「秋もはや」の巻、解説

初表

 秋もはやはらつく雨に月の形   芭蕉

   下葉色づく菊の結ひ添    其柳

 こつそりと独りの当に蕎麦操て  支考

   手間隙いれし屏風出来たり  洒堂

 朝寝する内に使のつどひ居る   游刀

   縄切ほどく炭の俵口     惟然

 

初裏

 此際は鰤にてあへる市のもの   車庸

   逢坂暮し夜の人音      芭蕉

 美しき尼のなまりの伊勢らしく  洒堂

   住ゐに過る湯どの雪隠    車庸

 木の下で直に木練を振まはれ   其柳

   早稲も晩稲もよい米の性   游刀

 月影はおもひちがへて夜が更る  惟然

   奉行のひきの甲斐を求し   支考

 高うなり低うなりたる酒の辞儀  芭蕉

   財布切らるる柴売の連    洒堂

 さく花に内裏の浦の大へいさ   之道

   馬を引出す軒のかげろふ   惟然

 

 

二表

 雇人の名を忘れたる節の客    支考

   手ばやく埒を明る縁組    車庸

 薮先の窓の障子のあたらしく   其柳

   焼てたしなむ魚串の煤鮠   洒堂

 此銭の有うち雪のふかれしと   芭蕉

   宵の口よりねてたやしけり  支考

 相撲取の宿は夕飯居へならべ   游刀

   疇を打越すはつ汐の浪    惟然

 日は入てやがて月さす松の間   車庸

   笑ふ事より泣がなぐさみ   芭蕉

 洗濯のおそきを斎でせつかるる  洒堂

   十夜の明に寒い雨降る    其柳

 

二裏

 逗留は菜で馳走する山家衆    支考

   あつらへて置臼のかすがい  游刀

 一二町つけ出す馬を呼かへし   芭蕉

   鶏おりる長塀の外      惟然

 花かざり何ぞといへば立て舞   車庸

   上髭あつてあたたかなかほ  洒堂

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 秋もはやはらつく雨に月の形   芭蕉

 

 支考の『笈日記』に、

 

   此句の先〽昨日からちよつちよつと秋も時雨かなと

   いふ句なりけるにいかにおもはれけむ月の形にハ

   なしかえ申されし

 

とあり、

 

 昨日からちょつちょつと秋も時雨哉

 

が初案だったという。この日は事前に発句を用意するのではなく、その場の興で詠んだのであろう。

 初案の方は本当にそのまま詠んだという感じで、九月も中旬だからまだ暦の上で冬ではないが、昨日くらいからちょちょっと時雨がぱらついていたのだろう。

 ひょっとしたらこの句を詠んで、さあ始めようとしたところで、ちょうど月の光が射してきたのかもしれない。十九日だから月の出も遅い。

 せっかく月が出たのだから、この月を詠まない手はないとばかりの改作ではなかったかと思う。

 

季語は「秋」で秋。「雨」は降物。「月」は夜分、天象。

 

 

   秋もはやばらつく雨に月の形

 下葉色づく菊の結ひ添      其柳

 (秋もはやばらつく雨に月の形下葉色づく菊の結ひ添)

 

 「結ひ添」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「結添」の解説」に、

 

 「〘他ハ下二〙 (室町時代頃からはヤ行にも活用した) 結び添える。添えて結う。

  ※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一一月二二日「そらいたる櫛ども、白き物、いみじくつまづまをゆひそへたり」

 

とある。ここでは菊を支柱に結わくことか。重陽も過ぎて、菊も下葉から枯れ始め、そろそろ季節も終わる。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。

 

第三

 

   下葉色づく菊の結ひ添

 こつそりと独りの当に蕎麦操て  支考

 (こつそりと独りの当に蕎麦操て下葉色づく菊の結ひ添)

 

 「操(くり)て」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「繰」の解説」に、

 

