「生船や」の巻、解説

初表

   三吟歌仙俳諧

 生船や桜雪散ル魚氷室      藤匂子

   金涌の郡豊浦の春      千春

 新芝居宣してうつしけん     其角

   検-非-使の族喧-嘩預ル    藤匂子

 何者か軽口申たる月に      千春

   芋ぬす人の夕くれしを    其角

 

初裏

 鑓疵の茄子に残る暴風哉     藤匂子

   日怒雨からすらむ      千春

 夏犬の身をもゆるげに舌垂レて  其角

   此娘うかうかとやつるる   藤匂子

 夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり 千春

   東路や。知恵習にやる    其角

 武蔵野も悋やならん汚草     藤匂子

   命ひとつを千々の白露    千春

 お手かけと扈従と秋の月いづれ  其角

   恋すがら酒宴躍終日     藤匂子

 散儘スあらし。花清の根太落て  千春

   青陽の工国を鋸ギル     其角

 

 

二表

 富士山を買てとられし片霞    藤匂子

   江海西に数寄殿ヲ設ク    千春

 上代の傾城玉を真砂にて     其角

   親仁のいへらく恋忘レ松   藤匂子

 朝起を塒の鳥のうき程に     千春

   曇ル日の嵐鰹見て参レ    其角

 隙役者つれづれ独り閑と     藤匂子

   旧友やつこ零落ス半バ    千春

 滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり 其角

   袈裟に切さく賤の捨網    藤匂子

 尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク    千春

   舞ハ芭蕉まひ薄舞      其角

 

二裏

 山路分ク菊に羽織を打着セて   藤匂子

   首とつて偖霜を悲しむ    其角

 当御台心から身を凩や      千春

   地獄現在鐘し覚ずは     藤匂子

 花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ     其角

   歯朶矢にすくむ羽子板の楯  千春

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

   三吟歌仙俳諧

 生船や桜雪散ル魚氷室      藤匂子

 

 生船は「いけふね」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生船・生槽」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「いけ」は生かす意の「いける」から。「いけぶね」とも)

  ① 魚類を生かしたままでたくわえておく水槽。また、その設備をもった生魚運搬船をいう。いけすぶね。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「魚嶋時に限らず、生船(イケフネ)の鯛を何国(いづく)迄も無事に着(つけ)やう有」

  ② 金魚、緋鯉(ひごい)などを飼養する水槽。

  ※浮世草子・西鶴置土産(1693)二「金魚、銀魚を売ものあり。庭には生舟(イケフネ)七八十もならべて、溜水清く」

  ③ 豆腐を入れておく水槽。

  ※歌舞伎・船打込橋間白浪(鋳掛松)(1866)三幕「こりゃあ豆腐屋のいけ槽(ブネ)に干してあったのを持って来たのだ」

 

とある。水槽を摘んだ船のことだが、氷で冷蔵して運ぶ生船も存在してたのか。当時としてはかなり贅沢なものだっただろう。

 魚を冷やす氷が雪のようで、それを桜に喩えて春の発句とする。

 藤匂子は『元禄の鬼才 宝井其角』(田中善信著、二〇〇〇、新典社)に、

 

 「彼の名は『武蔵曲』ではすべて藤匂子(とういんし)と記されているが、『みなしぐり』では藤匂とも記されているから、「子」は敬称であろう。俳書においては身分の高い武士に「子」という敬称を付けるのが一般的であり、彼も高禄の武士であったとみて間違いなかろう。其角は大名と旗本(その世子を含む)の場合、「公」という敬称を用いているから、「子」の敬称で呼ばれている藤匂は、どこかの藩の高禄の藩士であった可能性が高い。残念ながら彼の素性はまったく分からないが、彼はこの時期其角のパトロンのような存在であったと考えて間違いないと思う。」

 

とある。

 桜を雪に喩えたり、雪を桜に喩えたりするのは、『古今集』の頃から見られるもので、

 

 霞たちこのめもはるの雪ふれば

     花なきさとも花ぞちりける

              紀貫之(古今集)

