「むめがかに」の巻

 元禄七年春、野坡(やば)との両吟歌仙興行で元禄七年の野坡、孤屋(こおく)()(ぎゅう)編『炭俵(すみだわら)』に収録されています。

  『炭俵』は芭蕉の晩年の「(かろ)み」の風を代表する撰集になっています。

  発句も教科書に載っているような有名な句ですね。

 

初表

 むめがかにのつと日の出る山路かな 芭蕉

   処々に雉子の啼たつ      野坡

 家普請を春のてすきにとり付て   野坡

   上のたよりにあがる米の値   芭蕉

 宵の内ばらばらとせし月の雲    芭蕉

   藪越はなすあきのさびしき   野坡

 

初裏

 御頭へ菊もらはるるめいわくさ   野坡

   娘を堅う人にあはせぬ     芭蕉

 奈良がよひおなじつらなる細基手  野坡

   ことしは雨のふらぬ六月    芭蕉

 預けたるみそとりにやる向河岸   野坡

   ひたといひ出すお袋の事    芭蕉

 終宵尼の持病を押へける      野坡

   こんにゃくばかりのこる名月  芭蕉

 はつ雁に乗懸下地敷て見る     野坡

   露を相手に居合ひとぬき    芭蕉

 町衆のつらりと酔て花の陰     野坡

   門で押るる壬生の念仏     芭蕉

 

 

二表

 東風々に糞のいきれを吹まはし   芭蕉

   ただ居るままに肱わづらふ   野坡

 江戸の左右むかひの亭主登られて  芭蕉

   こちにもいれどから臼をかす  野坡

 方々に十夜の内のかねの音     芭蕉

   桐の木高く月さゆる也     野坡

 門しめてだまつてねたる面白さ   芭蕉

   ひらふた金で表がへする    野坡

 はつ午に女房のおやこ振舞て    芭蕉

   又このはるも済ぬ牢人     野坡

 法印の湯治を送る花ざかり     芭蕉

   なハ手を下りて青麦の出来   野坡

 

二裏

 どの家も東の方に窓をあけ     野坡

   魚に食あくはまの雑水     芭蕉

 千どり啼一夜一夜に寒うなり    野坡

   未進の高のはてぬ算用     芭蕉

 隣へも知らせず嫁をつれて来て   野坡

   屏風の陰にみゆるくハし盆   芭蕉

 

参考

 『芭蕉七部集』中村俊定校注、一九六六、岩波文庫

 『「炭俵」連句古註集』竹内千代子編、一九九五、和泉書院

 『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、一九七四、小学館

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豊隆監修、中村俊定校注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 むめがかにのつと日の出る山路かな 芭蕉

 

 学校でも習う有名な句なので、ほとんど解説の必要はないとは思います。

  あえて言うなら、苦しい旅の中も、一瞬漂うほんのりとした梅の香と一気に昇る朝日の姿にしばし癒やされます。それを「のっと」という俗語を巧みに使って表現しているといったところでしょうか。

  「のっと」は「ぬっと」と同じで、ouの交替は古語ではしばしば見られます。「こがね(黄金)=くがね」、「ひとまろ(人麿)=ひとまる(人丸)」、「しろし(白し)=しるし」、「そぞろ=すずろ」、(かろ)み=かるみ」など、こうした例はたくさんあります。

  興行の発句でも、特に挨拶のメッセージを含まない場合もあり、これなどはその一つの例と言えましょう。

 

 季語は「梅」で春になります。ここでもう少し踏み込んで分類しますと、梅は植物(うえもの)になります。「日」は天象(てんしょう)、「山路」は山類(さんるい)になります。こうした物にもそれぞれ何句隔てなくてはならないといったルールがあり、追々説明していこうと思います。

 また、山路を行くというのは旅を連想させるもので、「旅体」になります。

 

 

 

   むめがかにのつと日の出る山路かな

 処々に雉子(きじ)(なき)たつ        野坡

 (むめがかにのつと日の出る山路かな処々に雉子の啼たつ)

 

 厳かな春の朝の情景にあちこちで雉が鳴き始める情景を、特に凝った意図はなく、さらっと付けています。

 

季語は「雉子(きじ)」で春、そして鳥類になります。その他に、虫類、獣類がありますが、魚類はありません。

 

