「秋立て」の巻、解説

発句

   二句乱

 秋立て干瓜辛き雨気かな     及肩

   敷居ふまへて戸をはづす月  珍碩

 早稲藁をすぐり仕まへば用もなし 之道

   人はしり寄辻の放下師    昌房

 膳棚も淋しく見ゆる田舎旅    正秀

   もがりつぶれし頃日のかぜ  探志

 

初裏

 畚提て船のこけらを拾ふらむ   珍碩

   はすね頭の髪もたばねず   之道

 居ならぶ増水時の夕まぐれ    昌房

   神鳴おぢる娘かはゆき    正秀

 掛て置合羽の雫たりやまず    之道

   肌寒々と博奕初める     珍碩

 月の前酒にせはしき近喝餌    正秀

   菜を蒔なりと寺の傭人    探志

 上ばりに鶏盗む臼の陰      昌房

   日和にむきし霜の朝あけ   及肩

 どしどしと板椽ぬぐふ花盛    珍碩

   荷ひつれたる春の入草    之道

 

 

二表

 幅広き砂川渡る長閑さよ     探志

   羽織そろゆる講参り也    及肩

 行にして朝起ならふ五六日    之道

   薬を休む喰ものの味     芭蕉

 母親の仕立て見する嫁入夜着   正秀

   恋にさし出る旦那山臥    昌房

 江戸棚を持て在所の門がまへ   珍碩

   麦を煎香に咽のかはきし   之道

 脛引の間に蚤にせせられて    探志

   宵の小雨に真竹生出る    及肩

 森々と囲居の伊豫簾もる月に   正秀

   こころを告る秋のひよどり  昌房

二裏

 山畑の木練色づく風の音     芭蕉

   石地の坂を帰る宮坊     珍碩

 情強き聾者の大工咄して     之道

   かたぎを残す奈良の纉上   及肩

 野の広さとしどし花を植ひろげ  正秀

   がらがらとする春の曙    珍碩

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

          『元禄俳諧集』(新日本古典文学大系71、大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)

初表

発句

 

   二句乱

 秋立て干瓜辛き雨気かな     及肩

 

 「干瓜(ほしうり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「干瓜・乾瓜」の解説」に、

 

 「〘名〙 天日に干した瓜。瓜を半分に切って種を取り、塩をつけるなどして干したもの。《季・夏》

  ※義孝集(974頃)「盗人はほそぢをみても雨ふればほしうりとてやとり収むらん」

 

とある。辛いのは保存性を高めるためにかなり塩を多くしていたからだろう。冷蔵庫のなかった時代は一般的に保存食は塩辛かった。

 秋になって雨も多くなると空気が湿って、付着した塩がしみ込んで余計に塩辛くなるということがあったのかもしれない。

 二句乱は『元禄俳諧集』(新日本古典文学大系71、一九九四、岩波書店)の櫻井武次郎注に、

 

 「二句置乱吟の略。出勝ちだが、同一人物が付ける場合、間に二句隔てる。」

 

とある。

 

季語は「秋立て」で秋。「雨気」は降物。

 

 

   秋立て干瓜辛き雨気かな

 敷居ふまへて戸をはづす月    珍碩

 (秋立て干瓜辛き雨気かな敷居ふまへて戸をはづす月)

 

 雨気で部屋の中もじめじめしているので戸を外して風通しを良くする。敷居は踏んではいけないものだが、建付けの悪い戸を外そうとすると、どうしても踏まざるを得なくなる。

 月は発句に付いた場合は立秋頃の月で名月ではない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「敷居」「戸」は居所。

 

第三

 

   敷居ふまへて戸をはづす月

 早稲藁をすぐり仕まへば用もなし 之道

 (早稲藁をすぐり仕まへば用もなし敷居ふまへて戸をはづす月)

 

 「すぐり藁」は『元禄俳諧集』の櫻井注に、

 

 「『すぐり藁』は、繩等の材料にするために葉の部分等を取ったもの。」

 

とある。

 前句を名月の頃にして、早稲の刈り取りも終わり、残った藁の処理が終われば名月を迎えられるとする。

 

季語は「早稲藁」で秋。

 

四句目

 

   早稲藁をすぐり仕まへば用もなし

 人はしり寄辻の放下師      昌房

 (早稲藁をすぐり仕まへば用もなし人はしり寄辻の放下師)