 三吉野の山べにさけるさくら花

     雪かとのみぞあやまたれける

              紀友則(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「桜」で春、植物、木類。「生船」は水辺。「雪」は降物。

 

 

   生船や桜雪散ル魚氷室

 金涌の郡豊浦の春        千春

 (生船や桜雪散ル魚氷室金涌の郡豊浦の春)

 

 「金涌」は「かねわき」で「金は湧き物」の略か。「鴨がネギ背負って」を「かもねぎ」というように。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金は湧き物」の解説」に、

 

 「金銭は思いがけなく手にはいることもあるから、くよくよすることもない。金銀は湧き物。宝は湧き物。

  ※俳諧・飛梅千句(1679)賦何三字中畧俳諧「異見なくとも養子はかやしゃれ〈西長〉 それほどのかねはわき物山は水〈西鶴〉」

 

とある。

 豊浦は豊浦藩のことか。あるいは単に豊かな浦ということで作った地名か。豊浦藩の方は、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「豊浦藩」の解説」に、

 

 「長州藩(萩(はぎ)藩)支藩の一つ。長府(ちょうふ)藩、府中藩ともいう。長門(ながと)国(山口県)西端、豊浦郡の大部分を藩域とする。居館は長府(下関(しものせき)市長府)に置かれた。1600年(慶長5)毛利輝元(もうりてるもと)は防長移封にあたり、従兄弟(いとこ)で養子とした毛利秀元(ひでもと)に、豊浦郡3万6200石の地を分与したのがその起源である。‥‥略‥‥豊浦藩の石高は幕府朱印状によらないので公称高はないが、1610年(慶長15)検地で5万8000余石、1625年(寛永2)検地で8万3000余石、1854年(安政1)ごろの幕末期には12万7000余石に達した。」

 

とある。日本海側にある。

 同じ山口県に仲哀天皇の豊浦宮が下関にあった。いずれにせよ、ここでは長州の豊浦を指すのかどうかはよくわからない。単に、氷温冷蔵の舟で魚を運んで豊かになった浦がある、という意味に取っておいた方がいいかもしれない。

 「郡」は「こほり」と読むなら前句の「氷室」に係り、金の湧いてくる氷という二重の意味になる。

 花の雪に浦は、

 

 雪と散る比良の高嶺の桜花

     なほ吹きかへせ志賀の浦風

              藤原定家(拾遺愚草)

 

の歌がある。

 

季語は「春」で春。「豊浦」は水辺。

 

第三

 

   金涌の郡豊浦の春

 新芝居宣してうつしけん     其角

 (新芝居宣してうつしけん金涌の郡豊浦の春)

 

 「彼の名は『武蔵曲』ではすべて藤匂子(とういんし)と記されているが、『みなしぐり』では藤匂とも記されているから、「子」は敬称であろう。俳書においては身分の高い武士に「子」という敬称を付けるのが一般的であり、彼も高禄の武士であったとみて間違いなかろう。其角は大名と旗本(その世子を含む)の場合、「公」という敬称を用いているから、「子」の敬称で呼ばれている藤匂は、どこかの藩の高禄の藩士であった可能性が高い。残念ながら彼の素性はまったく分からないが、彼はこの時期其角のパトロンのような存在であったと考えて間違いないと思う。」

 

とある。

 

 「新芝居」は「はつしばゐ」で正月の芝居。

 「宣して」は「みことのりして」とルビがある。天皇による法令ほどの拘束力を持たない発言を意味するが、ここでは神の言葉をうかがう占いのことかもしれない。

 「うつす」は移すで、芝居小屋が移動してゆくことか。その土地土地で興行を行うときは、そこの神様にお祈りしたのであろう。

 芝居もまた、当たれば巨万の富を手にできる「金涌」だ。

 

季語は「新芝居」で春。

 

四句目

 

   新芝居宣してうつしけん

 検-非-使の族喧-嘩預ル      藤匂子

 (新芝居宣してうつしけん検-非-使の族喧-嘩預ル)