 第三

 

   処々に雉子の啼たつ

 ()普請(ぶしん)を春のてすきにとり付て   野坡

 (家普請を春のてすきにとり付て処々に雉子の啼たつ)

 

 春のまだ農作業に取り掛かる前の暇な時期に家を改築しているのか修理しているか、工事を入れています。

  雉の声と金槌で(のみ)を打つ音とが似ていて、響き合います。

 

 季語はは「春」で春になります。「家普請」は居所になります。

 

四句目

 

   家普請を春のてすきにとり付て

 (かみ)のたよりにあがる米の値     芭蕉

 (家普請を春のてすきにとり付て上のたよりにあがる米の値)

 

 上方(かみがた)の方面の情報で米の値が上がっているので、春の農閑期に家の改築に着手して、となります。

  米の値上がりは消費者にとっては困りますが、農家にとっても、また年貢米で生活している武家にとっても喜ばしいことです。

 

 無季。

 

 五句目

 

   上のたよりにあがる米の値

 宵の内ばらばらとせし月の雲    芭蕉

 (宵の内ばらばらとせし月の雲上のたよりにあがる米の値)

 

 前句の米の値上りを、春になって順調に米相場が上昇するという意味ではなく、収穫直前であれば、ちょっとした天候の変化に敏感に米相場が変動する、という意味に取り成します。

  秋の収穫期に天候が悪化すれば、米相場も敏感に反応します。

 

 季語は「月」で秋、それに天象で、さらに月は夜に輝くものですから「夜分」になります。雲は「聳物(そびきもの)」になります。雲、霞、霧、靄、煙といったたなびくものは聳物(そびきもの)になります。

 

 六句目

 

   宵の内ばらばらとせし月の雲

 (やぶ)(ごし)はなすあきのさびしき     野坡

 (宵の内ばらばらとせし月の雲藪越はなすあきのさびしき)

 

 「藪」は森でも林でもなく、手入れのされていない木や草の茂る場所をいいます。農民ではなく、その他の職業の人の貧しい集落を連想させます。

 

 季語は「あき」で秋になります。「藪」は植物うえものになります。

初裏

七句目

 

   藪越はなすあきのさびしき

 御頭(おかしら)へ菊もらはるるめいわくさ   野坡

 (御頭へ菊もらはるるめいわくさ藪越はなすあきのさびしき)

 

 『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年五月序)という江戸時代後期に書かれた注釈書によりますと、「御頭へ 前句の藪越はなすを押て、組屋敷などの附なり。」とあります。

  「組屋敷」は江戸時代の与力・同心などの組の者にまとめて与えられていた屋敷だそうです。与力・同心は町の治安を守る今でいう警察のような仕事です。

  与力・同心は直接罪人に触れる「不浄役人」で、その下で働く岡っ引きは被差別民がその職務に当たっていました。

  まあ、アニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』に喩えるなら、与力・同心は監視官で岡っ引きは執行官のようなものです。

  こうした不浄の人たちの住んでいた組屋敷は、いわば被差別民の部落で、それで貧しくて庭なども手入れが行き届かず、薮になってたわけです。

  これだとここでいう「御頭(おかしら)」は与力で、同心たちが組屋敷の藪越しに「御頭に丹精込めて育てた菊を取られてしまって、まったく迷惑な話だ」とか話している場面になります。

  いずれにせよ上下関係の厳しい世界で、御頭の言うことは絶対で、菊を見て「くれないか」と言われて断れるもんではなかったのでしょう。

 

季題は「菊」で秋、植物、草類になります。「御頭」は人倫になります。

 

八句目

 

   御頭へ菊もらはるるめいわくさ

 娘を(かた)う人にあはせぬ       芭蕉

 (御頭へ菊もらはるるめいわくさ娘を堅う人にあはせぬ)

 

 前句の「菊」を植物の菊ではなく、ここでは娘の名前に取り成します。つまり「お菊さん」です。

  我儘で横暴な御頭が、どうも娘に目を付けているようで、親としては気が気でなりません。娘を隠して、できるだけ人に会わせないようにします。

  さて、部落のことはここでは忘れましょう。御頭はいろいろな意味で用いられます。ここでは足軽屋敷ではないかと思います。

  付け句をするときは前句の前句、これを打越(うちこし)と言いますが、新たに付ける付け句は打越と大きく変える必要があります。

  打越と似たり寄ったりの句になると、それは「輪廻(りんね)」といってルール違反になります。

  輪廻は仏教用語で、輪廻転生できるならいいではないかと思うかもしれませんが、仏教は本来輪廻を断って解脱(げだつ)を目指すものです。それゆえ輪廻は良くないものとされてました。

