鈴呂屋日乗2008

12月31日

  今日は9時半に家を出て、秋葉に「うみねこのなく頃にEpisode 4」を買いにいった。アニメイトで、特に混雑もなく買えた。おまけにアニメ店長のカップラーメンをもらった。隣の「とらなあな」は行列していた。コミケからの流れか。
 帰りがけ、渋谷のタワレコに寄ってFinntrollのUr Jordens Djupを買った。渋谷の街は閑散としていた。
 午後からは、Episode 4の最初の方を少し見たあと、いつもと年と同じように正月の料理作り。まあ、別にお客さんが来るわけでもないので、ただ趣味で作っている。
 そういうわけで、今年一年も何となく終った。まあ、それなりに楽しかったかな。

12月30日

  大槻教授というと、超能力やUFOや超常現象などの嘘を暴く合理的な科学者のイメージがあったが、今日のテレビで月の石は捏造なんてのを見ていると、なんか裏切られて様な気分だ。
 まあ、頭のいい人間というのは、自分の頭の良さを誇示したいという欲求を抑えきれないもので、世間一般の人の信じている常識的なことばかり言っていては、世間一般の人との「差」を見せ付けることはできないから、何か人と違う突飛なことを言ってみたくなるものなのだろう。
 特にマスコミに踊らされて持ち上げられ、本業がおろそかになってくれば、どこかで間違い始める。間違い始めても、有名人だからそれを鵜呑みにする人もたくさん出てきて更に持ち上げられてしまうから、だんだん修正が利かなくなる。
 大槻教授もそうだが、茂木健一郎もそろそろ危ないのではないか。クオリアの概念を、なんか変な方向に乱用している。そのうちクオリア教団を作りそうで心配だ。

12月29日

  ハルヒの続きがなかなか出ないので、代わりに読み始めたのが岩井恭平の「ムシウタ」だった。
 角川スニーカー文庫を買うと付いてくる栞でしつこく宣伝していたこともあるが、このタイトルが「ほこりあめ スナユメ」という螢的な造語法を思わせるし、螢の「あぶらむし」の「虫が虫がないているから…」を連想させる。
 案の定、「ふゆほたる」という女の子が出てくる。まちがいなくあの螢がモデルだろうと思った。虫の登場シーンも「ケムリノオト」の「まゆきを夜にみせて/鉛でできたハナウタ/むしにたべられ」のイメージそのままだ。
 いま、「03.夢はばたく翼」のクライマックスのところに来ている。

12月28日

  この頃の暇潰しは、myspaceのリンクをたどっていって、いろいろな、といってもほとんだはメタル系だが、音楽を聴くことで、便利な世の中になった。これならただだし、試聴盤を聞きに大型CD店まで出かける必要もない。すごもり景気になるわけだ。
 いろいろな国のヘビメタを聞いていると、メタルはヨーロッパの土着の音楽なのだなと思う。メタルとラウドの境界は曖昧だが、メタルはやはりパワーコード中心で7thや9thや不協和音をあまり使わないところがちがうのかなと思う。だから、クラッシックやヨーロッパの民謡と用意に結合できる。シンフォニックだとか、フォークメタルだとか、その国のカラーがあって面白い。
 そもそも、オーケストラという発想自体が、アンプのなかった時代に轟音を出そうとした結果ではなかったか。パイプオルガンの音もメタリックなら、ストリングスの音も金属製の弦を使用してるためかなりメタリックだし、クラッシック音楽自体が一種のメタルなのではないかと思う。だからApocalypticaも違和感なくメタルになるのではないか。
 バイキングメタルはどっちかというとRPGメタルとでも言った方が良いのではないか。特にバイキングということではなく、北欧に限らずいろんな所に広がりを見せていて、それぞれのお国柄のある昔の鎧兜や剣を身につけてコスプレしているし、日本のゲームメーカーとタイアップすると面白いのではないか。日本でバイキングメタルをやるとしたら、やはりサムライメタルになるのだろうか。
 今日出会ったのは、SuidAkrA(ドイツ)、Kivimetsän Druidi(フィンランド)、Elexorien(オランダ)、Chariovalda(オランダ)、Poropetra(フィンランド)、Boyanov Gimn(ウクライナ)など。

12月21日

  今日は、IKEAに行き、それからららぽーと横浜へ行った。IKEAのダンボールでできた猫の爪研ぎがなくなっていた。なかなかかわいいデザインだったのに残念。
 北欧のクリスマスには欠かせないというジンジャークッキーを買ってみた。なかなか素朴な味わいだった。
 夕方からはガンバ大阪=パチューカ戦をテレビで見た。終ったらM-1へ。今日のマンチェスターUの最大の敵はリガ・デ・キトではなく、M-1だったのではなかったか。
 すっかり国民的行事となったM-1。今年はノンスタイルの優勝。これは確かに笑いっぱなしだった。ただ、ルックスの印象が薄すぎて、テレビとかで使ってもらえるだろうか。
 オードリーは最初のネタは面白かったが、そこで力を出し切ってしまったか。

12月18日

  家に帰ったら、すでに前半戦は終わってたけど、今日のガンバ大阪=マンチェスターU戦は、結構笑える展開だった。
 2点とってすっかり安心してしまったか、すっかり練習試合モードに入りかけてたマンUも、ディフェンスの乱れから1点返されると、今度はむきになって攻めてきて4分間で3点と、さすがに本気になったら怖いんだぞぉというところを見せてくれた。
 しかし、5-1になると再び安心してしまったのか、今度はガンバの猛攻が続き、2点返されてしまう。ただ、ロスタイムということで今度は大人の態度で、悠然とボールキープを始め、最後はC・ロナウドのフリーキックの見せ場まで作って試合終了となった。
 ところで、例の遠藤のコロコロシュートだが、さすがにこれは読まれていたのだろう。ファンデルサルが最後まで我慢強く動かなかったから、遠藤も真ん中には蹴れず、左のぎりぎりのところへ蹴ったし、ファンデルサルもなかなかの反射神経でその方向へと飛んだ。あともう少しボールが中に入っていたら、あともう少しボールのスピードが遅かったら止められていたという、きわどい結果となった。
 ところで、話は変わるが、例の3力士は執行猶予付だとか。裁判員制度だったら実刑にできるというなら、裁判員制度も意味があるのだろうな。

12月16日

  たとえば、いきなり警察が来て、30年前の何月何日何時何分、あなたは何をしてましたか、何て聞かれても答えられるわけない。そうこうしているうちに警察側の証拠だけで裁判が進み、いつの間にか死刑になっている。
 時効というのは、本来そういったことを防ぐためのものだったのだろう。ただ、時効制度も裁判制度そのものも諸刃の剣で、冤罪を防ごうとすれば真犯人まで無罪にしてしまう危険も出てくる。
 時効が廃止されれば、何もやってない一般人までもが、何十年も前の事件で何度も取調べを受ける可能性は確かにある。だからといって、真犯人に逃げ得を許すというのも決して良いことではない。
 妥協案としては、重要な事件で、かつ確実な証拠がある時のみ、第三者機関で審議をした上で時効の延長を決定できるとか、そういうことも考えても良いのではないか。

12月14日

  今年に限らないけど、今の日本は大きな転換点に来ている。一言で言えば、「ものづくりの終焉」といったところだろう。
 「ものづくり」は日本の専売特許ではない。技術さえ身につける機会があれば、どこの国の人でも「ものづくり」はできる。別に日本人が特別手先が器用だからということではなく、高度な技術は熟練によるものだ。
 戦後日本は、多くの領土を失い、石炭も時代遅れということで、資源のないところから再出発しようとしたとき、原料を輸入し製品を輸出するという加工貿易国という生き方を選び、急成長した。
 しかし、加工貿易国というのは、原料を豊富に持ちながら加工する技術のない国が世界にたくさんあるということが条件だった。今やそれが急速に失われつつある。技術を持つ国が増えたからだ。
 技術を持つ国が増えれば、「ものづくり」は日本の専売特許ではなくなる。あとは熾烈な価格競争が残り、元々そんなに生産性の高くない日本は、賃金カットと長時間労働でしか対抗できなかった。
 こうして今や日本は過労死大国になり、今の世界同時不況で更なる長時間労働化が進めば、再び民族玉砕への道を歩むことになる。
 日本は別に経済で一番になる必要はない。NO.1にならなくていい。オンリー1の国を目指せばそれでいいではないか。何が何でも世界に冠たる国になる必要はない。独自な文化を持つ国として輝ければそれでいい。
 高度成長の夢いまだ覚めやらぬ人たちには悪いが、それがこれからの日本だ。これからは、多少貧しくても心にゆとりのある国を作らなくてはならない。 

