「冬景や」の巻、解説

貞享三年の冬、江戸にて

初表

 冬景や人寒からぬ市の梅     濁子

   となりを迷ふ入逢の雪    其角

 年の貧たはら負行詠して     芭蕉

   火をたく舟の星くらき空   仙化

 鷺うごく松おもしろき磯の月   枳風

   甲にをらんすすき一むら   コ齋

 

初裏

 太刀持る童のぬれて露しぐれ   仙化

   車のみすにつつむすずむし  濁子

 尋来る友引地蔵茅朽て      其角

   うれしと飢にいちご拾はん  枳風

 櫛かがみまくらに添て残しけり  仙化

   御歌合明日とちぎる夜    其角

 加茂川の流れを胸の火にほさむ  コ齋

   萩ちりかかる市原のほね   芭蕉

 鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ    文鱗

   牛を彩なす月のそめぎぬ   濁子

 花の日を忘八の長とかしづかれ  李下

   桃になみだが一国の酔    枳風

 

 

二表

 朝がすみ賢者を流す舟みえて   芭蕉

   詞のうみと絵に讃を乞    其角

 松しまは雲居の庵に酒をのみ   李下

   心は媚ず幾とせのたび    コ齋

 四ッの時冬はあられのさらさらと 文鱗

   水仙ひらけ納豆きる音    芭蕉

 片里の庄屋のむすこ角入て    濁子

   伊勢おもひ立わらぢ菅笠   コ齋

 美濃なるや蛤ぶねの朝よばひ   仙化

   ながれに破る切籠折かけ   李下

 月入て電残る蒲すごく      濁子

   ことしの労を荷ふやき米   芭蕉

 

二裏

 塚の下母寒からむ秋の風     其角

   邦を軍にとられ行みち    コ齋

 はなのおく鳥うつ音に鐘つきて  仙化

   すり餌をゆする目白鶯    李下

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 冬景や人寒からぬ市の梅     濁子

 

 脇が其角だから其角亭で興行された可能性が高い。其角亭がどこにあったかは定かでないが、『元禄の奇才宝井其角』(田中善信著、二〇〇〇、新典社)によれば、曰人(わつじん)の『蕉門諸生全伝』の其角の父東順のところに「始メ甚右衛門町ニ居シ、人別帳、今存ス。本町ニ在り」とあり、貞享四年(一六八七)に刊行された『江戸鹿子』に、「堀江町 亀鶴」とあるのが其角だという。いずれにせよ日本橋界隈で、日本橋室町にあった魚河岸に近かったと思われる。

 市場には人がたくさんいて冬でも熱気にあふれている。それを寒い中に咲く寒梅に喩えて「市の梅」とする。ひいては、ここに集まっている人たちも、というところか。

 

季語は「冬景」で冬。「人」は人倫。「梅」は植物、木類。

 

 

   冬景や人寒からぬ市の梅

 となりを迷ふ入逢の雪      其角

 (冬景や人寒からぬ市の梅となりを迷ふ入逢の雪)

 

 市場の熱気に押されて、夕暮れの入相の鐘の鳴る頃の雪も隣へ追いやられて迷っている。

 日本橋の鐘というと、ウィキペディアに、

 

 「江戸時代の時の鐘は最初江戸城に置かれていた。その後、徳川秀忠の頃、1626年に時の鐘を辻源七が本石町三丁目(今の日本橋本町四丁目)に移し、鐘楼堂を建てた。」

 

とある。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

第三

 

   となりを迷ふ入逢の雪

 年の貧たはら負行詠して     芭蕉

 (年の貧たはら負行詠してとなりを迷ふ入逢の雪)

 

 前句の「となりを迷ふ」を隣を見て迷うとし、隣で米俵を背負っている人を詠(ながめ)して、我が身の貧しさを付ける。

 

季語は「年の貧」で冬。

 

四句目

 

   年の貧たはら負行詠して

 火をたく舟の星くらき空     仙化

 (年の貧たはら負行詠して火をたく舟の星くらき空)

 