 

 検非使(けんびし)が喧嘩を仲裁する。族は「ぞく」とも「やから」とも取れる。一族、血縁のことで、検非違使の一族が喧嘩を預かる。

 

無季。「検-非-使」は人倫。

 

五句目

 

   検-非-使の族喧-嘩預ル

 何者か軽口申たる月に      千春

 (何者か軽口申たる月に検-非-使の族喧-嘩預ル)

 

 軽口はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「軽口」の解説」に、

 

 「① (形動) 口が軽く、軽率に何でもしゃべってしまうこと。また、そのさま。おしゃべり。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Carucuchina(カルクチナ) ヒト」

  ② (形動) 語調が軽快で、滑稽めいて面白みのあること。また、そうしたことばや話。

  ※評判記・吉原讚嘲記時之大鞁(1667か)ときのたいこ「竹こまのかる口たたけど」

  ③ 秀句、地口、口合(くちあい)の類。軽妙なしゃれ。軽口咄(かるくちばなし)。

  ※咄本・百物語(1659)上「入口のがくにあげし語、おどけたるかる口なりければ、書とめかへりし」

  ④ 役者の声色や身振りをまね、滑稽な話をして人々を笑わせること。また、それを業とする大道芸人。豆蔵。かるくちものまね。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕

  ⑤ 淡泊な味。口あたりのよい味。

  ※咄本・口拍子(1773)かの子餠「買て味わふて見た処が、しごく軽口(カルクチ)さ」

 

とある。談林俳諧もまた軽口俳諧と言われた。

 月見の宴で軽口を叩いて喧嘩が起きた、とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「何者」は人倫。

 

六句目

 

   何者か軽口申たる月に

 芋ぬす人の夕くれしを      其角

 (何者か軽口申たる月に芋ぬす人の夕くれしを)

 

 字数からすると「夕(ゆふべ)くれしを」であろう。

 中秋の名月は芋名月とも呼ばれ、月に芋は付け合いになる。

 誰かが軽口に、この芋を持ってっていいよ、と言ったのだろう。くれたのだと思ったら盗人にされた。「もってけ泥棒」なんて言葉もあるが。

 

季語は「芋」で秋。「ぬす人」は人倫。

初裏

七句目

 

   芋ぬす人の夕くれしを

 鑓疵の茄子に残る暴風哉     藤匂子

 (鑓疵の茄子に残る暴風哉芋ぬす人の夕くれしを)

 

 暴風は「のわき」とルビがある。台風の風で茄子が枝か棹にぶつかり鑓疵のようになる。

 野分は今では台風と同義にされているが、

 

 野わきする野辺のけしきをみる時は

     心なき人あらしとぞおもふ

              藤原季通(千載集)

 

の歌を見ると、文字通り野辺の草のなぎ倒されていく景色を言い表していたのかもしれない。野分は草を詠んだものが多い。

 野分の夕暮れは、

 

 夕まぐれ風の野分と吹きたてば

     四方の千草ぞしづこころなき

              二条為実(玉葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「暴風」で秋。

 

八句目

 

   鑓疵の茄子に残る暴風哉

 日怒雨からすらむ        千春

 (鑓疵の茄子に残る暴風哉日怒雨からすらむ)

 

 「日怒」は「かがやくいかり」とルビがある。「赫」という字がよくあてはまる。

 暴風で茄子に傷がついた後は、今度は日照りで、まったく太陽というのは輝かしいがその怒りは恐ろしい。

 日本人にとって、神というのはまさにそのようなもので、自然のどうすることもできない人知を超えた力を言う。その恵みで生きていられるが、様々な災害をも起す。

 

無季。「雨」は降物。

 

九句目

 

   日怒雨からすらむ

 夏犬の身をもゆるげに舌垂レて  其角

 (夏犬の身をもゆるげに舌垂レて日怒雨からすらむ)

 

 犬は暑いとハアハア息をして体温を調整するが、その時に舌を出したりする。前句の日照りに犬も苦しそうだ。

 

