、お伺いに行くのが楽しみですという心を表す。

 

季語は「雪」で冬、降物。「家」は居所。

 

第三

 

   よき家続く雪の見どころ

 鵙の居る里の垣根に餌をさして  荷兮

 (鵙の居る里の垣根に餌をさしてよき家続く雪の見どころ)

 

 荷兮宅での興行であるため、第三は荷兮になる。

 句の方は鵙の早贄であろう。ウィキペディアに、

 

 「モズは捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり、木の枝股に挟む習性をもつ。秋に初めての獲物を生け贄として奉げたという言い伝えから『モズのはやにえ』といわれる。」

 

とある。

 前句の「よき家」に立派な垣根のある家の並ぶ里を付け、垣根に鵙の早贄の景を添える。

 

季語は「鵙」で秋、鳥類。「里」は居所。

 

四句目

 

   鵙の居る里の垣根に餌をさして

 黍の折レ合道ほそき也      越人

 (鵙の居る里の垣根に餌をさして黍の折レ合道ほそき也)

 

 黍は風で折れやすい。黍畑の横の道を通ると黍が倒れて邪魔になっているのは「あるある」だったのだろう。狭い道では両方から黍が折れて道を塞いでしまう。

 前句の鵙の居る里を、米の取れない山里とした。

 

季語は「黍」で秋、植物、草類。

 

五句目

 

   黍の折レ合道ほそき也

 有明の夜中は人の影もなし    蕉笠

 (有明の夜中は人の影もなし黍の折レ合道ほそき也)

 

 蕉笠は岐阜から来たもう一人。

 「有明の夜中」は二十日余りの夜中に上る月のことだろうか。月の出を待つ人もなく黍畑の道には人の影はない。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。「夜中」も夜分。「人」は人倫。

 

六句目

 

   有明の夜中は人の影もなし

 湊に舟の入かかる声       舟泉

 (有明の夜中は人の影もなし湊に舟の入かかる声)

 

 舟泉は名古屋の人で『春の日』『阿羅野』に入集している。

 舟は港に着いたが人はいない。船は風や潮の都合で夜中に港に着いてしまうこともあったのだろう。

 

無季。「湊」「舟」は水辺。

初裏

七句目

 

   湊に舟の入かかる声

 住居するあたり見立に歩行らん  野水

 (住居するあたり見立に歩行らん湊に舟の入かかる声)

 

 舟に乗ってやってきたのは移住予定者で、住むところを探す。

 

無季。

 

八句目

 

   住居するあたり見立に歩行らん

 芥子など有て竹痩し村      落梧

 (住居するあたり見立に歩行らん芥子など有て竹痩し村)

 

 津軽地方だろうか。竹は寒さに弱いので江戸時代の寒冷期には松前が北限とされていた。また津軽では観賞用ではない薬用のケシの栽培がおこなわれていた。

 

季語は「芥子」で夏、植物、草類。「竹」は植物で草類でも木類でもない。「村」は居所。

 

九句目

 

   芥子など有て竹痩し村

 被とる顔色白くおとろへて    芭蕉

 (被とる顔色白くおとろへて芥子など有て竹痩し村)

 

 「被(かつぎ)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「かづき,きぬかずきともいう。平安時代以降,公家や武家の女性が外出時に頭からかぶって用いた単 (ひとえ) 。かぶることを古語でかづくといい,かづく衣服であるので被衣という。 11世紀以降女性の外出には素顔を見せないのが普通となり,衣 (きぬ) の裾をはしょる裾かづき,あるいは衣を頭の上にかづく衣かづきの姿が『扇面古写経下絵』などに描かれ,13世紀には被衣姿や壺装束が旅姿を意味した。のち衣に代って小袖をかづく小袖かづきが出現し,小袖の表衣化,礼服化に伴って,16世紀後半には民間の富裕階級の外出着ともなった。『昔々物語』に「明暦の頃まで針妙腰元かつぎを戴きありきしに,万治の頃より江戸中かづき透 (すき) と止み,酉年大火事以後より此事断絶に及びしなり」とあり,また『嬉遊笑覧』には「昔は後世の如くかつぎとて別につくりしにはあらずと見ゆ。もと常服を着たりしたるべし」とある。明治以後は祝儀の際などに一般にも着用された。」

