「蓮の実に」の巻、解説

初表

 蓮の実におもへばおなじ我身哉  賀子

   世にある蔵も露の入物    西鶴

 名月の朝日に影の替り来て    西鶴

   まだ夢ながら碁石撰分    賀子

 船寄て延しにあがる磯の浜    賀子

   白鷴人をおぢぬ粧ひ     西鶴

 

初裏

 山桜限リの身とて二百戒     西鶴

   昔にかはる寄生の梅     賀子

 豊国の奥は小蝶の羽の弱シ    賀子

   当座の嵐手負つれのく    西鶴

 京の伯父田舎の甥も輿かきて   賀子

   官女の具足すすむ萩原    西鶴

 房枕秋の寝覚の物狂ひ      西鶴

   血を忌給ふ御社の月     賀子

 猪に折られながらに花咲て    賀子

   海棠眠る唐人の留守     西鶴

 

二表

 紅のチンタ流るる春の水     西鶴

   小鼓出来て時服下され    賀子

 今日までは見て登リたる雪の富士 賀子

   扇面逆心さいご近づく    西鶴

 状箱を焼捨がたし行蛍      西鶴

   今の身請は袖のむら雨    賀子

 物毎に堪忍始末の恋止メて    賀子

   弘誓の舟に乗からはみな   西鶴

 白銀の金の鯛も醜し       西鶴

   碪にさむる夢の本意なし   賀子

 忍び道夜るの芭蕉におどされて  賀子

   月を妬める後の母親     西鶴

 

二裏

 追訴訟身の程しらぬ秋の蝉    西鶴

   堂こぼたれて山のさびしき  賀子

 谷川や岩にとどまる笠の骨    賀子

   手枕をして山椒魚寝る    賀子

 神農の代々におしへの花の露   西鶴

   桉葉にかく春の初文字    西鶴

      参考;『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)

初表

発句

 

 蓮の実におもへばおなじ我身哉    賀子

 

 賀子についてはあまりよくわかっていないようだ。父は斎藤玄真という医師で禾刀(かとう)という俳号で、西鶴に俳諧を学んでいたという。賀子と西鶴との結びつきもそこにあったのだろう。

 『蓮実』の序文は難解な出典とかもなく、なかなかわかりやすい。

 

 「花は散もの、月は入ものにして、是を世のさまとす。貴賎僧俗われに着する故に、吾とくるしむ獅獅身中の虫なり。かしこき人はまずしきをたのしみ、富て礼をなせとこそ教けれど、それまではいふにたらず、ねがふもむつかし。右指左指造次顛沛、東西に走り、南北に起臥し、心のおもむくにまかする事、蓮の実のごとし。」

 

 花はいつかは散り、月はいつかは沈むのは当たり前のことで、それに執着するのは獅子に寄生する虫のようなもの。そのあとは『論語』の引用で、賢い人は貧しさを楽しみ、豊かになったら礼をなせとはいうものの、なかなかその境地にはなれないし、なろうとも思わない。「むつかし」は面倒くさいというような意味か。

 「右指左指造次顛沛」は右に行ったり左に行ったり急に何か起こったりいきなりひっくり返ったり、ということで、『論語』にはそういう時でも仁を忘れずにというのだが、それはねがうもむつかし、か。東西に走り南北に起臥し心の赴くままに任せ、蓮の実のようにはじけようじゃないか、と。『論語』を引用しながらも、そんなことは気にせずかまわず自由に生きようじゃないかという宣言と見ていいだろう。

 この辺の奔放さこそが大阪談林の根底にあるのではないかと思う。蕉門のような古典風雅の古人の理想を求めるのではなく、泣いたり笑ったりわからなかったり迷ったり、それが人間じゃないか、その基本にあるのは「かまわぬ」ということ、つまり自由ではないかと思う。

 蓮の実は晩秋になるとあの蜂巣の穴の中にあった実がぽんと飛び出すらしいが、まだ見たことはない。『去来抄』「先師評」に、

 

   ぽんとぬけたる池の蓮の実

 咲花にかき出す橡のかたぶきて   はせを

 

の句がある。

 序文を踏まえるなら、賀子の発句は、その蓮の実を思えば、自分もまた特に何の理由もなく衝動に任せて行動することがよくあり、それに似ているな、というような意味だろう。

 

