2月11日

 今日は下町めぐりで、押上から牛島神社、桜橋、今戸神社、待乳山聖天、浅草神社と回った。
 押上から業平橋の方へ歩くと、新東京タワー(スカイツリー)の建設現場があった。何か円い建物の土台のようなものができていた。
 牛島神社はだいぶ前に一度来たことがあった。あの時の撫で牛や駒牛は健在だった。隣の公園には鳥がたくさんいて、その向こうの隅田川には、ユリカモメが飛んでいた。

 名にしおはばいざこと問はむ都鳥
     わが思ふ人はありやなしやと
                  在原業平

の歌の通りだった。
 今戸神社は「夏目友人帳」のニャンコ先生の白と黒の二体の像が奉納されている。
 1063年創建の由緒ある神社であり、招き猫の発祥の地でもあり、文政時代の古い狛犬もあり(金網で覆われていた)、沖田総司の終焉の地でもあるのだが、何となく寂しいところで、敷地は広いが、その大半が駐車場のようになっていて、鳥居の周辺と本殿の周辺のほかは何か殺風景だった。
 猫好きにとっても、狛犬好きにとっても、沖田ファンにとっても聖地といっていい所なのだから、「夏目友人帳」を期にもっと盛り上がってくれるといいな。
 待乳山聖天は、前に来たことがあり、駐車場の隅に置かれた寄りそうような先代の狛犬はそのままだった。
 浅草へ着くと、急に人通りが多くなった。浅草神社(三社様)の狛犬はさすがに大きく、境内では猿回しが来ていた。

2月8日

 「ムシウタ05」を読み終わった。
 ところで、俺の夢って何だろうか。ずいぶん昔、つまり若い頃だが、エテロトピー(ヘテロトピア:混在郷)という言葉が引っかかっていた。
 確かユートピア(理想郷)と対になる言葉で、ユートピアが一つの秩序、一つの理論によって支配された国なのに対し、ヘテロトピアは何でもありの混沌とした世界だ。ミシェル・フーコーの「言葉と物」の最初の方にあった言葉だったとおもう。
 そのとき、俺が欲しいのはヘテロとピアの方だと思った。ユートピアは一つの思想、一つの価値観でもってがんじがらめに縛られた窮屈な世界。それはいくら立派な理想を掲げていても、結局は服従しないものを排除することによって成立つ世界だ。鉄の規律、血の粛清、それはいつもユートピアについて回る影のようなものだ。
 俺が欲しいのは、誰も排除されることのない世界だった。いろんな価値観、いろんな世界観、いろんな趣味、いろんな習慣、言語、美学、そんなものがすべて平和共存できる世界、いわば「排除なき共同体」、それがヘテロトピアなのではないかと思った。ユートピアは何のかんの言っても、結局は異質なものを排除することによって成立つ排他的共同体なのではないかと思った。
 空が紫色にたそがれ、街には色とりどりの明かりがともるように、そこに住む人たちもまた様々な人種の人が入り混じり、それぞれの言語を喋り、それぞれの歌が飛び交う。何か、そんな夢をいつも見ていた。
 一人一人の夢はいくら素晴らしく美しいものであったとしても、それを実現するために人は組織の所属し、そして組織を維持したり拡大するために戦う。自分の夢はいつしか組織の夢にすり返られ、いつの間に裏切られてゆく。あたかも「虫」に食われたみたいに。
 そして、夢同士で共食いを始める。
 そんなことのないような、異なる夢を認め合うような、そんな世の中を、そんな組織をつくれないのだろうか。人と違うからといって苛められたりつま弾きにされたりすることのないような、誰もが自分の居場所を認められる世界。そんな夢って、美味しいのかな?
 もっとも、いまさら虫憑きになるような歳ではないけどね。