 

 芭蕉の時代であれば富裕階級の女性の外出着になった小袖かづきであろう。それが「顔色白くおとろへて」というと病人で、薬を求めてはるばる芥子を栽培している村に来たのだろう。

 芥子は観賞用として庭で育てることは多かったが、薬用に大量栽培している地域は限られていた。

 

無季。「被」は衣裳。

 

十句目

 

   被とる顔色白くおとろへて

 あの髪そりて来るかいたわし   荷兮

 (被とる顔色白くおとろへてあの髪そりて来るかいたわし)

 

 「来るか・いたわし」と区切る。心労で衰えた身分の高い女性であろう。髪を落として尼になるのもいたわしや。

 

無季。

 

十一句目

 

   あの髪そりて来るかいたわし

 精出して金持心はづかしく    越人

 (精出して金持心はづかしくあの髪そりて来るかいたわし)

 

 必死になって金を守っているのが気づまりで、というニュアンスだろうか。商家の男の出家に転じる。

 

無季。

 

十二句目

 

   精出して金持心はづかしく

 紅葉をのみに薪伐ル山      蕉笠

 (精出して金持心はづかしく紅葉をのみに薪伐ル山)

 

 打越の出家に対して、山奥での隠棲にする。紅葉は奇麗だが一人暮らしで冬の薪を自分で伐り出さなくてはならない。

 

季語は「紅葉」で秋、植物、木類。「山」は山類。

 

十三句目

 

   紅葉をのみに薪伐ル山

 雨降りの蜩声のあわれなり    舟泉

 (雨降りの蜩声のあわれなり紅葉をのみに薪伐ル山)

 

 雨降って薄暗く蜩が鳴き出す。

 

季語は「蜩」で秋、虫類。「雨」は降物。

 

十四句目

 

   雨降りの蜩声のあわれなり

 硯もなくて居るか秋の野     野水

 (雨降りの蜩声のあわれなり硯もなくて居るか秋の野)

 

 『徒然草』の冒頭に「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて」とあるが、蜩は鳴いてても硯はない。「か」は疑問ではなく「かな」と同様の治定。

 

季語は「秋の野」で秋。

 

十五句目

 

   硯もなくて居るか秋の野

 糸はづれ琴掻さがす月の下    落梧

 (糸はづれ琴掻さがす月の下硯もなくて居るか秋の野)

 

 琴を弾こうとすれば糸がはずれてて掻き鳴らそうとした指が空を切る。ならば和歌でも詠もうかと思ったら書き留める硯もなく、とほほな月の下だった。後の響き付けにも似ているが匂いだけでなく、「秋の野」「月の下」と物でもしっかり付いている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   糸はづれ琴掻さがす月の下

 まだ目の覚ぬ眉のうつくし    越人

 (糸はづれ琴掻さがす月の下まだ目の覚ぬ眉のうつくし)

 

 琴を弾きながら眠ってしまったか。まあ、下手な琴を聞くよりは寝顔の方がいい。

 この場合は糸が外れるのではなく、指が糸を外れる。余談だが筆者はギターを弾きながら居眠りしたことがある。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   まだ目の覚ぬ眉のうつくし

 しのび来し鐘撞堂の花盛     野水

 (しのび来し鐘撞堂の花盛まだ目の覚ぬ眉のうつくし)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「鐘撞堂の花盛りを忍んで来ると、相手はまだ目覚めて居ない。前句を寺稚児とした。」

 

とある。今のところ別の答えが見つからない。ただ、稚児だと二十二句目と被ってしまう。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。恋。

 

十八句目

 

