「升買て」の巻、解説

初表

   住吉の市に立てそのもどり長谷川

   畦止亭におのおの月を見侍るに

 升買て分別かはる月見かな     芭蕉

   秋のあらしに魚荷つれだつ   畦止

 家のある野は苅あとに花咲て    惟然

   いつもの癖にこのむ中腹    洒堂

 頃日となりて土用をくらしかね   支考

   榎の木の枝をおろし過たり   之道

 

初裏

 溝川につけをく筌を引てみる    青流

   火のとぼつたる亭のつきあげ  芭蕉

 蓋とれば椀のうどんの冷返り    畦止

   坂下リてから一里程来る    惟然

 照つけて草もしほるる牛の糞    洒堂

   村の出見世に集て寐る     支考

 嫁どりは女斗で埒をあけ      芭蕉

   大事がる子の秋の霜やけ    青流

 汁の実の又呼かへす朝の月     之道

   薄の中へ蟾のはひ込      畦止

 籾ふせてそれからあそぶ花の陰   支考

   おりおりたえぬ春の旅人    洒堂

 

 

二表

 暖に濱の薬師も明ひろげ      惟然

   しるし見分て返す茶筵     芭蕉

 めつきりと油の相場あがりけり   青流

   又どこへやら羽織着て行    之道

 名号をようみせたとて樽肴     洒堂

   竹橋かくる山川の末      支考

 大根も細根になりて秋寒し     芭蕉

   若狭恋しう月のさやけさ    惟然

 ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ 畦止

   半造作でまづ障子はる     洒堂

 気短に針立ふいと帰らるる     之道

   地のしめるほど時雨ふり出す  青流

 

二裏

 雌の此中うせて一羽鶏       芭蕉

   ふり商に棒さげてゆく     之道

 船入をあぢに住す三井の鐘     青流

   枯た薪を沢山に焚       洒堂

 人々の尻もすはらぬ花盛      洒堂

   岨のはづれを雉子うつりゆく  惟然

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

初表

 

   住吉の市に立てそのもどり長谷川

   畦止亭におのおの月を見侍るに

 升買て分別かはる月見かな    芭蕉

 

 元は十三夜の興行の予定だったが芭蕉の体調不良で延期になって、翌日十四日になった。

 十三日には住吉甚社の秋の宝之市神事に行った。宝之市神事は升之市とも呼ばれ、ここの升は縁起物とされていた。芭蕉も折角この時期に大坂に来たんだから、ということで誘惑に勝てなかったのだろう。

 病で衰弱していたところを無理して出歩き、雨に降られてしまい、せっかく良くなりかけた病状がまた悪化してしまった。

 句の方は、升を買っただけでなく、病気なんだから無理をしてはいけないという分別を一緒に買ってきたことで、十三夜の月見が十四夜の月見に「替った」という「かはる」は二重の意味に掛けて用いられている。

 なおこの興行で、もめ事の元になっていて、わざわざ大阪に行く理由になっていた洒堂と之道が同座し、顔を合わせることになる。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。

 

 

   升買て分別かはる月見かな

 秋のあらしに魚荷つれだつ    畦止

 (升買て分別かはる月見かな秋のあらしに魚荷つれだつ)

 

 発句の事情について特にコメントすることはなく、前句の「升買て」から、嵐の中を宝之市に魚荷を運ぶ情景を付け、「かはる」に天候が回復して月見になった、と付ける。

 

季語は「秋」で秋。

 

第三

 

   秋のあらしに魚荷つれだつ

 家のある野は苅あとに花咲て   惟然

 (家のある野は苅あとに花咲て秋のあらしに魚荷つれだつ)

 

 花は秋の野の花で非正花になる。定座には関係ない。

 家のある辺りの野は茅が刈られた後で、可憐な野の花が咲き乱れている。その花野に嵐が吹き、その中を魚荷を運ぶ。

 

季語は「野は‥花咲て」で秋、植物、草類。「家」は居所。

 

四句目

 

   家のある野は苅あとに花咲て

 いつもの癖にこのむ中腹     洒堂

 (家のある野は苅あとに花咲ていつもの癖にこのむ中腹)

 

