「久かたや」の巻、解説

貞享四年春

初表

   南窓一片春と云題に

 久かたやこなれこなれと初雲雀  去来

   旅なる友をさそひ越す春   芭蕉

 からはかす桜の庵はき置て    其角

   よろしく長き一瓢の酒    嵐雪

 月はれてともし火赤き海の上   芭蕉

   峠のそこに吹秋の音     去来

 

初裏

 牛蠅に袷をもたせ羽織ける    嵐雪

   官位あたへて美女召具せり  其角

 烑灯に大らうそくの高けぶり   去来

   出水にくだる谷の材木    芭蕉

 世わたりは関に道ある寺の背戸  其角

   つつむにあまり腹気押へし  嵐雪

 仇人のためにかく迄氏を捨    芭蕉

   何についたる年暮の雪    去来

 啼をくる八重山本の犬の声    嵐雪

   軍の加減うとき長追     其角

 去ほどに心にそまぬ月も花も   去来

   弥生へかけて蝦夷の帳合   芭蕉

 

 

二表

 雨もやう陽炎消るばかり也    其角

   小姓泣ゆく葬礼の中     嵐雪

 丁寧も事によるべき杖袋     芭蕉

   鋪ものとても須磨の塩菰   去来

 あはれます昔がたりの沓手鳥   嵐雪

   橘やせし竹のゆふかげ    其角

 冥加なふ薬ずくめにお腰元    去来

   毛氊惜き書画のはじまり   芭蕉

 こぢあくる庇の下に十万家    其角

   日は何時ぞ酔ざめの月    嵐雪

 きりぎりすいかで浮身の情なき  芭蕉

   茎たくましき筒の鶏頭花   去来

 

二裏

 いつとても両部の護摩の片燃に  嵐雪

   四つの智恵には過た家の子  其角

 鼻つまむ昼より先の生肴     去来

   あわづにまけぬ串の有さま  芭蕉

 縄きれて架木に咲る花かろく   其角

   遊ぶ思案のわけてのどけき  嵐雪

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   南窓一片春と云題に

 久かたやこなれこなれと初雲雀  去来

 

 去来は貞享三年の『蛙合』にも参加しているが、ここでは歌仙興行の発句を務めることになる。其角、嵐雪という江戸の蕉門の主要メンバーを交えてのことで、さぞかし緊張の一句だったのではないかと思う。

 「南窓一片春」の句の出典はよくわからない。「南窓」は陶淵明『帰去来辞』の「倚南窗以寄傲、審容膝之易安」によるものか。去来の名前も「帰-去来」だし。隠士の窓に小さな春が、ということか。

 「久方や」は枕詞だが、「久方の空」ということでここでは空の意味。

 「こなれ」は「こ・に・あれ」で、「ここに有れ」という意味ではないかと思う。天高く空を飛ぶ雲雀が「来てみろよ」と誘っているのではないかと思う。

 寓意としては芭蕉さんを雲雀に喩え、遥かなる高みからここまで来てみろと言われているような気持ちです、といったところか。

 

季語は「初雲雀」で春、鳥類。

 

 

   久かたやこなれこなれと初雲雀

 旅なる友をさそひ越す春     芭蕉

 (久かたやこなれこなれと初雲雀旅なる友をさそひ越す春)

 

 前句の「こなれ」から「旅なる友をさそひ」と受ける。

 前句の寓意をひっくり返して、去来さんの方が私を旅に誘って春を越す、となる。この年の初冬、芭蕉は古郷伊賀や吉野へ向けて『笈の小文』の旅に出るが、そのあと京都も訪ねることになる。

 

季語は「春」で春。旅体。「友」は人倫。

 

第三

 

   旅なる友をさそひ越す春

 からはかす桜の庵はき置て    其角

 (からはかす桜の庵はき置て旅なる友をさそひ越す春)

 

 「からはかす」は『校本芭蕉全集 第三巻』に、「語意不明」とある。似たような言葉をあれこれ検索してみたが、それらしいのは見つからなかった。あまり深入りすると「くしゃがら」になりそうなので、ここでも不明としておく。

 「はき置て」は「掃き置きて」か。「ほからかす桜の庵掃き置きて」なら意味が通じるが。

 庵の庭を掃除して友を誘う。

 

