「しほらしき」の巻、解説

小松と云いふ所にて

初表

 しほらしき名や小松ふく萩芒    芭蕉

   露を見しりて影うつす月    皷蟾

 躍のおとさびしき秋の数ならん   北枝

   葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ  斧卜

 しら雪やあしだながらもまだ深   塵生

   あらしに乗し烏一むれ     志格

 浪あらき磯にあげたる矢を拾    夕市

   雨に洲崎の嵒をうしなふ    致益

 

初裏

 鳥居立松よりおくに火は遠く    觀生

   乞食おこして物くはせける   曾良

 螓の行ては笠に落かへり      北枝

   茶をもむ頃やいとど夏の日   芭蕉

 ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり   斧卜

   子をほめつつも難すこしいふ  北枝

 侍のおもふべきこそ命なり     皷蟾

   そろ盤ならふ末の世となる   觀生

 泪にさす月まで豊の光して     志格

   皮むく栗を焚て味ふ      夕市

 朝露も狸の床やかはくらむ     致益

   帯解かけてはしる馬追     塵生

 梺より花に菴をむすびかへ     曾良

   ぬるむ清水に洗う黒米     志格

 

 

二表

 春霞鑓捨橋に人たちて       北枝

   かたちばかりに蛙聲なき    夕市

 一棒にうたれて拝む三日の月    芭蕉

   秋の霜おく我眉の色      皷蟾

 嶋ながらくつはる袖のやや寒    塵生

   恋によせたる虫くらべ見む   斧卜

 わすれ草しのぶのみだれうへまぜに 觀生

   畳かさねし御所の板鋪     芭蕉

 頭陀よりも歌とり出して奉     北枝

   最後のさまのしかたゆゆしき  曾良

 やみ明て互の顔はしれにけり    皷蟾

   聲さまざまのほどのせはしき  觀生

 大かたは持たるかねにつかはるる  芭蕉

   菴より見ゆる町の白壁     致益

 

二裏

 風送る太鼓きこへて涼しやな    芭蕉

   若衆ともいふ女ともいふ    斧卜

 古き文筆のたてども愛らしき    夕市

   なげの情に罰やあたらん    皷蟾

 しどろにもかたしく琴をかきならし 致益

   はなに暮して盞を友      觀生

 うぐひすの聲も筋よき所あり    曾良

   うららうららやちかき江の山  北枝

 

      参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 しほらしき名や小松ふく萩芒    芭蕉

 

 『奥の細道』の旅で七月二十三日に宮の腰に遊んだ芭蕉は、翌二十四日には金沢を離れ、小松に着く。そして翌二十五日、曾良の『旅日記』にはこうある。

 

 「廿五日 快晴。欲小松立、所衆聞テ以北枝留。立松寺へ移ル。多田八幡ヘ詣デテ、真(実)盛が甲冑・木曾願書ヲ拝。終テ山王神主藤井(村)伊豆宅へ行。有会。 終テ此ニ宿。申ノ刻ヨリ雨降リ、夕方止。夜中、折々降ル。」

 

 多太八幡宮を詣でたことは、『奥の細道』にも、

 

 「此所太田(ただ)の神社に詣。真盛が甲・錦の切あり。往昔(そのかみ)、源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士(ひらさぶらひ)のものにあらず。目庇(まびさし)より吹返しまで、菊から草のほりもの金(こがね)をちりばめ、竜頭(たつがしら)に鍬形打(くわがたうっ)たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて此社にこめられ侍るよし、樋口の次郎が使ひせし事共、まのあたり縁紀ぎみえたり。

 

 むざんやな甲の下のきりぎりす」

 

とある。

 このあと山王神主藤井(村)伊豆宅へ行き、「有会」とある。これは「有俳」と同じで、俳諧興行があったことを示す。それが、『奥の細道』だと前後逆になるが、この興行だった。

