「星崎の」の巻、解説

貞享四年十一月七日、安信亭にて

初表

 星崎の闇を見よとや啼千鳥     芭蕉

   船調ふる蜑の埋火       安信

 築山のなだれに梅を植かけて    自笑

   あそぶ子猫の春に逢つつ    知足

 鷽の声夜を待月のほのか也     菐言

   岡のこなたの野辺青き風    如風

 

初裏

 一里の雲母ながるる川上に     重辰

   祠さだめて門ぞはびこる    菐言

 市に出てしばし心を師走かな    知足

   牛にれかみて寒さわするる   安信

 籾臼の音聞ながら我いびき     如風

   月をほしたる螺の酒      芭蕉

 高紐に甲をかけて秋の風      自笑

   渡り初する宇治の橋守     如風

 庵造る西行谷のあはれとへ     知足

   啄木鳥たたく杉の古枝     安信

 咲花に昼食の時を忘れけり     重辰

   山も霞むとまではつづけし   知足

 

 

二表

 辛螺がらの油ながるる薄氷     如風

   角ある眉に化粧する霜     芭蕉

 待宵の文を喰さく帳の内      菐言

   寝られぬ夢に枕あつかひ    如風

 罪なくて配所にうたひ慰まん    安信

   庶子にゆづりし家のつり物   知足

 式日の日はかたぶきてこころせく  如風

   あさくさ米の出る川口     重辰

 欄干に頤ならぶ夕涼        芭蕉

   笠持テあふつ蛍火の影     自笑

 初月に外里の嫁の新通ひ      知足

   薄はまねく荊袖引       芭蕉

 

二裏

 朝霧につらきは鴻の嘴ならす    重辰

   あかがねがはらなめらかにして 自笑

 氏人の庄薗多キ花ざかり      菐言

   駕籠幾むれの春とどまらず   如風

 田を返すあたりに山の名を問て   安信

   かすみの外に鐘をかぞふる   執筆

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 星崎の闇を見よとや啼千鳥    芭蕉

 

 古代だと鳴海は海に面し、対岸に松巨島があってその南端が星崎だった。やがて寒冷化とともに水位が下がり、鳴海と松巨島は陸地でつながり、間を天白川が流れるだけになった。江戸時代の東海道は海を渡ることなく台地となった松巨島を通り宮宿へと向かうことになる。星崎の辺りは浜辺で塩作りが行われていたという。

 七日で半月、夜半近くになると月も沈み闇となる。冬の寒々とした夜に鳴く千鳥の声は、あたかもこの闇を見よと言っているように聞こえる。

 今では満天の星を多くの人が美しいと感じるが、かつては満天の星は別に珍しいものでもなく、むしろ月のない夜の闇に恐怖を感じていた。星空の美しさを広く世界に広めたのはアルベール・カミュだったのかもしれない。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類。「星崎」は名所、水辺。「闇」は夜分。

 

 

   星崎の闇を見よとや啼千鳥

 船調ふる蜑の埋火        安信

 (星崎の闇を見よとや啼千鳥船調ふる蜑の埋火)

 

  安信亭での興行なので、脇は安信が付ける。

 「埋火(うづみび)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 灰の中にうめた炭火。いけ火。いけずみ。うずみ。《季・冬》

  ※落窪(10C後)二「うづみ火のいきてうれしと思ふにはわがふところに抱きてぞぬる」

 

とある。表に出ない心の中の恋の炎にも喩えられる。

 ここでは漁に出る海士に殺生の罪と闇との連想が働くが、その一方でそれでも生きてゆかなくてはという命の炎が感じられる。

 

季語は「埋火」で冬。「船」は水辺。「蜑」は人倫。

 

第三

 

   船調ふる蜑の埋火

 築山のなだれに梅を植かけて   自笑

 (築山のなだれに梅を植かけて船調ふる蜑の埋火)

 

