「道くだり」の巻、解説

初表

   天野氏興行

 道くだり拾ひあつめて案山子かな 桃隣

   どんどと水の落る秋風    野坡

 入月に夜はほんのり打明て    利牛

   堀の外まで桐のひろがる   桃隣

 銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也 野坡

   つよふ降たる雨のついやむ  利牛

 

初裏

 瓜の花是からなんぼ手にかかる  桃隣

   近くに居れど長谷をまだみぬ 野坡

 年よりた者を常住ねめまはし   利牛

   いつより寒い十月の空    桃隣

 台所けふは奇麗にはき立て    野坡

   分にならるる嫁の仕合    利牛

 はんなりと細工に染まる紅うこん 桃隣

   槍持ばかりもどる夕月    野坡

 時ならず念仏きこゆる盆の内   利牛

   鴫まつ黒にきてあそぶ也   桃隣

 人の物負ねば楽な花ごころ    野坡

   もはや弥生も十五日たつ   利牛

 

 

二表

 より平の機に火桶はとり置て   桃隣

   むかひの小言だれも見廻ず  野坡

 買込だ米で身体たたまるる    利牛

   帰るけしきか燕ざはつく   桃隣

 此度の薬はききし秋の露     野坡

   杉の木末に月かたぐ也    利牛

 同じ事老の咄しのあくどくて   桃隣

   だまされて又薪部屋に待   野坡

 よいやうに我手に占を置てみる  利牛

   しやうしんこれはあはぬ商  桃隣

 帷子も肩にかからぬ暑さにて   野坡

   京は惣別家に念入      利牛

 

二裏

 焼物に組合たる富田魵      桃隣

   隙を盗んで今日もねてくる  利牛

 髪置は雪踏とらする思案にて   野坡

   先沖まではみゆる入舟    桃隣

 内でより菜がなうても花の陰   利牛

   ちつとも風のふかぬ長閑さ  野坡

 

       参考:『芭蕉七部集』(中村俊定注、岩波文庫、1966)

初表

発句

 

 道くだり拾ひあつめて案山子かな 桃隣

 

 案山子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「案山子・鹿驚」の解説」に、

 

 「① (においをかがせるものの意の「嗅(かが)し」から) 田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐため、それらの嫌うにおいを出して近付けないようにしたもの。獣の肉を焼いて串に刺したり、毛髪、ぼろ布などを焼いたものを竹に下げたりして田畑に置く。おどし。

 ② (①から転じて) 竹やわらで作った等身大、または、それより少し小さい人形。田畑などに立てて人がいるように見せかけ、作物を荒らす鳥や獣を防ぐもの。かがせ。そおず。かかし法師。《季・秋》

 

 ※虎寛本狂言・瓜盗人(室町末‐近世初)「かかしをもこしらへ、垣をも念の入てゆふて置うと存る」

 ※俳諧・猿蓑(1691)三「物の音ひとりたふるる案山子哉〈凡兆〉」

 ③ 見かけばかりで、地位に相当した働きをしない人。つまらない人間。見かけだおし。

 ※雑俳・初桜(1729)「島原で年迄取った此案山子」

 

 ③は②から派生した比喩で、この時代には②の案山子が普通にあったと思われる。ただ、道で拾ったもので案山子を作るのは結構難しそうで、ここは①の案山子でごみを燃やしたと見た方が良いかもしれない。「かがし」は語源的に「嗅(か)がす」から来ているという。②の意味の案山子は中世には僧都と呼ばれていた。『応安新式』に「月をあるじ 花をあるじ そうづ 山姫 木玉(已上非人倫也)」とある「そうづ」は案山子のことと思われる。

 いずれにせよ、江戸の市中で当座の景色というわけではあるまい。これまで正式に俳諧を習ったこともなく、見様見真似の案山子のようなものですという謙遜の句と見た方が良いだろう。

 

季語は「案山子」で秋。

 

 