 

 放下師(はうかし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「放下師」の解説」に、

 

 「〘名〙 放下③を行なう者。曲芸師。手品師。放下つかい。

  ※俳諧・天満千句(1676)一〇「放下師も来べき宵也所望せん〈武仙〉 日待と申若ひ衆といひ〈利方〉」

 

とある。「放下」は「精選版 日本国語大辞典「放下」の解説」に、

 

 「③ 中世・近世に行なわれた芸能の一つ。小切子(こきりこ)を打ちながら行なう歌舞・手品・曲芸などの芸。また、それを専門に行なう者。多くは僧形であったが、中には頭巾の上に烏帽子をかぶり、笹を背負った姿などで演ずるものもあった。放下師。放下僧。放家。放歌。ほうげ。」

 

とある。

 収穫後の仕事が一通り終わると暇になるので、辻に放下師がやってくるとみんな走って見に行く。

 

無季。「人」「放下師」は人倫。

 

五句目

 

   人はしり寄辻の放下師

 膳棚も淋しく見ゆる田舎旅    正秀

 (膳棚も淋しく見ゆる田舎旅人はしり寄辻の放下師)

 

 放下師は固定された芝居小屋などの娯楽のない田舎を渡り歩くことが多かったのだろう。みんな放下師を見に行ってしまったのか、宿は人の姿もなく、膳棚だけが淋しく見える。

 

無季。旅体。

 

六句目

 

   膳棚も淋しく見ゆる田舎旅

 もがりつぶれし頃日のかぜ    探志

 (膳棚も淋しく見ゆる田舎旅もがりつぶれし頃日のかぜ)

 

 「もがり」は虎落という字を当てる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虎落」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「虎落」は、中国で粗い割り竹を組んで作った垣のこと。用字はその転用)

  ① 竹を筋違いに組み合わせ、縄で結い固めた柵。また、枝を落とした竹を粗く編み合わせて家の囲いとした垣根や塀など。竹もがり。

  ※史記抄(1477)一三「甬道は道の両方をもかりのやうにして筒の如にするぞ」

  ② 枝のついた竹などを立て並べ、物を干すのに用いるもの。特に紺屋で紺掻きなどの干し場に高く作った設備。

  ※俳諧・類船集(1676)加「紺掻(こんかき)の門にはもがりを立る也」

 

とある。紺屋の連想を誘うものだったか。

 

無季。「もがり」は居所。

初裏

七句目

 

   もがりつぶれし頃日のかぜ

 畚提て船のこけらを拾ふらむ   珍碩

 (畚提て船のこけらを拾ふらむもがりつぶれし頃日のかぜ)

 

 畚(ふご)はもっこのことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「畚」の解説」に、

 

 「① 農夫などが物を入れて運ぶのに用いる、縄の紐のついたかごの一種。竹や藁で編んだもの。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※広本拾玉集(1346)一「早蕨の折にしなれば賤の女がふこ手にかくる野辺の夕暮」

  ② 魚を入れるかご。びく。

  ※読本・近世説美少年録(1829‐32)一「船なる魚籃(フゴ)を、もて来て」

 

とある。

 船のこけらは壊れた船の廃材のことであろう。もがりの応急修理に用いる。

 

無季。「船」は水辺。

 

八句目

 

   畚提て船のこけらを拾ふらむ

 はすね頭の髪もたばねず     之道

 (畚提て船のこけらを拾ふらむはすね頭の髪もたばねず)

 

 「はすね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蓮根」の解説」に、

 

 「はす‐ね【蓮根】

〘名〙

  ① 蓮の地下茎。多くの穴があり、食用となる。れんこん。

  ▼はすね掘(ほ)る《季・冬》

  ※俳諧・毛吹草(1638)一「散花でふたする池のはすね哉」

  ② 小児の頭部または臀部などにできる一種の瘡(かさ)。〔易林本節用集(1597)〕」

 

とある。この場合は②の意味。

 船のこけらを拾う人を近所の子どもとする。秘密基地でも作るのだろう。

 

無季。

 

九句目

 

   はすね頭の髪もたばねず

 居ならぶ増水時の夕まぐれ    昌房

 (居ならぶ増水時の夕まぐれはすね頭の髪もたばねず)

 

