「錦どる」の巻、解説

天和二年春

初表

 錦どる都にうらん百つつじ     麋塒

    花ざくら 二番 山吹      千春

 風の愛三線の記を和らげて     卜尺

   雨双六に雷を忘るる      暁雲

 宵うつり盞の陣を退リける     其角

   せんじ所の茶に月を汲     芭蕉

 霧軽く寒や温やの語ヲ尽ス     素堂

   梧桐の夕孺子を抱イて     似春

 

初裏

 孤村遥に悲風夫を恨ムかと     昨雲

   媒酒-旗に咲を進ㇺル      言水

 別るるに馬手は山崎小銭寺     執筆

   猶ほれ塚を廻向して過グ    麋塒

 袖桶に忘れぬ草の哀折ル      千春

   小海老爪白母を慰む      卜尺

 悴たる鷺の鬘ヲ黒やかに      曉雲

   捨杭の精かいどり立リ     素堂

 行脚坊卒塔婆を夢の草まくら    芭蕉

   八声の月に笠を揮       其角

 味噌-樽にもる露深き夜の戸は    言水

   泣ておののく萩の小女     昨雲

 妻恋る花馴駒の見入タル      似春

   柱杖に虵を切ル心春      千春

 

 

二表

 陽炎の形をさして神なしと     麋塒

   帋鳶に乗て仙界に飛      曉雲

 秦の代は隣の町と戦ひし      其角

   ねり物高く五歩に一樓     芭蕉

 露淡く瑠璃の真瓜に錫寒し     素堂

   蚊の声氈に血を含ムらん    言水

 夜ヲ離レ蟻の漏より旅立て     卜尺

   槐のかくるる迄に帰リ見しはや 似春

 匂落ツ杏に酒を買ところ      芭蕉

   強盗春の雨をひそめく     昨雲

 嵐更ケ破魔矢つまよる音すごく   千春

   鎧の櫃に餅荷ひける      麋塒

 末の五器頭巾に帯て夕月夜     曉雲

   猫口ばしる荻のさはさは    素堂

 

二裏

 あさがほに齋まつりし鼬姫     言水

   蔵守の叟霜を身に着ル     芭蕉

 此所難波の北の濱なれや      似春

   紀の舟伊勢の舟尾張舟     麋塒

 波は白浪さざ波も又おかし     素堂

   傾城に袴着せて見る心     曉雲

 今宵年忘。恋の栄を尽スらん    其角

   柊が枝に小哥たてまつりける  昨雲

 庭稲荷樅に隠れて仄なる      卜尺

   いたらぬ役者芸冥加あれ    千春

 豊さはぎ院に日待をもよほされ   芭蕉

   霞の外の権田楽をなん召ス   素堂

 紫の鰯を花に折しきて       言水

   しだのみ荒し楪の宿      其角

 

 

三表

 去年ウラの月の三十日の月くらし  曉雲

   雪ものぐるひ筆を杖つく    卜尺

 山鳥の音に羽ぬけ子や尋ぬらん   千春

   鶴の箔衣ありし俤       似春

 夢に入ル玉落の瀧雲の洞      昨雲

   日を額にうつ富士の棟上ゲ   芭蕉

 松髪の祖父蔦上下に出立て     麋塒

   城主に霊の蜜柑献ズル     嵐蘭

 或卜に火あての鰹生かへり     峡水

   旅小刀の吼脱て行       曉雲

 世捨木や世捨の松に名を朽て    其角

   からすの衣堤にくらし     素堂

 橋上の番太は鐘を恨みたる     嵐蘭

   西瓜はしらず潮満らん     千春

 

三裏

 露くだるしだれ角豆の散柳     曉雲

   月は筑地の古キにやどる    麋塒

 遁世のよ所に妻子をのぞき見て   芭蕉

   つぎ哥耳にのこるよし原    峡水

 歩別レ馬は待らん榎陰       其角

   百姓の家に入て腹切ル     嵐蘭

 是此年先祖の榾の火の消ヌ     昨雲

   時ならず米に生る菌      千春

 雨を聞て放下の村に閑ヵなる    素堂

   燕尾小勝が墓に落くる     曉雲

 衣装草萌出る翠リ紅に       麋塒

   雪ふぶき茶や花の端つづき   其角

 御池漕扈従の渡守しばし      峡水

   薫ふるふか水引の簑      昨雲

 

 

名残表

 張雀鳴子鳴子におどろきて     麋塒

   無情人秋の蝉         嵐蘭

 月は問フ山寺どのを離を      其角

   石風呂の跡は哀ありける    素堂

 箒木の茂きは鍬に夭せられ     千春

   今其とかげ金色の王      峡水

 袖に入螭夢を契りけん       芭蕉

   涙の玉あり明ケ昏レにかはかず 麋塒

 我聞ケリ鈍士は胸の中黒しと    昨雲

   閣思君境町に溺るる      其角

 肩を踏で短尺とりに立躁グ     曉雲

   奥にての御遊隔塀恋      芭蕉

 篝火を刀に掛て忍ぶ山       嵐蘭

   浪は井積にかくす落人     千春

 

名残裏

 物あらふ盥をふせて暮る程に    峡水

   藍搗臼のごほごほし声     麋塒

 市賤の木びらを負る木陰には    曉雲

   日傘さす子と嫗と男と     嵐蘭

 玄関にて神楽をまふけ給ひけり   昨雲

   夜と共てらす袋挑灯      素堂

 花の奥盗人狩に泊して       芭蕉

   八重八重霞飛行小天狗     其角

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 錦どる都にうらん百つつじ    麋塒

 

 麋塒(びじ)は甲州谷村藩の家老。江戸勤務で江戸に来ているときに桃青に入門したと思われる。

 句の方はここで百韻を巻いて江戸の百のツツジを錦どる都に売りつけてやろうではないか、と気勢を上げるもので、千春はゲストというよりも既に江戸の一員として扱われている。

 千春は延宝六年冬に「わすれ草」の巻でも桃青と同席している。その意味ではここでのゲストは麋塒で、千春は迎える側だった。

 「錦どる都」は、

 

   花ざかりに京を見やりてよめる

 見わたせば柳櫻をこきまぜて

     都ぞ春の錦なりける

              素性法師(古今集)

 

の歌による。

 

季語は「つつじ」で春、植物、木類。

 

 

   錦どる都にうらん百つつじ

 壱 花ざくら 二番 山吹    千春

 (錦どる都にうらん百つつじ壱 花ざくら 二番 山吹)

 

 桃青の『俳諧次韻』の風に習って、さっそく文字表記の遊びで返す。目録か何かだろう。

 

季語は「花ざくら」で春、植物、木類、二十一句目に花があるので、ここでは非正花扱いになっている。「山吹」も植物、草類。

 

第三

 

   壱 花ざくら 二番 山吹

 風の愛三線の記を和らげて    卜尺

 (風の愛三線の記を和らげて壱 花ざくら 二番 山吹)

 

 風は春風と風流の両方の意味で、春風を和らげて花ざくら山吹を散らさないことと、風流を愛し三味線の曲の記(今でいうセットリストか)に「壱 花ざくら 二番 山吹」とする。

