「残る蚊に」の巻、解説

初表

 残る蚊に袷着て寄る夜寒哉     雪芝

   餌畚ながらに見するさび鮎   芭蕉

 夕月の光る椿は実になりて     土芳

   薄かき色に咲ける鶏頭     風麦

 身をそばめ二人つれ行在郷道    玄虎

   こぶちかけ置霜のあけぼの   苔蘇

 

初裏

 煤萱を目利のうちにかたづけて   芭蕉

   つりて貴き門の鰐口      雪芝

 大木の梢は枝のちぢむなり     風麦

   野に麦をしてこかす俵物    土芳

 山臥についなつて来て札賦る    苔蘇

   一里行ても宿をとる旅     玄虎

 掛物の布袋の顔に月指て      雪芝

   百のやいとにきりぎりす啼   芭蕉

 秋風の雨ほろほろと川の上     土芳

   かち荷は舟を先あがる也    風麦

 美濃山はのこらず花の咲き揃ひ   芭蕉

   とてもするなら春の順礼    苔蘇

 

 

二表

 永き日の西になつたるきりめ縁   玄虎

   あはれにぬるる雨の白鷺    雪芝

 のかれぬやよそからは来ぬ冬の来て 風麦

   柴焚くかげに遊ぶ夜すがら   土芳

 寒竹の杖のふしよむ老のわざ    玄虎

   しらぬ山路を馬にまかせて   玄虎

 暮るより寺を見かへる高灯籠    雪芝

   すすきのかげにすへるはきだめ 芭蕉

 むげなれや月にとはるる人も哉   土芳

   琵琶のいはれを語る竹縁    風麦

 思ひきる跡よりなみだつきかけて  土芳

   にほひするかみしよぼくねて越 苔蘇

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 残る蚊に袷着て寄る夜寒哉    雪芝

 

 すっかり夜寒になり、こうして袷を着て集まっているのは興行の時の様子であろう。寒くなったのにまだ蚊がいて、秋の蚊はしつこくて嫌ですね、といったところだろう。

 

季語は「夜寒」で秋、夜分。「残る蚊」は虫類。「袷」は衣裳。

 

 

   残る蚊に袷着て寄る夜寒哉

 餌畚ながらに見するさび鮎    芭蕉

 (残る蚊に袷着て寄る夜寒哉餌畚ながらに見するさび鮎)

 

 「餌畚(ゑふご)」は鷹匠の持ち歩く餌袋のことだが、釣の時の餌を入れる竹籠にも使う。「さび鮎」は秋の産卵期の鮎で「落ち鮎」ともいう。この時期の鮎は友釣りもできず、餌釣りも食いが悪いという。だからこの「さび鮎」は貴重なものだともいえよう。

 「寒いのに蚊がいるところですいません」「いえ、この時期の鮎は貴重です」といったところか。

 

季語は「さび鮎」で秋。

 

第三

 

   餌畚ながらに見するさび鮎

 夕月の光る椿は実になりて    土芳

 (夕月の光る椿は実になりて餌畚ながらに見するさび鮎)

 

 椿は秋に実をつけ、圧搾絞りで油がとれる。さび鮎の季節を付ける。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。「椿」は植物、木類。

 

四句目

 

   夕月の光る椿は実になりて

 薄かき色に咲ける鶏頭      風麦

 (夕月の光る椿は実になりて薄かき色に咲ける鶏頭)

 

 鶏頭は普通は赤いが、薄柿色の鶏頭が椿の実のなる傍らに咲いている。園芸品種として作られたものだろうか。

 

季語は「鶏頭」で秋、植物、草類。

 

五句目

 

   薄かき色に咲ける鶏頭

 身をそばめ二人つれ行在郷道   玄虎

 (身をそばめ二人つれ行在郷道薄かき色に咲ける鶏頭)

 

