現代語訳『源氏物語』

18 薄雲

 日に日に冬めいてくる頃、河辺の住まいは次第に忘れ去られたようになり、途方にくれながら日々を過ごしていると思うと、源氏の君も、

 

 「このまま放置しておくわけにもいかない。

 

 近くに来る決心を付けてくれ」

 

と勧めるのですが、近くに行ったからと言って通って来なければもっと辛いことにもなって、完全に詰んでしまいそうで、どうにも言いようもないことになると思い悩むばかりでした。

 

 「せめてこの若君だけでも。

 

 このままでは可哀想だ。

 

 こちらに思う所もあるんで、それが無駄になってもいけない。

 

 内の者もこの子のことを知って早く会いたがっているので、少し馴染ませておいて、三歳の(ちゃっ)()の儀のことなども、やはりお披露目しないわけにはいかないと思うんだ。」

 

と一生懸命説得を試みます。

 

 そうさせてやらなくちゃとずっと思っているだけに、ますます胸の詰まる思いです。

 

 晴れて養子になって源氏の君の奥さんに世話してもらうことになっても、その子の出自について良からぬ噂が広まってしまうことを、なかなか止めることはできないのではないかと思うと、自分の元に置いておきたいと思います。

 

 「その辺の事情もわからないではないが、悪い方にばかり考えないで、俺を信じてくれよ。

 

 こっちには何年一緒にいても子供がなくて、物足りなく思っている人がいて、前の斎宮のようなすっかり大人びた人までも一途に世話してきたんだから、こんな誰が見ても憎むことのできないような子をほったらかすことなんかあるはずがない。」

 

と二条の姫君の今の様子について思うことを語りました。

 

 「確かに以前は一体どこに落ち着くのかと、人づての噂に聞いてはいたが、今はその頃の俤もなく浮気心も収まったゆうから、あの奥さんとの前世の宿命というのは半端なく、人柄の方も他の女よりも優れていたんやろうな」と思うにつけても、

 

 「そんな立派な人に対抗できるなんて思わないし、まあ、のこのこ出て行ってもその人も面白くはないやろな。

 

 どっちにしたってこの私の扱いは同じなのよね。

 

 まだまだ遠い未来のあるあの子も、結局はその人の気持ち次第やしね。それならまだ物心つかないうちに譲った方がええわな。」

 

と思います。

 

 「それでも手放してしまったらその後のことが心配でしょうがないやろうし、何もできないから気持ちを晴らす方法もないし、どうやって生きて行けばいいのやら。わざわざこっちに立ち寄ってくれる理由もないやろな。」

 

など、あれこれ悩むばかりで頭が痛くなるばかりです。

 

 尼君は思慮深い人なので、

 

 「悩むだけ無駄よ。

 

 逢えなくなることは本当に胸の苦しくなることやが、とにかくこの子のためにどうすればいいかだけを考えるとええが。

 

 同じ御門の皇子でも、母方の身分でいろいろ決まってしまうこともあるんや。

 

 あの源氏の大臣の君も、この世に二人といない逸材なのに、臣下として仕えているのは、今は亡き大納言の身分が今一つだったせいで、更衣の生んだ子と言われ続けて差別されてしまったんやろが。

 

 皇子でさえそうなんやから、下々の者はその程度で済むはずもない。

 

 たとえ親王や大臣を生んだ人だって、正妻に比べれば一段落ちるもので、世間も見下し、父親の可愛がり方も同じということはない。

 

 ましてこの姫君なんぞ、やむごとなき筋の娘が入内してくれば、どこかに消し飛んでしまうわな。

 

 ほどほどの身分しかなくても、父親に特別に守ってもらえればこそ、いつかは貶められなくなっていくはずや。

 

 (はかま)()だっていくら立派に行っても、こんな山奥に隠れていたんでは、なーーんもなりゃしない。

 

 ただお任せして、守ってもらって、行末を見守りなさい。」

 

(さと)します。

 

 よく当たる占い師に聞いてみるにつけても、やはり「転居、大いによろし」というだけなので、気持ちも揺らいできます。

 

 源氏の君もそれを望んでいながら、なかなか決意してくれないことを気遣ってか、無理には言わず、

 

 「袴着のことはどうするんだ。」

 

と言うその返事に、

 

 「万事に付けてふがいないこの私に寄り添ってくれても、これから成長していっても可哀そうなことになるように思えて、宮廷にいってもみんなに笑われるんやないか。」

 

というばかりなのを、ますます残念に思います。

 

 とりあえずは日取りを決めて、密かに手はずを整えさせます。

 

 娘を手放すのはどうしようもなく悲しいことですが、我が子のためにはこれこれでいいんやと、自分に言い聞かせます。

 

 「乳母も連れていかれると思うと、日がなその憂鬱さを語り合っては慰めあうこともできなくなるし、ますます心の拠り所を失って、どつぼやなないか。」

 

と泣き出すと、乳母も、

 

 「こんなふうになるのも思いがけないことで、あなたとお会いしてから長いことお世話になったことは、忘れることはできないかけがえのないこととは思いますし、それがここで終わりになるなんてことはないものと思います。

 

 いつかまた一緒にいられることを信じながら、しばらくは離れ離れで慣れない仕事とはなりますので、不安に思うのも当然でしょう。」

 

