「月と泣」の巻、解説

初表

   白魚露命

 月と泣夜生雪魚の朧闇      其角

   簑にたまらぬ蝦醤の淡雪   桃青

 孤-村苔の若木の岩長て      麋塒

   徳利の魂の雨を諷ふか    暁雲

 山童風に茶臼ヲ敲キ待      集和

   猫ふく賤の声の旦夕     峡水

 

初裏

 秋通ういつしか荻の竈原     自準

   かきあげの城骨露に白し   素堂

 かげらふの法師眼に有明て    桃青

   蛍火のもとにとうふ断ラン  暁雲

 水暗き芦葉に銭をつなぎてよ   峡水

   蜑の捨子の雨を啼声     自準

 朝わたる荒洲の鵺の毒ヲ吐    其角

   猿行膓のくさる悲しび    桃青

 南に風芳しき鬼醤        麋塒

   蘇鉄に刻む髭の毛薑     峡水

 寒ヲ治ス貧齋坊が陽花論     暁雲

   〇蛙将軍鑑考之       麋塒

 

 

二表

 春嵐時の不正の危しきに     自準

   米屋が塚の雨枯にけり    桃青

 折掛の行燈もえてちょろちょろと 暁雲

   夕顔くらふ鼠おもかげ    麋塒

 比し得て賤が餅花栬せよ     峡水

   年玉は揃尽ス秋風      其角

 只月のみ而已にして月詠ても   素堂

   夜ルの鰹をかつを問るる   峡水

 哥の客かげまのもとにざれいねて 桃青

   泪畳をうつ私閑に      麋塒

 頭地ヲ穿ツ疼焉トおもひ     其角

   髭塵を掃待んとすらん    素堂

 

二裏

 三の愛アリ團ト香ト尺八ト    暁雲

   凉州竹の物干を序ス     麋塒

 哀ニて日ハ渋紙ヲ射ルト也    素堂

   野ハ片霜の糠ふるう声    其角

 凍ヘタル僧に焼火ヲ振廻て    桃青

   主人の向後物語染ム     自準

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

   白魚露命

 月と泣夜生雪魚の朧闇      其角

 

 発句は天和二年刊千春編の『武蔵曲』に収録されている。「白魚露命」という前書きがあり、夜の後に○が入って区切ってあり、「生雪」に「イツマデ」とルビがふってある。

 音で読めば「つきとなくよる、いつまでうおのおぼろやみ」になる。前書きがあってこの「うお」が白魚であり、「いつまで」に生雪という当て字をすることで、白魚の命が雪が溶けるように儚く消えて行く朧闇ということになる。朧闇は白魚漁の現場ということになる。

 この句は貞享元年冬の、

 

 雪薄し白魚しろき事一寸     芭蕉

 

の句に先行するもので、「雪薄し」の上五は其角のこの句の記憶があったかもしれない。のちに、

 

 明ぼのや白魚しろき事一寸    芭蕉

 

の形にあらためられている。

 白魚漁の殺生の罪を気にかけての句で、中世連歌の、

 

   罪の報いもさもあらばあれ

 月残る狩り場の雪の朝ぼらけ   救済(きゅうせい)

 

の句にも通じるものがあるが、それは其角の句の方が先と言ってもいい。

 あるいは、芭蕉の「明ぼの」への改作は重複を避けたためかもしれない。

 

季語は「朧闇」で春、夜分。「月」は天象。「魚」は水辺。

 

 

   月と泣夜生雪魚の朧闇

 簑にたまらぬ蝦醤の淡雪     桃青

 (月と泣夜生雪魚の朧闇簑にたまらぬ蝦醤の淡雪)

 

 「蝦醤」には「アミ」とルビがふってある。

 蝦醤を「シャージャン」と読めば、中華料理に用いる広東地方の調味料になる。アミや小海老を発酵させた魚醤の一種で、漁醤は大豆醤油に先行する古い調味料なので、かつては日本でも作られていたのだろう。

 ちなみにアミやイカを塩漬けにして白菜と混ぜて発酵させると韓国のキムチになる。中国の泡菜はアミやイカを用いないので、白菜キムチは韓国のオリジナルと言える。

 句の方は、発句の白魚に蝦醤をかけて食べるのだが、発句の情に合わせてそれをアミの淡雪とする。

 

