「月に柄を」の巻、解説

初表

   月さしのぼる気色は、昼の暑さもなくなる

   おもしろさに、柄をさしたらばよき団(うちは)と、

   宗鑑法師の句をずむじ出すに、夏の夜の疵

   といふ、なを其跡もやまずつづきぬ

 月に柄をさしたらばよき団哉

   蚊のおるばかり夏の夜の疵   越人

 とつくりを誰が置かへてころぶらん 傘下

   おもひがけなきかぜふきのそら 傘下

 真木柱つかへおさへてよりかかり  越人

   使の者に返事またする     越人

 

初裏

 あれこれと猫の子を選るさまざまに 執筆

   としたくるまであほう也けり  傘下

 どこでやら手の筋見せて物思ひ   傘下

   まみおもたげに泣はらすかほ  越人

 大勢の人に法華をこなされて    越人

   月の夕に釣瓶縄うつ      傘下

 喰ふ柿も又くふかきも皆渋し    傘下

   秋のけしきの畑みる客     越人

 わがままにいつか此世を背くべき  越人

   寝ながら書か文字のゆがむ戸  傘下

 花の賀にこらへかねたる涙落つ   傘下

   着ものの糊のこはき春かぜ   越人

 

 

二表

 うち群て浦の苫屋の塩干見よ    越人

   内へはいりてなをほゆる犬   傘下

 酔ざめの水の飲たき比なれや    傘下

   ただしづかなる雨の降出し   越人

 歌あはせ独鈷鎌首まいらるる    越人

   また献立のみなちがひけり   傘下

 灯台の油こぼして押かくし     傘下

   臼をおこせばきりぎりす飛   越人

 ふく風にゑのころぐさのふらふらと 越人

   半はこはす築やまの秋     傘下

 むつむつと月みる顔の親に似て   傘下

   人の請にはたつこともなし   越人

 

二裏

 にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込    傘下

   干せる畳のころぶ町中     越人

 おろおろと小諸の宿の昼時分    傘下

   皆同音に申念仏        越人

 百万もくるひ所よ花の春      傘下

   田楽きれてさくら淋しき    越人

 

      参考;『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)

初表

発句

 

   月さしのぼる気色は、昼の暑さもなくなる

   おもしろさに、柄をさしたらばよき団(うちは)と、

   宗鑑法師の句をずむじ出すに、夏の夜の疵

   といふ、なを其跡もやまずつづきぬ

 月に柄をさしたらばよき団哉

 

 この句は俳諧の祖と言われる山崎宗鑑の句で、

 

 月かげの重なる山に入りぬれば

     今はたとへし扇をぞおもふ

              藤原基俊(新千載集)

 

 よそへつる扇の風やかよふらん

     涼しくすめる山のはの月

              洞院実雄(宝治百首)

 

など、しばしば夏の月が扇の風の涼しさに喩えられてきたのを受けてのもので、『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の注は、

 

 夏の夜は光涼しく澄む月を

     我が物顔にうちわとぞ見る

              高松院右衛門祐(夫木抄)

 

の歌を引いている。

 山の端の月は山の谷の所に月がかかれば扇の形になるが、団扇ならそのまま中空の丸い形になる。

 その意味では題材として新しいものではなかったが、ただ比喩として喩えるのではなく、「柄をさしたらば」という所に俳諧がある。

 このことは『去来抄』修行教にも、

 

 「去来曰、不易の句は俳諧の体にして、いまだ一の物数寄なき句也。一時の物数寄なきゆへに古今に叶へり。譬ば、

 月に柄をさしたらばよき団哉   宗鑑」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,62)

 

とあり、「月を団扇に見立たるも物ずきならずや」という魯町の問いに「賦比興は俳諧のみに限らず、吟詠の自然也」と答えている。見立ては詩歌連俳の常で、それ自体が物数寄ではないと答えているが、月を団扇に見立てること自体も別に新しいことではなかった。

 「夏の夜の疵」というのは、

 

 夏の月蚊を疵にして五百両    其角

 

の句がある。この句は『五元集拾遺』にある句で、いつの句かはわからない。

 付け句がヒントになって発句が作られることは珍しいことではないので、多分次の越人の脇の方が先であろう。

 貞享四年の「ためつけて」の巻二十一句目に、

 