 ト尺は芭蕉に日本橋小田原町の住居を提供していた。苗字の「小沢」を半分にして卜尺としている。

 風の和らぐは、

 

 ものよわき柳の枝の夕なびき

     風もやはらぐけしきなるかな

              二条為道(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「風‥‥和らげて」で春。

 

四句目

 

   風の愛三線の記を和らげて

 雨双六に雷を忘るる       暁雲

 (風の愛三線の記を和らげて雨双六に雷を忘るる)

 

 風流を愛する者は三味線に興じ、雨の日も双六に熱中しては雷を忘れる。

 暁雲は後の英一蝶で、この頃は狩野安信の弟子だった。『俳諧次韻』の「世に有て」の巻八十六句目の、

 

   夜々に来て上るり語る聲細く

 法眼が書し武者絵とやらん    才丸

 

の句を暁雲はどう思っていたか。

 暁雲は千春編『武蔵曲』に、

 

 ひるがほの宿冷食の白くなん咲ける 暁雲

 盃ヲ漕ゲ芋を餌にして月ヲ釣ル   同

 

などの発句を残している。

 風の和らぐは、

 

 やはらぐる光も凉し神風や

     御裳濯川の夏の世の月

               順徳院兵衛内侍(建保名所百首)

 

の例もあり、春とは限らない。

 

無季。「雨」は降物。

 

五句目

 

   雨双六に雷を忘るる

 宵うつり盞の陣を退リける    其角

 (宵うつり盞の陣を退リける雨双六に雷を忘るる)

 

 盃の陣はどういう陣形だかわからないが、多分鶴翼の陣をもっと緩やかな鈍角の三角形にしたものだろう。

 宵も暮れ酔いも回るが、ここで眠ってはいけない。盃の陣を突破したなら、敵は双六にあり。いざ進め。

 大酒飲みの博徒はあるあるだったのだろう。後の元禄三年の『ひさご』にも、

 

   酒ではげたるあたま成覧

 双六の目をのぞくまで暮かかり  芭蕉

 

の句がある。

 

無季。

 

六句目

 

   宵うつり盞の陣を退リける

 せんじ所の茶に月を汲      芭蕉

 (宵うつり盞の陣を退リけるせんじ所の茶に月を汲)

 

 『俳諧次韻』ではまだ「桃青」だったが、その前年延宝八年冬に桃青は日本橋小田原町の卜尺のもとを離れて深川に隠居し、春には李下から芭蕉一株を貰い、庭に植えた。その秋、『俳諧次韻』の興行を行い、翌春、この巻の興行になる。深川芭蕉庵(第一次)に住んで一年以上が経過していた。

 『武蔵曲』には前年の秋に詠んだ、

 

   茅舎ノ感

 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉   芭蕉

 

の句も掲載されている。世に桃青からより進化した「芭蕉」の名を広めるきっかけになった集だった。

 盃の陣を突破したら茶を飲む。まあ、酒に強くない芭蕉さんのことだから、さっさと宴席を抜けて、酔い覚ましにお茶の欲しいところだろう。

 せんじ所だから隠元禅師の持ち込んだ唐茶であろう。今の煎茶の原型となった飲み方だ。茶の水には月が写っている。

 今宵の月を詠んだ歌は多いが、ただの宵の月は、

 

 月影は山のはいづる宵よりも

     更け行く空ぞてりまさりける

              藤原長房(後拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

七句目

 

   せんじ所の茶に月を汲

 霧軽く寒や温やの語ヲ尽ス    素堂

 (霧軽く寒や温やの語ヲ尽スせんじ所の茶に月を汲)

 

 芭蕉だけでなく信章もここで「素堂」の名前になる。

 茶飲み話と言えばまず天候の話題で、秋は特に今日は寒い今日は暖かいだのを繰り返す。

 月に霧は、

 

 秋風にいとどふけゆく月影を

     たちなかくしそあまの河きり

              藤原清正(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「霧」で秋、聳物。

 

八句目

 

   霧軽く寒や温やの語ヲ尽ス

 梧桐の夕孺子を抱イて      似春

 (霧軽く寒や温やの語ヲ尽ス梧桐の夕孺子を抱イて)

 

 似春は信章と同様、延宝三年に宗因が江戸に来た頃からの仲間だった。

 梧桐(ごとう)は青桐だが、中国では鳳凰が住む樹とされた。孺子(じゅし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 幼い子ども。童(わらべ)。また、宮中に奉仕した少年。

  ※続日本紀‐天平宝字元年(757)四月辛巳「施レ物有レ差。内供奉竪子、授刀舎人、及預二周忌御斎種々作物一」

  ※談義本・根無草(1763‐69)後「されば孺子の井に入んとするを見ては惻隠の心ありといふ」 〔書経‐金縢〕

  ② 若者。青年。特に未熟な者や年少者に親しみをこめ、あるいはさげすみ、ののしっていう場合が多い。

  ※太平記(14C後)二八「嗟竪子(シュシ)不レ足二与謀一。奪二項王之天下一者、必沛公」

  ※坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉一一「軽薄なる二豎子の為めに吾校の特権を毀損せられて」

 

とあり、ここでは①の意味になる。

 中国の宮中の子をあやす場面にする。

 

季語は「梧桐」で秋、植物、木類。「孺子」は人倫。

初裏

九句目

 

   梧桐の夕孺子を抱イて

 孤村遥に悲風夫を恨ムかと    昨雲

 (孤村遥に悲風夫を恨ムかと梧桐の夕孺子を抱イて)

 

 昨雲は『芭蕉と京都俳壇―蕉風胎動の延宝・天和期を考える』(佐藤勝明著、二〇〇六、八木書店)に、「笠原理衛門作雲 号東嘯斎 江戸」とある。

 下界と隔絶された村で夫の帰りを待つ夫人であろう。青桐の夕べに我が子を抱きながら。

 

無季。恋。「孤村」は居所。「夫」は人倫。

 

十句目

 

   孤村遥に悲風夫を恨ムかと

 媒酒-旗に咲を進ㇺル      言水

 (孤村遥に悲風夫を恨ムかと媒酒-旗に咲を進ㇺル)

 

 言水はこの頃はまだ江戸にいた。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「江戸前期の俳人。池西氏。別号紫藤軒(しとうけん)、洛下堂(らっかどう)その他。奈良出身。16歳で法体(ほったい)して俳諧(はいかい)に専念し、1676~77年(延宝4~5)ごろから江戸に出て談林俳諧の全盛期を背景に、芭蕉(ばしょう)、幽山(ゆうざん)、才麿(さいまろ)らと交流しつつ活発な撰集(せんしゅう)活動を展開、談林から蕉風への転換期における先駆的俳人に数えられた。82年(天和2)以後はほぼ京都に定住、京、大和(やまと)、北陸、山陰から九州まで俳壇勢力を伸ばして元禄(げんろく)俳壇の一重鎮と仰がれるに至った。編著は『東日記(あずまのにっき)』『新撰都曲(みやこぶり)』『初心もと柏(がしわ)』以下15を数え、作風は感覚的、官能的、唯美的傾向をもつ。墓所は京都・誠心院(せいしんいん)、和泉(いずみ)式部の墓のそばにある。[今 栄蔵]」