季語は「淡雪」で春、降物。

 

第三

 

   簑にたまらぬ蝦醤の淡雪

 孤-村苔の若木の岩長て      麋塒

 (孤-村苔の若木の岩長て簑にたまらぬ蝦醤の淡雪)

 

 孤に「ヒトリ」とるびがある。「長て」は「たけて」。

 おそらく、

 

 わが君は千代に八千代に細れ石の

     いはほとなりて苔のむすまで

              よみ人しらず(古今集)

 

という有名な和歌から取ったもので、岩が年を経て蒸した苔のうえに若木が生えてきて、その若木が雪を遮ってくれるために、簑に淡雪がたまらない、とするものであろう。

 孤-村は旅人の通りかかった村で、そこの若木で雪を凌ぐ。

 

季語は「若木」で春、植物、木類。「孤-村」は居所。

 

四句目

 

   孤-村苔の若木の岩長て

 徳利の魂の雨を諷ふか      暁雲

 (孤-村苔の若木の岩長て徳利の魂の雨を諷ふか)

 

 酒に酔って雨の中で歌を詠む。前句をことほぎの言葉として、雅歌を歌い上げたのであろう。

 『撰集抄』の藤中将実方のエピソードに、宮廷の男たちが東山に花見に行ったとき、雨が降り出してみんなが慌てて帰ろうとすると、一人木の下に寄りかかり、

 

 さくらがり雨はふり来ぬおなじくは

     濡るとも花の影にくらさん

 

と歌い、ずぶ濡れで雨に打たれていたという。このことは宮中でも有名になり、さすが風流者だと評判になった、というのがある。

 

無季。「雨」は降物。打越に降物の淡雪がある。

 

五句目

 

   徳利の魂の雨を諷ふか

 山童風に茶臼ヲ敲キ待      集和

 (山童風に茶臼ヲ敲キ待徳利の魂の雨を諷ふか)

 

 山童はウィキペディアに、

 

 「山童(やまわろ、やまわらわ)は、九州をはじめとする西日本に伝わる山に出る妖怪。河童(かっぱ)が山の中に入った存在であるとも言い伝えられている。熊本県芦北郡では、やまわろのほかにやまんもん、やまんと、やまんわっかし(山の若い衆)、やまんおじやん(山の伯父やん)など、また同県球磨郡では山ん太郎、やまんぼ(山ん坊)とも呼ばれる。」

 

とある。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には「『やまたらう』と訓むか」とある。童子姿の人外であろう。まあ、雨の中で茶臼を叩いて歌っていれば、人外かと思うだろう。

 

無季。

 

六句目

 

   山童風に茶臼ヲ敲キ待

 猫ふく賤の声の旦夕       峡水

 (山童風に茶臼ヲ敲キ待猫ふく賤の声の旦夕)

 

 「猫ふく」は鳩吹くに準じた言葉で、猫の鳴き真似をするという意味だろう。「旦夕」には「たそがれ」とルビある。

 黄昏は逢魔が刻とも言い、賤が猫の鳴き真似をすれば山童が現れる。

 

無季。「猫」は獣類。「賤」は人倫。

七句目

 

   猫ふく賤の声の旦夕

 秋通ういつしか荻の竈原     自準

 (秋通ういつしか荻の竈原猫ふく賤の声の旦夕)

 

 猫は竈で暖を取るので、猫が潜んでいる萩原を萩の竈原としたか。竈原の猫が通ってくるように、賤が猫の鳴き真似をする。

 秋に荻は、

 

 いとどしく物思ふやとの荻の葉に

     秋とつげつる風のわびしさ

              よみ人しらず(後撰集)

 秋風の吹くにつけてもとはぬかな

     荻の葉ならはおとはしてまし

              中務(後撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「秋」で秋。「荻」も秋で植物、草類。

 

八句目

 

   秋通ういつしか荻の竈原

 かきあげの城骨露に白し     素堂

 (秋通ういつしか荻の竈原かきあげの城骨露に白し)

 