 時の暮に夜遅くまで舟の荷揚げ作業を行う貧しさ。大晦日だと月はない。昔の人は満天の星空を美とする感覚はなく、星くらき闇と捉えていた。

 

無季。「舟」は水辺。「星」は夜分、天象。

 

五句目

 

   火をたく舟の星くらき空

 鷺うごく松おもしろき磯の月   枳風

 (鷺うごく松おもしろき磯の月火をたく舟の星くらき空)

 

 前句を漁船として磯の景色を付ける。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「鷺」は鳥類。「松」は植物、木類。「磯」は水辺。

 

六句目

 

   鷺うごく松おもしろき磯の月

 甲にをらんすすき一むら     コ齋

 (鷺うごく松おもしろき磯の月甲にをらんすすき一むら)

 

 笠の上にススキを二束刺して兜のようにしようということか。

 

季語は「すすき」で秋、植物、草類。

初裏

七句目

 

   甲にをらんすすき一むら

 太刀持る童のぬれて露しぐれ   仙化

 (太刀持る童のぬれて露しぐれ甲にをらんすすき一むら)

 

 木の枝か棒を太刀にして遊んでる子供であろう。ススキに露が降りていて、それを頭にかざそうとすると頭が露で濡れてしまう。

 

季語は「露しぐれ」で秋、降物。「童」は人倫。

 

八句目

 

   太刀持る童のぬれて露しぐれ

 車のみすにつつむすずむし    濁子

 (太刀持る童のぬれて露しぐれ車のみすにつつむすずむし)

 

 前句の「太刀持る童」を太刀持ちの侍童(さぶらいわらわ)とする。goo辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「貴人のそばに仕えて雑務をする少年。さむらいわらわ。

 「をかしげなる―の姿好ましう」〈源・夕顔〉」

 

とある。

 

季語は「すずむし」で秋、虫類。

 

九句目

 

   車のみすにつつむすずむし

 尋来る友引地蔵茅朽て      其角

 (尋来る友引地蔵茅朽て車のみすにつつむすずむし)

 

 「友引地蔵」は謎だがウィキペディアには、

 

 「六曜が中国から日本に伝来したのは14世紀の鎌倉時代とされる。江戸時代に入って六曜の暦注は流行した。しかし、その名称や解釈・順序は少しずつ変化している。例えば小泉光保の『頭書長暦』では大安、立連、則吉、赤口、小吉、虚妄となっている。六曜の先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の術語が確定するのは江戸後期のことである。」

 

とあるから、今の意味での「友引」ではなかったと思われる。単に長年会ってない友に会えるとか、そういうご利益のある地蔵なのか。

 前句を茅の朽ちた地蔵を尋ねて止めた貴族の車の周りで鳴いている鈴虫として、車を包む鈴虫の声とする。

 

無季。釈教。

 

十句目

 

   尋来る友引地蔵茅朽て

 うれしと飢にいちご拾はん    枳風

 (尋来る友引地蔵茅朽てうれしと飢にいちご拾はん)

 

 前句の「茅朽て」を飢饉として、お地蔵さんのところに来たらナワシロイチゴが実っていて、早速ご利益を得る。「うれし」は「嬉しい」と「熟れし」を掛けている。

 

季語は「いちご」で夏。

 

十一句目

 

   うれしと飢にいちご拾はん

 櫛かがみまくらに添て残しけり  仙化

 (櫛かがみまくらに添て残しけりうれしと飢にいちご拾はん)

 

 前句の「うれし」を更に「売れ」と掛ける。母に先立たれ形見に櫛と鏡を残された子は、まずはイチゴを摘んで飢えを満たす。

 

無季。

 

十二句目

 

   櫛かがみまくらに添て残しけり

 御歌合明日とちぎる夜      其角

 (櫛かがみまくらに添て残しけり御歌合明日とちぎる夜)

 

 王朝時代、通ってきた男が、明日は帝の許での歌合せがあるというので、契った後櫛と鏡を枕元に残して去ってゆく。

 

無季。恋。「夜」は夜分。

 

十三句目

 