 

とある。

 「媒」は「なかだち」「咲」は「えみ」と読む。

 孤村で妻が悲嘆にくれているのを余所に、夫は酒屋で飲んでいると客引きがやってきて売笑婦を勧める。

 酒-旗と言えば、

 

   江南春望   杜牧

 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え

 水辺の村山村の壁酒の旗に風

 南朝には四百八十の寺

 沢山の楼台をけぶらせる雨

 

の詩がある。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   媒酒-旗に咲を進ㇺル

 別るるに馬手は山崎小銭寺    執筆

 (別るるに馬手は山崎小銭寺媒酒-旗に咲を進ㇺル)

 

 メンバーが一巡して執筆が一句付ける。

 「馬手(めて)」は手綱を取る方の手で右手のこと。左手は弓手(ゆんで)という。鎌倉時代までの武将は左で弓を持ち、右手で手綱を持って、馬上で弓を引いて戦った。

 山崎小銭寺(こぜにでら)は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「山崎天王山の宝寺をもじった」とある。ウィキペディアに、

 

 「宝積寺(ほうしゃくじ)は、京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派の寺院。山号は天王山。(古くは補陀洛山といった)、本尊は十一面観音である。724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える。

 聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、銭原山宝寺、大黒天宝寺ともいう。」

 

とある。

 前句の酒旗の店の遊女はお安い女で、事がすんだら右手で小銭を渡して別れる。

 

無季。恋。釈教。

 

十二句目

 

   別るるに馬手は山崎小銭寺

 猶ほれ塚を廻向して過グ     麋塒

 (別るるに馬手は山崎小銭寺猶ほれ塚を廻向して過グ)

 

 「ほれ塚」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「鳥羽の恋塚のもじり」とある。京都市伏見区下鳥羽にある恋塚寺のこと。

 「廻向(ゑかう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (「回」はめぐらす、「向」はさし向けること) 自分の行なった善根功徳をめぐらし、自分や他のもののさとりにさし向けること。このうち、積んだ善根功徳を、自己のさとりにさし向けることを菩提回向、他のものの利益にさし向けることを衆生回向といい、回向そのものにとらわれないで、そこに平等真実の理をさとることを実際回向という(三種回向)。また、特に浄土往生に資することを往相(おうそう)回向、再びこの世に帰ってきて、他を教え導き、浄土に向かわせることを還相(げんそう)回向という(二種回向)。

  ※南天竺波羅門僧正碑并序‐神護景雲四年(770)四月二一日「大法申レ斯紹隆、群生以レ之回向」

  ※源氏(1001‐14頃)若菜下「さりがたき御ゑかうのうちには」 〔往生論註‐下〕

  ② 他に向いていた心を浄土の教えに向けること。回心(えしん)。〔具三心義‐上〕

  ③ 浄土真宗で、阿彌陀如来がその仏徳の力を衆生にさし向けて衆生を極楽往生に迎えること。

  ※三帖和讚(1248‐60頃)高僧「願土にいたれば、すみやかに无上(むじゃう)涅槃(ねはん)を証してぞ、すなはち大悲を起こすなり。これを廻向と名づけたり」

  ④ 読経や念仏など、善根の功徳を死者に手向けること。死者の冥福を祈って読経をしたり、念仏を唱えたり、供えをしたりすること。供養。たむけ。

  ※百座法談(1110)六月一九日「また阿彌陀経三巻を三ところの聖霊の御ために廻向し申させたまふ」

  ⑤ 回向の偈文(げもん)を唱えること。また、その文。回向文(えこうもん)。

  ※枕(10C終)二七九「たふときこと、九条の錫杖。念仏のゑかう」

  ⑥ 信心のために寺に物を寄付すること。布施。寄進。

  ※源平盛衰記(14C前)一「ある時は御劔御衣、ある時は沙金錦絹を、徳長寿院へ廻向(エカウ)し奉るべしとて下し賜」

 

とある。

 ここでは⑥の寄進のことだが、要は伏見の遊女も買うということ。

 

無季。恋。釈教。

 

十三句目

 

   猶ほれ塚を廻向して過グ

 袖桶に忘れぬ草の哀折ル     千春

 (袖桶に忘れぬ草の哀折ル猶ほれ塚を廻向して過グ)

 

 前句の廻向を④の死者への手向けとし、「忘れぬ草」を折って捧げる。

 「忘れぬ草」は紫苑のことであろう。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には、『袖中抄』を引用し、

 

 「鬼醜女草、これ紫苑也。鬼のしこ草とは別の草の名にあらず。忘草は愁を忘るる草なれば、恋しき人を忘れん料に、下紐につけたれど、更にわするることなし。忘草といふ名は只事にありけん、猶恋しければ鬼のしこ草也けりといふ也。」

 

と記している。忘れるなら忘れ草(萱草)、忘れないなら紫苑だった。

 寛文五年霜月の当時の宗房の同座した貞徳翁十三回忌追善俳諧の発句に、

 

 野は雪にかるれどかれぬ紫苑哉  蝉吟

 

の句がある。

 

無季。「忘れぬ草」は植物、草類。

 

十四句目

 

   袖桶に忘れぬ草の哀折ル

 小海老爪白母を慰む       卜尺

 (袖桶に忘れぬ草の哀折ル小海老爪白母を慰む)

 

 「小海老爪白(こえびつまじろ)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注によればエビヅルと春菊のことだという。

 エビヅルはウィキペディアに、

 

 「エビヅル(蝦蔓、蘡薁、学名:Vitis ficifolia var. lobata)は、ブドウ科ブドウ属でつる性の落葉木本である。雌雄異株。古名はヤマブドウとともに「エビカズラ」(葡萄蔓)。」

 

とある。

 爪白はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① はしが白いこと。白色でふちどられていること。また、そのもの。

  ※長門本平家(13C前)一六「梶原源太景季、蝶目ゆひの直垂に、薄紅の綴の冑きて、妻白の征矢おひたり」

  ② 動物の足の先や爪が白いこと。また、その動物。〔節用文字(13C初か)〕

  ③ (褄白) アカマツの園芸品種。葉の先端が黄白色を呈するもの。つまじろまつ。

  ④ 植物「しゅんぎく(春菊)」の異名。

  ※俳諧・武蔵曲(1682)「袖桶に忘れぬ草の哀折る〈千春〉 小海老爪白(ツマジロ)母を慰む〈卜尺〉」

 

とある。

 どちらも食用になり亡き母へのお供えになる。

 

無季。「小海老爪白」は植物、草類。

 

十五句目

 

   小海老爪白母を慰む

 悴たる鷺の鬘ヲ黒やかに     曉雲

 (悴たる鷺の鬘ヲ黒やかに小海老爪白母を慰む)

 

 「悴たる」は「かじけたる」で痩せ細ることをいう。

 前句の「小海老」を海の小海老として春菊と一緒に鍋にして、白髪の母を元気づける。

 

無季。「鷺」は鳥類。

 

十六句目

 

