三表

湯山三吟、五十一句目

    いつかこころのまつもしられし
 和歌わかうらいそがくれつつまよふに  宗祇そうぎ

 

古註1いそがくれつつハ卑下ひげなり。かくひとしれぬにもみちのあらはれたるを、いつかしられしととりなせり。
古註2いそがくれて和歌わかみちをもしらぬといふなりみちにまよふこころなりまつはことニよせてつくる、なりノ似合にあひたるなり
古註3わかのうらまつをよみたり。こころまつ歌道かだうまつになせり。いそがくれとは、卑下ひげこころか。いつかしられんとは、にいつかしられんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (和歌わかうらいそがくれつつまよふにいつかこころのまつもしられし)

 

 和歌の浦の磯の裏に隠れて迷子になっているこの私に、いつかこころの松を知ることができた。

 和歌の浦は和歌山県和歌山市にあり、玉津島たまつしまは関西の江ノ島のようなもので、砂嘴さしによってつながり、潮の満ち引きによって島になったり陸続きになったりした。
 山部赤人やまべのあかひとが、

 わかのうら潮満しほみちくればかたをなみ
    葦辺あしべをさして鶴鳴たづなわた
                   山部赤人やまべのあかひと

うたんだ地でもあり、古くから歌人にとっての聖地だった。
 「いそがくれ」は『古今集』巻9、409の伝柿本人麻呂かきのもとのひとまろうた

 ほのぼのとあかしのうら朝霧あさぎり
    しまがくれゆくふねをしぞおも
   このうたはあるひとのいはく、かきのもとのひとまろがうたなり

の「島がくれ」をもじったものか。このうたは、長いこと人麻呂ひとまろうたとしてよく知られ、歌聖かせい人麻呂ひとまろの肖像とともに崇拝されてきたものだが、ここでは人麻呂ひとまろの「島がくれ」ならぬ「磯がくれ」ということで、人麻呂には到底及ばないが、という卑下する意味が込められている。
 和歌の道にありながら、「島がくれ」ならぬ「磯がくれ」で、磯の岩の間で迷子になっているわが身であるが、いつか和歌わかこころを知ることができた、と付く。これも和歌の浦のご利益りやくということか。
 「こころまつ」は和歌のこころを松の木に例えただけで、それほど意味はなさそうだ。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「和歌の浦」;水辺(体)。名所。「磯」;水辺(体)。「」;人倫。

湯山三吟、五十二句目

    和歌わかうらいそがくれつつまよふ
 みちくるしほやひとしたふらん  肖柏せうはく

 

古註1行路かうろさまなり。ミちくるしほに、いそがくるこころもしらずしたひがほ成由なるよしなり飛鳥川あすかがはふちせもしらぬあききりなににふかめてひとしたふらん。此哥類このうたのたぐひなるべし。
古註2いそがくれてまよふ旅人たびびとニ、しほのみちくるは、したがふがごとくトなり
古註3まへひとしたふといふに、しほのみちくるをいへり。満来みちくしほいそがくれのまよふべきなり。みちくるしほは、ひとしたふやうのものなり。和哥わかうらにしほみつる哥有うたあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (和歌わかうらいそがくれつつまよふにみちくるしほやひとしたふらん)

 

 和歌の浦の磯の裏に隠れて迷子になっているこの私に、満ちてくる汐は人が慕ってくれているかのようだ。

 「和歌の浦」といえば「満ち来る汐」。それは、前句まえくのところでも引用した、

 わかのうら潮満しほみちくればかたをなみ
    葦辺あしべをさして鶴鳴たづなわた
                   山部赤人やまべのあかひと

の縁によるもの。
 和歌の浦は和歌わかの神様なだけに、うたみちに迷っている人にも、慰めるかのように潮を満ちさせてくれる。
 和歌わかみちは、かつては大衆がみな口ずさみ親しむものだった。大事なのは和歌わかの権威ではなく、大勢の人に親しまれる歌を作り続けることなのである。結局のところ和歌わかの神様というのは読者なのである。

式目分析

季題:なし。その他:「みちくるしほ」;水辺(用)。「ひと」;人倫。

湯山三吟、五十三句目

    みちくるしほやひとしたふらん
 てらるるかたわれ小舟をぶねちやらで  宗長そうちゃう

 

古註1かたはれ小舟をぶねのただよひて、すてられしひとをしたふさまなるハ、みちくるしほがしたはせたるなり
古註2みちくるしほニかたはれをぶねノよるハ、ひとヲしたふがごとくトなり
古註3今度ひとをしたふといふ大事だいじなり。すてをくふね、みちしほにうかれたるは、もとのぬしをしたふてうかれるにたり。おもしろきつけやうなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (てらるるかたわれ小舟をぶねちやらでみちくるしほやひとしたふらん)

 

 捨てられた半分に割れた小舟も朽ちることなく、満ちてくる汐は人を慕っているかのようだ。

 打越に「浦」という水辺の体があるため、「満ち来る汐」という前句まえくに、水辺の体(入江、港、島、渚、汀、池、沼など)は使うことができない。水辺の用(浪、水鳥、魚、海人など)を二句続けるのも展開に乏しい。かといって、水辺以外に展開するのも難しい。「したふ」という言葉があっても五十句目にこいがあるから、こいへ展開することもできない。『新式今案』で体用の外とされた「舟」へと逃げるのが、一応の筋だろう。
 ここでポイントなのは「したふ」には愛惜する、惜しむという意味があることだ。
 荒波に真っ二つになった舟の残骸だろう。それがいまだ腐ることなくそのまま打ち捨てられて、汐が満ちてくれば海に浮かび(木造船だから壊れても水に浮く)、それがこの舟の持ち主を惜しんでいるようだ。
 この持ち主は一体どうなってしまったのか、どんなひとだったのか、いろいろと想像が掻き立てられる。
 苦しい展開に見えるが、展開の難しいところをこうした機知で乗り切るのも連歌れんがならではの面白さだ。

式目分析

季題:なし。その他:「小舟」;水辺(『応安新式』では用、『新式今案』では体用の外)。

湯山三吟、五十四句目

    てらるるかたわれ小舟をぶねちやらで
 した紅葉もみぢたづぬるもなし    宗祇そうぎ

 

古註1水辺すゐへん落葉おちばをかたはれ小舟をぶねにとりなせり。ちりぢりにくちかかる紅葉もみぢ、かたハれ小舟をぶねともいひつべし。
古註2ちりてのちひとモナキさまなりふね一葉ひとはこころなり。もみぢをふねにとりなしたるなり
古註3木葉このはふねえんあり。またくちもなをえんあり朽木くちきのはかげ、すてらるるこころあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (てらるるかたわれ小舟をぶねちやらでした紅葉もみぢたづぬるもなし)

 

 捨てられた半分に割れた小舟は朽ちることなく、木から下へ落ちた紅葉を尋ねてくる人もいない。

 前句まえくの「かたわれ小舟をぶね」を紅葉もみじの葉の比喩ひゆとした取り成し。これによって三句続いた水辺すいへんの四句続くのを逃れることができる。
 前句まえくはこれによって、木から落ちた紅葉もみじの葉は朽ちることもなく、となる。そして、それを受けてそれを尋ねてくる人もいないと続く。「打越に「ひと」があるため、ここでは人倫を出すことができないが、「尋ぬる人もなし」を「尋ぬるもなし」と略すことで逃れることができる。
 何でもないようだが、紅葉自体も隠士の比喩とするなら、なかなか味わいがある。我が身は捨てられた小舟、散った紅葉、誰も私を訪ねてこない。

式目分析

季題:紅葉もみぢ」;あき。植物(木類)。その他:「木の下」;植物(木類)。

湯山三吟、五十五句目

    した紅葉もみぢたづぬるもなし
 つゆもはやきわぶるにはあきれ   肖柏せうはく

 

古註1暮秋ぼしう寒露かんろには落葉おちば置侘おきわびたるなり閑庭かんていのさまなり
古註2暮秋ぼしうニナレバ、つゆノすくなくなるなり。もみぢノちりてつゆおきどころなきなり
古註3前句まへくこのはをたづぬを、今度こんどは、つゆそめつくして、暮秋ぼしうにはには、そめむもなきほどに、たづぬるもなきとつけなせり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つゆもはやきわぶるにはあきした紅葉もみぢたづぬるもなし)

 

 もはや露も置くことのできない秋の暮れの庭に、木から下へ落ちた紅葉を尋ねてくる人もいない。

あきの暮れ」は江戸時代えどじだい俳諧はいかいになると、あきの夕暮れの意味で用いられることが多くなるが、ここでは暮れのあき、暮秋の意味。つゆが降りるのは朝のことで、夕暮れではない。
 散った紅葉でびっしりと埋め尽くされた庭(おそらくそう大きなものではないのだろう)にも、散ったばかりのころつゆに輝いて美しかったのだろう。そのころならそれを見に尋ねてくる人もいたが、すっかりあきも終わりとなり、朽ち果て色あせた紅葉はつゆで輝くこともなく、殺風景な庭を尋ねてくる人もいなくなった。

式目分析

季題:つゆ」;あき降物ふりもの。「あきの暮」;あきその他:「庭」;居所。一座二句物。(只一、庭の教など云て一とあり、この場合は只。)

湯山三吟、五十六句目

    つゆもはやきわぶるにはあき
 むしほそししもをまつころ   宗長そうちゃう

 

古註1時節じせつ景気けいきなり
古註2つゆまつトハ、なほ其時分そのじぶんなり
古註3暮秋ぼしうにはていなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つゆもはやきわぶるにはあきむしほそししもをまつころ)

 

 もはや露も置くことのできない秋の暮れの庭に、虫の音もかすかとなり霜を待つ季節だ。

 つゆも降りなくなるのは、つゆからしもへと変わる季節だからだ。あきももう終ろうとしているから、鳴く虫の声も衰えてかすかなものとなる。

式目分析

季題:むしの音」;あき。虫類。一座一句いっくもの第三だいさんに「松虫」があるが、松虫、鈴虫などは別に一座一句いっくとなる。「しもを待つ」;あき降物ふりもの

湯山三吟、五十七句目

    むしほそししもをまつころ
 ねぬ夜半よはこころもしらず月澄つきすみて    宗祇そうぎ

 

古註1是又これまたむししも待時分まつじぶんつきものがなしくて、いねがてをそへたるうらみをいへり。
古註2ものおもふトキハねられぬなりつきなにごころなくてすみわた面白おもしろなり
古註3一句いっくは、わがねぬこころつきはしるべきを、まへへは、むしこころしれなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ねぬ夜半よはこころもしらず月澄つきすみてむしほそししもをまつころ)

 

 眠れない夜中の心も知らずに月は澄み渡っている、虫の音もかすかとなり霜を待つ季節だ。

 暮秋のしもを待つだけのわびしさに、時の流れを感じ、あるいは自らの老いを感じるのか、出世の先も見えてしまったのか、ふと人生これでいいのかと思い悩み、目は冴え眠れなくなる。
 こころくもっているのに、それを笑うかのようにつきはやけに澄み渡っている。

式目分析

季題:つき」;あき。夜分、光物。

湯山三吟、五十八句目

    ねぬ夜半よはこころもしらず月澄つきすみて
 あやにくなれやおもひたえばや 肖柏せうはく

 

