「花にうき世」の巻、解説

初表

   憂方知酒聖

    貧始覚銭神

 花にうき世我が酒白く食黒し   芭蕉

   眠ヲ尽ス陽炎の痩      一晶

 鶴啼て青鷺夏を隣るらん     嵐雪

   童子礫を手折ル唐_梅      其角

 月ヲ濁す汀の蓼ヲ芦刈て     嵐蘭

   浪のさざれにたなご釣影   執筆

 

初裏

 琵琶洗ふ雨よし朝の時雨よし   一晶

   朝にえぼしをふるふ紙衣   芭蕉

 浪人の恋するを誥おぼしめす   嵐雪

   やぶの一夜に入ルかひぞなき 嵐蘭

 散さくら同じ宗旨ヲ誓ひける   其角

   藤ハ退-之が肝-魂ヲ奪う     一晶

 雷鳥のはつねハ觜ヲ鳴ルならん  芭蕉

   汐てる海に鰹孕る      嵐雪

 傾城の鏡を捨し神代ヨリ     一晶

   羽をりに角ヲかくす風流雄  其角

 化しのの棺ヲ出て草の月     嵐蘭

   破_蕉誤ツテ詩の上を次グ    嵐雪

 

 

二表

 朝鮮に西瓜ヲ贈る遥ナリ     芭蕉

   つくししらぬひの松浦片撥  一晶

 めづら見るあげやあげやの萱庇  嵐雪

   蚤ハ私の盞をのむ      嵐蘭

 櫛入レぬ影は六十の荊にて    其角

   御所に胡坐かく世ヲ夷也   芭蕉

 人の怪異穂長の宵の熨子黒ク   一晶

   松田くびなき雪の曙     嵐雪

 きたなしや陣中に似せ鼾かく   其角

   山ン野に飢て餅を貪ル    嵐蘭

 盗ミ井の月に伯夷が足あらふ   芭蕉

   とくさは武士の憤草     其角

 

二裏

 見ぐるしき艶書をやくや柴栬   嵐蘭

   笑ひさんやに帰ル魂     一晶

 暁の寐言を母にさまされて    嵐雪

   つゐに発心ならず也けり   芭蕉

 花に栖廬山の列をはねたらん   其角

   柳にすねて瀑布ヲ酒呑    嵐蘭

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

   憂方知酒聖

    貧始覚銭神

 花にうき世我が酒白く食黒し   芭蕉

 

 前書きには返り点と送り仮名がふってあって、「憂ては方に酒の聖を知り、貧しては始て銭の神を覚る」と読む。

 花に浮かれ、と浮世を掛けて、我が酒は白く濁っていて食(めし)は銀シャリではなく雑穀を混ぜている。

 食(めし)黒しに関しては玄米とする説もあるが、ウィキペディアには、

 

 「なお「江戸時代以前は玄米を食べていた」という通説に対して、それを肯定する史料はほとんどない。そもそも現代における「玄米」と同レベルの玄米を作り出すのは精白技術の未熟さ故に困難であった。そのような中で農民の多くは、精白度が低い米(今日における半搗き米など糠層を完全に除去していないもの)を利用し、さらには雑穀や芋、野菜を混ぜたかて飯や麦飯を食べていたため、少なくとも農村部では脚気が蔓延する環境にはなかった。しかし、これらを炊くには白米よりも時間がかかり多くの燃料を必要とするため、薪を買わなければならない都市生活者にとっては、糠層を完全に取り去った白米の方が都合が良く、食味も喜ばれたことから、江戸時代中期(享保期)には江戸や大坂などの大都市では白米飯を常食する習慣が普及した。」

 

とある。黒いというのはここでは白くない、いわゆる銀シャリではないという意味で、玄米を食べていたということではないようだ。

 俳諧でも米搗きを詠んだ句は多い。ただ、精米の技術の問題で精白度の高い銀シャリはやはり高価だったのだろう。玄米で買ってきて自分で搗いて食べていたとすれば、真っ白ではなかった。それに麦や稗を入れれば黒ずんだ感じになる。粟や黍だと黄色くなる。