 在郷道はいわば街道を外れた田舎道ということだろう。旅は二人連れの場合が多いので、この場合も旅人だろう。ちょっと寄り道してゆくと鶏頭が咲いている。

 

無季。旅体。「身」「二人」は人倫。

 

六句目

 

   身をそばめ二人つれ行在郷道

 こぶちかけ置霜のあけぼの    苔蘇

 (身をそばめ二人つれ行在郷道こぶちかけ置霜のあけぼの)

 

 「こぶち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「首打・機」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「こうべうち(首打)」の変化した語) 野鳥や獣の首をうちはさんで捕えるわな。おし。おとし。こぶつ。〔俗語考(1841)〕」

 

とあり、「世界大百科事典内のコブチの言及」に、

 

 「これの小型で,棒を上下に置き,または籠を釣って小鳥が下にまいた餌をついばむと糸がはずれて首をはさむもの,または籠が落下して生捕りするものは,平安時代の絵にも描かれており,クブチあるいはコブチといって現在でも山村で行われる。」

 

とある。

 二人連れで来て仕かけておくなら、ある程度大型のものか。

 

季語は「霜」で秋、降物。

初裏

七句目

 

   こぶちかけ置霜のあけぼの

 煤萱を目利のうちにかたづけて  芭蕉

 (煤萱を目利のうちにかたづけてこぶちかけ置霜のあけぼの)

 

 目利(めきき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「目利」の解説」に、

 

 「① 目が利くこと。視力がすぐれていること。方々に目をくばり見つけることが早いこと。目ざといこと。めかど。また、その人。

  ※名語記(1275)六「声をこそきくに、目きき、手きき、心ききのきき如何」

  ② 物の真贋(しんがん)・良否などを見わけること。鑑定。また、価値を判断する能力があること。めかど。また、その人。

  ※風姿花伝(1400‐02頃)一「これも、まことの花にはあらず。〈略〉。まことの目ききは、見分くべし」

  ※咄本・醒睡笑(1628)四「五分や三分長くとも、二尺三寸というてあらそひけるが、めききするうへにこそ、そのならひはあらんずれと」

 

とある。今はもっぱら②の意味で用いられるが、ここでは①の意味で、目の利く明るいうちにという意味だろう。

 煤萱は萱を刈った跡の屑か何かで、人の痕跡が残っていると動物に警戒されるから、それを前日の明るいうちに片づけておいて、明け方にコブチを仕掛ける。

 

無季。

 

八句目

 

   煤萱を目利のうちにかたづけて

 つりて貴き門の鰐口       雪芝

 (煤萱を目利のうちにかたづけてつりて貴き門の鰐口)

 

 鰐口は今でもお堂で参拝するときに、賽銭箱の上に紐が垂れていて、それを打ち鳴らす。神社は鈴で仏堂は鰐口を用いている。

 門の前の煤萱を綺麗に掃除してから鰐口を吊り下げる。

 

無季。釈教。

 

九句目

 

   つりて貴き門の鰐口

 大木の梢は枝のちぢむなり    風麦

 (大木の梢は枝のちぢむなりつりて貴き門の鰐口)

 

 縮むは剪定されるということか。鰐口を吊って寺を新しくすれば、庭の木もきちんと剪定される。

 

無季。「大木」は植物、木類。

 

十句目

 

   大木の梢は枝のちぢむなり

 野に麦をしてこかす俵物     土芳

 (大木の梢は枝のちぢむなり野に麦をしてこかす俵物)

 

 俵物(へうもの)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「俵物」の解説」に、

 

 「ひょう‐もの ヘウ‥【俵物】

  〘名〙 俵に入れたもの。また俵づめした穀類。俵子(ひょうす)。ひょうもつ。たわらもの。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)一「杉ばへの俵物(ヒャウモノ)、山もさながら動きて」

 

とある。

 野に麦を植えて畑にし、廻りの木の枝を切り払う。麦が取れれば麦俵が積み上がって、転げ落ちる程になる。

 