 「かきあげの城」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「掻揚城」の解説」に、

 

 「〘名〙 土をかきあげてつくっただけの、簡単な城。かきあげじょう。かきあげのしろ。かきあげ。

  ※藤葉栄衰記(1625頃)上「五人の内何様なる掻上城なりとも、預る事も有へしとて」

 

とある。

 軍に破れて荻原となり、白骨が転がっている。

 荻の露は、

 

 いかにして玉にもぬかん夕されば

     荻の葉分けにむすぶ白露

              橘為義(後拾遺集)

 おぎの葉にそそや秋風吹ぬなり

     こぼれやしぬる露のしらたま

              大江嘉言(詞花集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

九句目

 

   かきあげの城骨露に白し

 かげらふの法師眼に有明て    桃青

 (かげらふの法師眼に有明てかきあげの城骨露に白し)

 

 眼は「まなこ」とルビがある。

 かげらふは蜻蛉でトンボのこと。トンボのような目の大きな法師がいたのだろう。有明に戦死者の骨を弔う。

 露に有明は、

 

 わしの山ふたたび影のうつりきて

     嵯峨野の露に有明の月

              寂蓮法師(続古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。釈教。「法師」は人倫。

 

十句目

 

   かげらふの法師眼に有明て

 蛍火のもとにとうふ断ラン    暁雲

 (かげらふの法師眼に有明て蛍火のもとにとうふ断ラン)

 

 断は「きる」。

 蜻蛉の縁で、朝まだ暗いうちに豆腐を切るのに、蛍火の灯りとする。

 

季語は「蛍火」で夏、虫類。

 

十一句目

 

   蛍火のもとにとうふ断ラン

 水暗き芦葉に銭をつなぎてよ   峡水

 (水暗き芦葉に銭をつなぎてよ蛍火のもとにとうふ断ラン)

 

 蛍に豆腐を売るなら、お代は芦の葉に繋いでおくれ。

 蛍に芦は、

 

 蛍飛ぶ野沢に茂る芦の根の

     夜な夜な下にかよふ秋風

              藤原良経(新古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「芦葉」で夏、植物、草類、水辺。

 

十二句目

 

   水暗き芦葉に銭をつなぎてよ

 蜑の捨子の雨を啼声       自準

 (水暗き芦葉に銭をつなぎてよ蜑の捨子の雨を啼声)

 

 水辺ということで蜑(あま)を付ける。芦の葉に繋いだ銭は捨て子に添えられたものになる。

 この時代は捨て子を収容する施設もなく、罰する法律もなかった。捨て子は『野ざらし紀行』の富士川の捨子の場面にあるように、「唯これ天にして、汝の性(さが)のつたなきをなけ。」だった。

 

無季。「蜑」は人倫、水辺。「捨子」も人倫。「雨」は降物。

 

十三句目

 

   蜑の捨子の雨を啼声

 朝わたる荒洲の鵺の毒ヲ吐    其角

 (朝わたる荒洲の鵺の毒ヲ吐蜑の捨子の雨を啼声)

 

 鵺(ぬえ)は源頼政の鵺退治で知られた妖怪で、ウィキペディアに、

 

 「『平家物語』や摂津国の地誌『摂津名所図会』などによると、鵺退治の話は以下のように述べられている。平安時代末期、天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿に、毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。側近たちはかつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の猪早太(井早太との表記もある)を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓「雷上動(らいしょうどう)」を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した。その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ってきたという。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。」

 

とある。

 蜑の捨子の声だと思ってたのは、鵺の毒を吐く声だった。

 

無季。「荒洲」は水辺。

 

十四句目

 

   朝わたる荒洲の鵺の毒ヲ吐

 猿行膓のくさる悲しび      桃青

 (朝わたる荒洲の鵺の毒ヲ吐猿行膓のくさる悲しび)

 

 猿行は猿猴と同じ。猿の声は古来涙を誘うものとして、漢詩に歌われてきた。

 六朝時代の無名詩に、

 

 巴東山峡巫峡長  猿鳴三声涙沾裳

 

 巴東の山峡の巫峡は長く、

 猿のたびたび鳴く声に涙は裳裾を濡らす。

 

