「宗伊宗祇湯山両吟」解説

賦何路連歌 文明十四年二月五日 於温泉山

初表

 鶯は霧にむせびて山もなし      宗伊

   梅かをるのの霜寒き比      宗祇

 もえそむる草のかきほは色付きて   宗伊

   いり日の庭の風のしづけさ    宗祇

 中空に月待つ雲や帰るらん      宗伊

   時雨るる秋のさ夜ぞふけ行く   宗祇

 いなばもるかりほの床にめもあはで  宗伊

   やどりや出づる人さわぐなり   宗祇

 

初裏

 ふす鳥をかり声ちかき山のかげ    宗祇

   わけくる雪ぞ跡をあらはす    宗伊

 くろかみの中半うつろふ年々に    宗祇

   恋しさまさるたらちねのかげ   宗伊

 身のいかにならむもしらず世に住みて 宗祇

   とすれば涙袖にかかれる     宗伊

 たのめただ待たぬもつらき夜半の空  宗祇

   おきゐる戸ぐちあけやしなまし  宗伊

 月みればいづくともなき鐘なりて   宗祇

   秋のとまりにおくる舟人     宗伊

 行く雁の旅の誰をか友ならむ     宗祇

   ひとりのみねをこゆる夕暮    宗伊

 古寺は花のかげだにかすかにて    宗祇

   春のはつせは奥もしられず    宗伊

 

 

二表

 天つ袖ふるの中道うちかすみ     宗伊

   野をしろたへの雪も消えけり   宗祇

 鷺のとぶ入江をさむみ雨はれて    宗伊

   水にむかへば山ぞ暮れ行く    宗祇

 底にすむ月なりけりなます鏡     宗伊

   心のちりをはらふ秋かぜ     宗祇

 身をしれば木の葉にふれる露もうし  宗伊

   門さしこもる蓬生の道      宗祇

 いかにせむあやめも分かぬ物おもひ  宗伊

   うかれて出づるたそがれの空   宗祇

 魂とみよやそなたに行くほたる    宗伊

   あしやのなだはすむ人もなし   宗祇

 世の中のたちゐを波のさわぎにて   宗伊

   雲風なれやかはる朝夕      宗祇

 

二裏

 山里はいつか心のすまざらん     宗祇

   秋ぞ涙に驚かれぬる       宗伊

 しのぶべき思ひを月に我みえて    宗祇

   行けどもあはぬ夜こそ長けれ   宗伊

 おぼつかな夢路いづくにまよふらん  宗祇

   もろこしばかり遠ざかる中    宗伊

 ふかく入る人やは出でんよしの山   宗祇

   花にかさなるおくのみねみね   宗伊

 桜ちるあとのしら雲日は暮れて    宗祇

   宿とひゆけば春雨ぞふる     宗伊

 誰が里にふしてかほさむ旅の袖    宗祇

   柴たきわぶる夜はふけにけり   宗伊

 千鳥たつあら磯かげに風吹きて    宗祇

   みちくるしほの山ぞくもれる   宗伊

 

 

三表

 朝ごとの梢をそむつ秋の霜      宗伊

   いく夕露の野をからすらむ    宗祇

 哀なり床に鳴きよるきりぎりす    宗伊

   夜寒の宿のいねがての空     宗祇

 とひくべき夢は月をやうらむらん   宗伊

   みゆるとすればかへる面かげ   宗祇

 なき跡にたくかのけぶり又立てて   宗伊

   仏やたのむ声をしるらむ     宗祇

 老いてなほくる玉のをのかずかずに  宗伊

   落つるもいく瀬滝のみなかみ   宗祇

 龍のぼるながれに桃の花浮きて    宗伊

   うつるみの日のはらへをぞする  宗祇

 ひぢかさの雨うちかすむかへるさに  宗伊

   行き過ぎかねついもが住かた   宗祇

 

三裏

 草むすぶ枕の月を又やみん      宗祇

   やどれば萩もねたる秋の野    宗伊

 露かかる山本がしは散りやらで    宗祇

   ふりそふ霰音くだくなり     宗伊

 寄る浪もさぞなかしまが磯がくれ   宗祇

   さほぢをゆけば川風ぞ吹く    宗伊

 ときあらふ衣やほすもしほるらん   宗祇

   涙の袖をぬぎもかへばや     宗伊

 をしまじよ物おもふ身の春の暮    宗祇

   よはひかたぶき月ぞかすめる   宗伊

 おどろけば花さへ夢のみじか夜に   宗祇

   鳴きて過ぐなり山ほととぎす   宗伊

 恋ひわぶる故郷人は音もせで     宗祇

   かへるやいづこすまの浦浪    宗伊

 

 

名残表

 秋ははや関越えきぬと吹く風に    宗伊

   引く駒しるし霧の夕かげ     宗祇

 とやだしのたかばかりしき一夜ねん  宗伊

   月にとまるも山はすさまじ    宗祇

 岩の上に身を捨衣重ねわび      宗伊

   苔の下とも誰をちぎらん     宗祇

 この世だにあふせもしらず渡川    宗伊

   涙の水のなほまされとや     宗祇

 引きとめぬ江口の舟のながれきて   宗伊

   見れば伊駒の雲ぞ明け行く    宗祇

 花やまづいとも林ににほふらん    宗伊

   春に声する鳥の色々       宗祇

 袖かへすてふの舞人折をえて     宗伊

   あそぶもはかなたはぶれも夢   宗祇

 

名残裏

 いくほどと命のうちをおもふらん   宗祇

   あすをまたんもしらぬ恋しさ   宗伊

 いたづらにたのめし月を独みて    宗祇

   秋風つらくねやぞあれ行く    宗伊

 虫の音や軒のしのぶみにだるらん   宗祇

   はのぼる露のたかき荻はら    宗伊

 閑なる浜路のしらす霧晴れて     宗祇

   島のほかまでなびく君が代    宗伊

 

       参考;『新潮日本古典集成33 連歌集』島津忠夫校注、一九七九、新潮社

初表

発句

 

 鶯は霧にむせびて山もなし    宗伊

 

 「むせぶ」というと、今日でも「むせび泣く」という言葉があるように、悲しみに声を詰まらせている、という印象を与える。

 春を告げる目出度いはずの鶯が、霧にむせて悲しい声を上げ、霧のせいで山すら見えない。ホワイトアウトした中、鶯のむせび泣きだけが聞こえる。何とも悲し気な発句だ。

 応仁の乱から享徳の乱への乱れた国の状況を憂いているのか、あるいは別の悲しい事情のある興行だったのか、定かではない。ただ、宗伊がこの二年後に亡くなることを考えると、この興行が永の別れになるという雰囲気もあったのかもしれない。

 霧にむせぶ鶯に関しては、『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は『和漢朗詠集』の、

 

 咽霧山鴬啼尚少 穿沙蘆笋葉纔分

 

 霧に咽(むせ)ぶ山鶯は啼くことなほ少(まれ)なり、

 沙(いさご)を穿つ蘆笋(ろじゆん)は葉わづかに分てり、

 

を引いている。

 宗祇が応仁の乱の頃、東国へ下向し、そのあと三島で東常縁(とうのつねより)から古今伝授を受け、文明五年(一四七三年)に美濃で古今伝授を終了したあと京へ戻った。

 京に種玉庵を開いたこれからの時代が宗祇の円熟期になる。長享二年(一四八八年)の『水無瀬三吟』興行。延徳三年(一四九一年)の『湯山三吟興行』は、宗祇の連歌の頂点とも言える。

 「宗伊宗祇湯山両吟」はそれよりやや早い文明十四年(一四八二年)の二月とされている。場所は有馬温泉で十年後の湯山三吟と同じ。文明十二年(一四八〇年)の『筑紫道記』の旅よりは後になる。

 宗伊はネット上の島津忠夫さんの「宗祇と宗伊」に、

 

 「杉原伊賀守賢盛(法名宗伊)は、応水二十五年(一四一八)の生まれで、応永二十八年の生まれの宗祇より、わずかに三歳の年長に過ぎないことが先ず注意せられる。」

 

とある。僅か三歳年長とはいえ、宗祇よりもかなり早くから京で活躍していたようだ。宗祇が遅咲きだったということもあるのか、この両吟は大先輩に胸を借り、そして乗り越えようという意欲作だったのかもしれない。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「霧」は聳物。「山」は山類の体。

 

 

   鶯は霧にむせびて山もなし

 梅かをるのの霜寒き比      宗祇

 (鶯は霧にむせびて山もなし梅かをるのの霜寒き比)

 

 鶯に梅は定番だとしても、霧の山に「霜寒き比」と冬の寒さで応じている。梅は咲いたけど未だに冬のような寒さで、鶯も霧にむせび泣いてます、と発句の心に寄り添っている。

 この阿吽の呼吸には、二人だけの知る何かがあったのかもしれない。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「霜」は降物。

 

第三

 

