「牡丹蘂深く」の巻

貞享二年四月上旬、熱田にて?

初表

   ふたたび熱田に草鞋を解きて、

   林氏桐葉子の家をあるじとせし

   に、また東に思ひ立ちて

 牡丹蘂深く這出る蝶の別れ哉   芭蕉

   朝月凉し露の玉ぼこ     桐葉

 哥袋望なき身に打かけて     叩端

   たまたま膳について箸とる

 新屋根になじまぬ板の雨雫

   貳百ちがひに馬の落札

 

初裏

 たぶさ引跡は小声の男同士

   涙に濁る池の人かげ

 竹蜂のするどき月の夕あらし

   茶の実こき行うしの嗛

 年ふりて吾妻祭りの関ケ原

   かちんのくくり高き宿老

 薄ぐらき簾にはさむ紙の屑

   硯のはばの合ぬひら筆

 くりくりに醒たる酒の酔ごころ

   谷真風をかづく舟の真下り

 花散りて近き見越の角矢倉

   燕の泥を落す肩ぎぬ

 

 

二表

 出代りの腰に提たる持草履

   昼の日脚に過る風ぞら

 地雷火に逆立波の赤ばしり

   鷺の塒を替る枯梛

 僧正のさかやき寒き簀子縁

   忘れて焦す飯の焚じり

 御茶壺の雨に向ひて扇子敷

   旅の乞食の奢る小所

 物買の袂へおろす上蔀

   鉦の音響く盆の灯燈

 蝙蝠のかけ廻りつる月の暮

   風冷初る馬場の白砂

 

二裏

 振舞を幾つも仕たる仲間入

   妾なぶりて顔を絵に書

 燃口の煙りにからき糠油

   湯ざやの杉の広き本宮

 花垣に辺りの青葉引撓メ

   かれも角組はるの蝸牛

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   ふたたび熱田に草鞋を解きて、

   林氏桐葉子の家をあるじとせし

   に、また東に思ひ立ちて

 牡丹蘂深く這出る蝶の別れ哉   芭蕉

 

 前書きは真蹟懐紙による。『野ざらし紀行』では、

 

 「ふたたび桐葉子(とうようし)がもとに有て、今や東(あずま)に下らんとするに、

 

 牡丹蕊(しべ)深く分け出る蜂の名残哉」

 

とある。

 大きな牡丹の花の中で蜜を吸っていた蜂のように、至れり尽せりのもてなしをしてくれた桐葉のもとを離れるのは名残惜しい。これに対し桐葉は答える。

 

 憂きは藜の葉を摘みし跡の独りかな 桐葉

 

 藜(あかざ)は野草だが、昔は食用としても重要だったのだろう。牡丹の蜜どころか、粗末なあかざの味噌汁程度のものしかもてなしできませんでしたが、それでも明日から独りと思うと淋しい限りです、といったところだろう。

 

季語は「牡丹」で夏、植物、草類。「蝶」は虫類。

 

 

   牡丹蘂深く這出る蝶の別れ哉

 朝月凉し露の玉ぼこ       桐葉

 (牡丹蘂深く這出る蝶の別れ哉朝月涼し露の玉ぼこ)

 

 別れなので涙を暗示させる「露」を付け、後朝を匂わせるような「朝月」を付ける。「露」も「月」も秋なので、発句に合わせて夏の季にするために「凉し」とする。「玉ぼこ」は玉鉾の道で旅路を表す。

 牡丹の蘂から飛び立ってゆく蝶のような芭蕉さんに、朝露の輝く道を無事に歩むことを祈る。

 

季語は「凉し」で夏。旅体。「朝月」は天象。「露」は降物。

 

第三

 

   朝月凉し露の玉ぼこ

 哥袋望なき身に打かけて     叩端

 (哥袋望なき身に打かけて朝月凉し露の玉ぼこ)

 

 「うたぶくろ」はgoo辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「和歌の原稿を入れておく袋。檀紙 (だんし) ・錦などで作り、水引を口ひもとして、柱に掛けておく。」

 

とある。

 出世など前途に望みがなくなったので和歌を友としながら旅に出る。前句はその情景となる。

 

無季。旅体。「身」は人倫。

 

四句目

 

