「土-船諷棹」の巻、解説

初表

 土-船諷棹月はすめ身ハ濁レとや    楓興

   浮生ははぜを放す盞     其角

 興そげて西瓜に着スル烏-角巾     柳興

   萩すり團風みだるらん    長吁

 蓬生のうづらは蚊帳の中に鳴   其角

   鼬のたたく門ほそめ也    楓興

 

初裏

 ぬす人を矢に待嵐窓ヲ射る    長吁

   下女が鏡にしらぬ俤     柳興

 泪とも直衣のつまを切ル襡    楓興

   むかし雨夜の文枕とく    其角

 名をかへて縁が丫鬟長シク    柳興

   うきを盛の酒-中-花の時     長吁

 発句彫ル櫻は枝を痛むらん    其角

   かへり見霞む落城の月    楓興

 笠軽く鞋に壹分をはきしめて   長吁

   関もる所佐渡の中山     柳興

 柴荷ふ妙の僕となりにけり    楓興

   老母ヲ牛にのせて吟ふ    其角

 

 

二表

 うき雲の聟をたづねて問嵐    柳興

   乞食の筋をいのる野社    長吁

 水へだつ傾-里は垣のひとへにて    其角

   心を伽羅に染ぬゆふがほ   楓興

 つれづれの蛍を髭にすだくらん  長吁

   羇行のなみだ下-官哥よむ     柳興

 げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨    楓興

   肴なき爐に三線ヲ煮ル    其角

 朽坊に化物がたり申すなり    柳興

   夫をためす獨リ野の月    長吁

 穂に出て業平かくす薄-陰       其角

   夕べを契る蜻蛉の木偶    楓興

 

二裏

 進めする錦木供養立から     長吁

   地蔵に粧ふ霜の白粉     柳興

 三七日は乱壊の相を啼ク烏    其角

   食腥く出る野のはら     楓興

 旧悪の都は花の色苦し      柳興

   毛虫は峰のねぐら争う    長吁

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

 土-船諷棹月はすめ身ハ濁レとや  楓興

 

 いかにも天和調という感じの破調の句だ。

 「土-船」は漢文調に「とせん」とでも読んだ方が良いのか。普通に「つちぶね」で良いのか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「土船・土舟」の解説」に、

 

 「① 土を運送する船の総称。江戸時代の大坂には極印をうけた古土船・新土船・在土船の三種が合計六六艘あり、山土を積んで大坂市中の銅細工や鍋・釜の鋳物師などへ売った。船の長さ三二・五尺(約九・八五メートル)、幅五・七尺(約一・七三メートル)、一人乗りの小型の川船。土取り船。

  ※俳諧・虚栗(1683)下「土船諷レ棹を月はすめ身は濁れとや〈楓興〉 浮生ははぜを放す盞〈其角〉」

  ② 土で作った船。日本の昔話「かちかち山」に出てくる船。どろ船。

  ※滑稽本・古朽木(1780)五「かちかち山の因縁を顕し、水桶の内の苦みは土舟の報を見せたり」

 

とあり、ここでは「つちぶね」になっている。

 諷棹は返り点と送り仮名がふってあって「棹(さを)ヲ諷(うた)フ」になる。上五が五文字字余りで十七五になる。長さとしては、

 

 艪の声波ヲ打って腸凍る夜や涙  芭蕉

 

と同じ長さになる。

 工事に用いる土砂を運ぶ船の棹の音が唄っているかのようで、月は澄め、我身は濁れと唄っているかのようだ。

 まあ、土船は土砂で汚れることで世間の役に立っているのだから、汚れは我が引き受けよう、月は澄んでくれ、となる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「土-船」は水辺。「身」は人倫。

 

 

   土-船諷棹月はすめ身ハ濁レとや

 浮生ははぜを放す盞       其角

 (土-船諷棹月はすめ身ハ濁レとや浮生ははぜを放す盞)

 

 浮生(ふせい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浮生・浮世」の解説」に、

 

 「〘名〙 はかない人生。定まりない人の世。はかないこの世。ふしょう。

  ※菅家文草(900頃)三・宿舟中「客中重旅客、生分竟浮生」 〔阮籍‐大人先生伝〕」

 

とある。

 はかない人生の後生のことを思うと、殺生をやめ、釣ったハゼも放して酒を飲もう、と澄む月を真如の月として応じる。

 

季語は「はぜ」で秋。

 