古註1今度こんどハ、ねぬこころをも、いかにともひとがおもひしらぬを、あやにくにたえやらぬよしなりきえてハ、まつはのさまなり
古註2つくこころハ、つきのあやにくなれやといふたのむことあればとなり
古註3一句いっくは、おもひはあやにくなるものなり恋路こひぢのならひなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ねぬ夜半よはこころもしらず月澄つきすみてあやにくなれやおもひたえばや)

 

 眠れない夜中の心も知らずに月は澄み渡っている、思うようにならないものだ、思いを断ち切ろうと思うのに。

 未練がましいのは男の常。忘れようと思っても忘れられない女に心悩まされ、夜も悶々として眠れないでいる。
 「つき澄みて」はそんな気持ちを知らぬげな女のようでもある。

式目分析

季題:なし。その他:こい

湯山三吟、五十九句目

    あやにくなれやおもひたえばや
 たのむことあればなほうき世間よのなかに     宗長そうちゃう

 

古註1たのむことあらバ、うかるべきにあらず。されども、なほうきハのならひなり。それをあやにくにたのむがはかなきなり
古註2たのむことアレバ、ウキ不如意ふにょいおほき、おもひたえばやとなり
古註3世上せじゃうにたのむことあれば、あるほどうきあるものなり。みなあやにくのことなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たのむことあればなほうき世間よのなかにあやにくなれやおもひたえばや)

 

 求めるものがあるからよりいっそう憂鬱な男女の仲に、思うようにならないものだ、思いを断ち切ろうと思うのに。

 思うようにならないのは求めるからだ、とはちょっと醒めたような観想だが、それでも人は愛を求めずにはいられない。

式目分析

季題:なし。その他:こい。「世間よのなか」の「世」は一座五句もの。只一、浮世世中の間に一、恋世一、前世後世などに一とあり、この場合は「恋世」。すでに只が二句出ているのでこれが三句目になる。 

湯山三吟、六十句目

    たのむことあればなほうき世間よのなか
 いてやひとをやすくせん  宗祇そうぎ

 

古註1おいのこぬまハ、たのむこともありしを、いまなんのぞみも休しはてて、中々なかなかこころやすきなりかぎりあれバのうきこともなげかれずおいをぞひとまつべかりける。本哥ほんかにあらず。こころおなじさくなり頓阿とんなうたなり
古註2わかときこそのぞみもアレ、おいテハやすくせんことヲトいふなり
古註3わかほどは、たのむことあるなりおいてはたのむことなきほどにやすきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たのむことあればなほうき世間よのなかいてやひとをやすくせん)

 

 求めるものがあるからよりいっそう憂鬱なこの世の中に、年とれば人は安らかにすごせるのだろうか。

 「老いてやひとをやすくせん」は「老いてひとをやすくせんや」の倒置。「や」疑問とも反語とも取れる微妙なところだが、ここでは疑問としておくのがいいだろう。
 別にそんなに分不相応な贅沢な望みを抱いてるわけではなくても、生活はいつの世も苦しいもの。何とかもっと楽にならないだろうか、何とかもっと良い人生を送れないものかと、何かと悩みは尽きない。そんななかで、年とったら求めるものもなくなり、もっと楽に生きられるのだろうか、とそういう意味にとっておくのがいいだろう。
 「求めない」というタイトルの本がベストセラーになったりする今のご時世ではあるが、禁欲思想というのは今も昔も洋の東西を問わずあるもので、珍しいことではない。
 いわゆる快楽主義というのも、結局行き着くところは不快の原因をつくらない、つまり何も求めないところに行き着くものだ。いわゆる静寂主義。
 人生は生存競争であり、地位を求めればポストの奪い合いになり、女を求めれば恋敵とのバトルになる。金だって無尽蔵にあるわけではないから、誰かが儲ければ必ず誰かがそんする。仮に成功したとしても、今度は大勢の人のやっかみの目に晒され、出る杭は打たれるのことわりとなり、いつしか引き摺り下ろされる。いや、引き摺り下ろされてなるものかと、何が何でも既得権にしがみついて、今ある幸せを守りきろうとすれば、それだけ悩みの種が増えてゆく。
 なら、本当に何も求めなければ幸せになれるのか。何も求めないというのは「生きること」も求めないということだ。つまり後は死ぬしかない。南無阿弥陀仏。
 なお、古註3で引用されているうたは、『新拾遺集』巻19の、

 かぎりあればのうきこともなげかれず
    いをぞひとつべかりける
                   頓阿法師とんなほうし

 このような比較的新しい歌は、本歌には適さないとされていた。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「ひと」「」;人倫。

湯山三吟、六十一句目

    いてやひとをやすくせん
 こえじとののりもくるしきみちにして 肖柏せうはく

 

古註1老後らうごにハ安閑あんかんこころとすべきに、又法度またはっとをバそむくべきならねば、やすからぬよしなり論語ろんご七十而しちじふにして従心所欲こころのほっするところにしたがひ不踰矩のりをこえずといへり。
古註2七十しちじふニシテのりこえずトいふ古事こじなり
古註3一句いっくは、法式ほうしきのりまり。まへは、おいてやすきとあるを、おいやはやすき、おいてものりをこえじとすれば、やすからぬとつけなせり。連哥れんがゆきやうか、かくなるがおもしろきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (こえじとののりもくるしきみちにしていてやひとをやすくせん)

 

 論語の七十にして矩をこえじというが、それもまた苦しい道であって、年とれば人は安らかにすごせるのだろうか。

 前句まえくの疑問を反語に取り成すのは、連歌ではよくあること。
 孔子は「七十にして心の欲するところに従えど法を越えず」と言ったが、誰もなかなかそんな境地になど達するわけではない。実際には老いたからといって欲がなくなるわけでもなく、死が近づくにつれ生への執着も強くなる。
 「老いてひとをやすくせんや」、いやそんなことはない、老いてもひとは苦しいものだ。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい

湯山三吟、六十二句目

    こえじとののりもくるしきみちにして
 ゆきふむこまのあしびきのやま    宗長そうちゃう

 

古註1此寄様皆このよりやうみなとりなせるなり山路やまゆきになづみて、こまもこえがたきこころせて、こま足引あしびきとつづけられたり。こえじとのといふことばにあたるところ寄妙きみょうなり執成とりなしニハ秀逸しういつなきやう申侍まうしはべれど、やうによることなり此句このく新撰菟玖波集しんせんつくばしふいりたり。凡撰集およそせんしふ入事いることうた千首百首せんしゅひゃくしゅうちにもかたるべきことならし。此作者このさくしゃ二句にくまでいれり。此時分じぶんハ、宗祇そうぎなどおよびがたきところ有様あるやうまうされしかたりつたへはべり。
古註2こまノウワサニつけなしたるなり
古註3前句まへくこえじとあるをこまのこえじとなせり。もとよりのりこままたくるしは、ゆきのかたへとるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (こえじとののりもくるしきみちにしてゆきふむこまのあしびきのやま

 

 越えられないと言われているのももっともな苦しい道であって、雪を踏みしめてすすむ馬さえも足を引きずる山だ。

 前句まえくの「のり」を儒教仏教などののりとせず、単に「越えることができない」と言い伝えられている俗説のようなものとして、「みち」を山路やまぢのことと取り成す。
 そこに越えがたいやまの理由としてゆきを積もらせ、そこを馬で難儀して通る様へと展開する。
 それを「足引きのやま」という枕詞に掛けて、駒が足を引く、足を痛めびっこを引くやまと洒落てみせている。
 そして、宗長そうちゃうの機知はここまでにとどまらず、よく見ると「のり」にも二重の意味を持たせている。「のり」と「駒」が寄り合いというのはどういうことかというと‥‥。

式目分析

季題:ゆき」:ふゆ降物ふりもの一座四句物いちざよんくもの。「応安新式」には「三様之、此外春雪一、似物の雪、別段の事也」とあり、発句ほっくに既にゆきが出ていて、十一句目にははるゆきが詠まれている。ゆきはこれが三句目ではる一句いっくふゆが二句詠まれたことになる。その他:羇旅きりょ。「駒」:獣類。「新式今案」では一座いちざ一句いっくもの

湯山三吟、六十三句目

    ゆきふむこまのあしびきのやま
 そでさえてよる時雨しぐれ朝戸出あさとでに     宗祇そうぎ

 

古註1旅宿のさ時雨しぐれ今朝けさゆきになれり。
古註2よるひとよしぐれをききあかして、たびだちたるあさこころなりやまれば、ゆきノまんまんトふりたるなり
古註3これは、さとたびねなどに、時雨しぐれに、朝駒あさこまにうちのりていでぬれば、やまゆきなるていなり。分別ふんべつ可有之これあるべし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (そでさえてよる時雨しぐれ朝戸出あさとでゆきふむこまのあしびきのやま

 

 袖は寒く昨日の夜は時雨だった朝の外出に、雪を踏みしめてすすむ馬さえも足を引きずる山だ。

 打越うちこし山路やまじ景色けしきを転じるために、時間の経過で付けている。
 前句まえくゆき踏む駒は現在のことで、昨日の夜に時雨しぐれが降ったあと、今朝袖も凍るような寒さのなかで旅立って、と付く。
 すると、昨日の時雨しぐれやまではゆきだったようで、積もったばかりの新雪のみちに、馬も足を取られることになる。

式目分析

季題:時雨しぐれ」:ふゆ降物ふりもの。「新式今案」では一座二句物。あきふゆ一句いっくづつで、これはふゆ時雨しぐれその他:羇旅きりょ。「そで」:衣装。「夜」はここでは現在のことではないので夜分にはならない。「朝」の付く熟語は一座四句物で、「朝夕」「朝露」に続き三回目。

湯山三吟、六十四句目

    そでさえてよる時雨しぐれ朝戸出あさとで
 うらみがたしよ松風まつかぜのこゑ   肖柏せうはく

 

古註1この松風まつかぜハ、よる時雨しぐれにてありけるよと、今朝けさおもこころにや。かたしきのそでさえつるおとながら、うらみがたきよしなり松風まつかぜかんじたるこころなり擁被ふしまをようしてきく松風まつかぜ山谷さんこくいひたるにおなじ。
古註2まつかぜ面白おもしろことうらみがたシトなり
古註3よるは時雨しぐれとききしが、あさまつかぜにて、うらみがたしとなり。そでさえてにてうらむるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (そでさえてよる時雨しぐれ朝戸出あさとでにうらみがたしよ松風まつかぜのこゑ)

 

 袖は寒く昨日の夜は時雨だった朝の外出に、恨むことのできない松風の声よ。

 「そで」に「うら」が縁語になる。
 さあこれから朝戸出(朝の旅立ち)という時、昨日時雨しぐれだと思っていたのが、実は松風のおとだと知る。そで時雨しぐれだと、なみだあめのことになり恨みがましいが、松風とあればそでは乾いていて、寒さにきりっと引き締まった、りんとしたこころとなり、そこに恨みはない。
 古註に引用されている黄山谷こうざんこく黄庭堅こうていけん)の詩は、

