「鷺の足」の巻、解説

延宝九年秋

   表題

  晋伯-倫傳酒-德頌樂-天継以酒-功讃青醉之續

  信-德七百-五-十-韻 二百五十韻

  挨拶を爰では仕たい花なれど

   又かさねての春もあるべく

 

初表

 鷺の足雉脛長く継添て       桃青

    這_句以荘-子可見矣      其角

 禅骨の力たははに成までに     才丸

    しばらく風の松におかしき  揚水

 夢に来て鼾を語る郭公       其角

    灯心うりと詠じけん月    桃青

 微雨行麻がら山の木の間より    揚水

    粟に稗さく黍原の守リ    才丸

 

初裏

 侘雀畫眉を客によびけらん     桃青

    慈-悲-斉が閑つれづれにして   其角

 凩の乞食に軒の下を借ス      才丸

    先祖を見知ル霜の夜語リ   揚水

 灯火をくらく幽灵を世に反ス也   其角

    古きかうべに鬘引かけ    桃青

 武士の刃祭を荒にける       揚水

    女はなくに早きとていむ   才丸

 様あしく鏡のひづみたる恨ミ    桃青

    心の猫の月を背ける     其角

 露に寐て且易馴易忘        才丸

    乳なしの姥のかへる葛のは  揚水

 春秋を花と飡とに暇なき         其角

    白魚をかざすより餅春の宴  桃青

 

二表

 寛平のおおん俳諧合あり      揚水

    衛士挑灯を枕して睡る    才丸

 はしたなりける女房の声更て    桃青

    血摺のねまき夜や忍ぶらん  其角

 別れ來しむくろは起てたよたよと  才丸

    獄囚正を物ぐるはしむ    揚水

 天帝に目安を書て聞へあげ     其角

    桂を掘つて星種を植     桃青

 雨の擔子風のかますの冷かに    揚水

    秋に對して所-帯-堂の記     才丸

 白親仁紅葉村に送聟        桃青

    漁の火影鯛を射ル      其角

 師魚は諌め鰻は胸を割ける     才丸

    安房の御崎に流人身を泣ク  揚水

 

二裏

 向後にて行徳寺の晩鐘を      其角

    枸杞に初音の魂鳥の魄    桃青

 戀人の袂に似たるかりぎかな    揚水

    雨をくねるか夏風がつま   才丸

 夕暮は息に烟を吐思ひ       桃青

    民屋あつて腹をせばむる   其角

 笑の木愁る草の野は眛く      才丸

    亦露分る娑婆の古道     揚水

 月見けん高雄が手向嬉しくて    其角

    哀れと文を躍る夜終     桃青

 脱置し小袖よ何と物いはぬ     揚水

    朝タ枕に。とどめ。をどろく 才丸

 花に照る太神宮の寄特也      桃青

    幣に巣作る託の鳥      其角

 

     参考;『校本 芭蕉全集 第三巻』1988、富士見書房
                『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館

初表

五十一句目

 

    表題

  晋伯-倫傳酒-德頌樂-天継以酒-功讃青醉之續

  信-德七百-五-十-韻 二百五十韻

  挨拶を爰では仕たい花なれど

   又かさねての春もあるべく

 鷺の足雉脛長く継添そへて    桃青

 (鷺の足雉脛長く継添そへて又かさねての春もあるべく)

 

 これは発句ではなく、京都の信徳らが巻いた信徳編『俳諧七百五十韻』の最後の五十韻に継ぎ足して百韻にするための、いわば五十韻の挙句に付けた五十一句目だ。とはいえ、月花の定座の位置からすると、通常の五十韻の形式に従い八句目までを初表とし、初裏、二表、二裏が十四句ずつになっていて、三の表裏、名残の表裏という形にはなっていない。発句のない変則的な五十韻になっている。

 長い鷺の足にさらに雉のふくらはぎを継ぎ添えて、また重ねての春もあるべく、と付く。

 表題にある漢文は書き下し文にすると、「晋の伯倫酒徳の頌を伝う。楽天継ぐに酒功の讃を以ってす。青之に酔って信徳が七百五十韻に続ぐ。二百五十韻。」となるが、これは『和漢朗詠集』の

 

 晋建威将軍劉伯倫嗜酒。作酒徳頌伝於世。

 唐太子賓客白楽天亦嗜酒。作酒功讚以継之。

 晋の建威将軍劉伯倫は、酒を嗜みて酒徳の頌を作り世に伝ふ、

 唐の太子の賓客白楽天も、また酒を嗜み酒功の讚を作り、以てこれに継ぐ、

                (『和漢朗詠集』「酒功賛序」白居易)

 

から来ている。

 劉伶は西晋の時代の人で、阮籍、嵆康、山濤、向秀、阮咸、王戎らとともに、竹林の七賢と呼ばれた。

 ちなみに、劉伶の「酒徳の頌」は以下の通り。

 

 有大人先生。以天地為一朝、萬期為須臾、日月為扃牖、八荒為庭衢。行無轍跡、居無室廬。幕天席地、縱意所如。止則操卮執觚、動則挈榼提壺、唯酒是務、焉知其餘。有貴介公子、搢紳處士、聞吾風聲、議其所以。乃奮袂攘襟、怒目切齒、陳說禮法、是非鋒起。先生於是方捧甖承槽、銜杯漱醪。奮髯踑踞、枕麴藉糟、無思無慮、其樂陶陶。兀然而醉、豁爾而醒、靜聽不聞雷霆之聲、熟視不睹泰山之形。不覺寒暑之切肌、利欲之感情、俯觀萬物、擾擾焉如江漢之載浮萍。二豪侍側、焉如蜾蠃之與螟蛉。

 (大人先生がいた。天地を一日とし、一万年を一瞬とし、日月を扉と窓とし、大地の八つの隅を庭の道とする。どこへ行くにもわだちの跡はなく、どこに住んでも家はない。天はテントで地は敷物、心のおもむく所に行くが如くだった。

 止まれば角杯(つのさかづき)を手にして大きな丸杯をかかえ、動けば酒樽を引っぱり壺をぶら下げ、ただ酒だけを務めとし、その他のことは知らなかった。

 尊くて立派な貴族のご子息と高貴な処子がいて、その大人先生の評判を聞き、そのわけを論じた。そこで袂を振り回し、襟を乱して目は怒り歯ぎしりして、礼法の説をまくしたて、是非を鋭く言い立てた。

 先生はこのときまさに酒の入った甕を両手で持って桶に注ぎ、杯を口に含んで濁り酒で口をすすごうとしていた。頬髭を振り払い足を投げ出して坐り、味噌玉を枕に板粕を座布団にして、何も思わず何も憂えず、その楽しむ様は陶々たるものだった。