など、泣いたりしながら過ごしているうちに十二月になりました。

 

   *

 

 雪や霰がぱらつく季節になり、ますます心細くなって、何でこんなに憂鬱なことばかりなんだとため息をついては、今まで以上に若君の髪や身なりを整えてました。

 

 雪の陰鬱に降り積もる朝、これまでの事やこれからの事あれこれ考え続けては、いつもは特に庭の方に出てくることはないのですが、水の流れる{|きわ}の氷などを見て、白くて柔らかい衣を何枚も重ね着して庭を眺めるそのお姿、髪の毛の様子、後ろ姿など、どんな高貴な人でもここまでなんてことないよねと女房達も思いました。

 

 こぼれる涙をぬぐいながら、別れた後にこんな日が来たなら、どうなってしまうのか想像もつかないといじらしくも涙ぐみ、

 

 「雪深い山奥の道は晴れなくても

     手紙は絶えることなく届けて」

 

と歌えば、乳母も涙ぐみ、

 

 「雪降らない日はないという吉野でも

     心通わす跡は途絶えない」

 

 この雪の解け始める頃、源氏の君がやってきました。

 

 いつもなら待ちに待ったというところですが、これから起こることを思うと胸が潰れるばかりに痛み、自責の念にかられます。

 

 自分で決めたことやしな、断わっても無理強いはしない、何でこうなるんや、と思ってはみても、ここで気弱になってはいけないと自分に言い聞かせます。

 

 とにかく可愛らしく前にちょこんと座っている姫君を見た源氏の君は、この運命は半端ではないなと思います。

 

 今年の春から伸ばしている髪の毛も肩の辺りの尼削ぎくらいの長さになり、ゆらゆらと眩いばかりで、顔かたち、目力も申し分ありません。

 

 余所へと手放してしまう側の心の悲しみを推し量るととにかく心苦しくて、繰り返し抱きしめて夜を明かしました。

 

 「とにかく、こんな残念な身分にならないように大切にしてくれたら。」

 

と言ってるそばから堪えきれずに泣き出すあたり、悲しいです。

 

 姫君は何も知らぬげに、慌ただしく車に乗せられてゆきます。

 

 車の停めてあるところに、母親自ら抱いて出て来ました。

 

 ようやく言葉を覚えた声はまじ美声で、袖を掴んで「乗りなさい」と引き寄せると、感極まって、

 

 「いとけない二葉の松を引き裂いて

     いつか立派な木を見れるのか」

 

 これ以上何も言えず泣きじゃくるばかりで、「そりゃ、まじ苦しいよな」と思って。

 

 「武隈の二本の松の根は深い

     小松もいっしょに千年生きよう

 

 落ち着きなさい。」

 

と慰めました。

 

 こうするしかないと思って心を鎮めようとしますが、それでも堪えることができません。

 

 乳母と少将という人柄の良い人ばかり、賜った太刀や厄除けの人形などの皇女にふさわしい物と一緒に乗り込みます。

 

 もう一台の車には、それ相応のお付の若い女房、遊び相手の童女などを乗せて、あとを追って出発しました。

 

 着くまでの道すがら、残された人の悲しみを思うと、「こんなことして後生にどんな罰を受けるのだろうか」と思います。

 

 到着した頃には暗くなっていてましたが、車を寄せるとそこは華やかな別世界で、すっかり田舎に慣れ切った感覚では、不釣り合いでやっていけるのかと思うものの、西面の部屋を特別に用意して、子供用の調度なども可愛らしいものを作らせていました。

 

 乳母の部屋には西の(わた)殿(どの)の北側を充てました。

 

 姫君は来る途中の道で寝てしまいました。

 

 抱き下ろされても泣くようなこともありません。

 

 二条院の女君のところで果物などを貰いながらきょろきょろ辺りを見回しては、母がいないので涙目になるのも可愛らしく、乳母が出てきて何とか慰めてごまかしました。

 

 ただでさえ侘しい山里はこれからどうなるなかと心配になるのは残念ですが、これから毎日思うままに育て上げ一緒にいられると思うと、これで良かったんだという気分になります。

 

 「どうしでなんだか、誰が見ても文句のつけようのない子は、こっちじゃ生れないんだな。」

 

と悔しい気もします。

 

 しばらくは、今までいた人たちを探して泣いたりもしてましたが、大方人見知りもなく陽気な性格なので、新しい母にもすぐに馴染んで、「やばい、まじ可愛い子ができちゃった」と思いました。

 

 当たり前のように抱きしめては一緒に遊んだりして、乳母とも自然と親しくなりました。

 

 もう一人高貴な出の乳母が加えられました。

 

 (ちゃっ)()の儀も別にそんな急いでやることもなかったのですが、その様子は通常のものではありません。

 

 調度や飾りや何かは雛遊びをイメージしたもので、なかなか興味深いものです。

 

 参列した客人たちもほとんどいつもの延長のようなもので、特に目立ったものではありません。

 

 ただ、姫君の(たすき)を引き結べば、胸元あたりがますます可愛らしくなりました。

 

 桂川の方では、子供のことをいろいろ思っては、自分にもっと何かできなかったのか、更なる悩みが加わりました。

 

 そういえば尼君もますます涙もろくはなったものの、(ちゃっ)()の儀がきちんと行われたことを聞いて喜んでました。

 

