「傘に」の巻、解説

初表

   雨中

 傘におし分見たる柳かな      芭蕉

   わか草青む塀の筑さし     濁子

 おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて  凉葉

   使の者に礼いふてやる     野坡

 せんたくをしてより裄のつまりけり 利牛

   誉られてまた出す吸もの    宗波

 

初裏

 湯入り衆の入り草臥て峰の堂    曾良

   黒部の杉のおし合て立     芭蕉

 はびこりし廣葉の茶園二度摘て   濁子

   けふも暑に家を出て行     利牛

 伊勢のつれ又変替をしておこす   野坡

   おこしかねたる道心の沙汰   宗波

 金払ひ名月までは延られず     凉葉

   のぼり日和の浦の初雁     曾良

 秋もはや升ではかりし唐がらし   芭蕉

   清涕たらす子の髪結てやる   宗波

 在所から半道出れば花咲て     利牛

   瓢の煤をはらふ麻種      濁子

 

二表

 春の空十方ぐれのときどきと    野坡

   駕舁のひとりは酒を嗅もせず  利牛

 駕舁のひとりは酒を嗅もせず    利牛

   先手揃ゆる宿のとりつき    凉葉

 むつかしき苗字に永き名を呼て   芭蕉

   まるぐちすゆる鯖のやき物   野坡

 祝言も母が見て来て究メけり    利牛

   木綿ふきたつ高安の里     芭蕉

 足場より月の細道一筋に      濁子

   鹿追ふ声の睡たそうなる    曾良

 念仏に小さき鉦は殊勝にて     利牛

   四五十日に居あく太秦     野坡

 

二裏

 藪陰は麦も延たる霜柱       岱水

   荷ふたものをとへば塩売    凉葉

 男子ども遊び仕事を昼の辻     野坡

   寝入りもはやし年の寄ほど   利牛

 切り株も若木ははなのうきやかに  濁子

   かげろふ落る岩の細瀧     曾良

       参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豊隆監修、中村俊定校注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

   雨中

 傘におし分見たる柳かな     芭蕉

 

 笠は雨でなくても旅のときに被ったり、晴れ着として使用されたりもする。

 これに対し「傘(からかさ)」は雨の日のものだ。

 柳の糸も雨に喩えられるし、

 

 八九間空で雨降柳かな      芭蕉

 

の句もある。ここではそうではなく本物の雨の中で笠をさしながら見る柳だ。

 特に寓意はないだろう。雨の日の興行だけど、笠をさしたままでも柳は見えますね、というぐらいの挨拶か。

 

季語は「柳」で春、植物(木類)。

 

 

   傘におし分見たる柳かな

 わか草青む塀の筑さし      濁子

 (傘におし分見たる柳かなわか草青む塀の筑さし)

 

 「筑(つき)さし」は『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の中村注には、「築造しかけて中止してあるもの」とある。

 上を見れば雨の中に雨と見まがうような柳の枝があり、下を見れば造りかけの塀の周りを若草が雨露に青々としている。

 これも特に寓意のない、軽い脇だ。

 

季語は「わか草青む」で春、植物(草類)。

 

第三

 

   わか草青む塀の筑さし

 おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて 凉葉

 (おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐてわか草青む塀の筑さし)

 

 春といっても寒い日はある。仕舞おうと思ってもついついまだ寒い日があるのではないかと思い、そのままにしていると、本当にまた寒い日があったりする。

 

季語は「おぼろ月」で春、夜分、天象。

 

四句目

 

   おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて

 使の者に礼いふてやる      野坡

 (おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて使の者に礼いふてやる)

 

 炬燵にすくんでいるのはご隠居さんだろうか。店の丁稚を使いにやり、戻ってきたら礼を言う。商家にありがちな風景だろう。

 

無季。「使の者」は人倫。

 

五句目

 

   使の者に礼いふてやる

 せんたくをしてより裄のつまりけり 利牛

 (せんたくをしてより裄のつまりけり使の者に礼いふてやる)

