「蠅ならぶ」の巻、解説

初表

 蠅ならぶはや初秋の日数かな   去来

   葛も裏ふくかたびらの皺   芭蕉

 小燈を障らぬ萩にかけ捨て    路通

   釣して来る魚の腸      丈草

 一通りみぞれに曇る朝月に    惟然

   只そろそろと背中打する   去来

 

初裏

 打明ていはれぬ人をおもひ兼   芭蕉

   手水つかひに出る面影    路通

 物干のはづれかかりて危けれ   丈草

   取そろへたる芝の小肴    惟然

 夕まぐれ煙管おとして立帰り   去来

   泥うちかはす早乙女のざれ  芭蕉

 石佛いづれかけぬはなかりけり  路通

   牛の骨にて牛つくらばや   丈草

 酒の徳かぞへ上ては酔ふさり   惟然

   室の八島に尋あひつつ    去来

 陸奥は花より月のさまざまに   芭蕉

   唖の真似する比の鶯     路通

 

 

二表

 餅好の友をほしがる春の雨    丈草

   衣小刀にしむる巻藁     惟然

 物申は誰ぞと窓に顔出して    去来

   疹してとる跡のやすさよ   芭蕉

 片足づつ拾ひ次第の古草履    路通

   あす作らふと雪になく鳥   丈草

 供多くつれしと駕の静也     惟然

   畑の中に落る稲妻      去来

 崩井に熊追落す夕月夜      芭蕉

   松刻鑿の見えぬ露けさ    路通

 やさしげに手打かぶりを教そめ  丈草

   御簾の外面に並ぶ侍     惟然

 

二裏

 ほととぎす声々鳴て通りけり   去来

   烟の中におろすはや桶    芭蕉

 此嶋も片側ばかり立そろへ    路通

   食苞ほどく菅笠の上     丈草

 佛にはかた見の花を奉る     惟然

   菜をつむ髪の白き曙     去来

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 蠅ならぶはや初秋の日数かな   去来

 

 七月初秋も既にお盆も過ぎて、秋になって久しくなりました、という挨拶になる。

 七月も日数を経て、うるさく飛び回ってた蠅も、今は静かに並んで止まっている。

 さすがに「蠅ならぶ」に寓意はない(と思う)。俳諧らしい題材ということで出したのであろう。

 

季語は「初秋」で秋。「蠅」は虫類。

 

 

   蠅ならぶはや初秋の日数かな

 葛も裏ふくかたびらの皺     芭蕉

 (蠅ならぶはや初秋の日数かな葛も裏ふくかたびらの皺)

 

 葛の葉が秋風に裏返るように、帷子にも皺が寄ると付ける。初秋から秋風を連想するが、風と言わずして風を表現している。

 葛の裏葉は、

 

 秋風の吹き裏返す葛の葉の

     うらみてもなほうらめしきかな

              平貞文(古今集)

 

などの古歌による。

 

季語は「葛も裏ふく」で秋、植物、草類。「かたびら」は衣裳。

 

第三

 

   葛も裏ふくかたびらの皺

 小燈を障らぬ萩にかけ捨て    路通

 (小燈を障らぬ萩にかけ捨て葛も裏ふくかたびらの皺)

 

 小燈(こともし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小灯」の解説」に、

 

 「〘名〙 小さなともしび。小さなあかり。また、手燭(てしょく)や小提灯(こぢょうちん)など。ことぼし。

  ※俳諧・芭蕉葉ぶね(1817)「小ともしをさし出す空や帰鴈〈千崖〉」

 

とある。萩の邪魔にならないように掛け置かれている。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。「小燈」は夜分。

 

四句目

 

   小燈を障らぬ萩にかけ捨て

 釣して来る魚の腸        丈草

 (小燈を障らぬ萩にかけ捨て釣して来る魚の腸)

 

 前句を河原の萩として、小燈で照らしながらの夜釣りとする。前句の「かけ捨て」を魚の腸を取ってかけ捨てるとする。

 

無季。「釣」は水辺。

 

五句目

 

   釣して来る魚の腸

 一通りみぞれに曇る朝月に    惟然

 (一通りみぞれに曇る朝月に釣して来る魚の腸)

 

 前句に時候を付ける。霙降る朝に魚を釣る。

 

季語は「みぞれ」で冬、降物。「朝月」は天象。

 

六句目

 

   一通りみぞれに曇る朝月に

 只そろそろと背中打する     去来

 (一通りみぞれに曇る朝月に只そろそろと背中打する)

 

 「背中打する」は何かの健康法だろうか。それとも単に手持無沙汰な時の仕草なのか。

 

