現代語訳『源氏物語』

13 澪標

 あのはっきりと覚えている夢の後、亡き院が言っていたことが気になって、「どうすればあの償いきれなかった罪に沈んでるのを、救済できるだろうか」と思い悩むばかりでしたが、今こうして帰ってきたということで、急いでそれを実行しようと思い、神無月に法華経八講をしました。

 

 昔のように多く人が源氏の君についてきてくれました。

 

 弘徽殿太后は今も病気に苦しんでるにもかかわらず、「結局この人を排除できなかったのね」と沈痛な面持ちですが、御門の方は、源氏の君が補佐するようにという院の遺言を思い起こしてました。

 

 院の霊に祟られたと思っていたので、初心に帰り、気持ちもかなりすっきりしました。

 

 時々ひどくなって悩まされた目の方も回復しましたが、「多分もう、そんなに長くこの世にはいられないと思うと心細い」と、もはや寿命のないということで、何度も招かれて源氏の君は参内します。

 

 政治のことなども分け隔てなく相談し、納得がいけば大方世間も異論がなく、有難いことだと喜んでいます。

 

 退位しようという意向が近々示されるとなると、あの朧月の(ないしの)(かみ)も心細げに我が身を思い悩み、何か気の毒に思えます。

 

 「父の大臣も亡くなり、母の大宮もすっかり力を失って参内もおぼつかなく、私の命も残り少ないような気がして、本当に可哀そうで、このままでは何もかも失って取り残されてしまうな。

 

 元から源氏の君と比べるべくもないが、自分の気持ちとしては精いっぱいやってきたつもりで、ただそなたのことのみ愛しく思ってきた。

 

 それ以上の人と結ばれようと思ったとしても、私のいちずな心には及ばないと思うのに、心苦しい限りだ。」

 

と言って泣き出してしまいます。

 

 尚侍は顔を真っ赤にして、あふれ出るような可愛らしさで涙をこぼすので、今までの多くの罪も忘れて、悲しくも美しいと見つめます。

 

 「どうして皇子ができなかったのか、それが残念だのう。

 

 前世からの縁の深い人となら、それを見ることがあると思うのも残念だ。

 

 臣下の身分だから皇子になることはできないがのう。」

 

など、これから先のことをおっしゃるので、とても恥ずかしく悲しくなります。

 

 御門は優雅で美しいお顔立ちで、いつも限りない愛情でもって寄り添ってくれてはいるけど、源氏の君はというと、すごい人なんだけど、何とも思ってないようなそぶりやあの性格などを思うと、何とも身に染みるものがあり、

 

 「何でまあ、若気の至りであんな騒ぎを起こして、自分の名誉だけでなくあの人まで‥‥。」

 

など思い出すと、辛い所ですね。

 

   *

 

 翌年の二月、春宮の元服の儀がありました。

 

 十一になり、普通よりも大きく大人びて美しく、ただ源大納言の顔と瓜二つに見えます。

 

 ほんとにまばゆいまで光り輝いていて、みんなは大喜びしてますが、母宮としては忌々しくも痛々しくもあり、不愉快でひやひやものです。

 

 内裏でも目出度がられて、皇位が譲られることなど聞こえてきて、みんなの関心を集めてます。

 

 同じ二月の二十余日、譲位の話が急速に進み、弘徽殿太后も慌てます。

 

 「もうどうにもならないことゆえ、静かに見守るべきと心得よ。」

 

と慰めます。

 

 東宮坊には(じょう)(きょう)殿(でん)の皇子が入ることになります。

 

 天皇の代が変わり、それによって多くのものが刷新されます。

 

 源氏の大納言は内大臣になりました。

 

 左右の大臣に欠員がなく、収まる場所がないため、新たに内大臣として加わることになりました。

 

 すぐに摂政をすべき立場ではありますが、あまり人の矢面に立つような職には耐えられないということで、これまで通りの大臣が摂政として働いてもらうべく譲った形になりました。

 

 その返り咲きの左大臣ですが、

 

 「病気で位を返上した身の上、いよいよ老化も進み、しっかしとした仕事も出来かねます。」

 

と固辞します。

 

 「他所の国でも、反乱が起きて世の中の定まらない時には、山奥に籠っていた隠士でさえ、世の中が収まれば白髪も恥じずに戻ってきて仕えるというのが本当の聖人というものです。

 

 病の淵に沈んで返上なされた位も世の中が変わったのですから、復帰しても誰も非難はしないでしょう。」

 

 御門からもその他の人たちからもそのように説得されます。

 

 そういう先例があるならということで、抵抗しきれずに太政大臣に就任しました。御年六十三にもなります。

 

 世の中が嫌になって一度は引き籠ったものの、元に戻り華やいで来れば、不遇な地位に沈んでいた息子たちも皆再浮上します。

 

 特に宰相中将(三位の中将)は(ごん)中納言(ちゅうなごん)になりました。

 

 あの右大臣の四の宮との間にできた姫君が十二になったということで、内裏に参らせようといろいろ手配してます。

 

 あの催馬楽「高砂」をきれいな声で謡っていた次男も元服して冠を被り、願ったり叶ったりです。

 

 子沢山で次々生まれて来るので賑やかなのは、源氏の内大臣としてもうらやましい限りです。

 

 その源氏の左大臣の娘との間に出来た若君は、他の子どもたちよりも特に美しく、内裏や春宮の(わらわ)殿上(てんじょう)をしてます。

 

 娘君が亡くなった悲しみを、大臣と大宮もまたあらためて残念に思い返します。

 

 それでも亡きあとも、新たな内大臣の威光に何から何まで取り図ってもらい、これまで悲しみに暮れていたのが嘘のように繁栄へと転じました。

 

