「落着に」の巻、解説

初表

   翁に伴なはれて来る人のめづらしきに

 落着に荷兮の文や天津雁      其角

   三夜さの月見雲なかりけり   越人

 菊萩の庭に畳を引づりて      越人

   飲てわするる茶は水になる   其角

 誰か来て裾にかけたる夏衣     其角

   歯ぎしりにさへあかつきのかね 越人

 

初裏

 恨みたる泪まぶたにとどまりて   越人

   静御前に舞をすすむる     其角

 空蝉の離魂の煩のおそろしさ    其角

   あとなかりける金二万両    越人

 いとをしき子を他人とも名付けたり 越人

   やけどなをして見しつらきかな 其角

 酒熟き耳につきたるささめごと   其角

   魚をもつらぬ月の江の舟    越人

 そめいろの富士は浅黄に秋の暮   越人

   花とさしたる草の一瓶     其角

 饅頭をうれしさ袖に包みける    其角

   うき世につけて死ぬ人は損   越人

 

 

二表

 西王母東方朔も目には見ず     越人

   よしや鸚鵡の舌のみじかき   其角

 あぢきなや戸にはさまるる衣の妻  其角

   恋の親とも逢ふ夜たのまん   越人

 ややおもひ寐もしぬられずうち臥て 越人

   米つく音は師走なりけり    其角

 夕鴉宿の長さに腹のたつ      其角

   いくつの笠を荷なふ強力    越人

 穴いちに塵うちはらひ草枕     越人

   ひいなかざりて伊勢の八朔   其角

 満月に不断桜を眺めばや      其角

   念者法師は秋のあきかぜ    越人

 

二裏

 夕まぐれまだうらめしき帋子夜着  越人

   弓すすびたる突あげのまど   其角

 道ばたに乞食の鎮守垣ゆひて    其角

   ものききわかぬ馬士の䦰とり  越人

 花の香にあさつき膾みどり也    越人

   むしろ敷べき喚続の春     越人

 

      参考;『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)

初表

発句

 

   翁に伴なはれて来る人のめづらしきに

 落着に荷兮の文や天津雁     其角

 

 落着(おちつき)は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「落着・落付」の解説」に、

 

 「① 移り動いていたものがとどまること。また、その場所。たどりつく所。行く先。

  ※玉塵抄(1563)二九「下の句をのせぬほどにをちつきしれぬぞ」

  ② 正式の来訪者に最初に出す食事。婚礼のとき、嫁が婚家についてまず食べる軽い食事や吸い物。→落着雑煮(おちつきぞうに)。

  ③ 宿屋、会場などに行き着いてまず飲食すること。また、その飲食物。転じて、茶を飲む時にそえる菓子類。茶うけ。

  ※新撰六帖(1244頃)二「東路やむまやむまやのおちつきに人もすすめぬ君がわりなき〈藤原光俊〉」

  ④ 住居や職などがきまって生活が安定すること。

  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)鄙「まさかの時は見捨じとの詞をたのみに落着(オチツキ)慥と安堵して」

  ⑤ 事件などが治まること。物事の解決。落着(らくちゃく)。「社会がおちつきをとりもどす」

  ⑥ 心配、疑問などが消えて心が安まること。また、態度やことばなどがどっしりしていること。物事に動じないように見える様子。

  ※俳諧・発句題叢(1820‐23)秋「落着の見えて餌拾ふ小鳥哉〈鶯笠〉」

  ⑦ 判断や議論などが最後にある点にゆきつくこと。

  ※女工哀史(1925)〈細井和喜蔵〉一六「容易にその説の落ち着きを見ないのであるが」

  ⑧ ゆれ動いたりしていたものがしずまること。特に、相場が激しく変動した後に安定すること。〔新時代用語辞典(1930)〕

  ⑨ 物事のおさまりぐあい。物のすわりぐあい。安定。

  ※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉三「何処(どこ)か仮衣(かりぎ)をしたやうに、恰当(そぐ)はぬ所が有って、落着(オチツキ)が悪かったらう」

  ⑩ 表現、色合いなど調和がとれて穏やかな様子。「おちつきのある色」

 

とある。①が元の意味で、後のはその拡張だろう。ここでは元の意味で、たどり着いたところで荷兮の文や、ということで良いのではないかと思う。

 句は「天津雁の落着に荷兮の文や」の倒置で、ここでの客人の越人を天津雁に喩える。

 