  打越と異なる大きな展開をさせるには、こうした句の意味をまったく別の意味に取り成すのも、俳諧の楽しさの一つになっています。

 

無季。「娘を人に会わせぬ」は恋になります。

 

九句目

 

   娘を堅う人にあはせぬ

 奈良がよひおなじつらなる細基手(ほそもとで)  野坡

 (奈良がよひおなじつらなる細基手娘を堅う人にあはせぬ)

 

 「細基手(ほそもとで)」は今でいう小資本のことです。

 

 というわけで舞台は組屋敷や足軽屋敷から商人の家に変わります。

  娘を嫁にくれという商人が何人も足しげく通ってくるが、みんな似たり寄ったりの小資本の連中で、我が家の格には合わないとばかりに娘を隠しておく、そういうふうに展開します。

 

無季。「奈良通い」は恋になります。また、「奈良」は名所になります。名所というのは今のような風光明媚な場所という意味ではなく、和歌に詠まれた場所、いわゆる歌枕のことです。

 

十句目

 

   奈良がよひおなじつらなる細基手

 ことしは雨のふらぬ六月      芭蕉

 (奈良がよひおなじつらなる細基手ことしは雨のふらぬ六月)

 

 奈良へ出入りする商人たちの世間話で、「今年の六月は雨が降らへんな」ということにします。

 

季語は「六月」で夏になります。「雨」は降物で、雪、霰、雹、は勿論こと、露や霜も降物になります。

 

十一句目

 

   ことしは雨のふらぬ六月

 預けたるみそとりにやる(むかふ)河岸(がし)   野坡

 (預けたるみそとりにやる向河岸ことしは雨のふらぬ六月)

 

 旧暦六月は今のほぼ七月に相当し、前半はまだ梅雨が続きますが、後半には梅雨が明け、かんかん照りの日が続きます。

  あまり早く梅雨が明けると、日照りによる旱魃の恐れが生じるため、水無月には雨乞を行ったりします。

  そんな農家の心配を他所に、商人にとっては川の増水の心配もなく船を走らせて、商売にいそしむ季節になります。

  味噌がよく売れれば、奉公人が川の反対にある河岸(かし)、つまり市場に預けた味噌を取りに行ったりもします。

 

無季。「河岸」は水辺になります。自然の地形は山類と水辺に分けられます。

 

十二句目

 

   預けたるみそとりにやる向河岸

 ひたといひ出すお袋の事      芭蕉

 (預けたるみそとりにやる向河岸ひたといひ出すお袋の事)

 

 「ひた」は「ひとつ」から来た言葉で「ひとすじ」ということで、今でも「ひたすら」という言葉に名残をとどめています。

  お袋のことを一途に思って味噌を取りにいくというのは、お袋が味噌が好きだからでしょうか。

  そうかもしれませんし、もっと踏み込んだ見方をすれば、亡きお袋の命日で、精進のために肉や魚を断つため、大根や蒟蒻などを食べるのに味噌を多く使うようになるということかもしれません。

 

無季。「お袋」は人倫になります。

 

十三句目

 

   ひたといひ出すお袋の事

 終宵(よもすがら)尼の持病を押へける      野坡

 (終宵尼の持病を押へけるひたといひ出すお袋の事)

 

 夜通し尼の持病の看病をしていると、ふとお袋を看病した時のことを思い出します。

  持病というと代表的なのか「(しゃく)」で、原因のよくわからない腹などの内臓の痛みをひっくるめて(しゃく)と呼んでました。

 

無季。「終宵(よもすがら)」は夜分になります。「尼」は人倫で釈教になります。

 「釈教」は本来連歌の時代は仏法を説く内容のものを言いましたが、江戸時代の俳諧では形式的なものになり、尼だとか坊主だとかお寺だが、仏教に関連するものが出てくれば釈教になります。「神祇」に関しても、俳諧では形式的に扱われます。