 相変わらず昔のように礼を尽くし、何かある折ごとに尋ねてきますし、若君の乳母たちやその他の仕えてる人たちも、年月を経ても辞めて行く人もなかったのは、皆何かあるごとに便宜を図るとあらかじめ決めていたからで、みんな幸せになりました。

 

 二条院でも同じように待っていた人たちに面倒をかけたと思い、今までの苦労に報いたいと思い、中将の君や中務の君のような人たちは、妻ではないが身分相応に目をかけてあげて、そのために隙もなく、他の人の所に通ったりもしません。

 

 二条院の東の宮は亡き桐壺院の残したものでしたが、二つとないほど見事に改装しました。

 

 花散る里のような気の毒な人を住ませようなどという意図があって、修理させました。

 

   *

 

 そういえば、あの明石で気の毒なことをしてしまったあれをどうにかしなくてはと、忘れた時はなかったのですが、公私に渡って忙しくなかなか思い通りに訪問することもできず、三月一日になってやっと、「もうその頃だな」と思うと人知れず心痛み、お使いを出しました。

 

 急いで帰ってきて、

 

 「十六日のこと。女の子で安産でした。」

 

と報告します。

 

 それは願ってもないことだとその喜びは半端ではありません。

 

 こんなことなら京に迎えてお産をさせればよかったと後悔します。

 

 星占いにも、

 

 「子供は三人。御門、后かならず両方生れて来るでしょう。三人の内の最悪でも太政大臣という最高位に着くでしょう。」

 

という予言が出てまして、

 

 「身分の低い妻から生まれた子は女の子になるでしょう。」

 

というのもあり、的中です。

 

 そういえば、源氏の君が最高位に登ってこの国の政治を行うことは、あれ程霊験あらたかな沢山の人相占いの人達の間でも一致していたので、ちょっと前の世のごたごたが起きていた頃は外れたと思っていたものの、今の御門が即位したことで思ったようになったと喜んでます。

 

 源氏自身は臣下に下った身なので、自分が王位に就くことはあってはならないと思ってます。

 

 「桐壺帝にはたくさんの皇子達がいたが、その中でも特別可愛がってくれてはいたが、(みなもと)姓にという意向を思えば、これは前世の縁がなかったからだ。今の内裏がこのようになったのは、大っぴらには言えないことだが、人相占いは間違ってなかった。」

 

と心の中で思いました。

 

 今これから先どうするかを思えば、

 

 「住吉の神の導きで、あの明石の娘君も前世に並々ならぬ運命があって、あの偏屈オヤジも分不相応な願いを抱くに至ったのだろう。

 

 だとすると、畏れ多いまでの身分に上るべき人が、あんな片田舎で誕生させてしまったということは、気の毒だし面目ない。近い将来京に迎えなくては。」

 

と思い、東の院を急遽造るように急がせました。

 

 あのような所には頼りになる人もなかなかいないと思い、亡き院に仕えていた宣旨(せんじ)の娘、今は亡くなった宮内卿の宰相の娘がいて、母も亡くなったのでひっそりと暮らしていたが、後ろ盾もないままに子を生んだということを耳にして、知っている伝手をたどり、別のことのついでに伝えておいた人を呼んで、その所に行くように口頭伝えて約束しました。

 

 まだ若く、特に野心もない人で、長いこと人知れぬあばら家で悶々と過ごしてきて生活も心細かったので、特に悩むこともなく今回の件を願ってもないことと思い、明石へ行くのも問題はないとのことです。

 

 身の上に同情しつつ出発の準備をします。

 

 別の用事のついでに、こっそりとこの娘の所を尋ねました。

 

 色よい返事はしたものの、どうすればいいのか迷っていたところ、わざわざ来てくれて何と勿体ないことかと思い、決心もついて、

 

 「ただ仰せのままに。」

 

と言いました。

 

 御日柄も悪くなかったので、急いで出発させ、

 

 「ぶしつけで勝手なことを頼んでしまったが、将来に重要な意味を持つことなんだ。俺もまた身に覚えのないことであの地に住まされたことから気持ちはわかる。しばらく我慢してくれ。」

 

などと言ったうえで、事情をいろいろ説明しました。

 

 先帝に仕えていた頃に見かけることもありましたが、すっかりやつれていました。

 

 家を見ても言いようがないほど荒れ果てていて、さすがに大きな屋敷ですが木が茂るがままで、よくこれで暮らしていけるなと思いました。

 

 性格的にはまだ若く面白い人なので、興味はあります。

 

 とりあえず冗談に、

 

 「家に置いておきたい気もするが、どうでしょうか。」

 

と言ったりすると、「ほんに、その通り、おそばでお仕えできましたならば、今の苦労も忘れられます」と心の中で思います。

 

 「昔から親しい仲ではなかったが

     別れることはつらいことです

 

 追いかけちゃおうかな。」

 

と言えば吹いて、

 

 「また急に別れ惜しむふりをして

     思ってる方に逢いたいんでしょ」

 

 すっかり手慣れた返しをされて、痛いところですね。

 

 京の街中は牛車で行き、去って行きます。

 

 ごく親しい側近だけを同行させ、極秘事項なので固く口止めをして出発します。

 

 護衛に必要な刀やその他諸々、何一つ不足のないよう揃えてやりました。

 

 乳母にも例のないほどこと細かく配慮を盡しました。

 

 入道が一生懸命赤ちゃんの世話をしているところを想像すれば、何とも微笑ましく思うものの、姫君が気の毒で可哀そうだと、そのことが気がかりなのも確かです。

 

 手紙にも、

 

 「くれぐれも粗末に扱わぬように」

 

と何度も戒めました。

 

 「今すぐに羽衣着せる女の子

     いくら撫でても岩は尽きない」

 