季語は「天津雁」で秋、鳥類。

 

 

   落着に荷兮の文や天津雁

 三夜さの月見雲なかりけり    越人

 (落着に荷兮の文や天津雁三夜さの月見雲なかりけり)

 

 姨捨山の旅を思い出し、三夜に渡って雲もなく月見ができた、ラッキーな天津雁です、といったところか。

 ところで、芭蕉の『更科紀行』に、

 

 さらしなや三よさの月見雲もなし 越人

 

の句がある。どっちの句が先かという問題にもなる。

 発句が先だということになると、越人は既に詠んだ句を使い回したということになる。さすがにそれはないだろう。となると、この脇の句を芭蕉が見て、発句にしたらと提案したものの、『阿羅野』にこの歌仙が載ったことから公開することもなく、最終的に遺稿となった『更科紀行』に記されているのが発見された、と見た方が良いだろう。

 『更科紀行』が公刊されたのは岩波文庫の『芭蕉紀行文集付嵯峨日記』(中村俊定校注、一九七一)によると岱水編『きその谿』(宝永元年序)だという。真蹟草稿に比べて本文に多少の異同があり、巻末の句数も少ないという。

 真蹟草稿には越人の句は姨捨山の所ではなく、

 

 あの中に蒔絵書きたし宿の月   芭蕉

 桟やいのちをからむつたかづら  同

 桟やまづおもひいづ駒むかへ   同

 霧晴れて桟はめもふさがれず   越人

 さらしなや三よさの月見雲もなし 同

 

の順に記されている。『きその谿』の方はまだ見ていない。

 その後の定本となっている宝永六年(一七〇九年)刊乙州編『笈之小文』所収の『更科紀行』では姨捨山と題して、

 

 俤や姨ひとりなく月の友     芭蕉

 いざよひもまださらしなの郡哉  同

 さらしなや三よさの月見雲もなし 越人

 

という並びになっている。真蹟草稿だと「三よさ」は名月までの三夜ということになり、定本だと姨捨山の十五夜、まだ更科の十六夜(いざよい)と来て、その次の十七日も含めて「三よさ」ということになる。これは句の演出上の問題で、越人の句をより効果的に見せようという配慮と思われる。元々この句の「三よさ」がいつのことだったかとは関係ない。

 なお、元禄九年刊史邦編の『芭蕉庵小文庫』に「更科姨捨月之辨」という俳文があり、そこには「俤や」の句と「いざよひも」の句のみで、越人の句はない。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。「雲」は聳物。

 

第三

 

   三夜さの月見雲なかりけり

 菊萩の庭に畳を引づりて     越人

 (菊萩の庭に畳を引づりて三夜さの月見雲なかりけり)

 

 旅体から庭の情景に転じる。月を見るためにわざわざ庭に畳を引きずり出すところに取り囃しがある。

 

季語は「菊萩」で秋、植物、草類。「庭」は居所。

 

四句目

 

   菊萩の庭に畳を引づりて

 飲てわするる茶は水になる    其角

 (菊萩の庭に畳を引づりて飲てわするる茶は水になる)

 

 菊萩に見とれて飲み忘れた茶は、いつの間にか冷めて水のようになっている。

 抹茶ではなくこの頃広まった隠元禅師の唐茶(煮出し茶)であろう。

 

無季。

 

五句目

 

   飲てわするる茶は水になる

 誰か来て裾にかけたる夏衣    其角

 (誰か来て裾にかけたる夏衣飲てわするる茶は水になる)

 

 茶を飲んでいるうちに寝てしまったのだろう。茶は冷めていて、裾には夏衣が掛けてある。

 

季語は「夏衣」で夏、衣裳。「誰」は人倫。

 

六句目

 

   誰か来て裾にかけたる夏衣

 歯ぎしりにさへあかつきのかね  越人

 (誰か来て裾にかけたる夏衣歯ぎしりにさへあかつきのかね)

 

 酔っ払って寝てしまったのだろう。夏衣を掛けてくれたのは良いが、隣で歯ぎしりする奴は許せない。そうこうしているうちに暁の鐘が鳴って、助かったという気分になる。

 

無季。

初裏

七句目

 

   歯ぎしりにさへあかつきのかね

 恨みたる泪まぶたにとどまりて  越人

 (恨みたる泪まぶたにとどまりて歯ぎしりにさへあかつきのかね)