   梅かをるのの霜寒き比

 もえそむる草のかきほは色付きて 宗伊

 (もえそむる草のかきほは色付きて梅かをるのの霜寒き比)

 

 俳諧の両吟だと、脇と第三は同じ人が詠むが、この時代にはまだそういう様式はなかったか。享禄五年(一五三二年)の聴雪・宗牧両吟「享禄五年正月十八日住吉法楽何船」では宗牧が脇と第三を詠み、聴雪が四句目と五句目を詠むという様式が見られる。

 「かきほ」は垣根のことだが、和歌では「山がつのかきほ」として用いられることが多い。

 

 うぐひすの今朝なく時ぞ山がつの

     かきほも春にあふ心ちする

              四条宮下野(玉葉集)

 

の歌もある。

 前句の霜寒き中の梅を山がつの家の梅とし、貧しい中にも春が来ている心に転じる。

 

季語は「もえそむる草」で春、植物、草類。「かきほ」は居所の体。

 

四句目

 

   もえそむる草のかきほは色付きて

 いり日の庭の風のしづけさ    宗祇

 (もえそむる草のかきほは色付きていり日の庭の風のしづけさ)

 

 前句の「色付きて」を緑に色づくのではなく、入日に赤く色づくとして、風の静けさを添える。

 

無季。「いり日」は光物。「庭」は居所の用。

 

五句目

 

   いり日の庭の風のしづけさ

 中空に月待つ雲や帰るらん    宗伊

 (中空に月待つ雲や帰るらんいり日の庭の風のしづけさ)

 

 「中空」は空の真ん中だが、うわの空の意味もある。

 雲に覆われていた空も夕暮れには晴間も見えてきて、入日の射す頃には中空の雲も消えて行く。心の雲もそれとともに晴れてゆくか。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。「雲」は聳物。

 

六句目

 

   中空に月待つ雲や帰るらん

 時雨るる秋のさ夜ぞふけ行く   宗祇

 (中空に月待つ雲や帰るらん時雨るる秋のさ夜ぞふけ行く)

 

 雲の晴れるのを時雨の後として、時間を夜更けとする。

 

 しぐれつる眞屋の軒端のほどなきに

     やがてさし入る月のかげかな

              藤原定家(千載集)

 月を待つ高嶺の雲は晴れにけり

     心あるべき初時雨かな

              西行法師(新古今集)

 

のあど、時雨の雲が晴れての月はしばしば和歌に詠まれている。

 ここでは中空に応じて、夜更けの月とする。

 

季語は「秋」で秋。「時雨るる」は降物。「さ夜」は夜分。

 

七句目

 

   時雨るる秋のさ夜ぞふけ行く

 いなばもるかりほの床にめもあはで 宗伊

 (いなばもるかりほの床にめもあはで時雨るる秋のさ夜ぞふけ行く)

 

 「めもあはで」は眠れないという意味。

 「かりほの床」という言葉は、

 

   秋田

 露むすぶわさだのほくみ打ちとけて

     かりほのとこにいやはねらるる

               蓮性(宝治百首)

   田家雨

 むらさめにとまふきそへよみ山田の

     かりほの床は露もこそもれ

               九条行家(宝治百首)

 

など、和歌に用いられている。

 山田の露の漏るかりほの床は眠れないものだった。「かりほの床」を落ちぶれた旅人の一時的な宿とする。

 

季語は「いなば」で秋。羇旅。「かりほの床」は一時的な寝場所なので非居所か。四句目に居所の「庭」があり、居所と居所は五句去り(可隔五句物)になっている。

 

八句目

 

   いなばもるかりほの床にめもあはで

 やどりや出づる人さわぐなり   宗祇

 (いなばもるかりほの床にめもあはでやどりや出づる人さわぐなり)

 

 前句の「めもあはで」を目も合わせずに出て行く人としたか。

 

   田家

 もる民はかりほの床のいねがてに

     思ひやあかす年のなりほひ

              正徹(草魂集)

 

の歌もあり、旅人が眠れない所に追い打ちをかけて、稲を守る民も何かと騒がしい。

 

無季。羇旅。「人」は人倫。

初裏

九句目

 

   やどりや出づる人さわぐなり

 ふす鳥をかり声ちかき山のかげ  宗祇

 (ふす鳥をかり声ちかき山のかげやどりや出づる人さわぐなり)

 

 ここで宗祇が二句続けて上句下句を交代する。

 ふす鳥はうつ伏している鳥で、足を畳んで休んでいる鳥もこう表現するのであろう。前句の宿を出た人たちは狩りのために外に出て行った。

 騒ぐと逃げちゃいそうだけ、鷹狩の場合は逃げようとして飛び立ったところを鷹に襲わせる。犬を使って飛び立たせる。

 

季語は「かり」で冬。「鳥」は鳥類。「山のかげ」は山類の体。

 

十句目

 

   ふす鳥をかり声ちかき山のかげ

 わけくる雪ぞ跡をあらはす    宗伊

 (ふす鳥をかり声ちかき山のかげわけくる雪ぞ跡をあらはす)

 

 狩りというと雪で、

 

   罪の報いもさもあらばあれ

 月残る狩り場の雪の朝ぼらけ   救済

 

の句は当時はよく知られていたのだろう。

 冬の雪を踏む分けて行く旅をしていると、辺りから狩りの声が聞こえてくる。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

十一句目

 

   わけくる雪ぞ跡をあらはす

 くろかみの中半うつろふ年々に  宗祇

 (くろかみの中半うつろふ年々にわけくる雪ぞ跡をあらはす)

 

 前句の雪を白髪の比喩とする。

 黒髪も歳とともに白髪混じりになり、頭髪をかき分けると白髪があらわになる。

 

無季。述懐。

 

十二句目

 

   くろかみの中半うつろふ年々に

 恋しさまさるたらちねのかげ   宗伊

 (くろかみの中半うつろふ年々に恋しさまさるたらちねのかげ)

 

 白髪の増えた母(たらちね)が、余計に恋しくなる。

 

無季。述懐。「たらちね」は人倫。

 

十三句目

 

   恋しさまさるたらちねのかげ

 身のいかにならむもしらず世に住みて 宗祇

 (身のいかにならむもしらず世に住みて恋しさまさるたらちねのかげ)

 

 前句の母は既に亡くなり、思い出の中でますます恋しくなる、とする。

 そして我もまた年老いて後世のことが気にはなるものの、出家することもなく、未だに俗世にしがみついている。述懐の見本のような句だ。

 

無季。述懐。「身」は人倫。

 

十四句目

 

   身のいかにならむもしらず世に住みて

 とすれば涙袖にかかれる     宗伊

 (身のいかにならむもしらず世に住みてとすれば涙袖にかかれる)

 

 「とすれば」という言葉は、

 

 袖の上にとすれはかかる涙かな

     あないひしらす秋の夕暮れ

              宗尊親王(続古今集)

 

など和歌に用例がある。

 前句を、この先どうなるかわからないこの世間で、として、ふいに涙が溢れて来る、とする。述懐とも恋ともつかない曖昧な句で、やや展開にあぐねた遣り句気味の句になっている。ただ、式目上述懐は三句までなので、ここは恋になる。

 

無季。恋。「袖」は衣裳。

 

十五句目

 

   とすれば涙袖にかかれる

 たのめただ待たぬもつらき夜半の空 宗祇

 (たのめただ待たぬもつらき夜半の空とすれば涙袖にかかれる)

 

 ここは恋に転じるしかないだろう。男の通って来るのを待つ夜も辛いが、待たなくてもよくなって、つまり完全に切れてしまうと、それもまた辛い。

 

無季。恋。「夜半」は夜分。

 

十六句目

 

   たのめただ待たぬもつらき夜半の空

 おきゐる戸ぐちあけやしなまし  宗伊

 (たのめただ待たぬもつらき夜半の空おきゐる戸ぐちあけやしなまし)

 

 憎しみ合って別れた後、あの男が未練たらたらで、ストーカーみたいにまた訪ねて来ないかと思うと、それも辛い。

 

無季。恋。「戸ぐち」は居所の体。

 

十七句目

 

   おきゐる戸ぐちあけやしなまし

 月みればいづくともなき鐘なりて 宗祇

 (月みればいづくともなき鐘なりておきゐる戸ぐちあけやしなまし)

 

 前句を自分の意志で戸を開けよう、と取り成し、月を見ているうちの夜が明けて戸を開ける、とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。

 

十八句目

 

   月みればいづくともなき鐘なりて

 秋のとまりにおくる舟人     宗伊

 (月みればいづくともなき鐘なりて秋のとまりにおくる舟人)

 

 明け方ということで秋の港に船で旅立つ人を見送る。

 「舟人」は、

 

 誰としも知らぬ別れのかなしきは

     松浦の沖を出づる舟人

              藤原隆信(新古今集)

 

のように、離別の歌に用いられる。松浦は中国へ渡る舟の出る所だった。

 

季語は「秋」で秋。「舟人」は水辺の用、人倫。

 

十九句目

 