 発句は、小松という地名に掛けて小さな松を秋風が吹いているようでしおらしいと詠んだもの。「しほ(を)らし」は「しをる」から来た言葉で、花が萎れるように本来は悲しげなものだった。それが転じて、はかない、控えめな弱々しい美しさ表わす言葉となり、芭蕉は「さび」と並ぶ「しほり」を俳諧の一つの理想の体とした。「しほり」は花が萎れていく悲しみの情ではなく、その姿を表すことをいう。

 たとえば、

 

 十団子も小粒になりぬ秋の風    許六

 

でいえば、「小粒の十団子」が「しほり」であり、秋風の哀れな情と違い、具体的な形で示すところに「しほり」がある。

 「萩すすき」は「萩の上露、荻の下風」を思わせるもので、本来なら「しおらしき名の小松を吹く萩すすきの風」となるべきところを省略したものだ。初案は「萩すすき」ではなく「荻すすき」だった。この方が意味はわかりやすいが、萩の方が花がある。萩の露を散らし、すすきの葉を鳴らす秋風に吹かれる小さな松は、小町の面影か。萩芒の悲しげな情を姿として表すのが「小松」ということなのだろう。

 この発句は、曾良の『俳諧書留』では「荻薄」とあることから、ここでは初案としていたが、寛政四年刊の『草のあるじ』所収の四十四句中三十七句の発句は「萩芒」となっている。興行の時既に萩芒だったとすれば、曾良の書き間違いの可能性もある。

 

季語は「萩芒」で秋、植物、草類。

 

 

   しほらしき名や小松ふく萩芒

 露を見しりて影うつす月      皷蟾

 (しほらしき名や小松ふく萩芒露を見しりて影うつす月)

 

 萩といえば露なので、この興行の発句は「荻」ではなく「萩」だったのは間違いないだろう。影は光の意味もある。月の光で露がきらめいている様に、露のような私に芭蕉さんが光を照らしてくれる、という寓意を含ませている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「露」も秋、降物。

 

第三

 

   露を見しりて影うつす月

 躍のおとさびしき秋の数ならん   北枝

 (躍のおとさびしき秋の数ならん露を見しりて影うつす月)

 

 盆踊りも遠くで音だけ聞いていると寂しく聞こえる。

 

季語は「秋」で秋。

 

四句目

 

   躍のおとさびしき秋の数ならん

 葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ    斧卜

 (躍のおとさびしき秋の数ならん葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ)

 

 「葭(よし)のあみ戸」は葭を編んだ扉だから、多分葭戸(葭簀を張った扉)とはまた違うのだろう。草庵の扉で、世間は盆踊りで盛り上がっていても一人寂しく過ごす。

 

無季。

 

五句目

 

   葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ

 しら雪やあしだながらもまだ深   塵生

 (しら雪やあしだながらもまだ深葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ)

 

 人が訪れないのを深い雪のせいだとする。

 

季語は「しら雪」で冬、降物。

 

六句目

 

   しら雪やあしだながらもまだ深

 あらしに乗し烏一むれ       志格

 (しら雪やあしだながらもまだ深あらしに乗し烏一むれ)

 

 嵐の風でやってきたカラスの黒い姿が一面の白雪に映える。

 

無季。「烏」は鳥類。

 

七句目

 

   あらしに乗し烏一むれ

 浪あらき磯にあげたる矢を拾    夕市

 (浪あらき磯にあげたる矢を拾あらしに乗し烏一むれ)

 

 磯に打ち上げられた矢を拾って巣でも作るのか。自分を狙ったかもしれない矢でも何でも利用する。

 

無季。「浪あらき磯」は水辺。

 

八句目

 

   浪あらき磯にあげたる矢を拾

 雨に洲崎の嵒をうしなふ      致益

 (浪あらき磯にあげたる矢を拾雨に洲崎の嵒をうしなふ)

 

 「嵒」は岩のこと。

 「洲崎の岩」は臼杵湾の洲崎岩ヶ鼻にあった祇園宮のことか。キリシタン大名の大友宗麟に弾圧され、場所を転々としていたが、慶長三年にようやく臼杵市の今の八坂神社の場所に落ち着いた。明治の神仏分離で名前が八坂神社になった。

 この場合の雨は矢の雨か。

 