   御歌合明日とちぎる夜

 加茂川の流れを胸の火にほさむ  コ齋

 (加茂川の流れを胸の火にほさむ御歌合明日とちぎる夜)

 

 加茂社歌合としたか。加茂川の流れも干上がるほど恋をしてというような歌を思いつく。

 

無季。恋。「加茂川」は名所、水辺。

 

十四句目

 

   加茂川の流れを胸の火にほさむ

 萩ちりかかる市原のほね     芭蕉

 (加茂川の流れを胸の火にほさむ萩ちりかかる市原のほね)

 

 京都市原の補陀落寺は小野小町の終焉の地とされている。謡曲『通小町』では、僧が市原に訪れると、

 

 秋風の吹くにつけてもあなめあなめ

     小野とは言はじ薄生ひけり

 

という歌が聞こえてくる。この歌は鴨長明の『無名抄』では、在原業平が陸奥を旅した時に、「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」という歌が聞こえてきて、行ってみると目から薄の生えた髑髏が見つかる。人に聞くとここが小野小町の終焉の地だという。そこで業平が「小野とはいはじ薄生ひけり」と付けたという物語になっている。謡曲では陸奥ではなく京都市原になっている。

 このことを踏まえて、前句を小野小町の恋歌として、市原の小町の髑髏に萩を添えて弔う歌にする。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。「市原」は名所。

 

十五句目

 

   萩ちりかかる市原のほね

 鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ    文鱗

 (鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ萩ちりかかる市原のほね)

 

 前句の骨をモズの早贄とする。モズの鳴く方に行ってみたら早贄が見つかる。

 

季語は「鵙」で秋、鳥類。

 

十六句目

 

   鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ

 牛を彩なす月のそめぎぬ     濁子

 (鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ牛を彩なす月のそめぎぬ)

 

 日は沈み月が出て牛を照らし出す。江戸時代までの日本在来牛は色の濃い黒っぽいのが多いので、この場合の「そめぎぬ」は墨染の衣、僧衣のことか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「牛」は獣類。「そめぎぬ」は衣裳。

 

十七句目

 

   牛を彩なす月のそめぎぬ

 花の日を忘八の長とかしづかれ  李下

 (花の日を忘八の長とかしづかれ牛を彩なす月のそめぎぬ)

 

 「忘八」は「くつわ」と読む。weblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「《仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)の八つの徳目のすべてを失った者の意から》郭(くるわ)通いをすること。また、その者。転じて、遊女屋。また、その主人。」

 

とある。忘八の長は女郎屋の主人ということになる。

 そうなると前句の「牛」は妓夫(ぎゅう)のことか。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「遊里で客を引く男。遣手婆について,二階の駆引き,客の応待などもした。私娼や夜鷹についている場合もある。「牛」または「牛太郎」ともいい,「妓有」とも書くが,「妓夫」の字をあてたのは明治以降のことであるといわれる。この言葉の源は,承応の頃 (1652~55) ,江戸,葺屋町の「泉風呂」で遊女を引回し,客を扱っていた久助という男にあり,『洞房語園』によると,その男の煙草 (たばこ) を吸うさまが「及 (きゅう) 」の字に似ていたので,人々が彼をして「きゅう」というようになり,それがいつしか「ぎゅう」となり,やがて,かかる男たちの惣名になった,とある。」

 

とある。

 「花の日」は花見の日だとすれば遊女や妓夫から「忘八の長」とかしづかれて機嫌を良くした長が妓夫に月のようなきれいな服を着せてやったということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「忘八の長」は人倫。

 

十八句目

 

   花の日を忘八の長とかしづかれ

 桃になみだが一国の酔      枳風

 (花の日を忘八の長とかしづかれ桃になみだが一国の酔)

 

 遊郭は傾城とも呼ばれ、これは『漢書』で美人を例えた「一顧傾人城、再顧傾人国」から来ているという。一目見れば城が傾き、もう一回見れば国が傾く。

 「桃になみだ」はおそらく前句の「花」から、杜甫の『春望』の「時に感じて花にも涙を濺ぎ」で、遊郭花街が盛り上がっていると、国は酔いしれ杜甫なら桃の花に涙をする、と勿論本気に憂いているのではなく、糞真面目な人間を笑う意味で言っているのだろう。