   哥袋望なき身に打かけて

 たまたま膳について箸とる

 (哥袋望なき身に打かけてたまたま膳について箸とる)

 

 ここから先は誰の句かが記されていない。

 和歌を友とした旅に出ると、思いがけず心ある人に出会って飯を食わせてくれることもある。

 

無季。

 

五句目

 

   たまたま膳について箸とる

 新屋根になじまぬ板の雨雫

 (新屋根になじまぬ板の雨雫たまたま膳について箸とる)

 

 屋根を葺き変えたが屋根板に透間が開いていたか、雨漏りがして膳の上に垂れてくる。

 

無季。「雨雫」は降物。

 

六句目

 

   新屋根になじまぬ板の雨雫

 貳百ちがひに馬の落札

 (新屋根になじまぬ板の雨雫貳百ちがひに馬の落札)

 

 二百文違いで競りに勝って名馬を手に入れたが、馬屋は雨漏りがしている。

 

無季。「馬」は獣類。

初裏

七句目

 

   貳百ちがひに馬の落札

 たぶさ引跡は小声の男同士

 (たぶさ引跡は小声の男同士貳百ちがひに馬の落札)

 

 たぶさ(髻)は頭頂部で束ねた髪でもとどりのこと。

 『校本芭蕉全集 第三巻』は喧嘩の場面とするが、たぶさを引っ張るのは大変な侮辱であり、それで小声というのはなんか変な気がする。中世の博徒の画像は全裸で烏帽子を被った姿が描かれているが、それくらい烏帽子は大事なものだったし、戦国時代に入って烏帽子が廃れても、烏帽子を固定するためだった髷をつかむことは許されなかった。

 前句の「貳百」コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「② 銭、二〇〇文をいう。蹴転(けころ)、飯盛女などの下級娼婦の玉代、また、芝居の切落(きりおとし)の場代などとされた。

  ※歌舞伎・韓人漢文手管始(唐人殺し)(1789)三「ソレ、懐から弐百の銭がぶらついて有」

 

とある。髻のある男を二百女郎が引っ張りこんだものの、「馬引き」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「③ 遊郭や飲食店などで、代金を払えない客が、付き馬をつれて歩くこと。

  ※落語・果報の遊客(1893)〈三代目三遊亭円遊〉「夜往って朝帰るを下客、其又下客が流連(ゐつづ)け又其下客が馬曳(ウマヒキ)と極まって居りますが」

 

の意味があるので、代金払わずに逃げられた、という意味になる。

 ただ、辞書の出典がどちらも江戸後期以降なので貞享の頃に通じたかどうか。

 

無季。恋。「男同士」は人倫。

 

八句目

 

   たぶさ引跡は小声の男同士

 涙に濁る池の人かげ

 (たぶさ引跡は小声の男同士涙に濁る池の人かげ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』に、

 

 「前句の『たぶさ』を水死人のたぶさとした。」

 

とある。死体が上がったならたぶさを切り取って形見とする必要はなく、そのまま埋葬するのではないかと思う。

 謡曲『実盛』の篠原の池か。

 

無季。

 

九句目

 

   涙に濁る池の人かげ

 竹蜂のするどき月の夕あらし

 (竹蜂のするどき月の夕あらし涙に濁る池の人かげ)

 

 「竹蜂」は『校本芭蕉全集 第三巻』に、「未詳。或いは誤写か。」とある。竹のように尖った「峰」のことか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十句目

 

   竹蜂のするどき月の夕あらし

 茶の実こき行うしの嗛

 (竹蜂のするどき月の夕あらし茶の実こき行うしの嗛)

 

 「嗛」は「にれかむ」と読む。「星崎の」の巻の十句目にも、

 

   市に出てしばし心を師走かな

 牛にれかみて寒さわするる    安信

 

の用例がある、

 「にれかむ」は齝という字も書き、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘他マ四〙 (「にれがむ」とも) 牛・鹿・羊などが、かんで呑んだものを、再び口中に吐きだしてかむ。反芻(はんすう)する。にれをかむ。にげがむ。ねりかむ。〔韻字集(1104‐10)〕

