「後風」の巻、解説

初表

 後風鳶の身振ひの猶寒し     玄虎

   虎落の氷柱長く短き     舟竹

 十露盤を片手に米の印して    芭蕉

   心あてなき旅のいとなみ   玄虎

 けふの月所のものは山の猿    舟竹

   能岩組に秋の水音      芭蕉

 

初裏

 一株の薄はものに似たるかな   玄虎

   人見ねばこそ闇の臆病    舟竹

 片道はしるき足駄をぶらさげて  芭蕉

   右も左も欠つくりなり    玄虎

 湧出る雲より下のほととぎす   舟竹

   尾上にかかる鐘の撞初    芭蕉

 東国の荒き男も嗽ギ       玄虎

   鳴戸の月を待て乗船     舟竹

 秋風に毛綿肌着も吹しめり    芭蕉

   ならぶ在處を霧の隔てる   玄虎

 花盛志賀の田の畝切立て     芭蕉

   何をくれけん蝶になる虫   舟竹

 

 

二表

 春の日は長柄の傘の絵の模様   玄虎

   熨斗を附たる駕舁の紋    芭蕉

 白粉に千代をや関の姥が顔    舟竹

   錢よむわざを専にする    玄虎

 風はなほ油へる火のちらつきて  芭蕉

   時を曳ずる棒の片そぎ    舟竹

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 後風鳶の身振ひの猶寒し     玄虎

 

 風後だと「かざじり」で風下のことだが、ここでは後風(うしろかぜ)なので、止まっている時に後ろから風を受けているということか。冷たい北風で鳶が身震いする。

 

季語は「寒し」で冬。「鳶」は鳥類。

 

 

   後風鳶の身振ひの猶寒し

 虎落の氷柱長く短き       舟竹

 (後風鳶の身振ひの猶寒し虎落の氷柱長く短き)

 

 虎落(もがり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虎落」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「虎落」は、中国で粗い割り竹を組んで作った垣のこと。用字はその転用)

  ① 竹を筋違いに組み合わせ、縄で結い固めた柵。また、枝を落とした竹を粗く編み合わせて家の囲いとした垣根や塀など。竹もがり。

  ※史記抄(1477)一三「甬道は道の両方をもかりのやうにして筒の如にするぞ」

  ② 枝のついた竹などを立て並べ、物を干すのに用いるもの。特に紺屋で紺掻きなどの干し場に高く作った設備。

  ※俳諧・類船集(1676)加「紺掻(こんかき)の門にはもがりを立る也」

 

とある。氷柱が下がるなら②の方か。

 

季語は「氷柱」で冬。

 

第三

 

   虎落の氷柱長く短き

 十露盤を片手に米の印して    芭蕉

 (十露盤を片手に米の印して虎落の氷柱長く短き)

 

 十露盤は「そろばん」。米印は※のこと。帳簿を付ける時に用いのと思われるが、どのような時に用いられるかよくわからない。物干しが氷柱だけで何もないとなると、あるいはゼロを表したか。

 

無季。

 

四句目

 

   十露盤を片手に米の印して

 心あてなき旅のいとなみ     玄虎

 (十露盤を片手に米の印して心あてなき旅のいとなみ)

 

 旅の時にもその日いくら使ったか、帳簿に書き込む。

 

無季。旅体。

 

五句目

 

   心あてなき旅のいとなみ

 けふの月所のものは山の猿    舟竹

 (けふの月所のものは山の猿心あてなき旅のいとなみ)

 

 山中の侘しい宿か。夕暮れの山から猿の声がする。

 ニホンザルは夜は鳴かない。月に鳴く猿の声は漢詩の趣向で、昔は長江の南に広く生息していたテナガザルの声をいう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。山」は山類。「猿」は獣類。

 

六句目

 

   けふの月所のものは山の猿

 能岩組に秋の水音        芭蕉

 (けふの月所のものは山の猿能岩組に秋の水音)

 

 能岩組は「よきいはぐみ」。岩組はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「岩組」の解説」に、

 

 「① 自然の岩の積み重なり。また、庭園などの岩石の組み合わせ。また、その岩。

  ※巨海代抄(1586‐99)下「危曾と云はあの築破や士峯などの様にとつと聳ゑた岩ぐみの事だ」

  ② 歌舞伎の大道具の一つ。張り子で組みこしらえた岩。

  ※歌舞伎・貞操花鳥羽恋塚(1809)後の四立「本舞台、三間の間、うしろ黒幕、板松の並木。舞台先に岩組(イハグ)み、崖の心」

  ③ 植物「いわひば(岩檜葉)」の古名。〔本草和名(918頃)〕

  ④ 植物「ひとつば(一葉)」の古名。〔二十巻本和名抄(934頃)〕

  ⑤ 植物「こけもも(苔桃)」の異名。」

 