 

 「裄(ゆき)」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 

 「和服の部分の名称。着物の背の縫い目から袖口まで。また、その長さ。肩ゆき。」

 

まあ、洗濯したら服が縮んだというのは、昔はよくあることだった。

 まいったなと思ってはいても、持ってきてくれた使いの者には一応礼を言う。

 

無季。「裄(ゆき)」は衣裳。

 

六句目

 

   せんたくをしてより裄のつまりけり

 誉られてまた出す吸もの     宗波

 (せんたくをしてより裄のつまりけり誉られてまた出す吸もの)

 

 縮んだ服を平気で着ているような人というのは空気が読めないもので、吸い物をお世辞で誉めてやっただけなのに、すっかり得意になって行く度にそのお吸物が出てくる。

 

無季。

初裏

七句目

 

   誉られてまた出す吸もの

 湯入り衆の入り草臥て峰の堂   曾良

 (湯入り衆の入り草臥て峰の堂誉られてまた出す吸もの)

 

 温泉と修験道は密接に結びついたもので、役行者や弘法大師の開いた温泉というのが各地にあり、その多くが修験道に結びついている。

 「湯入り衆」は峰の堂で修行する修験者で、修行と称して温泉にばかり入ってるのを揶揄したか。

 曾良は『奥の細道』の旅で湯殿山の温泉を尋ねているし、『奥の細道』後は大峰にも行っている。こういうところに泊ると吸い物が出てくるのだろう。

 

無季。「衆」は人倫。

 

八句目

 

   湯入り衆の入り草臥て峰の堂

 黒部の杉のおし合て立      芭蕉

 (湯入り衆の入り草臥て峰の堂黒部の杉のおし合て立)

 

 黒部の立山も修験の地で立山温泉がある。

 黒部杉は黒檜(くろべ)、鼠子(ねずこ)とも言い、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「ヒノキ科(分子系統に基づく分類:ヒノキ科)の常緑針葉高木。別名ネズコ。大きいものは高さ35メートル、直径1.8メートルに達する。樹皮は赤褐色、薄く滑らかで光沢があり、大小不同の薄片となってはげ落ちる。葉は交互に対生し、鱗片(りんぺん)状で、表面は深緑色で、ヒノキより大形であるがアスナロより小形である。5月ころ小枝の先に花をつける。雌雄同株。雄花は楕円(だえん)形で鱗片内に四つの葯(やく)がある。雌花は短く、鱗片内に3個の胚珠(はいしゅ)がある。球果は楕円形で長さ0.8~1センチメートル、その年の10月ころ黄褐色に熟す。種子は線状披針(ひしん)形、褐色で両側に小翼がある。本州と四国の深山に自生する。陰樹で成長はやや遅い。木は庭園、公園に植え、材は建築、器具、下駄(げた)、経木(きょうぎ)などに用いる。[林 弥栄]」

 

とある。

 ただ、ここでいう黒部の杉は多分「杉沢の沢スギ」ではないかと思う。ウィキペディアに、

 

 「杉沢の沢スギ(すぎさわのさわスギ)とは、富山県下新川郡入善町の海沿いにある約2.7 haのスギ林を中心とする森林である。森林内に黒部川の湧水が多数みられるのが特徴。スギが一株で複数の幹をつける伏条現象や、森林内の多様な生態系が見られ、国の天然記念物に指定されている。」

 

とある。「おし合て立」はこの伏条現象のことではないかと思う。

 修験の衆の入浴は集団で行われ、芋を洗うような状態になる所から、黒部で見た杉沢の沢スギを付けたのであろう。

 芭蕉と曾良は『奥の細道』の旅の途中、七月十三日に市振から滑川に行く途中、このあたりを通っている。

 『奥の細道』には「くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて」としか記されてない。

 

無季。「杉」は植物(木類)。

 

九句目

 

   黒部の杉のおし合て立

 はびこりし廣葉の茶園二度摘て  濁子

 (はびこりし廣葉の茶園二度摘て黒部の杉のおし合て立)