 「なだれ」はweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「《動詞「なだる」の連用形から》

  1 (雪崩)山の斜面に積もった大量の雪が、急激にくずれ落ちる現象。表層雪崩・全層雪崩に分けられる。《季 春》「夜半さめて―をさそふ風聞けり/秋桜子」

  2 斜めにかたむくこと。傾斜。

  「これから近道を杉山の間の処から―を通って」〈円朝・真景累ヶ淵〉

  3 押しくずれること。くずれ落ちること。

  4 (頽れ)陶器で、釉(うわぐすり)が溶けて上方から流れ下がったもの。やきなだれ。」

 

とある。この場合は2の意味であろう。築山の斜面に梅を植えるのだが、築山は庭園に限らず人工的な山のことを言う。この場合は堤防のことではないか。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

 

四句目

 

   築山のなだれに梅を植かけて

 あそぶ子猫の春に逢つつ     知足

 (築山のなだれに梅を植かけてあそぶ子猫の春に逢つつ)

 

 梅を植えた築山で子猫が遊んでいる。

 

季語は「春」で春。「子猫」も春、獣類。

 

五句目

 

   あそぶ子猫の春に逢つつ

 鷽の声夜を待月のほのか也    菐言

 (鷽の声夜を待月のほのか也あそぶ子猫の春に逢つつ)

 

 鷽(うそ)はウィキペディアに、

 

 「ウソ(鷽、学名:Pyrrhula pyrrhula Linnaeus, 1758)は、スズメ目アトリ科ウソ属に分類される鳥類の一種。和名の由来は口笛を意味する古語「うそ」から来ており、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから名付けられた。その細く、悲しげな調子を帯びた鳴き声は古くから愛され、江戸時代には「弾琴鳥」や「うそひめ」と呼ばれることもあった。」

 

とある。「春宵一刻値千金」の詩句も思い浮かぶ春の宵の景色になる。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「夜を待月」は天象。

 

六句目

 

   鷽の声夜を待月のほのか也

 岡のこなたの野辺青き風     如風

 (鷽の声夜を待月のほのか也岡のこなたの野辺青き風)

 

 野辺を吹く風は若草の匂いで青く感じられる。晩春から初夏の風になる。

 

季語は「野辺青き」で春。

初裏

七句目

 

   岡のこなたの野辺青き風

 一里の雲母ながるる川上に    重辰

 (一里の雲母ながるる川上に岡のこなたの野辺青き風)

 

 雲母は「きらら」と読む。珪酸塩鉱物のグループ名で花崗岩(御影石)にも石英・長石とともに黒雲母が含まれている。雲母は比重が軽いので川だと水流によって巻き上げられて流れてゆく。

 流れてきた雲母は川底に沈むとキラキラ光り、砂金と見まごうこともある。

 

無季。「里」は居所。「川上」は水辺。

 

八句目

 

   一里の雲母ながるる川上に

 祠さだめて門ぞはびこる     菐言

 (一里の雲母ながるる川上に祠さだめて門ぞはびこる)

 

 雲母は唐紙にもちいられるので、この門は紙漉きの集団かもしれない。

 

無季。

 

九句目

 

   祠さだめて門ぞはびこる

 市に出てしばし心を師走かな   知足

 (市に出てしばし心を師走かな祠さだめて門ぞはびこる)

 

 前句の門を仏門としたか。神社の隣に本地としてお寺ができるのは別に珍しくもない。

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注によると、貞享三年の、

 

 市に入てしばし心を師走哉    素堂

 

の句を踏まえているというが、ほとんどまんまではないか。

 なお、元禄二年冬に芭蕉は、

 

 何に此師走の市にゆくからす   芭蕉

 

の句を詠んでいる。からすは黒い衣を着た僧侶を表すもので、本来市場に無縁な人の市に行って心を師走にするという趣向は、ここに極まることになる。

 

季語は「師走」で冬。

 

十句目

 

   市に出てしばし心を師走かな

 牛にれかみて寒さわするる    安信

 (市に出てしばし心を師走かな牛にれかみて寒さわするる)