   悴たる鷺の鬘ヲ黒やかに

 捨杭の精かいどり立リ      素堂

 (悴たる鷺の鬘ヲ黒やかに捨杭の精かいどり立リ)

 

 「かいどり」は搔い取るでweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「着物の裾(すそ)などを手でつまんで持ち上げる。手でからげる。

  出典太平記 二一

  「小袖(こそで)の、しほしほとあるをかいどって」

  [訳] 小袖の、しっとりとぬれている裾を手でつまんで持ち上げて。◇「かいどっ」は促音便。◆「かきとる」のイ音便。「かい」は接頭語。」

 

とある。

 やせ衰えた鷺の所に、能に出てくるような桜の精柳の精みたいな捨杭の精が現れて、頭を黒くする。水辺だから橋杭の精は裾をつまんで搔い取る。

 

無季。

 

十七句目

 

   捨杭の精かいどり立リ

 行脚坊卒塔婆を夢の草まくら   芭蕉

 (行脚坊卒塔婆を夢の草まくら捨杭の精かいどり立リ)

 

 行脚の僧が卒塔婆の下で寝ていたら、捨杭の精が現れる夢を見た。

 

無季。旅体。釈教。

 

十八句目

 

   行脚坊卒塔婆を夢の草まくら

 八声の月に笠を揮        其角

 (行脚坊卒塔婆を夢の草まくら八声の月に笠を揮)

 

 「八声(やごゑ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 八度の鳴き声。

  ② たびたびの鳴き声。特に、暁にたびたび鳴く鳥の声。

  ※重家集(1178)「あか月のとりとともにしなくならばやこゑかたらへ山ほととぎす」

 

とある。

 前句の行脚坊はしきりになく鳥の声に目を覚まし、笠をはためかせる。「揮(はたたく)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 旗などが風に吹かれてはたはたと鳴る。はためく。

  「頭上に―・く旗のそよぎを耳にして」〈蘆花・思出の記〉

  2 雷が鳴りとどろく。はためく。

  「水無月の照り、―・くにも障らず来たり」〈竹取〉

 

とある。

 草枕の月は、

 

 君をのみ恋ひつつ旅の草枕

     露しげからぬあか月ぞなき

              よみ人しらず(拾遺集)

 草枕この旅寢にぞ思しる

     月よりほかの友なかりけり

              法橋忠命(金葉集)

 

などの歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。

 

十九句目

 

   八声の月に笠を揮

 味噌-樽にもる露深き夜の戸は   言水

 (味噌-樽にもる露深き夜の戸は八声の月に笠を揮)

 

 味噌樽に漏る露は雨漏りであろう。昨夜の雨も止み、有明の月に笠を取って旅立つ。

 月に露は、

 

 もろともに草葉の露のおきゐずは

     ひとりや見まし秋の夜の月

              顕仲卿女(金葉集)

 

を始めとして、月に露を詠んだ例は数多くある。

 

季語は「露」で秋、降物。「深き夜」は夜分。

 

二十句目

 

   味噌-樽にもる露深き夜の戸は

 泣ておののく萩の小女      昨雲

 (味噌-樽にもる露深き夜の戸は泣ておののく萩の小女)

 

 『伊勢物語』第六段の「芥川」だろう。「雨いたう降りければ、あばらなる蔵に女をば奥に押し入れて」とある。この蔵を味噌蔵とした。

 萩の露は、

 

 秋はなほ夕まぐれこそただならね

     荻の上風萩の下露

              藤原義孝(和漢朗詠集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。恋。「小女」は人倫。

 

二十一句目

 

   泣ておののく萩の小女

 妻恋る花馴駒の見入タル     似春

 (妻恋る花馴駒の見入タル泣ておののく萩の小女)

 

 「花馴駒(はななれごま)」は謎の言葉だが発情した馬のことだろうか。そんな馬に魅入られれば怖いだろう。「馬並」というくらいで。

 「妻恋る」は鹿に多く用いられる。妻恋るに萩は、

 

 妻恋ふる鹿の涙や秋萩の

     下葉もみつる露となるらむ

              紀貫之(貫之集)

 

の歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。「駒」は獣類。

 

二十二句目

 

   妻恋る花馴駒の見入タル

 柱杖に虵を切ル心春       千春

 (妻恋る花馴駒の見入タル柱杖に虵を切ル心春)

 

 「柱杖」は「拄杖(しゅじょう)」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① つえ。特に禅僧が行脚の際に用いるつえ。また、説法のときに用いるつえ。ちゅうじょう。

  ※正法眼蔵(1231‐53)行持「山にいりて拄杖をもとむるちなみに、山路に迷して、はからざるに師の菴所にいたる」

  ※虎明本狂言・拄杖(室町末‐近世初)「爰にしゅじゃうをあつらへておいてござるが」 〔蘇軾‐常州太平寺法華院薝蔔亭酔題詩〕

  ② 能楽の小道具。長い竹杖の上部に、S字形に曲げた竹を通し、これに白垂(しらたれ)(=白色の垂らした髪)を下げて払子(ほっす)を示す。「殺生石」のワキ僧が持つ。また「放下僧」の後シテ(放下僧)はこれに唐団扇を吊したものを持つ。

  [2] (拄杖) 狂言。和泉流。細工屋の主人が拄杖を取りに来た修行僧の話を聞いて出家の心を起こし、頭を剃り弟子になる。そこに細工屋の女房が来て夫の姿に怒り、僧と細工屋は逃げ出す。」

 

とある。『無門関』四十四則「芭蕉拄杖」には、

 

 「扶けては断橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に帰る。若し喚んで拄杖と作さば、地獄に入ること箭の如くならん。」

 

とある。

 要するに形としての杖ではなく、心に杖を持つなら無敵だが、それを意識した途端に地獄を見ることになる。「柱杖に虵(へび)を切ル心」はその杖を心に抱き意識しない状態ということで、発情した馬に魅入られても断ち切ることができる。

 最後の「春」は放り込み。

 

季語は「春」で春。釈教。

二表

二十三句目

 

   柱杖に虵を切ル心春

 陽炎の形をさして神なしと    麋塒

 (陽炎の形をさして神なしと柱杖に虵を切ル心春)

 

 神(しん)とは何かと問われたら、陽炎を拄杖で指して「なし」と答える。神(しん)とは無である。

 春に陽炎は、

 

 今さらに雪降らめやも陽炎の

     もゆる春日となりにしものを

              よみ人しらず(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「陽炎」で春。

 

二十四句目

 

   陽炎の形をさして神なしと

 帋鳶に乗て仙界に飛       曉雲

 (陽炎の形をさして神なしと帋鳶に乗て仙界に飛)

 

 「帋鳶」は「しえん」と読む。

 陽炎となって消えた怪異にもはや魂はないと言って、陰陽師は紙で式神の鳶を作り、それに乗って仙界に飛び去る。

 

無季。

 

二十五句目

 

   帋鳶に乗て仙界に飛

 秦の代は隣の町と戦ひし     其角

 (秦の代は隣の町と戦ひし帋鳶に乗て仙界に飛)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「魯般が紙鳶をつくり、これに乗って空に飛んだという説話がある。」とある。魯般は公輸盤でウィキペディアに、