無季。

初裏

七句目

 

   只そろそろと背中打する

 打明ていはれぬ人をおもひ兼   芭蕉

 (打明ていはれぬ人をおもひ兼只そろそろと背中打する)

 

 前句を自分で自分を元気づけようとする仕草として、恋に悩むさまに転じる。嫌いな人から打ち明けられて、それが断りづらい相手だと最悪だ。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

八句目

 

   打明ていはれぬ人をおもひ兼

 手水つかひに出る面影      路通

 (打明ていはれぬ人をおもひ兼手水つかひに出る面影)

 

 前句の告ってきた相手はトイレの使い方が汚かったりしたか。

 

無季。恋。

 

九句目

 

   手水つかひに出る面影

 物干のはづれかかりて危けれ   丈草

 (物干のはづれかかりて危けれ手水つかひに出る面影)

 

 トイレに行こうと外に出たら、物干し竿が外れかかっていて危ない状態だった。

 

無季。

 

十句目

 

   物干のはづれかかりて危けれ

 取そろへたる芝の小肴      惟然

 (物干のはづれかかりて危けれ取そろへたる芝の小肴)

 

 前句の物干を干物を干す所として、外れた小肴が芝の上に散らばってたので拾い集める。

 

無季。

 

十一句目

 

   取そろへたる芝の小肴

 夕まぐれ煙管おとして立帰り   去来

 (夕まぐれ煙管おとして立帰り取そろへたる芝の小肴)

 

 前句を小肴を買いに行った帰りとして、煙管を落としたのに気付いて戻る。

 

無季。

 

十二句目

 

   夕まぐれ煙管おとして立帰り

 泥うちかはす早乙女のざれ    芭蕉

 (夕まぐれ煙管おとして立帰り泥うちかはす早乙女のざれ)

 

 夕暮れで煙管を落としたので田んぼの道を戻っていると、田植を終えた早乙女が泥を掛け合って遊んでいる。

 

季語は「早乙女」で夏、人倫。

 

十三句目

 

   泥うちかはす早乙女のざれ

 石佛いづれかけぬはなかりけり  路通

 (石佛いづれかけぬはなかりけり泥うちかはす早乙女のざれ)

 

 路傍の石仏はいつしか風化してかけて行くものだが、ここでは前句の「泥うちかはす」を受けるように「かけぬ」に泥をかけるとの両義性を持たせている。

 

無季。釈教。

 

十四句目

 

   石佛いづれかけぬはなかりけり

 牛の骨にて牛つくらばや     丈草

 (石佛いづれかけぬはなかりけり牛の骨にて牛つくらばや)

 

 石仏はあくまで偶像にすぎない。牛の骨で作られた牛の像のようなものだ、とやや禅問答めいてる。

 

無季。「牛」は獣類。

 

十五句目

 

   牛の骨にて牛つくらばや

 酒の徳かぞへ上ては酔ふさり   惟然

 (酒の徳かぞへ上ては酔ふさり牛の骨にて牛つくらばや)

 

 酒の徳というと劉伶の「酒德頌」がある。竹林に七賢の一人だが酒と肉が好きで酔うと脱ぐ癖があった。前句を劉伶の食べた牛をしたか。

 牛の骨を繋ぎ合わせて反魂の術が使えれば、無限に牛が食べられるが。

 

無季。

 

十六句目

 

   酒の徳かぞへ上ては酔ふさり

 室の八島に尋あひつつ      去来

 (酒の徳かぞへ上ては酔ふさり室の八島に尋あひつつ)

 

 酒と室の八島のつながりがよくわからない。俳諧で酒のみというと其角か越人かだが、室の八島へ行ったかどうかはわからない。路通はあまり酒の話は聞かない。藤原実方の左遷も別に酒のせいというわけでもない。

 

無季。「室の八島」は名所。

 

十七句目

 

   室の八島に尋あひつつ

 陸奥は花より月のさまざまに   芭蕉

 (陸奥は花より月のさまざまに室の八島に尋あひつつ)

 

 これは芭蕉さん自身の『奥の細道』の旅の感想だろう。夏から秋で花の季節ではなかった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「陸奥」は名所。「月」は夜分、天象。

 

十八句目

 

   陸奥は花より月のさまざまに

 唖の真似する比の鶯       路通

 (陸奥は花より月のさまざまに唖の真似する比の鶯)

 

 鶯も夏になるとあまり鳴かなくなるというので、『続猿蓑』所収の元禄七年の「夏の夜や」の巻第三に、

 

   露ははらりと蓮の椽先

 鶯はいつぞの程に音を入て    臥高

 

