「いさみたつ(嵐)」の巻、解説

初表

 いさみ立鷹引すゆる嵐かな     里圃

   冬のまさきの霜ながら飛    沾圃

 大根のそだたぬ土にふしくれて   芭蕉

   上下ともに朝茶のむ秋     馬莧

 町切に月見の頭の集め銭      沾圃

   荷がちらちらと通る馬次    里圃

 

初裏

 知恩院の替りの噂極りて      馬莧

   さくらの後は楓わかやぐ    沾圃

 俎の鱸に水をかけながし      里圃

   目利で家はよい暮しなり    馬莧

 状箱を駿河の飛脚請とりて     沾圃

   まだ七つにはならぬ日の影   里圃

 草の葉にくぼみの水の澄ちぎり   馬莧

   生駒気づかふ綿とりの雨    沾圃

 うき旅は鵙とつれ立渡り鳥     里圃

   有明高う明はつるそら     馬莧

 柴舟の花の中よりつつと出て    沾圃

   柳の傍へ門をたてけり     里圃

 

 

二表

 百姓になりて世間も長閑さよ    馬莧

   ごまめを膳にあらめ片菜    沾圃

 売物の渋紙づつみおろし置     里圃

   けふのあつさはそよりともせぬ 馬莧

 砂を這ふ蕀の中の絡線の声     沾圃

   別を人がいひ出せば泣     里圃

 火燵の火いけて勝手をしづまらせ  馬莧

   一石ふみし碓の米       沾圃

 折々は突目の起る天気相      里圃

   仰に加減のちがふ夜寒さ    馬莧

 月影にことしたばこを吸てみる   沾圃

   おもひのままに早稲で屋根ふく 里圃

 

二裏

 手払に娘をやつて嫁のさた     馬莧

   参宮の衆をこちで仕立る    沾圃

 花のあと躑躅のかたがおもしろい  里圃

   寺のひけたる山際の春     馬莧

 冬よりはすくなうなりし池の鴨   沾圃

   一雨降てあたたかな風     里圃

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 いさみ立鷹引すゆる嵐かな    里圃

 

 鷹狩の鷹が勇み立って飛び立とうとするのを引き留めるかのように、嵐が吹いている。

 

 いさみたつ鷹引居る霰哉     芭蕉

 

の句の改作だが、「いさみたつ(霰)」の巻を反故にして、『続猿蓑』用の歌仙を巻きなおしたときに、芭蕉が里圃に発句を譲ったのであろう。

 ただ反故にしたはずの懐紙を誰かが書き写して持っていたのか、「いさみたつ(霰)」の巻もほぼ百年後の天明六年刊後川編『言葉の露』で公表されることとなった。杉風直筆の草稿があったという。

 

季語は「鷹」で冬、鳥類。

 

 

   いさみ立鷹引すゆる嵐かな

 冬のまさきの霜ながら飛     沾圃

 (いさみ立鷹引すゆる嵐かな冬のまさきの霜ながら飛)

 

 まさき(柾)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「柾・正木」の解説」に、

 

 「① ニシキギ科の常緑低木。北海道から九州までの各地の海岸に近いところに生え、また観賞用に植栽される。高さ約三メートル。葉は柄をもち対生し、葉身は長さ約五センチメートル、やや肉厚で光沢があり、倒卵形か楕円形。縁に鈍鋸歯(きょし)がある。六~七月、葉腋から花柄が伸び緑白色の小さな四弁花が咲く。果実は扁球形、熟すと三~四裂して黄赤色の種子を露出する。園芸品種には葉に黄色や白の斑入りのものが多い。〔温故知新書(1484)〕

  ② 「まさきのかずら(柾葛)」の略。

  ※後撰(951‐953頃)雑一・一〇八一「照る月をまさ木のつなによりかけてあかず別るる人をつながん〈源融〉」

 

とある。ここでは「飛(とぶ)」とあるから柾葛の蔓が風に靡くことを言うのか。柾葛は和歌にも詠まれているから、この場合は②のほうであろう。

 マサキノカズラはウィキペディアに、

 