   しのび来し鐘撞堂の花盛

 追行蝶の高くなりけり      舟泉

 (しのび来し鐘撞堂の花盛追行蝶の高くなりけり)

 

 こっそりお寺に入り込んだ子供たちが蝶を追いかけるが、蝶は高く飛び立って逃げて行く。

 

季語は「蝶」で春、虫類。

二表

十九句目

 

   追行蝶の高くなりけり

 青々と動かぬ石の長閑にて    蕉笠

 (青々と動かぬ石の長閑にて追行蝶の高くなりけり)

 

 庭は春が来て青々して蝶は高く飛んでいるが、それに浮かれずにじっとしている石は長閑だ。

 

季語は「長閑」で春。

 

二十句目

 

   青々と動かぬ石の長閑にて

 酔てまたぬる此橋のうへ     芭蕉

 (青々と動かぬ石の長閑にて酔てまたぬる此橋のうへ)

 

 前句の「動かぬ石」を橋の上で寝込んでいる酔っ払いとした。紺の着物を着ていたのだろう。

 

無季。「橋」は水辺。

 

二十一句目

 

   酔てまたぬる此橋のうへ

 夕暮は諷もきかぬ蓮池に     荷兮

 (夕暮は諷もきかぬ蓮池に酔てまたぬる此橋のうへ)

 

 蓮は夕暮れになると花を閉じる。蓮の花も咲いてないし謡があるわけでもないのに酔って寝てしまう。

 

季語は「蓮池」で夏、植物、草類、水辺。

 

二十二句目

 

   夕暮は諷もきかぬ蓮池に

 行水したるさまの児ども     野水

 (夕暮は諷もきかぬ蓮池に行水したるさまの児ども)

 

 お寺の庭の蓮池では稚児が勝手に行水していたのか、濡れた体で涼んでいる。

 

季語は「行水」で夏。「児(ちご)」は人倫。

 

二十三句目

 

   行水したるさまの児ども

 追帰る木幡の馬をかざりつれ   芭蕉

 (行水したるさまの児ども追帰る木幡の馬をかざりつれ)

 

 木幡は宇治の木幡で巨椋池があり、木幡の馬というと、

 

 山科の木幡の里に馬はあれど

     徒歩よりぞ来る君を思へば

             柿本人麻呂(拾遺集)

 

の歌がある。

 木幡にある許波多神社では競馬(くらべうま)神事が行われてきて競馬発祥の地とも言われている。かつてはこの句のように馬に飾り付けをして、稚児とともにねり歩いたのかもしれない。

 

無季。

 

二十四句目

 

   追帰る木幡の馬をかざりつれ

 半よごれし蔀おろしつ      落梧

 (追帰る木幡の馬をかざりつれ半よごれし蔀おろしつ)

 

 「蔀(しとみ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 光や風雨をさえぎるもの。

  ※書紀(720)皇極四年六月(岩崎本平安中期訓)「是の日に、雨下(ふ)りて、潦水(いさらみつ)庭に溢(いはめ)り。席障子(むしろシトミ)を以て鞍作か屍(かはね)に覆(おほ)ふ」

  ② 柱の間に入れる建具の一つ。板の両面あるいは一面に格子を組んで作る。上下二枚のうち上を長押(なげし)から釣り、上にはねあげて開くようにした半蔀(はじとみ)が多いが、一枚になっているものもある。寝殿造りに多く、神社、仏閣にも用いる。しとみど。

  ※蜻蛉(974頃)上「明かうなれば、をのこどもよびて、しとみあげさせてみつ」

  ③ 船の舷側に設ける、波・しぶきよけで、多数の蔀立(しとみたつ)を立ててそのあいだに板を差し入れるもの。五大力船、小早、渡海船など本格的な垣立のない中小和船に用いる。〔和漢船用集(1766)〕