  ※俳諧・千鳥掛(1712)上「市に出てしばし心を師走かな〈知足〉 牛にれかみて寒さわするる〈安信〉」

  〘他マ四〙 (「ねりがむ」とも) 牛、羊などが、かんで飲み込んだ物を再び口に出して食う。反芻(はんすう)する。にれかむ。

  ※温故知新書(1484)「ネリカム」

  ※俳諧・幽蘭集(1799)「ちからもちするたはら一俵〈芭蕉〉 放されてねりがむ牛の夕すずみ〈友五〉」

 

とある。

 月の夕嵐に牛が茶の実をこそげ取り、反芻する。

 

季語は「茶の実」で秋。「うし」は獣類。

 

十一句目

 

   茶の実こき行うしの嗛

 年ふりて吾妻祭りの関ケ原

 (年ふりて吾妻祭りの関ケ原牛にれかみて寒さわするる)

 

 「吾妻祭り」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「未詳」とある。

 

季語は「吾妻祭り」で秋か?「関ケ原」は名所。

 

十二句目

 

   年ふりて吾妻祭りの関ケ原

 かちんのくくり高き宿老

 (年ふりて吾妻祭りの関ケ原かちんのくくり高き宿老)

 

 「かちん」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「かちん染」とある。レファレンス協同データベースによると、

 

 「播磨の伝統的な藍染には「かちん染」「高砂染」がある。「かちん染」は藍の濃染で平安時代頃から行われていた染色技法。江戸時代にはすでに失われていたが、姫路藩の家老、河合寸翁の命で染物屋の相生屋が一時復元したが、その後は、また姿を消した。」

 

とある。京友禅にも「かちん染」があるようだが、両者の関係はよくわからない。

 「宿老」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「年老いて経験を積んだ人。宿徳老成の人をいい,もと職名の称ではなかったが,鎌倉幕府の評定衆,引付衆,室町幕府の評定衆を称するようになり,戦国大名のもとでは重臣を,江戸幕府では老中を,諸藩では家老をいった。また,江戸時代の町内の年寄役,郷村や漁村における指導的地位にあるものなども宿老と呼ばれた。」

 

とある。宿老が姫路藩の家老、河合寸翁のことだとすると、天明七年(一七八七年)以降の話になってしまう。ちなみに底本の俳諧『ゆめのあと』は一七九七年刊。

 

無季。「宿老」は人倫。

 

十三句目

 

   かちんのくくり高き宿老

 薄ぐらき簾にはさむ紙の屑

 (薄ぐらき簾にはさむ紙の屑かちんのくくり高き宿老)

 

 前句の宿老が薄暗い簾の中にいて、投げ捨てた紙屑が簾の裾に挟まるということか。

 

無季。

 

十四句目

 

   薄ぐらき簾にはさむ紙の屑

 硯のはばの合ぬひら筆

 (薄ぐらき簾にはさむ紙の屑硯のはばの合ぬひら筆)

 

 刷毛のように幅の広い筆で硯の幅に合わないから書き損ねたとする。

 

無季。

 

十五句目

 

   硯のはばの合ぬひら筆

 くりくりに醒たる酒の酔ごころ

 (くりくりに醒たる酒の酔ごころ硯のはばの合ぬひら筆)

 

 幅の合わない筆で書こうとしたのは酔いが醒めてないからだとする。「くりくり」は「くらくら」で二日酔いで頭が痛むさまであろう。

 

無季。

 

十六句目

 

   くりくりに醒たる酒の酔ごころ

 谷真風をかづく舟の真下り

 (くりくりに醒たる酒の酔ごころ谷真風をかづく舟の真下り)

 

 「谷真風」は「やませ」と読むようだ。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「漢字で山背をあてることが多いが、現在、東北・北海道方面で凶作の原因になる風として広く注目されている「やませ」は、三陸沖より内陸に吹き込んでくる北東気流であり、山を背にして吹く風ではない。この場合はむしろ闇風(やみかぜ)からの転化とみるべきで、沖の闇のように暗い空から吹き出してくるのが実感である。これを病(や)み風の転化とする人もいる。

 やませの「せ」は風の古語で、元来は東北地方の日本海側で、山から吹き出す風についていわれていた。この風は上方(かみがた)に米などの荷を積み出すのに好都合なところから、船頭衆にはむしろ順風として喜ばれた。これがいつごろから現在使われているような悪風に転化したのか、現在なお十分に調査されていない。」