   道くだり拾ひあつめて案山子かな

 どんどと水の落る秋風      野坡

 (道くだり拾ひあつめて案山子かなどんどと水の落る秋風)

 

 謙遜の発句に、その謙遜の意味は受けずに単なる農村風景の句とみなして、秋の台風で増水した川を付ける。

 

季語は「秋風」で秋。「水の落る」は水辺。

 

第三

 

   どんどと水の落る秋風

 入月に夜はほんのり打明て    利牛

 (入月に夜はほんのり打明てどんどと水の落る秋風)

 

 前句を音だけが聞こえるとして、月の既に沈んだ薄暗い夜明けとする。

 前句の秋風に、

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども

     風の音にぞおどろかれぬる

              藤原敏行(古今集)

 

の「目にはさやかに」の心を読み取って付けている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

四句目

 

   入月に夜はほんのり打明て

 堀の外まで桐のひろがる     桃隣

 (入月に夜はほんのり打明て堀の外まで桐のひろがる)

 

 桐の木は成長が早い。放置された土地に雑草が生い茂ったと思ったら、すぐに桐が生えてくる。福島の立ち入り制限区域にこうした光景が見られる。

 ここでは荒れ果てた屋敷にひっそりと暮らす蓬生のイメージで良いのだろう。

 

無季。「霧」は植物、木類。

 

五句目

 

   堀の外まで桐のひろがる

 銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也 野坡

 (銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也堀の外まで桐のひろがる)

 

 銅壺はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「銅壺」の解説」に、

 

 「① 水時計の一つ。底に小さな穴をあけた銅製の壺に水を入れ、目盛りをつけた矢をその水中に立てて水面の低下することによって時刻をはかるもの。漏刻(ろうこく)。

  ※田氏家集(892頃)下・七月七代牛女惜暁更「箭漏応レ寛周歳会、銅壺莫レ従一宵親」 〔顧況‐楽府詩〕

  ② 銅製の器物。かまどの側壁に塗りこんだり、火鉢に仕込んだりする湯わかし。転じて、金属製の入れ物をもいう。

  ※俳諧・炭俵(1694)下「塀の外まで桐のひろがる〈桃隣〉 銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也〈野坡〉」

 

とある。この場合は②でウィキペディアには、「湯を沸かし燗酒をつくる民具」とある。ここでは酒ではなく、燗酒を温めた残り湯をそのまま酔い覚ましのさ湯として用いる。荒れた家の主人の人柄が知れる。

 

無季。

 

六句目

 

   銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也

 つよふ降たる雨のついやむ    利牛

 (銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也つよふ降たる雨のついやむ)

 

 雨でやることがないから熱燗を飲んでいたが、雨が止んだので燗のお湯を飲んで酔いを醒まして仕事の支度をする。

 

無季。「雨」は降物。

初裏

七句目

 

   つよふ降たる雨のついやむ

 瓜の花是からなんぼ手にかかる  桃隣

 (瓜の花是からなんぼ手にかかるつよふ降たる雨のついやむ)

 

 真桑瓜は雌花が親蔓に着かず、子蔓や孫蔓に着くため、親蔓や子蔓を摘心しなくてはならない。花の頃から手がかかる。その時期は夕立の多い夏になる。

 

季語は「瓜の花」で夏、植物、草類。

 

八句目

 

   瓜の花是からなんぼ手にかかる

 近くに居れど長谷をまだみぬ   野坡

 (瓜の花是からなんぼ手にかかる近くに居れど長谷をまだみぬ)

 

 瓜というと奈良漬で白瓜を用いる。真桑瓜と同様、摘心をする。奈良漬の瓜は育てているが、忙しくてまだ長谷寺には行ったことがない。

 まあ、すぐ近くにあっていつでも行けると思うと、かえって行ったことのないままになることはよくある。

 

無季。「長谷」は名所。

 

九句目

 

   近くに居れど長谷をまだみぬ

 年よりた者を常住ねめまはし   利牛

 (瓜の花是からなんぼ手にかかる年よりた者を常住ねめまはし)