季語は「麦」で夏。

 

十一句目

 

   野に麦をしてこかす俵物

 山臥についなつて来て札賦る   苔蘇

 (山臥についなつて来て札賦る野に麦をしてこかす俵物)

 

 特になりたかったわけでもなく、成り行きで山伏になってしまったのだろう。麦農家のところへやってきてお札を配るが、俵をひっくり返したりしてへまをする。

 狂言『柿山伏』の連想を狙ったのかもしれない。

 

無季。「山臥」は人倫。

 

十二句目

 

   山臥についなつて来て札賦る

 一里行ても宿をとる旅      玄虎

 (山臥についなつて来て札賦る一里行ても宿をとる旅)

 

 札配りが忙しくてなかなか先へ進めない。

 

無季。旅体。

 

十三句目

 

   一里行ても宿をとる旅

 掛物の布袋の顔に月指て     雪芝

 (掛物の布袋の顔に月指て一里行ても宿をとる旅)

 

 掛物は掛け軸のこと。書画骨董を求めての旅か。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十四句目

 

   掛物の布袋の顔に月指て

 百のやいとにきりぎりす啼    芭蕉

 (掛物の布袋の顔に月指て百のやいとにきりぎりす啼)

 

 前句を掛物の布袋さんのような風貌の、ということにしたか。でかくて重たい体はお灸の跡がたくさんあって、月見をすればコオロギが鳴く。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

十五句目

 

   百のやいとにきりぎりす啼

 秋風の雨ほろほろと川の上    土芳

 (秋風の雨ほろほろと川の上百のやいとにきりぎりす啼)

 

 百のやいとを老人として、人生の秋を感じさせるような秋の寂しげな景色を付ける。

 

季語は「秋風」で秋。「雨」は降物。「川」は水辺。

 

十六句目

 

   秋風の雨ほろほろと川の上

 かち荷は舟を先あがる也     風麦

 (秋風の雨ほろほろと川の上かち荷は舟を先あがる也)

 

 前句の「川の上」から、雨の中を船が着いたとする。歩いて運べる小さな荷物をまず降ろし、それから馬に載せる大きな荷物を降ろす。

 

無季。「舟」は水辺。

 

十七句目

 

   かち荷は舟を先あがる也

 美濃山はのこらず花の咲き揃ひ  芭蕉

 (美濃山はのこらず花の咲き揃ひかち荷は舟を先あがる也)

 

 美濃山はどこの山なのか。美濃というと稲葉山が思い浮かぶが。京都八幡にも美濃山という地名がある。前句からすると川に近い水運の要衝であろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「美濃山」は山類。

 

十八句目

 

   美濃山はのこらず花の咲き揃ひ

 とてもするなら春の順礼     苔蘇

 (美濃山はのこらず花の咲き揃ひとてもするなら春の順礼)

 

 「とても」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「迚」の解説」に、

 

 「〘副〙 (「とてもかくても」の略)