 

とある。「かづく」は「被る」。

 前句の酔いが覚めたのをやませのせいにする。結果→原因の単調な付けが続く。

 

無季。「舟」は水辺。

 

十七句目

 

   谷真風をかづく舟の真下

 花散りて近き見越の角矢倉

 (花散りて近き見越の角矢倉谷真風をかづく舟の真下)

 

 花が散ったために花に遮られることなく角矢倉が見える。桜は前句のやませで散ったとする。

 

季語は「花散りて」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花散りて近き見越の角矢倉

 燕の泥を落す肩ぎぬ

 (花散りて近き見越の角矢倉燕の泥を落す肩ぎぬ)

 

 花の散る季節は燕が巣を作るために泥を運ぶが、落とした泥が正装した武士の肩衣を汚す。

 

季語は「燕」で春、鳥類。「肩ぎぬ」は衣裳。

二表

十九句目

 

   燕の泥を落す肩ぎぬ

 出代りの腰に提たる持草履

 (出代りの腰に提たる持草履燕の泥を落す肩ぎぬ)

 

 「持草履」は草履取りのことか。出替わりの奉公人に肩衣着て草履取りを雇うような人がいたのか。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 

 「出替り奉公人の略で、短期雇いの奉公人のこと。譜代(ふだい)奉公や年季(年切(ねんきり))奉公が1年ないしそれ以上にわたるのに対し、半年または長くも1年を奉公期間とし、これを半季居(ずえ)・一季居奉公と称した。武家奉公や町屋の丁稚(でっち)奉公は、代々勤める譜代・子飼(こがい)や長年季奉公が主であったが、富農・商家において雑役に従事する下男や下女は、出替りが多かった。近世後期には武家奉公ですら出替りが増え、しだいに若党(わかとう)、中間(ちゅうげん)、小者(こもの)、草履取(ぞうりとり)らに及んだ。

 その原因は、各地に商品生産の加工業者が増え、雇用労働を多く必要とするようになったこと、一方、季節労働を含めて農村から都市や手工業生産地への出稼ぎが増大したことなどによる。すなわち、出替りの一般化は、近世における商品生産の展開、手工業の発達に伴うものであったといえる。新旧の奉公人が交替する出替り時節は、初め2月、江戸の明暦(めいれき)大火(1657)後は3月5日とされていた。[北原 進]」

 

とある。やはり近世後期の匂いがする。

 

季語は「出代り」で春。「持草履」は人倫。

 

二十句目

 

   出代りの腰に提たる持草履

 昼の日脚に過る風ぞら

 (出代りの腰に提たる持草履昼の日脚に過る風ぞら)

 

 これは出代りの気候をつけた遣り句と見ていいだろう。

 

無季。「日脚」は天象。

 

二十一句目

 

   昼の日脚に過る風ぞら

 地雷火に逆立波の赤ばしり

 (地雷火に逆立波の赤ばしり昼の日脚に過る風ぞら)

 

 「地雷」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙

  ① 地に鳴り響く雷。地響きのする雷。

  ※浮世草子・真実伊勢物語(1690)三「此つかめきめきと動きぢがみなりのごとくしばらくなりやまず」

  ② 雷鳴のような大地の鳴動する響き。

  ※浄瑠璃・鎌倉三代記(1716)五「御座の畳の下、ぐゎらりぐゎらりぐゎたぐゎたと百千万の地雷(ヂガミナリ)」

  〘名〙 地中または地表直下に目だたないように埋設し、人または車両の接触・加圧により爆発するように装置した爆薬。対戦車地雷・対人地雷など。地雷火。〔和漢三才図会(1712)〕」

 

とある。

 この場合は海辺での落雷であろう。台地を震わせ水面は波立つ。

 

季語は「雷」で夏。「逆立波」は水辺。

 

二十二句目

 

   地雷火に逆立波の赤ばしり

 鷺の塒を替る枯梛

 (地雷火に逆立波の赤ばしり鷺の塒を替る枯梛)

 

 「梛」はウィキペディアに、

 

 「ナギ(梛、竹柏、学名:Nageia nagi)は、マキ科ナギ属の常緑高木である。マキ属 Podocarpusに含められることもある。」

 

とある。また、

 

