現代語訳「奥の細道」

 この現代語訳はただ訳すだけでなく、佐々木鏡石さんの小説「じょっぱれアオモリの星 おらこんな都会いやだ」で、アオモリ弁のセリフとその標準語訳をルビを使って両方同時に読めるようにしてたのにヒントを得て、古文でも応用できないかと試したものだった。

 そのため、現代語訳ではあるが、ルビの方を読むと原文が読めるようになっている。

 例えば、

 

 月日は永遠はくたい旅客くわかくにして、行きかう年もまた旅人たびひとなり

 

という文章のルビを読むと、

 

 月日ははくたいのくわかくにして、行きかう年もまたたびびとなり。

 

となる。

 


  月日は永遠(はくたい)旅客(くわかく)にして、行きかう年もまた旅人(たびひと)(なり)。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いを迎える(むかふる)者は、日々旅にして旅を棲家()する()。古人も多く旅に死んだ(せる)もんだ(あり)

()もいづれの(ねん)から(より)か、片雲の風に誘われて、漂泊の思い(おも)()()()()、海浜()さすらい(さすらへ)去年(こぞ)の秋、深川(かうじゃう)ボロ屋(はをく)の蜘の古巣を払って(はらひて)やがて(やや)年も暮れ、春()なったら(てる)霞の空に白川の関()こえ()よう()と、()()分らない()(かみ)()()()()りつ(つき)いて()心をくるわせ、道祖神のまねきにあって(あひて)取るもの手につかず、もも引きの破れを直し(つづり)笠の緒()新しく(けか)して(えて)、三里()(きゅ)()()()据えて(より)、松嶋の月()とにかく(づここ)()()かかって(かかりて)住んでた(すめるか)()は人に譲り杉風(さんぷう)()別邸(べっしょ)移った(うつるに)

 

  草の戸も住み替わる時代()()ひなの家

 

 表八句を庵の柱に掛けて(かけ)おく。

 

   * * *

 

  三月(やよひ)二十(すゑの)七日(なぬか)明け方(あけぼの)の空(ろう)朦朧(ろう)として、月は有明(ありあけ)(にて)(おさ)失われて(まれるもの)ゆき(から)富士山(ふじのみ)()かすかに見えて、上野・谷中の花の(こず)()、またいつかはと心細()

 (むつ)()良い(じき)()たち(ぎり)()昨晩(よひ)から(より)集まっ(つどひ)て、船に乗っ(のり)見送(おく)る。千住という所(にて)船を降り(あが)れば、前途三千里の思い()(ねに)()っぱい(さがり)()、幻の都会(ちまた)別れ(りべつ)の泪()溢れる(そそぐ)

 

  行く春()()()()き魚の目は泪     芭蕉

 

  これを最初(やた)()()()記述(じめ)として行こう(ゆくみ)()する()()歩き出せず(すすまず)、人々は途中まで()立ち並んで(びて)後ろ(うしろ)姿(かげ)の見()るまではと、見送って(るなる)いた(べし)

 

   * * *

 

 ことし元禄二年(ふたとせ)()東北(あう)()(ちゃ)長い()()()出る(あんぎゃ)こと(ただ)()()()なく(めに)思い立って(ちて)(ごて)()積る()呉天(はく)(はつ)()()よう(らみ)()白髪()()()といえども、耳に触れていまだ目に見ぬ(さか)()()()生きて帰れたら(らば)と、駄目(さだ)かも()しれない(なき)望みを(たのみの)かけ(すゑ)ながら(をかけ)、その日(やう)()()草加という宿場(しゅく)にたどり着いた(つきにけり)痩せた(そうこつの)肩に背負った(かかれ)荷物(るも)()まず苦しむ。

 ただ()一つ(すが)(らに)旅立とう(いでた)()した(はべ)けど(るを)紙子一枚(かみこいちえ)は夜の(ふせ)()、ゆかた・雨具・墨筆のたぐい、断れなかった(あるはさりがたき)(はなむけ)()貰った(どし)もの(たる)は、さすがに捨て(うち)()わけ()()()いかず(くて)旅路(ろし)(わづらひ)なる(なれ)()()困った(そわり)もの(なけ)()

 

   * * *

 

 室の八嶋に参拝(けい)する()

 一緒(どう)(ぎゃ)いる()曾良が言う(いは)()

 「この神はコノハナサクヤヒメの神といって(まうして)富士()()一体()()()いう()無戸室(うつむろ)()()実子(やき)()証明(まふ)()ため(かひ)()()放ち(なかに)、ホホデミノミコト()生まれた(まれたま)こと()()より室の八嶋という(まうす)。また煙を読()習わし()ある()()もこのため(いは)らしい(れなり)。」

 また(はた)、コノシロといふ魚を禁ず。その(えんぎ)理由(のむね)(よに)諸説(つたふ)ある(ことも)(はべ)いう(りし)

 

   * * *

 

 三十日(みそか)、日光山の麓に泊る。宿(ある)()主人(のいひ)()言う()には(やう)

 「(わが)(なを)仏五(ほとけご)()衛門(ゑもん)申します(いふ)万事(よろづ)正直を旨とする故に、人はそう(かく)おっしゃる(まうし)だけですが(はべるまま)この(いち)()御宿泊(くさのまくらも)どうぞ(うちと)()()お過ごし(やすみ)ください(たまへ)

()こと()

 ()()まあ(なる)(ほと)()()濁った(ぢょくせ)世界(ぢんど)現れて(じげんして)こんな(かかる)出家(さうもん)の乞食順礼たい(ごとき)()人を救って(たすけ)くれる(たまふ)んだ(にや)と、あるじのする(なす)()(ここ)(ろを)付けて(とど)見て(めて)みる(みる)()()()そんな(むちむ)良く(ふん)なさそう(べつにし)()馬鹿正直(正直へんこ)()だけ()()よう()()よく(がう)ある(きぼ)純粋(くと)素朴()()いい(じんに)(ちか)()(たぐ)()天性(きひん)潔癖さ(せいしつ)()立派(っとも)(たふ)もん(とぶ)(べし)

 四月(うづき)一日(ついたち)東照宮(おやま)参拝(けいはい)する()

 その(かみ)この(おやま)(ふた)荒山(らさん)呼んでた(かき)()を、空海大師開基の時日光と改め()()いう()

 千年先(せんざいみ)まで(らいを)見据えて(さとりた)いた(まふ)()()、今その(この)(みひかり)(いっ)全体(てん)に輝()て、この(おん)(たく)全体(はっくわう)()豊か()()して()()()()安心(あん)して(どの)暮らせる(すみか)世の中(おだや)()なった(なり)。なお、畏れ多い(はばかり)こと(おほ)なので(くて)これ()以上()()止めて(さしお)おく(きぬ)

 

 ああ(あら)尊い(たふと)青葉若葉の日の光

 

 黒髪山は霞()かかって(かりて)、雪()未だ()()(しろ)()

 

 剃り捨てて黒髪山に衣替え 曾良

 

 曾良は河合(うぢ)()()()惣五郎という(いへり)

 芭蕉(はせ)()()()()()に軒を並べて、炊飯()など()(しん)仕事(すゐ)()して(労を)くれて(たす)いる()。このたび松島・象潟()一緒(ながめ)(とも)見れる(にせん)ことを喜び、加えて(かつは)旅行()(りょ)面倒()()仕事()引き受けて(いたはらんと)、旅立つ直前(あかつ)()髪を剃()て墨染()(さま)着て(かえ)、惣五を法名(あら)っぽく(ためて)宗悟()する()

 その(よっ)ため()墨髪山の句()なる()衣替え(ころもがへ)()文字(二字)強く(ありて)響く(きこゆ)