2月7日

 さて、myspaceメタルの旅。
 今日はロシアのフォークメタル、KALEVALAからスタート。同じくロシアのTUMULUSからMysticaへ行くと、そこはブルガリア。メタルといっても、プログレっぽい。Opethの影響があるのか。ボーカルはクリアボイス。WARTIMEもブルガリアで、こっちの方がメタルらしい。ただ、あんまりブルガリアらしさはない。Yuvigiはボーカルがオルタナっぽい。smallmanの一曲目のEvolutionの出だしのキーボードはバルカン半島ッぽい。Yuvigiに戻り、Balkandjiへ行くと、これはもうバルカン半島の匂いのぷんぷんするフォークメタル。
  何となく3 mustaphas 3を思い出したが、ところで、3ムスは実はイギリスのバンドだったということを、今になってwikipediaで知った。
 「ひぐらしのなく頃に 鬼曝し編」を読んだ。最後のところを読んだとき、ひょっとして「うみねこ」もこういうことなのかと思った。

2月4日

 Decembaer,2008。惨劇は起った。
 すずちゃんはいつものようにベランダで、家の前に来るハトの姿を眺めていた。それはすずちゃんのささやかな楽しみの一つだった。
 すると、似せずずちゃんがやってきた。そして、あっという間に一羽のハトをしとめると、それをくわえて去っていった。
 その後、すずちゃんの前にハトがやってくることはなかった。
 さあ、すずちゃんはハトのなく頃まで生き残ることが出来るだろうか‥。

 そう言っていたところ、昨日の豆まきのおかげで、今日は家の前についにハトが戻ってきた。すずちゃんは無事ハトの姿を見ることができた。

 ところで、この頃、俺のipod shuffleの中では日本勢を圧倒しているフィンランドだが、今日のサッカーの試合は何か拍子抜けだった。どうやら、フィンランドはワールドカップ予選を戦っているメンバーとは大幅に違う、国内リーグやスウェーデン・ノルウェーでプレイしている若手がほとんどだったようだ。
 それで親善試合ということもあるのか、モチベーションも低かったのだろう。気持ちは秋葉のメイドカフェの方を向いていたのではないか?残念ながらメタルサッカーは見られなかった。ホルムガー!アンビヤー!

2月3日

 節分ということで、今年も一応恵方巻きを食べ、豆まきをした。
 恵方まきの習慣がいつからこんなに広まったのだろうか。自分の書いた日記を読み返してみると、2004年にすでに、「今年になってラジオでも何度も太巻き寿司のことを聞いたが」とあり、2005年には「太巻きを食べた」とある。我が家では2005年に始まった習慣だった。
 Wikipediaによると、1998年にセブンイレブンが全国展開したあたりから急速に普及したとあるが、関東は一番普及の遅れた地域だったようだ。ミツカンのホームページによると、2005年の関東・山梨・長野・新潟の喫食率は41~50パーセントだという。
 ちなみに2005年の9月に公刊された「涼宮ハルヒの陰謀」にも、恵方巻きが登場する。

 ハルヒはコンビニ袋からさらなる袋と、パック詰めされた食料を取り出して、
「嘆かわしいわね、みくるちゃん。子供の頃はちゃんとやってたでしょ?今日は節分、そいで節分といえば豆まきと恵方巻じゃないの!」
 恵方巻は確か地域限定の行事だが、とにかく細かい季節的イベントにこだわりのある団長なのである。(「涼宮ハルヒの陰謀」谷川流、2005、角川書店、p.49)