 

 「にれかむ」は齝という字を当てるもので、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘他マ四〙 (「にれがむ」とも) 牛・鹿・羊などが、かんで呑んだものを、再び口中に吐きだしてかむ。反芻(はんすう)する。にれをかむ。にげがむ。ねりかむ。〔韻字集(1104‐10)〕

  ※俳諧・千鳥掛(1712)上「市に出てしばし心を師走かな〈知足〉 牛にれかみて寒さわするる〈安信〉」

  〘他マ四〙 (「ねりがむ」とも) 牛、羊などが、かんで飲み込んだ物を再び口に出して食う。反芻(はんすう)する。にれかむ。

  ※温故知新書(1484)「ネリカム」

  ※俳諧・幽蘭集(1799)「ちからもちするたはら一俵〈芭蕉〉 放されてねりがむ牛の夕すずみ〈友五〉」

 

とある。反芻すること。市に行くと荷を運ぶ牛が休まずに口をもぐもぐさせ、牛も心が師走なのかな、となる。

 

季語は「寒さ」で冬。「牛」は獣類。

 

十一句目

 

   牛にれかみて寒さわするる

 籾臼の音聞ながら我いびき    如風

 (籾臼の音聞ながら我いびき牛にれかみて寒さわするる)

 

 籾臼は籾摺りに用いる碾き臼で、杵で搗く臼ではない。臼が回転するときのガラガラいう音が鼾に似ているということもあるのだろう。

 牛がモーーと鳴けばそれもまた鼾に似てたりする。臼、鼾、牛の鳴き声が混ざり合って、冬の農村は賑やかなことだ。

 鼾といえば芭蕉が杜国と旅をして鼾に悩まされ、「万菊いびきの図」を描くのはこの翌年の春のこと。

 

季語は「籾臼」で秋。「我」は人倫。

 

十二句目

 

   籾臼の音聞ながら我いびき

 月をほしたる螺の酒       芭蕉

 (籾臼の音聞ながら我いびき月をほしたる螺の酒)

 

 螺は法螺貝。法螺貝に酒を汲んで月を飲み干すだなんて、それ自体が法螺だ。まあ、籾臼の傍で鼾かいて寝ている人の夢ということだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十三句目

 

   月をほしたる螺の酒

 高紐に甲をかけて秋の風     自笑

 (高紐に甲をかけて秋の風月をほしたる螺の酒)

 

 高紐(たかひも)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 鎧(よろい)の後胴の先端と前胴の上部をつなぐ懸け渡しの紐。後胴の肩上(わたがみ)につけた紐には懸鞐(かけこはぜ)をつけ、前胴の胸板につけた紐には責鞐(せめこはぜ)をつけるのを普通とする。近世は、相引の緒ともいう。

  ※吾妻鏡‐寿永三年(1184)正月一七日「即召二御前一覧二彼甲一、結二付一封状於高紐一」

  ※平家(13C前)一一「甲をば脱ぎたかひもに懸け、判官の前に畏る」

  ② 当世具足の引合(ひきあわせ)の緒。」

 

とある。脱いだ兜の緒を高紐に引っ掛けて肩の下にぶら下げるということか。鎧を着た武者が軍の時に吹く法螺貝に酒を入れて豪快に飲み干す様子とした。

 

季語は「秋の風」で秋。

 

十四句目

 

   高紐に甲をかけて秋の風

 渡り初する宇治の橋守      如風

 (高紐に甲をかけて秋の風渡り初する宇治の橋守)

 

 宇治の橋守は宇治橋の番人で、宇治橋は大化二年(六四六年)に初めて架けられたという伝承がある。初代の橋守はさぞかし甲冑姿でさっそうと渡ったのだろうなとは思いながらも、そこは俳諧で、秋の初めで暑かったから兜を脱いで肩にかけ、秋風に涼みながら渡った、とこれはあくまでも想像。

 

無季。「宇治」は名所。「橋守」は人倫、水辺。

 