 こちらから贈るようなものは何もなかったので、ただ姥を初めとするお付の人達のことを思って、特別の色合いの装束を急いで送ってやりました。

 

 源氏の大臣も、ここで疎遠になってしまって「やっぱしな」と思われてもいけないので、年内にまたこっそりと出かけてゆきました。

 

 以前にもまして淋しくなった住まいでは、一日世話をしていた子供もいなくなって、また自虐的になってないかと思うと心苦しくて、手紙も欠かさずに届けさせていました。

 

 二条院の女君も今の所特に恨み言も言わず、子供が可愛いから許すといったところでしょう。

 

   *

 

 年が明けました。

 

 二条院では麗らかな空に何も思うこともないといった感じで、さらに磨きのかかった装束を着ていつになくお目出度く、七日には官位を賜った重鎮たちがぞろぞろと年賀のお祝いにやってきました。

 

 若くして官位を得た人は満面の笑みを浮かべています。

 

 下々の人達はいろいろ心の中では思うこともあるのでしょうけど、こういう御時勢なのでどこか誇らしげに見えます。

 

 二条院東の院に移ってた花散る里の人達もご機嫌で、願いがかなったような様子で、使えている女房や童女(わらわべ)の姿も隙がなく、仕事に励んでましたが、近いということもあって暇な時には時間を割いて急に通ってきたりすることもありますが、夜に通ってきて泊って行くようなことはさすがにしません。

 

 それでも穏やかな性格なのか無邪気に、「こうなるのは当然のことよ、ほほほ」とばかりにすっかり満足しきった様子で、折々の社交儀礼なども正妻と同じように扱われて軽んじられることがなかったので、ここにも大勢の来訪者がやってきましたが、別当(べとう)などの事務官たちも仕事熱心で統率が取れていて、安心して見てられます。

 

 山里の憂鬱のことが頭から離れず、公私ともいろいろ忙しい中で、通わなければという思いも募り、桜色の直衣(のうし)に最高の御衣(おんぞ)を重ねて着て、香を焚き締め、身支度を整えて出かけてゆくと、まん丸な夕陽に赤く照らされて輝く様を、二条院の女君はただ事ではないと思いながら見送ります。

 

 姫君は無邪気に指貫の裾にを掴んですっかりなついていましたが、外に出るときには立ち止まって、まじ可愛いと思いました。

 

 なだめながらも「♪明日帰えろうか」とそう言いながら待たせる男のはやり歌を口ずさんで出発しようとすると、(わた)殿(どの)の戸口で待っていた中将の君らか言伝を聞かされました。

 

 船を止める遠くの人もいないから

     明日は帰るといつまでも待つのね

 

 すっかりお約束になった反応に、何やら嬉しくてしょうがないというふうに微笑み、

 

 行ってみて明日は帰るさなまじっか

     遠くの人が引き留めたとて

 

 何のことかわからずに遊びはしゃいでいる子供がとにかく可愛くて、遠くの人が妬ましくても、まいっかと許しちゃうのでした。

 

 「さぞかし恋しがってることでしょうね。

 

 私だってやばいと思うもの。」

 

と目で追いながら懐に抱きよせると、出てこないおっぱいを口に含むのも可愛らしくて、見てて飽きません。

 

 女房達は、

 

 「これが本当の子でしたらねえ。」

 

 「まったくよねえ。」

 

などと言ってました。

 

 あちらでは大変長閑に至れり尽くせりの生活をしていて、家の様子も他とは違う一風変わった造りで、住む人の立ち居振る舞いも見るたびに皇子や大臣クラスと言われてもわからないくらいに劣る所がなく、容貌も仕草も大人の風格が出てきています。

 

 「そんじょそこらにいるような女性であればその程度と思う所だが、これだけの人が偏屈な親の評判や何かで埋もれてしまったのは残念なことだ。家柄も悪くないのにな。」

 

などと考えます。

 

 ほんのちょっと会うだけではやはり飽き足らないし、このまま悶々として帰るのも不本意で、これも「夢のわたりの浮橋か」と悩みつつ箏があったのを引き寄せて、明石の夜更けの入道とのセッションのことも思い出して琵琶を弾くように勧め、少し合わせて見て、「やっぱ同じように弾きこなすんだな」と思いました。

 

 姫君のことなどもいろいろ語り合ったりしました。

 

 こんな田舎ではあるものの、こうして泊って行く時があればちょっとした酒のおつまみや(こわ)(いい)などを食べてゆくこともありました。(当時は一日二食で、明るいうちに夕食を済ませていました。)

 

 近くにある嵯峨野の御堂に用があるので桂に建てた別邸に行くと言ってごまかして、マジに熱を入れ挙げているわけではないけど、明らかに中途半端な十人並みの扱いをしてない辺りは、世間も特別な人だと思っていることでしょう。

 

 明石の女君もその気持ちは十分わかっていることで、出過ぎたこともしなければ卑下することもなく、源氏の決めたことに異を唱えることもなく、当たり障りなく振舞ってます。

 

 皇族の娘の所に行くときでさえ、こんな打ち解けた態度をとることもなく、紳士的にふるまっていると聞いていたので、近い所で一緒に暮らしたらかえって馴れ馴れしくしているように見えて人に見下されることもあるし、時々こういうふうにわざわざ来てくれるくらいの方がちょうどいいんだと思いました。