季語は「桜」で春、植物、木類。「庵」は居所。

 

四句目

 

   からはかす桜の庵はき置て

 よろしく長き一瓢の酒      嵐雪

 (からはかす桜の庵はき置てよろしく長き一瓢の酒)

 

 「よろしく」は程よくということ。酒を入れる瓢箪も小さければ物足りないし、大きければ持ち運びに不便。ほどほどの瓢箪を持ち込んでこれから桜の庵で暮らす。

 

無季。

 

五句目

 

   よろしく長き一瓢の酒

 月はれてともし火赤き海の上   芭蕉

 (月はれてともし火赤き海の上よろしく長き一瓢の酒)

 

 満月の夜の舟遊びとする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「海」は水辺。

 

六句目

 

   月はれてともし火赤き海の上

 峠のそこに吹秋の音       去来

 (月はれてともし火赤き海の上峠のそこに吹秋の音)

 

 峠のから見下ろした夜の海の景色とする。峠の底は鞍部のことか。秋風の音が聞こえる。

 

季語は「秋」で秋。「峠」は山類。

初裏

七句目

 

   峠のそこに吹秋の音

 牛蠅に袷をもたせ羽織ける    嵐雪

 (牛蠅に袷をもたせ羽織ける峠のそこに吹秋の音)

 

 牛蠅はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「双翅(そうし)目ウシバエ科のハエ。体長約1.5センチ、黒色で胸部に4本の縦線がある。幼虫は牛の皮下に潜入して寄生する。《季 夏》」

 

とある。

 袷(あわせ)は裏地のある長着。峠の上で風が冷たく、牛蠅もうるさいので袷を羽織る。

 

季語は「袷羽織る」で秋、衣裳。「牛蠅」は虫類。

 

八句目

 

   牛蠅に袷をもたせ羽織ける

 官位あたへて美女召具せり    其角

 (官位あたへて美女召具せり牛蠅に袷をもたせ羽織ける)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「百姓家から美女を召し出して殿の奥に入れる。前句は美女をつれに来た役人。」

 

とある。

 

無季。恋。「美女」は人倫。

 

九句目

 

   官位あたへて美女召具せり

 烑灯に大らうそくの高けぶり   去来

 (烑灯に大らうそくの高けぶり官位あたへて美女召具せり)

 

 蝋燭は当時はかなり高価で貴重なものだった。ウィキペディアに、

 

 「江戸時代におけるろうそくは、常に貴重でぜいたくな品物だった。『明良洪範』には慶長年間の出来事として、徳川家康が鷹狩に赴いた際、ろうそくを長時間灯したままにした家臣がきつく叱責された逸話が記載されている。また、井原西鶴の『好色二代男』にはぜいたくの例えとして「毎日濃茶一服、伽羅三焼、蝋燭一挺宛を燈して」の語があることから、ろうそくを灯すことは濃茶を点て、高価な香を焚くのと同様の散財と見なされていたことが解る。しかし行灯に比べて光力に勝ることは衆人が認知するところで、『世間胸算用』には「娘子はらふそくの火にてはみせにくい顔」との一文がある。」

 

とある。

 宮廷に入る女性であれば贅沢な大蝋燭も用いられたのだろう。当時は蝋の質が悪かったのか高けぶりになる。

 加えて『世間胸算用』の引用ではないが、美女だから暗くして隠す必要はない。

 

無季。「烑灯に大らうそく」は夜分、「けぶり」は聳物。

 

十句目

 

   烑灯に大らうそくの高けぶり

 出水にくだる谷の材木      芭蕉

 (烑灯に大らうそくの高けぶり出水にくだる谷の材木)

 

 昔は材木を筏にして川に流して運んだ。出水の時はそのチャンスで、材木屋は大儲け。大蝋燭で高けぶりといったところか。

 

無季。「出水」は水辺。「谷」は山類。

 

十一句目

 

   出水にくだる谷の材木

 世わたりは関に道ある寺の背戸  其角

 (世わたりは関に道ある寺の背戸出水にくだる谷の材木)

 

 「気賀の犬くぐり」のことか。ウィキペディアによると、

 

 「気賀関所は、17世紀初めに江戸幕府が本坂通の気賀に設置した関所である。東海道の新居関所の裏番所として本坂通(姫街道)の往来を監視した。」

 

