「郭公(来)」の巻、解説

初表

 郭公(ほととぎす)来べき宵(なり)頭痛(もち)       在色(さいしき)

   高まくらにて夏山の月     (しょう)()

 凉風(すずかぜ)や一句のよせい吟ずらん    正友(せいゆう)

   旅乗物のゆくすゑの空     (しょう)(きゅう)

 うき雲や(けぶり)をかづくたばこ盆    志計(しけい)

   時雨(しぐれ)をまぜて亭に手たたく   (せっ)(さい)

 欄干(らんかん)もあらしにうごく大笑(おほわらひ)     (いっ)(てつ)

   酒酔(さかゑひ)をくるあとのしら波    一朝(いっちょう)

 

初裏

 蜑人(あまびと)(のど)やかはきてぬれ(ごろも)     (ぼく)(せき)

   かの海底(かいてい)の玉のあせかく    執筆

 さらさらともみにもふでぞ(ひと)いのり 松意

   くだけて思ふ(さん)(せん)なげさい   在色

 まつ宵の(ふけ)(ゆく)かるた大明神     松臼

   (なみだ)畳の(ちり)にまじはる      正友

 腹切(はらきり)はあしたの露と(きえ)にけり    雪柴

   (いくさ)(さん)じて野辺(のべ)のうら(がれ)     志計

 虫の(ひげ)人もかくこそ(ある)べけれ    一朝

   目がねにうつる夕月の影    一鉄

 (たう)(せん)(をち)の嶋山(のり)すてて      在色

   何万(ぎん)のいとによる波     卜尺

 見あぐればああ千片(せんぺん)たり花の滝   志計

   ()(うん)(そと)に鳥はさえづる    松意

 

 

二表

 (うち)かすむ山ふかうして谷の(いほ)    正友

   わらびよぢ折る(こけ)衣手(ころもで)    松臼

 これも又王土(わうど)をめぐる(はち)ひらき   一鉄

   慈悲はこころの鬼をほろぼす  雪柴

 わつさりと一たび(はな)せなふ女郎(じょらう)   卜尺

   うき名は(なん)のそれからそれ(まで)  一朝

 御仕置(おしおき)ややぶれかぶれの(しゅ)道事(どうごと)   松意

   家老をはじめすでに(つけ)ざし   在色

 城の内あすをかぎりの八九人    松臼

   しまひ普請(ぶしん)のから堀の月    志計

 金山(かなやま)の秋をしらする雁(なき)て     雪柴

   訴訟のことは菊の花(さく)     正友

 (わが)宿の組中(くみちう)名ぬし(まかり)(いで)       一朝

   売渡し(まうす)軒の下風       一鉄

 

二裏

 (ひとつ)(この)ざうりわらんぢ雨(すぎ)て     在色

   死骸をおくる山ほととぎす   卜尺

 奥の院花たちばなや匂ふらん    志計

   むかしは誰がたてし(じゃう)(とう)    松意

 舟(いり)も広きめぐみの守護代リ    正友

   四面(しめん)にさうかの歌うたつてくる 松臼

 銭さしに(なみだ)つらぬく夜の空     一鉄

   念仏講も(かけ)てゆく月      雪柴

 相店(あひだな)の人の世中(よのなか)すゑの露      卜尺

   分散(ぶんさん)何々(なになに)なく虫の声      一朝

 舟板のわれからくぐるあかの道   松意

   あらがねの土うがつ穴蔵(あなぐら)    在色

 (ひさ)(かた)天目(てんもく)花生(はないけ)瀬戸物屋      松臼

   目利(めきき)はいかが見る庭の梅    志計

 

 

三表

 ()(がは)りや大宮人(おほみやびと)御座直(ござなほ)し     雪柴

   けはひけずりてけふもくらしつ 正友

 (おもかげ)やきり狂言におしむらん     一朝

   半畳(しき)ても命さまなら     一鉄

 護摩(ごま)の壇思ひの(けぶり)よこをれて    在色

   ししつと笑ひさる狐つき    卜尺

 (このしろ)や舟ばたをたたいて(とり)(あげ)たり   志計

   源平たがひにたうがらし味噌  松意

 さもしやなかたがたは皆やつこ(ふう)  正友

   (かね)にはめでじ恋はいきごみ   松臼

 労瘵(らうさい)の声にひかれて(そん)をいだき   一鉄

   内二階より伽羅(きゃら)追風(おひかぜ)     雪柴

 ことさやぐ唐人(たうじん)宿(やど)の月を見て    卜尺

   長き夜食(やしょく)のにはとりぞなく   一朝

 

三裏

 下冷(したびえ)や衣かたしく骨うづき     松意

   (うち)たをされし道芝の露     在色

 (おひ)からし昨日はむかし馬捨場(すてば)    松臼

   志賀のみやこにたかる青蠅   志計

 から橋の松がね枕昼ね坊      雪柴

   (くち)たる木をもえる丸太船    正友

 (せき)(だい)や水緑にしてあきらか(なり)    一朝

   二十五間の物ほしの月     一鉄

 秋の空西にむかへば(かど)屋敷(やしき)     在色

   両替(りゃうがへ)()()のすゑの雲霧     卜尺

 袋もと峰(たち)ならす鹿の皮      志計

   山の奥より風の三郎      松意

 神鳴(かみなり)の太鼓の音に花散て      正友

   罪業(ざいごふ)ふかき野辺のうぐひす   雪柴

 

名残表

 (ゆき)(じる)のながれの女と(なり)にけり    一鉄

   袖に(いかだ)のさはぐそらなき    松臼

 毒かひやむなしき跡の事とはん   卜尺

   うはのが原にあはれ里人    一朝

 これやこの鷹場(たかば)の役に(いく)十度(そたび)    松意

   黒羽織きてたななし小舟(をぶね)    在色

 (つの)(くに)難波(なには)堀江のはやり医者    雪柴

   玄関がまへみゆるあしぶき   志計

 さび(やり)門田(かどた)を守る気色(けしき)なり    松臼

   (いっ)(けん)ほゆる佐野(さの)の夕月     正友

 こもかぶり露(うち)はらふかげもなし  一朝

   (きず)に色なる草まくらして    一鉄

 追剝(おひはぎ)(この)辻堂のにし東       在色

   弓手(ゆんで)高札(かうさつ)め手に落書(らくがき)     卜尺

 

名残裏

 下馬先(げばさき)に御かご(どう)(ぼく)みちみちたり  志計

   遠所(ゑんしょ)(やしろ)花の最中       松意

 ゆふしでやあらしも白し(よね)(ざくら)    正友

   雀は巣をぞかけ(たてまつ)る      雪柴

 やぶれては紙くずとなる歌枕    一鉄

   ねり土にさへ伝授ありとや   松臼

 見ひらくやさとりの(まなこ)大仏(おほぼとけ)    卜尺

   三千世界芝の海づら      一朝

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初裏

発句

 

 郭公(ほととぎす)来べき宵(なり)頭痛(もち)       在色(さいしき)

 

 郭公(ほととぎす)は和歌では明け方に詠むことが多く、宵というと、

 

 宵の間はまどろみなましほととぎす

     明けて来鳴くとかねて知りせば

              橘資(たちばなのすけ)(しげ)(後拾遺集)

 ほととぎす来鳴かぬ宵のしるからば

     寝る夜もひとよあらましものを

              能因(のういん)法師(ほうし)(後拾遺集)

 

など、宵には鳴かないということが詠まれている。

 ただ、『千載集』の頃になると、

 

 心をぞつくしはてつる郭公

     ほのめく宵の村雨の空

              藤原(ふじわらの)長方(ながかた)(千載集)

 声はして雲路にむせぶ(ほとと)(ぎす)

     涙やそそぐ宵の村雨

              式子(しきし)内親王(ないしんのう)(新古今集)

 

など、宵の村雨のホトトギスを詠む歌が登場する。

 頭痛はロート製薬のサイトによると、

 

 「気象病の症状の中でも最も多いのが頭痛です。どのように傷みが起こるかをお話しましょう。

 漢方医学では、気象病の多くは【水毒(すいどく)】だと考えられています。水毒とは、汗やリンパ液など、体液の循環が悪くなった状態のこと。

 頭痛は、血液に水分が溜まって血管が拡張し、神経を圧迫することで起こります。湿度が高く汗をかきにくくなる梅雨は、特に頭痛が起こりやすくなります。

 気象の影響で起こる頭痛としては、まず片頭痛が挙げられます。ズキズキと脈打つように痛むのが特徴で、頭痛という名前の通り、多くの場合が頭の片側だけに起こります(両側に起こることもあります)。

 中には、緊張型頭痛が現れる人もいます。頭がぎゅーっと締めつけられるような痛みが特徴。ただ、この頭痛は血管が拡張して起こるものではなく、後頭部や首の後ろ側の筋肉が収縮することが原因。同じ頭痛でも、気圧の変化によって血管に影響を受ける人、筋肉に影響を受ける人がいるということ。それぞれの自律神経のバランスの乱れ方が違うのです。」

 

ということで、五月雨の頃は頭痛の季節で、雨が降る前に頭痛がする人もいるという。

 そういう人からすると、頭痛がすればホトトギスの季節だ、ということになる。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。

 

 

   郭公来べき宵也頭痛持

 高まくらにて夏山の月       (しょう)()

 (郭公来べき宵也頭痛持高まくらにて夏山の月)

 

 緊張型頭痛の場合は、枕が合ってないことも原因の一つになる。前句の頭痛の原因を高枕のせいとして、夏山で高枕をして宵に眠りにつき、頭痛ながらに明け方のホトトギスの声を聞く。

 郭公に夏山の月は、

 

 時鳥鳴きているさの山の()

     月ゆゑよりも恨めしきかな

              藤原頼(ふじわらのより)(ざね)(新古今集)

 有明の月は待たぬに()でぬれど

     なほ山深き時鳥かな

              (たいらの)親宗(ちかむね)(新古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「夏山」で夏、山類。「月」は夜分、天象。

 

第三

 

   高まくらにて夏山の月

 凉風(すずかぜ)や一句のよせい吟ずらん    正友(せいゆう)

 (凉風や一句のよせい吟ずらん高まくらにて夏山の月)

 

 高枕で夏山の月に涼んで、その涼しい風の余情を吟じているのだろうか。吟じると言っても高枕だから、(いびき)のことではないか。

 夏の月に涼風は、

 

 夏の夜の有明の月を見るほどに

     秋をもまたで風ぞすずしき

              藤原師通(ふじわらのもろみち)(後拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「凉風」で夏。

 

四句目

 

   凉風や一句のよせい吟ずらん

 旅乗物のゆくすゑの空       (しょう)(きゅう)

 (凉風や一句のよせい吟ずらん旅乗物のゆくすゑの空)

 

 旅乗物はこの時代なら馬か駕籠であろう。涼しいのは馬の方か。

 朝早く馬で旅立ち、明け方の涼しい風を受けながら、一句の余情を吟ずる。旅体に転じる。

 

 月影のいりぬるあとにおもふかな

     まよはむやみのゆくすゑの空

              慈円(千載集)

 

を余情とするか。

 

無季。旅体。

 

五句目

 

   旅乗物のゆくすゑの空

 うき雲や(けぶり)をかづくたばこ盆    志計(しけい)