 「① 糸など、ひも状のものを物に巻きつけて少しずつ引き出す。また、それを巻きつける。たぐる。

  ※万葉(8C後)七・一三四六「をみなへし咲き沢の辺の真葛原いつかも絡(くり)て我が衣(きぬ)に着む」

  ※神楽歌(9C後)早歌「〈本〉深山の小葛(こつづら)〈末〉久礼(クレ)久礼(クレ)小葛」

  ② 綿繰り車にかけて木綿(きわた)の種を取り去る。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「世をわたる業とて、木綿(きはた)をくり習ひ」

  ③ 順々に送りやる。また、つまぐる。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ④ 謡曲で上音からクリ節(ぶし)で高音にうたう。

  ※申楽談儀(1430)曲舞の音曲「ただ甲の物一つにてやがてくるは悪(わろ)き也」

  ⑤ 浄瑠璃節の節章用語の一つ。ある音程から一段上の音程へ上げて語る。高潮場面に用いる。

  ⑥ 順々に数えてゆく。

  ⑦ 書籍などのページをめくる。また、めくって必要なことがらを探し出す。

  ※一言芳談(1297‐1350頃)上「如形(かたのごとく)往生要集の文字よみ〈略〉念仏往生のたのもしき様など、時々はくり見るべき也」

  ※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉一「筆を啣へて忙し気に帳簿を繰るもの」

  ⑧ 演劇で、俳優が頭の中で台詞(せりふ)の順序をつけ、その順に述べてゆく。」

 

とある。この場合は③の「つまぐる」で蕎麦を盛り付ける時の様か。前句の「結」に呼応するもので、支考はこうした類義語で付けることが多い。

 こっそりと自分用の蕎麦を手でつまんで盛り、終わりかかった菊を名残惜しみながら食べる。

 「当」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「当・宛」の解説」に、

 

 「① 物事を行なうときの、目的や見込み。目あて。心づもり。「あてが違う」「あてが外れる」など。

  ※山家集(12C後)上「五月雨はゆくべき道のあてもなし小笹が原も埿(うき)にながれて」

  ② 頼みになるもの。たより。→あてにする。

  ※虎寛本狂言・米市(室町末‐近世初)「有様(ありやう)は私もこなたをあてに致いて参りましたが」

  ③ 借金をするとき、それが返せない場合、貸し手が自由に処分してよいとする保証の物。抵当。

  ※史記抄(1477)一二「椹質はあての事ぞ」

  ④ 物を打ったり切ったりなどする時、下に置く台。

  ※書紀(720)雄略一三年九月(前田本訓)「石を以て質(アテ)と為(し)」

  ⑤ 補強したり保護したりするためにあてがうもの。「肩当て」「胸当て」など熟して用いることが多い。

  ⑥ こぶしで、相手の急所を突くこと。当て身。

  ※浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)四「ひらりと付け入る勝頼を、さしつたりと真の当(アテ)」

  ⑦ (宛) 文書や手紙などの差し出し先。

  ※近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房〉四「御憐察遊さるるやう歎願なせる趣きを右小弁家の宛(アテ)にして」

  ⑧ 食事のおかずをいう、演劇社会などの隠語。

  ※浮世草子・当世芝居気質(1777)一「ホヲけふは何とおもふてじゃ大(やっかい)な菜(アテ)(〈注〉さい)ぢゃな」

  ⑨ 酒のさかな。つまみ。

  ⑩ 馬術で、馬の心を動かしたり、驚かすもの。あてもの。

  ⑪ 木材の一部分だけが、反りやすく、抗力の弱くなったもの。また、質の悪い木材。〔日本建築辞彙(1906)〕

  ⑫ 檜(ひのき)で作った火縄。〔随筆・甲子夜話(1821‐41)〕」

 

の⑨の意味。

 

季語は「蕎麦」で秋。

 

四句目

 

   こつそりと独りの当に蕎麦操て

 手間隙いれし屏風出来たり    洒堂

 (こつそりと独りの当に蕎麦操て手間隙いれし屏風出来たり)

 

 自作の屏風が完成したので、一人で完成祝いとばかりに酒を飲み、蕎麦を肴にする。

 