季語は「蓮の実」で秋、植物、草類。「我身」は人倫。

 

 

   蓮の実におもへばおなじ我身哉

 世にある蔵も露の入物        西鶴

 (蓮の実におもへばおなじ我身哉世にある蔵も露の入物)

 

 この世に蔵を立てたところであの世には持ってゆけない、蔵の中身もまたその場限りの儚い露のようなものじゃありませんか、ならば自由に生きるのが一番です。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

第三

 

   世にある蔵も露の入物

 名月の朝日に影の替り来て      西鶴

 (名月の朝日に影の替り来て世にある蔵も露の入物)

 

 前句の「露」は比喩だったが、ここでは蔵に降りる本物の露として、名月がやがて沈み朝日が差すころには、月の光に輝いていた露も消えてゆく、とする。もちろん、この句全体も人生の儚さの比喩ととることはできる。

 夜の世界に遊び楽しみ、ひと時の夢の世界に酔いしれていても、やがて朝が来て現実の世界に引き戻されてゆく。それでもあの露の輝きにこそ人生の真実がある。それは永遠の理想と言ってもいい。人類の永遠の理想、それは「かまわぬ」つまりフリーダム。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。「朝日」も天象。

 

四句目

 

   名月の朝日に影の替り来て

 まだ夢ながら碁石撰分(えりわく) 賀子

 (名月の朝日に影の替り来てまだ夢ながら碁石撰分)

 

 一見唐突に囲碁が出てくるようだが、前句の名月と朝日を碁石の黒石と白石に見立てての展開。月は金屏風などでは銀で塗るため、それが黒ずんで見える。

 名月が沈み朝日が昇る頃、徹夜で打っていた碁の勝負も黒が優勢だったが次第に白の優勢に変わり、眠気も差してきて夢ともうつつともつかずに次ぎの手を案じる。「撰分(えりわく)」は碁笥をまさぐる仕草のことか。

 

無季。

 

五句目

 

   まだ夢ながら碁石撰分

 船寄て延しにあがる磯の浜     賀子

 (船寄て延しにあがる磯の浜まだ夢ながら碁石撰分)

 

 これも囲碁用語による縁語での展開で、「寄せ」は中盤にほぼ確定した地合いの隙間を細かく詰めていって、一目でも多く取ろうというせめぎあい。「延び」は自分の石をの横にさらに石を打って長くすることをいう。「浜」は取った相手の石のこと。「上げ浜」とも言うから「上がる‥浜」で縁語になる。

 碁を案じていると夢の中では船が出てきて、寄せの勝負で自分の石を伸ばし、地合いを確定させればその中の相手の石は上げ浜となる。

 

無季。「船」「磯の浜」は水辺。

 

六句目

 

   船寄て延しにあがる磯の浜

 白鷴人をおぢぬ粧ひ        西鶴

 (船寄て延しにあがる磯の浜白鷴人をおぢぬ粧ひ)

 

 『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(一九九四、岩波書店)のテキストでは「鳥」の上に「幹」の乗っかった文字で記されていたが、フォントが見つからなかったので註釈の所にあった「鷴」の字にした。

 「白鷴(はっかん)」は雉の一種で、中国南西部に生息する。

 この句は李白の「秋浦歌」による本説付けではないかと思う。「秋浦歌」は十七首からなり、一般に知られているのは其十五の「白髪三千丈」だが、其十六に「白鷴」の登場する歌がある。

 

 秋浦田舎翁 采魚水中宿

 妻子張白鷴 結罝映深竹

 

 秋の浦の田舎の老人、

 魚を獲って船で暮らす。

 妻子は白鷴に網を張り、

 結んだ罠は深い竹薮に映る。

 

 漁夫が船を寄せて磯の浜で伸びをすると、そこには白鷴が人を恐れることもなく佇んでいる。多分竹薮に張った罠が目立ちすぎたのだろう。そこにはかかってなかった。

 

無季。「白鷴」は鳥類。「人」は人倫。

初裏

七句目

 

   白鷴人をおぢぬ粧ひ

 山桜限リの身とて二百戒      西鶴

 (山桜限リの身とて二百戒白鷴人をおぢぬ粧ひ)

