「寒菊や」の巻、解説

初表

 寒菊や小糠のかかる臼の傍    芭蕉

   提て売行半タ大根      野坡

 夏冬はとり置橋をかけ初て    野坡

   門に㒵出す月の黄昏     芭蕉

 雲行も秋の日癖のざんざ降    芭蕉

   此一谷は栗の御年貢     野坡

 

初裏

 七十になるをよろこぶ助扶持   芭蕉

   三尺通り裏のさし縣     野坡

 涼しさは堅田の出崎よく見えて  芭蕉

   蛭とる牛の方耙やすむる   野坡

 墨染に寺の男のこころ入     芭蕉

   其日に戻る旅の草臥     野坡

 押詰る師走の口を喰兼て     芭蕉

   緒に緒を付て咄す主筋    野坡

 田の中に堀せぬ石の年ふりし   芭蕉

   芝に道つく月朧なる     野坡

 花の時祖父は目出度なられけり  芭蕉

   俵で米かす春の蔵元     野坡

 

 

二表

 広庭に青の駄染を引ちらし    野坡

   這廻る子のよごす居処    芭蕉

 裏合せ根鞭のくぐる薮の岸    野坡

   蝮の跡をいたむ霜先     芭蕉

 としよりて身は足軽の追からし  野坡

   陰で酒呑ム乗ものの前    芭蕉

 どうどうと榎に風の当る音    野坡

   稲盗人の綱を解やる     芭蕉

 月見れば親に不足の出来心    野坡

   こぼれて露はどこへ行やら  芭蕉

 仮りに剃るあたま斗は殊勝にて  野坡

   仕付て戻す聟方の客     芭蕉

 

二裏

 田を植る向近江の稲の出来    芭蕉

   天気になりし宵の神鳴    野坡

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

   ばせを庵にて

 寒菊や小糠のかかる臼の傍    芭蕉

 

 寒菊はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寒菊」の解説」に、

 

 「① アブラギクの園芸品種。原種にくらべて花期がおそく一二月から一月にかけて開花し、茎や葉が霜にたえる性質がある。頭花は黄色で、周辺と中心花の発達がよく、全体が泡立ったようにみえる。冬菊。《季・冬》

  ※再昌草‐天文三年(1534)一二月一三日「三径就レ荒無二客来一、一籬寒菊映二青苔一」

  ※俳諧・炭俵(1694)下「寒菊や粉糠のかかる臼の端〈芭蕉〉」

  ② 長崎市の名物菓子。軽く搗(つ)いた寒中の餠を薄くのばして菊の花や葉の型に抜き、焙炉(ほいろ)であぶり、白砂糖の中でかき合わせ、衣をつけたもの。」

 

とある。シマカンギク(島寒菊)ともいう。菊の改良などの交配に用いられてはいたが、この場合は芭蕉庵に自生していたのではないかと思う。

 句の方も雑草として認識されていたのか、臼で搗いて精米した時に飛び散る小糠のかかった寒菊を詠む。

 花の美しさを愛でるように詠むのではなく、あえて汚れた花を詠むことで、塵に交わりながらも心を失わない、市隠の心を詠もうとしたのかもしれない。

 

季語は「寒菊」で冬、植物、草類。

 

 

   寒菊や小糠のかかる臼の傍

 提て売行半タ大根        野坡

 (寒菊や小糠のかかる臼の傍提て売行半タ大根)

 

 「半タ」は「はした」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「端」の解説」に、

 

 「はした【端】

  〘名〙

  ① (形動) 物事のどちらともつかないこと。どっちつかずで中途はんぱなこと。また、そのさま。

  ※竹取(9C末‐10C初)「御子は立つもはした居るもはしたにてゐ給へり」

  ② (形動) 数のそろわないこと。数が足りないこと。また、そのさま。はんぱ。〔観智院本名義抄(1241)〕

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)一「惜や片足は野ら犬めに喰へられ、はしたになりて」

  ③ (形動) 数がある単位、あるまとまった数よりも余っていること。また、そのさまやその余った数量。余計。端数。はんぱ。

  ※史記抄(1477)一八「左が四なれば、まうはしたな数は、ないほどに、右も亦四なり」

  ④ =はしたもの(端者)①

  ※増鏡(1368‐76頃)六「御童・下仕へ・御はした・御雑仕・御ひすなどいふ物まで、かたちよきをえりととのへられたるは」

  ⑤ =はしたがね(端金)