 中腹は普通の意味だと山の中腹だが、好むものだというと別の意味か。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には「中位の量のお茶という意か」とある。正月のお茶に大服茶があるが、中服というお茶があったのかもしれない。

 

無季。

 

五句目

 

   いつもの癖にこのむ中腹

 頃日となりて土用をくらしかね  支考

 (頃日となりて土用をくらしかねいつもの癖にこのむ中腹)

 

 夏の終わりの土用は暑さが厳しく、江戸後期になるとウナギを食べたりする。この頃は熱いお茶で乗り切ったか。

 

季語は「土用」で夏。

 

六句目

 

   頃日となりて土用をくらしかね

 榎の木の枝をおろし過たり    之道

 (頃日となりて土用をくらしかね榎の木の枝をおろし過たり)

 

 榎は日影を作ってくれるが、剪定しすぎてしまった。

 

無季。「榎」は植物、木類。

初裏

七句目

 

   榎の木の枝をおろし過たり

 溝川につけをく筌を引てみる   青流

 (溝川につけをく筌を引てみる榎の木の枝をおろし過たり)

 

 溝川(みぞがは)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「溝川」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「みぞかわ」とも) 水が常に川のように流れている溝。

  ※永久百首(1116)秋「夕立にをちの溝河まさりつつ降らぬ里まで流きにけり〈源兼晶〉」

 

とある。

 筌は「うけ」と読む。「うへ」とも言い、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筌」の解説」に、

 

 「〘名〙 川の流れなどに仕掛けて、魚を捕る道具。割り竹をかご状に編み、はいった魚が出られないようにくふうされたもの。うけ。おけ。やな。《季・冬》

  ※古事記(712)中「時に筌(うへ)を作(ふ)せて魚を取る人有りき」」

 

とある。

 前句の榎を溝側の脇にあったものとし、筌に魚が掛かったかどうか筌につけた綱を引いてみる。

 

季語は「筌」で冬、水辺。「溝川」は水辺。

 

八句目

 

   溝川につけをく筌を引てみる

 火のとぼつたる亭のつきあげ   芭蕉

 (溝川につけをく筌を引てみる火のとぼつたる亭のつきあげ)

 

 亭を「ちん」と読むときは茶室の意味になる。「つきあげ」は茶室の突き上げ窓で、コトバンクの「世界大百科事典内の突上窓の言及」に、

 

 「草庵茶室の窓には下地窓,連子窓,突上窓の3種類がある。壁を塗り残してあける下地窓は,位置も大きさも自由に定めることができるので,室内に微妙な明暗の分布をつくり出すことができる。…」

 

とある。「精選版 日本国語大辞典「突上窓」の解説」の、

 

 「② 屋根の一部を切り破って、明かり取りとした、窓蓋のある戸。茶室などに用いられる。

  ※俳諧・徳元千句(1632)茶湯之誹諧「川風はつきあげ窓に吹入て」

 

の方になる。

 「筌(うけ)」から茶筌を連想したか。茶室で出される懐石料理の魚は、すぐ脇の溝川で調達されていた。

 

無季。

 

九句目

 

   火のとぼつたる亭のつきあげ

 蓋とれば椀のうどんの冷返り   畦止

 (蓋とれば椀のうどんの冷返り火のとぼつたる亭のつきあげ)

 

 懐石料理のうどんは、えてして冷めてたりしたのだろう。

 

無季。

 

十句目

 

   蓋とれば椀のうどんの冷返り

 坂下リてから一里程来る     惟然

 (蓋とれば椀のうどんの冷返り坂下リてから一里程来る)

 

 旅人が峠の茶屋でうどんを買ってからすぐに食べずに、一里程歩いて、下ったところで食べる。

 

無季。旅体。

 

十一句目

 

   坂下リてから一里程来る

 照つけて草もしほるる牛の糞   洒堂

 (照つけて草もしほるる牛の糞坂下リてから一里程来る)

 

 峠道には荷を引く牛の糞が落ちてたりする。

 

季語は「照つけて」で夏。「牛」は獣類。

 

十二句目

 

   照つけて草もしほるる牛の糞

 村の出見世に集て寐る      支考

 (照つけて草もしほるる牛の糞村の出見世に集て寐る)

