「磨なをす」の巻、解説

貞享四年十一月二十四日熱田の社に詣でて

初表

   ふたたび御修覆なりし熱田の社にまうでて

 磨なをす鏡も清し雪の花     芭蕉

   石敷庭のさゆるあかつき   桐葉

 時々は松笠落る風やみて     桐葉

   我がはとかへる山のかげろひ 芭蕉

 あきくれて月なき岡のひとつ家  芭蕉

   杖にもらひしたうきびのから 桐葉

 

初裏

 肌寒くならはぬ銭を襟にかけ   桐葉

   こぼるる鬢の黒き強力    芭蕉

 明わたる鐘ぬすむ夜はしらじらと 桐葉

   やぶれし国の境守る庵    芭蕉

 古畑にひとりはえたる麦刈て   桐葉

   物呼ぶ声や野馬とるらむ   芭蕉

 松明にめし荷ひゆく秋のかぜ   桐葉

   宮もよし野の哀しる月    芭蕉

 就中みねの砧ぞきこゆなる    桐葉

   温泉はにえて人もすさめず  芭蕉

 此塚の女は花の名におられ    桐葉

   ただ泣がほをさけるつつじぞ 芭蕉

 

 

二表

 朝鷹にくまれて侘る雉子の声   芭蕉

   ゆらゆら下る坂の乗かけ   桐葉

 水濁る一里の河原煩ひて     芭蕉

   あらしにしづむ軒の砂除   桐葉

 はつ霙いく度こけて起なをり   芭蕉

   勅衣をまとふ身こそ高けれ  桐葉

 鰐添て経つむ船を送るかと    芭蕉

   塩こす岩のかくれあらはれ  桐葉

 打ゆがむ松にも似たる恋をして  芭蕉

   縣の聟のしり目なる月    桐葉

 秋山の伏猪を告る声々に     芭蕉

   道一すぢを刈分る萱     桐葉

 

二裏

 優婆塞が御廟つとむる文よみて  芭蕉

   落人起す夜は明にけり    芭蕉

 煎薬にぬれ柴いぶす雨の音    桐葉

   水桶のぼる蝸牛はかなき   桐葉

 西行の言葉にならふ花咲て    芭蕉

   春のたもとにつづみうつなり 桐葉

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   ふたたび御修覆なりし熱田の社にまうでて

 磨なをす鏡も清し雪の花     芭蕉

 

 貞享元年の『野ざらし紀行』の旅の途中でも芭蕉は桐葉とともに熱田神宮に参拝し、

 

 「社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすえてその神と名のる。よもぎ、しのぶ、こころのままに生ひたるぞ、中なかにめでたきよりも心とどまりける。」(『野ざらし紀行』より)

 

と、その荒れ果てているのを見て、

 

 忍ぶさへ枯れて餅買ふ宿り哉   芭蕉

 

の句を詠んでいる。植物の「しのぶ」に昔を偲ぶを掛けている。これに桐葉は、

 

   忍ぶさへ枯れて餅買ふ宿り哉

 皺び伏したる根深大根      桐葉

 

と和している。

 『熱田神宮』(篠田康雄著、一九六八、學生社)によると、寛永十五年(一六三八年)から幕府へ造営の陳情がなされていたのだが、貞享二年(一六八五年)正月十六日にようやく「幕府は、熱田神宮の現状を検分するために、奉行二人と大工一人の派遣を決定したことを告げ」、「検分を命ぜられた、梶四郎兵衛、星合七兵衛の両奉行は、同年九月六日に熱田へ到着、十三日まで八日間にわたる調査を終えて江戸に帰」ったという。

 すぐに「大宮司以下の陳情団は、九月十七日熱田を出発して江戸へ向かう。」そしてそのまま江戸で年を越し、翌年正月十三日ついに着工が決定する。そして「早くも七月九日には、すべての建物が竣工。七月二十一日には、新本殿への晴れの遷宮が行われた。」という。