 

 黒部杉はお茶室などに用いられると言う。

 「廣葉(広葉)」は碾茶のこと。これを石臼で挽いて抹茶にする。

 一度つんだ広葉用の茶葉が茂りすぎて、二度目の茶摘となったが、そのはびこり具合とお茶室に縁のある黒部杉のはびこりとを重ねあわす、一種の響き付けであろう。

 

季語は「茶園二度摘て」で夏。

 

十句目

 

   はびこりし廣葉の茶園二度摘て

 けふも暑に家を出て行      利牛

 (はびこりし廣葉の茶園二度摘てけふも暑に家を出て行)

 

 お茶の二度目の収穫の頃は、かなり高温になる。

 

季語は「暑」で夏。「家」は居所。

 

十一句目

 

   けふも暑に家を出て行

 伊勢のつれ又変替をしておこす  野坡

 (伊勢のつれ又変替をしておこすけふも暑に家を出て行)

 

 「変替(へんがえ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 「へんがい(変改)」の変化した語。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※虎明本狂言・飛越(室町末‐近世初)「すきなどといふ物は、やくそくなどして、さやうにへんがへはならぬ」

  [補注]室町期には[i]と[e]、とりわけ[ai]と[ae]の間での母音交替現象がしばしば認められるが、その多くは一時的なもので、意義分化といった質的変化が生じない限り、いずれはどちらか一方が消滅するのが一般的である。「へんがへ」の場合は音変化を起こした部分がたまたま似た意味の「替え」と同音であったために「変替え」と意識され、「変改(へんがい)」との間に意味用法的な差異を生じないままに両者が併存するに至ったものと考えられる。

  〘他ハ下一〙 変更する。また、心変わりする。約束を破る。

  ※談義本・地獄楽日記(1755)三「惣仕廻を変がへてたも」

 

とある。

 当時の旅は一人旅は危険ということで二人一組になって移動することが多い。『奥の細道』の旅も曾良が同行した。

 お伊勢参りも二人で行くことが多いが、連れの方が朝の暑さで早く目が覚めてしまったのだろう。いきなり起され「行くぞ」となる。迷惑なことだ。

 

無季。旅体。「伊勢」は名所。

 

十二句目

 

   伊勢のつれ又変替をしておこす

 おこしかねたる道心の沙汰    宗波

 (伊勢のつれ又変替をしておこすおこしかねたる道心の沙汰)

 

 宗波は『鹿島詣』の旅で曾良とともに芭蕉に同行したが、神道家の曾良を伊勢の連れとしたか。曾良は『鹿島詣』には「浪客の士」とあり、『奥の細道』の旅のときに剃髪し僧形となった。

 宗波は

 

 「ひとりは水雲の僧。僧はからすのごとくなる墨のころもに、三衣(さんね)の袋をえりにうちかけ、出山(しゅつざん)の尊像を厨子にあがめ入れテうしろに背負ひ、拄杖(しゅじょう)ひきならして無門の関(かん)もさはるものなく、あめつちに独歩していでぬ。」

 

とある。

 お伊勢参りの連れは僧形になる予定だったが急に気が変り、俗形のまま旅立つこととなった。

 

無季。

 

十三句目

 

   おこしかねたる道心の沙汰

 金払ひ名月までは延られず    凉葉

 (金払ひ名月までは延られずおこしかねたる道心の沙汰)

 

 月は「真如の月」という言葉もあるように、道心に一点の迷いもないと言いたい所だが、それまでに遅滞した借金を返さなくてはならないから、出家の沙汰はそれまで待って、ということになる。

 七月十五日に決済の所を一月猶予してもらったのだろう。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。

 

十四句目

 

   金払ひ名月までは延られず

 のぼり日和の浦の初雁      曾良

 (金払ひ名月までは延られずのぼり日和の浦の初雁)

 

 前句を商売人の位として、都まで船で商品を運びそれを売って借金を返そうとする。

 「浦の初雁」は港の景色と見ても良いし、これから都へ上る自分の比喩としても良い。

 