季語は「夏犬」で夏、獣類。

 

十句目

 

   夏犬の身をもゆるげに舌垂レて

 此娘うかうかとやつるる     藤匂子

 (夏犬の身をもゆるげに舌垂レて此娘うかうかとやつるる)

 

 「うかうか」は「うかと」から来た言葉で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「うかと」の解説に、

 

 「〘副〙 しっかりした考えがないさま。気づかないさま。不注意に。うかうか。うっかりと。ぼんやりと。

  ※応永本論語抄(1420)微子「子路辞なうしてうかと立て居たり」

  ※古活字本荘子抄(1620頃)六「精神がうかとして物を忘るる方あり」

 

とある。

 犬の暑さに衰えている様に、恋にやつれた女の姿を重ねる。

 

無季。恋。「娘」は人倫。

 

十一句目

 

   此娘うかうかとやつるる

 夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり 千春

 (夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり此娘うかうかとやつるる)

 

 「関もる」は比喩で、古歌に出て来る須磨の関守みたいに、伯父があの人が来ないように見張っている。

 

無季。恋。「夜ル」は夜分。「伯父」は人倫。

 

十二句目

 

   夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり

 東路や。知恵習にやる      其角

 (夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり東路や。知恵習にやる)

 

 習は「ならはし」とルビがある。注釈のような文体で、前句の関は東路の関で、伯父への恨みは知恵(迷いを断つ力)でもって慣れるべきと解説する。

 関に東路は、

 

 東路にゆきかふ人にあらぬ身は

     いつかはこえむ相坂の関

              小野好古朝臣女(後撰集)

 

などの歌がある。

 

無季。

 

十三句目

 

   東路や。知恵習にやる

 武蔵野も悋やならん汚草     藤匂子

 (武蔵野も悋やならん汚草東路や。知恵習にやる)

 

 悋には「しはく」とルビがある。「しわいこと」のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「吝嗇」の解説」に、

 

 「〘名〙 (形動) 物惜しみをすること。しわいこと。また、そのさま。けち。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※仮名草子・智恵鑑(1660)一「吝嗇(リンショク)といへるはつかふべき事にも財をおしみ、たくはへつまん事のみを願ひて、しはき事なり」 〔魏志‐曹洪伝〕」

 

とある。

 武蔵野の道は衣が草に汚れるのが普通なので、衣装代をケチってはいけない。これも知恵だ。

 東路に武蔵野は、

 

 東路にありとききこし武蔵野を

     けふしも霧のたちかくすらむ

              大中臣能(能宣集)

 

などの歌がある。

 

無季。「武蔵野」は名所。

 

十四句目

 

   武蔵野も悋やならん汚草

 命ひとつを千々の白露      千春

 (武蔵野も悋やならん汚草命ひとつを千々の白露)

 

 軍に向かう武将であろう。この命一つも惜しみやしない。「いざ鎌倉」の心か。

 武蔵野の露は、

 

 玉に貫く露はこぼれて武蔵野の

     草の葉むすぶ秋の初風

              西行法師(新勅撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「白露」で秋、降物。

 

十五句目

 

   命ひとつを千々の白露

 お手かけと扈従と秋の月いづれ  其角

 (お手かけと扈従と秋の月いづれ命ひとつを千々の白露)

 

 扈従(胡椒)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「扈従」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「扈」はつきそう意、「しょう」は「従」の漢音) 貴人につき従うこと。また、その人。こじゅう。こそう。

  ※経国集(827)一〇「五言。扈二従聖徳宮寺一一首」 〔司馬相如‐上林賦〕」

 

とある。「お手かけ」は妾(めかけ)のこと。

 前句を哀傷(無常)の句として、妾と従者が「秋の月はどこへ行ってしまったか」と悲嘆にくれる。正妻でないところが俳諧になる。

 秋の月に露は、

 

 秋の月篠にやどかるかげたけて

     小笹が原に露ふけにけり

              源家長(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋の月」で秋、夜分、天象。恋。「お手かけと扈従」は人倫。