12月13日

 パチューカは本当によく頑張った。久しぶりの感動だ。
 ジュピロ磐田は残留が決まり、来年のカズ・ゴン対決はなくなった。

 

12/8 昨日は渋谷O-nestへ、相対性理論を見に行った。
 最初に出てきたのがVampilliaだった。ツインフィードルにボーカルはデスボイスとソプラノボイス。それに頭にブロッコリーをつけたクラウンの登場と、シンフォニックでゴシックでフォークで、なんか北欧メタルのパロディーみたいなところが壺だった。難波のセリオンとでも呼んでおこう。
 次に出てきたのがaieで、これは今時の爆音系か。真ん中に真赤なバスタム(是小人と書いてあった)を置いて、和太鼓のように叩くのは、最後に出てくるAnathalloへの伏線だった。
 次が相対性理論で、去年の9・15以来二度目だが、なんか前と印象が違う。ボーカルがはっきり聞き取れるようになった反面、バックのバンド演奏が小ぢんまりとおとなしくなってしまった感じがする。乗りのいいバンド演奏に、それに全く反応しないボーカルのやくしまるえつこキャラとのギャップが面白いのだが、この二つをうまく調和させるのは結構難しいのかもしれない。相対性理論と量子力学のようなものか。
 最後に出てきたのが外タレのAnathalloで、日本語が上手かったり、バスタムやバスドラを和太鼓のように叩いたり、相当な日本びいきで、日本の味方のようだ。

 客席にいるJohnさんのためにハッピバースデーを歌ったり、客席とのフレンドリーなやり取りをするあたり、やはりこういうアメリカンバンドの根底にあるのはパーティーなのだと思った。ポストロックの要素を取り入れたり、音楽のスタイルは変わっても、アメリカ人の中には脈々とパーティーバンドの血が流れているのだろう。
 メンバーのキャラもナイーブそうなボーカルに、メガネで髭のドクタータイプ、ラテンの色男といった、いかにもアメリカのドラマに出てきそうな感じだ。
 このバンドは、もちろん演奏も面白いが、なにかこれまでに出て来た日本の3っつのバンドとは根底が違う感じがした。日本のバンドはステージの上に自分たちの世界を作り上げ、いわば珍しい見世物として客席に提示するような感じだが、Anathalloはステージも客席も一つのパーティー空間として、仲間として楽しもうとしているような感じがした。
 例えば、日本のバンドは、たとえ客席に下りてきても、それは演技の延長であり、見ている方はそれを邪魔しないように気を使ってしまう。それはオタク文化にも通じるもので、外の人間からすれば犯しがたい、完結した世界だ。だから、Anathalloと相対性理論の組み合わせは、確かに面白い。これはパーティー文化とオタク文化との激突だ。

11月23日

  今日は11/2の続きで、湯島の旧岩崎邸と駒場の旧前田公爵邸を見に行った。「うみねこ」の礼拝堂と屋敷本館がそこにあった。
 夜には、駒沢ガソリンアレイへエレクトリックトイズを見に行った。最初に出てきたAKB3。ガソリンアレイ3回目ともなると、これが秋葉でないことはすぐにわかってしまう。あきづきかおるバンド。今日はスリーピースで登場。「宇宙人」のインストナンバー「ポロリ菌」もやってくれた。(cf.5/24の日記)
 二番目がエレクトリックトイズだった。配信デビューとなったスーパーミュージックは盛り上がったし、今回のテーマである「一曲はカバー曲」でやったのは「コンピューターおばあちゃん」だった。
 この曲は実は知らなかった。最初はエレトイのオリジナルかと思った。それくらいエレトイの世界にマッチしていた。Wikipediaで調べたところ、1981年のNHKの「あなたのメロディー」から来た曲で、坂本教授のアレンジで「みんなのうた」で放送されたとのこと。POLYSICSもカバーしているという。なかなかいい曲を見つけてきたものだ。これを聴けただけでも来た甲斐があったというものだ。
 ただ、45分のステージで時間を余らせてしまったのはちょっと。
 そのうちブレイクしたら、ワンマンコンサートということにもなるだろうし、そうなれば最低でも1時間半はやってほしい。曲はたくさん作ってきたはずなのに、ちょっと残念。
 三番目は記号という横須賀から来たバンドで、気持ちのよいブルースを聞かせてくれた。
 盛りだくさんの一日だった。これから12月の地獄の一ヶ月を乗りきるために、これが最後の息抜きか。

11月14日

 「うみねこのなく頃に」のEpisode 3まで見終わった。

11月12日

 1929年の世界恐慌の時には、それぞれの国がばらばらに動いて、それがブロック経済を生み、第二次大戦を引き起こした。でも、今回のリーマンショックでは、すぐに世界が協調して対処することができるようになった。この違いは大きく、この経済危機が第三次大戦に発展することはまずないだろう。大事なのは、世界の国々がお互いを信じあい、協調して危機を乗り切るということだ。

 かつて国際社会を疑った日本人は、どの国も信用せずに闇雲に周辺国に戦争を仕掛け虐殺した上で、最後は民族総自決を言い出し、沖縄戦で一部実行された。それこそ自分の爪で自分の首を掻き切るようなもので、雛見沢症候群に例えればL5の段階まで達していた。
 とにかく今の日本に必要なことは、国際社会を信じることで、それがあの悲惨な戦争の最大の教訓だったはずだ。蒋介石が挑発しただの、アメリカの罠にはまったのだの、そんなもの挑発に乗るほうが悪いのであって、日本の立場を正当化することにはならない。サッカーでも挑発に乗って暴力をふるい退場になれば、ただのばか者でしかない。
 ともあれ、明治維新を美化しているうちは、結局日本人に反省という文字はないのかもしれない。
 徳川幕府が開国を決めたのは正しい判断だった。ただ、国際情勢を知らないか、偏ったうわさ話に惑わされた田舎侍たちが攘夷を叫び、「征夷」大将軍がなぜ攘夷を行なわないのかということで盛り上がってしまった。だから、開国は断行するが、それがすめば征夷大将軍の位は捨ててもよかった。かくして大した混乱もなく大政奉還、江戸城開場となった。それは徳川幕府が賢かったからだ。

 今でも時折「国際社会は所詮弱肉強食だ」だとか、「白人にとって黄色人種が何万人死のうが何とも思わない」みたいな声があったりして、幕末のときに植えつけられた恐怖というのはいまだに根深いものがある。


 薩長の侍も、実際に政権につけば、開国はやむをえなかったことはわかっただろう。ただ、意地だか何だか、「攘夷」の文字を取り下げることはしなかった。そして、西洋列強の恐怖をあおり、日本を闇雲な侵略戦争に駆り立てて行くことになった。そこからすでに日本は間違っていたのではなかったか。
 日本はタイのように、静かな独立国であり続けることもできたはずだった。どこかの平行宇宙では、きっとそういう歴史もあったのだろう。

11月6日

 たとえば、孤島に18人の人間がいて、みんな互いによく知った仲間だったとする。
 そこで12人を魔女の生贄に捧げれば、魔女の黄金が手に入れることができるということになる。
 たいていの人は、そんなのバカバカしいと思うし、黄金がどんなものであっても仲間12人の死に見合うものではないと思う。
 だから、せいぜい自分の身を自分で守ることぐらいしか考えないだろう。
 しかし、18人もいるのだから、一人くらいは間に受けて仲間の殺害に走るものがいるかもしれない。
 ひとたびそう思うと、思いもよらぬ誰かによって、自分が本当に魔女の生贄に捧げられるかもしれないという恐怖が生じる。誰がやるかわからない。だから自分以外の17人すべてが疑わしくなる。そして、悪魔の囁きを聞く。「やられるまえにやれ」と。
 ひとたび恐怖に負ければ、もはや黄金がどうのこうのではない。自分が殺されないために、それだけの理由で殺戮が始まる可能性がある。
 幕末の志士たちは、西洋列強が互いに争って、中国にインドに植民地を求めてやって来ていることを知った。そのとき彼らもまた、最初は友好的に近づいてきた西洋の国々も、いつ豹変して日本を滅ぼそうとするかわからないと考えた。そのときやはり悪魔の囁きを聞く。「やられるまえにやれ」と。