 白い酒というのも通常はどぶろくか濁り酒で透き通った酒ではないという意味に解されているが、ひょっとしたらそれほど単純ではないかもしれない。というのも、白い酒はきちんと精白度の高い米で作られた酒で、精白歩合が低い米で酒を仕込むと色がつくからだ。

 だからもう一つの考え方で、当時の酒は色がついていたが、酒屋は売る時に原酒そのままではなく水で薄めて売ってたので、芭蕉さんが飲んでた酒はほとんど水に近い酒だったのかもしれない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

 

   花にうき世我が酒白く食黒し

 眠ヲ尽ス陽炎の痩        一晶

 (花にうき世我が酒白く食黒し眠ヲ尽ス陽炎の痩)

 

 深川隠居の身になった芭蕉さんの発句に、花に酒を飲みのんびり過ごす様子を「眠ヲ尽ス」とし、「酒白く食黒し」から貧しい感じで「痩」を付ける。

 「陽炎」には「かげぼし」とルビがある。影法師では季語にならないので文字の上では「陽炎」として春の季とし、実質的には影法師とする。式目をかいくぐる悪知恵は談林時代好まれていて、この頃多い極端な字余りも式目に字数制限がないところから来ている。また、露などを形だけの季語として放り込むのも盛んに行われた。

 芭蕉は隠居して僧形になったのだろう。この頃既に持病持ちで実際に痩せていて、年より老けて見えてたと思う。まあ、陽炎のような有るか無きかの影法師、というのは芭蕉の一つのキャラとして世俗に認知されていたのではないかと思う。

 興行開始の挨拶としての寓意は特にない。発句と合わせて芭蕉の自己紹介と言えよう。

 花に陽炎は、

 

 みよしのは花と見えつつかげろふの

     もゆる春日にふれる白雪

              藤原為経(宝治百首)

 

の歌がある。

 

 今さらに雪降らめやもかげろふの

     もゆる春日となりにしものを

              よみ人しらず(新古今集)

 

の歌は、元は『万葉集』巻十、一八三五の

 

 今更雪零目八方蜻火之燎留春部常成西物乎

 

という古い歌で、この「雪ふらめやも」を吉野の散る花の雪とすることで、晩春の陽炎としている。

 

季語は「陽炎」で春。

 

第三

 

   眠ヲ尽ス陽炎の痩

 鶴啼て青鷺夏を隣るらん     嵐雪

 (鶴啼て青鷺夏を隣るらん眠ヲ尽ス陽炎の痩)

 

 これから蕉門の欠くことのできない一人となる嵐雪がここで第三を務める。

 鶴は『枕草子』四十一段に、

 

 「鶴はいとこちたきさまなれど、鳴く声雲居まで聞ゆる、いとめでたし。」

 

とあるのに対し、鷺は、

 

 「さぎはいとみめも見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じと争ふらむ、をかし。」

 

とある。「ゆるぎの森」は、

 

 高島やゆるぎの森の鷺すらも

     ひとりは寝じと争ふものを

             よみ人しらず(古今六帖)

 

の歌による。

 独りでは寝ない鷺だから、鶴の隣で眠りを尽くす。そのために鶴に身を寄せている。これは芭蕉さんのもとに身を寄せる自身を詠んだのかもしれない。謙虚な気持ちが感じられる。

 季語としては夏の隣で春になるが、形だけ春の季語として実質を伴わないのはこの時代の常でもある。

 

季語は「夏を隣る」で春。「鶴」「青鷺」は鳥類。

 

四句目

 

   鶴啼て青鷺夏を隣るらん

 童子礫を手折ル唐_梅       其角

 (鶴啼て青鷺夏を隣るらん童子礫を手折ル唐_梅)

 

 唐梅(からうめ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 植物「ろうばい(蝋梅)」の異名。《季・冬》

  ※師郷記‐永享一三年(1441)六月紙背「おさあい御かたへ、からむめ一つつみまいらせられ候よし、申候へく候」

  ※俳諧・虚栗(1683)上「啼て青鷺夏を隣るらん〈嵐雪〉 童子礫を手折る唐梅〈其角〉」

  ② 梅の一品種の名。花は大輪というが、詳細不明。〔花壇綱目(1661‐73頃)〕

  ③ 梅を図案化した模様の名。

  ※浄瑠璃・双生隅田川(1720)三「べにぞめにくくして、はしばしに、から梅・から松・から花・からくさ・からししをぬはせた」

 