 

 明石入道も仏道に専念するようなことを言ってたけど、源氏の意向やこちらでどんな暮らしをしているか気になってしょうがなくて、人を遣わしてはやきもきしていて、嬉しく晴れがましく思うこともたくさんありました。

 

   *

 

 その頃、太政大臣が亡くなりました。

 

 重鎮と呼ばれる方だっただけに御門も悲嘆に暮れています。

 

 かつて暫く政界を離れていた頃もみんな大騒ぎしましたが、それが亡くなったとなれば多くの人が悲しむのも当然です。

 

 源氏の大臣もひどく困惑してまして、というのも政治のことを任せっきりにして、他のことに割く余裕もあったのですが、これから忙しくなると思うと心細く、悩ましい所です。

 

 御門も歳のわりには大人っぽく貫禄もついてきて、政治の方もそんな心配をするようなことはないのですが、これと言った後見もなく、源氏もまだまだ政界から身を引いて出家してのんびりするわけにもいかず、残念な所です。

 

 法要なども太政大臣の親族以上に篤く弔い、お世話をしました。

 

 その年は疫病の流行などで世間も騒然として、朝廷の風水の方にも凶兆が多くて不穏な空気に包まれました。

 

 空には彗星が出現したり、雲の動きにもいろいろ悪い兆候が見られ、世間の人も驚くことが多くて、そのつど(かんがえ)(ぶみ)が奏上されてきて、その中には通常ないような怪異のことなども混じってました。

 

 源氏の大臣にのみ、あの厄介な問題のせいかと心の中に思い当たることがありました。

 

 中宮は春の初めから病気になっていて、三月には容態が悪化し、院が見舞いに来ました。

 

 先代の院が亡くなられた頃はまだ幼くて、まだ死の意味がよくわかってなかったようでしたが、中宮の大病にはすっかり打ちひしがれたようで、中宮も悲しみが込み上げて来ます。

 

 「今年は厄年で不幸は遁れられないと思ってはいましたが、まだそんな深刻なことになるとも思わなかったし、死を悟ったような顔していても大袈裟に気を使われてしまうだけなので、特別仏殿に励んで功徳を積むようなこともせず、普段通りにしてきました。

 

 参内してのんびりと昔話でもしようと思いながら、病状がなかなか落ち着いてくれないので、残念ながら悶々と過ごしてましてよ。」

 

と、だいぶ気を落としている様子です。

 

 中宮は三十七歳でした。

 

 まだ大変若々しく、それが残念で悲しいことだと思います。

 

 「慎まなくてはならない年齢で、公に顔を出すこともないまま過ごされていたことも悔やまれるというのに、そんな周りの気遣いまでされて祈祷などもしなかったとはのう。」

 

と、とんでもないことになってしまったと思いました。

 

 ようやく最近になっていろいろな祈祷などをさせていました。

 

 いつもの持病と思って油断しているのを、源氏の大臣も随分と心配していました。

 

 御幸のスケジュールの都合もあって、すぐに帰らなくてはならなかったのも、重ねて悲しいことでした。

 

 中宮はとにかく苦しんでいて、うまく説明できません。

 

 心の中で思っているのは、高貴な生まれで常に頂点にいて、抱えているものも人一倍あったんだということでした。

 

 あのことを今の院には夢でさえ知らせることのできないのはさすがに心苦しく、これだけが後ろめたく心の中に絡みついていて、死後に怨霊として残ってしまうのではないかと思いました。

 

 源氏の大臣は朝廷で立て続けに高貴な人が亡くなると思うと、悲しみに堪えられません。

 

 秘密にしているあの日のことも悲しくて、祈らない日はありません。

 

 相手が出家の身となったためにその種の気持ちを伝えることができず、このままもう二度とそのことを言えなくなるのだと思うと絶望的な気持ちになりつつ、御几帳(みきちょう)の近くで寄り添い、中宮の様子を世話している女房たちに聞いては、一番親しくしている人から話を詳しく聞きます。

 

 「ここんところずっと病気で苦しんでいたのに、仏様へのお勤めなどは絶やすことなかったため、ますます衰弱がひどくなるばかりで、この頃はミカンすら喉を通らなくなって、施しようがないのです。」

 

と言うと、みんな泣いて悲しむばかりでした。

 

 「亡き院の御遺言で御門の後見になっていただいたことは‥‥、本当によくわかっていたの‥‥、何かの機会にその感謝の心をお伝えできるかと思ってそのままになってしまっていて‥‥、そのことが悲しくてとても残念に思います‥‥。」

 

と、かすれるような声で幽かに聞こえてくると、答えることもできずに源氏の大臣も泣き出すさまは、これ以上何とも言えません。

 

 こんなに弱気になってどうするんだと人目のあることを思い出すものの、若かった頃の美貌や今の出家した勿体ないお姿も、どうしようもない運命にあらがうすべもなく、今さら何を言えるんだと悩むばかりです。

 

 「大したこともできない身でも、亡き院の遺言で御門の後見を仕り、精いっぱい手を抜くことなくやってきたものの、太政大臣も亡くなり、その悲しみもまだ癒えぬうちにまたこんなことになって、とにかくどうすればいいのか途方に暮れて、もう自分も長くないのではないかと思います。」

