「花咲て」の巻、解説

貞享三年三月二十日、江戸にて

初表

   三月廿日即興

 花咲て七日鶴見る麓哉       芭蕉

   懼て蛙のわたる細橋      清風

 足踏木を春まだ氷る筏して     挙白

   米一升をはかる関の戸     曾良

 名月を隣はねたる草枕       コ齋

   枝みぐるしき桐の葉を刈    其角

 

初裏

 墨衣ふるへば虫のから落て     清風

   内外の下向しづか也けり    挙白

 すでに立ッ討手の使いかめしき   曾良

   一夜の契リ銭かづけたる    芭蕉

 松明に顔みんといふ君はたそ    其角

   生て捨子の水に流るる     清風

 影形チしれぬ敵を世になげき    曾良

   ことしの餅をおもふ山寺    コ齋

 雪を持樫やさはらに露みえて    挙白

   虹のはじめは日も匂なき    其角

 しづみては温泉を醒す月すごし   芭蕉

   三ッゆく鹿のひとつ矢を追ふ  コ齋

 

 

二表

 勢々と軍に気ある朝薄       嵐雪

   男ながらの白粉をぬる     清風

 膝琴に明の風雅を忘れざる     其角

   涙おりおり牡丹ちりつつ    挙白

 耳うとく妹が告たる時鳥      芭蕉

   つれなき美濃に茶屋をしてゐる 曾良

 札焼て刀ばかりは伝えけり     清風

   我ガうつ鷹を殿の御拳     其角

 楢紅葉狂歌やさしくよみそへて   コ齋

   京の月夜はさぞ躍ルらん    嵐雪

 物となくものやむ人の独寝に    挙白

   眉ぬく袖の翠簾にうつぶき   芭蕉

 

二裏

 からのふみよめぬ所をうちやりて  曾良

   ひともじ買に雪の山道     コ齋

 哀さは苫屋に捨し破れ網      清風

   何やらなくて塩やかぬ浦    芭蕉

 相国の植たまひけん花と松     其角

   車を下リて春のやすらひ    挙白

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

   三月廿日即興

 花咲て七日鶴見る麓哉      芭蕉

 

 花の盛りは七日くらいなので「花七日」とも言われている。その七日間は鶴を見るような気分です、というもの。清風を鶴に喩えたのかもしれない。

 清風は貞享二年にも江戸で芭蕉らと百韻興行を行っている。その発句に、

 

  貞享二年と九月二日東武小石川ニおゐて興行

   賦花何俳諧之連歌

 涼しさの凝くだくるか水車    清風

 

とあるので、今回もこの江戸小石川で興行が行われたと思われる。ここに清風の江戸屋敷があったと言われている。

 小石川というと、今日関口芭蕉庵と呼ばれるものがある。ウィキペディアには、

 

 「松尾芭蕉が二度目に江戸に入った後に請け負った神田上水の改修工事の際に1677年(延宝5年)から1680年(延宝8年)までの4年間、当地付近にあった「竜隠庵」と呼ばれた水番屋に住んだといわれているのが関口芭蕉庵の始まりである。後の1726年(享保11年)の芭蕉の33回忌にあたる年に、「芭蕉堂」と呼ばれた松尾芭蕉やその弟子らの像などを祀った建物が敷地に作られた。その後、1750年(寛延3年)に芭蕉の供養のために、芭蕉の真筆の短冊を埋めて作られた「さみだれ塚」が建立された。また「竜隠庵」はいつしか人々から「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになった。」

 

とある。あるいはここで行われたのかもしれない。ここは神田川に沿ったところで、背後は目白台の山になっている。発句にも「麓」とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「鶴」は鳥類。「麓」は山類。

 

 

   花咲て七日鶴見る麓哉

 懼て蛙のわたる細橋       清風

 (花咲て七日鶴見る麓哉懼て蛙のわたる細橋)

 

 「懼て」は「おぢて」と読む。蛙も恐る恐る渡るような細い橋ということだが、関口芭蕉庵の前には駒塚橋がある。前句の「鶴」ではなく「蛙」に過ぎません、という謙虚な気持ちが込められている。

 清風は延宝九年に『おくれ雙六』という撰集を刊行している。

 