の句があり、「音を入れる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「音を入れる」の解説」に、

 

 「鳥、特に鶯(うぐいす)が鳴くべき季節が終わって鳴かなくなる。鳴きやむ。〔俳諧・増山の井(1663)〕

  ※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)夢路のこま「いなおほせ鳥もねをいれて野辺のかるかや軒端のおぎ馬のまぐさに飼ひ残す」

 

とある。

 ここでは晩春の句になる。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

二表

十九句目

 

   唖の真似する比の鶯

 餅好の友をほしがる春の雨    丈草

 (餅好の友をほしがる春の雨唖の真似する比の鶯)

 

 春の雨で鶯も鳴かず、暇なので同じ餅好き友がいたらなと思う。草庵での一人暮らしで、ものぐさな人ではないかと思う。

 

季語は「春の雨」で春、降物。「友」は人倫。

 

二十句目

 

   餅好の友をほしがる春の雨

 衣小刀にしむる巻藁       惟然

 (餅好の友をほしがる春の雨衣小刀にしむる巻藁)

 

 布小刀はよくわからない。巻き藁は弓や居合い抜きなどの的にする藁を束ねたもので、藁を束ねる紐を締めて、布小刀で余った紐をカットする。

 餅は力持ちに通じるので、春雨で暇を持て余した武士としたか。

 

無季。

 

二十一句目

 

   衣小刀にしむる巻藁

 物申は誰ぞと窓に顔出して    去来

 (物申は誰ぞと窓に顔出して衣小刀にしむる巻藁)

 

 武道場に転じたか。「たのもう」とやって来た者がいて、どんな奴だと窓から顔を出して覗く。

 

無季。「誰」は人倫。

 

二十二句目

 

   物申は誰ぞと窓に顔出して

 疹してとる跡のやすさよ     芭蕉

 (物申は誰ぞと窓に顔出して疹してとる跡のやすさよ)

 

 疹は「はしか」。発疹の跡がしばらく残ることがあるがやがて消える。

 伝染病なので見舞いに来た人がいても、出ていくわけにもいかない。誰が来たのかなと窓から確認する。

 

無季。

 

二十三句目

 

   疹してとる跡のやすさよ

 片足づつ拾ひ次第の古草履    路通

 (片足づつ拾ひ次第の古草履疹してとる跡のやすさよ)

 

 人には聞き足があり、履物もいつも同じ方が先に駄目になることが多い。そうなると同じ方の足の古草履がたまっていく。左右の違いに頓着しなければ、履くものはいくらでもある。

 麻疹もかつては多くの人が命を落とす危険な病気だったが、一度かかってとりあえず治ってしまえば二度かかる心配はない。物は考えようだ、ということか。

 

無季。

 

二十四句目

 

   片足づつ拾ひ次第の古草履

 あす作らふと雪になく鳥     丈草

 (片足づつ拾ひ次第の古草履あす作らふと雪になく鳥)

 

 もう片方の草履を明日作ろうかということか。雪が降って外へも行けないし。

 

季語は「雪」で冬、降物。「鳥」は鳥類。

 

二十五句目

 

   あす作らふと雪になく鳥

 供多くつれしと駕の静也     惟然

 (供多くつれしと駕の静也あす作らふと雪になく鳥)

 

 駕籠に乗った偉い人と、それに従う供の人々。雪に鳥が鳴くのを聞くと、駕籠に乗っている主人は聞き耳を立てる。あれを明日取りに来て供のみんなに食わせてやろうか。

 

無季。「供」は人倫。

 

二十六句目

 

   供多くつれしと駕の静也

 畑の中に落る稲妻        去来

 (供多くつれしと駕の静也畑の中に落る稲妻)

 

 静かになった原因を近くの畑に雷が落ちたからだとする。

 

季語は「稲妻」で秋。

 

二十七句目

 

   畑の中に落る稲妻

 崩井に熊追落す夕月夜      芭蕉

 (崩井に熊追落す夕月夜畑の中に落る稲妻)

 

 稲妻にびっくりして熊が使われなくなった井戸に落ちる。

 

季語は「夕月夜」で秋、夜分、天象。「熊」は獣類。

 

二十八句目

 

   崩井に熊追落す夕月夜

 松刻鑿の見えぬ露けさ      路通

 (崩井に熊追落す夕月夜松刻鑿の見えぬ露けさ)

 

 熊が井戸に落ちたのは、松材に鑿で仏像を刻んでいたから、そのご利益だった。「見えぬ露けさ」は見えない力が働いたということか。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

二十九句目

 