 

などと言っているうちに大殿油の火がふっと消えるように中宮はお亡くなりになり、言いようもない悲しさに打ちひしがれるのみです。

 

 高貴な上に高貴な身分とされている中でも、世のためにみんなのために繊細な気配りを見せる人で、家柄が良いからって逆らえず、人々の憂鬱の種になることなんか普通はあるものの、そういう所がまったくなく、下々の無駄な気遣いも負担になるということが分かってて、やめさせるような人でした。

 

 仏道の方でも、要求されるままに金をつぎ込んで、無駄に荘厳にしたり奇抜なことをしたりする人なども昔の賢帝の御代にはあったことですが、この中宮入道はそのようなこともなく、元からある宝物や分相応の職や官位や俸禄をあたえるだけで、本当に思慮深く節度をわきまえた人でしたので、得体の知れぬ山伏までもがその死を惜しんでました。

 

 埋葬の際もその徳は天下に響き渡り、悲しいと思わない人はいません。

 

 宮中の人達はみんな黒い喪服を着て、本来の華やかさには程遠い春の暮でした。

 

 二条院の庭前の桜を見ても、いつもなら花の宴をしていたことを思い出します。

 

 「今年ばかりは墨染に咲け」という古歌を思い出しては頷いていると、なにやら疑いを掛けられそうな気配もあって、持仏堂に籠って一日泣きました。

 

 夕日が辺りを赤く染め、山際の梢がシルエットになると、薄くたなびく雲が濃灰色になり、周りの何事も見えてなかった心に刺さるものもあります。

 

 夕焼けの峯にたなびく薄雲は

     喪服の袖の色かと思う

 

誰にも聞こえない所で残念。

 

   *

 

 四十九日も過ぎてようやく平静を取り戻した頃、御門はなんとも心細そうです。

 

 中宮入道の母だった御(きさき)様の頃からずっと代々の祈祷を行ってきた僧都は、中宮入道とも懇意の仲で、朝廷でも重んじられていて厳粛に祈願をこなし、世間の尊敬を集めている(ひじり)でした。

 

 歳は七十かそこらですが、今は自分の来世を祈るためにお籠りをしてましたが、中宮入道の葬儀の際にやってきたところ内裏から召集があり、今は御所に常駐しています。

 

 こういう時だから、以前のように御門に仕えてくれるよう源氏の大臣から勧められましたが、

 

 「昨今、夜勤など到底耐えられる自信はあらぬが、仰せの御言葉有り難きにして、こは昔からの縁とも言わん。」

 

と言ってお仕えしたものの、静かな明方、訪ねてくる人もなく側近たちも退出してしまっている時、古風に咳ばらいをして様々な報告のついでに、

 

 「これは甚だ申し上げるのもためらわれることで、罪過を負う懸念もあってか憚る者も多いことではありまするが、御謹告しないのも罪重く、お天道様の眼を欺きとおすのも恐ろしいことで胸の痞えにもなっていることでして、我が命の果なばすべて無に帰すことでもありまする。

 

 仏様も下衆なと思うやもしれませぬ。」

 

などと御門に申し出て、言うに言えないことを仄めかします。

 

 御門は何を言い出すんだ、この世に執着する恨みでもあるのか、

 

 法師というのはは(ひじり)とはいっても、異常なまでに妬み嫉みに深く染まった困った奴が多いからなと思い、

 

 「幼いころから何隔てなく隠し事などないと思ってたのに、そちの腹にしまっておったことがあったとは辛いことだ。」

 

と言えば、

 

 「何とも恐縮。

 

 たとえ仏の他言を禁じたる秘密の真言の深き道であっても、隠すことなく広めて参ったものです。

 

 まして心にやましいことなど何一つありませぬ。

 

 これは前世来世も含めた一大事でして、崩御なされた先の院、中宮様、ひいては源氏の大臣にとってすべて良からぬ噂として漏洩するやもしてませぬ。

 

 このような老いぼれ法師の身には、たとえ難を受けようとも何の悔いがありましょうか。

 

 天の仏さまのお告げがあって御謹告申し上げまする。

 

 陛下のご懐妊となった時より、亡き中宮様の深くお嘆きになることがありまして、祈祷の役を仕るにも深い事情がありました。

 

 詳細は法師めの心には察するに余りありまする。

 

 諸事の行き違いがありまして、源の大臣の不当な罪に問われましたる時、いよいよ恐ろしくなりまして重ね重ねお祈りを承りましたが、源氏の大臣もそれを知っては、更なる御祈祷を加えるよう申し使い、貴殿の即位の時まで努めてまいりました。

 

 して、その内容とは‥‥。」

 

などと長々と話すのを聞いているうちに、とにかく奇々怪々、恐ろしくもあり悲しくもあり、とにかく動揺は隠しきれません。

 

 しばらく御門がお答えできずにいると、僧都は、

 

 「出過ぎたことを申し上げたでしょうか。」

 

と面倒なことになりそうなので俄かに姿勢を正し、退出しようとするところを引き留めて、

 

 「知らないでいたなら後の世に罰を受けるところだった。

 

 今まで隠してきたというのは、朕の至らなさからだったか。

 