 

 出見世はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出店」の解説」に、

 

 「① 本店から分かれて、他所に出した店。支店。分店。でだな。

  ※俳諧・天満千句(1676)三「京江戸の外にて鹿の鳴はなけ〈未学〉 出見世本宅萩の下道〈宗恭〉」

  ② 路傍などに臨時に小屋掛けをした店。露店。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「光る灯心三筋四つ辻 小まものや出見せのめがねめさるべし〈重安〉」

  ③ 比喩的に、大もとのものから分かれ出たもの。本流に対する支流、幹に対する枝の類など。

  ※雑嚢(1914)〈桜井忠温〉二六「露軍の銃剣の尖(さき)は〈略〉。露西亜(ロシア)の出店(デミセ)━セルビアへ向いてゐる」

 

とあるが、この②の意味は「出見世(だしみせ)」とも呼ばれていたのではないか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出見世」の解説」に、

 

 「〘名〙 屋台店。床店(とこみせ)。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕」

 

とあり、「デジタル大辞泉「床店」の解説」に、

 

 「商品を売るだけで人の住まない店。また、移動できる小さい店。屋台店。」

 

とある。この「人の住まない店」の方であろう。暑い時は人の居ないのをいいことに、みんなここで涼んで昼寝している。

 

無季。

 

十三句目

 

   村の出見世に集て寐る

 嫁どりは女斗で埒をあけ     芭蕉

 (嫁どりは女斗で埒をあけ村の出見世に集て寐る)

 

 「嫁どり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「嫁取」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「よめどり」とも) 嫁をとること。嫁を迎えること。また、その式。

  ※史記抄(1477)八「むことりよめとりさしさだまりたる祭り、飲食なんとをはし禁すなそ」

 

とある。

 嫁を迎える時には男が下手に口出しするともめるもとで、埒が明かなくなる。「埒(らち)」という言葉は今は「埒が明かない」と否定文でしか使わないが、かつては肯定文でも用いられた。

 埒は本来は馬場の柵のこと。これが開かないと馬を出せない。

 

無季。恋。「嫁」「女」は人倫。

 

十四句目

 

   嫁どりは女斗で埒をあけ

 大事がる子の秋の霜やけ     青流

 (嫁どりは女斗で埒をあけ大事がる子の秋の霜やけ)

 

 嫁入りはスムーズに事が運んだが、その小さな嫁(昔はローティーンの嫁は普通だった)は大事に育てられてきて、水仕事をやってこなかったか、秋になると霜焼けになる。

 

季語は「秋」で秋。「子」は人倫。

 

十五句目

 

   大事がる子の秋の霜やけ

 汁の実の又呼かへす朝の月    之道

 (汁の実の又呼かへす朝の月大事がる子の秋の霜やけ)

 

 汁の実はみそ汁の具のこと。ここでは朝にやって来る豆腐売やアサリ売りのことか。霜焼けで菜っ葉を洗うのを嫌がる。

 

季語は「月」で秋、天象。

 

十六句目

 

   汁の実の又呼かへす朝の月

 薄の中へ蟾のはひ込       畦止

 (汁の実の又呼かへす朝の月薄の中へ蟾のはひ込)

 

 汁の具材を売る人が通るので、ヒキガエルは薄の中に隠れる。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。

 

十七句目

 

   薄の中へ蟾のはひ込

 籾ふせてそれからあそぶ花の陰  支考

 (籾ふせてそれからあそぶ花の陰薄の中へ蟾のはひ込)

 

 春でヒキガエルの出てくる頃として、花の定座へ展開する。田舎の景色ということで、苗代を準備し、籾を蒔いてから花見を楽しむ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   籾ふせてそれからあそぶ花の陰

 おりおりたえぬ春の旅人     洒堂

 (籾ふせてそれからあそぶ花の陰おりおりたえぬ春の旅人)

 

 百姓が花見を楽しんでいると、その脇を旅人が通り過ぎていく。春の順礼の季節で人通りが多い。

 

季語は「春」で春。旅体。「旅人」は人倫。

二表

十九句目

 