 摂津の国までは船で下り、そこから先は陸路を馬で急ぎ、到着しました。

 

 入道は待ち受けていて喜び、礼を尽くすこと限りがありません。

 

 京の方を向いて拝んでは、源氏の君がここまで気にかけてくれたことを思い、より一層心苦しく、恐ろしさすら感じます。

 

 赤子の危険なくらい美しいそのお姿に、何と表現していいことか。

 

 「なるほど、わざわざお世話しようというからどんな立派な志かと思ったら、こういうことだったのね。」

 

と理解し、見慣れない旅路に悪い夢を見たような心地で悩んでいたのもすっきりしました。

 

 こんなに美しく可愛らしいなら、世話もしましょう。

 

 この赤子の母君はというと、何か月も悲しみに沈んで溺れるくらいの状態だったのが、生きる気力もなくしていたものを、源氏の意向に少しは気持ちも落ち着いたか頭を上げて、乳母に同行した使いの者をこの上なく手厚くもてなします。

 

 すぐに帰らなくてはと急いでいるのが残念に思い、思うことを少しばかりと、

 

 「自分一人育てる袖は短くて

     すべてを覆う影をまちます」

 

と歌を添えました。

 

 これには源氏の君もおかしくなるくらいに気がかりになり、早く会えたらと思います。

 

 二条院の姫君にはあまり口に出して説明することはありませんでしたが、一応説明しておかなくてはと思い、

 

 「こういうことがあってね。

 

 不愉快で嫌いになっても仕方がない。

 

 出来てほしい所にはなかなかできなくて、そうでないところにというのは残念だ。

 

 女の子だったのでまだ良かったものだ。

 

 聞かなくても良かったことだけど、だからと言って放っておくこともできないので、呼び寄せて実際に見てもらうことにするよ。憎く思わないでくれ。」

 

と言えば、顔を赤くして、

 

 「変よね。いっつもそういった言い方をするその気持ちが、わからないわ。

 

 あんたが憎らしく思えるのも、今に始まったことじゃないでしょ。」

 

と恨み言を言うと、源氏の君はふっと笑って、

 

 「そうだな。誰がそうしたんだか。考えなくてもわかるだろっ。

 

 君の気持というよりも、自分の叱られることを心配してびくびくしてるなんてね。考えてみれば悲しいことだな。」

 

といって、ついには涙ぐんでしまいます。

 

 しばらく離れ離れで飽くこともなく恋しいと思っていた二人の心の内を、何度も手紙で遣り取りをしたことを思い出しても、明石の方は「みんな遊びだったんだな」と無理に忘れようとします。

 

 「あの赤子をこうまで気遣って尋ねさせたのは、戦略があってのことだ。

 

 今それを言ってもまた違う意味にとるかもしれないが。」

 

と言いかけて、

 

 「面白い人だと思ったのも場所が場所だったからな。あんな所にはなかなかいない人だし。」

 

など話を変えるのでした。

 

 じいんと心に染みる夕暮れの藻塩焼く煙に言い交わした言葉、はっきりとではないけど夜にほの見えた姿、箏の優雅な音、すべて興味の惹かれたことを説明しても、

 

 「私がこれ以上ないくらい悲しく思い悩んでいたというのに、遊びとはいえそうやって通じ合っていたのね。」

 

と、どうやっても溝が埋まらず「言っても無駄ね」と背中を向けて、「男と女は悲しいものね」と独り言のように呟いて、

 

 「藻塩焼く煙はこっちになびかない

     私は煙になって消えたい」

 

 「何だってそう思い詰めるんだ。

 

 誰のため海や山やら彷徨って

     涙に暮れて浮き沈みして

 

 一体どうしたらわかってくれるんだ。

 

 死んでしまってはもともこもない。情けないこと言っても恨まれたくないと思うその理由は一つしかないでしょう。」

 

 そう言って箏を引き寄せて、軽くチューニングして弾いてみるように勧めるけど、明石の箏が上手だったということも妬ましく、手を付けることはありませんでした。

 

 とにかく優しそうで美しく、おしとやかにしているものの、さすがに芯が強いところもあってたじたじになることもあるが、かえって怒った姿も可愛らしく、それが面白くて魅力的に思えるのでした。

 

   *

 

 五月五日は生後五十日のお祝いになると密かに日数を数えていて、会いたくて胸がいっぱいです。

 

 どんなことだって、できる限りのことをやってお祝い出来たら幸せだというのに、残念だ。何であんな所で不遇な形で生まれてきてしまったんだ、との思いです。

 

 男の子だったらこんなに大事にすることもないところだが、末は后になる人がこれだと思うと勿体ないことで可哀そうで、これも前世の因果で明石へ行ったせいで片帆になったままで、何とかしなくてはと思います。

 

 明石へ使者を出します。

 

 「必ずその日に到着するように。」

 

と命じたので、五日に到着しました。

 

 贈り物なども有難く目出度いものばかりで、すべてこと細かく配慮されてます。

 

 「海まつも隠れたままでいたのなら

     今日のあやめもわからないでしょ

 

 心ここにあらずです。それでこんなことではいけないと決意しました。

 どんなことになっても心配なことは絶対に。」

 

と手紙を添えてます。

 

 入道はまたしても嬉し泣きです。こういう御祝いには生きた「かい」も付き物だということで、まあ納得ですね。

 

 この地でもあれこれできる限りのお祝いの準備はしてましたが、この使いの者が着かなかったなら、月もなく闇に暮れる所でした。

 

 乳母も明石の女君を気の毒に思っているようですが、相談相手になってその境遇を慰めてました。

 