   題宛陵張待擧曲肱亭  黄山谷
 仲蔚蓬蒿宅 宣城詩句中
 人賢忘巷陋 境勝失途窮
 寒葅書萬卷 零亂剛直胸
 偃蹇勳業外 嘯歌山水重
 晨雞催不起 擁被聽松風

   宛陵えんりょう張待擧ちょうたいきょ曲肱亭きょくこうていだい
 後漢の張仲蔚ちょうちゅううつよもぎの茂る中に住み、宣城せんじょう太守たいしゅだった謝眺しゃちょうはそれを詩句にあつらえ、
 人は賢くなると世間のせせこましさも気にせず、勝れた境地に至れば仕官の道にきゅうしようとも知らぬまで。
 お寒いばかりの漬物つけもの万巻ばんかんしょを、強靭きょうじんな意志を持つ胸に乱雑にかき込みぐたぐたで、
 これといった功績もなく寝たふりしては、山水さんすい幾重いくえにも重なるのをうそぶいてうたうだけ。
 あかつきの鶏がき立てても起きることなく、寝巻ねまきを引き抱えては聴く松風。

 黄山谷は松風の音を好んだようだ。「武昌松風閣ぶしょうのしょうふうかく」では、

 老松魁梧數百年 斧斤所赦今参天
 風鳴媧皇五十絃 洗耳不須菩薩泉
 松の老木は数百年大きく立派で、斧でられることもまぬがれ今交わる天に。
 風は女媧じょかの五十絃のことを鳴らし、耳を洗うのに行かなくてもいい菩薩泉ぼさつせんに。

と詠んでいて、伏羲ふつき女媧じょかの伝説の琴にも例えている。(なお、「老松」の「斧斤ふきんゆるす所」という詩句は、芭蕉ばしょうの『野ざらし紀行』の「二上山ふたかみやま当麻寺たいまでらまうでて、庭上ていじゃうまつをみるに、凡千およそちとせもへたるならむ、おほイサうしをかくす共云ともいふべけむ。かれ非情ひじゃうといへども、仏縁ぶつゑんにひかれて、斧斤ふきんつみをまぬがれたるぞ、さひはひにしてたっとし。」に影響を与えたか。)

式目分析

季題:なし。その他:「松風」は植物(木類)。一座二句物で、23句目に「わきて其の色やはみゆる松の風 宗長」の句があり、「松の風」「松風」と違えて二句となる。

湯山三吟、六十五句目

    うらみがたしよ松風まつかぜのこゑ
 はなをのみおもへばかすむつきのもと   宗長そうちゃう

 

古註1一句いっくはなのミならず、つき面白おもしろよしなりまへによるところはなにうき松風まつかぜが、つきかすみをはらへバ、うらみがたしよなり一句いっくのしたて、寄所よりどころのことハリ、別々べつべつにて寄特きとくなるものなり
古註2一句いっくハ、つきはなトヲ面白おもしろおもヒたるなりつきかすみヲバ、松風まつかぜニはらはせたくはおもヘドモ、はなノためニハあだなり。よのなか不如意ふにょいなるなり
古註3まへうらみがたしとあるところにあたりて、はなにはかぜうらみとすれど、さすれば、またつきかすみをはらふこころにてうらみがたしなり。はるのかすみをおもしろくすれども、またかやうにもなすことおほし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はなをのみおもへばかすむつきのもとうらみがたしよ松風まつかぜのこゑ)

 

 春の霞む月の下で桜の花のことをのみ思っていれば、恨むことのできない松風の声よ。

 はるさくらの季節は、えてしてつきおぼろになりやすい。かといって、つきの美しく澄み渡るあきにはさくらは咲かない。月と花が同時にきれいにそろうということはあまりない。それだけに貴重なものでもある。
 芭蕉ばしょう俳諧はいかい発句ほっくに、

 名月めいげつはなかとみえて綿畑わたばたけ   芭蕉ばしょう

というのがあるが、これもつきはながなかなか同時にそろわないことを踏まえたであろう。
 宗長そうちょうも、こうしたジレンマを詠んだもので、朧月おぼろづきもとで桜が咲いている、風が吹いたなら月にかかる薄雲を吹き飛ばしてくれるだろうがはなも散ってしまう。松風を恨んでいいのか恨んではいけないのかわからない、というもの。

式目分析

季題:はな」:春。植物(木類)。一座三句物だが近年四本とする。植物が二句続いているから、次は植物を出せない。「かすむつき」:春。夜分、光物。春の月は一座二句物。

湯山三吟、六十六句目

    はなをのみおもへばかすむつきのもと
 ふぢさくころのたそがれのそら   宗祇そうぎ

 

古註1植物うゑもの三句さんくつづきはべり。不及力ちからおよばず執筆しゅひつのあやまりになしてをかれたりとなり
古註2ふぢはなつけなしたるなり。たそがれのときおもしろきさまなり
古註3此句このく三句さんくうゑものつづきたる、作者失念さくしゃしつねん。かやうのこともとにはあそばしまじくさうらう。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はなをのみおもへばかすむつきのもとふぢさくころのたそがれのそら

 

 春の霞む月の下で花のことをのみ思っていれば、藤の咲く頃の黄昏の空のようにぼんやりとしてくる。

 前句まえくを、花をじっと見ていると、その背後にあるつきに焦点が合わなくなり、霞んで見えてくるという意味に取り成す。
 見上げていたのは藤の花で、あたりは夕暮れでだれだれともわからないようなそかれどきとなる。
 『徒然草つれづれぐさ』第19段に、季節の移り変わる哀れとして春の終わりのことが取り上げられ、「山吹やまぶきのきよげに、ふぢのおぼつかなきやうしたる、すべておもひすてがたきことおほし。」とある。藤の花のこころはぼんやりとしているというところにあった。
 特に夕暮れの光のなかで、藤のいろは紫のくも、紫雲のようでもある。

 おしなべてむなしきそらおもひしに
   藤咲ふぢさきぬればむらさきくも
              慈円法師じえんほうし
 西にしこころふぢをかけてこそ
   そのむらさきくもおもはめ
              西行法師さいぎゃうほうし

などのうたもあるように、黄昏時たそがれどき朦朧もうろうとした雲のような藤の花は、を向え、朦朧もうろうとしてゆく意識のようでもある。
 それがこころ安らかな一日の終わりとともに、こんな風に人生も終れたらという涅槃ねはんを求める気持ちにもつながる。のちに芭蕉ばしょうが詠む、

 草臥くたびれ宿やどかるころふぢはな    芭蕉ばしょう

をも彷彿ほうふつさせる。
 悪い句でないだけに、植物うえもの三句さんく続くという、式目違反が惜しまれる。おそらく、「松風」は風のイメージが強いため、「松」という文字が入っているのをすっかり忘れていたのだろう。
 しかし、こうした式目違反があるからといって、この一巻が無価値になることはないし、この一句いっくが悪句ということになるわけではない。違反は作品さくひんとしての良し悪しの問題ではなく、あくまでゲームとしては避ける義務を有すると考えた方がいい。

式目分析

季題:「藤」:春。植物(草類)。一座三句物。植物三句連続はもちろん違反。ただし、主筆(執筆)が気付かないうちに次の句が付いてしまった場合、後戻りにして違反句を無効にし、やり直すということはしない。その他:「たそがれ」はまだ夜分ではない。

湯山三吟、六十七句目

    ふぢさくころのたそがれのそら
 はるこころもえやはとめざらん    肖柏せうはく

 

古註1一句いっく春殿しゅんでんこころなり藤咲ふぢさく時分じぶん面白おもしろきに、つれなくかへるをいへり。
古註2行春ゆくはるも、こころヲバふぢさくたそがれのときには、とむらんとなり
古註3このはるゆくは、はるどのかく行事ゆくことなり。ふぢは、たそがれのえんなりこのたそがれの時分じぶんは、はるどのかく行事ゆくことなり。このたそがれの時分じぶんは、はるどのかへ名残なごりあるべきかなりきょうこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はるこころもえやはとめざらんふぢさくころのたそがれのそら

 

 行ってしまう春の心をどうやって引き止めることができるだろうか、藤の咲く頃の黄昏の空ならば引き止められるだろうか。

 古註にある「春殿(しゅんでん、はるどの)」の出典はよくわからない。『連歌俳諧集』(日本古典文学全集32)の金子金治郎の注では、三月の異名である「殿春(でんしゅん)」の間違いとしているが、古註3では「春どの」とあり、春を擬人化しで「殿」という敬称をつけたような感じがする。
 ひょっとしたら、古註3は古註1の「春殿」が「殿春」の間違いだということに気がつかず、春に敬称をつけたものだと誤解したのかもしれない。
 行ってしまう春のこころをどうすれば引き止めることができるだろうか。そんなことを言ってもときの流れは待ってはくれないのだが、藤の淡い紫に暮れてゆく黄昏たそがれそらを見ていると、ほんの少し時間が止まったような気がするという、そういう意味だろうか。

式目分析

季題:はるぞゆく」:はる

湯山三吟、六十八句目

    はるこころもえやはとめざらん
 深山みやまにのこるうぐひすのこゑ  宗長そうちゃう

 

古註1山路やまぢはる行人ゆくひと残鶯ざんあうにこころをとめよとなり
古註2やまかへうぐひすモ、行春ゆくはるニハこころとむらんとなり。
古註3まへは、はるがこころをとむるなり今度こんどは、はるゆくに、うぐひす太山みやまこころをとむるかとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はるこころもえやはとめざらん深山みやまにのこるうぐひすのこゑ)

 

 春に行ってしまう心をどうやって引き止めることができるだろうか、深い山奥にはまだ鶯が春のさえずりを聞かせている。

 前句まえくを「はるぞ行く、こころも‥‥」と切るのではなく「はるこころもえやはとめざらんぞ」の倒置とする。古註1ははる深山みやまを越えて旅立つ人の姿とするが、古註2、3は深山みやまへと去ってゆくうぐいすこころを止められない、とする。
 ここでは人のことだとするのがいいだろう。夏になるとうぐいすは平地から涼しい山地へと移動する。うぐいす深山みやまへと去っていくことを止められないように、この私も止められない、と付く。

式目分析

季題:「うぐひす」;はる。鳥類。一座いちざ一句いっくものその他:深山みやま」;山類(体)。

湯山三吟、六十九句目

    深山みやまにのこるうぐひすのこゑ
 うちつけのあきにさびしくきりちて   宗祇そうぎ

 

古註1深山みやま初秋しょしうまでのこれるうぐひすなりはるよりききふるしたるこゑながら、あきといへバ、うちつけにものさびしきよしなりうちつけにものぞかなしきのはちるあきのはじめをけふぞとおもへば。
古註2うぐひすはあきまでなくなりきりにむせぶと云句いふくなり一句いっくはきこゆるごとし。
古註3ふくひす太山みやまあきまでなくものなりきりにむせぶといふえんありて。うちつけとは、なににてもはつことなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (うちつけのあきにさびしくきりちて深山みやまにのこるうぐひすのこゑ)

 

 秋ともなると急にさびしく霧が立ち込めて、深い山奥にはまだ鶯の声だけが残されている。。

 「うちつけのあき」は「あきのうちつけ」の倒置で、秋になったとたん、秋になってすぐに、という意味。初秋のこと。

   だいしらず
 ちつけにものかなしきこのはちる
    あきはじめをけふぞとおもへば
                      よみひとしらず

という『後撰集』(巻五、218)のうたもあり、あきになると急に物悲しくなる。
 きりうぐいすは『和漢朗詠集』の、

 咽霧山鴬啼尚少 穿沙蘆笋葉纔分
 きりむせ山鶯さんあうくことなほまれなり、
 いさご穿うが蘆笋ろじゆんわづかにわかてり、
                  (『和漢朗詠集』「早春尋李校書」元稹)