 「マサキノカズラ(真拆の葛)は、古今集などの古典にその名のある植物であり、現代の植物学的にはおよそ以下の2種に比定されている。一般的には上のテイカカズラを指すとされるが、下のツルマサキも非常によく似た植物である。マサキズラ(真拆葛)ともいう。

 ○テイカカズラ - キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる植物。

 ○ツルマサキ - ニシキギ科ニシキギ属のつる植物。

 

とある。蔓性なら木部があっても草類になる。

 

季語は「冬」で冬。「霜」も冬、降物。「まさき」は植物、草類。

 

第三

 

   冬のまさきの霜ながら飛

 大根のそだたぬ土にふしくれて  芭蕉

 (大根のそだたぬ土にふしくれて冬のまさきの霜ながら飛)

 

 「ふしくれ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「節榑」の解説」に、

 

 「ふし‐く・れる【節榑】

  〘自ラ下一〙 ふしく・る 〘自ラ下二〙 節がたくさんあって木などがごつごつしている。また、手、足、指などの筋や骨がかたくふくれてごつごつしている。ふしくれだつ。

  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「冬のまさきの霜ながら飛〈沾圃〉 大根のそだたぬ土にふしくれて〈芭蕉〉」

 

とある。

 大根が育たぬというから、土が薄く、すぐに岩に当るような場所であろう。そういう場所でも柾葛は節くれながら育つ。

 

季語は「大根のそだたぬ」で秋。

 

四句目

 

   大根のそだたぬ土にふしくれて

 上下ともに朝茶のむ秋      馬莧

 (大根のそだたぬ土にふしくれて上下ともに朝茶のむ秋)

 

 前句の「ふしくれて」を荒れ地を耕す百姓の手のごつごつした様として、領主と一緒に朝茶を飲む。開墾事業で、現場の百姓を労ってのことであろう。

 

季語は「秋」で秋。

 

五句目

 

   上下ともに朝茶のむ秋

 町切に月見の頭の集め銭     沾圃

 (町切に月見の頭の集め銭上下ともに朝茶のむ秋)

 

 町切は「ちやうぎり」とルビがあるが、帳切のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「帳切」の解説」に、

 

 「① 江戸時代、家屋敷などの売買に際し、買主が町村役人に届け出て、家屋敷の台帳の名義書換をすること。

  ※諸川船要用留(17C中‐18C中)「船質証文之事 〈略〉右何船致帳切、無異儀相渡し可申候」

  ② 破産して財産を人に譲り渡すこと。

  ※浮世草子・諸道聴耳世間猿(1766)四「家屋敷も売はらひ帳切の席より」

  ③ =ちょうがい(帳外)③〔和英語林集成(初版)(1867)〕」

 

とある。②の帳切になった屋敷を買い取るために、月見の頭が銭を集めてきたのであろう。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   町切に月見の頭の集め銭

 荷がちらちらと通る馬次     里圃

 (町切に月見の頭の集め銭荷がちらちらと通る馬次)

 

 帳切の契約はどこかの商家で行われ、外をでは馬から馬へと荷物を乗せ換える作業が行われている。

 

無季。

初裏

七句目

 

   荷がちらちらと通る馬次

 知恩院の替りの噂極りて     馬莧

 (知恩院の替りの噂極りて荷がちらちらと通る馬次)

 

 知恩院は京都にある浄土宗総本山の知恩院で、ウィキペディアには、

 

 「徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることや知恩院25世超誉存牛が松平氏第5代松平長親の弟であること、二条城とともに京都における徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったといわれている。江戸時代の代々の門主は皇族から任命されたが、さらにその皇子は徳川将軍家の猶子となった。」

 

とある。

 門主の交替の噂が立ったのだろう。馬の荷を乗せ換える馬士たちも気になるようだ。

 

無季。

 

八句目

 

   知恩院の替りの噂極りて

 さくらの後は楓わかやぐ     沾圃

 (知恩院の替りの噂極りてさくらの後は楓わかやぐ)