 ハルヒも恵方巻きの全国普及に貢献した一人だろう。

2月1日

 今日のmyspaceメタルの旅はアルゼンチン。ロシアのnomans landの2008/12/22 06:52のコメントから一気にskiltronというアルゼンチンのフォークメタルバンドへと飛べる。
 skiltronはフォークメタルで、フィンランドっぽくしようとしているようだが、音が軽く、ボーカルもハイトーンで、陽気なENSIFERUMってところか。なぜかタータンチェックのスカートをはいている。
そこからtengwarへ行くといきなり笛がぴゅーぴゅー鳴り出して、これはさらに長閑な感じのフォークメタル。ここからいろいろとアルゼンチンのメタルバンドに繋がっている。
 tersivelはデスメタルを目指しているにしては朗々と情熱的に歌うボーカルで、音も明るい。dolmenも切々と歌うフォークメタルで、アルゼンチンでは感情を殺したようなデスボイスはあまり受けないのだろうか。renacerも陽気でポップなメタル。これがアルゼンチンメタルのカラーなのだろう。
 アルゼンチンというと南米で暖かい国だと思っていたが、今日の世界遺産のテレビを見ていたら、南部には氷河もあり、案外南米のフィンランドなのか。
 ところで、昨日ブックオフで買った「ひぐらしのなく頃に」の「宵越し編」は、サイドストーリーだと思って軽く見ていたら、これが泣ける。高橋ツトムの「スカイハイ」にも通じるものがある。

1月31日

 ブックオフで漫画版の「うみねこのなく頃に1」を見つけた。
 ところで、どうして礼拝堂が?‥と思ったら、屋敷本館の画像が駒場の旧前田公爵邸ではなく、湯島の旧岩崎邸になっていた。表紙では旧前田公爵邸なのに‥。
 Episode2で礼拝堂が出てきたときの画像はどうするのだろうか。

1月28日

 マスドレ、なかなか正確な名前が覚えられない。MASS OF THE FERMENTING DREGS、見ながら打ち込んだ。
 そのマスドレの「ワールドイズユアーズ」は一段とポップになって、エレトイのライバルになってきたかな。何か、ガールズロックの新しいムーブメントとなるといいな。

1月26日

 RADWIMPSのニューアルバムのタイトルが「アルトコロニーの定理」だという。
 はて、そんな定理があったか?一応検索してみたが、RADのアルバムのタイトルとしてしか出てこないから、野田君が作ったのだろう。
 最初、アルト・コロニーと区切って、何のことかよくわからなかったが、これはひょっとして「或る所にー」ってこと?「おとぎ」という曲の中にそんなフレーズがあったけど。
 「おしゃかしゃま」はヒキコモリロリン系のファンキーな曲だったし、「雨音子」は傘拍子系の英語のバラード。この二つを聞く限りだと、今までの路線を踏襲している感じだが、きっと何か新しいこともやってくれるだろう。楽しみだ。

1月25日

 昨日の雨は雪に変わったか、起きたときにはところどころ白いものが残っていた。
 「うみねこ」のEpsode 2に四元素の話が出て来ていたので、そろそろエンペドクレスについて書こうかと思った。何かわからないことが多くて、思うように進まない。エンペドクレスは、単に世界を四元素から成ると考えただけではなく、その離合集散に「愛」を見出した人でもあったようだ。 
 さて、今日は家で一休みで、いつものようにmyspaceで行く世界メタル旅。
 HEIDEVOLK(オランダ)を起点にまずVAHAGN(アルメニア)へ。これはまたエキゾチックで、中東の香りもする。次にSwordgravan(リトアニア)。これもロシアともフィンランドともまた違う面白い音で、フィードルが哀愁を帯びている。ここからFrekkr(フランス)へ飛ぶと、ここから先はフレンチメタルの世界が広がっていきそうな気配。
 SwordgravanからSkald(スウェーデン)へも行ける。これはあまりメタルっぽくなく、フォークメタルがギターロックっぽくなった感じだ。

1月22日

 昨日はちょっと言い過ぎだったな。まあ、俺なんかがどう転んでも准教授はおろか助手にも研究員にもなれないのだから、やっかみのようなものだ。そろそろこういうのは卒業して、日記を楽しいことでいっぱいにしないとね。
 テレビで図書館猫のデューイをやっていたが、日本で図書館猫は絶対無理という出演者の一言で、一気に醒めてしまった。デューイ役の猫がころころ変わるところに突っ込みを入れたりして楽しんだ。