無季。「雨」は降物。「洲崎」は水辺。

初裏

九句目

 

   雨に洲崎の嵒をうしなふ

 鳥居立松よりおくに火は遠く    觀生

 (鳥居立松よりおくに火は遠く雨に洲崎の嵒をうしなふ)

 

 前句が洲崎の祇園宮だとしたら、鳥居の連想は自然の成り行き。海辺に鳥居が立っていても、宮島を別にすれば神社は波のかぶらない陸の奥の方にあることが多い。

 

無季。神祇。「松」は植物、木類。

 

十句目

 

   鳥居立松よりおくに火は遠く

 乞食おこして物くはせける     曾良

 (鳥居立松よりおくに火は遠く乞食おこして物くはせける)

 

 神社ネタ二句続いちゃったから、曾良としてもここで神道家らしい薀蓄というわけにはいかず、神社で雨露しのぐ乞食を付ける。梵灯の『梵灯庵道の記』に「ただ蒲団を枕とし、衾を筵としてぞ、ふるき堂などには夜を明し侍し。」とあったのを思い出す。

 

無季。「乞食」は人倫。

 

十一句目

 

   乞食おこして物くはせける

 螓の行ては笠に落かへり      北枝

 (螓の行ては笠に落かへり乞食おこして物くはせける)

 

 螓は「なつぜみ」と読む。裏返しになって落ちている蝉は、死んでるのかと思って触るといきなり大きな鳴き声を上げてぶつかってきたりする。これを今日では蝉爆弾だとか蝉ファイナルだとか言う。

 乞食を起こそうとしたら落ちている蝉に触ってしまい、笠にぶつかってきたのだろう。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。

 

十二句目

 

   螓の行ては笠に落かへり

 茶をもむ頃やいとど夏の日     芭蕉

 (螓の行ては笠に落かへり茶をもむ頃やいとど夏の日)

 

 「茶をもむ」というのは抹茶ではなく、唐茶とも呼ばれる隠元禅師がもたらした明風淹茶法で、『日本茶の歴史』(橋本素子、ニ〇一六、淡交社)には、

 

 「『唐茶』には、中国から伝えられた茶の意味があるものと見られ、元禄十年(一六九七)に刊行された宮崎安貞の『農業全書』に、その作り方が記されている。そこには、鍋で炒る作業と、茣蓙・筵などの上で揉む作業とを交互に行うとある。

 このように、隠元の茶については一次史料が残されてはおらず、はっきりとはわからないが、後世の展開状況からさかのぼって考えると、『鍋で炒る』と『揉む』行程を交互に行い製茶した『釜炒り茶』と同様のものではないかと見られる。」(p.143)

 

とある。

 唐茶は新しもの好きの俳諧師に好まれたのではないかと思われる。

 茶の収穫は八十八夜前後に限らず、夏を通して行われる。蝉の鳴くころでも別におかしくない。

 

季語は「夏」で夏。

 

十三句目

 

   茶をもむ頃やいとど夏の日

 ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり   斧卜

 (ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり茶をもむ頃やいとど夏の日)

 

 「ゆふ雨」は「ゆうだち」のこと。「すず懸(かけ)」は山伏の着る上衣で、夕立でびしょぬれになった山伏が製茶をしている小屋で雨宿りをして、篠懸を乾かす。

 

季語は「ゆふ雨」で夏、降物。「すず懸」は衣裳。

 

十四句目

 

   ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり

 子をほめつつも難すこしいふ    北枝

 (ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり子をほめつつも難すこしいふ)

 

 雨宿りして、そこの家の子どもを誉めてやるのだが、どうも一言多い人のようだ。

 

無季。「子」は人倫。

 

十五句目

 

   子をほめつつも難すこしいふ

 侍のおもふべきこそ命なり     皷蟾

 (侍のおもふべきこそ命なり子をほめつつも難すこしいふ)

 

 お侍さんは人の生死を預かる仕事なので、子供を育てるにも厳しく育てる。ただ、いきなり𠮟りつけるのではなく、最初は褒めてそのあとで欠点を指摘するというのは、今でも教育者が推奨すること。