   秋のとまりにおくる舟人

 行く雁の旅の誰をか友ならむ   宗祇

 (行く雁の旅の誰をか友ならむ秋のとまりにおくる舟人)

 

 舟に乗って遠ざかる旅人を雁の渡りに喩えて、雁が列を組んで飛ぶように誰か友がいればいいのだが、とする。

 

季語は「行く雁」で秋、鳥類。羇旅。「誰」「友」は人倫。

 

ニ十句目

 

   行く雁の旅の誰をか友ならむ

 ひとりのみねをこゆる夕暮    宗伊

 (行く雁の旅の誰をか友ならむひとりのみねをこゆる夕暮)

 

 一人で峰を越える旅人の、友のないことの嘆きとする。

 

無季。「みね」は山類の体。

 

二十一句目

 

   ひとりのみねをこゆる夕暮

 古寺は花のかげだにかすかにて  宗祇

 (古寺は花のかげだにかすかにてひとりのみねをこゆる夕暮)

 

 一人峰を越える旅人を出家して寺に入る者とする。峰を越えると目指す古寺とそれを囲む桜が幽かに見えて来る。

 

季語は「花」で春、植物、木類。釈教。

 

二十二句目

 

   古寺は花のかげだにかすかにて

 春のはつせは奥もしられず    宗伊

 (古寺は花のかげだにかすかにて春のはつせは奥もしられず)

 

 前句の古寺を長谷寺とする。名所の花とする。

 

季語は「春」で春。「はつせ」は名所。

二表

二十三句目

 

   春のはつせは奥もしられず

 天つ袖ふるの中道うちかすみ   宗伊

 (天つ袖ふるの中道うちかすみ春のはつせは奥もしられず)

 

 初瀬に布留の中道と名所で展開する。

 

 いそのかみふるのなか道なかなかに

     見すはこひしと思はましやは

              紀貫之(古今集)

 

など、歌に詠まれている。

 「天つ袖」は「ふる」に掛かる枕詞で、

 

 天つ袖ふるの山なる榊葉に

     宮のしらゆふかくる卯のはな

              世尊寺行能(夫木抄)

 あまつ袖ふる白雪にをとめこが

     雲の通ひ路花ぞちりかふ

              藤原家隆(壬二集)

 

などの用例がある。

 

季語は「かすみ」で春、聳物。「袖」は衣裳。

 

二十四句目

 

   天つ袖ふるの中道うちかすみ

 野をしろたへの雪も消えけり   宗祇

 (天つ袖ふるの中道うちかすみ野をしろたへの雪も消えけり)

 

 「ふる」に「雪」が縁語となる。「うちかすみ」に雪も消えると付く。

 

季語は「雪も消え」で春、降物。

 

二十五句目

 

   野をしろたへの雪も消えけり

 鷺のとぶ入江をさむみ雨はれて  宗伊

 (鷺のとぶ入江をさむみ雨はれて野をしろたへの雪も消えけり)

 

 「鷺のとぶ」は、

 

 鷺のとぶ川辺の穂蓼くれなゐに

     ひかげさびしき秋の水かな

              衣笠家良(新撰和歌六帖)

 

の歌に用例がある。

 野の雪に鷺の入江と違えて付ける。

 

季語は「さむみ」で冬。「鷺」は鳥類。「入江」は水辺の体。「雨」は降物。

 

二十六句目

 

   鷺のとぶ入江をさむみ雨はれて

 水にむかへば山ぞ暮れ行く    宗祇

 (鷺のとぶ入江をさむみ雨はれて水にむかへば山ぞ暮れ行く)

 

 景物が多くて身動きのとりにくい所を、夕暮れの時候を付けて軽く流した感じの句に思える。

 

無季。「水」は水辺の用。「山」は山類の体。

 

二十七句目

 

   水にむかへば山ぞ暮れ行く

 底にすむ月なりけりなます鏡   宗伊

 (底にすむ月なりけりなます鏡水にむかへば山ぞ暮れ行く)

 

 「ます鏡」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「真澄鏡」の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙

  ① 「ますみ(真澄)の鏡」の略。

  ※古今(905‐914)冬・三四二「ゆくとしのをしくもある哉ますかがみ見るかげさへにくれぬと思へば〈紀貫之〉」

  ② 氷を鏡にたとえた語。

  ※班子女王歌合(893頃)「冬寒み水の面に懸くるますかがみ疾くも割れなむ老い惑ふべく〈作者不詳〉」

  [2] 枕

  ① 鏡に写る影の意で「影(かげ)」にかかる。

  ※後撰(951‐953頃)離別・一三一四「身をわくる事のかたさにます鏡影許をぞ君にそへつる〈大窪則善〉」

  ② =まそかがみ(二)③

  ※金槐集(1213)秋「天の原ふりさけ見ればますかかみきよき月夜に雁なきわたる」

  [補注]「ますみ(真澄)の鏡」の略とする意見が通説だが、「万葉集」によく見られる「まそかがみ」の転とも考えられる。」

 

とある。

 ここでは「ます鏡」は鏡のような水面を喩えたもので、前句の「水にむかへば」に掛かる。

 夕暮れになれば月も登り、鏡のような水面に月が映る。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。

 

二十八句目

 

   底にすむ月なりけりなます鏡

 心のちりをはらふ秋かぜ     宗祇

 (底にすむ月なりけりなます鏡心のちりをはらふ秋かぜ)

 

 澄む月を真如の月とし、それを映す心の鏡の塵を払う、として釈教に展開する。

 

季語は「秋かぜ」で秋。釈教。

 

二十九句目

 

   心のちりをはらふ秋かぜ

 身をしれば木の葉にふれる露もうし 宗伊

 (身をしれば木の葉にふれる露もうし心のちりをはらふ秋かぜ)

 

 秋風は心の塵を払ってくれるが、それでも悟ることなく俗世に留まる我が身にあっては、木の葉に降った露が風に打ち払われるかのような涙涙で、辛いことばかりだ。述懐に転じる。

 

季語は「露」で秋、降物。述懐。「身」は人倫。「木の葉」は植物、木類。

 

三十句目

 

   身をしれば木の葉にふれる露もうし

 門さしこもる蓬生の道      宗祇

 (身をしれば木の葉にふれる露もうし門さしこもる蓬生の道)

 

 蓬生は、

 

 いかでかはたづねきつらん蓬ふの

     人もかよはぬわか宿のみち

              よみ人しらず(拾遺集)

 八重葎さしこもりにし蓬生に

     いかでか秋のわけてきつらむ

              藤原俊成(千載集)

 

などの歌にも詠まれ、草に埋もれた荒れ果てた宿を連想させる。

 前句を草に埋もれた家でひっそりと暮らす悲哀とする。

 

無季。述懐。「門」は居所の体。「蓬生」は植物、草類。

 

三十一句目

 

   門さしこもる蓬生の道

 いかにせむあやめも分かぬ物おもひ 宗伊

 (いかにせむあやめも分かぬ物おもひ門さしこもる蓬生の道)

 

 蓬生というと『源氏物語』蓬生巻の末摘花で、門を閉ざした荒れ果てた家で男を待ち続ける姿になる。

 「あやめも分かぬ」は「あやめも知らぬ」と同様で、

 

 郭公なくや五月のあやめぐさ

     あやめも知らぬ恋もするかな

              よみ人しらず(古今集)

 今日来れどあやめも知らぬ袂かな

     昔を恋ふるねのみかかりて

              上西門院兵衛(新古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。恋。

 

三十二句目

 

   いかにせむあやめも分かぬ物おもひ

 うかれて出づるたそがれの空   宗祇

 (いかにせむあやめも分かぬ物おもひうかれて出づるたそがれの空)

 

 たそがれ(黄昏)は「誰そ彼」で、前句の「あやめも分かぬ」を誰かもわからない恋とする。

 おそらく『源氏物語』空蝉巻の源氏の君であろう。真っ暗の部屋の中で、間違えて誰かもわからずに抱いてしまった、そんな浮かれた心を「たそがれの空」とする。

 ただ、言葉自体に手掛かりが乏しく、「前句に付きがたく候」という注は、その言いおおせぬ感を言うのであろう。

 

無季。恋。

 

三十三句目

 

   うかれて出づるたそがれの空

 魂とみよやそなたに行くほたる  宗伊

 (魂とみよやそなたに行くほたるうかれて出づるたそがれの空)

 

 胸焦がす思いが蛍となって愛しい人の元へ飛んで行くという趣向は、

 

 もの思へば沢のほたるを我が身より

     あくがれにける魂かとぞみる

              和泉式部(後拾遺集)

 

辺りから始まったものか。

 都都逸の、

 

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも

 鳴かぬ蛍が身を焦がす

 

の起源も、

 

 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ

     鳴く虫よりもあはれなりけれ

              源重之(後拾遺集)

 

にあるのではないかと思う。

 

季語は「ほたる」で夏、虫類、夜分。恋。

 

三十四句目

 

