「いさみたつ(霰)」の巻、解説

初表

 いさみたつ鷹引居る霰哉     芭蕉

   ながれの形に枯るる水草   沾圃

 宿はづれ明店多く戸をさして   馬莧

   三味線さげる旅の乞食    芭蕉

 夕月夜そら豆喰ふて更しける   沾圃

   衾こそぐる秋寒きなり    馬莧

 

初裏

 露霜にたれか問るる下駄の音   芭蕉

   大黄の葉のいく重かさなる  沾圃

 力なく肱ほそりしうきおもひ   馬莧

   繕ふかひもなき木綿もの   芭蕉

 自仏堂六畳半に出ばるらむ    沾圃

   暑きをほめてかゆる雑魚汁  馬莧

 釣の銭十二匁の相場なり     芭蕉

   伏見の橋も京の名残ぞ    沾圃

 ふところえ畳んで入る夏羽織   馬莧

   親父親父と皆かはゆがる   芭蕉

 月花の宵から仕込よせどうふ   沾圃

   陽炎たちて餅はわれけり   馬莧

 

 

二表

 灑水のとくとく落るはるの風   芭蕉

   門ンの左は見ざるいは猿   沾圃

 時の間に一むら雨の降り通り   馬莧

   菰より琵琶を出す蝉丸    芭蕉

 烏てふおほよそ鳥はしれがたみ  沾圃

   雪の細江の山をとり巻    馬莧

 入口は松さまざまの竹扉     芭蕉

   仏御前を神は請ずも     沾圃

 黒紅の小袖は襟のあかばりて   馬莧

   ゴスの茶碗を売に出さるる  芭蕉

 なま禅の二階を居間にとぢこもり 沾圃

   月を隣にテンカンをきく   馬莧

 

二裏

 ねり物の一番みゆる草すすき   沾圃

   蛸に酢かかる柚の切形    沾圃

 秋に空年々くだる旅巧者     馬莧

   奉加帳にはつかぬ也けり   沾圃

 不公儀に花咲山のあら三位    芭蕉

   田舎の谷になまる鶯     馬莧

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 いさみたつ鷹引居る霰哉     芭蕉

 

 鷹狩の鷹が勇み立って飛び立とうとするのを引き留めるかのように、霰が降ってくる。

 

季語は「鷹」で冬、鳥類。「霰」も冬、降物。

 

 

   いさみたつ鷹引居る霰哉

 ながれの形に枯るる水草     沾圃

 (いさみたつ鷹引居る霰哉ながれの形に枯るる水草)

 

 冬で水が枯れた川に、元あった流れを示すかのように水草が枯れている。前句の鷹狩りに、その現場の情景を付ける。

 

季語は「枯るる水草」で冬、植物、草類、水辺。

 

第三

 

   ながれの形に枯るる水草

 宿はづれ明店多く戸をさして   馬莧

 (宿はづれ明店多く戸をさしてながれの形に枯るる水草)

 

 「明店」は空き店。今でいうならシャッターストリートのようなものか。

 前句の枯れた水草が流れの跡をとどめているように、空き店の並びがかつての街道の繫栄を物語る。

 

無季。旅体。

 

四句目

 

   宿はづれ明店多く戸をさして

 三味線さげる旅の乞食      芭蕉

 (宿はづれ明店多く戸をさして三味線さげる旅の乞食)

 

 浄瑠璃を語る琵琶法師は次第に影を潜め、この頃は琵琶ではなく三味線で語るように変わっていった。

 三味線を提げた乞食坊主はそうした琵琶法師ならぬ三味線法師なのだろう。昔の宿の賑わいに、かつての琵琶法師の華やかな時代を偲ぶ。

 

無季。旅体。「乞食」は人倫。

 

五句目

 

   三味線さげる旅の乞食

 夕月夜そら豆喰ふて更しける   沾圃

 (夕月夜そら豆喰ふて更しける三味線さげる旅の乞食)

 

 そら豆は新暦で六月から七月のものだが、乾燥させれば他の豆同様長期保存ができるので、秋の月夜にそら豆を食べていてもおかしくはない。

 旅の乞食の三味線語りを聞きながら、そら豆を食べて夕月夜の時を過ごす。

 

季語は「夕月夜」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   夕月夜そら豆喰ふて更しける

 衾こそぐる秋寒きなり      馬莧

 (夕月夜そら豆喰ふて更しける衾こそぐる秋寒きなり)