 

無季。「侍」は人倫。

 

十六句目

 

   侍のおもふべきこそ命なり

 そろ盤ならふ末の世となる     觀生

 (侍のおもふべきこそ命なりそろ盤ならふ末の世となる)

 

 「末の世」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①将来。後世。

  出典枕草子 頭の中将の

  「いと悪(わろ)き名の、すゑのよまであらむこそ、口惜しかなれ」

  [訳] まことにひどいあだ名が後世まで残るとしたらそれは、残念である。

  ②晩年。

  出典源氏物語 藤裏葉

  「残り少なくなりゆくすゑのよに思ひ捨て給(たま)へるも」

  [訳] (命が)残り少なくなってゆく晩年にお見捨てなさるのも。

  ③末世(まつせ)。

  出典源氏物語 若紫

  「いとむつかしき日の本(もと)の、すゑのよに生まれ給ひつらむ」

  [訳] たいそうわずらわしい日本の、末世にお生まれになったのだろう。」

 

 前句の「命なり」を「命なりけり佐夜の中山」のような、年取ってまだ生きていたんだという意味の「命なり」とし、②の意味の晩年になって算盤を習うことになるとは、とする。

 元禄の頃にはさすがに戦国時代の生き残りはいなかっただろうけど、ここにいる連衆の子どものころぐらいなら、まだ戦国のいくさをかいくぐってきたつわものがいて、平和な時代で算盤の練習をしている姿もあったのかもしれない。

 

無季。

 

十七句目

 

   そろ盤ならふ末の世となる

 泪にさす月まで豊の光して     志格

 (泪にさす月まで豊の光してそろ盤ならふ末の世となる)

 

 「泪にさす」というのはよくわからない。「泪(なみだ)さす」だと涙ぐむという意味になる。あるいは「泪(なだ)にさす」と読むのか。宮本注は「洞にさす」の誤記としているが、それでも意味がよくわからない。

 泪を「なだ」と読むのはweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、

 

 「なみだ。近世、奴(やつこ)などが用いた語。 「心中が嬉しくて、うら、-がこぼるると/浄瑠璃・加増曽我」

 

とある。「なみだ」が訛って「なんだ」になって、それが「なだ」になったのであろう。沖縄方言でも「なだ」というらしい。

 句は後ろ付け。誰もがそろばんを習うような商業の盛んな世になり、国は栄え、月までがその繁栄を祝うかのように光り輝いていて涙があふれてくる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十八句目

 

   泪にさす月まで豊の光して

 皮むく栗を焚て味ふ        夕市

 (泪にさす月まで豊の光して皮むく栗を焚て味ふ)

 

 そのままだと栗御飯のことだが、宮本注には「『金(金蘭集)』は「栗」か「粟」か曖昧な字体。或は「粟」がよいか。」とある。

 粟だとかなり貧しい印象になる。豊の光なのだから栗でいいのではないかと思う。八月十五夜が芋名月なのに対し、旧暦九月十三夜の月を栗名月という。

 

 滋味なるは栗名月の光かな     貞徳

 

の句がある。

 

季語は「栗」で秋。

 

十九句目

 

   皮むく栗を焚て味ふ

 朝露も狸の床やかはくらむ     致益

 (朝露も狸の床やかはくらむ皮むく栗を焚て味ふ)

 

 「狸の床」は狸寝入りの床か。寝たふりをして後で起き出し、栗御飯を食べている。「皮むく」に「かはく」を掛ける。

 

季語は「朝露」で秋、降物。「狸」は獣類。

 

二十句目

 

   朝露も狸の床やかはくらむ

 帯解かけてはしる馬追       塵生

 (朝露も狸の床やかはくらむ帯解かけてはしる馬追)

 

 狸に化けた女に誘惑されたのだろう。その気になって帯を解こうとしたが、すぐに気が付いて逃げ出す。「馬追」は馬子の意味もあれば、虫のウマオイもいる。この場合は馬子の方か。

 虫の方は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』にもあり、江戸中期には秋の季語になっていた。

 

無季。恋。「馬追」は人倫。

 