   魂とみよやそなたに行くほたる

 あしやのなだはすむ人もなし   宗祇

 (魂とみよやそなたに行くほたるあしやのなだはすむ人もなし)

 

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注に、『伊勢物語』八十七段が引用されている。

 芦屋にやってきた在原業平が、

 

 「帰り来る道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前来るに、日暮れぬ。宿りの方を見やれば、海人の漁火多く見ゆるに、かのあるじの男、よむ、

 

 晴るる夜の星か河辺の蛍かも

     わが住む方の海人のたく火か

 

とよみて、家に帰り来ぬ。」

 

という話で、漁火を蛍に喩えている。

 

 いさり火の昔の光ほの見えて

     蘆屋の里に飛ぶ蛍かな

              藤原良経(新古今集)

 

の歌もこの趣向によるものであろう。

 『伊勢物語』の本説というよりは、藤原良経の歌を本歌とした付けで、芦屋の里を尋ねてきたけれど、今は棲む人もなく漁火の昔も程遠く、蛍だけが業平の時代の魂を見せてくれる、という意味ではないかと思う。

 近代の名だたる高級住宅地の芦屋も、こんな時代もあった。

 

無季。「あしやのなだ」は名所、水辺の体。「人」は人倫。

 

三十五句目

 

   あしやのなだはすむ人もなし

 世の中のたちゐを波のさわぎにて 宗伊

 (世の中のたちゐを波のさわぎにてあしやのなだはすむ人もなし)

 

 「たちゐ」は立ったり座ったりということ。ここでは波の立と掛けて、都は何かと騒がしいが、芦屋の灘は棲む人もないと違えて付ける。

 『源氏物語』須磨巻のような、宮中の騒動を逃れて隠棲する様であろう。

 

無季。「波」は水辺の用。

 

三十六句目

 

   世の中のたちゐを波のさわぎにて

 雲風なれやかはる朝夕      宗祇

 (世の中のたちゐを波のさわぎにて雲風なれやかはる朝夕)

 

 前句の「波のさわぎ」を受けて、世の中は雲風のようなもので、朝夕で目まぐるしく変わっていくと応じる。

 

無季。「雲」は聳物。

二裏

三十七句目

 

   雲風なれやかはる朝夕

 山里はいつか心のすまざらん   宗祇

 (山里はいつか心のすまざらん雲風なれやかはる朝夕)

 

 変化した止まない雲風に、山里に籠って心を落ち着けようにもなかなか難しい。「心のすまざらん」はここでは心から住むことができない、という意味になる。心付けになる。

 

無季。「山里」は山類の体、居所の体。

 

三十八句目

 

   山里はいつか心のすまざらん

 秋ぞ涙に驚かれぬる       宗伊

 (山里はいつか心のすまざらん秋ぞ涙に驚かれぬる)

 

 秋に驚くと言えば、

 

   秋立つ日よめる

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども

     風の音にぞ驚かれぬる

              藤原敏行(古今集)

 

ということになるが、むしろ杜甫の『春望』の、「感時花濺涙 恨別鳥驚心」の心であろう。

 戦火に山里に遁れても心はすっきりとしない。秋が来たのを涙ながらに驚く。

 この場合は「心の澄まざらん」になる。

 

季語は「秋」で秋。

 

三十九句目

 

   秋ぞ涙に驚かれぬる

 しのぶべき思ひを月に我みえて  宗祇

 (しのぶべき思ひを月に我みえて秋ぞ涙に驚かれぬる)

 

 隠していた恋心も、明るい月の下で涙する姿を見られてしまえば人に知られてしまう。涙ぐんでいたら急に差し込む月明りに驚く。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。恋。「我」は人倫。

 

四十句目

 

   しのぶべき思ひを月に我みえて

 行けどもあはぬ夜こそ長けれ   宗伊

 (しのぶべき思ひを月に我みえて行けどもあはぬ夜こそ長けれ)

 

 前句の「しのぶべき思ひ」を隠していた思いではなく、女のもとに忍んで行く男の思いとする。

 月の光にこっそり行くつもりがバレてしまい、結局逢うことができず長い夜を悶々と過ごす。

 

季語は「夜こそ長けれ」で秋、夜分。恋。

 

四十一句目

 

   行けどもあはぬ夜こそ長けれ

 おぼつかな夢路いづくにまよふらん 宗祇

 (おぼつかな夢路いづくにまよふらん行けどもあはぬ夜こそ長けれ)

 

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は、

 

 思ひやるさかひはるかになりやする

     迷ふ夢路に逢ふ人のなき

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌を引いている。

 夢の中で魂があの人に逢い行くのだが、どこをどう迷ってしまったのか、いつまでたってもたどり着けない。

 夢ではありがちなもので、思うように足が動かなかったり、いつの間に場面が変わってしまったりして、なかなか目的を遂げることができないというのはよくあることだ。

 

無季。恋。

 

四十二句目

 

   おぼつかな夢路いづくにまよふらん

 もろこしばかり遠ざかる中    宗伊

 (おぼつかな夢路いづくにまよふらんもろこしばかり遠ざかる中)

 

 前句の夢路を比喩として、二人の距離が唐土ほども遠ざかってしまっている、とする。

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注の引いている、

 

 唐土も夢に見しかば近かりき

     思はぬなかぞはるけかりける

              兼藝法師(古今集)

 

の歌は、唐土は遠いようでも夢の中では二人の仲よりも近いというものだが、ここでは夢路にも迷う恋なら唐土ほど遠い、となる。夢路・唐土の縁を用いながらも独自の展開をしている。

 

無季。恋。

 

四十三句目

 

   もろこしばかり遠ざかる中

 ふかく入る人やは出でんよしの山 宗祇

 (ふかく入る人やは出でんよしの山もろこしばかり遠ざかる中)

 

 恋の相手の男は出家して吉野に籠ってしまった。大峰を越えて熊野まで行ってしまえばもう戻っては来ないだろう、ということで、唐土ほどの距離の中となる。

 

無季。「人」は人倫。「よしの山」は名所、山類の体。

 

四十四句目

 

   ふかく入る人やは出でんよしの山

 花にかさなるおくのみねみね   宗伊

 (ふかく入る人やは出でんよしの山花にかさなるおくのみねみね)

 

 吉野が出たからには、下句であっても花に行くのは必然だ。もっともこの頃はまだ「花の定座」は確立されてなかった。

 吉野の桜に、これから深く入って行く大峰などの峰々を背景とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「みねみね」は山類の体。

 

四十五句目

 

   花にかさなるおくのみねみね

 桜ちるあとのしら雲日は暮れて  宗祇

 (桜ちるあとのしら雲日は暮れて花にかさなるおくのみねみね)

 

 前句の「花にかさなる」を桜の散った後の雲が、散る前の花の雲にイメージの上で重なる、とする。

 

季語は「桜」で春、植物、木類。「しら雲」は聳物。

 

四十六句目

 

   桜ちるあとのしら雲日は暮れて

 宿とひゆけば春雨ぞふる     宗伊

 (桜ちるあとのしら雲日は暮れて宿とひゆけば春雨ぞふる)

 

 桜散った後の花見の帰り道とする。

 

季語は「春雨」で春、降物。羇旅。

 

四十七句目

 

   宿とひゆけば春雨ぞふる

 誰が里にふしてかほさむ旅の袖  宗祇

 (誰が里にふしてかほさむ旅の袖宿とひゆけば春雨ぞふる)

 

 宿場の整備されていなかった時代の連歌師の旅は、その土地の館など有力者の家を頼って泊めてもらうことが多かった。「誰が里」はどの領主のところへ、ということだろう。連歌師のリアルな旅が感じられる。

 

無季。羇旅。「誰」は人倫。「里」は居所の体。「袖」は衣裳。

 

四十八句目

 

   誰が里にふしてかほさむ旅の袖

 柴たきわぶる夜はふけにけり   宗伊

 (誰が里にふしてかほさむ旅の袖柴たきわぶる夜はふけにけり)

 

 前句をいつかは誰かの里に行って、と取り成して、今夜は野宿で柴を焚いて夜を明かす。

 

無季。「夜」は夜分。

 

四十九句目

 

   柴たきわぶる夜はふけにけり

 千鳥たつあら磯かげに風吹きて  宗祇

 (千鳥たつあら磯かげに風吹きて柴たきわぶる夜はふけにけり)

 

 磯辺の野宿は流刑人などの風情になる。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類。「あら磯」は水辺の体。

 

五十句目

 

   千鳥たつあら磯かげに風吹きて

 みちくるしほの山ぞくもれる   宗伊

 (千鳥たつあら磯かげに風吹きてみちくるしほの山ぞくもれる)

 

 「しほの山」は差出の磯のセットになって、賀歌に見られるお目出度い歌枕になっている。千鳥が「ちよ」「やちよ」と鳴くというのがその理由のようだ。山梨県の塩山がそれだとされているが、あまり今でいう磯のイメージはない。