 (うき雲や烟をかづくたばこ盆旅乗物のゆくすゑの空)

 

 浮雲の煙は、

 

 恋わびてながむる空の浮雲や

     わが下もえの煙なるらん

              周防内(すおうのない)()(金葉集)

 

の歌がある。ここでは旅の空の浮雲が実は煙草の烟だったという落ちになる。

 旅の雲といえば杜甫の「野老」という詩に、「長路關心悲劍閣 片雲何意傍琴台」とあり、後に芭蕉が『奥の細道』の冒頭で「予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて」という一節に用いている。

 

無季。「うき雲」「烟」は聳物。

 

六句目

 

   うき雲や烟をかづくたばこ盆

 時雨(しぐれ)をまぜて亭に手たたく     (せっ)(さい)

 (うき雲や烟をかづくたばこ盆時雨をまぜて亭に手たたく)

 

 亭を「ちん」と読む場合はお茶室であろう。煙草盆は茶道のお茶室に入る前の待合に用いられる。

 手を叩くのは時雨で煙草の火が消えて、「煙草盆、はよ」ってことか。

 浮雲の時雨は、

 

 折こそあれながめにかかる浮雲の

     袖もひとつにうちしぐれつつ

              二條院(にじょういんの)讃岐(さぬき)(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「時雨」で冬、降物。

 

七句目

 

   時雨をまぜて亭に手たたく

 欄干(らんかん)もあらしにうごく大笑(おほわらひ)     (いっ)(てつ)

 (欄干もあらしにうごく大笑時雨をまぜて亭に手たたく)

 

 前句の「手をたたく」を誰か何か面白いことを言って、思わず手を叩くこととする。お茶会の前の談笑ではそんなこともあるか。

 時雨の嵐は、

 

 しぐれつつかつ散る山のもみぢ葉を

     いかに吹く夜の嵐なるらん

              藤原(ふじわらの)(あき)(すえ)(金葉集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

八句目

 

   欄干もあらしにうごく大笑

 酒酔(さかゑひ)をくるあとのしら波    一朝(いっちょう)

 (欄干もあらしにうごく大笑酒酔をくるあとのしら波)

 

 酒を酌み交わした後、船で旅立つ人を橋の欄干から見送る。

 酒が入っているから、何がおかしいか大笑いして、言ってしまったあとは「知らない」に「白波」を掛ける。見知らぬ人同士で酒を飲んで盛り上がるのはよくあることだ。

 嵐に白波は、

 

 見わたせば汐風荒らし姫島や

     小松がうれにかかる白波

              (むね)(たか)親王(しんのう)(続古今集)

 

の歌がある。

 

無季。「しら波」は水辺。

初裏

九句目

 

   酒酔をくるあとのしら波

 蜑人(あまびと)(のど)やかはきてぬれ(ごろも)     (ぼく)(せき)

 (蜑人の喉やかはきてぬれ衣酒酔をくるあとのしら波)

 

 濡れ衣で透け透けというのは狙った感じがする。そうでなくても体の線が出る。

 酒飲んで海に飛び込んだのだろう。酒を飲むと喉が渇く。

 

無季。「蜑人」は人倫、水辺。「ぬれ衣」は衣裳。

 

十句目

 

   蜑人の喉やかはきてぬれ衣

 かの海底(かいてい)の玉のあせかく      執筆(しゅひつ)

 (蜑人の喉やかはきてぬれ衣かの海底の玉のあせかく)

 

 海底の玉というのは謡曲『海人(あま)』に出てくる、高宗皇帝から興福寺へ贈られた三つの玉の一つの「明珠(めいじゅ)」というもので、途中瀬戸内海で竜神に取られて、それを里の海女が取り返したという話だ。

 海底深く潜って玉を取り返すのは大変だっただろう。まさに玉の汗をかく。

 

無季。「海底」は水辺。

 

十一句目

 

   かの海底の玉のあせかく

 さらさらともみにもふでぞ(ひと)いのり 松意

 (さらさらともみにもふでぞ一いのりかの海底の玉のあせかく)

 

 「もみにもふで」は「揉みに揉んで」のウ音便化したもので、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にある通り、謡曲『船弁慶(ふなべんけい)』に、

 

 「その時義経少しも騒がず打物(うちもの)抜き持ち(うつつ)の人に、(むこ)ふが如く、言葉を交はし戦ひ給へば、弁慶おし隔て打物業(うちものわざ)にて叶ふまじと、数珠(じゅず)さらさらと押しもんで、東方降(とおほおごお)三世(さんぜ)南方(なんぽお)軍荼(ぐだ)()夜叉(やしゃ)西方(さいほお)大威徳(だいゐとく)北方(ほツぽお)金剛(こんごお)夜叉(やしゃ)明王(みょおをう)、中央大聖(だいしょお)不動明王の(さツく)にかけて、祈り祈られ悪霊(あくりょお)次第に遠ざかれば、弁慶舟子(ふなこ)に力を合はせ、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.7489-74909). Yamatouta e books. Kindle .

 

を踏まえている。この祈りで(たいらの)(とも)(もり)の亡霊は海底へと消えて行く。

 

無季。

 

十二句目

 

   さらさらともみにもふでぞ一いのり

 くだけて思ふ(さん)(せん)なげさい     在色

 (さらさらともみにもふでぞ一いのりくだけて思ふ散銭なげさい)

 

 「なげさい」はここでは賽銭のことか。

 「くだけて思ふ」は、

 

 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ

     砕けてものを思ふころかな

              源重之(みなもとのしげゆき)(詞花集)

 見せばやなくだけて思ふ涙とも

     よもしら玉のかかるたもとを

              伏見院(ふしみいん)(新後撰集)

 

などの歌がある。波の砕けると心を砕く(心を痛める)とを掛けて用いることが多い。

 

無季。

 

十三句目

 

   くだけて思ふ散銭なげさい

 まつ宵の(ふけ)(ゆく)かるた大明神     松臼

 (まつ宵の更行かるた大明神くだけて思ふ散銭なげさい)

 

 前句の「なげさい」をサイコロを投げるとして博徒の神頼みとし、夜通し博奕を続ける中で、当時流行していたうんすんカルタのウン(福の神)に祈る。

 この時代は(てん)(しょう)カルタからうんすんカルタへの過渡期でもあり、これより後の延宝六年秋の「のまれけり」の巻二十九句目に、

 

   古川のべにぶたを見ましや

 先爰(まづここ)にパウの二けんの杉高し   ()(しゅん)

 

の句は天正カルタのパウ(棍棒)が斜めに交差させた形で描かれ、数字が多くなると杉の木のような形になることを詠んでいるが、天正カルタの絵札は西洋のトランプのように女王・騎馬・国王だったのに対し、うんすんカルタはそれにウン(福の神)スン(唐人)、ロバイ(龍)のカードが加わる。

 棍棒(今日のトランプのクラブ)の書き方は似ているので、「のまれけり」の巻の方もうんすんカルタだった可能性はある。

 

無季。神祇。

 

十四句目

 

   まつ宵の更行かるた大明神

 (なみだ)畳の(ちり)にまじはる        正友

 (まつ宵の更行かるた大明神泪畳の塵にまじはる)

 

 「塵にまじはる」は「和光同塵(わこうどうじん)」のことで、神様は本地である仏さまの光りを和らげ、塵に同じうする姿でもある。

 とはいえ、神も仏もいなかったのか、博奕(ばくち)に負けて涙が畳の塵に交わる。

 

無季。釈教。「畳」は居所。

 

十五句目

 

   泪畳の塵にまじはる

 腹切(はらきり)はあしたの露と(きえ)にけり    雪柴

 (腹切はあしたの露と消にけり泪畳の塵にまじはる)

 

 「あしたの露」は朝露のこと。露の命とも言うが、切腹は畳の上に血を流し、畳の露と消える。

 

季語は「露」で秋、降物。無常。

 

十六句目

 

   腹切はあしたの露と消にけり

 (いくさ)(さん)じて野辺(のべ)のうら(がれ)       志計

 (腹切はあしたの露と消にけり軍散じて野辺のうら枯)

 

 「(いくさ)(さん)じて」はいくさに散ってということで、負けた大将は切腹し、戦場の野辺のうら枯れの露と消える。

 うら枯れは葉先の方から枯れることで、

 

 露さむみうら枯れもてく秋の野に

     さびしくもある風のおとかな

              藤原(ふじわらの)(とき)(まさ)(千載集)

 ひとめ見し野べのけしきはうら枯れて

     露のよすがに宿る月かな

              (じゃく)(れん)法師(ほうし)(新古今集)

 

などの歌に露とともに詠まれている。

 

季語は「うら枯」で秋、植物、草類。

 

十七句目

 

   軍散じて野辺のうら枯

 虫の(ひげ)人もかくこそ(ある)べけれ    一朝

 (虫の髭人もかくこそ有べけれ軍散じて野辺のうら枯)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にある通り、謡曲『(さね)(もり)』の、

 

 「気()れては風新柳(しんりう)の髪を(けづ)り、氷消えては、波旧苔(きうたい)の、(ひげ)を洗ひて見れば、墨は流れ落ちてもとの、白髪(はくはつ)となりにけり。げに名を惜しむ弓取(ゆみとり)は、(たれ)もかくこそあるべけれや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18174-18179). Yamatouta e books. Kindle .

 

の場面で、老人であるはずの実盛だが、打ち取った首の髪は黒く、池で首を洗えばその染めた色が落ちて白髪の姿になるという場面だ。

 軍に破れ、野辺のうら枯れのなかで、老いた武者の髭の色も落ちるように、鳴く虫の髭もやがて力尽きる。

 野に朽ちて行った実盛を虫に喩えるというのは、後の、

 

 無残やな兜の下のきりぎりす   芭蕉

 

の句を先取りしている。

 

季語は「虫」で秋、虫類。「人」は人倫。

 

十八句目

 

   虫の髭人もかくこそ有べけれ

 目がねにうつる夕月の影     一鉄

 (虫の髭人もかくこそ有べけれ目がねにうつる夕月の影)

 

 まずこのメガネだが、ウィキペディアによればザビエルが日本に伝えたもので、周防国の守護大名・大内義隆に献上したという。また、徳川家康が使用したという眼鏡も久能山東照宮にあるという。

 この時代に眼鏡がなかったわけではないが、眼鏡の値段は曲亭馬琴の時代でも一両一分だったという。

 遠眼鏡も西洋から入ってきたもので、元禄九年の桃隣が金華山を旅した時の句に、

 

 水晶や凉しき海を遠目鑑     桃隣

 

の句がある。金華山の大きな水晶は今ではほとんど輝きもないが、かつては透き通った姿でこれでレンズを作って遠眼鏡にという発想が湧いたのかもしれない。

 延宝六年冬の「青葉より」の巻七句目、

 

   天下一竹田稲色になる

 淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや  ()(しゅん)

 

の句の「鏡」は天下一の銘をもつ柄鏡の意味だが、その句が八句目で、

 

   淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや

 やよ時鳥天帝(ダイウス)のさた (はる)(すみ)

 

となる時には南蛮の遠眼鏡の意味に取り成されている。

 この場合は虫を見るのだったら虫眼鏡ということになる。虫眼鏡も江戸時代初めに三浦按(みうら)(あんじん)が徳川家康に献上したという。

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虫眼鏡」の解説」にも、

 