 乳母にも劣らぬ女房をいろいろな伝手を使って取り揃えてはいますが、すっかり年老いた宮仕えの人など、岩屋の奥に住んでいるかのようなもので、まるで子供のように浮世離れしています。

 

 面白い宮廷の噂話などを交えながら源の大臣の様子や、みんなのことを大事に思っているという評判なども、ガールズトークのような感覚で止めどもなくあれこれ話せば、「まじほんまに」と後悔ばかり後を絶たなかった明石の女君も、勇気づけられ、考えも変ってきました。

 

 一緒に手紙を見て、心の中で「なんだ、想像以上に恵まれた立場じゃないの。あたしの方が可哀そう」と思ってはいるものの、「乳母の方はどうしているかな」なんでわざわざ気づかいしてくれているのも申し訳なく、何事も我慢です。

 

 返事には、

 

 「影の薄い島の向こうで鳴く鶴を

     今日も訪ねてくる人はなく

 

 あれこれ悩んでぐちゃぐちゃな私ですが、こんな気まぐれな慰めをあてにして生きる程空しいこともなく、この先の心配ないような何らかの実行を期待しています。」

 

といかにも切実です。

 

 源氏の君は何度も読み返しながら、「あわーれーなーー」と吟じるように独り言を言うと、二条院の姫君が横目で覗き込んで、

 

 「浦から遠ざかる船なのね。」

 

と小声で呟きながら眺めています。

 

 「まじそこまで別の意味に取るのかい。これはなあ、ただちょっとばかし可哀そうだなーってだけだ。明石という場所柄ふっとそんな想像をして、過去を思い出しての独り言だとういうのに、そこを突っ込まれるとはね。」

 

など、むっとしながら手紙の包みだけを見せました。

 

 筆跡がいかにも由緒あるという感じで、最高位に属する女性でもたじたじとなるようなものなので、「そりゃあ、やくわな」と思いました。

 

   *

 

 このように二条院の姫君のご機嫌を取っているうちに、花散る里のことも忘れてほったらかしになってしまい、気の毒なことです。

 

 公務の方も忙しくていっぱいいっぱいで身動きの取れない中、特にこれと言って驚くようなことも起こらないので自制してたのでしょう。

 

 五月雨の退屈な時期、公私ともに物静かになり、思い立ったように出かけました。

 

 離れたところながらも、朝な夕なにいろいろ気を使って使者を送ってきてくれているのを頼りに暮らしていたところでしたから、今風に駆け引きなどしてそっぽ向いてみたり文句を言ったりするようなこともなく、安心しきってました。

 

 そうしている間にますます家は荒れ果てて寒々としています。

 

 今の弘徽殿女御にいろいろ話を聞いて、花散る里の西の妻戸に夜も更けた頃に立ち寄りました。

 

 月も朧に差し込み、いつも以上に優雅な態度でこれ以上ないくらいに美しく見えます。

 

 すっかり緊張しながらも、部屋の隅っこからその様子を眺めて、そのまま静かにふるまう様子は特に問題ありません。

 

 水鶏がすぐそばで鳴いたので、

 

 「戸を叩く水鶏に気付かなかったなら

     荒れ果てた部屋に月は入れません」

 

と、思い切り心惹かれている心を打ち隠しました。

 

 みんなそれぞれ捨てがたいところがあるな。だからこんな苦労するんだ、と思います。

 

 「戸を叩く水鶏にいちいち驚いたら

     余所の月まで入ってきそうだ

 

 気になるなあ。」

 

とは言ってみたものの、浮気した様子など疑うべくもないことです。

 

 長いことずっと待ち続けていたのがわかっているから、さすがに適当にあしらうわけにはいきません。

 

 「曇った空も長くない」と約束した時のことにも触れながら、

 

 「何で明石に行ったことを類もないことと、あんなにひどく落ち込んでいたんでしょうね。私の悩みも同じようなもんだというのに。」

 

と言う姿も、お淑やかで可愛らしいですね。

 

 例によって誰が言った言葉か知らないが、次から次へと歯の浮くようなセリフで慰めました。

 

   *

 

 こんないろいろある中でも、大弐(だいに)(そち)の娘、五節(ごせち)の女君のことを忘れたわけではなく、「また会いたいな」と気にしてはいましたが、逢うことも難しくお忍びで行くこともできません。

 

 その女君はずっと悩み続けていて、親はいろいろ思うことを言うのですが、普通に結婚することはもうあきらめてました。

 

 安心して通えるような東の院を造営して、「こうした人を集めて、思惑通りに大切に育てるべき子が生まれたら、その後見になれるな」と企んでます。

 

 その東の院の仕様ですが、これはなかなか目を見張るような所が沢山あって、斬新なものです。

 

 遊び好きな受領を選び出して、競うようにデザインさせました。

 

 (ないしの)(かみ)の君の方もまだあきらめてはいないようです。懲りもせずに繰り返しモーションをかけますが、女の方はひどい目に逢って懲りているので、昔のようにいい顔はしてくれません。

 

 何とも面倒くさい、味気ない世の中だなと思ってます。

 

 院は退位したあと、自然に穏やかな心になり、四季折々面白い音楽など風流を楽しんでます。

 

 女御、更衣は皆いつも通りに御一緒しますけど、春宮の母の女御だけが取り立てて贔屓にされるということもなく、尚侍の君の寵愛の陰に隠れていましたが、今は世も変り運も廻ってきて、一人離れて春宮に仕えています。

 

 源の内大臣の宿直室は昔から使っていた淑景舎(しげいしゃ)(桐壺)でした。

 

 梨壺に春宮がいるので、すぐ近くにいるよしみでいろいろと相談に乗ったりして、春宮の後見もしています。

 

 入道となった(きさい)の宮は宮廷に復帰することもないので、譲位なさった先帝に準じて俸禄を賜っています。

 