   釣瓶なければ水にとぎれて

 夕顔の軒にとり付久しさよ    越人

 

の句があるが、これなども、

 

 朝顔につるべとられてもらひ水  千代女

 

に先行する句となっている。

 

季語は「団(うちは)」で夏。「月」は夜分、天象。

 

 

   月に柄をさしたらばよき団哉

 蚊のおるばかり夏の夜の疵    越人

 (月に柄をさしたらばよき団哉蚊のおるばかり夏の夜の疵)

 

 「春宵一刻値千金」を踏まえての「五百両」という発想に至らなかった分、損しているが、越人にはこういう「あと少し」の句が結構ある。

 

季語は「夏の夜」で夏、夜分。「蚊」は虫類。

 

第三

 

   蚊のおるばかり夏の夜の疵

 とつくりを誰が置かへてころぶらん 傘下

 (とつくりを誰が置かへてころぶらん蚊のおるばかり夏の夜の疵)

 

 前句の疵を転んで怪我した疵とする。

 

無季。「誰」は人倫。

 

四句目

 

   とつくりを誰が置かへてころぶらん

 おもひがけなきかぜふきのそら  傘下

 (とつくりを誰が置かへてころぶらんおもひがけなきかぜふきのそら)

 

 転んで仰向けに倒れれば思いがけず空が見える。

 

無季。

 

五句目

 

   おもひがけなきかぜふきのそら

 真木柱つかへおさへてよりかかり 越人

 (真木柱つかへおさへてよりかかりおもひがけなきかぜふきのそら)

 

 「つかへ」は胸の詰まりで、風に吹かれて冷えて心臓発作を起こし、真木柱に寄りかかる。

 

無季。「真木柱」は居所。

 

六句目

 

   真木柱つかへおさへてよりかかり

 使の者に返事またする      越人

 (真木柱つかへおさへてよりかかり使の者に返事またする)

 

 これは『源氏物語』の蓬生巻であろう。大弐の奥方が蓬の生い茂る末摘花の家にやって来た時、門を開けようとすると、左右の戸が倒れて来る。前句を真木柱をつっかえ棒にして寄りかかって、倒れるのを防ぐ様とする。

 ここで末摘花を連れ出そうとするが、末摘花はそれを拒み、長年いっしょだった侍従だけを連れて行くが、その間誰かが門を抑えて待っていたのかもしれない。

 

無季。「使の者」は人倫。

初裏

七句目

 

   使の者に返事またする

 あれこれと猫の子を選るさまざまに 執筆

 (あれこれと猫の子を選るさまざまに使の者に返事またする)

 

 使いの者は猫を引き取りに来たが、どの猫をしようか迷う。

 黄庭堅の「乞猫」という詩に、

 

 秋來鼠輩欺猫死 窺翁翻盆攪夜眠

 聞道狸奴將數子 買魚穿柳聘銜蟬

 

 秋が来て鼠たちが猫が死んでこれ幸いと、

 甕を窺いお盆をひっくり返し夜の眠りを攪乱す。

 聞く所によると狸の奴に子どもが数匹いるというので、

 魚を買い柳の枝に差して銜蟬を召喚す。

 

とある。

 「銜蟬」は伝説の猫で鼠捕りの名人だったという。それを選び出すのに手こずっているのか。

 

無季。「猫の子」は獣類。

 

八句目

 

   あれこれと猫の子を選るさまざまに

 としたくるまであほう也けり   傘下

 (あれこれと猫の子を選るさまざまにとしたくるまであほう也けり)

 

 「としたくる」は年齢を重ねるという意味で、年をとってもアホやねん、ということ。この年になって猫を真剣に選んでいて、何やってるんだというところか。

 

無季。

 

九句目

 

   としたくるまであほう也けり

 どこでやら手の筋見せて物思ひ  傘下

 (どこでやら手の筋見せて物思ひとしたくるまであほう也けり)

 

 手の筋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手の筋」の解説」に、

 

 「① 手の皮膚を通して見える血脈。あおすじ。

  ② てのひらについているすじ。てのひらにあらわれた紋理。手相。てすじ。てのあや。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第九「千貫目親のつたはり穐の月〈西道〉 よい事計手の筋の蔦〈西伝〉」