 

 常住はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常住」の解説」に、

 

 「① (━する) 仏語。生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって、存在すること。じょうじゅ。

  ※勝鬘経義疏(611)歎仏真実功徳章「勝鬘応レ聞二常住一之時」

  ※徒然草(1331頃)七四「常住ならんことを思ひて、変化の理(ことわり)を知らねばなり」 〔北本涅槃経‐七〕

  ② (━する) つねに一定の所に住むこと。また、寺僧が一寺に定住して行脚(あんぎゃ)をしないこと。

  ※霊異記(810‐824)中「諾楽の京の馬庭の山寺に、一の僧常住す」 〔朱熹‐章厳詩〕

  ③ (副詞的にも用いる) 日常、ごく普通であること。また、習慣化していつもそうであるさま。ふだん。しょっちゅう。年じゅう。じょうじゅ。

  ※高野本平家(13C前)六「常住(ジャウヂウ)の仏前にいたり、例のごとく脇息によりかかって念仏読経す」

  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)九「アレあの通(とほり)に常住(ジャウヂウ)泣て居らるる」

  ④ 「じょうじゅうもつ(常住物)」の略。

  ※正法眼蔵(1231‐53)行持「常住に米穀なし」 〔釈氏要覧‐住持・常住〕

 

とある。

 長谷寺の近くのお寺の住職であろう。何かもめ事があったのか長谷寺の僧が通るたびに睨みつけて、意地でも長谷寺に行くものかというところか。

 

無季。釈教。「年よりた者」は人倫。

 

十句目

 

   年よりた者を常住ねめまはし

 いつより寒い十月の空      桃隣

 (年よりた者を常住ねめまはしいつより寒い十月の空)

 

 人のことを睨みつけてばかりの偏屈爺さんは、十月になっても誰にも相手にされず、寒い冬を迎える。

 

季語は「寒い」「十月」で冬。

 

十一句目

 

   いつより寒い十月の空

 台所けふは奇麗にはき立て    野坡

 (台所けふは奇麗にはき立ていつより寒い十月の空)

 

 今年は寒い冬になりそうなので、台所の掃除を早めに済ませておく。冬の寒い時の掃除は億劫だからね。

 

無季。「台所」は居所。

 

十二句目

 

   台所けふは奇麗にはき立て

 分にならるる嫁の仕合      利牛

 (台所けふは奇麗にはき立て分にならるる嫁の仕合)

 

 相応の身分として扱われるようになった嫁は、台所を奇麗に掃除してやる気満々だ。今まで相当虐げられてきたか。

 柳田国男は分家の嫁になるという意味に解している。

 

無季。恋。「嫁」は人倫。

 

十三句目

 

   分にならるる嫁の仕合

 はんなりと細工に染まる紅うこん 桃隣

 (はんなりと細工に染まる紅うこん分にならるる嫁の仕合)

 

 紅うこんはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「紅鬱金」の解説」に、

 

 「〘名〙 紅色がかった濃い黄色。

  ※邇言便蒙抄(1682)臍「紅鬱金(ベニウコン)」

 

とある。西鶴の『好色一代男』に紅うこんのきぬ物が登場する。前句の嫁の幸せを受けて、流行の立派な着物を優雅に着こなす幸せとする。

 

無季。恋。「紅うこん」は衣裳。

 

十四句目

 

   はんなりと細工に染まる紅うこん

 槍持ばかりもどる夕月      野坡

 (はんなりと細工に染まる紅うこん槍持ばかりもどる夕月)

 

 前句の紅鬱金を夕月の色とする。主君は月見の宴に御呼ばれして、槍持ちは家に帰される。

 

季語は夕月で秋、夜分、天象。「槍持」は人倫。

 

十五句目

 

   槍持ばかりもどる夕月

 時ならず念仏きこゆる盆の内   利牛

 (時ならず念仏きこゆる盆の内槍持ばかりもどる夕月)