 「居ならぶ」は「すゑならぶ」と読む。

 雑炊というと今では宴会の締めに食べるが、この頃の雑炊は貧しい家の雑穀や野菜を放り込んだだけの雑炊というイメージがあったのだろう。「居ならぶ」という所に貧乏人の子沢山が感じられる。

 

無季。

 

十句目

 

   居ならぶ増水時の夕まぐれ

 神鳴おぢる娘かはゆき      正秀

 (居ならぶ増水時の夕まぐれ神鳴おぢる娘かはゆき)

 

 「おぢる」は今日の「おじけづく」の名残を残している。

 雑炊を食っている貧しい子供たちの中には雷を怖がる娘がいて痛々しい。

 ただ大人でも雷が怖い人は結構いたようで、支考の『梟日記』で玖珠に行った時に雷にあい、

 

 「おどろくもの五人、おどろかぬもの二人ばかり。朱拙まづおどろく。亭のあるじいねたり。西華坊その第五指にあたるものなり。晴て後是を論ずるに、おどろかぬ人の曰、我々も是が好にはあらずと、おどろく人の曰、好不好といふは、芝居の太鼓などにあるべし。世に誰か好物あらん。」

 

と記している。支考も雷が怖かった。

 まあ、実際に雷に打たれたら死ぬから、避雷針のなかった時代には怖がる方が普通だったのだろう。

 

 稲妻に悟らぬ人の貴さよ     芭蕉

 

の句もある。

 

季語は「神鳴」で夏。「娘」は人倫。

 

十一句目

 

   神鳴おぢる娘かはゆき

 掛て置合羽の雫たりやまず    之道

 (掛て置合羽の雫たりやまず神鳴おぢる娘かはゆき)

 

 雷雨の中を余所の家で合羽を借りて帰ってきたか。

 

無季。「合羽」は衣裳。

 

十二句目

 

   掛て置合羽の雫たりやまず

 肌寒々と博奕初める       珍碩

 (掛て置合羽の雫たりやまず肌寒々と博奕初める)

 

 雨が降ろうと槍が降ろうと博奕はやめられない。

 

季語は「肌寒々」で秋。

 

十三句目

 

   肌寒々と博奕初める

 月の前酒にせはしき近喝餌    正秀

 (月の前酒にせはしき近喝餌肌寒々と博奕初める)

 

 「近喝餌(ちかかつゑ)」は『元禄俳諧集』の櫻井注に、

 

 「飲食の後ですぐに空腹を感じること。」

 

とある。酒を飲むとアルコールを分解するのに血中グルコース(血糖)を消費するため、血糖値が下がって空腹を感じるそうだ。

 月夜は早く寝るのももったいなく、追加の料理が出てくるのを待って、その間に博打を始めるものもいる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十四句目

 

   月の前酒にせはしき近喝餌

 菜を蒔なりと寺の傭人      探志

 (月の前酒にせはしき近喝餌菜を蒔なりと寺の傭人)

 

 「傭人」は「やとひど」。お寺での月見の宴とする。料理を催促すると「今種を蒔いてますから」と、結構お約束のネタ。

 

季語は「菜を蒔」で秋。釈教。「傭人」は人倫。

 

十五句目

 

   菜を蒔なりと寺の傭人

 上ばりに鶏盗む臼の陰      昌房

 (上ばりに鶏盗む臼の陰菜を蒔なりと寺の傭人)

 

 寺の傭人は上っ張りの中に鶏を隠して盗もうとする。「何をしてるんだ」と問い詰めると、「菜を蒔きに」とか嘘をいう。

 

無季。「上はり」は衣裳。「鶏」は鳥類。

 

十六句目

 

   上ばりに鶏盗む臼の陰

 日和にむきし霜の朝あけ     及肩

 (上ばりに鶏盗む臼の陰日和にむきし霜の朝あけ)

 

 鶏泥棒は盗みに入るタイミングとして、これから天気の回復する霜の朝を選んだ。寒いからなかなか主人が起きてこないだろうという読みか。

 冬の初め、寒冷前線が通り過ぎると低気圧が東の海上に抜けて行って西高東低の冬型気圧配置になる。空はからっと晴れるが寒さが厳しく、霜が降り木枯らしが吹く。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

十七句目

 