 酔って動かなくなったかと思うと、ハッと何か悟ったかのように目覚め、静かに何かを聴いているが雷の音を聞くでもなく、じっと見ているようでも泰山の形をよく見ようというのでもない。暑さ寒さが肌を切り裂くのもかまわず、利欲の感情にもかまわず、万物のその乱れ乱れた様を、大河の上に乗った浮き草のように俯瞰する。二人の豪傑も一緒に並んで、じが蜂が桑虫をわが子とするようであった。)

 

 表題は、この劉伶「酒德頌」に白居易が「酒功賛序」を作って継いだように、桃青(芭蕉)が京都の信徳を中心に如風、春澄らが巻いた『七百五十韻』(延宝九年正月刊)に二百五十韻を継ぎ足して千句にした、という意味になる。

 

季語は「雉」で春、鳥類。「鷺」も鳥類。

 

五十二句目

 

   鷺の足雉脛長く継添そへて

 這_句以荘-子をもって可見矣   其角

 (鷺の足雉脛長く継添そへて這_句以荘-子をもって可見矣)

 

 「このくそうじをもってみつべし」と読む。

 『荘子』「駢拇編」に、

 

 「彼至正者不失其性命之情、故合者不爲駢、而枝者不爲跂、長者不爲有餘、短者不爲不足。是故鳧脛雖短、續之則憂、鶴脛雖長、斷之則悲。故性長非所斷、性短非所續、無所去憂也。」

 (かの本当の正しさをわかっている者は生まれながらに運命付けられたありのままの姿を見失うことがない。そのため、指がくっついて四本になっていても指が異常に少ないとは思わないし、指が六本あっても異常に多いとは思わない。長くても無駄と思わず、短くても足りないとは思わない。つまりは、鴨の足が短いからといって、これを継ぎ足せば困るだろうし、鶴の足が長いからといって、これを短く切ったら悲しい。つまり、もとから長いものは切るべきでないし、もとから短いものを継ぎ足す必要はなく、悩むようなことは何もない。)

 

とあり、これを以て芭蕉の前句を読めという。親切というか、わざわざ解説を入れたというような句だ。

 漢文は古代から東アジアの共通の言葉ということで、公文書は基本的に漢文で表記するものだった。漢文は「仮名」で書かれた和文に対して「真名」と呼ばれた。

 そのため、貴族や武家では漢文は必須で、商家でも書類の類は漢文を用いた。

 寛文・延宝の頃というのは都市の商業が急速に発展していった時代でもあり、武家の方では廃藩や改易が多く、街にあふれた牢人たちが新たな産業に吸収され、新しい時代を作ってく時代でもあったのだろう。それはやがて元禄の時代に一つの円熟期を迎えることになる。

 この時代はまた、木版印刷による出版産業の発達した時代で、仮名草子、浄瑠璃本、そして多くの俳書が刊行されるようになった時代でもあった。

 それまで富裕層のものだった古典が、庶民の手の届くところで読めるようになったという背景があって、漢詩や老子・荘子なども庶民の共通の言葉になって行った。

 連歌は古今から新古今までの八代集の言葉を共通言語として、和歌同様「雅語」の文学として発展してきた。標準語のなかった時代は、都の言葉はあったにしても、都から離れるとそれぞれの地域の方言を喋るのが普通だった。そんな中での共通言語として「雅語」があり、職務の上では漢文が共通言語として用いられていた。

 江戸時代に入って商工業が発達し、江戸上方に大都市が形成されると、都市部の日常の言葉もまた共通言語になりつつあった。そうした中で俗語の連歌として俳諧が流行した。

 初期の俳諧は雅語の文脈に一語だけ俗語を加えるというものだったが、やがて謡曲の言葉を取り入れ、延宝も終わる頃には漢詩文もまた共通の言葉として取り入れるに至った。

 漢文だけでなく、様々な文体がこの『俳諧次韻』で実験的に試みられている。こうした過程を経て、貞享の頃には雅語をベースにしてそこに漢語や俗語の入り混じった、江戸時代の文語のスタイルが確立されてゆくことになる。

 

無季。

 

五十三句目

 

   這_句以荘-子をもって可見矣

 禅骨の力たははに成までに    才丸

 (禅骨の力たははに成までに這_句以荘-子をもって可見矣)

 

 中国で発達した禅は、それまでの中国にあった『荘子』の坐忘問答のような無為自然の境地の考え方があって、そこにインドから入ってきたヨガの修行と融合して生れたものといっていいだろう。

 その意味では、禅骨を学ぶに、教典の語句を荘子的な寓言として見るのも、的外れなことではない。

 「禅骨の力たははに成までに」という句を、荘子でもって読めというのではない。力たははに成まで読め、と付く。

 「たはは」は枝などの撓(たわ)むから来た言葉で、本来は「たわわ」と表記する。

 

 をりて見ばおちそしぬべき秋萩の

     枝もたわわにおける白露

              よみ人しらず(古今集)

 いづれをかわきて折らまし梅の花

     枝もたわわに降れる白雪

              凡河内躬恒(新勅撰集)

 

などの用例がある。転じて、実りあるという意味になる。

 

無季。釈教。

 

五十四句目

 

   禅骨の力たははに成までに

 しばらく風の松におかしき    揚水

 

 (禅骨の力たははに成までにしばらく風の松におかしき)

 

 松風は、

 

 深くいりて神路の奥をたづねれば

   また上もなき峯の松風

              西行法師(千載集)

 

の歌にもあるように、蕭蕭と無常感を漂わせて悲しげに吹く松風は、仏教の精神に通じ、禅骨の力もあふれてくる。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

五十五句目

 

   しばらく風の松におかしき

 夢に来て鼾を語る郭公      其角

 (夢に来て鼾を語る郭公しばらく風の松におかしき)

 

 前句の「松」を「待つ」との掛詞として、郭公の声を待つ情景とする。

 郭公というと、夜にその声を待ち、いつしか明け方になるのを和歌では本意とするが、その声が待てずに鼾をかいて寝てしまうというところが俳諧だ。

 その居眠りの夢の中に郭公が出てきて、「あれまあ、こんなに鼾かいて寝ちゃって」などと言ったのだろうか。外で鳴いている郭公の声が夢の中でアレンジされたのだろう。発想としては、

 

 切られたる夢はまことか蚤のあと 其角

 

の句にも通じる。

 ホトトギスは最初は愛しい人を待っているとホトトギスの声が聞こえるという趣向で、

 

 郭公人まつ山になくなれば

     我うちつけに恋ひまさりけり

              紀貫之(古今集)

 郭公松につけてやともしする

     人も山へに夜をあかすらん

              源順(拾遺集)

 

などの歌が詠まれていたが、やがて貴族の間で山近い所へホトトギスの初音を聞きに行くのが流行するようになり、恋とか抜きでホトトギスの音を待つというふうに変化していった。

 

 郭公まつはひさしき夏の夜を

     寝ぬにあけぬと誰かいひけん

              藤原公通(千載集)

 

 たづねても聞くべきものを時鳥

     人だのめなる夜はの一声

              藤原教長(千載集)

