「秋ちかき」の巻、解説

元禄七年六月二十一日、大津木節庵にて興行

発句

 秋ちかき心の寄や四畳半     芭蕉

   しどろにふせる撫子の露   木節

 月残る夜ぶりの火影打消て    惟然

   起ると沢に下るしらさぎ   支考

 降まじる丸雪みぞれ一しきり   木節

   手のひらふいて糊ざいくする 芭蕉

 

初裏

 夕食をくはで隣の膳を待     支考

   なにの箱ともしれぬ大きさ  惟然

 宿々で咄のかはる喧嘩沙汰    芭蕉

   うぢうぢ蚤のせせるひとりね 木節

 仏壇の障子に月のさしかかり   惟然

   梁から弓のおつる秋風    支考

 八朔の礼はそこそこ仕廻けり   木節

   舟荷の鯖の時分はづるる   芭蕉

 西美濃は地卑に水の出る所    支考

   持寄にする医者の草庵    惟然

 結かけて細縄たらぬ花の垣    木節

   足袋ぬいで干す昼のかげろふ 支考

 

 

二表

 年頭にちいさきやつら共させて  芭蕉

   隠すたよりを立ながらきく  木節

 行燈の上より白き額つき     惟然

   畳に琵琶をどつかりと置   芭蕉

 半蔀は四面に雨を見るやうに   支考

   竹の根をゆく水のさらさら  惟然

 したしたと京への枇杷を荷つれ  木節

   嫁とむすめにわる口をこく  支考

 客は皆さむくてこをる火燵の間  芭蕉

   置わすれたるものさがすなり 木節

 髪結て番に出る日の朝月夜    惟然

   木に十ばかり柿をたしなむ  芭蕉

 

二裏

 満作に中稲仕あげて喰祭     支考

   桶もたらいもあたらしき竹輪 惟然

 投うちをはづれて猫の逃あるき  木節

   首にものをかぶる掃除日   支考

 花咲て茶摘初まる裏の山     芭蕉

   つつじの肥る赤土の岸    惟然

      参考;『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注、1968、角川書店)

初表

発句

 

 秋ちかき心の寄や四畳半     芭蕉

 

 秋も近くようやく涼しくなると、何となくこうして部屋で身を寄せ合ってという気分にもなる。そういうわけでみんなよろしくと、挨拶の一句となる。

 

季語は「秋ちかき」で夏。

 

 

   秋ちかき心の寄や四畳半

 しどろにふせる撫子の露     木節

 (秋ちかき心の寄や四畳半しどろにふせる撫子の露)

 

 「しどろ」は現在では「しどろもどろ」という言葉に名残をとどめているが、秩序なく乱れたさまを言う。「しどけなし」も同じで、否定の言葉があっても同じ意味になるのは、「はしたに」「はしたなし」の例もある。今日でも「なにげに」「なにげなく」の例がある。

 秋が近いとはいえ撫子も暑さで元気がなく、そこに露が降りるところに秋が近いのが感じられる。

 秋が近いとはいい、集まった連衆のばてた様子がおかしくて「しどろにふせる」という言葉が出てきたのだろう。

 発句の「心の寄や」をうけて、そんなことないです。「しどろもどろです」という謙遜の意味もあったと思われる。

 

季語は「撫子」で夏、植物、草類。「露」は降物。

 

第三

 

   しどろにふせる撫子の露

 月残る夜ぶりの火影打消て    惟然

 (月残る夜ぶりの火影打消てしどろにふせる撫子の露)

 

 前句の露を朝露として、明け方の景色に月を添える。

 「夜ぶり」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 

 「夏の夜、カンテラやたいまつをともし、寄ってくる魚をとること。火振り。《季 夏》「雨後の月誰 (た) そや―の脛 (はぎ) 白き/蕪村」

 

とある。漁火と違うのは、漁火が船で灯すのに対し、夜ぶりは地上で灯す。蕪村の句は夜ぶりの火に照らし出された白い脛が、日に焼けた漁師や農夫のものではないな、ということか。蕪村のことだから若い娘でも見つけたか。蕪村のいい所はこういう性的マジョリティーの好みを的確に捉えているところだ。

 夜ぶりの火影(ほかげ)も消えて月残る朝に撫子の露がきらきらしている。

 

季語は「夜ぶり」で夏、夜分、水辺。「月残る」は夜分、天象。

 

四句目

 