 つまり、植民地獲得が目的というよりも、まず日本が生き残るために、それだけの理由で侵略戦争が始まる。

 日本が「侵略国家ではない」という論旨は大体こういうものだろう。日本は国家の存亡を賭けて戦っただけだ。侵略が目的ではなかった、と。本当に恐いのはそれだ。

11月2日

 旧古河庭園を見に行った。「うみねこ」で見たとおりの洋館があった。バラもまだ咲いていた。

 そのあと駒込から秋葉へ出た。久しぶりに来た秋葉は人が多く、外人もたくさんいた。シャア少佐もいた。でも、何となくアウェー感のある街だ。アニメイトで「うみねこのなく頃に」をgetしたあと、そそくさと神保町に向かった。
 神保町は古本祭りで、ここも人でごった返していた。「鎌倉末期連歌学書」と「残照の中の巨樹 正徹」を買った。出店の海チヂミを食べて帰った。

10月30日

 「うみねこ」のお試し版(Episode1)を見終わった。ちょっとビヨークの出た映画「ネズの木」を思い出した。みんなお空へ帰っていった。

10月27日

 「うみねこ」の方は、ようやく晩餐まで来た。ところで、ベアトリーチェの正体、熊-沢=bear-torrenteでベアトリーチェというのは安直か。

10月26日

 「うみねこのなく頃に」のお試し版をダウンロードした。さすがに物語の進め方が上手い。今日の午後は十分暇潰しできた。

10月22日

 「ひぐらしのなく頃に 祭」の「澪尽し編」が終わり、長いスタッフロールが流れ、このゲームも終わり。さあ、明日から何をしようか。

10月17日

 「ひぐらしのなく頃に 祭」のほうは、「皆殺し編」が終わり、大体の謎は解かれた。

 何かに似ているといえば、ちょうど平行してハルヒのシリーズを読んでいたせいか、「涼宮ハルヒの暴走」の「エンドレスエイト」に似ているなと思った。特に「皆殺し編」の最後の方に、夏休みの宿題のたとえが出てきたのには驚いた。作られたのが同時期だから、偶然だろう。
 どちらもパラレルワールド物だし、前半を平凡な日常で引っ張っておいてから、後半に物語を急展開させるスタイルも似ている。

10月12日

 三渓園へ横浜トリエンナーレ2008の残りの分を見に行った。霧の滝は少し待ったが、見ることができた。

 ティノ・セーガルの「Kiss」は、合掌造りの家の中で行われていたが、事前に情報を得ていたから、ああ、これかとわかったが、知らない人はただの不謹慎な男女にしか見えなかったのでは。
 三渓園を一回りしてから、山下公園へ行った。ワールドフェスタ・ヨコハマ2008が行われていたが、人が多くて、どこの国の料理の屋台も長い行列ができていた。
 大桟橋に行ったが、時間が悪かったのか準備中だった。
 結局、赤レンガ倉庫の前の横浜オクトーバーフェスト2008に行き、ビールを飲み、ブレッツェルを食べて終わりにした。楽しい一日だった。

10月5日

 国立競技場へ横浜FC=セレッソ大阪戦を見に行った。4月26日以来の久々のサッカー観戦だ。
 負けが込んでいるわりには、1000円になる割引券を配っていたせいか、2万人もの人が入った。サッカーを普段見に来ないような子供連れも結構いたようだ。
 試合は、前半セレッソにだいぶボールを支配されていたものの、ディフェンスに乱れはなく、きっちり守り通し、37分にアツの意表をついたミドルシュートがゴール右上の隅に決まり先制した。前半はそのまま守りきった。
 後半開始から、予想通りセレッソは点を取りに攻めて来た。横浜FCのほうは、だんだん守りに疲れが出てきたか、ディフェンスの間隔が狭まり、一方により出して、ファーサイドにフリーになる選手が出てきた。ただ、セレッソの方も特にサイドチェンジはせずに真直ぐ攻めてきていたので、何とかしのいでいたが、66分小松の地を這うシュートがディフェンダーの間をすり抜けて入ってしまった。74分には同じく小松が右サイドから中央へとドリブルで横切ってのシュート。これもディフェンダーの足が止まってしまったような感じで入ってしまった。
 その後77分、右サイドからにフリーキックでエリゼウがゴール。同点に追いつき、終盤からロスタイムに掛けてかなり攻め込んだものの得点ならず、引き分けに終った。
 勝てなかったものの、やはりサッカーはスタンドで見ると楽しい。テレビだとなぜか眠くなるが、スタンドだと90分間集中できる。あとは、勝ってくれ!

9月28日

 24日からエレクトリックトイズの「スーパーミュージック」がiTune Storeで配信しているというので、さっそくコンビニへiTunes cardを買いにいって、ダウンロードした。曲をダウンロードで買ったのは、実はこれが初めて。

9月24日

 昨日は、あのあと夜に「ひぐらし」をプレイし、「鬼隠し編」が終ったときには日付が変わっていた。これを最初に見たら、結構恐かったのだろう。ただ、先に「目明し編」を見てしまったせいか、「そりゃ誤解だよ」「いい加減に気づけよ」などと突っ込みたくなり、「あーあーっ、やっちゃったー」て結末だった。

 でも、案外現実の凶悪犯罪も、犯人の心理が手に取るようにわかるなら、こんなふうに見えるのではないか。あのフィンランドの銃乱射も、きっとこんなもんなのだろう。
 共同体からの排除の恐怖と、それに対する防衛反応というのは、恋人を奪われた復讐と並び、殺人の動機としては古典的なものなので、結局人間は有史以前から似たようなドラマを繰り返しているのだろう。それを描いてるこのゲームは、私は立派な文学だと思うのだが。

9月23日

 横浜トリエンナーレ2008を見に行った。前回の2005(10月2日)の手作り的な、どこか大人の学園祭という感じの慎ましやかなものに比べると、やや豪華になったか。会場の数も増えていた。
 ただ、ディレクターの好みか、スーパーフラット的な可愛いものが影を潜め、代わりに綿流し的な血の飛び散るものがあったりした。
 古い映像作品も多く、赤瀬川さんもオノ・ヨーコさんも若かった。日本の漫画・アニメ的な展開がないとなると、現代美術もどこか新しさに欠ける。やはりヨーロッパ的なサロン芸術の時代は終ったか。

9月20日

 「ひぐらし」は昨日の夜、「目明し編」を終えた。スタッフロール(これがやけに短い)が流れたので、一応のクリアなのか。謎はぜんぜん解けてない。祭具殿に入ると鬼に取り憑かれるのか。これも一種のデスメタルだ。

 ハルヒの方は、「陰謀」を読み終え、いくつものストーリーの謎がぐるぐると頭の中を回っている。

9月14日

 「ひぐらし」は「盥回し編」「暇潰し編」を経て、今日一気に「綿流し編」を終えた。ひょっとしてツインピークス的展開?

 夕方からセンター北へデトロイト・メタル・シティーを見に行った。これは笑いっぱなしだった。ひぐらしでうーーっとなったところへ、ちょうどいい気分転換だった。
 メタル系は最近ちょっとはまっている。思えば仕事中、某ホテルの納品口で、偶然Lordiに出会ったのが運命だった。そういうわけで、フィンランドメタルにはまっている。
 今日は名月。

9月7日

 「ひぐらしのなく頃に 祭」を適当に進めていると、「盥回し編」になった。
 夕方から激しい雷雨になる。今年は8月の終わりからずっとこんな天気が続いている。秋雨前線が東西に停滞するのがいつものこの季節のパターンなのだが、今年は南北に縦に停滞する。そして、その前線に引っかかるたびに激しい雷雨が起る。一体日本の気候はどうなっているのだろうか。

9月6日

 「ひぐらしのなく頃に 祭」をスタートした。
 FFⅩ2はコンプ率95までいったが、あとはかなりレベルを上げる必要がありそうなので、やめた。

 

9月4日

  昨日は仕事が終わったあと、渋谷LushへElectric Toysを見に行った。
 最初に出てきたのはヨウスケ (SCARLET) で、ギターの弾き語り。声はスガシカオ風。
 二番目に出たのがElectric Toys。ホームページにあった写真がちょっと気にかかっていたが、青を基調とした衣装はいっしょだが、「渋谷のバーの女、のりこ」ではなかった。
 一曲目はatomicだったが、二曲目からは新しい曲が中心で、5月の落ち着いた印象とは打って変わってはじけていた。途中二回くらい「アイドルにはなれない」と言っていたが、やはりあの写真のことか。そんなことはない、俺にとってエレトイはいつだってアイドルだ。
 確かに無理やりなギャルバン路線を取るのはどうかとは思う。でも、今までのエレトイに足りなかったのは、こうしたビジュアル的に「目立つ」ということだったのかもしれない。エレトイはチャットとはちがって、普通の女の子を売りにするバンドではない。独自の世界観を持ったバンドだ。だから、何らかの形でエレクトリック・ワンダーランドをビジュアル的に表現する必要があるのではないか。