 

などの歌がある。恋という動機がないと、やはり寝てしまうものだ。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。「鼾」は夜分。

 

五十六句目

 

   夢に来て鼾を語る郭公

 灯心うりと詠じけん月      桃青

 (夢に来て鼾を語る郭公灯心うりと詠じけん月)

 

 灯心売りというのは、行燈の芯に使う藺草(いぐさ)を売る人のことをいう。燈芯は糸状のもので、器に入れた油に燈芯の一方を浸して、一方に火をともす。毛細管現象で油を吸って燃え続ける。

 『七十一番職人歌合』に

 

 月に寝ぬとうしみ売りの身のわざを

    誰聞き知らぬいびきかといふ

 

という歌があり、灯心売りは月の夜でも寝ずにイグサを撚って(引いて)いて、これを誰も聞いた人のいない「いびき」という、という意味。「藺引(いびき)」と鼾いびきを掛けている。

 芭蕉は前句の「鼾」を「藺引(いびき)」と掛けて、郭公が夢に現れて「藺引」を語ったのは、「燈芯売」と詠じたあの月の夜だった、と付く。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「灯心うり」は人倫。

 

五十七句目

 

   灯心うりと詠じけん月

 微雨行麻がら山の木の間より   揚水

 (微雨行麻がら山の木の間より灯心うりと詠じけん月)

 

 微雨は「こさめ」と読む。

 『万葉集』の、

 

 石見のや高角山の木の間より

    我が振る袖を妹見つらむか

              柿本人麻呂

 

の歌は、表向きは石見の国より妻と別れて上京する歌になっているが、実は都に登るのではなく、高角山で刑死したときの歌だとする説が伝えられている。この歌は「妹見つらむや」の形で『古今和歌六帖』にも収録されている。

 その異伝の一つとして

 

 石見のや高角山の木の間より

    うき世の月を見はてつるかな

 

の歌が伝えられてきた。この歌は中世の『正徹物語』にも記されている。

 揚水のこの句は、この伝人麻呂の辞世の歌の換骨奪胎で、「灯心」に着火に使う「麻殻」の縁で「高角山」を「麻殻山」に変え、小雨の上った後の月景色を「灯心売りの月」とする。

 

季語は「麻がら」で秋、植物、草類。「微雨」は降物。「山」は山類。

 

五十八句目

 

   微雨行麻がら山の木の間より

 粟に稗さく黍原の守り      才丸

 (微雨行麻がら山の木の間より粟に稗さく黍原の守り)

 

 飛騨地方では「管粥(くだがい)」と呼ばれる、筒状の麻殻と五穀を一緒にしてお粥を炊き、麻殻を割って現れる五穀の粒の量で、その年のどの穀物がよく取れるかを占う行事がある。かつては他の地方にも似たようなものがあったか。

 その占う人が「黍原の守り」で黍原を治める人のことであろう。

 麻は痩せ地で育つところから、山奥で雑穀などとともに栽培されることが多く、貧しげな印象を与えた。

 

季語は「粟・稗・黍」は秋、植物、草類。「守り」は人倫。

初裏

五十九句目

 

   粟に稗さく黍原の守り

 侘雀畫眉を客によびけらん    桃青

 (侘雀畫眉を客によびけらん粟に稗さく黍原の守り)

 

 畫眉は「ほじろ」と読む。ホオジロのこと。

 雀もありふれた鳥で、稲を食い荒らす害鳥でもある。「侘雀」は托鉢して人に米を乞う乞食僧の比喩だろう。昔は乞食のことを「侘び人」と言った。

 これに対し、ホオジロはかつては「畫眉」つまり眉を画くという字が当てられた。頬に白い班があるところからホオジロと呼ばれているが、その上にも眉状の白い班がある。これを平安貴族が眉を剃って眉を画いていたことになぞらえて、「畫眉」の字が当てられたという。

 寓意は明白である。乞食僧が都の貴族を連れてきてくれたのだろうか。そうなると、下句はそれを反語とし、乞食僧に見えたのは実は「黍原の守り」で、荘園を管理する立派な役職だということになる。

 

季語は「畫眉」で秋、鳥類。「雀」も鳥類。

 

六十句目

 

   侘雀畫眉を客によびけらん

 慈-悲-斉が閑つれづれにして   其角

 (侘雀畫眉を客によびけらん慈-悲-斉が閑つれづれにして)

 

 閑は「つれ」と読む。

 前句の「らん」を反語から推量に取り成す。「侘雀」の名は慈悲斉。その場の思いつきで作った適当な名前だろう。そのあと「つれ」を三度も繰り返す。『徒然草』を書いた兼好法師よりももっと閑だったということか。

 

無季。

 

六十一句目

 

   慈-悲-斉が閑つれづれにして

 凩の乞食に軒の下を借ス     才丸

 (凩の乞食に軒の下を借ス慈-悲-斉が閑つれづれにして)

 

 

 「慈-悲-斉」はその名の通り慈悲深い人で、それも閑をもてあましているとなれば、乞食を家に上げて話し込んだりもする。

 

季語は「凩」で冬。「乞食」は人倫。「軒」は居所。

 

六十二句目

 

   凩の乞食に軒の下を借ス

 先祖を見知ル霜の夜語り     揚水

 (凩の乞食に軒の下を借ス先祖を見知ル霜の夜語り)

 

 軒を貸した乞食の話をよくよく聞けば、先祖が同じだったりする。奇遇だ。 

 

季語は「霜」で冬、降物。「夜語り」は夜分。

 

六十三句目

 

   先祖を見知ル霜の夜語り

 灯火をくらく幽灵を世に反ス也  其角

 (灯火をくらく幽灵を世に反ス也先祖を見知ル霜の夜語り)

 

 幽灵は幽霊。灯火は「ともしび」と読む。

 

 前句の「夜語リ」を百物語のこととし、先祖の霊を呼び寄せる儀式とした。延宝五年(一六七七年)に『諸国百物語』が刊行され、この種の怪談はブームになっていたのだろう。

 百物語というのは、大勢で集まって百本の行灯を灯して一人ずつ怖い話をして夜を過すこととをいい、話が一つ終るたびに、行灯を一つづつ消してゆく。こうして百の物語が終わると、部屋は真っ暗になり、怪異が起るという。 

 

無季。「灯火」は夜分。

 

六十四句目

 

   灯火をくらく幽灵を世に反ス也

 古きかうべに鬘引かけ      桃青

 (灯火をくらく幽灵を世に反ス也古きかうべに鬘引かけ)

 

 句は倒置で、「灯火をくらく、古きかうべに鬘引かけ、幽灵を世に反ス也」というふうに読む。

 打越の「百物語」からは離れて、芝居か見世物小屋か何かの演出と見た方がいいだろう。幽霊に見せかけていたのは古いしゃれこうべにカツラを被せたものだった。

 今では本物のしゃれこうべにはなかなかお目にかかれないが、昔は河原に行けば時折落ちていたりしたのだろう。

 どこか、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句を彷彿させるが、この句はもっと後になってできたもの。横井也有が、さんざん驕り高ぶっていた松木淡々を戒めて詠んだ、