 二キロ(二十余)余り(ちょう)山を登()()()あった()(がん)()洞穴(うの)()てっぺん(ただき)から(より)飛び出す(飛流)()()三十メートル(百尺(はく)()(き))()()多い()(へき)つぼ(たん)()()落ちる(ちたり)

 岩窟()(みを)()入る(そめいり)()()(うら)から()見れる(りみ)ので(れば)、うらみの滝と呼ばれて(まうしつたへ)いる(はべるなり)

 

 しばらくは瀧に籠ろう()()()の初め

 

   * * *

 

 那須の黒羽という所に知り(しる)あい()()いた(あれ)ので()、これから(より)(ごえ)越えて(にかかりて)真っすぐ(すぐみち)そこ()()向かおう(かん)()した()

 やっと(はるかに)集落(いっそん)を見かけて行く()()降って()()暮れた(るる)。農夫の家に一晩(いち)泊めて(やをか)もらい(りて)翌朝(あくれば)また野中を行く。

 そこに野飼いの馬()いた()。草刈してた(るをの)()相談(なげ)する(きよ)(れば)農夫(やぶ)いって(いへど)もさすがに()()わからない(けしらぬ)わけ()()()()()

 「()うし(かが)()もん(べき)()なに(され)しろ(ども)この野はあちこち(じゅう)()別れ路(うにわ)()あっ()て、初めて(うゐう)来た(ゐしき)旅人()(ふみ)間違える(たがえん)恐れ(あやし)()ある(はべ)から(れば)、この馬の止まった(とどまる)(にて)馬を返し()くれ(まへ)

と貸し()くれた(べりぬ)

 小さ()子供(もの)二人馬の後()追いかけ(たひて)走る。一人は少女(こひめ)(にて)名をかさねという。聞きなれない()()可愛らしくて(やさしかりければ)

 

 かさねとは八重撫子の名()違いない(るべし) 曾良

 

 やがて人里に(いた)れば、幾ら(あたひ)()鞍壺に結び付けて馬を返し()

 

   * * *

 

 黒羽の館代浄坊寺何がしの方()尋ねた(おとづる)。思いがけ()主人(あるじ)()喜び、日夜語り続けて、その弟桃翠()いう(どい)()()朝夕世話(つと)()して(とぶ)くれて(らひ)、自らの家にも案内(ともなひ)()、親族の方にも招かれ日()たつ(ふる)ままに、一日(ひとひ)郊外()散策(せうえう)して犬追物の跡を見たり(いっけんし)、那須の篠原を掻き分け(わけて)玉藻の前の古墳を尋ねた(とふ)

 それから(より)八幡宮に参拝(まう)した()那須与一(よいち)()(ふぎ)の的を射()時『(べっ)しては我が国氏神(うじがみ)正八幡(しゃうはちまん)』と誓った(ちかひ)()も、この神社だった(にてはべる)と聞けば、有難さ(かんのうこと)()()()深く(りに)感じられる(おぼえらる)()()暮れて(れば)桃翠()()に帰る。

 修験光明寺という()()()あって()。そこに招かれて行者堂を拝んだ(はいす)

 

 夏山に足駄を拝()出発(かどで)しよう(かな)

 

 下野(たう)()()雲巌寺の奥に仏頂和尚の山居跡()あった()

   「縦横の五尺足らず(にたら)()草の庵

      むすぶも悔しい(くやし)()ない(かり)なら(せば)

 

松明(まつのす)()()()岩に書き付けられた(はべり)

と、いつぞや聞いた(きこえ)こと()()ある()。その()()見よう(みん)と雲巌寺に杖を手に()すれ()ば、人々率先(すす)して(んで)お供(とも)()()集まり(ざなひ)若い(わか)()()沢山(とおほ)いて()途中(みち)騒いだり(のほどうち)しながら(さはぎて)いつ()()()()()の麓に着いた(いたる)。山はどこ(おく)まで(ある)()奥深く(しきにて)、谷道遥かに黒々(まつ)()した()(くろ)()()()()鮮やか(ただり)()初夏(卯月)()()()今なお寒()()巌寺(っけ)十景()()言われる(くるとこ)()、橋を渡って山門に()る。

 さて、()()旧跡(あと)どこ(いづ)()ある(のほど)()()と、後の山のよじ登れば、(せき)(しゃ)()()小さな(せうあ)岩窟(んが)()(くつ)()結んで(むすびか)あっ(けたり)(めう)()禅師(んじ)の死関、法雲法師の石室を見る()()よう()()

 

  啄木鳥も庵はやぶらず夏木立

 

と、取り合え()一句を柱に残し()おいた(べりし)

 

   * * *

 

 その(これ)あと(より)殺生石に行った(ゆく)。館代()()()用意(まに)して(てお)送って()くれた(らる)

 その(この)(くち)(つき)馬子(のおの)()「短冊()欲しい(させよ)」という(こふ)そんな(やさし)()()照れる(とをのぞ)()()思いながら(べるものかな)()

 

 野()横に馬引いて(ひきむ)くれ(けよ)ほととぎす

 

 殺生石は温泉(いでゆ)(いづ)山陰(やまかげ)あった(あり)。石の毒気()まだ(まだ)残ってて(ほろびず)、蜂・蝶の類、(まさ)(ごの)(いろ)()見えなく(みえぬ)なる()ほど()重なって(かさな)死んでた(りしす)

 

   * * *

 

 また、「清水ながるる」の柳は芦野の里にあ()て田の(くろ)に残る。この土地(ところ)の郡守戸部(こほう)何がしの、「この柳見せ()あげたい()」など折々におっしゃってた(のたまひきこへた)(まふ)を、どこ(いづ)()遠くの(のほど)()()と思ってたら(ひしを)、今日この柳の陰につい()()()()こと(より)(はべ)できた(りつれ)

 

 田一枚植えて立ち去る(やな)だろう(ぎか)()

 

   * * *

 

 心もとな()日数(ひか)()重ね(かさな)るままに、白河の関まで(にか)来て(かりて)(たび)()(ころ)慣れ(さだま)来た(りぬ)()()()いか()()()()」と便りしよう(もとめ)()思った(もこ)()()()()()。中()もこの関は三関の一つ(いつにし)()(ふう)流人(さう)()関心(ひとこ)()引く(ころ)もの(をと)(どむ)

 秋風を耳に残し、紅葉を面影にして、青葉の梢(なほ)哀れ(あはれ)(なり)。卯の花()真っ白く(しろたへに)、茨の花()それ(さき)()添えて(ひて)(ゆき)の中を(にも)()える(ゆる)よう(ここ)()気分(ぞす)()昔の(こじ)人は()冠を正し衣裳をあらため()ことなど、清輔の筆にも記されて(とどめお)いる(かれし)とか(とぞ)

 

 卯の花()かざし(かざし)()関の晴着だろ()うか()  曾良

 

とにかく(とかし)まあ(くて)、越えたら(ゆく)その(まま)まま()阿武隈川を渡る。左に会津(あひ)()()高く、右に磐城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地を(さか)端に(ひて)山連なる。影沼という所を通った(ゆく)()、今日は()()曇って(くもり)いて(ても)なに(のか)()映って(うつ)いない(らず)

 

   * * *

 

 須賀川の駅に等窮という者を尋ねたら()、四五日泊って(とど)いけ()()言う()。まず、

「白河の関()越えて(かにこ)どう()だった(つる)()

聞く(とふ)

長旅(ちゃうど)の苦しみ、心身(しん)(じん)疲れ、それ(かつ)()風景に()奪われ、思い出す(くわいき)()()断腸(はらわた)()思い(たち)()なかなか(はかばか)いい(しう)言葉(おもひ)()浮かばず(ぐらさず)

