「しら菊に」の巻、解説

初表

 しら菊に高き鶏頭おそろしや    杉風

   泥かぶりたる稲を干す屋根   越人

 月幾日海なき国に旅寐して     芭蕉

   笠に玉子をぬすむ也けり    苔翠

 ぽつきりと折ておかしき雪の竹   友五

   はかま着ながらははきたばねる 夕菊

 

初裏

 御内にて念仏申と名をいはれ    依々

   笊子すてて行濱ののり売    泥芹

 さぎてうの火におどさるる在郷馬  越人

   瓦びさしに朧なる月      杉風

 盃を片手に人を引ずりて      苔翠

   くらべ負たる名所の貝     友五

 香のかに物の調子やくるふらん   依々

   小袖もれ出る御簾の重ねめ   杉風

 談義の場泣くはふじゆ上る人そうな 越人

   美しい子の膝にねぶりて    芭蕉

 里遠き花の木陰にとうふ焼     友五

   狂ふ小蝶の篇笠に入る     夕菊

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 しら菊に高き鶏頭おそろしや   杉風

 

 鶏頭の赤い色は血を連想させる。特に周りが白菊で白いとなおさら切腹の白装束に赤い血が飛び散るかといった連想を誘う。特に寓意はないと思われる。

 近代の、

 

 鶏頭の十四五本もありぬべし   子規

 

の句も、意識しようがしまいが正岡子規の喀血の連想を誘ったことが、この一見何でもないような句を名句にしたのではないかと思う。

 

季語は「白菊」「鶏頭」で秋、植物、草類。

 

 

   しら菊に高き鶏頭おそろしや

 泥かぶりたる稲を干す屋根    越人

 (しら菊に高き鶏頭おそろしや泥かぶりたる稲を干す屋根)

 

 発句の「おそろしや」に水害の後の稲を屋根の上で干す様を付ける。

 

季語は「稲」で秋。

 

第三

 

   泥かぶりたる稲を干す屋根

 月幾日海なき国に旅寐して    芭蕉

 (月幾日海なき国に旅寐して泥かぶりたる稲を干す屋根)

 

 これは越人とともに信州姥捨て山の月を見に行って、その足で江戸に帰ってきたことを思い起こしての句で、「ただいま」の挨拶になっている。発句と脇が当座の興でもなく、特に寓意もない句なので、第三にこういう展開もありうる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。

 

四句目

 

   月幾日海なき国に旅寐して

 笠に玉子をぬすむ也けり     苔翠

 (月幾日海なき国に旅寐して笠に玉子をぬすむ也けり)

 

 前句の「海」を「産み」に掛けたか。玉子を盗む不届きな旅人とする。あるいは越人を名古屋から越人を連れてきたことを、名古屋俳壇の大事な玉子を盗んできたという寓意を持たせたのかもしれない。

 

無季。

 

五句目

 

   笠に玉子をぬすむ也けり

 ぽつきりと折ておかしき雪の竹  友五

 (ぽつきりと折ておかしき雪の竹笠に玉子をぬすむ也けり)

 

 雪の中で竹がぽっきりと折れておかしいと思ったら、玉子が盗まれていた。

 

季語は「雪」で冬、降物。「竹」は植物で木類でも草類でもない。

 

六句目

 

   ぽつきりと折ておかしき雪の竹

 はかま着ながらははきたばねる  夕菊

 (ぽつきりと折ておかしき雪の竹はかま着ながらははきたばねる)

 

 竹を折ってそのまま急ごしらえの竹箒を作っていた。

 

無季。「はかま」は衣裳。

初裏

七句目

 

   はかま着ながらははきたばねる

 御内にて念仏申と名をいはれ   依々

 (御内にて念仏申と名をいはれはかま着ながらははきたばねる)

 

 「念仏申(ねぶつまうし)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念仏申」の解説」に、

 

 「〘名〙 念仏宗の信者。また、後世鉦(かね)をならして金銭や米を請うた乞食。

  ※史記抄(1477)一四「筭堂と云念仏申しかつくろい損したを」

 

とある。

 身内から「念仏申」というあだ名で呼ばれているのは、たびたび金や米を無心に来るからだろう。牢人で箒作りの内職をしている。

 

無季。釈教。「念仏申」は人倫。

 

八句目

 

   御内にて念仏申と名をいはれ

 笊子すてて行濱ののり売     泥芹

 (御内にて念仏申と名をいはれ笊子すてて行濱ののり売)

 

 笊子は「さる」と読む。ざるのこと。笊は振り売りの天秤棒に下げる笊だとう。「海苔」と「法(のり)」を掛けて海苔売りと念仏申と呼ぶ。

 

季語は「のり」で春。「のり売」は人倫。「濱」は水辺。

 

九句目

 

   笊子すてて行濱ののり売

 さぎてうの火におどさるる在郷馬 越人

 (さぎてうの火におどさるる在郷馬笊子すてて行濱ののり売)

 

 「さぎてう」は左義長のこと。どんど焼きともいう正月行事。大磯の左義長は砂浜で行われる。

 「在郷馬(ざいがううま)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「在郷馬」の解説」に、

 