 

 逢っても傷つけあうばかりで、男はさっさと寝て歯ぎしりしていて、眠れずに涙流す夜だったが、暁の鐘を聞いて別れを決意すると涙もまぶたに留まり、流れ落ちることもなくなった。

 

無季。恋。

 

八句目

 

   恨みたる泪まぶたにとどまりて

 静御前に舞をすすむる      其角

 (恨みたる泪まぶたにとどまりて静御前に舞をすすむる)

 

 静御前は頼朝と政子に勧められて鶴岡八幡宮で舞を舞う。義経との仲を引き裂かれた恨みに涙がこぼれそうになるが、それをぐっとこらえて舞い続ける。

 

無季。

 

九句目

 

   静御前に舞をすすむる

 空蝉の離魂の煩のおそろしさ   其角

 (空蝉の離魂の煩のおそろしさ静御前に舞をすすむる)

 

 「離魂(かげ)の煩(なやみ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「影の煩」の解説」に、

 

 「熱病の一種。高熱を発した病人の姿が二つに見え、どちらが本体でどちらが影かわからなくなるという。影の病。影。かげやまい。離魂病。

  ※俳諧・西鶴大句数(1677)四「思ひは月の影のわづらひ 此野辺にいかなる風の手つだひて」

 

とある。辞書では「煩」は「わづらひ」となっている。

 ここでは特に病気が原因でなくてドッペルゲンガーが現れることをいう。言わずと知れた謡曲『二人静』の舞を指す。「空蝉の」は離魂の枕詞。

 

無季。

 

十句目

 

   空蝉の離魂の煩のおそろしさ

 あとなかりける金二万両     越人

 (空蝉の離魂の煩のおそろしさあとなかりける金二万両 )

 

 金二万両を失ったショックで、魂が抜け、離魂の煩になる。

 

無季。

 

十一句目

 

   あとなかりける金二万両

 いとをしき子を他人とも名付けたり 越人

 (いとをしき子を他人とも名付けたりあとなかりける金二万両)

 

 金二万両の借金を息子に残したくないので、他人だということにする。

 

無季。「子」「他人」は人倫。

 

十二句目

 

   いとをしき子を他人とも名付けたり

 やけどなをして見しつらきかな  其角

 (いとをしき子を他人とも名付けたりやけどなをして見しつらきかな)

 

 火傷の跡の残った女の子は見ていて辛い。別人のように見える。

 

無季。

 

十三句目

 

   やけどなをして見しつらきかな

 酒熟き耳につきたるささめごと  其角

 (酒熟き耳につきたるささめごとやけどなをして見しつらきかな)

 

 「ささめごと」は囁きごとのこと。前句の「やけど」を比喩で、恋の火傷(身を焦がす)とする。

 惚れていれば心地よい「ささめごと」も、熱が冷めてしまえば酒臭いだけで不快なものだ。思わず「酒臭い息吹きかけんじゃねーよ」と言いたくなる。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   酒熟き耳につきたるささめごと

 魚をもつらぬ月の江の舟     越人

 (酒熟き耳につきたるささめごと魚をもつらぬ月の江の舟)

 

 月見の舟ですっかり酔っぱらって出来上がっちゃったのだろう。耳元で繰り言されるのは嫌なものだ。月見の舟も普段は漁に用いてるのだろう。今夜は魚は釣らない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「江の舟」は水辺。

 

十五句目

 

   魚をもつらぬ月の江の舟

 そめいろの富士は浅黄に秋の暮  越人

 (そめいろの富士は浅黄に秋の暮魚をもつらぬ月の江の舟)

 

 浅黄(あさぎ)は浅い黄色だが、同音で浅葱(あさぎ)というと薄い藍色になる。

 其角の住む江戸から見ると夕暮れの富士はシルエットになって浅葱の方だが。越人の住む名古屋側からだと夕日が当たって浅黄になる。どっちだろうか。

 「そめいろ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蘇迷盧」の解説」に、

 

 「(Sumeru の音訳) 仏教の世界説で、世界の中心にそびえ立つという高山。そめいろの山。須彌山(しゅみせん)。

  ※秘蔵記(835頃か)「即蘇迷盧山也。蘇者妙也、迷盧者高也、故曰二妙高山一也」

  ※俳諧・曠野(1689)員外「そめいろの富士は浅黄に秋のくれ〈越人〉」 〔釈氏要覧‐中〕

  [補注]「染色」の意にかけて用いることが多い。」

 