から来ている。
 早春のまだきりのかかる寒い時期には、鶯の声もまだ弱々しく、それをきりに咽ぶと表現した。
 この湯山三吟ゆのやまさんぎんより9年前に宗祇そうぎは同じこの摂津湯山せっつゆのやまの地で宗伊そうい杉原伊賀守賢盛すぎはらいがのかみかたもり)と両吟りょうぎんを興行し、そのときの宗伊そうい発句ほっくにこうあった。

 うぐひすきりにむせびてやまもなし     宗伊そうい

 宗祇そうぎは、その時のことを思い出したのかもしれない。きりがかかれば鶯の声もかすかとなるだけではなく、やまも見えない一面真っ白な世界となる。
 なお、この宗伊そうい発句ほっくさきの『和漢朗詠集』の詩句の早春の情に基づくもので、はるとなる。
 宗祇そうぎの付け句は、こうした情景を踏まえたうえで、それを秋に残るうぐいすきりむせさまに転じている。

式目分析

季題:あき」;あき。「きり」;あき聳物そびきもの

湯山三吟、七十句目

    うちつけのあきにさびしくきりちて
 今朝けさにしむあま川風かはかぜ    肖柏せうはく

 

古註1初秋しょしう天河あまのがはをミるなり七夕たなばたいまやわかるる天川あまのがは川霧かはぎりたちて千鳥ちどりなくなり
古註2七夕たなばた八日やうかことなるべし。
古註3天川あまのがはきりをよみたり。またうちつけとあるに、あきのはじめのこと、七夕たなばた時分じぶんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (うちつけのあきにさびしくきりちて今朝けさにしむあま川風かはかぜ

 

 秋ともなると急にさびしく霧が立ち込めて、今朝の天の川を吹く風は身にしみる。

 前句まへくの「うちつけの」はあきに掛からずに「きり立ちて」に掛かる。「あきにさびしくうちつけのきり立ちて、今朝のあまの川風は身にしむや」の倒置。
 七夕は織姫おりひめ彦星ひこぼしが一年に一度会う日。会えばまた別れの後朝きぬぎぬがやってくる。河原にはあきの朝霧が立ち込めて、寂しさが身にしみる。
 古註1に引用されている和歌わかは、『新古今集』巻四、327、

   中納言ちゅうなごん兼輔かねすけいへ屏風びょうぶ
 七夕たなばたいまやわかるる天川あまのがは
    川霧かはぎりたちて千鳥ちどりなくなり
                        紀貫之きのつらゆき

式目分析

季題:にしむ」:あきその他:「川風」:水辺。「風」は可隔五句物。「」:人倫。

湯山三吟、七十一句目

    今朝けさにしむあま川風かはかぜ
 衣擣ころもう宿やどをかりふしおきわかれ    宗長そうちゃう

 

古註1名所めいしょ天河あまのがはとりなせり。付所つけどころなし。宿やどかるハ、かの本哥ほんかよりことふりたる寄合よりあひなり擣衣きぬたうたあるべし。ただしなくても、にしむ時分じぶんハ、いづかたのさとにも擣衣きぬたすべし。
古註2一句いっくたびなりつくこころハ、やどかすひともあらじとおもうたなり。かたののみかりのかへさノことなり
古註3まへ天川あまのがはを、交野かたのあまがわになせり。かのところにて、宿やどからんとよみたり。またにしむにて、ころもうつとつけたり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (衣擣ころもう宿やどをかりふしおきわかれ今朝けさにしむあま川風かはかぜ

 

 衣を打つ宿を借り狩の途中に仮寝しては起きて別れてゆく、今朝の天の川を吹く風は身にしみる。

 『伊勢物語いせものがたり』第82段に在原業平ありはらのなりひら惟喬これたか親王みこ水無瀬みなせの宮に、狩の途中に立ち寄り、酒を酌み交わした話が記されている。

 なかにたえてさくらのなかりせば
    はるこころはのどけからまし
                       在原業平ありはらのなりひら

 のうたもここで詠まれてことになっている。
 その在原業平ありはらのなりひら惟喬これたか親王みこが、どこか酒を飲むのにいいところはないかと探していたところ、交野かたのあまの川というところにやってくる。そこで、酒を酌み交わし惟喬これたか親王みこが「交野を狩りてあまの河のほとりに至る」という題で歌を詠めといい、それに答えたのが、

 らしたなばたつめに宿やどからむ
    あま河原かはらわれにけり
                       在原業平ありはらのなりひら

うただった。
 前句まえくの「あまの川風」をこの、交野かたの歌枕うたまくらである「天の川」に取り成し、在原業平のうたを本歌として展開している。
 「衣擣ころもうつ」は物語には出てこないが、前句まえくの「にしむ」を受けて、なににしみるのかというところで展開したもので、本歌・本説をとる場合は、そのまんまではなく若干変えなくてはならない。そうでなければただのパクリということになる。
 なお、「宿やどをかりふし」の「かり」は「宿やどを借りる」「狩りに」「仮りに伏す(仮眠する)」と三重の掛詞かけことばになっていて、宗長そうちゃうならではの機知がうかがえる。

式目分析

季題:衣擣ころもうつ」:あき。衣装。その他:宿やどをかり」:羇旅きりょ。「宿やど」は一座二句物で只一句、旅に一句。第三だいさんに「松虫にさそはれそめし宿出でて」とあり、これが只一句、今回がたびに一句になる。

湯山三吟、七十二句目

    衣擣ころもう宿やどをかりふしおきわかれ
 ゆめあとなき野辺のべつゆけさ    宗祇そうぎ

 

古註1擣衣きぬたおとにてゆめさめて、野亭やていいでたるさまバかりなり
古註2たびねノゆめころもうつおとさまサレタルさまなり一句いっくノなり面白おもしろなり
古註3野里のざとなどにたびねしたるていなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (衣擣ころもう宿やどをかりふしおきわかれゆめあとなき野辺のべつゆけさ))

 

 衣を打つ宿を借り仮寝しては起きて別れてゆく、夢から覚めてしまえば何も記憶になく野辺の露だけが残っている。

 前句まえくを取りあえず業平なりひらからは切り離し、普通の旅寝のこととする。
 衣を打つ民家に泊めてもらい、そこで一眠りして次の朝旅立ってゆくと、まえの晩に見たゆめは思い出せず、ただ露の置く野原だけが広がっている。
 これだけだと、ただの旅の一場面なのだが、宗祇そうぎ法師の有名な、

 にふるもさらに時雨しぐれ宿やどりかな   宗祇そうぎ

を思い起こしてみると、このも人生そのものをんでいるように思える。
 人生は突然この世に現れてはやがて去っていかなくてはならない旅のようなもの。ハイデッガーの言葉を借りるなら、我々はこの世界の中に「投げ込まれた(被投性ひとうせい)」のであり、「への存在そんざい」である。
 そこで様々な人と出会い、打ち解け、優しさを知るのも、旅の途中に仮の宿を借りるようなもので、いつか必ず別れはやってくる。人生はひとに宿を借りる一時の旅寝にすぎず、時雨しぐれがさっと降ってはさっとやんでゆくように、辛いことも一時のこと。
 砧打きぬたう宿やど仮寝かりねして、そこで見た夢。それはいつか必ずやって来る「死」とともに跡形もなく忘却されてゆく。そして、残った野辺の露は、ただすべては「無常」であることを語る。
 「夢から覚めたあとの野辺の露けさ」─それは何か悟りのようなものを感じさせる。それが古註2でいう「一句いっくノなり面白おもしろき」なのであろう。
 「けさやにしむ」の句で、さびしいあききり後朝きぬぎぬの切なさへと転じた肖柏しょうはく。それを本歌と巧みな掛詞かけことばで転じた宗長そうちょう。それを深い精神性へと昇華してゆく宗祇そうぎ。三者の個性キャラのよく現われた三句といえよう。

式目分析

季題:つゆけさ」:あき降物ふりものその他:ゆめ」は可隔七句物。「野辺」は一座二句物。6句目にすでに用いられていて、これで二句目。「野」は可隔五句物。

湯山三吟、七十三句目

    ゆめあとなき野辺のべつゆけさ
 かげしろきつきまくらのむらすすき       肖柏せうはく

 

古註1ゆめさめて、つきのミのこれるまくらなり花麗くゎれい金玉きんぎょくなり
古註2つきまくらニシテ、むらすすきノもとにねたるさまノおもしろキなり
古註3眼前がんぜんていなり。ゆめさめてみれば、つきまくらかげすみて、むらすすきのつゆのきらきらとしたるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (かげしろきつきまくらのむらすすきゆめあとなき野辺のべつゆけさ))

 

 月を枕にして寝ればススキの影も白く、夢から覚めてしまえば何も記憶になく野辺の露だけが残っている。

 「影白き」は月ではなく「むらすすき」に掛かる。「月を枕の(にすれば)影しろきむらすすき」の倒置。もっとも月の光に照らされてすすきが白く見えるのだから、月の光が白いとしても誤りではない。
 前句まえくを野宿の情景とし、「月を枕」とする。目が覚めれば月の光に照らされたすすきがほの白く、夢は跡形もなく消え去っている。どこかのお屋敷で月見の宴でもやってた夢でも見ていたのか。
 びた風情ではあるが、月にすすきの白さにつゆのきらめきは華麗かれいでもある。屏風絵びょうぶえのようなだ。なにもない野辺のべにこののすべての栄華えいがゆめを隠している、幽玄ゆうげん典型てんけいともいえよう。

式目分析

季題:「月」はあき。夜分。光物。「すすき」は秋。草類。一座三句物。応安新式」には「只一、尾花一、すぐろ、ほやなどに一」とある。脇で既に「すすき」は出ていて、ここでは一応「むら」をつけることと、「冬」と「秋」とで季節を違えている。その他:「枕」は夜分。

湯山三吟、七十四句目

    かげしろきつきまくらのむらすすき
 いつしかひとになれつつもみむ  宗長そうちゃう

 

古註1さほしかの入野いるのすすき初尾花はつをばないつしかいもに手枕たまくらにせん。本哥ほんかまでなり地連哥ぢれんがなるべし。
古註2一句いっくこひなり。さをしかの入野いるのすすきノこころなり。
古註3このは、小男鹿さをしか入野いるのすすきはつる尾花をばないつしかいも手枕たまくらにせん。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (かげしろきつきまくらのむらすすきいつしかひとになれつつもみむ)

 

 月を枕にして寝ればススキの影も白く、いつの日にか愛しいあの人と一緒に見たいものだ。

 「なれる」という言葉は多義で、交わりながら境界が曖昧になってゆく所から来ている。町の暮らしに慣れるというのは、町の人たちと交わりながら、だんだんそこでの習慣を自分の物としてゆくことをいい、仕事に慣れるというのは仕事を自分のものとしてゆくことをいう。自他との境界がなくなり一つになってゆくことを「れる」という。「い」というのは、自分と他人の区別もなく「なあなあ(これは「なあー」と言えば「なあー」と答えると言う意味)」になること。着物が「なれる」というのは布にびしっとした張りがなくなり、布と外気との間がファジーになることをいい、「なれ寿司」というのは魚が乳酸発酵して形がはっきりしなくなってゆくことから来ている。根付ねつけなどで「なれ具合」というのも、同じく使い古されて磨り減り、本来の輪郭があいまいになってゆくことをいう。
 古語では人に「なれる」という言葉は、愛しい人とその隔たりがなくなり一つになってゆくこと、いわば打ち解けてゆくことをも意味した。今日にも「め」という言葉にその名残なごりがある。
 すすきからいきなりこいに転換して唐突なようだが、本歌がわかればそれほど唐突でもないということか。