 

 二百五十戒というのは『四分律』に基づく仏教の戒律で、僧の守るべき戒律をいう。ここで「二百戒」というのは、五七五の枠に収めるために省略した言い回しかと思われる。二百五十戒は男性の僧に対する戒律なので、山桜に諸行無常を感じ、出家して戒律を受け入れる決意をした人は男性ということになる。尼僧は三百四十八戒。ちなみに東南アジアの上座部仏教では二百二十七戒だという。

 山桜は散って人は人生の儚さを感じても白鷴は平然としている。そこで発心したのだろう。

 

季語は「山桜」で春、植物、木類。釈教。

 

八句目

 

   山桜限リの身とて二百戒

 昔にかはる寄生(やどりぎ)の梅 賀子

 (山桜限リの身とて二百戒昔にかはる寄生の梅)

 

 本歌は、

 

   世をのがれて東山に侍る頃、

   白川の花ざかりに人さそひければ、

   まかり帰りけるに、昔おもひ出でて

 ちるを見て帰る心や桜花

     むかしにかはるしるしなるらむ 

                  西行法師『山家集』

 

 出家前は満開の桜だけを楽しんでたが、今は桜の花の散る心をしみじみと味わうことができる。それは出家したせいなのだろう。

 心境の変化というよりは、俗人だった頃は花見といってもあくまで宴席での人付き合いの方が主で、そこで才能をアピールすることしか考えてなかったが、出家後に花見に誘われ桜の散る姿を見て、無常迅速を思うといたたまれなくなっておいとまして帰ってきたのだろう。

 賀子の句はこの「昔にかはる」出家した我が身を、梅に寄生するヤドリギに喩えたのだろう。僧は自分で食物を作ったり狩ったりしない。人から施し物を受け、いわば寄生して生きている。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

 

九句目

 

   昔にかはる寄生の梅

 豊国の奥は小蝶の羽の弱シ    賀子

 (豊国の奥は小蝶の羽の弱シ昔にかはる寄生の梅)

 

 徳川の時代では豊臣秀吉(とよとみのひでよし)は悪人だが、関西人にしてみれば判官びいきの部分もあったのだろう。

 とはいえ豊臣秀吉を祀った豊国神社が再興したのは明治になってからのことで、それまではずっと荒れ果てたままだった。

 そこでは昔は見事な花を咲かせていた梅の木もヤドリギが生え、蝶は秀吉の魂の変化したものか、その羽の音も弱々しい。もちろん実際には聞こえるはずもない音だが、霊魂の音を心で聞くといったところか。秀吉は豊臣の姓を賜る前は「羽柴秀吉」だった。

 

季語は「小蝶」で春、虫類。

 

十句目

 

   豊国の奥は小蝶の羽の弱シ

 当座の嵐手負つれのく      西鶴

 (豊国の奥は小蝶の羽の弱シ当座の嵐手負つれのく)

 

 前句の「小蝶の羽の弱シ」を怪我人の比喩として、嵐のせいとした。「豊国」は単なる舞台になり、捨てている。重い展開が続いた所での展開を図るために遣り句と見ていいだろう。

 

無季。

 

十一句目

 

   当座の嵐手負つれのく

 酒ゆへに常の魂闇と成(なり)  西鶴

 (酒ゆへに常の魂闇と成当座の嵐手負つれのく)

 

 当座を宴会だとか興行とかの場にして、酒が過ぎて狼藉を働いたのだろう。蕉門でも猿蓑の風でより軽くてリアルな展開が求められていた時期だけに、ここでも庶民のリアルな場面へ展開したい所だろう。

 ただ、笑いへもっていかずに戒めを含ませるところが談林的というべきか。

 

無季。

 

十二句目

 

   酒ゆへに常の魂闇と成

 借ス人もなき大年の宿      賀子

 (酒ゆへに常の魂闇と成借ス人もなき大年の宿)

 

 酒に溺れて転落した身には、大晦日だというのに借金の返済を迫られるどころか、金すら借りられないで一人大晦日を宿で過ごす。

 これも同じく笑いに持っていくというよりは、酒に溺れるとこうなるよという教訓めいた展開になる。

 