とある。補注の通り、ここでも「染色」と掛けている。

 

季語は「秋の暮」で秋。「富士」は名所、山類。

 

十六句目

 

   そめいろの富士は浅黄に秋の暮

 花とさしたる草の一瓶      其角

 (そめいろの富士は浅黄に秋の暮花とさしたる草の一瓶)

 

 この場合の「花」は比喩で、花に見立てた草を花瓶に生けたということ。草は花薄(はなすすき)であろう。

 花薄では正花にはならないが、草を正花に見立てるということで、ぎりぎりで「にせものの花」にする。

 

季語は「花とさしたる草」で秋。

 

十七句目

 

   花とさしたる草の一瓶

 饅頭をうれしさ袖に包みける   其角

 (饅頭をうれしさ袖に包みける花とさしたる草の一瓶)

 

 この時代の「を」は「に」だと思って読んだ方が良い場合がある。

 饅頭を貰って袖に入れると、嬉しさを袖に包んでいるかのようだ。前句の草を生けても花(桜)の花瓶だ、という心に繋がりを感じる。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

十八句目

 

   饅頭をうれしさ袖に包みける

 うき世につけて死ぬ人は損    越人

 (饅頭をうれしさ袖に包みけるうき世につけて死ぬ人は損)

 

 饅頭一つでも人は幸せになれる。死ぬのは損。死んで花実の咲くものか。

 

無季。「人」は人倫。

二表

十九句目

 

   うき世につけて死ぬ人は損

 西王母東方朔も目には見ず    越人

 (西王母東方朔も目には見ずうき世につけて死ぬ人は損)

 

 西王母東方朔はともに謡曲『東方朔』に登場する。不老不死の桃の実を皇帝に捧げる。

 

 「抑も是は、仙郷に入つて年を経る、東方朔とは我事なり。ここに崑崙山の仙人西王母といへる者、三千年に一たび花咲き実なる桃を持つ。かの桃実を度度食せしその故に、齢すでに九千歳に及べり。その桃実を君に捧げ申さんとの契約あり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.10075-10086). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

というお目出度い話だが、残念ながら西王母も東方朔も伝説上の仙人で誰も見たものはない。永遠の命を求めず、生きている間を精いっぱい楽しもう。

 

無季。

 

二十句目

 

   西王母東方朔も目には見ず

 よしや鸚鵡の舌のみじかき    其角

 (西王母東方朔も目には見ずよしや鸚鵡の舌のみじかき)

 

 まあ要するに不老不死なんて話は嘘だということで、ましてそれを信じさせようと広める人の舌は短すぎて、そんなもんに誰も騙されませんよ、ということ。

 実際には鸚鵡に舌はない。あくまで比喩。

 

無季。「鸚鵡」は鳥類。

 

二十一句目

 

   よしや鸚鵡の舌のみじかき

 あぢきなや戸にはさまるる衣の妻 其角

 (あぢきなや戸にはさまるる衣の妻よしや鸚鵡の舌のみじかき)

 

 日本には野生の鸚鵡はいないので(最近は野生化したインコがいるが)、鸚鵡は「籠の鳥」のイメージで良いと思う。

 着物の端が戸に挟まって身動きできないうえ、助けを呼んでいるのに誰も聞いてくれない。

 

無季。「衣の妻」は衣裳。

 

二十二句目

 

   あぢきなや戸にはさまるる衣の妻

 恋の親とも逢ふ夜たのまん    越人

 (あぢきなや戸にはさまるる衣の妻恋の親とも逢ふ夜たのまん)

 

 こっそり夜這いに来たが、着物の端が戸に挟まって身動きが取れなくなった。親でもいいから出てきてくれ。

 

無季。恋。「親」は人倫。「夜」は夜分。

 

二十三句目

 

   恋の親とも逢ふ夜たのまん

 ややおもひ寐もしぬられずうち臥て 越人

 (ややおもひ寐もしぬられずうち臥て恋の親とも逢ふ夜たのまん)

 

 「やや」は「やや子」のことであろう。赤ちゃんのこと。

 赤ちゃんのことで悩んで夜も眠れなくなったら、夫の親とも相談したい。

 