無季。

 

五句目

 

   手間隙いれし屏風出来たり

 朝寝する内に使のつどひ居る   游刀

 (朝寝する内に使のつどひ居る手間隙いれし屏風出来たり)

 

 納期が明日というので夜遅くまで作業して、やっとのことで仕上げたのであろう。そのまま寝てしまい、気が付くと屏風を引き取りに来た使いの者が集まっている。

 

無季。「使」は人倫。

 

六句目

 

   朝寝する内に使のつどひ居る

 縄切ほどく炭の俵口       惟然

 (朝寝する内に使のつどひ居る縄切ほどく炭の俵口)

 

 使いの者が寒そうなので、火鉢を用意しようと炭俵の口を切る。

 

季語は「炭」で冬。

初裏

七句目

 

   縄切ほどく炭の俵口

 此際は鰤にてあへる市のもの   車庸

 (此際は鰤にてあへる市のもの縄切ほどく炭の俵口)

 

 「あへる」は「饗る」でご馳走することをいう。冬は鰤の季節で、鰤を豪快に捌いて市の者にふるまう。

 

季語は「鰤」で冬。

 

八句目

 

   此際は鰤にてあへる市のもの

 逢坂暮し夜の人音        芭蕉

 (此際は鰤にてあへる市のもの逢坂暮し夜の人音)

 

 大阪の町は夜も賑やかで、市の者が鰤で宴会をやっている声がする。この興行をやっている時にも聞えてきたか。

 

無季。「逢坂」は名所。「夜」は夜分。

 

九句目

 

   逢坂暮し夜の人音

 美しき尼のなまりの伊勢らしく  洒堂

 (美しき尼のなまりの伊勢らしく逢坂暮し夜の人音)

 

 逢坂暮らしというと、逢坂山の蝉丸が思い浮かぶ。伊勢からやって来た美しい尼も通って行くことだろう。

 

無季。「尼」は人倫。「伊勢」は名所。

 

十句目

 

   美しき尼のなまりの伊勢らしく

 住ゐに過る湯どの雪隠      車庸

 (美しき尼のなまりの伊勢らしく住ゐに過る湯どの雪隠)

 

 伊勢の美人尼は粗末な草庵に住んでも、立派な風呂とトイレを作らせる。

 

無季。「住ゐ」は居所。

 

十一句目

 

   住ゐに過る湯どの雪隠

 木の下で直に木練を振まはれ   其柳

 (木の下で直に木練を振まはれ住ゐに過る湯どの雪隠)

 

 木練(こねり)は木練柿のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木練柿」の解説」に、

 

 「① 木になったままで熟し、あまくなる柿の類。木練りの柿。木練り。《季・秋》

  ※実隆公記‐永正七年(1510)九月一二日「木練柿一折同進上」

  ② 「ごしょがき(御所柿)」の異名。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。

 コトバンクの「世界大百科事典内の木練の言及」に、

 

 「木になったまま完熟させた果実は,熟柿,木ざわし,木練(こねり)などと呼び,しばしば宴会の献立に用いられた。室町期の故実書には,不用意に食べると中から汁がとび出すから注意せよといった心得が書かれている。」

 

とあるところから宴会などで饗せられたもので、贅沢なものだったようだ。それを木の下で食べるというのは、バストイレ付草庵のようなものだ。

 

季語は「木練」で秋。「木」は植物、木類。

 

十二句目

 

   木の下で直に木練を振まはれ

 早稲も晩稲もよい米の性     游刀

 (木の下で直に木練を振まはれ早稲も晩稲もよい米の性)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「原本には下七を『みな米になる』とし、これを見せ消ちにして右脇に『米になりけり』と書きこみ、また前句の右脇へ訂正して『よい米の精性』と書き入れ、さらに『精性』の『精』を見せ消ちにする。」

 

とある。「精」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「精」の解説」に、

 