   松刻鑿の見えぬ露けさ

 やさしげに手打かぶりを教そめ  丈草

 (やさしげに手打かぶりを教そめ松刻鑿の見えぬ露けさ)

 

 「手打かぶり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手打手打」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ちょうち」は「てうち(手打)」の変化したもの) 両の手を軽く打ち合わせて鳴らすこと。幼児をあやしたり、それを真似させたりするときにする。また、そのときにいう語。ちょちちょち。ちょうち。

  ※虎寛本狂言・子盗人(室町末‐近世初)「何ぞ芸はないか。てうちてうちてうち。もうないか。かぶりかぶりかぶり」

 

とある。

 仏像を彫っていた者と同じ人物とは思えないほど子煩悩だった。

 

無季。

 

三十句目

 

   やさしげに手打かぶりを教そめ

 御簾の外面に並ぶ侍       惟然

 (やさしげに手打かぶりを教そめ御簾の外面に並ぶ侍)

 

 武将の奥方であろう。御簾の中では子供をあやし、御簾の外には出陣前のフル装備の侍が立ち並ぶ。

 

無季。「侍」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   御簾の外面に並ぶ侍

 ほととぎす声々鳴て通りけり   去来

 (ほととぎす声々鳴て通りけり御簾の外面に並ぶ侍)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は謡曲『鵺』とする。

 

 「地:御悩は丑の刻ばかりにてありけるが、東三条の森の方より、黒雲一むら立ち来たつて、御殿の上 に蔽へば必ず怯え給ひけり。 

 シテ: 即ち公卿詮議あつて、

  地:定めて変化の者なるべし。武士に仰せて警固あるべしとて、源平両家の兵を選ぜられける程に、頼政を選み出だされたり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.82848-82864). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

の場面であろう。

 鵺を退治すると、

 

 「即ち御悩頻りにて、即ち御悩頻りにて、玉体を悩まして、おびえ魂入らせ給ふ事もわが為すわざよと怒りをなししに、思ひも寄らざりし頼政が、矢先に当れば変身失せて、落落磊磊と地に倒れて、忽ちに滅せし事、思へば頼政が矢先よりは、君の天罰を、当りけるよと今こそ思ひ知られたれ。その時主上御感あつて、獅子王といふ御剣を、頼政に下されけるを宇治の、大臣賜はりて、階を下り給ふに折節郭公音づれければ、大臣とりあへず、

 シテ: ほととぎす、名をも雲居に、あぐるかなと、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.82953-82977). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とホトトギスが登場する。「忽ちに滅せし」というあたりは今のVRMMOファンタジーに出てくるモンスターみたいだ。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

三十二句目

 

   ほととぎす声々鳴て通りけり

 烟の中におろすはや桶      芭蕉

 (ほととぎす声々鳴て通りけり烟の中におろすはや桶)

 

 「はや桶」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「早桶」の解説」に、

 

 「〘名〙 粗末な棺桶。手早く作って間に合わせるところからいう。

  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)奉納弍百韻「富士の嶽いただく雪をそりこぼし〈信章〉 人穴ふかきはや桶の底〈芭蕉〉」

 

とある。火葬の場面とする。

 

無季。「烟」は聳物。

 

三十三句目

 

   烟の中におろすはや桶

 此嶋も片側ばかり立そろへ    路通

 (此嶋も片側ばかり立そろへ烟の中におろすはや桶)

 

 流刑地での火葬であろう。「われこそは新島守よ」と言ってた人も「折りたく柴の夕煙」となった。

 

無季。「嶋」は水辺。

 

三十四句目

 

   此嶋も片側ばかり立そろへ

 食苞ほどく菅笠の上       丈草

 (此嶋も片側ばかり立そろへ食苞ほどく菅笠の上)

 

 「食苞」は「めしづと」で飯の包み、弁当のこと。旅体に転じる。

 

無季。旅体。

 

三十五句目

 

   食苞ほどく菅笠の上

 佛にはかた見の花を奉る     惟然

 (佛にはかた見の花を奉る食苞ほどく菅笠の上)

 

 旅人がお堂の所で一休みするのはよくあることで、宿のない所では泊っていったりもする。弁当を食いながら、仏さまには花を供える。死んだ旅人を祀った堂だったのかもしれない。あるいは実方中将ゆかりの堂で、雨の花見を思い出したか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。釈教。

 

挙句

 

   佛にはかた見の花を奉る

 菜をつむ髪の白き曙       去来

 (佛にはかた見の花を奉る菜をつむ髪の白き曙)

 

 菜摘に来た未亡人であろう。夫の形見の花を供える。珍しくしんみりした終わり方だ。

 

季語は「菜をつむ」で春。