とある。

 打越と離れると、前句は単に鶴と青鷺がいて夏隣(春も終わり)になったのだろうか、という句になる。

 この季節だと①にしても②にしても花の枝ではなく只梅で、前句の鳥を脅すのに石礫を投げ、枝を折って振り回すという意味だろう。

 

季語は「唐_梅」で春、植物、木類。「童子」は人倫。

 

五句目

 

   童子礫を手折ル唐_梅

 月ヲ濁す汀の蓼ヲ芦刈て     嵐蘭

 (月ヲ濁す汀の蓼ヲ芦刈て童子礫を手折ル唐_梅)

 

 前句の礫で月を映す水面を濁すとし、芦を刈るように水辺のヤナギタデを刈る。ヤナギタデはウィキペディアに、

 

 「『蓼食う虫も好きずき』の語源である辛味のある葉が、薬味として利用される。刺し身のつまにしたりするほか、すり潰して酢に混ぜることでアユ等の魚の塩焼きに使用する蓼酢となる。」

 

とある。

 

 草の戸に我は蓼くふ蛍かな    其角

 

の句にも詠まれている。

 汀の芦の月は、

 

 月の色に霧なへだてそ難波船

     汀の芦はたづさはるとも

              藤原定家(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「蓼」で夏、植物、草類。「月」は夜分、天象。「汀」は水辺。「芦」は植物、草類。

 

六句目

 

   月ヲ濁す汀の蓼ヲ芦刈て

 浪のさざれにたなご釣影     執筆

 (月ヲ濁す汀の蓼ヲ芦刈て浪のさざれにたなご釣影)

 

 「さざれ」は小石のことで、「さざれ石」のさざれ。

 タナゴは鯉科の小魚でタナゴ釣りは江戸時代後期に大流行するが、この頃はまだその走りであろう。

 汀に釣りは、

 

 志賀の浦の入江の氷とぢてけり

     汀に遠きあまの釣り船

              世尊寺行能(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。「浪」は水辺。

初裏

七句目

 

   浪のさざれにたなご釣影

 琵琶洗ふ雨よし朝の時雨よし   一晶

 (琵琶洗ふ雨よし朝の時雨よし浪のさざれにたなご釣影)

 

 琵琶の花は目立たないが冬に咲く。朝の時雨がその琵琶の花を洗う。

 タナゴ釣りも冬のもので、まだ流行期でもない頃に寒い中でタナゴのような小魚を釣る人は、琵琶の花のような目立たない花にも目を止めるような人だと見ての付けであろう。

 

季語は「時雨」で冬、降物。

 

八句目

 

   琵琶洗ふ雨よし朝の時雨よし

 朝にえぼしをふるふ紙衣     芭蕉

 (琵琶洗ふ雨よし朝の時雨よし朝にえぼしをふるふ紙衣)

 

 前句の琵琶を楽器の琵琶として、紙衣を着た貧しい琵琶法師、蝉丸の俤とした。

 謡曲『蝉丸』に、

 

 「たまたまこと訪ふものとては、峯に木伝ふ猿の声、袖を湿す村雨の、音にたぐへて琵琶の音を、弾きならし弾きならし」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.41489-41495). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

という、雨に琵琶を弾く場面がある。

 紙衣は紙子と同じで、防寒性にすぐれているがすぐボロボロになるところから、ボロボロの紙子を着た乞食というのは、ステレオタイプ的なイメージがあったようだ。

 

無季。「えぼし」「紙衣」は衣裳。

 

九句目

 

   朝にえぼしをふるふ紙衣

 浪人の恋するを誥おぼしめす   嵐雪

 (浪人の恋するを誥おぼしめす朝にえぼしをふるふ紙衣)

 

