「帷子は」の巻、解説

初表

   三吟

 帷子は日々にすさまじ鵙の聲    史邦

   籾壹舛を稲のこき賃      芭蕉

 蓼の穂に醤のかびをかき分て    岱水

   夜市に人のたかる夕月     史邦

 木刀の音きこへたる居あひ抜    芭蕉

   二階ばしごのうすき裏板    岱水

 

初裏

 寒さふに薬の下をふき立て     史邦

   石丁なれば無縁寺の鐘     芭蕉

 手細工に雑箸ふときかんなくづ   岱水

   よびかへせどもまけぬ小がつを 史邦

 肌さむき隣の朝茶のみ合て     芭蕉

   秋入どきの筋気いたがる    岱水

 塩濱にふりつづきたる宵の月    史邦

   無住になりし寺のいさかひ   芭蕉

 持なしの新剃刀もさびくさり    岱水

   土たく家のくさききるもの   史邦

 花に寐む一畳あをき表がへ     芭蕉

   小姓の口の遠き三月      岱水

 

 

二表

 竹橋の内よりかすむ鼠穴      史邦

   馬の糞かく役もいそがし    芭蕉

 夕ぐれに洗澤賃をなげ込で     岱水

   とはぬもわろしばばの吊    史邦

 椀かりに来れど折ふしゑびす講   芭蕉

   此あたたかさ明日はしぐれむ  岱水

 夜あそびのふけて床とる坊主共   史邦

   百里そのまま船のきぬぎぬ   芭蕉

 引割し土佐材木のかたおもひ    岱水

   よりもそはれぬ中は生かべ   史邦

 云たほど跡に金なき月のくれ    芭蕉

   もらふをまちて鴫ののつぺい  岱水

 

二裏

 摺鉢にうへて色付唐がらし     史邦

   障子かさぬる宿がえの船    芭蕉

 北南雪降雲のゆきわたり      岱水

   二夜三日の終るあかつき    史邦

 考てよし野参のはなざかり     岱水

   百姓やすむ苗代の隙      芭蕉

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

   三吟

 帷子は日々にすさまじ鵙の聲   史邦

 

 帷子(かたびら)は夏の一重の着物で、秋になるとこれ一枚では寒くなってくる。

 モズは秋になると高鳴きをする。ウィキペディアには、

 

 「秋から11月頃にかけて「高鳴き」と呼ばれる激しい鳴き声を出して縄張り争いをする。縄張りを確保した個体は縄張りで単独で越冬する。」

 

とある。

 

季語は「鵙の聲」で秋、鳥類。「帷子」は衣裳。

 

 

   帷子は日々にすさまじ鵙の声

 籾壹舛を稲のこき賃       芭蕉

 (帷子は日々にすさまじ鵙の声籾壹舛を稲のこき賃)

 

 前句を稲刈りの頃とし、脱穀の作業をした人に籾一升の給与を出すとする。

 脱穀は元禄期に千歯こきが発明されたとはいえ、一般にはまだ普及してなかったのだろう。それ以前は竹製の箸のようなものを用いてたため、時間がかかった。脱穀を手伝うと脱穀したばかりの籾を一升分けてもらえたようだ。これが何割くらいなのかはよくわからない。

 

季語は「籾‥こき」で秋。

 

第三

 

   籾壹舛を稲のこき賃

 蓼の穂に醤のかびをかき分て   岱水

 (蓼の穂に醤のかびをかき分て籾壹舛を稲のこき賃)

 

 醤(ひしほ)はコトバンクの「百科事典マイペディア「醤」の解説」に、

 

 「なめみその一種。味噌や醤油の祖型。炒(い)ってひき割ったダイズと水に浸した小麦で麹(こうじ)を作り,これに食塩水を入れ,さらに塩漬したナスなどを加えて仕込み,数ヵ月の熟成期間を経て食用。なお古くは魚鳥の肉の塩漬,塩辛も醤と称した。」

 

とある。穂蓼も蓼酢だけでなくひしほで和えて食べたりしたのだろう。

 時間がたつとひしほにカビが生えてきたりしたが、昔の人は気にせずにカビの所をよけて食っていた。

 脱穀が終わったというので、籾を入れてた升で穂蓼を肴に酒を飲む。

 

季語は「蓼の穂」で秋。

 

四句目

 

   蓼の穂に醤のかびをかき分て

 夜市に人のたかる夕月      史邦

 (蓼の穂に醤のかびをかき分て夜市に人のたかる夕月)

 