 「① しらげること。また、そのもの。よくついた米。〔荘子‐人間世〕

  ② (形動) 詳しいこと。細かくゆきわたっていること。念入りに手を加えること。また、そのさま。

  ※日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉四「記事の巧みなるは想像の密なるにあり、論文の精なるは智の洽きにあり」 〔春秋公羊伝‐荘公一〇年〕

  ③ (形動) まじりけのない純粋なもの。えりすぐったもの。最もすぐれたもの。また、そのさま。

  ※玉塵抄(1563)九「吾が車は、牛がはやうて、牛をあつかう御者が精(セイ)な者ぞ。さるほどにはやいことぢゃと云たぞ」 〔書経‐大禹謨〕

  ④ (形動) 心をうちこむこと。力をつくしてはげむこと。努力すること。また、そのさま。

  ※義経記(室町中か)三「桜本にて学問する程に、せいは月日の重なるに随ひて、人に勝れてはかばかし」

  ⑤ 生命の根本の力。身にそなわっている力。元気。精力。精気。エネルギー。せ。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Xeiuo(セイヲ) ツカラス」

  ※狂言記・聾座頭(1700)「扨も扨も、つんぼに物いへば、せいも心もつきることじゃ」 〔易経‐繋辞下〕

  ⑥ こころ。たましい。

  ※ぎやどぺかどる(1599)上「万の物に体と精と態と三つの事備りたり」 〔宋玉‐神女賦〕

  ⑦ ある物に宿る魂。多く、その魂が別の姿形になって現われた場合にいう。性。

  ※続日本紀‐天平三年(731)一二月乙未「謹撿二符瑞図一曰、神馬者、河之精也」 〔宋書‐符瑞志下〕

  ⑧ 精液。

  ※台記‐久安三年(1147)正月一六日「彼朝臣漏レ精、足動感レ情、先々常有二如レ此之事一、於レ此道不レ耻于往古之人也」

 

とある。①の意味は今でも「精米」という言葉に残っている。

 早稲も晩稲も搗けば同じように米になる、という意図だったのだろう。この頃の早稲は匂いがあるというので、それを好む人と好まない人がいた。今でいう香り米だった。

 渋柿も干せば甘柿になるように、木練も普通の渋柿も甘くて美味しいのがその「性」ということになる。同様に早稲も晩稲も精米すれば同じ米の「性」だ。

 

   木の下で直に木練を振まはれ

 早稲も晩稲もみな米になる

 

が元の形で、芭蕉が後から手直ししたのかもしれない。精米すれば一緒だという意味を加えようとして、精と性の駄洒落に気付いたのだろう。

 

季語は「早稲」「晩稲」で秋。

 

十三句目

 

   早稲も晩稲もよい米の性

 月影はおもひちがへて夜が更る  惟然

 (月影はおもひちがへて夜が更る早稲も晩稲もよい米の性)

 

 早稲や晩稲があるように、人にもいろいろ思いの違いはある。人それぞれに思いは違っていても皆同じ月を見て夜が更けてゆく。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。

 

十四句目

 

   月影はおもひちがへて夜が更る

 奉行のひきの甲斐を求し     支考

 (月影はおもひちがへて夜が更る奉行のひきの甲斐を求し)

 

 「ひき」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「旱魃・風水害・虫害・または地形地味の変化による損害を点検して租税を減免すること」

 

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引」の解説」の、

 

 「[三] 数量の差引き。減法。

  (イ) 江戸時代、田畑の貢租を減除すること。一年限のものを一作引といい、長期のものを年々引、連々引という。

  ※地方凡例録(1794)六「石盛違引〈略〉勿論地不足無地だか石盛違の分、古検新検石盛の差ひにて引に立たる分は」

 

に当る。

 「甲斐(かひ)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①効果。ききめ。

  出典竹取物語 貴公子たちの求婚

  「かの家に行きてたたずみ歩(あり)きけれど、かひあるべくもあらず」

  [訳] あの(かぐや姫の)家に行って、うろつき歩いたが、効果があるはずもない。

  ②(するだけの)価値。

  出典源氏物語 桐壺

  「宮仕への本意(ほい)、深く物したりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ」

  [訳] (桐壺更衣(きりつぼのこうい)に)宮仕えをさせるという本来の志を深く守りとおしていたお礼には、それだけの価値があるように(してあげたい)とずっと思い続けてきた。」

