「物の名も」の巻、解説

延宝六年之春 飯何之百韻三吟

初表

 物の名も蛸や故郷のいかのぼり     信徳

   あふのく空は百余里の春      桃青

 嶺に雪かねの草鞋解そめて       信章

   千人力の東風わたる也       信徳

 熊つかひむかへば月の薄曇り      桃青

   水右をわらふ初鳫の声       信章

 墨の髭萩の下葉のうつろひて      信徳

   尾花が袖に鏡かさうか       信徳

 

初裏

 判はんじいかなる風の末に吹      信章

   夫は山伏海士のよび声       信徳

 一念の鱓となつて七まとひ       桃青

   かたちは鬼の火鉢いただく     信章

 紙ふのり伊勢の国より上りけり     信徳

   神のいがきを越し壁ぬり      桃青

 縄ばしご夜るの契やきれつらん     信章

   さすが別れのちんば引見ゆ     信徳

 骨うづき忍び笠にて㒵かくし      桃青

   立出るよりふまれての露      信章

 夕間暮小風呂に流す水の月       信徳

   木綿ざらさの紅葉かたしく     桃青

 花に嵐あらきちんたをあたためて    信章

   胸につかへし霞はれ行       信徳

 

 

二表

 天津鳫借銭なしてかへりけり      桃青

   勘當ゆるす二月中旬        信章

 釈迦すでに跡式譲り給ふ覧       信徳

   八万諸聖教ふる手形也       桃青

 腰張や十方世界法の声         信章

   凡命は赤土の露          信徳

 いつまでか砲碌売の老の秋       桃青

   ころばぬやうに杖で行月      信章

 駒とめて下踏打叩く雪の暮       信徳

   東坡が小者竹の一村        桃青

 そのさとへ石摺の文かよひけり     信章

   緞子のそめ木しみのさす迄     信徳

 土用しれ山は紺地の青あらし      桃青

   谷水たたへて蓼酢のごとし     信章

 

二裏

 異風者金柑渕になげ捨る        信徳

   吹矢を折て墨染の月        桃青

 秋の哀隣の茶屋もはやらねば      信章

   松むし鈴虫轡たふるる       信徳

 恋草をつれて走し末がれて       桃青

   その業平に請人やなき       信章

 木賊色の狩衣質に置し時        信徳

   貧報神の社見かぎる        桃青

 出雲にて世間咄のわる口に       信章

   松江の浦の相店のばば       信徳

 塗桶に鱸のわたをつみかけて      桃青

   平目白うらむくの黒鯛       信章

 花なるらん龍の都の驕り者       信徳

   父大臣のかねつぶす春       桃青

 

 

三表

 手道具や十二一重の薄霞        信章

   笈の内より遠山の月        信徳

 小男鹿の妻をとられな宿かすな     桃青

   公儀のおふれ武蔵野の秋      信章

 闕所ものはらふ草より草の露      信徳

   火付の蛍とられ行覧        桃青

 本三位戾を張たるごとくにて      信章

   貢の箱や飴をこしなる       信徳

 かたくまに難波の梅の兄弟       桃青

   貫之が筆朝書の春         信章

 それのとし徳利の氷とけそめて     信徳

   うどん切落す橋の下水       桃青

 つりものに中の間の障子引はなし    信章

   恋のやごろさねだり来にけり    信徳

 

三裏

 買がかりしれぬ憂名を付かけて     桃青

   いつの大よせいつの御一座     信章

 朝夷奈のさぶ様四郎様五郎様の     信徳

   地獄やぶりや芝居やぶりや     桃青

 小柄ぬき剣の枝のたはむ迄       信章

   めつきの日影にぎる修羅王     信徳

 千早振木で作りたる神すがた      桃青

   岩戸ひらけて饅頭の見世      信章

 銭の文字一分もまださだまらず     信徳

   掟のかはる六道の月        桃青

 秋やむかし二代目の地蔵出給ふ     信章

   鎧腹帯残しをく露         信徳

 花の枝綺麗高麗切とりて        桃青

   にしめの蕨人参甘草        信章

 

 

名残表

 春霞気を引たつる薄醤油        信徳

   杓子はこけて足がひよろつく    桃青

 良しばし下女と下女とのたたかひに   信章

   赤前だれの旗をなびかす      信徳

 酒桶に引導の一句しめされて      桃青

   つらつらをもんみれば人は穴蔵   信章

 うらがへす畳やぶれて夢もなし     信徳

   蚤にくはれて来ぬ夜数かく     桃青

 君君君爪の先ほどおもはぬか      信章

   しのぶることのまくる点取     信徳

 恋よはし内親王の御言葉        桃青

   乳母さへあらばくろがねの盾    信章

 いもの神鬼神なりとも閨の月      信徳

   ましてや面は張貫の露       桃青

 

名残裏

 翁草布の衣装をひるがへし       信章

   松は幾代の青砥左衛門       信徳

 北條のやどを嵐に尋れば        桃青

   かれこれをつぶしてひとつになる雲 信章

 火神鳴たたらをふんでひびく覧     信徳

   菅相丞も本庄のすゑ        桃青

 江戸の花延喜このかたの時とかや    信章

   鷺白鳥も驚かぬ春         主筆

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 物の名も蛸や故郷のいかのぼり  信徳

 

 信徳は京都から来た人で、京都で「いかのぼり」と呼ばれているものを江戸では蛸(凧)という。

 前年の暮の「あら何共なや」の巻からこの年の春の「さぞな都」の巻と、この巻が三部作になる。発句も桃青、信章につづいて、ここでは信徳が発句を務めることになる。この百韻三巻は延宝四年の「此梅に」の巻、「梅の風」の巻と合わせて『桃青三百韻附両吟二百韻』として延宝六年に出版された。

 飯何之百韻三吟は賦し物のことで、連歌だと何の所に発句に用いられている単語が入り、それが賦し物になるが、俳諧だから雅語とは限らず俗語でも良い。この場合は「物」で「飯物」つまり「召し物」着物のに賦すということになる。あるいは飯蛸で「イイダコに賦す」かもしれない。

 

季語は「いかのぼり」で春。

 

 

   物の名も蛸や故郷のいかのぼり

 あふのく空は百余里の春     桃青

 (物の名も蛸や故郷のいかのぼりおふのく空は百余里の春)

 

 「あふのく」は仰向けになるという意味。仰向けになって眺める空は、百余里彼方の京の空とつながっている。

 江戸では凧、京ではいかのぼりと名前は違っても同じものであるように、この江戸も信徳さんの故郷の京も同じ空の下にある。

 ウィキペディアによると、江戸の日本橋から京の三条大橋までは百二十四里八丁、487.8キロメートルだという。

 

季語は「春」で春。

 

第三

 

   あふのく空は百余里の春

 嶺に雪かねの草鞋解そめて    信章

 (嶺に雪かねの草鞋解そめてあふのく空は百余里の春)

 

 「金の草鞋」は「金の草鞋で尋ねる」という諺で、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《いくら歩いても擦り切れない鉄製のわらじを履いて探す意から》辛抱強く探し回って歩く。得難い物事のたとえにいう。金の草鞋で探す。「―・ねても二人とない好人物」

  [補説]「きんのわらじ」と読むのは誤り。」

 

とある。

 ここでは「かねの草鞋(わらんじ)」と読む。他に貞享元年の『野ざらし紀行』の時の、

 

 この海に草鞋(わらんじ)捨てん笠時雨 芭蕉

 

の例がある。

 「嶺の雪も溶けそめて」と「かねの草鞋解けそめて」の二重に意味になったいる。百余里はるばる旅をして探してたものも見つかったのだろう。かねの草鞋をここで解く。

 春に峰の雪の解けるは、

 

 ちくま川春行く水はすみにけり

     消えていくかの峰のしら雪

                 順徳院(風雅集)

 

の歌がある。

 

季語は「雪‥‥解け」で春、降物。「嶺」は山類。

 

四句目

 

   嶺に雪かねの草鞋解そめて

 千人力の東風わたる也      信徳

 (嶺に雪かねの草鞋解そめて千人力の東風わたる也)

 

 「かねの草鞋」を物の喩えではなく本当に鋼鉄製の草鞋があるかのように、かねの草鞋を解く者を千人力とする。雪は東風で溶ける。雪もまた千人力。

 

季語は「東風」で春。

 

五句目

 

   千人力の東風わたる也

 熊つかひむかへば月の薄曇り   桃青

 (熊つかひむかへば月の薄曇り千人力の東風わたる也)

 

 今だと熊といえば金太郎が思い浮かぶが、これは江戸時代後期に作られた物語のようだ。ジャパンナレッジの「国史大辞典」には、

 

 「江戸時代初期の金平浄瑠璃では主人公金平の父として語られ、その一つたる寛文四年(一六六四)刊の『漉根(すくね)悪太郎』では坂田民部金時と称され、足柄山で山姥が奉った子とされる。延宝五年(一六七七)刊の金平浄瑠璃『清原右大将』では足柄山で鬼女が連れて出た十六、七の怪童で、頼光が坂田宿禰公時の名を与えたとする。正徳二年(一七一二)上演の近松門左衛門作『嫗山姥(こもちやまうば)』では謡曲『山姥』を承け、熊・猪と角力するが、幼名は快童丸とある。金太郎の名は文化六年(一八〇九)四月中村座上演七変化の所作事『邯鄲園菊蝶(かんたんそののきくちょう)』にみえる。」

 

とある。また、ネット上の鳥居フミ子さんの『金太郎の誕生』にも詳しく書かれている。

 熊と相撲を取ったという物語も正徳二年の『嫗山姥(こもちやまうば)』で、ここでは山姥の子怪童丸という名で、おそらく謡曲『山姥』の、

 

 「などかわらはも輪廻をはなれて、帰性の善所に至らざらんと、恨みを夕山の、鳥獣も鳴き添へて、声を上路の 山姥が霊鬼これまで・来たりたり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.89740-89747). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