   月残る夜ぶりの火影打消て

 起ると沢に下るしらさぎ     支考

 (月残る夜ぶりの火影打消て起ると沢に下るしらさぎ)

 

 魚を取る村人が去っていった後、目を覚ました白鷺が沢に下りてきて、魚を取り始める。「夜ぶり」に「しらさぎ」とどちらも魚取りというところでまとめるのは、支考一流の響き付けといっていいだろう。

 

無季。「沢」は水辺。「しらさぎ」は鳥類。

 

五句目

 

   起ると沢に下るしらさぎ

 降まじる丸雪みぞれ一しきり   木節

 (降まじる丸雪みぞれ一しきり起ると沢に下るしらさぎ)

 

 「しらさぎ」は無季なので冬に転じる。明け方の時雨が寒さで丸雪(あられ)やみぞれ交じりになったか、ばらばらと音を立てて、目が覚めれば沢に白鷺の姿がある。霰で薄っすら白くなった中に白鷺の姿が映え、絵画のような趣向だ。雪舟の「花鳥図屏風」の左隻には雪の白鷺が描かれているが、それに近い。

 

季語は「丸雪みぞれ」で冬、降物。脇の「露」から二句しか隔ててない。

 

六句目

 

   降まじる丸雪みぞれ一しきり

 手のひらふいて糊ざいくする   芭蕉

 (降まじる丸雪みぞれ一しきり手のひらふいて糊ざいくする)

 

 「糊ざいく」は紙に糊をつけて固めてゆく張子細工のことだろうか。冬の農閑期の副業と思われる。

 

無季。

初裏

七句目

 

   手のひらふいて糊ざいくする

 夕食をくはで隣の膳を待     支考

 (夕食をくはで隣の膳を待手のひらふいて糊ざいくする)

 

 前句の「糊ざいく」を衣類に糊を利かせることとしたか。隣の家で法要ががあり、そこの膳をあてにして夕食を抜き、失礼のないように着物はきちんと糊を利かしておく。

 

無季。

 

八句目

 

   夕食をくはで隣の膳を待

 なにの箱ともしれぬ大きさ    惟然

 (夕食をくはで隣の膳を待なにの箱ともしれぬ大きさ)

 

 棺おけのことか。それとは言わずあくまで匂わす。

 

無季。

 

九句目

 

   なにの箱ともしれぬ大きさ

 宿々で咄のかはる喧嘩沙汰    芭蕉

 (宿々で咄のかはる喧嘩沙汰なにの箱ともしれぬ大きさ)

 

 ちょっとした喧嘩でも噂で伝わってゆくうちに次第に話が盛られてゆき、本当は小さな箱が発端だったのに、いつの間にかとてつもなく大きな箱になっている。

 

無季。「宿々」は旅体。

 

十句目

 

   宿々で咄のかはる喧嘩沙汰

 うぢうぢ蚤のせせるひとりね   木節

 (宿々で咄のかはる喧嘩沙汰うぢうぢ蚤のせせるひとりね)

 

 喧嘩沙汰は単に宿で聞いた話しとして、旅のあるあるにもってゆく。

 「せせる」は今日でも「せせら笑う」に痕跡を残している。元の意味は狭いところをほじくることで、虫が刺すことも言う。人の弱点をちくちくほじくるところから、「牛流す」の巻に、

 

   蓬生におもしろげつく伏見脇

 かげんをせせる浅づけの桶   惟然

 

という用例がある。

 夏の旅に蚤虱は付き物で、『奥の細道』の、

 

 蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと  芭蕉

 

の句は有名だ。

 

季語は「蚤」で夏、虫類。

 

十一句目

 

   うぢうぢ蚤のせせるひとりね

 仏壇の障子に月のさしかかり   惟然

 (仏壇の障子に月のさしかかりうぢうぢ蚤のせせるひとりね)

 

 仏壇は元禄の頃から今のような豪華なものが作られるようになったという。ただ、こうした仏殿に障子はないので、仏壇の置かれている仏間の障子ではないかと思う。

 大きな屋敷であれば仏間は家の奥にあるが、蚤に刺されながら一人寝するような小さな家では、仏間の障子にまで月の光が差し込んでくる。

 当時の仏壇や位牌の庶民への普及を詠んだ釈教の句といえよう。それ以前は持仏を厨子に入れて安置していた。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「仏壇」は釈教。

 

十二句目

 