 

とある。

 この秋の収穫に大きな被害が生じての年貢の減免交渉の場であろう。それぞれに異なる思いがあって、夜更けまで議論が続く。

 

無季。「奉行」は人倫。

 

十五句目

 

   奉行のひきの甲斐を求し

 高うなり低うなりたる酒の辞儀  芭蕉

 (高うなり低うなりたる酒の辞儀奉行のひきの甲斐を求し)

 

 辞儀はお辞儀のこと。前句の「ひき」を帰るの意味に取り成して、酒の席でお奉行様が退出するとき、酒をたくさんいただいた時は平身低頭し、酒が足りないとおざなりになる。

 

無季。

 

十六句目

 

   高うなり低うなりたる酒の辞儀

 財布切らるる柴売の連      洒堂

 (高うなり低うなりたる酒の辞儀財布切らるる柴売の連)

 

 「財布切らるる」は「自腹を切る」、「身銭を切る」と同様で、支払いをするということ。あまり金に縁のなさそうな柴売の友は、奢ってやるというと急に頭を低くする。

 

無季。「柴売」は人倫。

 

十七句目

 

   財布切らるる柴売の連

 さく花に内裏の浦の大へいさ   之道

 (さく花に内裏の浦の大へいさ財布切らるる柴売の連)

 

 「内裏の浦」がよくわからない。「内裏」という言葉自体に既に「裏」という意味が含まれているから「内裏の裏」だとしてもよくわからない。あるいは源平合戦の時の安徳天皇の臨時の御所をイメージしているのか。だとしたら須磨の浦であろう。

 とにかく、柴売の連(つれ)が被害にあうのだから、京都御所の花見ではなく、どこか田舎の海辺の花見なのだろう。

 

季語は「さく花」で春、植物、木類。「浦」は水辺。

 

十八句目

 

   さく花に内裏の浦の大へいさ

 馬を引出す軒のかげろふ     惟然

 (さく花に内裏の浦の大へいさ馬を引出す軒のかげろふ)

 

 前句を須磨だとするなら、出陣する平家の亡霊でも見たのであろう。

 

 

季語は「かげろふ」で春。「馬」は獣類。「軒」は居所。

二表

 

 

十九句目

 

   馬を引出す軒のかげろふ

 雇人の名を忘れたる節の客    支考

 (雇人の名を忘れたる節の客馬を引出す軒のかげろふ)

 

 「節の客」は正月の節振舞の客のこと。たくさんの賓客を迎えることになるが、その乗って来た馬と馬子もどこかに控えている。帰る時に自分の馬を探そうとするが、馬子の名前を憶えていないから呼ぶこともできない。

 今でいうと駐車場で自分の留めた車の位置を忘れてしまうようなものだ。

 

季語は「節の客」で春、人倫。「雇人」も人倫。

 

二十句目

 

   雇人の名を忘れたる節の客

 手ばやく埒を明る縁組      車庸

 (雇人の名を忘れたる節の客手ばやく埒を明る縁組)

 

 埒(らち)は馬場の柵のことで、それが比喩として意味が拡張されて、物事がうまく進むことを「埒が開く」と言い、進まないことを「埒が開かない」という。

 前句を物忘れのひどい人とし、そういう人だから過去にとらわれずに、さっさと縁談をまとめ上げる。

 

無季。恋。

 

二十一句目

 

   手ばやく埒を明る縁組

 薮先の窓の障子のあたらしく   其柳

 (薮先の窓の障子のあたらしく手ばやく埒を明る縁組)

 

 薮は草木の手入れされずに生い茂った状態で、藪は郷里、在所、という連想を誘うし、そこに貧民のイメージもある。その窓の障子が新しくなったということは、縁組の問題は婚資の増額で解決したのか。