 時期的にもまるで芭蕉の嘆きの声が伝わったかのようだ。「力を入れずして天地をうごかす」とはまさにこのことだ。

 こうして翌貞享四年冬に新しくなった熱田神宮に、三年前と同様桐葉とともに訪れた。神鏡も新たにきれいに磨かれ、あたかも今ここに真っ白に降り積っている雪の花のようだ。「雪の花」は花のような雪で松永貞徳の『俳諧御傘』には「ふり物也。植物にあらず。」とある。「正花」とは書いてないので十七句目には花の句がある。

 

季語は「雪の花」で冬、降物。神祇。

 

 

   磨なをす鏡も清し雪の花

 石敷庭のさゆるあかつき     桐葉

 (磨なをす鏡も清し雪の花石敷庭のさゆるあかつき)

 

 玉砂利を敷き詰めた広い境内も雪で真っ白で、身が引き締まるような寒さの明け方だ。

 「さゆ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①冷え込む。冷たく凍る。[季語] 冬。

  出典源氏物語 総角

  「霜さゆる汀(みぎは)の千鳥うちわびて」

  [訳] 霜が冷たく凍る水ぎわで千鳥がひどくつらがって。

  ②光・音・色などが澄みわたる。さえる。

  出典新古今集 秋下

  「大江山かたぶく月の影さえて」

  [訳] 大江山に沈もうとする月の光が澄みわたって。」

 

とある。寒いというだけでなく「澄み渡る」という意味もある。新しくなった熱田神宮に心も澄み渡るという意味も込めている。

 

季語は「さゆる」で冬。

 

第三

 

   石敷庭のさゆるあかつき

 時々は松笠落る風やみて     桐葉

 (時々は松笠落る風やみて石敷庭のさゆるあかつき)

 

 発句の雪を離れ、乾いた明け方の庭とし、時折風も止むと松笠の落ちる音もせず、静寂に包まれる。

 

無季。

 

四句目

 

   時々は松笠落る風やみて

 我がはとかへる山のかげろひ   芭蕉

 (時々は松笠落る風やみて我がはとかへる山のかげろひ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は「夕暮れになって、風も落ち、山のかげる頃、自家の飼鳩が帰ってくる」とあいている。

 問題はこの「自家の鳩」だが、この時代伝書鳩があったのかどうかだ。

 ウィキペディアには、

 

 「日本には、カワラバトは飛鳥時代には渡来していた。伝書鳩としては江戸時代に輸入された記録があり、京阪神地方で商業用の連絡に使われた。大坂 - 大津間の米取引で大津の米商は大坂の米価の情報を早く掴むことを競っており、大坂 - 大津間では旗や幟を使った通信が盛んに行われていた。幕府は何度も旗や幟による通信の禁令を出したが、時代が下ると鳩による通信も禁令に加えられており伝書鳩も用いられていたことがわかっている。1783年に大阪の相場師・相模屋又八が投機目的で堂島の米相場の情報を伝えるために伝書鳩を使ったのを咎められ、幕府に処罰されている。」

 

とある。

 まあ、わりかし近いところでもコンマ何秒を争う株式相場のために証券取引市場まで山を越える専用の回線を敷いた投資家がいたから、昔の人がいち早く相場を知るのに伝書鳩を使ったというのはわかる。今のような競技会が行われていて趣味で鳩を飼うということではなかったと思う。

 となると、この句は相場師の句だったのだろうか。まあ米問屋の杜国と仲が良かったから、こういう話も聞いていたのかもしれない。杜国はこの時、米の先物取引の正統性が認められずに領国追放の憂き目にあい、芭蕉も十一月十二日に伊良湖崎に会いに行ったばかりだった。

 句は前句の「風やみて」を夕凪とし、山が陰る頃に鳩が帰ってきたとする。

 

無季。「我」は人倫。「はと」は鳥類。「山」は山類。

 

五句目

 

   我がはとかへる山のかげろひ

 あきくれて月なき岡のひとつ家  芭蕉

 (あきくれて月なき岡のひとつ家我がはとかへる山のかげろひ)

 