 

 衾(ふすま)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衾」の解説」に、

 

 「〘名〙 布などでこしらえ、寝るときに体をおおう夜具。ふすま。よぎ。

  ※参天台五台山記(1072‐73)三「寝所置衾。或二領三領八十余所」 〔詩経‐召南・小星〕」

 

とある。「こそぐる」は今の「くすぐる」。夕月夜をそら豆喰いながら衾にくるまっていると、何だかくすぐったくなる秋の寒い夜だった。

 

季語は「秋寒き」で秋。「衾」は夜分。

初裏

七句目

 

   衾こそぐる秋寒きなり

 露霜にたれか問るる下駄の音   芭蕉

 (露霜にたれか問るる下駄の音衾こそぐる秋寒きなり)

 

 露霜の降りて寒い日に下駄の音がするが誰だろうか。衾にくるまっていて、出たくないな。

 後の元禄七年刊其角編の『句兄弟』の、

 

 応々といへどたたくや雪の門   去来

 

の句を思わせる。

 

季語は「露霜」で秋、降物。

 

八句目

 

   露霜にたれか問るる下駄の音

 大黄の葉のいく重かさなる    沾圃

 (露霜にたれか問るる下駄の音大黄の葉のいく重かさなる)

 

 大黄(だいわう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「大黄」の解説」に、

 

 「① タデ科の多年草。中国原産で、中国・シベリア・シリア・ヒマラヤ地方に広く分布する。高さ一~二メートル。茎は中空。地下に肥大した根茎がある。葉は長柄をもち幅三〇~九〇センチメートルの心臓形で縁が浅く三~七裂する。夏、ごく小さな黄白色の花が穂状に密集して咲く。根を煎(せん)じて健胃薬・下剤に用いる。〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳‐天平一九年(747)〕

  ※仮名草子・尤双紙(1632)下「巴豆(はづ)、大黄(ダイワウ)や牽牛子(けんぎうし)は、いづれも下る薬ぞかし」

  ② 植物「ぎしぎし(羊蹄)①」の異名。〔物類称呼(1775)〕」

 

とある。ここでは②のギシギシのことか。「精選版 日本国語大辞典「羊蹄」の解説」に、

 

 「① タデ科の多年草。各地の路傍の湿地や水辺に生える。ヨーロッパ原産。高さ〇・六~一メートル。長大な根がある。根ぎわの葉は長さ約三〇センチメートルの長楕円形で縁は波状、長柄をもち叢生する。茎につく葉は上部のものほど小さく披針形。六月ごろ茎の上部で分枝して花穂をのばし、小さな淡黄緑色の花を節ごとに輪生する。果実は三稜形ではじめ淡緑色のち褐色に熟す。新芽はぬらぬらして食用に供される。根の汁液は皮膚病に用いられる。漢名、羊蹄。いちし。しのね。しぶくさ。《季・春》」

 

とある。

 この頃季語だったかどうかは不明。秋だとするとかなりの高さになっていて、そこに露霜が降りていればかなり歩きにくい。前句の下駄から、畦道の雑草を付けたのだろう。

 

無季。「大黄」は植物、草類。

 

九句目

 

   大黄の葉のいく重かさなる

 力なく肱ほそりしうきおもひ   馬莧

 (力なく肱ほそりしうきおもひ大黄の葉のいく重かさなる)

 

 ギシギシもウィキペディアには「アントラキノン誘導体には緩やかに便通をよくする緩下作用があり、緩下薬として古くから知られている。」とあり、便秘薬で女性を登場させ、恋に転じる。

 肱は「かひな」と読む。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   力なく肱ほそりしうきおもひ

 繕ふかひもなき木綿もの     芭蕉

 (力なく肱ほそりしうきおもひ繕ふかひもなき木綿もの)

 

 「かひな」から「かひ」を導き出す。ボロボロになった木綿の着物はこれ以上繕ってもしょうがないし、繕うほどの腕の力もない。

 

無季。

 

十一句目

 

   繕ふかひもなき木綿もの

 自仏堂六畳半に出ばるらむ    沾圃

 (自仏堂六畳半に出ばるらむ繕ふかひもなき木綿もの)

 

 自仏堂は持仏堂で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「持仏堂」の解説」に、

 