 「① 小さな物体を拡大して見るための焦点距離の短い凸レンズ。像は正立の虚像。拡大鏡。

  ※俳諧・境海草(1660)夏「みて蚤や人にかたらん虫目金〈長成〉」

 

とあり、この時代に知られていたのは間違いない。

 前句を虫眼鏡で虫の髭を観察して、人もかくこそ有べけれ、とし、この句は「眼鏡にうつる」で切って、「夕月の影」を添えたという所で良いのではないかと思う。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。

 

十九句目

 

   目がねにうつる夕月の影

 (たう)(せん)(をち)の嶋山(のり)すてて      在色

 (唐船は遠の嶋山乗すてて目がねにうつる夕月の影)

 

 ここで遠眼鏡に取り成される。

 唐船は遠くの島で乗り捨てたのか見えなくなり、夕月の影だけが見える。

 

無季。「唐船」「嶋山」は水辺。

 

二十句目

 

   唐船は遠の嶋山乗すてて

 何万(ぎん)のいとによる波       卜尺

 (唐船は遠の嶋山乗すてて何万斤のいとによる波)

 

 (きん)は重さの単位だが、中国と日本では異なる。江戸時代に一般に用いられていた斤は百六十(もんめ)で約六百グラムだという。十斤が約六キロだから一万斤は約六トンになる。

 近代でこそ日本は生糸の輸出国になったが、江戸時代は中国から輸入していた。当時の中国船は何十トンもの絹糸を積んでいたのか。

 難破して島に打ち捨てられていたのだろう。貴重な絹糸も波を被って使い物にならなくなる。

 この場合糸の()ると波の寄るを掛けているが、和歌では撚ると夜を掛けて用いられることが多い。

 

 白河の滝のいとなみ乱れつつ

     よるをぞ人は待つといふなる

              藤原(ふじわらの)(ただ)(ひら)(後撰集)

 あふまでの人の心のかた糸に

     なみだをかけてよるぞ悲しき

              (たいらの)重時(しげとき)(続後撰集)

 

などの歌がある。

 

無季。「波」は水辺。

 

二十一句目

 

   何万斤のいとによる波

 見あぐればああ千片(せんぺん)たり花の滝   志計

 (見あぐればああ千片たり花の滝何万斤のいとによる波)

 

 前句を滝の糸波として、千片の花びらの落ちる花の滝の糸波とする。

 落花を滝に喩える例として、

 

 吉野山雲の岩根に散る花は

     風より落つる滝の白糸

              ()(えん)夫木抄(ふぼくしょう)

 

の歌がある。

 

季語は「花の滝」で春、植物、木類。

 

二十二句目

 

   見あぐればああ千片たり花の滝

 ()(うん)(そと)に鳥はさえづる      松意

 (見あぐればああ千片たり花の滝孤雲の外に鳥はさえづる)

 

 孤雲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「孤雲」の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙 一つだけはなれて、ぽっかりと浮かぶ雲。ひとひらの雲。はなれ雲。片雲(へんうん)

  ※文華秀麗集(818)上・敬和左神策大将軍春日閑院餞美州藤大守甲州藤判官之作〈巨勢識人〉「郷心遠樹孤雲跡。客路辺山片月寒」 〔陶潜‐詠貧士詩・其一〕」

 

とある。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『羽衣』の、

 

 「簫笛琴箜篌孤(しょおちゃくきんくごこ)(うん)(ほか)()()ちて、落日の(くれなゐ)()(めい)()の山をうつして、緑は波に浮島が、(はろ)ふ嵐に花降りて、げに雪を(めぐ)らす白雲(はくうん)の袖ぞ(たえ)なる。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.30855-30863). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 ここでは天人の楽の音ではなく、鳥の(さえず)りを添える。

 

季語は「鳥はさえづる」で春、鳥類。「孤雲」は聳物(そびきもの)

二表

二十三句目

 

   孤雲の外に鳥はさえづる

 (うち)かすむ山ふかうして谷の(いほ)    正友

 (打かすむ山ふかうして谷の庵孤雲の外に鳥はさえづる)

 

 山奥の隠棲とする。

 

 山深み霞みこめたる柴の庵に

     こととふものは谷のうぐひす

              西行法師(玉葉集)

 

によるものか。

 

季語は「打かすむ」で春、聳物。「山」「谷」は山類。「庵」は居所。

 

二十四句目

 

   打かすむ山ふかうして谷の庵

 わらびよぢ折る(こけ)衣手(ころもで)      松臼

 (打かすむ山ふかうして谷の庵わらびよぢ折る苔の衣手)

 

 山に隠棲する者は、春には苔の上の早蕨を取って食っている。

 春と言えば早蕨(さわらび)で、

 

 岩そそぐ垂水(たるみ)の上のさわらびの

     萌え()づる春になりにけるかな

              ()(きの)皇子(みこ)(新古今集)

 

の歌は百人一首でもよく知られている。

 

季語は「わらび」で春、植物、草類。「衣手」は衣裳。

 

二十五句目

 

   わらびよぢ折る苔の衣手

 これも又王土(わうど)をめぐる(はち)ひらき   一鉄

 (これも又王土をめぐる鉢ひらきわらびよぢ折る苔の衣手)

 

 王土は王の支配する土地という意味で、ここでは天皇の支配の及ぶ日本中どこでもということか。

 鉢開きはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鉢開」の解説」に、

 

 「① 鉢の使いはじめ。

  ※咄本・醒睡笑(1628)七「今日の振舞は、ただ亭主の鉢びらきにて候」

  ② 鉢を持った僧形の乞食。女の乞食を鉢開婆・鉢婆という。鉢坊主。乞食坊主。」

 

で②の意味であろう。鉢坊主とも言う。後の『炭俵』の「空豆の花」の巻二十句目に、

 

   不届な隣と中のわるうなり

 はっち坊主を上へあがらす    利牛

 

の句がある。

 乞食坊主なので、道端の食べられそうなものはみんな取って食う。

 

無季。釈教。「鉢ひらき」は人倫。

 

二十六句目

 

   これも又王土をめぐる鉢ひらき

 慈悲はこころの鬼をほろぼす     雪柴

 (これも又王土をめぐる鉢ひらき慈悲はこころの鬼をほろぼす)

 

 鉢坊主の功徳(くどく)を述べる。

 一般論として、こうした乞食坊主であっても、仏の慈悲が人の心の邪悪なものを滅ぼすことを説いて回る所に、その存在理由がある。

 

無季。釈教。

 

二十七句目

 

   慈悲はこころの鬼をほろぼす

 わつさりと一たび(はな)せなふ女郎(じょらう)   卜尺

 (わつさりと一たび咄せなふ女郎慈悲はこころの鬼をほろぼす)

 

 「わっさり」は今のさっぱりする、というのに近い。

 「心の鬼」の最たるものは恋の嫉妬の心。

 江戸時代の遊郭は出会い系に近く、単純に金で一時の快楽を買うわりきった関係ではなかった。そのため、客の男は遊女に他の客を取らないように貞操を求めることも多かった。

 客の男の嫉妬心は遊女からすれば悩みの種で、それをなだめるために起請文を配ったりもした。貞享二年の「涼しさの」の巻七十一句目に、

 

   小女郎小まんが大根引ころ

 血をそそぐ起請もふけば翻り   コ齋

 

の句がある。血判を押した起請文も実際は形だけのものだった。

 『ひさご』の「(あぜ)(みち)やの巻」九句目の、

 

   片足片足の木履たづぬる

 誓文を百もたてたる別路に    正秀

 

の誓文も起請文のこと。

 だいたいは遊女の立場を理解して、起請文はそういうもんだと腹を立てないのが粋な遊び人なのだが、中にはそれで逆上して、爪を()いでよこせ、さらには指を詰めろとか言う男も結構いたようだ。

 卜尺の句は、嘘の起請文ではなく、正直に話せ、と迫る。それで本当のことを知っても許してやる慈悲の心があれば、男の心の鬼も滅びるのだが、なかなかそうもいかない。

 

無季。恋。「女郎」は人倫。

 

二十八句目

 

   わつさりと一たび咄せなふ女郎

 うき名は(なん)のそれからそれ(まで)    一朝

 (わつさりと一たび咄せなふ女郎うき名は何のそれからそれ迄)

 

 「それからそれ(まで)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「其からそれまで」の解説」に、

 

 「限られたそれだけのこと。それまでのことだ。やむを得ない。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「うき名は何のそれからそれ迄〈一朝〉 御仕置ややぶれかぶれの衆道事〈松意〉」

 

とある。

 遊郭の浮名は遊郭の中だけのことだ。とはいえ、奥さんは何と思うことか。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   うき名は何のそれからそれ迄

 御仕置(おしおき)ややぶれかぶれの(しゅ)道事(どうごと)   松意

 (御仕置ややぶれかぶれの衆道事うき名は何のそれからそれ迄)

 

 男色が発覚すると、武家の場合は処分を受けることもあったが、西鶴の『男色(なんしょく)大鏡(おおかがみ)』では、わりと穏便に済まされることが多かったようだ。男女の不倫が死罪になる時代にしては緩かったと言えよう。

 まあそういうことで、御仕置きなど恐れずやっちまえ、ということになる。

 

無季。恋。

 

三十句目

 

   御仕置ややぶれかぶれの衆道事

 家老をはじめすでに(つけ)ざし     在色

 (御仕置ややぶれかぶれの衆道事家老をはじめすでに付ざし)

 

 付けざしは口を付けた煙草や盃を回す、一種の間接キスで、宗因独吟の「花で候」第三にも、

 

   夢の間よただわか衆の春

 付ざしの(かすむ)底からしゆんできて  宗因

 

の句がある。

 家老を初め、多くの男たちが付けざしをしたというから、相当な美少年だったのだろう。まあ、家老まで巻き込んでしまえば御仕置きもできないという所か。

 

無季。恋。「家老」は人倫。

 

三十一句目

 

   家老をはじめすでに付ざし

 城の内あすをかぎりの八九人   松臼

 (城の内あすをかぎりの八九人家老をはじめすでに付ざし)

 

 ここでは衆道を離れて、籠城戦(ろうじょうせん)にも敗れ、切腹を覚悟した武将たちの最後の盃とする。

 

無季。「八九人」は人倫。

 

三十二句目

 

   城の内あすをかぎりの八九人

 しまひ普請(ぶしん)のから堀の月      志計

 (城の内あすをかぎりの八九人しまひ普請のから堀の月)

 

 前句の「あすをかぎり」を城内の工事の終わりとする。お堀の補修だったか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十三句目

 

   しまひ普請のから堀の月

 金山(かなやま)の秋をしらする雁(なき)て     雪柴

 (金山の秋をしらする雁鳴てしまひ普請のから堀の月)

 

 金山(かなやま)は鉱山のことで、しまい普請は閉山のことか。月に雁の声が心の秋を知らせる。

 「秋をしらする」は

 

 風吹くに靡く浅茅は我なれや

     人の心の秋を知らする

              斎宮(さいぐうの)女御(にょうご)(後拾遺集)

 

の用例がある。

 月に雁は、

 

 さ夜なかと夜はふけぬらし雁金の

     きこゆるそらに月わたる見ゆ

              よみ人しらず(古今集)

 大江山かたぶく月の影冴えて

     とはたのおもに落つる雁金

              慈円(新古今集)