二十一句目

 

   帯解かけてはしる馬追

 梺より花に菴をむすびかへ     曾良

 (梺より花に菴をむすびかへ帯解かけてはしる馬追)

 

 花を愛する風流の徒で、花を追って麓から中腹へ、そして山頂へと庵を移して行くが、それに従う馬子は落ち着く暇もなくたまったものではない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「菴」は居所。

 

二十二句目

 

   梺より花に菴をむすびかへ

 ぬるむ清水に洗う黒米       志格

 (梺より花に菴をむすびかへぬるむ清水に洗う黒米)

 

 西行のとくとくの清水の俤だろうか。吉野の西行庵の近くにあるとくとくの清水は、芭蕉も『野ざらし紀行』の旅で訪れて、

 

 露とくとく心みに浮世すすがばや  芭蕉

 

の句を残している。

 西行さんもそこで生活していたなら、この水で米を研いだりもしたのだろう。黒米は古代米の方ではなく玄米の方だろう。こころみに米もすすがばや。

 

季語は「ぬるむ清水」で、春、水辺。

二表

二十三句目

 

   ぬるむ清水に洗う黒米

 春霞鑓捨橋に人たちて       北枝

 (春霞鑓捨橋に人たちてぬるむ清水に洗う黒米)

 

 「鑓捨橋」は宮本注にも「不詳」とあり、一応ググってみたがヒットしなかったので、ありそうでない名前の橋ということなのだろう。

 

季語は「春霞」で春、聳物。「橋」は水辺。「人」は人倫。

 

二十四句目

 

   春霞鑓捨橋に人たちて

 かたちばかりに蛙聲なき      夕市

 (春霞鑓捨橋に人たちてかたちばかりに蛙聲なき)

 

 川はあっても蛙の声がしなければ、まだ春も形だけということか。

 

季語は「蛙」で春、虫類。

 

二十五句目

 

   かたちばかりに蛙聲なき

 一棒にうたれて拝む三日の月    芭蕉

 (一棒にうたれて拝む三日の月かたちばかりに蛙聲なき)

 

 これは座禅のときの三十棒だろう。

 江戸後期の人だが仙厓義梵の「蛙」という絵には「座禅して人が佛になるならば」と書き添えてある。「座禅して人が佛になるなら、蛙だっていつも座っているからとっくに佛になっている、という意味なのだろう。蓮の葉の上に座る所から、鳥獣戯画でも蛙は仏様の姿で描かれている。

 三十棒を受けても悟りに程遠い自分を、形ばかり座っている蛙に喩え、「喝!」と言われても声もなくお辞儀する。

 

季語は「三日の月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

二十六句目

 

   一棒にうたれて拝む三日の月

 秋の霜おく我眉の色        皷蟾

 (一棒にうたれて拝む三日の月秋の霜おく我眉の色)

 

 三日月はよく女性の眉毛に喩えられるが、ここでは爺さんの白髪になった眉毛。年とってもなかなか悟りに遠いわが身は、宗祇独吟何人百韻、四十三句目の、

 

   きけども法に遠き我が身よ

 齢のみ仏にちかくはや成りて    宗祇

 

の句を思わせる。

 

季語は「秋の霜」で秋、降物。「我」は人倫。

 

二十七句目

 

   秋の霜おく我眉の色

 嶋ながらくつはる袖のやや寒    塵生

 (嶋ながらくつはる袖のやや寒秋の霜おく我眉の色)

 

 宮本注は「くつはる」は「くつはが」の誤記ではないかとしている。「くつは」は京都島原の下級遊女、轡女郎のことだろう。そうなると「嶋」は島原のことか。島原には太夫のような高級遊女もいるが、下級遊女の袖はさすがに寒い。まして老いて白髪になった遊女ならなおさらだ。

 

季語は「やや寒」で秋。恋。「くつは」は人倫。

 

二十八句目

 

   嶋ながらくつはる袖のやや寒

 恋によせたる虫くらべ見む   斧卜

 (嶋ながらくつはる袖のやや寒恋によせたる虫くらべ見む)