 

 「公輸 盤(こうしゅ はん、紀元前507年 - 紀元前444年)は、中国春秋戦国時代の魯の工匠である。姓は姫、氏は公輸、名は盤(般・班とも)。公輸子・公輸班・魯班とも。

 『墨子』・『淮南子』などに記述があり、攻城具雲梯や兵器鉤拒を開発し、墨翟に諫められ、また啓発を受けるなど『墨子』で登場する。

 彼が竹・木で作った「鳶」は3日間翔び続けたという伝説が『酉陽雑俎』・『論衡』に記載されているほか、巧緻な器具を数多く製作し、鉋・錐などを発明したともいう。

 後世、建築の祖師として祭祀された。」

 

とある。この『酉陽雑俎』の伝説はウィキペディアに、

 

 「木の鳶を作り、3つの楔を打ち込んで飛ばしていた、公輸般の父親が木鳶へ10の楔を打ち込み飛んだところ、呉まで行ってしまい、現地人に殺された、という伝説がある。」

 

とある。

 このあたりから帋鳶(しえん)を凧のこととして、秦の時代は隣の国が隣町くらいの距離にあったのだろう、とする。

 

無季。

 

二十六句目

 

   秦の代は隣の町と戦ひし

 ねり物高く五歩に一樓      芭蕉

 (秦の代は隣の町と戦ひしねり物高く五歩に一樓)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に杜牧の阿房宮賦に「五步一樓、十步一閣」というフレーズがあるという。

 前句の「隣の町と戦ひし」から戦乱で物価が高騰し、一楼(料理屋)での練り物の価格が金五歩(小判五枚)もする。あるいは「一樓」は「一両」に掛けたか。

 似たようなネタに、延宝七年秋の「須磨ぞ秋」の巻十八句目に、

 

   又や来る酒屋門前の物もらいひ

 南朝四百八十目米        桃青

 

の句がある。

 

無季。

 

二十七句目

 

   ねり物高く五歩に一樓

 露淡く瑠璃の真瓜に錫寒し    素堂

 (露淡く瑠璃の真瓜に錫寒しねり物高く五歩に一樓)

 

 食べ物があまりにも高価なので、食べられない瑠璃でできたまくわ瓜が錫の器に載せられて寒そうだ、とする。

 

季語は「真瓜」で夏。「露」は降物。

 

二十八句目

 

   露淡く瑠璃の真瓜に錫寒し

 蚊の声氈に血を含ムらん     言水

 (露淡く瑠璃の真瓜に錫寒し蚊の声氈に血を含ムらん)

 

 前句を宮殿の中のこととし、赤い毛氈を血と思ったか、蚊が寄ってくる。

 

季語は「蚊」で夏、虫類。

 

二十九句目

 

   蚊の声氈に血を含ムらん

 夜ヲ離レ蟻の漏より旅立て    卜尺

 (夜ヲ離レ蟻の漏より旅立て蚊の声氈に血を含ムらん)

 

 韓非子に「千丈之堤、以螻蟻之穴潰。(千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ)」という言葉がある。

 蟻が這い出て堤が破れるように、蚊もまた毛氈を血で染める。何か国が乱れる時の様をたとえ話のように言っている。

 

季語は「蟻」で夏、虫類。旅体。「夜」は夜分。

 

三十句目

 

   夜ヲ離レ蟻の漏より旅立て

 槐のかくるる迄に帰リ見しはや  似春

 (夜ヲ離レ蟻の漏より旅立て槐のかくるる迄に帰リ見しはや)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

 君がすむ宿の梢をゆくゆくと

     かくるるまでもかへり見しはや

              菅原道真(大鏡)

 

の歌を引いている。下句がほぼ一致している。

 槐と蟻は「槐安の夢」の故事で付け合いになる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(唐の淳于棼(じゅんうふん)が自宅の槐(えんじゅ)の木の下で酔って寝ていたところ、夢に二人の使者の迎えをうけて、槐安国に行き、国王の娘をめとって、南柯郡の太守となり二〇年を経たが、さめてみれば、槐安国とは、槐の木の下の穴にいる蟻の国であり、南柯郡とは、その木の南向きの枝であったという、唐の李公佐の「南柯記」による故事から) 夢のこと。また、はかないことのたとえにいう。南柯(なんか)の夢。槐夢(かいむ)。」

 

とある。

 菅原道真公の左遷の場面を「槐安の夢」から覚めた時のイメージと重ね合わせる。

 

無季。「槐」は植物、木類。

 

三十一句目

 

   槐のかくるる迄に帰リ見しはや

 匂落ツ杏に酒を買ところ     芭蕉

 (匂落ツ杏に酒を買ところ槐のかくるる迄に帰リ見しはや)

 

 杏もバラ科サクラ属で桜に似た花を咲かせる。今の公園などに植えられてたりもする。

 槐に杏と中国風にまとめているが、普通に酒を買いに行き、家の方を振り返る。

 

季語は「杏」で春、植物、木類。

 

三十二句目

 

   匂落ツ杏に酒を買ところ

 強盗春の雨をひそめく      昨雲

 (匂落ツ杏に酒を買ところ强盗春の雨をひそめく)

 

 「強盗」は昔は「がんだう」と読んだ。意味は強盗で今と同じ。ウィキペディアの「火付盗賊改方」の項に、

 

 「明暦の大火以後、放火犯に加えて盗賊が江戸に多く現れたため、幕府はそれら凶悪犯を取り締まる専任の役所を設けることにし、「盗賊改」を1665年(寛文5年)に設置。その後「火付改」を1683年(天和3年)に設けた。一方の治安機関たる町奉行が役方(文官)であるのに対し、火付盗賊改方は番方(武官)である。この理由として、殊に江戸前期における盗賊が武装強盗団であることが多く、それらが抵抗を行った場合に非武装の町奉行では手に負えなかった。また捜査撹乱を狙って犯行後に家屋に火を放ち逃走する手口も横行したことから、これらを武力制圧することの出来る、現代でいう警察軍として設置されたものである。」

 

とある。

 天和の頃は武装強盗団が横行していたか。そういう連中が酒屋に集まって、悪だくみをしてたのだろう。

 

季語は「春の雨」で春、降物。「強盗」は人倫。

 

三十三句目

 

   強盗春の雨をひそめく

 嵐更ケ破魔矢つまよる音すごく  千春

 (嵐更ケ破魔矢つまよる音すごく強盗春の雨をひそめく)

 

 「破魔矢」は正月の縁起物で飾りにすぎないが、武器の調達が困難な強盗団は破魔矢の先を削って尖らせて武器にしていたのかもしれない。

 春の雨の嵐の中、部屋の中では強盗団が矢の準備をしている。

 春雨の嵐は、

 

 春雨にぬれて尋ねん山ざくら

     雲のかへしの嵐もぞふく

              藤原頼宗(金葉集)

 

の歌に詠まれている。

 

季語は「破魔矢」で春。

 

三十四句目

 

   嵐更ケ破魔矢つまよる音すごく

 鎧の櫃に餅荷ひける       麋塒

 (嵐更ケ破魔矢つまよる音すごく鎧の櫃に餅荷ひける)

