「江戸桜」の巻、解説

貞享四年十月

初表

 江戸桜心かよはんいくしぐれ    濁子

   薩埵の霜にかへりみる月    芭蕉

 貝ひろひ貝ひろひゆく磯馴て    嵐雪

   酔ては人の肩にとりつく    其角

 けふの賀のいでおもしろや祖父が舞 芭蕉

   根松苗杉蝉の鳴声       濁子

 

初裏

 池の橋渡し始ぬ垣結て       其角

   みなと入帆のみゆるやね越シ  嵐雪

 世の中を画にのがれたる茶の烟   濁子

   妹がかしらのからわやさしき  芭蕉

 かたみてふ袋の切のはつはつに   嵐雪

   夢を占きく閨の朝風      濁子

 津の国のなにはなにはと物うりて  芭蕉

   二夜どまりのつくし侍     嵐雪

 一巻の連歌をとどむ此寺に     濁子

   苗代もえる雨こまか也     嵐雪

 鷺の巣のいくつか花に見えすきて  芭蕉

   祢宜下リかはる春の夕月    濁子

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 江戸桜心かよはんいくしぐれ   濁子

 

 吉野の桜を見に行く芭蕉に対し、吉野の桜も江戸の桜も心は同じだ。われわれも芭蕉さんが吉野の桜を見ているときには江戸の桜を見て、同じ桜を楽しむことにしよう。それまで、いくつ時雨に降られることか。

 

季語は「しぐれ」で冬、降物。「江戸桜」は植物、木類。

 

 

   江戸桜心かよはんいくしぐれ

 薩埵の霜にかへりみる月     芭蕉

 (江戸桜心かよはんいくしぐれ薩埵の霜にかへりみる月)

 

 薩埵峠を越える時には江戸の方を振り返って月を見ることになるだろう。薩埵峠で東を見れば、月だけでなく富士山の雄大な姿も見える。

 

季語は「霜」で冬、降物。「薩埵」は名所。「月」は夜分、天象。

 

第三

 

   薩埵の霜にかへりみる月

 貝ひろひ貝ひろひゆく磯馴て   嵐雪

 (貝ひろひ貝ひろひゆく磯馴て薩埵の霜にかへりみる月)

 

 蒲原・由比は磯伝いの道で、その先に薩埵峠がある。

 発句の情を去るので、ここは芭蕉の旅ではなく昔の人で、食料となる貝を自分で拾いながら旅をする侘び人になる。

 

無季。「貝ひろい」「磯」は水辺。

 

四句目

 

   貝ひろひ貝ひろひゆく磯馴て

 酔ては人の肩にとりつく     其角

 (貝ひろひ貝ひろひゆく磯馴て酔ては人の肩にとりつく)

 

 磯の貝だからサザエやアワビだろう。酒の肴にはもってこいだから、すっかり出来上がって人の肩を借りながらよろよろと歩く。

 

無季。「人」は人倫。

 

五句目

 

   酔ては人の肩にとりつく

 けふの賀のいでおもしろや祖父が舞 芭蕉

 (けふの賀のいでおもしろや祖父が舞酔ては人の肩にとりつく)

 

 祖父(おぢ)の長寿を祝う宴で、祖父がよろよろと舞うが、結局人の肩を借りることになる。

 

無季。賀。「祖父」は人倫。

 

六句目

 

   けふの賀のいでおもしろや祖父が舞

 根松苗杉蝉の鳴声        濁子

 (けふの賀のいでおもしろや祖父が舞根松苗杉蝉の鳴声)

 

 根の付いた松も松の苗だろうか。松の苗、杉の苗を植えて辺りでは蝉の声が聞こえる。「松杉を植える」という言葉には定住するという意味があるらしい。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。「根松苗杉」は植物、木類。

初裏

七句目

 

   根松苗杉蝉の鳴声

 池の橋渡し始ぬ垣結て      其角

 (池の橋渡し始ぬ垣結て根松苗杉蝉の鳴声)

 

 庭園の造営とする。

 

無季。「池の橋」は水辺。

 

八句目

 

   池の橋渡し始ぬ垣結て

 みなと入帆のみゆるやね越シ   嵐雪

 (池の橋渡し始ぬ垣結てみなと入帆のみゆるやね越シ)

 

 「垣結て」には人垣ができるという意味もある。港に船が入ってくるので人垣ができる。

 

無季。「みなと」は水辺。

 

九句目

 

   みなと入帆のみゆるやね越シ

 世の中を画にのがれたる茶の烟  濁子

 (世の中を画にのがれたる茶の烟みなと入帆のみゆるやね越シ)

 

 堺に住んでいた絵師、土佐光吉のことか。今井宗久との交流もあった。

 

無季。

 

十句目

 

   世の中を画にのがれたる茶の烟

 妹がかしらのからわやさしき   芭蕉

 (世の中を画にのがれたる茶の烟妹がかしらのからわやさしき)

 

 「からわ(唐輪)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 髪の結い方の一つ。髻(もとどり)から上を二つに分けて、頂で二つの輪に作るもの。鎌倉時代の武家の若党や、元服前の近侍の童児の髪形。唐輪髷(からわまげ・からわわげ)。

  ※太平記(14C後)二「年十五六許なる小児(こちご)の髪唐輪(カラワ)に上たるが」

  ② 女性の髪形の一つ。頭上で髪の輪を作り、その根を余りの髪で巻きつけるもの。輪は二つから四つに作るのが普通。唐輪髷。

  ※玉塵抄(1563)四二「その婦は出て草をとるほどに髪をからわにまげて」

 