とあり、杜甫の「秋興其二」にも、

 

 虁府孤城落日斜 毎依北斗望京華

 聽猿實下三聲涙 奉使虚隨八月槎

 畫省香爐違伏枕 山樓粉蝶隱悲笳

 請看石上藤蘿月 已映洲前蘆荻花

 

 虁府(きふ:四川省奉節縣)の孤城に日は傾いて沈み、

 いつものように北斗星を見ては都を思う。

 猿の声を聴いては三声の泪を流し、

 仕事だからと空しく八月の筏に乗る。

 尚書省に香炉を置いて交替で寝て、

 山の楼閣の蝶に紛れて悲しい芦笛を隠しているが、

 見てくれ、岩の上の藤の蔓の絡まる上の月を。

 川の中洲に既に芦萩の花を照らしている。

 

とある。

 断腸の思いの涙ではるが、断腸という言葉の由来には、また別の物語がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「断腸」の解説」の補注に、

 

 「[補注]中国、晉の武将、桓温が三峡を旅した時、従者が猿の子を捕えた。母猿は悲しんで岸を追うこと百余里、ついに船にとびうつることができたが、そのまま息絶えた。その腹をさいて見ると、腸がずたずたに断ち切れていたという故事が「世説新語」に見える。」

 

とある。

 ここでは鵺の毒の声に、猿も腸を断つのではなく、腸が腐るとする。

 

無季。「猿行」は獣類。

 

十五句目

 

   猿行膓のくさる悲しび

 南に風芳しき鬼醤        麋塒

 (南に風芳しき鬼醤猿行膓のくさる悲しび)

 

 鬼醤(おにひしほ)は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、「塩気多く辛味の強い焼味噌。」とある。

 ただ、前句の雰囲気からすると、猿酒のように魚が自然発酵した魚醤ではないかという感じもする。

 風薫るという言葉は、

 

 風薫る軒の橘としふりて

     しのぶの露を袖にかけつる

              藤原良経(秋篠月清集)

 

などの夏の橘の香に詠むことも多いが、

 

 風薫るをちの山路の梅の花

     色にみするは谷の下水

              藤原定家(拾遺愚草)

 

のように春の梅の香に詠むこともあった。

 

季語は「風芳し」で夏。

 

十六句目

 

   南に風芳しき鬼醤

 蘇鉄に刻む髭の毛薑       峡水

 (南に風芳しき鬼醤蘇鉄に刻む髭の毛薑)

 

 毛薑は(はじかみ)とルビがある。ウィキペディアに、

 

 「椒 - サンショウの古名・雅名。なりはじかみ。なるはじかみ。ふさはじかみ。

  薑 - ショウガの古名・雅名。くれのはじかみ。

  矢生姜 - 生姜の芽を使った食材。はじかみ」

 

とある。

 蘇鉄は毒があるが、水にさらして毒抜きすることで奄美琉球地方では食用とされてきた。

 前句の「南に風」を受けて、鬼醤をこうした南方で作られる蘇鉄味噌のこととしたのではないかと思う。舐め味噌なので生姜の繊維を髭に見立てて添える。

 

無季。

 

十七句目

 

   蘇鉄に刻む髭の毛薑

 寒ヲ治ス貧齋坊が陽花論     暁雲

 (寒ヲ治ス貧齋坊が陽花論蘇鉄に刻む髭の毛薑)

 

 寒は「傷寒」のことであろう。今日でいうウイルス性の風邪やそれに類似した病気のことで、当時は原因不明の病ということで、古来様々に議論されてきた。

 貧齋坊は貧しい異端の医者で「陽花論」という怪しげな医書を書く。概ね桜の頃には自然に治るというような議論ではないかと思う。寒さが収まれば、傷寒も収まる。何か新型コロナの初期の頃もそんなことを言ってた人がいたが。

 前句はその医者の薬の調合とする。蘇鉄は薬にも用いられた。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   寒ヲ治ス貧齋坊が陽花論

 〇蛙将軍鑑考之         麋塒

 (寒ヲ治ス貧齋坊が陽花論〇蛙将軍鑑考之)

 