 

 前句の「くつは」をクツワムシの縁で「虫くらべ」へと展開する。そういう遊郭の見世物があったのか。

 

季語は「虫」で秋、虫類。恋。

 

二十九句目

 

   恋によせたる虫くらべ見む

 わすれ草しのぶのみだれうへまぜに 觀生

 (わすれ草しのぶのみだれうへまぜに恋によせたる虫くらべ見む)

 

 「忍草(しのぶぐさ)」については2019年6月9日のところでも触れたが、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①しだ類の一種。のきしのぶ。古い木の幹や岩石の表面、古い家の軒端などに生える。[季語] 秋。

  ②「忘れ草」の別名。

  ③思い出のよすが。▽「偲(しの)ぶ種(ぐさ)」の意をかけていう。

 出典源氏物語 宿木

「しのぶぐさ摘みおきたりけるなるべし」

[訳] 思い出のよすがとして摘んでおいた(=産んでおいた)のであったのだろう。」

 

とある。

 「忘れ草」は、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどを指し、「連歌新式永禄十二年注」には、

 

 「忘草は、順和名には、絵を書て、ひとつばの様にてちひさく、うらに星のあるを、忘草と云り。したの葉のちいさき様なるを、忍草なり、と云り。但、是を忍草共、忘草共いふと也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.99)

 

とある。

 『伊勢物語』百段に、

 

 忘れ草おふる野辺とは見るらめど

     こはしのぶなりのちも頼まむ

 

の歌がある。

 『菟玖波集』の、

 

   草の名も所によりてかはるなり

 難波の葦は伊勢の浜荻       救済

 

の句も、心敬の『筆のすさび』に、

 

   草の名も所によりてかはるなり

 軒のしのぶは人のわすれか

 

という別解がある。

 觀生の句では、忘れ草が「しのぶ」とも言うのを「みちのくのしのぶもぢずり」を掛けて、忘れようにも忍ぶ恋心に思い乱れ、忘れ草としのぶ草がまぜこぜに植えたような状態だ、と作る。そして、忘れ草に鳴く虫としのぶ草に鳴く虫の鳴き比べと前句につながる。なかなか手の込んだ句だ。

 

季語は「しのぶ」で秋、植物、草類。恋。「わすれ草」も植物、草類。

 

三十句目

 

   わすれ草しのぶのみだれうへまぜに

 畳かさねし御所の板鋪       芭蕉

 (わすれ草しのぶのみだれうへまぜに畳かさねし御所の板鋪)

 

 これは、

 

 百敷や古き軒端のしのぶにも

     なほあまりある昔なりけり

             順徳院(続後撰集)

 

からの発想だろう。

 元歌は軒端をしのぶだが、忘れ草しのぶも植え混ぜだから、御所に重ねられた畳に昔を忘れたり忍んだりするとする。

 

無季。

 

三十一句目

 

   畳かさねし御所の板鋪

 頭陀よりも歌とり出して奉     北枝

 (頭陀よりも歌とり出して奉畳かさねし御所の板鋪)

 

 宮本注に「御所に召された西行などの俤か」とある。多分それでいいと思う。

 後の『猿蓑』「市中は」の巻の三十句目、

 

    草庵に暫く居ては打やぶり

 いのち嬉しき撰集のさた      去来

 

の句を彷彿させる。実際は直接宮中で歌を差し出したのではなく、『後拾遺集』に、

 

   高野山に侍りける頃、皇太后宮大夫俊成千載集

   えらび侍るよし聞きて、歌をおくり侍るとて、

   かきそへ侍りける

 花ならぬ言の葉なれどおのづから

     色もやあると君拾はなむ

             西行法師

 

とあるように手紙で送ったのだろう。

 ただ、去来の句は「いのち嬉しき」がいかにも西行の「いのちなりけり」を彷彿させるのと、特に出典となる物語がないということで、本説ではなく俤付けになるが、北枝の場合、必ずしも西行に限定されるわけでもない。外にも出家した宮廷歌人はたくさんいるし、蝉丸かもしれない。その意味ではまだ明瞭に俤付けとは意識されてなかったのではないかと思う。