   仏壇の障子に月のさしかかり

 梁から弓のおつる秋風      支考

 (仏壇の障子に月のさしかかり梁から弓のおつる秋風)

 

 昔は神仏習合だったので、仏間の梁には破魔弓が飾られてたりしたのだろう。仏壇に月、破魔弓に風の相対付けで神祇に転じる。

 

季語は「秋風」で秋。「梁から弓」は意味的に神祇。

 

十三句目

 

   梁から弓のおつる秋風

 八朔の礼はそこそこ仕廻けり   木節

 (八朔の礼はそこそこ仕廻けり梁から弓のおつる秋風)

 

 「八朔」はウィキペディアによれば、

 

 「八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことである。

 新暦では8月25日ごろから9月23日ごろまでを移動する(秋分が旧暦8月中なので、早ければその29日前、遅ければ秋分当日となる)。

 この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実の節句ともいう。この『たのみ』を『頼み』にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。」

 

という。

 前句の弓を破魔弓ではなく武家の梁に置かれた和弓のことにする。それが落ちるほどの激しい秋風は台風の影響だろう。八朔の礼もそこそこに仕廻(しまい)にする。

 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」の八朔の項に、

 

 ②  陰暦八月一日前後に吹く強い風。

 

とある。

 

季語は「八朔」で秋。

 

十四句目

 

   八朔の礼はそこそこ仕廻けり

 舟荷の鯖の時分はづるる     芭蕉

 (八朔の礼はそこそこ仕廻けり舟荷の鯖の時分はづるる)

 

 鯖は秋が旬。ただし季語にはならない。

 「秋サバは嫁に食わすな」という諺もある。本来は八朔の頃から取れ始めるのだろうけど、この年はまだ鯖が上がってこなくて、八朔の礼もメインの鯖がなければとそこそこにすませる。

 

無季。

 

十五句目

 

   舟荷の鯖の時分はづるる

 西美濃は地卑に水の出る所    支考

 (西美濃は地卑に水の出る所舟荷の鯖の時分はづるる)

 

 西美濃は、「大垣地方ポータルサイト西美濃」によると、

 

 「『西美濃』は、日本列島のほぼ中央、岐阜県の西部に位置しています。揖斐川・長良川・木曽川の3つの川によってつくらえた濃尾平野が広がっており、一方は揖斐川源流部の山々に囲まれているなど、変化と起伏に富んだ自然が特徴です。」

 

とある。大垣市を中心とする岐阜県の西部で、西濃運輸の本部も大垣にある。ちなみに支考は美濃国山県郡北野村西山の出身。

 「地卑(ちひく)」は『易経』繋辞傳の言葉で、「天尊地卑、乾坤定矣。(天はたかく地はひくく、乾坤定まる)」から来ている。

 このあたりは支考にも馴染みのある土地だろう。平野だが北と西は1500メートル前後の山で囲まれ、豊かな水源となっている。有名な養老の滝もある。

 よい所ではあるが、海からやや離れているため、新鮮な鯖は食べられなかったようだ。この頃はまだバッテラはなく、なれ寿司にしていた。当然それだけ時間が経っている。

 

無季。

 

十六句目

 

   西美濃は地卑に水の出る所

 持寄にする医者の草庵      惟然

 (西美濃は地卑に水の出る所持寄にする医者の草庵)

 

 西美濃は良い所だから病気になる人もなく、医者が儲からないということか。医者の草庵を尋ねるときは、みんな各々食料を持ち寄っていかねばならない。

 ちなみに今回の四人の連衆の中で、木節はこのあと芭蕉を看取ることになる医者だ。

 

無季。「医者」は人倫。「草庵」は居所。

 

十七句目

 

   持寄にする医者の草庵

 結かけて細縄たらぬ花の垣    木節

 (結かけて細縄たらぬ花の垣持寄にする医者の草庵)

 

 「花の垣」は桜でできた垣根ではなく、垣根の上に桜が咲いているという意味だろう。やや放り込み気味の「花」だ。

 垣は竹垣だと思われるが、縄が足らずに途中までで未完成になっている。貧しい医者の草庵から言い興したと思われる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   結かけて細縄たらぬ花の垣

 足袋ぬいで干す昼のかげろふ   支考

 (結かけて細縄たらぬ花の垣足袋ぬいで干す昼のかげろふ)

 

 縄が足りなくなったので作業は一時中断。足袋を脱いで作りかけの垣に干しておく。昼の日差しの強さから陽炎を添える。

 