 

無季。「窓の障子」は居所。

 

二十二句目

 

   薮先の窓の障子のあたらしく

 焼てたしなむ魚串の煤鮠     洒堂

 (薮先の窓の障子のあたらしく焼てたしなむ魚串の煤鮠)

 

 「魚串」はここでは単に「くし」と読む。鮠はここでは「はえ」と呼ぶが、今は一般的に「はや」と呼ばれている。ウィキペディアには、

 

 「日本産のコイ科淡水魚のうち、中型で細長い体型をもつものの総称である。ハエ、ハヨとも呼ばれる。」

 

とあり、特定の魚ではなくウグイ、オイカワ、カワムツなどを指す。

 繁殖期の夏には婚姻色で赤くなるが、煤鮠はそれ以外の時期のハヤのことか。食べるには冬の寒バエが良いとされている。

 貧しい家でも障子を新しくするのと、寒バエの串焼きを食べるのは、ささやかな楽しみと言えよう。

 

無季。

 

二十三句目

 

   焼てたしなむ魚串の煤鮠

 此銭の有うち雪のふかれしと   芭蕉

 (此銭の有うち雪のふかれしと焼てたしなむ魚串の煤鮠)

 

 寒バエの季節ということで雪の季節になる。銭が尽きた時に雪が降ると苦しいので、銭がまだ残っているうちに降ってくれと願う。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

二十四句目

 

   此銭の有うち雪のふかれしと

 宵の口よりねてたやしけり    支考

 (此銭の有うち雪のふかれしと宵の口よりねてたやしけり)

 

 「たやしけり」はコトバンクに「精選版 日本国語大辞典「たやす」の解説」に、

 

 「〘動〙 (活用不明、サ行四段型か。補助動詞として用いる) 動詞に「て」のついた形について、ある動作をなし終える意をののしっていう語。…てしまう。

  ※浄瑠璃・道中亀山噺(1778)四「エヱひょんな所へ戻ってたやした」

 

とある。用例は今なら「戻ってやした」になるところだろう。

 支考の句は「寝てやした」というところか。「けり」という文語と合わさると妙な感じだ。まあ、金がないなら早いところ寝るしかない。

 

無季。

 

二十五句目

 

   宵の口よりねてたやしけり

 相撲取の宿は夕飯居へならべ   游刀

 (相撲取の宿は夕飯居へならべ宵の口よりねてたやしけり)

 

 興行の相撲取りが団体で宿泊すれば、その夕飯はさぞ壮観なことだろう。「居(す)へ」は今は「据え」という字を当てる。他の客は隅っこに追いやられ、早々に寝る。

 

季語は「相撲」で秋。

 

二十六句目

 

   相撲取の宿は夕飯居へならべ

 疇を打越すはつ汐の浪      惟然

 (相撲取の宿は夕飯居へならべ疇を打越すはつ汐の浪)

 

 「はつ汐」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「初潮」の解説」に、

 

 「① 製塩の時、初めに汲む海水。

  ※名所百首(1215)秋「すまの浦に秋やく海士のはつ塩のけぶりぞ霧の色をそへける〈藤原家隆〉」

  ② 潮が満ちる時刻に最初にさす潮。

  ※俳諧・紅梅千句(1655)五「楠はてだてかい楯身にしめて〈貞徳〉 初しほにしもおろす御座舟〈友仙〉」

  ③ 陰暦八月一五日の大潮。葉月潮。《季・秋》 〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ④ (「初潮(しょちょう)」の訓読み) =はつはな(初花)⑥」

 

とある。秋の句なので③の意味になる。

 ここでは比喩で、相撲取りが土俵に塩を撒くのを言っているのか。八月一五日ということで月呼び出しになる。

 

季語は「はつ汐」で秋、水辺。

 

二十七句目

 

   疇を打越すはつ汐の浪

 日は入てやがて月さす松の間   車庸

 (日は入てやがて月さす松の間疇を打越すはつ汐の浪)