  ※談義本・教訓雑長持(1752)鉢坊主身の上を懺悔せし事「半銭(ハシタ)で買(かは)れぬ物斗(ばかり)」

 

とある。

 おそらくは高く売れない、はした金にしかならない、小さかったり形の悪かったりする大根ではないかと思う。

 

季語は「大根」で冬。

 

第三

 

   提て売行半タ大根

 夏冬はとり置橋をかけ初て    野坡

 (夏冬はとり置橋をかけ初て提て売行半タ大根)

 

 「取置(とりおく)」は仕舞っておく、片づけておくという意味。春と秋に橋を架ける。簡単な渡し板のような橋であろう。

 この場合は春になって残った大根を売りに行くという意味か。

 

無季。「橋」は水辺。

 

四句目

 

   夏冬はとり置橋をかけ初て

 門に㒵出す月の黄昏       芭蕉

 (夏冬はとり置橋をかけ初て門に㒵出す月の黄昏)

 

 夕暮れの月夜に尋ねてくる人がいるのか、門の前に小さな橋を架ける。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「門」は居所。

 

五句目

 

   門に㒵出す月の黄昏

 雲行も秋の日癖のざんざ降    芭蕉

 (雲行も秋の日癖のざんざ降門に㒵出す月の黄昏)

 

 「ざんざ降(ふり)」はざあざあ降りのこと。秋の天気は変わりやすく、日暮れにざあざあ降りになったが、黄昏には月が顔を出す。

 

季語は「秋」で秋。「ざんざ降」は降物。

 

六句目

 

   雲行も秋の日癖のざんざ降

 此一谷は栗の御年貢       野坡

 (雲行も秋の日癖のざんざ降此一谷は栗の御年貢)

 

 天領、直轄領などの蔵入地では、年貢を米に限らず、その地方の特産品で払うことを認めていた。元禄六年四月の「篠の露」の巻二十五句目にも、

 

   霧の籬は何時の山

 萩畠年貢の柴に苅初て      千川

 

の句がある。

 

季語は「栗」で秋。「一谷」は山類。

初裏

七句目

 

   此一谷は栗の御年貢

 七十になるをよろこぶ助扶持   芭蕉

 (七十になるをよろこぶ助扶持此一谷は栗の御年貢)

 

 「助扶持」はルビがないが下五なので「たすけふち」であろう。

 栗で年貢を掃う地域だから米はほとんど獲れないのだろう。名産品の栗やそのほかの物を売って現金収入を得て米に換えている地域で、七十歳になると扶持米が支給される所もあったのだろう。まあ、当時七十まで生きる人は稀だったから、長生きに対する褒美であろう。

 

無季。

 

八句目

 

   七十になるをよろこぶ助扶持

 三尺通り裏のさし縣       野坡

 (七十になるをよろこぶ助扶持三尺通り裏のさし縣)

 

 「さし縣(かけ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「差掛・指掛」の解説」に、

 

 「① 陰になるように上におおいかけること。また、そのもの。

  ※俳諧・毛吹草(1638)五「軒口に枝やさしかけ家桜〈安明〉」

  ② 母屋(おもや)にかけた庇(ひさし)を長くさし出し、その下を利用できるようにした小屋。下屋(げや)。差掛小屋。

  ※史記抄(1477)一一「本に家にも不居して廬と云て別にさしかけをして居るぞ」

  ③ 中古、四位以下の官人がはいた、黒漆塗りの革の浅沓(あさぐつ)。鼻切(はなきれ)。

  ※蜻蛉(974頃)中「のらんとする舟の、さしかけのかたへばかりにみくだされたるぞ」

  ④ (指掛) 将棋で、その場で勝負をつけず、後日指し継ぐことにして休止する制度。現在は、専門棋士の対局で二日制のタイトル戦に用いられる。

  ※浄瑠璃・山崎与次兵衛寿の門松(1718)中「昨日のさしかけの将棋勝負付けましょ」

 

とある。この場合は②で、通りと反対側の裏側に三尺ばかり庇を長く張り出した家に住んでいる。前句の七十の老人の住んでいそうな家ということで、位付けであろう。

 