 

 櫃に餅を入れて持ってきたが、この櫃も鎧として役に立つかもしれない。

 

季語は「餅」で春。「鎧」は衣裳。

 

三十五句目

 

   鎧の櫃に餅荷ひける

 末の五器頭巾に帯て夕月夜    曉雲

 (末の五器頭巾に帯て夕月夜鎧の櫃に餅荷ひける)

 

 「頭巾」は「トキン」仮名が振ってあり、この場合は山伏のかぶる帽子の「頭襟(ときん)」のこと。お椀をひっくり返したような形をしている。

 五器はお椀で「御器」とも書く。お椀を頭襟の代わりに被って、お櫃を鎧代わりにして、一体何と戦うのか。

 

季語は「夕月夜」で秋、夜分、天象。「頭巾」は衣裳。

 

三十六句目

 

   末の五器頭巾に帯て夕月夜

 猫口ばしる荻のさはさは     素堂

 (末の五器頭巾に帯て夕月夜猫口ばしる荻のさはさは)

 

 ここでは普通に頭襟を被った山伏が五器を持って夕方外に出ると、猫が思わず声を上げて寄ってきて、荻がさわさわと音を立てる。猫に餌をやる、見かけによらず優しい山伏だった。

 夕月夜に荻は、

 

 秋の来て露まだなれぬ荻の葉に

     やがてもなるる夕月夜かな

              後鳥羽院(後鳥羽院御集)

 

の歌がある。

 

季語は「荻」で秋、植物、草類。「猫」は獣類。

二裏

三十七句目

 

   猫口ばしる荻のさはさは

 あさがほに齋まつりし鼬姫    言水

 (あさがほに齋まつりし鼬姫猫口ばしる荻のさはさは)

 

 前句の猫が朝顔の露に身を清めて鼬姫を祭る。猫と鼬の種族を越えた恋か。

 荻に朝顔を詠んだ例は、

 

 あさがほの露のうはさを荻のはの

     こゑ身にしめし中川の宿

              正徹(草根集)

 

がある。

 

季語は「あさがほ」で秋、植物、草類。神祇。

 

三十八句目

 

   あさがほに齋まつりし鼬姫

 蔵守の叟霜を身に着ル      芭蕉

 (あさがほに齋まつりし鼬姫蔵守の叟霜を身に着ル)

 

 「叟」は「おきな」。

 朝顔の咲く頃に鼬姫を祭っているのは蔵守の翁だった。霜を身に着るは白髪のことで、李白の有名な、

 

   秋浦歌   李白

 白髪三千丈 縁愁似箇長

 不知明鏡裏 何処得秋霜

 

 白髪頭が三千丈。

 悩んでいたらまた延長。

 鏡は誰だかわからない。

 どこで得たのかその秋霜。

 

による。

 

季語は「霜」で冬、降物。「蔵守の叟」は人倫。

 

三十九句目

 

   蔵守の叟霜を身に着ル

 此所難波の北の濱なれや     似春

 (此所難波の北の濱なれや蔵守の叟霜を身に着ル)

 

 謡曲『高砂』であろう。播磨高砂の浦から難波住吉へ行く。謡曲の言葉をそのまま引用しないのが延宝の頃とは違う天和の風になる。

 

無季。「難波」は名所、水辺。「濱」も水辺。

 

四十句目

 

   此所難波の北の濱なれや

 紀の舟伊勢の舟尾張舟      麋塒

 (此所難波の北の濱なれや紀の舟伊勢の舟尾張舟)

 

 今の難波の北は日本中から廻船がやってきて、紀の舟伊勢の舟尾張舟などで賑わっている。

 

無季。「舟」は水辺。

 

四十一句目

 

   紀の舟伊勢の舟尾張舟 

 波は白浪さざ波も又おかし    素堂

 (波は白浪さざ波も又おかし紀の舟伊勢の舟尾張舟)

 

 舟にもいろいろあるように、波にもいろいろある。

 

無季。「波」は水辺。

 

四十二句目

 

   波は白浪さざ波も又おかし

 傾城に袴着せて見る心      曉雲

 (波は白浪さざ波も又おかし傾城に袴着せて見る心)

 

 「白浪」「さざ波」は傾城(遊女)の源氏名であろう。ただ、白波には海賊の意味もある。

 コトバンクの「沖つ白波」の項の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 沖に立つ白い波。白波が立つというところから、「立つ」と同音を含む地名「立田山」の、また、「白波」の「しら」と同音の「知らず」の序詞として用いられることもある。

  ※万葉(8C後)一・八三「海(わた)の底奥津白浪(おきつしらなみ)立田山いつか越えなむ妹があたり見む」

  ※伊勢物語(10C前)二三「風吹けばおきつしら浪立田山夜半にや君がひとりこゆらん」

  ② 海賊。盗賊。

  ※今鏡(1170)九「その用光(もちみつ)が相撲の使に西の国へ下りけるに、吉備国の程にて沖つ白波立ち来て、ここにて命にも絶えぬべく見えければ」

  [語誌](1)万葉歌で多用され、平安時代以降の和歌に踏襲された。平安時代の語法では「沖の白波」だが、和歌では「沖つ」が主に用いられた。

  (2)①の挙例「伊勢物語」の歌は、「万葉‐八三」の類歌または翻案歌を歌物語にはめ込んだもので、歌自体としては「立つ」の序詞に過ぎないが、「俊頼髄脳」に「白波といふはぬす人をいふなり」とあるように「後漢書‐霊帝紀」に見える「白波賊」から「白波」を盗賊の意として解釈された。この歌(物語)が極めて有名であったので、②のように「沖つ白波」自体が盗賊を意味する修辞的表現として用いられるようになった。

 

とある。白波という名前から海賊の方を連想してしまうと、袴着て現れるのではないかと思ってしまう。

 幕末から明治の初めになると「白波物」という盗賊を主人公とした歌舞伎が流行する。「白波五人男」はその頃登場する。この「白波」の起源は『三国志』にも登場する白波賊にある。

 

無季。恋。「傾城」は人倫。「袴」は衣裳。

 

四十三句目

 

   傾城に袴着せて見る心

 今宵年忘。恋の栄を尽スらん   其角

 (今宵年忘。恋の栄を尽スらん傾城に袴着せて見る心)

 

 年末の年忘れ(歳を取るのを忘れること)のために遊郭で豪遊する。新年を迎えるのに傾城に女舞をさせる。

 この巻の七十四句目に「小勝(こかつ)」が出てくるが、女舞の項のウィキペディアの「に、

 

 「③ 江戸時代、女が天冠、狩衣、大口という装束で、大鼓を用い、歌に合わせて舞った舞のこと。

  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「そこにござるお女郎は女舞(ヲンナマイ)の小勝様じゃ」

 

とある。前句の「袴」をこの衣装に取り成したのではないかと思う。

 

季語は「年忘」で冬。恋。

 

四十四句目

 

   今宵年忘。恋の栄を尽スらん

 柊が枝に小哥たてまつりける   昨雲

 (今宵年忘。恋の栄を尽スらん柊が枝に小哥たてまつりける)