  ③ ②を見て、運勢吉凶を判断する人。手相見。また転じて、相手の身の上についてうまく言いあてること。

  ※歌舞伎・勧善懲悪覗機関(村井長庵)(1862)序幕「とてもの事に手の筋と言ひたい程に当てられたが」

  ④ 文字の書きざま。また、文字を書く巧拙の性分(しょうぶん)。

  ※蜻蛉(974頃)下「陸奥紙にてひき結びたる文の〈略〉みれば、心つきなき人のてのすぢにいとようにたり」

 

とある。①の意味で、自分の手を見ながら年取ったなと物思いに耽る。相変わらず恋に苦労してアホやな、というところか。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   どこでやら手の筋見せて物思ひ

 まみおもたげに泣はらすかほ   越人

 (どこでやら手の筋見せて物思ひまみおもたげに泣はらすかほ)

 

 泣きはらして目の周りが腫れたから、瞼(まみ)が重たく感じる。前句の「物思ひ」を受けて、その様を付ける。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   まみおもたげに泣はらすかほ

 大勢の人に法華をこなされて   越人

 (大勢の人に法華をこなされてまみおもたげに泣はらすかほ)

 

 「こなす」はいろいろな意味があるが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「熟」の解説」の、

 

 「[二] 上位に立って他を思いのままに扱う。

  ① 思いのままに自由に扱う。与えられた仕事、問題をうまく処理する。

  ※説経節・さんせう太夫(与七郎正本)(1640頃)上「きをば一ぽんきりたるが、こなすほうをしらずして、もとをもっておひきあれば」

  ※人情本・春色辰巳園(1833‐35)初「色の世界のならひとて、〈略〉男をこなす取まはし」

  ② 思うままに処分する。片づける。征服する。

  ※両足院本山谷抄(1500頃)一「艸枯時分に夷をこないてくれうと思ぞ」

  ③ 見くだす。軽蔑する。軽く扱う。

  ※土井本周易抄(1477)一「上なる物は負くるもやすいぞ。下なる者は一度あやまりしたれば、取てかへされぬぞ。こなさるる程にぞ」

  ※人情本・春色梅児誉美(1832‐33)三「元主人の娘のおめへを、あんまりこなした仕打だから」

  ④ いじめる。ひどい目にあわせる。苦しめる。〔観智院本名義抄(1241)〕

  ※虎明本狂言・右近左近(室町末‐近世初)「おのれはなぜにさんざんに身共をこなすぞ」

 

の意味であろう。「けなされて」に近いか。

 どういう状況なのかよくわからないが法難のことか。

 

無季。釈教。「人」は人倫。

 

十二句目

 

   大勢の人に法華をこなされて

 月の夕に釣瓶縄うつ       傘下

 (大勢の人に法華をこなされて月の夕に釣瓶縄うつ)

 

 人が月見で浮かれている時に、井戸の釣瓶の縄を打たされている。これもいじめか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十三句目

 

   月の夕に釣瓶縄うつ

 喰ふ柿も又くふかきも皆渋し   傘下

 (喰ふ柿も又くふかきも皆渋し月の夕に釣瓶縄うつ)

 

 貧乏くじを引く人は、柿もはずれてばかり。ただ、当時は甘柿は少なかったのかもしれない。干柿にして渋を抜いて食う方が多かったのだろう。

 明治の頃に正岡子規は、

 

 柿の実の渋きもありぬ柿の実の

     甘きもありぬ渋きぞうまき

              正岡子規

 

の歌を詠んでいる。

 山科は渋柿の産地で、柿渋を作っていた。渋柿にはそういう利用法もある。

 

季語は「柿」で秋。

 

十四句目

 

   喰ふ柿も又くふかきも皆渋し

 秋のけしきの畑みる客      越人

 (喰ふ柿も又くふかきも皆渋し秋のけしきの畑みる客)

 

 人里離れた所の草庵を尋ねてきた人か。畑をみながら、こんなところで渋柿を食って暮らしているのかと感慨にふける。

 

   源清雅、九月はかりにさまかへて

   山てらに侍りけるを、人のとひて侍りける

   返ことせよと申し侍りけれは、よみてつかはしける

 おもひやれならはぬ山にすみ染の

     袖につゆおく秋のけしきを

              源通清(千載集)

 