   おりおりたえぬ春の旅人

 暖に濱の薬師も明ひろげ     惟然

 (暖に濱の薬師も明ひろげおりおりたえぬ春の旅人)

 

 宇治木幡の願行寺の「浜の薬師」か。詳細は不明。

 街道は行く人が絶えず、秘仏の浜の薬師も御開帳になる。

 

季語は「暖」で春。釈教。

 

二十句目

 

   暖に濱の薬師も明ひろげ

 しるし見分て返す茶筵      芭蕉

 (暖に濱の薬師も明ひろげしるし見分て返す茶筵)

 

 舞台が宇治なら茶筵の連想も自然だ。茶筵にはそれぞれの茶園の印がついているのだろう。返す時にはそれを見て返す。

 

無季。

 

二十一句目

 

   しるし見分て返す茶筵

 めつきりと油の相場あがりけり  青流

 (めつきりと油の相場あがりけりしるし見分て返す茶筵)

 

 油の方が高く売れそうなので、茶をやめて菜種を育てるということか。

 

無季。

 

二十二句目

 

   めつきりと油の相場あがりけり

 又どこへやら羽織着て行     之道

 (めつきりと油の相場あがりけり又どこへやら羽織着て行)

 

 油相場で一儲けした相場師であろう。

 

無季。「羽織」は衣裳。

 

二十三句目

 

   又どこへやら羽織着て行

 名号をようみせたとて樽肴    洒堂

 (名号をようみせたとて樽肴又どこへやら羽織着て行)

 

 名号(みゃうがう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「名号」の解説」に、

 

 「① 仏菩薩の名。名字。

  ※観智院本三宝絵(984)下「若善心をおこせる善男女ありて阿みだ仏の名号を聞持ちて」 〔大宝積経‐五〕

  ② 特に、「阿彌陀仏」の四字、「南無阿彌陀仏」の六字など。

  ※本朝文粋(1060頃)一〇・聚沙為仏塔詩序〈慶滋保胤〉「開レ口揚レ声。唱二其名号一」

 

とある。名号のあるものを身に着けたお坊さんであろう。南無阿弥陀仏の文字があるが、酒も飲めば魚も食べるということか。

 南無阿弥陀仏の羽織と言うと、ついつい『鬼滅の刃』の行冥さんが浮かんできてしまうが。

 

無季。釈教。

 

二十四句目

 

   名号をようみせたとて樽肴

 竹橋かくる山川の末       支考

 (名号をようみせたとて樽肴竹橋かくる山川の末)

 

 竹橋はこの場合は竹を何本か並べて渡しただけの粗末な橋ということだろう。前句を熊野など山奥の巡礼とする。

 

無季。「竹橋」は水辺。「山川」は山類、水辺。

 

二十五句目

 

   竹橋かくる山川の末

 大根も細根になりて秋寒し    芭蕉

 (大根も細根になりて秋寒し竹橋かくる山川の末)

 

 大根は冬のもので、秋も深まってくると徐々に根が太くなりだすが、「細根」というのは今年は育ちが悪くて心細いということか。前句の山奥の景色に大根畑を付ける。

 

季語は「秋寒し」で秋。

 

二十六句目

 

   大根も細根になりて秋寒し

 若狭恋しう月のさやけさ     惟然

 (大根も細根になりて秋寒し若狭恋しう月のさやけさ)

 

 若狭は大根の産地で、大根の汁で麵を食う若狭汁という郷土料理がある。

 若狭を若様に掛けて恋に転じる。「細根」の心細い思いを受ける。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

二十七句目

 

   若狭恋しう月のさやけさ

 ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ 畦止

 (ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ若狭恋しう月のさやけさ)

 

 念願の若様に許されて添い寝すれば、眠れなくて夜が長い。

 

季語は「夜永」で秋、夜分。

 

二十八句目

 

   ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ

 半造作でまづ障子はる      洒堂

 (ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ半造作でまづ障子はる)

 

 半造作はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「半造作」の解説」に、

 