 地名を見ると内陸でも「崎」だとか「伊勢」とかつく場所があるから、かつては川べりも磯と呼んでいたか。

 千鳥に塩の山はその意味で付け合いではあるけど、縁として引いているだけで賀歌の心ではない。あら磯に風吹いて山も曇るというのは祝うものでもないし、「満ち来る塩」と掛けて「塩の山」となると、明らかに海辺の潮の山だ。

 当時の「塩の山」に何か口伝があったのかもしれない。

 

無季。「しほ」は水辺の用。「しほの山」は名所、山類の体。

三表

五十一句目

 

   みちくるしほの山ぞくもれる

 朝ごとの梢をそむつ秋の霜    宗伊

 (朝ごとの梢をそむつ秋の霜みちくるしほの山ぞくもれる)

 

 毎朝降りる霜を満ち来る潮に喩えたか。秋の霜が毎日のように降りれば、梢の紅葉も色を増し、潮が満ちて来るかのように地面や下草を白く染めて行く。

 「霜曇り」という言葉があり、「精選版 日本国語大辞典「霜曇」の解説」に、

 

 「〘名〙 霜の降るような寒い夜、空の曇ること。霜が雪、雨などと同じく、空から降るものと考えられていたところからの語。霜折れ。

  ※万葉(8C後)七・一〇八三「霜雲入(しもくもり)すとにかあらむひさかたの夜わたる月の見えなく思へば」

 

とある。

 霜が降りるのは山が曇るからだとする。

 

季語は「秋の霜」で秋、降物。「梢」は植物、木類。

 

五十二句目

 

   朝ごとの梢をそむつ秋の霜

 いく夕露の野をからすらむ    宗祇

 (朝ごとの梢をそむつ秋の霜いく夕露の野をからすらむ)

 

 朝の霜に夕露と違えて付けて、霜は梢を染めて露は野を枯らす。対句的なので相対付けと言った方が良いか。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

五十三句目

 

   いく夕露の野をからすらむ

 哀なり床に鳴きよるきりぎりす  宗伊

 (哀なり床に鳴きよるきりぎりすいく夕露の野をからすらむ)

 

 古語の「きりぎりす」はコオロギのこと。

 野の草が枯れればコオロギも棲家をなくし、床にやってくる。

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は、

 

 秋ふかくなりにけらしなきりぎりす

     ゆかのあたりにこゑ聞ゆなり

              花山院(千載集)

 

の歌を引いている。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。「床」は居所。

 

五十四句目

 

   哀なり床に鳴きよるきりぎりす

 夜寒の宿のいねがての空     宗祇

 (哀なり床に鳴きよるきりぎりす夜寒の宿のいねがての空)

 

 床に鳴くコオロギを聞いたのを、旅の宿での眠れない一夜とする。

 

季語は「夜寒」で秋、夜分。羇旅。

 

五十五句目

 

   夜寒の宿のいねがての空

 とひくべき夢は月をやうらむらん 宗伊

 (とひくべき夢は月をやうらむらん夜寒の宿のいねがての空)

 

 あの人がやって来るのをせめて夢にでも見たいというのに、夜寒の上に月は空に煌々と照って眠れない。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。

 

五十六句目

 

   とひくべき夢は月をやうらむらん

 みゆるとすればかへる面かげ   宗祇

 (とひくべき夢は月をやうらむらんみゆるとすればかへる面かげ)

 

 見る夢は来てくれる夢ではなく、帰って行く夢ばかりだ。

 

無季。

 

五十七句目

 

   みゆるとすればかへる面かげ

 なき跡にたくかのけぶり又立てて 宗伊

 (なき跡にたくかのけぶり又立ててみゆるとすればかへる面かげ)

 

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注に「反魂香の心なるべし」という西順注(江戸時代の注)を挙げている。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「反魂香・返魂香」の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙 (中国の漢の武帝が李夫人の死後、香をたいてその面影を見たという故事による) 焚けば死人の魂を呼び返してその姿を煙の中に現わすことができるという、想像上の香。武帝の依頼により方術士が精製した香で、西海聚窟州にある楓に似た香木反魂樹の木の根をとり、これを釜で煮た汁をとろ火にかけて漆のように練り固めたものという。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※宴曲・宴曲集(1296頃)三「いかなる思ひなりけん、反魂香に咽びし、煙の末の面影」 〔白居易‐李夫人詩〕

  [2] 謡曲。

  [一] 鎌倉の商人何某の娘は、去年都へのぼったままの父を慕って都へいそぐ途中、尾張の宿で旅の疲れのために死ぬ。折しも同じ宿のとなりの部屋に泊まり合わせていた父がこれを知り、森の御僧と呼ばれる高僧のもとに娘の死体を運んで回向を頼む。父が僧から譲られた反魂香を焚くと娘の亡霊が現われる。廃曲。不逢森(あわでのもり)。

  [二] 闌曲の一つ。観世流。(一)のクセの部分を謡物として独立させたもの。漢王が李夫人の死をいたみ反魂香を九華帳の中に焚くと、夫人の姿が現われる。

  [語誌]白居易「李夫人詩」を通して日本の文学も早くから影響を受け、「源氏物語‐総角」の「人の国にありけむ香の煙ぞいと得まほしく思さるる」をはじめ、「唐物語」、謡曲の「花筐」や「あはでの森」などに見られる。さらに近世には反魂香の趣向をいれた歌舞伎「けいせい浅間嶽」が大当たりをとったところから、浅間物と称される同趣向の浄瑠璃、歌舞伎などが数多く作られた。」

 

とある。

 この本説を取らなくても、仏前に香を焚いて故人の俤を見るという追善の句になる。

 

無季。無常。「けぶり」は聳物。

 

五十八句目

 

   なき跡にたくかのけぶり又立てて

 仏やたのむ声をしるらむ     宗祇

 (なき跡にたくかのけぶり又立てて仏やたのむ声をしるらむ)

 

 同じく追善の句で、仏様に祈る声を亡き人は聞いてくれるだろうか、とする。

 

無季。無常。釈教。

 

五十九句目

 

   仏やたのむ声をしるらむ

 老いてなほくる玉のをのかずかずに 宗伊

 (老いてなほくる玉のをのかずかずに仏やたのむ声をしるらむ)

 

 年とってもやはり死にたくないもので、魂を繋ぎとめている緒を手繰り寄せて生に執着する。そんな衆生の声を仏様は知っているのだろうか。

 いくら仏さまに祈っても、やはり死は逃れられない。

 

無季。述懐。

 

六十句目

 

   老いてなほくる玉のをのかずかずに

 落つるもいく瀬滝のみなかみ   宗祇

 (老いてなほくる玉のをのかずかずに落つるもいく瀬滝のみなかみ)

 

 滝の落ちる水は、雫の玉を糸が貫き留めている様に喩えられる。

 

 なつひきの滝の白糸繰りはへて

     たまのを長く貫けるしらたま

              藤原家隆(壬二集)

 

 老いてなお生に執着する気持ちは、滝の上の水のようなもので、いつかは落ちて行くものだ。

 

 玉のをの長かりけるも春の日の

     暮れかたきこそ思ひしらるる

              正徹(草魂集)

 

の歌もある。春の日の長いと言ってもいずれは落ちて行く。

 

無季。「瀬」は水辺の体。「滝」は山類の用。

 

六十一句目

 

   落つるもいく瀬滝のみなかみ

 龍のぼるながれに桃の花浮きて  宗伊

 (龍のぼるながれに桃の花浮きて落つるもいく瀬滝のみなかみ)

 

 鯉は瀧を登り龍となる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鯉の滝登り」の解説」に、

 

 「① (「後漢書‐党錮伝・李膺」の「以二声名一自高、士有レ被二其容接一者、名為二登龍門一」、およびその注の「三秦記曰、河津一名龍門、水険不レ通、魚鼈之属、莫レ能レ上、江海大魚薄二集龍門下一数千、不レ得レ上、上則為レ龍也」による語。黄河の急流にある龍門という滝を登ろうと、多くの魚が試みたが、わずかなものだけが登り、龍に化すことができたという故事から) 鯉が滝を登ること。

  ※虎寛本狂言・鬮罪人(室町末‐近世初)「山をこしらへまして、夫へ滝を落しまして、鯉の滝上りを致す所を致しませう」

  ② 人の栄達、立身出世のたとえ。→登龍門。

  ※評判記・吉原人たばね(1680頃)ながと「なかとの君を、こいのたきのほりと出ぬれ共」

 

とある。

 登った先にはきっと不老不死の桃の咲く仙境があるのだろう。

 

季語は「桃の花」で春、植物、木類。

 

六十二句目

 

   龍のぼるながれに桃の花浮きて

 うつるみの日のはらへをぞする  宗祇

 (龍のぼるながれに桃の花浮きてうつるみの日のはらへをぞする)

 

 「みの日のはらへ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「巳の日の祓」の解説」に、

 