から、山姥が鳥獣を友としているイメージができたのだろう。

 熊と相撲を取る分には熊は対等の関係だが、熊にまたがるというと熊を従える、熊の上に立つというイメージになる。それはもう少し後の時代になる。

 そういうわけでここでの「熊つかい」は金太郎とはまた別のものであろう。何か出典があるのか、それとも芭蕉のこの場の即興でのひらめきだったのかよくわからない。

 まあとにかく、千人力の熊使いは鬼か山姥のような者だったのだろう。夜に出歩き月の薄曇りに東風が吹く。「月の薄曇り」は前句に着いた時には朧月のことだが、薄月という場合は秋の季語になる。

 ただし、和歌で「月の薄曇りは」冬に詠まれる。

 

 うすぐもり折々さむく散る雪に

     いづるともなき月もすさまじ

              儀子内親王(風雅集)

 さゆる夜の影なき月のうすぐもり

     ふりさけみれは落つる白雪

              正徹(草根集)

 

などがある。

 

季語は「月の薄曇り」で秋、夜分、天象。「熊」は獣類。

 

六句目

 

   熊つかひむかへば月の薄曇り

 水右をわらふ初鳫の声      信章

 (熊つかひむかへば月の薄曇り水右をわらふ初鳫の声)

 

 「水右(みずゑ)」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、長崎水右衛門という動物使いだという。また、「水衣をわらふ鳫の諸声〔参人帳〕の別バージョンに従うなら、水衣(みづころも)の可能性もある。水衣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 能装束の一つ。直垂形式の平絹(へいけん)の上衣。丈は膝ぐらいまでのもの。旅姿や、漁夫・樵(きこり)などの仕事着、または僧衣に用いる。

  ※申楽談儀(1430)序「練貫に水衣、玉襷あげ、薪おひ、杖つゐて」

 

とある。この場合はみすぼらしい恰好を初雁が笑うという意味になる。

 月に初雁は、

 

 初雁の鳴きわたりぬる雲間より

     名残おほくてあくる月影

              紀友則(新拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「初鳫」で秋、鳥類。「水右」は水衣だとしたら衣装。

 

七句目

 

   水右をわらふ初鳫の声

 墨の髭萩の下葉のうつろひて   信徳

 (墨の髭萩の下葉のうつろひて水右をわらふ初鳫の声)

 

 「墨の髭」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「奴などが墨でかくつくり髭。水右の髭。」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 墨や炭また鍋墨などで顔に書いた作り髭。奴(やっこ)が書いたり、あるいは遊びの勝負で、負けた者に罰として書いたりした。

  ※俳諧・雑巾(1681)春「墨髭もけさこころ見ん供の春〈八々〉」

 ② 白くなった髭を黒く染めること。また、染めた髭。

  ※雑俳・丹舟評万句合(1704‐11)「たのもしや・墨ひげつくる老のむしゃ」

 

とある。

 初雁に萩の下葉を付けた上で、水右をわらふを墨の髭が理由とする。

 鳫に萩の下葉の移ろいは、

 

 夜をさむみ衣かりかねなくなへに

     萩の下葉もうつろひにけり

              よみ人しらず

   このうたは、ある人のいはく、柿本の人まろかなりと(古今集)

 

の歌による。

 

季語は「萩の下葉」で秋、植物、草類。

 

八句目

 

   墨の髭萩の下葉のうつろひて

 尾花が袖に鏡かさうか      信徳

 (墨の髭萩の下葉のうつろひて尾花が袖に鏡かさうか)

 

 寝ている間にいたずらされたのだろう。袖から手鏡を取り出して、これで見てみろ、とする。

 「尾花が袖」は、

 

 狩衣すそ野の霧は晴れにけり

     尾花が袖に露をのこして

              宗秀(新千載集)

 

の用例がある。

 

季語は「尾花」で秋、植物、草類。

初裏

九句目

 

   尾花が袖に鏡かさうか

 判はんじいかなる風の末に吹   信章

 (判はんじいかなる風の末に吹尾花が袖に鏡かさうか)

 

 「判はんじ」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「花押の鑑定」とある。また、前句の鏡を判鑑とするとある。判鑑はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 中世、文書に記された花押の真偽確認用として、あらかじめ登録された花押。また、それらを集めたもの。

  ② 江戸時代、判形(はんぎょう)、すなわち印影の真偽鑑定用として、役所・関所・番所または取引先などに、あらかじめ提出しておく印影の見本。今日の印鑑証明の底簿に相当するもの。

  ※俳諧・菊の塵(1706)「老のさかひは櫛の減り際〈序令〉 判鑑わたして置て恋すてふ〈朝叟〉」

 

とある。

 花押の鑑定に判鑑かそうか、という内容に、「尾花」に「いかなる風の末に吹く」を付ける。これは、

 

   水無瀬にて十首歌奉りし時

 武藏野やゆけども秋の果てぞなき

     いかなる風の末に吹くらむ

              左衞門督通光(新古今集)

 

の縁で、武蔵野は尾花(ススキ)の名所。

 

無季。

 

十句目

 

   判はんじいかなる風の末に吹

 夫は山伏海士のよび声      信徳

 (判はんじいかなる風の末に吹夫は山伏海士のよび声)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「前句の『判はんじ』を占いととる。」とある。海士に風向きを問われる。

 「海人のよぶ声」は、

 

 大宮の内まで聞こゆ網引すと

     網子調ふる海人の呼び声

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。恋。「山伏」「海士」は人倫。

 

十一句目

 

   夫は山伏海士のよび声

 一念の鱓となつて七まとひ    桃青

 (一念の鱓となつて七まとひ夫は山伏海士のよび声)

 

 「鱓」は「うなぎ」と読む。「鰻となって七まとひ」というのは謡曲『道成寺』の蛇に絡まれる場面で、『校本芭蕉全集 第三巻』の補注にある。

 

 「一念の毒蛇となつ て、川を易易と泳ぎ越しこの寺に来たり、 ここかしこを尋ねしが、鐘の下りたるを怪しめ、竜頭をくはへ七まとひ纏ひ」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.58132-58138). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

から来ている。夫の山伏に海士がウナギになって絡みつく。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   一念の鱓となつて七まとひ

 かたちは鬼の火鉢いただく    信章

 (一念の鱓となつて七まとひかたちは鬼の火鉢いただく)

 

 ウナギが絡みついてる姿も、見た目には鬼が火鉢を抱えているみたいだ。道成寺の鐘を火鉢に見立てるのだが、ここでは男女逆転で、この格好は後ろから抱きしめる状態か。

 

季語は「火鉢」で冬。

 

十三句目

 

   かたちは鬼の火鉢いただく

 紙ふのり伊勢の国より上りけり  信徳

 (紙ふのり伊勢の国より上りけりかたちは鬼の火鉢いただく)

 

 「神風の伊勢」を「紙ふのりの伊勢」にする。「ふのり」は食用の海藻で伊勢の名産だが、「ふのり紙」は全く別のものになる。weblioで検索するとウィキペディアの「通和散」の所に転送されたが、そこに、

 

 「通和散(つうわさん)は、江戸時代に市販されていた日本のぬめり薬である。閨房で使う秘薬の一種。今で言うラブローションである。主に男色の時の肛門性交で使われたが、未通女の初交や水揚げの時など男女間の性交でも用いることがあった。当時の有名な秘薬で、川柳や春本でもよく取り上げられている。練り木、白塗香、ふのり紙、高野糊などの別称がある。」

 

とある。前句を男色の体位とし、ふのり紙を付ける。

 中世の兼載独吟俳諧百韻の九十九句目に、

 

   うしろむきてぞせをかがめける

 こかづしき流石に道をしりぬ覧  兼載

 

の句がある。

 

無季。「伊勢」は名所。

 

十四句目

 

   紙ふのり伊勢の国より上りけり

 神のいがきを越し壁ぬり     桃青

 (紙ふのり伊勢の国より上りけり神のいがきを越し壁ぬり)

 

 フノリはウィキペディアに、

 

 「日本では食用とされることがある。また細胞壁多糖であるフノランはガムの有効成分や健康食品に利用される。古くは煮溶かして糊としたものが漆喰、織物用糊料、紙の防水や艶出し、洗髪・整髪剤などに広く利用されていた。」

 

とある。この場合の壁塗りは漆喰を塗る左官のことで、紙とフノリを持って伊勢神宮の斎垣を越えて京へやってきた。

 「神のいがきを越し」は、

 

 ちはやぶる神のいがきもこえぬべし

     今はわが身のをしけくもなし

              柿本人麻呂(拾遺集)

 

の歌がある。

 

無季。神祇。「壁ぬり」は人倫。

 

十五句目

 

   神のいがきを越し壁ぬり

 縄ばしご夜るの契やきれつらん  信章

 (縄ばしご夜るの契やきれつらん神のいがきを越し壁ぬり)

 

 神社の斎垣を越えて巫女さんの所に夜這いに来た壁ぬりだが、途中で縄ばしごが切れて失敗。

 神の斎垣の夜は、

 

 よそに見る神のいがきを思ひねの

     宮この夢に夜や越えまし

              正徹(草魂集)

 

の用例がある。

 

無季。恋。「夜」は夜分。

 

十六句目

 

   縄ばしご夜るの契やきれつらん

 さすが別れのちんば引見ゆ    信徳

 (縄ばしご夜るの契やきれつらんさすが別れのちんば引見ゆ)

 

 後朝の別れ際、通ってきた縄ばしごが切れてびっこ引いて帰る。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   さすが別れのちんば引見ゆ

 骨うづき忍び笠にて㒵かくし   桃青

 (骨うづき忍び笠にて㒵かくしさすが別れのちんば引見ゆ)

 

 「骨うづき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 梅毒が進行し、骨髄にまではいって痛むこと。ほねがらみ。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「時雨の雨や白き水かね 骨うつき定なき世のならひなり〈三昌〉」

 

とある。こんな状態なら顔にも出ていて、始終忍び笠で顔を隠してなければならない。

 

無季。恋。「忍び笠」は衣裳。

 

十八句目

 

   骨うづき忍び笠にて㒵かくし

 立出るよりふまれての露     信章

 (骨うづき忍び笠にて㒵かくし立出るよりふまれての露)

 

 「骨うづき」を単に骨がうづく(痛む)という意味にして、忍び笠で顔を隠して立ち去ろうとしたら踏まれて露 (TдT)。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十九句目

 

   立出るよりふまれての露

 夕間暮小風呂に流す水の月    信徳

 (夕間暮小風呂に流す水の月立出るよりふまれての露)