 ところで、このことを知ってそれを言いふらしている奴はいるのか?」

 

 「いえ、私めと王命婦(おうみょうぶ)以外にこのことに感づいている者はおりませぬ。

 

 だからこそ、すこぶる恐ろしのです。

 

 天変地異が重なり世間が騒然としているのも、兆候と言えましょう。

 

 幼くて物心つかなかった頃には何でもなくても、今は十分な年齢に達し、物の分別のつくようになったということで、天罰が下ったのです。

 

 万事先代の御代より始まったことでありまする。

 

 何の罪とも承知せぬことが恐ろしいことで、心の中で忘れようとしてきたことですが、あえてそれを申し上げた次第です。」

 

と泣き顔になって申し上げるうちに夜も明け、退出しました。

 

 御門は悪夢とも言えるやばいことを聞いてしまって、あれこれ煩悶しました。

 

 亡き院にも申し訳ない気がしてきて、源氏の大臣が臣下に下って政務を行っていることも気の毒で合わせる顔がないなど、あれこれ思い悩んで、日が高くなるまで寝室に籠ってました。

 

 「何があったんだ。」

 

とばかりにびっくりしてやって来た源氏の大臣の姿を見て、ついに堪えきれなくなって涙をこぼすのを、源氏の大臣は、

 

 「そうか。

 

 母君が亡くなったことを涙の枯れることなく悲しみ続けてきたんだな。」

 

と思いやりました。

 

 その日、今度は式部の卿の親王が亡くなったという報告があり、追い打ちをかけて様に御門は世間の混乱を嘆き悲しみました。

 

 そんな状態なので源氏の大臣も二条院に帰ることもできず、側に控えています。

 

 しんみりとこのたびの訃報のことを語ると、

 

 「朕の世も終わるのだろうか。

 

 何とも不安で尋常のことではない気がするし、天下もこんな穏やかならぬことになっていて、あれこれ騒然としている。

 

 亡き中宮の意向もあったし、世間のことを思ってもここで投げ出すわけにもいかないとは思ってたが、正直今は楽になりたい。」

 

と話し始めるのでした。

 

 「それは言うべきことではありません。

 

 今回の一連の出来事は必ずしも政治の良し悪しによるものとは限りません。

 

 栄えている治世であっても、人の死や災害など普通にあることです。

 

 中国の先王の治世でも、国の乱れるようなことはありました。

 

 我が国でも同じことです。

 

 まして寿命は天命です。天寿を全うした者にそんな自責の念にかられる必要はありません。」

 

などとあれこれ知識を引き出しては説得しました。それを私なんぞが真似して言っても痛いだけですね。

 

 通常の喪服よりもさらに黒い喪服を着てやつれ果てた御門の姿は、源氏の大臣にそっくりです。

 

 御門もいつも鏡を見て思っていたことでしたが、あの話を聞いた後となるといつもよりも源氏の顔をまじまじと見つめると、悲しくなってきて、何とかこのことをそれとなく伝えることができないかと思ってはみるものの、さすがにはしたないと思い、若者らしく身を慎んで、今は言い出すこともできないまま、ただ当たり障りのない話題を、いつも以上に親し気に話すのでした。

 

 何か急によそよそしくなったみたいでいつもと様子が違うことは、源氏の大臣の目をごまかすことはできませんが、まさかあのことを聞いてしまったとは思いませんでした。

 

 御門は王命婦に詳しいことを聞こうと思いましたが、今更そのような秘密にしてきたことを知ったなんて思われたくないだろうし、ただ、源氏の大臣に何とか仄めかして聞き出して、過去の事例などを聞いてみようと思ってはみるものの、なかなかその機会もありません。

 

 様々な書物を読んでみると、中国では王朝の交替は多いし、密通によって密かに入れ替わった例も結構あるようです。

 

 これに対し、日本にはそうした例はありません。

 

 「たとえあったとしても、自分のような隠されていた真実を果たして後世に伝え残そうとするだろうか。

 

 天皇の子でありながら源氏の姓をを賜り臣下に下った者が、納言になり大臣になり、更に親王にもどり皇位に就いた例もいくつもある。

 

 人柄の優れているこのもあるし、源氏の大臣に譲位するという手もある」

 

などと、いろいろ考えました。

 

 秋の司召(つかさめし)で源氏が太政大臣になることが内定していると聞いて、御門は思ったことを話してみるものの、源氏の大臣はそんな滅茶恥ずかしいし畏れ多いし、とにかくあってはならないことだと固辞します。

 

 「今は亡き院の気持ちとしては、沢山いる親王の中で自分のことを特別大事にしてくれていながら、皇位を譲るなんてことは微塵にも考えてなかった。

 

 どうしてその意思に反して登ってはいけない位に就くことができようか。

 

 ただ、最初から決まっていた通り、臣下として朝廷に仕え、今少し歳を重ねたなら引退して仏道に専念しようかと思っている。」

 

と今まで通りの主張を繰り返すだけなのが、とても残念に思いました。

 

 太政大臣就任の決定はありましたが、ちょっと待ってくれとという源氏の意向で、官位だけ従一位になり、牛車での参内を許されることになりましたが、御門はそれに飽き足らず申し訳ないように思って、なおも親王になるように打診するのですが、それだと御門の政務を補佐する人がいません。