 

十四句目

 

   終宵尼の持病を押へける

 こんにゃくばかりのこる名月    芭蕉

 (終宵尼の持病を押へけるこんにゃくばかりのこる名月)

 

 終宵(よもすがら)という夜分の言葉が出たことで、すかさず月を出します。

  名月の宴のさなか尼が癪をもよおし、看病して戻ってきたらコンニャクだけが残っていて、他の御馳走はみんな食べられていたという一種のあるあるネタですね。

  前句の看病の重苦しい雰囲気を笑いで振り払おうというもので、最近の言葉で言えば「シリアス破壊」ですね。俳諧はあくまで談笑なので、笑いあり涙ありならいいですが、涙ばかりになるのは嫌います。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象になります。

 

十五句目

 

   こんにゃくばかりのこる名月

 はつ(かり)乗懸(のりかけ)下地(したじ)(しき)て見る     野坡

 (はつ雁に乗懸下地敷て見るこんにゃくばかりのこる名月)

 

 街道で一般の旅人が利用する馬のことを乗懸(のりかけ)(うま)と言います。単に「乗懸(のりかけ)」という場合もあります。

  これを利用する時には、まず馬に荷物を載せ、その上に人が乗るため、そこに薄い座布団のようなものを乗せます。これが乗懸(のりかけ)下地(したじ)です。

  前句を宴席から旅体に転じます。

  俳諧の句は倒置になっていることが多いので、分かりにくい時は語順を並べ替えて倒置を解消するとわかりやすくなります。

  この場合は「はつ雁に乗懸下地敷てこんにゃくばかりのこる名月を見る」となります。蒟蒻は昨日旅立ちの別れを惜しんで集まった人たちから振舞われた、折からの名月の日の御馳走の残りなのでしょう。

  マガンは冬鳥で名月の頃から日本に渡ってくるもので、その年の秋の初めて飛来した雁を初雁と言います。そのため名月に初雁は付き物ということになります。渡り鳥を出すことも旅の情につながります。

 

季語は「初雁」で秋、鳥類になります。「乗懸下地」は旅体になります。

 

十六句目

 

   はつ雁に乗懸下地敷て見る

 露を相手に居合(ゐあひ)ひとぬき      芭蕉

 (はつ雁に乗懸下地敷て見る露を相手に居合ひとぬき)

 

 ここでは、前句の「見る」は試みるの意味になり、居合い抜きを試みるとなります。

 山賊に備えてのことか。『奥の細道』の山刀伐(なたぎり)峠の所には、

 

 「道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。さらばと云ふて人を頼み待れば、究竟(くっきゃう)の若者反脇指(そりわきざし)をよこたえ、樫の杖を(たづ)さへて、我々が先に立ちて行く。」

 

とありますが、そのときのイメージかもしれません。

  「はつ雁に乗懸下地敷て露を相手に居合ひとぬきを見る」の倒置になります。

  「露払い」という言葉もありますが、ここでは何か物を斬るのではなく、着物が濡れないように草の露だけを払います。

 

季語は「露」で秋、降物になります。

 

十七句目

 

   露を相手に居合ひとぬき

 町衆のつらりと酔て花の陰     野坡

 (町衆のつらりと酔て花の陰露を相手に居合ひとぬき)

 

 花見はもっぱら町人のものでしたが、お忍びでやってくる武士も多く、中には刀を持ったまま堂々と来る者もいたようで、

 

 何事ぞ花みる人の長刀       去来

 

の句もあります。

 大勢の酔っ払った町人の前で、これも酔った勢いで居合い抜きなど披露して、決まれば拍手喝采ですが刀は無残にも空を切ってという落ちではないかと思います。

  「つらり」は今の「ずらり」で、あちこちに人ひとが分散している状態ではなく、ひとところに勢ぞろいして、というニュアンスで、見物人の人垣ができている状態をいいます。

 

季題は「花」で春、植物になります。「花」だけだと桜の花の意味になります。「町衆」は人倫になります。

 

十八句目

 

   町衆のつらりと酔て花の陰

 (もん)(おさ)るる壬生(みぶ)の念仏       芭蕉

 (町衆のつらりと酔て花の陰門で押るる壬生の念仏)

 