第三

 

   浮生ははぜを放す盞

 興そげて西瓜に着スル烏-角巾   柳興

 (興そげて西瓜に着スル烏-角巾浮生ははぜを放す盞)

 

 烏-角巾は隠者が着用する黒いスカーフだと、ネット上の中国の辞書にある。(古代葛制黑色有折角的头巾,常为隐士所戴)。

 中国の隠士を気取って烏角巾を被っていたが、飽きたので西瓜を包むのに使っている、ということか。前句を隠士の心としての付けになる。

 

季語は「西瓜」で秋。「烏-角巾」は衣裳。

 

四句目

 

   興そげて西瓜に着スル烏-角巾

 萩すり團風みだるらん      長吁

 (興そげて西瓜に着スル烏-角巾萩すり團風みだるらん)

 

 團にルビはないが「うちわ」であろう。萩の花で摺染(すりぞめ)にした団扇は、何となく日本の隠士気取りが使いそうだということだろう。

 

季語は「團」で夏。

 

五句目

 

   萩すり團風みだるらん

 蓬生のうづらは蚊帳の中に鳴   其角

 (蓬生のうづらは蚊帳の中に鳴萩すり團風みだるらん)

 

 蓬生(よもぎう)は蓬の茂る荒れ果てた家だが、『源氏物語』の蓬生巻だと明石から帰った源氏の君が訪れた末摘花の家を指す。

 

 「かかるままに、浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒を争ひて生ひのぼる。 葎は西東の御門を閉ぢこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞ、めざましき。」

 

というような状態なら、鶉がいてもおかしくはない。

 ただ、蚊帳の中というから、本当に鶉が蚊帳の中に入って来たのではなく、鶉衣、つまり継ぎ接ぎだらけのぼろを着て泣いている女がいて、萩摺団扇の風も乱れる、と付くと見た方が良い。

 萩に鶉は、

 

 秋風にしたばや寒くなりぬらん

     小萩が原に鶉なくなり

              藤原通宗(後拾遺集)

 

などの歌がある。

 

季語は「蚊帳」で夏。「蓬生」は植物、草類。「うづら」は鳥類。

 

六句目

 

   蓬生のうづらは蚊帳の中に鳴

 鼬のたたく門ほそめ也      楓興

 (蓬生のうづらは蚊帳の中に鳴鼬のたたく門ほそめ也)

 

 蚊帳に鳥の鶉がいる、という寓話のような世界にして、鼬が門を叩く。

 

無季。「鼬」は獣類。「門」は居所。

初裏

七句目

 

   鼬のたたく門ほそめ也

 ぬす人を矢に待嵐窓ヲ射る    長吁

 (ぬす人を矢に待嵐窓ヲ射る鼬のたたく門ほそめ也)

 

 鼬のたたく門をかつて富貴を極めた者の屋敷の廃墟とし、昔だったら盗人が来たら矢を射かけようと待ち構えていた窓も、いまは鼬が門を叩き、嵐の風が吹き抜けて行く。

 

無季。「ぬす人」は人倫。「窓」は居所。

 

八句目

 

   ぬす人を矢に待嵐窓ヲ射る

 下女が鏡にしらぬ俤       柳興

 (ぬす人を矢に待嵐窓ヲ射る下女が鏡にしらぬ俤)

 

 盗人に矢を射ようと窓の所で待っていると、下女の鏡に見知らぬ俤が映る。敵は鏡の向こうからやって来る怪異だった。

 

無季。「下女」は人倫。

 

九句目

 

   下女が鏡にしらぬ俤

 泪とも直衣のつまを切ル襡    楓興

 (泪とも直衣のつまを切ル襡下女が鏡にしらぬ俤)

 

 襡は「フクサ」とルビがふってある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袱紗・服紗・帛紗」の解説」に、

 

 「① 糊(のり)を引いてない絹。やわらかい絹。略儀の衣服などに用いた。また、単に、絹。ふくさぎぬ。

  ※枕(10C終)二八二「狩衣は、香染の薄き。白き。ふくさ。赤色。松の葉色」

  ② 絹や縮緬(ちりめん)などで作り、紋様を染めつけたり縫いつけたりし、裏地に無地の絹布を用いた正方形の絹の布。贈物を覆い、または、その上に掛けて用いる。掛袱紗。袱紗物。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)七「太夫なぐさみに金を拾はせて、御目に懸ると服紗(フクサ)をあけて一歩山をうつして有しを」