 

 故太政大臣の息子の権中納言(昔の頭の中将)が大納言になり、右大将を兼任することになりましたが、更に昇進して大臣になったなら政務の方はそちらに任せて隠棲しようと思います。

 

 いろいろと推察するに、亡き中宮にも汚名をそそぐことだし、御門があのように思い悩んでいるのを見ても自分のせいだと思うと恥じ入るばかりだし、誰かがあのことをばらしたという疑いがもたれます。

 

 王命婦は御匣殿(みくしげどの)別当の交替によって部屋を与えられ、参内してました。

 

 「あのことをひょっとして、何か物のついでに、ほんのちょっとでも口外するようなことはなかったかい。」

 

と問い詰めてみましたが、

 

 「とんでも。ほんの少しでも御門の御耳に触れることがあったら天地がひっくり返ってしまいます。

 

 そうはいっても、このことで御門自身も罪に問われることはないかとずっと心配はしていました。」

 

と言うのを聞いて、あらためて亡き中宮が本当にうまくやってくれたんだなと、惚れ直す思いでした。

 

   *

 

 六条御息所の娘の斎宮女御は源氏の大臣の後押しで、思惑通りに後宮で確固たる地位についてました。

 

 宮中での気遣いや立ち居振る舞いも思った通り理想的なので、どこへ出しても恥ずかしように精いっぱいの援助をしました。

 

 秋の頃二条院にやってきました。

 

 用いてなかった中央の寝殿に調度などしつらえて、更に輝くばかりの豪華絢爛にして、今はすっかり親になったかのようにもてなし、お世話しました。

 

 秋の雨がしとしとと降って、前庭の植え込みのいろいろな花に露がびっしりときらめいていて、昔のこともいろいろ思い出されます。

 

 袖を濡らしながら源氏の大臣は女御の所へ向かいます。

 

 深みのある濃灰色の直衣を着て、世間が不幸続きなのに紛れるように亡き中宮の弔いを続けていて、数珠を隠し持って中宮に特別な思い入れなどないふうに装っているあたりが、どこか哀愁を含んだ艶めかしさを漂わせ、御簾の内に入ってゆきます。

 

 几帳を隔てるだけの所で、直接話しかけます。

 

 「前庭の植え込みでは、どの花もみな衣の紐を解いてる。

 

 このような穏やかならぬ年でも花というのはわきまえたもので、癒される。」

 

と言って柱に寄りかかる源氏の君は夕映えに照らされて、何て美しいんでしょう。

 

 昔話のついでに、あの野々宮に母の御息所を尋ねて行った明け方のことなどを話して聞かせます。

 

 斎宮も「そんなことがあったの」と思い、少し涙ぐむ様子がまじ可愛らしく、わずかに体を動かしているような様子が、はっとさせるような優美さな仕草を感じさせます。

 

 直に見ることができないのが残念と胸が締め付けられるのか、不服なようです。

 

 「若かった頃は、そんなに悩むようなことがないように見えても、ついつい浮気心で悩み事が絶えなかった。

 

 やるべきではなかった悔やまれることもたくさんある中に、ついに未だに心のしこりになっていることが二つある。

 

 その一つは今言ったことだ。

 

 一途に思い詰めて心を痛めたまま亡くなってしまったことで、生涯に渡る遺恨をのこしてしまったが、こうやってあなたのお世話をして、その姿を見ることがせめてもの慰めになっている。

 

 ただ、昔の恋の炎の烟が、今でも心のつかえになっていて、もやもやしたままになっている。」

 

 そうは言っても、もう一つのことは言いませんでした。

 

 「須磨に隠棲していた時には、今まで迷惑をかけた人達のことを思い、少しづつでも償っていこうと思った。

 

 東の院にいる人も、中途半端な状態にして悪いことをしたと思っていたが、今はちょと一安心というところだ。

 

 邪気のない人なので、お互い恨みっこなしで今はさっぱりとしてものだ。

 

 今思ってみるとな、朝廷の後見など務める悦びもさることながら、まあこうした浮気者というのは、なかなか抑えることのできない思いを普段は抑えて後ろ盾になっているもので、わかってるよね。

 

 その気持ちを可哀想とすら思ってくれないなんて虚しいなあ。」

 

と口説き始めたので、さすがにうざいと思って答えないでいると、

 

 「ああああ、何か愚痴になっちゃったなああ。」

 

と言ってごまかしました。

 

 「今は何とか波乱もなく、生きている間は悔いのないように、後生へのお勤めなども思う存分やりながら引き籠って過ごしたいなと思っているが、この世の思い出にできるようなことがないのが残念なんだ。

 

 今は取るに足らぬ幼い姫君でも成長するのがずっと待たなくてはな。

 

 恐縮だけど、この源氏一門の繁栄のために、俺がいなくなってもわすれないでくれよな。」

 

 返事は大変控えめな感じで、やっとのことで一言ばかりかすかに聞こえてくるような状態で、愛しくてしょうがないとばかりにそれに聞き入って、日が暮れるまで静かにそこにいました。

 

 「後を託す人への望みはともかくとして、一年のうちに移り変って行くその時々の花や紅葉や空の様子などをながめても、心を満たすのも悪くはない。

 