 「〘名〙 持仏または祖先の位牌を安置しておく堂、あるいは室。仏間。仏壇をいうこともある。持仏。

  ※狭衣物語(1069‐77頃か)三「入道の宮は、持仏(ヂブツ)だうの妻戸おしあけて」

 

とある。

 前句の貧しさから、貧しいながらも狭い家で何とか仏壇を置くスペースを確保しようとして、六畳間を六畳半にする。この出っ張った半畳に仏壇を置く。

 

無季。釈教。

 

十二句目

 

   自仏堂六畳半に出ばるらむ

 暑きをほめてかゆる雑魚汁    馬莧

 (自仏堂六畳半に出ばるらむ暑きをほめてかゆる雑魚汁)

 

 雑魚汁はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雑魚汁」の解説」に、

 

 「〘名〙 小魚と野菜をまぜて煮た汁。雑魚と野菜を入れたみそしる。

  ※鈴鹿家記‐応永六年(1399)六月三日「ざこ汁被レ下旨、夕飯給る」

 

とある。漁師料理であろう。「暑き」は「熱き」で温まるからというので雑魚汁をおかわりする。

 

無季。

 

十三句目

 

   暑きをほめてかゆる雑魚汁

 釣の銭十二匁の相場なり     芭蕉

 (釣の銭十二匁の相場なり暑きをほめてかゆる雑魚汁)

 

 十二匁は十二文。釣りをするときは漁師に支払っていたか。十二文で雑魚汁がおかわりできる程喰えるなら安いものだろう。

 

無季。

 

十四句目

 

   釣の銭十二匁の相場なり

 伏見の橋も京の名残ぞ      沾圃

 (釣の銭十二匁の相場なり伏見の橋も京の名残ぞ)

 

 伏見の橋は豊後橋のことか。元は桂橋と呼ばれ、今は観月橋と呼ばれている。秀吉時代の繁栄の名残とも言える。

 この辺りも釣り場になっていたのか。

 

無季。「伏見の橋」は名所、水辺。

 

十五句目

 

   伏見の橋も京の名残ぞ

 ふところえ畳んで入る夏羽織   馬莧

 (ふところえ畳んで入る夏羽織伏見の橋も京の名残ぞ)

 

 夏羽織はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「夏羽織」の解説」に、

 

 「〘名〙 夏のころ着る薄い単(ひとえ)の羽織。絽、紗、透綾などを用いて作る。うすばおり。ひとえばおり。《季・夏》 〔俳諧・増山の井(1663)〕

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「柿染の夏羽織袖の鼠喰を見えぬやうに継(つぎ)を当」

 

とある。薄手なので畳めば懐に入る。

 

季語は「夏羽織」で夏、衣裳。

 

十六句目

 

   ふところえ畳んで入る夏羽織

 親父親父と皆かはゆがる     芭蕉

 (ふところえ畳んで入る夏羽織親父親父と皆かはゆがる)

 

 「かはゆし」は可哀そうという意味。可哀そうなものには保護欲求が掻き立てられるので、それが今の可愛いに拡張される元になっている。

 一重の薄物の夏羽織は貧相な印象を与えたのだろう。

 

無季。「親父」は人倫。

 

十七句目

 

   親父親父と皆かはゆがる

 月花の宵から仕込よせどうふ   沾圃

 (月花の宵から仕込よせどうふ親父親父と皆かはゆがる)

 

 「よせどうふ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寄豆腐」の解説」に、

 

 「〘名〙 苦汁(にがり)を加えた後の、まだ完全に凝固していない豆腐。すまし汁などに浮かせて食べる。

  ※雑俳・西国船(1702)「おなじもの・しさいらしげによせ豆腐」

 

とある。「おぼろ豆腐」ともいう。

 わざわざ花見の席に寄豆腐を作るのは、前句の親父が歯がなくて可哀そうだからということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「月」は夜分、天象。

 

十八句目

 

   月花の宵から仕込よせどうふ

 陽炎たちて餅はわれけり     馬莧

 (月花の宵から仕込よせどうふ陽炎たちて餅はわれけり)

 

 柔らかい寄豆腐に硬くなって日々の入った餅とを違えて付ける。

 

季語は「陽炎」で春。

二表

十九句目

 

   陽炎たちて餅はわれけり

 灑水のとくとく落るはるの風   芭蕉

 (灑水のとくとく落るはるの風陽炎たちて餅はわれけり)

