「たび寐よし」の巻、解説

貞享四年十二月九日一井亭にて

初表

   十二月九日一井亭興行

 たび寐よし宿は師走の夕月夜    芭蕉

   庭さへせばくつもるうす雪   一井

 どやどやと筧をあぶる藁焼て    越人

   紙漉を見に御幸あるころ    昌碧

 琴持の筵の上をつたひ行      荷兮

   障子明ればきゆる燈火     楚竹

 

初裏

 起もせできき知る匂ひおそろしき  東睡

   乱れし鬢の汗ぬぐひ居る    芭蕉

 なげられて又とりつけるをかしさよ 一井

   乳を飲子の我に似るらし    越人

 麻布を煤びる程に織兼て      昌碧

   藺を取こめばねこだ世話しき  荷兮

 夕立の先に聞ゆる雷の声      楚竹

   馬もありかぬ山際の霧     東睡

 小男鹿のそれ矢を袖にいつけさせ  芭蕉

   飛あがるほどあはれなる月   越人

 凩にかぢけて花のふたつ三ツ    荷兮

   畠につづく野は遙なり     昌碧

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   十二月九日一井亭興行

 たび寐よし宿は師走の夕月夜    芭蕉

 

 興行は夕方から始まったのであろう。九日の月はほぼ半月。一井についてはよくわからないが名古屋の人のようだ。「たび寐よし」と一井の家に今日は泊めてもらうということで、当座の興に即した挨拶句になっている。

 

季語は「師走」で冬。旅体。「夕月夜」は天象。

 

 

   たび寐よし宿は師走の夕月夜

 庭さへせばくつもるうす雪     一井

 (たび寐よし宿は師走の夕月夜庭さへせばくつもるうす雪)

 

 一井の句も当座の興で、狭い庭に薄雪が積もっていると応じる。狭いところですがとへりくだった挨拶になる。「せまく→せばく」とmとbが交替している。

 

季語は「うす雪」で冬、降物。

 

三句目

 

   庭さへせばくつもるうす雪

 どやどやと筧をあぶる藁焼て    越人

 (どやどやと筧をあぶる藁焼て庭さへせばくつもるうす雪)

 

 「どやどや」は普通は人が大勢押し寄せることを言うが、weblio辞書の「隠語大辞典」には、

 

 「火災。〔第一類 天文事変〕

  火災。火事場の騒ぎの形容より。」

 

とある。「隠語大辞典」は、「隠語大辞典は、明治以降の隠語解説文献や辞典、関係記事などをオリジナルのまま収録している」とあるので、江戸時代のものではない。火事で大騒ぎになる場面で「どやどや」が頻繁に使われたのは確かだろう。

 薄雪が積もって寒いからついつい焼火(たきび)をしたくなる気持ちはわかるが、狭い庭だと筧に燃え移って大騒ぎになる。

 

無季。

 

四句目

 

   どやどやと筧をあぶる藁焼て

 紙漉を見に御幸あるころ      昌碧

 (どやどやと筧をあぶる藁焼て紙漉を見に御幸あるころ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「京都中川の紙屋院に行幸のある頃」とある。

 紙屋院はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「奈良時代に設けられた官立製紙所。「しおくいん」「かんやいん」ともいう。平安時代の大同(だいどう)年間(806~810)に、京都の紙屋川のほとりに拡充移設されて以来、紙屋紙(かんやがみ)の名声をもつ優秀な紙を漉(す)いた。製紙技術の指導的役割も果たし、和紙の流し漉(ず)き法もおそらくここで開発されたと思われる。平安末期に権力が貴族から武家の手に移り、また優れた地方産紙も出回るようになったためその地位は低下し、もっぱら漉き返しを行うようになった。[町田誠之]」

 

とある。紙屋川は天神川の北野天満宮より上をいう。

 このあたりには金閣寺があり、足利義満の時代に御小松天皇の北山殿行幸が行われた。コトバンクの「北山殿」の「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「室町時代,3代将軍足利義満が京都北山に営んだ別荘をいい,これにちなんで義満自身をもいう。ここには,元仁1(1224)年に西園寺公経が建てた別荘があったが,義満は西園寺実永からこれを譲り受け,工費百余貫を投じて応永4(1397)年に完成させた。同 15年には後小松天皇が行幸した。鹿苑寺金閣はその遺構。当時は,舎利殿,天鏡閣,護摩堂,懺法堂があり,広大な庭とともに異彩を放っていた。」

 

とある。

 この後小松天皇の北山殿行幸は応永十五年三月八日から二十八日まで行われたという。この地はまた西園寺家の北山殿を足利義満が受け継いだ地でもあり、それ以前から朝廷と縁の深い土地だった。行幸はそれ以前にも春秋に行われていたのだろう。

 句の方は前句を野焼きのこととし、北山で春の行幸が行われる頃、田んぼでは古い藁を燃やして野焼きを行っているという違え付けではないかと思う。

 

無季。

 

五句目

 

   紙漉を見に御幸あるころ

 琴持の筵の上をつたひ行      荷兮

 (琴持の筵の上をつたひ行紙漉を見に御幸あるころ)

 

 御幸だから琴を持った従者が筵の上を行く。

 

無季。「琴持」は人倫。

 

六句目

 

   琴持の筵の上をつたひ行

 障子明ればきゆる燈火       楚竹

 (琴持の筵の上をつたひ行障子明ればきゆる燈火)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「夜の宴に、琴を運び込もうとして障子を明けると、吹き込む風に燈火が消える。」

 

とある。

 

無季。「燈火」は夜分。

初裏

七句目

 

   障子明ればきゆる燈火

 起もせできき知る匂ひおそろしき  東睡

 (起もせできき知る匂ひおそろしき障子明ればきゆる燈火)