 

季語は「桃」で春、植物、木類。

二表

十九句目

 

   桃になみだが一国の酔

 朝がすみ賢者を流す舟みえて   芭蕉

 (朝がすみ賢者を流す舟みえて桃になみだが一国の酔)

 

 まあ、真面目な芭蕉さんだからここは本当に国が傾くことにする。国を顧みない皇帝に賢者が左遷されてゆく。杜甫も華州(現在の陝西省渭南市)の司功参軍に左遷された。

 

季語は「朝がすみ」で春、聳物。「賢者」は人倫。「舟」は水辺。

 

二十句目

 

   朝がすみ賢者を流す舟みえて

 詞のうみと絵に讃を乞      其角

 (朝がすみ賢者を流す舟みえて詞のうみと絵に讃を乞)

 

 「詞のうみ」は『和漢朗詠集』の、

 

 文峯案轡白駒景 詞海艤舟紅葉声

 文峯に轡を案ず白駒の景、

 詞海に舟を艤(よそ)ふ紅葉の声

 

に出典があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 ことばや詩歌の豊富なことを、海の広大なのにたとえていう語。

  ※和漢朗詠(1018頃)上「文峯に轡を案ず白駒の景、詞海に舟を艤(よそ)ふ紅葉の声〈大江以言〉」

  ※本朝無題詩(1162‐64頃)二・賦連句〈藤原茂明〉「文賓詩友今為レ道、詞海如何欲レ釣レ名」 〔元稹‐献滎陽公詩〕」

 

とある。

 前句の左遷されてきた賢者に詩歌の才能があるからということで絵に讃を乞う。平易な言葉でも良さそうなところをわざわざ「詞海」という言葉を引いてくるところが其角らしい。

 

無季。「うみ」は水辺。

 

二十一句目

 

   詞のうみと絵に讃を乞

 松しまは雲居の庵に酒をのみ   李下

 (松しまは雲居の庵に酒をのみ詞のうみと絵に讃を乞)

 

 雲居希膺(うんごきよう/うんごけよう)はウィキペディアに、

 

 「寛永13年(1636年)に伊達忠宗の招請があった奥州へ移り、松島の瑞巌寺を再興した。」

 

とある。後に芭蕉が書く『奥の細道』には、

 

 「雄嶋が磯は地つゞきて海に出たる嶋也。雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有あり。」

 

とある。曾良の『旅日記』にも、

 

 「御島、雲居ノ坐禅堂有。ソノ南ニ寧一山ノ碑之文有。北ニ庵有。道心者住ス。」

 

と記されている。前句の「詞の海」に松島の海を重ね合わせる。

 

無季。「松島」は名所、水辺。「庵」は居所。

 

二十二句目

 

   松しまは雲居の庵に酒をのみ

 心は媚ず幾とせのたび      コ齋

 (松しまは雲居の庵に酒をのみ心は媚ず幾とせのたび)

 

 ウィキペディアによると雲居希膺は、

 

 「宇山大平寺にて9歳で出家する。その後、東福寺、大徳寺と居を移す。慶長11年(1606年)、愚堂東寔や大愚宗築らとともに虎哉宗乙や物外招播などの当時の名だたる禅僧の下を遍参した。元和2年(1616年)に妙心寺蟠桃院の一宙東黙より嗣法する。その後、若狭国小浜、摂津国勝尾山に隠遁する。元和7年(1621年)に妙心寺で開堂の儀を行うが、自らの境涯に満足せず修行を続け寛永9年(1632年)51歳にして越智山で座禅をした際に大悟した。寛永13年(1636年)に伊達忠宗の招請があった奥州へ移り、松島の瑞巌寺を再興した。正保元年(1644年)に石馬寺を中興。正保2年(1645年)に妙心寺153世となり、慶安3年(1650年)には愛子の大梅寺を開いている。万治2年(1659年)に同寺順世し、葬られる。慈光不昧禅師、大悲円満国師と贈諡された。」