 前句が果たして本当に鳩の句だったのか、ちょっと疑問になる展開だが、岡のひとつ家で趣味で鳩を飼う人もいたのだろうか。あるいは隠棲中の杜国が鳩を飼っていたのか。

 

季語は「あきくれて」で秋。「月なき」も秋、夜分、天象。「ひとつ家」は居所。

 

六句目

 

   あきくれて月なき岡のひとつ家

 杖にもらひしたうきびのから   桐葉

 (あきくれて月なき岡のひとつ家杖にもらひしたうきびのから)

 

 「たうきびのから」は黍殻(きびがら)でトウモロコシの茎。そこそこ堅いから杖の代わりに用いられることもあったのか。

 唐黍はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 植物「とうもろこし(玉蜀黍)」の異名。《季・秋》 〔羅葡日辞書(1595)〕

  ※寒山落木〈正岡子規〉明治二七年(1894)秋「唐黍に背中うたるる湯あみ哉」

  ② 植物「もろこし(蜀黍)」の異名。

  ※俳諧・類船集(1676)土「蜀黍(タウキビ)の穂は土用に出ねはよからぬと農人のいひならはせり」

 

とある。強度があって黍殻として利用できるというなら、ここでは②の蜀黍、近代で言う所のコウリャンと考えた方がいいのかもしれない。

 

季語は「たうきび」で秋。

初裏

七句目

 

   杖にもらひしたうきびのから

 肌寒くならはぬ銭を襟にかけ   桐葉

 (杖にもらひしたうきびのから肌寒くならはぬ銭を襟にかけ)

 

 銭持ち首のことか。goo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 

 「着物の襟を前に引き詰めて着ること。銭を多く懐中に入れると重みで襟が前に引っ張られるところからいう。

 「ひだるさに寒さにすくむ衿 (えり) つきよ―は名のみなりけり」〈後撰夷曲集〉」

 

とある。

 

季語は「肌寒く」で秋。

 

八句目

 

   肌寒くならはぬ銭を襟にかけ

 こぼるる鬢の黒き強力      芭蕉

 (肌寒くならはぬ銭を襟にかけこぼるる鬢の黒き強力)

 

 強力(がうりき)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「山伏,修験者 (しゅげんじゃ) に従い,力役 (りょくえき) をつとめる従者の呼称。修験者が,その修行の場を山野に求め,長途の旅を続けたところから,その荷をかついでこれに従った者。中世になると社寺あるいは貴族に仕え,輿 (こし) をかつぐ下人をも強力と称した。現在では,登山者の荷物を運び,道案内をする者を強力と呼ぶが,これは日本の登山が,修験者の修行に始ることに由来する。」

 

とある。

 慣れない銭をたくさん持っての旅を修験者の旅として強力を付ける。

 

無季。「強力」は人倫。

 

九句目

 

   こぼるる鬢の黒き強力

 明わたる鐘ぬすむ夜はしらじらと 桐葉

 (明わたる鐘ぬすむ夜はしらじらとこぼるる鬢の黒き強力)

 

 鬢が白髪でなく黒いということは若い強力なのだろう。力まかせにお寺から鐘を盗んでゆく。さすがに梵鐘ではなく半鐘であろう。

 

無季。「夜」は夜分。

 

十句目

 

   明わたる鐘ぬすむ夜はしらじらと

 やぶれし国の境守る庵      芭蕉

 (明わたる鐘ぬすむ夜はしらじらとやぶれし国の境守る庵)

 

 「ぬすむ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①盗む。妻にするために、親の許しなしに女を連れ出すことにもいう。

  出典伊勢物語 一二

  「人の娘をぬすみて」

  [訳] 人の娘を妻にするために連れ出して。

  ②ひそかに…する。忍んでする。

  出典徒然草 二一九

  「かやうに間々(まま)に皆一律(いちりつ)をぬすめるに」

  [訳] このように(横笛は、穴の)間ごとにすべて一律(の音階)を忍ばせているのに。

  ③無断でまねて学ぶ。こっそりと学び取る。

  出典方丈記 

  「岡(をか)の屋(や)に行き交ふ舟をながめて、満沙弥(まんしやみ)が風情をぬすみ」

  [訳] 岡の屋(=船着き場)に行き来する船をながめて、沙弥満誓(しやみまんぜい)(=奈良時代の歌人)の風流な趣をまねて学び。」

 