 

 「小風呂」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 蒸風呂(むしぶろ)に付属した湯をためておく設備。転じて、蒸風呂のこと。

  ※慶長見聞集(1614)四「あらあつの湯の雫や。息がつまりて物も云われず。煙にて目もあかれぬなどと云て小風呂の口に立ふさがり、ぬる風呂を好みしが」

 

とある。

 当時の風呂は蒸し風呂が主流でだった。お湯を溜めた桶があって、それを焼いた小石の上に掛けて蒸気を出し、そのお湯で体も流して上り湯とした。流す水の月はその排水に月が映っているということで、外に流れた水の月は人に踏まれてゆく。

 水の月は、

 

 かの岸の遠きをしりて岩陰に

     ひかりを宿す水の月かな

               藤原公任(公任集)

 老か身のあはれこのよにすめる江は

     木の葉ふりしく水の月かけ

               正徹(草根集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十句目

 

   夕間暮小風呂に流す水の月

 木綿ざらさの紅葉かたしく    桃青

 (夕間暮小風呂に流す水の月木綿ざらさの紅葉かたしく)

 

 更紗はウィキペディアに、

 

 「更紗(サラサ)は、インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、その影響を受けてアジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品を指す染織工芸用語。英語のchintzに相当する。日本ではインド以外の地域で製作されたものを、産地によりジャワ更紗、ペルシャ更紗、和更紗などと称している。」

 

とある。また、

 

 「日本で「更紗」の名で呼ばれる染織工芸品には、インド更紗のほか、前述のようにジャワ更紗、ペルシャ更紗、シャム更紗など、さまざまな種類があり、何をもって「更紗」と呼ぶか、定義を確定することは困難である。一般にはインド風の唐草、樹木、人物などの文様を手描きや蝋防染を用いて多色に染めた木綿製品を指すが、日本製の更紗には木綿でなく絹地に染めた、友禅染に近い様式のものもある。」

 

とあるように絹の更紗もあったので、ここでは木綿更紗という。

 「木綿ざらさの紅葉かたしく」というのは木綿更紗を敷くのではなく、紅葉が散ってあたかも木綿更紗のようだということだろう。蒸し風呂はお寺などにもあったので、庭の景色であろう。

 

季語は「紅葉」で秋、植物、木類。

 

二十一句目

 

   木綿ざらさの紅葉かたしく

 花に嵐あらきちんたをあたためて 信章

 (花に嵐あらきちんたをあたためて木綿ざらさの紅葉かたしく)

 

 「あらき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (arak) 江戸時代、オランダから渡来した蒸留酒。アルコールに香気をつけたもの、あるいは、丁子、肉桂、ういきょうなどを焼酎につけたものという。アラキざけ。

  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)「花に嵐あらきちんたをあたためて〈信章〉 胸につかへし霞はれ行く〈信徳〉」

 

とある。

 「ちんた」は同じくコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (vinho tinto 「赤ぶどう酒」の略)⸨チンダ⸩ ポルトガルから輸入された赤ぶどう酒。チンタ酒。

  ※太閤記(1625)或問「上戸には、ちんた、ぶだう酒」

 

とある。インドから来た舶来の木綿更紗に南蛮の酒を付ける。飲んだことがあるのかどうかはわからない。名前だけ知っていて、それで日本酒のようにお燗にしたのか。前句は紅葉のような木綿更紗を敷いての意味に変わり、花の席にして春に転じる。

 花に嵐は、

 

 山たかみつねに嵐の吹くさとは

     にほひもあへす花ぞちりける

              紀利貞(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

二十二句目

 

   花に嵐あらきちんたをあたためて

 胸につかへし霞はれ行      信徳

 (花に嵐あらきちんたをあたためて胸につかへし霞はれ行)

 

 酔えば胸の霧も晴れるっていうものよ。

 

季語は「霞」で春、聳物。

二表

二十三句目

 

   胸につかへし霞はれ行

 天津鳫借銭なしてかへりけり   桃青

 (天津鳫借銭なしてかへりけり胸につかへし霞はれ行)

 

 天津鳫は借りるを導き出す枕詞のようなものか。借りた銭を返して帰ってきたので胸の霞も晴れた。

 霞に帰る雁は、

 

 帰る雁朧月夜の名残とや

     声さへ霞む曙の空

              後鳥羽院(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「天津鳫‥‥かへり」で春、鳥類。

 

二十四句目

 

   天津鳫借銭なしてかへりけり

 勘當ゆるす二月中旬       信章

 (天津鳫借銭なしてかへりけり勘當ゆるす二月中旬)

 

 勘当はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「近世の法制度において,在宅者を家から追放し,家族関係を公的に解消することで,正式には領主の許可を得て行うものであった。勘当を実行するのは,その人物のひきおこす事件が家族に影響を及ぼさないようにするためであり,家族内部の秩序維持というよりも,社会的な責任を逃れようとしたものであるが,同時に家の相続に関連して相続権を放棄させる目的も含まれており,地主層や商人たちによって行われた。このような勘当は近世の幕藩権力が社会秩序を維持するために制度化したものであり,日本の伝統的家族の内部で行われていたものではなかったと判断される。」

 

とある。

 当時は子の借金を親が負わないために勘当することもあったのか。

 

季語は「二月」で春。

 

二十五句目

 

   勘當ゆるす二月中旬

 釈迦すでに跡式譲り給ふ覧    信徳

 (釈迦すでに跡式譲り給ふ覧勘當ゆるす二月中旬)

 

 「跡式(あとしき)」は家督や財産などで、二月十五日の釈迦入滅の時にはどうしたのだろうか。釈迦には羅睺羅(らごら)という息子はいたらしいが、勘当されてて許されたとかその辺の話があったのかどうかはよくわからない。

 親鸞聖人の息子善鸞の「善鸞義絶状」というのはあったようだが。

 

無季。釈教。

 

二十六句目

 

   釈迦すでに跡式譲り給ふ覧

 八万諸聖教ふる手形也      桃青

 (釈迦すでに跡式譲り給ふ覧八万諸聖教ふる手形也)

 

 「八万諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 八万聖教の意であるが、特に浄土門で、阿彌陀の三字について説かれる釈文のうち、陀字についていわれる句。

  ※曾我物語(南北朝頃)一二「阿字十方三世仏、彌字一切諸菩薩、陀字八万しょしゃうけうと云ふ時は」

 

とある。「八万聖教」は「八万法蔵」と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「八万」は「はちまんしせん(八万四千)」の略) 仏語。非常に数多くの釈迦所説の教法または経典。八万聖教(しょうぎょう)。八万蔵。〔真如観(鎌倉初)〕」

 

とある。

 つまり、釈迦が残した膨大な経典は期限切れの手形だったということか。

 

無季。釈教。

 

二十七句目

 

   八万諸聖教ふる手形也

 腰張や十方世界法の声      信章

 (腰張や十方世界法の声八万諸聖教ふる手形也)

 

 「腰張(こしはり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 壁や襖(ふすま)の下半部に紙や布を張ること。また、その場所やそこに張ったもの。

  ※茶伝集‐一一(古事類苑・遊戯九)「一腰張の事、湊紙ふつくり、其長にて張も吉、〈略〉狭き座敷は腰張高きが能也」

  ② (見終わると壁などに張られたところから) 芝居などの番付表。

  ※雑俳・柳多留‐二一(1786)「こしばりをはかまはおりてくばる也」

  ③ 腰の力。好色であること。

  ④ =こしばりぐら(腰張鞍)〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

 

とある。①の壁や襖の下半分の所は、落書きで掲示板代りに用いられていたようだ。元禄二年の山中三吟九句目、

 

    遊女四五人田舎わたらひ

 落書に恋しき君が名もありて   芭蕉

 

の句の所の山中三吟評語に、

 

評語

 こしはりに恋しき君が名もありて 翁

   「落書に」と直し給ふ。

 

とある。

 腰張の落書きは衆生の声、「十方世界法の声」だ。

 

無季。釈教。

 

二十八句目

 

   腰張や十方世界法の声

 凡命は赤土の露         信徳

 (腰張や十方世界法の声凡命は赤土の露)

 

 およそ生きとし生けるもの最後は皆土に帰る、という珍しく真面目な句だ。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

二十九句目

 

   凡命は赤土の露

 いつまでか砲碌売の老の秋    桃青

 (いつまでか砲碌売の老の秋凡命は赤土の露)

 

 砲碌売(はうろくうり)は焙烙売のこと。焙烙(ほうろく)はウィキペディアに、

 

 「低温で焼かれた素焼きの土器で、形は底が平たく縁が低い。茶葉、塩、米、豆、銀杏などを炒ったり蒸したりするのに用いる。特に「焙烙蒸し」とよばれるときもある。また、宝楽焼の鍋としても用いられる。ゴマを煎る時などに使われる、口縁部が窄まり把手の付いたものは「手焙烙」と呼ばれる。」

 

とある。赤土で焼いた焙烙を売る老人の命は、その赤土の露となる。

 

季語は「秋」で秋。「砲碌売」は人倫。

 

三十句目

 

   いつまでか砲碌売の老の秋

 ころばぬやうに杖で行月     信章

 (いつまでか砲碌売の老の秋ころばぬやうに杖で行月)

 

 老人は転ばぬように杖を突いてゆく。そのようにゆっくりと月は西へ傾いてゆく。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十一句目

 

   ころばぬやうに杖で行月

 駒とめて下踏打叩く雪の暮    信徳

 (駒とめて下踏打叩く雪の暮ころばぬやうに杖で行月)

 

 これは言わずと知れた、

 

 駒とめて袖打ち払ふ陰もなし

     佐野のわたりの雪の夕暮れ

              藤原定家(新古今集)

 

で、「袖打ち払ふ」を下駄に着いた雪を叩き落とすとする。

 

季語は「雪」で冬、降物。「駒」は獣類。

 

三十二句目

 

   駒とめて下踏打叩く雪の暮

 東坡が小者竹の一村       桃青

 (駒とめて下踏打叩く雪の暮東坡が小者竹の一村)

 