 さを鹿しか入野いるのすすき初尾花はつをばな
    いつしかいも手枕たまくらにせむ
                       柿本人麻呂かきのもとのひとまろ(『新古今集』巻四、346)

式目分析

季題:なし。その他:こい。「ひと」は人倫。

湯山三吟、七十五句目

    いつしかひとになれつつもみむ
 をちこちになりて浅間あさま夕煙ゆふけぶり     宗祇そうぎ

 

古註1付所つけどころ我思わがおもひのけぶ、のこるかたなきやうなれど、おもひとにハ、みもとがめられぬさまにいへるにや。さて、いつかひとになれつつもミんとなり一句いっく、こひのことばなきにたれども、富士浅間ふじあさまこひやまなるべし。うたのよせ。こひなどよめるもかくぞはべる。おぼろげにてハ、まなびたがかるべしとなり
古註2遠近おちこちニナリテトハ、こなたかなたへわかれたることなりわかれテノのちけぶりなりまたいつしかあひんトなり
古註3この、ただそえんになりたることなり。ちと心得こころえがたきなりただわがなかのとをくなることなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (をちこちになりて浅間あさま夕煙ゆふけぶりいつしかひとになれつつもみむ)

 

 近くと遠くに別れてゆく浅間山の夕方の煙を見るに付け、いつしかあの人とももとのように一緒に溶け合ってゆくところを見たいものだ。

 こいを二句つづける場合には、趣向を変えなくてはならない。そういうわけで、片思いの「いつしか」がここで再会の「いつしか」に取り成されるのは必然と言えよう。
 とはいえ「なれつつ」という言い回しが、まだなれてない恋人同士にしかならず、あまり濃厚な展開はできない。
 そこでこいにシチュエーションにはこだわらず、漠然と離れ離れの恋人を歌う民謡のような素朴な調子で展開してみたのであろう。東国の名所、浅間山の煙に掛けて、ここでは東歌あずまうた風にというところか。

式目分析

季題:なし。その他:こい。「浅間」は山類。名所。「煙」は聳物そびきもの。「夕」の字のつく熟語は「新式追加條々」で一座四句で各懐紙に一句と別に定められている。31句目を参照。

湯山三吟、七十六句目

    をちこちになりて浅間あさま夕煙ゆふけぶり
 きゆともくもをそれとしらめや  肖柏せうはく

 

古註1夕煙ゆふけぶりきゆとも、とうけたることばなりおもひきえしけぶりすゑを、いづれのくもともしられじとなりくもはれぬあさまのやまのあさましやひとこころをミてこそやまめ、とあるよせ。したもえにおもきえなんけぶりだにあとなきくものはてぞかなしき。
古註2かならずけぶりくもなるなり遠近をちこちわかれたるひとハ、きゆともそのくもトハしられじとなり
古註3あさまのけぶり、とをくなりちかなるほどに、けぶり無分別ふんべつなきていなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (をちこちになりて浅間あさま夕煙ゆふけぶりきゆともくもをそれとしらめや)

 

 近くと遠くに別れてゆく浅間山の夕方の煙、消えてしまったらどの雲がその煙なのかわからないだろう。

 前句まえくの「遠近おちこちになりて」をまだなれぬ恋人の離れ離れではなく、十分つき合った後で別れた恋人の離れ離れへと展開する。
 いつの間にか疎遠になってしまったけど、思いは雲となってまだ空に残っている。あなたはそれに気付くでしょうか、という展開。
 古註1に引用されている古歌は、

   誹諧歌はいかいか だいしらず
 くもはれぬあさまのやまのあさましや
    ひとこころてこそやまめ
                         なかき(『古今集』巻十九、1050)

 「浅間山のあさまし」という言い回しが掛詞かけことばというよりは駄洒落だじゃれに近く、俳諧はいかいとみなされたか。

   五十首ごじふしゅたてまつりしに寄雲恋くもによするこひ
 したもえにおもひきえなむけぶりだに
    あとなきくものはてぞかなしき
                          俊成女しゅんぜいのむすめ(『新古今集』巻十二、1081)

式目分析

季題:なし。その他:恋。「雲」は聳物そびきもの

湯山三吟、七十七句目

    きゆともくもをそれとしらめや
 はかなしや西にしこころしばいほ      宗長そうちゃう

 

古註1一句いっく西にしこころとするのはかなきよしにや。臨終りんじゅう当意たういは、それといふ分別ふんべつもおぼつかなかるべしとぞ。西方行者さいはうぎゃうじゃ用心ようじんにや。
古註2西にしこころトハ、いちさんまいノむかへノくもまちたるこころなり。むかへノくもニハ、しられがたきこころヲばかなしやといへり。
古註3一句いっくしばいほにて、西にしをねがふこころなり。きゆともとは、いのちことなり。このくも紫雲しうんことか。それをはかなしや。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はかなしや西にしこころしばいほきゆともくもをそれとしらめや)

 

 西方浄土を願う柴の庵なんてのも何かむなしいものだ、消えてしまったらその雲が紫雲かどうかもわからないだろう。

 これは宗長そうちゃうの機知。前句まえくの「消ゆ」を死ぬこととし、「雲」を死んだときに現われる紫雲のことだとして取り成す。
 死んだら意識がないのだから、地獄だろうが極楽だろうがそれを「知る」ことはない。来世を願って生きるなんて空しいことだ、と。昔の人でもこういう醒めた唯物論者というのはいくらもいたのだろう。
 内容が内容なので「西をこころの」とはあっても釈教ではない。述懐しゅっかいとなる。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「柴の庵」は居所。「庵」は一座二句物。いほ一、いほり一で、今回は「いほ」。

湯山三吟、七十八句目

    はかなしや西にしこころしばいほ
 のふりぬまになにおもひけん  宗祇そうぎ

 

古註1壮年そうねんほどおもひもかけぬものを、老後らうごおどろきおもふを、はかなやといへり。一句いっくむかしいまにしたるこころなり
古註2わかとき何事なにごとにてもおもヒナシ。老後らうごハただにしヲおもこころノミトなり
古註3はかなしや、のふりては、西にしのねがひよりほかは、なにおもひけんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はかなしや西にしこころしばいほのふりぬまになにおもひけん)

 

 西方浄土をいまさら願う柴の庵はむなしいものだ、これまで歳を取ってきて何を思っていたのだろうか。

 流石さすがに真面目な仏教徒である宗祇そうぎ法師ほうしさん。ここは「はかなしや」をいままで西方浄土さいほうじょうどを思わなかったことがむなしいと詠み変えている。
 これも若い頃は何で仏の道を思わなかったのかとの後悔のなので、釈教ではなく述懐しゅっかいになる。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「」は人倫。

名残表

湯山三吟、七十九句目

    のふりぬまになにおもひけん
 るめにもみみにもすさびとほざかり   肖柏せうはく

 

古註1老後らうごのすさびもなきよしなり
古註2つきはなニモとほザカリたると述懐しゅっかいしたるこころなり
古註3はふりて、みることきくこともかなはぬなりさからば、なんなぐさみもなきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (るめにもみみにもすさびとほざかりのふりぬまになにおもひけん)

 

 これまで歳を取ってきて何を思っていたのだろうか、今では見る目にも聞く耳にも楽しみから遠ざかってしまった。

 若い頃は生活に追われて、楽しいことも「老後の楽しみ」に取っておこうとして、ついつい頑張ってしまうもの。だがいざ年取ってみると目も耳も衰えて、結局は何も楽しむことができない。
 「すさび」はなすがままに任せること。「風が吹きすさぶ」といえば、風が吹くままにさえぎるものがないことをいう。「老いのすさび(すさみ)」というのは、年とって隠居して生活の苦しみから解放されたお年寄りが自由気ままに振舞うことをいう。しかし、それも元気なうちのこと。やはり今を大事に生きなければいけない。
 のち芭蕉ばしょうが詠む、

 はなくれてさびしやあすならう     芭蕉ばしょう

の句を彷彿させる。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい

湯山三吟、八十句目

    るめにもみみにもすさびとほざかり
 ふゆのはやしにみづこほるこゑ   宗長そうちゃう

 

古註1眼前がんぜんにとりなせり。
古註2紅葉もみぢもチリテみづモこほるなり。みるめときくとにつくなり
古註3はやしといふに、四季しきのみるめあり。またこほりにてにてことあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (るめにもみみにもすさびとほざかりふゆのはやしにみづこほるこゑ)

 

 今では見る目にも聞く耳にも楽しみから遠ざかってしまった、冬の林には水が凍ってゆく音がする。

 「すさび」とははなつきなどこころ動かすものに素直になり、もちろん絵画や音楽や舞踏などに興じるのも良し、いまならこれに動画やゲームが加わるといったところか。
 林ははるにはさくらも咲けば鶯もさえずり、なつにはホトトギスに蝉の声、秋には紅葉もみぢと目や耳を楽しませてくれる。
 だが、いまや冬枯れとなり、寒々とした林に聞こえるのは水の凍るおと。それはそれで一つの風情ではあるが、ストイックなものでこころうきうきするようなものではない。見る目にも耳にも「すさび」とは程遠いものとなってしまった。

式目分析

季題:ふゆ」はふゆその他:「林」は植物。「みず」は水辺(体)。

湯山三吟、八十一句目

    ふゆのはやしにみづこほるこゑ
 ゆふがらすねにやまゆきはれて    宗祇そうぎ

 

古註1からすのこゑになしたり。眺望てうばうなり
古註2なりのなり面白おもしろとかや。
古註3はやしへからすのねにゆくやうなりこゑからすえんあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ゆふがらすねにやまゆきはれてふゆのはやしにみづこほるこゑ)

 

 夕暮れの烏が寝に行く山は雪も上がって晴れ渡り、冬の林には水も凍るような声がする。

 前句まえくの「みずこほるこゑ」を文字通りのみずが凍ってゆくおととするのではなく、みずも凍るような寒々した声という比喩とし、それを冬枯れの林にこだまするカラスの声とした。夕方になると里に出てきていたカラスも山の林のねぐらへと帰ってゆく。
 カラスはかつては死肉を求めて群がる不吉なイメージがあった。枯れ枝に群がるカラスは死を案じさせるもので、芭蕉ばしょうの、

 枯枝かれえだからすのとまりたるやあきくれ     芭蕉ばしょう

もまた、死の暗示により人生の無常を悟り、限りある人生の自覚ももとによりよく生きる決意をもたらす意味があったのであろう。

式目分析

季題:ゆき」はふゆ一座四句物いちざよんくもの発句ほっく、十一句目、六十二句目についでこれが四句目。ふゆ三句、はる一句いっくは式目どおり。その他:「夕がらす」は鳥類。「夕」がつく熟語は一座四句物いちざよんくもので、三十一句目の「夕間暮れ」、七十五句目の「夕煙」についで三句目。「山」は山類(体)。

