「初秋は」の巻、解説

貞享五年七月十日、鳴海重辰亭

初表

 初秋や海やら田やらみどりかな   芭蕉

   乗行馬の口とむる月      重辰

 藁庇霧ほのくらく茶を酌て     知足

   やせたる藪の竹まばらなり   如風

 蛤のからふみわくる高砂に     安宣

   笠ふりあげて船まねく也    自笑

 

初裏

 白雨の雲つつみ行雨の脚      如風

   田づらにむれし鷺の羽をのす  知足

 御乳そひてわかふに物や言ぬらむ  如風

   おもひ残せる遠の國がへ    自笑

 琵琶弾て今宵は泣て明すべき    芭蕉

   釣簾のひとへも恥るくろ髪   安宣

 軒高き瓦の鬼のかげさびし     重辰

   施餓鬼過たる入相の幡     芭蕉

 浅瀬川むかふに角力とりそめて   如風

   樽切ほどき月に酌けり     安宣

 花の雪鷹にみせたきとまりやま   知足

   水おもしろき寺のはるかぜ   牛歩

 

 

二表

 瀬田の橋なかばは霞たえだえに   安宣

   白壁遠く炭をうる市      知足

 芝はらの朝霜はらふ布ごろも    自笑

   けふ一七日戸帳ひらきて    知足

 かしこまる百首のうたをよみをはり 芭蕉

   妻に聞せん尺八の曲      安宣

 湯あがりの肌には伽羅を焼こがし  知足

   むかし恥かし今の竹垣     牛歩

 ゑのころのふみからしたる蘭の鉢  自笑

   魚つむ船の岸による月     重辰

 露の身の嶋の乞食とくろみ果    芭蕉

   次第にさむき明くれの風    知足

 

二裏

 猿の子の親なつかしくさけびけむ  安宣

   からすも鷺も柴の戸の伽    芭蕉

 石ふみてかたさがりなる岨のみち  如風

   杉菜まじりにつくつくしつむ  知足

 かんざしにはな折娘うちむれて   安宣

   こてふをはやす鶴かめの舞   自笑

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 初秋は海やら田やらみどりかな  芭蕉

 

 初秋の夕暮れの景で、秋風の吹く澄んだ霞むことない空気に強い西日があいまって、海の青も田の緑もキラキラまぶしいくらいに輝いて見える。

 興行に来るまでの道すがら、見たままを詠んだ句であろう。後に、

 

 初秋や海も青田も一みどり    芭蕉

 

に改作されている。全体の調子は整っているが「みどりかな」の初期衝動が死んでしまい、ただの初秋の句になってしまっている。筆者は初案の方がいいと思う。

 

季語は「初秋」で秋。「海」は水辺。

 

 

   初秋は海やら田やらみどりかな

 乗行馬の口とむる月       重辰

 (初秋は海やら田やらみどりかな乗行馬の口とむる月)

 

 街道を行く旅人の馬を止めて夕暮れの景色を眺める。十日の月が空に浮かんでいる。

 芭蕉がこの何でもない平凡な景色に目を止めたことに、驚きと感謝を込めて、わざわざこんなところに馬を止めてという意味で「乗行馬の口とむる」と応じる。月は放り込み気味だが、興行の時候に合っている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。「馬」は獣類。

 

第三

 

   乗行馬の口とむる月

 藁庇霧ほのくらく茶を酌て    知足

 (藁庇霧ほのくらく茶を酌て乗行馬の口とむる月)

 

 馬を止めたのを茶を飲むためだとする。藁ぶき屋根の茶店で霧のほの暗い中に霧の合間から薄月がほのかに見える。

 

季語は「霧」で秋、聳物。

 

四句目

 

   藁庇霧ほのくらく茶を酌て

 やせたる藪の竹まばらなり    如風

 (藁庇霧ほのくらく茶を酌てやせたる藪の竹まばらなり)

 

 前句の藁庇を藪の中の隠者の家とする。竹もまばらで家の姿がはっきり見える。

 芭蕉の『野ざらし紀行』の旅の時の、

 

   閑人の茅舎をとひて

 蔦植ゑて竹四五本のあらし哉   芭蕉

 