1月21日

 「アテネ 最期の輝き」は、案外トンデモ本かもしれない。
 デモステネスがカイロネイアの戦いで、盾を捨てて逃げたということをことさら強調し、その臆病ぶりを非難し、何で戦死しなかったのかという論調は、ちょっと人間性を疑う。デモステネスが自分の息子だったとしたら、果たしてそんなことを言っただろうか。
 当時のギリシャの戦闘は、隊列を組んだ重装歩兵同士の衝突が中心で、個人技の入り込む余地はない。いかに隊列を乱さずに戦うかが重要であり、逆に言えば、隊列が修復不能になれば、それは戦闘不能であり、退却するしかない。進むも勇気なら引くも勇気で、その決断一つに何千人もの命がかかっている。
 カイロネイアの戦いで1万2千のアテナイ軍の千人が戦死し、2千人が捕虜になったということは、9千人もの人が無事に退却できたということでもある。それとも、アテナイ軍はここで玉砕すべきだったとでも言うのだろうか。それこそ、終戦間際の旧日本軍の狂った将校と同じ感覚だ。
 当時の兵隊はジープに乗っているわけではなく、何十キロもの重さのある鎧兜盾を身につけての徒歩での行軍だ。何十キロもの装備を背負って逃げられるはずない。退却するときには装備を全て捨てるのは常識であり、盾を捨てたのは臆病だからではない。
 なら、スパルタのあの300(スリーハンドレッド)はどうなのかと言うかも知れない。あれは狭い峡谷でペルシャ軍を食い止めていたところに内通者があらわれ、ペルシャ軍の一部を背後に回りこませたため挟み撃ちになり、逃げ場のないところで取り囲まれて袋叩きにあっただけで、玉砕しようとして玉砕したわけではない。
 ソクラテスだって、デリオンの戦いから無事生還し、その行為は賞賛された。あの時玉砕していたら、ソクラテスは歴史に名を残すことはなかっただろう。デモステネスの生還も、多くのアテナイ人の命を救った英雄としての生還であり、一部にはこの著者と同様に臆病者と非難するものもいただろうが、大多数のアテナイ人は冷静だったと見るべきであろう。
 澤田典子が普通のオバサンだったら許す。だが、大学の准教授で、仮にも知識人のはしくれなら、人の命を軽視するような軽はずみな書き方はしないで欲しい。

1月20日

 オバマ大統領就任で、果たして日本は何か「変わる」のだろうか。特にどこかで盛り上がっているという雰囲気もないし、日本はあくまで高度成長の夢よもう一度とばかりに、昔に戻っていくのだろうか。
 U2のBONOはこれはアメリカ人の夢だけじゃない、アイルランド人の夢でもあり、ヨーロッパ人の夢でもあり、アフリカ人の夢でもあり、イスラエル人の夢でもあり、そしてまたパレスチナ人の夢でもあると言っていた。日本は完全にスルーされてしまったみたいだ。実際、あれが日本人の夢だと思っている日本人はそんなにいないだろう。
 日本人の夢は一体どこに。

1月18日

 久しぶりに図書館へ行き、『アテネ、最後の輝き』(澤田典子、2008、岩波書店)という本を見つけた。
 ギリシャの歴史はマケドニアに占領されて終ったのではなく、むしろマケドニア占領下のアテネこそが、それまでのギリシャの果てしなく続いた内戦から開放され、平和を享受し、民主政治が最高潮に達した時代だという見方が、なかなか面白そうだった。