 最後の「赤色アウトライン」が始まったとき、妙な減速感を感じた。かっこいい曲には変わりないけど、今の曲がそれ以上にスピードアップしているということか。

 三番目に出てきたのは 中根大輔 (ex蝉時雨)で、やっぱり弾き語り。何なんだ、根岸君現象か。それに、何かサンプリングを使っていたが、uhnellysと同じもの?使い方はずいぶんちがうが。
 4番目はSPELUNKER。もっとベースの子をフューチャーしたほうがいいのでは。なかなかいいキャラだと思う。最後は矢吹屋 。福島県出身で、結構上手い。ボーカルの声もよく通る。久々に楽しい一日だった。

8月24日

 オリンピックも今日で終わり。戦う女萌えの二週間も終わりってことだ。

 日本のメダル25個は、前回よりは少ないとはいえ、前回ができすぎだっただけで、そんな悪い成績ではないだろう。中国が突出していたとはいえ、人口比で言えば日本の10倍の数のメダルと取ってやっとつりあうのだから、まだまだだ。
 今回のオリンピックもまた、オリンピック=国威発揚という考え方がすっかり時代遅れ名ものであることを世界にアピールした形になった。中国のやったことは、もはや昔の国威発揚のオリンピックのパロディーにしかならなかったからだ。
 中国がこれからどうなるか、いやその前に日本がこれからどうなるかを心配した方がいいか。加工貿易国という生き方が、今後ますます困難になり、新しい生き方を考えなければならないときだ。

8月17日

 オリンピックを断片的に見ては、3日間の休みはあっという間に終わり。

 開会式の演出では、あとからいろんなことが暴露されて、それだったら日本のほうがちゃんとできるかな。選手についても、突然出てきてメダルを取っていく中国選手に、あとからまた何か出てくるのでは。
 本の広告に「俳句脳」なんてあったが、日本人は俳句脳と引きかえに連句脳を失ったことを忘れてはいけない。本当に何でこんなに句が付けられないのだろうか。
 和歌でも俳諧でも、日本の文学はコード化することによって成立っている。花を見ては喜び、月を見ては涙を流すというような、一定のパターンを多くの作者が反復することで、「花」だとか「月」だとか言うだけで、誰もが一定のイメージを思い浮かべるまで、日本語は高度にコード(暗号)化されてきた。そのため、短い文章でも多くの意味を伝達することができた。ところが、近代俳句はそれを「月並み」といって嫌って破壊してきた。
 漫画・アニメの文化は古い日本文化を守っている。一つの絵柄をステレオタイプ的に多くの人が用いることで、その絵を見ただけでどのようなキャラなのか、どのような表情なのかを、誰もが連想できるまでにコード化している。J-popの作詞も、「人の手垢のついた言葉を使いこなせれば一人前」といわれるくらい、コード化された言葉を使いこなすことが求められている。
 連句もまた、こうしたコードに基づいて、前句を自在に取り成して別の句にしてゆくのだが、残念ながら今の人はこの取り成しというのができない。前句の作者の意図があたかも絶対であるかのように、前句の意味を一つに限定してしまうから、展開も何もありゃしない。だから、みんな前句を無視して、人は人、自分は自分とばかりに、あくまで自分の俳句を作ってしまうのだ。

8月9日

 国立博物館に『対決 巨匠たちの日本美術』を見に行った。なかなか名品揃いで豪華な展示だった。
 雪村の『蝦蟇鉄拐図』は圧巻だし、光琳の『菊図屏風図』は華麗で、宗達の『蔦の細道図屏風』や『秋草図屏風』も良かった。
 それに応挙の猫のような虎と豹、怪しい人の集まりのような蕭白の『群仙図屏風』、これは緻密によく描かれていた。蕭白の『寒山拾得図屏風』の寒山の目は完全に行ってしまっているようだった。
 行く途中の不忍池には蓮が咲いていたし、パキスタンの音楽のライブもあった。楽しい一日だった。

8月8日

 オリンピックの開会式をテレビで見ながら、どうすれば東京オリンピックはこれを超えられるか、といろいろ考えた。

 石原知事が呼ぶんだから、当然石原軍団は総動員だろう。西部警察でも再現するのか。世界に名の通る監督といえば、やはり北野監督が演出担当だろうか。だったら天才演出家のテリー伊藤も演出してほしいものだ。
 あと世界に誇るというと、アニメーやゲームや秋葉系文化か。ポケモンを出すとか、メイド服のエキストラを使うとか。
 それにしても、今回、日本を含めてチベット問題に配慮したか、地味な服で行進する国が目立つ。フランスなんて黒いネクタイでまるで喪服だし、それにしても猿孤児来てんじゃねーか!

8月4日

 昨日は渋谷Lushへuhnellysを見に行った。
 開演時ですでに40人は越えていて、なかなかにぎやかなスタートだった。MCの人が小型のトランペットのようなものを吹き出すと(正式の楽器の名前はよくわからない)、それをサンプリングして、その場でループさせ、さらにそれにベースの音、ギターの音、ボイスを重ね、それにもう一人の女性ドラマーがリズムを刻んでゆき、ループした音がうねうねとうねりだすわけだ。
 それに昔のTokyo no.1 soulsetを思わせるような文学的なラップが乗っかり、いきなり客席はダンスフロアと化した。
 とにかく盛り上がったし、終わったあとには誰が言うともなく「やばい」「やばい」という声が聞こえてくる。「やばい」は今では良い意味で使われるが、これほどこの「やばい」という言葉が似合うユニットはほかにないだろう。まじやばい。
 次に出てきたLimited Express (has gone?)は博多のパンクバンドで、ノイジーなでかい音が心地よかった。かつてTHE MODSやARBを生んだ博多魂は健在というところか。
 次はDOESでこのバンドについてはいまさら語ることはないだろう。
 最後のこの日の主役、folk enoughは60年代から70年代にかけての古き良きブルースロックのグルーブを今日に伝える人たちで、帽子にはしっかり星条旗があり、アメリカしてた。uhnellys以外の三組は、博多時代の知り合いなのだろう。自分たちのCDよりもDOESのTシャツ買ってって、とかいうくらい後輩の成功を素直に喜んでいるようないい人たちに見えた。

 このライブの前に立ち寄った博多風龍というラーメン屋は、400円で替え玉二個無料という、この時勢に庶民の味方だった。

7月31日

 今日立ち読みした本によると、年取ると体力よりも記憶力よりもまず前頭葉の感情を司るところから老化するのだという。

 俺もきっともうすぐ、M-1を見ても「何がそんなに面白いんだ」とか言うようになり、ライブハウスに行っても、腕を振り上げて押し競饅頭している人を後ろから冷ややかに眺めるだけになり、「ハルヒ」を読んでて駅を乗り過ごすこともなくなり、ムカついても瞬間的に切れるのではなく、何時間もねちねちと小言を言うようになるのだろう。
 感情の衰退は、結局他人の感情を理解する能力も衰退させるから、若者は年寄りの気持ちを理解できても、年寄りは若者の気持ちが理解できない。だから、年寄りは身勝手に振舞い、若者は気を遣いっぱなしになる。それを「鈍感力が足りない」というわけだ。
 平均寿命は延びる一方で、これからも超高齢化社会は続くとすれば、早く老人力を見につけたほうが幸せなのだろう。感情のない時代はすでにやってきている。

7月28日

 野球でタイ・ブレイク導入ということで、今頃よその国の選手はあわてて送りバントとスクイズの練習を始めたのではないか。

 それはそうと、何となく『涼宮ハルヒの憂鬱』を読み始めた。なるほど、プロローグはなかなかの名文だ。おそらく100年後には、平成時代の文学の一つの流れとしてライトノベルという項目が立てられ、この本も文学史の一ページを飾ることになるのだろう。