 

など多くの歌に詠まれている。

 

季語は「秋」で秋。「金山」は山類。「雁」は鳥類。

 

三十四句目

 

   金山の秋をしらする雁鳴て

 訴訟のことは菊の花(さく)       正友

 (金山の秋をしらする雁鳴て訴訟のことは菊の花咲)

 

 江戸時代の訴訟というと境界争いが多かったようだが、鉱山の権利などでももめることがあったのだろう。「訴訟のことは聞く」に「菊」を掛ける。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。

 

三十五句目

 

   訴訟のことは菊の花咲

 (わが)宿の組中(くみちう)名ぬし(まかり)(いで)       一朝

 (我宿の組中名ぬし罷出訴訟のことは菊の花咲)

 

 組中(くみちう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「組中」の解説」に、

 

 「① 組にはいっている人全部。

  ② 組の仲間。同業者。また、江戸時代の五人組の仲間。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「訴訟のことは菊の花咲〈正友〉 我宿の組中名ぬし罷出〈一朝〉」

 

とあり、名主は「精選版 日本国語大辞典「名主」の解説」に、

 

 「③ 江戸時代、江戸の各町にあり、町年寄の支配を受け、町政一般を行なったもの。町名主。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「訴訟のことは菊の花咲〈正友〉 我宿の組中名ぬし罷出〈一朝〉」

 

とある。ちなみにこの興行に参加している卜尺も日本橋大舟町の名主だった。

 訴訟というと名主の出番だったか。

 

無季。「宿」は居所。「名ぬし」は人倫。

 

三十六句目

 

   我宿の組中名ぬし罷出

 売渡し(まうす)軒の下風         一鉄

 (我宿の組中名ぬし罷出売渡し申軒の下風)

 

 名主が何しに出てきたと思ったら、この家を売るという話だった。

 下風という言葉は和歌では、「花の下風」「森の下風」「松の下風」「葛の下風」など、大体は植物の下を吹く風を言う。「軒の下風」の用例もあるが、植物と合わせて用いる。

 

 皆人の袖に匂ひぞあまりぬる

     花橘の軒の下風

              藤原家(ふじわのらいえ)(たか)(壬二集)

 かたしきの小夜の枕にかよふなり

     あやめに薫る軒の下風

              藤原(ふじわらの)実房(さねふさ)(新続古今集)

 

などの例がある。

 

無季。「軒」は居所。

二裏

三十七句目

 

   売渡し申軒の下風

 (ひとつ)(この)ざうりわらんぢ雨(すぎ)て     在色

 (一此ざうりわらんぢ雨過て売渡し申軒の下風)

 

 雨宿りのついでに草履や草鞋を買ってゆく。

 今で言うとコンビニでトイレを借りた時に缶コーヒーを買ってくような感覚か。

 草履(ぞうり)草鞋(わらじ)は消耗品で、「二束三文」と言われるくらい安いので、雨宿りして何も買ってゆかないのも、という時に買っていったのだろう。

 

無季。「ざうりわらんぢ」は衣裳。「雨」は降物。

 

三十八句目

 

   一此ざうりわらんぢ雨過て

 死骸をおくる山ほととぎす      卜尺

 (一此ざうりわらんぢ雨過て死骸をおくる山ほととぎす)

 

 前句の草履草鞋を死出の旅のものとして、遺骸に添える。

 ホトトギスの口の中が赤いのは、悲しみのあまりにに血を吐くまで鳴いたからだと言われている。

 正岡子規の「子規」という号は結核で血を吐いたからだと言われているし、アララギ派の和歌の、

 

 のど赤き(つば)(くらめ)ふたつ屋梁にゐて

     足乳根の母は死にたまふなり

              斎藤茂吉

 

歌も、(つば)(くらめ)をホトトギスの代用として用いている。

 井上陽水の父のみまかりし時に作ったという「帰郷」という唄にも、「喉に血反吐見せて狂い鳴く/あわれあわれ山のほととぎす」の歌詞がある。

 雨の(やま)郭公(ほととぎす)には、

 

 昔思ふ草の庵の夜の雨に

     泪な添えそ(やま)(ほとと)(ぎす)

              藤原俊成(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。無常。「山」は山類。

 

三十九句目

 

   死骸をおくる山ほととぎす

 奥の院花たちばなや匂ふらん   志計

 (奥の院花たちばなや匂ふらん死骸をおくる山ほととぎす)

 

 大きな寺院の奥の院は山の中にあることが多い。お寺で葬儀を行うと、奥の院の方からホトトギスの声が聞こえてくる。あの辺りでは花橘が香り、故人の袖の香を偲ばせるのだろうか。

 橘と言えば、

 

 五月待つ花橘の香をかげば

     昔の人の袖の香ぞする

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌がよく知られていて、「昔の人」は故人の意味にも転用できる。

 郭公に橘は、

 

 宿りせし花橘もかれなくに

     などほととぎす声絶えぬらむ

              大江(おおえの)千里(ちさと)(古今集)

 色かへぬ花橘に郭公

     ちよをならせる声きこゆなり

              よみ人しらず(後撰集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「花たちばな」で夏、植物、木類。釈教。

 

四十句目

 

   奥の院花たちばなや匂ふらん

 むかしは誰がたてし(じゃう)(とう)      松意

 (奥の院花たちばなや匂ふらんむかしは誰がたてし常灯)

 

 (じゃう)(とう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常灯」の解説」に、

 

 「① 神仏の前にいつも点灯しておく火。みあかし。常灯明。長明灯。定灯。

  ※宇津保(970999頃)藤原の君「比叡の中堂に、しゃうとうを奉り給」

  ※太平記(14C後)五「山門の根本中堂の内陣へ山鳩一番飛び来て、新常燈(じゃうトウ)の油錠(あぶらつき)の中に飛入て」

  ② 江戸時代、千貫目以上の長者が金蔵(かねぐら)に点灯した常夜灯。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二六「高野遠し其外爰にも難波寺 末世の奇特常灯の影」

  ③ 街路、つじなどに夜の間点灯しておくあかり。街灯。

  ※花柳春話(187879)〈織田純一郎訳〉一「子是れより左に路を取らば必ず常燈あり」

 

とある。こんな山奥の奥の院に、昔の人はどうやってこんな重い常灯を運んで建てたんだろうか、と不思議になることがある。

 橘に昔は前述の「五月待つ」の歌の縁。

 

無季。「誰」は人倫。「常灯」は夜分。

 

四十一句目

 

   むかしは誰がたてし常灯

 舟(いり)も広きめぐみの守護代リ    正友

 (舟入も広きめぐみの守護代リむかしは誰がたてし常灯)

 

 守護代(しゅごだい)は都に入る守護に変わって領地を治める人で、ここでは語数の関係から「しゅごかわり」とする。

 前句の常灯を海の灯台のこととして、昔の守護代が建てたとする。

 

無季。「舟入」は水辺、「守護代り」は人倫。

 

四十二句目

 

   舟入も広きめぐみの守護代リ

 四面(しめん)にさうかの歌うたつてくる   松臼

 (舟入も広きめぐみの守護代リ四面にさうかの歌うたつてくる)

 

 四面楚歌という言葉はあるが、ここではそれをもじって四面の早歌とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「早歌」の解説」に、

 

 「① 催馬楽(さいばら)や神楽歌で、ふつうより拍子の速いうた。はやうた。

  ※神楽歌(9C後)「早歌」

  ② (「そうが」とも。やや速いテンポで歌われたことに基づく名称という) 中世、武家を中心に貴族・僧侶などの間に流行した宴席のうたいもの。初めは扇拍子で歌われ、沙彌明空(しゃみみょうぐう)によって集大成された。現爾也娑婆(げにやさば)。理里有楽(りりうら)。宴曲。

  ※梁塵秘抄口伝集(12C後)一〇「我独り雑芸集をひろげて、四季の今様・法文・早歌に至るまで、書きたる次第を謡ひ尽くす折もありき」

  ※徒然草(1331頃)一八八「仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌と云ふことを習ひけり」

  [補注]①については一説に「雑歌(ぞうか)」と同じとも、また、本と末をすばやく応答していく歌ともいわれる。」

 

とある。

 守護代の仕事はと言うと、宴会を開いて地元の名士・業者をもてなすことだ。地元との関係が良好なら至る所で宴会が開かれ、早歌の声が聞こえてくる。

 

無季。

 

四十三句目

 

   四面にさうかの歌うたつてくる

 銭さしに(なみだ)つらぬく夜の空     一鉄

 (銭さしに泪つらぬく夜の空四面にさうかの歌うたつてくる)

 

 宴会は金のかかる物で、宴会が続くと懐が淋しくなる。これが本当の四面早歌。

 

無季。「夜」は夜分。

 

四十四句目

 

   銭さしに泪つらぬく夜の空

 念仏講も(かけ)てゆく月        雪柴

 (銭さしに泪つらぬく夜の空念仏講も欠てゆく月)

 

 念仏講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念仏講」の解説」に、

 

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。

  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」

  ② (①で、鉦(かね)を打つ人を中心に円形にすわる、または大数珠を回すところから) 大勢の男が一人の女を入れかわり立ちかわり犯すこと。輪姦。

  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「是へよびて歌うたはせ、小遣銭少しくれて、念仏講(ネンブツカウ)にせよと」

 

とある。

 さすがに②ではないだろう。①の意味で念仏講のメンバーから死者が出ると、集めたお金で葬式代を出す。不幸が続くと人も欠けて行くし銭もなくなってゆく。それを満月以降の欠けてゆく月に喩える。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

四十五句目

 

   念仏講も欠てゆく月

 相店(あひだな)の人の世中(よのなか)すゑの露      卜尺

 (相店の人の世中すゑの露念仏講も欠てゆく月)

 

 相店(あひだな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「相店」の解説」に、

 

 「〘名〙 同じ棟の中にともに借家すること。また、その借家人。相借家(あいじゃくや)。相長屋(あいながや)

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「念仏講も欠てゆく月〈雪柴〉 相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉」

  ※咄本・鹿の子餠(1772)俄道心「相店(アイタナ)の八兵衛、欠落(かけおち)して行衛しれず」

 

とある。

 今回亡くなった念仏講のメンバーは相店の借家人だった。人の死も悲しいが、店が存続できるかどうかも不安だ。今で言えばテナントビルのオーナーが亡くなって、余所(よそ)に売却されたようなものか。

 

季語は「露」で秋、降物。「人」は人倫。

 

四十六句目

 

   相店の人の世中すゑの露

 分散(ぶんさん)何々(なになに)なく虫の声        一朝

 (相店の人の世中すゑの露分散何々なく虫の声)

 

 分散はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「分散」の解説」に、

 

 「② 江戸時代、競合した多数債権を償うことができない債務者が債権者の同意を得て、自己の全財産を彼らに委付して、その価額を各債権に配当すること。現在の破産にあたる。分散仕舞。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉 分散何々なく虫の声〈一朝〉」

 

とある。

 相店のオーナーが破産し、分散仕舞いになる。行き場を失った小さな店は行き場がなく、秋の鳴く虫の声が絶えて行くように消えて行く。

 虫の音の露は、

 

 命とて露を頼むにかたければ

     ものわびしらに鳴く野辺の虫

              よみ人しらず(古今集)