 今日のMyspaceメタルの旅はオランダのElexorienを起点にドイツのTrollZornの方へ進んだ。ドイツのバイキングメタルはオランダと似ていて、何となく音が柔らかくて優しい感じがする。ドイツ語の響きに似ているというか、感情を抑えたような落ち着きを感じる。
 そこからSvertbyのアイコンをクリックすると、ロシアへと飛んだ。わーっ、ロシア民謡だ!コサックダンスが浮かんでくる。しかも、いろいろとロシアの田舎の擬音が入ってくる。同じロシアでもpagan reignを聞いたときは、フィンランドのバイキングとそんなに変わらない感じがしたが、Svertbyの方はこてこてな感じがする。
 続いて同じくロシアのHogwarts。やはりハリーポッターと関係があるのかな?「炎のゴブレット」は昨日のテレビで見たけど、シリーズもこの辺になると結構恐い話になり、やはりデス・メタルを生んだ風土だなという感じたした。
 TRELLEBORG,Nomans Landとそのあともロシアのバイキングメタルを渡り歩いた。ロシアの音は何となく高音が少なく、音がそれほど鋭くなくて温かみを感じる。ボルシチメタルって感じだ。そのあとFalchion(フィンランド)へ行ったら、音が全体に一気に高くなった。

1月17日

 松濤美術館へ「素朴美の系譜」展を見に行った。「かるかや」や大津絵、白隠や仙厓の禅画があった。仙厓はやはり別格で、キャラの表情が違う。
 玉堂も、2006年の玉堂展以来の再会だ。今日見た中では「雪峯欲晴図」が良かった。
 そのほかに近代のものもいろいろあった。武者小路実篤の野菜の絵もあったし、夏目漱石の絵は上手いんだけど、色彩感覚が‥って、そこが天才なのか。

 さくたろにマフラーが出来た。

1月14日

 今朝のラジオを聞いていたら、「グリーン・ニューディール」が今年の流行語対象の候補になるなんて、ずいぶん気の早いことを言っていた。
 日本で流行るかどうかはともかく、韓国発でオバマ政権も積極的に押し進めようとしている、エコ関連に多額の投資をして、雇用を創出しようという試みが、世界に広がってゆくのは間違いないだろう。
 日本では、不況対策というと、ただ単にがむしゃら働けになりがちで、将来へのビジョンもなければ計画性もなく、ただその場限りに努力と根性で乗り切ろうということになりがちだ。結局はやらなくてもいいどうでもいい仕事ばかりを増やして、労働時間は増えたけど給料は減っていくということになりかねない。それが「失われた十年」だった。
 高度成長の頃は、モータリゼーションとエレクトリゼーションという大きな柱があり、これによって人類がかつて経験しなかったような豊かな社会が作れるというビジョンがあった。だから、死に物狂いで働いても、見返りがあった。
 その後少し遅れてIT化時代がやってきた。これもコンピューターや携帯などの通信機器で、かつてない便利な社会が生れるという希望があった。俺が社会に出るころにはたった「第三の波」も、そうしたITの未来を予測したものだった。
 しかし、そのどちらもすでに実現されてしまった。果たして第四の波はあるのか。一体今、どこへ向かって一生懸命働けば、豊かな次の時代が作れるのか。それが、誰にもわからなくなってしまったのではないか。わからないまま必死こいても、それこそ「草臥れ儲けの骨折り損」になるだけ。でたらめに投資しても、後に借金だけが残る。
 クリーンエネルギーや環境対策への投資もさることながら、今の日本に必要なのはもう一つ、資源開発ではないかと思う。地下資源に限らず、農業も資源だし文化も資源だ。加工貿易国でもはやこれ以上の発展はないとすれば、やはりもう一度、日本国内に何があるかを考え直すべきだろう。