 春の花の林、秋の野の花盛り、どっちが良いかなんてちょっとした議論になるけど、その二つの季節のどっちが趣きがあるかと言うと、なかなか決められないものがある。

 

 中国では春の花の錦に如かずと言うし、日本の古歌では秋の哀れが勝ると歌われている。

 

 どちらも毎年のように見てきているんだが、どれもこれも風情があって、花も鳥も甲乙つけがたいんだが。

 

 狭い垣根の内側でもその季節の情のわかるように、春の花の木も植え、秋の草をも移植してそこいらの野で捕まえた虫でも棲ませて、見る人を楽しませたいんだが、どっちの方がよろしいかと。」

 

と尋ねれば、

 

 そう言われてもよくわからないと思いながらも、返事しないのもなんなので、

 

 「でしたら私なんぞに聞かれてましても。

 

 どちらとも言えませんけど‥‥。秋の夕べは不思議と人恋しくて、儚く消える露のように胸が詰まります‥‥。」

 

と消え入るような頼りない声がまた可愛らしくて、我慢できずに、

 

 「その情をともにしたいな俺だって

     人知れず秋の風は身に染みる」

 

 「それはちょっと容認できないわね。」

 

と言っては、返す歌もないという様子でした。

 

 ここで一気に迫ることができなかったのは、痛恨の極みでしょうね。

 

 もう少しで間違いをしでかす所でしたが、女御がきもいと思うのも無理もないと思い、「もう若くないんだから」と反省してすっかり落ち込んでしまう姿も、何とも年甲斐もなく可愛くも思えますが、すっかり機嫌を損ねたようです。

 

 こそっと奥の部屋に下がってしまった様子なので、

 

 「どんなけ俺のことが嫌いなのかよ。

 

 思いやりのある人ならこんな仕打ちはしない。

 

 これから先憎んだりすんなよ。

 

 お前だってつらいだろっ!」

 

と捨て台詞を言って帰って行きました。

 

 源氏の焚き染めた香の匂いが残ってるのも気色悪いでしょうね。

 

 お付の女房達は御格子(みこうし)の所に集まり、

 

 「この敷物の移り香、初めて。」

 

 「どこからこんな柳の枝に桜を咲かすようなことを思いつくのかしら。」

 

 「危険。危険。」

 

などと言い合ってました。

 

 西の対の方に戻ってきてもすぐに寝殿に入ろうとはせず、庇の端っこの方に寝っ転がってました。

 

 灯籠を遠くにおいて、近くの女房などを集めて何か面白い話でもさせてました。

 

 「こんなふうに無茶なことをして後悔する癖がまだ直ってなかったか。」

 

と我ながらあきれてます。

 

 「これは身分違いのことをした。

 

 これ以上ないくらいの重大な罪であっても、昔だったら若さゆえの思慮不足ということで神仏も許してくれた。」

 

とは思うものの、それにしてもあの子は思慮深くて先行き安心だと思い知るのでした。

 

 女御は秋の愁いにかこつけた下心をわかっていて、歌を返すのも悔しく恥ずかしく、こうした恋心にうんざりしてすっかり嫌になってしまったので、源氏も真面目くさって突き放したように、今までよりも親らしく振舞いました。

 

 西の対の女君には、

 

 「あの女御が秋の淋しさに心を寄せているのも風流なことだが、お前の春のあけぼのをこよなく愛するのもよくわかる。

 

 季節ごとの木や草の花を興にして、夢中になれるような音楽の宴などしてみたいな。

 

 公私ともに忙しい今の自分にはなかなか難しいが、何とかしたいもんだ。

 

 ただ出家してしまったら淋しくなると思うと悩んじゃうな。」

 

などと語らいながら‥‥。

 

   *

 

 「あの山里の人はどうしているか」と常に思い出してはいるのですが、いろいろ肩身の狭い立場なだけに、訪ねてゆくことも難しくなってます。

 

 「世の中を不条理で鬱陶しいと思っているようだが、どうしてそんなふうに思うんだろうか。

 

 気安く二条院にやって来て特別扱いされて暮らすのは身分不相応と思っているのが何とかならないか」

 

と、また例の念仏三昧にかこつけて出かけてゆきました。

 

 あれからずっと住み続けていたせいか、ぞっとするような荒れ果てた家の様子は、たとえすっかり忘れていた人の家だったとしても悲しくなることでしょう。

 

 ましてや深い仲になって子供まで作り、その子供と引き離される、そんな辛いことばかりあったことを思うと、簡単に慰められるとも思わないし、どう取り繕っていいやらわかりません。

 

 木々の鬱蒼と茂った中から桂川の鵜舟の篝火の光が漏れる様は、遣り水の蛍みたいで心打たれます。

 

 「こんな家でさらに潮風に打たれたなら、またとないことでしょう。」

 

と言うと、

 

 「漁火の光りが忘れられなくて

     浮き船の私を慕ってきたの?

 

 あの火は私の『おもひ』なの。」

 

 ならば源氏も、

 

 「この俺の深い思いを知ってるから

     あの篝火もあんなに揺れる

 

 俺を悲しませないでくれ。」と歌を返して恨み言を言います。

 

 

 多分秋は心も物静かになる季節なので、「とうとい」ことに魅せられていつもより長く念仏の日を過ごし、少しは気もまぎれたのではないかと思います。