 宝引や綱手かなしき舟博奕    清風

 心中はつめたし猫の鼻柱     同

 

などの句があり、

 

 郭公まねくか麥のむら尾花    桃青

 

の句も収録されている。

 

季語は「蛙」で春、水辺。「細橋」も水辺。

 

第三

 

   懼て蛙のわたる細橋

 足踏木を春まだ氷る筏して    挙白

 (足踏木を春まだ氷る筏して懼て蛙のわたる細橋)

 

 あぶみ(足踏、鐙)は足を乗せる所で、ここでは川に降りるために足を掛ける木の板のことであろう。春もまだ氷る冷たい川に筏を作る。

 

季語は「春」で春。「筏」は水辺。

 

四句目

 

   足踏木を春まだ氷る筏して

 米一升をはかる関の戸      曾良

 (足踏木を春まだ氷る筏して米一升をはかる関の戸)

 

 古い時代には関所を越える時に関銭を米で支払っていた。コトバンクの関米のところの「世界大百科事典内の関米の言及」に、

 

 「関所の通行料としての関銭という言葉は通行料徴収を目的とした関所が多く設置されてくる鎌倉後期にはみられず,時代の下った室町から戦国期にかけて関賃とともに関所通行料の一般的呼称として用いられている。関所の通行料の呼称としては関料,関手(せきて)が鎌倉後期に,それより少し古くは関米,あるいはこれと同義の升米(しようまい)が用いられている。このような通行料の早い例としては平安初期の838年(承和5)大輪田船瀬において,〈勝載(しようさい)料〉と称してその修築費にあてるため往来船舶から通行料が徴収されていたのが挙げられる。」

 

とある。筏から降りるとそこに関所がある。

 

無季。旅体。

 

五句目

 

   米一升をはかる関の戸

 名月を隣はねたる草枕      コ齋

 (名月を隣はねたる草枕米一升をはかる関の戸)

 

 名月だというのに旅の連れは疲れて早々に寝てしまっている。関屋に泊めてもらったのだろう。実際に元禄九年の桃隣の「舞都遅登理」の旅では尿前の関を越える時に、「漸及暮關屋ニ着て、檢斷を尋、歎きよりて一宿明ス。」と日が暮れてしまったので、泊めてもらったことが記されている。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。旅体。

 

六句目

 

   名月を隣はねたる草枕

 枝みぐるしき桐の葉を刈     其角

 (枝みぐるしき桐の葉を刈名月を隣はねたる草枕)

 

 前句の「隣は寝たる」を「隣撥(は)ねたる」として桐の枝をはねるとする。名月に桐の葉が掛かってよく見えなかったからだ。

 

季語は「桐の葉」で秋、植物、木類。

初裏

七句目

 

   枝みぐるしき桐の葉を刈

 墨衣ふるへば虫のから落て    清風

 (墨衣ふるへば虫のから落て枝みぐるしき桐の葉を刈)

 

 墨衣は僧衣。これは僧の殺生(せっしょう)ネタ。桐の葉の剪定を終えて衣をはたくと虫の死骸が落ちてきて、知らないうちに殺生の罪を犯していた。

 元禄二年の『奥の細道』の旅の時になるが、「めづらしや」の巻二十六句目。

 

   千日の庵を結ぶ小松原

 蝸牛のからを踏つぶす音     露丸

 

の句がある。

 

季語は「虫」で秋、虫類。「墨衣」は衣裳。

 

八句目

 

   墨衣ふるへば虫のから落て

 内外の下向しづか也けり     挙白

 (墨衣ふるへば虫のから落て内外の下向しづか也けり)

 

 「内外(うちと)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「伊勢の内宮外宮」とある。内外(うちと)の宮という。

 『野ざらし紀行』では「浮屠(ふと)の属にたぐへて、神前に入事(いること)をゆるさず」と、芭蕉が僧形だったので内宮に入れなかったことが記されている。

 ここでは僧衣を脱いで入ろうとしたのか。虫の死骸が落ちて何か気まずい。

 

無季。神祇。旅体。

 

九句目

 

   内外の下向しづか也けり

 すでに立ッ討手の使いかめしき  曾良

 (すでに立ッ討手の使いかめしき内外の下向しづか也けり)

 

 「討手(うつて)」は「うちて」ともいい、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」の、

 

