「霜冴て」の巻、解説

初表

 露冴て筆に汲ほすしみづかな   芭蕉

   耳におち葉をひろふ風の夜  鏡鶏

 あかつきのむささび月を蝕て   一蕪

   碁うちのかさをかくす秋霧  斧鎮

 髪ゆひがあさがほひとつもらひ行 重五

   蔀をあぐるかりやすのくさ  似朴

 

初裏

 菰にふす小犬は乳をなく声歟   盛江

   むすめの机草紙夜ふけし   扇也

 樫の木はいつ樹られし俤や    藤音

   燕の糞に泉けがすな     荷兮

 朝もよひ我苣母の食に煮ん    斧鎮

   おぼろのかがみ値百銭    芭蕉

 具足きて春のなごりを惜けり   鏡鶏

   しなののくにのはなの谷河  重五

 鷹の子をふところ狭くあたためて 似朴

   こころをてらす有明の医書  盛江

 老姉に桔梗をいけて慰めむ    扇也

   京にはあらぬこの寺の軒   一蕪

 

 

二表

 小みなとの手引の鰯盛りの日   荷兮

   なでしこ手折瘡の瑞籬    藤音

 赤顔に西施が父の髭むさき    芭蕉

   山茶花長し恋の里道     鏡鶏

 木啄の岩の妻戸を扣らむ     重五

   この橋とをせ猿の魚釣    斧鎮

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 露冴て筆に汲ほすしみづかな   芭蕉

 

 享保十一年刊越人編の『三つのかほ』には、

 

 露凍て筆に汲干ス清水哉     芭蕉

 

とあり、元禄九年刊史邦編『芭蕉庵小文庫』には春の句になって、

 

   苔清水

 凍とけて筆に汲干す清水哉    はせを

   おなじく

 春雨の木下にかかる雫かな    仝

 

とある。元禄十一年刊風国編の『泊船集』にも、

 

   苔清水

 凍解て筆を汲干すかな      芭蕉

 

になっている。

 「露冴て」が興行の時の形だとしたら、これが初案で、その後「露凍て」に改作した形が名古屋に残っていて、後に「凍とけて」と春の句にして「苔清水」の題をつけたものが史邦や風国に伝わったと見ていいだろう。

 「露冴ゆる」という言葉は、

 

 露冴ゆる小野の篠原うら枯れて

     月ふきはらふ浅茅生の風

              藤原忠良(夫木抄)

 

の歌に用例がある。露が氷りつくように冷たいという意味。

 冬の興行なので、清水の露が氷るように冷たいけど、この興行を書き留める筆のために汲み干しましょう、という興行開始の挨拶で、まあ、皆さん沢山句を付けて下さいね、という意味になる。

 ただ、これではあくまでも興行開始の挨拶にすぎないので、発句として独立して本に載せるには不足だった。そこで、

 

 岩間とぢし氷も今朝は解け初めて

     苔の下水道もとむらむ

              西行法師(新古今集)

 

の心で、苔の下の氷の解けたわずかな水を、筆で物を書きとめるために汲み干す、という句に作り替える。

 

季語は「露冴て」で冬、降物。「しみづ」は水辺。

 

 

   露冴て筆に汲ほすしみづかな

 耳におち葉をひろふ風の夜    鏡鶏

 (露冴て筆に汲ほすしみづかな耳におち葉をひろふ風の夜)

 

 落葉の音を耳にひろふ風の夜、という意味。夜にこの俳諧を書き付けてますと、風に散る落葉の音が聞こえます。発句の氷った清水に落葉の音と、興行の席の興で返す。

 

語は「おち葉」で冬、植物、木類。「夜」は夜分。

 

第三

 

   耳におち葉をひろふ風の夜

 あかつきのむささび月を蝕て   一蕪

 (あかつきのむささび月を蝕て耳におち葉をひろふ風の夜)

 

 落葉の音が聞こえたのは、ムササビが木から木へと飛んだからだった。滑空するムササビの影が月をよぎる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「むささび」は獣類。

 

四句目

 

   あかつきのむささび月を蝕て

 碁うちのかさをかくす秋霧    斧鎮

 (あかつきのむささび月を蝕て碁うちのかさをかくす秋霧)