季語は「大年」で冬。「人」は人倫。「宿」は居所。

 

十三句目

 

   借ス人もなき大年の宿

 京の伯父田舎の甥も輿かきて   賀子

 (京の伯父田舎の甥も輿かきて借ス人もなき大年の宿)

 

 前句を大晦日は誰に宿を貸すでもないと取り成し、その理由をみんな輿を担ぎに行っているからだとする。

 大晦日は神道では大祓い、仏教では除夜でみんなはきれいに祓い清め、歳神様(正月様)を迎えるために夜通し起きていた。

 

無季。「伯父」「甥」は人倫。

 

十四句目

 

   京の伯父田舎の甥も輿かきて

 官女の具足すすむ萩原      西鶴

 (京の伯父田舎の甥も輿かきて官女の具足すすむ萩原)

 

 具足というと今では甲冑の意味で使われることがほとんどだが、古語辞典を見ると、伴いを連れること、家来、部下、調度品などいろいろな意味が出てくる。

 官女というと雛人形の三人官女を連想する人も多いかもしれないが、雛人形に三人官女を飾るのは江戸後期以降。

 平安時代だと、官女は宮中の雑用係で、今で言えばお掃除おばさんみたいな感覚か。貴族の側仕えの女房たちよりも身分が低い。

 ただ、元禄時代に「官女の具足」が何を意味していたのかはよくわからない。高貴な女性なら立派な街道を行くだろうから萩原ということもなさそうだし、あるいは都落ちした官女の行列か。

 

季語は「萩原」で秋、植物、草類。「官女」は人倫。「具足」は衣裳。

 

十五句目

 

   官女の具足すすむ萩原

 房枕秋の寝覚の物狂ひ      西鶴

 (房枕秋の寝覚の物狂ひ官女の具足すすむ萩原)

 

 「房枕」はくくり枕のことか。細長い袋にそば殻、籾殻などを詰めるのだが、その両端をくくる部分に房をつけたものは豪華な感じがする。語感的には「草枕」に通じるので、萩原でも草枕ならぬ房枕で、明け方には失恋の寂しさから狂ったように萩原をさ迷い歩く。具足は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』では「性具」との説明がなされている。

 本当に官女が具足(鎧兜)を身につければ、それも物狂いかもしれないが、それだとどちらかというと、延宝のころの蕉門のシュールギャグになる。

 

季語は「秋」で秋。

 

十六句目

 

   房枕秋の寝覚の物狂ひ

 血を忌給ふ御社(みやしろ)の月 賀子

 (房枕秋の寝覚の物狂ひ血を忌給ふ御社の月)

 

 秋が二句続いたので、ここらで月を出すのが順当だろう。月に狂気は洋の東西を問わない。

 かつての「穢れ」の概念は未知の病原体への闇雲な恐怖から来たといってもいい。だから今日的に言えば病気に感染する恐れのあるものを忌む。血もそうだし死体や動物も動物関係のお仕事の人も忌むべき対象になる。月経の経血もその一つ。

 神社は一般に血を忌むが、最後に「月」と放り込むことによって、前句の寝覚めの物狂いが「月のもの」によることになる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。神祇。

 

十七句目

 

   血を忌給ふ御社の月

 猪に折られながらに花咲て    賀子

 (猪に折られながらに花咲て血を忌給ふ御社の月)

 

 血を忌む御社は動物も忌むのだが、特定の動物はむしろ神使として大事にされる。

 この場合の猪は神使ではなくそこいらから迷い込んできた猪だろう。ただ、血を忌むので退治することはできない。猪に好き放題に暴れまわられて桜の枝も折られてしまったのだろう。それでも負けじと桜は咲く。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「猪」は獣類。

 

十八句目

 

   猪に折られながらに花咲て

 海棠眠る唐人の留守       西鶴

 (猪に折られながらに花咲て海棠眠る唐人の留守)

 

 「海棠眠る」は「海棠の眠り未だ足らず」という楊貴妃の逸話から来ているらしい。ネットで調べたが出典はこれのようだ。

 

 「上皇登沈香亭、召太真妃子、妃子時卯酔未醒、命力士従侍児、扶掖而至、上皇笑曰、豈是妃子酔、直是海棠睡未足耳〈楊太真外伝〉」[佩文韻府]