 

 俳諧(ふうりう)()始め(はじめ)よう()奥の田植歌(たうゑ)(うた)

 

 何も()せずに(げに)越えて(こえん)()なん(さす)()()

と語れば、脇、第三と続けて、歌仙(みま)三巻(きと)()なった(しぬ)

 この宿の傍らに、大き(なる)栗の木陰()まもられ(たのみて)世を厭う僧()いた()西行()()()拾う(ろふ)深山(みやま)もかくやと()静か(づか)()思えて(おぼえら)きて(れて)、物に書き付け()みた(べる)。その言葉、

 

   栗という文字は西の木と書()

   西方浄土に(たよ)()ありと、行基菩薩

   ()一生杖にも柱にもこの木を用い

   ()れた(まふ)()いう(かや)

 世の人の気付か(みつけ)ぬ花だな()軒の栗

 

   * * *

 

 等窮()(たく)(いで)ニ十キロ(五里ば)ほど(かり)、日和田の宿を出る(はなれ)()安積山があ()った()

 街道(みち)から(より)近い(ちかし)。この辺り()()()多い(ほし)。カツミ刈る頃ももう(やや)この()()()()思う()()どの(いづれの)草を花カツミと()うの(いふ)かい()?」と、人々に聞いて(たづね)回って(はべれど)()知ってる(さらにしる)(ひと)はい()ない()

 沼を聞き(たづね)、人に問い、カツミカツミといて(たづね)歩いて(ありきて)、日は山の端にかかって(かか)いった(りぬ)。二本松より右に切れて、黒塚の岩屋(いっ)見て(けんし)、福島に宿を()()った()

 翌朝(あくれば)、信夫文字摺りの石を尋ねて信夫の里に行く。はるか山影の小里に、石()半ば(かば)土に埋もれて(うづもれて)いた(あり)

 里の少年(わらべ)()来たので(りて)聞いて(をしへ)みる()()

 「昔はこの山の上にあったん(はべり)()けど()、往来の人()(むぎ)()()()ちぎって(あら)擦り付けて(して)()()()()出る()()どう(ころ)()試す(はべる)のに(をに)手を焼き(くみて)(注)、この谷に突き落としたら(せば)石の表(した)(ざま)(にふ)なった(したり)。」

という。ありそう(さもある)(べき)こと(こと)(にや)

 

 早苗とる手元()(むか)()偲ぶ(しの)信夫摺(ぶすり)

 

注:文字摺り石は、そこに草花などを擦りつけて不規則な乱模様が出た所で、そのまま布を押し付けてプリントするためのもので、それが信夫文字摺の乱れ染めと言われていたが、源融の恋の伝説から、いつからかここに麦の葉を擦りつけると融の顔が浮かぶという噂が広まって、近所の麦畑の麦の葉を勝手に取ってゆくようになったという。

 

   * * *

 

 月の輪の渡しを越えると()、瀬の上という宿に()()。佐藤庄司()旧跡は左の()()()()六キロ(一里半)ほど()()()()ある(あり)。飯塚の里、鯖野と聞()て尋ね尋ね行く()、丸山という()()それ(づね)()あった(たる)これ()()佐藤(しゃ)庄司(うじ)()館の(きうく)(わん)だと()いう()

 麓の大手門(おほて)の跡など(ひと)()教えて(おしゆ)もらって(るにまかせ)()泪を落とし、また近く(かたはら)の古寺に一家(いっけ)の石碑()残って(のこ)いた()。中()も二人の嫁()石塔(しるし)とにかく(まづあは)悲しい(れなり)。女ながら(なれど)()勇ましい(かひがひしき)名の世に知られてる(きこえつる)(もの)(かな)()(たもとを)(ぬら)出る(しぬ)。堕涙の石碑も中国(とほ)だけ(きに)()()ない()

 寺に上がり(いりて)茶を貰えば(こへば)、ここに義経の太刀・弁慶が笈()宝物(とどめて)()して()保管(もつ)されてた(とす)

 

 笈も太刀も五月(さつき)にかざれ(かみ)(のぼり)

 

 五月一日のことだった(なり)

 

   * * *

 

 その夜飯塚に泊る。温泉(いでゆ)()あった()ので()湯に入り(いりて)宿を借りた(かる)()土間(どざ)に筵を敷いた(きて)怪しげ(あやし)()貧家だった(なり)行灯(ともしび)もなくて(ければ)囲炉裏の()()()に寝所を設けて寝た(ふす)

 夜に入る(いり)()()()鳴り(なり)土砂降り(あめしきり)()(ふり)()寝て(ふせ)いる()(うへ)(より)漏る()()()()()にも()馬鹿(せせ)()されて(れて)()()やしない(らず)。持病()出て(へお)しまい(こりて)生きた(きえい)()()しなかった(かりになん)

 短夜の空もようやく(やうやう)明けた(あく)ので(れば)、また旅立った(ちぬ)

 なお、夜の余波(なご)()気乗り(こころ)しない(すす)まま(まず)馬を借りて桑折の駅に出た(いづる)まだまだ(はるかな)()(ゆく)長い(すゑを)()思う(かえ)()今度(かか)()病気(やまひ)()思いやられる(ぼつかなしとい)けど(へど)、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死のう(しなん)とも()これ(れて)()天命(のめいな)(りと)()(りょ)()(いさ)(さか)取り直し、六方(みちじゅ)踏む(うわうに)勢い(ふん)()伊達の大木戸を越えた(こす)

 

   * * *

 

 鐙摺・白石の城を過ぎ、笠島の郡に入った()ので()。藤中将実方の塚はどこ(いづくの)(ほど)ある(なら)()()人に問えば、

 「ここ(これ)から(より)遥か右に見()る山際の里を箕輪・笠島といい、道祖神の社、形見の薄()()()ある(あり)

(おし)。この頃の五月雨()()ぐちゃぐちゃ(とあし)()疲れて(みつか)いる()()()あって(れば)ついつい(よそながら)通り過ぎて(ながめやりて)しまい(すぐるに)、箕輪・笠島も五月雨()(をり)()ある(ふれ)だけ(たり)()

 

 笠島はどこだ(いづこ)五月(さつき)のぬかり道

 

 岩沼に泊る(やどる)

 

   * * *

 

 武隈の松に(こそ)()()覚める(むる)ような(ここ)心地(ちは)だった(すれ)。根は地面(つちぎは)から(より)二本(ふたき)に分かれて、昔の姿()失って(しなは)いない(ずと)()いう(らる)

 まず能因法師()思い浮かぶ(もひいづ)。その(かみ)陸奥の守に赴任(てく)された(だりし)()()、この木を切()て名取川の橋杭にした(せら)()いう(たる)こと(ことなど)(あれ)あって(ばにや)、「松は(この)()()跡形(あと)もな()(とは)()んだ()()いう()

 代々(よよ)切る()()()いれば(きり)植え直し(あるひはうゑつぎ)など(などせし)(とき)して(くに)、今まさ()()千年前(ちとせ)の形その(とと)まま(のほ)(ひて)、目出度き松の景色になって(なんは)いる(べりし)

 

   「武隈の松見せ()やろう(うせ)遅桜」と挙白と

    いう者の餞別()()()あった(けれ)ので()

 (さくら)から(より)(まつ)()二木を三月越しに()

 

   * * *

 

 名取川を渡()て仙台に入る。屋根()()菖蒲()()葺く()()だった(なり)泊る(りょ)(しゅく)探して(もとめて)四五日逗留する()

 ()こに画工加右(かゑ)衛門(もん)という()()いた(あり)。いささか心ある者と言われて(ききて)いる(しる)(ひと)だった(になる)。この()()