 院司(いんじ)が任命されて、その様子も立派です。

 

 仏様へのお勤めと善行に専念しています。

 

 ここの所世間に遠慮して参内も難しく、我が子にお会いできない不満がくすぶってましたが、これで思うように参内できるようになったのを嬉しそうにしていて、弘徽殿太后も「世間の変わり身の早さは嫌なものね」と嘆いてます。

 

 源の内大臣はことあるごとに堂々とお仕えし、好意的に接してますが、かえってそれが不愉快で、周りの人もはらはらしています。

 

 二条院姫君の父で入道后の宮の兄でもある兵部(ひょうぶの)(きょうの)親王(みこ)は、これまで源氏の不遇をも何とも思わず、ただ世間の風評を慮ってたことで、源氏の内大臣にはわだかまるものもあり、以前のように親しく接することはありません。

 

 大体において誰にでも等しく愛想を振りまく人ではありますが、この辺りのことでますます冷淡な面をみせていることで、入道后の宮は困ったもんだと残念に思ってます。

 

 世の中概ね二つに分かれ、太政大臣と内大臣の意のままです。

 

 権中納言の娘はその年の八月に後宮に入りました。これも太政大臣の意向で、儀式などありえないくらい立派でした。

 

 兵部卿親王の二番目の娘も、後宮に入れようとして大切に育ててきたことは評判になってましたが、源氏の内大臣は他の者に優先させるようなことはしません。

 

 一体どうするつもりなんでしょうね。

 

   *

 

 その秋、住吉大社に参拝しました。願いが叶うよう、盛大な行列を仕立てて、宮廷全体を急き立てて、上達部や殿上人も我も我もと同行しました。

 

 ちょうどその時、あの明石の人たちも毎年恒例の住吉詣でに来ていて、去年から今年の初めにかけては懐妊と出産があって来られなかったのが申し訳なくて、この度の参拝を思い立ちました。

 

 舟でやってきました。

 

 岸に着いたところ、見れば大声で騒ぎながら参拝に来ている人の声が渚に満ち溢れて、荘厳な神宝を手に持って運び込んでいました。

 

 楽人や十頭の馬に乗った舞人など装束を整えて美形を揃えてます。

 

 「誰が参拝に来てるんですか。」

 

と問えば、

 

 「内大臣殿が祈願をしにいらしているのを知らない人もいるんだ。」

 

と言って、下っ端の取り巻き衆までが、得意そうに笑います。

 

 「まじ最悪のタイミングやな。何やこんな立派な姿を遠くで見るなんて、身分の差を見せつけられたみたいで悔しいやない。

 

 もっとも、子供まで作ったんだから繋がりがないわけではないけど、あんな低い身分のものまでが何の心配もなく仕えてる栄誉を受けているのに、一体何の前世の罪で、いくら思っても報われなくて、こんな晴れの儀式の連絡もない所に、のこのこ出かけてきたのやら。」

 

など悩みも尽きずどうしようもなく悲しくて、人知れず涙を流すのでした。

 

 松原の深緑の中に、花紅葉を散らしたような装束の上着の濃い物薄い物数知れません。

 

 六位の中でも蔵人は青い色が鮮やかに見えて、あの賀茂下社の瑞垣を見て「導いて葵飾ったその髪を」と詠んで明石へ同行した右近の将監も、今日は靫負(ゆげい)になってものものしい随身を引き連れた蔵人になってました。

 

 良清も同じく衛門(えもんの)(すけ)で、誰よりも憑き物の落ちたようで、厳めしい緋色の(ほう)を着た姿がめちゃクールでした。

 

 明石で見た人たちはみんなあの時とは打って変わって華やかで、何の悩みもないようにさながら花紅葉をまき散らしているかのようで、若々しい上達部、殿上人が我も我もとそれに対抗して馬や鞍などまで飾り立ててピカピカにしているのは、田舎者ならとにかくスゲーと思うばかりです。

 

 源氏の内大臣の御車が遥か彼方に見えてくると、すっかり気が引けてしまい、愛しい人の姿もとてもじゃないが見ることができません。

 

 風流で知られる河原左大臣の前例に依拠したか、童随身を付けることを御門から許され、とにかくきらびやかな装束に()()()を結って、紫のグラデーションの元結は品よく、格調の高さと見た目の美しさを兼ね備え、それが十人そろえばとにかく可愛らしく、斬新です。

 

 亡き葵の上の一つ種の若君も別格の扱いで、馬添いの従者、それを取り巻く童などの装束は皆特別に作られたもので他と区別されてました。

 

 遥か雲の上の人達の立派なお姿を見るにつけても、同じあの人の子なのに若君の数にも入れない自分の子を思うとみじめに思えてきます。

 

 いたたまれず住吉の社の方を拝み、祈らずにいられません。

 

 摂津の守が参上しておもてなしの席を設け、きっと並の大臣などが来た時とは比べ物にならないような饗応がなされることでしょう。

 

 どうにもこうにも決まりが悪く、

 

 「あんな人たちの中に混じっても相手にされるわけもないし、ちょっとくらい祈ったところで神様だって見向きもしないに決まってるわ。帰るにしてもこの時間やし、今日は難波に船を泊めて御祓いだけにしましょっ。」

 

ということで、漕ぎ去って行きました。

 

 源氏の君はそんなこととは夢にも思わず、一晩中いろいろな奉納神事を催しました。

 

 確かに神々の喜びそうなことを一通りし尽くして、今まで祈願してきたことも含めて、ありえないくらい遊び騒いで夜を明かしました。

 

 惟光のような長年仕えてきた人たちは、心底神の功徳の栄誉をしみじみと噛み締めてます。

 