 「中国の故事にならって三月の最初の巳の日に行なった祓。人形(ひとがた)に、身についた罪・けがれ・わざわいなどを移して川や海に流し捨てたもの。上巳の祓。《季・春》

  ※大鏡(12C前)五「三月巳日のはらへに、やがて逍遙し給とて」

 

とある。今日のひな祭りの元となっている。

 干支では辰の次が巳。龍が昇っていた後は巳の日となり、桃の花を飾って巳の日の祓をする。

 

季語は「みの日」で春。

 

六十三句目

 

   うつるみの日のはらへをぞする

 ひぢかさの雨うちかすむかへるさに 宗伊

 (ひぢかさの雨うちかすむかへるさにうつるみの日のはらへをぞする)

 

 「ひぢかさの雨」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「肘笠雨」の解説」に、

 

 「〘名〙 (後に「ひじがさあめ」とも。肘を頭の上にかざして笠のかわりとする以外にしのぎようがない雨の意) にわか雨。ひじかさのあめ。ひじあめ。

  ※宇津保(970‐999頃)菊の宴「ひぢかさあめふり、神なりひらめきて」

 

とある。

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は『源氏物語』須磨巻を引いている。須磨滞在中の巳の日の祓で陰陽師を呼んで御祓いをさせる場面があり、

 

 「うみのおもてはうらうらとなぎわたりて、行へもしらぬに、こしかたゆくさきおぼしつづけられて、

 

 やほよろづ神も哀と思ふらん

  おかせる罪のそれとなければ」

 

 (海面は光りに溢れ波風もおだやかで、この先どこへ行くとも知れず、過去や未来をずっと思っては、

 

 やおよろずの神も哀れに思うはず

     何一つ罪を犯してないので)

 

という状態だったところ、

 

 「とのたまふに、にはかに風ふき出でて、空もかき暮れぬ。

 御はらへもしはてず、たちさわぎたり。

 ひぢがさ雨とかふりきて、いとあわたたしければ、みな返り給はんとするに、笠もとりあへず、さるこころもなきに、よろづ吹きちらし、又なき風なり。」

 (なんて言っていたら、急に風が吹き出して空も黒い雲に覆われました。

 御祓いも中断して大騒ぎです。

 「肘笠雨」とかいうにわか雨が降り出し、みんな大慌てになれば、帰ろうにも笠を被る暇もなく、これまでにない予想もしなかったような強風が吹き荒れました。)

 

ということになった。

 この場面を想起させる『源氏物語』の本説付けになる。

 

季語は「かすむ」で春。「ひぢかさの雨」は降物。

 

六十四句目

 

   ひぢかさの雨うちかすむかへるさに

 行き過ぎかねついもが住かた   宗祇

 (ひぢかさの雨うちかすむかへるさに行き過ぎかねついもが住かた)

 

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注には催馬楽による付けだという。

 

 「婦(いも)が門夫(せな)が門 行き過ぎかねてや我が行かば 肱笠の肱笠の雨もや降らなむ 郭公(しでたをさ)雨やどり笠やどり 舍りてまからむ郭公(しでたをさ)」

 

というもので、妹が家の門の前に来て、通り過ぎたくない、寄って行きたい、肱笠雨でも降らないかな、という歌だ。

 ここでは、肱笠雨が降ったのだから妹が住む方に寄っていこう、となる。

 

無季。恋。「いも」は人倫。

三裏

六十五句目

 

   行き過ぎかねついもが住かた

 草むすぶ枕の月を又やみん    宗祇

 (草むすぶ枕の月を又やみん行き過ぎかねついもが住かた)

 

 妹のもとに帰りたい気もあるが、旅の虫がまたうずく。「草枕」を分解して「草むすぶ枕」とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。恋。

 

六十六句目

 

   草むすぶ枕の月を又やみん

 やどれば萩もねたる秋の野    宗伊

 (草むすぶ枕の月を又やみんやどれば萩もねたる秋の野)

 

 草を枕の文字通りの野宿をすれば、萩も添い寝する。萩は枝が枝垂れることから「臥す」ものとされている。

 

季語は「秋」で秋。羇旅。「萩」は植物、草類。

 

六十七句目

 

   やどれば萩もねたる秋の野

 露かかる山本がしは散りやらで  宗祇

 (露かかる山本がしは散りやらでやどれば萩もねたる秋の野)

 

 柏の露は「濡(ぬ)る、寝(ぬ)る」に縁がある。

 

 朝柏ぬるや川辺のしののめの

     思ひて寝れば夢に見えつつ

              よみ人しらず(新勅撰集)

 嵐吹く原の外山の朝柏

     ぬるや時雨の色にいでつつ

              西園寺実氏(道助法親王家五十首)

 

などの歌にも詠まれている。

 秋の野の野宿は柏の露にも寝(ぬ)れば、萩の露にも濡れる。

 

季語は「露」で秋、降物。「山本」は山類の体。「かしは」は植物、木類。

 

六十八句目

 

   露かかる山本がしは散りやらで

 ふりそふ霰音くだくなり     宗伊

 (露かかる山本がしは散りやらでふりそふ霰音くだくなり)

 

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は、

 

 閨の上に片枝さしおほひ外面なる

     葉廣柏に霰降るなり

              能因法師(新古今集)

 

の歌を引いている。

 「音くだく」という言葉は日文研の和歌検索だと二例ヒットする。

 

 霰降る谷の小川に風さえて

     とけぬ氷の音くだくなり

              未入力(建仁元年十首和歌)

 雲寒き嵐の空に玉散りて

     降るや霰の音くだくなり

              未入力(延文百首)

 

季語は「霰」で冬、降物。

 

六十九句目

 

   ふりそふ霰音くだくなり

 寄る浪もさぞなかしまが磯がくれ 宗祇

 (寄る浪もさぞなかしまが磯がくれふりそふ霰音くだくなり)

 

 「さぞなかしま」は「さぞな鹿島」。

 

 浦人も夜や寒からし霰降る

     鹿島の崎の沖つしほかぜ

              二条為氏(新後撰集)

 

の歌があるように鹿島に霰は縁がある。鹿島神宮は海からやや離れていて、位置の鳥居は霞ケ浦の北浦にある。鹿島の崎はここではなく、銚子から見た利根川の対岸にある浜崎のことだという。

 

無季。「浪」は水辺の用。「磯」は水辺の体。「かしま」は名所。

 

七十句目

 

   寄る浪もさぞなかしまが磯がくれ

 さほぢをゆけば川風ぞ吹く    宗伊

 (寄る浪もさぞなかしまが磯がくれさほぢをゆけば川風ぞ吹く)

 

 佐保路は奈良の東大寺から西大寺を結ぶ一条大路の辺りで、コトバンクの「世界大百科事典内の佐保路門の言及」には、

 

 「…また,奈良市街北方の丘陵地を佐保山というが,元正・聖武天皇,光明皇后や藤原不比等・武智麻呂,大伴氏一族などが葬られており,奈良時代の葬地としては一等地であったらしい。なお,平城京一条大路は佐保大路とも呼ばれ,その東端に当たる東大寺転害(てがい)門は佐保路門と呼ばれていた。中世には,条里の里名に佐保里がみえ,これは現在の多門町付近に相当する。…」

 

とある。川風は佐保川の風か。

 東大寺には春日大社が隣接していて、鹿島大社と同じ武甕槌命が祀られていて、武甕槌命が鹿島から奈良に来る時に、白鹿に乗ってきたと言われている。そのため春日大社の鹿は神使として保護されている。

 佐保川の川の流れに遠い鹿島の磯を偲ぶ。

 

無季。「さほぢ」は名所。「川」は水辺の体。

 

七十一句目

 

   さほぢをゆけば川風ぞ吹く

 ときあらふ衣やほすもしほるらん 宗祇

 (ときあらふ衣やほすもしほるらんさほぢをゆけば川風ぞ吹く)

 

 衣を干すというと、

 

 春過ぎて夏来にけらし白妙の

     衣干すてふ天の香具山

              持統天皇(新古今集)

 

の歌は百人一首でもよく知られている。天の香具山は飛鳥京の方で平城京の奈良からは遠いが、和歌の世界では一緒に扱われがちだった。

 

 佐保姫の名に負ふ山も春来れば

     かけて霞の衣干すらし

              藤原為家(続拾遺集)

 佐保姫の衣干すらし春の日の

     光に霞む天の香具山

              宗尊親王(続後拾遺集)

 

の歌のように、春日の佐保路で佐保姫の衣を干すという連想は別に変ではない。

 佐保姫の衣を干すが、湿った川風に却って湿ってしまったか、とする。

 

無季。「衣」は衣裳。

 

七十二句目

 

   ときあらふ衣やほすもしほるらん

 涙の袖をぬぎもかへばや     宗伊

 (ときあらふ衣やほすもしほるらん涙の袖をぬぎもかへばや)

 

 干してもすぐに濡れる衣を悲しみの涙の衣とし、そろそろ脱ぎ変えなければいけないと、思いを断ち切ろうとする。失恋の涙としてもいいのだが、恋の意図は明確ではない。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