 

 化物の正体見たり枯尾花     也有

 

の句がもとになっている。

 

無季。

 

六十五句目

 

   古きかうべに鬘引かけ

 武士の刃祭を荒にける      揚水

 (武士の刃祭を荒にける古きかうべに鬘引かけ)

 

 武士は「もののふ」、刃祭は「やいばまつり」と読む。

 武士たるものは、庶民の祭りになど顔を出さないものだし、行くとしてもあくまでお忍びで行くもの。ここは本物の武士ではなく、庶民が作り物の刀で武士の真似をして、暴れまわっているのだろう。今で言えば一種のコスプレか。

 刀も作り物なら、もちろん討ち取った敵将の首も似せ物。 

 

季語は「祭」で夏。神祇。「武士」は人倫。

 

六十六句目

 

   武士の刃祭を荒にける

 女はなくに早きとていむ     才丸

 (武士の刃祭を荒にける女はなくに早きとていむ)

 

 いにしえの武士(もののふ)に扮した、作り物の祭りとは言っても、この種の祭りは男達の勇壮なもので、女はすぐに泣く(泣くに早き)ということで男ばかりの祭りとする。

 

無季。「女」は人倫。

 

六十七句目

 

   女はなくに早きとていむ

 様あしく鏡のひづみたる恨ミ   桃青

 (様あしく鏡のひづみたる恨ミ女はなくに早きとていむ)

 

 男というのは女ほど身なりに頓着しないもので、せっかく鏡をプレゼントしても、ちゃんと映っているかどうかろくにチェックもしないものだから、ひずんだ不良品の鏡で女を泣かせてしまう。こんな時、無粋な男はついつい言ってしまう。「これだから女は」と。

 当時の鏡はガラスではなく銅製で、常に研いで磨いておかなくてはならない。心がゆがんでいると鏡もひずむ?

 

無季。恋。

 

六十八句目

 

   様あしく鏡のひづみたる恨ミ

 心の猫の月を背ける       其角

 (様あしく鏡のひづみたる恨ミ心の猫の月を背ける)

 

 「意馬心猿」というのは心の馬、心の猿ということで、馬が走ったり猿が騒いだりするのを制することができないように、人もまたそれぞれが持つ煩悩を抑えることができないという意味。

 「意」もむかしは「こころ」と読んだし、心の馬、心の猿があるなら「心の猫」でもいいじゃないかと、おそらくこれは其角の造語だろう。其角は猫好きで、後に、

 

 ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉 其角

 蝶を噛で子猫を舐る心哉     其角

 

といった句も詠んでいる。更には、元禄十四年刊其角編の『焦尾琴』で、「古麻恋句合」という、猫をテーマにした題詠の句を集めて掲載している。

 鏡が歪んでいたのにすねて、一緒に月見をしようにもつんと背中を向けてしまう。そんな女の可愛らしさを馬や猿ではなく「心の猫」というところが其角らしい。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「猫」は獣類。

 

六十九句目

 

   心の猫の月を背ける

 露に寐て且易馴易忘       才丸

 (露に寐て且易馴易忘心の猫の月を背ける)

 

 且易馴易忘は「かつなれやすくわすれやすし」と読む。

 其角の「這_句以荘-子可見矣」の句のように、前句の注釈する。

 「心の猫」という言葉に何か出典でもあるかのように、もっともらしく漢文で、露に寝て、かつ馴れやすく忘れやすい、と解説する。

 女は男に比べ思いを切るのが早く、いつまでも未練たらたらで女々しいのは男の方だったりする。

 

季語は「露」は秋、降物。恋。

 

七十句目

 

   露に寐て且易馴易忘

 乳なしの姥のかへる葛のは    揚水

 (露に寐て且易馴易忘乳なしの姥のかへる葛のは)

 

 母乳の出なくなった姥(育ての親)は、容赦なく里に返されてしまう。既に情も移り、病気の時は露の涙に添い寝をし、我が子同然に思っていたところを、生木を引き裂くように引き離されてしまうのは何とも悲しく、切ない。

 「葛の葉」は、安倍清明誕生の伝説である「葛葉伝説(信太妻伝説)」の連想によるもので、ウィキペディアに、

 

 「葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃および歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまん おおうち かがみ)も通称「葛の葉」として知られる。稲荷大明神(宇迦之御魂神)の第一の神使であり、 安倍晴明の母とされる。」

 

とあり、

 

 「村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。

 

 恋しくば尋ね来て見よ和泉なる

     信太の森のうらみ葛の葉

 

 この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。」

 

という物語だという。

 この物語を本説として、追い出された姥の悲しみを付ける。

 

季語は「葛の葉」で秋、植物、草類。「姥」は人倫。

 

七十一句目

 

   乳なしの姥のかへる葛のは

 春秋を花と飡とに暇なき     其角

 (春秋を花と飡とに暇なき乳なしの姥のかへる葛のは)

 

 飡は「めし」。

 乳母は葛の葉の茂る貧しい家に帰って行き、育てた子供は春秋を花と美食に耽る。「花」は植物の花に限らず、色ごとの意味も含む。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

七十二句目

 

   春秋を花と飡とに暇なき

 白魚をかざすより餅春の宴    桃青

 (春秋を花と飡とに暇なき白魚をかざすより餅春の宴)

 

 白魚は『和漢三才図会』にも上饌とされていて、高級なものだった。徳川家康もこの魚には葵の紋がついているといって白魚を好み、献上させたという。

 「かざすより」という言い回しは、紀貫之の『古今集』「仮名序」の、

 

 「梅をかざすより始めて、ほととぎすを聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで‥略‥えらばせたまひける。すべて千歌二十巻、名づけて古今和歌集といふ。」

 

とあるのをふまえたもの。ここでは「花はなと飡めしとに」といいながらも、花ではなく、白魚から年末の正月準備の餅つきまでと、食い物ばかりにして、俳諧にしている。

 

季語は「餅春」で春。

二表

七十三句目

 

   白魚をかざすより餅春の宴

 寛平のおおん俳諧合あり     揚水

 (寛平のおおん俳諧合あり白魚をかざすより餅春の宴)

 

 前句の古今集仮名序のパロディーを受けて、古今集にしばしば登場する「寛平の御時きさいの宮の歌合のうた」という前書きのパロディーで応じる。

 寛平の御時きさいの宮の歌合はコトバンクの「百科事典マイペディア「寛平御時后宮歌合」の解説」に、

 