無季。恋。「やや」は人倫。「寐もしぬられず」は夜分。

 

二十四句目

 

   ややおもひ寐もしぬられずうち臥て

 米つく音は師走なりけり     其角

 (ややおもひ寐もしぬられずうち臥て米つく音は師走なりけり)

 

 「米搗く」は精米作業で、臼で搗く。夜中に米搗く音で赤ちゃんが目を覚ます。

 

季語は「師走」で冬。

 

二十五句目

 

   米つく音は師走なりけり

 夕鴉宿の長さに腹のたつ     其角

 (夕鴉宿の長さに腹のたつ米つく音は師走なりけり)

 

 夕鴉が鳴きながら塒に飛んで行く頃、やっとのことで宿場に辿り着いた旅人が、事前に手紙を出して置いた宿屋に向かうが、意外に宿場町が大きくて探すのに骨が折れる。辺りからは精米の米搗く音がする。師走の夕暮れの宿は寒い。

 

無季。「夕鴉」は鳥類。

 

二十六句目

 

   夕鴉宿の長さに腹のたつ

 いくつの笠を荷なふ強力     越人

 (夕鴉宿の長さに腹のたついくつの笠を荷なふ強力)

 

 大きな宿だから大名行列が到着したのだろう。みんなの笠をまとめて保管するのだろう。走り回る強力はたまったもんではない。

 

無季。「強力」は人倫。

 

二十七句目

 

   いくつの笠を荷なふ強力

 穴いちに塵うちはらひ草枕    越人

 (穴いちに塵うちはらひ草枕いくつの笠を荷なふ強力)

 

 「穴いち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「穴一」の解説」に、

 

 「〘名〙 子供の遊びの一種。直径一〇センチメートルくらいの穴を掘り、その前一メートルほどの所に一線を引き、そこに立ってムクロジ、ゼゼガイ、小石、木の実などを投げる。穴に入った方が勝ちとなるが、一つでも入らないのがあったら、他のムクロジ、ゼゼガイなどをぶつけて、当てたほうが勝ちとなる。銭、穴一銭を用いるようになって、大人のばくちに近くなった。後には、地面に一メートル程の間を置いて二線を引き、一線上にゼゼガイなどをいくつか置いて他の一線の外からゼゼガイなど一つを投げて当たったほうを勝ちとする遊びをいうようになった(随筆・守貞漫稿(1837‐53))。あなうち。

  ※俳諧・天満千句(1676)二「高札書て入捨にして〈利方〉 穴一の一文勝負なりとても〈直成〉」

 

とある。ちょっとボッチャに似ている。この種のゲームはどこの国にもあるのだろう。

 こういうゲームは子供だけでなく、大人もちょっとした何かを賭けたりして遊んでいたのではないかと思う。強力が小さな小屋で寝る場所を賭けて、負けたら草枕だったか。

 

無季。旅体。

 

二十八句目

 

   穴いちに塵うちはらひ草枕

 ひいなかざりて伊勢の八朔    其角

 (穴いちに塵うちはらひ草枕ひいなかざりて伊勢の八朔)

 

 ウィキペディアに「後の雛」という項目があって、そこに、

 

 「後の雛(のちのひな)は、8月1日また9月9日に飾られる雛人形、またそれを飾る江戸時代の慣わしである。」

 

とあり、

 

 「江戸時代、おそらく貞享、元禄年間に始まるのであろうという。正徳年間のことについて、「滑稽雑談」に、「今また九月九日に賞す児女多し、俳諧これを名付けて後の雛とす」、「入子枕」に、「二季のひゝなまつり、今も京難波には後の雛あるよしなれど、三月の如くなべてもてあつかふにはあらずとなむ、播州室などには八朔に雛を立るとぞ」とある。」

 「戦国時代の1566(永禄9)年1月、室山城主の家に黒田官兵衛の妹ともいわれる姫が嫁いできた夜、対立関係にあった龍野城主・赤松政秀に急襲され、花嫁も奮戦したが討ち死にした。地区では鎮魂のため、3月3日のひなまつりを旧暦8月1日の八朔まで延ばしたとされる。」

 

とある。

 伊勢の八朔の「後の雛」も有名になったか、宿がいっぱいで、穴一に負けた者が野宿する。

 

季語は「八朔」で秋。「伊勢」は名所、水辺。

 

二十九句目

 