 「年月()()経って(ごろ)分かりにく(さだか)()なった(らぬ)名所(などころ)(かん)調べて(がへおき)おいた(はべ)ので(れば)

とい()って()一日(ひとひ)案内(あん)して()くれた(いす)

 宮城野の萩茂()のを()見る()()、秋の景色()想像(もひ)できる(やらるる)。玉田・横野・つつじが岡はアセビ咲く頃だった(なり)

 ()(かげ)射さない(ももらぬ)松の林に入っ(いり)て、ここ()「木の下」()(いふ)いう(とぞ)。昔もこんな(かく)露深かった(けれ)から()こそ「みさぶらひ()(かさ)」と詠まれた(はよみたれ)

 薬師堂・天神の御社など拝()()、その日は暮れ()

 その()()、松島・塩釜などの場所(のところど)(ころ)絵に書いて(きて)もらった(おくる)さらに(かつ)、紺の染め緒()つけた(けたる)草鞋二足、()()貰った(むけす)全く(され)もって(ばこそ)風流()知られ(しれ)()()ここに至()本物(そのじつ)()()わかる(らはす)

 

 あやめ草足に結ぼう()()草鞋の緒

 

   * * *

 

 書いて(かの)もらった(ゑず)()()通り(かせ)()辿()()()行けば、奥の細道の山際に十符の菅があ()った()。今も毎年(年々)十符の菅菰を揃えて(ととのへて)国守に献じる(ずと)()いう(へり)

 壺の(いしぶみ) 市川村多賀城にあり。

 壺の碑は高さ百八十センチ(ろくしゃく)余り、幅九十センチ(さんじゃく)程度(ばかり)か。苔むして(をうが)かろう(ちて)じて(もじ)文字(かす)()読める(なり)東西南北(しゐこく)()()距離(すうり)が記()されて(しる)いて()

 

 「(この)(しろ)(じん)()元年按察使(あぜち)鎮守(ちんじゅ)(ふの)将軍、大野(おほのの)()(そん)東人(あづまひと)()所置也(おくところなり)天平(てんぴょう)(ほう)()六年、参議東海東山(とうさんの)節度使(せつどし)(おなじく)将軍恵美(ゑみの)()(そん)(あさかり)修造(にして)、十二月(つい)(たち)

 

とあ()。聖武天皇の時代(おんとき)に当(れり)

 昔から(より)詠まれて(よみお)きた(ける)歌枕、多く語り伝えられて(ふとい)いて(へど)()、山崩れ川流れて道(あら)変わり(たまり)、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に変わったり(れば)、時()流れ(つり)時代(よへ)()変り(じて)、その跡()はっきり(しかな)しない(らぬ)()多い()のに()、ここに至()ては疑い()ない()千年前(せんざい)記念物(かたみ)、今()()(ぜん)に古人の心を見る()よう()()

 行脚の成果(いっとく)、存命の喜び、長旅(きりょ)疲れ(らう)()忘れて涙も落()るばかり(なり)

 

   * * *

 

 その(それ)あと(より)野田の玉川・沖の石()行った(たづぬ)。末の松山は寺を建てて(つくりて)末松山(まっしょうざん)という。松の(あひ)(あひ)墓地(はかはら)(にて)、羽根を交わし枝を連()る契りの末も、ついにはこう(かく)なる(のご)()()と悲しさ()込み上げ(まさりて)、塩竃の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空わずか(いささ)()晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もすぐ(ほど)近く(ちか)()。海人の小船()次々()入港(つれ)して()を水()揚げ()する()声々に、『綱手悲しも』と詠んだ(みけん)心も知られて、ますます(いとど)悲しく(あはれ)なった(なり)

 その夜、盲目(めく)()法師の琵琶を鳴らして奥浄瑠璃というものを語る。平家でも(にも)なく(あらず)幸若舞(まひ)でも(にも)なく(あらず)、鄙び(たる)調子()掻き鳴らして(ちあげて)(ちか)()騒がしい(かしまし)けど(けれど)、さすがに辺境(へんど)()残る()芸能()()忘れられる(ざる)こと()()できず(から)良い(しゅ)もの(しょ)()()いた(おぼ)()思った(らる)

 早朝、塩釜(しほがまの)明神(みゃうじん)に詣()。国守(さい)再興(こうせら)して(れて)宮柱を太()して()(さい)(てん)きらびやかに、石の階段(きざはし)二百段(きうじん)及び(かさなり)(あさ)()(あけ)()玉垣を輝かす。こんな(かかる)()(ちの)()()この(ぢん)()()果て(さかひ)まで神霊あらたかなる(にまします)こそ、我が国の風俗(ふうぞく)()と思()()()とにかく(とたふと)尊い(けれ)

 神前に古()宝燈()あり()(かね)の扉の表に『文冶三年和泉三郎寄進』とあ()。五百年来の面影()()目の前に浮んで(びて)とにかく(そぞろに)有り難い(めづらし)。彼は勇義忠孝の士だった(なり)名声(かめ)()(いま)(にい)なお(たりて)薄れる(したはずと)こと(いふ)(こと)ない(なし)。まこと、『()()よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれに従う』という()通り()()

 

   * * *

 

 正午(ひす)近く(でに)なった(うまに)(ちかし)、船を借りて松島に渡る。その間四キロ(二里)余り(あま)()、雄島の磯に着く。

 そもそも()から()言われる(ふりに)よう(たれ)()、松島は扶桑第一の絶景(かうふう)にして、およそ洞庭・西湖にも()も恥()じない(ぢず)。東南は海()面し(いれ)て、その()入江(のう)()十二キロ(三里)、浙江のよう()()()湛える(たたふ)。島々()えきれない(をつく)ほど()()、そばだつものは天を指さし、臥すものは波に腹這う。ある()もの()は二重に重なり、三重に積み重なっ(たたみ)て、左には分()れて()()、右に()()なる。負ぶさったり(へるあり)かれたり(けるあり)()()()()愛する(いす)が如し。松の緑こまやかに、枝葉()潮風(ほか)()吹かれて(にふきた)たわみ(はめて)、屈曲()自然(のづか)()捻れた(ためた)()()ようだ(ごとし)。その景色(けしき)(えう)遠い(ぜん)()()した()美人の(かん)(ばせ)よう(をよそほ)()。ちはやぶる神の昔、オオヤマ()ミのなせる技だろ()うか()。造化の天工()()()文章(のひと)()表す(ふでを)こと(ふる)()できる(ことば)だろう(をつく)(さむ)

 雄島の磯は地続き()、海に突き出た(いでたる)(なり)。雲居禅師の別室の跡、座禅石など()ある()また(はた)、松の木陰に世を厭う人も(まれ)にや(まれ)って(みへ)来て(はべ)(りて)、落穂・松笠など(うち)()洩れる(ぶりたる)草の庵()静か(づか)()住んで(すみなし)どんな(いかなる)()()知らない(しられず)ながら、とにかく(まづ)惹き付けられて(なつかしく)立ち寄れば(ほどに)()()海に映()て、昼の眺めとも(また)また(あら)異なる(たむ)()()海岸(しゃう)戻って(かへりて)宿を求()れば、窓を開けて(ひらき)二階から()眺めれば(つくりて)、風雲の中に旅寝する()()不思議(あやし)()までに高揚(たへ)した(なる)気分(ここ)()させられる(はせらるれ)

 

 松島では()鶴に変身(みを)せよ(かれ)ほととぎす 曾良

 

 ()は口を閉じて眠ろう(らん)()()けど()眠れず(ねむられず)芭蕉(きう)(あん)出る(わかるる)時、素堂(そだ)()松島の詩(あり)原安適(はらあんて)()松が浦島の和歌を貰ってた(おくら)ので()、袋を解()て今宵の友とする()()()杉風・濁子()発句もあ()った()