 

 ムササビの飛ぶ暁の路を、旅の碁打ちが行くが、その姿は霧の中に消えて行く。

 前句の「月を蝕て」を霧のせいとする。

 

季語は「秋霧」で秋、聳物。「碁うち」は人倫。

 

五句目

 

   碁うちのかさをかくす秋霧

 髪ゆひがあさがほひとつもらひ行 重五

 (髪ゆひがあさがほひとつもらひ行碁うちのかさをかくす秋霧)

 

 髪結が誰かの髪に飾るのか、朝顔を一輪貰ってゆく。碁打ちの通る街道での出来事になる。

 

季語は「あさがほ」で秋、植物、草類。「髪ゆひ」は人倫。

 

六句目

 

   髪ゆひがあさがほひとつもらひ行

 蔀をあぐるかりやすのくさ    似朴

 (髪ゆひがあさがほひとつもらひ行蔀をあぐるかりやすのくさ)

 

 「蔀(しとみ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 光や風雨をさえぎるもの。

  ※書紀(720)皇極四年六月(岩崎本平安中期訓)「是の日に、雨下(ふ)りて、潦水(いさらみつ)庭に溢(いはめ)り。席障子(むしろシトミ)を以て鞍作か屍(かはね)に覆(おほ)ふ」

  ② 柱の間に入れる建具の一つ。板の両面あるいは一面に格子を組んで作る。上下二枚のうち上を長押(なげし)から釣り、上にはねあげて開くようにした半蔀(はじとみ)が多いが、一枚になっているものもある。寝殿造りに多く、神社、仏閣にも用いる。しとみど。

  ※蜻蛉(974頃)上「明かうなれば、をのこどもよびて、しとみあげさせてみつ」

  ③ 船の舷側に設ける、波・しぶきよけで、多数の蔀立(しとみたつ)を立ててそのあいだに板を差し入れるもの。五大力船、小早、渡海船など本格的な垣立のない中小和船に用いる。〔和漢船用集(1766)〕

  ④ 築城で、外から城内が見え透くところをおおっておく戸の類。

  ※甲陽軍鑑(17C初)品三九「信玄公御家中城取の極意五つは、一、辻の馬出し、二にしとみのくるわ、しとみの土居」

  ⑤ 町屋の前面にはめこむ横戸。二枚あるいは三枚からなり、左右の柱の溝にはめ、昼ははずし、夜ははめる。「ひとみ」ともいう。しとみど。」

 

とある。俳諧でよく出て来るのは②の王朝時代の寝殿造りの蔀か、⑤の町屋の蔀になる。この場合は髪結がいるのだから⑤の方になる。

 「かりやす」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「刈安」の解説」に、

 

 「カリヤスを原料とした染め色。刈安といわれるものに、(1)近江(おうみ)刈安または山刈安、(2)コカリヤスまたはウンヌケモドキ、(3)コブナグサまたはカイナグサの3種がある。近江刈安は『延喜式(えんぎしき)』にも載っている古典的な黄色染料で、伊吹山でとれるものが最良とされた。コブナグサは俗に八丈刈安ともいわれ、八丈島で黄八丈を染めるのに用いられている。コカリヤスは前二者に比べると、色素の含有量も少なく、一般にはあまり用いられない。

 染法は、通常、乾燥した葉茎を煮出して煎汁(せんじゅう)をとり、これに糸または布帛(ふはく)を浸(つ)けて染液を浸透させてのちアルミナ媒染を行う。これには通常ツバキ科のツバキ、サカキ、ヒサカキなどの灰汁(あく)が用いられる。一般にあまり耐久性のない黄色天然染料のなかでは、比較的堅牢(けんろう)度が高いので、単独または藍(あい)と併用して緑を染めるのに多く用いられた。」

 

とある。蔀は染物屋の蔀戸で、原料のカリヤスの草が作業場に運び込まれる。そこに髪結が通ってきて朝顔の花を一つ貰ってゆく。

 

無季。「蔀」は居所。

初裏

七句目

 