7月15日

 今日は一斉禁漁日ということで、まあ、漁に出ても赤字なら出ない方がいいか。資源の保全にもなるし、CO2は出ないし、魚の相場を吊り上げることにもなる。

 生産過剰というのは、今の日本では結構重要な問題なのではないか。デフレスパイラルになるのは、必要以上にものを作りすぎているからではないか。売れないのにどんどん作って、それを無理に売ろうと夜中まで営業マンが走り回って、商店も夜中まで営業して、それで過労死したり、資源も無駄に使い、CO2も排出する。
 漁業だけでなく、他の業界でも一斉に休むというのはやってみる価値があるのではないか。運送業(俺の仕事)でもやってほしいものだ。

7月14日

 まあ、竹島のことを教科書に書いたところで、韓国があんな立派な灯台を立ててしまった後では、どの程度世界にアピールできるのやら。

 東シナ海のガス田も、日本が遠慮しているうちに中国に既成事実を作られてしまっているし、共同開発にしても、お情けで分けてもらうみたいになってしまう。
 北方領土も、結局敗戦時にみんな土地を放棄して逃げ帰ってしまったのだから、もはやここが日本の領土だという既成事実はどこにもない。
 日本は島国で、領土争いに慣れてなかったから仕方がなかったのだろう。ただ、敗戦のときにもっとこうした問題をきちんとしていれば、という悔いだけが残ったのではなかったか。
 北方領土も、ロシア軍が来てもここを死守しようという人たちがいて、多分敗戦後にはみんな強制連行されて収容所に連れて行かれたにしても、その後日本ではなくあくまで北方領土に残ることを主張して旧ソ連内に居残っていたなら、まだ交渉のしようがあったかもしれない。
 結局あの時敗戦のショックで、何もかもあっさり投げ出しすぎて、後になってあそこは日本の領土だと主張しても遅かったのではなかったか。
 沖縄では集団自決など行われたが、これも領土の放棄と受け取られても仕方のないことで、何であんなこと命令したのか。あの土地で生き延びた人がいなければ、沖縄も二度と帰ってはこなかっただろう。

 明治以降、日本はずいぶんたくさんの領土を奪ったが、その守り方を結局誰もわかっていなかったのは、ある意味では日本が今までいかに平和だったかということなのだろう。今でも、日本はこの国を守れるだろうか。あせって集団自決して、日本人が一人もいなくならないことを祈りたい。中国との経済競争に勝つためといって、賃金抑制と長時間労働化を繰り返せば、日本は過労死で集団自決することになる。

7月12日

FFⅩ2をクリアした。51時間。レベル57。コンプ率87。

7月10日

昨日の夜にNHKで芭蕉の番組をやっていたが、長谷川下位が出てきたので見るのをやめ、ゲーム画面に切り替えた。
 何がだめって、俳諧は単なる駄洒落に興じていただけで、それを芭蕉が真面目な文学に高めたという、明治の頃そのまんまの視点がだめだ。
 芭蕉は生涯笑いを否定することはなかった。むしろ笑いの質を高め、今日のお笑い芸の基礎を作ったという点をもっと評価してほしいのだが、まあ、あの世代の人間に何を言ってもだめだろう。団塊世代の俳人が一掃される頃には、俳句の世界も少しは新しくなるだろうか。
 FFⅩ2の方はいよいよラストも近くなり、コンプ率80パーセント。レベルは45くらい。

7月9日

 新聞に「昨日の君はゴキブリとどう違う生き方をしたか」なんてのが載っていたが、こんなのは別にきつい質問でもなんでもない。

 俺は別にゴキブリになったことがないから、ゴキブリがどういう生き方をしているのか、正直言ってよくわからない。ただ、食べて寝て(子供を作って)、ということがそれだとしたら、別にゴキブリ以上の生き方をしているとは思っていない。それに俺はいまだかってそれ以上の生き方をしている人間に出会ったことがない。
 こういうことをいう人間は、「それならあんたはいったいどうなんだ」と逆に聞くと、どうせ「それを考えることが大事だ」みたいなことを言ってお茶を濁すのが関の山だ。考え中とか言っていつまでたっても何も答を出さないのは、単なる怠惰にすぎない。
 何か深遠なことを言って煙に巻いて、自分は人とは違うと言うのは簡単なことだ。でも本当に大事なことは、ソクラテスの時代から知られているように、「知らない」ということを認めることではないか。
 この前の日曜に、ようやくエレア派について書き終えた。存在の問いは、彼等によって一つの頂点に達したが、残念ながら、プラトンもアリストテレスもそれをきちんと受け継ぐことは出来なかった。そして、20世紀になってハイデッガーが再び存在の問いを提起したにもかかわらず、この問いは相変わらず無視されている。

 哲学者というのは、存在を様々に分類して、「である」と「がある」は違うだとか、「ザイン」と「ゾーレン」は違うだとか、事物存在と道具存在と人間存在の三種類があるなんてことをあれこれ言うだけで、何か偉くなったような気分になるのか、それで満足している。ソクラテスならこう言うだろう。

 「ずいぶんぼくも運がいいようだね、存在は一つしかないというつもりでさがしていたのに、存在がまるで蜜蜂のように、わんさと群をなして君のところにあるのを発見したのだから。」
 「自分探し」なんて言うけど、結局自分が一番偉いという根拠を探しているだけ。ゴキブリのことはよく知らないが、ひょっとしたらそれ以下かもしれない。

6月19日

 FFⅩのクリア後、続けてFFⅩ2に入ったが、二年間で変わりすぎ。

 話は変わるが、日本には死刑制度があるのだし、死刑判決が確定したのなら、当然速やかに死刑を執行すべきであり、何年も執行せずに放置していること自体が異常な事態なのだと思う。刑の執行がいけないと言うなら、死刑制度を廃止すべきだろう。
 有限な地球に無限な生命が生息できない以上、生存競争は必然的なものであり、人類も例外なく有史以前から、自分が排除されないため、何かしら理由をつけて誰かを排除するゲームを繰り返してきた。死刑になるのはみんなそうした生存競争の敗者に他ならない。
 人間は生まれながらに決して平等にはできてないし、一人一人顔かたちがちがうように、一人一人能力のパラメーターはみな違う。まして、生まれ育つ環境には雲泥の差がある。
 どんなゲームだって、いくらやっても負け続けていれば、ゲーム版をひっくり返したくなったり、コントローラーを投げつけたくなる。ただ、普通のゲームはつまらなければやめればそれですむ。しかし、生存競争というこの人生ゲームだけは、どんなに負け続けても絶対に降りることができない。だから、いつの時代でも誰かしら、ぶち切れてゲーム版をひっくり返してやろうという人は現れるものだ。
 ただ我々に選ぶことができるのは、敗者に容赦なく死を与える社会を作るのか、それとも敗者復活戦のある社会を作るのかというだけのことだ。

6月8日

 FFⅩをクリアした。60時間くらいか。ワッカのHPは8000くらいあった。

 ラスボス戦は何となくアーロンに「空気を読め」といわれているような雰囲気で、最後の一撃はお約束どおりティーダのスパイラルカットで決めた。(エース・オブ・ザ・グリッツは覚えてなかった)

6月7日

 THE BACK HORNを見に行った。今日は80年のYMO以来の武道館。入ったとき、意外に狭いという感じがした。子供の記憶と一緒で、28年の間の記憶の中で武道館がずいぶん大きなものになっていたようだ。

 椅子席だとやはり何となく盛り上がりにくい。2/24のZEPP TOKYOのような押し競饅頭するわけにはいかない。しかも二階席だからすり鉢の底を見下ろすようなアングルで、高い天井が何となく厳粛な雰囲気をかもし出す。きちんとセッティングされたライティングの演出といい、ショーとして見物するにはいいが、やはりライブハウスの方がいいと思った。
 前半は古い曲も多く、初めてライブで「世界樹の下で」を聞いた。最初にバックホーンと出会ったときの曲だ。「幾千光年の孤独」や「アカイヤミ」もやったし「ひとり言」もやった。後半はシングルヒットが中心で、最後は「キズナソング」のストリングス・バージョンだった。
 アンコールでは、いつも必ずやる「サニー」をやったが、ファン層が若返ってしまったせいか、イントロが始まっても反応が鈍い気がした。バックホーンは大体いつもアンコールはあまりやらないが、今日は特別で二度目のアンコールがあった。MCで10年前にバンドを結成したときのことを回想してたから、すぐに何をやるかわかった。「冬のミルク」最初に作った曲だという。