 蘇東坡の「又不見雪中騎驢孟浩然 皺眉吟詩肩聳山」か。孟浩然が馬に乗り、東坡は従者となって孟浩然の下駄の雪を竹の棒で叩く。

 

無季。「小者」は人倫。

 

三十三句目

 

   東坡が小者竹の一村

 そのさとへ石摺の文かよひけり  信章

 (そのさとへ石摺の文かよひけり東坡が小者竹の一村)

 

 その里へ拓本を取ろうと通う。蘇東坡の使用人が住んでいるという村へ。

 

無季。

 

三十四句目

 

   そのさとへ石摺の文かよひけり

 緞子のそめ木しみのさす迄    信徳

 (そのさとへ石摺の文かよひけり緞子のそめ木しみのさす迄)

 

 緞子(どんす)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「絹の模様織物の一種。組織は繻子(しゅす)織で模様の部分は表裏が反対になる。また経(たて)糸と緯(よこ)糸を別色にして模様を表すことも多い。同種に繻珍(しゅちん)がある。おもに帯,袋物,着物,ふとん地にする。もとは中国から輸入,名物裂(ぎれ)として珍重され遠州緞子,荒磯緞子,珠光緞子などがある。16世紀末には堺に織り方が伝わり,京都西陣,群馬県桐生などが主産地となった。」

 

とある。

 前句の「石摺の文」を「しのぶもちづり」のこととして染色つながりで緞子のそめ木へ展開したか。

 

 木の葉散る時雨やまがふわが袖に

     もろき涙の色と見るまで

              源通具(新古今集)

 

のように、涙で染めた石摺の文が緞子のような鮮やかな色になるまで、ということだろう。

 

無季。

 

三十五句目

 

   緞子のそめ木しみのさす迄

 土用しれ山は紺地の青あらし   桃青

 (土用しれ山は紺地の青あらし緞子のそめ木しみのさす迄)

 

 「青あらし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「青嵐(せいらん)」を訓読した語) 初夏の青葉を吹き渡る風。《季・夏》

  ※梵燈庵主袖下集(1384か)「青嵐、六月に吹嵐を申也。発句によし」

 〘名〙 青々とした山気。また、新緑の頃、青葉の上を吹きわたる風。薫風。あおあらし。

  ※和漢朗詠(1018頃)下「夜極浦の波に宿すれば、青嵐吹いて皓月冷(すさま)じ〈慶滋為政〉」

  ※平家(13C前)三「青嵐夢を破って、その面影も見えざりけり」 〔呂温‐裴氏海昏集序〕」

 

とある。

 染物つながりで青嵐で紺地に染まった山を土用干しして、やがて秋になれば紅葉して金襴緞子に染まって行く。

 青嵐は和歌の言葉ではなく、『和漢朗詠集』の、

 

   別路江山遠序 藤原為雅

 暁入長松之洞 巌泉咽嶺猿吟

 夜宿極浦之波 青嵐吹皓月冷

 

の詩による。

 

季語は「青あらし」で夏。「山」は山類。

 

三十六句目

 

   土用しれ山は紺地の青あらし

 谷水たたへて蓼酢のごとし    信章

 (土用しれ山は紺地の青あらし谷水たたへて蓼酢のごとし)

 

 蓼酢はすりつぶした蓼を酢で伸ばしたもので、緑色の液体になる。

 青嵐の吹く山の谷間の湖は緑色で、蓼酢のようだ。

 

季語は「蓼酢」で夏。「谷水」は水辺。

二裏

三十七句目

 

   谷水たたへて蓼酢のごとし

 異風者金柑渕になげ捨る     信徳

 (異風者金柑渕になげ捨る谷水たたへて蓼酢のごとし)

 

 「異風者(いふうもの)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 世間普通の様子とは異なった人。性質、態度などが人並みでない者。

  ※仮名草子・可笑記(1642)二「真実の異風(イフウ)ものといふは、当世人々のいへる、くゎんかつもののたぐひなるべし」

 

とある。

 蓼酢に金柑を添えるのは粋だけど、蓼酢のような湖に金柑を投げ捨てるのは行き過ぎ。

 

季語は「金柑」で秋。「異風者」は人倫。

 

三十八句目

 

   異風者金柑渕になげ捨る

 吹矢を折て墨染の月       桃青

 (異風者金柑渕になげ捨る吹矢を折て墨染の月)

 

 この場合の金柑は鶏の金柑だろう。

 もう肉を食うのはやめて吹矢も捨てて出家する。

 墨染といえばこの歌。「墨染」は「棲み初め」に掛かる。

 

 おほけなくうき世の民におほふかな

     わがたつ杣にすみぞめの袖

              慈円(千載集)

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

三十九句目

 

   吹矢を折て墨染の月

 秋の哀隣の茶屋もはやらねば   信章

 (秋の哀隣の茶屋もはやらねば吹矢を折て墨染の月)

 

 寂れた街道の山の中の茶屋であろう。通る人もなければ焼き鳥もやめて、仏道に入る。

 

季語は「秋」で秋。

 

四十句目

 

   秋の哀隣の茶屋もはやらねば

 松むし鈴虫轡たふるる      信徳

 (秋の哀隣の茶屋もはやらねば松むし鈴虫轡たふるる)

 

 前句の茶屋を遊女を仲介する方の茶屋とする。なお、茶屋と揚屋の違いは、ウィキペディアに、

 

 「もっともわかりやすい違いは、大規模の宴席に対応できる台所があるかないか。揚屋では宴席に出す料理を台所で作っていた。 現代の「料亭」(特に割烹料亭)の元祖といえる。「茶屋」では料理は作らず、外注し、取り寄せる。」

 

とある。

 松むし鈴虫は遊女の源氏名で、「轡(くつわ)」は下級の轡女郎のこと。

 

季語は「松むし鈴虫轡」で秋、虫類。恋。

 

四十一句目

 

   松むし鈴虫轡たふるる

 恋草をつれて走し末がれて    桃青

 (恋草をつれて走し末がれて松むし鈴虫轡たふるる)

 

 恋草はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 恋心のつのることを草の茂るのにたとえた語。

  ※万葉(8C後)四・六九四「恋草(こひぐさ)を力車に七車積みて恋ふらくわが心から」

  ② 恋愛。恋愛ざた。また、恋人。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)湊「都の恋草に御身のかくし所もなく」

 

とある。ここでは恋人の意味。

 松むし鈴虫轡がみんな倒れてしまったあと、愛しい遊女だけを連れて逃げ出す。明暦の大火の話か。

 恋草は、

 

 よとともにつれなき人を恋くさの

     露こほれます秋のゆふかせ

              藤原顕家(千載集)

 知らざりし我が恋草や茂るらむ

     きのふはかかる袖の露かは

              藤原良経(続千載集)

 

などの用例がある。

 

季語は「末(うら)がれ」で秋。恋。

 

四十二句目

 

   恋草をつれて走し末がれて

 その業平に請人やなき      信章

 (恋草をつれて走し末がれてその業平に請人やなき)

 

 「請人(うけにん)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「鎌倉,室町時代の荘園において,地頭,荘官らが一定額の年貢納入を荘園領主に対して請負う場合 (→請所 ) ,請負う側のものを請人といった。また,中世,近世における保証人を請人と称した。中世における請人は,債務者の逃亡,死亡の場合に弁償の義務を負い,債務者の債務不履行の場合にも,請人に弁償させるためには保証文書にその旨を記載する必要があった。近世における請人は,人請,地請,店請,金請などの場合が主であったが,金請の場合中世とは異なり,債務者の債務不履行の場合当然に弁償の義務を負い,債務者の死失 (死亡) の際に請人に弁償させるためには債務証書にその旨を記載する必要があった。しかし,宝永1 (1704) 年以降,死失文言の有無にかかわらず,債務者死失のときも請人が弁償すべきものとされた。」

 

とある。

 「あら何共なや」の巻九十二句目にも、

 

   走り込追手㒵なる波の月

 すは請人か芦の穂の声      信章

 

の句がある。

 在原業平さんの場合、請け人は追っかけてこなかったが、代わりに鬼が来て恋草は一口に食われてしまった。詳しくは『伊勢物語』の第六段「芥川」を参照。

 

無季。「請人」は人倫。

 

四十三句目

 

   その業平に請人やなき

 木賊色の狩衣質に置し時     信徳

 (木賊色の狩衣質に置し時その業平に請人やなき)

 

 「木賊色の狩衣」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある通り、謡曲『雲林院』に、

 

 「信濃路や、園原茂る木賊色の、狩衣の袂を冠の巾子にうちかづき、忍び出づるや如月の黄昏月もはや入りて」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.34870-34876). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

から来ている。また、謡曲『鸚鵡小町』にも、

 

 「玉津島に参りつつ、玉津島に参りつつ、業平の舞の袖、思ひめぐらす信夫摺木賊色の狩衣に、大紋の袴のそば を取り、風折烏帽子召されつつ」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.27853-27858). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とあり、業平というと木賊色の狩衣だった。

 業平には借金の連帯保証人になる人がいなかったので、木賊の狩衣を質屋に入れた。

 

無季。「狩衣」は衣裳。

 

四十四句目

 

   木賊色の狩衣質に置し時

 貧報神の社見かぎる       桃青

 (木賊色の狩衣質に置し時貧報神の社見かぎる)

 

 神主さんが狩衣を質に入れてどこかへ行ってしまった。その神社は貧乏神の神社だったのだろう。

 

無季。神祇。

 

四十五句目

 

   貧報神の社見かぎる

 出雲にて世間咄のわる口に    信章

 (出雲にて世間咄のわる口に貧報神の社見かぎる)

 

 貧乏神は出雲に神々が集まった時にもハブられてたようだ。怒って社から出て行く。

 

無季。「出雲」は名所。

 

四十六句目

 

   出雲にて世間咄のわる口に

 松江の浦の相店のばば      信徳

 (出雲にて世間咄のわる口に松江の浦の相店のばば)

 

 「相店(あひだな)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 同じ棟の中にともに借家すること。また、その借家人。相借家(あいじゃくや)。相長屋(あいながや)。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「念仏講も欠てゆく月〈雪柴〉 相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉」

  ※咄本・鹿の子餠(1772)俄道心「相店(アイタナ)の八兵衛、欠落(かけおち)して行衛しれず」

 