 おぼつかないづこなるらん虫のねを

     たつねは草の露やみだれん

              藤原為頼(ふじわらのためより)(拾遺集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「虫の声」で秋、虫類。

 

四十七句目

 

   分散何々なく虫の声

 舟板のわれからくぐるあかの道  松意

 (舟板のわれからくぐるあかの道分散何々なく虫の声)

 

 ワレカラはウィキペディアに、

 

 「ワレカラ(割殻、破殻、吾柄、和礼加良)は海洋に生息する小型の甲殻類である。海藻の表面に多数見いだされるほか、深海底にも生息している。ヨコエビと近縁で端脚目に分類されるが、腹節および尾節が著しい退化傾向にあり、身体の大部分が頭部および胸部により構成される。多くの種において、身体を屈伸させるほかに単独で水中を移動する術はなく、専ら生息基質である大型藻類等の表面に定位し、デトリタスや藻類を食べる。」

 

とある。海藻に付着することが多く、「ワレカラ喰わぬ上人なし」と言われるくらい、いくら殺生(せっしょう)をしないと言ってる偉い坊さんでも、知らずに食っていることが多かった。

 「あかの道」の「あか」は垢で、水垢のことであろう。

 舟板に付着していたワレカラが、水垢と一緒に洗い落とされると、固まっていたワレカラが分散してゆく。ワレカラが鳴くわけではないが、心の中で鳴いているようだ。

 

無季。「舟板」は水辺。「われから」は虫類。

 

四十八句目

 

   舟板のわれからくぐるあかの道

 あらがねの土うがつ穴蔵(あなぐら)      在色

 (舟板のわれからくぐるあかの道あらがねの土うがつ穴蔵)

 

 「あらがね」は鉱物の原石のこと。

 前句を「舟板の割れから」と取り成して、水垢の付着した廃船の割れ目をくぐって、鉱物の原石を含んだ土を穴蔵へと運ぶ。

 

無季。

 

四十九句目

 

   あらがねの土うがつ穴蔵

 (ひさ)(かた)天目(てんもく)(はないけ)瀬戸物屋      松臼

 (久堅の天目花生瀬戸物屋あらがねの土うがつ穴蔵)

 

 天目茶碗でよく知られている(よう)(へん)天目(てんもく)は、鬼板(おにいた)という鉄分を多く含む鉱物が用いられているという。

 曜変天目の花瓶を作る瀬戸物屋には(あら)(がね)が穴蔵に仕舞われている。

 天目に枕詞の「久かた」を付ける。

 

季語は「花生」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   久堅の天目花生瀬戸物屋

 目利(めきき)はいかが見る庭の梅      志計

 (久堅の天目花生瀬戸物屋目利はいかが見る庭の梅)

 

 曜変天目の真贋を見分ける目利きは、庭の梅をどう思ってみるのか。

 

 雪ふれば木ごとに花ぞさきにける

     いづれを梅とわきてをらまし

              紀友則(きのとものり)(古今集)

 

の歌のように、雪と梅を見分けることができるか。簡単だとは思うが。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「庭」は居所。

三表

五十一句目

 

   目利はいかが見る庭の梅

 ()(がは)りや大宮人(おほみやびと)御座直(ござなほ)し     雪柴

 (出替りや大宮人の御座直し目利はいかが見る庭の梅)

 

 御座直しはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御座直」の解説」に、

 

 「① 謁見のとき、主君が座を直して、その人に敬意を表すること。

  ※随筆・松屋筆記(181845頃)九三「御座(ゴザ)直しの侍、御目見えの時、君の御座を直し給ふは臣下の面目也」

  ② (寝所を用意する女の意) (めかけ)、かこいものなどをいう。御座敷女。筵敷(むしろしき)

  ※俳諧・談林十百韻(1675)「出替りや大宮人の御座直し〈雪柴〉 けはひけすりてけふもくらしつ〈正友〉」

 

とある。②の用例になっているが、「大宮人の」と付くから「おましどころ」の意味の御座を他の人と交代するということかもしれない。

 大宮人であれば、贅を尽くした調度を用いているから、次に交代でその(つぼね)を使う人が残して行った調度の値踏みをしたついでに庭の梅を見たのかもしれない。

 

季語は「出替り」で春。「大宮人」は人倫。「御座」は居所。

 

五十二句目

 

   出替りや大宮人の御座直し

 けはひけずりてけふもくらしつ    正友

 (出替りや大宮人の御座直しけはひけずりてけふもくらしつ)

 

 ここで②の意味の御座直しで、大宮人の妾がその後ろ盾を失い、荒れた蓬生の宿で化粧する金も削って暮らす、とする。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、

 

 ももしきの大宮人はいとまあれや

     さくらかざしてけふもくらしつ

              山部赤人(やまべのあかひと)(新古今集)

 

の歌を引いている。「大宮人」「けふもくらしつ」の位置が一致しているので、パロディーとも取れる。

 

無季。

 

五十三句目

 

   けはひけずりてけふもくらしつ

 (おもかげ)やきり狂言におしむらん     一朝

 (俤やきり狂言におしむらんけはひけずりてけふもくらしつ)

 

 きり狂言はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切狂言」の解説」に、

 

 「① 歌舞伎の一日の上演狂言のうち、最終に演じる狂言。元祿期の上方から起こり、本狂言にそえた短時間のもの。のちに江戸では二番目狂言の終わりにつけた所作事をいう。切(きり)。大切(おおぎり)

  ※評判記・役者評判蚰蜒(1674)ゑびすや座惣論「初太か小指のきり狂言にとうがらしの赤へたもなく山さるののふなしもまれにして」

  ② 物事の終わり。おしまい。

  ※譬喩尽(1786)六「切狂言(キリキャウゲン)じゃ 浄瑠璃より出たる語にして物の終に用る詞」

 

とある。

 歌舞伎役者とは言っても、この頃はまだ野郎歌舞伎の創成期で、市川なんちゃらのような千両役者の登場はまだ先のことだったのだろう。舞台の華やかさとは裏腹に、舞台を降りると侘しい生活をしている。

 

無季。

 

五十四句目

 

   俤やきり狂言におしむらん

 半畳(しき)ても命さまなら       一鉄

 (俤やきり狂言におしむらん半畳敷ても命さまなら)

 

 半畳は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

 「劇場の切落し(大入場)の土間などで、観客に貸す一尺五寸四方の畳・茣蓙。新小夜嵐物語に「半畳の銭五文」とある。」

 

とある。

 命様はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「命様」の解説」に、

 

 「〘名〙 男の心を奪うような美女への呼びかけ。また、その女。男色の相手をいう場合もある。命とり。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「俤やきり狂言におしむらん〈一朝〉 半畳敷ても命さまなら〈一鉄〉」

 

とある。

 若衆歌舞伎の時代は衆道の売春もやっていたが、この時代だと普通に「押し」のことではないか。前句の「おしむ」を入場料を惜しんでの、半畳敷の安い席で応援とする。

 

無季。

 

五十五句目

 

   半畳敷ても命さまなら

 護摩(ごま)の壇思ひの(けぶり)よこをれて    在色

 (護摩の壇思ひの烟よこをれて半畳敷ても命さまなら)

 

 護摩はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「護摩」の解説」に、

 

 「〘名〙 (homa 焚焼、火祭の意) 仏語。真言密教の修法の一つ。不動明王または愛染明王の前に護摩壇を設け、護摩木を焚()いて、息災、増益(ぞうやく)、降伏(ごうぶく)などを祈るもの。しかし護摩には内外の二種があって、実際に護摩壇を設けて行なう修法を外護摩といい、内心に智火をもやして煩悩(ぼんのう)を焼除するのを内護摩という。

 ※続日本後紀‐嘉祥三年(850)二月丙子「又於二豊楽院一、令下真言宗修中護摩法上」

  ※十善法語(1775)九「火天の法、護摩あり、事火婆羅門は殊に敬重す」

  [語誌](1)元来、バラモン教で火神アグニを供養するために、供物を焚焼する儀礼があり、これが密教にとり入れられたもの。

  (2)密教の護摩は人間の煩悩を智慧の火で焼尽する修法である。祈願を書いた板や紙を護摩札といい、護符として用いられた。また護摩木の燃え残りや灰を服用したり、お守りとすることがあり、高野山奥院の護摩の灰は有名であった。」

 

とある。

 半畳敷きの祭壇で護摩を焚いて、その煙が命様の元に届くことを願う恋心とする。 間違って護摩の匂いの染み付いた生き霊を飛ばしちゃったりして。

 

無季。釈教。「烟」は聳物。

 

五十六句目

 

   護摩の壇思ひの烟よこをれて

 ししつと笑ひさる狐つき       卜尺

 (護摩の壇思ひの烟よこをれてししつと笑ひさる狐つき)

 

 護摩を焚くのを狐憑きを治すためとする。「ししっ」と不気味な笑いを残して狐は去って行く。

 

無季。「狐」は獣類。

 

五十七句目

 

   ししつと笑ひさる狐つき

 (このしろ)や舟ばたをたたいて(とり)(あげ)たり   志計

 (鮗や舟ばたをたたいて取上たりししつと笑ひさる狐つき)

 

 鮗はコノシロ。焼くと人の死体を焼く時に似た独特な匂いと言うので、そこから子の代りに焼きいたからコノシロという伝説が生じた。ウィキペディアに、

 

 「むかし下野国の長者に美しい一人娘がいた。常陸国の国司がこれを見初めて結婚を申し出た。しかし娘には恋人がいた。そこで娘思いの親は、「娘は病死した」と国司に偽り、代わりに魚を棺に入れ、使者の前で火葬してみせた。その時棺に入れたのが、焼くと人体が焦げるような匂いがするといわれたツナシで、使者たちは娘が本当に死んだと納得し国へ帰り去った。それから後、子どもの身代わりとなったツナシはコノシロ(子の代)と呼ばれるようになった。」

 

とある。芭蕉も『奥の細道』の室の八島のところで、

 

 「(はた)このしろといふ魚を禁ず。縁起の(むね)世に伝ふ事も侍りし。」

 

と記している。

 この句の場合は「取上げたり」とあるから、船に上がったコノシロを、狐憑きの女がししっと笑って、自分の子供が生まれたみたいにコノシロを取り上げたということか。今でいう糖質か。

 

無季。「舟ばた」は水辺。

 

五十八句目

 

   鮗や舟ばたをたたいて取上たり

 源平たがひにたうがらし味噌     松意

 (鮗や舟ばたをたたいて取上たり源平たがひにたうがらし味噌)

 

 「源平たがひに」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「平家物語に材を得た謡曲の常套句」とあるが、野上豊一郎の『解註謡曲全集』を検索した限りでは、謡曲『八島(やしま)』の、

 

 「もとの渚はここなれや。源平互ひに矢先を揃へ、船を組み駒を並べて、うち入れうち入れ足なみに、(くつばみ)(ひた)して攻め(たたこ)ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.15529-15533). Yamatouta e books. Kindle .

 

と謡曲『(かげ)(きよ)』の、

 

 「さもうしや方方(かたがた)よ、源平(げんぺい)互ひに見る目も恥かし。一人(いちにん)()めんことは案のうち物、小脇にかいこんで、何某(なにがし)は平家の(さぶらい)悪七兵衛(あくしちびょうゑ)景清と、名乗りかけ名乗りかけ手どりにせんとて追うて行く。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.60590-60597). Yamatouta e books. Kindle .