 

 物の怪だろうか。

 

無季。

 

八句目

 

   起もせできき知る匂ひおそろしき

 乱れし鬢の汗ぬぐひ居る      芭蕉

 (起もせできき知る匂ひおそろしき乱れし鬢の汗ぬぐひ居る)

 

 『源氏物語』葵巻の六条御息所であろう。

 

 「あやしう、われにもあらぬ御心ちをおぼしつづくるに、御ぞなども、ただけしのかにしみかへりたり。

 あやしさに、御ゆするまゐり、御ぞきかへなどし給ひて、こころみ給へど、なほおなじやうにのみあれば、我が身ながらだにうとましうおぼさるるに、まして、人のいひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、心ひとつにおぼしなげくに、いとど御こころがはりもまさり行く。

 (妙な自分が自分でなくなるような感覚は続いていて、御衣などもただ、祈祷の際に焚いた護摩の芥子の香が染み付くばかりです。

 気持ち悪いので髪を洗ったり御衣を着替えたりしても、これといって変化もないので自分のことながら嫌になり、まして人がどう思っているかなど人に聞くわけにもいかず、一人で悶々とするだけでますます精神に変調をきたして行くばかりです。)

 

の場面。

 

無季。恋。

 

九句目

 

   乱れし鬢の汗ぬぐひ居る

 なげられて又とりつけるをかしさよ 一井

 (なげられて又とりつけるをかしさよ乱れし鬢の汗ぬぐひ居る)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「前句を角力の後のこととした」とある。

 

無季。

 

十句目

 

   なげられて又とりつけるをかしさよ

 乳を飲子の我に似るらし      越人

 (なげられて又とりつけるをかしさよ乳を飲子の我に似るらし)

 

 「なげられて」は引き離されて、「とりつける」はすがりつくで、乳児のおっぱいを飲む様子とする。「にるらし」と推量なので、「全く父さんにそっくりね」と言われたということか。

 

無季。「子」「我」は人倫。

 

十一句目

 

   乳を飲子の我に似るらし

 麻布を煤びる程に織兼て      昌碧

 (麻布を煤びる程に織兼て乳を飲子の我に似るらし)

 

 「煤(すす)びる」は煤で汚れるという意味。乳児は手がかかるし、二十四時間休んでくれないので、機織りをする暇はほとんどない。

 

無季。

 

十二句目

 

   麻布を煤びる程に織兼て

 藺を取こめばねこだ世話しき    荷兮

 (麻布を煤びる程に織兼て藺を取こめばねこだ世話しき)

 

 「ねこだ」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「藁筵。寝茣蓙」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」にも、

 

 「〘名〙 わらやなわで編んだ大形のむしろ。また、背負袋。ねこ。

  ※俳諧・玉海集(1656)四「ねこたといふ物をとり出てしかせ侍し程に」

 

とあるので、「猫だ」ではないようだ。藺草を刈り取ったらすぐに「ねこだ」を作らなくならないので忙しくて機織りは後回しになる。

 

季語は「藺を取こめば」で夏。

 

十三句目

 

   藺を取こめばねこだ世話しき

 夕立の先に聞ゆる雷の声      楚竹

 (夕立の先に聞ゆる雷の声藺を取こめばねこだ世話しき)

 

 藺草を刈る頃は夕立の季節になる。

 

季語は「夕立」で夏、降物。

 

十四句目

 

   夕立の先に聞ゆる雷の声

 馬もありかぬ山際の霧       東睡

 (夕立の先に聞ゆる雷の声馬もありかぬ山際の霧)

 

 雨が降らずに稲妻と雷の音だけになると秋になる。山の麓に霧がかかり馬は雷が去るのを待っている。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「馬」は獣類。「山際」は山類。

 

十五句目

 

   馬もありかぬ山際の霧

 小男鹿のそれ矢を袖にいつけさせ  芭蕉

 (小男鹿のそれ矢を袖にいつけさせ馬もありかぬ山際の霧)

 

 「いつけさせ」は「射付けさせ」で袖を射抜いてということ。

 街道から外れた山道、霧の中を歩いているとさお鹿を狙った矢が袖を射抜いてゆく。危ないから知らない山に勝手に入ってはいけない。抜け道などせずに街道を歩こう。

 

季語は「小男鹿」で秋、獣類。

 

十六句目

 

   小男鹿のそれ矢を袖にいつけさせ

 飛あがるほどあはれなる月     越人

 (小男鹿のそれ矢を袖にいつけさせ飛あがるほどあはれなる月)

 

 初裏にまだ月が出てないし、次は花の定座なので、ここで月を出したい所。いきなり矢が飛んできて危うく命を落とすところに月ということで、かなり強引に展開しなくてはいけない所だ。

 前句を比喩としていきなり矢に射られたような飛び上がってびっくりするほど月がきれいだ、と何とか収める。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十七句目

 

   飛あがるほどあはれなる月

 凩にかぢけて花のふたつ三ツ    荷兮

 (凩にかぢけて花のふたつ三ツ飛あがるほどあはれなる月)

 

 冬の帰り花に木枯しの澄んだ月が登り、なかなか見れるものではないということで、「飛あがるほどあはれなる月」になる。

 

季語は「凩」で冬。「花」は植物、木類。

 

挙句

 

   凩にかぢけて花のふたつ三ツ

 畠につづく野は遙なり       昌碧

 (凩にかぢけて花のふたつ三ツ畠につづく野は遙なり)

 

 冬の畑に行くまでの野は草も枯れて、遥か彼方まで見渡せる。何となくこれから芭蕉さんの行く旅路を暗示させて、発句に呼応する形で一巻を終わる。

 

無季。