無季。「さし縣」は居所。

 

九句目

 

   三尺通り裏のさし縣

 涼しさは堅田の出崎よく見えて  芭蕉

 (涼しさは堅田の出崎よく見えて三尺通り裏のさし縣)

 

 前句のさし縣の場所を近江の堅田出崎の見える場所とする。出崎は天神川河口のあたりか。

 

季語は「涼しさ」で夏。「堅田の出崎」は名所、水辺。

 

十句目

 

   涼しさは堅田の出崎よく見えて

 蛭とる牛の方耙やすむる     野坡

 (涼しさは堅田の出崎よく見えて蛭とる牛の方耙やすむる)

 

 方耙は「マクワ」とルビがあるが、馬鍬(まぐわ)のことであろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「馬鍬」の解説」に、

 

 「馬耙(まぐわ)とも書く。横木に長さ15センチメートルくらいの歯(鉄あるいは竹)を、その長さと同じくらいの間隔で植え、横木から前方水平に轅(ながえ)2本を取り付け、綱を介して牛や馬に牽(ひ)かせ、田の代掻(しろかき)をする農具。横木の上方に鳥居状の把手(とって)を設け馬鍬の姿勢を調節する。中国起源のものと考えられているが、アジアの水田地帯では一般的な農具である。中国で、畑地の砕土に用いるものには「耙(は)」、代掻には「耖(そう)」をあてている。馬鍬は華北から朝鮮半島を経由して伝えられたと考えられている。なお、今日では、トラクター装着あるいは歩行型のロータリー耕耘(こううん)装置で行っている。[堀尾尚志]

  『飯沼二郎・堀尾尚志著『農具』(1976・法政大学出版局)』」

 

とある。

 堅田の辺りの農家は牛に馬鍬を引かせているが、水田の代掻きの時に蛭に食われるので、作業を止めて蛭を取ってやる。

 

季語は「蛭」で夏。「牛」は獣類。

 

十一句目

 

   蛭とる牛の方耙やすむる

 墨染に寺の男のこころ入     芭蕉

 (墨染に寺の男のこころ入蛭とる牛の方耙やすむる)

 

 墨染衣の僧に寺男がいろいろと気を使っていると、百姓も牛に気を使っている。相対付けになる。

 みんなそれぞれ苦労があるということで、それにしてもお坊さんは牛と一緒ということか。

 「寺の男」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寺男」の解説」に、

 

 「① 寺院にやとわれて、雑役をする下男。寺奴。

  ※雑俳・柳多留‐五(1770)「にげ尻てかいばくわせる寺おとこ」

  ② 僧侶。仏門にはいり寺で修行する人。」

 

とある。この場合は①であろう。

 

無季。釈教。「寺の男」は人倫。

 

十二句目

 

   墨染に寺の男のこころ入

 其日に戻る旅の草臥       野坡

 (墨染に寺の男のこころ入其日に戻る旅の草臥)

 

 墨染僧の体調が悪かったのか、気遣って引き返す。「草臥」は「くたびれ」。

 

無季。旅体。

 

十三句目

 

   其日に戻る旅の草臥

 押詰る師走の口を喰兼て     芭蕉

 (押詰る師走の口を喰兼て其日に戻る旅の草臥)

 

 「口を喰」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「口を食う」の解説」に、

 

 「生活の道を立てる。食べてゆく。

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)五「何をしたればとて、ふたり三人の口を喰(クウ)事心やすき所ぞと見たて」

 

とある。

 もう十二月になるというのに生活するすべもなく、旅の日々に戻る。

 前句を「旅の其日に戻る」の倒置とする。

 

季語は「師走」で冬。

 

十四句目

 

   押詰る師走の口を喰兼て

 緒に緒を付て咄す主筋      野坡

 (押詰る師走の口を喰兼て緒に緒を付て咄す主筋)

 

 主筋(しゅうすじ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「主筋」の解説」に、

 

 「〘名〙 主君または主人の血筋。主君または主人に近い関係。しゅすじ。主人筋。

  ※集義和書(1676頃)八「威も力もなき人を日本の主筋とし」

 

とある。「緒に緒を付て」は「尾に尾を付て」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尾に尾を付ける」の解説」に、

 