 「誥」という字は本来は王命を意味したが、ここでは「なぶり」とルビがふってある。からかうという意味で、今の「いじり」に近いかもしれない。

 「浪人」はここでは江戸時代の「牢人」ではなく、古い時代の意味での浮浪のことであろう。やはり烏帽子を被りボロボロの紙衣を着ている。

 人の烏帽子をふるったりするのは失礼な行為で、まして打ち落としたりすれば最大の侮辱となる。

 朝になって帰って行くこの浮浪の烏帽子を揺り動かしてはからかう。

 

無季。恋。「浪人」は人倫。

 

十句目

 

   浪人の恋するを誥おぼしめす

 やぶの一夜に入ルかひぞなき   嵐蘭

 (浪人の恋するを誥おぼしめすやぶの一夜に入ルかひぞなき)

 

 ここでは江戸時代の「牢人」の意味に取り成されるか。

 仕事のない男が、藪入りで奉公先から帰ってきた女のところに夜這いに行くが、さんざん馬鹿にされて追い返される。

 

季語は「やぶの一夜」で春、夜分。恋。

 

十一句目

 

   やぶの一夜に入ルかひぞなき

 散さくら同じ宗旨ヲ誓ひける   其角

 (散さくら同じ宗旨ヲ誓ひけるやぶの一夜に入ルかひぞなき)

 

 「宗旨(しゅうし)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 仏語。一宗、一経など、その説く教説の主要な旨趣。宗門の信仰内容の中心となっている教義。

  ※正法眼蔵(1231‐53)都機「仏法の宗旨、いまだ人天の小量にあらず」

  ② 一つの宗教の中で分かれている流派。宗教の分派。宗門。宗派。

  ※太平記(14C後)四「此君禅の宗旨(シウシ)に傾かせ給て」

  ③ 宗教を信ずること。信教。また、その宗教。

  ④ (比喩的に) 自分のやり方や主義や趣味または専門。また、それらに対する自分の好みや傾向など。

  ※浮世草子・傾城禁短気(1711)二「是をそっちの宗旨(シウシ)にては、心中といふげな」

 

とある。同じ宗教、同じ宗派では俳諧らしい面白さはないし、ここはまだ恋の文脈になっている。今日でも「その趣味」というそっちのネタかもしれない。

 お寺は男ばかりの世界で稚児との愛が公認されているから、ともに出家して愛し合おうということか。

 花の散るの甲斐なきは、

 

 おきふして惜しむかひなくうつつにも

     夢にも花の散る夜なりけり

              凡河内躬恒(金葉集初度本)

 

の歌がある。

 

季語は「散さくら」で春、植物、木類。釈教。

 

十二句目

 

   散さくら同じ宗旨ヲ誓ひける

 藤ハ退-之が肝-魂ヲ奪う     一晶

 (散さくら同じ宗旨ヲ誓ひける藤ハ退-之が肝-魂ヲ奪う)

 

 退之は韓退之で韓愈のこと。排仏論で知られていて、ウィキペディアには、

 

 「古文復興運動は、彼の思想の基盤である儒教の復興と表裏をなすものであり、その観点から著された文章として、「原人」「原道」「原性」などが残されている。その排仏論も、六朝から隋唐にかけての崇仏の傾向を斥け、中国古来の儒教の地位を回復しようとする、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。その傾向を受けついだのは高弟の李翺である。」

 

とある。「肝-魂」は肝っ玉を漢語風に言っただけか。古語では「きもたましひ」という。

 これは相対付けで、散る桜が同じ仏道を誓いあい、藤は反仏の韓退之の心を引き付ける、という意味になる。

 桜と藤は、

 

 君見ずや桜山吹かざしきて

     かみのめぐみにかかる藤波

              藤原隆信(続古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。

 

十三句目

 

   藤ハ退-之が肝-魂ヲ奪う

 雷鳥のはつねハ觜ヲ鳴ルならん  芭蕉

 (雷鳥のはつねハ觜ヲ鳴ルならん藤ハ退-之が肝-魂ヲ奪う)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の補注に、

 

 「退之の『送孟東野序』に『鳥ヲ以テ春ニ鳴リ、雷ヲ以テ夏ニ鳴ル』とあるによった。」

 

とある。

 

 維天之於時也亦然 擇其善鳴者而假之鳴

 是故以鳥鳴春 以雷鳴夏

 以蟲鳴秋 以風鳴冬

 四時之相推敓 其必有不得其平者乎

 