の句を思わせる。

 

無季。「竹」は植物で木類でも草類でもない。

 

五句目

 

   やせたる藪の竹まばらなり

 蛤のからふみわくる高砂に    安宣

 (蛤のからふみわくる高砂にやせたる藪の竹まばらなり)

 

 「高砂」はここでは「たかすな」と読む。

 海辺の薮とする。砂の上には蛤の殻が落ちていて、それを踏み分けながら海に出る。

 

無季。「蛤のから」は水辺。

 

六句目

 

   蛤のからふみわくる高砂に

 笠ふりあげて船まねく也     自笑

 (蛤のからふみわくる高砂に笠ふりあげて船まねく也)

 

 浜辺で笠を振って渡し舟を呼ぶ。

 

無季。旅体。「船」は水辺。

初裏

七句目

 

   笠ふりあげて船まねく也

 白雨の雲つつみ行雨の脚     如風

 (白雨の雲つつみ行雨の脚笠ふりあげて船まねく也)

 

 少し離れた空に真っ黒な夕立の雲があって、そこから雨が降っているのが見えるような状態であろう。もうすぐあの雨がこっちに来るというので、笠を振って船に戻ってくるように言う。

 

季語は「白雨」で夏、降物。「雲」は聳物。「雨」は降物。

 

八句目

 

   白雨の雲つつみ行雨の脚

 田づらにむれし鷺の羽をのす   知足

 (白雨の雲つつみ行雨の脚田づらにむれし鷺の羽をのす)

 

 夕立の雨が去ったとして、鷺の羽を伸ばして羽づくろいをする様子を付ける。

 

無季。「鷺」は鳥類。

 

九句目

 

   田づらにむれし鷺の羽をのす

 御乳そひてわかふに物や言ぬらむ 如風

 (御乳そひてわかふに物や言ぬらむ田づらにむれし鷺の羽をのす)

 

 「御乳(おち)」は御乳の人のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 貴人の乳母(うば)。おち。御乳の女。

  ※今鏡(1170)三「御ちの人と聞こえしがをとこにて」

 

とある。「わかふ」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に「若様」とある。

 乳母が若様に何か助言したのだろう。前句を比喩で、若様が家臣に厳しいことを言いすぎてたということか。

 

無季。「御乳」「わかふ」は人倫。

 

十句目

 

   御乳そひてわかふに物や言ぬらむ

 おもひ残せる遠の國がへ     自笑

 (御乳そひてわかふに物や言ぬらむおもひ残せる遠の國がへ)

 

 大名の領地替えがあって御乳はまだ幼い若様と別れねばならない。思いが残る。

 

無季。

 

十一句目

 

   おもひ残せる遠の國がへ

 琵琶弾て今宵は泣て明すべき   芭蕉

 (琵琶弾て今宵は泣て明すべきおもひ残せる遠の國がへ)

 

 白楽天の『琵琶行』であろう。

 

 今夜聞君琵琶語  如聴仙楽耳暫明

 莫辞更坐弾一曲  為君翻作琵琶行

 感我此言良久立  却坐促絃絃転急

 凄凄不似向前声  満座重聞皆掩泣

 座中泣下誰最多  江州司馬青衫濕

 

 今夜は君が琵琶を弾きながらする物語を聞くとしよう。

 仙楽を聴いているようで、耳は少しづつさえてくる。

 遠慮しないで坐ってもう一曲弾いてくれ。

 君のために「琵琶行」という詩に作り直してあげよう。

 私がそういうとしばらく立っていたが、

 再び坐り直すと絃を促し、激しくかき鳴らす。

 凄凄として今まで聞いたのと違う声となり、

 満座は重ねて聞いて、皆涙をおおう。

 座中で最もたくさんの涙を滴らせたのは、

 江州の司馬であった白楽天自身で、その青衫(せいさん)を濡らした。

 

 国替えで遠い地へ行くなら、白楽天のように今夜は琵琶を弾いて泣き明かさなくてはならないね。最後の「べき」の一言で、白楽天の境遇への共感という重いテーマではなく、白楽天を真似てはどうか、という軽い意味になる。

 