とある。この場合は②で、明け方の鐘が鳴り夜も白々とする頃合いを盗んで関所を通過するという意味だろう。

 国が荒れ果てたとはいえ、国境を守る人は住んでいた。

 

無季。「庵」は居所。

 

十一句目

 

   やぶれし国の境守る庵

 古畑にひとりはえたる麦刈て   桐葉

 (やぶれし国の境守る庵古畑にひとりはえたる麦刈て)

 

 峠に近い山の中の庵であろう。放棄された畑にこぼれた種から麦が生えてきて、それを刈り取ってかろうじて食いつないでいる。

 

季語は「麦刈」で夏。

 

十二句目

 

   古畑にひとりはえたる麦刈て

 物呼ぶ声や野馬とるらむ     芭蕉

 (古畑にひとりはえたる麦刈て物呼ぶ声や野馬とるらむ)

 

 古畑で麦を刈っていると、近くの放牧場から大声で何かを呼ぶ声がする。放牧されている馬を捕まえようとしているのだろう。放牧馬はしばしば放置されて半野生化することもある。

 

無季。「野馬」は獣類。

 

十三句目

 

   物呼ぶ声や野馬とるらむ

 松明にめし荷ひゆく秋のかぜ   桐葉

 (物呼ぶ声や野馬とるらむ松明にめし荷ひゆく秋のかぜ)

 

 松明を焚いて祭りだろうか。相馬の野馬追のような馬の祭りを思わせる。

 

季語は「秋のかぜ」で秋。「松明」は夜分。

 

十四句目

 

   松明にめし荷ひゆく秋のかぜ

 宮もよし野の哀しる月      芭蕉

 (松明にめし荷ひゆく秋のかぜ宮もよし野の哀しる月)

 

 南北朝時代の吉野朝廷だろうか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   宮もよし野の哀しる月

 就中みねの砧ぞきこゆなる    桐葉

 (就中みねの砧ぞきこゆなる宮もよし野の哀しる月)

 

 「就中」は「なかんづく」と読む。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 み吉野の山の秋風さ夜更て

     ふるさと寒くころも打つなり

              参議雅経

 

によるとしている。芭蕉の『野ざらし紀行』の吉野のでも、

 

 碪打て我にきかせよや坊が妻   芭蕉

 

の句がある。

 

季語は「砧」で秋。「みね」は山類。

 

十六句目

 

   就中みねの砧ぞきこゆなる

 温泉はにえて人もすさめず    芭蕉

 (就中みねの砧ぞきこゆなる温泉はにえて人もすさめず)

 

 「温泉」は「いでゆ」と読む。

 「すさむ」はこの場合「荒む」ではなく「遊む」の方。

 

 山高み人もすさめぬ桜花

     いたくなわびそ我見はやさむ

            よみ人知らず(古今集)

 

の用例がある。

 熱すぎる温泉は水でうめるか湯もみをするなりしてさませばいいのだから、実際に熱すぎて入れない温泉というのがあったかどうかはわからない。

 

無季。「人」は人倫。

 

十七句目

 

   温泉はにえて人もすさめず

 此塚の女は花の名におられ    桐葉

 (此塚の女は花の名におられ温泉はにえて人もすさめず)

 

 温泉街の遊女であろう。有馬温泉には中世から遊女がいたという。不幸な理由で死んだ遊女の祟りで温泉が煮えたぎっているという話は一見ありそうだが、熱ければさませばいいだけだからそれはないだろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「女」は人倫。

 

十八句目

 

   此塚の女は花の名におられ

 ただ泣がほをさけるつつじぞ   芭蕉

 (此塚の女は花の名におられただ泣がほをさけるつつじぞ)

 