 

 知恩院の庭の様子であろう。

 四吟だとここは芭蕉の順番だが、沾圃に譲って以降三吟になる。

 炭俵調から次の風体へ、芭蕉もいろいろ迷いがあったのかもしれない。

 支考に学んだ卑俗な日常それ自身が輝かしい世界なんだという考え方から、古典への依存を断って、より初期衝動を重視する俳諧へと切り替えようとしてた時期だった。

 人には古典に固執せずに自由にと言っておきながら、自分自身がなかなか古典の趣向から抜けられないというもどかしさは、この年の春の歳旦の、

 

 年々や猿に着せたる猿の面    芭蕉

 

の句にも表れていた。

 

季語は「楓わかやぐ」で夏、植物、木類。「さくら」も植物、木類。

 

九句目

 

   さくらの後は楓わかやぐ

 俎の鱸に水をかけながし     里圃

 (俎の鱸に水をかけながしさくらの後は楓わかやぐ)

 

 俎は一字だけで「まないた」。「鱸に水をかけながし」は鱸の洗いのことで、今は氷水に浸すが、氷がなかった時代は流水にさらして冷していたのだろう。夏の一皿になる。

 第三の「大根のそだたぬ」もそうだが、談林の時代は季語が入っていれば実際は違う意味でもその季にするという形式季語で、蕉門もそれをある程度受け継いできたが、次第に実際の季節感を重視する実質季語へと変わってきた。

 大根は冬だが、大根を育てようとしたが育たない土だというのは秋になる。鱸も秋だが鱸の洗いが旨いのは夏ということになる。

 

季語は「鱸に水をかけながし」で夏。

 

十句目

 

   俎の鱸に水をかけながし

 目利で家はよい暮しなり     馬莧

 (俎の鱸に水をかけながし目利で家はよい暮しなり)

 

 鱸の洗いは鮮度が重要で、新鮮な魚を見分ける力がなければ、下手に鱸の洗いを作っても腹を壊すだけだ。

 

無季。「家」は居所。

 

十一句目

 

   目利で家はよい暮しなり

 状箱を駿河の飛脚請とりて    沾圃

 (状箱を駿河の飛脚請とりて目利で家はよい暮しなり)

 

 状箱は手紙を入れる箱で飛脚が持ち歩く。

 飛脚をやってはいても、駿河は天正の頃から徳川家のお膝元。書画骨董なども豊富で、自ずと目利きになる。

 

無季。「飛脚」は人倫。

 

十二句目

 

   状箱を駿河の飛脚請とりて

 まだ七つにはならぬ日の影    里圃

 (状箱を駿河の飛脚請とりてまだ七つにはならぬ日の影)

 

 日の影とあるから七つは昼の七つで、「まだ七つにならぬ」は春分秋分の頃で午後三時にならない頃となる。不定時法だから夏は遅く、冬は早くなる。

 飛脚が状箱を受け取る時刻を付ける。

 

無季。「日の影」は天象。

 

十三句目

 

   まだ七つにはならぬ日の影

 草の葉にくぼみの水の澄ちぎり  馬莧

 (草の葉にくぼみの水の澄ちぎりまだ七つにはならぬ日の影)

 

 植物には水質浄化作用がある。澄んだ水が午後の傾いた日差しにきらきらと輝く。

 

季語は「水の澄」で秋、水辺。「草の葉」は植物、草類。

 

十四句目

 

   草の葉にくぼみの水の澄ちぎり

 生駒気づかふ綿とりの雨     沾圃

 (草の葉にくぼみの水の澄ちぎり生駒気づかふ綿とりの雨)

 

 大阪と奈良の間にある生駒山の麓は、この頃は綿の栽培が盛んだった。綿花の収穫に雨が気になる。

 

季語は「綿とり」で秋。「生駒」は名所、山類。「雨」は降物。

 

十五句目

 

   生駒気づかふ綿とりの雨

 うき旅は鵙とつれ立渡り鳥    里圃

 (うき旅は鵙とつれ立渡り鳥生駒気づかふ綿とりの雨)