 「平安前期の歌合。《寛平后宮歌合》《寛平御時中宮歌合》とも。宇多天皇の母后班子女王が893年以前に催した。収載歌は春,夏,秋,冬,恋の5題各20番計200首が原形だったらしいが,現存伝本に完本はない。勝ち負けの判がない等,歌合としての形式には不備な点もあったが,大規模な歌合であった。《新撰万葉集》の成立(893年9月)と関連が深く,この歌合から計170首が入集している。出詠歌人には紀友則,藤原興風,紀貫之等がいる。」

 

とある。 

 

無季。

 

七十四句目

 

   寛平のおおん俳諧合あり

 衛士挑灯を枕して睡る      才丸

 (寛平のおおん俳諧合あり衛士挑灯を枕して睡る)

 

 歌合せには「枕」は付き物。「枕」というのは頭に敷くもののことで、和歌では、ある言葉を言い起こすための頭に持ってくる言葉を枕詞という。「山鳥の尾に置く」枕といえば「足引きの」ということになる。

 また、ある種の情を言い起こすための地名は「歌枕」と呼ばる。たとえば、「いつ見きとてか恋しかるらむ」という情を言い興すために持ってくる地名は「泉川」となる。

 清少納言の『枕草子まくらのそうし』というのも、本来は会話を切り出す際の頭に敷く、「枕」を集めたものだったのだろう。たとえば、春の挨拶だったら、

 「いやあー春でんなー」

 「春ゆーたら曙でんなー」

 「そう、白くなってゆく山際に紫の雲の低くたなびいて、風情ありまんなー」

てな具合に会話がはずんでゆく。

 歌合せが行われるとはいえ、風流のわからないものには退屈なもので、庭に詰めている警護の人もあまりにも平和で何事もなく、ただただ眠くなるばかりだった。

 

無季。「衛士」は人倫。

 

七十五句目

 

   衛士挑灯を枕して睡る

 はしたなりける女房の声更て   桃青

 (はしたなりける女房の声更て衛士挑灯を枕して睡る)

 

 「はしたなし」という言葉は本来は「端なし」という字を当て、どっちつかず、中途半端という意味だった。その一方で身分の低いものも「はした(端)」と呼ばれていた。後世、この二つの言葉はいっしょくたになり、「はした」のものだから「はしたない」というイメージになり、身分の低いものの無作法な様子も「はしたない」と呼ばれるようになった。

 ここでも「はしたなりける」というのは、身分の低い女房(御殿などに使える女性)がはしたなく発する声という両方の意味を持つ。どういう声かは御想像にまかせる。

 衛士の目を盗んで男が通うのは、王朝時代の伝統。もっともここでは、衛士は王朝時代の官職ではなく、当時の警備の人のことだろう。

 

無季。恋。「女房」は人倫。

 

七十六句目

 

   はしたなりける女房の声更て

 血摺のねまき夜や忍ぶらん    其角

 (はしたなりける女房の声更て血摺のねまき夜や忍ぶらん)

 

 白地に逢いや金銀の泥などを摺りつけた布を「地摺(ちずり)」というが、ここでは血を摺りつけた「血摺ちずり」。何の血なのかは、不明というか、これも御想像におまかせということだろう。

 

無季。恋。「ねまき」は衣装。「夜」は夜分。

 

七十七句目

 

   血摺のねまき夜や忍ぶらん

 別れ来しむくろは起てたよたよと 才丸

 (別れ来しむくろは起てたよたよと血摺のねまき夜や忍ぶらん)

 

 前句の「血摺ちずり」を刃傷沙汰としての展開。「むくろ」というのは本来首をはねた後の首なし死体のことで、それが起き上がって追っかけてきたりしたら怖い。執念というか。天和調ならではのスプラッターもの。

 

無季。恋。

 

七十八句目

 

   別れ来しむくろは起てたよたよと

 獄囚正を物ぐるはしむ      揚水

 (別れ来しむくろは起てたよたよと獄囚正を物ぐるはしむ)

 

 「獄囚正」は「ひとやのかみ」と読む。王朝時代の牢獄の長官。

 前句の首なし死体を処刑された罪人とし、それが夜な夜な夢に現れて、獄囚正は今でいうノイローゼになる。

 

無季。「獄囚正」は人倫。

 

七十九句目

 

   獄囚正を物ぐるはしむ

 天帝に目安を書て聞へあげ    其角

 (天帝に目安を書て聞へあげ獄囚正を物ぐるはしむ)

 

 「目安」というのは「目に安し」、つまり見やすく書いたもののことで、読みやすく箇条書きにして書いた訴状のことを「目安」とよんだことから、室町時代以降には訴状一般のことを「目安」と呼んだという。

 地上では絶大な権力を持つ獄囚正であっても、天帝にその悪事を直訴されてしまってはひとたまりもない。人を裁く側から一転して裁かれる側に。こりゃノイローゼになる。

 なお、目安箱の設置は一七二一年、八代将軍吉宗の時代のことで、この頃にはまだなかった。

 

無季。

 

八十句目

   天帝に目安を書て聞へあげ

 桂を掘て星種を植        桃青

 (天帝に目安を書て聞へあげ桂を掘て星種を植)

 

 中国の伝説では、月には高さ五百丈(約千五百メートル)もの桂の木が生えているという。この桂の茂り具合によって月の満ち欠けが起るとされ、そこから月自体のことを桂と言うこともあった。

 桂を掘ってしまえば、当然月はなくなり、そこに星が輝けば星月夜となる。

 「月」という言葉を使わずに「桂」という言葉で月を出す。この巻の前半となる信徳編の『俳諧七百五十韻』の「八人や」の巻五十韻でも月の代わりに中間を使っている。

 

「桂」はここでは月のことで秋、夜分、天象。「星」も夜分、天象。

 

八十一句目

 

   桂を掘て星種を植

 雨の擔子風のかますの冷かに   揚水

 (雨の擔子風のかますの冷かに桂を掘て星種を植)

 

 月の桂を抜いて星の種を撒くというと、擔子(たご)とかますが必要になる。

 擔子はたご桶のことで、肥えを運ぶ肥えたごがよく知られている。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「担桶」の解説」に、

 

 「① 水などを入れて、天秤(てんびん)棒などでになうおけ。にないおけ。たごおけ。〔黒本本節用集(室町)〕

  ※日葡辞書(1603‐04)「Tagouo(タゴヲ) ニナウ」

  ② (「こえたご(肥桶)」の略) 糞尿を入れて運ぶおけ。こえおけ。たごおけ。

  ※雑俳・柳多留‐四四(1808)「江戸では無用京都では担桶を出し」

 

とある。

 かますはコトバンクの「世界大百科事典内の叺の言及」に、

 

 「…穀物の乾燥用などの農作業用や荷物の包装材料としても広く用いられる。〈かます(叺)〉はむしろを二つ折りにして左右の両端を縫い閉じたもので,肥料,石炭,塩,穀類などを入れた。むしろはむしろ機,筬(おさ),刺竹(さしだけ)などを用いて織る。…」

 