 つつじは漢字で躑躅(てきちょく)と書くが、この字はもう一方で「足踏みする、ためらう」という意味がある。

 躑躅という花の名をもつ女の塚の前で、泣き顔を見せたくないと避けるに、咲けるを掛けて「つつじぞ」で結ぶ。和歌のような付け句だ。

 

季語は「つつじ」で春、植物、木類。

二表

十九句目

 

   ただ泣がほをさけるつつじぞ

 朝鷹にくまれて侘る雉子の声   芭蕉

 (朝鷹にくまれて侘る雉子の声ただ泣がほをさけるつつじぞ)

 

 「朝鷹」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 朝する鷹狩り。朝狩り。また、その時の鷹。《季・春》

  ※定家鷹三百首(1539)春「朝鷹をただ一よりとすゑてゆく野にも山にもきぎすなく也」

 

とある。

 朝の鷹狩りの鷹につかまった雉がつつじの中で泣く。

 

季語は「朝鷹」「雉子」で春、鳥類。

 

二十句目

 

   朝鷹にくまれて侘る雉子の声

 ゆらゆら下る坂の乗かけ     桐葉

 (朝鷹にくまれて侘る雉子の声ゆらゆら下る坂の乗かけ)

 

 「乗(のり)かけ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「江戸時代、宿駅の駄馬の鞍(くら)の両側に荷物二十貫(=約七五キロ)を振り分けに積み掛け、さらにその上に客一人を載せて運ぶこと。また、その駄馬。乗り掛け馬。」

 

とある。

 身分の高い人が鷹狩りで雉をとらえているのを横で見ながら、旅人は街道の乗りかけ馬に乗ってよろよろと坂を下ってゆく。

 

無季。旅体。

 

二十一句目

 

   ゆらゆら下る坂の乗かけ

 水濁る一里の河原煩ひて     芭蕉

 (水濁る一里の河原煩ひてゆらゆら下る坂の乗かけ)

 

 この「て留」は前付けで「ゆらゆら下る坂の乗かけ、水濁る一里の河原煩ひて」と読む。坂を下って行ったら水が濁って増水しているのが見えて、これは川止めだ困ったということになる。

 て留の前付けの例としては、「空豆の花」の巻十三句目の、

 

   家のながれたあとを見に行

 鯲(どぢゃう)汁わかい者よりよくなりて 芭蕉

 

も家の流れた後を見に行って、ドジョウを捕まえ、ドジョウ汁を若い者よりよく食う、となる。ドジョウ汁を食ってから家の流れた跡を見に行くだと意味が通じない。

 

無季。旅体。「河原」は水辺。

 

二十二句目

 

   水濁る一里の河原煩ひて

 あらしにしづむ軒の砂除     桐葉

 (水濁る一里の河原煩ひてあらしにしづむ軒の砂除)

 

 砂除(すなよけ)は飛んでくる砂を防ぐために植えられた木のことであろう。砂防林の家庭版というところか。砂は除けてくれても洪水は防げない。

 

無季。

 

二十三句目

 

   あらしにしづむ軒の砂除

 はつ霙いく度こけて起なをり   芭蕉

 (はつ霙いく度こけて起なをりあらしにしづむ軒の砂除)

 

 霙の激しく吹き付ける嵐の日は土がぬかり、何度も転んでは起き上がり、たどり着いた軒の砂除けもよく見えない。

 

季語は「はつ霙」で冬、降物。

 

二十四句目

 

   はつ霙いく度こけて起なをり

 勅衣をまとふ身こそ高けれ    桐葉

 (はつ霙いく度こけて起なをり勅衣をまとふ身こそ高けれ)

 

 「勅衣(ちょくえ)」は不明。『芭蕉の人情句』(宮脇真彦著、ニ〇一四、角川選書)には、

 

 「『勅衣』は、他に用例がない。『勅によって高位の僧に許される法衣で紫衣などをさす』(芭蕉連句抄 第五篇)という阿部正美氏の推測に従っておく」

 