 

 モズは肉食で凶鳥とされていた。秋には高鳴きをして騒がしいというのもあったのだろう。

 生駒山を越える旅人は鵙の声をあまり快く思ってなかったのだろう。まして雨も降ってくる。

 

季語は「鵙」で秋、鳥類。旅体。

 

十六句目

 

   うき旅は鵙とつれ立渡り鳥

 有明高う明はつるそら      馬莧

 (うき旅は鵙とつれ立渡り鳥有明高う明はつるそら)

 

 有明の月が高いのは二十日過ぎの月か。前句を明けたがの鳥の鳴きだす頃とする。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

十七句目

 

   有明高う明はつるそら

 柴舟の花の中よりつつと出て   沾圃

 (柴舟の花の中よりつつと出て有明高う明はつるそら)

 

 柴舟は柴を積む船で宇治の柴舟は、

 

 暮れてゆく春のみなとは知らねども

     霞に落つる宇治の柴舟

              寂蓮法師(新古今集)

 伏見山裾野をかけて見渡せば

     はるかに下る宇治の柴舟

              永福門院内侍(新後拾遺集)

 

など、歌に詠まれている。

 春の朝の山は霞み、有明の月の空高く見える頃、花の向こう側から柴舟が川を下って行く。和歌のような趣向でありながらも、「つつと出て」の俗語で俳諧になる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「柴舟」は水辺。

 

十八句目

 

   柴舟の花の中よりつつと出て

 柳の傍へ門をたてけり      里圃

 (柴舟の花の中よりつつと出て柳の傍へ門をたてけり)

 

 花に柳は、

 

 見わたせば柳桜をこきまぜて

     都ぞ春の錦なりける

              素性法師(古今集)

 

の縁で、柳の門はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「柳門」の解説」に、

 

 「〘名〙 柳が植えてある家の門。また、中国、晉の陶淵明が門前に五本の柳を植えたことにちなみ、隠者の家。

  ※文華秀麗集(818)下・和内史貞主秋月歌〈嵯峨天皇〉「寒声淅瀝竹窓虚、晩影蕭条柳門疎」 〔全唐詩話〕」

 

とある。陶淵明を彷彿させるが、前句が宇治に柴舟で日本なので、ここではあくまで陶淵明のような日本の隠士ということになる。あるいは喜撰法師か。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。「門」は居所。

二表

十九句目

 

   柳の傍へ門をたてけり

 百姓になりて世間も長閑さよ   馬莧

 (百姓になりて世間も長閑さよ柳の傍へ門をたてけり)

 

 前句の柳の門を陶淵明の『五柳先生伝』の俤とする。

 

 先生不知何許人、不詳姓字、宅邊有五柳樹、因以爲號焉

 (先生はどこの人かもしれず、姓も字(あざな)もよくわからない。家の辺りに五本の柳の木があり、それを号としている。)

 

 陶淵明はウィキペディアに、

 

 「陶 淵明(とう えんめい、365年(興寧3年)- 427年(元嘉4年)11月)は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。名は潜、字が淵明。一説には、字は元亮とも。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。尋陽柴桑(現在の江西省九江市柴桑区)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世には「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。」

 

とある。

 

季語は「長閑」で春。「百姓」は人倫。

 

二十句目

 

   百姓になりて世間も長閑さよ

 ごまめを膳にあらめ片菜     沾圃

 (百姓になりて世間も長閑さよごまめを膳にあらめ片菜)

 

 百姓の正月とする。「片菜(かたさい)」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、「主菜の他に添えるもの。」とある。

 百姓の暮らしは長閑だけど、武家のような華やかな食卓はない。せめてごまめくらいはあって欲しい。

 

季語は「ごまめ」で春。

 

二十一句目

 

   ごまめを膳にあらめ片菜

 売物の渋紙づつみおろし置    里圃

 (売物の渋紙づつみおろし置ごまめを膳にあらめ片菜)

 