 〇は注釈の印。『俳諧次韻』的な遊びといえよう。「あしょうぐんかんこれをかんがみ」と読む。

 前句の貧齋坊の書いた陽花論を、蛙将軍鑑という書物を参照せよ、と注釈する。武田兵法の『甲陽軍鑑』のパロディーか。

 

季語は「蛙」で春、水辺。

二表

十九句目

 

   〇蛙将軍鑑考之

 春嵐時の不正の危しきに     自準

 (春嵐時の不正の危しきに〇蛙将軍鑑考之)

 

 「危しき」は「けはしき」。「蛙将軍鑑」は『甲陽軍鑑』と同様、軍事だけでなく、政治や法律など様々なことに言及していたのだろう。

 

季語は「春嵐」で春。

 

二十句目

 

   春嵐時の不正の危しきに

 米屋が塚の雨枯にけり      桃青

 (春嵐時の不正の危しきに米屋が塚の雨枯にけり)

 

 武家は年貢として徴収した米を米屋に売って現金に換えて、米以外の生活に必要な物資を入手する。この売買は大きな利権を伴うので、賄賂などの不正も多かったことだろう。

 後に米屋の杜国が先物取引に無理解な役人のせいで追放刑になることを、この時の芭蕉は知るよしもなかった。

 

無季。「米屋」は人倫。「雨」は降物。

 

二十一句目

 

   米屋が塚の雨枯にけり

 折掛の行燈もえてちょろちょろと 暁雲

 (折掛の行燈もえてちょろちょろと米屋が塚の雨枯にけり)

 

 「折掛の行燈」はお盆の折掛燈籠のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「折掛灯籠」の解説」に、

 

 「〘名〙 お盆の魂祭に用いる手作りの灯籠。細く削った竹二本を交差させて折り曲げ、四角のへぎ板の四すみに刺し立てて、その周囲に白い紙を張ったもの。折掛。《季・秋》 〔俳諧・世話尽(1656)〕

  ※浮世草子・好色五人女(1686)五「なき人の来る玉まつる業(わざ)とて、鼠尾草(みそはぎ)折しきて、〈略〉をりかけ燈籠(トウロウ)かすかに、棚経(たなぎゃう)せはしく」

 

とある。

 お盆になって亡き米屋の霊を迎える。

 

季語は「折掛の行燈」で秋、夜分。

 

二十二句目

 

   折掛の行燈もえてちょろちょろと

 夕顔くらふ鼠おもかげ      麋塒

 (折掛の行燈もえてちょろちょろと夕顔くらふ鼠おもかげ)

 

 夕顔の実であろう。前句の「ちょろちょろ」から夕顔を食う鼠の俤を付ける。

 

季語は「夕顔」で秋、植物、草類。

 

二十三句目

 

   夕顔くらふ鼠おもかげ

 比し得て賤が餅花栬せよ     峡水

 (比し得て賤が餅花栬せよ夕顔くらふ鼠おもかげ)

 

 正月に飾る餅花だと季節が合わない。あるいは「重ね正月」のことか。『冬の日』の「炭売の」の巻二十七句目に、

 

   釣瓶に粟をあらふ日のくれ

 はやり来て撫子かざる正月に   杜国

 

の句があり、柳田國男が『木綿以前の事』の中で、

 

 「撫子を正月に飾るというのも驚くが、これは流行正月と称して何か悪い年に、一般にもう一度年を取り直し、それから後を翌年にする習俗がしばしばくり返され、その日が多くは六月朔日であったことを知れば、六月だから瞿麦でも飾るだろうという空想の、やや自然であったこともうなずかれる。」

 

としている。この巻の作られた貞享元年は長崎から始まった麻疹の流行があったようだが、重ね正月は個人的に身内の不幸が続いたなどの理由で行われることもあるし、時期も六月と決まっているわけではない。

 その意味では紅葉の季節の餅花もあったのかもしれない。前句の夕顔食らう鼠を飢饉の俤としたか。

 

季語は「栬」で秋、植物、木類。「賤」は人倫。

 

二十四句目

 

   比し得て賤が餅花栬せよ

 年玉は揃尽ス秋風        其角

 (比し得て賤が餅花栬せよ年玉は揃尽ス秋風)