の心か。

 

季語は「秋」で秋。「客」は人倫。

 

十五句目

 

   秋のけしきの畑みる客

 わがままにいつか此世を背くべき 越人

 (わがままにいつか此世を背くべき秋のけしきの畑みる客)

 

 いつかは遁世しようと、その予定の場所を内見に行く。

 

無季。釈教。

 

十六句目

 

   わがままにいつか此世を背くべき

 寝ながら書か文字のゆがむ戸   傘下

 (わがままにいつか此世を背くべき寝ながら書か文字のゆがむ戸)

 

 前句の「背く」を文字通り背を向けるとして、うつ伏せに寝そべって戸の下の方に文字を書く様とする。

 壁の下の方の「腰張」は、落書きなどよく物を書き付けたりしたのだろう。元禄二年の山中三吟九句目に、

 

    遊女四五人田舎わたらひ

 落書に恋しき君が名もありて   芭蕉

 

の句の初案は「こしはりに恋しき君が名もありて」だったという。

 腰張だけでは足りず、戸の下の方にも書き付けたか。 

 

無季。「戸」は居所。

 

十七句目

 

   寝ながら書か文字のゆがむ戸

 花の賀にこらへかねたる涙落つ  傘下

 (花の賀にこらへかねたる涙落つ寝ながら書か文字のゆがむ戸)

 

 花の賀というと『伊勢物語』第二十九段に、

 

 「むかし、春宮の女御の御方の花の賀に召しあづけられたりけるに、

 

 花にあかぬ嘆きはいつもせしかども

     今日の今宵に似る時はなし」

 

とある。在原業平との恋を引き裂かれた高子の嘆きとされている。

 泣き伏せてこの歌を書いたということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花の賀にこらへかねたる涙落つ

 着ものの糊のこはき春かぜ    越人

 (花の賀にこらへかねたる涙落つ着ものの糊のこはき春かぜ)

 

 花の賀に出席するために、糊の利きすぎた着心地の悪い着物を着せられる。涙。

 

季語は「春かぜ」で春。「着もの」は衣裳。

二表

十九句目

 

   着ものの糊のこはき春かぜ

 うち群て浦の苫屋の塩干見よ   越人

 (うち群て浦の苫屋の塩干見よ着ものの糊のこはき春かぜ)

 

 浦の苫屋というと、すっかりよれよれになった着物の流人や海女の袖を濡らすのが連想される。いつもパリッと糊を利かせた着物を着ているお偉いさんも、時にはそういう気分になってくれ、ということか。

 

季語は「塩干」で春、水辺。「浦の苫屋」も水辺、居所。

 

二十句目

 

   うち群て浦の苫屋の塩干見よ

 内へはいりてなをほゆる犬    傘下

 (うち群て浦の苫屋の塩干見よ内へはいりてなをほゆる犬)

 

 野犬の群れに吠えたてられて、浦の苫屋に避難するが、そとでずっと吠え続けてなかなか立ち去らない。

 生類憐みの令で、当時野犬の増加が問題になっていたか。

 

無季。「犬」は獣類。

 

二十一句目

 

   内へはいりてなをほゆる犬

 酔ざめの水の飲たき比なれや   傘下

 (酔ざめの水の飲たき比なれや内へはいりてなをほゆる犬)

 

 酔っ払って喉が渇いて、ちょっと水を飲もうと外に出ようとすると犬に吠えられる。

 

無季。

 

二十二句目

 

   酔ざめの水の飲たき比なれや

 ただしづかなる雨の降出し    越人

 (酔ざめの水の飲たき比なれやただしづかなる雨の降出し)

 

 水を飲みに行こうとしたら雨が降り出す。

 

無季。「雨」は降物。

 

二十三句目

 

   ただしづかなる雨の降出し

 歌あはせ独鈷鎌首まいらるる   越人

 (歌あはせ独鈷鎌首まいらるるただしづかなる雨の降出し)

 

 独鈷鎌首はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「独鈷鎌首」の解説」に、

 

 「〘名〙 (六百番歌合のとき、僧顕昭が独鈷を手に持ち、僧寂蓮が首を鎌首のようにもたげて論争したのを、左大将藤原良経家の女房たちが「例の独鈷鎌首」とあだ名したというところから) 議論ずきの歌人をいう。