無季。「今宵」は夜分。

 

十二句目

 

   琵琶弾て今宵は泣て明すべき

 釣簾のひとへも恥るくろ髪    安宣

 (琵琶弾て今宵は泣て明すべき釣簾のひとへも恥るくろ髪)

 

 釣簾は「こす」と読む。小簾(をす)のこと。

 

 秋近くなるしるしにや玉すだれ

     こすのま遠し風の涼しき

              源実朝(金槐和歌集)

 

の用例がある。

 前句を御簾の向こうの上臈とする。今夜は琵琶を聞いて泣き明かすことになるだろう。「恥るくろ髪」は出家を思うということか。

 

無季。恋。「釣簾」は居所。

 

十三句目

 

   釣簾のひとへも恥るくろ髪

 軒高き瓦の鬼のかげさびし    重辰

 (軒高き瓦の鬼のかげさびし釣簾のひとへも恥るくろ髪)

 

 瓦の鬼は鬼瓦。狂言『鬼瓦』か。故郷の妻を思い出す。

 

無季。

 

十四句目

 

   軒高き瓦の鬼のかげさびし

 施餓鬼過たる入相の幡      芭蕉

 (軒高き瓦の鬼のかげさびし施餓鬼過たる入相の幡)

 

 施餓鬼はウィキペディアに、

 

 「餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。 施餓鬼は特定の月日に行う行事ではなく、僧院では毎日修されることもある。

 日本では先祖への追善として、盂蘭盆会に行われることが多い。盆には祖霊以外にもいわゆる無縁仏や供養されない精霊も訪れるため、戸外に精霊棚(施餓鬼棚)を儲けてそれらに施す習俗がある、これも御霊信仰に通じるものがある。 また中世以降は戦乱や災害、飢饉等で非業の死を遂げた死者供養として盛大に行われるようにもなった。」

 

とある。盆の施餓鬼が過ぎるとお寺も静かになり、夕暮れ時は寂しげだ。

 

季語は「施餓鬼」で秋。釈教。

 

十五句目

 

   施餓鬼過たる入相の幡

 浅瀬川むかふに角力とりそめて  如風

 (浅瀬川むかふに角力とりそめて施餓鬼過たる入相の幡)

 

 前句を川施餓鬼とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 

 「① 水死した人の冥福を祈って、川で行なう施餓鬼供養。多くは川に漕ぎ出し、塔婆を水中に立て、あるいは経木、紙などに死者の法名を記し、河中に投げるなどして回向する。盆の頃多く行なわれ、流灌頂(ながれかんじょう)に起因するものという。《季・秋》

  ※雑俳・蓍萩(1735)「経文に水かけ合の川施餓鬼」

  ※黄表紙・憎口返答返(1780)「屋形舟を借りて川施餓鬼とやら」

  ② 難産で死んだ産婦をとむらうこと。流灌頂から転じたもの。

  ※俳諧・類船集(1676)世「難産して身まかりたるを川せがきといふ事をすと」

 

とある。

 川施餓鬼が終わると川の向こうで相撲が始まる。

 

季語は「角力」で秋。「浅瀬川」は水辺。

 

十六句目

 

   浅瀬川むかふに角力とりそめて

 樽切ほどき月に酌けり      安宣

 (浅瀬川むかふに角力とりそめて樽切ほどき月に酌けり)

 

 相撲といえば酒が付き物だったのだろう。『阿羅野』の「麦をわすれ」の巻の二十六句目に、

 

   月の影より合にけり辻相撲

 秋になるより里の酒桶      野水

 

の句もある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十七句目

 

   樽切ほどき月に酌けり

 花の雪鷹にみせたきとまりやま  知足

 (花の雪鷹にみせたきとまりやま樽切ほどき月に酌けり)

 

 「とまりやま」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「鷹狩りで、未明に鷹を放つため、前夜、山中に宿泊すること。泊まり狩り。

  《季 春》「―月出でて峰のたたずまひ/虚子」

 

とある。春の鳴鳥狩(ないとがり)だから春の季語になっているようだ。鳴鳥狩はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 鳴いている鳥の場所を覚えておいて、翌日、獲物の多い早朝に行ってタカにとらせること。朝鷹(あさだか)。ないとがり。なきとりがり。《季・春》