 

十六句目

 

   お手かけと扈従と秋の月いづれ

 恋すがら酒宴躍終日       藤匂子

 (お手かけと扈従と秋の月いづれ恋すがら酒宴躍終日)

 

 「終日」には「ひねもす」とルビがある。下七は「おどるひねもす」か。

 前句を妾と従者の不倫の宴とする。妾はこの時代は合法だが、それが従者とできていた。

 「恋すがら」は「夜もすがら」に準じた造語であろう。夜もすがら恋に踊る酒宴。もちろん「躍」はそのままの意味ではあるまい。

 秋の月に夜もすがらは、

 

 よもすがら見てをあかさむ秋の月

     こよひの空に雲なからなん

              平兼盛(拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「躍」で秋。恋。

 

十七句目

 

   恋すがら酒宴躍終日

 散儘スあらし。花清の根太落て  千春

 (散儘スあらし。花清の根太落て恋すがら酒宴躍終日)

 

 根太は字数からして「ねぶと」ではなく「ねだ」であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「根太」の解説」に、

 

 「① 床板(ゆかいた)を支える横木。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ② ①の上に張る板。根太板。

  ※浄瑠璃・博多小女郎波枕(1718)中「貸家といふは名ばかり、破れ家を手前普請、ねだも追付張る筈で、板も買置く」

  ③ 根底。基本。基礎。

  ※浄瑠璃・安倍宗任松浦簦(1737)三「密に呼んで談合柱工のねだを外さして、頼義公へ注進し景正殿に吹込んで、入込して首討した」

 

とある。

 「花清」は花の「精」のことか。花の精は謡曲『西行桜』で白髪の老人の姿で登場する。

 前句を酒宴で盛り上がって、夜通し花の精の舞いを舞っていたら床が抜けたということにする。最後は、

 

 「夢は 覚めにけり。嵐も雪も散りしくや、花を踏んでは・同じく惜しむ少年の、春の夜は 明けにけりや翁さびて跡もなし翁さびて跡もなし。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.35997-35999). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と、跡形もなく花は散り尽くす。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   散儘スあらし。花清の根太落て

 青陽の工国を鋸ギル       其角

 (散儘スあらし。花清の根太落て青陽の工国を鋸ギル)

 

 青陽は「みどり」とルビがある。「工」は「たくみ」、「鋸ギル」は「のこぎり」の動詞化。

 青陽は春の日差しのことで、謝尚の『大道曲』に「青陽二三月」とある。春の季語になる。

 前句の「散尽くす」に、桜が散る頃木の芽が一斉に芽吹いて緑に変わってゆく様を付けて、「根太落ちて」に「鋸ぎる」が付く。

 

季語は「青陽」で春。

二表

十九句目

 

   青陽の工国を鋸ギル

 富士山を買てとられし片霞    藤匂子

 (富士山を買てとられし片霞青陽の工国を鋸ギル)

 

 前句の「国を鋸ギル」から、富士山が買われて鋸で切られて持ち去られた、とする。縦に切ったのか、富士山の半分は霞になっている。

 富士の霞は、

 

 天の原富士の煙の春の色の

     霞になびくあけぼのの空

              慈円(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「片霞」で春、聳物。「富士山」は名所、山類。

 

二十句目

 

   富士山を買てとられし片霞

 江海西に数寄殿ヲ設ク      千春

 (富士山を買てとられし片霞江海西に数寄殿ヲ設ク)

 

 「江海」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「江海」の解説」に、

 

 「① 川と海。入江と海。

  ※懐風藻(751)初秋於長王宅宴新羅客〈調古麻呂〉「江海波潮静。披レ霧豈難レ期」

  ※太平記(14C後)二二「生涯山野江海(カウカイ)猟漁を業として」 〔書経‐禹貢〕

  ② 俗世間から離れた場所。

  ※狂雲集(15C後)大灯国師三転語、朝結眉夕交肩、我何似生云々「野老難蔵簑笠誉、誰人江海一風流」 〔荘子‐刻意〕

  ③ 量が莫大なことをたとえていう語。

  ※読本・雨月物語(1776)貧福論「泰山もやがて喫(く)ひつくすべし。江海(ゴウカイ)もつひに飲みほすべし」 〔説苑‐善説〕」

 