  ※井蛙抄(1362‐64頃)六「殿中の女房、例の独古かまくびと名付られけりと云々」

 

とある。

 後に蕪村は、

 

 独鈷鎌首水かけ論の蛙かな    蕪村

 

の句を詠んでいる。蛙を歌詠みとする発想は、一見貞門の発句かという感じがする。

 越人の句も、静かな雨夜に歌というと何となく蛙を連想させる。あと一歩で蕪村の発句を先取りできたかも。

 

無季。

 

二十四句目

 

   歌あはせ独鈷鎌首まいらるる

 また献立のみなちがひけり    傘下

 (歌あはせ独鈷鎌首まいらるるまた献立のみなちがひけり)

 

 歌で議論しているのかと思ったら、歌会の席の献立の議論だった。

 今でも目玉焼きは醤油かソースかだとか、唐揚げにレモンを絞るかどうかだとか、酢豚にパイナップルは必要かどうかだとか、料理の事となると熱い議論が交わされる。

 

無季。

 

二十五句目

 

   また献立のみなちがひけり

 灯台の油こぼして押かくし    傘下

 (灯台の油こぼして押かくしまた献立のみなちがひけり)

 

 灯台は背の高い足のついた油を入れて火を灯す皿で、そこに燈芯を置いて火をつける。「灯台下暗し」というのは、この灯台の真下が皿の陰になって暗いという意味で、海の灯台のことではないというのは、トリビアとしてよく話題になる。

 まあ、うっかりこの灯台にぶつかったりすれば、当然油がこぼれる。それを掃除してたりしたら時間を取ってしまって、献立を変更することになった、ということか。

 

無季。「灯台」は夜分。

 

二十六句目

 

   灯台の油こぼして押かくし

 臼をおこせばきりぎりす飛    越人

 (灯台の油こぼして押かくし臼をおこせばきりぎりす飛)

 

 こぼした灯台の油の後始末に臼を動かせば、コオロギが飛び出してくる。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

二十七句目

 

   臼をおこせばきりぎりす飛

 ふく風にゑのころぐさのふらふらと 越人

 (ふく風にゑのころぐさのふらふらと臼をおこせばきりぎりす飛)

 

 エノコログサは猫じゃらしとも言う。猫ではなく、飛び出してきたのはコオロギだった。

 あるいは猫がじゃれついたのでコオロギがびっくりして飛び出したという、「猫」の「抜け」か。

 猫は七句目に既に出ている。

 

季語は「ゑのころぐさ」で秋、植物、草類。

 

二十八句目

 

   ふく風にゑのころぐさのふらふらと

 半はこはす築やまの秋      傘下

 (ふく風にゑのころぐさのふらふらと半はこはす築やまの秋)

 

 庭の改修で築山を半分突き崩すと、そこに生えていたエノコログサが転がってふらふら揺れる。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十九句目

 

   半はこはす築やまの秋

 むつむつと月みる顔の親に似て  傘下

 (むつむつと月みる顔の親に似て半はこはす築やまの秋)

 

 「むつむつ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「むつむつ」の解説」に、

 

 「① =むっつり(一)①

  ※俳諧・更科紀行(1688‐89)「六十許の道心の僧、おもしろげもおかしげもあらず、ただむつむつとしたるが」

  ② =むっちり(一)①

  ※俳諧・類船集(1676)恵「少人のむつむつとこえたるにゑくほのあるはあいらし」

 

とある。①の方の意味になる。

 俳諧の祖の宗鑑の句に、

 

   切りたくもあり切りたくもなし

 さやかなる月をかくせる花の枝

 

というのがあったが、これもそのパターンで、築山が邪魔で月がよく見えないからというので半分壊してみたが、今度は庭が面白くない。

 まあ、それだけのネタに終わらせずに、二代揃ってこういう人だったという落ちを付ける。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「親」は人倫。

 

三十句目

 

   むつむつと月みる顔の親に似て

 人の請にはたつこともなし    越人

 (むつむつと月みる顔の親に似て人の請にはたつこともなし)

 

 請は「うけ」とルビがあり、かなり多義な言葉で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「受・請・承」の解説」に、

 