   日和にむきし霜の朝あけ

 どしどしと板椽ぬぐふ花盛    珍碩

 (どしどしと板椽ぬぐふ花盛日和にむきし霜の朝あけ)

 

 椽は垂木だが縁の意味で用いることもある。この場合も板を張った縁側の霜を拭うということだろう。花盛りだけどこの時期は花冷えで遅霜が降りることもある。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   どしどしと板椽ぬぐふ花盛

 荷ひつれたる春の入草      之道

 (どしどしと板椽ぬぐふ花盛荷ひつれたる春の入草)

 

 「入草(いりくさ)」は『元禄俳諧集』の櫻井注に、

 

 「苗代を作るとき、こやしに草を入れることか。」

 

とある。また、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入草」の解説」には、

 

 「〘名〙 狩場の草むら。小鳥がハヤブサの目から身を隠す草むら(日葡辞書(1603‐04))。

  ※定家鷹三百首(1539)冬「わか鷹のとりもぬかさで入草にやがてかたむることのかなしさ」

 

とある。

 いずれにせよ山の中で何か荷物を運ぶ人たちがいて、古い荒れた社か何かを見つけて、その縁側で休もうにも余りに汚いので拭うということだろう。

 

季語は「春」で春。

二表

十九句目

 

   荷ひつれたる春の入草

 幅広き砂川渡る長閑さよ     探志

 (幅広き砂川渡る長閑さよ荷ひつれたる春の入草)

 

 「入草」は単純に草叢の意味でいいのかもしれない。

 幅の広い砂川は水も浅く、春は日を遮るものもなく暖かい。

 

季語は「長閑」で春。「砂川」は水辺。

 

二十句目

 

   幅広き砂川渡る長閑さよ

 羽織そろゆる講参り也      及肩

 (幅広き砂川渡る長閑さよ羽織そろゆる講参り也)

 

 講参りはみんなでお金を出し合って、積み立てていって、交代で誰かが代表でお参りに行くことで、伊勢講、富士講、三峯講、住吉講など江戸時代はお参りを兼ねて旅行を楽しんだ。

 

無季。旅体。神祇。「羽織」は衣裳。

 

二十一句目

 

   羽織そろゆる講参り也

 行にして朝起ならふ五六日    之道

 (行にして朝起ならふ五六日羽織そろゆる講参り也)

 

 毎朝早く起きて旅をするが、これも修行の一つ。一応講参りだし。

 

無季。

 

二十二句目

 

   行にして朝起ならふ五六日

 薬を休む喰ものの味       芭蕉

 (行にして朝起ならふ五六日薬を休む喰ものの味)

 

 規則正しい生活をしていると食い物も美味く感じられ、薬も要らなくなる。

 

無季。

 

二十三句目

 

   薬を休む喰ものの味

 母親の仕立て見する嫁入夜着   正秀

 (母親の仕立て見する嫁入夜着薬を休む喰ものの味)

 

 婚礼も近く、母親が夜着を仕立ててくれる。もうすぐ母の作る料理を食うこともなくなる。

 

無季。恋。「母親」は人倫。「夜着」は衣裳。

 

二十四句目

 

   母親の仕立て見する嫁入夜着

 恋にさし出る旦那山臥      昌房

 (母親の仕立て見する嫁入夜着恋にさし出る旦那山臥)

 

 旦那山はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「檀那山伏・旦那山伏」の解説」に、

 

 「〘名〙 常日頃その家に出入して、祈祷などをする山伏。ふだん信仰を受けている山伏。

  ※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)一「旦那山伏(タンナヤマフシ)の多門院、めでたき事どもを語れば、あるじうれしさのあまりに」

 

とある。「さし出る」はでしゃばることで、今日にも「さしでがましい」という言葉が残っている。

 山伏は吉凶だとか方位だとかにうるさそうだ。夜着についてもあれこれ注文を付けているのでは。

 

無季。恋。「旦那山臥」は人倫。

 

二十五句目

 

   恋にさし出る旦那山臥

 江戸棚を持て在所の門がまへ   珍碩

 (江戸棚を持て在所の門がまへ恋にさし出る旦那山臥)

 

 江戸棚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「江戸店・江戸棚」の解説」に、

 

 「〘名〙 他の地方の人が江戸に設けた店。特に、上方の商人が、江戸に置いた支店。

  ※浮世草子・好色一代女(1686)四「江戸棚(えどダナ)さんざんにしほうけて京へのぼされける」

 