季語は「かげろふ」で春。「足袋」は衣装。

二表

十九句目

 

   足袋ぬいで干す昼のかげろふ

 年頭にちいさきやつら共させて  芭蕉

 (年頭にちいさきやつら共させて足袋ぬいで干す昼のかげろふ)

 

 正月に転じる。おそらく僧侶とお稚児さんだろう。芭蕉の得意のネタだ。「足袋」からそれと言わずして匂わす匂い付けになる。

 

季語は「年頭」で春。「やつら」は人倫。

 

二十句目

 

   年頭にちいさきやつら共させて

 隠すたよりを立ながらきく    木節

 (年頭にちいさきやつら共させて隠すたよりを立ながらきく)

 

 「たより」は消息のこと。みんな隠していてなかなか喋ってくれない愛しい人の消息も、子供なら喋っちゃったりする。

 

無季。恋。

 

二十一句目

 

   隠すたよりを立ながらきく

 行燈の上より白き額つき     惟然

 (行燈の上より白き額つき隠すたよりを立ながらきく)

 

 よく肝試しのときに幽霊役の人は懐中電灯で顔をしたから照らしたりす

 

るが、行燈の上の白い額はまさにそれだ。「み~た~な~~」とか言いそ

 

うだ。

 

無季。

 

二十二句目

 

   行燈の上より白き額つき

 畳に琵琶をどつかりと置     芭蕉

 (行燈の上より白き額つき畳に琵琶をどつかりと置)

 

 前句を一転して琵琶法師の額にする。夜に物語しに呼ばれてきた時の情景なのだろう。

 

無季。

 

二十三句目

 

   畳に琵琶をどつかりと置

 半蔀は四面に雨を見るやうに   支考

 (半蔀は四面に雨を見るやうに畳に琵琶をどつかりと置)

 

 「半蔀(はじとみ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「上半分を外側へ吊(つ)り上げるようにし、下半分をはめ込みとした蔀戸(しとみど)。」

 

とある。謡曲の『半蔀』もあるように、この言葉は『源氏物語』の夕顔巻の最初の部分を連想させる。

 

 「御車(みくるま)いるべき門はさしたりければ、人してこれみつ(惟光)めさせて、またせ給(たま)ひけるほど、むつかしげなるおほぢのさまをみわたし給(たま)へるに、この家のかたはらに、ひがきといふ物(もの)あらたしうして、かみははじとみ四五けん斗(ばかり)あげわたして、すだれなどもいとしろうすずしげなるに、をかしきひたひつきのすきかげ、あまたみえてのぞく。」

 (車を入れようとすると門は錠が鎖されていて、人に惟光を呼んで来させて、来るのを待ちながら、ごちゃごちゃとした大通りの様子を眺めていると、乳母の家の隣に真新しい檜を編んで作った檜垣があり、その上半分は半蔀(はじとみ)という外開きの窓になっていて、それが四五軒ほど開いた状態になり、そこに掛けてある白い簾がとても涼しげで、女の可愛らしい額が透けて見えて、みんなで外を覗いているようでした。)

 

 普通の家屋の半蔀は一方しか見えない。「四面に雨を見る」というのはひょっとしたら能の舞台で用いられる人一人入れるようなボックスのことだろうか。前面が半蔀になっているが、役者がちゃんと見えるように四面は柱だけで何も覆われていない。

 そうなると、前句の琵琶は謡曲『絃上』だろうか。ここではシテの老翁が雨の降る須磨の塩屋で琵琶を弾く。

 この句はわかりにくいが、畳の上に置かれた琵琶から、これで謡曲の『絃上』を真似て、雨に琵琶を弾く雰囲気を出すとしたら、謡曲『半蔀』にあるような小さな小屋の作り物があるといいな、というそういう句だったのかもしれない。

 

無季。「雨」は降物。

 

二十四句目

 

   半蔀は四面に雨を見るやうに

 竹の根をゆく水のさらさら    惟然

 (半蔀は四面に雨を見るやうに竹の根をゆく水のさらさら)

 

 「さらさら」という擬音の使い方は、惟然の後の作風を連想させる。

 半蔀から窓の外に植えられた竹を出し、「雨を見る」を四面から流れてきた雨水としてそれが竹の根元をさらさらと流れるとする。四つ手付けで単純な景色に転じて遣り句する技術はなかなかだ。