 

の二例がヒットした。

 唐辛子味噌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「唐辛子味噌」の解説」に、

 

 「〘名〙 味噌に、唐辛子を混ぜて、味醂(みりん)で伸ばし、とろ火でねり上げたもの。田楽や風呂吹大根などにつける。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「や舟ばたをたたいて取上たり〈志計〉 源平たがひにたうからし味噌〈松意〉」

 

とある。前句の「取上たり」を奪ったという意味に取り成して、コノシロを失った源平双方とも唐辛子味噌の田楽で我慢した、ということか。

 

無季。

 

五十九句目

 

   源平たがひにたうがらし味噌

 さもしやなかたがたは皆やつこ(ふう)  正友

 (さもしやなかたがたは皆やつこ風源平たがひにたうがらし味噌)

 

 「さもしやなかたがた」は前述の謡曲『景清』の「さもうしや方方(かたがた)よ、源平(げんぺい)互ひに見る目も恥かし」で、やっこ姿だから見る目も恥ずかしく、いかにも貧しそうに田楽を食っている。貧乏な野郎歌舞伎役者であろう。

 

無季。「やつこ」は人倫。

 

六十句目

 

   さもしやなかたがたは皆やつこ風

 (かね)にはめでじ恋はいきごみ     松臼

 (さもしやなかたがたは皆やつこ風金にはめでじ恋はいきごみ)

 

 貧しい奴の恋は金に物を言わすのではなく、脅迫まがいの意気込みで落とそうとする。

 

無季。恋。

 

六十一句目

 

   金にはめでじ恋はいきごみ

 労瘵(らうさい)の声にひかれて(そん)をいだき   一鉄

 (労瘵の声にひかれて樽をいだき金にはめでじ恋はいきごみ)

 

 (らうさい)(ろう)(さい)(ぶし)であろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「弄斎節」の解説」に、

 

 「江戸時代初期の流行歌謡。癆瘵、朗細、籠済などとも記す。隆達節に続いて寛永(かんえい)162444)ごろに京都で流行し、その後江戸でも流行して「江戸弄斎」とよばれた。語源については、癆瘵(ろうさい)という病気にかかった人のように曲調が陰気であったため(嬉遊笑覧(きゆうしょうらん))とか、朗らかな声で節細かく歌うため(異本洞房(どうぼう)語園)とか、籠済(ろうさい)という浮かれ坊主が始めたため(昔々物語)など諸説があるが、いずれもさだかではない。元禄(げんろく)期(16881704)にはまったく廃れているので、曲節は現存しないが、詞章は江戸時代の歌本類のなかに相当数散見できる。詞型の多くは七七七五調の近世小歌調を基本としており、三味線にあわせて歌ったものと思われる。八橋検校(やつはしけんぎょう)の箏(そう)曲『雲井弄斎』や佐山検校の同名の長歌(ながうた)物など、芸術音楽にも取り入れられているが、曲節の関係については不明である。[千葉潤之介]」

 

とある。

 樽には「そん」とルビがある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、謡曲『千手(せんじゅ)』の、

 

 「今日の雨中(うちう)(いうべ)の空、(おん)つれづれを慰さめんと、(そん)(いだ)きて参りつつ(すで)酒宴(しゅえん)を始めんとす。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.26293-26298). Yamatouta e books. Kindle .

 

の一節を引用していて、ここでは樽は「そん」と読む。

 後の俳諧では「たる」でも良かったところも、この時代は謡曲の出典のある言葉でないと多くの人に伝わらないという事情があったのかもしれない。「樽を抱きて」はこの出典がある限り、宴会の酒樽に限定される。

 前句を弄斎節の歌詞として、宴会の場面に転じる。

 

無季。恋。

 

六十二句目

 

   労瘵の声にひかれて樽をいだき

 内二階より(きゃら)追風(おひかぜ)       雪柴

 (労瘵の声にひかれて樽をいだき内二階より伽羅の追風)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、同じ謡曲『千手』に、「樽をいだき」のだいぶ前の方に、

 

 「(つま)()をきりりと押し開く。御簾(みす)追風(おひかぜ)匂ひ来る、花の都人(みやこびと)に、恥かしながら()みえん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.26239-26243). Yamatouta e books. Kindle .

 

とあることを指摘している。御簾は香を焚き込むもので、御簾の追風を伽羅の追風としてもおかしくはない。

 とはいえ前句が弄斎節で江戸時代の遊郭。千手の前は御簾ではなく内二階(中二階)にいる。

 

無季。恋。「内二階」は居所。

 

六十三句目

 

   内二階より伽羅の追風

 ことさやぐ唐人(たうじん)宿(やど)の月を見て    卜尺

 (ことさやぐ唐人宿の月を見て内二階より伽羅の追風)

 

 唐人宿はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「指宿・差宿」の解説」の、

 

 「② 江戸時代、長崎に入港し、最初市内に宿泊することを許された中国の商人が指定した宿舎。寛文七年(一六六七)に禁止され、以後、各町が順番に彼らを宿泊させる宿町の制がとられ、さらに、元祿二年(一六八九)唐人屋敷を作り、ここに宿泊せしめた。」

 

とある、寛文七年に禁止された指宿以降で、元禄二年の唐人屋敷以前の中国人の商人が泊った宿であろう。やはり接待する遊女がいて、伽羅の香りがしたのだろう。

 「ことさやぐ」は外国人の意味の分からない言葉のざわざわいう音を表す。

 「さやぐ」は笹の葉などのざわざわいう音で、和歌では「笹の葉」「霜」と一緒に用いられることが多い。

 

 さかしらに夏は人まね笹の葉の

     さやぐ霜夜を我がひとり寝る

              よみ人しらず(古今集)

 君こずはひとりや寝なむ笹の葉の

     みやまもそよにさやぐ霜夜を

              藤原(ふじわらの)(きよ)(すけ)(新古今集)

 

などの用例がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「唐人宿」は居所。

 

六十四句目

 

   ことさやぐ唐人宿の月を見て

 長き夜食(やしょく)のにはとりぞなく     一朝

 (ことさやぐ唐人宿の月を見て長き夜食のにはとりぞなく)

 

 外国人の声が騒がしくて眠れなかったのであろう。唐人がこういう時に夜食にしている鶏が、朝の時を告げる。

 

季語は「長き夜食」で秋、夜分。

三裏

六十五句目

 

   長き夜食のにはとりぞなく

 下冷(したびえ)や衣かたしく骨うづき     松意

 (下冷や衣かたしく骨うづき長き夜食のにはとりぞなく)

 

 「衣かたしく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衣片敷く」の解説」に、

 

 「着物の片そでを下に敷く。ひとり寝をすることをいう。

  ※万葉(8C後)九・一六九二「吾が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷(ころもかたしき)独りかも寝む」

 

とある。寒い時に衣を敷いただけの湯かで寝れば、体のあちこちが痛くなるのもわかる。

 「衣かたしき」というと、

 

 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに

     衣かたしき一人かもねむ

              藤原(ふじわらの)(よし)(つね)(新古今集)

 

の歌が百人一首でもよく知られているが、他にも、

 

 白妙の衣かたしき女郎花

     咲ける野辺にぞ今宵寝にける

              紀貫之(後撰集)

 さゆる夜に衣かたしき思ひやる

     冬こそまされ人のつらさは

              藤原(ふじわらの)(きよ)(すけ)(久安百首)

 

などの歌がある。

 

季語は「下冷」で秋。「衣」は衣裳。

 

六十六句目

 

   下冷や衣かたしく骨うづき

 (うち)たをされし道芝の露       在色

 (下冷や衣かたしく骨うづき打たをされし道芝の露)

 

 野宿の衣かたしきで、寝返りを打っているうちに、付近の道芝がなぎ倒され、その露に濡れる。

 

季語は「露」で秋、降物。「道芝」は植物、草類。

 

六十七句目

 

   打たをされし道芝の露

 (おひ)からし昨日はむかし馬捨場(すてば)    松臼

 (追からし昨日はむかし馬捨場打たをされし道芝の露)

 

 家畜は死ぬと()()の人たちがやって来て即座に解体し、使える部位を持ち去った後、専門の馬捨場に処分される。それが死ぬまで働かされた馬の末路だった。

 

無季。「馬」は獣類。

 

六十八句目

 

   追からし昨日はむかし馬捨場

 志賀のみやこにたかる青蠅     志計

 (追からし昨日はむかし馬捨場志賀のみやこにたかる青蠅)

 

 志賀の都というと、

 

 さざなみや志賀の都は荒れにしを

     昔ながらの山桜かな

              よみ人しらず(千載集)

 

の歌が有名で、『平家物語』では(たいらの)忠度(ただのり)の歌とされている。ここでは「荒れにしを」を導き出すだけの言葉で、使い捨てられた馬は荒れ果てて、蠅がたかる。

 青蠅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「青蠅」の解説」に、

 

 「① クロバエ科のハエのうちで、からだが青黒く、腹に光沢のある大形のものの総称。あおばい。くろばえ。くろるりばえ。《季・夏》

  ※宇津保(970999頃)国譲下「恋ひ悲しび、待ち居て、あをばへのあらんやうに立ち去りもせでおはすれば」

 

とある。

 

季語は「青蠅」で夏、虫類。「志賀」は名所。

 

六十九句目

 

   志賀のみやこにたかる青蠅

 から橋の松がね枕昼ね坊     雪柴

 (から橋の松がね枕昼ね坊志賀のみやこにたかる青蠅)

 

 志賀と言えば瀬田の唐橋(からはし)で、東海道と中山道が分かれる前の交通量の多い所。そんなところで松の根を枕に昼寝したまま、朝寝坊ならぬ昼寝坊している。蠅が寄ってくる。

 

 松が根の枕もなにかあだならむ

     玉のゆかとて常のとこかは

              ()徳院(とくいん)(千載集)

 

の歌は蝉丸の、

 

 世の中はとてもかくても同じこと

     宮も藁屋(わらや)もはてしなければ

              蝉丸(新古今集)

 

の心にも通じる。

 

無季。「から橋」は水辺。「松」は植物、木類。

 

七十句目

 

   から橋の松がね枕昼ね坊

 (くち)たる木をもえる丸太船     正友

 (から橋の松がね枕昼ね坊朽たる木をもえる丸太船)

 

 丸太船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「丸太舟」の解説」に、

 

 「① 中世末期以降、主として琵琶湖で用いられた丸子船。丸船。

  ※俳諧・紅梅千句(1655)六「湖の浪を枕に聞あきて〈貞徳〉 丸太舟にし明し暮しつ〈季吟〉」

  ② =まるた(丸太)②

  ※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)下「いや御僧とは空目かや、我もこがるる丸太舟浮世渡る一節を」

 

とある。丸木舟ではなく立派な和船で、丸太を二つわりにしたおも木が船腹に取りつけてあるのが大きな特徴だった。

 接岸するときのショック止めだったとすれば、朽ちた松の木を用いることもあったのだろう。

 

無季。「丸太船」は水辺。

 

七十一句目

 

   朽たる木をもえる丸太船

 (せき)(だい)や水緑にしてあきらか(なり)    一朝

 (石台や水緑にしてあきらか也朽たる木をもえる丸太船)

 

 (せき)(だい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「石台」の解説」に、

 