十五句目

 

   渡り初する宇治の橋守

 庵造る西行谷のあはれとへ    知足

 (庵造る西行谷のあはれとへ渡り初する宇治の橋守)

 

 西行谷は伊勢にあり、芭蕉も『野ざらし紀行』の旅で、

 

 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ   芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 ここでは宇治の橋守を伊勢の宇治橋のこととして西行谷を付ける。

 宇治橋は伊勢神宮参道の五十鈴川に架かる橋で五十鈴川は伊勢神宮のすぐ南で東から来る島路川が合流するが、この島路川を遡っていった今の伊勢市宇治館町になる。この伊勢市もかつては宇治山田市という名前だった。

 

無季。「庵」は居所。「西行谷」は名所、山類。

 

十六句目

 

   庵造る西行谷のあはれとへ

 啄木鳥たたく杉の古枝      安信

 (庵造る西行谷のあはれとへ啄木鳥たたく杉の古枝)

 

 伊勢神宮だから千歳の杉もある。今は神宮杉と呼ばれている。西行谷の庵では啄木鳥の杉を叩く音も聞こえてくる。

 このあと『奥の細道』の旅の雲岩寺で詠む、

 

 木啄も庵は破らず夏木立     芭蕉

 

にも影響を与えたかもしれない。

 

無季。「啄木鳥」は鳥類。「杉」は植物、木類。

 

十七句目

 

   啄木鳥たたく杉の古枝

 咲花に昼食の時を忘れけり    重辰

 (咲花に昼食の時を忘れけり啄木鳥たたく杉の古枝)

 

 当時は一日二食の所が多かった。『伊達衣』には、

 

  二時の食喰間も惜き花見哉   杜覚

 

という句がある。

 一方で『奥の細道』の旅で月山に登った時は弥陀か原高原で「中食」を食べていて、湯殿山へ行った帰りも月山で「昼食」を食べている。

 おそらく道中が長いときには腹が減るので三食食べたのだろう。ここでも山の奥深く分け入り、思いもかけず山桜の見事なのに出会い、昼食を忘れるということだろう。

 

季語は「咲花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   咲花に昼食の時を忘れけり

 山も霞むとまではつづけし    知足

 (咲花に昼食の時を忘れけり山も霞むとまではつづけし)

 

 花の雲という言葉もあるが、山桜は霞や雲に喩えられる。ただ、かなり使い古された比喩なため、咲く花に山も霞むだけではいかにも誰でも思いつく句にしかならない。許六のいう「取り囃し」が欲しいところだが、案じているうちに昼食を食うのを忘れてしまった。

 

季語は「霞む」で春、聳物。「山」は山類。

二表

十九句目

 

   山も霞むとまではつづけし

 辛螺がらの油ながるる薄氷    如風

 (辛螺がらの油ながるる薄氷山も霞むとまではつづけし)

 

 「辛螺(にし)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「外套(がいとう)腔から出す粘液が辛い味をもっている巻貝類の意であるが,辛くない巻貝にもあてられている。テングニシ,アカニシなどがあるが,ナガニシ,イボニシはとくに辛い。【波部 忠重】」

 

とある。

 「辛螺がらの油」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、

 

 「田螺の殻に燈油を入れて燈火を点す。その燈油がこぼれて薄氷に流れて行く山辺の家の景。山辺の庵住の体。」

 

とある。貝殻を灯明皿の代わりにするということか。

 単に田螺の粘液のことを「油」と言い、田螺の這った跡が文字のように見えるということなのかもしれない。よくわからない。

 

季語は「薄氷」で春。

 

二十句目

 

   辛螺がらの油ながるる薄氷

 角ある眉に化粧する霜      芭蕉

 (辛螺がらの油ながるる薄氷角ある眉に化粧する霜)

 

 田螺にはカタツムリのような角がある。そこに霜が降りかかり、化粧したみたいになる。前句の「薄氷」から冬の景とする。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