という浜名湖の北側にある関所で、

 

 「気賀関所では旅人の通過を厳格に監視していたが、地元の女性の里帰りなどの際には庄屋の手形で通行でき、関所の外の田畑へ耕作に行くときには手形の代わりに「作場札」という木の札を庄屋から借りて関所を通行できるようにするなどの便法がはかられた[7]。

 夜間の通行は基本的に禁止され、特に1651年の慶安の変の後、幕府は箱根・新居・気賀の3つの関所に対して、「上使および継飛脚のほかは、夜間には一切通してはならない」と命じて厳格に取り締まったが、関所の近隣住民の往来の利便をはかるために、関所の裏通りにくぐり戸を設けてむしろを垂らし、犬のように這って通ることができるようにしていたといわれ、「気賀の犬くぐり」として知られている。」

 

とある。

 上州嬬恋の大笹街道大笹関にも抜け道があったことが知られている。こうした抜け道は本来地元の人が通るためのものだが、地元の人の手引きがあればそうでない人も通れたようだ。

 寺の背戸から抜ける道もあったのかもしれないが、まあ、多くの人の目にする俳諧だから、正確な情報を出すわけにはいかなかっただろう。

 出水を利用して出荷する材木商に寺の背戸を抜ける旅人、世渡りというのはそういうものだ。

 

無季。

 

十二句目

 

   世わたりは関に道ある寺の背戸

 つつむにあまり腹気押へし    嵐雪

 (世わたりは関に道ある寺の背戸つつむにあまり腹気押へし)

 

 「つつむにあまり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「かくしてもかくしきれなくなる。かくしても外に現われる。

  ※浮世草子・傾城武道桜(1705)三「此の頃より聞へませぬ故随分くろめますれど、つつむにあまらぬことなし」

 

とある。

 腹気は腹にガスがたまってゴロゴロいうことか。隠していても音に出てしまう。

 前句の関所破りに対し、隠し事はできない、と応じる。

 

無季。

 

十三句目

 

   つつむにあまり腹気押へし

 仇人のためにかく迄氏を捨    芭蕉

 (仇人のためにかく迄氏を捨つつむにあまり腹気押へし)

 

 かたき討ちのために家まで捨てて旅に出たが、おなかがゴロゴロ鳴る。つまり腹が減った。

 

無季。「仇人」は人倫。

 

十四句目

 

   仇人のためにかく迄氏を捨

 何についたる年暮の雪      去来

 (仇人のためにかく迄氏を捨何についたる年暮の雪)

 

 それにつけても雪の中で今年もまた一年空しく終わるのか。

 

季語は「年暮の雪」で冬、降物。

 

十五句目

 

   何についたる年暮の雪

 啼をくる八重山本の犬の声    嵐雪

 (啼をくる八重山本の犬の声何についたる年暮の雪)

 

 雪に埋もれる中、深い山の奥で犬が鳴いている。

 少しづつ生類憐みの令も始まり、捨て犬も増えていたか。

 

無季。「八重山本」は山類。「犬」は獣類。

 

十六句目

 

   啼をくる八重山本の犬の声

 軍の加減うとき長追       其角

 (啼をくる八重山本の犬の声軍の加減うとき長追)

 

 前句を深追いする軍勢の比喩とし、軍(いくさ)の加減を知らない、とする。

 

無季。

 

十七句目

 

   軍の加減うとき長追

 去ほどに心にそまぬ月も花も   去来

 (去ほどに心にそまぬ月も花も軍の加減うとき長追)

 

 「心にそむ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①〔「染む」が自動詞四段活用の場合〕気に入る。好みにあう。

  出典好色一代男 浮世・西鶴

  「さて、こころにそまぬ人にあふ夜は」

  [訳] さて、好みにあわない人に会う夜は。

  ②〔「染む」が他動詞下二段活用の場合〕心に深く留める。心に深く刻む。

  出典千載集 春上

  「みな人のこころにそむる桜花」

  [訳] だれもがみな、心に深く刻む桜の花。」

 

とある。

 過ぎてしまえばいつの間にか忘れてしまう。いくさの時と同じように深追いはしない方が良い。

 花も散る時は悲しいが、夏になるともう桜のことは忘れている。月も名月を過ぎるとそれほど月に関心がなくなる。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。「月」は夜分、天象。