 

 ただ、ここでは本説とか俤とかではなく、猪に折られた田舎の花に、唐の楊貴妃を対比させたもので、対句のように作る「向かへ付け(相対付け)」ではなく、唐人が留守だから猪に折られるという、意味(心)の上で辻褄を合わせる「違え付け」になる。

 

季語は「海棠」で春、植物、木類。「唐人」は人倫。

二表

十九句目

 

   海棠眠る唐人の留守

 紅(くれなゐ)のチンタ流るる春の水 西鶴

 (紅のチンタ流るる春の水海棠眠る唐人の留守)

 

 チンタはvinho tinto(ポルトガル語)、vino tinto(スペイン語)のtintoで本来は染まったという意味。女性形だとtintaになる。英語のtintと語源は同じ。

 唐人が出てきたところで、これは曲水の宴か。中国の酒ではなくぶどう酒を入れた杯が流れてくる。

 

季語は「春の水」で春。

 

二十句目

 

   紅のチンタ流るる春の水

 小鼓出来て時服下され      賀子

 (紅(くれなゐ)のチンタ流るる春の水小鼓出来て時服下され)

 

 曲水の宴だが、詩を詠むのではなく鼓を打って、その功績で時服を賜る。

 本来時服は律令で定められた季節ごとの衣装代の支給だったが、江戸時代には将軍家が大名や旗本に褒美として下賜するようになった。

 

無季。「時服」は衣裳。

 

二十一句目

 

   小鼓出来て時服下され

 今日までは見て登リたる雪の富士 賀子

 (今日までは見て登リたる雪の富士小鼓出来て時服下され)

 

 豚もおだてりゃ木に登ると言うが、ここでは下賜の喜びを富士山にも登る気分に喩える。

 

無季。「富士」は名所、山類。

 

二十二句目

 

   今日までは見て登リたる雪の富士

 扇面逆心さいご近づく      西鶴

 (今日までは見て登リたる雪の富士扇面逆心さいご近づく)

 

 江戸時代の刑罰には扇腹(おうぎばら)というのがあり、切腹より重く斬罪よりは軽い。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 

 「江戸時代、武士の刑罰の一。切腹と斬罪(ざんざい)の中間の重さのもので、罰を受ける者が、短刀の代わりに三方(さんぼう)に載せた扇を取って礼をするのを合図に介錯人が刀でその首を切る。扇子腹(せんすばら)。」

 

とある。

 富士は扇をひっくり返した姿なので、逆になった扇子に逆心の罪の者の最期が近づくとする。俳諧では「切腹」だとか「腹を切る」といった直接的な表現を嫌う。

 

無季。

 

二十三句目

 

   扇面逆心さいご近づく

 状箱を焼捨がたし行蛍      西鶴

 (状箱を焼捨がたし行蛍扇面逆心さいご近づく)

 

 「行蛍」は『伊勢物語』に出典のある言葉で、短い物語だ。

 

 「昔、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男にもの言はむと思ひけり。うち出でむことかたくやありけむ、もの病みになりて死ぬべき時に、かくこそ思ひしかと言ひけるを、親聞きつけて泣く泣く告げたりければ、惑ひ来たりけれど、死にければつれづれと籠りをりけり。時は水無月のつごもり、いと暑きころほひに宵は遊びをりて、夜ふけてやや涼しき風吹きけり。蛍たかく飛び上がる。この男、見ふせりて、 

 

 ゆく蛍雲のうへまで往ぬべくは

     秋風吹くと雁に告げこせ 

 

 暮れがたき夏のひぐらしながむれば

     そのこととなくものぞ悲しき。」

 

 逆心の男の最期の近づいた時、状箱の恋文を焼き捨てようと思ったものの焼くことができず、さりとてこのまま残せば死後に女の元に伝わってしまい、ああ行く蛍、となってしまう、と悩む。

 

季語は「蛍」で夏、虫類。恋。

 

二十四句目

 

   状箱を焼捨がたし行蛍

 今の身請は袖のむら雨      賀子

 (状箱を焼捨がたし行蛍今の身請は袖のむら雨)

 