1月13日

 以前に読んだトマティス・メソッドを解説した本に、それぞれの言語で主に使われる周波数(パスバンド)がちがっているということが書いてあった。
 つまり、人間の耳は、生れたときは一緒だとしても、育つ環境によって、特定の周波数を聞くように耳が特殊化してゆくため、日本人には英語の音が聞き取りにくくなるというわけだ。
 日本語のパスバンドは125~1500ヘルツで、英語は2000から12000ヘルツ以上にもなるという。
 こうした、よく聞こえる音域が国によって違えば、同じ音楽を聴いても当然違う音に聞こえることになるだろう。同じ音楽でも、日本人には低音部が強烈に響いて高音部はあまり聞こえず、イギリス人には逆に低音部はあまり聞こえないが高音部は強烈に鳴り響くことになる。
 だから、おそらくミキシングの段階で、日本のエンジニアは低音部を押さえ気味にして高音部を強く鳴り響かすようにするだろうし、イギリス人のエンジニアは低音部を強調して高音部を控えめにするだろう。だから、日本のロックは高音部が強くきんきんと響く、やや落ち着きのない軽い音になりがちで、ブリティッシュロックは低音部の強い落ち着いた重厚な音に聞こえるのだろう。
 ノルウェーメタルが暗く響き、フィンランドメタルが日本人の耳にちょうどいいのも、ノルウェー語とフィンランド語のパスバンドの特性に原因があるのかもしれない。
 音だけでなく、おそらく色彩感覚にもお国柄があるのは、多分育つ環境によって目に入りやすい光の周波数というのがあるからなのだろう。
 音楽も絵画も決してすべての人に「同じ」に見えたり聞こえたりするのではない。クオリアは受け手によって異なる。だから一概にどこの国の美的感覚が優れているとは言えない。

1月12日

 鎌倉の七福神めぐりをした。
 行きの横須賀線からして混んでいて、元旦の初詣の異常な人出を思い出し、鎌倉が相当混雑しそうなのを予感した。
 北鎌倉で降り、浄智寺の布袋さんからスタートした。水仙や蝋梅が咲いていたし、梅もやはり少し開いていた。境内では猫が喧嘩をし、恋の季節も始まっていたのだろう。
 続いて、鶴岡八幡宮の弁天様。お稲荷さんのあるほうから入ったら、石段の上に出て、そこを下ろうとしたら、様子が変。下では入場制限していて、その後ろには大勢の人が。石段は降りずに横の方から源氏池の方へ降りた。そこで、冬牡丹を見てから弁天社へ行った。
 続いて、宝戒寺の毘沙門天、妙隆寺の寿老人を見て、本覚寺の夷堂を見た。本覚寺は昨日が十日夷で、今日はその撤収作業が行なわれていた。
 それから長谷寺まで歩いた。途中、鎌倉文学観を外から見た。青い屋根のきれいな洋館で、あの駒場の前田公爵の別荘だったという。やはり、本物の貴族は違う。るねっさーんす。
 これまでも、朱印はどこも行列していたが、長谷寺の大黒堂の朱印所の行列は半端ではなかった。ただでさえ正月から神社の人出がいつもの年より多いのに加えて、七福神めぐりをポスターを作って宣伝したり、ラジオでも紹介されたりしていたから、予想をはるかに上回る混雑だったのだろう。来年はもっと人を増やすかな。
 最後の御霊神社は薄暗くなる頃で、静かだった。昼間に大勢来たせいなのか、宝物庫は最初から開いていて福禄寿やそのほかのお面があった。

1月10日

 駒沢公園の梅がもう咲いていた。去年より二週間くらい早い気がする。まだ旧暦12月15日。寒月に寒梅を見て乾杯だ、と言いながら、持っていたのは缶コーヒーだった。

 寒梅については、「増補 俳諧歳時記栞草」には「兼三冬物」の「冬の梅」という項目に、こうある。

冬の梅:寒梅[大和本草]八朔梅は、八朔のころよりひらく。花小にして八重なり。西土にて、これを寒紅梅といふ。冬至に至て多くひらく、梅の魁なり。畿内の寒紅梅は、西土にて浅香山といふ。九月より開く、八重なり。但、九月に開くは狂花なるべし。臘月に開くを正時とす、故に寒紅梅といふ。(『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫、p.417) 