  [一] 条件的に、どうしてもこうしてもある結果になる意を表わす。

  ① いかようにしても。とうてい。何にしても。どっちみち。どうせ。結局。しょせん。

  (イ) (打消を伴って) あれこれしても実現しない気持を表わす。

  ※平家(13C前)三「日本国に、平家の庄園ならぬ所やある。とてものがれざらむ物ゆへに」

  ※田舎教師(1909)〈田山花袋〉一一「とても東京に居ても勉強などは出来ない」

  (ロ) 結局は否定的・消極的な結果になる気持を表わす。諦めや投げやりの感じを伴いやすい。

  ※延慶本平家(1309‐10)五本「下へ落しても死むず。とても死(しな)ば敵の陣の前にてこそ死め」

  ※俳諧師(1908)〈高浜虚子〉四五「もうああ狂って来ては迚(トテ)も駄目だらうね」

  (ハ) 決意を伴っていう。どうあろうと。

  ※太平記(14C後)五「や殿矢田殿、我はとても手負たれば此にて打死せんずるぞ」

  (ニ) 否定的・消極的ではなく肯定的な内容を導く。

  ※歌謡・閑吟集(1518)「とてもおりゃらば、よひよりもおりゃらで、鳥がなく、そはばいく程あぢきなや」

  ※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉六「とてもねがふなアアら大きなことをねエエがヱ」

  ② 事柄が成立する前にさかのぼって考える気持を表わす。どうせもともと。

  ※三道(1423)「又、女物狂の風体、是は、とても物狂なれば、何とも風体を巧みて、音曲細やかに、立振舞に相応して、人体幽玄ならば」

  ③ あとの句に重みをかけていう。どうせ…だから(なら)いっそ。「の」を伴うことがある。

  ※風姿花伝(1400‐02頃)二「さりながら、とても物狂に(ことよ)せて、時によりて、何とも花やかに、出立つべし」

 

とある。近代には強調の言葉となり「とっても」ともいう。

 ここでは肯定的な内容を導くので「何はともあれ」くらいの意味か。

 花の季節なら吉野順礼だろう。芭蕉も『笈の小文』の旅の時は、伊賀で「さまざまの事おもひ出す桜哉」と詠んでから吉野の花見に出発した。山は桜が咲くのが遅いので、そのタイミングでちょうどよかったのだろう。

 

季語は「春」で春。釈教。旅体。

二表

十九句目

 

   とてもするなら春の順礼

 永き日の西になつたるきりめ縁  玄虎

 (永き日の西になつたるきりめ縁とてもするなら春の順礼)

 

 「きりめ縁」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切目縁」の解説」に、

 

 「〘名〙 板の張り方による縁の形式の一つ。縁板を敷居と直角方向に張った縁。濡縁(ぬれえん)にみられる。木口縁(こぐちえん)。⇔榑縁(くれえん)。

  ※政談(1727頃)二「家居には床・違棚・書院作り・長押造り・切目縁」

 

とある。

 春の穏やかな日もやがて西に傾いてゆく。それによって、南向きの縁側の切目に影ができるようになる。

 西へ行く日に世の無常を感じ、そうだ順礼に行こう。

 

季語は「永き日」で春。

 

二十句目

 

   永き日の西になつたるきりめ縁

 あはれにぬるる雨の白鷺     雪芝

 (永き日の西になつたるきりめ縁あはれにぬるる雨の白鷺)

 

 縁側が哀れに濡れると思わせて、濡れているのは白鷺だった。日が西に傾く頃、雨が降り出す。

 

無季。「雨」は降物。「白鷺」は鳥類。

 

二十一句目

 

   あはれにぬるる雨の白鷺

 のかれぬやよそからは来ぬ冬の来て 風麦

 (のかれぬやよそからは来ぬ冬の来てあはれにぬるる雨の白鷺)

 

 冬は他所からやって来るのではなく、どこもかしこも一斉に冬になる。逃れることはできない。前句の白鷺の雨を時雨とする。

 

季語は「冬」で冬。

 

二十二句目

 

   のかれぬやよそからは来ぬ冬の来て

 柴焚くかげに遊ぶ夜すがら    土芳

 (のかれぬやよそからは来ぬ冬の来て柴焚くかげに遊ぶ夜すがら)

 

 寒い冬は柴を焚いて暖を取りながら、遊んですごそう。

 

無季。「夜すがら」は夜分。

 

二十三句目

 

   柴焚くかげに遊ぶ夜すがら

 寒竹の杖のふしよむ老のわざ   玄虎

 (寒竹の杖のふしよむ老のわざ柴焚くかげに遊ぶ夜すがら)

 

 寒竹(かんちく)はウィキペディアに、

 