6月3日

 パイロットが不足しているというが、今の日本で不足しているのはパイロットだけではない。医者も弁護士も不足している。
 本来ならみんなの憧れの職業なのに、結局みんな夢をかなえた人間を妬んでは、好きな仕事やってんだからお金じゃないだとか、世のため人のためになる神聖な仕事につけたのだから休んじゃいけないなんて言って、過労地獄に追い込んでゆく。
 これでは誰も働かなくなるし、子供も勉強しなくなる。
 下手に能力があると思われてしまうと、徹底的に搾り取られてしまう世の中だから、タコやっているほうが生きやすい時代だ。

5月24日

 駒沢ガソリンアレイにElectric Toysを見に行った。去年のクリスマス以来だ。

 最初に出てきたLOVE ERは、看護婦コスプレの二人組の歌謡曲ユニットで、音楽で心の病を治療するというのがテーマのようだった。ちゃんと一つの世界を作っていて、飽きさせなかった。
 次があきづきかおるのバンド、宇宙人で、あきづきかおるは今日の司会進行もやっていた。今日はテーマがスペースオペラで、地球にポロリ菌という胸が突然大きくなる奇病をもたらした土星の衛星を破壊に、宇宙船ボインジャーが旅立つというものでなかなか笑えた。曲はインスト中心だった。
 三番目にエレトイ登場。最初の曲「赤色アウトライン」を聞いたときは、ドラムが変わったということもあって、何となく違和感があったが、二曲目の「東京AMEBAGIRL」を聞いたときには、不安は吹っ飛んだ。以前はドラムとベースがややぶつかり合うようなスリリングな感じだったが、今回は音が落ち着いてポップになった感じがした。
 正確に数えてないが、今日は10曲くらいはやったか。久しぶりにリリーリバーも聞けた。今日は持ち時間45分でいつもより若干長いとはいえ、やはりあっという間だった。

5月17日

 フラワーセンター大船植物園へ芍薬を見に行った。芍薬はちょうど見ごろで、大きな花がたくさん咲いていた。牡丹が横に大きく開くのに対し、芍薬は縦に大きく、ボールのようだ。
 植物園の中にはほかにもいろいろな花があって、薔薇園の薔薇もたくさん咲いていた。ほかにも、睡蓮、ルピナス、カモミール、牡丹も最後の花が3つばかり残っていた。
 温室にはすずちゃんに良く似合うハイビスカスや、芭蕉や、いろいろ珍しい花があった。写真はすずちゃん色のハイビスカス。
 植物園のあと、鎌倉へ行き、長谷の市を見に行った。長谷寺の前にはTVチャンピオンの鎌倉王準優勝の人力車の人がいた。
 長谷寺境内のねこやに並んでいる「わるねこ」を見ていたら、何かその中の緑の唐草模様のがじっとこっちを見ているような気がして、買ってしまった。鎌倉ビールを飲んだ。
 長谷寺のあと、御霊神社を通って極楽寺の駅に出て帰った。

5月13日

 久しぶりにCD屋へ行ったら、相対性理論の「シフォン主義」が並んでいた。なんでもリマスターして、全国発売になったらしい。

 マスドレもそうだが、やはり見たことのあるバンドというのは親近感を感じ、ついつい買ってしまった。
 相対性理論は一度ライブを見たが(2007.9.15の日記を参照)、そのときの印象では、バックの三人は上手いが、ボーカルの声がよく聞こえなかった。もっとも、これはミキシングの問題で、バンドの問題ではないのだろう。ただ、結構暴れまわるバックに対して直立不動で淡々と歌うボーカルのギャップが売りなんだろうけど、見ているほうとしてはどっちのテンションに合わせていいのか戸惑う。結局俺はボーカルのテンションになってしまった。

5月10日

 FFⅩが中古で950円だったので、今日からプレー開始。何か、ムービーの間にちょこっとバトルが入るような感じだ。

5月8日

 新聞にiPodに著作権料を課金するなんてことが書いてあったが、一体どうやって著作権者に還元するのだろうか。俺のiPodにはエレクトリックトイズや花のようにやsix o'minusが入っているが、彼等にちゃんとお金が入るのだろうか。もし入らないで、何か得体の知れない下手糞なメジャーのミュージシャンの方に行ってしまうというなら、これは詐欺というしかない。

5月6日

 3日は仕事だったが、後は久々の3連休。とはいえ、どこに行くでもなく、結局暇つぶしにスターオーシャン3の裏ダンジョンを進めた。レベル100前後でガブリエル・セレスタ戦に望んだが、結構あっけなかった。ノーダメージ、5分以内撃破というバトコレまで付いてきた。

 バナールの『黒いアテナⅡ』の下巻も半分以上読めた。日本人の起源に関しても、昔から日本列島にいたという説が最初にあって、60年代に入って騎馬民族説が一世を風靡して、今は江南説が盛んだが、ギリシャ人の起源もそれに似ている。元からギリシャにいたという 古代モデル。コーカサスの方からやってきたというアーリアモデル(日本の騎馬民族説はこのアーリアモデルのパロディーではなかったか)。そして、バナールの提起したヒクソス=ギリシャ人説は日本の江南説に相当するものか。

4月26日

 今日は三ツ沢へ横浜FC=セレッソ大阪戦を見に行った。

 あいにくの曇り空で、天気予報では夜から雨と言ってたが、一応傘は持っていった。
 前半はセレッソにボールを支配されて、守りの場面が多かった。特に左サイドを破られる場面が多かったが。30分をすぎた頃からセレッソも攻め疲れたのか、横浜FCにもチャンスが出てきて、35分ごろ、カズのドリブル突破でチャンスが生れ、最後は根占が押し込んでゴーーーーール。と、ここまでは良かった。
 それからも優勢に攻めていたのだが、40分過ぎにカウンターでまた左サイドを破られた。このとき、下がる横浜FCの選手がみんな左に寄っているのが気になった。結局左の深いところからのクロスボールに、空っぽのファーサイドから押し込まれて同点。
 前半終了近くなって、雨が降り始めた。ハーフタイムに入ると雨も強くなる。気温も結構下がって、冷たい雨の中、後半戦が行われた。
 後半の立ち上がりはまだ押し気味だったが、だんだん危ない場面が多くなってくる。芝も濡れてて選手もスリップする。そんな中、後半40分、ゴールと思ったら、審判の笛がなっていてファールとのこと。幻のゴールだった。結局同点のまま1-1の引き分けで終わった。

4月21日

 昨日は渋谷O-nestにあふりらんぽを見に行った。

 オニの出産のために長いことあふりらんぽとしての活動を中止していた後の復活祭ライブということもあって、開演30分前に着いたら、すでに当日券はsold out。前売り買っておいてよかった。
 最初に出てきたのが、中原昌也とジムオルークの二人で、なにやらよくわからない機械の前に座ると、黙々とノイズを出し始めた。その後延々とノイズの洪水で、最後には仲原の方がワーワー叫んでいて、とにかくサイケデリックにアバンギャルドしていた。
 後で知ったのだが、中原昌也は元暴力温泉芸者の人で、ジムオルークは元ソニックユースとのこと。結構すごい人らしいのだが、何だかよくわからなかった。
 次に出てきたDMBQは、いわゆるハードロックで、70年代のロックスピリッツそのままの今時珍しいバンドだ。客席も盛り上がり、ダイブをするし、メンバーのほうもダイブしてくる。ベースソロやドラムソロが入ったり、最後はドラマーがドラムセットを壊して終わるという、ああ栄光の70年代ロックだった。
 さて、三番目に遂にあふりらんぽ登場。セッティングのときには白い服で、アイラインを入れただけのすっぴんに近い姿で現れた。そして引っ込むと、しばらく間が。おそらく舞台衣装に着替えてメイクをしていたのだろう。そして客席側から赤いひらひらした服を着て登場。
 最初の何曲かはDMBQに負けずにダイブしたりして盛り上がった。すずちゃんのテーマでもある「ドドドド」は二曲目だった。そして後半に入るとCAVAなどの長い曲もやった。新曲ですといってやった「あふり伝説」はスートブレイコーのような大作だった。

 アンコールは予定していたのか、すぐに出てきた。しかし、ここであの「スートブレイコー」をやるとは思わなかった。ショートバージョン(CDの1、6、7)ではあったが。最後は「あふりらんぽ」という曲で終わった。

 帰りがけに買ったムーン♀ママの「幸せの可視」(手書きpop付き)は、なかなかの感動ものだ。詩の力を感じさせる。エレベーター付近に赤ちゃんがいたが、ひょっとして?