 

 世の中はとてもかくても同じこと

     宮もわら屋もはてしなければ

             蝉丸(新古今集)

 

の心とも取れる。

 

無季。釈教。

 

三十二句目

 

   頭陀よりも歌とり出して奉

 最後のさまのしかたゆゆしき    曾良

 (頭陀よりも歌とり出して奉最後のさまのしかたゆゆしき)

 

 落ち武者の辞世の歌とする。

 

無季。

 

三十三句目

 

   最後のさまのしかたゆゆしき

 やみ明て互の顔はしれにけり    皷蟾

 (やみ明て互の顔はしれにけり最後のさまのしかたゆゆしき)

 

 宮本注に「前句の仕形を、実際の合戦の振舞と見て夜明けを付けたか」とある。互いの顔を見合わせたら昔の主君だったとか、生き別れた兄弟だったなんて落ちがありそうだ。

 

無季。

 

三十四句目

 

   やみ明て互の顔はしれにけり

 聲さまざまのほどのせはしき    觀生

 (やみ明て互の顔はしれにけり聲さまざまのほどのせはしき)

 

 明け方の市場や船着き場の雑踏か。

 

無季。

 

三十五句目

 

   聲さまざまのほどのせはしき

 大かたは持たるかねにつかはるる  芭蕉

 (大かたは持たるかねにつかはるる聲さまざまのほどのせはしき)

 

 町は活気に溢れているが、その大半は賃金労働者だ。金を持っている奴に使われている。

 宮本注は「なまじっか金を持っているばかりに、かえって人間が金のために使われて忙しい思をしている」としているが、当時の大方の人はそのなまじっかの金を持っていない。裕福な現代社会の発想だと思う。

 

無季。

 

三十六句目

 

   大かたは持たるかねにつかはるる

 菴より見ゆる町の白壁       致益

 (大かたは持たるかねにつかはるる菴より見ゆる町の白壁)

 

 草庵に暮らす人は金で使われているわけではない。高みの見物といったところか。庵は山の上にあって街を見下ろすところにあったりする。

 

無季。「菴」は居所。

二裏

三十七句目

 

   菴より見ゆる町の白壁

 風送る太鼓きこへて涼しやな    芭蕉

 (風送る太鼓きこへて涼しやな菴より見ゆる町の白壁)

 

 遠くの雷の音だろうか。

 

季語は「凉し」で夏。

 

三十八句目

 

   風送る太鼓きこへて涼しやな

 若衆ともいふ女ともいふ      斧卜

 (風送る太鼓きこへて涼しやな若衆ともいふ女ともいふ)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注によれば、三十七句目までは小松の青銭が所持した懐紙によるもので、寛政七年刊眉山編『草のあるじ』所収。後は万子編『金蘭集』によるという。ここから先人情句が多く蕉門らしい乾いた笑いに欠けていて、若干怪しげな感じもする。

 遊郭の太鼓女郎だろうか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸前期の上方遊郭で、三味線・琴・胡弓などをひいたり舞を舞ったりして、宴席の取り持ちをした女郎。位は囲(かこい)職で、揚代は九匁。

  ※俳諧・西鶴五百韻(1679)早何「かこゐをたつる木の丸の関〈西鶴〉 たいこ女郎名をなのるまで候はず〈西花〉」

 

とある。

 女に限らず若衆が務めることもあったのだろう。

 

無季。恋。「若衆」「女」は人倫。

 

三十九句目

 

   若衆ともいふ女ともいふ

 古き文筆のたてども愛らしき    夕市

 (古き文筆のたてども愛らしき若衆ともいふ女ともいふ)

 

 昔の恋文なので書いた人が女か若衆かはわからない。

 

無季。恋。

 

四十句目

 

   古き文筆のたてども愛らしき

 なげの情に罰やあたらん      皷蟾

 (古き文筆のたてども愛らしきなげの情に罰やあたらん)

 

 「なげ」は接尾語だが、ここでは「それっぽく装った」ということか。ハニートラップは昔からあったのだろう。でも法的には立証が難しく、せめて天罰でもあたってくれということか。