 

十八句目

 

   去ほどに心にそまぬ月も花も

 弥生へかけて蝦夷の帳合     芭蕉

 (去ほどに心にそまぬ月も花も弥生へかけて蝦夷の帳合)

 

 「帳合」は帳合取引のことで、ウィキペディアには、

 

 「帳合取引(ちょうあいとりひき)とは、江戸時代に広く行われた相場投機の空物取引のこと。帳合商などと呼ばれ、取引対象物によって帳合米・帳合金などとも呼ばれた。」

 

とある。本来は相場の安定のために必要な取引だが、一部に博打かなんかと一緒くたにする人は今も昔もいる。杜国のことでも未だに無理解な論者がいる。

 蝦夷地との交易は「商場知行制」と呼ばれ、藩主が家臣に農地の代わりにアイヌとの交易権を付与することによって成り立っていた。これによって松前藩が事実上交易権を独占することで公正な貿易が行われず、寛文の頃にシャクシャインの乱を引き起こすことになった。

 アイヌとの交易にも本土の米取引と同様、先物取引が行われていたのだろう。享保十五年(一七三〇年)に大坂の堂島米会所ができた時には春夏秋冬「各季の最終日にあたる限市(げんいち)/限日(げんじつ)を区切りとして決算された。」(ウィキペディア)という。アイヌとの取引でも弥生の末に決算していたのだろう。

 前句は遠い蝦夷地まで行ってしまうと月も花も心に残らないということで、それは人間が冷淡になるということか。

 芭蕉は蝦夷地にも興味を抱いていたようで、『奥の細道』の旅で象潟まで行ったときももっと先へ行きたがって、持病のこともあるからとと曾良に説得されて泣く泣く越後へ向かった。『幻住庵ノ賦』に、

 

 「松嶋・しら川に面をこがし、湯殿の御山に袂をぬらす。猶うたふ鳴そとの浜辺よりゑぞがちしまを見やらんまでと、しきりに思ひ立侍るを、同行曾良なにがしといふもの、多病いぶかしなど袖をひかるるに心たゆみて、象潟といふ所より越路のかたにおもむく」

 

とある。

 

季語は「弥生」で春。

二表

十九句目

 

   弥生へかけて蝦夷の帳合

 雨もやう陽炎消るばかり也    其角

 (雨もやう陽炎消るばかり也弥生へかけて蝦夷の帳合)

 

 陽炎は日光で土や石の上に空気が暖められて生じるため、雨雲が出てきた時点で消える。蝦夷の帳合も反古にされることが多かったのか。

 

季語は「陽炎」で春。「雨もやう」は降物。

 

二十句目

 

   雨もやう陽炎消るばかり也

 小姓泣ゆく葬礼の中       嵐雪

 (雨もやう陽炎消るばかり也小姓泣ゆく葬礼の中)

 

 前句の「雨」は涙に「陽炎」は儚い命」に通じることから哀傷に展開する。

 

無季。哀傷。「小姓」は人倫。

 

二十一句目

 

   小姓泣ゆく葬礼の中

 丁寧も事によるべき杖袋     芭蕉

 (丁寧も事によるべき杖袋小姓泣ゆく葬礼の中)

 

 葬儀の際には冥土の旅路のために旅姿をさせ、手には杖を持たせることもあった。わざわざその杖を袋に入れるのはちょっと変。哀傷から何とか俳諧らしい笑いに持っていくための、一種のシリアス破壊といえよう。

 

無季。

 

二十二句目

 

   丁寧も事によるべき杖袋

 鋪ものとても須磨の塩菰     去来

 (丁寧も事によるべき杖袋鋪ものとても須磨の塩菰)

 

 「須磨の塩菰」は不明。製塩の際に海水を濾すためのものか。

 須磨の藻塩は、

 

  「田村の御時に、事にあたりてつの国の須磨といふ

   所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人に

   つかはしける

 わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に

     藻塩たれつつわぶと答へよ

               在原行平(古今集)

 

の歌がある。

 海女の家に行平がやってきたときに、どうぞとさしだされた筵が塩筵だとちょっとやだろうな。

 

無季。「須磨」は名所、水辺。

 