4月14日

 エレトイのホームページを見たら、いつの間にかドラムが変わったとのこと。えー、ともかちゃんどうしちゃったの?そういえば最近日記にも登場してなかったな。

4月5日

 鎌倉へ行った。今日は人出が多そうなので、江ノ電を避け、横須賀線の北鎌倉からスタートした。

 桜はすでに散り始めていたが、まだ7分くらいは残っていた。東慶寺は門のところまで行ったが、「匠の市」をやっていた。浄智寺には桜をはじめ、山吹、シャガ、カタクリ、ミツマタ、クリスマスローズ?など、いろいろな花が咲いていた。鶯が鳴いていた。
 そこから山道を歩き、葛原岡神社へ行った。そこの桜を見ながらお昼にした。
 化粧坂を下りて海蔵寺へゆく。雪柳、海棠がきれいだった。
 その後小町通り段葛を横切り、妙本寺へ行った。ここにも大きな海棠の木があった。
 最後に光明寺に行った。山門を公開していて、登ることができた。桜の木は古くなって枝がかなり切られてしまったのだろう。猫がたくさんいると聞いていたが、今日あった猫は三匹だった。
 バスで逗子へ出て、京浜急行で帰った。

3月27日

 昨日のバーレーン戦で、バーレーンの選手が足がつって、伸ばしてもらっているのが画面に映ったとき、そういえば横浜FCもJFL時代にはこういう場面があったなということを思い出した。あの時は相手チームの選手に足を伸ばしてもらったりして、結構ほほえましかった。

 Jリーグの試合では、あまりそういう場面は見ないし、ワールドカップなどでもあまり見ないというのは、それだけ鍛えられているのか、それともペース配分が上手いのか。
 ただ、バーレーンの選手が格上の日本と対戦するというので、実力以上の物を出そうとして、かなり無理したなというのは感じた。たいてい、こういう試合は、後半になってばててきたところで相手が勝負に出てきて負けることが多いのだが、上手いこと先制点が取れれば、そのまま逃げ切れる場合もある。今度がまさにそれだった。
 日本は負けた。川口が本調子ではなかったというのもあっただろう。中途半端に飛び出してひやりとする川口らしくないシーンが何度かあった。そして、その一つがあの失点だった。でも、あの試合はバーレーンが頑張ったのだと思う。

3月26日

 今朝のニュースでフランスの猿古寺大統領がオリンピックの開会式をボイコットだなんて言ってたけど、ぬるいな。

 オリンピックは世界中何十億という人が見るものなのだから、むしろこれを利用しない手はない。たとえば入場行進で全員喪章を巻いて行進するというのはどうだろうか。これだと、中国側も放送していいものかどうかということになり、中継が不自然に途切れたり、無理なアングルで別のものを撮ったりして面白いのではないか。
 パレスチナも昔はミュンヘンでイスラエル選手団をサツガイしたりしてたが、今は一緒に入場行進する仲になった。だから、次の大会でも、その次の東京オリンピック(?)でもいいけど、チベットを国土なき国家として承認して、オリンピックに参加させてほしいものだ。そうすれば、オリンピックを敵視する感情もなくなるだろう。中国の嫌いな石原知事に、ぜひお願いしたいものだ。

3月22日

 昨日は桜の開花宣言が出た。帰りがけに溝の口に寄ったら、駅前でCome UP Smilingというバンドが演奏していた。歌はそれなりに上手い。ドラムの代わりに叩いていたカホンの乗りがなかなか良かった。

 今日は暖かいいい天気だった。土筆を見つけた

3月21日

 今日の帰りがけ、駒沢公園の桜が一つ二つ咲いていた。今年は梅が遅かったから、梅のほうもほんのわずかに残っている。というわけで、今年は梅と桜が同時に見れた。空には朧月。何も言うことはない。

3月19日

 最近風雅堂の方を更新してないが、そっち方面を別にサボっていたわけではない。ただ、連句の復興については、いろいろやってみたがやはり無理だと思った。

 大体、今の時代に連句をやろうという人は、大抵は俳人で、後は多少俳句にも興味のある歌人か詩人だろう。ただ、この手の連中というのは、煮ても焼いても食えないというか、正岡子規の写生説が骨の髄まで染み付いた連中で、虚構で句を付けるということに罪悪感を持っているのか、自分の身辺のことしか詠もうとしないし、虚構で詠むということになると時代劇になったり姥を背負って捨てに行く話になったり、一見して嘘とわかるようなものしかやらない。いかにも見てきたような作り話ができないのだ。
 芭蕉は俳諧を「上手に嘘をつくことなり」と言ったが、俳句は嘘をついてはいけない、嘘をつくなら嘘とわかる嘘でなければいけない。それが暗黙のルールになっている。
 世の中には話を面白く作るのが上手い人がたくさんいるというのに、そういう人は連句に興味がない。連句に興味を持つ人は嘘が下手。そういうわけで、連句の復興は不可能という結論に達した。これで俺の煩悩の一つがなくなった。

3月18日

 チベットというと、日韓ワールドカップの決勝戦のとき、雰囲気だけでもと横浜国際の周りをうろうろしていたら、ドイツともブラジルとも関係ないチベットの一団が、場違いのように立っていたのを思い出す。

 ワールドカップで大勢の人が集まるからという理由で、それを利用してチベット独立を訴えようというのだろう。その気持ちはわからないではないが、スポーツはスポーツで、関係ない政治的なデモンストレーションの場にはしてほしくなかった。
 今度のチベットの暴動も、偶発的なものだったらやむをえないし、同情すべきことだが、オリンピックを人質に取ろうという意図のものであれば、むしろ非難されねばならない。
 確かに、暴動鎮圧に中国政府が大規模な軍事介入し、虐殺行為が起きれば、かつての旧ソ連のアフガニスタン侵攻のときと同じように、国際世論が動いて、いくつかの国が北京オリンピックをボイコットするという事態にも発展しかねない。しかし、そのようなことでスポーツの祭典を汚してほしくない。選手たちがどのような思いで北京に行くためにがんばっているか、そのことを理解すべきだ。
 たとえチベットで虐殺事件が起きたとしても、だからこそ平和の尊さを訴える意味でも北京オリンピックには参加すべきだ。

3月16日

 今日は横浜FCのホーム開幕戦。久しぶりの三ツ沢だ。今年からはニッパツ三ツ沢ということで、ニッパツって何の会社だっけという感じで、なかなか名前が覚えられない。

 暖かくいい天気で人も結構来た。去年と比べるとちょっと寂しいけど、J2で6000人入ればまずまずだ。
 試合のほうは、開始5分、アンデルソンのシュートがはずれてあーあっと思っていたら、どこで反則があったか気づかないうちにPKになっていた。キーパーの飛んだ方向はあっていたが、キーパーの指先、右隅に決まってまず一点。
 その後横浜FCは優勢に攻め続けたが、シュートの雨を降らせたわりには追加点はなく、前半終了。  後半開始7分、今度はアンデルソンが倒されたのがはっきり見えた。またPKで2-0。ただ、そのあと前半の攻め疲れか、動きが鈍くなって、逆にベルナーレに再三にわたってゴールを脅かされるようになる。何か悪い予感がする。
 その予感が的中し、後半20分くらいについに失点。なおもピンチが続く。去年のFCだったら、相手がJ1の強豪だったら、このまま逆転負けしてたかもしれないところだ。だが今日はアンデルソン・デーだった。後半30分過ぎ、右からのクロスボールをファーサイドから押し込んでゴーーーーーール!しかし、その余韻も覚めやらぬうちに集中の切れたディフェンスをあっさり破られ、一点返される。
 結局何とか一点差を守りきって、辛くも逃げ切り、終わってみれば3-2で勝利。久しぶりだ。去年の観戦成績が0勝4敗、おととしの8月6日以来の勝利だ。

2月28日

 昨日の夜はスターオーシャン3のソフィア以外のカップルエンディングに挑戦。だが、よほどソフィアとの感情知が高かったのか、惚れ薬を10個使ってもやはりソフィアエンディング。結局20個使って、やっとマリアエンディングが見れた。そのあとスフレエンディングも見たところで、惚れ薬がなくなった。