 「② (討手) 敵を攻め滅ぼしに向かう人々。また、罪人などを捕えたり、殺したりする役の人。うって。おって。殺し手。

  ※高野本平家(13C前)九「百卅余人が頸切て討(ウチ)手の交(けう)名しるいて」

 

であろう。使いとはいえいかにもやばそうな強面(こわもて)だったりしたのだろう。周りの参拝者は沈黙する。

 

無季。「討手の使」は人倫。

 

十句目

 

   すでに立ッ討手の使いかめしき

 一夜の契リ銭かづけたる     芭蕉

 (すでに立ッ討手の使いかめしき一夜の契リ銭かづけたる)

 

 「かづく」はこの場合無理に与えるということか。

 戦地で勝手に地元の民間人の家に上がり込んでやっちゃってから、銭を置いてゆく。

 今でも素人の女と遊んだ時のオヤジがよくこういうことをする。

 

無季。恋。「一夜」は夜分。

 

十一句目

 

   一夜の契リ銭かづけたる

 松明に顔みんといふ君はたそ   其角

 (松明に顔みんといふ君はたそ一夜の契リ銭かづけたる)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は辻君とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 夜間、道ばたに立ち、通行人を客として色を売った女。夜発(やほち)。夜鷹。辻傾城。辻遊女。立ち君。古くは、町の路次内に店をかまえた下等の売女をいった。

  ※咄本・正直咄大鑑(1687)黒「むかしよりいひつたへたる辻君(ツジギミ)と云者」

 

とある。

 松明(たいまつ)は日常的に使うものではないので、一体何者だというところだろう。

 

無季。恋。「松明」は夜分。「君」は人倫。

 

十二句目

 

   松明に顔みんといふ君はたそ

 生て捨子の水に流るる      清風

 (松明に顔みんといふ君はたそ生て捨子の水に流るる)

 

 真っ暗な夜の河原に松明を点して生きたまま捨て子を川に流す。このころはそういうことも行われていたようだ。芭蕉は『野ざらし紀行』の旅で富士川の河原で捨て子を目撃し、

 

 猿を聞く人捨て子に秋の風いかに 芭蕉

 

の句を詠んでいる。もちろん孤児院なんてなかった時代だ。

 

無季。「捨子」は人倫。

 

十三句目

 

   生て捨子の水に流るる

 影形チしれぬ敵を世になげき   曾良

 (影形チしれぬ敵を世になげき生て捨子の水に流るる)

 

 前句の「生(いき)て」を水に流されたが生き延びてという意味にして、自分を捨てた親の顔も分からないとする。

 

無季。

 

十四句目

 

   影形チしれぬ敵を世になげき

 ことしの餅をおもふ山寺     コ齋

 (影形チしれぬ敵を世になげきことしの餅をおもふ山寺)

 

 影形も知れない敵というのは飢饉とか疫病とかいった災害のことだろう。今年の年末に無事に餅を搗けるかどうか心配する。今も世界は「影形チしれぬ敵」に嘆いている。

 

季語は「餅」で冬。釈教。

 

十五句目

 

   ことしの餅をおもふ山寺

 雪を持樫やさはらに露みえて   挙白

 (雪を持樫やさはらに露みえてことしの餅をおもふ山寺)

 

 「さはら」は「椹」という字を書く。ヒノキ科ヒノキ属の木。

 樫や椹に積った雪が融けだして露になり、春も近い。もうすぐ正月ということで今年の餅を思う。

 

季語は「雪」で冬、降物。「樫」「さはら」は植物、木類。「露」は降物。

 

十六句目

 

   雪を持樫やさはらに露みえて

 虹のはじめは日も匂なき     其角

 (雪を持樫やさはらに露みえて虹のはじめは日も匂なき)

 

 雪の積もった樫や椹に雨露が落ちてきて、虹の出る前はまだ日の気配もない。

 杜甫の『石龕(せきがん)』の、

 

 天寒昏無日 山遠道路迷

 驅車石龕下 仲冬見虹霓

 

だろうか。

 

無季。「日」は天象。

 

十七句目

 

   虹のはじめは日も匂なき

 しづみては温泉を醒す月すごし  芭蕉

 (しづみては温泉を醒す月すごし虹のはじめは日も匂なき)