 思い立ったように外へ出たときに、付き随って話しかけます。

 

 住吉のまつは物悲しいですね

     神代の昔思い返せば

 

 だよな、と思い出しながら、

 

 荒かった波の迷いに住吉の

     神に祈ったのは忘れやしない

 

と返すのも晴れやかなものです。

 

 あの明石の船が今日の参拝の喧騒に圧倒されて行ってしまったことを聞くと、「聞いてねーよ」と残念がってます。

 

 住吉の神に導かれての縁だったことを思うと、放っても置けず、短くていいから手紙を出して安心させてやらないと、宙ぶらりんになっているからな、と思いました。

 

 住吉の宮を出て、あちこち観光して歩きました。

 

 七瀬祓の七瀬の一つの難波神社の御祓いは立派に努めます。

 

 難波の堀江の辺りをご覧になっては、「わびぬれば今はた同じ難波なる」の和歌のことがふと浮かんできて口ずさんでいると、車の近くにいた惟光が何か察したのでしょう、こんな時のためにといつもどおりに懐に忍ばせた携帯用の筆など、車を止めた所で差し出しました。

 

 「わかってらっしゃる」と思い、畳紙(たとうがみ)に、

 

 「みをつくし恋する印ここでさえ

     逢えるだなんて縁がふかいんだ」

 

と書き付けますと、先方の事情を知っている下人に届けさせました。

 

 馬を並べて通り過ぎてしまいましたが、明石の娘は心動かされて露ばかり儚いと思っては、悲しくも有難いと思い、泣き出してしまいました。

 

 「難波でのことでも取るに足らないのに

     何でみをつくし恋をしてるの」

 

 田蓑の島で禊を行ったときの{木綿|ゆふ}に付けたこの歌が届きました。

 

 日も暮れて行きます。

 

 夕暮れの満潮に、入り江の鶴も声を惜しまぬ程悲し気な折だけに、人目なんて気にせずに会いたい気持ちになります。

 

 「変わらない涙にぬれた旅衣は

     田蓑だからって隠せやしない」

 

 名所見物を続けるままに、見応えある観光に歌い騒いではいるものの、心の中では気になってしょうがないのでした。

 

 女芸人たちが集まってきて芸を披露すると、上達部とはいっても若い者はこういう面白いことをやってくれれば、みんな見入ってしまうのもしょうがないことでしょう。

 

 それを見ながら、「なんだかなあ、面白さだとか感動だとかいうのも結局その人間なんだよね。月並みなものを見た目だけ新しくして人目を引くことはあっても、結局後に残らないんだよね。」と思い、自己流を押し付けて粋がってる連中がうざったく思えました。

 

 一方であの人はこの喧騒を避けて、翌日の吉日に(みてぐら)を奉ってました。

 

 分相応の願いを淡々とこなすだけです。

 

 そのことがまた現実を思い知らされて、明けても暮れても悔しい気持ちに悶々とするばかりです。

 

 ようやく京に帰り着いたかと思うと、日数も経ずに使いを出しました。近日中に京に迎えるとは言ってます。

 

 「いかにも頼もしそうに、大宮人扱いしているようでも、いざ行ってみればまた『島漕ぎ離れのほのぼのと』にならないかと、旅の中空にぷかぷか浮いてるみたいやね。」

 

と心配は尽きません。

 

 入道もここで出発させるのも気が気でないし、だからといっていつまでもここで埋もれたままでいるというのも、かえって長年祈ってきた年月よりも苦しいものです。

 とにかく丁重に決意が付かないという旨を伝えます。

 

   *

 

 それはそうと、あの斎宮も交替になり、六条御息所も京に上り、昔と変わることなく何かにつけても使いを出し、いろいろと親切にするのは有り難いことですが、以前同様のつれない態度で、中途半端な未練もなくなって気持ちも冷めてしまい、源氏の君もその意味で通うことはありません。

 

 こんな時に浮気心を起こしても、こんな俺のことだから責任持てないし、とにかく関わりになって遊び歩いても、また面倒ごとを背負い込みそうで、無理して通おうとも思いません。

 

 ただ、娘の斎宮の方はすっかり大人になっただろうなと興味を惹かれます。

 

 なお、六条御息所の以前の住処は奇麗に修繕され、優雅に暮らしています。

 

 風流な暮らしが忘れられなくて、気の合う女房なども多く、風流人の集まるところになって、寂しさを紛らわしながら過ごしていると、急に重い病気になり、死後のことも心細く思えて、ここまま俗世で年老いて行くのもやばいと思い、尼になりました。

 

 源氏の大臣はこのことを知り、男と女のことは別にしても、同じ風流を解する人という意味では、出家されてしまうのが残念に思い、びっくりして訪ねて行きました。

 いろいろ尽きることなく慰めの言葉をかけてあげます。

 

 枕の近くの几帳を隔てたところに座席を設けて、自身は脇息に寄りかかりながら言葉を交わすものの、すっかり衰えてしまったような気配が感じられ、変わらない心のほどを見せることができないんだと思うと悔しくて、涙が溢れてきます。

 

 そんなにも思っていてくれたのかと、御息所も何もかも悲しくなって、斎宮のことをどうか、と申し出ます。

 

 「後見もなく、あとに残されてしまっても、どうか必ず折に付けても身内のものとして扱ってください。

 

 他に頼る人も無く、あなたしかいません。

 

 私は何もできませんが、あとすこしでもこの世に命のある間、あれこれ物事が分かってくるまではお世話しようと思います。」

 

と、消え入るかのような声で泣きました。

 

 「そんなこと言わなくても、あなたとの仲が切れてしまったわけではないんだし、もちろん自分にできることだったら、どんなことでも支えて行こうと思ってる。心配しないでほしい。」