二十一句目

 

   角ある眉に化粧する霜

 待宵の文を喰さく帳の内     菐言

 (待宵の文を喰さく帳の内角ある眉に化粧する霜)

 

 前句を鬼女に取り成す。嫉妬に狂い恋文を口で引き裂く。

 

無季。恋。

 

二十二句目

 

   待宵の文を喰さく帳の内

 寝られぬ夢に枕あつかひ     如風

 (待宵の文を喰さく帳の内寝られぬ夢に枕あつかひ)

 

 手紙の冒頭を文句を案じては破り捨て、ということか。「枕」は頭に敷くということで、ある言葉を言い出すそのきっかけとする言葉を枕言葉という。『枕草子』も会話のきっかけにでも、ということでその名があるのだろう。

 

無季。恋。

 

二十三句目

 

   寝られぬ夢に枕あつかひ

 罪なくて配所にうたひ慰まん   安信

 (罪なくて配所にうたひ慰まん寝られぬ夢に枕あつかひ)

 

 元ネタは源顕基(中納言顕基)の「あはれ罪無くして、配所の月を見ばや」という言葉で、鴨長明『発心集』、吉田兼好『徒然草』、作者不詳『撰集抄』などに記されている。

 RADWIMPSの『揶揄』という曲の中に「無実の罪を喜んで犯すの」というフレーズがあるが、要するにこの馬鹿々々しい世の中で罪が有るの無いのなんてどうでもいいことで、無実の罪をなすりつけられたなら、それはそれで配所で月を見る楽しみが増えるだけだ、とそういうことではないかと思う。

 

無季。

 

二十四句目

 

   罪なくて配所にうたひ慰まん

 庶子にゆづりし家のつり物    知足

 (罪なくて配所にうたひ慰まん庶子にゆづりし家のつり物)

 

 庶子は正室ではない女性から生まれた子。「つり物」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (━する) 路上などで出会った見知らぬ者をさそって情を交わすこと。

  ※評判記・色道大鏡(1678)二五「釣者(ツリモノ)といふは、物見物参りの道路にて、近付ならぬ女を引ゆく事也」

  ② 路傍で客をさそって売春する女。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)二「つきだされたる寝屋の釣(ツリ)もの 後夜時に鐘楼の坊主目は覚て」

  ③ だまして金などをまきあげる相手。えもの。

  ※浄瑠璃・奥州安達原(1762)四「結構な釣者がかかったと思ひの外、あちこちへ釣られてのけた」

  ④ (釣物) つるすようにしたもの。また、つってあるもの。簾など。特に歌舞伎の大道具の一つで、天井につっておいて、必要なときに綱をゆるめておろして背景などに用いるもの。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※歌舞伎・浮世柄比翼稲妻(鞘当)(1823)大切「大柱、吊(ツ)り物(モノ)にて水口を見せ」

 

とある。

 「家に釣ってある物」ではなく「つり物の庶子にゆづりし家の、罪無くて配所に」の倒置であろう。遊女か行きずりの女との間にできた子に家督を譲り、本妻の子である自分は無実の罪で配所に、ということか。

 

無季。「庶子」は人倫。「家」は居所。

 

二十五句目

 

   庶子にゆづりし家のつり物

 式日の日はかたぶきてこころせく 如風

 (式日の日はかたぶきてこころせく庶子にゆづりし家のつり物)

 

 「式日(しきじつ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 特定の行事あるいは職務に当てられた定日。しきにち。