 「壬生(みぶ)念仏」は京都壬生寺で行われる壬生(みぶ)大念仏狂言のことで、壬生狂言とも呼ばれます。

  円覚上人が正安二年(一三〇〇年)に壬生寺で大念佛会を行ったとき、集まった群衆にわかりやすく、無言劇を行なったのが起こりとされています。

  専門の役者ではなく地元の百姓が演じるもので、江戸時代にはその名が広く知れ渡り、境内の桟敷は京都・大阪から繰り出してきた金持ちに占領され、地元の町衆は門のところで押しあいへしあいしながら見物してたといいます。

 

 

季題は「壬生の念仏」は春になり、釈教にもなります。「門」はこの場合、お寺の門なので、居所にはなりません。

二表

十九句目

 

   門で押るる壬生の念仏

 東風々(こちかぜ)(こへ)のいきれを(ふき)まはし   芭蕉

 (東風々に糞のいきれを吹まはし門で押るる壬生の念仏)

 

 ここでまた壬生念仏の様子を付けると輪廻になって展開しないので、背景を付けて流したと言っていいでしょう。

  壬生寺が畑の中にあるところから、まわりの畑の景色に転じます。それも畑とは直接言わず、肥臭い匂いを付けるだけにとどめます。文字通り「匂い付け」ですね。

 

季語は「東風々(こちかぜ)」で春になります。菅原道真の有名な歌にも「東風(こち)ふかば」とありますね。

 

二十句目

 

   東風々に糞のいきれを吹まはし

 ただ居るままに(かひな)わづらふ     野坡

 (東風々に糞のいきれを吹まはしただ居るままに肱わづらふ)

 

 春風が肥えの匂いを吹きまわす頃はまだ農閑期で、農家の人はやることのないまま体がなまって肘などを痛めたりします。これもあるあるネタといっていいでしょう。

 江戸後期の注釈書の『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、

 

(こへ)のいきれといふより転じ来て、百姓の(この)時節(のう)(げき)ありて、ぶらぶら遊び居る体と思ひよせたり。日に日にはたらき馴れし身をあまり隙に居る故に、却て肱などいたしといふさま折々見聞処(みきくところ)(なり)。」

 

とあります。

  「折々見聞処(みきくところ)(なり)」つまりあるあるネタですね。

 

無季。

 

二十一句目

 

   ただ居るままに肱わづらふ

 江戸の左右(さう)むかひの亭主登られて  芭蕉

 (江戸の左右むかひの亭主登られてただ居るままに肱わづらふ)

 

 「左右(さう)」というのは古語辞典によれば「かたわら」「あれこれ」「結果」といった意味があり、なかなか多義な言葉だったようです。

  この句は「向いの亭主登られて江戸の左右(聞く)」の倒置で、左右はあれこれという意味になります。

  「ただ居るままに肱わづらふに、むかひの亭主登られて江戸の左右(あれこれ)を聞く」というのが二句通した意味になります。

  前句は農閑期の百姓のことでしたが、ここでは京に住む店の奉公人に取り成されています。

 

無季。「亭主」は人倫になります。

 

二十二句目

 

   江戸の左右むかひの亭主登られて

 こちにもいれどから臼をかす    野坡

 (江戸の左右むかひの亭主登られてこちにもいれどから臼をかす)

 

 前句は同じように、「向いの亭主の江戸より登られて、江戸の左右聞くに」と読みます。江戸の話を聞きに近所の人が集まり、忙しくなるので、唐臼を貸してあげるという人情味ある句になります。

  「こちにもいれど」はの「いる」は要るという意味で、「こちらでも臼は必要だけど、先に使ってくれ」という意味です。

   唐臼はシーソーのように梃子の原理を応用して杵を上下させる臼で、米の精米に用いられていました。

  今だと都会では自分で精米するということはあまりありませんが、田舎の方に行くとコイン精米機が置いてあったりします。昔は玄米で保存して、自分の家で精米するのが普通でした。

  ただ、固定された大きな道具なのでどこの家にもあるものではなく、唐臼を借りに行く人の方が多かったのでしょう。

 

無季。

 

二十三句目

 

   こちにもいれどから臼をかす

 方々に十夜の内のかねの音     芭蕉

 (方々に十夜の内のかねの音こちにもいれどから臼をかす)