 

 

 十一日、瑞巌寺に詣でる()この()()()三十二世の昔、真壁の平四郎出家して、入唐帰朝の(のち)開山した()。そのあと(のち)雲居禅師の徳化によ()て七堂(いら)再建(かあらた)(まり)(こん)()()(しゃ)荘厳(うご)()輝く(をか)もの(がや)()()、仏土(じゃ)かく(うじ)()の大伽藍となった(はなれ)()いう(ける)()の見仏上人(ひじり)()『寺はどこ(いづ)なん(くに)()』と慕って()来た()()いう()

 

   * * *

 

 十二日、平泉()向かおう(こころざ)()、姉歯の松・緒絶えの橋など(きき)()聞き(たへて)、人跡稀()雉兎蒭蕘の行き交う道()どこ()()()わからず(わかず)結局(つひに)()間違えた(みたが)()()、石巻という港に出た(いづ)。『こがね花咲く』と()()()詠まれた(たてまつりたる)金華山海上()()()すと(たし)、数百の廻船入り江に集まり(つどひ)、人家()競う(をあ)()()ように(ひて)竈の煙()立て続(ちつづ)けて(けた)いた()。思()()よら()()この()よう()()()来て(きた)しまった(れるか)()と宿()借りよう(らん)()して(すれ)()宿(さらに)貸す(やどかす)()ない()やっと()()こと()()貧しい(まどしき)小家に一夜を明かして、明()ればまた知らない()道に迷い行く。袖の渡り・牧山(をぶちのまき)真野(まのの)萱原など余所目に見て、遙かなる堤を行く。心細き長沼に沿()登米(といま)という所に(いっ)(しゅく)して平泉に至る。その間八十キロ(二十余里)以上(ほど)あった()()思う(ぼゆ)

 

   * * *

 

奥州(さん)三代(だい)(えい)栄華も(えいえう)一睡の内()こと()()、大門の跡は四キロ手前(一里こなた)にあった()。秀衡の()()は田野にな()て、金鶏山だけ(のみ)()残って(たちを)いる(のこす)。まず高館に登れば、北上川南部(なん)地方()より(なが)()る大河だった(なり)。衣川は和泉が城をめぐ()て高館の下(にて)大河に合流(おち)する(いる)。泰衡らの旧跡は衣が関を隔てて南部口を閉ざして(さし)固め(かため)、蝦夷を防ぐ()()思えた(えたり)それ()にし()ても()義臣()選んで(ぐって)この城に籠り、功名()一時(ちじ)()草むらとなる。『国破れて山河あり、城春にして草木(くさあを)()たり』と()()うち敷()て時の移るまで涙を落と()こと()()なった(りぬ)

 

夏草はつわものども()夢の跡な()るや()

卯の(はな)に兼房()白髪(ゆる)()見る(らが)ようだ(かな)

 

 かねてより()驚く()べき(おど)もの()()聞いてた(したる)二堂(にだ)()開帳した()。経堂は三将の像()残されてて(のこし)、光堂は三代の棺を納めて(おさめ)三尊の仏を安置(あん)して()いた()本来()なら()七宝()()散り失せて玉の(とぼそ)は風に破れ、(こがね)の柱も()()(せつ)に朽ちて、とっく(すで)()頽廃空虚の草むら()って(なる)いた()もの()を、四方を新たに囲(みて)、甍で覆()て風雨を凌いで(しの)きた()一時()()はず()()もの()()千年()()残る()記念(かたみ)(とは)()なった(れり)

 

 五月雨()降り残し()()光堂

 

   * * *

 

南部道()遥か(るか)に見ながら(やりて)岩手の里に泊る。小黒崎・美豆の小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関()通って(かかりて)出羽の国へと()越えよう()()した()。この()()旅人(たびびと)()()(なる)(なれば)、関守()怪しんで(あやしめられ)()やっと(やうや)()こと(とし)()関を越す。大山を登って日()()に暮れてた(けれ)ので()()()役人(じん)の家を見かけて泊めて(やどり)()れと(もと)頼む()。三日雨風(ふう)吹き()荒れて、仕方なく(よしなき)山中に逗留した()

 

 ノミ・シラミ馬のバリする枕もと

 

   * * *

 

 主人(あるじ)が言うに()ここ(これ)から(より)出羽の国()大山を隔てて道()分かり(だか)()くい(らざ)から(れば)、道案内(しるべ)の人()付いて(たの)もらって(みて)えた(ゆべ)()()良い(しを)()言った(うす)それ()なら()ばと言()て人を頼んだら(みはべれば)、屈強の若者(そり)反り(わき)脇指(ざし)()()差し(たへ)、樫の杖を携えて、『俺たち(われわれ)露払い(さきにたち)()する(ゆく)。今日(こそ)危ない(かならず)()()逢って(うきめ)(にも)おかしく(あふべ)ない(きひ)()()』という(から)から()びくびく(おもひを)しながら(なして)()ついて行く。主人(あるじ)の言った(ふに)通り(たがはず)(かう)()()(しん)鬱蒼(しん)として(いっ)(てう)(こゑ)()聞こえず(かず)、木の下闇()()()茂って(あひて)()いてる(くが)みた(ごと)いだ()()()()()上げた()が降()って()来るん()じゃ()ない()()()(しの)の中()掻き分けて(みわけふみわけ)(みづ)渡る()()には()岩につまずいて、肌に冷や(つめたき)汗をかきながら(ながして)最上の庄に出()。かの案内(せし)(おのこ)()いう(いふ)(やう)『この道()必ず(ならず)(ぶよ)()()起こる(ことあり)無事(つつが)(なう)(をく)()こと(まい)()()きて(しあは)()かった(したり)』と喜()()帰って(わか)行った(れぬ)そう(あと)()われて(ききて)()()はり(むね)動悸(とど)()()まら(のみ)ない(なり)

 

   * * *

 

 尾花沢()()清風という者を尋ねた()。彼は裕福(とめるも)(のな)けど(れど)(こころ)(ざし)卑し()ない(らず)。都にも何度(をりを)()()て、さすがに旅の情けも知って(りた)いる()ので()何日(ひご)()泊めて(とど)くれて(めて)長旅(ちゃうど)()気遣い(いたはり)、様々にもてなし()くれた(べる)

 

 涼しさ()我が宿()よう()()くつろいだ(ねまるなり)

 這出でよ()小屋(ひや)()下のヒキガエル(ひき)の声

 眉掃き()面影になる(して)紅の花

蚕飼いする人は古代の姿だろ()うか() 曾良

 

   * * *

 

 山形領に立石寺という山寺があ()った()。慈覚大師の開基()とに(して)かく(ことに)清閑()()だと()いう()一度(いっ)()()()()()良い()()()から(々の)勧められる(すすむるに)まま(よりて)、尾花沢より横道(とって)()それ(へし)、その間三十キロ(七里ばか)(りな)()

 日()未だ(まだ)暮れず、麓の宿坊(ばう)()借り()おいて(きて)、山上の堂に登る。岩に(いはほ)を重ねて山とし、松柏()()経て(ふり)、土石風化()して()苔滑らかに、()()(しゃう)建物(いん)()()扉を閉じて(もの)(のお)一つ(ときこ)ない(えず)。崖をめぐり岩を這()て仏閣を拝()、佳景寂寞として心()澄んで(みゆく)ゆく(のみ)よう(おぼ)()

 

 (しづ)()()()岩に染み入る静かさ(せみのこ)()

 

   * * *

 