 天は四時にその時々の音を鳴らす、春は鳥、夏は雷、秋は虫、冬は風という内容だ。

 藤というと、

 

 わがやどの池の藤波さきにけり

     山郭公いつか來鳴かむ

              よみ人しらず(古今集)

  この歌ある人のいはく、柿本人麿が歌なり

 

の歌があるように、ホトトギスの初音を期待させるものだが、ここでは雷に掛けて雷鳥の初音とする。とはいえ、雷鳥の声などほとんど聞く機会がないし、ここでは雷に似せて嘴を鳴らす音にしている。

 雷鳥は、

 

 しら山の松の木陰にかくろへて

     やすらにすめるらいの鳥かな

              後鳥羽院(夫木抄)

 

の歌に詠まれている。

 

無季。「雷鳥」は鳥類。

 

十四句目

 

   雷鳥のはつねハ觜ヲ鳴ルならん

 汐てる海に鰹孕る        嵐雪

 (雷鳥のはつねハ觜ヲ鳴ルならん汐てる海に鰹孕る)

 

 「孕る」は「みごもる」。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の補注に、稲妻に稲が孕むという伝説から、雷鳥が鰹を孕ませるとしたとある。

 コトバンクの「稲孕(はら)む」の項の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(稲妻によって稲に子(実)ができるという伝説から) 稲の穂がふくらむ。

  ※俳諧・毛吹草(1638)六「稲妻のかよひてはらむいなば哉〈繁勝〉」

 

とある。

 

季語は「鰹」で夏。「海」は水辺。

 

十五句目

 

   汐てる海に鰹孕る

 傾城の鏡を捨し神代ヨリ     一晶

 (傾城の鏡を捨し神代ヨリ汐てる海に鰹孕る)

 

 何となく初鰹の起源を神話っぽく作ったか。

 

無季。恋。

 

十六句目

 

   傾城の鏡を捨し神代ヨリ

 羽をりに角ヲかくす風流雄    其角

 (傾城の鏡を捨し神代ヨリ羽をりに角ヲかくす風流雄)

 

 「風流雄」は「たはれお」。

 今日の花嫁衣裳の「角隠し」は江戸時代後期から明治にかけて広まったものだとされている。この時代に女性の角隠しはなかった。

 その起源は諸説あるが確かなものはない。ただ、その一つには若衆歌舞伎の揚帽子から来たという説もある。そのあたりでひょっとしたら天和の頃の遊び人とも関係があるのかもしれない。

 

無季。「風流雄」は人倫。

 

十七句目

 

   羽をりに角ヲかくす風流雄

 化しのの棺ヲ出て草の月     嵐蘭

 (化しのの棺ヲ出て草の月羽をりに角ヲかくす風流雄)

 

 化野(あだしの)は京都嵯峨野の方にあった火葬場で、そこから蘇った男は鬼だったか。

 化野の草の月は、

 

 あだし野や夕べの露のたまたまも

     貫きとめがたき草の上の月

              (道助法親王家五十首)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十八句目

 

   化しのの棺ヲ出て草の月

 破_蕉誤ツテ詩の上を次グ     嵐雪

 (化しのの棺ヲ出て草の月破_蕉誤ツテ詩の上を次グ)

 

 謡曲『芭蕉』は唐土楚国の読経する僧のもとに芭蕉の精が現れる。そこに薄物の風に破れた芭蕉の精があの世から舞い戻ってきて、というのを暗示させるストーリーだ。

 ただ、ここでは舞を舞うではなく、詩の上句を付けていく。そこは楽屋落ちというか、次に芭蕉がこの句の上句を付ける。

 

季語は「破_蕉」で秋、植物、木類。

二表

十九句目

 

   破_蕉誤ツテ詩の上を次グ

 朝鮮に西瓜ヲ贈る遥ナリ     芭蕉

 (朝鮮に西瓜ヲ贈る遥ナリ破_蕉誤ツテ詩の上を次グ)

 