   蔀をあぐるかりやすのくさ

 菰にふす小犬は乳をなく声歟   盛江

 (菰にふす小犬は乳をなく声歟蔀をあぐるかりやすのくさ)

 

 染物屋の蔀戸を上げると、菰の上に子犬がいて母犬の乳を求めて鳴いている。

 

無季。「小犬」は獣類。

 

八句目

 

   菰にふす小犬は乳をなく声歟

 むすめの机草紙夜ふけし     扇也

 (菰にふす小犬は乳をなく声歟むすめの机草紙夜ふけし)

 

 土間では小犬が乳を求めて鳴き、娘は机で草紙を読む耽って夜を明かす。昔から本好きの娘はいたのだろう。

 

無季。「むすめ」は人倫。「夜ふけし」は夜分。

 

九句目

 

   むすめの机草紙夜ふけし

 樫の木はいつ樹られし俤や    藤音

 (樫の木はいつ樹られし俤やむすめの机草紙夜ふけし)

 

 「樹られし」は「うゑられし」と読む。

 樫は堅い木と書き、実際に木質が固く、建築には向くが加工はしにくい。『野ざらし紀行』の時の、

 

 樫の木の花にかまはぬ姿かな   芭蕉

 

の句もあるように、人物の堅さ例えるのにも用いられる。

 本ばっかり読んでいる娘は男っ気がなく、また別の心配もあるようだ。

 

無季。「樫」は植物、木類。

 

十句目

 

   樫の木はいつ樹られし俤や

 燕の糞に泉けがすな       荷兮

 (樫の木はいつ樹られし俤や燕の糞に泉けがすな)

 

 泉の傍らにいつ植えられた大きな樫の木があり、そこにやって来る燕が泉に糞を落として行く。

 

季語は「燕」で春、鳥類。

 

十一句目

 

   燕の糞に泉けがすな

 朝もよひ我苣母の食に煮ん    斧鎮

 (朝もよひ我苣母の食に煮ん樫の木はいつ樹られし俤や)

 

 「朝もよひ」は朝飯の支度。苣(ちさ)はレタスのことだが、昔の日本にあったのは韓国のサンチュに近いものだったという。日本では野菜を生で食う習慣はなく、お浸しにして食っていた。

 そんな飯の支度の時に燕が糞して泉を汚さないでほしい。

 

季語は「苣」で春。「我」は人倫。

 

十二句目

 

   朝もよひ我苣母の食に煮ん

 おぼろのかがみ値百銭      芭蕉

 (朝もよひ我苣母の食に煮んおぼろのかがみ値百銭)

 

 母ともなると色気もなくなり、鏡が曇ったまま長いこと砥いでない。

 そんな鏡は値千金とは言えないが、百銭の価値はある。

 

季語は「おぼろ」で春。

 

十三句目

 

   おぼろのかがみ値百銭

 具足きて春のなごりを惜けり   鏡鶏

 (具足きて春のなごりを惜けりおぼろのかがみ値百銭)

 

 具足着て現れたのは亡き夫の亡霊か。鏡に朧に映し出される。

 

季語は「春のなごり」で春。「具足」は衣裳。

 

十四句目

 

   具足きて春のなごりを惜けり

 しなののくにのはなの谷河    重五

 (具足きて春のなごりを惜けりしなののくにのはなの谷河)

 

 木曽義仲の出陣であろう。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。「谷河」は水辺。

 

十五句目

 

   しなののくにのはなの谷河

 鷹の子をふところ狭くあたためて 似朴

 (鷹の子をふところ狭くあたためてしなののくにのはなの谷河)

 

 小鷹狩りだろうか。小さな鷹で小鳥を捕らえる。

 

季語は「鷹の子」で秋、鳥類。

 

十六句目

 

   鷹の子をふところ狭くあたためて

 こころをてらす有明の医書    盛江

 (鷹の子をふところ狭くあたためてこころをてらす有明の医書)

 

 医は仁術という。医学の水準が低かった時代は、物理的に治すよりも心理的要因を取り除くことが重要だった。その意味では祈祷師を兼ねていたともいえる。祈祷や呪術は非科学的なように思えるが、心理的要因を取り除くことでそれなりの効果はあった。