 

無季。「竹の根」は植物、草類。「水のさらさら」は水辺。

 

二十五句目

 

   竹の根をゆく水のさらさら

 したしたと京への枇杷を荷つれ  木節

 (したしたと京への枇杷を荷つれ竹の根をゆく水のさらさら)

 

 「さらさら」に「したした」と擬音を付ける。一種の掛けてにはか。ただ、「鶯に」の巻の

 

    につと朝日に迎ふよこ雲

 すっぺりと花見の客をしまいけり  去来

 

の句は却下され、

 

    につと朝日に迎ふよこ雲

 青みたる松より花の咲こぼれ   去来

 

の句に作り直したことが『去来抄』に記されている。こういう擬音の遊びも時と場合による。花呼び出しにはひねらずに素直に応じたほうがいいようだ。

 「したした」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 

 [副]足音を立てないように歩くときのわずかな音を表す。ひたひた。

 「跫音(あしおと)を密(ひそ)めて、―と入ると」〈鏡花・日本橋〉

 

とある。京へと枇杷を荷う人も、竹の根に水が流れているところに差し掛かれば、そろりそろりと注意しながら渡る。

 

季語は「枇杷」で夏。

 

二十六句目

 

   したしたと京への枇杷を荷つれ

 嫁とむすめにわる口をこく    支考

 (したしたと京への枇杷を荷つれ嫁とむすめにわる口をこく)

 

 枇杷を荷うのは行商のおばちゃんか。売りに来た時の世間話に嫁や娘の悪口というのはありそうなことだ。

 

無季。「嫁」「娘」は人倫。

 

二十七句目

 

   嫁とむすめにわる口をこく

 客は皆さむくてこをる火燵の間  芭蕉

 (客は皆さむくてこをる火燵の間嫁とむすめにわる口をこく)

 

 人の悪口も度が過ぎれば、周りにいる人間もどう反応していいかわからず氷りつく。下手に賛同もできないし、かといって咎めるのも角が立つ。聞き流すのが一番いい。

 

   座右之銘

   人の短をいふ事なかれ

   己が長をとく事なかれ

 物言えば唇寒し秋の風      芭蕉

 

の句もある。

 「こく」は今でも「嘘こく」だとか「調子こく」だとか、良いことには用いない。

 

季語は「火燵」で冬。「客」は人倫。

 

二十八句目

 

   客は皆さむくてこをる火燵の間

 置わすれたるものさがすなり   木節

 (客は皆さむくてこをる火燵の間置わすれたるものさがすなり)

 

 みんな寒くて火燵から動かない中、部屋をうろうろするのは置き忘れたものを探しに来た亭主のみか。

 

無季。

 

二十九句目

 

   置わすれたるものさがすなり

 髪結て番に出る日の朝月夜    惟然

 (髪結て番に出る日の朝月夜置わすれたるものさがすなり)

 

 「番」は今でいうシフトに近い。早番なので朝早く髪を結って仕事に出ると朝の月が見える。「朝月夜」はほぼ有明に同じ。

 昔は髪を結うのは女とは限らない。男も髷を結う。

 

季語は「朝月夜」で秋、天象。

 

三十句目

 

   髪結て番に出る日の朝月夜

 木に十ばかり柿をたしなむ    芭蕉

 (髪結て番に出る日の朝月夜木に十ばかり柿をたしなむ)

 

 「たしなむ」は元は「たしなし(確かなし)」の動詞形で、困窮するという意味だった。おそらく同音異義語の「他事無し」と混同されてしまったのだろう。困窮してもたいしたことないと頑張ることを「たしなむ」と言うようになり、そこから物事を苦とせずに心がけるという意味になって言ったようだ。

 今では趣味や何かをほんの少しばかりかじることを「たしなみ程度」とかいうが、そういう風に近代的に解釈すると、「木に十個程度ほんの少し柿の実を楽しんでます」になるが、この時代はそうではないだろう。むしろ木に十ばかりしか柿がなってないから、食べたいけど我慢する、という意味だろう。

 朝早くから仕事に出て苦労している人だから、柿も我慢するという位付けであろう。

 

季語は「柿」で秋、植物、木類。

二裏

三十一句目

 

   木に十ばかり柿をたしなむ

 満作に中稲仕あげて喰祭     支考

 (満作に中稲仕あげて喰祭木に十ばかり柿をたしなむ)

 