  ③ 茶道で、茶器をぬぐったり、茶碗を受けたり、茶入・香合などを拝見したりする際、下に敷いたりする正方形の絹の布。茶袱紗、使い袱紗、出袱紗、小袱紗などがある。袱紗物。

  ※仮名草子・尤双紙(1632)上「紫のふくさに茶わんのせ」

  ④ 本式でないものをいう語。

  ※洒落本・粋町甲閨(1779か)「『どうだ仙台浄瑠璃は』『ありゃアふくさサ』」

 

とある。この場合は②であろう。

 直衣(のうし)は王朝時代の貴族の普段着。

 前句を死んだ男の俤とし、涙ながらに遺品の直衣を切って袱紗にする。遺骨を包むのに用いるのか。

 

無季。恋。「直衣」は衣裳。

 

十句目

 

   泪とも直衣のつまを切ル襡

 むかし雨夜の文枕とく      其角

 (泪とも直衣のつまを切ル襡むかし雨夜の文枕とく)

 

 文枕(ふみまくら)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「文枕」の解説」に、

 

 「① 文がらを芯に入れて作った枕。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)跋「月にはきかしても余所には漏ぬむかしの文枕とかいやり捨られし中に」

  ② 夢に見ようとして枕の下に恋文などを入れておくこと。また、そのふみ。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「あはでうかりし文枕して〈卜尺〉 むば玉の夢は在所の伝となり〈雪柴〉」

  ③ 枕元において見る草子類。」

 

とある。

 『源氏物語』帚木巻の雨夜の品定めに入る前に、文を沢山見つけて勝手に読もうとする場面がある。ここでは①の枕を分解して、出てきた文を勝手に読んだ過去を思い出し、涙ながらに直衣を袱紗にする、と付ける。

 

無季。恋。「雨夜」は降物、夜分。

 

十一句目

 

   むかし雨夜の文枕とく

 名をかへて縁が丫鬟長シク    柳興

 (名をかへて縁が丫鬟長シクむかし雨夜の文枕とく)

 

 「縁」には「ユカリ」、「丫鬟長」には「カブロオトナ」とルビがふってある。ちなみに「丫鬟(あくわん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「丫鬟」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「丫」はあげまきの意)

  ① あげまきに結んだ髪。〔李商隠‐柳枝詩序〕

  ② 転じて、頭をあげまきにした幼女。また、年少の侍女、腰元、婢。

  ※通俗酔菩提全伝(1759)一「孩児を丫鬟(アクハン)(〈注〉コシモト)に抱(いだかせ)て」

 

とある。ここでは遊郭の禿(かむろ、かぶろ)とする。

 遊女の位が上がって名前を変えた、その披露の場面か。その縁者(妹か娘か)の禿もおとなしく従う。

 

無季。恋。「丫鬟(かぶろ)」は人倫。

 

十二句目

 

   名をかへて縁が丫鬟長シク

 うきを盛の酒-中-花の時     長吁

 (名をかへて縁が丫鬟長シクうきを盛の酒-中-花の時)

 

 「酒中花(しゅちゅうくわ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「酒中花」の解説」に、

 

 「〘名〙 酒席に興を添えるため、山吹の茎のずいなどで花鳥などを作り、おしちぢめておき、酒などの中に浮かべるとふくれて開くようにしたもの。《季・夏》

  ※俳諧・桜川(1674)冬「酒中花は風をちらして冬もなし〈顕成〉」

 

とある。

 「うきを盛(もる)」は「酒に浮かべて盛る」と「憂き」を掛ける。また、「酒-中-花の時」も「花の時」と掛けて春の正花の句とする。

 前句の「名をかへて」を何らかの悪い方の意味での改名とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。

 

十三句目

 

   うきを盛の酒-中-花の時

 発句彫ル櫻は枝を痛むらん    其角

 (発句彫ル櫻は枝を痛むらんうきを盛の酒-中-花の時)

 

 桜の気に発句を掘りつけるとは、本人は風流気取りでも、桜を痛めるなんてのは無風流の極み。まあ酔っ払って羽目を外してのことなのだろう。

 其角と言うと、屏風に「此所小便無用」なんてしょうもない揮毫をした書家に、「花の下」と付け加えて発句の形にして救ったというエピソードがある。

 

季語は「櫻」で春、植物、木類。

 