 「① 相手の動作や働きかけに反応を示すこと。

  (イ) 相手の要求、命令、申し出などを承諾すること。引き受けること。

  ※承応版狭衣物語(1069‐77頃か)一「え否むまじうて、忽ちのうけはせねど〈略〉など契りけるに」

  ※今昔(1120頃か)一六「云はむ事、請(うけ)有て聞け」

  (ロ) 競技、ゲーム、闘技などで、相手の攻撃を防御すること。また、する人。「攻めと受け」「受けにまわる」

  (ハ) 歌舞伎十八番の「暫(しばらく)」で、花道からのせりふを舞台の二重(にじゅう)にいて受けとる公家悪(くげあく)の敵役の通称。

  ※雑俳・柳多留‐二五(1794)「美しいうけで国からしばらくウ」

  (ニ) 能楽、または長唄の囃子(はやし)で、大鼓(おおつづみ)、小鼓、太鼓の打ち方の名称。受頭(うけがしら)、受三地(うけみつじ)、受走(うけばしり)など。

  (ホ) 旅芝居などで、町触れの太鼓が帰ってきたとき、小屋で待ち受けてたたく大太鼓の称。

  (ヘ) 注文をうけること。〔模範新語通語大辞典(1919)〕

  ② 世間の評判。おもわく。受け取られ方。

  (イ) 世間の評判。人望。特に演劇で観客の反響をいうことがある。

  ※浮世草子・当世芝居気質(1777)一「太夫は声にはよらぬ。見物のうけばっかりをあぢいれ」

  (ロ) 相手に与える感じと相手の反応。もてなし。待遇。あしらい。態度。

  ※浄瑠璃・躾方武士鑑(1772)八「浪人じゃと云と、強(きつ)い茶屋の受けが違ふて」

  (ハ) 相手の意向などの理解のしかた。さとりかた。

  ※人情本・春色梅児誉美(1832‐33)初「土瓶をとって『これか』『アレサどふも請(ウケ)のわりい』『ヲットしゃうちだ』ト、そばにある燗徳利をとり」

  ③ 物を受け取ること。他人から、なにかを手に入れること。受け取り。

  ※碓井小三郎氏所蔵文書‐永仁三年(1295)五月三〇日・松王法師供米請取状「請 一切経御供米事。合玖斗者。右、去年八月分、法印信顕所レ請之状如レ件」

  ④ 物を受けたり支えたりするもの。

  (イ) 物を受け入れる設備。「新聞受け」「郵便受け」

  (ロ) 支えるもの。つっぱり。「棚の受け」

  (ハ) 立花(りっか)で、心(しん)、副などの枝に対して、低く横に出て全体の釣り合いをとる枝。うけえだ。

  ※立花秘伝抄(1688)四「往昔花を指初るに法式有、いはゆる心、正心、副、請、見越、流枝、前置、〈略〉是を七ツ枝と名付」

  ⑤ 相対すること。ある方向に面すること。また、面している部分。多く造語要素のように用いられる。

  (イ) 能の演技の型で、正面、または、ある方向に体を向けている者が、他の方向に向きを変えること。左受(ひだりうけ)、隅受(すみうけ)、脇正受(わきしょううけ)、脇座受(わきざうけ)など。

  (ロ) 建造物などで、ある方向に向いている部分。

  ※浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)下「にしうけのたけれんじ、ほうぐしゃうじをほそめにあけて」

  ⑥ 代価を償って、一定の拘束をうけていた人や品物を引き取ること。

  ※歌舞伎・時桔梗出世請状(1808)二幕「殊の外質屋は忙がしうござりまする。〈略〉二朱一本の兜を持って来ましたが、これは受けになりますかえ」

  ⑦ 保証すること。特に、貸借関係や身もとの保証をすること。また、保証する人。保証人。うけにん。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑧ 請け負うこと。

  (イ) 中世、地頭、名主などが領主への年貢納入を請け負うこと。地頭請、守護請、地下請、百姓請などがある。

  (ロ) 江戸時代、新田の開墾をするときに、請け負ってその土地を借り受けること。村が借り受けるときは「何々村受」と称し、個人の場合は「何々受」とした。

  (ハ) =うけあい(請合)(一)②

  ※試みの岸(1969‐72)〈小川国夫〉「日当は元通りでいい、〈略〉一円五十銭でもいいな。請(ウ)けで行くんなら、四十三円と」

 