 天和二年は朝鮮通信使の来た年でもある。ただ、実際に来たのは六月でまだ先のことだ。「錦どる」の巻に参加した曉雲(後の英一蝶)の師匠の狩野安信が絵に描き残している。

 朝鮮(チョソン)の使節を迎える時には漢詩を交わしたりするのが通例だった。もっとも、それは韻を継いだりするもので、当然ながら上句を付けたりはしない。芭蕉が出席したら漢詩に付け句をやってくれたかも、というところで「朝鮮贈西瓜、遥也」という詩句を作る。

 

季語は「西瓜」で秋。

 

二十句目

 

   朝鮮に西瓜ヲ贈る遥ナリ

 つくししらぬひの松浦片撥    一晶

 (朝鮮に西瓜ヲ贈る遥ナリつくししらぬひの松浦片撥)

 

 「片撥」は延宝四年春の「此梅に」の巻六十九句目に、

 

   時雨ふり置むかし浄瑠璃

 おもくれたらうさいかたばち山端に 信章

 

の句がある。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「江戸時代初期の流行歌。寛永 (1624~44) 頃から遊郭で歌われだした。七七七七の詩型のものをいう。」

 

とある。『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「松浦」も小唄の一種だという。

 朝鮮(チョソン)に西瓜を贈るなら、昔だったら筑紫松浦の港からだっただろう。朝鮮通信使は下関ルートを通ったようだし、貿易は対馬を通して行われた。

 句の方は朝鮮(チョソン)に西瓜を贈るということで、筑紫から有明海・八代海の不知火、古代からの港である松浦、と調子よく縁でつないで、松浦が小唄の意味もある所から片撥で結ぶ。

 松浦は、

 

 領巾振りし昔をさへや偲ぶらむ

     まつらの浦を出づる舟人

              藤原俊成(俊成五社百首)

 待てしばしみやま颪も時雨るなり

     まつらの浦を出づる舟人

              藤原家隆(夫木抄)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。「松浦」は名所、水辺。

 

二十一句目

 

   つくししらぬひの松浦片撥

 めづら見るあげやあげやの萱庇  嵐雪

 (めづら見るあげやあげやの萱庇つくししらぬひの松浦片撥)

 

 「めづら」は「めづらか」であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘形動〙 (「か」は接尾語) ふつうと違っているさま。良い意にも悪い意にも用いる。風変わりなようす。目新しいさま。奇態なさま。めずら。

  ※続日本紀‐天平元年(729)八月二四日「今、米豆良可爾(メヅラカニ)新しき政にはあらず、本ゆり行ひ来し迹事ぞと詔りたまふ」

 

とある。

 まあ、多分筑紫松浦の遊郭は行ったことがなくて想像で言っているのだろう。揚屋がみんな萱庇だという。あるいは古代の遊郭を想像したのかもしれない。

 

無季。恋。

 

二十二句目

 

   めづら見るあげやあげやの萱庇

 蚤ハ私の盞をのむ        嵐蘭

 (めづら見るあげやあげやの萱庇蚤ハ私の盞をのむ)

 

 「私」は「ささめ」とルビがある。「ささめごと(私語)」の「ささめ」であろう。

 前句の萱庇の粗末な揚屋では、ひそひそ話をする盃の酒を蚤が飲んで、蚤と付ざしの酒を交わす。

 

季語は「蚤」で夏、虫類。恋。

 

二十三句目

 

   蚤ハ私の盞をのむ

 櫛入レぬ影は六十の荊にて    其角

 (櫛入レぬ影は六十の荊にて蚤ハ私の盞をのむ)

 

 六十は「むそじ」。蚤のたかっている六十の爺さんは乞食なのか、櫛を入れたことのないような髪はカピカピに固まっていてイバラが茂っているみたいだ。

 イバラは「うばら」とも言い、垣根に用いられていた。和歌に詠まれる卯の花も垣根に詠むことから、うばらの花のことと思われる。

 

 なつかしく手には折らねど山がつの

     垣根のうばら花咲にけり

              曽禰好忠(好忠集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

二十四句目

 

   櫛入レぬ影は六十の荊にて

 御所に胡坐かく世ヲ夷也     芭蕉

 (櫛入レぬ影は六十の荊にて御所に胡坐かく世ヲ夷也)

 