季語は「初雁」で秋、鳥類。「浦」は水辺。

 

十五句目

 

   のぼり日和の浦の初雁

 秋もはや升ではかりし唐がらし  芭蕉

 (秋もはや升ではかりし唐がらしのぼり日和の浦の初雁)

 

 京へ上る商人を唐辛子売りとした。江戸の薬研掘の七味唐辛子は寛永のころの創業で、唐辛子売りは江戸の名物となった。新藤兼人監督の『北斎漫画』でも緒形拳扮する葛飾北斎が「とんとんとん、とうがらし」とうたいながら唐辛子を売る場面があった。

 京都では明暦の頃、清水寺の門前で唐辛子が用いられるようになった。

 

季語は「秋」で秋。

 

十六句目

 

   秋もはや升ではかりし唐がらし

 清涕たらす子の髪結てやる    宗波

 (秋もはや升ではかりし唐がらし清涕たらす子の髪結てやる)

 

 「清涕」は百度百科に「透明而稀薄的鼻腔分泌液,即水样鼻涕。」とある。鼻水のことで、ここでは「清涕(はな)たらす」と読む。昔は青っ洟(ぱな)を垂らす子が多かった。ティッシュのなかった時代は袖で拭いたりしてそでがカピカピになったりした。「はなたれ小僧」という言葉にその名残がある。

 そのはなたれ小僧というと江戸時代では芥子坊主だが、成長してようやく髪を結うまでになったのだろう。芥子坊主が唐辛子頭になった。

 

無季。「子」は人倫。

 

十七句目

 

   清涕たらす子の髪結てやる

 在所から半道出れば花咲て    利牛

 (清涕たらす子の髪結てやる在所から半道出れば花咲て)

 

 「在所」は近代では被差別部落の意味で用いられるが、江戸時代は普通に田舎の集落の意味で用いられていたようだ。

 コトバンクの「世界大百科事典内の在所の言及」に、

 

 「江戸時代以降,都を離れたいなかを意味するようになるが,さかのぼって《塵芥集》の〈在所〉は門・垣をめぐらし,竹木で囲まれた家・屋敷でアジール的機能をもつと解しうるので,中世の所についても,同様の性格を備える場合が少なからずあったと見てよかろう。」【網野 善彦】

 

とあり、門や垣によって閉ざされた集落のイメージがあったのだろう。

 「梅が香に」の巻の六句目に、

 

   宵の内ばらばらとせし月の雲

 藪越はなすあきのさびしき    野坡

 

の句の江戸後期の注釈、『俳諧古集之弁』に、

 

 「在所の気やすきさまならん。夜も又静になりけらし。」

 

とあり、藪によって仕切られたというイメージがある。

 「在所」という言葉に単なる集落ではなく、閉ざされた一角というイメージがあったあたりに、後に被差別民部落の意味に転用されるもとがあったのだろう。

 この句でも在所の中に桜の木があるわけでなく、そこから出てちょっと行った所に桜の木がある。そこへ行くために普段髪を結わない子供の髪を結っているのだろう。

 

季語は「花」で春、植物(木類)。「在所」は居所。

 

十八句目

 

   在所から半道出れば花咲て

 瓢の煤をはらふ麻種       濁子

 (在所から半道出れば花咲て瓢の煤をはらふ麻種)

 

 桜の咲く頃は麻の種まきの時期でもある。納屋で煤をかぶっていた瓢(ひさご)の煤を払い、種を撒いたら水をやる。

 成長すると麻は二メートルを越える高さになるから、

 

 つかみ逢ふ子どものたけや麦畠  去来

 

に対し「凡兆曰く、是麦畠は麻ばたけともふらん」(去来抄)というのは無理がある。

 

季語は「麻種」で春。

二表

十九句目

 

   瓢の煤をはらふ麻種

 春の空十方ぐれのときどきと   野坡

 (春の空十方ぐれのときどきと瓢の煤をはらふ麻種)