  ※禰津松鴎軒記(室町末か)「春はたか深山を心がけ、長閑なければ野心さす。〈略〉すずこをざすと云も、なひとりかりの事也」

 

とある。

 花の雪に月もそろえば、この景色を鳴鳥狩の鷹にも見せてやりたいものだ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「とまりやま」も春、山類。「鷹」は鳥類。

 

十八句目

 

   花の雪鷹にみせたきとまりやま

 水おもしろき寺のはるかぜ    牛歩

 (花の雪鷹にみせたきとまりやま水おもしろき寺のはるかぜ)

 

 山に水を付ける。

 

季語は「はるかぜ」で春。「水」は水辺。

二表

十九句目

 

   水おもしろき寺のはるかぜ

 瀬田の橋なかばは霞たえだえに  安宣

 (瀬田の橋なかばは霞たえだえに水おもしろき寺のはるかぜ)

 

 遠くに見える瀬田の唐橋は春の霞で姿が全部見えない。比叡山から見た琵琶湖の眺めか。

 

季語は「霞」で春、聳物。「瀬田の橋」は名所、水辺。

 

二十句目

 

   瀬田の橋なかばは霞たえだえに

 白壁遠く炭をうる市       知足

 (瀬田の橋なかばは霞たえだえに白壁遠く炭をうる市)

 

 白壁は彦根で炭売る市は米原か。

 

無季。

 

二十一句目

 

   白壁遠く炭をうる市

 芝はらの朝霜はらふ布ごろも   自笑

 (芝はらの朝霜はらふ布ごろも白壁遠く炭をうる市)

 

 市場に来た炭売であろう。炭が濡れないように芝原の朝霜を払う。

 

季語は「霜」で冬、降物。「布ごろも」は衣裳。

 

二十二句目

 

   芝はらの朝霜はらふ布ごろも

 けふ一七日戸帳ひらきて     知足

 (芝はらの朝霜はらふ布ごろもけふ一七日戸帳ひらきて)

 

 一七日は「ひとなぬか」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 七日間。一週間。

  ※天草本伊曾保(1593)炭焼と、洗濯人の事「ミガ fitonanucano(ヒトナヌカノ) アイダ アライ キヨミョウ ホドノ モノヲ」

  ② 人の死後の七日目にあたる日。初七日。いちしちにち。ひとなのか。

  ※俳諧・独吟一日千句(1675)追善発句「今ははやなきひと七日時鳥〈一永〉」

 

とある。この場合②の意味でお勤めのために仏壇の扉を開く。

 

無季。釈教。

 

二十三句目

 

   けふ一七日戸帳ひらきて

 かしこまる百首のうたをよみをはり 芭蕉

 (かしこまる百首のうたをよみをはりけふ一七日戸帳ひらきて)

 

 追善の百首歌を仏前に捧げる。

 ちなみに芭蕉は元禄七年十月十二日に亡くなり、十八日の初七日には、

 

 なきがらを笠に隠すや枯尾花   其角

 

を発句とする追善百韻興行が行われた。

 

無季。

 

二十四句目

 

   かしこまる百首のうたをよみをはり

 妻に聞せん尺八の曲       安宣

 (かしこまる百首のうたをよみをはり妻に聞せん尺八の曲)

 

 いわゆる尺八は虚無僧の吹くもので、一般の人が吹いていたのは短い縦笛の一節切(ひとよぎり)だった。一節切(ひとよぎり)の教本でもあった『糸竹初心集』は、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「日本音楽の文献の一つ。中村宗三(そうさん)著。1664年(寛文4)、京(都)寺町通、秋田屋九兵衛刊(五良兵衛となっている版もある)。半紙半裁型の木版本3冊で、上巻は一節切(ひとよぎり)尺八、中巻は箏(こと)、下巻は三味線の、いわゆる糸(箏、三味線などの弦楽器)と竹(尺八などの管楽器)とよばれる近世邦楽器の入門独習書となっている。各巻ともそれぞれの楽器とその音楽の歴史的概観や演奏法についての簡単な解説文のほか、当時の流行歌謡と思われる歌詞に楽譜を付したものが記載されている。楽譜は音価が不明であるが、音高は明瞭(めいりょう)で、現在までにすでにいくつかの解読復原の試みもなされている。近世邦楽の楽譜公刊本としては最古の資料であり、17世紀の日本音楽の実態を知るためには欠かすことのできない貴重な文献である。[千葉潤之介]