 

 「十夜」というのは十夜(じゅうや)念仏(ねんぶつ)のこと。京都の真如堂(真正極楽寺)をはじめ、浄土宗の寺で十日間に渡って行なわれる念仏会(ねんぶつえ)で、旧暦十月五日から十五日の朝にかけて行なわれてました。

  明治以降、旧暦の行事は禁止されたため、今日では新暦の十一月六日から十五日に行なわれています。念仏の時に鳴らされる鐘の音は、初冬の風物でもありました。

  十夜念仏の頃には、ちょうど稲の収穫も終わり、籾摺の作業に入ります。唐臼は精米だけでなく、その前段階の籾摺の作業にも用いられました。

  収穫期はそこらかしこ唐臼がフル稼働することになります。唐臼のない家では、ある家に借りに来ることになります。

 

季語はは「十夜」で冬になります。「十夜」はここでは単なる十日の夜ではなく、十夜念仏のことなので冬になります。念仏なので釈教にもなります。「夜」の文字はありますが、昼夜にかけて行われるものなので、夜分にはなりません。

 

二十四句目

 

   方々に十夜の内のかねの音

 桐の木高く月さゆる也       野坡

 (方々に十夜の内のかねの音桐の木高く月さゆる也)

 

 「夜」の文字が出たということで、すかさず月を出します。季節は冬なので「さゆる」という冬の季語を用いることで冬の月、寒月のこととします。

  葉を落とした桐の木に寒月がかかる様は冷えさびていて、鐘の音はかえって静寂を引き立てます。「岩にしみ入る蝉の声」のようなものです。

 

季語は「月さゆる」で冬、夜分、天象になります。「桐の木」は植物になります。月の定座(じょうざ)は普通は二十九句目ですが、定座は式目ではなく単なる会式の作法であるため、それほどこだわる必要はありません。

 

二十五句目

 

   桐の木高く月さゆる也

 (もん)しめてだまつてねたる面白さ   芭蕉

 (門しめてだまつてねたる面白さ桐の木高く月さゆる也)

 

 冬の寒い季節の月ですから酒宴を開くわけでもなく、管弦のあそびに興じるわけでもありません。門を閉めてただ一人黙って寝るのもまた一興かと床につくものの、それでも眠れず夜中になってしまいます。

  「高く」は桐の木だけでなく「月」にも掛かるとすれば、天心にある月は真夜中の月になります。本当に寝てしまったんなら月を見ることもありまえん。

  前句の「高く」「さゆる」の詞から、高い志を持ちながらも世に受け入れられず、冷えさびた心を持つ隠士の匂いを読み取り、その隠士の位で、「門をしめて黙って寝る」と付いています。

  門を閉めて、一人涙する隠士に、冬枯れの桐の木も高ければ、月はそれよりはるかに高く、冷え冷えとしています。高き理想を持ちながら、決してそれを手にすることの出来なかった我が身に涙しているのでしょうか。

  前句の語句をそのものの景色の意味にではなく、それに実景でもありながら同時に比喩でもあるようなニュアンスを読み取り、そこから浮かび上がる人物の位で、そうした人物のいかにもありそうなことを付けています。これは匂い付けの一つの高度な形であり、匂い付けの手法の一つの到達点といってもいいかもしれません。

  芭蕉の伊賀の門人である()(ほう)の『(さん)冊子(ぞうし)』には、

 

 「この事、先師のいはく、すみ俵は門しめての一句に腹をすへたり。」

 

とあります。

 

無季。「門」は居所になります。「ねたる」は夜分になります。打越の「十夜」が仮に夜分だとしたら、夜分が三句続いて輪廻になります。

 

二十六句目

 

   門しめてだまつてねたる面白さ

 ひらふた金で表がへする      野坡

 (門しめてだまつてねたる面白さひらふた金で表がへする)

 

 芭蕉の高雅な趣向の句の後に同じように高雅なもので張り合おうというのは却って野暮というものです。ここは卑俗に落として笑いに転じるのが正解になります。これも一種のシリアス破壊と言えましょう。

  大金を拾ったりすると、あぶく銭ということで、何かと周りからたかられたりして、酒でも振舞って奢ったりしなくてはならなくなるものです。それが嫌で、金を拾ったことは人に黙っていて、さっさと自分の部屋の畳替えに使ったら、ばれないように早々に門を閉めて、狸寝入りを決め込みます。