   ひいなかざりて伊勢の八朔

 満月に不断桜を眺めばや     其角

 (満月に不断桜を眺めばやひいなかざりて伊勢の八朔)

 

 普段桜はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「不断桜」の解説」に、

 

 「〘名〙 サトザクラの園芸品種。花は白く一重で径三センチメートルぐらい。春秋に長い柄のある花を開き、冬も成葉が残り、花が咲く。三重県鈴鹿市の伊勢白子観音に古くからある。天然記念物。《季・春》

  ※俳諧・曠野(1689)員外「満月に不断桜を詠めばや〈其角〉 念者法師は秋のあきかぜ〈越人〉」

 

とある。

 前句の伊勢の八朔から、伊勢白子観音の不断桜なら名月の桜を見られるか、見てみたい、とする。満月と桜がなかなかそろわないというのは、この時代の俳諧の一つのテーマでもある。

 

季語は「満月」で秋、夜分、天象。「不断桜」は植物、木類。

 

三十句目

 

   満月に不断桜を眺めばや

 念者法師は秋のあきかぜ     越人

 (満月に不断桜を眺めばや念者法師は秋のあきかぜ)

 

 念者法師はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念者法師」の解説」に、

 

 「〘名〙 男色で、稚児(ちご)を愛する兄分の法師。念者ぼん。

  ※俳諧・曠野(1689)員外「満月に不断桜を詠めばや〈其角〉 念者法師は秋のあきかぜ〈越人〉」

 

とある。

 越人の認識だと法師はみんな念者で、念者法師は同語反復になる。秋の秋風、頭痛が痛いというようなもの。マルチン・ハイデッガーはLebensphilosophie(生の哲学)を同語反復だと言った。

 

季語は「秋」で秋。釈教。「念者法師」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   念者法師は秋のあきかぜ

 夕まぐれまだうらめしき帋子夜着 越人

 (夕まぐれまだうらめしき帋子夜着念者法師は秋のあきかぜ)

 

 念者法師も恋が原因かどうかはわからないが、寺を追われて旅に出る。秋風の中、火も暮れようとしていて、帋子夜着で夜寒をしのぐ今の境遇が恨めしい。

 後の元禄十一年刊艶士編の『水くらげ』に、

 

 むかしせし恋の重荷や紙子夜着  其角

 

の句がある。元のアイデアは越人のこの句ではないかと思う。

 

無季。「帋子夜着」は衣裳。

 

三十二句目

 

   夕まぐれまだうらめしき帋子夜着

 弓すすびたる突あげのまど    其角

 (夕まぐれまだうらめしき帋子夜着弓すすびたる突あげのまど)

 

 「すすびる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「煤びる」の解説」に、

 

 「① 煤でよごれる。すすける。また、古くなって色あせる。すすぶる。すすぼる。

  ※仮名草子・竹斎(1621‐23)下「羽織はいかにもすすびたる紫紬の襟を差し」

  ② 古くさくなる。古びる。

  ※読本・雨月物語(1776)仏法僧「某が短句(たんく)公(きみ)にも御耳すすびましまさん」

 

とある。「弓」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「弓」の解説」に、

 

 「⑧ 突き上げ窓の支えの竹。

  ※俳諧・曠野(1689)員外「夕まぐれまたうらめしき紙子夜着〈越人〉 弓すすびたる突あげのまど〈其角〉」

 

とある。この句が用例になっている。

 突き上げ窓は明り取りの窓で、茶室の屋根やお城などにも用いられる。

 元禄七年秋の「升買て」の巻八句目の、

 

   溝川につけをく筌を引てみる

 火のとぼつたる亭のつきあげ   芭蕉

 

の「つきあげ」は草庵茶室の突き上げ窓になる。

 其角の句だと「弓すすびたる」とあるから、使われなくなって長く放置された草庵茶室に寝泊まりしたということか。

 

無季。「まど」は居所。

 

三十三句目

 

   弓すすびたる突あげのまど

 道ばたに乞食の鎮守垣ゆひて   其角

 (道ばたに乞食の鎮守垣ゆひて弓すすびたる突あげのまど)

 

 鎮守はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鎮守」の解説」に、

 

 「① (━する) 辺境に軍隊を派遣駐屯させ、原地民の反乱などからその地をまもること。特に、奈良・平安時代、鎮守府にあって蝦夷を鎮衛すること。鎮戍(ちんじゅ)。鎮衛。