 

 奉公に出て槍持ちになっていた奴(やっこ)たちが帰郷して、急に念仏を唱え始める。髭など蓄え厳ついなりをしていても信心深い。

 

季語は「盆の内」で秋。釈教。

 

十六句目

 

   時ならず念仏きこゆる盆の内

 鴫まつ黒にきてあそぶ也     桃隣

 (時ならず念仏きこゆる盆の内鴫まつ黒にきてあそぶ也)

 

 今日は殺生を行わないというので鴫が集まって遊んでいる。小鳥遊が「鷹なし」なら「鴫遊は‥‥。

 

季語は「鴫」で秋、鳥類。

 

十七句目

 

   鴫まつ黒にきてあそぶ也

 人の物負ねば楽な花ごころ    野坡

 (人の物負ねば楽な花ごころ鴫まつ黒にきてあそぶ也)

 

 水辺に庵を構える隠士とする。人のお世話にならずに気楽に暮らせば、あの水辺で遊ぶ鴫を詠めながら花のような心もちになれる。

 秋から春への季移りで、比喩としての「花ごころ」を用いる。

 

季語は「花ごころ」で春、植物、木類。「人」は人倫。

 

十八句目

 

   人の物負ねば楽な花ごころ

 もはや弥生も十五日たつ     利牛

 (人の物負ねば楽な花ごころもはや弥生も十五日たつ)

 

 何もすることのない、花を見るだけの春ということで、時間を忘れて気付けば弥生も半分すぎている。

 

季語は「弥生」で春。

二表

十九句目

 

   もはや弥生も十五日たつ

 より平の機に火桶はとり置て   桃隣

 (より平の機に火桶はとり置てもはや弥生も十五日たつ)

 

 「より平」は撚糸・平糸で、撚ってある糸と撚ってない糸。『芭蕉七部集』の中村注に、

 

 「春湖曰、より糸平糸を以て織りたるをより平地といふ。そのより平地を織る箴也。東近江辺にてこの箴ありとぞ。(或注)」

 

とある。近江ちぢみのことか。

 とり置はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「取置」の解説」に、

 

 「① 物などをしまっておく。とっておく。手もとにおく。

  ※万葉(8C後)一一・二三五六「狛錦紐の片へぞ床に落ちにける 明日の夜し来なむと云はば取置(とりおき)て待たむ」

  ※堤中納言(11C中‐13C頃)貝あはせ「それかくさせ給へと言へば、塗り籠めたる所に、みなとりおきつれば」

  ② とりかたづけする。かたづける。始末をする。

  ※落窪(10C後)一「帯刀、御ゆするの調度などとりおきて」

  ③ 死骸をとりかたづける。葬る。埋葬する。

  ※羅葡日辞書(1595)「Pollinctura〈略〉シガイニ ユヲ アビセ toriuoqu(トリヲク) コトヲ ユウ」

  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)二「いそぎ死人を取をけと仰付させられ」

  ④ とって他におく。ひっこめる。やめる。

  ※史記抄(1477)七「大に驚て先づ攻めごとをとりをいて、与呂将軍倶に東するぞ」

 

とある。寒い地方の機織でも弥生の十五日ともなれば、火桶は片付けられてゆく。

 

季語は「火桶はとり置て」で春。

 

二十句目

 

   より平の機に火桶はとり置て

 むかひの小言だれも見廻ず    野坡

 (より平の機に火桶はとり置てむかひの小言だれも見廻ず)

 

 向かいの家で「火鉢がない」と文句を言ってる声が聞こえてくるが、いつものことなので誰も相手にしない。

 

無季。

 

二十一句目

 

   むかひの小言だれも見廻ず

 買込だ米で身体たたまるる    利牛

 (買込だ米で身体たたまるるむかひの小言だれも見廻ず)

 

 「身体たたまる」は身代畳まるで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「身代畳む」の解説に、

 