 

 「十方(じっぽう)ぐれ」はウィキペディアに、

 

 「選日の一つで、日の干支が甲申(甲子から数えて21番目)から癸巳(同30番目)の間の10日間のことである。

 この10日間のうち、十干と十二支の五行が相剋しているものが8日も集中しているため、特別な期間と考えられるようになった。この期間は、天地の気が相剋して、万事うまく行かない凶日とされている。」

 

とある。(ちなみに今日は癸巳で十方ぐれの最終日になる。)

 ただ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 

 「① 暦で、甲申(きのえさる)の日から癸巳(みずのとみ)の日までの一〇日間をいう。この間は天地陰陽の気が和合しないで、十方の気がふさがり、何事の相談もまとまりにくく、万事に凶であるという。

  ※蔗軒日録‐文明一八年(1486)二月九日「今日者世之所謂十方之初日也。舟人所レ忌之日也」

  ② 空がどんよりと曇っていて暗いこと。転じて、心が重く、暗くふさがること。

  ※咄本・鹿野武左衛門口伝はなし(1683)下「日しょくか十方ぐれかしかるべしと申ける」

 

とあり、この句の場合は②で、①の意味への取り成しを期待した句ではないかと思う。

 桜の花が咲く頃は花曇になることも多い。

 

季語は「春」で春。

 

二十句目

 

   春の空十方ぐれのときどきと

 汐干に出もをしむ精進日     芭蕉

 (春の空十方ぐれのときどきと汐干に出もをしむ精進日)

 

 忌日に凶日が重なるなら、なおさら殺生を避けなければならない。

 

季語は「汐干」で春、水辺。

 

二十一句目

 

   汐干に出もをしむ精進日

 駕舁のひとりは酒を嗅もせず   利牛

 (駕舁のひとりは酒を嗅もせず汐干に出もをしむ精進日)

 

 精進日なので酒も控える。

 

無季。「一人」は人倫。

 

二十二句目

 

   駕舁のひとりは酒を嗅もせず

 先手揃ゆる宿のとりつき     凉葉

 (駕舁のひとりは酒を嗅もせず先手揃ゆる宿のとりつき)

 

 先手(さきて)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 陣立で、本陣の前にある部隊。また、先頭を進む部隊。先陣。先鋒(せんぽう)。さき。

  ※嘉吉記(1459‐67頃)享徳三年「一方の先手と頼切たる勝元逐電の上は、今夜の征伐は止にけり」

  ② 行列などの先頭をつとめる者。先頭を行く供人。

  ※俳諧・西鶴大句数(1677)一「行龝や道せばからぬ一里塚 三人ならびに先手の者ども」

  ③ 江戸時代、将軍護衛の役。

  ※随筆・胆大小心録(1808)一〇八「大田蜀山子、今はおさきての御旗本にめされし也とぞ」

  ④ 船具。和船の帆柱を起こしたり、倒したりするとき、船首・船尾へ引く綱。柱引。〔和漢船用集(1766)〕」

 

とある。この場合は②の意味か。

 ③は先手組のことで、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「江戸幕府の職名。弓組と鉄砲組とに分かれ、江戸城諸門の警備、将軍外出の際の護衛、また、火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)として江戸市中の巡視などを担当。先手頭のもとに与力(よりき)・同心で組織された。」

 

とある。

 宿場の入口に行列の先頭が到着するとなると、酒を飲んでいる場合ではない。すぐに見に行かなくちゃ。

 何たって大名行列はパレードだ。庶民の数少ない娯楽の一つだ。

 

無季。旅体。

 

二十三句目

 

   先手揃ゆる宿のとりつき

 むつかしき苗字に永き名を呼て  芭蕉

 (むつかしき苗字に永き名を呼て先手揃ゆる宿のとりつき)

 

 先手が名乗りを上げるが、よくわからない苗字にその前後にいろいろなものがくっ付いて長い名前になる。征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者徳川従一位行右大臣源朝臣家康のように。