『平野健次・上参郷祐康編『日本歌謡研究資料集成3』(1978・勉誠社)』

 

 他所では百首歌をかしこまって奉るような人でも、家へ帰れば本当は小歌が好きで妻には一節切(ひとよぎり)を聞かせる。

 

無季。恋。「妻」は人倫。

 

二十五句目

 

   妻に聞せん尺八の曲

 湯あがりの肌には伽羅を焼こがし 知足

 (湯あがりの肌には伽羅を焼こがし妻に聞せん尺八の曲)

 

 伽羅は沈香(じんこう)と呼ばれる香木の良質なもので、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 

 「① (kālāguru (kālā は伽羅、黒の意、aguru は阿伽、沈香の意)の略。また、tāgara (多伽羅、零陵香と訳す)の略ともいう) 沈香の優良品。香木中の至宝とされる。〔伊京集(室町)〕

  ※評判記・色道大鏡(1678)二「傾城に金銀を遣す外に、伽羅(キャラ)を贈る事を心にかくべし」 〔陀羅尼集経‐一〇〕

  ② 優秀なもの、世にまれなものをほめていう語。極上。粋。

  ※俳諧・隠蓑(1677)春「立すがた世界の伽羅よけふの春〈蘭〉」

  ※浄瑠璃・十六夜物語(1681頃)二「姿こそひなびたれ、心はきゃらにて候」

  ③ 江戸時代、遊里で、金銀、金銭をいう隠語。〔評判記・寝物語(1656)〕

  ④ お世辞。追従。

  ※浄瑠璃・壇浦兜軍記(1732)三「なんの子細らしい。四相の五相の、小袖にとめる伽羅(キャラ)ぢゃ迄と仇口に言ひ流せしが」

  ⑤ 「きゃらぼく(伽羅木)」の略。

  ※田舎教師(1909)〈田山花袋〉一一「前には伽羅(キャラ)や躑躅や木犀などの点綴された庭が」

 

とある。遊郭などで用いられていたようだ。こうした贅沢な文化は次第に富裕層の間に広がり、一節切(ひとよぎり)とともに家庭にも広がって行ったか。

 

無季。恋。

 

二十六句目

 

   湯あがりの肌には伽羅を焼こがし

 むかし恥かし今の竹垣      牛歩

 (湯あがりの肌には伽羅を焼こがしむかし恥かし今の竹垣)

 

 籬(まがき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 竹や柴などで目をあらく編んだ垣。ませ。ませがき。まがきね。

  ※書紀(720)継体六年一二月(前田本訓)「官家(みやけ)を置きて、海表の蕃屏(マカキ)と為て」

  ※梵舜本沙石集(1283)八「春の鶯の、籬(マガキ)の竹におとづれむを聞かんやうに」

  ② 遊郭の見世(みせ)と、その入口の落間(おちま)との間の格子戸(こうしど)。

  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)一「名におふ嶋原や、籬(マガキ)のかいまみに首尾をたどらぬはなし」

 

とあるように、遊郭にも用いられていた。肌に伽羅を焼き焦がしていた頃が恥ずかしい。今は身請けされて遊女はやめたが、竹垣を見ると昔の見世の格子戸を思い出す。

 

無季。恋。

 

二十七句目

 

   むかし恥かし今の竹垣

 ゑのころのふみからしたる蘭の鉢 自笑

 (ゑのころのふみからしたる蘭の鉢むかし恥かし今の竹垣)

 

 蘭はここではフジバカマではなく、高価な蘭であろう。没落した家の竹垣では鉢植えの蘭は枯れてエノコログサ(猫じゃらし)が生い茂っている。

 

季語は「蘭」で秋、植物、草類。「えのころ」も植物、草類。

 