 前句の焼き捨てがたい手紙を遊女のものとし、不本意な身請けに泣く遊女の心を付ける。

 身請けされるから始末しなくてはいけないのだが、思いは断ちがたく行く蛍となって飛んで行く。そんな悲しさに袖は涙の村雨に濡れる。

 恋句の展開の場合男と女を入れ替えるのは基本。

 こういう本人の切ない恋心を詠む、中世連歌に近い恋句の読み方は、蕉門ではほとんど見られない。浮世の恋を第三者的に斜に構えて笑いに転じて詠むことが多い。

 

無季。恋。「村雨」は降物。

 

二十五句目

 

   今の身請は袖のむら雨

 物毎に堪忍始末の恋止メて    賀子

 (物毎に堪忍始末の恋止メて今の身請は袖のむら雨)

 

 ネットを見ていたら、西鶴の貞享五年の『日本永代蔵』の引用で「始末大明神のご託宣にまかせ、金銀をたむべし。これ二親のほかに命の親なり」というのを見つけた。「始末」というのは「算用」「才覚」と並んで商いの三法と言われていたらしい。

 天和の頃は好色もので一世を風靡した西鶴が、一転して商いの道で「始末」の肝要を解き「恋止メて」になったと思うと、楽屋落ちの句になる。

 句自体は物事に堪忍や始末が必要だと、真面目に商売の道に励むことにして、遊女の身請けの話も涙を呑んで止めにした、といったところだろう。

 

無季。恋。

 

二十六句目

 

   物毎に堪忍始末の恋止メて

 弘誓(ぐぜい)の舟に乗からはみな 西鶴

 (物毎に堪忍始末の恋止メて弘誓の舟に乗からはみな)

 

 「弘誓」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」によれば、「菩薩が自ら悟りをひらき、あらゆる衆生を救って彼岸に渡そうとする広大な誓願」だそうだ。

 本来仏教は自分さえ救われればいいというものではなく、むしろ自らを犠牲にしてでも衆生を救うということに重点が置かれていて、だからこそお坊さんは尊敬されてきた。厳しい修行もそのためのものだった。

 菩薩の悟りに導かれ、みなその弘誓の船に乗り込むには、物毎を堪忍始末し、恋の煩悩も断ち切る。

 

無季。釈教。「舟」は水辺。

 

二十七句目

 

   弘誓の舟に乗からはみな

 白銀(しろかね)の金(こがね)の鯛も醜(なまぐさ)し 西鶴

 (白銀の金の鯛も醜し弘誓の舟に乗からはみな)

 

 舟だから魚、それも鯛ということになる。仏道に入るなら殺生を戒め、鯛などという生臭いものも食うべきではない。金の鯛でも銀の鯛でも生臭いというのは、お金への執着もまた鯛同様生臭いということか。

 

無季。

 

二十八句目

 

   白銀の金の鯛も醜し

 碪(きぬた)にさむる夢の本意なし 賀子

 (白銀の金の鯛も醜し碪にさむる夢の本意なし)

 

 夢の中で金銀の鯛の舞でも見たのだろうか。竜宮城の夢も玉手箱ならぬ砧の音で不意に目覚め、がっかりする。

 『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』では、

 

 千たび打つ砧の音に夢さめて

     もの思ふ袖の露ぞくだくる

               式子内親王(新古今和歌集)

 

を踏まえているという。本歌というほど元歌に寄り添わない換骨奪胎は、大阪談林の好む所か。

 

季語は「碪」で秋。

 

二十九句目

 

   碪にさむる夢の本意なし

 忍び道夜るの芭蕉におどされて   賀子

 (忍び道夜るの芭蕉におどされて碪にさむる夢の本意なし)

 

 俳諧師としての芭蕉は仮の姿で夜には忍びの者となって‥‥、なんて句ではない。でもちょっとは狙っているかも。

 秋の夜の月に浮かれて女の下に通おうとすると、芭蕉の大きな葉っぱは秋風に大きく揺れて音を立て、砧もまた寂しげに聞こえ、何となく白けてしまったという方の意味か。

 月の定座だが月夜を匂わせるだけで月は出なかった。

 

季語は「芭蕉」で秋、植物、木類。恋。「夜」は夜分。

 

三十句目

 