 

無季。

 

二十四句目

 

   むつかしき苗字に永き名を呼て

 まるぐちすゆる鯖のやき物    野坡

 (むつかしき苗字に永き名を呼てまるぐちすゆる鯖のやき物)

 

 「まるぐちすゆる」は『校本芭蕉全集』第五巻の中村注によると、丸ごと尾頭付きで膳に据える」という意味だという。

 偉そうな名前を名乗っても所詮は庶民で、いくら尾頭付きでも所詮鯖はは大衆魚。

 

無季。

 

二十五句目

 

   まるぐちすゆる鯖のやき物

 祝言も母が見て来て究メけり   利牛

 (祝言も母が見て来て究メけりまるぐちすゆる鯖のやき物)

 

 結婚式のご馳走も母がどこから見てきたか鯖の尾頭付きに決定した。

 

無季。恋。「母」は人倫。

 

二十六句目

 

   祝言も母が見て来て究メけり

 木綿ふきたつ高安の里      芭蕉

 (祝言も母が見て来て究メけり木綿ふきたつ高安の里)

 

 「木綿(きわた)」は木綿の綿。

 高安(たかやす)は今の大阪府八尾市にある地名。

 かつては綿花の栽培が盛んで、河内木綿と呼ばれていた。高安山のふもとの綿織物は山根木綿ともいう。

 『伊勢物語』の筒井筒の話を踏まえて、高安の女は木綿で儲かっているがやめときなということで、奈良の女と祝言を挙げさせたというところか。

 

季語は「木綿ふき」で秋、植物(草類)。「高安」は名所。「里」は居所。

 

二十七句目

 

   木綿ふきたつ高安の里

 足場より月の細道一筋に     濁子

 (足場より月の細道一筋に木綿ふきたつ高安の里)

 

 木綿の花が真っ白に咲き、それを月が照らし出すと、この年の秋に詠まれることになる、

 

 名月の花かと見えて綿畠     芭蕉

 

のように美しい景色になる。

 ただ、綿花は背が低いため、桜のような花の下の道ではなく、真っ白な中に一筋に道が現れる。

 芭蕉の「名月の」の句は、あるいはこの濁子の句が元になっていたか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十八句目

 

   足場より月の細道一筋に

 鹿追ふ声の睡たそうなる     曾良

 (鹿追ふ声の睡たそうなる足場より月の細道一筋に)

 

 前句を普通の畑の中の道とし、夜にやってくる鹿を追い払う声もすっかり夜遅くなったせいか眠たそうに聞こえる。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。

 

二十九句目

 

   鹿追ふ声の睡たそうなる

 念仏に小さき鉦は殊勝にて    利牛

 (念仏に小さき鉦は殊勝にて鹿追ふ声の睡たそうなる)

 

 ここでいう「鉦(かね)」は鉦鼓(しょうこ)のことで、読経や念仏にも用いられる。

 鉦鼓は念仏に使えば殊勝だが、ここでは鹿を追い払うのにも役に立つ。

 

無季。釈教。

 

三十句目

 

   念仏に小さき鉦は殊勝にて

 四五十日に居あく太秦      野坡

 (念仏に小さき鉦は殊勝にて四五十日に居あく太秦)

 

 京都の太秦(うずまさ)には安井御所の念仏堂があった。今は安井念仏寺になっている。

 念仏の鉦の音は風情があるが、四五十日もいれば流石に飽きる。

 

無季。「太秦」は名所。

二裏

三十一句目

 

   四五十日に居あく太秦

 藪陰は麦も延たる霜柱      岱水

 (藪陰は麦も延たる霜柱四五十日に居あく太秦)

 

 ここで一句だけ『炭俵』でお馴染みの岱水さんの登場となる。

 当時の太秦あたりの景色だったのだろう。

 

季語は「霜柱」で冬、降物。「麦」は植物(草類)。

 

三十二句目

 

   藪陰は麦も延たる霜柱

 荷ふたものをとへば塩売     凉葉

 (藪陰は麦も延たる霜柱荷ふたものをとへば塩売)