 

 前句の餅花に年玉で応じる。秋に重ね正月をやるのであれば、秋風の頃にお年玉をそろえる。

 お年玉が子供に現金を渡す行事になったのは戦後のことだともいう。「駒沢女子大学/駒沢女子短期大学」のサイトの「お年玉の謎」(下川雅弘)によると、「室町時代に書かれた日記などの史料には、新年に贈り物の刀や銭などを持参してお世話になった人を訪問し、お返しとして扇や酒などが振る舞われるといった記事が、数多く残されています。」という。

 秋風に紅葉は、

 

 秋風に散るもみぢ葉は女郎花

     宿におりしく錦なりけり

              よみ人しらず(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋風」で秋。

 

二十五句目

 

   年玉は揃尽ス秋風

 只月のみ而已にして月詠ても   素堂

 (只月のみ而已にして月詠ても年玉は揃尽ス秋風)

 

 「而已」は「のみ」と読む。前の「のみ」は「飲み」で、「月詠(ながめ)ても只月飲み而已(のみ)にして」の倒置。

 年玉で出費がかさんで、ただ月のみを眺めて酒を飲む。

 秋風に月は、

 

 秋風にいとどふけゆく月影を

     たちなかくしそあまの河ぎり

              藤原清正(後撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十六句目

 

   只月のみ而已にして月詠ても

 夜ルの鰹をかつを問るる     峡水

 (只月のみ而已にして月詠ても夜ルの鰹をかつを問るる)

 

 前句の「のみ」の重複に「かつを」の重複で応じる。夜鰹はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「夜鰹」の解説」に、

 

 「〘名〙 漁獲したその夜のうちに市場に運びこまれたカツオ。きわめて新鮮なカツオ。よがつう。《季・夏》

  ※俳諧・別座鋪(1694)「夜鰹に蛍の見度斗也〈子珊〉」

 

とある。あとの「かつを」は「活を」でまだ生きているものを問う。

 月のみで飲むのは淋しいので、生きの良い夜鰹を求める。

 

季語は「鰹」で夏。「夜ル」は夜分。

 

二十七句目

 

   夜ルの鰹をかつを問るる

 哥の客かげまのもとにざれいねて 桃青

 (哥の客かげまのもとにざれいねて夜ルの鰹をかつを問るる)

 

 「かげま」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「陰間」の解説」に、

 

 「① 江戸時代、まだ舞台に出ない少年の歌舞伎俳優。また、宴席に侍って男色を売った少年。若衆(わかしゅ)。陰舞。陰郎。かげこ。かげまこ。かげうま。

  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)三「はやるにまかせだちんの高下ありて、或は大夫といひ陰磨(カゲマ)と名付、慳貪野郎といふが侍なり」

  ② 江戸初期、妾(めかけ)の異称。

  ※随筆・吉原失墜(1674)「一、御座やもの。御ざしきをいふ。一名かげまともいへり」

 

とある。

 歌の客は西行法師か。

 

 伊良湖崎に鰹釣り舟並び浮きて

      はがけの波に浮かびてぞ寄る

              西行法師(夫木抄)

 

の歌を詠んでいる。僧が①の陰舞と船を並べて浮かび寄るとなると、いろいろ想像させてくれる。

 

無季。恋。「哥の客」は人倫。

 

二十八句目

 

   哥の客かげまのもとにざれいねて

 泪畳をうつ私閑に        麋塒

 (哥の客かげまのもとにざれいねて泪畳をうつ私閑に)

 

 「私」は「ささめ」と読む。「ささめごと」のことで、ひそひそ話のこと。

 歌でもってささやいて陰舞を感涙させたか。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   泪畳をうつ私閑に

 頭地ヲ穿ツ疼焉トおもひ     其角

 (頭地ヲ穿ツ疼焉トおもひ泪畳をうつ私閑に)

 

 「疼焉」は右に「とうえん」とルビがあり、左に「イタミイル」とある。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注によると、これを文選読みというらしい。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「文選読み」の解説」に、

 