   忍び道夜るの芭蕉におどされて

 月を妬める後の母親        西鶴

 (忍び道夜るの芭蕉におどされて月を妬める後の母親)

 

 しょうがないからここで月を出すしかない。

 「後の母親」は実の母親ではなく父の後妻ということか。娘に通ってくる男を妬む。それでわざわざ芭蕉を植えたか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「母親」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   月を妬める後の母親

 追(おひ)訴訟身の程しらぬ秋の蝉 西鶴

 (追訴訟身の程しらぬ秋の蝉月を妬める後の母親)

 

 江戸時代は訴訟社会で、土地の境界線争いや共有地のの入会権、水利争いなど、民事訴訟が絶えなかった。当時は裁判が無料だったということもあるらしい。弁護士に相当する公事師というのはいたらしいが、読み書きの出来る百姓は、自分で訴状を書いたりもしてたようだ。

 

   秋の田をからせぬ公事の長びきて

 さいさいながら文字問にくる   芭蕉(『阿羅野』「雁がねも」の巻)

 

という句もあったが、ところどころ字がわからなくなると、お寺の坊さんなどに聞きに行ったりもしたのだろう。芭蕉さんのところにも来たのかもしれない。

 当時は再審制はなかったので、不服があると別件で追い訴訟をしたのだろう。後の母親が何を妬んでどんな訴訟を起したのかは知らないが、勝てる当てのない裁判でいたずらに騒ぎ続けるのは、秋になってもまだ鳴いている蝉のようだ、と揶揄する。

 

季語は「秋の蝉」で秋、虫類。

 

三十二句目

 

   追訴訟身の程しらぬ秋の蝉

 堂こぼたれて山のさびしき    賀子

 (追訴訟身の程しらぬ秋の蝉堂こぼたれて山のさびしき)

 

 訴訟というとこの時代には神社と仏閣との境界争いが多発したようだ。芭蕉の仏道の方での師匠だった鹿島根本寺の仏頂和尚も、寺領五十石を七年に渡る裁判の末に取り戻したという。

 この句の場合はお寺の方が負けたのか、寺領を失ったお寺は寂れてゆく。

 

無季。「山」は山類。

 

三十三句目

 

   堂こぼたれて山のさびしき

 谷川や岩にとどまる笠の骨    賀子

 (谷川や岩にとどまる笠の骨堂こぼたれて山のさびしき)

 

 今日だと台風の後なんかは道端にビニール傘の白骨がいたるところに散らばっているが、江戸時代の編み笠には骨がないので、唐傘のことだろう。もう挙句も近いので、ありがちな風景を軽く添えて遣り句する。

 

無季。「谷川」は水辺。

 

三十四句目

 

   谷川や岩にとどまる笠の骨

 手枕をして山椒魚寝る      賀子

 (谷川や岩にとどまる笠の骨手枕をして山椒魚寝る)

 

 魚扁に帝の字のフォントが見つからないので「山椒魚」と表記しておく。

 確かに山椒魚には手があるが、手枕はちょっと無理ではないかと思う。

 

無季。「山椒魚」は水辺。

 

三十五句目

 

   手枕をして山椒魚寝る

 神農の代々(よよ)におしへの花の露 西鶴

 (神農の代々におしへの花の露手枕をして山椒魚寝る)

 

 神農は三皇五帝の一人で、医療と農耕の神様でもある。湯島聖堂に寛永十七年の神農の像があるが、頭に小さな角がある。亜人(デミ・ヒューマン)の一種と思われる。

 山椒魚は精力剤にされてきたが、神農のありがたい教えは世に広まり、人々は健康に暮らしている。「花の露」は比喩だが、平和でみんなが元気に暮らす村、山椒魚が川にすむ村の実景としてもいい。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「露」は降物。

 

挙句

 

   神農の代々におしへの花の露

 桉葉(たらやう)にかく春の初文字 西鶴

 (神農の代々におしへの花の露桉葉にかく春の初文字)

 

 タラヨウは多羅葉とも書く。モチノキ科モチノキ属の常緑高木。葉の裏面を傷つけると字が書けるという。

 前句の「花の露」が比喩なので、最後は正月の句にして目出度く治める。

 

季語は「春」で春。「桉葉」は植物、木類。