 『大和本草』は貝原益軒の著で、18世紀の初めに刊行された。「八朔」は旧暦8月1日のことで、いくらなんでも早すぎる。
 一説に八朔梅は、その昔武田家の家臣だった西順が八朔のお祝いに実の残った梅の小枝を送り、それに川中島の戦いで民が疲弊していることを訴える手紙を添えたところからきたものだともいう。
 実際、寒梅は旧正月前に咲く早咲きの梅のことで、おそらく中世の温暖期には冬至に開くこともあったのだろう。一般的には臘月(旧暦12月、師走)のものとなっている。益軒や馬琴の時代は寒冷期であり、おそらく師走も押し迫った頃にやっと咲く梅だっただろう。

1月9日

 今日のテレビで「デスノート」をやっていた。オリジナルのストーリーとか、もうすっかり忘れていた。ふと思ったのは、これをキラが誰かわからない状態にして、Lの立場で推理させるように再構築すれば、超難解なミステリーができるだろうな、ということだ。
 次から次へと人が殺されてゆく。疑わしい人はいても、いずれも完全なアリバイがある。あるいは完全な密室や誰もいないはずのところで殺人事件が起こる。終ってみれば、まさか死神が本当に存在していて、ノートで人を殺せるとは、ということになる。

1月8日

 今日の夜家に帰ったら、パソコンの前に「さくたろ」がいた。
 うりゅー、これは魔法?それとも妄想?
 なんでも、ハーモス江田のシャンブルにあった、最後の一個だとのこと。
 よく見ると首のところにもたてがみがあるところと、若干顔のパーツが下寄りについていることと、色が黄色というよりは薄いオレンジ色なところがアンチローザの「さくたろ」とはちがっている。
 思ったより大きく、すずちゃんより大きいので、「うりゅー」といって近づけると、すずちゃんが恐がっていた。

1月7日

 書店で漫画版の「ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編1」を見つけた。PS2の「祭」しかやってなかったから、この物語は初めて見た。「うみねこ」のEoisode 4を見ていても感じたことだが、アリス・ミラーの影響が大きいのかなぁと思った。
 アリス・ミラーの著作は一冊しか読んでいないし、タイトルも忘れたが、虐待とその連鎖に関するものだった。一見すると虐待を受けた経験が、あとになって虐待をする側になる原因であるかのように思われがちだが、ミラーはそうして決定論を説くのではなく、あくまで自分自身の心に傷に向き合うだけの強さがないため、あたかも自分が強い人間で、その傷をものともせずに乗り越えることで立派な人間になったかのように記憶を書き換えて、子供や部下に同じ試練を課そうとするのだという。その解決法は、傷の痛みの記憶を呼び起こし、もう一度向き合わせることだという。
 俺の好きなものは、確かに心の傷を思い出させるものが多い。でも、逆にそういうものを嫌う人が多いのも知っている。

1月6日

 就業意欲というのは、条件によって決まるもので、たとえば、重労働でありながら給料の出ない仕事に、就業意欲も何もあったものではないようなものだ。だから、雇用条件が悪化すれば、就業意欲のない者が増えるのは当たり前で、それは怠けているのではない。
 そういうわけで、坂本政務官の発言は、別に間違っているわけではない。何が間違っているかというと、雇用条件が悪化しているのに、国家の危機だから死にもの狂いで働くはずだ、と期待することではないか。
 働く気のなくなっているものを働く気にさせる。そういう良い条件の雇用を回復する。それが失業対策だろ?俺が何か間違っていることを言っているか?