 

 柊は立春の時に鰯の頭とともに飾るが、この時代は年末にその他の使い方があったのかもしれない。

 

 時なる哉柊旅客は笠の端にさゝん

 

という句が『三冊子』にある。

 古代だと手紙を四季折々の枝に付けて渡したりしたから、これもそうやって柊の枝に和歌ではなく小唄を書いた手紙を渡す。

 この時代の小唄についてはよくわからないが、寛永の頃から寛文にかけて弄斎節と片撥が流行し、また寛文の頃の『糸竹初心集』の俗謡も小唄の一種と言えよう。その他にも舞や楽器を伴う狂言小唄などがあった。天和の頃もその時流行の小唄があったと思われる。この巻の六十八句目に「つぎ哥」が出てくるが、これは次節(つぎぶし)のことで、この頃流行した小唄だという。

 ただ、今日よく知られている小唄は元禄の浄瑠璃から派生した長唄・端唄などの系列にあるもので、江戸後期以降のものとされている。

 

季語は「柊」で冬、植物、木類。

 

四十五句目

 

   柊が枝に小哥たてまつりける

 庭稲荷樅に隠れて仄なる     卜尺

 (庭稲荷樅に隠れて仄なる柊が枝に小哥たてまつりける)

 

 今でも農家の家の庭の隅に稲荷の社があったりする。その稲荷が樅の木に隠れて仄かに見え、そこに柊の枝に小哥を奉る。

 

無季。神祇。「樅」は植物、木類。

 

四十六句目

 

   庭稲荷樅に隠れて仄なる

 いたらぬ役者芸冥加あれ     千春

 (庭稲荷樅に隠れて仄なるいたらぬ役者芸冥加あれ)

 

 「隠れて仄なる」から売れないパッとしない役者を導き出し、稲荷に「芸冥加あれ」と祈る。

 

無季。「役者」は人倫。

 

四十七句目

 

   いたらぬ役者芸冥加あれ

 豊さはぎ院に日待をもよほされ  芭蕉

 (豊さはぎ院に日待をもよほされいたらぬ役者芸冥加あれ)

 

 「豊(とよ)さはぎ院」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「豊明殿(とよのあかりの院)」のもじりとある。ただ、その元ネタの豊明殿がよくわからない。

 その他に近いものとしては孝徳天皇を祀った豊崎宮が大阪にあるが、これだとしても意味不明。

 「日待(ひまち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 人々が集まり前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。普通、正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが(日次紀事‐正月)、毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない。後には、大勢の男女が寄り集まり徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる。影待。《季・新年》

  ※実隆公記‐文明一七年(1485)一〇月一五日「今夜有二囲棊之御会一、終夜不レ眠、世俗称二日待之事一也云云」

 

とある。

 日待が嵯峨天皇に起源があるということが貝原恥軒(貝原好古)の『日本歳時記』に記されている。その嵯峨天皇は弘仁の時代に淀川に長柄の橋を架けたが、豊崎宮はその長柄の橋の近くにある。今は忘れられてしまったような何か伝承があったのかもしれない。

 

無季。

 

四十八句目

 

   豊さはぎ院に日待をもよほされ

 霞の外の権田楽をなん召ス    素堂

 (豊さはぎ院に日待をもよほされ霞の外の権田楽をなん召ス)

 

 「霞」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に仙洞御所とある。コトバンクの「院の御所」の項の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 上皇の御所。仙洞(せんとう)。仙洞御所。霞の洞(ほら)。緑の洞。藐姑射(はこや)の山。

  ※台記‐保延二年(1136)一二月一三日「次参二大宮一、御所白河也、院御所也」

  ② 上皇の呼称。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とある。「権田楽」の「権」は臨時の物という意味がある。定員外の官に臨時に任命した場合には権何々と言う。

 前句の「豊さはぎ院」を上皇の名前とし、仙洞御所の外に田楽を食いに行く。

 

季語は「霞」で春、聳物。

 

四十九句目

 

   霞の外の権田楽をなん召ス

 紫の鰯を花に折しきて      言水

 (紫の鰯を花に折しきて霞の外の権田楽をなん召ス)

 

 「紫」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「鰯を言う女房詞」とある。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 

 「縁起によってつけた「紫」(鮎(藍)にまさる→鰯(いわし))」

 

とある。紫が高貴な色とされてきたため藍より勝るというわけだが、「あい」「あゆ」ちょっと苦しいが。

 まあ、折敷の鰯に田楽で花見は庶民的だ。

 霞に花は、

 

 春霞たなびく山のさくら花

     うつろはむとや色かはりゆく

              よみ人しらず(古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   紫の鰯を花に折しきて

 しだのみ荒し楪の宿       其角

 (紫の鰯を花に折しきてしだのみ荒し楪の宿)

 

 「楪」はユズリハ。後に其角が詠む発句に、

 

   手握蘭口含鶏舌

 ゆづり葉や口に含みて筆始    其角

 

の句がある。歯朶もユズリハも正月に飾る。前句の鰯を立春の柊に差す鰯にして、前句を鰯を「花の春(正月)」にとする。

 鰯は折敷に盛られ、ユズリハは飾られているが、歯朶は飾らなくてもそこらかしこに茂っている。

 

季語は「楪」で春、植物、木類。

三表

五十一句目

 

   しだのみ荒し楪の宿

 去年ウラの月の三十日の月くらし 曉雲

 (去年ウラの月の三十日の月くらししだのみ荒し楪の宿)

 

 これは二裏の月をこぼした言い訳のような句だ。

 去年(裏)ということで、二裏の月は晦日の月で暗くて見えなかった。年が改まり、去年の大晦日は月が見えなかったと両方の意味に掛ける。

 

季語は「去年」で春。「月」は夜分、天象。

 

五十二句目

 

   去年ウラの月の三十日の月くらし

 雪ものぐるひ筆を杖つく     卜尺

 (去年ウラの月の三十日の月くらし雪ものぐるひ筆を杖つく)

 

 月が暗い中を雪を見て、何かにとりつかれたように筆を持ち杖を突いて出て行く。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

五十三句目

 

   雪ものぐるひ筆を杖つく

 山鳥の音に羽ぬけ子や尋ぬらん  千春

 (山鳥の音に羽ぬけ子や尋ぬらん雪ものぐるひ筆を杖つく)

 

 「羽ぬけ子」は羽抜鳥のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 羽毛の抜けている鳥。また、羽毛の抜け変わる頃の鳥。特に、羽毛の抜け変わる頃のにわとり。みすぼらしいさまや身動きのできない様子などにもたとえて用いる。羽抜けの鳥。羽抜け。《季・夏》

  ※新撰六帖(1244頃)六「夏草の野沢かくれのはぬけ鳥ありしにもあらず成我身哉〈藤原為家〉」

 

 雪の中に夏の羽抜鳥などいるわけではないのだが、そこが「ものぐるひ」ということか。

 三国時代の呉の孟宗が冬に竹林で母の好物の竹の子を手に入れたという故事を、鳥の子に変えたとも考えられる。

 雪に山鳥は、

 

 雪つもる松の葉さへにしだり尾の

     山鳥の尾の長き夜のそら

              藤原家隆(壬二集)