 「全財産をなくす。破産する。

  ※浮世草子・西鶴織留(1694)一「近年、町人身体(シンダイ)たたみ分散にあへるは、色好・買置此二つなり」

 

とある。

 元禄期は米の高騰があって、それを見越して買い占めたのだろう。ただ、今でいうペーパー商法(現物まがい商法)に騙されたか。周囲の人もそりゃ騙されるのが悪いと冷ややかだ。

 

無季。

 

二十二句目

 

   買込だ米で身体たたまるる

 帰るけしきか燕ざはつく     桃隣

 (買込だ米で身体たたまるる帰るけしきか燕ざはつく)

 

 破産した家は燕も寄り付かない。

 

季語は「帰る、燕」で秋、鳥類。

 

二十三句目

 

   帰るけしきか燕ざはつく

 此度の薬はききし秋の露     野坡

 (此度の薬はききし秋の露帰るけしきか燕ざはつく)

 

 秋には露となって消えると思っていたが、薬が効いて無事に生き延び、燕の帰るのを見送ることができた。

 

季語は「秋の露」で秋、降物。

 

二十四句目

 

   此度の薬はききし秋の露

 杉の木末に月かたぐ也      利牛

 (此度の薬はききし秋の露杉の木末に月かたぐ也)

 

 今夜が峠だと思っていたが、無事に薬が効いて、月の傾くのを見る。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「杉」は植物、木類。

 

二十五句目

 

   杉の木末に月かたぐ也

 同じ事老の咄しのあくどくて   桃隣

 (同じ事老の咄しのあくどくて杉の木末に月かたぐ也)

 

 「あくどくて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「あくどい」の解説」に、

 

 「〘形口〙 あくど・し 〘形ク〙 ものごとが度を超えていていやな感じを受ける場合に用いる。

  ① 色、味、やり方などがしつこい。くどい。

  ※俳諧・炭俵(1694)下「同じ事老の咄しのあくどくて〈桃隣〉 だまされて又薪部屋(まきべや)に待(まつ)〈野坡〉」

  ※桑の実(1913)〈鈴木三重吉〉一「少しもあくどい飾りなどのない、さっぱりした店である」

  ② やり方や性格などがどぎつくて、たちが悪い。悪辣(あくらつ)なさま。

  ※堕落論(1946)〈坂口安吾〉「人前で平気で女と戯れる悪どい男であった」

 

とある。元々は「くどい」の強化系だったのが、近代には「あく」の音に釣られて「悪どい」になったようだ。

 老人の繰り言を聞かされてゆくうちに夜も更け、朝になろうとしている。

 

無季。

 

二十六句目

 

   同じ事老の咄しのあくどくて

 だまされて又薪部屋に待     野坡

 (同じ事老の咄しのあくどくてだまされて又薪部屋に待)

 

 ほんのちょっとで話が終わるからと薪部屋に待たされたが、年寄りの話が早く終わるはずがない。

 

無季。「薪部屋」は居所。

 

二十七句目

 

   だまされて又薪部屋に待

 よいやうに我手に占を置てみる  利牛

 (よいやうに我手に占を置てみるだまされて又薪部屋に待)

 

 占は「サン」とルビがある。算木のことであろう。待たされて暇だから、薪を算木にして吉が出るまで何度も占ってみる。

 

無季。「我」は人倫。

 

二十八句目

 

   よいやうに我手に占を置てみる

 しやうしんこれはあはぬ商    桃隣

 (よいやうに我手に占を置てみるしやうしんこれはあはぬ商)

 

 「しやうしん」は『芭蕉七部集』の中村注に「正真、全く」とある。暇な占い師か。

 

無季。

 

二十九句目

 

   しやうしんこれはあはぬ商

 帷子も肩にかからぬ暑さにて   野坡

 (帷子も肩にかからぬ暑さにてしやうしんこれはあはぬ商)

 

 一重の帷子(かたびら)でも暑くて、みんな上半身裸になって仕事している。汗だくになってももらえる金は変わらない。こりゃ合わないな。

 