1月5日

 今日から仕事始めで、しばらく魔法の世界ともお別れだ。真里亞のように無から何かを作り出せない大人は、結局他人が作った物語の世界に遊ぶことで、つらくて下らない現実をしばし忘れることができる。漫画でもゲームでも小説でも、哲学や風流の世界も、結局は真里亞のパジャマパーティーのようなものなのかもしれない。
 頭がこんがらがって、何が何だかわからなくなってきたとき、一番いいのはしばらく忘れることだ。忘れることで、余分な情報が削除され、本当に必要な情報が残る。人間がものを忘れるのは、情報を自動的に整理するためだと思う。

1月4日

 チベットの問題であんなけ騒いだ人たちも、今度のガザのことは何にも騒がないのかなーなんて、関係ないけど。
 竜騎士07さんの作品の「ひぐらしのなく頃に」「うみねこのなく頃に」の、最初に同じ事件の四つの別々の物語を提示して、そこから推理させるという手法そのものが画期的だったと思う。
 現実の世界の謎解きもまた、同じ一つの事件であるにもかかわらず、それに対する諸説があるからだ。ひとつの説を信じればそれは謎でもなんでもなくなって「定説」になってしまう。だが、別の説があることによって謎が生じ、謎解きの楽しみが生じる。
 ソクラテスの死にしても、プラトンのテキスト(Episode 1)しか残っていなかったなら、大した謎にはならなかった。でも、それとまったくちがうクセノフォンのテキスト(Episode 2)があることで、謎解きが可能になる。さらに、後になって編集されたディオゲネス・ラエルチオスのテキスト(Episode 3)を加えれば、立派な出題編の完成ということになる。
 芭蕉も一つの謎だ。子規や虚子などの近代俳人の説だけなら、大した謎ではない。しかしそれとは全く異なる江戸時代の人の証言する芭蕉があることで、出題編が成立する。
 存在の謎についても同じだ。古今の哲学者の書いた膨大なテキストが、それぞれEpisode 1,2,3,4, ‥‥で、どこにも回答編はない。全てが出題編なのだ。
 謎解きの楽しみというのは、どこにでもある。ただ、俺はどうも今まで金にならない謎解きばかりやってきた。何か金になる謎解きの仕事ってないのかな~。

1月3日

 「うみねこ」の方は出題編が一通りそろったところで、Ep.1からもう一度見直してみようと思った。見落とした伏線や手がかりがないか、視点を変えると何かわかるかもしれない。
 Ep.4の中にもあったが、物事は視点が違えば別のものになる。どんな慈善事業も愛がなければただの偽善や売名行為にしか見えないし、人を殺しても愛があればよっぽどのことがあったのだろうと同情される。人の評価なんてのはそんなもので、大事なのは自分で満足できるかどうかだ。
 俺の書いた文章も、どうやら人を怒らせてばっかりのようだが、怒るのはその人の自由であり、権利でもある。ただ、怒られて平然としているのも俺の自由であり権利だ。だから、何を言われようがしゃあしゃあと書き続ける。自分が良いと思えれば人の評価は問題ではないと思った。
 ところで、ガァプのあの衣装は、似たようなものを昔、ウンナンの特ホウ王国で見たような気がする。竜騎士さんも見たのかな。

1月2日

 午後4時半にEpisode4を見終わった。
 思ったのとはずいぶんちがっていて、謎が深まった。何か根本的に発想を変える必要がありそうだ。

1月1日

 今日もいつもの年と同様、琴平神社へ初詣に行った。出発したのが9時半くらいで、いつもより若干早めだったのだが、今年は異変が起きたというか、いつもすんなり止められるはずの駐車場が満車で、離れたところにある養護学校の臨時駐車場に止めることとなった。今まで、午後に来たときにはこういうこともあったが、午前中でこんなに混むということはなかった。
 神社の前にすでに参拝の長い行列ができていて、なかなか末尾が見えない。結局30分間並んだ。これも20年来毎年参拝してきて初めてのことだった。
 本殿のあったところは今年も入れなかったが、奥のお稲荷さんには参拝できた。
 初詣から帰ると、いよいよ「うみねこのなく頃にEpisode 4」だが、夜までやっても、ストーリーの方は最初の夜が明けていない。かなりかかりそうだ。いじめや虐待をテーマにした部分がかなりあった。俺は平気だけど、直視に耐えないという人もいるかも。