とある。『校本芭蕉全集 第三巻』の注もこの説に従っている。

 勅衣が紫衣(しえ)のことだとしたら、前句は家光の時代に起きた紫衣事件を暗示し、それでも起き上がったということなのか。

 

無季。釈教。「勅衣」は衣裳。「身」は人倫。

 

二十五句目

 

   勅衣をまとふ身こそ高けれ

 鰐添て経つむ船を送るかと    芭蕉

 (鰐添て経つむ船を送るかと勅衣をまとふ身こそ高けれ)

 

 鰐(わに)は神話に登場する動物で、海の道を作ったり塞いだりする。鰐が水の上に並んで人を渡らせる物語は世界各地に存在するらしい。

 記紀神話の「和邇」は近年サメのことだとする説もあるが、ウィキペディアによると、

 

 「平安時代の辞書『和名類聚抄(和名抄)』には、麻果切韻に和邇は、鰐のことで、鼈(スッポン)に似て四足が有り、クチバシの長さが三尺、甚だ歯が鋭く、大鹿が川を渡るとき之を中断すると記してあるとある。和邇とは別の鮫の項には、「和名 佐米」と読み方が記され、「さめ」と読む「鮫」という字が使われ始めた平安時代において、爬虫類のワニのことも知られていたことを示す。和漢三才図会の鰐の項では、和名抄には蜥蜴に似ると記されているとある。」

 

 『和漢三才図会』は芭蕉の時代より少し後だが、この時代の人は見たことはなくても鰐と鮫は別のもので、神話や説話に登場する謎の生き物という認識だったのではないかと思う。「麒麟」や「獅子」のようなものではなかったかと思う。

 鰐が水路を開いたり閉じたりする存在であれば、その鰐を味方につけて経を積んだ船の無事を願うのは、当時の人の発想としてやや突飛だがありそうな、という微妙なところをついていて、ネタとして面白かったのだと思う。

 

無季。釈教。「鰐」「船」は水辺。

 

二十六句目

 

   鰐添て経つむ船を送るかと

 塩こす岩のかくれあらはれ    桐葉

 (鰐添て経つむ船を送るかと塩こす岩のかくれあらはれ)

 

 鰐様のおかげで隠れている岩礁もあらわになる。

 

無季。「塩こす岩」は水辺。

 

二十七句目

 

   塩こす岩のかくれあらはれ

 打ゆがむ松にも似たる恋をして  芭蕉

 (打ゆがむ松にも似たる恋をして塩こす岩のかくれあらはれ)

 

 岩の上に長年の風雨波浪に耐えて幹の曲折した松のように、長年に渡って苦悩の中で待ち続ける恋をする老婆がいる。『古事記』の赤猪子の俤もあるのかもしれない。日本人の松の枝ぶりに関する美学の根源といえよう。

 

無季。恋。「松」は植物、木類。

 

二十八句目

 

   打ゆがむ松にも似たる恋をして

 縣の聟のしり目なる月      桐葉

 (打ゆがむ松にも似たる恋をして縣の聟のしり目なる月)

 

 縣(県:あがた)はweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「1 大化の改新以前、諸国にあった大和政権の地方組織。また、県主(あがたぬし)が統治した地域とも。

  2 平安時代の国司の任国。また、その国司。

  3 地方。いなか。

  「田面(たづら)なるわら屋の軒の薦簾(こもすだれ)これや―のしるしなるらん」〈夫木・三〇〉」

 

とある。愛しい人は国司の娘婿になってしまったのだろう。愛より金を選んだということか。『金色夜叉』の逆パターン。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「縣の聟」は人倫。

 

二十九句目

 

   縣の聟のしり目なる月

 秋山の伏猪を告る声々に     芭蕉

 (秋山の伏猪を告る声々に縣の聟のしり目なる月)

 

 前句の「縣の聟」を田舎の婿の意味にする。畑を荒らす害獣が見つかったというのに、庄屋の娘婿は知らん顔。非力な色男というところか。

 

季語は「秋山」で秋、山類。「猪」は獣類。

 

三十句目

 