 

などと言うと、

 

 「そんな簡単ではありません。本当に信頼できる父親にお世話を任せたところで、母を失ってしまうと本当に可哀そうなことになるんですよ。

 

 それなのに、自分なら大丈夫と思ってらしても、思うようにならない人がしゃしゃり出てきて、気兼ねしなければならないこともあるでしょう。

 

 こう言うと気分を害するかも知れませんが、くれぐれもスケベ心で近づくようなことは考えないで下さいね。

 

 私自身のつらい過去を思っても、女は思ってもみなかったことで悩みを背負い込まされるもので、どうかあの娘には近づかないで見守っていただきたいと思ってます。」

 

と言います。

 

 そんな意地悪言わないでよ、と思うものの、

 

 「この年になっていろいろわかってきたこともたくさんあるんだから、昔のような浮気者だと思ってそういうことを言われても困るよ。まあ、わかってるとおもうけど。」

 

と言っている間に外は暗くなり、家の中では大殿油の光に仄かに映る人影がこちらへと動くのが見えて、「ひょっとして」と思い、そっと几帳の綻びから覗けば、幽かな炎に照らされ、髪の毛が奇麗さっぱりと尼削ぎになっていて、脇息に寄りかかっている様子は絵に描いたようにアンニュイで、やばいくらい妖艶です。

 

 几帳の東側に添い臥しているのが、その斎宮なのでしょう。几帳が緩く押しやられたところから目を凝らして覗き込むと、頬杖をついて何とも悲しそうな顔をしています。

 

 薄ぼんやりとだけど大変美しい方だと思いました。

 

 肩にはらりとかかる髪や頭頂部、全体の雰囲気、高貴で凛としていながらも、輝くばかりの可愛らしさがあり、見れば見る程心惹かれ、なるほど御息所の言った通り、これは誘惑にかられるなと思い直しました。

 

 「ちょっと苦しくなってきたので申し訳ございませんが、そろそろお引き取りいただけませんか。」

 

と言って、人に抱きかかえられて横になります。

 

 「せっかくこんな近くまで来たんだから、元気になってくれれば嬉しかったんだけど、残念だな。どんな感じなんだい?」

 

と言ってまた覗き込もうとしたので、

 

 「大変危ない状態ですよ。もうこれが最期かと思う時にいらしていただいて、これも深い因縁なんでしょう。

 

 今申し上げたことを少しでも理解してくれたなら、それはそれで心強いことですが。」

 

と答えると、

 

 「これが遺言になるなんて思うと、よけい悲しくなるな。

 

 亡き院の皇子たちのたくさんいる中で、これだけ親密な人は他にいないし、その皇子たちの一人に加えていただいたというのであれば、その頼み、承りましょう。

 

 少しは大人になるそういう歳なので、お世話するような姫君もないのも物足りない所だ。」

 

 そう言って帰って行きました。手紙を持ったお使いの人が度々来るようになりました。

 

 亡くなったのはその七、八日後でした。

 

 すっかり気を落として何もかもが儚く、生きているのも心細く思えて、内裏にも行かず、葬儀などいろいろ取り仕切ってました。

 

 他にそれができる人も特にいなかったのです。

 

 前の斎宮の宮司など、日頃世話になっていた人だけが僅かに式を執り行います。

 

 源氏の大臣自らも列席しました。

 

 斎宮に取次ぎをお願いします。

 

 「何をどうしていいかもわかりません。」

 

と女別当を通じて伝えました。

 

 「遺言を預かっておりますので、今は家族同様に思っていただければ幸いです。」

 

と言うとお仕えしていた人たちが出てきて、これからどうするかを伝えます。

 

 任せておけという感じで、今まで疎遠にしていたのを取り返したように見えます。

 

 とにかく威厳を以て、御息所の家に仕えていた大勢の人たちを再雇用しました。

 

 悲しく物思いに耽りながら、喪に服すために御簾を降ろして、お勤めをしました。

 

 斎宮には常に手紙を届けました。だんだん心が落ち着いてくると、自筆の返事が返ってきます。

 

 気が引けることもありましたが、乳母などが「ありがたいことですよ」と勧めたようです。

 

   *

 

 雪や霙が掻き乱れて降る荒れた日、斎宮がいったいどうしているか、ちょっとでも分かればなと思い廻らし、使いの者を出しました。

 

 「今のこの空をどう思いますか。

 

 降り乱れ止まない空に亡き人の

     空を彷徨う宿は悲しい」

 

 空色の曇ったような紙に書きました。若い人の気に入るようにとあれこれ考えた彩りをほどこして、きらきらしてます。

 

 斎宮はどうして良いかさっぱりわからないようでしたけど、周りが言うに、

 

 「代筆はでは先方ががっかりしますよ。」

 

と咎めるので濃い灰色の紙に良い匂いの香を焚き込むことで、筆跡をごまかして、

 

 「消えそうにふるもどんより悲しくて

     自分が自分でないみたいです」

 

 遠慮がちな書き方で大変奥ゆかしく、字がそれほど上手いわけではないけど、品良くて可愛らしい書風に見えます。

 

 伊勢へ下向した頃から目を付けてはいただけに、今なら思いを告げて、あの手この手で口説くこともできるとは思ってみても、まあ冷静に考えれば、

 

 「困ったもんだ。

 

 それこそ亡き御息所が気にして釘刺していたことだ。

 

 理屈はわかるんだけどね。まあ世間の人だってそう思っているはずだし、ここは抑えて、清く正しくということで行こう。

 

 今の御門がもう少し物事が分かる歳になったら、内裏に住み込みで働かせて、寂しさを慰めてあげられれば。」

 

と思いました。

 