とある。裕福な家のお嬢さんがいるのだろう。旦那山伏が狙っている。

 

無季。「門がまへ」は居所。

 

二十六句目

 

   江戸棚を持て在所の門がまへ

 麦を煎香に咽のかはきし     之道

 (江戸棚を持て在所の門がまへ麦を煎香に咽のかはきし)

 

 麦は煎って粉にしてはったい粉を作った。ウィキペディアに、

 

 「はったい粉(はったいこ、糗粉、麨粉)は、オオムギの玄穀を焙煎した上で挽いた粉。ハダカムギを原料とするものもある。麦焦がし(むぎこがし)、煎り麦(いりむぎ)、香煎(こうせん)、おちらし粉とも呼ばれる。大豆から作られる「きな粉」と混同されやすいが、色は灰褐色である。夏の季語。」

 

とある。この粉をお湯で溶いて飲んだ麦湯が麦茶の起源とされている。

 江戸から帰った者が在所の香ばしい麦こがしの匂いに、麦湯が飲みたくなったか。

 

季語は「麦を煎」で夏。

 

二十七句目

 

   麦を煎香に咽のかはきし

 脛引の間に蚤にせせられて    探志

 (脛引の間に蚤にせせられて麦を煎香に咽のかはきし)

 

 脛引は「ももひき」。麦湯の季節は蚤に食われる。「せせる」は「せせらわらう」のせせる。

 

季語は「蚤」で夏、虫類。「脛引」は衣裳。

 

二十八句目

 

   脛引の間に蚤にせせられて

 宵の小雨に真竹生出る      及肩

 (脛引の間に蚤にせせられて宵の小雨に真竹生出る)

 

 孟宗竹に席巻されるまでは、日本の竹といえばマダケだった。

 蚤の出てくる季節は竹の子の季節でもある。雨が降ると文字通り「雨後の竹の子」だ。

 

季語は「真竹生出る」で夏、植物、木類でも草類でもない。「小雨」は降物。

 

二十九句目

 

   宵の小雨に真竹生出る

 森々と囲居の伊豫簾もる月に   正秀

 (森々と囲居の伊豫簾もる月に宵の小雨に真竹生出る)

 

 「伊豫簾(いよす)」は「いよすだれ」の略。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「伊予簾」の解説」に、

 

 「平安時代の伊予国(愛媛県)の代表的な物産。都の貴族の邸宅で日よけとして使われ、風情あるものとされたらしく、『枕草子(まくらのそうし)』に「庭いと清げにはき、伊予簾掛け渡し、布障子など張らせて住ひたる」とあり、『詞花集』に「逢事(あうこと)はまばらに編めるいよ簾いよいよ人を佗(わび)さする哉(かな)」とある。『愛媛面影(えひめのおもかげ)』に「伊予国むかしより簾を出す、名産なり、篠(しの)もて荒々と編たり」とある。愛媛県上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町露峰(つゆみね)のイヨス山66アールの地に自生している直径3ミリメートル、長さ2メートルぐらいのイヨダケという細長い竹を原料とする。江戸時代大洲(おおず)藩に属し、製品は大坂あたりへも出されたが、現在は民芸品として地元でわずかに生産されている。[伊藤義一]」

 

とある。

 前句を竹林に囲まれた所での隠棲とし、伊予簾に月の光が漏れる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「囲居」は居所。

 

三十句目

 

   森々と囲居の伊豫簾もる月に

 こころを告る秋のひよどり    昌房

 (森々と囲居の伊豫簾もる月にこころを告る秋のひよどり)

 

 ひよどりは和歌では「ひえどり」といい、

 

 このうちにまだ棲み馴れぬひえどりは

     心なくてもよをすぐすかな

              土御門院(夫木抄)

 

の歌がある。

 前句の囲居の住人はまだ棲みなれていなくて、世俗の物憂いことが気にかかる。それをヒヨドリの声が思い知らせてくれる。

 

季語は「秋」で秋。「ひよどり」は鳥類。

二裏

三十一句目

 

   こころを告る秋のひよどり

 山畑の木練色づく風の音     芭蕉

 (山畑の木練色づく風の音こころを告る秋のひよどり)

 

 木練(こねり)は木練柿のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木練柿」の解説」に、

 