 「ありもしないことを付け加えて、物事を大げさに言う。尾に鰭(ひれ)付ける。

  ※咄本・鯛の味噌津(1779)叙「はなしに鰭はなけれども、尾に尾をつけて書きつづくれば」

 

とある。今でいう「咄に尾鰭が付く」ということだ。

 主人の待遇が悪いので、主人の筋の人にそのことを、師走だというのに食う物もないと大袈裟に言い立てる。

 

無季。「主筋」は人倫。

 

十五句目

 

   緒に緒を付て咄す主筋

 田の中に堀せぬ石の年ふりし   芭蕉

 (田の中に堀せぬ石の年ふりし緒に緒を付て咄す主筋)

 

 田の中に大きな石があるのを領主が放置していて、その主君の筋のものが言い訳に、石のいわれだとか霊元や怪異などあることないこと言う。しまいには地震を起こす鯰を抑えつけているとか言い出すのでは。

 

無季。

 

十六句目

 

   田の中に堀せぬ石の年ふりし

 芝に道つく月朧なる       野坡

 (田の中に堀せぬ石の年ふりし芝に道つく月朧なる)

 

 田の中の石が放置されたまま長い年月が経過すると、いつしか御神体として祀られ、辺りは芝生が植えられ整備されて、拝みに来る人々の参道ができる。

 

季語は「月朧」で春、夜分、天象。

 

十七句目

 

   芝に道つく月朧なる

 花の時祖父は目出度なられけり  芭蕉

 (花の時祖父は目出度なられけり芝に道つく月朧なる)

 

 「祖父」は「ぢぢ」と読む。

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に参考として、『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)の、

 

 「此句はただ花の時といふ五文字ばかりにてつけたる也。年いと高き人のなくなりたるはめで度なりたるといふ俗語あり。ただ花の時分に祖父は死れたりといふ事也」

 

を引用している。多分これで良いのだと思う。如月の望月の大往生は西行ならずとも目出度くもある。

 前句の「朧月」に、

 

 願わくは花の下にて春死なん

     その如月の望月の頃

              西行法師

 

の歌を本歌にした付けだが、西行法師そのものの死ではなく、それを彷彿させるような大往生と違えた句で、前句の「芝に道つく」は偉大なる功績の比喩とも取れるようになる。

 

季語は「花の時」で春、植物、木類。「祖父」は人倫。

 

十八句目

 

   花の時祖父は目出度なられけり

 俵で米かす春の蔵元       野坡

 (花の時祖父は目出度なられけり俵で米かす春の蔵元)

 

 前句の「目出度なられけり」を死ではなく、本当に目出度いことがあったとし、お祝いを盛大に行うために蔵元から米一俵借りる。

 蔵元はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「蔵元」の解説」に、

 

 「江戸時代,大坂などにおかれた諸藩の蔵屋敷で蔵物の出納売却などを管理した人。当初は藩派遣の蔵役人がこれにあたったが,寛文年間 (1661~73) 頃から商人があたるようになった。これら町人蔵元は普通,藩から扶持米 (→扶持 ) を給され武士に準じる扱いを受け,蔵物の売却にあたって口銭を得,また売却に関連して莫大な投機的利潤をあげた。蔵元には掛屋 (かけや) を兼ねる者が多く,大名をしのぐほどの経済的実力をもつ者もあった。岡山藩,広島藩,福岡藩などの蔵元をつとめた鴻池家,同じく松江,高松,久留米諸藩の天王寺屋,姫路,松山,熊本諸藩の平野屋は有名である。」

 

とある。米を俵で貸せるほどの財力がある。

 

季語は「春」で春、「蔵元」は人倫。

二表

十九句目

 

   俵で米かす春の蔵元

 広庭に青の駄染を引ちらし    野坡

 (広庭に青の駄染を引ちらし俵で米かす春の蔵元)

 

 「駄染(だぞめ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「駄染」の解説」に、

 

 「〘名〙 他の色は染めないで、紺だけで染めること。

  ※俳諧・武玉川(1750‐76)四「坊主かへりの駄染成けり」

 

とある。蔵元は大金持ちだが、駄物を着て質素な生活をしている。

 昔から金持ちほどケチというが、節約できるところを節約する経済感覚があるから金持ちになれる。貧乏人ほど金が入るとすぐにパッと使って何も残らない。

 