とある。ここでは自然の岩であろう。

 前句の山の猿に、岩窟に籠る修行僧の境遇として、岩を漏る水音を添える。

 

季語は「秋」で秋。「岩組」は山類。

初裏

七句目

 

   能岩組に秋の水音

 一株の薄はものに似たるかな   玄虎

 (一株の薄はものに似たるかな能岩組に秋の水音)

 

 「もの」は物の怪であろう。薄はおいでおいでと招くように風に靡く。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。

 

八句目

 

   一株の薄はものに似たるかな

 人見ねばこそ闇の臆病      舟竹

 (一株の薄はものに似たるかな人見ねばこそ闇の臆病)

 

 人が見ないならただの薄だが、人が見れば闇に憶病になって物の怪に見える。

 

無季。「人」は人倫。

 

九句目

 

   人見ねばこそ闇の臆病

 片道はしるき足駄をぶらさげて  芭蕉

 (片道はしるき足駄をぶらさげて人見ねばこそ闇の臆病)

 

 「しるき足駄」は白木の足駄だろうか。それを履かずにぶら下げるというのは、足音を立てたくないのか、足音を立てて人に見つかるのが嫌なのか。

 前句の臆病を人に会うのが怖いという意味での臆病としたか。

 

無季。

 

十句目

 

   片道はしるき足駄をぶらさげて

 右も左も欠つくりなり      玄虎

 (片道はしるき足駄をぶらさげて右も左も欠つくりなり)

 

 「欠(かけ)つくり」は懸造(かけづくり)であろう。コトバンクの「世界大百科事典 第2版「懸造」の解説」に、

 

 「傾斜地や段状の敷地,あるいは池などへ張り出して建てることを〈懸け造る〉といい,その建物形式を懸造と称する。崖造(がけづくり)ともいう。敷地の低い側では床下の柱や束が下から高く立ち,これに鎌倉時代以降では貫を何段にも通して固めている。平安時代以降,山地に寺院が造られるようになってからのもので,観音霊場に多く,三仏寺投入堂(国宝,鳥取,12世紀)や清水寺本堂(国宝,京都,1633)などがよく知られている。」

 

とある。

 前句を山伏か何かとして、修験の場の懸造の廊下を行く。

 

無季。

 

十一句目

 

   右も左も欠つくりなり

 湧出る雲より下のほととぎす   舟竹

 (湧出る雲より下のほととぎす右も左も欠つくりなり)

 

 山の上の懸造の寺では、ホトトギスの声が下の方から聞こえる。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「雲」は聳物。

 

十二句目

 

   湧出る雲より下のほととぎす

 尾上にかかる鐘の撞初      芭蕉

 (湧出る雲より下のほととぎす尾上にかかる鐘の撞初)

 

 尾上の鐘といえば、

 

 高砂の尾上の鐘のをとすなり

     あか月かけてしもやをくらむ

               大江匡房(千載集)

 

の歌で名高い加古川の尾上神社で、謡曲『高砂』でも、

 

 「高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘も、響くなり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.1745-1746). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と謡われている。

 前句の「湧出る雲」を下から見上げた雲とする。

 

無季。神祇。

 

十三句目

 

   尾上にかかる鐘の撞初

 東国の荒き男も嗽ギ       玄虎

 (尾上にかかる鐘の撞初東国の荒き男も嗽ギ)

 

 「嗽ギ」は「くちそそぎ」と読む。神社で身を清める時には口もそそぐ。

 

無季。「男」は人倫。

 

十四句目

 

   東国の荒き男も嗽ギ

 鳴戸の月を待て乗船       舟竹

 (東国の荒き男も嗽ギ鳴戸の月を待て乗船)

 

 前句の「嗽ギ」を鳴門の渦潮の水しぶきに、口に水が入るということにしたか。東国の荒武者もびっくりすることだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「鳴戸」は名所、水辺。「船」も水辺。

 

十五句目

 

   鳴戸の月を待て乗船

 秋風に毛綿肌着も吹しめり    芭蕉

 (秋風に毛綿肌着も吹しめり鳴戸の月を待て乗船)

 

 江戸時代は木綿が急速に普及し、それとともに着物の下に肌着を着るようになっていった。鳴戸の潮に外に着ている着物だけでなく、肌着までもが濡れて、気分はあまりいいものではあるまい。

 

季語は「秋風」で秋、「毛綿肌着」は衣裳。

 

十六句目

 

   秋風に毛綿肌着も吹しめり

 ならぶ在處を霧の隔てる     玄虎

 (秋風に毛綿肌着も吹しめりならぶ在處を霧の隔てる)

 