十四句目

 

   発句彫ル櫻は枝を痛むらん

 かへり見霞む落城の月      楓興

 (発句彫ル櫻は枝を痛むらんかへり見霞む落城の月)

 

 桜に彫った発句は敗軍の将の辞世の句だったか。

 花に霞む月は、

 

 花かをり月かすむ夜の手枕に

     みじかき夢ぞ猶わかれゆく

              冷泉為相(玉葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「霞む」で春、聳物。「月」は夜分、天象。

 

十五句目

 

   かへり見霞む落城の月

 笠軽く鞋に壹分をはきしめて   長吁

 (笠軽く鞋に壹分をはきしめてかへり見霞む落城の月)

 

 落城の際、金一分くすねて逃げてきた足軽であろう。

 

無季。旅体。

 

十六句目

 

   笠軽く鞋に壹分をはきしめて

 関もる所佐渡の中山       柳興

 (笠軽く鞋に壹分をはきしめて関もる所佐渡の中山)

 

 前句の金一分に佐渡の金山の連想で、東海道の名所「小夜の中山」を「佐渡の中山」とする。命なりけり(生きていてよかった)佐渡の中山。

 

無季。旅体。

 

十七句目

 

   関もる所佐渡の中山

 柴荷ふ妙の僕となりにけり    楓興

 (柴荷ふ妙の僕となりにけり関もる所佐渡の中山)

 

 「僕」は「ヤツコ」とルビがある。

 大友黒主であろう。黒主は『古今集』仮名序で「おほとものくろぬしは、そのさま、いやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。」と評されたが、謡曲『志賀』では、

 

 「不思議やなこれなる山賤を見れば、重かるべき薪になほ花の枝を折り添へ、休む所も花の蔭なり。これは心ありて休むか。ただ薪の重さに休み候か。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.2708-2712). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

というように、逢坂の関を舞台にして薪を負い花の陰に休む姿が描かれる。

 江戸時代らしく「山賤」を「やっこ」に変える。

 

無季。「僕」は人倫。

 

十八句目

 

   柴荷ふ妙の僕となりにけり

 老母ヲ牛にのせて吟ふ      其角

 (柴荷ふ妙の僕となりにけり老母ヲ牛にのせて吟ふ)

 

 本来なら牛に柴を乗せて運ぶところを、老母を牛に乗せ、柴は水から背負う。「吟」は「サマヨ」とルビがふってある。

 孝行話のようだが、出典があるのかどうかはよくわからない。

 

無季。「老母」は人倫。「牛」は獣類。

二表

十九句目

 

   老母ヲ牛にのせて吟ふ

 うき雲の聟をたづねて問嵐    柳興

 (うき雲の聟をたづねて問嵐老母ヲ牛にのせて吟ふ)

 

 聟は老母と一緒に行雲流水に旅に出てしまった。残された妻はどこへ行ったのか嵐に問う。

 

無季。恋。「うき雲」は聳物。「聟」は人倫。

 

二十句目

 

   うき雲の聟をたづねて問嵐

 乞食の筋をいのる野社      長吁

 (うき雲の聟をたづねて問嵐乞食の筋をいのる野社)

 

 浮雲の聟は乞食坊主になっているのではないかと、その方面をあたって廻り、野の社に祈る。

 

無季。神祇。恋。「乞食」は人倫。

 

二十一句目

 

   乞食の筋をいのる野社

 水へだつ傾-里は垣のひとへにて  其角

 (水へだつ傾-里は垣のひとへにて乞食の筋をいのる野社)

 

 傾-里は河原乞食の住む部落のことか。川の向こう側に一重の垣がある。前句の野社を部落の神社とする。

 

無季。恋。「傾-里」は居所。

 

二十二句目

 

   水へだつ傾-里は垣のひとへにて

 心を伽羅に染ぬゆふがほ     楓興

 (水へだつ傾-里は垣のひとへにて心を伽羅に染ぬゆふがほ)

 

 傾-里を傾城の類語として、下級遊女の里としたか。心の中では伽羅の香を薫き込んでいる。『源氏物語』の市井の夕顔の俤を添える。

 垣の夕顔は、

 

 山がつの折掛垣のひまこえて

     となりにもさく夕顔の花

              西行法師(西行法師家集)

 

の歌にも詠まれている。

 

季語は「ゆふがほ」で夏、植物、草類。恋。

 

二十三句目

 