 「夷」には「ウヅイ」とルビがある。『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「気まま者。倨傲な者。(俚言集覧)」とある。

 前句の頭カピカピの老人なら、御所で胡坐をかくくらいのことはやりそうだ。案外仙人だったりする。

 

無季。「夷」は人倫。

 

二十五句目

 

   御所に胡坐かく世ヲ夷也

 人の怪異穂長の宵の熨子黒ク   一晶

 (人の怪異穂長の宵の熨子黒ク御所に胡坐かく世ヲ夷也)

 

 「怪異」は「けい」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (形動) (「け」は「怪」の呉音) あやしいこと。ふしぎであること。また、そのものや、そのさま。かいい。

※源平盛衰記(14C前)一六「今勅命を蒙り怪異(ケイ)を鎮めんとす」

※俳諧・新花摘(1784)「阿満(おみつ)いついつよりも、かほばせうるはしく、のどやかにものうちかたり、よべかくかくのけいありしとつぐ」

 

とある。

 「穂長」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 植物「うらじろ(裏白)」の異名。《季・新年/冬》

  ※浄瑠璃・頼朝浜出(1686)二「親の譲り葉ほなが召さぬか」

  ② 螻蛄首(けらくび)から切先(きっさき)までを長く作った槍。〔日葡辞書(1603‐04)〕

 ③ 紋所の名。①をかたどったもの。しだ。

 ④ 五月の田植の時の飯を炊く薪。普通の薪よりも長く切ったところからの名。また、この薪を採る正月の初山入りの日。また、その日の山の神祭。東海・近畿地方でいう。《季・新年》」

 

とある。

 ここでは①で『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「蓬莱を飾る年越の夜を穂長の宵と言った」とある。そこに黒い熨斗というと葬式みたいだ。まあ、それで何でなんだか不思議だということか。

 御所で胡坐かくようなウヅイだから、わけのわからないことをするということか。

 

季語は「穂長の宵」で冬。「人」は人倫。

 

二十六句目

 

   人の怪異穂長の宵の熨子黒ク

 松田くびなき雪の曙       嵐雪

 (人の怪異穂長の宵の熨子黒ク松田くびなき雪の曙)

 

 「まつたくひなき」は「松類(たぐひ)なき」と読んで祝言にしなくてはいけないものを、「松田首(くび)なき」と読んでしまった。穂長の宵の熨斗に書いてあったのだろう。

 たぐひなき松は、

 

 我がたのむ心ひとつは神も見よ

     またたぐひなき唐崎の松

              藤原為家(為家五社百首)

 

の歌がある。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

二十七句目

 

   松田くびなき雪の曙

 きたなしや陣中に似せ鼾かく   其角

 (きたなしや陣中に似せ鼾かく松田くびなき雪の曙)

 

 夜討であろう。曾我兄弟の仇討のように夜中に襲われたが、おそらくその前に陣中を見回りに来た時に寝たふりをしていたに違いない。

 夜討曾我では一藹別当工藤左衛門祐経だが、ここで討たれたのは松田何某だった。討たれるときにおそらく言ったのだろう。「きたなしや陣中に似せ鼾かく。」

 かくして雪の曙には松田何某は首のない姿になっていた。

 

無季。

 

二十八句目

 

   きたなしや陣中に似せ鼾かく

 山ン野に飢て餅を貪ル      嵐蘭

 (きたなしや陣中に似せ鼾かく山ン野に飢て餅を貪ル)

 

 野営地で寝たふりをして、夜中にこっそり餅を食べていた。

 

無季。「山」は山類。

 

二十九句目

 

   山ン野に飢て餅を貪ル

 盗ミ井の月に伯夷が足あらふ   芭蕉

 (盗ミ井の月に伯夷が足あらふ山ン野に飢て餅を貪ル)

 

 伯夷(はくい)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「中国古代、殷(いん)末周初の伝説上の人物。孤竹君の子。国君の後継者としての地位を弟の叔斉(しゅくせい)と譲りあってともに国を去り、周に行った。のち、周の武王が暴虐な天子紂王(ちゅうおう)を征伐したとき、臣が君を弑(しい)するのは人の道に反するといさめたが聞かれず、首陽山に隠れ、やがて餓死したと伝えられる。清廉な人間の代表とされる。」