  ※続日本紀‐天平九年(737)四月戊午「麻呂等帥二所レ余三百五人一鎮二多賀柵一〈略〉国大掾正七位下日下部宿禰大麻呂鎮二牡鹿柵一。自余諸柵依レ旧鎮守」 〔曹丕‐以陳群為鎮軍司馬懿為撫軍将詔〕

  ② 「ちんじゅふ(鎮守府)①」の略。

  ※続日本紀‐天平元年(729)八月癸亥「又陸奥鎮守兵及三関兵士、簡二定三等一」

  ③ 一国・王城・寺院・村落など一定の地域で、地霊をしずめ、その地を守護する神。また、その神社。鎮主。鎮守の神。鎮守神。

  ※本朝世紀‐天慶二年(939)正月一九日「官符三通。皆給二出羽国一。〈略〉一通鎮守正二位勲三等大物忌明神山燃〈有二御占一〉事恠」

 

とある。今は文部省唱歌の「村祭」の影響からか、ほとんど「村の鎮守様」のイメージで用いられている。近代の国家神道の元に、地域の神社が統廃合されたときに、郷社や村社の呼び名として残ったのではないかと思う。

 道端に乞食が結う垣根は青柴垣であろう。社殿がなくても、瑞垣で囲われた区域は神域になる。昔の神社は御神体が剝き出しで、社殿のないものも多かった。

 前句の古びた突き上げ窓を開けると、道端で乞食が柴垣を作っている。

 

無季。神祇。「乞食」は人倫。

 

三十四句目

 

   道ばたに乞食の鎮守垣ゆひて

 ものききわかぬ馬士の䦰とり   越人

 (道ばたに乞食の鎮守垣ゆひてものききわかぬ馬士の䦰とり)

 

 䦰は「くじ」と読む。籤(くじ)のこと。「䦰とり」はくじ引きのこと。

 鎮守から神社、おみくじという連想であろう。棒のたくさん入った箱を振って、穴から一本を取り出し物で、棒には番号が書いてあるだけだから、知らないと何が何だかわからない。

 

無季「馬士」は人倫。

 

三十五句目

 

   ものききわかぬ馬士の䦰とり

 花の香にあさつき膾みどり也   越人

 (花の香にあさつき膾みどり也ものききわかぬ馬士の䦰とり)

 

 「あさつき膾」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浅葱膾」の解説」に、

 

 「〘名〙 アサツキとアサリのむきみとをゆでて、酢みそであえたもの。春の食べ物で、雛祭(ひなまつり)の膳に供える。《季・春》

  ※評判記・嶋原集(1655)梅之部「あさつきなますが好物にて」

  ※狂文・四方のあか(1787か)下「式正の本膳にあさつき鱠はまぐりもおかし」

 

とある。公園の整備されてなかった時代の花見は神社仏閣で行われることが多かった。花の下で浅葱膾を食べる人もいれば、横で籤を引く馬士もいる。

 まあ、浅葱の多い浅葱膾で、アサリを拾い出すのはくじ引きに近いかもしれない。

 「みどり」というのは「花は紅柳は緑」という禅語に掛けていると思われる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花の香にあさつき膾みどり也

 むしろ敷べき喚続の春      越人

 (花の香にあさつき膾みどり也むしろ敷べき喚続の春)

 

 喚続(よびつぎ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「呼接・呼継」の解説」に、

 

 「〘名〙 =よせつぎ(寄接)〔現代術語辞典(1931)〕」

 

とあり、「精選版 日本国語大辞典「寄接・寄継」の解説には、

 

 「〘名〙 接木(つぎき)法の一つ。台木とする立木に生えたままの接穂を寄せ合わせて物に包んでおき、癒合した後に接穂を切断するもの。呼接(よびつぎ)。

  ※俳諧・犬子集(1633)二「式亭にて庭に椿のよせつぎの侍るを題にて よせつぎの枝やれんりの玉椿〈徳元〉」

 

とある。染井吉野は種で増えないので呼接(よびつぎ)で増やすが、こういう方法は古くから桜を増やすのに用いられていた。

 前句の桜を呼接(よびつぎ)にした桜とし、越人もまた先輩の其角せんの教えを受けることができて、喚続の春ということで一巻は目出度く終わる。

 

季語は「春」で春。