 最上川の船()に乗()ろう()と大石田という所に天気()()回復()を待つ。ここに古()俳諧の種()こぼれて(ぼれて)()()花やか(れぬはな)なり()しころを(むかしを)慕い(したい)()(かく)角笛(いっ)(せい)ように(こころ)()穏やか(やはら)()、新古二つ(ふた)()()に迷って(ふといへ)いて(ども)どう(みち)指導(しる)して(べす)良い()やら(ひと)()いう(なけ)こと(れば)()理屈(わり)抜き()()一巻()残した(こしぬ)今度(この)()()俳諧(ふうりう)()ここ(こに)()極まる(たれり)

 最上川はみちのく()(りいで)()山形を上流(みなかみ)する()。碁点・(はやぶさ)などいう恐ろしき難所()ある()。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入る。左右山()覆われ(ほひ)、茂みの中()(せん)()(くだ)()。これに稲()積んだ(みたる)こと()から()稲舟と呼ばれて(いふなら)いる()。白糸の滝は青葉の隙間(ひまひ)から(まに)落ちて、仙人堂()()()面して(のぞみて)立つ。水(みな)()多く(って)も危()なっかしい(やうし)

 

 五月雨を集めて早()最上川

 

   * * *

 

 六月三日、羽黒山に登る。図司佐吉という者を尋ねて別当代会覚阿闍利に拝謁(えつ)した()。南谷の別院に泊り(やどして)主人(れんみん)()心遣い(じゃう)こまやかに感じられる(あるじせらるる)

 四日、本坊において俳諧興行。

 

 有り難()雪を薫らす南谷

 

 五日、権現に詣でる()。当山開闢能除大師はいつ(いづ)()()()の人(とい)(ふこ)分らない(とをしらず)。延喜式に羽州里山の神社とあ()書き(しょ)写す時(しゃ)、黒の字を里()して(なせ)しまった(るに)()。出羽とい()()は鳥の羽毛をこの国の貢物に献上(たて)した()から()()と風土記にある(はべると)()いう(らん)。月山・湯殿山を()合わせて三山とする()。この寺は武江東叡山に属して、天台止観の月()明るく(きら)照らし(かに)、円頓融通の(のり)の灯火を掲げて(かかげ)添い(そいて)、僧坊棟を並べ、修験行法()励み(はげまし)、霊山霊地の験効()人は()尊び、また(かつ)恐れる(おそる)変わる(はんえ)こと(いと)なく(こし)繁栄(なへ)してる(にして)目出度()(おや)()とい()べき()だろう(べし)

 八日、月山に登る。木綿(ゆふ)を絞()めて()身に引き掛け、宝冠()(かしら)を包み、剛力という者に導かれて、雲霧()立ち込める(んきのなか)()雪渓(ひょうせつ)()踏んで(ふみて)登ること十六キロ(八里)、さらに日月(じつげつ)()通り道(ゃうだう)(うん)の門(くわん)()くぐる(いる)かと恐れながら(あやしま)()息絶()え絶えに(きた)()()凍えて頂上に達す(いた)れば、日()沈み(っし)()現れる(らわる)笹を敷き篠を枕として眠り(ふし)夜明け(あくる)を待つ。日()昇り()()消えた(ゆれ)ので()湯殿山(ゆどの)へと()下る。

 谷の傍らに鍛冶小屋という()のが()あった(あり)。この国の鍛冶、霊水を選んで(びて)ここに潔斎して(つるぎ)を打ち、ついに月山と銘を切って世に賞賛さ()れて()いる()。あの竜泉()()()()()鍛えた(にらぐ)よう()なも()のか()。干将・莫耶の昔()憧れ(したふ)、道を究めよ(かん)うとい(のん)()(しふ)()浅からぬ(さからぬ)こと(しら)分かる(れたり)。岩に腰かけてしばし休憩(やすら)する(ふほ)()一メートル(三尺)(ばか)()(なる)桜のつぼみ半ば開いてる(ひらけ)()があ()った()。降り積もる()雪の下に埋もれて、春を忘れぬ遅桜の花の(ここ)()()とも()けな()げだ()炎天下(えんてん)の梅花ここに香る()()よう()()。行尊僧正のもろ()とも()にの()()()哀れ()もここに思い()され()て、それ(なほ)以上(まさ)()すら()思える(おぼゆ)

 総じてこの山中の子細(みさ)()行者の法式として他言することを禁じる()。よってこれ(ふで)以上(をと)()こと(めて)()記さない(るさず)。坊に帰れば阿闍梨の求めによ()て、三山順礼の(くく)を短冊に書いた()

 

 涼しさ()ほの三日月の羽黒山

 雲の峰幾つ崩れて月の山

 語られぬ湯殿に()()ぬらす(すたもと)(かな)

 湯殿山銭踏む道()する(かな) 曾良

 

   * * *

 

 羽黒を()()鶴岡(つるがをか)の城下、長山氏重行という武士(もののふ)の家に迎えられて、俳諧一巻あった()。佐吉もここ(とも)まで()送って(おく)くれた(りぬ)。川舟に乗()て酒田の湊に下る。淵庵不玉という医師(くすし)のもと()泊る(やどとす)

 

 あつみ山から()吹浦かけて夕涼み

 暑き日を海に入れたり最上川

 

   * * *

 

 山川(かうざん)海陸(すゐりく)絶景(ふうく)(わう)多く(をつ)見た(くし)()、今象潟に来て()視野()の狭()さを()実感()した(せむ)。酒田の港から(より)東北の()()、山を越え磯を伝い砂浜(いさご)歩き(ふみて)その距離(さい)四十キロ(十里)()(かげ)やや傾く頃、潮風()真砂(さご)を吹き上げ、()()朦朧として鳥海(のや)(まか)隠す(くる)瀟湘(あんちゅ)(うに)(もさ)()よう(して)()幽か()()見える(また)景色(きな)()面白い(とせ)()雨上がり(うご)(せい)(しょく)また期待(たのも)して(しきと)海人(あま)の苫屋に(ひざ)()()て雨の晴()のを()待つ。

 翌朝(そのあした)天気(てん)よく晴れて朝日華やかに差し込んで(いづる)きた(ほど)ので()、象潟に船を浮かべた(うかぶ)。まず能因島に船を寄せて、三年幽居の跡を訪ね(とぶらひ)、向こうの岸()船を降り(あが)れば、『花の上漕ぐ』と詠まれ()桜の老木、西行法師の史跡(かたみ)を残す。(かう)(しゃ)()御陵(みささぎ)()あり()、神功皇后(こうぐう)の御墓()()いう()。寺を干満珠寺という。この(ところ)御幸(ぎゃうかう)した(ありし)こと()聞いた(まだ)こと()()ない()どう(いか)いう(なる)こと()()()()。この寺のお堂(ほうぢゃう)に座()て簾を上げれ(まけ)ば、風景()一望(ちがん)する(のうちに)こと()がで()きて()、南に鳥海天を支え、その陰(うつ)(りて)(えに)映る(あり)。西はむやむやの関()()()区切り(かぎり)、東に提を築()て秋田に通う道遥かに、()()(きた)待ち受け(かまへ)て、()()打ち入る所を汐越という。()()縦横四キロ(一里)ばかり、面影松島に似て(かよ)いて(ひて)また異な()。松島は笑うが如く、象潟は恨むが如し。淋しさに悲しみを加えて地(せい)は魂を悩ます()()よう()()

 

 象潟()雨に西施()眠る()合歓()の花

 塩越し()鶴脛濡れて海()涼しい(ずし)

   祭礼

象潟()料理何食う神祭り 曾良

海人の()()戸板を敷()て夕涼み 美濃の国の商人 低耳

   (がん)(しゃ)()にミサゴの巣を見る

波越()ぬ契り()ある()()()ミサゴの巣 曾良

 