 「① 建築工事や建築内部の取付物などがまだできあがっていないこと。また、そのもの。半作事。

  ※地蔵菩薩霊験記(16C後)八「未半造作(ハンザウサク)にて侍る事を悲み」

  ② 建築や内部仕上げの全部をつくるのではなく、その一部分をつくること。

  ※歌舞伎・染竹春駒(1814)三幕「古畳でも引取って、半雑作もせねばならぬ」

  ③ 目、鼻、口などの形が整っていないこと。顔のつくりがよくないこと。」

 

とある。

 「障子はる」はウィキペディアに、

 

 「障子貼る(しょうじはる)は仲秋の季語。夏の間涼をとるためにはずして物置などに蔵ってあった障子を出し、敷居に嵌める前に紙を変える事。普通、紙を貼った重ね目に埃が溜まらないように、下から上へ貼っていく。米などで適当な濃さに作った糊を盆などに調え、刷毛で桟に塗り、障子幅に切った和紙を一気に貼る。毎年貼替えずに、倹約して破れた一枚だけを切貼りしたり、穴のあいたところは花の形に切った紙などで塞いだりもする。」

 

とある。ただし、これは近代の季語で、ここでは内装工事の際の障子貼りだから季節に関係ない。

 内装工事のために泊まりこんだ職人が眠れずに作業を続ける。

 

無季。

 

二十九句目

 

   半造作でまづ障子はる

 気短に針立ふいと帰らるる    之道

 (気短に針立ふいと帰らるる半造作でまづ障子はる)

 

 針立「はりたて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鍼立・針立」の解説」に、

 

 「① 鍼(しん)術用の針をうって病気を治療すること。また、それをするもの。鍼医。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ② =はりさし(針刺)①

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第一「目まいといつは荻の高声 針たても所によりて替る秋」

 

とある。

 前句を途中で投げ出すことの比喩として途中で帰った針立を付ける。

 

無季。「針立」は人倫。

 

三十句目

 

   気短に針立ふいと帰らるる

 地のしめるほど時雨ふり出す   青流

 (気短に針立ふいと帰らるる地のしめるほど時雨ふり出す)

 

 前句の針立の短気はいつものことで、時雨のようなもの。時雨の何某とか呼ばれてたりして。

 

季語は「時雨」で冬、降物。

二裏

三十一句目

 

   地のしめるほど時雨ふり出す

 雌の此中うせて一羽鶏      芭蕉

 (雌の此中うせて一羽鶏地のしめるほど時雨ふり出す)

 

 「雌」はここでは「めんどり」と読む。

 時雨の中で牝鶏が逃げて、時を告げる雄鶏だけが残る。卵はどうなる。

 「雌鳥勧めて雄鶏時をつくる」という諺もあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「夫が妻の言いなりになること、妻の意見に動かされることのたとえ。

  ※俳諧・毛吹草(1638)二「めん鳥につつかれて時をうたふ」

 

とある。

 

無季。「鶏」は鳥類。

 

三十二句目

 

   雌の此中うせて一羽鶏

 ふり商に棒さげてゆく      之道

 (雌の此中うせて一羽鶏ふり商に棒さげてゆく)

 

 「ふり商」は振り売りのこと。天秤棒に商品を下げて売り歩く。

 女房に逃げられて一人で棒を持って仕入れに行く。「雌鳥勧めて雄鶏時をつくる」という諺を踏まえれば、今まで女房の指示で動いていたから、どうやっていいかわからず途方に暮れている。

 

無季。

 

三十三句目

 

   ふり商に棒さげてゆく

 船入をあぢに住す三井の鐘    青流

 (船入をあぢに住す三井の鐘ふり商に棒さげてゆく)

 

 「あぢ」は「味」とアジガモを掛けたか。「味(あぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味」の解説」に、

 