とある。

 黄帝と争って負けた蚩尤の配下である雨師と風伯がせっせと農作業に励む場面を思わせる。雨師は肥たごを担ぎ、風伯は袋を背負い、あらぶる神の面目もなくしおらしい。

 冷ややかは、

 

 露はらふ衣々よりも立ちあかす

     身はひややかにあくる秋風

              正徹(草根集)

 

などの用例がある。

 

季語は「冷(ひやや)か」で秋。

 

八十二句目

 

   雨の擔子風のかますの冷かに

 秋に對して所-帯-堂の記     才丸

 (雨の擔子風のかますの冷かに秋に對して所-帯-堂の記)

 

 前句の「雨」「風」を雨師・風伯のことではなく、単に地上で雨の中を擔子を担ぎ、風の中を袋を背負ったとした。なにやら「雨にも負けず、風にも負けず」という後の宮沢賢治のようだ。

 注釈付けというのはこの巻では一つのパターンになったか。あたかも前句が『所帯堂記』という書物に記されているかのように付ける。

 所帯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「所帯・世帯」の解説」に、

 

 「① (身に帯びている物の意) 所持している物やついている地位などをいう。所領。知行。官職。財産。せたい。

  ※本朝文粋(1060頃)六・申民部大輔状〈橘直幹〉「所帯両官、皆被二停止一」

  ※浮世草子・新御伽婢子(1683)二「是なん菩提(ぼたい)の知識なるべしと一所の所帯(ショタイ)を沽却し髻(もとどり)切てながく仏道修行の道人となりしが」

  ② (━する) 一家を構えて独立した生計を営むこと。また、その生活。暮らし向き。せたい。「所帯をやりくりする」

  ※虎明本狂言・因幡堂(室町末‐近世初)「某がおんなどもが、大ざけをたべて、酔狂をいたし、しょたいの事もとんじゃくいたさず」

  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「をかし、男、伊勢の国にてしょたいしてあらむと云ひければ」

  ③ 住居および生計を同じくしている者の集団。せたい。」

 

とある。③は近代の意味で、ここでは②であろう。とある隠士が自ら畑を耕す生活を『所帯堂記』という書物に書き表した、という設定であろう。

 

季語は「秋」で秋。

 

八十三句目

 

   秋に對して所-帯-堂の記

 白親仁紅葉村に送聟       桃青

 (白親仁紅葉村に送聟秋に對して所-帯-堂の記)

 

 これもまたあやしげな漢文で

 「しろきおやぢこうえふそんにむこをおくる」と読む。

 

、「親仁」は漢文では仁に親しむと読むが、これを「おやじ」と読ませるのは日本語で、和製漢語になる。「白親仁」と書くと、何となく漢文っぽい。白髪頭のオヤジという意味か。「紅葉村」も「こうようそん」と読めば、何か中国っぽい。

 「所帯堂」から「所帯を持つ」という連想で「聟を送る」となる。ちなみに「所帯」も和製漢語。

 全体は黄庭堅の、

 

   謝公定和二範鞦懷五首邀予同作 黄庭堅

 四會有黄令 學古著勳多

 白頭對紅葉 奈此摇落何

 雖懷斲鼻巧 有斧且無柯

 安得五十絃 奏此寒士歌

 

 四会県には黄という令がいて、古典を学んですぐれた著作も多い。

 白髪頭で紅葉に向かっても、これを揺り落すことはできない。

 鼻を削ぐような技術があっても、ここにある斧は取っ手がない。

 どうして五十絃の瑟を得ることができよう、貧しい寒士の歌を奏でるのに。

 

という詩によるという。

 ギブソンのハミングバードの上位モデルのDoveはボディのバックとサイドにメイプルを用いているが、古代中国の瑟にも楓が用いられていたのだろうか。

 紅葉の美しさに向かうという日本的な意味ではなさそうだ。

 

季語は紅葉で秋、植物、木類。「親仁」「婿」は人倫。「村」は居所。

 

八十四句目

 

   白親仁紅葉村に送聟

 漁の火影鯛を射ル        其角

 (白親仁紅葉村に送聟漁の火影鯛を射ルル)

 

 かの白親仁(しろきおやぢ)は漁師で、婿の婚礼のために鯛をつかまえに行ったのだろう。しかし、弓で射るという漁法なんて本当にあるのか。鯛は海の深いところにすむ魚で、水面近くには上ってこないし、射った鯛は矢に紐でもつけておかないと、そのままどこかへ行っちゃいそうだ。

 

無季。「漁(いさり)」「鯛」は水辺。火影は夜分。

 

八十五句目

 

   漁の火影鯛を射ル

 師魚は諌め鰻は胸を割ける    才丸

 (師魚は諌め鰻は胸を割ける漁の火影鯛を射ル)

 

 ブリは「鰤」と書き、魚偏に師匠の師を書く。だから、ブリは師匠にふさわしく鯛を諌めたが、鯛はいうことを聞かずに勇んで飛び出していっては敵の弓に射られた。 それを見て、ウナギは胸を裂かれるような思いになったという。ウナギは今日の関東では腹切りを嫌い、背開きにするが、当時は江戸でも関西式に腹開きにしていたか。

 

季語は「師魚(ぶり)」で冬、水辺。「鰻」も水辺。

 

八十六句目

 

   師魚は諌め鰻は胸を割ける

 安房の御崎に流人身を泣ク    揚水

 (師魚は諌め鰻は胸を割ける安房の御崎に流人身を泣ク)

 

 安房の国は七二四年に伊豆、常陸、佐渡、隠岐、土佐などとともに遠流の地とされた。頼朝挙兵も伊豆を逃れた頼朝がこの安房の地にたどり着いたところから始まった。

 おそらく都から流されてきた貴族が、土地の漁師にブリとウナギの寓話でも聞かされたのだろう。それを聞いて涙するのは、在原業平が都鳥の名に涙するようなものか。

 

無季。「御崎」は水辺。

二裏

八十七句目

 

   安房の御崎に流人身を泣ク

 向後にて行徳寺の晩鐘を     其角

 (向後にて行徳寺の晩鐘を安房の御崎に流人身を泣ク)

 

 

 晩鐘は「いりあひ」と読む。

 行徳寺は千葉県茂原市中善寺にある。

 「向後(きゃうご)」はこれから後という意味。安房の流人となった今、これからは行徳寺の入相の鐘を聞いて過すのみだと、我が身を泣く。だが、安房から茂原までは結構距離があり、実際に鐘の音が聞こえるとは思えない。

 「向後」の用例は、白居易の詩にある。

 

  十二月二十三日作、兼呈晦叔  白居易

 案頭暦日雖未尽 向後唯残六七行

 床下酒瓶雖不満 猶応酔得両三場

 病身不許依年老 拙宦虚教逐日忙

 聞健偷閑且勤飲 一杯之外莫思量

 

 暮れも押し迫り、残る所あと六七日、という所で用いている。

 