とある。

 出雲大社にお参りしたときにたまたま松江から来ていた人と世間話をすると、やたらに同じ長屋のババアの悪口を言う。どうでもいいけど。

 

無季。「松江」は名所、水辺。「ばば」は人倫。

 

四十七句目

 

   松江の浦の相店のばば

 塗桶に鱸のわたをつみかけて   桃青

 (塗桶に鱸のわたをつみかけて松江の浦の相店のばば)

 

 前句の松江を中国の松江(しょうこう)として、松江の鱸魚を付ける。鱸(すずき)ではなくヤマノカミのことだという。

 「塗桶」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 漆で塗ってある桶。

  ※咄本・狂歌咄(1672)三「塗桶(ヌリヲケ)のふたに米を入てまいらせしかば」

  ② 綿摘み用の器具。真綿を上にのせて引き伸ばすのに用いる。木製または土焼製で、桶に似た黒の漆塗りのもの。

  ※名語記(1275)九「むしりわたは、塗桶に入れば、一両もはばかる」

  ③ 表向きは綿摘屋の私娼宿。

  ※雑俳・類字折句集(1762)「ぬり桶へちゃっと押込む長い文」」

 

とある。この場合は②の意味で、綿ではなくスズキの腸を摘む。ボケているのか、シュールでよくわからない。

 

無季。

 

四十八句目

 

   塗桶に鱸のわたをつみかけて

 平目白うらむくの黒鯛      信章

 (塗桶に鱸のわたをつみかけて平目白うらむくの黒鯛)

 

 「白(しら)うら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 衣服の裏地の白いもの。

  ※三条家装束抄(1200頃か)「狩衣事〈略〉壮年の人は張裏、中年の人は生張の裏用レ之、老者は白裏 生張 用レ之」

 

とある。「むく」は無地のことで黒鯛なら黒無垢であろう。

 前句をスズキは腸の綿入れを着ているということにして、平目は裏地の白い綿入れを、黒鯛は黒無垢の綿入れを着ている。

 

無季。「白うら」「むく」は衣裳。

 

四十九句目

 

   平目白うらむくの黒鯛

 花なるらん龍の都の驕り者    信徳

 (花なるらん龍の都の驕り者平目白うらむくの黒鯛)

 

 「龍の都」は竜宮城のある所だろう。タイやヒラメがいて、さぞかし華やかなことだろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   花なるらん龍の都の驕り者

 父大臣のかねつぶす春      桃青

 (花なるらん龍の都の驕り者父大臣のかねつぶす春)

 

 「父大臣」は『校本芭蕉全集 第三巻』の補注によると、謡曲『海人』に、

 

 「かくて竜宮に到りて、宮中を見ればその高さ、三十丈の玉塔に、かの玉を籠め置き、香花を供へ守護神に、八竜並み居たりその外悪魚鰐の口、逃れ難しやわが命。さすが恩愛の古里の方ぞ恋しき。あの波のあなたにぞ、わが子はあるらん父大臣もおはすらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.87305-87317). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

という形で登場する。『解註謡曲全集』の注には藤原不比等ということになっている。物語では妹の玉を奪われ身をやつして海女と契り、その海女が玉を取り返しに行く。父大臣は藤原不比等、わが子は藤原房前になる。

 前句の驕り者は藤原房前であろう。母から龍宮の話を聞いてい行ってみたくなって、そこで金に物を言わせ、父大臣の金を使い果たしたといったところか。傾城の乙姫様がいたのだろう。

 

季語は「春」で春。「父大臣」は人倫。

三表

五十一句目

 

   父大臣のかねつぶす春

 手道具や十二一重の薄霞     信章

 (手道具や十二一重の薄霞父大臣のかねつぶす春)

 

 手道具は調度のこと。娘の持ち物にはいろいろと金がかかる。

 薄霞は、

 

 春のくる空のけしきは薄霞

     たなびきわたる逢坂の山

              後鳥羽院(正治後度百首)

 

などの用例がある。

 

季語は「薄霞」で春、聳物。「十二一重」は衣裳。

 

五十二句目

 

   手道具や十二一重の薄霞

 笈の内より遠山の月       信徳

 (手道具や十二一重の薄霞笈の内より遠山の月)

 

 これは違え付けで、貴族の手道具は十二一重の春の薄霞のようで、乞食坊主の笈の内には秋の遠山の月があるかのようだ。

 

 世の中はとてもかくても同じこと

     宮もわら屋もはてしなければ

              蝉丸(新古今集)

 

の心だ。

 遠山の月は、

 

 岡のへの奈良の落葉に時雨降り

     ほのぼの出づる遠山の月

              後鳥羽院(新拾遺集)

 

の用例がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。「遠山」は山類。

 

五十三句目

 

   笈の内より遠山の月

 小男鹿の妻をとられな宿かすな  桃青

 (小男鹿の妻をとられな宿かすな笈の内より遠山の月)

 

 笈を背負った旅人に妻を取られなくなかったら宿を貸すな。

 コトバンクで「夜道怪(やどうかい)」を引くと「世界大百科事典内の夜道怪の言及」に、

 

 「…しかし室町時代末期になると,高野聖の宗教的機能が低下したばかりでなく品性も悪化し,世の嫌われ者になった。これは高野聖の特権として随所で宿を借りながら,悪事をはたらく者があったからで,宿借聖をもじって夜道怪(やどうかい)とよんだり,〈高野聖に宿貸すな,娘取られて恥かくな〉というような地口ができた。また戦国時代には間諜のはたらきもしたために,織田信長は1383人の高野聖を処刑した。…」

 

とある。

 この場合の「小男鹿の」は前句の「月」との縁で、妻を導き出す枕詞のようなもの。宿貸すなと言われて野宿する。

 小男鹿の月は、

 

 思ふこと有明がたの月影に

     あはれをそふるさを鹿の聲

              皇后宮右衞門佐(金葉集)

 

など、歌に詠まれている。

 

季語は「小男鹿の」で秋、獣類。

 

五十四句目

 

   小男鹿の妻をとられな宿かすな

 公儀のおふれ武蔵野の秋     信章

 (小男鹿の妻をとられな宿かすな公儀のおふれ武蔵野の秋)

 

 前句の「妻をとられな宿かすな」を公儀のおふれとする。実際そんなおふれはないが。

 小男鹿に武蔵野は、

 

 さを鹿の夜半の草ぶし明けぬれど

     かへる山なき武蔵野の原

              藤原家隆(新拾遺集)

 

の縁。

 

季語は「秋」で秋。

 

五十五句目

 

   公儀のおふれ武蔵野の秋

 闕所ものはらふ草より草の露   信徳

 (闕所ものはらふ草より草の露公儀のおふれ武蔵野の秋)

 

 「闕所(けっしょ)もの」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸時代、闕所によって官に没収された財産のうち、貨幣をのぞく物品をいう。闕所物を払い下げた代金は領主の臨時収入であったが、その用途は一様でなかった。闕所品。〔地方凡例録(1794)〕」

 

とある。

 闕所物を払い下げてもらって質草にしても露ほどの金にしかならない。

 武蔵野の露は、

 

 玉に貫く露はこぼれて武蔵野の

     草の葉むすぶ秋の初風

              西行法師(新勅撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。「草」は植物、草類。

 

五十六句目

 

   闕所ものはらふ草より草の露

 火付の蛍とられ行覧       桃青

 (闕所ものはらふ草より草の露火付の蛍とられ行覧)

 

 前句の闕所ものは火付けの蛍から取ったものだから草の露にしかならない。

 草の露に蛍は、

 

 終夜もゆるほたるをけさ見れば

     草の葉ごとに露ぞおきける

              健守法師(拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「蛍」で夏、虫類。

 

五十七句目

 

   火付の蛍とられ行覧

 本三位戾を張たるごとくにて   信章

 (本三位戾を張たるごとくにて火付の蛍とられ行覧)

 

 「本三位」は平重衡(たいらのしげひら)のこと。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、

 

 「没年:文治1.6.23(1185.7.21)

  生年:保元2(1157)

 平安末期の武将。平清盛の5男,母は平時子。宗盛,知盛,徳子らの同母弟。生年を保元1(1156)年とする説もある。応保2(1162)年に叙爵し,尾張守,左馬頭,中宮亮などを経て,治承3(1179)年左近衛権中将,翌年蔵人頭と累進。極官が正三位左近衛権中将であったため,「本三位中将」ともいわれた。文武兼備の人物で,蔵人頭として朝儀・公事をよく処理する一方,源平争乱が勃発すると,武将として奮迅の活躍をし,治承4年5月に以仁王・源頼政の挙兵を鎮圧,同年12月には興福寺・東大寺攻撃の総大将となって大仏殿以下を焼き打ちした。このため,仏敵と非難されるが,翌年3月墨俣川の戦で源行家を撃破し,平家都落ちののちも,寿永2(1183)年閏10月の水島合戦,翌月の室山合戦などでも勝利を収めた。しかし,翌年2月,一の谷の戦で捕虜となり,兄宗盛のもとに使者を遣わして,三種の神器の返還と源平の和議を試みようとするが実現せず,鎌倉に護送された。源頼朝に厚遇されるが,興福・東大両寺の衆徒の強い要求によって奈良に送られ,南都焼き打ちの張本として木津川畔で斬首。『平家物語』は,虜因の身となった重衡を,平家の滅亡を象徴する非運の武将として哀切に描いている。<参考文献>安田元久『平家の群像』(田中文英)」

 

とある。大仏殿を焼き討ちしたことで、ここでは「火付の蛍」にされている。

 戾はここでは綟(もぢ)のことでweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「麻糸で織った目の粗い布。夏の衣服や、蚊帳(かや)などに使う。」

 

とある。平重衡が一之谷合戦で捕らえられたことを蛍が蚊帳にかかったとする。『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある通り、謡曲『千手』の

 

 「今は梓弓、よし力なし重衡も、引かんとするにいづ方も、網を置きたる如くにて、逃れかねたる淀鯉の、生捕られつつ」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.26340-26344). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

の「網を置きたる如くにて」を「綟(もぢ)を張たるごとくにて」にしている。

 

無季。

 

五十八句目

 