 

 月暈(げつうん)のことか。

 日も沈んで温泉(いでゆ)を醒ますかのように空気は冷たく、日が射してないのに虹が掛かっている月が不気味だ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十八句目

 

   しづみては温泉を醒す月すごし

 三ッゆく鹿のひとつ矢を追ふ   コ齋

 (しづみては温泉を醒す月すごし三ッゆく鹿のひとつ矢を追ふ)

 

 前句を夜中の山のなかとして、三頭行く鹿の一頭は矢を追っている。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。

二表

十九句目

 

   三ッゆく鹿のひとつ矢を追ふ

 勢々と軍に気ある朝薄      嵐雪

 (三ッゆく鹿のひとつ矢を追ふ勢々と軍に気ある朝薄)

 

 合戦前の気勢を上げる軍勢。先走って鹿に矢を射かける。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。

 

二十句目

 

   勢々と軍に気ある朝薄

 男ながらの白粉をぬる      清風

 (男ながらの白粉をぬる勢々と軍に気ある朝薄)

 

 江戸時代の武士も化粧してたという。まして戦国武将は敵にも部下にもやつれたところを見せないためにも、顔に白粉を塗るのは珍しくなかったという。大河ドラマ『真田丸』では北条氏政が顔を白く塗っていた。

 さすが尾花沢の紅花問屋で化粧にはうるさそうだ。

 

無季。「男」は人倫。

 

二十一句目

 

   男ながらの白粉をぬる

 膝琴に明の風雅を忘れざる    其角

 (膝琴に明の風雅を忘れざる男ながらの白粉をぬる)

 

 明(みん)から来たというと隠元和尚が有名だが、その隠元和尚は二十人の弟子を連れてきたという。その中には七弦琴の名手もいたかもしれない。七弦琴は日本の箏と違い膝に乗せて弾く。

 

無季。

 

二十二句目

 

   膝琴に明の風雅を忘れざる

 涙おりおり牡丹ちりつつ     挙白

 (膝琴に明の風雅を忘れざる涙おりおり牡丹ちりつつ)

 

 「おりおり」は「をりをり」で度々ということ。牡丹は中国のイメージがあったのだろう。

 

季語は「牡丹」で夏、植物、草類。

 

二十三句目

 

   涙おりおり牡丹ちりつつ

 耳うとく妹が告たる時鳥     芭蕉

 (耳うとく妹が告たる時鳥涙おりおり牡丹ちりつつ)

 

 耳が遠くて妻にホトトギスの声がしたのを教えてもらう。今更ながらに年老いてしまったことを嘆く。妻の方も昔の華やかさもなく散りゆく牡丹のようだ。

 

季語は「時鳥」で夏、鳥類。恋。「妹」は人倫。

 

二十四句目

 

   耳うとく妹が告たる時鳥

 つれなき美濃に茶屋をしてゐる  曾良

 (耳うとく妹が告たる時鳥つれなき美濃に茶屋をしてゐる)

 

 「つれなし」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①素知らぬふうだ。平然としている。さりげない。

  出典枕草子 うれしきもの

  「いとつれなく、なにとも思ひたらぬさまにて、たゆめ過ぐすも、またをかし」

  [訳] まったく素知らぬふうで、なんとも思っていないようすで、(相手を)油断させとおすのも、また興味深い。

  ②冷淡だ。薄情だ。

  出典伊勢物語 五四

  「昔、男、つれなかりける女にいひやりける」

  [訳] 昔、男が冷淡だった女に言い送った(歌)。

  ③ままならない。思うにまかせない。

  出典源氏物語 桐壺

  「かへすがへす、つれなき命にも侍(はべ)るかな」

  [訳] 本当にまあ、ままならない私の命でございますね。

  ④何事もない。変わらない。

  出典枕草子 職の御曹司におはしますころ、西の廂にて

  「雪の山つれなくて年も返りぬ」

  [訳] 雪の山は変わらずに年も改まってしまった。」

 

とある。④の意味だろう。前句の老夫婦はいつまでも変わることなく美濃で茶屋をしている。

 

無季。

 

二十五句目

 