 

 「灑水」は「こしみず」と読む。漉水で、飲み水に用いるごみを取り除いた水のことであろう。「とくとく」は今で言うと、とっとっとっとっと落ちる細い水。

 灑は「そそぐ」という字で「灑水(しゃすい)」というのはまた別の意味になる。

 まあ、漢字は執筆の記すもので、この頃の作者は漢字にはそんなにこだわってなかった。近代文学だとなぜ作者は灑の字を選んだのかと問題になる所だが、ここでは特に問題にはならない。

 

季語は「はるの風」で春。

 

二十句目

 

   灑水のとくとく落るはるの風

 門ンの左は見ざるいは猿     沾圃

 (灑水のとくとく落るはるの風門ンの左は見ざるいは猿

 

 「門ン」と表記するときは「もん」であり、「かど」と区別するためにあえて「ン」を補っている。

 前句をお寺の手水とし、山門の左には庚申塔の三猿の像がある。

 庚申待ちは庚申の夜に三尸の虫が天帝に人間の罪を報告して寿命が削られるのを防ぐための夜通し起きていることで、三尸の虫は日本では申の姿で描かれ、何も見なかった、何も聞かなかった、何も報告しなかった、という意味を持つ。

 

無季。釈教。

 

二十一句目

 

   門ンの左は見ざるいは猿

 時の間に一むら雨の降り通り   馬莧

 (時の間に一むら雨の降り通り門ンの左は見ざるいは猿)

 

 「時の間」はほんの少しの間という意味。雨宿りのために門の下に入ると、左に庚申塔の三猿が見える。

 

無季。「むら雨」は降物。

 

二十二句目

 

   時の間に一むら雨の降り通り

 菰より琵琶を出す蝉丸      芭蕉

 (時の間に一むら雨の降り通り菰より琵琶を出す蝉丸)

 

 謡曲『蝉丸』からの本説付け。はっきりと「蝉丸」と名前を出しているので俤ではない。その一節に、

 

 「たまたまこと訪ふものとては、峯に木伝ふ猿の声、袖を湿す村雨の、音にたぐへて琵琶の音を、弾きならし弾きならし」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.41489-41495). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。

 

無季。

 

二十三句目

 

   菰より琵琶を出す蝉丸

 烏てふおほよそ鳥はしれがたみ  沾圃

 (烏てふおほよそ鳥はしれがたみ菰より琵琶を出す蝉丸)

 

 烏という文字は鳥の棒一本足りないだけで、「大凡(おほよそ)」鳥といえよう。

 「しれがたみ」は「形見知れ」の倒置か。いにしえの蝉丸のことを思い出させてくれる。

 

無季。「烏」は鳥類。

 

二十四句目

 

   烏てふおほよそ鳥はしれがたみ

 雪の細江の山をとり巻      馬莧

 (烏てふおほよそ鳥はしれがたみ雪の細江の山をとり巻)

 

 細江は和歌には引佐細江、蔦の細江、ひだの細江などが詠まれている。

 引佐細江は浜名湖の東北部の細江湖のことで、

 

 逢ふ事は引佐細江のみをつくし

     深きしるしもなき世なりけり

              藤原清輔(千載集)

 

の歌がある。ひだの細江はどこなのかよくわからないが、

 

 白真弓ひだの細江に菅鳥の

     妹に恋ひむやいを寝かねつる

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌があり、元歌は『万葉集』にある、

 

 白真弓斐太の細江の菅鳥の

     妹に恋ふれか寐(い)を寝かねつる

              よみ人しらず

 

の歌になる。菅鳥は不明だがオシドリではないかと言われている。

 ここではまあ、引佐細江の方が有名なので、こちらではないかと思う。そんなに高い山ではないが、浜名湖の方へと山が迫っている。カラスだけではなく浜名湖の水鳥もいる。

 

季語は「雪」で冬、降物。「細江」は名所、水辺。「山」は山類。

 

二十五句目

 

   雪の細江の山をとり巻

 入口は松さまざまの竹扉     芭蕉

 (入口は松さまざまの竹扉雪の細江の山をとり巻)

 

 前句の細江を浜名湖全体とすれば、その入り口は新井宿で新井関所がある。この辺りは松がたくさん生えているが、竹扉があったのかどうかはよくわからない。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

二十六句目

 