 「カンチク(寒竹)は日本原産の竹の一種だが本来の自生地は不明である。種名の由来は晩秋から冬にかけてタケノコが出ることからであり、耐寒性がある訳ではない。

 稈は黄色または黒紫色で、普通2mほどであるが、時には5-6mになる。葉にはまれに白条がある。径数mmの細い竹だがその色は紫黒色で光沢があるので美しく、飾り窓や家具などに使われ、庭などに植えられて観賞されている。」

 

とある。

 柴を焚いて暖を取りながら、老人は寒竹の杖の節の数を数えている。

 

無季。

 

二十四句目

 

   寒竹の杖のふしよむ老のわざ

 しらぬ山路を馬にまかせて    玄虎

 (寒竹の杖のふしよむ老のわざしらぬ山路を馬にまかせて)

 

 杖を持っているということで旅の老人とし、旅体に転じる。

 「馬にまかせて」は地元の人に馬を借りて、馬が道を知っているから何もしなくても着くということ。

 『奥の細道』の「かさね」のところに、

 

 「那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越えにかかりて直道(すぐみち)をゆかんとす。遥(はるか)に一村(いっそん)を見かけて行くに雨降り日暮るる。農夫の家に一夜(いちや)をかりて、明くれば又野中を行く。そこに野飼ひの馬あり。草刈るおのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情(なさけ)しらぬには非ず、『いかがすべきや、されども此の野は縦横(じゅうわう)にわかれて、うゐうゐ敷(しき)旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此の馬のとどまる所にて馬を返へし給へ』とかし侍りぬ。」

 

とある。馬はいつも通る道をちゃんと覚えているから、馬に任せて行けば道に迷うことはない。

 

無季。旅体。「山路」は山類。「馬」は獣類。

 

二十五句目

 

   しらぬ山路を馬にまかせて

 暮るより寺を見かへる高灯籠   雪芝

 (暮るより寺を見かへる高灯籠しらぬ山路を馬にまかせて)

 

 馬に任せて行くと日も暮れて、振り返ると寺のお盆の高灯籠が見える。

 

季語は「高灯籠」で秋、夜分。

 

二十六句目

 

   暮るより寺を見かへる高灯籠

 すすきのかげにすへるはきだめ  芭蕉

 (暮るより寺を見かへる高灯籠すすきのかげにすへるはきだめ)

 

 寺の入口の高灯籠の向こう側には、お寺のゴミ捨て場がある。お寺あるある。

 

季語は「すすき」で秋、植物、草類。

 

二十七句目

 

   すすきのかげにすへるはきだめ

 むげなれや月にとはるる人も哉  土芳

 (むげなれや月にとはるる人も哉すすきのかげにすへるはきだめ)

 

 お寺に月見に集まってくる人もどこかみんな訳ありな連中で、掃き溜めのようだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「人」は人倫。

 

二十八句目

 

   むげなれや月にとはるる人も哉

 琵琶のいはれを語る竹縁     風麦

 (むげなれや月にとはるる人も哉琵琶のいはれを語る竹縁)

 

 月見やってきた人にも、自分の自慢の琵琶の謂れを延々と語る。周りにいる人は、また始まったか、無碍なるや、と思う。

 

無季。

 

二十九句目

 

   琵琶のいはれを語る竹縁

 思ひきる跡よりなみだつきかけて 土芳

 (思ひきる跡よりなみだつきかけて琵琶のいはれを語る竹縁)

 

 琵琶法師の語る悲しい恋物語にみんな泪も尽きかけた頃、法師は物語の謂れを語り始める。

 

無季。恋。

 

三十句目

 

   思ひきる跡よりなみだつきかけて

 にほひするかみしよぼくねて越  苔蘇

 (思ひきる跡よりなみだつきかけてにほひするかみしよぼくねて越)

 

 「しょぼくねて」は「しょぼくれて」か。

 女の香しい髪もすっかり惨めな状態になって、失恋の悲しい時期を乗り越えて行く。

 

 恋の句が続いて盛り上がってきたところだが、残念ながら後の二裏六句を欠いている。

 

無季。恋。