とある。

 富士山を買い取るというのを、数寄者が富士山の見える江湖の景色のいい所を買い取るとする。

 

無季。「江海」は水辺。

 

二十一句目

 

   江海西に数寄殿ヲ設ク

 上代の傾城玉を真砂にて     其角

 (上代の傾城玉を真砂にて江海西に数寄殿ヲ設ク)

 

 元祖傾城(文字通り国を傾けた)の楊貴妃であろう。驪山の華清宮なら、庭に敷く真砂に水晶を使っていたとしてもおかしくない。

 

無季。恋。

 

二十二句目

 

   上代の傾城玉を真砂にて

 親仁のいへらく恋忘レ松     藤匂子

 (上代の傾城玉を真砂にて親仁のいへらく恋忘レ松)

 

 「いへらく」は「言うには」という意味。前句をオヤジの上代の薀蓄とする。玉の真砂の庭には恋忘れ松があるという。出典があるのかないのかはよくわからない。

 

無季。恋。「親仁」は人倫。「松」は植物、木類。

 

二十三句目

 

   親仁のいへらく恋忘レ松

 朝起を塒の鳥のうき程に     千春

 (朝起を塒の鳥のうき程に親仁のいへらく恋忘レ松)

 

 外との接触を許されない女は籠の鳥に喩えられるが、ここでは塒の鳥。恋を忘れよとオヤジが言う。

 

無季。恋。「鳥」は鳥類。

 

二十四句目

 

   朝起を塒の鳥のうき程に

 曇ル日の嵐鰹見て参レ      其角

 (朝起を塒の鳥のうき程に曇ル日の嵐鰹見て参レ)

 

 嵐の吹く曇った日にの朝は物憂く、こんな日に漁港で上がる鰹の買い付けに行かされる。

 

無季。

 

二十五句目

 

   曇ル日の嵐鰹見て参レ

 隙役者つれづれ独り閑と     藤匂子

 (隙役者つれづれ独り閑と曇ル日の嵐鰹見て参レ)

 

 「隙」は「ひま」、「閑」は「つれづれ」とルビがある。

 売れない役者というのはいつの時代にもいたのだろう。今は大抵居酒屋などでバイトしているが、当時は魚屋のバイトをしていたか。魚屋が肴屋を兼ねていたとしたら、今とあまり変わらない。

 

無季。「役者」は人倫。

 

二十六句目

 

   隙役者つれづれ独り閑と

 旧友やつこ零落ス半バ      千春

 (隙役者つれづれ独り閑と旧友やつこ零落ス半バ)

 

 「やつこ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奴」の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙 (「やつこ」の変化したもの。近世以後用いられた)

  ① 人に使役される身分の賤しい者。奴僕。下僕。家来。また、比喩的に、物事のとりことなってそれにふりまわされる人をいう。

  ※浄瑠璃・国性爺合戦(1715)一「御辺はいつのまに畜生の奴(ヤッコ)とはなったるぞ」

  ② 人をののしったり軽くみたりしていう語。自分を卑下しても用いる。

  ※洒落本・南客先生文集(1779‐80)「『あっちの客ア誰だ』『エエもうすかねへやっこさ』」

  ③ 江戸時代、武家の奴僕。日常の雑用のほか、行列の供先に立って、槍や挟箱などを持って振り歩く。髪を撥鬢(ばちびん)に結び、鎌髭(かまひげ)をはやし、冬でも袷(あわせ)一枚という独特な風俗をし、奴詞(やっこことば)ということばを用い、義侠的な言行を誇った。中間(ちゅうげん)。