 いかにも真面目で親切な便りを送り、必要とあれば実際に尋ねても行きました。

 

 「畏れ多いことだが、亡き御息所の遺志を継いで、淋しくならないようにお世話できれば幸いだと思う。」

 

などと言ってはいるものの、ひどい恥ずかしがり屋で人前に出たがらず、わずかに声をあげるだけでも滅多にない珍しいことで、女房達もどうしていいかわからず、こうした性格を心配しています。

 女別当や内侍などという人たちも、御息所の頃から仕えてきた皇族で、いい人たちばかりです。

 

 「この、秘密裏に進めている内裏デビューを実行したとしても、他の人に劣る所ということはなかろう。

 

 何とかその姿かたちをはっきり見てみたいものだ。」

 

と思ってはみても、それは純粋な親心というわけではなさそうですね。

 

 自分の意志すらはっきり決まってないので、内裏に入れることもまだ人には話してません。

 

 法要などのことも特別扱いでやってますので、その気持ちは有り難く、斎宮の側でも喜んでました。

 

 空しく過ぎて行く月日に、ますます淋しく心細くなってゆくばかりで、お仕えする人達もそれぞれ別行動になって行き、六条邸は下京で、それも東の端にあるので、行き交う人も少なく東山の寺の入相の鐘がなるにつけても、すすり泣きながら過ごしています。

 

 一口に親と言っても、斎宮の母は片時の間も離れることはなく、それが当たり前になっていて、伊勢の斎宮になる時も、親が一緒にくっついて行くなんてのは前例のないことで、無理を言ってでもいつも一緒にと誘っていたその母君が、死出の旅路だけは連れて行ってもらえなかったので、泪の乾く間もなく悲しんでます。

 

 仕えている人の身分は様々です。

 

 それでも源の大臣が、

 

 「乳母であろうと、勝手に何かをすることはしないように。」

 

などと父親ぶったようなことを言えば、「遠慮すべき立場だし、とにかく何事もなく穏便に」と言葉でも心でも思っていて、ほかの男を近づけるようなことはしませんでした。

 

 先帝の院も、かつての斎宮が伊勢に下る時に行われた大極殿の厳かな儀式の際の、危険なくらい美しかったその姿が忘れることができなくて、

 

 「自分の下に参内して、妹の賀茂斎院など、親族の宮たちと一緒に仕えてほしい。」

 

と御息所にも言ってました。

 

 それでも、

 

 「そんな高貴な方々と一緒にお仕えするほどの立派な後見人がいるわけでもないので。」

 

と心苦しく、

 

 「院が重い病気なのも心配ですし、これ以上の悩みを背負いたくはありません。」

 

と言って辞退したのを、今はその御息所すらもなく、仕えることなど無理と思っていたところ、熱心に院は誘いをかけます。

 

 源の大臣はこれを知って、

 

 「院がそんな様子なら、それを裏切って横取りするなんてことは畏れ多い。」

 

と思うものの、斎宮のあの可愛らしい姿を思うと、手放すのもまた悔しいので、入道后の宮に相談します。

 

 「こういうことがあって悩んでるんだが、母の御息所は身分も高く思慮深い方だったけど、俺のちょっとした浮気心で不本意なスキャンダルになってしまい、嫌われたまま亡くなってしまったことが、とにかく心残りなんだ。

 

 生きている間にその禍根を晴らすことができず、死の間際にこの斎宮のことを託されて、その信頼に応えるべく、悔いのないようにということで、さすがに放っては置けないと思ってるんで、隠しておくわけにもいかない。

 

 赤の他人であっても、苦しんでいる人を見過ごすことはできないもので、何とか草葉の陰でも生前の恨みを忘れてくれればと思い、内裏でも、大きくなったとはいえまだ子供の所があって、少しでも分別ある者が付いていてあげた方が良いと思ってるんだが、何とか計らってくれないか。」

 

と言うと、

 

 「それは良い考えで、院が執心していることは畏れ多いだけに困ったことですが、その遺言を利用して、知らん顔して参内させたらいいでしょう。

 

 今ではそのことをそれ程思ってもなく、仏様へのお勤めばかりしてますので、私がそう言ってもそれほど咎めるとは思いませんわ。」

 

 「だったら、入道后の宮から内裏で一人前に扱うように言われたと、軽く勧めてみる程度のことを言ってみることにしよう。

 

 あまりあれこれ言ってうるさくない程度に、院の気分を害さぬ程度にするけど、世間はどう思うかが心配だ。」

 

と言っおきながら、後で何も知らなかったことにして、こっちに呼ぼうなんて思うのでした。

 

 二条院の姫君にも、

 

 「こうしようと思う。一緒にいるのにちょうど良い歳頃だと思う。」

 

と知らせると、喜んで迎え入れの準備を急ぎます。

 

 入道后の宮は、兵部卿宮の姫君がいつしか内裏にと大切に育てて画策しているものの、源の大臣との確執があるのでどうしたらいいものかと心配しています。

 

 権中納言の娘君は弘徽殿の女御になっています。権中納言の父太政大臣の養女という形で、これでもかと気合を入れてお世話をしています。御門も良き遊び相手だと思っています。

 

 「兵部卿宮の姫君も同じくらいの年ですから、これでは雛遊びばかりすることになりますよ。もっと大人の後見人がいるなら嬉しいのですけど。」

 

と言っては、斎宮の入内の動きのあることを奏上します。

 

 源氏の大臣がすべてにおいてぬかりなく、御門の後見はもちろんのこと、日常のことでも細かい配慮する気持ちがあるのを頼もしく思います。

 

 

 入道后の宮は病状も悪く、参内などしても安心して仕えることもできないので、少し大人びて寄り添ってくれる後見人は絶対に必要だと思っていました。