とある。この場合は「妹」なので②であろう。「茶の烟」で利休の時代の安土桃山風の女性を付ける

 

無季。恋。「妹」は人倫。

 

十一句目

 

   妹がかしらのからわやさしき

 かたみてふ袋の切のはつはつに  嵐雪

 (かたみてふ袋の切のはつはつに妹がかしらのからわやさしき)

 

 「切(きれ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙 (動詞「きれる(切)」の連用形の名詞化)

  ① 切れて残った、物の一部分。切れ端。

  (イ) 木、紙、髪などの切れ端。

  ※和泉式部集(11C中)上「宮法師になりて、髪のきれをおこせ給へるを」

  (ロ) 布帛(ふはく)の切れ端。また、広く反物(たんもの)、織物をもいう。

  ※閑居友(1222頃)上「腰には薦のきれをまきてぞありける」

  (ハ) 書画などの、古人の筆跡の断片。断巻。「高野切」「本阿彌切」「つたぎれ」など。

  ※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上「弘法大師の心経のきれを三くだりばかり求め出して」

 

とある。この場合は袋に入った遺髪のことか。

 「はつはつ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘形動〙 (「はつか」と同語源)

  ① あることが、かすかに現われるさま、ちょっと行なわれるさま。副詞的にも用いる。ほんのちらっと。はつか。

  ※万葉(8C後)四・七〇一「波都波都(ハツハツ)に人を相見ていかにあらむいづれの日にかまたよそに見む」

  ② やっとのことでそうなるさま。かつかつ。〔日葡辞書(1603‐04)〕

 

とある。わずかな遺髪だけをやっとのことで手に入れることができたということだろう。悲しい話だ。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   かたみてふ袋の切のはつはつに

 夢を占きく閨の朝風       濁子

 (かたみてふ袋の切のはつはつに夢を占きく閨の朝風)

 

 夢落ちだったが、不吉な夢には違いない。逆夢であってほしい。

 来ない男に、待ちくたびれて寝てしまったのだろう。

 

無季。恋。

 

十三句目

 

   夢を占きく閨の朝風

 津の国のなにはなにはと物うりて 芭蕉

 (津の国のなにはなにはと物うりて夢を占きく閨の朝風)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注は、

 

 津の国の難波の春は夢なれや

     葦の枯葉に風わたるなり

              西行法師

 

の歌を引用している。ただ、昔は葦原だった難波もこの時代は巨大な商業都市。朝風に聞こえてくるのは物売りの声。難波と「何は何は」を掛けている。

 

無季。「なには」は名所。

 

十四句目

 

   津の国のなにはなにはと物うりて

 二夜どまりのつくし侍      嵐雪

 (津の国のなにはなにはと物うりて二夜どまりのつくし侍)

 

 つくし侍は筑紫の国から来た侍。難波に来て二泊で帰るのはさぞかし残念なことだろう。物売りの声を聞いただけで終わり。

 

無季。旅体。「つくし侍」は人倫。

 

十五句目

 

   二夜どまりのつくし侍

 一巻の連歌をとどむ此寺に    濁子

 (一巻の連歌をとどむ此寺に二夜どまりのつくし侍)

 

 筑紫といえば宗祇法師の『筑紫道記(つくしみちのき)』。宗祇法師の足跡を慕っての旅であろう。

 

無季。釈教。

 

十六句目

 

   一巻の連歌をとどむ此寺に

 苗代もえる雨こまか也      嵐雪

 (一巻の連歌をとどむ此寺に苗代もえる雨こまか也)

 

 連歌師の猪苗代兼載に掛けて「苗代」を出したか。西行ゆかりの遊行柳のある芦野の田舎に住んでいたから、田んぼの中の寺に連歌一巻が残っていても不思議はない。「雨こまか」は春雨で、柳の連想を誘う。

 『三冊子』「しろさうし」に「春雨の柳は全躰連歌也。田にし取鳥は全く俳諧也。」とある。「苗代」も和歌に詠まれているから連歌だが、春雨と言わずに「雨こまか」と言うのは俳諧だ。

 

季語は「苗代」で春。「雨」は降物。

 

十七句目

 

   苗代もえる雨こまか也

 鷺の巣のいくつか花に見えすきて 芭蕉

 (鷺の巣のいくつか花に見えすきて苗代もえる雨こまか也)

 

 鷺はウィキペディアに、

 

 「巣は見晴らしの良い高木性の樹の上に設け、コロニーを形成する。コロニーにおいては、特定の種が固まる性質はなく、同じ木にダイサギとコサギが巣をかけることも珍しくはない。コロニーは、天敵からの攻撃を防ぐために、河川敷などが選ばれることが多いが、近年は個体数の増加から、寺社林に形成する例も増え、糞害などが問題とされることがある。」

 

とある。埼玉県吉川市の中川沿いに大量の白鷺の集まる場所がある。さすがに花と見間違うことはないが、白鷺の群れの中に白い昔ながらの山桜があれば、「おきまどわせる白菊の花」のようで面白いかもしれない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「鷺」は鳥類。

 

挙句

 

   鷺の巣のいくつか花に見えすきて

 祢宜下リかはる春の夕月     濁子

 (鷺の巣のいくつか花に見えすきて祢宜下リかはる春の夕月)

 

 神社の祢宜も夕暮れには帰ってゆく。境内の桜には鷺も集まり、そこに朧の夕月がかかれば言うことはない。目出度く神祇で一巻終了となる。

 

季語は「春」で春。神祇。「祢宜」は人倫。「夕月」は天象。