 「① 長方形の浅い木箱の四すみに把手(とって)をつけた植木鉢。箱庭を作ったり、盆栽を植えたりするのに用いた。

   ※俳諧・談林十百韻(1675)上「朽たる木をもえる丸太舟〈正友〉 石台や水縁にしてあきらか也〈一朝〉」

   ② 石の台座。銅像などの台石。

   ※俳諧・芭蕉庵小文庫(1696)伊賀新大仏之記「涙もおちて談(ことば)もなく、むなしき石台にぬかづきて」

   ③ 石のうてな。石の台。〔王建‐逍遙翁渓亭詩〕」

 

とある。箱庭に水は緑で表され、朽ちた木で船を作る。

 

無季。

 

七十二句目

 

   石台や水緑にしてあきらか也

 二十五間の物ほしの月      一鉄

 (石台や水緑にしてあきらか也二十五間の物ほしの月)

 

 一間は畳の盾の長さで、約1.8メートル。二十五間は約四十五メートル。途方もなく長い物干しざおがあったものだ。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

   帰雁     銭起

 瀟湘何事等閑回 水碧沙明両岸苔

 二十五絃弾夜月 不勝清怨却飛来

 

 何でこの瀟湘の地を見捨てて帰る。

 水は碧く砂は白く両岸は苔が生える。

 二十五絃の箏を月夜に弾けば、

 却って飛んで来るさ、侘しさにあらがえず。

 

の詩が引用されている。二十五絃は宗因独吟の「花で候」の巻九十一句目にも、

 

   おとどいながらちぎられにけり

 二十五絃半分わけの形見にて   宗因

 

の句があり、中国には古くから二十五弦の瑟(しつ)があり、四書五経にもその記述がある。『史記』は「太帝使素女鼓五十絃瑟、悲、帝禁不止、故破其瑟爲二十五絃。」という伝説を記し、その起源を伏羲にまで遡らせている。

 ちなみに五十絃の瑟は、

 

   謝公定和二範鞦懷五首邀予同作 黄庭堅

 四會有黄令 學古著勳多

 白頭對紅葉 奈此落何

 雖懷斲鼻巧 有斧且無柯

 安得五十絃 奏此寒士歌

 

 四会県には黄という令がいて、古典を学んですぐれた著作も多い。

 白髪頭で紅葉に向かっても、これを揺り落すことはできない。

 鼻を削ぐような技術があっても、ここにある斧は取っ手がない。

 どうして五十絃の瑟を得ることができよう、貧しい寒士の歌を奏でるのに。

 

の詩に登場する。

 二十五絃から二十五間の物干しざおとするが、それにしても長い。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

七十三句目

 

   二十五間の物ほしの月

 秋の空西にむかへば(かど)屋敷(やしき)     在色

 (秋の空西にむかへば角屋敷二十五間の物ほしの月)

 

 角屋敷はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「角屋敷」の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸古町の四つ角にあった屋敷、また、その所有者。所有者は、名主と同じく年の初めと大礼節に将軍に賜謁(しえつ)することができたため、御目見屋敷ともいう。天保(一八三〇‐四四)頃には四一軒あったといわれる。角屋。角屋の者。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「二十五間の物ほしの月〈一鉄〉 秋の空面にむかへば角屋敷〈在色〉」

 

とある。この場合は角屋敷までの道筋に二十五間くらい物干しざおを出している家が並んでいる、という意味になる。

 

季語は「秋」で秋。「門屋敷」は居所。

 

七十四句目

 

   秋の空西にむかへば角屋敷

 両替(りゃうがへ)()()のすゑの雲霧       卜尺

 (秋の空西にむかへば角屋敷両替見世のすゑの雲霧)

 

 角屋敷の方に来たのは両替のためだった。最後の金銀を銭にくずして、それを使い切った後のことは末の雲霧となる。

 末の雲霧は

 

 雲霧に分け入る谷は末くれて

     夕日残れる峰のかけはし

              嵯峨院(さがいん)(風雅集)

 

の歌がある。

 

季語は「霧」で秋、聳物。

 

七十五句目

 

   両替見世のすゑの雲霧

 袋もと峰(たち)ならす鹿の皮      志計

 (袋もと峰立ならす鹿の皮両替見世のすゑの雲霧)

 

 両替する前の金銀は、鹿の皮の袋に大切にしまっていた。

 峰立ならす鹿は、

 

 行く人を留め兼てぞ瓜生山

     峰たちならし鹿も鳴くらむ

              藤原伊尹(ふじわらのこれただ)(新勅撰集)

 

の歌がある。出て行く金銀も留められなかった。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。「峰」は山類。

 

七十六句目

 

   袋もと峰立ならす鹿の皮

 山の奥より風の三郎        松意

 (袋もと峰立ならす鹿の皮山の奥より風の三郎)

 

 「風の三郎」は風神のことで、宮沢賢治の『風の又三郎』もそこから来ているという。山の奥から風が吹いてきて鹿の皮の袋を鳴らす。何の袋かよくわからないが。

 延宝五年の「あら何共なや」の巻八十八句目にも、

 

   米袋口をむすんで肩にかけ

 木賃の夕部風の三郎       桃青

 

の句がある。

 

無季。「山の奥」は山類。

 

七十七句目

 

   山の奥より風の三郎

 神鳴(かみなり)の太鼓の音に花散て      正友

 (神鳴の太鼓の音に花散て山の奥より風の三郎)

 

 風神と来れば雷神で、あたかも風神雷神図だ。風が吹いて雷が鳴れば花も散る。

 

季語は「花散て」で春、植物、木類。

 

七十八句目

 

   神鳴の太鼓の音に花散て

 罪業(ざいごふ)ふかき野辺のうぐひす     雪柴

 (神鳴の太鼓の音に花散て罪業ふかき野辺のうぐひす)

 

 鶯は花を散らすという。

 

 鶯の鳴き散らすらむ春の花

     いつしか君と手折りかざさむ

              大伴家持(おおとものやかもち)(新続古今集)

 袖たれていざ我が園に鶯の

     木伝(こづた)ひ散らす梅の花見む

              よみ人しらず(拾遺集)

 

などの歌がある。その上雷まで呼ぶとは、罪業深い鶯がいたか。

 

季語は「うぐひす」で春、鳥類。

名残表

七十九句目

 

   罪業ふかき野辺のうぐひす

 (ゆき)(じる)のながれの女と(なり)にけり    一鉄

 (雪汁のながれの女と成にけり罪業ふかき野辺のうぐひす)

 

 雪汁は雪解け水のことで、「ながれの女」はあちこち転々とする遊女であろう。前世の罪業でこういう境遇になったということか。

 雪解けの鶯は、

 

 今日やさは雪うちとけて鶯の

     都へいづる初音なるらん

              藤原(ふじわらの)(あき)(すけ)(金葉集)

 春たてば雪のした水うちとけて

     谷のうぐひすいまそ鳴くなる

              藤原(ふじわらの)(あき)(つな)(千載集)

 

などの歌がある。

 

季語は「雪汁」で春。恋。「女」は人倫。

 

八十句目

 

   雪汁のながれの女と成にけり

 袖に(いかだ)のさはぐそらなき      松臼

 (雪汁のながれの女と成にけり袖に筏のさはぐそらなき)

 

 「袖に湊の騒ぐ」であれば、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖に湊の騒ぐ」の解説」に、

 

 「港が打ち寄せる波で騒ぐように、激情のあまりに泣く声とともに袖に涙がふりかかる。

  ※伊勢物語(10C前)二六「思ほえず袖にみなとのさはぐ哉もろこし舟の寄りしばかりに」

 

とある。

 物が「流れの女」だけに、港ではなく筏が騒ぐ。「そらなき」は嘘泣きの意味もあるが、ここでは泣いてる余裕すらないという意味か。

 

 ゆく末のたのめし人の言の葉に

     消えむそらなき露の夕暮れ

              藻壁門院(そうへきもんいんの)但馬(たじま)(洞院摂政家百首)

 夕暮れの雲の景色も愛発山(あらちやま)

     越えむそらなき峰の白雪

              (しょう)(はく)(春夢草)

 

の用例もある。

 

無季。恋。「袖」は衣裳。「筏」は水辺。

 

八十一句目

 

   袖に筏のさはぐそらなき

 毒かひやむなしき跡の事とはん   卜尺

 (毒かひやむなしき跡の事とはん袖に筏のさはぐそらなき)

 

 「(どくがひ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「毒飼」の解説」に、

 

 「〘名〙 毒を飲ませること。転じて、身を破滅させること。〔運歩色葉(1548)〕

  ※信長公記(1598)首「次郎殿を聟に取り、宥め申し、毒飼(ドクカイ)を仕り殺し奉り」

 

とある。

 毒殺となれば犯人は誰だということになる。嘘泣きしてるやつが怪しい。

 

無季。

 

八十二句目

 

   毒かひやむなしき跡の事とはん

 うはのが原にあはれ里人       一朝

 (毒かひやむなしき跡の事とはんうはのが原にあはれ里人)

 

 前句の「毒かひ」の「かひ」に掛けて甲州街道の上野原宿で事件が起きたとして、そこの里人が弔う。

 

無季。「里人」は人倫。

 

八十三句目

 

   うはのが原にあはれ里人

 これやこの鷹場(たかば)の役に(いく)十度(そたび)    松意

 (これやこの鷹場の役に幾十度うはのが原にあはれ里人)

 

 上野原に鷹場があったかどうかはわからないが、ここは「うわのが原」で、架空の地名として、そこの里人はたびたび鷹狩に駆り出されている。

 「これやこの」は歌枕に対して、これがあの有名な、というような意味で用いられることが多い。

 

 これやこのゆくも帰るも別れつつ

     しるもしらぬもあふさかの関

              蝉丸(後撰集)

 これやこの月見るたびに思ひやる

     姨捨山のふもとなりけり

              橘為伸(後拾遺集)

 

などの歌がある。

 

季語は「鷹」で冬、鳥類。

 

八十四句目

 

   これやこの鷹場の役に幾十度

 黒羽織きてたななし小舟(をぶね)      在色

 (これやこの鷹場の役に幾十度黒羽織きてたななし小舟)

 

 「たななし小舟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「棚無小船」の解説」に、

 

 「〘名〙 棚板すなわち舷側板を設けない小船。上代から中世では丸木舟を主体に棚板をつけた船と、それのない純粋の丸木舟とがあり、小船には後者が多いために呼ばれたもの。ただし近世では、一枚棚(いちまいだな)すなわち三枚板造りの典型的な和船の小船をいう。棚無船。

  ※万葉(8C後)一・五八「いづくにか舟泊(ふなはて)すらむ安礼(あれ)の崎こぎたみ行きし棚無小舟(たななしをぶね)

 

とある。

 将軍や大名の鷹狩りにお供する人は、黒羽織を着て小さな船に乗っているのが何とも不釣り合いだ。

 たななし小舟は歌語で、

 

 ほり江こぐたななしを舟こぎかへり

     おなし人にやこひわたりなむ

              よみ人しらず(古今集)

 あまの漕ぐたななしを舟あともなく

     思ひし人をうらみつるかな

              (おおし)河内躬(こうちのみ)(つね)(続後撰集)

 

などの歌がある。

 

無季。「黒羽織」は衣裳。「小舟」は水辺。

 