   * * *

 

 酒田()あと(なご)()日を重ねて、北陸道の雲()眺め(のぞむ)遥か(えう)彼方(えう)()()思い()()(むね)()(いた)()まま(しめて)、加賀の中心()まで五百キロ(百三十里)と聞く。(ねず)の関を越()れば越後の地へと()新た(あゆ)()歩み(あら)()始まり(めて)、越中の国市振の関に来た(いたる)。この九日間(かんここのか)暑さ(しょ)(しつ)湿気(のらう)()調子(しん)崩して(なやまし)病気(やまひ)(おこ)なり(りて)記す(こと)こと(をし)()ない(さず)

 

 六月(ふみづき)()六日もいつも(つね)の夜()()ない(にず)

 荒海()佐渡()の前()に横たう天の川

 

   * * *

 

 今日は(おや)不知(しらず)()不知(しらず)・犬もどり・駒返しなど()いう()北国一の難所を越えて疲れ果てて(はべれば)、枕引き寄せて寝たら(いねたるに)、ひと間隔てて表の(かた)に若い女の声二人ばかり聞こえて(ときこ)くる()。年老い(たる)(おのこ)の声も混じ()話してる(ものがたりす)()を聞けば、越後の国新潟という所の遊女だった(なりし)。伊勢参り(さんぐう)(する)ため(とて)、この関まで老人(おの)()送って(おく)来て(りて)明日(あすは)故郷に持ち帰る(かへす)手紙()()したためて、些細(はかな)()近況(こと)など(づて)知らせる(しやる)()いう()。白波の寄()る渚に身を放り出す(はふ)海女()のように(かし)この(あまの)(この)(よを)底辺(あさまし)()落されて(くだりて)その場限り(さだめな)()契り、日々の暮らし(ごふい)()とにかく(いかに)劣悪(つたな)()話してる(ものい)()聞きながら(きくきく)眠り(ねい)()落ち()翌朝(あした)旅立つ時に()我々に向か()て、

どう()なる()()わからない(しらぬ)旅路()憂鬱()()とにかく(あまり)心細くて(おぼつかなう)悲し()もの(はべれ)()、見え隠れする()程度()()距離(んあ)()着いて(したひ)いかせて(はべ)ください(らん)(ころ)(もの)して(うへ)のお情け()大慈の恵みをお与え(たれて)成仏(けち)()()()させて(させ)下さい(たまへ)。』

と涙を落とす。

 『大変(ふび)申し訳(んのこ)ない(とに)()とです(はべれ)(ども)、我々はいろいろ(ところど)寄って(ころにて)行く(とど)(まる)(かた)多くて(おほし)。ただ、人の流れ(ゆく)に任せて行った()()が良い()です()。』

断って(いひすてて)出た(いで)もの()()悲しみ(あはれ)()しばらく止まらなかった(やまさりけらし)

 

一つ()に遊女も寝てた(たり)萩と月

 

 曾良に語って(れば)書き(とど)()もらった(べる)

 

   * * *

 

 黒部四十八が瀬とかいう()数知()ぬ川を渡()て、那古という浦に出た(いづ)。田子の藤波は春だけ(なさ)()なく(とも)、初秋()哀れ()()言われてた(ふべきものを)()、人に尋()れば、

 『ここ(これ)から(より)二十キロ(五里)()通り抜けて(たひして)向こうの山陰に入り、漁師(あま)小屋(とま)()()ずかに(かす)ある(かな)だけ()()、芦の一夜の宿(かす)(もの)ない()だろう(るまじ)。』

止められて(いひをどされて)加賀の国に入る。

 

 早稲の匂い()()()()分け入れば(いるみぎは)有磯海

 

   * * *

 

 卯の花山・倶利伽羅(がたに)を越えて、金沢は七月十五日(なかのい)()着いた(かなり)。ここ()大阪から(より)通う何処(しゃうにん)()いう(しょと)商人(いふ)()会った(のあり)一緒(それ)()泊って(りょしゅくを)行った(ともにす)

 一笑という者は俳諧()の道に少し(すける)ばかり(なのほ)(のぼ)()聞いて(きこえて)世間()でも()知る人もいた(はべり)のに(しに)去年(こぞ)の冬老い(そう)()待たず(した)()亡くなり(とて)、その兄追善を催して(すに)

 

 塚も動け()()泣く声は秋の風

   ある草庵に招待(いざな)()れて

 秋は涼し()()()()()()()毎に(うり)むけ(なすび)

   途中吟

 あかあかと日はつれな()()秋の風

 

   * * *

 

   小松という所にて

(松風というには)しおらし()だな()小松吹く萩すすき

 

 この土地(とこ)()多田の神社に詣でた()。実盛の(かぶ)()錦の(きれ)があった。その昔源氏()()()いた(せし)時、源義朝(よしともこう)より賜った(たまはら)()いわれ(たまふ)()いる(かや)確か(げに)()ただ()()(さむらい)のもの()()ない(らず)()(びさし)から(より)吹返まで、()()唐草の彫り物()黄金(がね)をちりばめ、竜頭(たつがしら)に鍬形が打って(うった)ある()。実盛討ち死にの後、木曾義仲願状に添えてこの社に奉納(こめ)された(られは)こと(べる)(よし)、樋口の二郎が使い()した()ことなど(ども)()縁起()()目の()当たり(んぎ)()見えた(えたり)

 

 無残()な兜の下のコオロギ(きりぎり)()

 

   * * *

 

 山中の温泉に行く()()、白根が岳()せに()して(にみ)ゆく(なし)こと()()なる(ゆむ)

左の山際に観音堂()ある()花山(くわざんの)法皇()三十三箇所(んじゅうさんしょ)の順礼(とげ)遂げた(させたまひし)(のち)、大慈大悲の像を安置し(たまひて)那谷と名付け(たま)(ふと)いう(なり)。那智・谷汲の二字()(わか)()取った(はべ)()されて(しと)いる()様々(きせ)()(さま)(ざま)(こし)(ょう)古木(うゑ)()並び(らべて)、茅葺きの小さな(せうど)()()()の上に建てられて(つくりか)いて(けて)素晴らしい(しゅしょうの)風景(とち)(なり)

 

 石山の石より白いか()秋の風

 

   * * *

 

 温泉に入った(よくす)効能(その)(こう)有馬(ありあけ)匹敵()する()という。

 

 山中では()菊は折らなくて(たおら)いい()湯の匂い

 

 宿(ある)(じと)主人(するもの)久米之(くめの)(すけ)()いって(てい)まだ少年(せうどう)だった(なり)。彼()()()俳諧を好み、(らく)(てい)()()若輩だった(のむか)()ここに()(たり)いて(しころ)俳諧(ふうが)()ディス(はずかし)(めら)れて、(らく)(かえ)()て貞徳の門人となって有名(よに)()なった(らる)()()成した(みゃうの)のち、この(いっ)(そん)では(はん)授業料(じの)無料(れう)()えた(けず)という。()()なって()()(かたり)なって(はなり)いる()

 

   * * *

 

 曾良は腹()病気(やみ)()伊勢の国長島という所()故郷()()よう()()もの()なので(れば)先に(さき)そっち(だち)()行く()

 

 行き行きて倒れ伏した()()して()()()()()なら() 曾良

 

書き残して(かきおき)いった(たり)。行く者の悲しみ、残るものの恨み、つが()いの()()()別れて雲に迷う()()よう()()

 ()もまた

 

 今日よりは書き付け消そう(さん)笠の()()

 

   * * *

 