無季。釈教。

 

八十八句目

 

   向後にて行徳寺の晩鐘を

 枸杞に初音の魂鳥の魄      桃青

 (向後にて行徳寺の晩鐘を枸杞に初音の魂鳥の魄)

 

 クコ(枸杞)の実はβカロチンやビタミンAが豊富に含まれている上、赤い色素であるベタインに強い疲労回復効果があるといわれている。そのため、古くから腎臓、肺などに良く、精力をつけ、老化を防ぐと言われてきた。

 そのため、クコは仙人の食べ物とされ、「地仙」「仙人杖」「西王母杖」「仙苗」などの別名がある。実だけでなく、芽や葉も食用とされた。

 お寺にクコの縁は、黄庭堅の「顯聖寺庭枸杞けんしょうじのにわのくこ」によるものだろうか。

 

   顯聖寺庭枸杞

 仙苗壽日月 彿界承露雨

 誰爲萬年計 乞此一抔土

 扶疏上翠蓋 磊落綴丹乳

 去家尚不食 齣家何用許

 政恐落人間 采剝四時苦

 養成九節杖 持獻西王母

 

 仙人の苗は長い月日を寿命とするのだが、なぜか仏のいるところでも雨露あまつゆを受けている。

 一体誰だれが一万年も生きてやろうとして、この一すくいの土を与えたのだろう。

 枝葉は茂り翠みどりの傘をさし、わさわさと赤いおっぱいをつらならせる。

 家を出るものは枸杞くこを食べてあまりに精力をつけてはいけないというくらいで、ましてや出家しゅっけするものにどうして食うことが許されよう。

 この木にとって恐いのは俗世ぞくせに落ちて、芽も葉も実も皆食われて四季を通じて苦しめられることだ。

 ここで育てられればそんな憂いもなく仙人の持つ九節きゅうせつの杖となり、西王母せいおうぼに献じるようなものにもなるだろう。

 

 お寺のクコの心こころは、ここなら不老長寿の薬として食われることがなく、悠々と育つことができるとものだ。

 魂鳥(たまどり)はホトトギスの別名で、ホトトギスが夜鳴くことから、その声を冥界から響いてくるような、魂の叫びともいえる切なさを感じたのだろう。生きている時の魂を「魂魄こんぱく」と呼び、「魂」は死ぬと天に昇り、「魄」は地上に残って幽霊となる。「魂鳥」は正確には「魄鳥」といった方がいいのか。

 しかし、クコの実がなるのは晩秋。花も7月頃からで、旧暦だと夏の終わりごろの花ということになる。ホトトギスの初音は旧暦4月つまり今の5月頃の初夏の風物だから、「枸杞に初音」というのは、クコの若葉に初音ということになる。

 

季語は「魂鳥」で夏、鳥類。

 

八十九句目

 

   枸杞に初音の魂鳥の魄

 戀人の袂に似たるかりぎかな   揚水

 (戀人の袂に似たるかりぎかな枸杞に初音の魂鳥の魄)

 

 前句をクコにホトトギスをあしらった柄の着物と取り成したものだろう。「かりぎ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「借着」の解説」に、

 

 「① 他人の着物を借りて着用すること。また、その着物。

  ※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上「いづくともしらぬ敗僧、禅僧の衣をかりぎして」

  ② (比喩的に) 実際とはちがった態度などをよそおうこと。

  ※彼岸過迄(1912)〈夏目漱石〉風呂の後「何時迄経っても、特更(ことさら)に借着(カリギ)をして陽気がらうとする自覚が退(の)かないので」

 

とある。

 借りてきたクコにホトトギスをあしらった柄の着物は、恋人の来ていたものに似ている。まあ、あまりなさそうな柄なので、間違いないだろう。恋人が質に入れて、別の人の手に渡ったか。

 

季語は「借り着」で、衣更えの意味にとって、夏として扱われている。恋。「袂」「かりぎ」は衣装。「恋人」は人倫。

 

九十句目

 

   戀人の袂に似たるかりぎかな

 雨をくねるか夏風がつま     才丸

 (戀人の袂に似たるかりぎかな雨をくねるか夏風がつま)

 

 袂たもとに夏風なつかぜは寄り合い。證歌は、

 

 夏風のわが袂にしつつまれば

     こひしき人ひとのつてにしてまし

              詠み人知らず(夫木抄)

 

だという。『古今和歌六帖』では上五が「夏の風」になっている。

 涼しさを運ぶ夏の風が袂の中に吹いてくれば、恋しい人の便りが届いたかのようだ、という古歌の意を受けて、それを換骨奪胎して、こういう意味になる。

 恋人の夏の風が吹いてくるはずの袂も、人から借りたものだから、他人の恋人の風。自分の恋人が来る気配もないので、雨を恨めしく思い、ひがんでいる。

 

季語は「夏風」は夏。恋。「雨」は降物。「つま」は人倫。

 

九十一句目

 

   雨をくねるか夏風がつま

 夕暮は息に烟を吐思ひ      桃青

 (夕暮は息に烟を吐思ひ雨をくねるか夏風がつま)

 

 和歌では煙はしばしば身も焦がれる思いの象徴として用いられる。

 

 靡かじな海人の藻塩火焚きそめて

    煙は空にくゆりわぶとも

              藤原定家(新古今集)

 風吹けば室の八島の夕煙

    こころの空に立ちにけるかな

              藤原惟成(新古今集)

 

など多くの歌がある。また、煙は哀傷歌にもしばしば詠まれる。

 かといって、煙の空に消えてでは連歌になってしまう。そこは俳諧ということで、口から煙を吐くとする、って煙草じゃないか。

 

無季。「烟」は聳物。恋。

 

九十二句目

 

   夕暮は息に烟を吐思ひ

 民屋あつて腹をせばむる     其角

 (夕暮は息に烟を吐思ひ民屋あつて腹をせばむる)

 

 「民屋あって土をせばむる」という諺があったらしい。家が増えると農地が不足するという意味か。「腹をせばめる」は心が狭くなるということ。

 前句まえくの「思い」を恋こいではなく、世知辛い世の中への溜息とする。

 煙に民は寄り合い。證歌は、

 

 高き屋に登りて見れば煙立つ

     民のかまどはにぎはひにけり

              仁徳天皇(新古今集)

 

になる。

 

無季。「民屋」は居所。

 

九十三句目

 

   民屋あつて腹をせばむる

 笑の木愁る草の野は眛く     才丸

 (笑の木愁る草の野は眛く民屋あつて腹をせばむる)

 

 「笑」という文字には花が咲くという意味が含まれている。喜納昌吉の「花」という歌にも「花は花として笑いもできる/人は人として涙も流す」という一節がある。 「山笑う」は郭煕『臥遊録』の、「春山淡冶而如笑、夏山蒼翠而如滴、秋山明浄而如粧、冬山惨淡而如睡」が起源とされているが、笑うという言葉には、花が咲いて様が笑っているかのようだ、あるいはこの芽の美しさが花が咲いているかのようだ、という意味を含んでいたのだろう。