 「中稲(なかて)」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』に、

 

 「[和漢三才図会]凡(およそ)八九月苅取るを中稲とす。」

 

とだけある。早稲(わせ)と晩稲(おくて)の中間。

 満作は豊年満作の満作。今年も豊作で祭も盛り上がり、みんな思いっきり喰ったせいか、柿は木に十ばかりしか残っていない。まあ、これも我慢だ。

 

季語は「中稲」で秋、植物、草類。

 

三十二句目

 

   満作に中稲仕あげて喰祭

 桶もたらいもあたらしき竹輪   惟然

 (満作に中稲仕あげて喰祭桶もたらいもあたらしき竹輪)

 

 豊作ということで桶も盥も長く使って緩んでいたたがを締めなおす。竹輪はいまでは「ちくわ」だが、「たが」という読み方もあった。

 

無季。

 

三十三句目

 

   桶もたらいもあたらしき竹輪

 投うちをはづれて猫の逃あるき  木節

 (投うちをはづれて猫の逃あるき桶もたらいもあたらしき竹輪)

 

 桶や盥の修理をやっているのか。直ったばかりの桶や盥には早速猫が入りたがる。お客さんから預った大事な商品だからと物を投げつけて猫を追っ払うものの、猫も素早くそれをかわす。

 

無季。「猫」は獣類。

 

三十四句目

 

   投うちをはづれて猫の迯あるき

 首にものをかぶる掃除日     支考

 (投うちをはづれて猫の逃あるき首にものをかぶる掃除日)

 

 「首」は「つぶり」と読む。

 表向きはほっかぶりをして掃除をしていると猫がやってきたので、それを追っ払ってという光景だが、これは幻術で、言外に首にものをかぶった猫、つまり手拭をかぶって踊る猫又を連想させる。芭蕉が「小蓑をほしげ也」という言葉から蓑笠着た猿を連想させたのと同じ手法だ。さすが支考さん。

 

無季。

 

三十五句目

 

   首にものをかぶる掃除日

 花咲て茶摘初まる裏の山     芭蕉

 (花咲て茶摘初まる裏の山首にものをかぶる掃除日)

 

 茶摘というと今では「夏も近づく八十八夜」なんて唱歌が思い浮かぶかもしれないが、新暦だと五月の初め、旧暦だと三月の終わりから四月の中頃あたりになる。いずれにしても桜の季節は終っている。

 『日本茶の歴史』(橋本素子、二〇一六、淡交社)によれば、

 

 「十八世紀の『京都御役所向大概覚書』で初摘みが立春から八十日目頃とされていることから」

 

とあるので、芭蕉の時代もそれほど変わらなかったと思われる。

 ただ、同書に、鎌倉時代は新茶が重視され、

 

 「『金沢文庫古文書』に見る最も早い時期は、二月である。鎌倉時代後期二月二十九日付『金沢貞顕書状』には、『新茶定めて出来候か、御随身あるべく候』とあり、称名寺茶園で二月二十九日までには新茶が生産されていたことになる。」

 

とある。

 宇治のような名産地を別とすれば、茶摘の時期は芭蕉の時代でも多少のばらつきがあって、鎌倉時代のような旧暦二月、桜の咲く頃に茶摘をするところもあったのかもしれない。

 前句の「掃除日」を農作業の準備のための掃除として、強引に花に持っていったという感がなくもない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「山」は山類。

 

挙句

 

   花咲て茶摘初まる裏の山

 つつじの肥る赤土の岸      惟然

 (花咲て茶摘初まる裏の山つつじの肥る赤土の岸)

 

 当時のツツジはまだ品種改良のなされる前のヤマツツジが主流だったと思われる。また、イワツツジは「言わぬ」と掛けて和歌でよく用いられている。当時ツツジといえば山や川岸などを連想させたのではないかと思われる。

 ヤマツツジは概ね赤いがイワツツジは紫がかっている。ここでは赤土の岸が紫に染まって痩せ地が肥えたように見えるということか。

 桜にお茶にツツジと豊かに彩られ、この一巻は終了する。

 ヤマツツジの方は『猿蓑』に、

 

 やまつゝじ海に見よとや夕日影    智月

 

の句もある。夕日に映える真っ赤なツツジに覆われた山は、さながら海のようだ。智月は大津膳所の人だから、この海は琵琶湖か。

 

季語は「つつじ」で春、植物、木類。「岸」は水辺。