2月24日

 ZEPP TOKYOにTHE BACK HORNを見に行った。久しぶりに大きなところに見に行った。整理番号順の入場、久しぶりだ。とにかく人が多い。

 ステージが始まると、何か音が小さく感じる。会場が広いせいか。一曲目が「冬のミルク」でいきなり押し競饅頭の状態へ。これも小さなライブハウスではなかった感覚だ。三曲目が終わるあたりでだいぶ落ち着いてきた。というより、いつの間にか揉まれているうちに、2メートルくらい後に追いやられていただけか。
 今回は何かファン層が若返ったような気がする。ガンダム効果か。曲のほうもベスト版からの選曲で、盛り上がった。アンコールも今回は3曲やった。

2月23日

 鎌倉に行った。荏柄天神の梅を見て、そこから十二所果樹園まで歩いた。工務店や石屋のあるちょっと荒れ果てたようなところの奥に果樹園はあり、梅はまだ二分咲きくらいで、木によってはよく咲いている木もあるが、まだ咲いてない木も多かった。鎌倉に着いた頃から風が強く、春一番となったようだが、十二所果樹園の中は風は穏やかだった。

 バスで鶴岡八幡宮に戻った。(このバスがいつものことながら、時間通りには来ない。)
 鶴岡八幡宮にお参りした後、北鎌倉へ向かい、東慶寺と浄智寺を見た。東慶寺の梅はよく咲いていて、木瓜や万作や福寿草も咲いていた。蝋梅は終わりかかっていた。
 この頃から風向きが変わり、寒くなってきた。空も黄色い土煙で曇ったようになり、わずかだが雨もポツリと来た。変な天気だった。亀ケ谷坂切通しを通って鎌倉に戻った。

2月20日

 久々にアリストパネスの「雲」を読み返し、読み終えた。読んだのは高校生のとき以来だが、読み終わって、よくよく考えると、ソクラテスがソフィストだなんてどこにも言っていない。むしろ主人公のストレプシアデスのほうの勝手な思い込みでソフィスト扱いしているような感じもする。

 あらためて、かつてこの作品を読んだときに、いかにプラトンの「ソクラテスの弁明」のイメージで見ていたか、反省させられた。この喜劇はソクラテスをソフィスト扱いしてもいなければ、ソフィストとして貶めているわけでもない。ただ、世の中の新しい波に対して、それをそれぞれ自分の都合のいいような勝手な解釈をして利用する親子の姿を描くことに、アリストパネスの真意があったのではなかったか。
 それをプラトンが誤解したのは、理由のないことではない。この喜劇が上演された当時、プラトンは4歳で、この劇をリアルタイムで知ってたわけでもなく、当時のソクラテスの姿も知らないわけだから。

2月17日

 ようやくスターオーシャン3をクリアした。90時間くらいで、レベル67。インサニティプレリュードという技に何度も全滅して、一度引き返したが、攻略サイトを見てスタン系のボムでこの技を止められるとわかって、やってみたら、わりとあっけなくクリアできた。

 今日は「もう一つの弁明」をupした。プラトンの「ソクラテスの弁明」を普通に解説してもありきたりなので、プラトンが裁判用に書いた弁明の原稿に、ソクラテスが突っ込みを入れるという設定にしてみた。

2月11日

 スターオーシャン3のほうは、ようやくファイアーウォールまで来た。レベルも60で、あと少しだ。ただ、コントローラーのスティックの調子が悪く、酔っ払ったような動きをする。急にメニュー画面が開いたり、地図が切り替わったりする。

2月2日

 今日(もう昨日になったが)は新宿のnine spicesにsix o'minusを見に行った。

 最初のthe Brixton Academyは久々に聞く正統派のたて乗りバンドで、途中からテクノも入り、四角いサングラスも懐かしい感じ。気分は27年前。
 six o'minusはやはり最高だった。パワフルなドラムとフレットレスベースの重い音にジョン・ライドンのようなボーカルで、俺の世代だとPILを思い浮かべてしまう。
 PASTA FASTAはストレートの長髪(90年代のロンゲというよりは70年代風の長髪)で、4弦と5弦のツインベースで、何かロックの初期衝動を感じさせるようなバンドなのだが、その音量が半端でなく通常の轟音の域を超えていた。やむえず退席。
 マヒルノは長髪巻き毛で、暗示的な歌詞と複雑な曲構成でプログレしていた。世代的にはやはり懐かしさを感じる。
 the SHUWAはファンキービートで、ビージーズのような裏声ボーカルで、サタデーナイトフィーバーしていた。
 最後のELEVATIONは女の子二人を中心としたバンドのようで、活動休止していたのが今夜復活祭だということ。曲はテクノっぽく一年前のエレトイっぽい感じもするが、歌詞には特に意味なさそうで、不思議系?それに、前のほうで動物の被り物をして踊っている集団は何者だ。秋葉系の真似?
 終わったらもう11時10分。終電に間に合わせなければと、急いで帰った。それにしても、こんなにいろいろなバンドがいるのに、何でメジャーシーンはこう画一的なのか。

1月27日

 今日はゴルギアスの「ヘレネ頌」をアップした。

 ゴルギアスというとプロタゴラスと並ぶソフィストの巨匠だが、プロタゴラスが巨万の富を築いたのに対し、ゴルギアスは還暦にして故郷を失い、一所不住の生活を続け、頼まれればどんな弁論も引き受けたようだが、暴利をむさぼるのでもなく、宵越しの金は持たない人だったようだ。
 プロタゴラスは自ら徳の教師だと豪語したようだが、ゴルギアスはただの弁論屋だと割り切っていたようだ。そんな生き方を思うと、有名な「何もない、あったとしても知ることができない、知ったとしても伝えることができない」という言葉も、どこか老荘思想に通じるように聞こえてしまうのは、私だけだろうか。
 いま、講談社学術文庫の「哲学者ディオゲネス」を読んでいるが、これは同じ故郷を失った人間でも、ずいぶん違う。どこか韓国の金笠(キムサッカ)のような反骨精神を感じる。

1月25日

 サメガレイが15年前の手紙を届けたという。人間にとっては感動的な話かもしれないが、カレイにとってみればいい迷惑だ。変なものが体にこびりつき、さぞかし不自由だっただろう。それに、このカレイ、その後どうなったのかな。やっぱり食べられちゃったのかな。

1月23日

 久しぶりに渋谷のタワレコへ行った。朝から雪が降って寒かったけど、何とか仕事も早く終わった。やっぽり渋谷はいいな。いろいろ刺激になる。

 ラッドの「オーダーメイド」とマスドレを買った。ラッドのB面の「グーの音」はちょっとレッチリっぽい。意識したのかな。

1月16日

 iTunes Storeのメールをあけたら、トップに何と一押し新人としてマスドレ(MASS OF THE FERMENTING DREGS)が紹介されていた。これって確か、おととしの11月23日に下北BASEMENTBARで見た5つのバンドの三番目に出たバンドではなかったか。

 あの時は、確かに音はでかくて迫力はあるものの、全体に音の輪郭がはっきりしなくて、ボーカルもあるのかないのかわからないような、よく聞こえない状態だった。ドラムも後に出たシェリーズのパワフルでいながら繊細さを持つドラムの前には、荒っぽい印象をうけてしまった。そして、あの日の一押しバンドは、俺としては、トップバッターのエレクトリックトイズだった。
 あらためて今度の音源を視聴してみると、確かに音はまとまっているし、ポップな感じがする。女の9mmと言われるのは何となくわかる。ただ、ボーカルの声ははっきりと聞こえるが、相変わらず何を歌っているのかわからない。その点ではちょっとマイナスと言うか、そこもまた女の9mmというところか。
 あれからエレトイもずいぶん変わったが、マスドレも変わったのだろう。

1月2日

 スターオーシャン3のほうは、去年の12月10日頃から、ウイルス性腸炎になったのと、そのあと年末の忙しさから、長いこと中断していたが、今日はその分まとめて進ませた。バール山脈の手前でキャラを選ばなくてはならないというので、三つセーブを取った。

1月1日

 今年もいつものように、琴平神社へ初詣に行った。まずはいつものように参集殿から銭荒い弁天をお参りして、おみくじは大吉だった。そして、道路を渡り、本殿の方へ行く。途中にある、馬頭観音と道祖神へのお参りも忘れず、そして長い石段の下に来ると、何と通行止め。なんでも去年の6月に本殿は放火によって消失したとのこと。せめて奥にあるお稲荷さんでも拝めないかと横から行ってみたが、入れなかった。
 さあ、今年は何をやろうか。取りあえず去年完成しなかった文章は仕上げないとな。でもそのあとのことは何も決まってない。今までどおりのことをやっても、今までどおりの結果にしかならないと思うと、何か考えなくてはな。