 これに対し、「草」という文字にはひれ伏すという意味が含まれている。

 笑いの木とは「談林」のことだろうか。俳諧の笑いはあっても、民の心は鬱屈し、すさんでいる。本当に人々が心から笑える理想の治世が実現されているわけではない。

 

無季。「木」「草」は植物。

 

九十四句目

 

   笑の木愁る草の野は眛く

 亦露分る娑婆の古道       揚水

 (笑の木愁る草の野は眛く亦露分る娑婆の古道)

 

 「草の野の」に「露分(わく)る」と付く。

 句は、

 

 嵯峨の山千代の古道跡とめて

    又露分くる望の駒

              藤原定家(新古今集)

 

が本歌で、嵯峨を娑婆ともじっている。

 笑いの木もあるが暗い野辺露を分けて歩いてゆく娑婆の道。

 娑婆はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「娑婆」の解説」に、

 

 「① (sahā の音訳。堪忍、能忍などと訳す) 仏語。さまざまの煩悩(ぼんのう)から脱することのできない衆生が、苦しみに堪えて生きているところ。釈迦如来が衆生を救い、教化する世界。現世。俗世界。裟婆世界。娑婆界。娑界。娑婆道。

  ※法華義疏(7C前)一「従二娑婆一以下、列二色界天一」

  ※浄瑠璃・国性爺合戦(1715)三「殊に御身はしゃばと冥途に親三人」 〔法華経‐化城喩品〕

  ② 自由を束縛された軍隊、刑務所(牢獄)、遊郭などの内にいる人々から見た、外の一般人の自由な世界。また、のびのびとした気ままな世界。

  ※慶長見聞集(1614)六「されば籠内をば地獄、外をしゃばと罪人いふ」

  ※坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉一一「新橋へ着いた時は、漸く娑婆へ出た様な気がした」

 

とある。今日ではもっぱら②の意味で用いられているが、ここでは①の意味でいいだろう。

 笑うこともあれば辛いことも多い旅路とする。

 

季語は「露」で秋、降物。旅体。

 

九十五句目

 

   亦露分る娑婆の古道

 月見けん高雄が手向嬉しくて   其角

 (月見けん高雄が手向嬉しくて亦露分る娑婆の古道)

 

  「露」が出たところで、月へと展開する。

 ここで言う高雄は吉原の有名な遊女の名前、高雄大夫だという。仙台藩主・伊達綱宗に身請けされ、伊達騒動の発端になったと噂された伝説の遊女は二代目の高尾太夫で、ウィキペディアによると万治三年(一六六〇年)十九歳で没したという。

 「月見」は、水面の月つきを取ろうとする猿のように、叶わぬ願いを持つことを暗示することもある。

 名だたる遊女高雄に月見に招待されたとなれば、これは露の道をかき分けてでも行きたくなるだろう。しかし、それでこの遊女を落とせるかというと、それは水面の月つきを取ろうとする猿のようなものかもしれない。

 露に月は、

 

 もろともに草葉の露のおきゐずは

     ひとりや見まし秋の夜の月

              顕仲卿女(金葉集)

 

を始めとして、数多くの歌に詠まれている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

九十六句目

 

   月見けん高雄が手向嬉しくて

 哀れと文を躍る夜終       桃青

 (月見けん高雄が手向嬉しくて哀れと文を躍る夜終)

 

 踊りは盆踊りのことで秋の季語になる。ただ、実際の盆踊りの意味ではなくても、談林以降は季語が形式化していて、形だけ「踊り」の語が入っていれば秋とみなすことも多くなっている。

 ただ、この場合夜終(よすがら)踊るのだから、盆踊りと見ても良いだろう。お盆は文月十五日だから、月も満月になるし、「哀れと文」の文は手紙と文月の両方の意味に掛かることになる。

 まあ、高尾太夫の手向けが嬉しくて、さぞかし踊りの方も嬉しかったことだろう。

 夜すがらの月は、

 

 終夜見てをあかさむ秋の月

     今宵の空に雲なからなん

              平兼盛(拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「踊る」で秋。恋。「夜終」は夜分。

 

九十七句目

 

   哀れと文を躍る夜終

 脱置し小袖よ何と物いはぬ    揚水

 (脱置し小袖よ何と物いはぬ哀れと文を躍る夜終)

 

 夜通し踊った盆踊りのあとには、誰かが脱いだ小袖が落ちている。一体何があったのか、小袖は何も言わない。

 

無季。「小袖」は衣装。

 

九十八句目

 

   脱置し小袖よ何と物いはぬ

 朝タ枕に。とどめ。をどろく   才丸

 (脱置し小袖よ何と物いはぬ朝タ枕に。とどめ。をどろく)

 

  『源氏物語』の「空蝉」か。空蝉の場合は小袿(こうちぎ)だが。

 光源氏も若い頃は闇雲にレイプを試みては失敗し、残された下着の匂いを嗅ぐ最低の男だった。

 「とどめ」は留伽羅(とめきゃら)のことらしい。

 文体は何かのパロディーなのだろう。芝居の脚本か何かか。前句を芝居のセリフとし、付け句くをト書きとしたか。

 

無季。恋。

 

九十九句目

 

   朝タ枕に。とどめ。をどろく

 花に照る太神宮の寄特也     桃青

 (花に照る太神宮の寄特也朝タ枕に。とどめ。をどろく)

 

 「太神宮」は太神宮(たいじんぐう)御祓之箱(おはらいのばこ)のことらしい。 伊勢の皇太神宮から頒布される大麻(御札のことで、ヤバいものではない)を入れた箱で、毎年新しい箱が贈られてくるため、古くなった箱は「お払い箱」と呼ばれたという。

 前句のト書きの「とどめ」を留め香のことではなく、刀の跡をとどめるという意味に取り成す。

 賊が畳の下から頭を狙って刀を突き刺したのであろう。普通の枕なら貫通して一巻の終わりだったところを、頑丈な伊勢神宮の御祓箱を枕にしていたために助かった、というもの。

 花の定座に伊勢神宮の祭神は天照大神なので、天に照るを文字って「花に照る」とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。神祇。

 

挙句

 

   花に照る太神宮の寄特也

 幣に巣作る託の鳥        其角

 (花に照る太神宮の寄特也幣に巣作る託の鳥)

 

  春告げ鳥はウグイス。夕告げ鳥は鶏(何で朝告げ鳥ではないのかというと、元は木綿着(ゆふつけ)鳥だったらしい、つまり生贄に捧げられた鶏)、ことつげ鳥はというと、不明。

 「ことづけ」には「かこつけ」の意味もある。太神宮の奇特にかこつけて、幣に巣を作ったということか。

 

季語は「鳥の巣作る」で春、鳥類。神祇。