 蓼の穂は酒の肴なので、夜市で売られていた人気商品でもあったのだろう。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。「夜市」も夜分。「人」は人倫。

 

五句目

 

   夜市に人のたかる夕月

 木刀の音きこへたる居あひ抜   芭蕉

 (木刀の音きこへたる居あひ抜夜市に人のたかる夕月)

 

 夜市で居合い抜きを披露する大道芸人であろう。真剣でやっているように見せても、どうも木刀のような音がする。

 

無季。

 

六句目

 

   木刀の音きこへたる居あひ抜

 二階ばしごのうすき裏板     岱水

 (木刀の音きこへたる居あひ抜二階ばしごのうすき裏板)

 

 木刀の音かと思ったら二階へ上る梯子の裏板を蹴る音だった。

 

無季。

初裏

七句目

 

   二階ばしごのうすき裏板

 寒さふに薬の下をふき立て    史邦

 (寒さふに薬の下をふき立て二階ばしごのうすき裏板)

 

 医者の家は二階へ上る梯子の所に無造作に薬が詰まれたりしてたのだろう。今でも階段を倉庫代わりに使っている店は多い。

 

季語は「寒さ」で冬。

 

八句目

 

   寒さふに薬の下をふき立て

 石丁なれば無縁寺の鐘      芭蕉

 (寒さふに薬の下をふき立て石丁なれば無縁寺の鐘)

 

 石丁は石を割ったり加工したりする石丁場のことか。薬を飲ませていたがその甲斐もなく、墓石の準備になる。「無縁寺の鐘」が鳴るのは、どこから来たともしれぬ旅人の客死であろう。

 

無季。釈教。

 

九句目

 

   石丁なれば無縁寺の鐘

 手細工に雑箸ふときかんなくづ  岱水

 (手細工に雑箸ふときかんなくづ石丁なれば無縁寺の鐘)

 

 雑箸は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、「粗末な箸の意か」とある。文脈では手細工で簡単に作った箸のように思われる。太い箸を鉋で仕上げる。石丁場で急に箸が必要になったかなにかだろう。

 

無季。

 

十句目

 

   手細工に雑箸ふときかんなくづ

 よびかへせどもまけぬ小がつを  史邦

 (手細工に雑箸ふときかんなくづよびかへせどもまけぬ小がつを)

 

 「小がつを」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小鰹」の解説」に、

 

 「〘名〙 魚「そうだがつお(宗太鰹)」の異名。《季・夏》 〔物類称呼(1775)〕」

 

とあり、「精選版 日本国語大辞典「宗太鰹・惣太鰹」の解説」には、

 

 「〘名〙 サバ科ソウダガツオ属のヒラソウダとマルソウダの二種の総称。全長四〇~六〇センチメートル。体形はカツオに似る。背方は青黒色で黒色の斜走帯が並ぶ。腹面は銀白色でカツオのような縞はない。マルソウダは体横断面が丸く、体の有鱗域が長く、その後端が第二背びれに達する。一方、ヒラソウダは体が側扁し、有鱗域は短く、第一背びれと第二背びれの中間で急に狭くなる。沿岸表層遊泳性。北海道以南世界中の暖海に分布。刺身、削り節として食する。宗太。《季・夏‐秋》 〔魚鑑(1831)〕」

 

とある。ただ、前句に「かんなくづ」とあるから鰹節のことかもしれない。

 鰹節はウィキペディアに、

 

 「江戸時代に、紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の角屋甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(別名焙乾法)を考案。これにより現在の荒節に近いものが作られるようになり、焙乾法で作られた鰹節は熊野節(くまのぶし)として人気を呼んだ。さらに1674年(延宝2年)には角屋甚太郎によって土佐の宇佐浦に燻製法が伝えられた。

 大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。」

 

とある。このことによって関西のものだった鰹節が江戸にも広まることとなった。『炭俵』の「雪の松」の巻の八句目に、

 

   熊谷の堤きれたる秋の水

 箱こしらえて鰹節売る      野坡

 

の句がある。

 鰹売が一度離れていった客を呼び返す。値下げしてくれるのかと思ったが、全然負けてくれなかった。初鰹と違って生ものではないから、売る方も強気だったのだろう。

 前句は鉋で削った鰹節を粗末な箸で試食させているということにしたか。

 

無季。

 

十一句目

 

   よびかへせどもまけぬ小がつを

 肌さむき隣の朝茶のみ合て    芭蕉

 (肌さむき隣の朝茶のみ合てよびかへせどもまけぬ小がつを)