 大聖寺の(じゃ)()(ぐわ)()全昌寺という寺に泊る。まだ(なほ)加賀国(のち)(なり)。曾良も前の夜、この寺に泊()て、

 

 よもすがら裏山()()()()を聞くこと(うら)()なった(やま)

 

と残す。

 一夜の隔たり(へだ)()千里()よう(おな)()

(われ)も秋風を聞()て衆寮に寝れ(ふせ)ば、夜明け前(あけぼの)()()近く(ちこ)()読経の()()澄むままに、鐘板()なり(って)食堂(じきだう)に入る。

 今日は越前の国へと(ここ)()そぞろ(さうそつ)にしてお堂()()()向かう(くだる)と、若き僧たち()()紙硯を抱え、石段(きざはし)(もと)まで追いかけて(おひき)来た(たる)。折節()()(ちゅう)()が散()ってたので(れば)

 

 庭掃()出よう(いでば)()寺に()()散ってる(やな)()

 

 とりあえ()草鞋(さまし)()履いた(わらぢ)まま(ながら)書き捨てた()

 

   * * *

 

 越前()(さか)()、吉崎の入江へ()船に乗っ(さをさし)て汐越しの松を訪ねた()

 

 夜もすがら嵐に波をはこばせて

     月をたれたる汐越の松

             西行法師

 

 この一首(にて)全部(すう)言い尽く(けい)されて(つき)いる(たり)。もし一(べん)でも(をく)付け加える(はふるもの)なら()五本指(むよう)()六本(ゆび)()する(たつ)よう(るが)()もの()()

 丸岡天竜寺の長老(ちゃうら)()江戸(ふる)()いた(ちな)()()()()訪ねた(たづぬ)。また、金沢の北枝という()()短い間(かりそ)()()見送る(みおくり)ため()福井(この)まで(ところ)一緒(まで)()来て(たひ)くれた(くる)。所々の風景も見逃さず記憶にとどめ、()()()機会()()()()しよう(なるさ)()してた(いなど)よう(きこ)()

 それ()()既に別れ()()()なり(みて)

 

 物書いて扇引き裂()名残惜しむ(かな)

 

 五キロ(五十)ほど()山に入()て永平寺を参拝(らい)する()。道元禅師の()(てら)(なり)畿内()一万六千キロ(うきせん)平米()を避けて、こんな(かかる)()()に跡を残す(のこした)(まふ)も尊むべき(きゆ)理由()()ある(りと)()()

 

   * * *

 

 福井は十二キロ(三里ばか)()()()()、夕食()食べて(たため)から()出発(いづ)する()()、黄昏の道()わかりにくい(どたどし)

 ここに(とう)(さい)という古くからいる(ふるき)隠士()いた()だいぶ(いづれの)(とし)()()江戸(えど)()()訪ねて(てよをた)来た(づぬ)もう(はるか)十年(ととせ)以上前(あまり)のこ()とか()すっかり(いかに)年取(おい)って(さら)しまった(ぼひて)こと(ある)だろう(にや)もし()()亡くなって(しにけ)しまった(るに)()と人に尋ねれば(はべれば)、いまだ存命()いう()こと()()()()()わかった(をしゆ)

 町中(いちなか)()奥まった(ひそかに)わかりに(ひきいり)くい(てあ)小さな(やしのこ)(いへ)に夕顔・へちま()()()()()()て、鶏頭・コキア(ははきぎ)(とぼそ)を隠す。さてはこの(にち)(にと)(こそ)(かど)を叩けば、侘し気(なる)(おんな)()出て(いで)きて()

 『どちら(いづく)から(より)いらした(わたりたまふ)お坊(だうし)さん(んの)でしょ(ごばう)うか(にや)主人(あるじ)はこの辺り(あたり)(なに)とか(がし)という者の方に行ってます(ゆきぬ)。もし用があ()なら()そちら(たづね)()どうぞ(まへ)。』

という。

()()()だとい(なる)うことがわかる(べしとしらる)。昔(もの)(がたり)出て(こそか)くる(かる)ような(ふぜ)雰囲気(いは)()あった(べれ)()この()あと(がて)そこ(たづ)()()てその家に二()()て、名月は敦賀の湊()と旅立つ。洞哉も一緒(とも)行こう(おくらん)と裾(おか)()()挟んで(からげて)()()道案内(のしを)()と浮かれてた(たつ)

 

   * * *

 

 ようやく(やうやう)白山(しらね)()見えな(たけ)()なって(くれて)日永嶽()見えて(らは)来た()浅水(あさむづ)の橋を渡()て玉江の芦は穂に()立って(でにけり)。鶯の関を過ぎて湯尾峠を越()れば燧が城・(かへる)山に初雁を聞()て、十四日の夕暮れ()敦賀(るが)の津に宿を求めた(もとむ)

 その夜月()よく(とに)晴れ(たり)。明日の夜もこうだったらなと言えば、

 『越路あるある(のなら)()明日(なほ)(みゃう)晴れる(やのいん)(せい)どう()()()分らない(がたし)。』

主人(あるじ)に酒を勧められて気比の明神に夜参した()。仲哀天皇の御廟(なり)。社殿(とう)()()()重ね(びて)松の木の間から()()漏れ(いり)(たる)参道(おまへ)の白砂()()()いた()()()よう(ごと)()

 『その(かみ)遊行二世の上人大願発起する()ことあ()て、自ら草を刈り、土石を運んで(になひ)ぬかるみ(でいてい)を乾か()て、()()汚さ(けい)ずに(わう)参拝(らい)できる(のわづ)よう(らひ)()した()その()前例()()()倣い(たえず)、神前に真砂を運び込んで(になひた)いる(まふ)。これを遊行の砂持ちと呼んで(まうし)いる(はべる)。』

と亭主()言って(かたり)いた(ける)

 

 月清し遊行の運んだ(もてる)砂の()()

 

 十五日、亭主の言葉どおり(にたがはず)雨が降る。

 

 名月にも()北国日和()変わりやすい(だめなき)

 

   * * *

 

 十六日、()()晴れたので(れば)ますほの小貝をひろおう(はん)と色の浜へ舟を出して(はし)もらった(らす)。海上二十八キ(七里)ロの()所だ()。天屋なん(なに)とか(がし)という()()割子(わりご)竹筒(ささえ)などいろいろ(こまやかに)準備(した)して(ため)くれて(させ)雑用(しも)()何人(あま)()船に同乗(とりのせ)()、追風(とき)すぐ(のま)着いた(ふきつきぬ)。浜はわずか(なる)海士の小屋が(こい)あるの(へに)()、侘しげな法華寺のみ(あり)。ここで茶を飲み酒を温めて夕暮れの淋しさ()()()()()んと()くる()

 

 淋しさでは()須磨に勝った(ちた)()浜の秋

 浪の間の小貝にまじるのは()()()()

 

 その日のあった(あら)こと()()(とう)(さい)に筆を取らせて寺に残す。

 

 路通もこの湊まで出迎え(いでむかひ)て、美濃の国へ()()行く(なふ)(こま)助け(たす)()借り(られ)て大垣の庄に入れば、曾良も伊勢よりやって(きたり)来て(あひ)、越人も馬()急遽(とば)来て(せて)、如行()家にみんな(いり)集まった(あつまる)

 前川子、荊口親子(ふし)、その他親し()たち()()日夜やって(とぶら)()て、蘇生した()者に()った()()()よう()()喜んだり(かつよろこび)いたわったり(かついた)する(はる)

 旅の物憂さも未だ止まない()うち()に、旧暦(なが)九月(つき)六日になれば、伊勢の式年(せん)遷宮(ぐう)を拝()ため()()また船に乗()て、

 

 蛤の「ふたみ」に別れ()()()なる(きぞ)