 実際に効くかどうかわからない治療でも、患者や周囲の人たちが納得できる理由付けが与えられれば、心のわだかまりもなくなり、希望を持てるようになる。

 そういうわけで鷹の子を懐で暖め慈しむ心は、夜通し読み明かす医書の心にも通じる。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

十七句目

 

   こころをてらす有明の医書

 老姉に桔梗をいけて慰めむ    扇也

 (老姉に桔梗をいけて慰めむこころをてらす有明の医書)

 

 桔梗は炎症を防ぐ漢方薬としても用いられるが、桔梗の花を生けて心を慰めることも大事だ。これも仁術。

 

季語は「桔梗」で秋、植物、草類。「老姉」は人倫。

 

十八句目

 

   老姉に桔梗をいけて慰めむ

 京にはあらぬこの寺の軒     一蕪

 (老姉に桔梗をいけて慰めむ京にはあらぬこの寺の軒)

 

 桔梗は寺の軒に生けてあり、前句の老姉を尼さんとする。

 

無季。釈教。

二表

十九句目

 

   京にはあらぬこの寺の軒

 小みなとの手引の鰯盛りの日   荷兮

 (小みなとの手引の鰯盛りの日京にはあらぬこの寺の軒)

 

 「手引」はここでは手で引く網のことか。小さな港に大量の鰯が水揚げされ、そのおかげでこの辺りのお寺まで生臭くなる。京の寺ではないことだ。

 

季語は「鰯」で夏。「小みなと」は水辺。

 

二十句目

 

   小みなとの手引の鰯盛りの日

 なでしこ手折瘡の瑞籬      藤音

 (小みなとの手引の鰯盛りの日なでしこ手折瘡の瑞籬)

 

 瑞籬(みずがき)は神社の垣根。

 瘡は梅毒を意味する場合が多い。前句の生臭い寺に、疫病に穢る神社を付ける。

 穢れがあるので神社には入れないが、瑞垣の撫子を折るくらいはできる。

 

季語は「なでしこ」で夏、植物、草類。神祇。

 

二十一句目

 

   なでしこ手折瘡の瑞籬

 赤顔に西施が父の髭むさき    芭蕉

 (赤顔に西施が父の髭むさきなでしこ手折瘡の瑞籬)

 

 赤顔(あかがほ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤顔」の解説」に、

 

 「〘名〙 赤みを帯びた顔色。また、その人。赤ら顔。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「をかし、男、妹のいとあかがをなりけるを見をりて」

 

とある。

 西施はウィキペディアに、

 

 「本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の諸曁(現在の浙江省紹興市諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施という由来から西施と呼ばれるようになった。」

 

とある。庶民の生まれなので父親がどういう人かは知られていない。勝手に赤顔の髭面ということにする。

 この時代には梅毒がないので、前句の瘡は瘡蓋か腫物の意味になる。

 

無季。「父」は人倫。

 

二十二句目

 

   赤顔に西施が父の髭むさき

 山茶花長し恋の里道       鏡鶏

 (赤顔に西施が父の髭むさき山茶花長し恋の里道)

 

 西施の父は百姓で、山茶花の咲く里道を通って、後に西施を生むことになる女の元に通う。

 

季語は「山茶花」で冬、植物、木類。恋。

 

二十三句目

 

   山茶花長し恋の里道

 木啄の岩の妻戸を扣らむ     重五

 (木啄の岩の妻戸を扣らむ山茶花長し恋の里道)

 

 通ってきた男が岩の妻戸を啄木鳥が叩いてるかのように小さくノックする。

 

無季。恋。「妻戸」は居所。

 

二十四句目

 

   木啄の岩の妻戸を扣らむ

 この橋とをせ猿の魚釣      斧鎮

 (木啄の岩の妻戸を扣らむこの橋とをせ猿の魚釣)

 

 前句を啄木鳥が本当に岩戸をつついているとして、猿が橋の上に釣りをしているという幻想を付ける。

 まだ途中だが、この巻はここで終わっている。

 

無季。「猿」は獣類。「橋」「魚釣」は水辺。