 

 この時代は抹茶ではない煎じて飲む唐茶も急速に広まった。茶飲み話をしていると鰹節売がくるというのがこの時代の新しいあるあるだったのだろう。

 

季語は「肌さむき」で秋。

 

十二句目

 

   肌さむき隣の朝茶のみ合て

 秋入どきの筋気いたがる     岱水

 (肌さむき隣の朝茶のみ合て秋入どきの筋気いたがる)

 

  「秋入(あきいり)」は「あきいれ」と同じであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「秋入」の解説」に、

 

 「① 秋の稲の刈り入れ。秋の収穫。

  ※集成本狂言・狐塚(室町末‐近世初)「これに秋入に日和さへよければ何も思ふ事はない」

  ② 大黒神に供えるため特に刈り残した六株の稲を主人が刈り取る行事。」

 

とある。「筋気(すぢけ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筋気」の解説」に、

 

 「〘名〙 筋肉が痙攣(けいれん)して痛む病気。筋肉の痛み。こむらがえり。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※咄本・多和文庫本昨日は今日の物語(1614‐24頃)「此ほどすぢけにて物書く事がならぬ」

 

とある。収穫作業による疲労が原因であろう。

 

季語は「秋入」で秋。

 

十三句目

 

   秋入どきの筋気いたがる

 塩濱にふりつづきたる宵の月   史邦

 (塩濱にふりつづきたる宵の月秋入どきの筋気いたがる)

 

 塩濱は塩田のことで、江戸の近くでは行徳も塩の産地となった。月の灯りに白い塩が浮かび上がって、さながら雪のような光景は、

 

 衣手はさむくもあらねど月影を

     たまらぬ秋の雪とこそ見れ

             紀貫之(後撰集)

 

の歌を思わせる。前句を塩田の労働者とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「塩濱」は水辺。

 

十四句目

 

   塩濱にふりつづきたる宵の月

 無住になりし寺のいさかひ    芭蕉

 (塩濱にふりつづきたる宵の月無住になりし寺のいさかひ)

 

 これはよくわからない。『校本芭蕉全集 第五巻』の宮本注は『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)を引用して、

 

 「寺はそのあたり(前句)にて住持なくなりて後は、下司法師どもがおのがじじにいさかひある体也。」

 

とある。

 

無季。釈教。

 

十五句目

 

   無住になりし寺のいさかひ

 持なしの新剃刀もさびくさり   岱水

 (持なしの新剃刀もさびくさり無住になりし寺のいさかひ)

 

 無住になった寺には、かつての住職の使っていた新しかった剃刀も放置され、そのまま錆びてしまったいる。前句は、いさかいがあって無住になったという意味になる。

 

無季。

 

十六句目

 

   持なしの新剃刀もさびくさり

 土たく家のくさききるもの    史邦

 (持なしの新剃刀もさびくさり土たく家のくさききるもの)

 

 乞食坊主のなれの果てだろう。竃もなく土の上で直に焚火をし、臭い匂いのする着物を着ている。

 

無季。

 

十七句目

 

   土たく家のくさききるもの

 花に寐む一畳あをき表がへ    芭蕉

 (花に寐む一畳あをき表がへ土たく家のくさききるもの)

 

 花の下で全財産はたいて畳一畳を敷き、「願わくば花の下にて春死なん」ということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花に寐む一畳あをき表がへ

 小姓の口の遠き三月       岱水

 (花に寐む一畳あをき表がへ小姓の口の遠き三月)

 

 前句を畳の上で寝ることを願うとし、暇になった小姓を付ける。

 

季語は「三月」で春。「小姓」は人倫。

二表

十九句目

 

   小姓の口の遠き三月

 竹橋の内よりかすむ鼠穴     史邦

 (竹橋の内よりかすむ鼠穴小姓の口の遠き三月)

 

 竹橋は江戸城内郭(うちぐるわ)門の一つで、ウィキペディアに、

 

 「竹橋の名は、竹を編んで渡した橋だったからとも、また後北条家の家臣・在竹四郎が近在に居住しており「在竹橋」と呼んだのが変じたものとも言われる。

 「別本慶長江戸図」には『御内方通行橋』と記してあり、主として大奥への通路に用いられたようである。」

 

とある。

 竹橋は江戸城の小姓の出入り口でもあったか。部屋の鼠穴を見ながら、竹橋から出入りしていた頃を思い出す。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。

 

二十句目

 