  ※咄本・百物語(1659)下「山もとのやっこ、山椒を買けるに」

  ④ 江戸時代の侠客、男だて。旗本奴、町奴と呼ばれ、武士や町人が、徒党を組み、派手な風俗をして侠気を売り物にした。

  ※咄本・百物語(1659)下「あづまのやっこを見侍しが、をとに聞しに十ばいせり」

 ‥‥以下略‥‥」

 

とある。

 歌舞伎役者には④の意味のやっこ崩れが多かったのだろう。いっしょにかぶいてブイブイ言わせていたマブダチも、今は売れない役者に身を落としている。歌舞伎役者は非人の身分だった。

 今のヤンキーも昔の「やっこ」の系譜を背負っているのかもしれない。

 

無季。「やるこ」は人倫。

 

二十七句目

 

   旧友やつこ零落ス半バ

 滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり 其角

 (滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり旧友やつこ零落ス半バ)

 

 否は「いや」、「禁酒窟」は「のまぬいはや」とルビがある。

 やっこは大体大酒飲んで暴れていたのだろう。岩屋は僧が修行するのに用いるものだが、そこに押し込められているということか。

 

 草の庵何露けしとおもひけむ

     もらぬいはやも袖はぬれけり

              行尊(金葉集)

 

の換骨奪胎か。酒の滴の漏らぬ岩屋にも袖は濡れる。

 

無季。「窟」は居所。「袖」は衣裳。

 

二十八句目

 

   滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり

 袈裟に切さく賤の捨網      藤匂子

 (滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり袈裟に切さく賤の捨網)

 

 前句を禁欲的な修行僧とする。海士の捨てた網を切り裂いて袈裟の代わりとする。

 

無季。釈教。「袈裟」は衣裳。「網」は水辺。

 

二十九句目

 

   袈裟に切さく賤の捨網

 尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク    千春

 (尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク袈裟に切さく賤の捨網)

 

 水馴竿(みなれざを)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水馴棹」の解説」に、

 

 「〘名〙 水になれた棹。水になじんで使いなれた棹。

  ※拾遺(1005‐07頃か)恋一・六三九「大井川くだす筏のみなれさほ見なれぬ人も恋しかりけり〈よみ人しらず〉」

 

とある。拾遺集の和歌に出典があるので雅語になる。

 前句の「賤の捨網」の海士の縁で「水馴竿」を出す。

 風狂の乞食僧として、月夜に水馴竿と命名した尺八を吹く。あるいは虚無僧か。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「水馴竿」は水辺。

 

三十句目

 

   尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク

 舞ハ芭蕉まひ薄舞        其角

 (尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク舞ハ芭蕉まひ薄舞)

 

 芭蕉は謡曲『芭蕉』の芭蕉の精(女)の舞いか。

 

 「月も妙なる庭の面」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.24084-24085). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

でその精が登場し、

 

 「返す袂も芭蕉の扇の風茫茫と物凄き古寺の、庭の浅茅生女郎花刈萓、面影うつろふ露の間に、山颪松の風、吹き払ひ吹き払ひ、花も千草もちりぢりに、花も千草もちりぢりになれば、芭蕉は破れて残りけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.24178-24186). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と去って行く。「浅茅生女郎花刈萓」とあればススキがあってもおかしくない。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。「芭蕉」も植物、木類。

二裏

三十一句目

 

   舞ハ芭蕉まひ薄舞

 山路分ク菊に羽織を打着セて   藤匂子

 (山路分ク菊に羽織を打着セて舞ハ芭蕉まひ薄舞)

 

 芭蕉の精だと思ったのは山路の菊に羽織を着せて作った偽物だった。ただ、この頃はまだ「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の句はなかった。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。「山路」は山類。「羽織」は衣裳。

 

三十二句目

 

   山路分ク菊に羽織を打着セて

 首とつて偖霜を悲しむ      其角

 (山路分ク菊に羽織を打着セて首とつて偖霜を悲しむ)

 

 「偖」は「さて」と読む。

 合戦の野で敵将の首を取ったが、残った遺体には羽織を着せて菊の花を添えて弔う。

 菊に霜は、

 