七十三句目

 

   涙の袖をぬぎもかへばや

 をしまじよ物おもふ身の春の暮  宗祇

 (をしまじよ物おもふ身の春の暮涙の袖をぬぎもかへばや)

 「をしまじよ」の上五は、

 

 をしまじよさくら許の花もなし

     ちるべきためのいろにもあるらん

              藤原定家(拾遺愚草)

 をしまじよくもゐの花になれもせず

     けふぬぎかふる春のころもて

              藤原家隆(壬二集)

 

など、和歌にも用いられる。花が散り春が行くのは本来惜しむべきものだが、それを惜しまないということろに、春らしい春の来なかった嘆きが表現される。

 憂鬱で悲しい春だったなら、春が行くのも惜しまない。早く夏の衣に着替えて、気分も一新したい。

 

季語は「春」で春。述懐。

 

七十四句目

 

   をしまじよ物おもふ身の春の暮

 よはひかたぶき月ぞかすめる   宗伊

 (をしまじよ物おもふ身の春の暮よはひかたぶき月ぞかすめる)

 

 春が惜しまねばならないほど良いものでなかったのを、老化のせいとする。春の月は霞がかかって朧になるものだが、目が悪くなったこととも掛ける。

 

季語は「かすめる」で春。述懐。「月」は夜分、光物。

 

七十五句目

 

   よはひかたぶき月ぞかすめる

 おどろけば花さへ夢のみじか夜に 宗祇

 (おどろけば花さへ夢のみじか夜によはひかたぶき月ぞかすめる)

 

 「おどろく」と「夢」はしばしば対になって用いられる。

 

 窓近きいささむら竹風吹けば

     秋におどろく夏の夜の夢

              徳大寺公継(新古今集)

 

 夢から覚めたようなはっとする感じを「おどろく」と表現するのは、

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども

     風の音にぞおどろかれぬる

              藤原敏行(古今集)

 

の発展させた用法なのだろう。秋風に驚くのは、夏の夢が覚めたからだとし、この用法は和歌の世界では定着してゆく。

 宗祇の句も春の花も短い夜の夢として、はっと夢から覚めておどろけば、いつの間にか年老いていた、となる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。述懐。「みじか夜」は夜分。

 

七十六句目

 

   おどろけば花さへ夢のみじか夜に

 鳴きて過ぐなり山ほととぎす   宗伊

 (おどろけば花さへ夢のみじか夜に鳴きて過ぐなり山ほととぎす)

 

 春の花は夢と過ぎ去り、夏の短い夜ともなればホトトギスが鳴く。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「山」は山類の体。

 

七十七句目

 

   鳴きて過ぐなり山ほととぎす

 恋ひわぶる故郷人は音もせで   宗祇

 (恋ひわぶる故郷人は音もせで鳴きて過ぐなり山ほととぎす)

 

 ホトトギスはウィキペディアに、

 

 「後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。」

 

とある。

 ついに長年の念願かなって故郷に戻ることができたが、そこは荒れ果てていて住む人もなく、ホトトギスだけが「不如帰去」と鳴いている。

 

無季。「故郷人」は人倫。

 

七十八句目

 

   恋ひわぶる故郷人は音もせで

 かへるやいづこすまの浦浪    宗伊

 (恋ひわぶる故郷人は音もせでかへるやいづこすまの浦浪)

 

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は、『源氏物語』須磨巻の、

 

 「煙のいとちかくときどき立ちくるを、これやあまのしほやくくならんとおぼしわたるは、おはしますうしろの山に、柴といふものふすぶるなりけり。

 めづらかにて、

 

 山がつのいほりにたけるしばしばも

     こととひこなんこふる里人」

 

 (時々煙がすぐそばまで漂ってくるのを、これが海人の塩焼く煙なのかと思ってましたが、住んでいる所の後の山で柴を焼いている煙でした。

 ついつい見入ってしまい、

 

 山がつの庵で焼いてる芝しばも

     尋ねてきてよ都の人)

 

の歌を引いている。芝を焼くから「しばしばことこひこなん」を導き出す。

 宗伊の句の方は、前句を都の人がなかなか訪ねて来ないという意味にして、須磨での源氏の境遇を思い描いて、「かへるやいづこ」とする。

 

無季。「すま」は名所。「浦浪」は水辺の用。

名残表

七十九句目

 

   かへるやいづこすまの浦浪

 秋ははや関越えきぬと吹く風に  宗伊

 (秋ははや関越えきぬと吹く風にかへるやいづこすまの浦浪)

 

 須磨の関もまた和歌に多く詠まれれいる。ここでは須磨の関を越えて行く流人とする。

 

 秋風の関吹き越ゆるたびごとに

     声うち添ふる須磨の浦波

              壬生忠見(新古今集)

 

の歌もあるが、秋風に関を越えるというと、

 

 都をば霞とともに立ちしかど

     秋風ぞ吹く白河の関

              能因法師(後拾遺集)

 

の歌も思い浮かぶ。

 

季語は「秋」で秋。羇旅。

 

八十句目

 

   秋ははや関越えきぬと吹く風に

 引く駒しるし霧の夕かげ     宗祇

 (秋ははや関越えきぬと吹く風に引く駒しるし霧の夕かげ)

 

 関はここでは逢坂の関のような山の中の関で、ひっきりなしに荷物を積んだ馬が通る。その姿が霧の中でもはっきりと見える。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「駒」は獣類。

 

八十一句目

 

   引く駒しるし霧の夕かげ

 とやだしのたかばかりしき一夜ねん 宗伊

 (とやだしのたかばかりしき一夜ねん引く駒しるし霧の夕かげ)

 

 「とやだし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鳥屋出」の解説」に、

 

 「〘名〙 鳥屋ごもりをしていた鷹を、その時期が終わって鳥屋から出すこと。とやいだし。

  ※正治初度百首(1200)冬「暮ぬ共はつとやたしのはし鷹をひとよりいかが合せざるべき〈小侍従〉」

 

とある。

 ここでは鷹ではなく鳥屋出の鷹に掛けて「竹葉(たかは)」を導き出し、竹の葉を敷いた仮の寝床で一晩寝る、とする。駒引く人の仮の宿とする。

 

季語は「とやだしのたか」で秋、鳥類。「一夜」は夜分。

 

八十二句目

 

   とやだしのたかばかりしき一夜ねん

 月にとまるも山はすさまじ    宗祇

 (とやだしのたかばかりしき一夜ねん月にとまるも山はすさまじ)

 

 前句を鳥屋出の鷹の「鷹場(たかば)」に一夜寝んということにして、月の照らす山に泊まるとする。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。「山」は山類の体。

 

八十三句目

 

   月にとまるも山はすさまじ

 岩の上に身を捨衣重ねわび    宗伊

 (岩の上に身を捨衣重ねわび月にとまるも山はすさまじ)

 

 岩の上に身を捨てる」というのは世捨て人となって岩屋で暮らすということで、「身を捨て」から「捨て衣」を導き出し、それを重ね着する。なぜなら山は冷(すさ)まじいからだ。

 捨て衣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「捨衣」の解説」に、

 

 「〘名〙 着る人もなく打ち捨てられた衣服。また、一説に、死人に衣をそえて捨てること。

  ※後撰(951‐953頃)恋三・七一八「すずか山いせをのあまのすてごろもしほなれたりと人やみるらむ〈藤原伊尹〉」

 

とある。

 

無季。「身」は人倫。「捨衣」は衣裳。

 

八十四句目

 

   岩の上に身を捨衣重ねわび

 苔の下とも誰をちぎらん     宗祇

 (岩の上に身を捨衣重ねわび苔の下とも誰をちぎらん)

 

 岩窟の苔の中で誰かに恋して契りを結ぶことなどあるだろうか。

 

無季。恋。「誰」は人倫。

 

八十五句目

 

   苔の下とも誰をちぎらん

 この世だにあふせもしらず渡川  宗伊

 (この世だにあふせもしらず渡川苔の下とも誰をちぎらん)

 

 前句の「苔の下」を「草葉の陰」などと同様の死後の世界のこととして、生きてる間に逢えないなら、せめて来世でもこの川を渡って逢いに行きたい、とする。入水の暗示とも言えよう。

 「誰をちぎらん」は「あなただけですよ」という意味になる。

 

無季。恋。「渡川」は水辺の体。

 

八十六句目

 

   この世だにあふせもしらず渡川

 涙の水のなほまされとや     宗祇

 (この世だにあふせもしらず渡川涙の水のなほまされとや)

 

 逢うことのできない涙の水はこの川にも勝る。

 

無季。恋。「水」は水辺の用。

 

八十七句目

 

   涙の水のなほまされとや

 引きとめぬ江口の舟のながれきて 宗伊

 (引きとめぬ江口の舟のながれきて涙の水のなほまされとや)

 

 江口の遊女に関しては、コトバンクの「世界大百科事典内の江口の遊女の言及」に、

 