 前句を行商人の運ぶ商品とし、ごまめはいかが、となる。

 

無季。

 

二十二句目

 

   売物の渋紙づつみおろし置

 けふのあつさはそよりともせぬ  馬莧

 (売物の渋紙づつみおろし置けふのあつさはそよりともせぬ)

 

 暑い暑いと言いながら商人が担いでいた渋紙包みを降ろして一休みする。

 

季語は「あつさ」で夏。

 

二十三句目

 

   けふのあつさはそよりともせぬ

 砂を這ふ蕀の中の絡線の声    沾圃

 (砂を這ふ蕀の中の絡線の声けふのあつさはそよりともせぬ)

 

 「蕀」は「いばら」、「絡線」は「ぎす」と読む。絡線はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぎす」の解説」に、

 

 「ぎす

  [1] 〘形動〙 とげとげして無愛想なさま。きびしく親しみがたいさま。

  ※続無名抄(1680)下「世話字尽〈略〉義子成人(ギスナヒト)」

  [2] 〘副〙 驚いて動揺するさまを表わす語。ぎく。

  ※葉隠(1716頃)二「釈迦・孔子・天照大神の御出現にて御勧めにても、ぎすともする事なし」

  ぎす

  〘名〙 昆虫「きりぎりす(螽蟖)」の異名。《季・秋》

  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「けふのあつさはそよりともせぬ〈馬莧〉 砂を這ふ蕀の中の絡線(ギス)の声〈沾圃〉」

  ぎす

  〘名〙 魚「かながしら(金頭)」の異名。〔物類称呼(1775)〕」

 

とある。ここでは キリギリス、クツワムシ、ウマオイ、ツユムシなどをいう。コオロギも「きりぎりす」というのでややこしい。

 コオロギが秋の夜に鳴くのに対し、ここでは夏の暑い盛りに鳴く。

 

季語は「蕀」で夏、植物、草類。「絡線」は虫類。

 

二十四句目

 

   砂を這ふ蕀の中の絡線の声

 別を人がいひ出せば泣      里圃

 (砂を這ふ蕀の中の絡線の声別を人がいひ出せば泣)

 

 別は「わかれ」。砂地だから海辺であろう。苫屋の恋と言えば在原行平。松風村雨との恋ということになる。別れを言い出すといえば、

 

 立ち別れいなばの山の峯におふる

     まつとし聞かば今帰り来ん

              在原行平(古今集)

 

ということになる。

 仄めかすだけなので、ここは俤になる。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

二十五句目

 

   別を人がいひ出せば泣

 火燵の火いけて勝手をしづまらせ 馬莧

 (火燵の火いけて勝手をしづまらせ別を人がいひ出せば泣)

 

 「火いけて」は火を埋火にすることをいう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「埋火」の解説」に、

 

 「〘名〙 灰の中にうめた炭火。いけ火。いけずみ。うずみ。《季・冬》

  ※落窪(10C後)二「うづみ火のいきてうれしと思ふにはわがふところに抱きてぞぬる」

 

とある。この「いけ火、いけずみ」にすることを言う。

 勝手はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「勝手」の解説」に、

 

 「① 物事を行なうときなどの都合や便利。

  ※こんてむつすむん地(1610)三「なんぢがかってよからんやうに、かしこにぢうし、ここにすむべきなどといはんあひだは」

  ※文明開化(1873‐74)〈加藤祐一〉初「左様の人が、今日説きました説などをなまがみに聞ますると、我が勝手のよい所ばかりを取て」

  ② (形動) 転じて、自分にとって都合のよいやり方。また、ぐあいのよいさま。

  ※虎寛本狂言・武悪(室町末‐近世初)「私は其方の広い屋敷より、此方(このはう)の狭いやしきが勝手で御ざる」

  ※心中(1911)〈森鴎外〉「寒くないと云ったって、矢っ張寝てゐる方が勝手(カッテ)だわ」

  ③ (形動) 自分のしたいようにふるまうさま。わがままなさま。

  ※多聞院日記‐天正一四年(1586)一〇月二四日「米とは八十の人と書たる間、今廿年は不レ可レ死と勝手に引き成て、夢を礼と見了」

  ※洒落本・二筋道後篇廓の癖(1799)一「それとも切れたくは、勝手(カッテ)にきれろ」

  ④ 建物の中や、場所などのありさま。また、物事のやり方。現代では、とくに、その建物、場所(物事)に慣れていて、そこでの行動のしかた(それに対する対処のしかた)が身についている場合にいう。