 

無季。恋。

 

四十一句目

 

   なげの情に罰やあたらん

 しどろにもかたしく琴をかきならし 致益

 (しどろにもかたしく琴をかきならしなげの情に罰やあたらん)

 

 「しどろ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (形動) 秩序がなく乱れていること。乱雑であるさま。

  ※後拾遺(1086)恋一・六五九「あさねがみみだれて恋ぞしどろなるあふ由もがな元結にせん〈良暹〉」

  ※太平記(14C後)二一「騎馬の客三十騎計、馬の足しどろに聞えて」

 

とある。

 「かたしく」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「[動カ四]《昔、男女が共寝をするときには、互いの衣服を敷き交わして寝たことに対していう》自分の衣服だけを敷いて、独り寂しく寝る。

 「狭筵(さむしろ)に衣―・き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」〈古今・恋四〉」

 

とある。一人寂しく感情にまかせて乱雑に琴を掻き鳴らし、何の罰(ばち)にあたるのか、となる。

 『源氏物語』の須磨巻の、

 

 「御前にいと人すくなにて、うちやすみわたれるに、ひとりめをさまして、枕をそばだててよものあらしをきき給ふに、なみただここもとに立ちくる心ちして、なみだおつともおぼえぬに、まくらうくばかりになりにけり。

 琴(きん)をすこしかきならし給へるが、我ながらいとすごうきこゆれば、ひきさし給ひて、

 

 恋ひわびてなくねにまがふ浦波は

     思ふかたよりかぜやふくらん

 

とうたひ給へるに」

 (お側で待機する人もまばらな部屋で早々に寝入ったものの一人目が醒めてしまい、枕を縦にして身をやや起こして周囲で吹きすさぶ嵐の音を聞くと波があたかもここまで押し寄せてくるような錯覚にとらわれ、涙がこぼれたと思うか思わないかのうちに、枕が涙の海に浮かんでいるような心地にになりました。

 七絃琴をすこしばかりかき鳴らしてはみるものの、自分でもあまりに悲しげな音色なので曲を途中で止めて、

 

 ♪報われぬ恋に泣いてる浦波は

     都から吹く風によるのか

 

とうたひ給へるに)

 

の場面であろう。

 

無季。恋。

 

四十二句目

 

   しどろにもかたしく琴をかきならし

 はなに暮して盞を友        觀生

 (しどろにもかたしく琴をかきならしはなに暮して盞を友)

 

 花の定座を一句繰り上げて、琴に花を付ける。盞は「さかずき」。隠士の句とする。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。

 

四十三句目

 

   はなに暮して盞を友

 うぐひすの聲も筋よき所あり    曾良

 (うぐひすの聲も筋よき所ありはなに暮して盞を友)

 

 盃を友として一人飲んでいると、芸妓が欲しいところだが、いるのは鶯だけで、その鳴き声を筋がいいと褒める。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

挙句

 

   うぐひすの聲も筋よき所あり

 うららうららやちかき江の山    北枝

 (うぐひすの聲も筋よき所ありうららうららやちかき江の山)

 

 「うらら」は「麗(うらら)か」から来たもので、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 

 「〘形動〙 (「か」は接尾語)

  ① 空が晴れて、太陽が明るくのどかに照っているようす。春の日をいう場合が多い。うらうら。うらら。《季・春》

  ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「いみじうたかくふる雪、たちまちにふりやみて、日いとうららかにてりて」

  ② 声が明るくほがらかなさま。

  ※源氏(1001‐14頃)胡蝶「うぐひすのうららかなる音(ね)に、鳥の楽はなやかにききわたされて」

  ③ (心中に隠すところがなく) さっぱりとしたさま。のどやかにはればれしたさま。さわやか。

  ※浜松中納言(11C中)四「隔てなう、うららかにうち解け給へれど」

 

 入り江に山もほのかに霞み、鶯もなく長閑な景色をもって一巻は終了する。

 

季語は「うらら」で春。「江」は水辺。「山」は山類。