   本三位戾を張たるごとくにて

 貢の箱や飴をこしなる      信徳

 (本三位戾を張たるごとくにて貢の箱や飴をこしなる)

 

 飴をこし(飴粔籹)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 菓子の一種。もち米を蒸して乾燥させ、炒(い)って水飴を加えて固めた菓子。おこし。興(おこ)し米(ごめ)。

  ※俳諧・山之端千句(1680)下「月も出てくるねり物もくる〈翁〉 はらはらと晴行空の飴おこし〈春〉」

 

とある。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注には、その表面の形状から「綟(もぢ)を張たるごとく」に付くという。

 

無季。

 

五十九句目

 

   貢の箱や飴をこしなる

 かたくまに難波の梅の兄弟    桃青

 (かたくまに難波の梅の兄弟貢の箱や飴をこしなる)

 

 謡曲『難波』は「難波の梅」という異称もあり、

 

 難波津に咲くやこの花冬ごもり

     今は春べと咲くやこの花

 

という『古今和歌集』仮名序で王仁の歌とされている和歌が元になっている。その一節に、

 

 「高き屋に、登りて見れば煙立つ、民の竈は、賑ひにけりと、叡慮にかけまくも、かたじけなくぞ聞こえける。 然ればこの君の、代代に例を引く事も、げにありがたき詔、国国にあまねく、三年の御調免されし、その年月も極まれば、浜の真砂の数つもりて、雪は豊年の御調物、ゆるす故にやなかなか、いやましに運ぶ御宝の、千秋万歳の、千箱の珠を奉る。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.8826-8838). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。

 高き屋ならぬ肩車に難波の兄弟が見渡せば、貢の箱の飴をもらう。梅は早く咲くことから花の兄と呼ばれる。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「難波」は名所。「兄弟」は人倫。

 

六十句目

 

   かたくまに難波の梅の兄弟

 貫之が筆朝書の春        信章

 (かたくまに難波の梅の兄弟貫之が筆朝書の春)

 

 『古今和歌集』仮名序の歌ということで紀貫之が朝のうちにさっと書いた。

 

季語は「春」で春。

 

六十一句目

 

   貫之が筆朝書の春

 それのとし徳利の氷とけそめて  信徳

 (それのとし徳利の水とけそめて貫之が筆朝書の春)

 

 「それのとし」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「土佐日記一段『それの年の十二月二十日余りの一日』」から来ているという。

 「とけそめて」はまあ言わずと知れた、

 

 袖ひぢてむすびし水の凍れるを

     春立つ今日の風やとくらむ

              紀貫之(古今集)

 

の歌で、徳利が酒でなくて氷った水なのは、当時は酢徳利もあり、多様な用途に用いられていたからだろう。

 

季語は「氷とけそめて」で春。

 

六十二句目

 

   それのとし徳利の氷とけそめて

 うどん切落す橋の下水      桃青

 (それのとし徳利の氷とけそめてうどん切落す橋の下水)

 

 氷が融けて流れ出すと、橋の下水もうどんを切り落とした破片が流れてくるようだ。

 氷解けて下水というと、

 

 岩間とぢし氷も今朝は解け初めて

     苔の下水道もとむらむ

              西行法師(新古今集)

 

の歌になる。

 

無季。「橋」は水辺。

 

六十三句目

 

   うどん切落す橋の下水

 つりものに中の間の障子引はなし 信章

 (つりものに中の間の障子引はなしうどん切落す橋の下水)

 

 「つりもの」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (━する) 路上などで出会った見知らぬ者をさそって情を交わすこと。

  ※評判記・色道大鏡(1678)二五「釣者(ツリモノ)といふは、物見物参りの道路にて、近付ならぬ女を引ゆく事也」

  ② 路傍で客をさそって売春する女。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)二「つきだされたる寝屋の釣(ツリ)もの 後夜時に鐘楼の坊主目は覚て」

  ③ だまして金などをまきあげる相手。えもの。

  ※浄瑠璃・奥州安達原(1762)四「結構な釣者がかかったと思ひの外、あちこちへ釣られてのけた」

  ④ (釣物) つるすようにしたもの。また、つってあるもの。簾など。特に歌舞伎の大道具の一つで、天井につっておいて、必要なときに綱をゆるめておろして背景などに用いるもの。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※歌舞伎・浮世柄比翼稲妻(鞘当)(1823)大切「大柱、吊(ツ)り物(モノ)にて水口を見せ」

 

とある。

 「中の間」は「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「家の中央にある部屋。奥の間と玄関などとの間にある部屋。」

 

とある。この場合はうどん屋の暖簾で、中の間の障子が開け放たれてうどんを切っているところが見えるということか。

 

無季。「中の間」「障子」は居所。

 

六十四句目

 

   つりものに中の間の障子引はなし

 恋のやごろさねだり来にけり   信徳

 (つりものに中の間の障子引はなし恋のやごろさねだり来にけり)

 

 「矢頃」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「矢を射るのにちょうどよい距離。矢丈(やだけ)。また転じて、物事を行うのにちょうどよい時機。ころあい。「―をはかる」

 

とある。

 前句の「つりもの」を①か②の意味に転じ、さあ、こっちへ来てと障子を明ける。

 

無季。恋。

三裏

六十五句目

 

   恋のやごろさねだり来にけり

 買がかりしれぬ憂名を付かけて  桃青

 (買がかりしれぬ憂名を付かけて恋のやごろさねだり来にけり)

 

 「買がかり」は「買い掛け」のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘他ラ四〙 掛けで品物を買う。掛け買いをする。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第九「買懸る松はもとより否(いや)になる 天神ぐらいがよい遊びもの」

  〘名〙 現金でなく、掛けで品物を買うこと。また、その代金。掛け買い。かいがかり。⇔売掛

 

とある。

 女を買った覚えもないのに、この前の代金払ってと言いがかりをつけてきて金を要求された。今だとネットで閲覧した覚えのないポルノサイトから請求が来るというパターンか。

 

無季。恋。

 

六十六句目

 

   買がかりしれぬ憂名を付かけて

 いつの大よせいつの御一座    信章

 (買がかりしれぬ憂名を付かけていつの大よせいつの御一座)

 

 「大よせ」はweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「多数の遊女や芸人を呼んで遊興すること。

 「―して飲み明かさう」〈伎・壬生大念仏〉」

 

とある。

 身に覚えのない請求に、いつの団体さんなのか、いつ同席したのか問いただす。

 

無季。恋。

 

六十七句目

 

   いつの大よせいつの御一座

 朝夷奈のさぶ様四郎様五郎様の  信徳

 (朝夷奈のさぶ様四郎様五郎様のいつの大よせいつの御一座)

 

 朝比奈三郎は朝比奈義秀で実在の人物だが、遠慮してか「さぶ様」にしている。ウィキペディアには、

 

 「朝比奈 義秀(あさひな よしひで)は、鎌倉時代初期の武将・御家人。安房国朝夷郡に領地としたことで朝比奈を苗字とする。朝比奈氏(和田氏一族)の当主。

 父・和田義盛が北条氏打倒を企てて起こした和田合戦で、最もめざましく奮戦した武将。『吾妻鏡』はこの合戦での義秀の活躍を詳細に記述している。」

 

とあり、

 

 「『平家物語』などの軍記物語で活躍した大力の女武者巴御前の子と伝わる。」

 

とある。

 朝比奈四郎は曾我物語の登場人物。朝比奈五郎は知らない。

 前句の大よせ御一座を朝比奈様御一行とする。

 

無季。

 

六十八句目

 

   朝夷奈のさぶ様四郎様五郎様の

 地獄やぶりや芝居やぶりや    桃青

 (朝夷奈のさぶ様四郎様五郎様の地獄やぶりや芝居やぶりや)

 

 古浄瑠璃には「義経地獄破」があるという。朝比奈三郎は門破り。芝居破りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (芝居が終わると、見物席の客を追い出すように出すところから) 芝居興行、見世物、また遊山(ゆさん)などの終わり。

  ※慶長見聞集(1614)二「皆人、名残惜思ふ処に風呂あかりの遊びおどりを芝居やぶりに仕へしとことはる」

  ※浮世草子・色里三所世帯(1688)上「是が今日の御遊山の芝居(シバヰ)やふり」

 

とある。

 義経地獄破、朝比奈三郎門破りの芝居を観たらあとは芝居破り。

 

無季。

 

六十九句目

 

   地獄やぶりや芝居やぶりや

 小柄ぬき剣の枝のたはむ迄    信章

 (小柄ぬき剣の枝のたはむ迄地獄やぶりや芝居やぶりや)

 

 「小柄」はウィキペディアに、

 

 「小柄(こづか)とは、日本刀に付属する小刀の柄である。また、小刀そのものを指して言うこともあり、打刀などの鞘の内側の溝に装着する。」

 

とある。

 「剣の枝」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

   地獄絵につるぎの枝に人の

   つらぬかれたるを見てよめる

 あさましやつるぎの枝のたわむまで

     こは何の身のなれるなるらむ

              和泉式部(金葉集)

 

とある。

 前句の地獄破りから義経の地獄での無双をイメージしたのだろう。剣が撓んだので小柄を抜いてなおも戦う。そして芝居は終わる。

 

無季。

 

七十句目

 

   小柄ぬき剣の枝のたはむ迄

 めつきの日影にぎる修羅王    信徳

 (小柄ぬき剣の枝のたはむ迄めつきの日影にぎる修羅王)

 

 修羅王は阿修羅王のこと。第一手は胸前で合掌、第二手は左掌に日輪、右筆に月輪を持つ。戦いの鬼神だから「小柄ぬき剣の枝のたはむ迄」戦い、金メッキの日輪を握る。

 

無季。釈教。

 

七十一句目

 

   めつきの日影にぎる修羅王

 千早振木で作りたる神すがた   桃青

 (千早振木で作りたる神がためつきの日影にぎる修羅王)

 

 阿修羅像というと国宝の興福寺阿修羅像が有名だが、日輪月輪は今は失われている。

 

無季。神祇。

 

七十二句目

 

   千早振木で作りたる神すがた

 岩戸ひらけて饅頭の見世     信章

 (千早振木で作りたる神すがた岩戸ひらけて饅頭の見世)

 