  けち臭いけど、気持ちはわかりますね。

  こうしたあえて卑俗に落とした例としては、芭蕉の最後の興行となった「白菊の」の巻にもあります。

  三十一句目の、

 

   杖一本を道の腋ざし

 野がらすのそれにも袖のぬらされて 芭蕉

 

の句は最初に紹介しましたが、老いた旅人が杖一本を頼りに旅をしていると、死の匂いを嗅ぎつけたか、カラスが集まってきます。

  その次の句は、

 

   野がらすのそれにも袖のぬらされて

 老の力に娘ほしがる        一有

 

です。老後のことを考えると、介護を頼めるように娘を一人作っておきたい、という句になります。

 

無季。

 

二十七句目

 

   ひらふた金で表がへする

 はつ(うま)に女房のおやこ振舞て    芭蕉

 (はつ午に女房のおやこ振舞てひらふた金で表がへする)

 

 初午(はつうま)は旧暦二月の最初の(うま)の日のことで、京都伏見稲荷を初めとする稲荷神社で初午大祭が催されました。

 ここでは前句の「ひらうた」を文字通り道で拾ったのではなく、初午の日に女房の親子にご馳走を振舞ったところ、そのご利益か臨時の収入があり、その「拾ったような」金で畳の表替えをする、という意味になります。

 

季語は「はつ午」で春、初午詣でなので神祇にもなります。「女房」「おやこ」は人倫になります。

 

二十八句目

 

   はつ午に女房のおやこ振舞て

 又このはるも(すま)牢人(らうにん)       野坡

 (はつ午に女房のおやこ振舞て又このはるも済ぬ牢人)

 

 芭蕉の時代には大名の取り潰しや改易が相次ぎ、二十万とも四十万ともいわれる浪人が街にあふれていたといいます。笠張りなどの内職で細々と食いつないで、日ごろから女房子供に迷惑をかけているそんな負い目からか、初午の日に女房の親や兄弟などに振舞って願を掛けにいくのも、多分毎年のことだったのでしょう。

  そして毎年願を掛けていても今年はついに仕官が決まる、なんてことはなかったようですね。

 

季題は「春」で春です。「牢人」は人倫になります。

 

二十九句目

 

   又このはるも済ぬ牢人

 法印(ほふいん)湯治(たうぢ)を送る花ざかり     芭蕉

 (法印の湯治を送る花ざかり又このはるも済ぬ牢人)

 

 法印は僧の位で、諸寺を管理するための(そう)(ごう)というのがありまして、上から、僧正(そうじょう)僧都(そうず)律師(りっし)になってまして、その律師の中に法印(ほういん)(ほう)(げん)(ほっ)(きょう)の位があります。

  湯治(とうじ)というと今は観光旅行ですが、昔は修験(しゅげん)の場になっている所が多く、

 

   入込に諏訪の涌湯の夕ま暮

 中にもせいの高き山伏       芭蕉

 

の句にもそういう背景があります。温泉というと修験のイメージがありました。

  ここで言う法印もそういう修験道の寺院の偉い人と見ていいでしょう。

  前句の牢人はこの法印に世話になっていましたが、その法印も湯治場の方に行ってしまい、かといって仕官の口もなく困ったというところでしょう。

  春だというのに就職も決まらずという悲哀は、今の世にも通じるものがあるかもしれません。

 

季題は「花ざかり」で春で植物、木類になります。前にも言ったように、定座(じょうざ)は式目ではないので、必ずしもこだわらなくて良く、三十五句目に来る定座をここでは六句繰り上げています。「法印」は釈教になります。

 

三十句目

 

   法印の湯治を送る花ざかり

 なハ()を下りて青麦の出来     野坡

 (法印の湯治を送る花ざかりなハ手を下りて青麦の出来)

 

 江戸後期に書かれた俳諧の注釈書の『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、

 

 「湯治を送ると(いふ)より転じて、法印の徐地(よけち)を作り居る百姓どもの見送りに出たるが、誰の苗代かれの菜種などいひて、とりどり評議したるさまに思ひよせたり。前句香の花なれば、揚句(あげく)の心にて作りたるが故に軽し。」