湯山三吟、八十二句目

    ゆふがらすねにやまゆきはれて
 いらかのうへのつきさむけさ   肖柏せうはく

 

古註1からすのねにゆく山舎さんしゃはれたるつきゆきなり
古註2これもただなりのなり
古註3いらかとは、かはらなどのことなりやまでらなどのていなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ゆふがらすねにやまゆきはれていらかのうへのつきさむけさ)

 

 夕暮れの烏が寝に行く山は雪も上がって晴れ渡り、瓦屋根の上の月が寒々としている。

 「烏」は僧侶の比喩にもなる。黒い衣を着ているからだ。お坊さんの寝に行く所はもちろんお寺。お寺には必ず「何某山‥‥寺」と付く。いらかは大きなお寺を連想させる。
 ただ、寺とは限定せず、ただ匂わすだけにとどめることで、何となく幽玄ゆうげんおもむきが生れる。これが宗祇そうぎ宗長そうちょうとは違う肖柏しょうはくならではの一つの到達点なのであろう。

式目分析

季題:つきさむけさ」はふゆ。寒月のこと。夜分。光物。

湯山三吟、八十三句目

    いらかのうへのつきさむけさ
 たれとなくかねおとしてくるに    宗長そうちゃう

 

古註1かねにおきいでたるあかつき景気けいきまでなり
古註2たれとなくとはつきにうかれたるひとなりかね時分じぶんひとおときこえたるなり
古註3山寺やまでらなどのていなりつきかねなどのこゑきょうじて、ねぬをとなどなり。『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たれとなくかねおとしてくるにいらかのうへのつきさむけさ)

 

 誰とはなしに鐘に物音を立ててふけてゆく夜に、瓦屋根の上の月が寒々としている。

 「いらか」から寺を連想し、「鐘」を付ける。
 夜明け前の後夜ごやの鐘が鳴れば、お寺の僧侶達は修行をはじめる。それを、つきに浮かれて、ついつい夜更かしをしてしまった人の視点から見ているのであろう。
 つきは無情にも西へと傾き、あ~あ、今日もまた一日が始まるのか‥‥。
 鐘の音というと、江戸時代だと夜明けと日没にむつむつの鐘など、時刻を知らせるために鐘をいていた。だが、中世ではどのようにお寺の鐘がかれていたか研究を要するところだ。
 日没に撞く入相いりあいの鐘は和歌わかにも詠まれ、連歌れんがでも一座四句の「鐘」のなかで入相いりあい一句いっくと、特別なものとして扱われている。それとは別に、すっかり暗くなってから初夜しょやの鐘と空が白み始めるころに後夜ごやの鐘があったと思われる。後夜ごやの鐘は一般的には午前四時くらいと言われているが、当時は不定時法ふていじほうであるため、寒月かんげつころは午前五時に近い。
 初夜、後夜というのは仏教の方での一日の時間を六時に分ける考え方によるもので、日没にちもつ初夜しょや中夜ちゅうや後夜ごや晨朝じんじょう日中にっちゅう六時ろくじという。(『ウィキペディア(Wikipedia)』六時礼讃の項を参照。)

式目分析

季題:なし。その他:お寺での修行をテーマにしている点では「釈教」といえよう。「ふくる」は夜分。「鐘」は一座四句物いちざよんくもの。只一、入逢一、尺教一、異名一、とあり、この場合は尺教。入逢は既に三十三句目に出ている。「誰」は人倫。 

湯山三吟、八十四句目

    たれとなくかねおとしてくる
 古人ふるひとめきてうちぞしはぶく   宗祇そうぎ

 

古註1老者らうしゃたれともなきなり。さるさまみるここちする、したて寄妙きみょうなるにや。
古註2よもぎふのやどへ、ひかる源氏げんじこれみつをめしつれて御出おんいでありしことなり。
古註3おとしてとあるに、しはぶくとなり。こびたるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たれとなくかねおとしてくる古人ふるひとめきてうちぞしはぶく)

 

 誰とはなしに鐘に物音を立ててふけてゆく夜に、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう。

 人は年とると朝早く目覚めるようになる。
 後夜ごやの鐘が鳴り夜が白み始めるころとなると、どこからともなく人が起き出して物音が聞こえてくる。それを聞いては、ついつい自分はもっと早く起きてるぞと言わんばかりに、咳払いをしてしまう。何とも年寄りくさいことだ、と自嘲する。
 古註1に「さるさまみるここちする」とあるように、誰もがこういう老人いそうだと、目の前にその情景が浮かぶ。これはのち芭蕉ばしょうが得意とした一種の「あるあるネタ」と言ってもいいかもしれない。

式目分析

季題:なし。その他:古人ふるひと」は人倫。 

湯山三吟、八十五句目

    古人ふるひとめきてうちぞしはぶく
 よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏せうはく

 

古註1蓬生よもぎふの巻に、侍従のおば君、惟光これみつを見付て、かこちいでたる事なるべし。
古註2よもぎふノやどへ源氏御出ありしとき、侍従げんじニとりつきたてまつりて、うらみをいへル事あり。
古註3源氏よもぎふの巻の体也。古人のうちしはぶく事、この巻にみへたり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (よもぎふやとふをたよりにかこつらん古人ふるひとめきてうちぞしはぶく)

 

 蓬生を訪れて来たのを何かの縁ばかりについつい愚痴ってしまったか、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう。

 「よもぎふやとふをたよりにかこつらん」は「よもぎふをとふをたよりにかこつらんや」の倒置。係助詞は倒置から生じた用法で、「春ぞ来にける」は「春の来にけるぞ」の倒置、「人こそ見えね」は「人の見えねばこそ」の倒置と考えていい。
 三つの古註は共通して『源氏物語』の蓬生巻の本説であることを指摘している。
 明石から戻りしばらく多忙な日々を過ごした光源氏が、ふと末摘花の君の荒れ果てた家を訪ねたとき、まず惟光に様子を見に行ってもらい、そこで「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」に合い、その場面に、

 「よりてこわづくれば、いと物古りたる声にて、まづしはぶきを先に立てて、彼は誰れぞ、なに人ぞととふ。」

とある。
 前句の「古人めきてうちぞしはぶく」をこの人物に取り成したということはわかった。この人物は「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」だということがわかる。古註1の通りだとわかる。
 ただ、源氏の本説がなくても、たまたま尋ねて来た人についつい愚痴ってしまって、年取ったものだな、という句として成立する。

式目分析

季題:なし。その他:「蓬」は植物、草類。四句隔ててそのまえに「冬の林」があるが、「冬の林」は植物でも木類だから、木類と草類は可隔三句物なので問題はない。 

湯山三吟、八十六句目

    よもぎふやとふをたよりにかこつらん
 このごろしげさまさる道芝みちしば  宗長そうちゃう

 

古註1此比このごろのおこたりに、道芝しげくなりたる様にかこつ心にや。
古註2よもぎふノやどのなり也。
古註3よもぎふの宮の体也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (よもぎふやとふをたよりにかこつらんこのごろしげさまさる道芝みちしば

 

 蓬生を訪れて来たのを何かの縁とばかりについつい愚痴ってしまったか、この頃は道端の芝までも茂っているから。

 これは遣り句で、道の芝が茂っているありふれた情景を付けて、何とか「蓬生」の強烈なイメージをぬぐおうとしている。
 連歌では同じ本説の句を続けてはいけない。ただ、「蓬生」という有名な物語のタイトルが出てきてしまうと、そのイメージを振り払うのは難しい。
 とはいえ、前句に「蓬生」という源氏物語の巻のタイトルが入ってしまっているので、次の句をどう付けてもそのイメージから逃れにくい。古註2と3は、そのイメージに囚われてしまったのだろう。
 本来、本説の句は三句にまたがってはいけないのだが、ここでは他の本説になるような「蓬生」の用例が思いつかなかったのか、思いついたとしても源氏の蓬生のイメージがあまりにも強烈なのでやっぱりそれに引きずられてしまったか、展開の不十分は仕方ない。
 取りあえずここは物語と関係なく、蓬も茂れば芝も茂るというありがちな風景として流しておくべきだろう。

式目分析

季題:「しげさ」は夏。その他:「道芝」は植物、草類。植物は二句までだから、これで終わり。 

湯山三吟、八十七句目

    このごろしげさまさる道芝みちしば
 あつきかげよわるつゆ秋風あきかぜに   宗祇そうぎ

 

古註1しげさは露の事也。寄所よりどころさだか也。
古註2是は残暑ノようやくニよはりたる心也。道しばニ露ヲつくる面白キ也。
古註3前句、このごろしげさまさるとあるを、こんど、つゆのまさるとつけなせり。あつきほどは、露はなきものなり。すずしくなりて、露をく物なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (あつきかげよわるつゆ秋風あきかぜにこのごろしげさまさる道芝みちしば

 暑かった日の光も弱れば秋風に道芝の露もますますしげくなってゆく。

 例によって複雑な倒置の言い回しだが、「あつき日は影よわる露の秋風に」は「影よわるあつき日は秋風に露の」の倒置。「このごろしげさまさる道芝」と合わせると、「影よわるあつき日は秋風に道芝の露のこのごろしげさまさる」となる。
 古註にもあるように、「しげき」を道芝の茂きではなく、露の茂きと取り成すところが味噌。宗祇技ありの一句。

式目分析

季題:「秋風」は秋。一座二句物で「秋風」が一句、「秋の風」が一句と違えることになっているが、四句目に「さ夜ふけけりな袖の秋かぜ 肖柏」の句がある。「あつき日」はこの場合意味的に残暑のことになるので秋になる。その他:「日」は光物。「露」は降物。 

湯山三吟、八十八句目

    あつきかげよわるつゆ秋風あきかぜ
 衣手ころもでうすしぐらしのこゑ     肖柏せうはく

 

古註1さる時節の様、無比類者也。
古註2アツキ比ナレバ、衣手モウスキ也。一句おもしろキ也。
古註3衣手うすきとあれば、すずしき心か。初秋に日ぐらし鳴物也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (あつきかげよわるつゆ秋風あきかぜ衣手ころもでうすしぐらしのこゑ)

 暑かった日の光も弱り露をもたらす秋風にヒグラシの声ともなれば衣手も薄い。

 「影よわる」を季節が移ろいで日差しがだんだん弱るという意味ではなく、日が傾いて日差しが弱まると取り成し、そこにヒグラシの声を付ける。

式目分析

季題:「ヒグラシ」は秋。虫類。一座一句物。その他:「衣手」は衣裳。 

湯山三吟、八十九句目

    衣手ころもでうすしぐらしのこゑ
 いろかはるやま白雲打しらくもうちなびき     宗長そうちゃう

 

古註1一句のことがら珍重なるにや。日ぐらしなきて、かたへ色づきたる山のはに、雲の衣のうすき風情、眼前也。
古註2ひぐらしニ色かはる山トつくる、衣でニ雲トつけなしたる也。
古註3いろかはる、梢の色づく心也。その山の白雲也。雲の露もといふよりつくなり。日ぐらしに色かはる体なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (いろかはるやま白雲打しらくもうちなびき衣手ころもでうすしぐらしのこゑ)