   心を伽羅に染ぬゆふがほ

 つれづれの蛍を髭にすだくらん  長吁

 (つれづれの蛍を髭にすだくらん心を伽羅に染ぬゆふがほ)

 

 夕顔は巻き髭で草木や棹に絡みつく。心を伽羅に染めた夕顔はたまたまやって来る蛍を巻き髭で捕らえようとしているのだろうか。それじゃ食虫植物になってしまうが。

 夕顔に蛍は、

 

 夕顔の花のかきほの白露に

     光そへてもゆく蛍かな

              藤原為家(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「蛍」で夏、虫類。

 

二十四句目

 

   つれづれの蛍を髭にすだくらん

 羇行のなみだ下-官哥よむ     柳興

 (つれづれの蛍を髭にすだくらん羇行のなみだ下-官哥よむ)

 

 羇行は羇旅と同じでいいのだろう。前句を女性関係で左遷になったとしての旅立ちであろう。下官が餞別の歌を詠む。

 

無季。旅体。「下-官」は人倫。

 

二十五句目

 

   羇行のなみだ下-官哥よむ

 げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨  楓興

 (げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨羇行のなみだ下-官哥よむ)

 

 杜子美は杜甫のこと。子美は字。杜甫は安禄山の乱で成都に逃れた。「茅屋為秋風所破歌」という草堂が雨漏りすることを詠んだ詩があり、これが天和二年刊千春編の『武蔵曲』所収の、

 

   茅舎ノ感

 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉   芭蕉

 

の句にもつながっている。

 杜甫が成都の温泉でのんびりと休もうと思ったら、あの詩に詠まれた一夜の雨になってしまった、とするところに俳諧がある。

 成都に温泉があるかどうかは知らないが、時折洪水のニュースは聞く。

 

無季。「山-中」は山類。「夜ノ雨」は夜分、降物。

 

二十六句目

 

   げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨

 肴なき爐に三線ヲ煮ル      其角

 (げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨肴なき爐に三線ヲ煮ル)

 

 山中の侘しげな宿に酒の魚もなく、三味線の胴の皮を煮るということか。

 今は三線というと沖縄や奄美の楽器を指すが、元は同じ楽器で、江戸時代は三味線も三線と言っていた。延宝六年の「さぞな都」の巻の八十九句目にも、

 

   我等が為の守武菩提

 音楽の小弓三線あいの山     信徳

 

の句があり、貞享元年の「はつ雪の」の巻二十二句目にも、

 

   篠ふか梢は柿の蔕さびし

 三線からん不破のせき人     重五

 

の句がある。

 

無季。

 

二十七句目

 

   肴なき爐に三線ヲ煮ル

 朽坊に化物がたり申すなり    柳興

 (朽坊に化物がたり申すなり肴なき爐に三線ヲ煮ル)

 

 「化物がたり」は怪談のことで、わざわざ幽霊の出そうな朽ちた坊に集まって、百物語などをしていたのだろう。前句をその怪談の一節としたか。

 

無季。

 

二十八句目

 

   朽坊に化物がたり申すなり

 夫をためす獨リ野の月      長吁

 (朽坊に化物がたり申すなり夫をためす獨リ野の月)

 

 お化け屋敷なんかできゃっと抱き付いて反応を見るのは昔も一緒だったのだろう。案外女の方が冷静で男の反応を見ている。ここで女を置いて逃げて行くような男だとちょっと困る。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「夫」は人倫。

 

二十九句目

 

   夫をためす獨リ野の月

 穂に出て業平かくす薄-陰     其角

 (穂に出て業平かくす薄-陰夫をためす獨リ野の月)

 

 謡曲『井筒』であろう。

 

 「地名ばかりは、在原寺の跡旧りて、在原寺の跡旧りて、松も老いたる塚の草、これこそそれよ亡き跡の、一村薄の穂に出づるはいつの名残なるらん。草茫茫として露深深と古塚の、まことなるかな古の、跡なつかしき気色かな跡なつかしき気色かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.21931-21940). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

 紀の有常の女(むすめ)が業平が河内高安の郡の娘の所に通うのを知って、その心を試そうとして、

 

 風吹けば沖つしら浪たつた山

     よはにや君がひとりこゆらむ

 

と詠んだことを思い起こす。

 月に薄は、

 

 山遠き末野の原の篠薄

     穂にいでやらぬいざよひの月

               藤原知家(洞院摂政家百首)