とある。

 多義の言葉は次の句での取り成しもあるので、一応全部掲げておく。ここでは『芭蕉七部集』の中村注にある通り、⑦の意味であろう。

 まあ、安易に人の保証人なんかになってはいけない。

 請人はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「鎌倉,室町時代の荘園において,地頭,荘官らが一定額の年貢納入を荘園領主に対して請負う場合 (→請所 ) ,請負う側のものを請人といった。また,中世,近世における保証人を請人と称した。中世における請人は,債務者の逃亡,死亡の場合に弁償の義務を負い,債務者の債務不履行の場合にも,請人に弁償させるためには保証文書にその旨を記載する必要があった。近世における請人は,人請,地請,店請,金請などの場合が主であったが,金請の場合中世とは異なり,債務者の債務不履行の場合当然に弁償の義務を負い,債務者の死失 (死亡) の際に請人に弁償させるためには債務証書にその旨を記載する必要があった。しかし,宝永1 (1704) 年以降,死失文言の有無にかかわらず,債務者死失のときも請人が弁償すべきものとされた。」

 

とある。この時代の請人は死失 (死亡) の際のことについての記載がなければ補償義務はなかった。ってことは、いざとなったら殺せばいいということか。

 また、延宝五年の「あら何共なや」の巻九十二句目に、

 

   走り込追手㒵なる波の月

 すは請人か芦の穂の声      信章

 

の句があるように、近代みたいな自力救済の禁止がなかったので、債務者を追っかけて締め上げるくらいのことはできた。

 

無季。「人」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   人の請にはたつこともなし

 にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込   傘下

 (にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込人の請にはたつこともなし)

 

 苴は「あさ」とルビがある。この場合は②の意味で「荷受け」であろう。自分の所の荷物だけをさっさと受け取って運び込む。

 

季語は「瓜」で夏。

 

三十二句目

 

   にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込

 干せる畳のころぶ町中      越人

 (にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込干せる畳のころぶ町中)

 

 荷物を背負った人足が沢山通ると、一人くらいは干した畳にぶつかって倒して行くやつもいる。

 

無季。「畳」は居所。

 

三十三句目

 

   干せる畳のころぶ町中

 おろおろと小諸の宿の昼時分   傘下

 (おろおろと小諸の宿の昼時分干せる畳のころぶ町中)

 

 小諸宿は中山道の軽井沢の先の追分宿から北国街道に入った先にある。長野へと向かう途中になる。

 小諸と畳の縁はよくわからない。

 

無季。旅体。

 

三十四句目

 

   おろおろと小諸の宿の昼時分

 皆同音に申念仏         越人

 (おろおろと小諸の宿の昼時分皆同音に申念仏)

 

 北国街道と言えば善光寺参りの人が多かったのだろう。善光寺には宗派がないので、どの宗派の人も集まってくる。念仏は共通の言葉か。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   皆同音に申念仏

 百万もくるひ所よ花の春     傘下

 (百万もくるひ所よ花の春皆同音に申念仏)

 

 謡曲『百万』は狂乱物で嵯峨の大念仏が舞台になる。

 

 「さん候この嵯峨の大念仏は、人の集まりにて候間、面白き事の数多御座候。中にもここに百万と申す女物狂の候が、われ等念仏を申せばもどかしいとあつて出でられ、おもしろう音頭を取り申され候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.42084-42093). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。

 旧暦三月に行われるもので、謡曲でも、

 

 「雲に流るる大堰河、まことに浮世の嵯峨なれや。盛り過ぎ行く山桜・嵐の風松の尾・小倉の里の夕霞、立ちこそ続け小忌の袖、かざしぞ多き花衣、貴賤群集する・この寺の法ぞ尊き。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.42276-42282). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と季節の描写が入っている。「盛り過ぎ行く山桜」で花の春となる。

 

季語は「花の春」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   百万もくるひ所よ花の春

 田楽きれてさくら淋しき     越人

 (百万もくるひ所よ花の春田楽きれてさくら淋しき

 

 嵯峨大念仏のような大きな法会には、味噌田楽を売る店なども並ぶものなのだろう。それも人があまりに多くてどこも売り切れだと、花見もやや寂しい。

 

季語は「さくら」で春、植物、木類。