二十八句目

 

   ゑのころのふみからしたる蘭の鉢

 魚つむ船の岸による月      重辰

 (ゑのころのふみからしたる蘭の鉢魚つむ船の岸による月)

 

 高貴な者の漁村に埋もれて行く姿とした。在原行平の俤であろう。蘭の高貴な香りも今はなく、月夜の岸は魚の匂いだけがする。

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は『孔子家語』の「芝蘭之室」「鮑魚之肆」を引いている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「魚つむ船」「岸」は水辺。

 

二十九句目

 

   魚つむ船の岸による月

 露の身の嶋の乞食とくろみ果   芭蕉

 (露の身の嶋の乞食とくろみ果魚つむ船の岸による月)

 

 島流しであろう。後鳥羽院の俤になる。

 

季語は「露」で秋、降物。「嶋」は水辺。「身」「乞食」は人倫。

 

三十句目

 

   露の身の嶋の乞食とくろみ果

 次第にさむき明くれの風     知足

 (露の身の嶋の乞食とくろみ果次第にさむき明くれの風)

 

 嶋の乞食と過ごす日々に季節を付けて流す。

 

季語は「さむき」で冬。

二裏

三十一句目

 

   次第にさむき明くれの風

 猿の子の親なつかしくさけびけむ 安宣

 (猿の子の親なつかしくさけびけむ次第にさむき明くれの風)

 

 秋の鹿は妻問う声の哀れだが、猿の声は猿の声で特に何で泣いているかという物語はなかった。そこで猿の子が親懐かしくて叫んでいるのだろうか、とする。これだと蓑虫の「ちちよ」に近くなる。

 

無季。「猿」は獣類。

 

三十二句目

 

   猿の子の親なつかしくさけびけむ

 からすも鷺も柴の戸の伽     芭蕉

 (猿の子の親なつかしくさけびけむからすも鷺も柴の戸の伽)

 

 伽(とぎ)は話し相手。猿の叫ぶ山奥に一人隠棲すると、カラスもサギも友達で話し相手だ。

 

無季。「からす」「鷺」は鳥類。「柴の戸」は居所。

 

三十三句目

 

   からすも鷺も柴の戸の伽

 石ふみてかたさがりなる岨のみち 如風

 (石ふみてかたさがりなる岨のみちからすも鷺も柴の戸の伽)

 

 「かたさがり」は道が谷底へ向けて傾いていて危なっかしい道ということか。そんな険しいところに住むあたりが、隠者というよりも荒行をする修行僧を感じさせる。

 

無季。「岨」は山類。

 

三十四句目

 

   石ふみてかたさがりなる岨のみち

 杉菜まじりにつくつくしつむ   知足

 (石ふみてかたさがりなる岨のみち杉菜まじりにつくつくしつむ)

 

 修行僧から山奥に住む樵か炭焼きに転じる。春には土筆を摘んで食べる。

 

季語は「杉菜」「つくつくし」で春、植物、草類。

 

三十五句目

 

   杉菜まじりにつくつくしつむ

 かんざしにはな折娘うちむれて  安宣

 (かんざしにはな折娘うちむれて杉菜まじりにつくつくしつむ)

 

 野原で遊ぶ田舎の小さな女の子の群れとする。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。「娘」は人倫。

 

挙句

 

   かんざしにはな折娘うちむれて

 こてふをはやす鶴かめの舞    自笑

 (かんざしにはな折娘うちむれてこてふをはやす鶴かめの舞)

 

 小さの女の子が桜の枝を簪にして、辺りを蝶が舞うと、仙界にいるかのように錯覚する。謡曲『鶴亀』の月宮殿の鶴亀の舞が始まりそうだ。

 

 「庭の砂(いさご)は金銀の、庭の砂は金銀の、玉を連ねて敷妙の、五百重の錦や瑠璃の枢、硨磲の行桁瑪瑙の 橋、池の汀の鶴亀は、蓬莱山もよそならず。君の恵みぞありがたき君の恵みぞありがたき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.11613-11621). Yamatouta e books. Kindle 版.)

 

ということで一巻は目出度く終わる。 

 

季語は「こてふ」で春、虫類。