 秋風の末ふきなびくすすき野の

     ほむけにのこる月の影かな

               九条行家(宝治百首)

 

などの歌がある。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。恋。

 

三十句目

 

   穂に出て業平かくす薄-陰

 夕べを契る蜻蛉の木偶      楓興

 (穂に出て業平かくす薄-陰夕べを契る蜻蛉の木偶)

 

 蜻蛉は「かげろう」、木偶は「でく」と読む。ともにルビがある。

 木像となった業平にトンボが契る。

 薄の夕べは

 

 夕霧のたえまに見ゆる花薄

     ほのかの誰を招くなるらむ

              京極関白家肥後(堀河百首)

 

などの歌がある。

 

季語は「蜻蛉」で秋、虫類。恋。

二裏

三十一句目

 

   夕べを契る蜻蛉の木偶

 進めする錦木供養立から     長吁

 (進めする錦木供養立から夕べを契る蜻蛉の木偶)

 

 どう読めばいいのか。「すすめする、にしきぎくやう、たてるから」だろうか。

 前句の木像に錦木を立てて供養するということか。

 

無季。釈教。

 

三十二句目

 

   進めする錦木供養立から

 地蔵に粧ふ霜の白粉       柳興

 (進めする錦木供養立から地蔵に粧ふ霜の白粉)

 

 「粧ふ」は「けはふ」。お地蔵さんが霜のおしろいで化粧しているかのようだ。前句の錦木供養をお地蔵さんに捧げる。

 

季語は「霜」で冬、降物。釈教。

 

三十三句目

 

   地蔵に粧ふ霜の白粉

 三七日は乱壊の相を啼ク烏    其角

 (三七日は乱壊の相を啼ク烏地蔵に粧ふ霜の白粉)

 

 三七日(みなぬか)は死後二十一日目。乱壊(らんゑ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「爛壊」の解説」に、

 

 「〘名〙 肉がただれくずれること。らんかい。

  ※今昔(1120頃か)一「其の身、乱壊して、太虫、目・口・鼻より出入る」 〔謝恵連‐祭古冢文〕」

 

とある。死後二十一日たった死体が腐っているとカラスが鳴いている。お地蔵さんの所に埋められたのだろう。

 

無季。「烏」は鳥類。

 

三十四句目

 

   三七日は乱壊の相を啼ク烏

 食腥く出る野のはら       楓興

 (三七日は乱壊の相を啼ク烏食腥く出る野のはら)

 

 「腥く」は「なまぐさく」とルビがある。「食」は「めし」であろう。

 カラスの声に飯も生臭く感じられ、カラスの鳴く野原を出る。

 

無季。

 

三十五句目

 

   食腥く出る野のはら

 旧悪の都は花の色苦し      柳興

 (旧悪の都は花の色苦し食腥く出る野のはら)

 

 旧悪はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「旧悪」の解説」に、

 

 「① 以前に行なった悪事。きゅうお。「旧悪が露顕する」

  ※続日本紀‐天平宝字八年(764)一〇月己卯「朕念黎庶洗二滌旧悪一、遷二善新美一」 〔論語‐公冶長〕

  ② 江戸時代、逆罪の者そのほか特定の重罪を除き、いったん罪を犯しても、その後再犯がなく、ほかの犯罪にかかわり合いがなければ、犯罪後一二か月経過すれば、これに対する刑罰権が消滅したこと。また、この制度を適用する犯罪。〔禁令考‐別巻・棠蔭秘鑑・亨・一八・延享元年(1744)〕」

 

とある。①は今の「前科」に近い。②は執行猶予みたいなものか。

 まあ、前科者の身の上で、都の花盛りを喜ぶこともできない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   旧悪の都は花の色苦し

 毛虫は峰のねぐら争う      長吁

 (旧悪の都は花の色苦し毛虫は峰のねぐら争う)

 

 桜が葉桜になれば、毛虫が湧いて出て来る。峰の山桜も毛虫の生存競争の場所となる。

 人間の世界もそれと同じで、過酷な生存競争の中で、いつしか前科者になってしまった我が身を思い、とかくこの世は棲みにくい、嫌な渡世だと嘆いて一巻は終わる。

 花の色の峰は、

 

 花の色はためしもなきをいかにして

     思ひかかれる嶺の白雲

              藤原信実(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「毛虫」で春、虫類。「峰」は山類。