   竹橋の内よりかすむ鼠穴

 馬の糞かく役もいそがし     芭蕉

 (竹橋の内よりかすむ鼠穴馬の糞かく役もいそがし)

 

 竹橋は馬も通るので、馬の糞を片付ける人もいる。

 

無季。「馬」は獣類。

 

二十一句目

 

   馬の糞かく役もいそがし

 夕ぐれに洗澤賃をなげ込で    岱水

 (夕ぐれに洗澤賃をなげ込で馬の糞かく役もいそがし)

 

 馬の糞を掻く人は服の洗濯が欠かせない。仕事が終わったらその日着たものをすぐに洗濯に出す。

 

無季。

 

二十二句目

 

   夕ぐれに洗澤賃をなげ込で

 とはぬもわろしばばの吊     史邦

 (夕ぐれに洗澤賃をなげ込でとはぬもわろしばばの吊)

 

 「吊」は「とぶらひ」で弔の間違いと思われる。

 富山県クリーニング生活衛生同業組合のホームページによると、

 

 「室町時代(1338~1573年)に、染物屋である紺屋が営業としてはじめたものである。 顧客は、公卿や幕府に仕える武家やあった。

 副業から専業になるのは、江戸時代の元禄(1668~1704年)から、享保(1716~1736)にかけてであり、江戸で洗濯屋が、京都では、紺屋から独立した洗い物屋が出現する。」

 

とあり、紺屋が関西では穢多と関連付けられていたため、洗濯屋にも賤民のイメージがあった。

 元禄三年暮の「半日は」の巻十三句目に、

 

   右も左も荊蕀咲けり

 洗濯にやとはれありく賤が業   乙州

 

 

の句がある。

 同ホームページはその洗濯屋の様子として、

 

 「江戸時代の洗濯屋は洗濯女が2人1組になって、顧客の家へ出かけ灰汁を使った洗濯で木綿を主とする衣料の洗濯をしている。」

 

とある。

 洗濯屋に婆の弔いのことを聞くのは、婆の葬儀に関係していたからかもしれない。

 

無季。「ばば」は人倫。

 

二十三句目

 

   とはぬもわろしばばの吊

 椀かりに来れど折ふしゑびす講  芭蕉

 (椀かりに来れど折ふしゑびす講とはぬもわろしばばの吊)

 

 恵比寿講は商人たちが商売繁盛を願い、御馳走を食べてお祝いする。椀のがくさん必要なときだが、そこに婆の葬儀が重なってしまう。

 

季語は「ゑびす講」で冬、神祇。

 

二十四句目

 

   椀かりに来れど折ふしゑびす講

 此あたたかさ明日はしぐれむ   岱水

 (椀かりに来れど折ふしゑびす講此あたたかさ明日はしぐれむ)

 

 恵比寿講は旧暦十月で時雨の季節だ。暖かい日と寒い日が交互に来たりする。昼の暖まった湿った空気が夕暮れの雨を生むか。

 

季語は「しぐれむ」で冬、降物。

 

二十五句目

 

   此あたたかさ明日はしぐれむ

 夜あそびのふけて床とる坊主共  史邦

 (夜あそびのふけて床とる坊主共此あたたかさ明日はしぐれむ)

 

 さんざん遊び歩いたお坊さんたち。今は良いけど明日は怖い?

 

無季。「夜あそび」は夜分。「坊主共」は人倫。

 

二十六句目

 

   夜あそびのふけて床とる坊主共

 百里そのまま船のきぬぎぬ    芭蕉

 (夜あそびのふけて床とる坊主共百里そのまま船のきぬぎぬ)

 

 船饅頭のことか。ウィキペディアに、

 

 「船饅頭(ふなまんじゅう)は、江戸時代に江戸の海辺で小舟で売春した私娼である。」

 

とあり、

 

 「『洞房語園』には、

 

 「いにし万治の頃か、一人のまんぢう、どらを打て、深川辺に落魄して船売女になじみ、己が名題をゆるしたり」

 

とある。

 寛保ころの流行歌にもあり(『後は昔物語』)、宝暦の『風流志道軒伝』には、

 

「舟饅頭に餡もなく、夜鷹に羽根はなけれども」

 

とある。」

 

とある。

 まあ、そのまま百里の彼方まで船で連れ去られるということはなかったと思うが。

 

無季。恋。「船」は水辺。

 

二十七句目

 

   百里そのまま船のきぬぎぬ

 引割し土佐材木のかたおもひ   岱水

 (引割し土佐材木のかたおもひ百里そのまま船のきぬぎぬ)