 「① 木になったままで熟し、あまくなる柿の類。木練りの柿。木練り。《季・秋》

  ※実隆公記‐永正七年(1510)九月一二日「木練柿一折同進上」

  ② 「ごしょがき(御所柿)」の異名。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。「椑柿(きざはし)」とも言い、

 

 椑柿や鞠のかゝりの見ゆる家   珍碩

 

の句もある。山畑に柿が色づき、風がヒヨドリの声を運んでくる。

 

季語は「木練」で秋、植物、木類。「山畑」は山類。

 

三十二句目

 

   山畑の木練色づく風の音

 石地の坂を帰る宮坊       珍碩

 (山畑の木練色づく風の音石地の坂を帰る宮坊)

 

 宮坊は神社に付属して置かれた宮寺、神宮寺などの僧。当時は荒れ果てていた朝熊山の菩提山神宮寺のイメージか。

 

無季。「宮坊」は人倫。

 

三十三句目

 

   石地の坂を帰る宮坊

 情強き聾者の大工咄して     之道

 (情強き聾者の大工咄して石地の坂を帰る宮坊)

 

 「情強き」は頑固だということ。だいたい大工さんだとか職人さんてのは頑固なイメージがある。聾者でなくても仕事中に集中していると返事はしないし、仕事の邪魔されたということで怒られることが多いので気をつけよう。

 宮坊さんも、うっかり話しかけてしまったんだろうな。

 

無季。「大工」は人倫。

 

三十四句目

 

   情強き聾者の大工咄して

 かたぎを残す奈良の纉上     及肩

 (情強き聾者の大工咄してかたぎを残す奈良の纉上)

 

 纉上(せんじゃう)は僭上でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「僭上」の解説」に、

 

 「〘名〙 (形動) (「せんじょう」とも)

  ① 臣下、使用人などが、身分を越えて長上をしのぐこと。分をわきまえずにさし出た行ないをすること。また、そのさま。

  ※本朝文粋(1060頃)一・孫弘布被賦〈源英明〉「及下彼潔二身於相府一、流中誉於明代上、管仲之有二三帰一、僭上可レ嫌」

  ※太平記(14C後)二三「此の中夏の儀蛮夷僭上(センシャウ)無礼の至極是非に及ばず」 〔漢書‐食貨志上〕

  ② 分を過ぎた贅沢をすること。おごりたかぶること。みえをはること。また、そのさま。過差。

  ※仮名草子・犬枕(1606頃)「はなしにしまぬ物 一 せんしゃうの事」

  ※評判記・色道大鏡(1678)一三「惣じて当郭の傾城の心を量るに、大かたうは気にて、僣上(センシャウ)をもととす」

  ③ 大言壮語すること。ほらを吹くこと。また、そのさま。

  ※咄本・当世軽口咄揃(1679)一「物ごと専少(センシャウ)ゆいたがる江戸商人」

 

とある。この場合は③だろう。

 奈良の大工はお寺を建てる宮大工だろう。大きな寺院を手掛けてきた大工はプライドが高いし言うこともでかい。

 

無季。「奈良」は名所。

 

三十五句目

 

   かたぎを残す奈良の纉上

 野の広さとしどし花を植ひろげ  正秀

 (野の広さとしどし花を植ひろげかたぎを残す奈良の纉上)

 

 奈良の春日野であろう。桜の木を植え広げて行く。前句を奈良春日野の花守とする。

 元禄七年秋の芭蕉が同座した最後の俳諧興行「白菊の」の巻十七句目に、

 

   彼岸のぬくさ是でかたまる

 青芝は殊にもえ立奈良の花    芭蕉

 

の句を付けている。前句は洒堂(珍碩)。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   野の広さとしどし花を植ひろげ

 がらがらとする春の曙      珍碩

 (野の広さとしどし花を植ひろげがらがらとする春の曙)

 

 「がらがら」は車や戸などの音で、碾臼などの音も入っているかもしれない、朝早くから人々が活発に動き回り、今日も平和な一日が始まる。

 

   大道曲   謝尚

 青陽二三月 柳青桃復紅

 車馬不相識 音落黃埃中

 (春の二月三月の柳は青く桃もまた赤い

  車も馬もお互いを知らないまま音だけが黃埃の中に)

 

の心であろう。

 

季語は「春」で春。