 心あてに折らばや折らむ初霜の

     おきまどはせる白菊の花

              凡河内躬恒(古今集)

 

の歌が百人一首でもよく知られている。

 他にも、

 

 けさ見ればさながら霜をいただきて

     おきなさびゆく白菊の花

              藤原基俊(千載集)

 

などの歌もある。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

三十三句目

 

   首とつて偖霜を悲しむ

 当御台心から身を凩や      千春

 (当御台心から身を凩や首とつて偖霜を悲しむ)

 

 当御台は「当(まさ)に御台」か。前句の「偖」に応じる。御台はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御台」の解説」に、

 

 「① 天皇や貴人を敬って、その食物をのせる台をいう語。食卓。

  ※宇津保(970‐999頃)藤原の君「宮御だいたてて物まゐる」

  ② 天皇や貴人の食物をいう。おもの。

  ※落窪(10C後)一「御だい、あはせいと清げにて、粥まゐりたり」

  ③ 「みだいどころ(御台所)」の略。

  ※あさぢが露(13C後)「二所なから御だいそそのかしなどし給へば」

 

とある。この場合は③の御台所か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御台所」の解説」に、

 

 「〘名〙 「みだいばんどころ(御台盤所)」の略。

  ※吾妻鏡‐治承四年(1180)八月二八日「以二土肥彌太郎遠平一為二御使一、被レ進二御台所御方一」

  [語誌]

  (1)挙例の「吾妻鏡」に見える「御台所」は、征夷大将軍源頼朝の妻、北条政子をさす。頼朝亡きあとは「尼御台所」と称された。同じ将軍の実朝、頼経、頼嗣の妻も「御台所」と呼ばれた。

  (2)中世以降には国司の妻をいう例もあり、近世では、将軍の妻をさす一方で、奥州五十四郡の主、義綱公に身請けされる高尾をさしたり(「浄・伽羅先代萩‐一」)、屋敷の奥様といった単なる敬称にも使われ、敬意が次第に低くなる。

  (3)この語の省略形「御台(御内)(みだい)」は節用集類に多く見え、「太平記‐九」では治部大輔足利高氏の妻をさしており、近代では二葉亭四迷「浮雲‐二」に妻を「尼御台(あまみだい)」という例が見られる。

 

 前句の首を源平合戦や曽我兄弟の仇討で打ち取られた首とすれば、(1)の北条政子ということになる。特に誰というのでもなく、戦乱の時代の将軍の妻ならありそうなことで、この頃の俳諧は「太平記」ネタも多い。

 霜に木枯らしは、

 

 霜の下の落葉をかへす木枯に

     ふたたび秋の色をみるかな

              平貞房(玉葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「凩」で冬。「身」は人倫。

 

三十四句目

 

   当御台心から身を凩や

 地獄現在鐘し覚ずは       藤匂子

 (当御台心から身を凩や地獄現在鐘し覚ずは)

 

 地獄現在はこの世の地獄のこと。将軍の妻もこの世の地獄の中にいて、鐘の音にもそれを悟ることがない。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   地獄現在鐘し覚ずは

 花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ     其角

 (花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ地獄現在鐘し覚ずは)

 

 合戦のさなかの花見であろう。矛を振って舞い、兜を盃にして謡ふ。地獄のさなかだというのにそれを忘れているようだ。合戦の中で合戦を忘れた、というところか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ

 歯朶矢にすくむ羽子板の楯    千春

 (花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ歯朶矢にすくむ羽子板の楯)

 

 歯朶矢は歯朶を付けた正月の初狩に用いる矢のことか。『冬の日』の「つつみかねて」の巻第三に、

 

   こほりふみ行水のいなづま

 歯朶の葉を初狩人の矢に負て   野水

 

の句がある。

 前句の花鉾を、花のように飾り立てた儀式用の鉾として正月に転じ、歯朶の矢に羽子板の楯とし、打越の地獄を去って、正月の目出度さに転じて一巻は終わる。

 

季語は「歯朶矢」「羽子板」で春。