季語は「暑さ」で夏。「帷子」は衣裳。

 

三十句目

 

   帷子も肩にかからぬ暑さにて

 京は惣別家に念入        利牛

 (帷子も肩にかからぬ暑さにて京は惣別家に念入)

 

 惣別は総じてということ。京都は盆地で夏は暑い。家にはいろいろ暑さ対策に工夫を凝らすが、着物は脱ぐしかない。

 

無季。「家」は居所。

二裏

三十一句目

 

   京は惣別家に念入

 焼物に組合たる富田魵      桃隣

 (焼物に組合たる富田魵京は惣別家に念入)

 

 富田魵(えび)は『芭蕉七部集』の中村注に『七部婆心録』(曲斎、万延元年)の引用として、「摂津島上郡富田の玉川に産する川えび」とある。今の大阪府三島郡島本町の辺りで、六玉川の一つ、摂津三島の玉川がある。水無瀬川のことで川エビ(テナガエビ科のスジエビ)が獲れる。

 京の食卓ではスジエビの焼物が定番だったか。

 

無季。

 

三十二句目

 

   焼物に組合たる富田魵

 隙を盗んで今日もねてくる    利牛

 (焼物に組合たる富田魵隙を盗んで今日もねてくる)

 

 富田エビを取ってくると言って出かけては、実際には昼寝している。

 

無季。

 

三十三句目

 

   隙を盗んで今日もねてくる

 髪置は雪踏とらする思案にて   野坡

 (髪置は雪踏とらする思案にて隙を盗んで今日もねてくる)

 

 髪置(かみおき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「髪置」の解説」に、

 

 「① 幼児が頭髪を初めてのばす時にする儀式。江戸時代、公家は二歳、武家・民間では三歳の一一月一五日にすることが多かったが、必ずしも一定していない。小笠原流では白髪をかぶせ、頂におしろいの粉を付け、櫛(くし)で左右の鬢(びん)を三度かきなでて無病長寿を祈るのを例とした。現在でも男子の袴着、女子の帯解とともに「七五三の祝い」として残されている。髪立て。《季・冬》

 

  ※看聞御記‐応永二九年(1422)一二月三日「姫宮〈予第三宮〉御髪置有祝着之儀、芝殿役レ之、殊更三觴祝着如例」

  ② 江戸時代、僧侶が伊勢参詣をする時、付け鬢(びん)をしたこと。

  ※雑俳・柳多留‐二五(1794)「伊勢で髪おき高縄では袖とめ」

  ③ 唐衣(からぎぬ)の襟の中央背面で垂髪(すいはつ)のあたる部分。」

 

とある。今の七五三の三歳の祝いの前身とも言えよう。女の子の儀式となると、たいてい男は邪魔なものだ。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

三十四句目

 

   髪置は雪踏とらする思案にて

 先沖まではみゆる入舟      桃隣

 (髪置は雪踏とらする思案にて先沖まではみゆる入舟)

 

 先は「まず」。

 よくわからないが、『源氏物語』の明石の姫君の京へ行く場面か。

 

無季。「沖」「入舟」は水辺。

 

三十五句目

 

   先沖まではみゆる入舟

 内でより菜がなうても花の陰   利牛

 (内でより菜がなうても花の陰先沖まではみゆる入舟)

 

 前句を沖に出ても花は見えるとして、船の上で何のおかずもなくて握り飯を食っていても、花を見ながら食う飯は内で食うよりも良い、とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   内でより菜がなうても花の陰

 ちつとも風のふかぬ長閑さ    野坡

 (内でより菜がなうても花の陰ちつとも風のふかぬ長閑さ)

 

 花の下で食う飯は格別で、まして風も吹かなければまだ花も散らない、と目出度く一巻は終わる。

 『ひさご』の、

 

 木のもとに汁も膾も桜かな    芭蕉

 

の句を思い出したのかもしれない。

 

季語は「長閑さ」で春。