 「熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。また葉脈が縦方向のみにあるため、縦方向に引っ張っても容易に切れないことから、葉や実が夫婦円満や縁結びのお守りとしても使われている。神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある。」

 

ともある。一応海に縁はある。

 落雷で枯れてしまったのだろう。水辺なので辺りは鷺の住処になっている。

 

季語は「枯梛」で冬、植物、木類。「鷺」は鳥類、水辺。

 

二十三句目

 

   鷺の塒を替る枯梛

 僧正のさかやき寒き簀子縁

 (僧正のさかやき寒き簀子縁鷺の塒を替る枯梛)

 

 僧正は坊主だと思ってたが月代の僧正もいたのか。

 「簀子縁(すのこえん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 簀子①を並べて造った建物の外側の濡縁(ぬれえん)。簀子。簀子敷。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とある。簀子敷は寝殿造の庇の外側にある縁をいう。

 

季語は「寒き」で冬。釈教。

 

二十四句目

 

   僧正のさかやき寒き簀子縁

 忘れて焦す飯の焚じり

 (僧正のさかやき寒き簀子縁忘れて焦す飯の焚じり)

 

 僧正にしては何か庶民的な展開になる。

 

無季。

 

二十五句目

 

   忘れて焦す飯の焚じり

 御茶壺の雨に向ひて扇子敷

 (御茶壺の雨に向ひて扇子敷忘れて焦す飯の焚じり)

 

 「御茶壺」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「お」は接頭語)

  ① 「茶壺」をいう尊敬語。葉茶をたくわえておく壺。特に江戸時代、宇治から将軍家へおくられた、茶を入れた茶壺。その運搬の警護は厳重で、これを御茶壺道中といった。

  ※雑俳・すがたなぞ(1703)「お茶壺に四日飛脚が膳所で逢ふ」

  ② 女陰をいう。

  ※評判記・吉原讚嘲記時之大鞁(1667か)ひろきもの「一 かしわきがおちゃつぼ」

 

とある。

 雨が降ってきたので扇子で防ぐだとか、やはり前句と一緒で庶民的なあるあるネタで、御茶壺道中とは関係なさそうだ。

 

無季。「雨」は降物。

 

二十六句目

 

   御茶壺の雨に向ひて扇子敷

 旅の乞食の奢る小所

 (御茶壺の雨に向ひて扇子敷旅の乞食の奢る小所)

 

 「小所(こどころ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 狭い地所。

  ※平治(1220頃か)下「小所なれ共、先づ馬かへとて、多起の㽵半分をぞ給ひける」

  ② 資産の乏しい家。

  ※雑俳・柳多留‐七(1772)「小所でしなのを置て喰ひぬかれ」

 

とある。

 旅の乞食に飯を食わせてやったは、貧しい小さな家だった。雨漏りする家で茶壺が濡れないように扇子をかぶせながらお茶を淹れてあげる。人情ネタ。

 

無季。「乞食」は人倫。「小所」は居所。

 

二十七句目

 

   旅の乞食の奢る小所

 物買の袂へおろす上蔀

 (物買の袂へおろす上蔀旅の乞食の奢る小所)

 

 蔀戸は町家の前面に用いられている。前句の小所を商家とする。「袂へおろす」は外して降ろすことをいう。

 

無季。「物買」は人倫。

 

二十八句目

 

   物買の袂へおろす上蔀

 鉦の音響く盆の灯燈

 (物買の袂へおろす上蔀鉦の音響く盆の灯燈)

 

 「灯燈」は「ちょうちん」と読む。この場合は盆提灯のこと。

 お盆の日は蔀戸を開ける。『笈の小文』の旅の名古屋での「箱根越す」の巻六句目に、

 

   明るまで戻らぬ月の酒の酔

 蔀々を上る盆の夜         荷兮

 

の句がある。

 なお、貞享三年の「冬景や」の巻二十八句目に、

 

   美濃なるや蛤ぶねの朝よばひ

 ながれに破る切籠折かけ     李下

 

の句がある。「切籠折かけ」はともに盆灯籠のことで、切子灯籠はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」

 

とあり、折掛け灯籠はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「細く削った竹2本を交差させて折り曲げ、その四端を方形の薄板の四隅に挿して、紙を張った盆灯籠。《季 秋》」

 