二十三句目

 

   鋪ものとても須磨の塩菰

 あはれます昔がたりの沓手鳥   嵐雪

 (あはれます昔がたりの沓手鳥鋪ものとても須磨の塩菰)

 

 「沓手鳥(くつてどり)」はホトトギスの異名。

 「沓手」の項のコトバンク「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 くつを買う代金。くつ代。

  ※班子女王歌合(893頃)上「ほととぎす鳴きつる夏の山べにはくつていださぬ人やあふらむ」

 

とあるが、これが名前の由来か。

 前句の「鋪もの」を物語の頭に敷くもの、導入部につかうネタとしたか。

 

季語は「沓手鳥」で夏、鳥類。

 

二十四句目

 

   あはれます昔がたりの沓手鳥

 橘やせし竹のゆふかげ      其角

 (あはれます昔がたりの沓手鳥橘やせし竹のゆふかげ)

 

 「昔がたり」に「橘」というと、『伊勢物語』六十段の、

 

 「さつき待つ花たちばなの香をかげば

     むかしの人の袖の香ぞする」

 

の物語であろう。この物語のラストを踏まえれば、粗末な尼寺の竹林であろう。

 

季語は「橘」で夏。「竹」は植物、草類でも木類でもない。

 

二十五句目

 

   橘やせし竹のゆふかげ

 冥加なふ薬ずくめにお腰元    去来

 (冥加なふ薬ずくめにお腰元橘やせし竹のゆふかげ)

 

 「腰元」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「上流の商家の人々の側に仕えて雑用をたす侍女(小間使(こまづかい))をさし、身の回りにおいて使うことから腰元使ともいう。また遊女屋の主人の居間や帳場で雑用に使われる女をもいった。一般には江戸時代に武家方の奥向きに仕える女中と同義に解釈しているが、三田村鳶魚(えんぎょ)は、武家方の女奉公人のうちには腰元の称はなく、おそらくそれは京・大坂の上流の商家にあったと思われるものを、いつのまにか芝居のほうで武家方へ持ち込んだものではなかろうか、といっている。[北原章男]」

 

とある。

 神仏の加護もなく薬で生きながらえている小間使い。昔は橘のような香もあったが、今は竹のようにやせ衰えている。

 

無季。「お腰元」は人倫。

 

二十六句目

 

   冥加なふ薬ずくめにお腰元

 毛氊惜き書画のはじまり     芭蕉

 (冥加なふ薬ずくめにお腰元毛氊惜き書画のはじまり)

 

 前句の「腰元」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に解説に、

 

 「1 腰の辺り。腰つき。「腰元がふっくらする」

  2 身分の高い人のそばに仕えて雑用をする侍女。こしもとおんな。

  3 身の回り。自分のかたわら。〈日葡〉」

 

とある。3の意味に取り成す。

 「毛氊(毛氈)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 獣の毛の繊維をひろげ延ばし、加熱・圧縮してフェルトにして幅広の織物のようにしたもの。敷物にしたり、書画をかく場合の下敷きにしたりする。花毛氈のように、木綿糸を入れて織ったものもある。

  ※異制庭訓往来(14C中)「豹虎之敷皮毛氈并茵簟」

  ② (「もうせん(毛氈)を被る」の略から) 身代限り、失敗、勘当、かけ落ちなどの意。

  ※雑俳・川柳評万句合‐安永五(1776)礼四「もふせんをぐっとひろげておやぢまち」

 

とあり、ここでは②の意味で、破産か勘当か、とにかくわけあって書画で食いつなごうとする。

 

無季。

 

二十七句目

 

   毛氊惜き書画のはじまり

 こぢあくる庇の下に十万家    其角

 (こぢあくる庇の下に十万家毛氊惜き書画のはじまり)

 

 前句の「毛氊惜(をし)き」を「毛氊を敷き」に取り成し、舞台を中国の都とする。フェルトの方の毛氈はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「厚地のフェルトで敷物などに用いるもの。古くは氈(「かも」または「おりかも」)と称した。正倉院には奈良時代に唐から輸入された模様入りの花氈(かせん)が伝えられている。日本では材料の関係からつくられたことはない。後世中国から輸入されたものは多く赤色で、山西、浙江(せっこう)、雲南(うんなん)などでつくられたものが多い。捺染(なっせん)や絞りで花模様をつけたものもあり、俗に花(はな)毛氈とか蒙古(もうこ)氈などという。[山辺知行]」