 ここでは阿修羅ではなく別の神像になる。境内には饅頭屋があり、岩戸を出てきた天照大神もびっくりだろう。エジプトのスフィンクスの前にケンタがあるようなもの。

 

無季。

 

七十三句目

 

   岩戸ひらけて饅頭の見世

 銭の文字一分もまださだまらず  信徳

 (銭の文字一分もまださだまらず岩戸ひらけて饅頭の見世)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注の指摘する通り、『古今和歌集』仮名序に「ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず」から、銭の文字の一分も定まらない頃に饅頭屋があった、なんてことはあるわけない。

 

無季。

 

七十四句目

 

   銭の文字一分もまださだまらず

 掟のかはる六道の月       桃青

 (銭の文字一分もまださだまらず掟のかはる六道の月)

 

 幕府が寛永通宝を発行し、渡来銭や私鋳銭を禁止たことによって、六道輪廻に必要な三途の川の六文銭にも使えなくなった。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

七十五句目

 

   掟のかはる六道の月

 秋やむかし二代目の地蔵出給ふ  信章

 (秋やむかし二代目の地蔵出給ふ掟のかはる六道の月)

 

 六道の掟が変わったのは地蔵様が代替わりしたからとした。

 

季語は「秋」で秋。釈教。

 

七十六句目

 

   秋やむかし二代目の地蔵出給ふ

 鎧腹帯残しをく露        信徳

 (秋やむかし二代目の地蔵出給ふ鎧腹帯残しをく露)

 

 京都伏見の善願寺は行基菩薩の開いた寺で、平安時代に安産祈願の丈六の腹帯地蔵を安置したという。荒廃していたのを江戸時代に再興したというが詳しいことはよくわからない。

 そのあたりの噂から、「二代目の地蔵出給ふ」を腹帯地蔵のこととしたのかもしれない。鎧地蔵は奈良にある。

 秋に置く露は、

 

 山田もる秋のかりいほにおく露は

     いなおほせ鳥の涙なりけり

              壬生忠峯(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

七十七句目

 

   鎧腹帯残しをく露

 花の枝綺麗高麗切とりて     桃青

 (花の枝綺麗高麗切とりて鎧腹帯残しをく露)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、舞曲『百合若大臣』に、「扨てもこの鷹が鬼界高麗契丹国へも揺られず」とあるという。

 鬼界は鬼界ヶ島のことで、ウィキペディアに、

 

 「鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、平安時代末期の1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島。「鬼界島」は契丹・高麗と併称される遠国を指す一般名詞でもあり、古代以降、日本の西端の地として長い間認識されていた。広義には南島諸島の総称として用いられ、鎌倉時代以後は十二島として薩摩国河辺郡に属した。

 『平家物語』によると、島の様子は次の通りである。

 ・舟はめったに通わず、人も希である。住民は色黒で、話す言葉も理解できず、男は烏帽子をかぶらず、女は髪を下げない。農夫はおらず穀物の類はなく、衣料品もない。島の中には高い山があり、常時火が燃えており、硫黄がたくさんあるので、この島を硫黄島ともいう(『平家物語』巻第二・大納言死去)。

 ・美しい堤の上の林、紅錦刺繍の敷物のような風景、雲のかかった神秘的な高嶺、綾絹のような緑などの見える場所があった。山の風景から木々に至るまで、どこよりもはるかに素晴らしい。南を望めば海は果てしなく、雲の波・煙の波が遠くへ延びて、北に目をやれば険しい山々から百尺の滝がみなぎり落ちている(『平家物語』巻第三・康頼祝言)。」

 

とある。今でいう喜界島のことではなく、一つはどこかの火山島で、もう一つはニライカナイのイメージが入っているのではないかと思う。

 ネット上の橋口晋作さんの「『平家物語』の中の日本と外国」によると、「新羅高麗」「鬼界高麗天竺震旦」という言い回しもあったようだ。

 ここでは決まり文句のような「鬼界高麗」を綺麗高麗とするが、これは高麗錦のことであろう。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「[名]高麗の国から渡来した錦。また、高麗ふうの錦。袋・紐(ひも)や畳のへりなどに用いた。

  [枕]高麗の錦で作った紐の意から「紐」にかかる。

  「―紐解き開けし君ならなくに」〈万・二四〇五〉」

 

とある。ここでは高麗錦を切り取って腹帯にした、となる。

 花の枝の露は、

 

 露しげき花の枝ごとにやどりけり

     野原や月の棲みかなるらむ

              藤原俊成(続古今集)

 をとめごがかさしの萩の花の枝に

     玉を飾れる秋の白露

              藤原為家(玉葉集)

 

などの歌に詠まれている。秋に詠むものだが、春への季移りに用いられる。

 

 

季語は「花の枝」で春、植物、木類。

 

七十八句目

 

   花の枝綺麗高麗切とりて

 にしめの蕨人参甘草       信章

 (花の枝綺麗高麗切とりてにしめの蕨人参甘草)

 

 前句の高麗の縁で人参を出し、蕨と人参と甘草を煮しめにする。

 

季語は「蕨」で春、植物、草類。

名残表

七十九句目

 

   にしめの蕨人参甘草

 春霞気を引たつる薄醤油     信徳

 (春霞気を引たつる薄醤油にしめの蕨人参甘草)

 

 醤油は『日本の味 醤油の歴史』(林玲子・天野雅敏編、二〇〇五、吉川弘文館)によると、紀伊湯浅で正応年刊(一二八八~九三)には販売されていて、以降十六世紀には他国への移出していたという。播州龍野でも天正年刊(一五七三~九二)には生産が始められていた。薄口醬油は寛文六年(一六六六年)に播州龍野の円尾孫右衛門によって始められたとされる。これが関西方面に広まっていて京都の信徳も知っていたのだろう。関東で醤油が広まるのはもう少し後になる。

 これと別系統で愛知、岐阜、三重の東海三県では原初的な穀醤から派生した溜まり醤油があったが、商品化されたのは元禄十二年(一六九九年)だという。また、海辺の地方では独自の魚醤が作られていたものと思われる。

 にしめに醤油を使い、良い香りがする。醤油普及以前の煮しめどういうものかよくわからないが、醤油の香ばしい香りはやがて日本人に取ってなくてはならない香りになる。

 蕨に霞は、

 

 春山の裾野にもゆるさ蕨は

     峰の霞やけぶりなるらむ

              源顕仲(堀河百首)

 

の歌がある。

 

季語は「春霞」で春、聳物。

 

八十句目

 

   春霞気を引たつる薄醤油

 杓子はこけて足がひよろつく   桃青

 (春霞気を引たつる薄醤油杓子はこけて足がひよろつく)

 

 前句の「引(ひき)たつる」を文字通り引っ張って立たせるとし、杓子がこけたからだとする。

 

無季。

 

八十一句目

 

   杓子はこけて足がひよろつく

 良しばし下女と下女とのたたかひに 信章

 (良しばし下女と下女とのたたかひに杓子はこけて足がひよろつく)

 

 「良」は「やや」と読む。下女同士のけんかで杓子で叩き合って足がひょろつく。

 

無季。「下女」は人倫。

 

八十二句目

 

   良しばし下女と下女とのたたかひに

 赤前だれの旗をなびかす     信徳

 (良しばし下女と下女とのたたかひに赤前だれの旗をなびかす)

 

 赤前だれはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 赤い色の前垂れ。また、それを掛けた女。近世では、宿屋の女、茶屋女、遊女屋の遣手(やりて)などの風俗。柿前垂。

  ※俳諧・犬子集(1633)五「山姫の赤まへだれか下紅葉」

 

とある。赤前垂れを平家の赤旗に見立てる。

 

無季。

 

八十三句目

 

   赤前だれの旗をなびかす

 酒桶に引導の一句しめされて   桃青

 (酒桶に引導の一句しめされて赤前だれの旗をなびかす)

 

 引導は今日では「引導を渡す」という進退をゆだねる意味で用いるが、元の意味は死者に現世への思いを断たせることで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「誘引開導の意で、本来は人を正しい道、仏道に導き入れることをいうが、転じて、死者を彼岸(ひがん)に導き済度(さいど)する葬儀の儀礼をいう。日本仏教では、真宗を除く各宗派でそれぞれ異なる引導の方法があるが、禅宗では法要を主宰する導師が柩(ひつぎ)の前で、引導法語とよばれる法語、偈頌(げじゅ)などを唱え、「喝(かつ)」などと大声を発する独特の儀式がある。これは中国唐代中期の禅僧黄檗希運(おうばくきうん)が溺死(できし)した母のために法語を唱え、荼毘(だび)の火を投じたことに由来するといわれる。[石川力山]」

 

とある。

 この場合は比喩で、酒を提供する店が酒桶がもうすぐ底をつくことを告げることを言ったか。

 酒と旗は「水村山郭酒旗風」の縁もある。参考までに。

 

   江南春望   杜牧

 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え

 水辺の村山村の壁酒の旗に風

 南朝には四百八十の寺

 沢山の楼台をけぶらせる雨

 

無季。

 

八十四句目

 

   酒桶に引導の一句しめされて

 つらつらをもんみれば人は穴蔵  信章

 (酒桶に引導の一句しめされてつらつらをもんみれば人は穴蔵)

 

 前句の引導を本来の意味にして、人は最後は結局桶に入れられて墓という穴蔵に入る、とする。

 

無季。「人」は人倫。

 

八十五句目

 

   つらつらをもんみれば人は穴蔵

 うらがへす畳やぶれて夢もなし  信徳

 (うらがへす畳やぶれて夢もなしつらつらをもんみれば人は穴蔵)

 

 穴蔵は地下貯蔵庫で、火事対策のために作られることが多かった。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、

 

 「地下式土坑とも呼ばれる。日本の中・近世遺跡の代表的な遺構の一つ。地表下数m,広さ数m2の地下室。通常,土の天井をもつ。その多くは地下の穴蔵であったものと考えられる。現在,多くの屋敷跡の調査が行われている「江戸」では,その地下は穴だらけといわれるほど無数のこの種の遺構が発見されている。入口はいずれも1辺 1mほどであるが,深さ 3m,広さ2~3m2ほどのものから,階段のついた広さ 20m2に及ぶものまでさまざまである。中から多数の遺物が出土することが多い。」