 「〘名〙 田舎で耕作に用いる駄馬。ざいごうま。

  ※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)夢路のこま「舌をくふか、身を投げるか、似合た様に、ざいがう馬の口取綱で首くくれ」

 

とある。

 左義長の燃え盛る火にびっくりして、海苔売りの馬が笊を振り落として走り去ってしまう。

 

季語は「さぎてう」で春。「在郷馬」は獣類。

 

十句目

 

   さぎてうの火におどさるる在郷馬

 瓦びさしに朧なる月       杉風

 (さぎてうの火におどさるる在郷馬瓦びさしに朧なる月)

 

 左義長は一月十五日の小正月の行事なので満月になる。瓦びさしは商家の入口か。

 

季語は「朧なる月」で春、夜分、天象。

 

十一句目

 

   瓦びさしに朧なる月

 盃を片手に人を引ずりて     苔翠

 (盃を片手に人を引ずりて瓦びさしに朧なる月)

 

 造り酒屋であろう。強引な客引きをする。

 

無季。「人」は人倫。

 

十二句目

 

   盃を片手に人を引ずりて

 くらべ負たる名所の貝      友五

 (盃を片手に人を引ずりてくらべ負たる名所の貝)

 

 店の客引き合戦で名所の貝を出す店が勝利する。『堤中納言物語』の貝あはせを念頭に置きながら、酒の肴の貝の珍しさを競う貝合わせにする。

 

無季。

 

十三句目

 

   くらべ負たる名所の貝

 香のかに物の調子やくるふらん  依々

 (香のかに物の調子やくるふらんくらべ負たる名所の貝)

 

 「香のか」は「香(かう)の香(か)」。「調子」は本来は音楽の調子だったが、それが比喩として拡張され、今の調子の意味になった。この場合は本来の音楽の調子が狂ったということだろう。前句を遊女同士の勝負とする。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   香のかに物の調子やくるふらん

 小袖もれ出る御簾の重ねめ    杉風

 (香のかに物の調子やくるふらん小袖もれ出る御簾の重ねめ)

 

 王朝時代は十二単の重ねの色目を御簾の外に出して、その華やかさを競っていたが、江戸時代なら小袖になる。

 

無季。恋。「小袖」は衣裳。

 

十五句目

 

   小袖もれ出る御簾の重ねめ

 談義の場泣くはふじゆ上る人そうな 越人

 (談義の場泣くはふじゆ上る人そうな小袖もれ出る御簾の重ねめ)

 

 「談義はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「談義」の解説」に、

 

 「本来は仏法の法義を談ずることで,ディスカッションであったものが,一般民衆に説法する意味になり,法談とも文談ともよばれた。法義の論談講義の場所は談義所または檀林とよばれたが,説教談義ははじめ法会の会座でおこなわれた。法然の円頓戒談義や東大寺の法華義疏談義は,それぞれの法会にちなんだ談義であった。しかし説経が,経典の内容を説くことから興味本位の譬喩談を節をつけて語るようになったのとおなじく,談義も娯楽本位になっていった。」

 

とある。

 「ふじゆ」は諷誦でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「諷誦」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ふ」「じゅ」はそれぞれ「諷」「誦」の呉音)

  ① 経文または偈頌(げじゅ)を声をあげてよむこと。

  ※新儀式(963頃)四「先於二諸寺一被レ修二諷誦一」 〔無量寿経‐上〕

  ② 「ふじゅもん(諷誦文)」の略。

  ※霊異記(810‐824)中「謹みて諷誦を請く」

 

とある。

 法会で泣いているのは偈頌を読む諷誦の人だろうか。ほとんどの人は娯楽と思って聞いている。

 

無季。釈教。「人」は人倫。

 

十六句目

 

   談義の場泣くはふじゆ上る人そうな

 美しい子の膝にねぶりて     芭蕉

 (談義の場泣くはふじゆ上る人そうな美しい子の膝にねぶりて)

 

 前句を葬儀の際の談義として、諷誦上げる人は未亡人、膝の上には何も知らない子どもが眠っている。

 死を理解できない小さな子供を出すことで、かえってその悲しみを際立たせる演出は、『源氏物語』桐壺巻が最初であろう。美しい子は光の君の俤になる。

 

無季。「子」は人倫。

 

十七句目

 

   美しい子の膝にねぶりて

 里遠き花の木陰にとうふ焼    友五

 (里遠き花の木陰にとうふ焼美しい子の膝にねぶりて)

 

 前句を花見の田楽売の子どもとする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「里」は居所。

 

十八句目

 

   里遠き花の木陰にとうふ焼

 狂ふ小蝶の篇笠に入る      夕菊

 (里遠き花の木陰にとうふ焼狂ふ小蝶の篇笠に入る)

 

 前句の「里遠き花」から謡曲『桜川』、狂乱の連想だろう。ただ、狂うのは母ではなく蝶だった。編笠はわけあって顔を隠している旅人であろう。笠の中に入られてしまうと払うに払えず、笠を脱いで顔を晒すしかない。

 

季語は「小蝶」で春、虫類。「篇笠」は衣裳。