無季。「広庭」は居所。

 

二十句目

 

   広庭に青の駄染を引ちらし

 這廻る子のよごす居処      芭蕉

 (広庭に青の駄染を引ちらし這廻る子のよごす居処)

 

 前句の「引ちらし」を這い這いする幼児の仕業とする。

 

無季。「子」は人倫。「居処」は居所。

 

二十一句目

 

   這廻る子のよごす居処

 裏合せ根鞭のくぐる薮の岸    野坡

 (裏合せ根鞭のくぐる薮の岸這廻る子のよごす居処)

 

 「裏合(うらあは)せ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「裏合」の解説」に、

 

 「〘名〙 裏と裏とが互いに向きあっていること。うしろあわせ。⇔面(おも)あわせ。

  ※俳諧・鶉衣(1727‐79)後下「所謂東坡が亭とは裏合せの隣ならむも亦おかしからずや」

 

とある。

 根鞭(ねぶち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「根鞭」の解説」に、

 

 「① 紫竹(しちく)の根の節の多い部分で作ったむち。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ② 竹の根。また、竹の根元の茎。

  ※俳諧・桜川(1674)夏「竹の子ははやはふほどに根鞭かな〈任口〉」

 

とある。

 家の裏が他所の竹林の裏になっていて、竹の根が家の方に伸びてくる、ということか。

 前句の「子」をタケノコとし、裏庭に竹がにょきにょき生えてきて困っている。

 

無季。

 

二十二句目

 

   裏合せ根鞭のくぐる薮の岸

 蝮の跡をいたむ霜先       芭蕉

 (裏合せ根鞭のくぐる薮の岸蝮の跡をいたむ霜先)

 

 霜先(しもさき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「霜先」の解説」に、

 

 「〘名〙 霜の降り始めようとする頃。陰暦一〇月頃をいう。

  ※俳諧・桜川(1674)冬一「霜先は鴨なつかしき根深かな〈維舟〉」

 

とある。十月は蝮も冬眠する季節だが、マムシに嚙まれた痕は未だに痛む。

 

季語は「霜先」で冬、降物。

 

二十三句目

 

   蝮の跡をいたむ霜先

 としよりて身は足軽の追からし  野坡

 (としよりて身は足軽の追からし蝮の跡をいたむ霜先)

 

 「追からし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追枯」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「おいからし」とも) 役に立たなくなるまで追い使うこと。また、その、役にも立たなくなったもの。

  ※仮名草子・智恵鑑(1660)二「此馬わかき時は。毎日追つかはれて力をつくし。只今追(ヲイ)がらしとなり」

 

とある。

 前句のマムシの噛み跡の痛む人を老いた足軽とする。隠居も出来ず年とってもこき使われている。

 

無季。「身」「足軽」は人倫。

 

二十四句目

 

   としよりて身は足軽の追からし

 陰で酒呑ム乗ものの前      芭蕉

 (としよりて身は足軽の追からし陰で酒呑ム乗ものの前)

 

 馬や駕籠など乗物に乗れるときには、乗る前にこっそりと酒を飲む。歩きの時に酒を飲むと脱水状態になり、足が攣ったりする。

 前句の老いた足軽のしていそうなこととして、位で付ける。

 

無季。

 

二十五句目

 

   陰で酒呑ム乗ものの前

 どうどうと榎に風の当る音    野坡

 (どうどうと榎に風の当る音陰で酒呑ム乗ものの前)

 

 榎は一里塚に植えられることが多い。前句を旅体として、風の強い日は駕籠に乗る前に酒を飲む。

 

無季。旅体。「榎」は植物、木類。

 

二十六句目

 

   どうどうと榎に風の当る音

 稲盗人の綱を解やる       芭蕉

 (どうどうと榎に風の当る音稲盗人の綱を解やる)

 

 稲泥棒や畑泥棒は「野荒らし」と呼ばれていた。軽微な窃盗なので、所払いなどの追放刑で済んだのであろう。

 吉宗の時代までは総じて刑罰が重かった。吉宗以降なら敲で済んだかもしれない。

 

季語は「稲」で秋。

 

二十七句目

 