 

とまさに「心は媚ず幾とせのたび」という生き方だった。前句を「雲居は庵に酒をのみ」という意味に取り成す。

 

無季。旅体。

 

二十三句目

 

   心は媚ず幾とせのたび

 四ッの時冬はあられのさらさらと 文鱗

 (四ッの時冬はあられのさらさらと心は媚ず幾とせのたび)

 

 「四ッの時」は四時のことだが、四時はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙

  ① 春・夏・秋・冬の四つの季節の総称。四運。四季。よつのとき。しいじ。

  ※田氏家集(892頃)下・禁中瞿麦花詩三十韻「四時翫好、蘼可レ愛」

  ※俳諧・常盤屋の句合(1680)二五番「臘月の青物に、四時不変の国をおもひよせたるも奇特、左右わかちなし」 〔易経‐乾卦〕

  ② 一月中の、晦(かい)・朔(さく)・弦(げん)・望(ぼう)の四つの時。

  ③ 一日中の、朝・昼・夕方・夜の四つの時。また、黄昏・後夜・早晨・晡時の四つの時。

  ※日蓮遺文‐撰時抄(1275)「末代の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時礼懺四時の坐禅、生身仏のごとくなりしかば」

  〘名〙 昔の時刻の名。現在の午前、または午後の一〇時。

  ※藤河の記(1473頃)「夜の四つ時に八坂といふ里に舟を寄せて」

 

といろいろな意味がある。おそらくここは①であろう。

 

季語は「冬」で冬。「あられ」も冬、降物。

 

二十四句目

 

   四ッの時冬はあられのさらさらと

 水仙ひらけ納豆きる音      芭蕉

 (四ッの時冬はあられのさらさらと水仙ひらけ納豆きる音)

 

 冬の霰さらさら降る頃はもうじき水仙も咲くし、納豆は冬の寒いときに低温で熟成させる。「納豆きる」は引き割り納豆を作る作業で、芭蕉はのちの元禄三年に、

 

 納豆切る音しばし待て鉢叩き   芭蕉

 

の句を詠む。鉢叩きの音が聞こえるから納豆を切るのを待ってくれという句。

 

季語は「水仙」で冬、植物、草類。

 

二十五句目

 

   水仙ひらけ納豆きる音

 片里の庄屋のむすこ角入て    濁子

 (片里の庄屋のむすこ角入て水仙ひらけ納豆きる音)

 

 「角入(すみいれ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に「すみいれがみ(角入髪)」の略とあり、

 

 「〘名〙 元祿時代(一六八八‐一七〇四)、男性の半元服(はんげんぷく)の髪型。一四歳になった少年が、前髪の額を丸型から生えぎわどおりに剃ると角(かく)型になるところからいう。すみいれ。」

 

とある。半元服の髪形は「角前髪(すみまえがみ)」といい、「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「江戸時代、元服前の少年の髪形。前髪を立て、額の生え際の両隅をそり込んで角ばらせたもの。すみ。すんま。」

 

とある。元服すると月代を剃る。角入はその全段階で、今で言う「剃り込み」に近い。

 前句を田舎の庄屋の庭先の情景とし、庄屋の噂を付ける。

 

無季。「片里」は居所。「むすこ」は人倫。

 

二十六句目

 

   片里の庄屋のむすこ角入て

 伊勢おもひ立わらぢ菅笠     コ齋

 (片里の庄屋のむすこ角入て伊勢おもひ立わらぢ菅笠)

 

 半元服でお伊勢参り。まあ、可愛い子には旅をさせよとは言うが。

 

無季。旅体。「伊勢」は名所、水辺。「わらぢ菅笠」は衣裳。

 

二十七句目

 

   伊勢おもひ立わらぢ菅笠

 美濃なるや蛤ぶねの朝よばひ   仙化

 (美濃なるや蛤ぶねの朝よばひ伊勢おもひ立わらぢ菅笠)

 