 

 「塩売(しおうり)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「塩の取引商人。日本では塩は海岸地方でのみ生産されるといった自然的・地理的制約があるので,山間・内陸地方の需要を満たすため,製塩地と山間・内陸地方との間に古くから塩の交易路,すなわち塩の道が開かれ,そこを塩商人が往来し,各地に塩屋・塩宿が生まれた。塩の取引には,古代から現代に至るまで製塩地の販女(ひさぎめ)・販夫が塩・塩合物をたずさえて,山間・内陸地方産の穀物・加工品との物々交換を行ってきた。とくに中世に入って瀬戸内海沿岸地方荘園から京都・奈良に送られていた年貢塩が途中の淀魚市などで販売されるようになると,大量の塩が商品として出回るようになり,その取引をめぐって各種の塩売商人が登場した。」

 

とある。

 内陸部へは行商人が運んでいた。怪しい奴とばかりに荷物を調べたら塩だった、ということか。

 

無季。

 

三十三句目

 

   荷ふたものをとへば塩売

 男子ども遊び仕事を昼の辻    野坡

 (男子ども遊び仕事を昼の辻荷ふたものをとへば塩売)

 

 「遊び仕事」はよくわからないが大道芸か。塩売りは本業の合い間に辻で何か芸をやったりして副業としていたか。

 

無季。「男子ども」は人倫。

 

三十四句目

 

   男子ども遊び仕事を昼の辻

 寝入りもはやし年の寄ほど    利牛

 (男子ども遊び仕事を昼の辻寝入りもはやし年の寄ほど)

 

 前句の「遊び仕事」を遊びのような仕事とし、爺さん達は早く寝る。その分起きるのも早いが。

 

無季。

 

三十五句目

 

   寝入りもはやし年の寄ほど

 切り株も若木ははなのうきやかに 濁子

 (切り株も若木ははなのうきやかに寝入りもはやし年の寄ほど)

 

 「うきやか」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 心の動きや動作が軽快なこと。また、そのさま。

  ※花伝髄脳記(1584頃)「下げて謡ふ所は、川の瀬のごとし。高く、心をうきやかに、するすると行く事、用也」

  ② 容貌などが、曇りなくはればれとしたさま。

  ※譬喩尽(1786)四「皖(ウキヤカ)な顔」

  ③ 心が軽薄で、行動のかるがるしいさま。

  ※信長記(1622)八「先がけのつはもの共、うきやかになってひしめきけり」

 

とある。「うかれる」から来た言葉で、今日の「うきうき」にも近いか。

 切り株から芽吹いた枝に咲く桜は、何だかうきうきしているように見える。

 

季語は「はな」で春、植物(木類)。

 

挙句

 

   切り株も若木ははなのうきやかに

 かげろふ落る岩の細瀧      曾良

 (切り株も若木ははなのうきやかにかげろふ落る岩の細瀧)

 

 桜は雲や霞や雪などいろいろに喩えられるが、滝に喩えられることもある。

 

   堀河院御時、女房達を花山の花見せに

   つかはしたりけるが歸りまいりて、

   御前にて歌つかうまつりけるに、

   女房にかはりてよませ給ける

 よそにては岩こす滝と見ゆるかな

     峰の櫻や盛りなるらむ

                堀河院御製(金葉集)

 

 山櫻さきそめしよりひさかたの

     雲ゐに見ゆる滝の白絲

                源俊頼朝臣(金葉集)

 

 切り株から出た若木の細い桜の枝は「岩の細瀧」といえよう。

 「かげろふ」は一般的には日の当たる所でゆらゆら揺れる光の屈折によって起きる現象だが、古典で用いられる時は必ずしも今で言う陽炎とは限らず難しい。

 この場合の「かげろふ落る」も単に儚い光くらいの意味で、桜の細瀧のような枝のことではないかと思う。

 

季語は「かげろふ」で春。「細瀧」は山類。