   つれなき美濃に茶屋をしてゐる

 札焼て刀ばかりは伝えけり    清風

 (札焼て刀ばかりは伝えけりつれなき美濃に茶屋をしてゐる)

 

 美濃で刀というと関の孫六が有名だが、ここでは刀の技術だけを伝えて引退し、茶屋をしている元刀鍛冶だろうか。「札焼て」がよくわからない。株札か。

 

無季。

 

二十六句目

 

   札焼て刀ばかりは伝えけり

 我ガうつ鷹を殿の御拳      其角

 (札焼て刀ばかりは伝えけり我ガうつ鷹を殿の御拳)

 

 「刀」に「うつ」は縁語。鷹打ちはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 秋から冬にかけて、餌を求める鷹を、木の間に網を張り死んだ鳥をおとりにしてつかまえること。《季・秋》 〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。

 この場合は我が捕まえた鷹を殿の御拳(おこぶし)に止まらせる、という意味だろう。それによって殿から刀を下賜されたということか。やはり「札焼て」がよくわからない。

 

季語は「うつ鷹」で秋、鳥類。「殿」は人倫。

 

二十七句目

 

   我ガうつ鷹を殿の御拳

 楢紅葉狂歌やさしくよみそへて  コ齋

 (楢紅葉狂歌やさしくよみそへて我ガうつ鷹を殿の御拳)

 

 楢の葉の紅葉は雅語では「柞紅葉(ははそもみぢ)」という。

 

   是貞親王家歌合の歌

 秋霧は今朝はなたちそ佐保山の

     ははその紅葉よそにても見む

             よみ人しらず(古今集)

 佐保山のははそのもみぢ散りぬべみ

     夜さへ見よと照らす月影

             よみ人しらず(古今集)

 

といった歌に詠まれている。

 ちなみに春に捕らえられた鷹を佐保姫鷹という。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 前年に生まれ、春になって捕えられた狩猟用の若鷹。一説には春の雉狩に用いる鷹のこと。さおだか。さおひめ。《季・春》 〔俳諧・誹諧初学抄(1641)〕」

 

とある。

 秋に捕らえられた鷹だから佐保姫鷹ならぬ楢紅葉鷹だと洒落てみたか。

 

季語は「楢紅葉」で秋、植物、木類。

 

二十八句目

 

   楢紅葉狂歌やさしくよみそへて

 京の月夜はさぞ躍ルらん     嵐雪

 (楢紅葉狂歌やさしくよみそへて京の月夜はさぞ躍ルらん)

 

 今日行われている上賀茂紅葉音頭大踊りは、江戸中期に霊元上皇から古今伝授を受けた冷泉為村が作ったとされている。ただ、その前身となる踊りがあって、それが宮中に取り入れられた可能性はある。

 ただ、名月の句に踊りを詠んだものが他になかなか見当たらないところを見ると、これは単に宮中ではさぞかし盛り上がるだろうな、という推量で、ある意味後の上賀茂紅葉音頭大踊りを予言する句だったのではないかと思う。

 盆踊りも七月の満月だが、盆踊りは京に限ったものではない。

 

季語は「月夜」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   京の月夜はさぞ躍ルらん

 物となくものやむ人の独寝に   挙白

 (物となくものやむ人の独寝に京の月夜はさぞ躍ルらん)

 

 「ものやむ」は今で言う鬱であろう。余所ではさぞかし盛り上がってるんだろうなと思うと余計に嫌になる。

 

無季。「人」は人倫。「独寝」は夜分。

 

三十句目

 

   物となくものやむ人の独寝に

 眉ぬく袖の翠簾にうつぶき    芭蕉

 (物となくものやむ人の独寝に眉ぬく袖の翠簾にうつぶき)

 

 引眉はウィキペディアに、

 

 「江戸時代では以下に該当する女性のみの習慣となり、元服の際にお歯黒とセットで行われたものである。

  ●既婚女性全般(お歯黒を付け、引眉する、但し武家(武士)の妻は出産後に引眉する)

  ●18〜20歳以上の未婚女性(お歯黒を付けても引眉する場合としない場合有り)

 江戸中期までは眉を剃る、または抜いたあと、元々の眉を薄い墨でなぞる。江戸後期以降は眉を剃る、または抜いたあと眉を描かない場合が多い。」

 