 

 海辺の景色として日が入り、松原越しに月が登る。蕪村の「月は東に日は西に」に先行するものか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「日」は天象。「松」は植物、木類。

 

二十八句目

 

   日は入てやがて月さす松の間

 笑ふ事より泣がなぐさみ     芭蕉

 (日は入てやがて月さす松の間笑ふ事より泣がなぐさみ)

 

 悲しい時は無理して笑うより泣いた方が良い。金八先生もそう言ってた。

 

無季。

 

二十九句目

 

   笑ふ事より泣がなぐさみ

 洗濯のおそきを斎でせつかるる  洒堂

 (洗濯のおそきを斎でせつかるる笑ふ事より泣がなぐさみ)

 

 斎(とき)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「お斎」の解説」に、

 

 「時,斎食 (さいじき) ,時食ともいう。斎とは,もともと不過中食,すなわち正午以前の正しい時間に,食べ過ぎないように食事をとること。以後の時間は非時といって食事をとらないことが戒律で定められている。現在でも南方仏教の比丘たちはこれをきびしく守っている。後世には,この意味が転化して肉食をしないことを斎というようになり,さらには仏事における食事を一般にさすようになった。」

 

とある。また、「精選版 日本国語大辞典「斎・時」の解説」に、

 

 「① 僧家で、食事の称。正午以前に食すること。⇔非時(ひじ)。

  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「ここらの年ごろ、露・霜・草・葛の根をときにしつつ」

  ② 肉食をとらないこと。精進料理。

  ※栄花(1028‐92頃)初花「うちはへ御ときにて過させ給し時は、いみじうこそ肥り給へりしか」

  ③ 檀家や信者が寺僧に供養する食事。また、法要のときなどに、檀家で、僧・参会者に出す食事。おとき。

  ※梵舜本沙石集(1283)三「種々の珍物をもて、斎いとなみてすすむ」

  ④ 法要。仏事。

  ※浄瑠璃・心中重井筒(1707)中「鎗屋町の隠居へ、ときに参る約束是非お返しと云ひけれ共、はてときは明日の事ひらにと云ふに詮方なく」

  ⑤ 節(せち)の日、また、その日の飲食。

 

とあり。この頃には④の意味も生じていた。

 一句としては食事が午前中なので早く洗濯を済ませろということだが、前句をふまえると、死んで間もない悲しい法要であろう。せっつかれてもみんなに笑われなかったのが救いだ。

 

無季。釈教。

 

三十句目

 

   洗濯のおそきを斎でせつかるる

 十夜の明に寒い雨降る      其柳

 (洗濯のおそきを斎でせつかるる十夜の明に寒い雨降る)

 

 十夜は十夜法要のことで、前句の「斎」を十夜法要とする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「十夜」の解説」に、

 

 「陰暦10月6日から15日まで、10昼夜にわたり修される別時念仏法要(ねんぶつほうよう)。十夜会(じゅうやえ)、御十夜(おじゅうや)ともいう。「善を修すること十日十夜なれば、他方諸仏国土において善をなすこと千歳ならんに勝る」「十日十夜散乱を除捨し、精勤(しょうごん)して念仏三昧(さんまい)を修習」などと経典に出拠するが、法要の形をとったのは室町末期の永享(えいきょう)年中(1429~41)のことで、平貞国(さだくに)が京都黒谷の真如堂(しんにょどう)に三日三夜、念仏参籠(さんろう)の暁、夢想を得て引き続き七日七夜の念仏を行ったのに由来するといわれる。真如堂では比叡山常行堂(ひえいざんじょうぎょうどう)に伝えられた引声(いんぜい)念仏作法により修せられてきた。1495年(明応4)勅許により鎌倉光明寺(こうみょうじ)に移修し、以後、浄土宗の法要となった。[西山蕗子]」

 

とある。

 季節は冬で水が氷りつくように冷たくて、洗濯も楽ではない。

 

季語は「十夜」で冬。釈教。「雨」は降物。

二裏

三十一句目

 