  ※虎寛本狂言・賽の目(室町末‐近世初)「私も只今是へ参ったことでござれば、諸事勝手も存ぜず」

  ※不言不語(1895)〈尾崎紅葉〉四「雨泄(あまもり)の音耳に付きて寝着かれず。枕為替(しか)へて、右左に勝手を直せども」

  ⑤ 台所。また、そこで働く者。台所がある方向から、裏口やふだんの居間をいうこともある。

  ※虎寛本狂言・察化(室町末‐近世初)「扨私も是に居て御咄し申度うは御ざれ共、勝手に取込うだ事が御ざるに依て」

  ※浮世草子・西鶴織留(1694)一「勝手(カッテ)は煙立つづき、亭主は置炉達を仕掛、女房は濃茶(こいちゃ)立て」

  ⑥ 暮らし向き。生計。

  ※多聞院日記‐天正一九年(1591)一二月二八日「五斗の地子と一石入升二合口に当年はかつてを打なをし、猶以ふとくなる由也」

  ※浮世草子・万の文反古(1696)一「近年何商(あきな)ひも御座なく、勝手(カッテ)さしつまり、さんざんの体に罷成」

  ⑦ 特に茶道の茶室で、茶事の用意を整える場所や、亭主の出入り口をいう。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑧ 弓を射るときの右手をいう。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑨ 江戸時代の吉原で、娼家の主人や女将のひいき役者が、その家の居間などでもてなしを受けること。〔随筆・皇都午睡(1850)〕」

 

とある。⑤の意味と思われるが、火燵がある所だと居間だろうか。

 別れて出て行った人を見送り、みんな悲しみに暮れている所、主人が火燵を埋火にし、今日はもう寝ましょう、という場面であろう。

 

季語は「火燵」で冬。

 

二十六句目

 

   火燵の火いけて勝手をしづまらせ

 一石ふみし碓の米        沾圃

 (火燵の火いけて勝手をしづまらせ一石ふみし碓の米)

 

 米一石(いっこく)は十斗で約十八リットル、百五十キロになる。米俵にすると二俵半になる。

 碓は「からうす」と読む。「ふみし」とあるから足踏み式の唐臼で、精米する量からして酒屋だろうか。

 精米作業は粉が飛び、粉塵爆発の危険があるので火を消す。元禄三年の「鶯の」の巻二十五句目にも、

 

   泣てゐる子のかほのきたなさ

 宿かして米搗程は火も焼ず    芭蕉

 

の句がある

 

無季。

 

二十七句目

 

   一石ふみし碓の米

 折々は突目の起る天気相     里圃

 (折々は突目の起る天気相一石ふみし碓の米)

 

 突目(つきめ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「突目・突眼」の解説」に、

 

 「① 点景などの小さな人物の目を筆先で点を打って描くこと。また、そのようにして描かれた目。

  ※俳諧・物種集(1678)「硯の墨に紅葉みだるる 突目よりこぼす泪は水の穐〈初知〉」

  ② 角膜に異物がささり、そこに小さな傷ができて細菌が感染しておこる化膿性潰瘍。角膜の濁り、痛み、まぶしさ、涙などを主症状とし、進行すると黒目に穴があく。江戸時代、民間療法では乳を滴らせると治るとされた。

  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「折々は突目の起る天気相〈里圃〉」

 

とある。

 外はどんより曇っていて薄暗く、その上強風で枝が飛んできて突目になる恐れがあるので、今日は屋内で精米作業を行う。

 

無季。

 

二十八句目

 