   秋山の伏猪を告る声々に

 道一すぢを刈分る萱       桐葉

 (秋山の伏猪を告る声々に道一すぢを刈分る萱)

 

 猪といえば「猪突猛進!」。萱に真っすぐ一筋の跡を付けて行く。

 

季語は「刈分る萱」で秋、植物、草類。

二裏

三十一句目

 

   道一すぢを刈分る萱

 優婆塞が御廟つとむる文よみて  芭蕉

 (優婆塞が御廟つとむる文よみて道一すぢを刈分る萱)

 

 「優婆塞」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「② 在家のままで、仏道修行にはげんでいる人。

  ※宇津保(970‐999頃)菊の宴「うばそくが行ふ山の椎(しひ)がもと」

  [語誌]修行者に奉仕する在俗の信者をいうところから、正式に出家得度しないで修道の生活を行なう人に及ぼしていう。「源氏物語」の橋姫の巻は「優婆塞」と呼ばれ、作中の宇治八宮が「俗聖(ぞくひじり)」として、「うはそくながら行ふ山の深き心」と、山に籠って修行する僧と対比されている。」

 

とある。

 知っている人が優婆塞になって御廟を守っていると聞いて、萱原のなかにある御廟に道を作る。「道」はもちろん「仏道」に通じる。

 

無季。釈教。「優婆塞」は人倫。

 

三十二句目

 

   優婆塞が御廟つとむる文よみて

 落人起す夜は明にけり      芭蕉

 (優婆塞が御廟つとむる文よみて落人起す夜は明にけり)

 

 前句の御廟を高野山の奥の院御廟として、その奥にある平家落人の里を付けたか。

 

無季。「落人」は人倫。

 

三十三句目

 

   落人起す夜は明にけり

 煎薬にぬれ柴いぶす雨の音    桐葉

 (煎薬にぬれ柴いぶす雨の音落人起す夜は明にけり)

 

 落人は傷を負っていて、村人に看病されている。雨の朝にようやく医者がやってきてくれたか。

 

無季。「雨」は降物。

 

三十四句目

 

   煎薬にぬれ柴いぶす雨の音

 水桶のぼる蝸牛はかなき     桐葉

 (煎薬にぬれ柴いぶす雨の音水桶のぼる蝸牛はかなき)

 

 蝸牛(かたつむり)は動きが鈍いのですぐ踏まれるというのがネタになっていたのだろう。『奥の細道』の旅の出羽での「めづらしや」の巻二十六句目の、

 

   千日の庵を結ぶ小松原

 蝸牛のからを踏つぶす音     露丸

 

の句や、

 

 かたつぶり踏破る方や初ざくら  一笑

 文七にふまるな庭のかたつぶり  其角

 

などの句がある。

 曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には、

 

 牛の子にふまるな野べの蝸牛

     角あればとて身をなたのみそ

               寂蓮(夫木集)

 

の歌が載っているので、これが證歌とされていたか。

 

季語は「蝸牛」で夏、虫類。

 

三十五句目

 

   水桶のぼる蝸牛はかなき

 西行の言葉にならふ花咲て    芭蕉

 (西行の言葉にならふ花咲て水桶のぼる蝸牛はかなき)

 

 前句の「はかなき」から、西行法師の、

 

 ねがはくは花のしたにて春死なむ

     そのきさらぎの望月の頃

             西行法師(続古今集)

 

の歌を思い起こす。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   西行の言葉にならふ花咲て

 春のたもとにつづみうつなり   桐葉

 (西行の言葉にならふ花咲て春のたもとにつづみうつなり)

 

 謡曲『西行桜』であろう。西行法師が、

 

 花見にと群れつつ人の来るのみぞ

     あたら桜のとがにはありける

 

と西行法師が詠むと、花木の精が現れて、「浮世と見るも山と見るも、唯其人の心にあり。非情無心の草木の。花に浮世のとがはあらじ。」と、つまり貴賤群衆の押し寄せるのを厭うのは人間の勝手な感情であり、花に罪はないと言い、舞を舞う。ここに一巻は目出度く終わる。

 

季語は「春」で春。