 ヒグラシの声に色を変えてゆく山には白い雲の衣手が薄く打ちなびいている。

 前句の「衣手うすし」を打ちなびく白雲の衣と取り成し、ヒグラシに「色変わる山」と付くのは古註にあるとおり。これも宗祇の八十七句目に劣らず、高度な「てには」回しの句だ。
 複雑な倒置を解消すると、「日ぐらしのこゑに色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし」となる。
 ヒグラシは夏から秋の初めにかけて朝や夕暮れに鳴くもの。
 これに対して、「色かはる山」は紅葉の季節ということになると晩秋の季語になる。曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』(2000、岩波文庫)には「色かはる」はないが、「色不変松(いろかへぬまつ)」が九月のところにある。「色かはる」自体が季語というよりは、意味の上で紅葉のことだから秋ということになるのだろう。
 初秋のヒグラシに晩秋の色変わると、何か季節的に合わない感じがするが、「ヒグラシの声に色変わる」と付くことで、秋の長い時間の流れを表しているのだろう。

式目分析

季題:「色かはる」は秋。その他:「山」は山類の体。「白雲」は聳物そびきもの。 

湯山三吟、九十句目

    いろかはるやま白雲打しらくもうちなびき
 尾上をのへまつこころみせけり     宗祇そうぎ

 

古註1一句、尾上の松も面白おもしろき眺望の心をみせたるといふ義也。
古註2松ハ不変ノ物ナレドモ、さすがニ秋ハさびしき也。
古註3(ナシ)(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (いろかはるやま白雲打しらくもうちなびき尾上をのへまつこころみせけり)

 色を変えてゆく山には白い雲が打ちなびき、稜線上にある松も秋の心は隠せない。

 松は常緑樹で紅葉はしないし、枯れて茶色くなることもない。いつでも夏のように青々としてはいるものの、山の稜線にうっすらと薄い雲が打ちなびくと、松もうっすらと白く色を変え、秋めいて見える。
 白くなるというのは、人間の頭が白髪になってゆくのを連想させる。寓意としては、いつまでも若いつまりでいても頭は白くなり、人生の秋を知るということか。
 穏やかな景色の句が続く。
 名残の懐紙の裏になる前にもうひと展開欲しい所で、「心見せけり」の擬人化した言い回しは、寓意と取り成して恋への展開を催促しているように思える。いわゆる「恋呼び出し」の句だ。

式目分析

季題:なし。その他:「尾上」は山類の体。「松」は植物、木類。草類の「道芝」から三句隔てている。

湯山三吟、九十一句目

    尾上をのへまつこころみせけり
 たのめなほちぎりしひとくさいほ   肖柏せうはく

 

古註1草庵の尾上の松も、わが心を見する由也。然者しからばまつといふ事を契りし人もみるらん也。松をまつに取りなせり。
古註2草ノいほニ契たる、たのめトいふ句也。そのゆへハ、松も心ヲ見せたる様也。松ヲ待ノ字ニ付なしたる也。
古註3おのへの松の辺の草の庵に、人をちぎりて待る也。あたりの松も、わが心をあらはす程に、みせてなをたのめ也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たのめなほちぎりしひとくさいほ尾上をのへまつこころみせけり)

 草庵で結ばれた人を今でも信じてますよ、稜線上にある松にも待っている心は見えるでしょ。

 これも複雑な倒置。「たのめなほちぎりし人を草の庵」は「草の庵にちぎりし人をなほたのめ」で、「草の庵にちぎりし人をなほたのめ尾上をのへの松も心みせけり」となる。松は「待つ」との掛詞になる。
 さすがに肖柏さん、恋を振られてもさらっと付けてくれる。
 「ちぎる」は約束するという意味もあるが、遠まわしにあの行為の意味でも用いられる。
 「草の庵」だとか「草庵」だとかいうと、何となく隠棲しているお坊さんが浮かんできてしまって、ひょっとしてそっちの道?と思ってしまうが、「草庵」のそういうイメージは多分江戸時代になってからのもので、中世では普通に貧しい掘っ立て小屋のイメージだったのだろう。
 そんなところで愛し合って、いつまでも待ち続けているというと、ちょっと万葉時代の恋のようで、王族が気まぐれでやっちゃった村の娘が、いつまでも待ち続けていたことを後で知って感動するなんて物語があったような。

式目分析

季題:なし。その他:「たのめ」「ちぎり」は恋。「人」は人倫。「庵」は居所。一座二句物で「いほ」と「いほり」に違えなくてはいけないのだが、七十七句目に「はかなしや西を心の柴の庵 宗長」の句がある。 

湯山三吟、九十二句目

    たのめなほちぎりしひとくさいほ
 うときはなにかゆかしげもある   宗長そうちゃう  

 

古註1うとき人ハ、草庵をとふべきにあらず。契し人をたのめと也。
古註2うとき人は、ゆかしキ事もあるまじきに、ゆかしキハいかんとぞ也。
古註3草の庵には、うとき人をなに事にさのみ頼ぞと也。わが心にて、又思ひかへす心也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たのめなほちぎりしひとくさいほうときはなにかゆかしげもある)

 結ばれた人をそれでも信じなさいな、草の庵に住んでよそよそしくしている人に何で惹かれたりするんですか。

 前句の「たのめ猶ちぎりし人を」と「草の庵」を切り離し、「草の庵」なんかに住んでいるよそよそしい人なんて何の魅力もないでしょ、と付く。

式目分析

季題:なし。その他:「うとき」は恋。 

名残裏

湯山三吟、九十三句目

    うときはなにかゆかしげもある
 わりなしやなこそのせきまへわたり    宗祇そうぎ    

 

古註1なこそといふに、何のゆかしげかありて、わりなく前わたりをするぞと也。前による心も、一句のことはりにおなじ。寄妙のしたて也。
古註2なこそといふ人ノ前わたりをあるく義也。何かゆかしげもあるとつくる也。
古註3名こそとは、なきぞと心得たるにみなよめり。なきそとあるにて、うとき心あり。さやうなるを、なに事にて前わたりするぞと也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (わりなしやなこそのせきまへわたりうときはなにかゆかしげもある)

 どうしたらいいことか、なこその関の前をうろうろしている、よそよそしくしている人に何で惹かれたりするだろうか。

 「や」や「か」は古文の時間に疑問・反語と習うが、連歌の場合は疑問は反語に、反語は疑問に取り成すのが定石とも言える。前句が「よそよそしくしている人に何で惹かれたりするんですか(惹かれたりしないでしょう)」という反語だったから、ここは疑問に取り成す。
 よそよそしい人になぜか惹かれてしまうというのはよくあることで、寄ってくる人はいつでもモノにできるとばかりキープするだけで、よそよそしい人にほどチャレンジしたがる。それを逆手に取ったのが、いわゆる「ツンデレ」だ。古語だと「つんつん」は「そばそばし」、「でれる」は「なつく」だから、「そばなつ」とでも言うべきか。
 なこその関は一般的には福島県いわき市の南部、茨城県北茨城市との境界近くで観光地にもなっている勿来の関とされているが、これは江戸時代に一般化した説で、実際の所は諸説あってよくわからなという。
 陸奥への古代の駅路は東山道だと白河を通り、東海道の方から行くと今の国道349号線、茨城街道の方から白河の先で合流し中通りを行く。浜通りのほうを北上する古代道路も存在したとされるが、そこにあったのは菊多関で「勿来の関」はその別名だとする説もあるが定かでない。後に菊多関と勿来関が混同された可能性もある。
 陸奥国府のあった宮城県の多賀城の北に勿来川があり、勿来神社があったことから、惣の関が勿来の関ではないかという説も有力になってきている。
 和歌や連歌では勿来の関は、「なこそ」という名前を「な・来(こ)そ」つまり「来るな」という意味と掛けて用いられることが多い。
 平安時代にあって勿来の関を有名にしたのは、『千載和歌集』の、

     陸奥國にまかりける時、
     勿來の關にて花のちりければよめる
 吹く風をなこその関と思へども
   道もせに散る山ざくらかな
              源義家朝臣

の歌で、吹く風を来るなと言って追い返す関なのに道が見えなくなるほどの山桜が散っているというこの歌には、戦には勝っても多くの人が散っていった悲しみが感じられる。
 『山家集』にも「旅の歌とて」という前書きで6首連ねるうちの一つに、

 東路やしのぶの里にやすらひて
   なこその関をこえぞわづらふ
             西行法師

の歌がある。
 信夫の里というと「しのぶもじ摺り」で、芭蕉も信夫の里尋ねて、もじ摺り石がひっくり返ったまま放ったらかしになっているのを嘆いているが、これは中通りの福島市内だ。位置的にもここから浜通りのいわきへ行くよりは、多賀城の方に向かうほうが自然なように思える。
 西行法師がみちのくを旅したのは確かだから、勿来の関の正確な位置を知っていたかもしれないが、都の大宮人の多くはただ噂に聞くだけで、もっぱら「なこそ」の掛詞の面白さが中心となっている。
 この宗祇の句でも、本当のなこその関のことではなく、来るなと言われている思い人のところについつい行ってはうろうろしてしまう様を、あくまで喩えとして「なこその関」と言っているにすぎない。まあ、気持ちはわかるが、今だったらストーカーだ。

式目分析

季題:なし。その他:「前わたり」は恋。「勿来の関」は名所。「関」は一座四句物で「只一、名所一、恋一、春秋などに一」とある。この場合は「名所」なのか「恋」なのか。いずれにせよこの一巻では初めて出る。 

湯山三吟、九十四句目

    わりなしやなこそのせきまへわたり
 たれよぶこどりきてぐらん   肖柏せうはく

 

古註1東路あづまぢのなこその関のよぶこ鳥何につくべき我身□(なカ)るらん。本歌のことはりまで也。
古註2あづまぢのなこそなこそといふ所ヲ、よぶこ鳥は、なきて過ぐらんと也。
古註3古歌に、あづまなるなこその関の呼子鳥なににつくべき心なるらん。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (わりなしやなこそのせきまへわたりたれよぶこどりきてぐらん)

 どうしたらいいことかと、なこそ(来るな)の関の前をうろうろしている、誰を呼ぶのか呼子鳥が「来よ」と鳴いて飛んでゆくからか。

 名残の裏ということで、ここは恋を離れる逃げ句となる。つまり「前わたり」を恋の情から切り離さなくてはならない。
 そこでさすが肖柏さん。なこその「来るな」に対して呼子鳥が「来よ」と言っているから、どっちに従えばいいのかわからず行ったり来たりしているというロジカルなネタとして展開する。
 なこその関も諸説あったが、今回の「呼子鳥」も難問だ。ネットを検索すると、カッコウのことだという説、「呼ぶ」ということに掛けた、何かを呼んでいるかのように聞こえる鳥一般を指す、特定のとりではないという説、ウグイス説、ホトトギス説、ツツドリ説、猿説などいろいろ出てくる。
 特定の鳥ではないという説は、時代が下って呼子鳥がどの鳥をあらわすのかわからなくなった頃には、実際にそういうふうに用いられていたと思われる。多分肖柏さんもそうだと思う。前句の「なこその関」もわからないし「呼子鳥」もわからないけど、中世の和歌や連歌では「な来そ」「呼ぶ」に掛けて習慣的に用いられていたに違いない。だから肖柏のこの句に関しては、それでいいのだろう。
 ただ、それでは何かすっきりしないのは確かだ。
 呼子鳥に関しては曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草(上)』(2000、岩波文庫)には、