   稲盗人の綱を解やる

 月見れば親に不足の出来心    野坡

 (月見れば親に不足の出来心稲盗人の綱を解やる)

 

 稲を盗んだ動機は、親に不平を抱いていて、月夜なので親を困らせてやろうとしてつい、というものだった。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「親」は人倫。

 

二十八句目

 

   月見れば親に不足の出来心

 こぼれて露はどこへ行やら    芭蕉

 (月見れば親に不足の出来心こぼれて露はどこへ行やら)

 

 この場合の露は涙であろう。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

二十九句目

 

   こぼれて露はどこへ行やら

 仮りに剃るあたま斗は殊勝にて  野坡

 (仮りに剃るあたま斗は殊勝にてこぼれて露はどこへ行やら)

 

 涙流して髪まで剃って反省したと思ったら、全然懲りてなかった。

 

無季。

 

三十句目

 

   仮りに剃るあたま斗は殊勝にて

 仕付て戻す聟方の客       芭蕉

 (仮りに剃るあたま斗は殊勝にて仕付て戻す聟方の客)

 

 「仕付(しつけ)て」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「仕付・躾」の解説」に、

 

 「① 作りつける。仕掛ける。設ける。したてる。

  ※堤中納言(11C中‐13C頃)虫めづる姫君「くちなはの形をいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて」

  ② やりなれている。やりつける。

  ※能因本枕(10C終)一二四「犬ふせぎにすだれをさらさらと懸くるさまぞいみじくしつけたるや」

  ③ し始める。やりだす。

  ※宇津保(970‐999頃)内侍督「今すこし珍らしからんことしつけて、同じくは例にせむ」

  ④ (躾) 礼儀作法や生活習慣などを教えて身につけさせる。習わせる。

  ※史記抄(1477)一六「客と云は礼儀をよく習てしつけて」

  ⑤ 娘や息子などの身のふり方をきめさせる。

  (イ) 嫁入りさせる。とつがせる。

  ※浮世草子・好色一代女(1686)四「今時の縁組すゑすゑの町人百姓迄〈略〉衣類諸道具、美をつくして仕付(シツケ)ける」

  (ロ) 息子や娘に家を与えて独立させる。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Xitçuqe, uru, eta(シツクル)〈訳〉親が子どもに家を与えてめんどうをみる」

  (ハ) 奉公させる。

  ※浄瑠璃・心中刃は氷の朔日(1709)上「あの子斗(ばかり)を大坂へおばをたよりに何方へもしつけてくれとてのぼされしが」

  (ニ) 独立させる。

  ※浮世草子・立身大福帳(1703)四「古老の手代六人まで一度に仕附」

  ⑥ 馬に馬具をつける。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑦ 負かす。

  ※バレト写本(1591)「ハタラキ スグレテ アイテヲ xyccuque(シツケ) タレバ」

  ⑧ 着物に「しつけ⑥」をする。仕付糸をかける。

  ⑨ 苗を植えつける。田植えをする。農作物を田畑にまきつける。

  ※俳諧・韻塞(1697)元祿壬申冬十月三日許六亭興行「けふばかり人も年よれ初時雨〈芭蕉〉 野は仕付たる麦のあら土〈許六〉」

 

とある。⑤の意味で、聟を連れ戻して出家させる。婿入りが思うようなものでなく、実家に引き戻すのに、出家を口実にしたか。

 

無季。恋。「聟方の客」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   仕付て戻す聟方の客

 田を植る向近江の稲の出来    芭蕉

 (田を植る向近江の稲の出来仕付て戻す聟方の客)

 

 前句の「仕付て」を⑨の意味に取り成す。聟方の誰かが婿入り先の近江の国の田んぼの田植を行ったら、近江の稲の出来が良くなった。何かそういう実話があるのだろうか。

 

季語は「田を植る」で夏。「近江」は名所、水辺。

 

三十二句目

 

   田を植る向近江の稲の出来

 天気になりし宵の神鳴      野坡

 (田を植る向近江の稲の出来天気になりし宵の神鳴)

 

 「稲妻ひと光で稲が一寸伸びる」という格言もある。出典はよくわからない。前句の稲の出来を占うかのように昨日の雷が去り、天気になる。

 

季語は「神鳴」で夏。

 

 一巻はあと四句を残し、ここで途切れている。事情はよくわからない。