とある。「その後しだいに盆提灯に変わっていった」というところもこの一巻の年代に疑問がもたれる。

 

季語は「盆の灯燈」で秋、夜分。

 

二十九句目

 

   鉦の音響く盆の灯燈

 蝙蝠のかけ廻りつる月の暮

 (蝙蝠のかけ廻りつる月の暮鉦の音響く盆の灯燈)

 

 蝙蝠は福を呼ぶ鳥で西洋のような吸血鬼のイメージはない。南米の吸血コウモリの噂が日本にまでは届かなかったからであろう。お盆の夜に飛び回る。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「蝙蝠」は獣類。

 

三十句目

 

   蝙蝠のかけ廻りつる月の暮

 風冷初る馬場の白砂

 (蝙蝠のかけ廻りつる月の暮風冷初る馬場の白砂)

 

 競馬でいうダートは本来土だったのだが、雨の多い日本の気候風土になじまないということで、日本のダートは砂になっている。砂を用いるのは江戸時代からの伝統だったのかもしれない。

 

季語は「冷初る」で秋。

二裏

三十一句目

 

   風冷初る馬場の白砂

 振舞を幾つも仕たる仲間入

 (振舞を幾つも仕たる仲間入風冷初る馬場の白砂)

 

 馬場でデビューするにはいろいろ面倒臭いしきたりがあったのだろう。各方面に接待とかもあったのかな。

 

無季。

 

三十二句目

 

   振舞を幾つも仕たる仲間入

 妾なぶりて顔を絵に書

 (振舞を幾つも仕たる仲間入妾なぶりて顔を絵に書)

 

 妾は「てかけ」と読むようだが、意味はめかけと同じ。

 女同士での妾いじめというのはいつの世でもあるのだろう。昔読んだ遠藤周作先生の『ぐうたら生活入門』にも確かそんな話があったと思ったが。

 

無季。「妾」は人倫。

 

三十三句目

 

   妾なぶりて顔を絵に書

 燃口の煙りにからき糠油

 (燃口の煙りにからき糠油妾なぶりて顔を絵に書)

 

 「糠油」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 糠から圧搾法または浸出法によってとった油。食用、石鹸(せっけん)製造などに用いる。

  ※俳諧・ゆめのあと(1797)「妾(てかけ)なぶりて顔を絵に書 燃口の煙りにからき糠油」

 

とある。用例がこの句だが。

 油の燃える煙で顔に煤がついて、吹き払おうとすると顔に絵みたいな線ができてしまうということか。

 

無季。「煙り」は聳物。

 

三十四句目

 

   燃口の煙りにからき糠油

 湯ざやの杉の広き本宮

 (燃口の煙りにからき糠油湯ざやの杉の広き本宮)

 

 「湯ざや」は意味がよくわからない。『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「湯桶か」とある。ただそれだと本宮が唐突になる。地名か杉の種類かで、灯篭の油の煙りの漂う広い本宮とした方がわかりやすい。

 

無季。神祇。「杉」は植物、木類。

 

三十五句目

 

   湯ざやの杉の広き本宮

 花垣に辺りの青葉引撓メ

 (花垣に辺りの青葉引撓メ湯ざやの杉の広き本宮)

 

 花垣は花の咲く木で作った垣根だが、桜を用いることはほとんどない。一応正花にはなる。芭蕉のまだ伊賀にいたころの「野は雪に」の巻の四十九句目に、

 

   わるさもやみし閨の稚ひ

 花垣の蠅のゆひ目もゆるうなり 蝉吟

 

の句がある。

 ここでは花垣を束ねている縄を青葉ごと引き締める。

 

季語は「花垣」で春。

 

挙句

 

   花垣に辺りの青葉引撓メ

 かれも角組はるの蝸牛

 (花垣に辺りの青葉引撓メかれも角組はるの蝸牛)

 

 「角ぐむ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「[動マ四]草木の芽が角のように出はじめる。葦(あし)・荻(おぎ)・薄(すすき)・真菰(まこも)などに多くいう。

  「―・む蘆(あし)のはかなくて枯れ渡りたる水際に」〈栄花・岩蔭〉」

 

とある。花垣の芽も角ぐむようにカタツムリも角を出す。

 

季語は「蝸牛」で春。