 「よばひ」はここでは「よばふ」で何度も呼ぶこと。

 蛤と言えば桑名で伊勢国だが、ここでは前句の「わらぢ菅笠」の縁で「美濃(蓑)」にする。とはいえ、美濃は海に面してない。

 

無季。「蛤ぶね」は水辺。

 

二十八句目

 

   美濃なるや蛤ぶねの朝よばひ

 ながれに破る切籠折かけ     李下

 (美濃なるや蛤ぶねの朝よばひながれに破る切籠折かけ)

 

 「切籠折かけ」はともに盆灯籠のことで、切子灯籠はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」

 

とあり、折掛け灯籠はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「細く削った竹2本を交差させて折り曲げ、その四端を方形の薄板の四隅に挿して、紙を張った盆灯籠。《季 秋》」

 

とある。木曽川と長良川の下流域は水害多発地域でもある。精霊棚は外に置くことも多かった。

 

季語は「切籠折かけ」で秋。

 

二十九句目

 

   ながれに破る切籠折かけ

 月入て電残る蒲すごく      濁子

 (月入て電残る蒲すごくながれに破る切籠折かけ)

 

 激しい雷雨だったのだろう。夜明けには晴れてお盆の満月も沈み稲妻だけがのこり、蒲は水を被って大変なことになっている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「蒲」は植物、草類。

 

三十句目

 

   月入て電残る蒲すごく

 ことしの労を荷ふやき米     芭蕉

 (月入て電残る蒲すごくことしの労を荷ふやき米)

 

 やき米はウィキペディアに、

 

 「焼米とは、新米を籾(もみ)のまま煎(い)ってつき、殻を取り去ったもの。米の食べ方・保存法の一つ。 そのままスナック菓子として食べても良いし、汁物に浮かべて粥にして食べるという雑多な利用法があった。米粒状・粉状と形態も様々である。」

 

とある。収穫して精米せずにすぐに食べられるので、稲刈りの後に食べたのであろう。前句を夕暮れの景色に転じる。

 

季語は「やき米」で秋。

二裏

三十一句目

 

   ことしの労を荷ふやき米

 塚の下母寒からむ秋の風     其角

 (塚の下母寒からむ秋の風ことしの労を荷ふやき米)

 

 収穫したばかりの稲で作ったやき米を母の墓所に供える。

 

季語は「秋の風」で秋。「母」は人倫。

 

三十二句目

 

   塚の下母寒からむ秋の風

 邦を軍にとられ行みち      コ齋

 (塚の下母寒からむ秋の風邦を軍にとられ行みち)

 

 母を失い古郷は他国に占領され、農地を失い他国へと逃れる。

 

無季。旅体。

 

三十三句目

 

   邦を軍にとられ行みち

 はなのおく鳥うつ音に鐘つきて  仙化

 (はなのおく鳥うつ音に鐘つきて邦を軍にとられ行みち)

 

 義経の吉野潜伏とも取れなくはないが、ここは間の二句が欠落していると見た方が良いのだろう。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。「鳥」は鳥類。

 

挙句

 

   はなのおく鳥うつ音に鐘つきて

 すり餌をゆする目白鶯      李下

 (はなのおく鳥うつ音に鐘つきてすり餌をゆする目白鶯)

 

 「すり餌」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 小鳥を飼うのに用いる日本独特の飼料。川魚を焼いてすりつぶした粉と、糠と玄米粉を煎(い)った粉をこしらえておき、鳥に与える時に青葉やハコベをすりつぶしたものとともに水で練って用いる。煎糠と川魚粉の割合はふつう一〇対五でこれを五分餌と呼び、川魚粉を多くし、七分餌、八分餌などを与えることもある。腐りやすいので毎日調製しなければならない。昆虫を主食とする小鳥はヒエやアワなどの穀類で飼うことができないために工夫された。〔運歩色葉(1548)〕

  ※俳諧・桜川(1674)春一「法華経の鳥のすり餌は法味哉〈治尚〉」

 

とある。前句の「鳥うつ音」を鳥の羽打つ音として、飼われているメジロとウグイスとする。これにて殺生もなく目出度く一巻は終了する。

 

季語は「目白鶯」で春、鳥類。