 

とある。

 「足あらふ」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、『楚辞』「漁父辞」の「滄浪の水濁らば以つて我が足を濯ふべし」を引いている。

 首陽山に隠れた伯夷は漁父に諫められて、月の映る盗ミ井の水が濁ってたので足を洗い、世の流れに従おうと心に決め、餓死するのをやめて盗み食いをした。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   盗ミ井の月に伯夷が足あらふ

 とくさは武士の憤草       其角

 (盗ミ井の月に伯夷が足あらふとくさは武士の憤草)

 

 謡曲『木賊』の舞台となった木曾園原からはやや離れているが、木曽は木曽義仲の旗揚げした場所でもある。前句を濁った世に山に籠るのではなく戦う道を選んだとして、木曽義仲の挙兵を付けたか。

 木賊の月は、

 

 木賊刈る園原山の木の間より

     磨きいでぬる秋の夜の月

              源仲正(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「木賊」で秋、植物、草類。「武士」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   とくさは武士の憤草

 見ぐるしき艶書をやくや柴栬   嵐蘭

 (見ぐるしき艶書をやくや柴栬とくさは武士の憤草)

 

 「艶書」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《古くは「えんじょ」とも》恋心を書き送る手紙。恋文。懸想文(けそうぶみ)。艶状。

  「袂(たもと)の中へいつの間にか入れられてあった―の文句を」〈荷風・寝顔〉」

 

とある。

 「柴栬(しばもみぢ)」は前句の木賊の縁からすれば帚木であろう。箒草は今はコキアとの呼ばれ、秋になると美しく紅葉する。

 

 園原や伏屋に生る帚木の

     ありとてゆけどあわぬ君かな

              坂上是則(新古今集)

 

の縁で帚木の紅葉に寄せて恋文を娘がもらうが、武士の父は怒って燃やしてしまう。柴栬が折りたく柴の夕煙に変わるという落ち。

 

季語は「柴栬」で秋、植物、草類。恋。

 

三十二句目

 

   見ぐるしき艶書をやくや柴栬

 笑ひさんやに帰ル魂       一晶

 (見ぐるしき艶書をやくや柴栬笑ひさんやに帰ル魂)

 

 山谷は戦後はどや街として当時の言葉で言う労務者の街になり、今でもその名残はあるというが、江戸時代の山谷は日光街道沿いの吉原遊郭の入口だった。

 前句の「やくや柴栬」を弔いの折りたく柴の夕煙にし、遊び人の魂は山谷へ帰って行くとした。

 

無季。恋。

 

三十三句目

 

   笑ひさんやに帰ル魂

 暁の寐言を母にさまされて    嵐雪

 (暁の寐言を母にさまされて笑ひさんやに帰ル魂)

 

 吉原で豪遊する夢でも見ていたのだろう、母に起こされて魂は吉原の外に追い出される。

 

無季。「母」は人倫。

 

三十四句目

 

   暁の寐言を母にさまされて

 つゐに発心ならず也けり     芭蕉

 (暁の寐言を母にさまされてつゐに発心ならず也けり)

 

 働くのが嫌でお寺に入ろうかななんて寝言を言っていると、母に「何言ってるの、早く起きなさい」と急き立てられ発心の夢は終わる。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   つゐに発心ならず也けり

 花に栖廬山の列をはねたらん   其角

 (花に栖廬山の列をはねたらんつゐに発心ならず也けり)

 

 廬山は陶淵明、謝霊運、李白、白居易、蘇軾、王安石、黄庭堅、陸游など多くの文人に愛されたが、結局僧にはならなかった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「廬山」は名所、山類。

 

挙句

 

   花に栖廬山の列をはねたらん

 柳にすねて瀑布ヲ酒呑      嵐蘭

 (花に栖廬山の列をはねたらん柳にすねて瀑布ヲ酒呑)

 

 陶淵明は柳にすねて、李白は瀑布ヲ酒呑。

 花に柳は、

 

 みわたせば柳桜をこきまぜて

     宮こそ春の錦なりける

              素性法師(古今集)

 

の縁になる。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。「瀑布」は山類。