 「同一の漢語を漢字音と訓 (和語) で2度読む方式をいう。「豺狼 (サイラウ) のおほかみ」「蟋蟀 (シッシュツ) のきりぎりす (現在のこおろぎ) 」などがその例で,上の字音読みが下の訓読みの連体 (ないし連用) 修飾語となる形をとる。もともと平安時代の漢文訓読から起ったもの。古来『文選』を読むときに多く用いられたところからこの名がある。」

 

と読む。

 土下座を文選風に表現する。

 

無季。

 

三十句目

 

   頭地ヲ穿ツ疼焉トおもひ

 髭塵を掃待んとすらん      素堂

 (頭地ヲ穿ツ疼焉トおもひ髭塵を掃待んとすらん)

 

 土下座をしたのかと思ったら、髭で塵を払っただけ。

 

無季。

二裏

三十一句目

 

   髭塵を掃待んとすらん

 三の愛アリ團ト香ト尺八ト    暁雲

 (三の愛アリ團ト香ト尺八ト髭塵を掃待んとすらん)

 

 「三の愛」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に牡丹庵肖柏の『三愛記』を踏まえたという。肖柏の三愛は花と香と酒を愛すということだが、ここでは団扇と香と尺八を愛すことにする。

 老いた牡丹庵肖柏の肖像画は顎髭を蓄えた姿で描かれている。

 

季語は「團(うちは)」で夏。

 

三十二句目

 

   三の愛アリ團ト香ト尺八ト

 凉州竹の物干を序ス       麋塒

 (三の愛アリ團ト香ト尺八ト凉州竹の物干を序ス)

 

 涼州はウィキペディアに、

 

 「涼州(りょうしゅう)は、中国にかつて存在した州。現在の甘粛省・寧夏回族自治区一帯に設置され、現在では甘粛省の別称となっている。」

 

とある。王翰の『涼州詞』で知られている。

 

   涼州詞      王翰

 葡萄美酒夜光杯 欲飲琵琶馬上催

 酔臥沙場君莫笑 古来征戦幾人回

 

 美味い葡萄酒で月に乾杯。

 馬上の琵琶でさあ飲みなさい。

 酔って砂漠で寝てしまっても笑わないでね。

 どうせ昔から軍(いくさ)で帰った人もいない。

 

 凉州竹はその涼州産の竹であろう。王之換にも『涼州詞』があるが、前句の偽の三愛は、漢詩で名高い涼州の詩序を書くのではなく、凉州竹の物干しの序を書く。

 前句の「團(うちわ)」から「凉」の字が導かれている。

 

無季。

 

三十三句目

 

   凉州竹の物干を序ス

 哀ニて日ハ渋紙ヲ射ルト也    素堂

 (哀ニて日ハ渋紙ヲ射ルト也凉州竹の物干を序ス)

 

 渋紙は紙衣(かみこ)だろう。凉州竹の物干に掛っているのは絹ではなく紙で、それに日が照り付けて哀れだ。

 

無季。「日」は天象。

 

三十四句目

 

   哀ニて日ハ渋紙ヲ射ルト也

 野ハ片霜の糠ふるう声      其角

 (哀ニて日ハ渋紙ヲ射ルト也野ハ片霜の糠ふるう声)

 

 野は日が当たったところの霜だけが溶けて、日影の霜の残る方では精米作業の糠が飛び散り、臼で米を搗く声がする。

 

季語は「片霜」で冬、降物。

 

三十五句目

 

   野ハ片霜の糠ふるう声

 凍ヘタル僧に焼火ヲ振廻て    桃青

 (凍ヘタル僧に焼火ヲ振廻て野ハ片霜の糠ふるう声)

 

 寒さで凍えた僧に焚火をしてやれば、野の向こうから米を搗く声がする。

 

季語は「焼火」で冬。釈教。「僧」は人倫。

 

挙句

 

   凍ヘタル僧に焼火ヲ振廻て

 主人の向後物語染ム       自準

 (凍ヘタル僧に焼火ヲ振廻て主人の向後物語染ム)

 

 向後は今後のこと。物語は世間話という程度の意味であろう。まあ、俳諧も世間話には違いない。

 ここでは前句の僧が芭蕉で、主人は麋塒のことか。

 

無季。「主人」は人倫。