とある。眉をぬくからといって既婚とは限らない。ここは行き遅れの憂鬱を描いたのかもしれない。

 

無季。恋。

二裏

三十一句目

 

   眉ぬく袖の翠簾にうつぶき

 からのふみよめぬ所をうちやりて 曾良

 (からのふみよめぬ所をうちやりて眉ぬく袖の翠簾にうつぶき)

 

 恋文を漢文で書く男っていたんだろうか。江戸時代だから草紙とか俳書とか読んでいれば漢字は読めただろうけど、文法や独特な表現は難しい。

 

無季。恋。

 

三十二句目

 

   からのふみよめぬ所をうちやりて

 ひともじ買に雪の山道      コ齋

 (からのふみよめぬ所をうちやりてひともじ買に雪の山道)

 

 訴訟とかは漢文で行われるため、字がわからなければわかる人に聞くしかない。田舎の訴訟では雪の山道を越えて字を教えてもらいに行く。それも有料で。

 

季語は「雪」で冬、降物。「山道」は山類。

 

三十三句目

 

   ひともじ買に雪の山道

 哀さは苫屋に捨し破れ網     清風

 (哀さは苫屋に捨し破れ網ひともじ買に雪の山道)

 

 前句の「ひともじ」を葱のことにしたか。ウィキペディアに、

 

 「和名ネギの由来は、「根葱」からきているといわれ、茎のように見える葉鞘の基部の白い部分を、根に見立てたからとする説がある。日本の古名では「冬葱」「比止毛之」「祢木」とされ、「き(紀)」ともいう。別名の「ひともじぐさ」は「き」の一文字で表されるからとも、枝分れした形が「人」の字に似ているからとも言う。」

 

とある。

 寂れた漁村では野菜が足りなくて雪の山道を越えて買いに行く。

 

無季。「苫屋」は水辺。

 

三十四句目

 

   哀さは苫屋に捨し破れ網

 何やらなくて塩やかぬ浦     芭蕉

 (哀さは苫屋に捨し破れ網何やらなくて塩やかぬ浦)

 

 江戸時代の製塩は塩田に取って代わられ藻塩は廃れていった。この少し後になるが『笈の小文』で須磨へ行った時も芭蕉は、「『藻塩(もしほ)たれつつ』など歌にもきこへ侍るも、今はかかるわざするなども見えず。」と書いている。

 

無季。「浦」は水辺。

 

三十五句目

 

   何やらなくて塩やかぬ浦

 相国の植たまひけん花と松    其角

 (相国の植たまひけん花と松何やらなくて塩やかぬ浦)

 

 「相国」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (国政を相(たす)ける人の意から)

  ① 中国で、宰相の称。秦の官名丞相の上に位置したが、後に丞相をもいった。

  ※三代実録‐元慶八年(884)五月二九日「本朝太政大臣。可レ当二漢家相国等一」 〔荀子‐彊国〕

  ② 太政大臣、また、左大臣・右大臣・内大臣の唐名。

  ※菅家文草(900頃)二・奉和兵部侍郎哭舎弟大夫之作「相国心寒秋露草、通家眼暗暁風燈」

  ※平家(13C前)一「おほぢの相国禅門に此の由うったへ申されければ」

 

とある。ウィキペディアには、

 

 「この職は日本にも律令制やそれに伴う文物とともに輸入され、日本の律令制度下に於ける太政官の最高職である太政大臣の唐名となった。平清盛が「入道相国」と呼ばれたり、足利義満が京都御所の近くに立てた寺の名前が「相国寺」であるのも、歴代の徳川将軍の位牌に「正一位大相国○○院殿」と記されているのも、彼らが生前に太政大臣に就任、若しくは死後に朝廷からこの官位を贈られたからである。」

 

とあり、相国と呼ばれた人はたくさんいるようだ。

 前句を須磨明石とするなら、ゆかりがあるといえば平清盛ということになる。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。「松」も植物、木類。「相国」は人倫。

 

挙句

 

   相国の植たまひけん花と松

 車を下リて春のやすらひ     挙白

 (相国の植たまひけん花と松車を下リて春のやすらひ)

 

 牛車に乗る貴族が車を降りて桜と松の木の下でやすらう、ということで一巻は目出度く終了する。

 

季語は「春」で春。