 

とある。

 

無季。

 

二十八句目

 

   こぢあくる庇の下に十万家

 日は何時ぞ酔ざめの月      嵐雪

 (こぢあくる庇の下に十万家日は何時ぞ酔ざめの月)

 

 李白であろう。一斗の酒を飲み干した後か。杜甫の「飲中八仙歌」、

 

 李白一斗詩百篇 長安市上酒家眠

 

を踏まえる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   日は何時ぞ酔ざめの月

 きりぎりすいかで浮身の情なき  芭蕉

 (きりぎりすいかで浮身の情なき日は何時ぞ酔ざめの月)

 

 きりぎりすはコオロギのこと。酔いが醒めた時にコオロギの声というのは旅で野宿をしたか。居場所のない我が身が情けなくなる。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

三十句目

 

   きりぎりすいかで浮身の情なき

 茎たくましき筒の鶏頭花     去来

 (きりぎりすいかで浮身の情なき茎たくましき筒の鶏頭花)

 

 コオロギのか細い声にたくましい鶏頭。違え付け。

 

季語は「鶏頭花」で秋、植物、草類。

二裏

三十一句目

 

   茎たくましき筒の鶏頭花

 いつとても両部の護摩の片燃に  嵐雪

 (いつとても両部の護摩の片燃に茎たくましき筒の鶏頭花)

 

 護摩は本来仏教のものだから、両部神道の護摩は半分しか燃えないということか。実際はそんなことはないだろうけど。鶏頭は仏花によく用いられる。

 

無季。神祇。

 

三十二句目

 

   いつとても両部の護摩の片燃に

 四つの智恵には過た家の子    其角

 (いつとても両部の護摩の片燃に四つの智恵には過た家の子)

 

 両部神道の神主の子は四歳にしては賢い。

 

無季。「子」は人倫。

 

三十三句目

 

   四つの智恵には過た家の子

 鼻つまむ昼より先の生肴     去来

 (鼻つまむ昼より先の生肴四つの智恵には過た家の子)

 

 鮮魚も昼過ぎになると鮮度が落ちて臭ってくる。四つで神童でも二十過ぎればただの人だったりする。

 

無季。

 

三十四句目

 

   鼻つまむ昼より先の生肴

 あわづにまけぬ串の有さま    芭蕉

 (鼻つまむ昼より先の生肴あわづにまけぬ串の有さま)

 

 粟津は近江粟津で瀬田の唐橋に近い。琵琶湖では魞漁(エリ漁)と呼ばれる大規模な定置網漁が古くから行われていて、そのため琵琶湖にはたくさんの長い棒のような杭が立っている。古語では「串」は杭の意味もある。

 その粟津にも負けないくらいたくさんの杭の立っている漁村では、午後にもなると生魚が傷んできて臭い匂いがする。

 

無季。「あわづ」は名所、水辺。

 

三十五句目

 

   あわづにまけぬ串の有さま

 縄きれて架木に咲る花かろく   其角

 (縄きれて架木に咲る花かろくあわづにまけぬ串の有さま)

 

 「架木」はここでは「かせぎ」と読む。「かせぎ」はweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「1 「桛(かせ)1」に同じ。

  2 木の枝をYの字形に切ったもの。傾くものを支えたり、さおの先につけて、物を高い所へ押し上げたりするのに用いる。

  3 紋所の名。桛を図案化したもの。かせ。」

 

とある。

 傾いた枝を支えるためのY字の柱の枝を固定する繩が切れて、花の咲いた枝が風に上下に動きまわる様が、さながら足かせを外されたかのように軽やかに見える。

 長い枝を何本ものY字の柱で支えていたのだろう。まるで粟津の杭のようだ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   縄きれて架木に咲る花かろく

 遊ぶ思案のわけてのどけき    嵐雪

 (縄きれて架木に咲る花かろく遊ぶ思案のわけてのどけき)

 

 花も自由になったように、我々も花の下で自由に遊ぼうではないかということで、何をしようか思案するのも長閑なひと時だ。

 

季語は「のどけき」で春。