  ※小右記‐寛弘二年(1005)四月一八日「今日式日也。湏レ令レ申二廻諸卿一」

  ※随筆・守貞漫稿(1837‐53)二四「朔日・十五日・二十八日、是を三日と云ひ、さんじつと訓じ式日とも云。〈略〉幕府にては諸大名旗本御家人に至る迄総登城也」

  ② 儀式のある日。祝日。祭日。大祭日。

  ※俳諧・千鳥掛(1712)上「庶子にゆづりし家のつり物〈知足〉 式日の日はかたぶきてこころせく〈如風〉」

  ※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉三「特別の客来若は式日を除くの外」

  ③ 江戸時代、幕府評定所での定式寄合の一種で、裁判・評議を行なう日。立合(たちあい)に対するもの。宝暦元年(一七五一)以後は二日、一一日、二一日と決められ、寺社奉行、町奉行、勘定奉行の三奉行と、目付各一人が出席し、裁判・評議を行ない、うち一日には老中一人が大目付とともに列座した。→式日寄合。

  ※禁令考‐後集・第一・巻二・享保四年(1719)一二月「式日立合之御目付出座之儀に付御書付」

 

とある。②の式日は主に五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)を言う。③は幕府の重要事項の裁判なのでこの場合は関係なさそうだ。庶子に家督を譲ったものの、要領を得ず、節句の儀式がスムーズでないことへの焦りか。

 

無季。「日」は天象。

 

二十六句目

 

   式日の日はかたぶきてこころせく

 あさくさ米の出る川口      重辰

 (式日の日はかたぶきてこころせくあさくさ米の出る川口)

 

 「あさくさ米(こめ)」は「浅草御蔵(あさくさおくら)」の米のことであろう。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「江戸幕府が天領郷村から収納する年貢米や買上げ米を出納,保管する倉庫を御蔵または御米蔵といい,元和6 (1620) 年,江戸浅草橋の近くに設置された御米蔵を浅草御蔵という。収納米の多くは旗本,御家人などの幕臣の給米 (切米 ) にあてられ,出納に要する費用は,浅草御蔵前入用として天領郷村に課せられた。ほかに大坂,京都の御蔵が有名。」

 

とある。

 前句の「式日」を①の意味で武士の給料の支給日(年に三回、二月・五月・十月にあったという)のこととして、米が支給されるのを今か今かと待っているという意味か。

 浅草橋は隅田川と神田川の合流する辺りにある。舟で運び出されたのであろう。

 

無季。「川口」は水辺。

 

二十七句目

 

   あさくさ米の出る川口

 欄干に頤ならぶ夕涼       芭蕉

 (欄干に頤ならぶ夕涼あさくさ米の出る川口)

 

 これは米の支給日とは関係なく、支給口のある辺りという場所を表すもので、すぐ近くに両国橋がある。夏になると夕涼みの人で賑わった。

 頤(おとがい)はあごのことだが、欄干から川の方へ身を乗り出していると頤を突き出すような姿勢になる。特に舟か河原の方から見上げると顎ばかりが目立つ形になる。なかなか面白い描写だ。

 

季語は「夕涼」で夏。

 

二十八句目

 

   欄干に頤ならぶ夕涼

 笠持テあふつ蛍火の影      自笑

 (欄干に頤ならぶ夕涼笠持テあふつ蛍火の影)

 

 「あふつ」は煽って払い除けること。昔は蛍も別に珍しいものではなく、蠅のように笠で打ち払うほどわらわらといたのだろう。

 

季語は「蛍火」で夏、虫類。

 

二十九句目

 

   笠持テあふつ蛍火の影

 初月に外里の嫁の新通ひ     知足

 (初月に外里の嫁の新通ひ笠持テあふつ蛍火の影)

 

 初月は最初に見える月、二日月、三日月などをいう。「外里」は「とさと」と読む。人里離れたところをいう。

 古代は男が女の元に通う通い婚だったが、江戸時代には「嫁迎え婚」が一般的になる。ただ、田舎の方では通い婚も残っていた。

 これは「外里の嫁の(もとへの)新通ひ」で男が通うのだと思う。初月だと月はすぐに沈んであたりは闇、群れ飛ぶ蛍をかき分けての通いとなる。

 

季語は「初月」で秋、夜分、天象。恋。「嫁」は人倫。

 

三十句目

 

   初月に外里の嫁の新通ひ

 薄はまねく荊袖引        芭蕉

 (初月に外里の嫁の新通ひ薄はまねく荊袖引)