 

とある。

 ひょっとしてこの家にもご先祖さんが作った穴蔵があって御宝でも出てこないかと思ったが、裏返した畳は破れるだけで何もなかった。

 

無季。

 

八十六句目

 

   うらがへす畳やぶれて夢もなし

 蚤にくはれて来ぬ夜数かく    桃青

 (うらがへす畳やぶれて夢もなし蚤にくはれて来ぬ夜数かく)

 

 恋句の定番の愛しき人を待つ夜だが、畳は破れ蚤にも食われ、悲惨。

 「夢もなし」に「夜」が付く。

 

季語は「蚤」で夏、虫類。恋。「夜」は夜分。

 

八十七句目

 

   蚤にくはれて来ぬ夜数かく

 君君君爪の先ほどおもはぬか   信章

 (君君君爪の先ほどおもはぬか蚤にくはれて来ぬ夜数かく)

 

 蚤を爪で潰しながら、君、君、君、夜の邪魔をして爪の先ほど思わぬか、と問いかける。

 

無季。恋。「君」は人倫。

 

八十八句目

 

   君君君爪の先ほどおもはぬか

 しのぶることのまくる点取    信徳

 (君君君爪の先ほどおもはぬかしのぶることのまくる点取)

 

 点取(てんとり)といえば点取俳諧で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「③ 「てんとりはいかい(点取俳諧)」の略。

  ※俳諧・毛吹草追加(1647)上「点(テン)取や言の葉種(くさ)の花軍〈空存〉」

 

とあるように、貞門の古い時代からあったようだ。俳諧一巻を点者に見てもらい、良い句の上に点を打ってもらうのだが、俺の句の上にはいつも点がない。点者に向かって君君君爪の先ほども良い句だと思ってくれないのか、我慢にも限界があるぞ、とする。

 どう見ても恋の句ではないけど「しのぶ」の言葉があるので形式的に恋の句になる。

 

無季。恋。

 

八十九句目

 

   しのぶることのまくる点取

 恋よはし内親王の御言葉     桃青

 (恋よはし内親王の御言葉しのぶることのまくる点取)

 

 前句の「しのぶることのまくる」が、

 

 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば

     忍ぶることのよわりもぞする

              式子内親王(新古今集)

 

に似ているので、式子内親王を点者にして、「恋よわし」と判定され、恋の「忍ぶ」ときの情が負けているとする。

 

無季。恋。

 

九十句目

 

   恋よはし内親王の御言葉

 乳母さへあらばくろがねの盾   信章

 (恋よはし内親王の御言葉乳母さへあらばくろがねの盾)

 

 藤原定家はウィキペディアに、

 

 「建仁2年(1202年)定家は源通親宛に内蔵頭・右馬頭・大蔵卿いずれかの任官を望んで申文を提出したり、当時強い権勢を持っていた藤原兼子(後鳥羽天皇の乳母)に対しても仮名状を送ったほか、兼子が病臥していると聞くと束帯姿で見舞いに行くなど、猟官を目的に権力者の意を迎えるために腐心した。」

 

とある。

 式子内親王に「恋よはし」と歌合で自分の歌をけなされた歌詠みは、藤原定家のように後鳥羽院の乳母(めのと)が後ろについていれば、と悔しがる。

 

無季。「乳母(めのと)」は人倫。

 

九十一句目

 

   乳母さへあらばくろがねの盾

 いもの神鬼神なりとも閨の月   信徳

 (いもの神鬼神なりとも閨の月乳母さへあらばくろがねの盾)

 

 「いもの神」は疱瘡(いも)の神。何やら恐い鬼神らしいけど乳母がいてくれれば怖くない。

 月は芋名月に掛けている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

九十二句目

 

   いもの神鬼神なりとも閨の月

 ましてや面は張貫の露      桃青

 (いもの神鬼神なりとも閨の月ましてや面は張貫の露)

 

 疱瘡神が節分の鬼のように芋名月の日にやってきたりしたのか。張り子の面なら恐くない。

 閨の月の露は、

 

 なれなれて秋に扇をおく露の

     色もうらめし閨の月影

              俊成女(新勅撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。

名残裏

九十三句目

 

   ましてや面は張貫の露

 翁草布の衣装をひるがへし    信章

 (翁草布の衣装をひるがへしましてや面は張貫の露)

 

 翁草は今日でいうオキナグサではなく菊のこと『増補 俳諧歳時記栞草』では九月の所に、

 

 「翁草 菊をも松をもいふ。住吉の里に五位の松とて、年ふりたる松あり。かの松の神やありけん、後には化して翁に成て住けり。常に心をすまして琴をしらべ、又、庭に菊をうゑて愛しけり。翁が歌に〽我庭はきしの松蔭しかぞすむ翁が草の花もさかなん 〇此故事によりて、松をも菊をも、ともに翁草といふよし也。」

 

とある。

 布の衣装に張り子の面を付けた菊人形は、江戸後期ほど派手ではないものの、この頃からあったのだろう。

 翁草は和歌では作例が少ないが、

 

 なにゆゑか人もすさめむおきな草

     身はくちはつる野への霜枯

              藤原基良(宝治百首)

 霜枯れのおきな草とは名のれども

     をみなへしにはなほ靡きけり

              源順(夫木抄)

 

のように霜枯れの翁草を詠む。

 

季語は「翁草」で秋、植物、草類。「布の衣装」は衣裳。

 

九十四句目

 

   翁草布の衣装をひるがへし

 松は幾代の青砥左衛門      信徳

 (翁草布の衣装をひるがへし松は幾代の青砥左衛門)

 

 青砥左衛門は青砥藤綱(あおとふじつな)でウィキペディアに、

 

 「鎌倉時代後期の武士。名は三郎・左衛門。」

 「次代執権の北条時宗にも仕え、数十の所領があり家財に富んでいたが、きわめて質素に暮らし倹約を旨とした。他人に施すことを好み、入る俸給はすべて生活に困窮している人々に与えた。藤綱がその職にあるときには役人は行いを慎み、風俗は大いに改まったという。なお、『太平記』では藤綱を北条時宗及び次代執権の北条貞時の時の人としている。」

 

とある。

 ここでは霜枯れの翁草に常緑の松を付ける相対付けになる。

 謡曲『翁』のお目出度い舞にことほがれて、松は幾代も常緑を保つ。松の常緑の青から青砥左衛門を出す。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

九十五句目

 

   松は幾代の青砥左衛門

 北條のやどを嵐に尋れば     桃青

 (北條のやどを嵐に尋れば松は幾代の青砥左衛門)

 

 青砥左衛門は北条時頼と北条時宗、北条貞時と三代にわたって北条氏に仕えた。北条の宿に行けば、どんな嵐の時でも青砥左衛門は傍に仕えている。

 嵐は北条時宗の時代の元寇の嵐のことか。

 松に嵐は、

 

 ふゆされは嵐の声も高砂の

     松につけてぞ聞くべかりける

              大中臣能宣(拾遺集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

九十六句目

 

   北條のやどを嵐に尋れば

 かれこれをつぶしてひとつになる雲 信章

 (北條のやどを嵐に尋ればかれこれをつぶしてひとつになる雲)

 

 九八というかなり大幅な字余りの句だ。

 元寇の時のモンゴルの船団が潰されてゆく様子であろう。講談の前身である太平記講釈の口調を真似たか。

 

 なごりなく夜半の嵐に雲晴れて

     心のままにすめる月かな

               源行宗(金葉集)

 

の歌もある。

 

無季。「雲」は聳物。

 

九十七句目

 

   かれこれをつぶしてひとつになる雲

 火神鳴たたらをふんでひびく覧  信徳

 (火神鳴たたらをふんでひびく覧かれこれをつぶしてひとつになる雲)

 

 「たたらをふむ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 たたらを踏んで空気を送る。

  2 勢いよく向かっていった的が外れて、から足を踏む。」

 

とある。

 火神鳴は稲妻と雷の音ということだろう。それが勢い余って響き渡り、あちらこちらに落ちる。

 

無季。

 

九十八句目

 

   火神鳴たたらをふんでひびく覧

 菅相丞も本庄のすゑ       桃青

 (火神鳴たたらをふんでひびく覧菅相丞も本庄のすゑ)

 

 菅相丞は菅原道真のこと。死後火雷天神と呼ばれ、雷神信仰と結びついていった。ウィキペディアに、

 

 「延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。」

 

とあり、これによって北野天神に祀られた。これが雷神信仰と結びつくきっかけとなる。

 「本庄のすゑ」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に江戸の本所深川の本所とし、本所の向こう側の亀戸天神のことだという。

 

無季。

 

九十九句目

 

   菅相丞も本庄のすゑ

 江戸の花延喜このかたの時とかや 信章

 (江戸の花延喜このかたの時とかや菅相丞も本庄のすゑ)

 

 菅原道真は延喜三年(九〇三年)没。今の江戸の繫栄は、延喜の時代にも匹敵するのではないか。

 菅原道真を祀る亀戸天神なら梅の花だが、定座なので「花」で桜のこととする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   江戸の花延喜このかたの時とかや

 鷺白鳥も驚かぬ春        主筆

 (江戸の花延喜このかたの時とかや鷺白鳥も驚かぬ春)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注にもある通り、「諫鼓苔深く鳥驚かぬ(かんここけふかくとりおどろかぬ)」という言葉がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「君主が、善政を施すので、諫鼓を用いることもなく苔が生えてしまい、鳥が鼓の音に驚くこともないの意から、世の中がよく治まっていることのたとえ。

  ※和漢朗詠(1018頃)下「刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去んぬ 諫鼓苔深うして鳥驚かず〈小野国風〉」

 

とある。

 鷺は謡曲『鷺』の延喜の時代に五位に叙されて慶喜の舞を舞う、あの鷺のイメージだろう。こうして一巻は目出度く終わる。

 延宝五年冬の「あら何共なや」の巻、延宝六年春の「さぞな都」の巻、そしてこの「物の名も」の巻の三巻は、

延宝四年春の二つの桃青・信章両吟と合わせて、『桃青三百韻附両吟二百韻』として刊行されることになる。

 

季語は「春」で春。「鷺」「白鳥」は鳥類。