 「あじ あぢ【味】

  〘名〙

  [一] 物事から感覚や経験で感じとるもの。味わい。

  ① 飲食物などが舌の味覚神経に与える感じ。

  ※虎明本狂言・瓜盗人(室町末‐近世初)「是ほどあぢのよひうりはなひほどに」

  ② 物事に接して、また、経験により感じとったもの。物の良し悪し、具合、調子。「切れ味」「書き味」のように熟語としても用いる。

  ※玉塵抄(1563)一五「その中に一人さい下戸か、いへうな者があって、酒ものまいですみゑむいてをれば、満座の者があぢをわるうしてたのしみ喜ことないぞ」

  ※女難(1903)〈国木田独歩〉五「唐偏木で女の味(アヂ)も知らぬといふのは」

  [二] (形動) 良い、好ましい、または、おもしろみのある味わい。また、そういう味わいのあるさまをいう。

  ① 物事の良さ、おもしろみ。持ち味。また、そういうさま。→味を占める。

  ※史記抄(1477)四「如此てこそ始て文字の味は面白けれぞ」

  ※浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)二「是は女筆のちらし書ことになまめく贈り物。いかさまあぢなことそふな、聞まほしし」

  ② 妙味のある行為や状態についていう。

  (イ) 気のきいていること。手際のいいこと。また、そういうさま。→味にする・味をやる。

  ※評判記・難波物語(1655)「雲井〈略〉逢(あふ)時はさもなくて、文にはあぢをかく人なり」

  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)二「黒き帽子にてかしらをあぢに包みたれば」

  (ロ) 風流で趣があること。また、そういうさま。

  ※俳諧・曠野(1689)員外「峰の松あぢなあたりを見出たり〈野水〉 旅するうちの心寄麗さ〈落梧〉」

  (ハ) 色めいていること。また、そういうさま。

  ※評判記・難波物語(1655)「若旦那とあぢあるよし」

  ※咄本・無事志有意(1798)稽古所「娘のあたっている中へ足をふみ込、ついあぢな心になって、娘の手だと思ひ、母の手を握りければ」

  (ニ) わけありげなこと。何か意味ありげに感じられるさま。

  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)京「あぢな手つきして、是だんな斗いふて、盃のあいしたり、かる口いふ分では」

   ※洒落本・風俗八色談(1756)二「人と対する時は作り声をしてあぢに笑ひ」

  (ホ) 囲碁で、あとになって有利に展開する可能性のある手。また、そういうねらい。

  (ヘ) こまかいこと。また、そのようなさま。

  ※咄本・楽牽頭(1772)目見へ「男がよすぎて女房もあぶなし、金もあぶなく、湯へ行てもながからうのと、あじな所へ迄かんを付て、いちゑんきまらず」

  ③ 人の意表に出るような行為や状態についていう。

  (イ) 一風変わっているさま。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「あぢな事共計、前代未聞の傾城くるひ」

  (ロ) 意外なさま。奇妙なさま。

  ※歌舞伎・四天王十寸鏡(1695)一「やあかもの二郎殿、是はあぢな所でたいめんをいたす」

  ※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉前「柳之助は其を聞くと、〈略〉異(アヂ)に胸が騒ぐやうな心地がした」

  (ハ) 不思議なさま。

  ※浄瑠璃・摂州渡辺橋供養(1748)一「サア縁といふ物はあぢな物ぢゃ」

  ④ 取引所における売買取引の状態、または相場の動き具合などをいう。〔取引所用語字彙(1917)〕」

 

とかなり多義だ。

 今の言葉だと「ひょうひょうと」くらいの感じか。三井寺の近くの大津の港で商品を仕入れうまいこと生活している。

 

無季。「船入」は水辺。「三井」は名所。

 

三十四句目

 

   船入をあぢに住す三井の鐘

 枯た薪を沢山に焚        洒堂

 (船入をあぢに住す三井の鐘枯た薪を沢山に焚)

 

 薪の火は漁火か。ここは軽く流す。

 

無季。

 

三十五句目

 

   枯た薪を沢山に焚

 人々の尻もすはらぬ花盛     洒堂

 (人々の尻もすはらぬ花盛枯た薪を沢山に焚)

 

 火を焚いて次から次へと料理を作るから、みんな食べるのに夢中で落ち着かないということか。今のバーベキューとかでもありそうな光景だ。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。「人々」は人倫。

 

挙句

 

   人々の尻もすはらぬ花盛

 岨のはづれを雉子うつりゆく   惟然

 (人々の尻もすはらぬ花盛岨のはづれを雉子うつりゆく)

 

 前句の花見に山の長閑な景色を付けて、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「雉子」で春、鳥類。「岨」は山類。