 

 土佐杉は船で上方や江戸に運ばれ、都市の造成に貢献してきた。

 船で運ばれてきた木材はやがて切断加工され、それぞれの消費地へと向かう。引き裂かれた材木は再び会うこともない。

 

無季。恋。

 

二十八句目

 

   引割し土佐材木のかたおもひ

 よりもそはれぬ中は生かべ    史邦

 (引割し土佐材木のかたおもひよりもそはれぬ中は生かべ)

 

 切断された二本の材木の間には生かべが立ちふさがる。「中」は間という意味と「仲」とに掛ける。

 「生かべ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生壁」の解説」に、

 

 「① 塗りたてで、まだよく乾いていない壁。

  ※春日社記録‐中臣祐春記・弘安一〇年(1287)六月六日「移殿御壁近日塗之間、なまかべ也」

  ② 「なまかべいろ(生壁色)」の略。」

 

とある。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   よりもそはれぬ中は生かべ

 云たほど跡に金なき月のくれ   芭蕉

 (云たほど跡に金なき月のくれよりもそはれぬ中は生かべ)

 

 お金がないとなると二人の仲も盤石ではない。生壁程度になる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   云たほど跡に金なき月のくれ

 もらふをまちて鴫ののつぺい   岱水

 (云たほど跡に金なき月のくれもらふをまちて鴫ののつぺい)

 

 のっぺい汁はウィキペディアに、

 

 「原型は、寺の宿坊で余り野菜の煮込みに葛粉でとろ味をつけた普茶料理「雲片」を、実だくさんの澄まし汁に工夫したものという。精進料理が原型だが、現在では鶏肉や魚を加えることもある。」

 

とある。当時でも鴫や鴨を用いていた。延宝六年の「さぞな都」の巻二十六句目に、

 

   鍋の尻入江の塩に気を付て

 のつぺいうしと鴨のなく覧    信徳

 

の句がある。

 金がないので鴫を貰ったらのっぺい汁を作ろうと、貰えるのを待っている。

 

季語は「鴫」で秋。

二裏

三十一句目

 

   もらふをまちて鴫ののつぺい

 摺鉢にうへて色付唐がらし    史邦

 (摺鉢にうへて色付唐がらしもらふをまちて鴫ののつぺい)

 

 摺鉢で唐辛子をするのではなく、植木鉢にして唐辛子を植え、実ったらそれを薬味にし、鴫が貰えるのを待ってのっぺい汁にする。

 育つかどうかわからない唐辛子に、貰えるかどうかわからない鴫。楽観主義者に燃えている。

 

季語は「色付唐がらし」で秋。

 

三十二句目

 

   摺鉢にうへて色付唐がらし

 障子かさぬる宿がえの船     芭蕉

 (摺鉢にうへて色付唐がらし障子かさぬる宿がえの船)

 

 宿がえは引っ越しのこと。障子もみんな持って行き、庭の唐辛子も摺鉢に植えて持って行く。引っ越した後には何も残らない。

 

無季。「船」は水辺。

 

三十三句目

 

   障子かさぬる宿がえの船

 北南雪降雲のゆきわたり     岱水

 (北南雪降雲のゆきわたり障子かさぬる宿がえの船)

 

 前句の「障子かさぬる」を雪除けのためとしたか。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

三十四句目

 

   北南雪降雲のゆきわたり

 二夜三日の終るあかつき     史邦

 (北南雪降雲のゆきわたり二夜三日の終るあかつき)

 

 二晩三日にかけて雪が続いた後、ようやく雪が止み晴れる。辺りは大雪ですっかり景色が変わっていることだろう。

 

無季。

 

三十五句目

 

   二夜三日の終るあかつき

 考てよし野参のはなざかり    岱水

 (考てよし野参のはなざかり二夜三日の終るあかつき)

 

 吉野参りに行こうかどうか三日二晩悩みに悩んだが、やはり花盛りを見ると来て良かったという所だろう。「何々したあかつきには」というように、「あかつき」には「後で、結果」という意味がある。

 

季語は「はなざかり」で春、植物、木類。釈教。「よし野」は名所。

 

挙句

 

   考てよし野参のはなざかり

 百姓やすむ苗代の隙       芭蕉

 (考てよし野参のはなざかり百姓やすむ苗代の隙)

 

 百姓も苗代を作れば、田植までの間暇なので吉野へ花見に行く。

 

季語は「苗代」で春。「百姓」は人倫。