八十五句目

 

   黒羽織きてたななし小舟

 (つの)(くに)難波(なには)堀江のはやり医者    雪柴

 (津国の難波堀江のはやり医者黒羽織きてたななし小舟)

 

 前述の『古今集』よみ人しらずの歌の縁で、津の国の難波堀江が付く。古代は葦の中を海士が漕ぐ舟だったが、今は町中で医者が移動に用いる。

 

 津の国の難波堀江に漕ぐ舟の

     みぎはも見えずまさる我が恋

              伊勢(伊勢集)

 

の歌もある。

 

無季「津国の難波堀江」は名所、水辺。「はやり医者」は人倫。

 

八十六句目

 

   津国の難波堀江のはやり医者

 玄関がまへみゆるあしぶき      志計

 (津国の難波堀江のはやり医者玄関がまへみゆるあしぶき)

 

 難波堀江の医者だから、玄関を葦葺きにしている。

 

無季。「玄関」は居所。

 

八十七句目

 

   玄関がまへみゆるあしぶき

 さび(やり)門田(かどた)を守る気色(けしき)なり    松臼

 (さび鎗や門田を守る気色なり玄関がまへみゆるあしぶき)

 

 葦葺きだと、

 

 夕されば門田の稲葉おとづれて

     蘆のまろやに秋風ぞ吹く

              (みなもとの)(つね)(のぶ)(金葉集)

 

の歌の「蘆のまろや」を連想し、鎗を持った門番も門田を守っているみたいだ。

 

無季。

 

八十八句目

 

   さび鎗や門田を守る気色なり

 (いっ)(けん)ほゆる佐野(さの)の夕月       正友

 (さび鎗や門田を守る気色なり一犬ほゆる佐野の夕月)

 

 門田の錆び鎗を案山子(かかし)か何かに取り成したのだろうか。うらぶれた田舎に犬が吠える。

 佐野の月は、

 

 忘れずよ松の葉ごしに波かけて

     夜ふかく出でし佐野の月影

              ()鳥羽院(とばいん)(夫木抄)

 月に行く佐野の渡りの秋の夜は

     宿ありとてもとまりやはせむ

              津守(つもり)(くに)(すけ)(新後撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。「犬」は獣類。「佐野」は名所。

 

八十九句目

 

   一犬ほゆる佐野の夕月

 こもかぶり露(うち)はらふかげもなし  一朝

 (こもかぶり露打はらふかげもなし一犬ほゆる佐野の夕月)

 

 佐野の夕暮れといえば、

 

 駒とめて袖打ち払ふ陰もなし

     佐野のわたりの雪の夕暮れ

              藤原定家(新古今集)

 

ということで、月に露が付け合いということで、「露打ち払う陰もなし」とする。「こもかぶり」は乞食のこと。

 

 薦を着て誰人います花の春    芭蕉

 

は元禄三年の歳旦の句。

 

季語は「露」で秋、降物。「こもかぶり」は人倫。

 

九十句目

 

   こもかぶり露打はらふかげもなし

 (きず)に色なる草まくらして      一鉄

 (こもかぶり露打はらふかげもなし疵に色なる草まくらして)

 

 斬られたのか疵から出た血で草を染めて横たわっている。「打はらふかげもなし」は抵抗するすべもなく斬られたという意味に取り成す。

 「色なる」は和歌では風流で色のあるという意味で用いられる。

 

 池寒き蓮の浮葉に露はゐぬ

     野辺に色なる玉や敷くらむ

              式子(しきし)内親王(ないしんのう)(正治初度百首)

 暮れはつる籬の花は見えわかで

     露の色なる草の上かな

              日野(ひの)俊光(としみつ)(嘉元百首)

 

などの歌がある。

 

季語は「色なる草」で秋、植物、草類。旅体。

 

九十一句目

 

   疵に色なる草まくらして

 追剝(おひはぎ)(この)辻堂のにし東       在色

 (追剝や此辻堂のにし東疵に色なる草まくらして)

 

 辻堂は街道ぞいなどの旅人が休むためのお堂で、元禄九年の桃隣(とうりん)陸奥(みちのく)の旅を記した「舞都遲(むつち)()()」に、「此道筋難所と云、萬不自由、馬不借、宿不借、立寄べき辻堂もなし。一夜は洞に寐て」とある。元禄二年九月の「一泊り」の巻三十二句目にも、

 

   谷越しに新酒のめと呼る也

 はや辻堂のかろき棟上げ     路通

 

の句がある。

 辻堂にある付近には旅人を狙った追剥もいたのだろう。あまり金を持ってなさそうだが。血の草枕になる。

 

無季。旅体。

 

九十二句目

 

   追剝や此辻堂のにし東

 弓手(ゆんで)高札(かうさつ)め手に落書(らくがき)       卜尺

 (追剝や此辻堂のにし東弓手に高札め手に落書)

 

 この辻堂の辺りに追剥が出ると、右の高札にも左の落書きにも書いてある。高札は宿場などにある公の掲示で、落書きも旅人同士で注意を喚起する掲示板の役割があったのだろう。

 

無季。旅体。

名残裏

九十三句目

 

   弓手に高札め手に落書

 下馬先(げばさき)に御かご(どう)(ぼく)みちみちたり  志計

 (下馬先に御かご童僕みちみちたり弓手に高札め手に落書)

 

 童僕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「童僕・僮僕」の解説」に、

 

 「〘名〙 少年の召使い。男の子のしもべ。

  ※凌雲集(814)伏枕吟〈桑原公宮〉「池台漸毀、僮僕光離」

  ※方丈記(1212)「妻子・童僕の羨めるさまを見るにも」 〔易経‐旅卦〕」

 

とある。

 宿場の風景で、駕籠が着くと子供たちがそこいらに落書きしたりする。

 そんな沢山の童僕を引き連れた人って、やはりその趣味なのかな。

 

無季。「馬」は獣類。「童僕」は人倫。

 

九十四句目

 

   下馬先に御かご童僕みちみちたり

 遠所(ゑんしょ)(やしろ)花の最中         松意

 (下馬先に御かご童僕みちみちたり遠所の社花の最中)

 

 辺境の田舎の神社では籠が珍しいのか、子供たちが寄って来る。

 

季語は「花」で春、植物、木類。神祇。

 

九十五句目

 

   遠所の社花の最中

 ゆふしでやあらしも白し(よね)(ざくら)    正友

 (ゆふしでやあらしも白し米桜遠所の社花の最中)

 

 米桜はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「米桜」の解説」に、

 

 「〘名〙 植物「しじみばな(蜆花)」の異名。

  ※仮名草子・東海道名所記(165961頃)四「花散らばいかにしゃう野の米桜」

 

とあり、蜆花は「精選版 日本国語大辞典「蜆花」の解説」に、

 

 「〘名〙 バラ科の落葉低木。中国原産で、観賞用に栽植され、生垣などにする。高さ一~二メートル。枝は叢(そう)生し若枝には綿毛状の毛がある。葉は長さ三センチメートルぐらいの楕円形で縁に細かい鋸歯(きょし)がある。春、葉に先だって多数の八重咲きの白色花が小球状に密生して咲く。八重咲きの白花を蜆貝の内臓に見たててこの名がある。漢名、笑靨花。〔和漢三才図会(1712)〕」

 

とある。ユキヤナギに似ているが八重咲。神社に咲いていると木綿(ゆう)四手(しで)が下がっているようでもある。風に散ると嵐も白い。

 

季語は「米桜」で春、植物、木類。神祇。

 

九十六句目

 

   ゆふしでやあらしも白し米桜

 雀は巣をぞかけ(たてまつ)る       雪柴

 (ゆふしでやあらしも白し米桜雀は巣をぞかけ奉る)

 

 木綿四手の垂れている神聖な場所だから、雀も巣をかける時は心しなくてはいけない。

 

季語は「雀は巣をぞかけ」で春、鳥類。

 

九十七句目

 

   雀は巣をぞかけ奉る

 やぶれては紙くずとなる歌枕   一鉄

 (やぶれては紙くずとなる歌枕雀は巣をぞかけ奉る)

 

 歌枕で「やぶれる」というと、

 

 人住まぬ不破の関屋の板廂(いたびさし)

     荒れにし後はただ秋の風

              藤原(ふじわらの)(よし)(つね)(新古今集)

 

だろう。不破(やぶれず)と書く不破の関も破れて荒れ果てている。(ひさし)の「抜け」と見ていいだろう。雀が破れた庇に巣を掛ける。

 不破というの後に芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で訪れた時、

 

 秋風や薮も畠も不破の関     芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 

無季。

 

九十八句目

 

   やぶれては紙くずとなる歌枕

 ねり土にさへ伝授ありとや      松臼

 (やぶれては紙くずとなる歌枕ねり土にさへ伝授ありとや)

 

 ねり土はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「練土・煉土」の解説」に、

 

 「〘名〙 粘土に石灰、小砂などを混ぜ合わせたもの。建物の外壁などに用いる。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「やぶれては紙くずとなる歌枕〈一鉄〉 ねり土にさへ伝受ありとや〈松臼〉」

 

とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「紙屑などを混ぜて練り合わせる」とあるように、和歌を書き付けた紙も反故になれば紙屑でねり土にされてゆく。

 歌枕に古今伝授などがあるように、それが反故になっても何かの伝授があるのか、とする。

 

無季。

 

九十九句目

 

   ねり土にさへ伝授ありとや

 見ひらくやさとりの(まなこ)大仏(おほぼとけ)     卜尺

 (見ひらくやさとりの眼大仏ねり土にさへ伝授ありとや)

 

 「眼大仏」はここでは「まなこ、おおぼとけ」と読む。

 悟りを開いた大仏様は目を開いて、練土までも伝授するって、まさかね。

 

無季。釈教。

 

挙句

 

   見ひらくやさとりの眼大仏

 三千世界芝の海づら       一朝

 (見ひらくやさとりの眼大仏三千世界芝の海づら)

 

 三千世界はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「三千世界」の解説」に、

 

 「仏教の世界観による全宇宙のこと。三千大千世界の略。われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの小世界という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん)(六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。この一小世界を1000集めたのが一つの小千世界であり、この小千世界を1000集めたのが一つの中千世界であり、この中千世界を1000集めたのが一つの大千世界である。その広さ、生成、破壊はすべて第四禅天に同じである。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので三千世界とよばれるのである。先の説明でわかるように、3000の世界の意ではなく、10003乗(1000×1000×1000)、すなわち10億の世界を意味する。[高橋 壯]

 『定方晟著『須弥山と極楽』(1973・講談社)』」

 

とある。日常的には、普通に広いこの世界くらいの意味で用いられる。

 芝の大仏は浅井了意の『東海道名所記』(万治二年頃成立)に、

 

 「しば口より、都の道にさしかかれバ、右の行ハ車町、うちつづきて四町あり。その次に大仏(おほぼとけ)、右の方におハします。長一丈あまりの立像也。此大仏(だいぶつ)と申すは。大原のたんぜんの弟子、たんせうとかや。帰命山と申せし木食沙門のつくり給ふ仏也。」

 

とある。今は西大井の如来寺養玉院にあるが、かつては芝にあった。

 大仏様の目は芝の東京湾を見渡し、釈教をもってして一巻は目出度く終わる。

 

無季。釈教。「海づら」は水辺。