 

 遊郭だと張見世の遊女に手招きされたり、客引きに袖を引っ張られたりするが、田舎ではススキが手招きし、イバラが袖を引っ張る。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。「荊」も植物、草類。

二裏

三十一句目

 

   薄はまねく荊袖引

 朝霧につらきは鴻の嘴ならす   重辰

 (朝霧につらきは鴻の嘴ならす薄はまねく荊袖引)

 

 コウノトリはウィキペディアに、

 

 「成鳥になると鳴かなくなる。代わりに『クラッタリング』と呼ばれる行為が見受けられる。嘴を叩き合わせるように激しく開閉して音を出す行動で、威嚇、求愛、挨拶、満足、なわばり宣言等の意味がある。」

 

とある。

 前句を夜の通いではなく霧の中の田舎道とし、ススキやイバラはともかく、コウノトリのクラッタリングは恐ろし気でどきっとする。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は遊郭の比喩とする。そうなると「鴻の嘴」は朝帰りの夫への女房の罵倒ということか。

 

季語は「朝霧」で秋、聳物。「鴻」は鳥類。

 

三十二句目

 

   朝霧につらきは鴻の嘴ならす

 あかがねがはらなめらかにして  自笑

 (朝霧につらきは鴻の嘴ならすあかがねがはらなめらかにして)

 

 「あかがねがはら」は銅瓦のことで、お城などによく用いられる。緑青を吹いて緑色に見える。

 銅瓦は滑るのでコウノトリも降りることができず嘴を鳴らす。前句の「つらき」をコウノトリの辛きとする。

 

無季。

 

三十三句目

 

   あかがねがはらなめらかにして

 氏人の庄薗多キ花ざかり     菐言

 (氏人の庄薗多キ花ざかりあかがねがはらなめらかにして)

 

 「庄薗」は「荘園」に同じ。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 奈良・平安時代から室町時代に至るまでみられた私有地の称。八世紀に班田制が有名無実化し、公家・社寺による大規模な開墾地が私有地として認められたのをはじめとし、後に口分田・国衙領も併せられた。荘地。荘領。しょう。そう。そうえん。しょうおん。

  ※東南院文書‐天平宝字三年(759)一一月一四日・越中国東大寺荘惣券「越中国諸郡庄園惣券第一」

 

とある。

 前句の銅瓦の建物を大きな神社とし、氏人たちはそれぞれ荘園を持ち、多額の寄付を受けて今が花盛りとばかりに栄えている。

 ちなみに藤原氏の氏神の春日大社の屋根は檜皮葺で銅瓦ではない。ほかの氏族だろう。

 

季語は「花ざかり」で春、植物、木類。「氏人」は人倫。

 

三十四句目

 

   氏人の庄薗多キ花ざかり

 駕籠幾むれの春とどまらず    如風

 (氏人の庄薗多キ花ざかり駕籠幾むれの春とどまらず)

 

 花盛りの神社には花見の人が押し寄せ、たくさんの駕籠を仕立てた一団が何組もやってきて留まることを知らない。

 

季語は「春」で春。

 

三十五句目

 

   駕籠幾むれの春とどまらず

 田を返すあたりに山の名を問て  安信

 (田を返すあたりに山の名を問て駕籠幾むれの春とどまらず)

 

 前句の駕籠を背負い篭を背負ったお遍路さんのこととした。熊野から吉野へ向かう春の「順の峰入り」であろう。そこら辺の農夫に山へ行く道を聞いてゆく、農村の風景にする。

 

季語は「田を返す」で春。「山」は山類。

 

挙句

 

   田を返すあたりに山の名を問て

 かすみの外に鐘をかぞふる    執筆

 (田を返すあたりに山の名を問てかすみの外に鐘をかぞふる)

 

 霞の向こうから聞こえてくる鐘の音に、何というお寺なのか、山号を尋ねる。

 

季語は「かすみ」で春、聳物。