 在所は集落のことで、特に被差別民の集落に限定されない。筆者の子どもの頃は「部落」という言葉も普通の集落の意味で使われていたと思う。マス・メディアなどのポリコレによって、かえって意味が特殊化されてしまったのではないかと思う。

 一般的に用いてた言葉が「差別語」に認定されると、差別語の意味でしか使えなくなる。

 前句の「吹しめり」を霧のせいだとする。

 

季語は「霧」で秋、聳物。

 

十七句目

 

   ならぶ在處を霧の隔てる

 花盛志賀の田の畝切立て     芭蕉

 (花盛志賀の田の畝切立てならぶ在處を霧の隔てる)

 

 霧に「切立て」は掛詞でなく、たまたま同音の語で付けるだけなので、「かけてには」にはならない。この時期の芭蕉や支考が得意としていた付け筋だ。

 田は畔で畝は畑のものだが、滋賀では水田の裏作で菜種が盛んに作られていた。稲を刈り取るとそこに畝を作って菜の花畑にしていたのだろう。

 京・大阪の都市部での油の需要が増大し、油が高値を付けたため、茶から転換する農家もあったようだ。元禄七年秋の大阪での「升買て」の巻二十一句目に、

 

   しるし見分て返す茶筵

 めつきりと油の相場あがりけり  青流

 

の句がある。

 滋賀の花盛りというと、

 

 ささなみや志賀の都は荒れにしを

     昔ながらの山桜かな

              平忠度(平家物語)

 

の歌がよく知られている。そのかつての志賀の都は田に畝を切り立てている。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。「志賀」は名所。

 

十八句目

 

   花盛志賀の田の畝切立て

 何をくれけん蝶になる虫     舟竹

 (花盛志賀の田の畝切立て何をくれけん蝶になる虫)

 

 胡蝶の季節なのに何で遅れてしまったのか、田の菜の花に青虫がいる。

 

季語は「蝶になる虫」で春、虫類。

二表

十九句目

 

   何をくれけん蝶になる虫

 春の日は長柄の傘の絵の模様   玄虎

 (春の日は長柄の傘の絵の模様何をくれけん蝶になる虫)

 

 春の日の長いに掛けて「長柄の傘」を導き出す。長柄の傘はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「長柄の傘」の解説」に、

 

 「貴人にさしかけるため、柄を長くしたかさ。後には、遊女の道中にも用いた。長柄傘。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)三「空が曇れば、長柄(ナカヘ)の傘(カラカサ)無き事をかなしみ」

 

とある。遊女が用いたのなら華やかな模様が描かれていたのだろう。

 

季語は「春の日は長」で春。

 

二十句目

 

   春の日は長柄の傘の絵の模様

 熨斗を附たる駕舁の紋      芭蕉

 (春の日は長柄の傘の絵の模様熨斗を附たる駕舁の紋)

 

 駕舁は「かごかき」。熨斗鮑を象った熨斗紋という家紋があり、様々な種類の熨斗紋がある。ここでいう駕籠かきは紋の入った立派な駕籠を担ぐ、おかかえの駕籠かきなのだろう。駕籠から降りた主人を長柄の傘で送る。

 

無季。「駕舁」は人倫。

 

二十一句目

 

   熨斗を附たる駕舁の紋

 白粉に千代をや関の姥が顔    舟竹

 (白粉に千代をや関の姥が顔熨斗を附たる駕舁の紋)

 

 「白粉」は「おしろい」と読む。

 前句の駕籠かきの駕籠に乗っているのを白粉を塗った姥として、関を越える時に関の晴着として駕籠かきの紋に熨斗を付ける。

 

無季。旅体。「姥」は人倫。

 

二十二句目

 

   白粉に千代をや関の姥が顔

 錢よむわざを専にする      玄虎

 (白粉に千代をや関の姥が顔錢よむわざを専にする)

 

 前句の姥を相場師とする。

 

無季。

 

二十三句目

 

   錢よむわざを専にする

 風はなほ油へる火のちらつきて  芭蕉

 (風はなほ油へる火のちらつきて錢よむわざを専にする)

 

 夜も更け油も減って、火も弱くなる頃まで金勘定をしている。

 

無季。「油へる火」は夜分。

 

二十四句目

 

   風はなほ油へる火のちらつきて

 時を曳ずる棒の片そぎ      舟竹

 (風はなほ油へる火のちらつきて時を曳ずる棒の片そぎ)

 

 片そぎというと神社の千木が思い浮かぶが、この場合は棒を引きずっているうちに擦れて片そぎになったということか。だとすると振り売りの商人であろう。日が暮れて帰りに荷物が空になると、毎日天秤棒を引きずって帰る。それを長年繰り返しているうちにいつしか片そぎになる。

 

無季。