   十夜の明に寒い雨降る

 逗留は菜で馳走する山家衆    支考

 (逗留は菜で馳走する山家衆十夜の明に寒い雨降る)

 

 「山家」の読みはわからない。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「山家」の解説」に、

 

 「さん‐げ【山家】

  [1] 〘名〙 「さんげしゅう(山家宗)」の略。

  ※伝光録(1299‐1302頃)永平元和尚「然しより山家の止観を学し、南天の秘教をならふ」

  [2] 比叡山延暦寺をいう。

  ※三帖和讚(1248‐60頃)浄土「山家(サムケ)の伝教大師は国土人民をあはれみて七難消滅の誦文(じゅもん)には南無阿彌陀仏をとなふべし」

  やま‐が【山家】

  〘名〙

  ① 山にある家。山中の家。山里の家。

  ※類従本元永元年十月二日内大臣忠通歌合(1118)「山家にはならのから葉の散り敷きて時雨の音もはげしかりけり〈藤原為実〉」

  ② 端女郎(はしじょろう)の異称。〔浮世草子・御前義経記(1700)〕

  さん‐か【山家】

  〘名〙 山中の家。やまが。

※懐風藻(751)初春於左僕射長王宅讌〈百済和麻呂〉「鶉衣追二野坐一、鶴蓋入二山家一」 〔杜甫‐従駅次草堂、復至東屯茅屋詩〕」

 

とある。

 山の中の家の意味で間違いはないのだろうけど、「衆」とつくことと、「菜で馳走する」ということから、やはり山の中の寺など仏教関係であろう。西行法師に『山家集』があり、概ねそういうイメージで良いと思う。

 前句と合わせるなら、十夜法要のために逗留した浄土宗の寺であろう。当然毎日精進料理で、菜でもてなされる。

 

無季。釈教。「山家衆」は人倫。

 

三十二句目

 

   逗留は菜で馳走する山家衆

 あつらへて置臼のかすがい    游刀

 (逗留は菜で馳走する山家衆あつらへて置臼のかすがい)

 

 「かすがい」は板を止めるコの字型の釘で、割れた木臼を補修するためのものか。菜飯の季節が来れば正月も近い。

 ちなみに菜飯は近代では春の季語だが、『ひさご』の「鐵砲の」の巻三十句目にある、

 

   糊剛き夜着にちいさき御座敷て

 夕辺の月に菜食嗅出す      怒誰

 

の句は冬扱いになっている。

 

無季。

 

三十三句目

 

   あつらへて置臼のかすがい

 一二町つけ出す馬を呼かへし   芭蕉

 (一二町つけ出す馬を呼かへしあつらへて置臼のかすがい)

 

 一町は約六十間で約一〇九メートル。百メートルか二百メートルなら走ればすぐ追いつける距離だ。小さなものなので他所へ置いていて、荷物の中に入れ忘れたか。

 

無季。「馬」は獣類。

 

三十四句目

 

   一二町つけ出す馬を呼かへし

 鶏おりる長塀の外        惟然

 (一二町つけ出す馬を呼かへし鶏おりる長塀の外)

 

 馬を呼び返すのに大声を出したら、鶏がびっくりして塀の外へ行った。また余計な手間が増えた。

 

無季。「鶏」は鳥類。

 

三十五句目

 

   鶏おりる長塀の外

 花かざり何ぞといへば立て舞   車庸

 (花かざり何ぞといへば立て舞鶏おりる長塀の外)

 

 花に酔うというか、花を体に飾って現われて何をするかと思ったら、いきなり立って舞い始めた。びっくりして鶏が逃げて行く。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花かざり何ぞといへば立て舞

 上髭あつてあたたかなかほ    洒堂

 (花かざり何ぞといへば立て舞上髭あつてあたたかなかほ)

 

 何かにつけて花で身を飾って舞ってくれる人は、口髭を生やした奴(やっこ)さんで、いかにも人の良さそうな顔をしている。

 

季語は「あたたか」で春。