 

とあります。

  寺社の所領は、幕府や藩からの租税を免除され、「徐地(よけち)」と呼ばれてました。「なハ手て」はあぜ道のことで畷という字もあります。法印の旅立ちを見送りながら、領内の百姓が集まって、農産物の噂をしている様子を付つけたもので、花の後だけに軽くさらっと付けています。

 

 

季語は「青麦」で春、植物、草類になります。

二裏

三十一句目

 

   なハ手を下りて青麦の出来

 どの家も東の方に窓をあけ     野坡

 (どの家も東の方に窓をあけなハ手を下りて青麦の出来)

 

 江戸後期に書かれた俳諧の注釈書『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に、

 

 「加茂堤のほとりなる乞食村のもやうにも似たり。」

 

とあり、『俳諧七部集弁解』(著者・年次不詳)にも同様の記述があります。

  日本の家屋は南向きに作ることが多く、東向きの家が並ぶというと南北に川が流れて、その川に添って集落が形成されたというような、何らかの特殊な事情があったのでしょう。そのため、この句から加茂堤の乞食村が浮かんだと思います。

  江戸時代には白米の文化が広がり、都市の人間はいわゆる「銀シャリ」を食うようになりましたが、田舎では麦や粟・稗など、雑穀を混ぜて食うのが普通でした。前句の「青麦」から、米よりも雑穀を多く食う貧しい村を連想したのだと思います。

 

無季。「家」は居所になります。

 

三十二句目

 

   どの家も東の方に窓をあけ

 魚に(くひ)あくはまの雑水       芭蕉

 (どの家も東の方に窓をあけ魚に食あくはまの雑水)

 

 家を東向きに建てるというのは、もう一つの可能性として、西側に海があり、潮風の害を防ぐために家を東向きにしたということが考えられます。

  ここでは前句を漁村の風景として、魚に食い飽きた、としています。売り物にならない魚は雑炊にして食っていたのでしょう。

 

無季。「はま」は水辺になります。

 

三十三句目

 

   魚に食あくはまの雑水

 千どり(なく)一夜一夜に寒うなり    野坡

 (千どり啼一夜一夜に寒うなり魚に食あくはまの雑水)

 

 漁村の食生活を詠んだ前句に冬の季節を付けて軽く流したという感じがします。

  雑炊は寒い時には暖まりますね。

 

季語は「千どり」で冬、鳥類で水辺にもなります。「一夜一夜に」は夜分になります。

 

三十四句目

 

   千どり啼一夜一夜に寒うなり

 未進の高のはてぬ算用       芭蕉

 (千どり啼一夜一夜に寒うなり未進の高のはてぬ算用)

 

 千鳥の鳴く冬の寒い時期は、農村では収穫も終わり、村長は年末までに納める年貢の計算に追われる季節でもあります。

  不作が続いたのか年貢を払いきれず、未進となった金額が膨れ上がって、外も寒いが懐も寒くなります。

 

無季。

 

三十五句目

 

   未進の高のはてぬ算用

 隣へも知らせず嫁をつれて来て   野坡

 (隣へも知らせず嫁をつれて来て未進の高のはてぬ算用)

 

 忙しいということもあるし、未進の年貢が膨れ上がっていて祝言を挙げる余裕もないということで、隣近所にも知らせずにこっそりと嫁を呼び寄せたということでしょう。

  本来花の定座の場所だけに、「花嫁」を連想させる「嫁」を出したとも言われています。

 

無季。「嫁」は恋の言葉で人倫にもなります。

 

挙句

 

   隣へも知らせず嫁をつれて来て

 屏風の陰にみゆるくハし盆     芭蕉

 (隣へも知らせず嫁をつれて来て屏風の陰にみゆるくハし盆)

 

 「くハし盆」は菓子盆です。旧仮名で菓子は「くはし」と表記しました。古い時代にkakwaの音が区別されていた名残です。

  「屏風」があるということで、前句を貧しい家ではなく、裕福な家に取り成します。

 挙句(あげく)ということで、どういう事情でとか重い話題は避けて、ただ、菓子盆が隠して置いてあるのを見て嫁が来たのが知れるというだけの句になります。花嫁に菓子盆で目出度く一巻は終わります。

 

 

無季。