   入口は松さまざまの竹扉

 仏御前を神は請ずも       沾圃

 (入口は松さまざまの竹扉仏御前を神は請ずも)

 

 仏御前はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典「仏御前」の解説」に、

 

 「没年:治承4.8.18(1180.9.9)

  生年:永暦1.1.15(1160.2.23)

  平安時代末期の白拍子。加賀国(石川県)の出身。16歳で都に聞こえた白拍子の上手となり,平清盛の西八条邸に推参。すでに白拍子祇王を寵愛していた清盛の拒絶に合うが,祇王の取り成しで清盛と対面して舞を舞う。この結果,清盛の寵愛は仏に移り,仏を慰めるために清盛に召されて今様を謡った祇王は,母刀自,妹祇女と共に悲嘆のうちに嵯峨の奥に出家して,庵を結んだ。一方仏は,祇王の恩を仇で返したことを情けなく思い,かつ祇王の身の上がいつか自分自身の身の上となることに無常を感じ,尼となって祇王たちの庵を訪れた。そして,仏ら4人の尼は皆往生して,長講堂の過去帳にも記されたという。<参考文献>山本清嗣・藤島秀隆『仏御前』(細川涼一)」

 

とある。

 前句を祇王寺としたか。仏御前と言えども神の加護もなかったか。

 

無季。釈教。

 

二十七句目

 

   仏御前を神は請ずも

 黒紅の小袖は襟のあかばりて   馬莧

 (黒紅の小袖は襟のあかばりて仏御前を神は請ずも)

 

 黒紅は「伝統色のいろは」というサイトによると、寛文期に高価な小袖の地色として用いられたという。元禄の頃になると、すっかり古びて赤く変色している。

 前句の仏御前を今の人とする。

 

無季。「小袖」は衣裳。

 

二十八句目

 

   黒紅の小袖は襟のあかばりて

 ゴスの茶碗を売に出さるる    芭蕉

 (黒紅の小袖は襟のあかばりてゴスの茶碗を売に出さるる)

 

 ゴスは呉須焼でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「呉須焼」の解説」に、

 

 「〘名〙 中国の明朝の末頃から作り始めた染付焼の陶磁器の一種。青色の模様を下絵に出したもの。呉須。

  ※人情本・春情花の朧夜(1860頃か)初「呉司焼(ゴスヤキ)の茶碗の茶を覚束なげに一口のみ」

 

とある。

 没落した家であろう。黒紅の小袖は変色して売にも出せず、呉須の茶碗を売りに出す。元禄の頃は新興商人が巨万の富を築いた一方で、没落した旧家も多かった。

 

無季。

 

二十九句目

 

   ゴスの茶碗を売に出さるる

 なま禅の二階を居間にとぢこもり 沾圃

 (なま禅の二階を居間にとぢこもりゴスの茶碗を売に出さるる)

 

 「なま禅」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生禅」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「なま」は接頭語) なま悟りの禅。ひとり合点の中途はんぱな禅。野狐禅(やこぜん)。

  ※俳諧・続深川集(1791)「ごすの茶碗を売に出さるる〈芭蕉〉 なま禅の二階を居間にとぢこもり〈沾圃〉」

 

とある。

 悟ったから何もかも捨てるんだと言いながら、二階の部屋に引き籠って、世俗を断った気になっている。

 かといって財産を気前よく人にやるのでもなく、高く売ってやろうとする。今ならただの引きニートだが。

 

無季。釈教。「居間」は居所。

 

三十句目

 

   なま禅の二階を居間にとぢこもり

 月を隣にテンカンをきく     馬莧

 (なま禅の二階を居間にとぢこもり月を隣にテンカンをきく)

 

 「テンカン」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に癲癇のことだとある。

 昔は癲癇が禅で治ると思われてたのか。効果はなかったようだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

二裏

三十一句目

 

   月を隣にテンカンをきく

 ねり物の一番みゆる草すすき   沾圃

 (ねり物の一番みゆる草すすき月を隣にテンカンをきく)

 

 「ねり物」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「練物・煉物」の解説」に、

 

 「① 生絹の膠質(こうしつ)を取り除いてしなやかにしたもの。

  ② 練り固めてつくったもの。特に薬物を練り固めて、珊瑚(さんご)や宝石などに似せたもの。〔運歩色葉(1548)〕

  ※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉一一「明石玉や煉物(ネリモノ)がはやるのも珊瑚(ほんだま)の位が上ッたからの思ひつき」