   折々は突目の起る天気相

 仰に加減のちがふ夜寒さ     馬莧

 (折々は突目の起る天気相仰に加減のちがふ夜寒さ)

 

 仰(げう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「仰」の解説」に、

 

 「〘形動〙 程度のはなはだしいさま。おおげさなさま。仰山。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Guiôna(ギョウナ) ヒト〈訳〉物事を大げさに言う人」

  ※咄本・軽口大わらひ(1680)三「それはさほどな事でもござらぬ。越後のかたはぎゃうな事」

  [語誌]→「ぎょうさん」「ぎょうぎょうしい」の語誌」

 

とある。

 極端に夜寒の加減が違う。天候の悪化でこの夜は極端に寒くなる。

 

季語は「夜寒」で秋、夜分。

 

二十九句目

 

   仰に加減のちがふ夜寒さ

 月影にことしたばこを吸てみる  沾圃

 (月影にことしたばこを吸てみる仰に加減のちがふ夜寒さ)

 

 タバコは晩夏から初秋にかけて収穫する。前句の「仰に加減のちがふ」を新タバコの味のこととする。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   月影にことしたばこを吸てみる

 おもひのままに早稲で屋根ふく  里圃

 (月影にことしたばこを吸てみるおもひのままに早稲で屋根ふく)

 

 新タバコの季節は早稲の収穫期でもある。早稲の藁で屋根を葺いたら、新タバコで月見をする。

 

季語は「早稲」で秋。「屋根」は居所。

二裏

三十一句目

 

   おもひのままに早稲で屋根ふく

 手払に娘をやつて嫁のさた    馬莧

 (手払に娘をやつて嫁のさたおもひのままに早稲で屋根ふく)

 

 手払(てばらひ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手払」の解説」に、

 

 「① 所持しているものを全部出し尽くすこと。てばたき。

  ※俳諧・続猿蓑(1698)「おもひのままに早稲で屋根ふく〈里圃〉 手払に娘をやって娵のさた〈馬莧〉」

  ② 手ずから支払うこと。」

 

とある。娘を嫁に出したら財産も嫁に譲って、自分は小さな隠居所を自分で立てて静かに暮らすことにする。

 

無季。恋。「娘」は人倫。

 

三十二句目

 

   手払に娘をやつて嫁のさた

 参宮の衆をこちで仕立る     沾圃

 (手払に娘をやつて嫁のさた参宮の衆をこちで仕立る)

 

 娘に持ち物を全部持たせる気前の良い人は、お伊勢参りの衆の衣裳や何かも自分で準備する。位付け。

 

無季。神祇。「衆」は人倫。

 

三十三句目

 

   参宮の衆をこちで仕立る

 花のあと躑躅のかたがおもしろい 里圃

 (花のあと躑躅のかたがおもしろい参宮の衆をこちで仕立る)

 

 「かた」「衆」が縁語となり、花が咲いた後は躑躅が面白い、参宮の花は東風(こち)が仕立てる、とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「躑躅」も植物、木類。

 

三十四句目

 

   花のあと躑躅のかたがおもしろい

 寺のひけたる山際の春      馬莧

 (花のあと躑躅のかたがおもしろい寺のひけたる山際の春)

 

 寺籠りが終わって外に出てみると、山の桜は散っていてツツジが今を盛りと咲いている。

 

季語は「春」で春。釈教。「山際」は山類。

 

三十五句目

 

   寺のひけたる山際の春

 冬よりはすくなうなりし池の鴨  沾圃

 (冬よりはすくなうなりし池の鴨寺のひけたる山際の春)

 

 春になるとマガモなど渡りをする鴨は渡って行き、渡りをしないカルガモだけが残っている。

 

季語は「冬よりは」で春。「池の鴨」は水辺、鳥類。

 

挙句

 

   冬よりはすくなうなりし池の鴨

 一雨降てあたたかな風      里圃

 (冬よりはすくなうなりし池の鴨一雨降てあたたかな風)

 

季語は「あたたか」で春。「一雨」は降物。