 「此鳥のこと、古今集三鳥の一などいひて、諸書に説々あり。或は猿の事といひ、或は山鳥也といひ、又は山つぐみ、又は鶯、郭公、などさまざまの鳥にあてていへど、みなたしかならず。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)

とあり、『年浪草』の説として、ツツドリを挙げている。ツツドリはカッコウやホトトギスの仲間でカッコウよりは小さいが、同じく夏鳥で托卵する。全身灰色の鳥で、筒を叩いたような「ココッ、ココッ」という声で鳴く。これが一番それらしい。
 『増補 俳諧歳時記栞草(上)』はまた、賀茂真淵の説も紹介している。

 「真淵翁曰、よぶこ鳥は春の暮より夏にかけて啼鳥也。此声は、人を呼がごとくきこゆるによりて呼子鳥と云。鳩に似て羽も背も灰色ににて、腹はすずみ鷹のごとく、足は鳩より少し高し。また曰、かほ鳥と云いふもこの鳥也。今俗のかんこ鳥と云もの也。喚子鳥の字音よりとなへ誤れる也。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)

 カッコウ説はこれが元になっているのだろう。
 がだ、カッコウは閑古鳥と呼ばれ、江戸時代でも夏の季題として定着しているのに対し、呼子鳥は春の季題だ。季節はずれのカッコウという説はやや無理がある。ツツドリならカッコウともホトトギスとも別だから、独立して春の季題としてもおかしくない。ツツドリはホトトギスやカッコウの陰に隠れて忘れられた鳥になっていたのではないかと思う。

式目分析

季題:「呼子鳥」は春。鳥類。一座一句物。その他:「誰」は人倫。人倫は打越を嫌うだけで、「人」から二句隔てているから問題はない。

湯山三吟、九十五句目

    たれよぶこどりきてぐらん
 おもひ雲路くもぢぞかすむ天津雁あまつかり   宗長そうちゃう

 

古註1雁□我名をよぶ鳥也。さてよぶこ鳥を雁に取なせる句也。なきて過らんも雁の事也。
古註2雲ぢはるばると霞たるかたへよそへて付る也。いづくへ行ぞと、よぶこ鳥を雁ニ付なしたる也。
古註3雁は故郷に帰行に、其折ふし、よぶこ鳥は誰をよぶと云事也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (おもひ雲路くもぢぞかすむ天津雁あまつかりたれよぶこどりきてぐらん)

 帰ろうと飛び立った天津雁の雲の道は霞んでいてよくみえない、誰かを呼んでいる呼子鳥が鳴きながら通り過ぎたのかと思った。

 「らん」は前句では疑問の意味だったが、お約束通りここでは反語となる。そして、「て」止めや「らん」止めでよくあるように上句と下句が倒置になっていて、「誰かを呼んでいる呼子鳥が鳴きながら通り過ぎたのだろうか、そうではなく帰ろうと飛び立った天津雁の雲の道は霞んでいてよく見えなかっただけだ」となる。本当は雁なのだが、霞のせいで呼子鳥かと思ったという意味。

式目分析

季題:「雁」は秋だが、この場合は「帰る雁」なので春。鳥類が二句続く。「霞む」も春。聳物。八十九句目の「白雲」から五句隔てている。その他:なし。 

湯山三吟、九十六句目

    おもひ雲路くもぢぞかすむ天津雁あまつかり
 さこそははなあとやまごえ    宗祇そうぎ

 

古註1花を跡になしてかへるは、雁もさこそは残おほからめ、といふ心を、いひ残したるつけ様也。
古註2まへニつくる、雁はうわさにつけなしたる也。一句は旅人ノ事也。
古註3山をこえ来るに、あとの花をおもふ事也。前へよる心は、いく重ともなくさこそ花の山をこえゆくらん。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (おもひ雲路くもぢぞかすむ天津雁あまつかりさこそははなあとやまごえ)

 惜しむ気持ちを振り切ろうとすると雲路も霞む、天津雁よ、お前こそは花を跡にして山を越えて行く。

 「思い立つ」を「思い断つ」に取り成し、花の咲く山を跡にして越え去ってゆく旅人の心情の句とする。「思い断つ雲路も霞むぞ、天津雁、さこそは花を跡の山ごえ」の倒置となる。相変わらず高度な「てには」の使い方で付けてくれる。
 春の句が二句続き、ここで花の句に行くのは必然と言えよう。当時はまだ花の定座というのはないし、花の句が長句(575)でなければいけないという決まりもない。「新式今案」で花が一座四句物になったので、名残の懐紙にも一句花の句があってもいい。「尾上の松」からも五句隔たっている。

式目分析

季題:「花」は春。植物。一座四句物。その他:「山」は山類の体。

湯山三吟、九十七句目

    さこそははなあとやまごえ
 こころをもそめにしもの桑門 よすてびと      肖柏せうはく

 

古註1色にそみ、香にめづる人の、世をも春をもふりすつる名残なごりは、さこそとおしはかる也。
古註2一句ハ世ニ心ヲそめしト也。前句ニハ、花の方へそむるトつけなしたる也。
古註3前の跡といふを世中よのなかにある花になして、今世をはなるる山ごへにいふこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (こころをもそめにしもの桑門 よすてびとさこそははなあとやまごえ)

 心にいろいろ執着するものがあっただろうに世捨て人、それこそは花を跡にしての山越えだ。

 この付け句はわかりやすい。
 前句の「花を跡の山ごえ」を、いろいろな世俗への執着を断ち切って世捨て人になることの例えと取り成す。

式目分析

季題:なし。その他:桑門よすてびと」は人倫。述懐しゅっかい。 

湯山三吟、九十八句目

    こころをもそめにしもの桑門 よすてびと
 いでばかりなるやどりともなし 宗長そうちゃう

 

古註1心をとめてしめ置しやどりを、かりそめには思ひなすとも、立出ば執心有べきの由也。松風の巻にや、大井の家の庭をつくろはせ給ふ時、かかる所をわざとつくろふも、あひなきわざ也。さてしも過しはてねば、立時物うく心とまるわざなり、と侍るよセもあるべし。
古註2いづかたも、すめばかりなるやどにてはなし、と執心したる心也。
古註3心とめたる宿になせり。然ば、出ばいづれの宿もかりなるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (こころをもそめにしもの桑門よすてびといでばかりなるやどりともなし)

 心にいろいろ執着するものがあっただろうに世捨て人、出て行こうとすれば仮の宿なんてものはない。

 この句もさらっと心(意味)で付けている。
 「心をもそめにし」の心に執着するものを長年住み慣れた家のこととし、この世は皆仮の宿に過ぎないのだと思ってはみても、とてもそんな気にはなれないとする。出家するとはいえ、住み慣れた家をあとにするのは心残りだ。

式目分析

季題:なし。その他:「いでば」は述懐しゅっかい。「宿」は一座二句物で只が一句、旅が一句。七十一句目に「衣擣つ宿をかりふしおきわかれ 宗長」の句があり、これが旅の句なのに対し、今回は只の宿になる。 

湯山三吟、九十九句目

    いでばかりなるやどりともなし
 つゆのまをうき古郷ふるさととおもふなよ    宗祇そうぎ

 

古註1露のまのかりそめなるやどりを、うき物と思ふ心を打かへして、ここをかりなるやどりのうき事もあらじをうらむなよ、ととぢめたる心にや。よく心を付てみずば、聞まがはん句なるべし。
古註2ざんじノまヲ、うき古郷ト思うなよ、ただかりのやどと云也。
古註3露のまとは、ただすこしの間なり。それをいでば、やすき也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つゆのまをうき古郷ふるさととおもふなよいでばかりなるやどりともなし)

 露が結んでは消えてくまでのような短い人生だから、どんなに生まれ育った土地の人間関係が煩わしくてもくよくよすんなよ、死んだ後には仮の宿なんてどこにもない。

 これは「咎めてには」という付け方で、前句がその前の句、つまり打越の心を受けて素直に付いているときに、それを否定する句をつなげることで展開を図ることができる。決して前句の作者を咎めているのではない。あくまでゲームとしての咎めにすぎない。
 水無瀬三吟には咎めてにはの句が三句ある。

   慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き
 今さらに一人ある身を思うなよ 肖柏

  老の行方よ何にかからむ
 色もなき言の葉にだにあはれ知れ  肖柏

   身のうきやども名残こそあれ
 たらちねの遠からぬ跡になぐさめよ 肖柏

といずれも肖柏の句だが、その前句は、

   山深き里や嵐におくるらん
 慣れぬ住ひぞ寂しさも憂き 宗祇

   見しはみな故郷人の跡もなし
 老いの行方よ何にかからむ  宗祇

   草木さへふるきみやこの恨みにて
 身のうきやども名残こそあれ 宗長

といずれも前句に逆らわずに素直に心で付けている。こういう句の後に咎めてにはは一つのパターンなのだろう。
 「露」が出て、季節は秋に転じる。次は挙句ということでこれは月呼び出しでもある。

式目分析

季題:「露」は秋。降物。その他:「うき」は述懐しゅっかい。 

湯山三吟、挙句

    つゆのまをうき古郷ふるさととおもふなよ
 ひとむらさめつきぞいさよふ    肖柏せうはく

 

古註1月にうき村雨は、露のあひだなるべし。さのみうらみまじき雨ぞと也。古郷のうきハ、月にかかる村雨のほどぞと観念したる義也。ふる里のより所、しかと聞えざるにこそ。吟味あるべしとぞ。
古註2かこつなよとは、むらさめニ月ヲうらみらる様也。やがて雨は、はれべしト也。
古註3露の間といふにて、むら雨と有。其間くもる月を待みよとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つゆのまをうき古郷ふるさととおもふなよひとむらさめつきぞいさよふ)

 露が結んでは消えてくまでのような短い人生だから、どんなに生まれ育った土地の人間関係が煩わしくてもくよくよすんなよ、村雨の一雨降れば月も一瞬隠れるようなものだ。

 近世になると花の定座が挙句の手前と定まり、判で押したように最後は春で締めくくることになる。月で締めくくるというのは中世連歌ならではの面白さでもある。
 生きていくというのは様々な人間との軋轢の中で苦しいことも多い。だが、それもにわか雨のようなもので、涙の後には月も出るというところか。
 そういうわけで、苦しくても頑張って生きてゆきましょう。いつかきっといいことあるよ。そう思いながらね。

式目分析

季題:「月」は秋。光物。その他:なし。「村雨」は降物。一座一句物。 

参考文献

 『連歌俳諧集』日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館
 『連歌集』日本古典文学大系39、伊地知鐡男註、1960、岩波書店
 『連歌集』新潮日本古典集成33、島津忠夫註、1979、新潮社
 『連歌文学の研究』福井久蔵、1948、喜久屋書店
 『連歌論集』(上下)伊地知鉄男編、1956、岩波文庫
 『宗祇』奥田勲、1998、吉川弘文館
 『宗祇名作百韻注釈』金子金次郎、1985、桜風社
 『宗祇の生活と作品』金子金治郎、1983、桜風社
 『宗祇と箱根』金子金治郎、1993、神奈川新聞社
 『連歌師宗祇』島津忠夫、1991、岩波書店
 『宗祇』荒木良雄、1941、創元社
 『宗祇』小西甚一、1971、筑摩書房
 『心敬』篠田一士、1987、筑摩書房