  ③ 餡(あん)・求肥(ぎゅうひ)などを練り固めた菓子。

  ※菓子話船橋(1841)「煉物類一棹と唱るは長さ六寸に巾一寸」

  ④ =ねりせいひん(練製品)」

 

とある。現代では④の意味で用いられるが、この場合は「精選版 日本国語大辞典「練物・邌物」の解説」の、

 

 「〘名〙 祭礼のときなどに、町中をねり歩く行列や山車(だし)などをいう。

  ※俳諧・犬子集(1633)一四「おとりのさきに見ゆるねり物 膏薬をあたまのはれに付置て〈慶友〉」

 

の方であろう。薄が原の中を行く時は木や建物などに遮られずによく見える。

 前句の「テンカン」を祭りで打ち鳴らす鉦や太鼓の音に取り成す。

 本来は芭蕉の順番だが、ここでは沾圃が付けている。芭蕉が「癲癇」の転換に詰まってしまったのだろうか。前の蝉丸の句にしても、芭蕉としても本説ではなく俤にしたかったところだろう。

 この一巻は芭蕉自身の不調が理由で反故になった可能性がある。やり直しの「いさみたつ(嵐)」の巻は芭蕉が第三のみの参加に留まっている。

 

季語は「草すすき」で秋、植物、草類。神祇。

 

三十二句目

 

   ねり物の一番みゆる草すすき

 蛸に酢かかる柚の切形      沾圃

 (ねり物の一番みゆる草すすき蛸に酢かかる柚の切形)

 

 前句を食べ物の方の練製品に取り成して、酢蛸に柚子を付ける。

 

季語は「柚」で秋。

 

三十三句目

 

   蛸に酢かかる柚の切形

 秋に空年々くだる旅巧者     馬莧

 (秋に空年々くだる旅巧者蛸に酢かかる柚の切形)

 

 旅好きは秋になると京を離れ江戸へ向かう。京の冬は乾物ばかりで、江戸へ行けば新鮮な魚介が食べられる。

 

季語は「秋」で秋。旅体。「旅巧者」は人倫。

 

三十四句目

 

   秋に空年々くだる旅巧者

 奉加帳にはつかぬ也けり     沾圃

 (秋に空年々くだる旅巧者奉加帳にはつかぬ也けり)

 

 「奉加帳」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奉加帳」の解説」に、

 

 「① 神仏に奉加する金品の目録や寄進者の氏名などを記した帳簿。

  ※高野山文書‐承安四年(1174)一二月日・高野山住僧等愁状案「仍捧二奉加帳一」

  ※御湯殿上日記‐文明一五年(1483)二月九日「ひてん院のくわんしんほうかちやうつかわさるる」

  ② 転じて、一般の寄付金名簿。

  ※大乗院寺社雑事記‐文正元年(1466)五月一日「河口庄金津道場作事奉伽帳加判了」

 

とある。

 勧進の旅を頼まれるのを逃れるためとする。

 

無季。

 

三十五句目

 

   奉加帳にはつかぬ也けり

 不公儀に花咲山のあら三位    芭蕉

 (不公儀に花咲山のあら三位奉加帳にはつかぬ也けり)

 

 「あら三位」は荒三位と呼ばれた藤原道雅のことか。ウィキペディアには、

 

 「花山法皇の皇女を殺させた、敦明親王の雑色長小野為明を凌辱し重傷を負わせた、博打場で乱行した、など乱行が絶えなかったため、世上荒三位、悪三位などと呼ばれたという。」

 

とある。

 

 今はただ思ひ絶えなむとばかりを

     人づてならで言ふよしもがな

              藤原道雅(後拾遺集)

 

の歌は百人一首でも知られている。非公式に花咲山に現れる。奉加帳に記載はない。

 

季語は「花咲山」で春、植物、木類、山類。

 

挙句

 

   不公儀に花咲山のあら三位

 田舎の谷になまる鶯       馬莧

 (不公儀に花咲山のあら三位田舎の谷になまる鶯)

 

 お忍びで来た花咲山は田舎の方にあって、鶯もそこの方言で鳴く。鶯も他の鶯の声を聴きながら鳴き方を覚えるため、場所によって微妙に鳴き方が違うという。人に飼われた鶯は鶯笛で調教しなくてはならない。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「谷」は山類。