  ④ 築城で、外から城内が見え透くところをおおっておく戸の類。

  ※甲陽軍鑑(17C初)品三九「信玄公御家中城取の極意五つは、一、辻の馬出し、二にしとみのくるわ、しとみの土居」

  ⑤ 町屋の前面にはめこむ横戸。二枚あるいは三枚からなり、左右の柱の溝にはめ、昼ははずし、夜ははめる。「ひとみ」ともいう。しとみど。」

 

とある。

 競馬(くらべうま)が行われる日は沿道の町家も蔀戸を外して見物したのだろう。

 

無季。

 

二十五句目

 

   半よごれし蔀おろしつ

 寝たければ絵を書さして寐成けり 越人

 (寝たければ絵を書さして寐成けり半よごれし蔀おろし)

 

 「書(かき)さす」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「途中で書くのをやめる。

  出典源氏物語 紅葉賀

  「ほのかにかきさしたるやうなるを、喜びながら奉れる」

  [訳] かすかに途中で書くのをやめたような返事(=歌)を、(命婦(みようぶ)は君に)喜びながらさし上げた。◆「さす」は接尾語。」

 

とある。

 ひたすら絵を描き続け、眠くなったらその場で寝るというのが、時間労働ではない絵師の生活の様であろう。蔀戸の汚れを落とす暇もない。

 

無季。

 

二十六句目

 

   寝たければ絵を書さして寐成けり

 女師走の月とちぎるか      荷兮

 (寝たければ絵を書さして寐成けり女師走の月とちぎるか)

 

 夫は絵ばっかり書いていて勝手に寝てしまい、師走の忙しさを妻に押し付ける。月だけが心の支え。

 

季語は「師走」で冬。「女」は人倫。「月」は夜分、天象。

 

二十七句目

 

   女師走の月とちぎるか

 雪の日の碪に泪落したる     野水

 (雪の日の碪に泪落したる女師走の月とちぎるか)

 

 月と碪は李白の「子夜呉歌」。「京までは」の巻三十句目でも

 

   殿やれて月はむかしの影ながら

 老かむうばがころも打音     芭蕉

 

の句があったし、「雁がねも」の巻三十句目にも、

 

   行月のうはの空にて消さうに

 砧も遠く鞍にいねぶり      芭蕉

 

の句がある。オリジナルは、

 

   子夜呉歌     李白

 長安一片月 萬戸擣衣声

 秋風吹不尽 総是玉関情

 何日平胡虜 良人罷遠征

 

だが、夫の帰りを待つ情を引き継ぎながら、ここでは冬にする。

 

季語は「雪」で冬、降物。恋。

 

二十八句目

 

   雪の日の碪に泪落したる

 柴焼壁の破れてほろほろ     蕉笠

 (雪の日の碪に泪落したる柴焼壁の破れてほろほろ)

 

 戦火に荒れた街の姿だろう。

 

無季。

 

二十九句目

 

   柴焼壁の破れてほろほろ

 砂原の川をこちらに宮有て    舟泉

 (砂原の川をこちらに宮有て柴焼壁の破れてほろほろ)

 

 砂原の川は伏流水の水無瀬川のことで、宮は水無瀬宮のことであろう。

 

 思ひ出づる折りたく柴の夕煙

     むせぶもうれし忘れ形見に

             後鳥羽院(新古今集)

 

の縁で前句の「柴焼」から後鳥羽院の水無瀬宮へ展開する。

 

無季。「川」は水辺。

 

三十句目

 

   砂原の川をこちらに宮有て

 終に牛をば捨ずつり行      野水

 (砂原の川をこちらに宮有て終に牛をば捨ずつり行)

 

 「つり行」はよくわからないが「つれ行」のことか。老いた牛を捨てようと思ったが、水無瀬宮の近くなので恐れ多くてやめる。

 この句は挙句の体ではない。『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「『如行子』にはこの句の次に『是までにて終る』との注記あり、『桃の白実』にはない。」

 

とある。時間が押して、途中で終わってしまったのだろう。

 

無季。「牛」は獣類。