 「…江口の地が史上にその名を知られるのは,交通の要衝であることから生み出された遊興施設の存在であり,なかでも観音,中君,小馬,白女,主殿をはじめとする遊女が,小端舟と呼ばれる舟に乗って貴紳の招に応じたことは,当時の日記が多く物語る。住吉社や熊野等への参詣時における貴族と遊女の交流の中から,芸能や文学が生み出されており,《十訓抄》に〈江口の遊女妙は新古今の作者也〉とみえるのをはじめ,《梁塵秘抄口伝集》に〈其おり江口・神崎のあそび女ども今様を唱その声又かくべつなり。(中略)昔は江口・神崎の流と云て,いま江口・神崎に有所の伝来の今様ハ〉等とある。…」

 

とある。『新古今集』の、

 

   天王寺に參り侍りけるに俄に雨降りければ

   江口に宿を借りけるに貸し侍らざりければよみ侍りける

 世の中をいとふまでこそ難からめ

     假のやどりを惜しむ君かな

              西行法師

   返し

 世をいとふ人とし聞けば假の宿に

     心とむなと思ふばかりぞ

              遊女妙

 

の問答や、謡曲『江口』でも知られている。古典の題材であり、この当時はどうだったかはよくわからない。

 前句の「涙の水」の水に掛けて、舟に乗ってやって来る江口の遊女の涙とする。

 

無季。恋。「江口」は名所。「舟」は水辺の用。

 

八十八句目

 

   引きとめぬ江口の舟のながれきて

 見れば伊駒の雲ぞ明け行く    宗祇

 (引きとめぬ江口の舟のながれきて見れば伊駒の雲ぞ明け行く)

 

 江口は今の東淀川区の辺の淀川沿いで、東には生駒山がある。ここは景色と時候で流す。

 

無季。「伊駒」は名所。「雲」は聳物。

 

八十九句目

 

   見れば伊駒の雲ぞ明け行く

 花やまづいとも林ににほふらん  宗伊

 (花やまづいとも林ににほふらん見れば伊駒の雲ぞ明け行く)

 

 「いとも」は強調の言葉で、今日でも「いとも簡単」という言い回しに名残がある。

 生駒の尾越しの桜は中世の和歌に頻繁に詠まれていて、

 

 難波人ふりさけ見れは雲かかる

     伊駒の岳の初桜花

              九条行家(弘長百首)

 伊駒山あたりの雲と見るまでに

     尾越しの桜花咲きにけり

              九条教実(夫木抄)

 咲きにけり雲のたちまふ生駒山

     花の林の春のあけほの

              藤原為家(夫木抄)

 

などの歌がある。雲や林とともに詠むものだった。

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は『伊勢物語』六十七段を引いていて、そこでは雪が降った白い林を花に喩えて、

 

 昨日けふ雲のたちまひかくろふは

     花のはやしを憂しとなりけり

 

の歌が見られる。これが元になって歌枕になったのだろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

九十句目

 

   花やまづいとも林ににほふらん

 春に声する鳥の色々       宗祇

 (花やまづいとも林ににほふらん春に声する鳥の色々)

 

 花の林に鳥の声は、

 

 暮れてゆく春の契もあさ明の

     花のはやしの鳥のこゑかな

              正徹(草魂集)

 

の歌がある。「花鳥」という言葉もあり花と鳥は対になるものだが、花の林に鳥は珍しい題材だったのだろう。

 

季語は「春」で春。「鳥」は鳥類。

 

九十一句目

 

   春に声する鳥の色々

 袖かへすてふの舞人折をえて   宗伊

 (袖かへすてふの舞人折をえて春に声する鳥の色々)

 

 雅楽の『胡蝶楽』であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「胡蝶楽」の解説」に、

 

 「雅楽の曲名。高麗楽で、高麗壱越調(こまいちこつちょう)の童舞。四人の小童が背に胡蝶の羽をつけ、山吹の花を挿頭(かざし)にし、手に山吹の花枝を持って舞うもの。「迦陵頻」と対で舞われることが多い。平安時代、延喜六年(九〇六)または延喜八年宇多法皇が童相撲御覧の時、藤原忠房が作曲したという。舞は敦実(あつみ)親王の作。胡蝶。蝶。胡蝶の舞。〔二十巻本和名抄(934頃)〕」

 

とある。春に舞われた。

 『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は『源氏物語』胡蝶巻の、

 

 「春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせたまふ。鳥蝶に装束き分けたる童べ八人、容貌などことに整へさせたまひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせたまへり。」

 

を引いている。

 作者の紫式部の胡蝶の舞は知っていて、それをもっと豪華にという所で物語の中で、童の数を倍の八人にし、残りの四人に鳥の舞を舞わせたのであろう。

 前句の鳥をその鳥の舞とすると、源氏物語のこの場面になる。

 

季語は「てふ」で春、虫類。「袖」は衣裳。「舞人」は人倫。

 

九十二句目

 

   袖かへすてふの舞人折をえて

 あそぶもはかなたはぶれも夢   宗祇

 (袖かへすてふの舞人折をえてあそぶもはかなたはぶれも夢)

 

 胡蝶といえば『荘子』の「胡蝶の夢」。胡蝶も舞の感想のように、こうやって楽しく遊ぶのも戯れるのも、みんな夢なんだろうな、とする。

 

無季。述懐。

名残裏

九十三句目

 

   あそぶもはかなたはぶれも夢

 いくほどと命のうちをおもふらん 宗祇

 (いくほどと命のうちをおもふらんあそぶもはかなたはぶれも夢)

 

 これから先どれほど生きられるかと思うと、遊んでも楽しみ切れないし、戯れてもどこか上の空になってしまう。

 

無季。述懐。

 

九十四句目

 

   いくほどと命のうちをおもふらん

 あすをまたんもしらぬ恋しさ   宗伊

 (いくほどと命のうちをおもふらんあすをまたんもしらぬ恋しさ)

 

 明日には死ぬかと思っても、恋しさは変わらない。

 

無季。恋。

 

九十五句目

 

   あすをまたんもしらぬ恋しさ

 いたづらにたのめし月を独みて  宗祇

 (いたづらにたのめし月を独みてあすをまたんもしらぬ恋しさ)

 

 前句の「明日を待たん」を単純に明日は通って来るかと愛しい人を待つ女心として、今日は月だから来てくれるだろうか、とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。恋。

 

九十六句目

 

   いたづらにたのめし月を独みて

 秋風つらくねやぞあれ行く    宗伊

 (いたづらにたのめし月を独みて秋風つらくねやぞあれ行く)

 

 月を見ていつかは来てくれると待ち続けて、また今年も秋が来て、年々閨も荒れ果てて行く。『源氏物語』蓬生であろう。

 

季語は「秋風」で秋。「ねや」は居所。

 

九十七句目

 

   秋風つらくねやぞあれ行く

 虫の音や軒のしのぶみにだるらん 宗祇

 (虫の音や軒のしのぶみにだるらん秋風つらくねやぞあれ行く)

 

 「軒のしのぶ」というと、

 

 百敷や古き軒端のしのぶにも

     なほあまりある昔なりけり

              順徳院(続後撰集)

 

の歌も思い浮かぶ。

 宮中に限らなくても、荒れていく屋敷の軒端のしのぶにも昔を偲ぶ、となる。

 

季語は「虫の音」で秋、虫類。「軒」は居所。「しのぶ」は植物、草類。

 

九十八句目

 

   虫の音や軒のしのぶみにだるらん

 はのぼる露のたかき荻はら    宗伊

 (虫の音や軒のしのぶみにだるらんはのぼる露のたかき荻はら)

 

 「葉のぼる露」というと、

 

 草の原葉のぼる露をやがてまた

     しづくに見せて月落ちにけり

              飛鳥井雅縁(為尹千首)

 雨おもき籬の竹の折れかへり

     くたれ葉のぼる露の白玉

               藤原為家(藤河五百首)

 

などの歌がある。

 露というと萩の下露で、荻というと荻の上風だが、荻の葉のぼる露の発想は珍しい。

 

季語は「露」で秋、降物。「荻」は植物、草類。

 

九十九句目

 

   はのぼる露のたかき荻はら

 閑なる浜路のしらす霧晴れて   宗祇

 (閑なる浜路のしらす霧晴れてはのぼる露のたかき荻はら)

 

 荻はらを白洲の荻原として、水辺に転じる。霧が晴れて光が差し込むと、露がきらきら輝く。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「浜路」は水辺の体。

 

挙句

 

   閑なる浜路のしらす霧晴れて

 島のほかまでなびく君が代    宗伊

 (閑なる浜路のしらす霧晴れて島のほかまでなびく君が代)

 

 浜路の白洲は雅歌だと、真砂の砂の数を「君」の長寿に喩えることが多いが、ここでは霧が晴れてはるか遠くまで見渡せることで、「君」の支配する地域の広さとし、一巻は目出度く終わる。

 

無季。「島」は水辺の体。