 

の歌がある。

 

無季。「山鳥」は鳥類。

 

五十四句目

 

   山鳥の音に羽ぬけ子や尋ぬらん

 鶴の箔衣ありし俤        似春

 (山鳥の音に羽ぬけ子や尋ぬらん鶴の箔衣ありし俤)

 

 「箔衣(はくぎぬ)」は「帛の衣(はくのきぬ)」であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「天皇特有の白絹の斎服。神事の場合にだけ用いられた。はくの御装束。〔令義解(833)〕」

 

とある。夏になって白絹の鶴の姿を見なくなったが、どこかに羽の抜けた鶴がいるのではないか、とする。

 

無季。「鶴」は鳥類。「箔衣」は衣裳。

 

五十五句目

 

   鶴の箔衣ありし俤

 夢に入ル玉落の瀧雲の洞     昨雲

 (夢に入ル玉落の瀧雲の洞鶴の箔衣ありし俤)

 

 夢の中で白いヒスイ輝石の瀧に雲の洞のある仙境へ旅立ったか。箔衣だけが残り、尸解仙となった。

 

無季。「瀧」は水辺。「雲」は聳物。

 

五十六句目

 

   夢に入ル玉落の瀧雲の洞

 日を額にうつ富士の棟上ゲ    芭蕉

 (夢に入ル玉落の瀧雲の洞日を額にうつ富士の棟上ゲ)

 

 前句を白糸の瀧や風穴とし、昇る朝日を門に掛ける額とし、富士山の棟上げ式が始まる。

 

無季。「日」は天象。「富士」は名所、山類。

 

五十七句目

 

   日を額にうつ富士の棟上ゲ

 松髪の祖父蔦上下に出立て    麋塒

 (松髪の祖父蔦上下に出立て日を額にうつ富士の棟上ゲ)

 

 松髪(しょうはつ)はよくわからないが、常緑で黒々としているということか。別につんつん突っ立っているわけではあるまい。蔦の上下だから松の精であろう。三保の松原の松の精が富士山の施主か。

 

無季。「祖父」は人倫。「蔦」は植物、草類。「上下」は衣裳。

 

五十八句目

 

   松髪の祖父蔦上下に出立て

 城主に霊の蜜柑献ズル      嵐蘭

 

 ここで最初の一巡にいなかった嵐蘭が登場する。あるいはこの辺りで日を改めての興行になり、卜尺と似春と言水が抜けて、代わりに嵐蘭と峡水が加わったか。

 松髪の祖父を仙人として不老不死の桃ならぬ蜜柑を献ずる。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「多遅摩毛理」の故事とある。これは田道間守のことで、ウィキペディアに、

 

 「『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国に派遣された。しかし垂仁天皇99年7月1日に天皇は崩御する。翌年(景行天皇元年)3月12日、田道間守は非時香菓8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って常世国から帰ってきたが、天皇がすでに崩御したことを聞き、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺したという。」

 

とある。

 なお嵐蘭は『武蔵曲』に、

 

 桜狩遠山辛夷うかれ来ぬ     嵐蘭

 海しらぬ山賤や海鼠やく夕べ   同

 

の発句がある。

 

無季。「城主」は人倫。

 

五十九句目

 

   城主に霊の蜜柑献ズル

 或卜に火あての鰹生かへり    峡水

 (或卜に火あての鰹生かへり城主に霊の蜜柑献ズル)

 

 峡水はどういう人かよくわからない。『武蔵曲』に、

 

 砲碌を蠅とり塚の哀レ哉     峡水

 

の発句がある。「砲碌」は「焙烙」のことか。

 火あての鰹は鰹のたたきのことか。やはりこの時代も何か柑橘類の汁を掛けたりしたのか。

 

季語は「鰹」で夏。

 

六十句目

 

   或卜に火あての鰹生かへり

 旅小刀の吼脱て行        曉雲

 (或卜に火あての鰹生かへり旅小刀の吼脱て行)

 

 「吼脱(ほゑぬけ)て」はよくわからない。旅小刀(たびこがたな)は旅刀の小さの物ということか。

 生き返った鰹が大声で叫んで逃げていったということか。

 

無季。旅体。

 

六十一句目

 

   旅小刀の吼脱て行

 世捨木や世捨の松に名を朽て   其角

 (世捨木や世捨の松に名を朽て旅小刀の吼脱て行)

 

 世捨て人はわかるが世捨木とは。「世捨の松」は世捨て人が住んだ松の木とかでありそうだが。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

六十二句目

 

   世捨木や世捨の松に名を朽て

 からすの衣堤にくらし      素堂

 (世捨木や世捨の松に名を朽てからすの衣堤にくらし)

 

 からすの衣は僧衣のことか。世捨の松の傍の堤に暮らして、その名も世間から忘れ去られてゆく。

 

無季。「衣」は衣裳。「堤」は水辺。

 

六十三句目

 

 

   からすの衣堤にくらし

 橋上の番太は鐘を恨みたる    嵐蘭

 (橋上の番太は鐘を恨みたるからすの衣堤にくらし)

 

 番太は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「番太郎」とある。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「江戸時代の町や村に置かれた番人のこと。番人を番太と呼ぶことは各地に広く見られるが,番太郎の称はこの番太から転じたものと考えられる。番人の性格は,都市と農村で,あるいは地域によってさまざまな違いがあり,江戸,大坂,京都の三都だけをとっても大きな差異がある。 江戸の場合,番小屋であるとともに公用,町用を弁ずる会所の機能を併せもった自身番屋には,書役として裏店借(うらだながり)の者などが雇われていたが,彼らは自身番親方とは呼ばれても,番太または番太郎とは呼ばれなかった。」

 

とある。また、番太はウィキペディアに、

 

 「番太(ばんた)は、江戸時代に、都市に置ける夜警、浮浪者の取り締まりや拘引、牢獄・刑場などの雑用、処刑などに携わっていた人たちのことである。都市に設けられていた木戸に接した番小屋と呼ばれる粗末な家に住み、多くは非人身分であった。番太郎(ばんたろう)ともいう。」

 

とある。

 鐘が鳴ると仕事の時間ということか。カラスと僧は塒に帰って行くというのに。

 

無季。「橋上」は水辺。「番太」は人倫。

 

六十四句目

 

   橋上の番太は鐘を恨みたる

 西瓜はしらず潮満らん      千春

 (橋上の番太は鐘を恨みたる西瓜はしらず潮満らん)

 

 西瓜は江戸近郊で栽培されるようになったが、番太の身分だとそんなものを食べたこともなくただ夕暮れに潮が満ちてくる。

 

季語は「西瓜」で秋。「潮」は水辺。

三裏

六十五句目

 

   西瓜はしらず潮満らん

 露くだるしだれ角豆の散柳    曉雲

 (露くだるしだれ角豆の散柳西瓜はしらず潮満らん)

 

 角豆(ささげ)は長いものは三十センチにもなる細く長い鞘を持つ豆で、これが生ってぶら下がっている姿は枝垂れ柳のようでもある。

 ここでは露に散る柳をささげに喩えている。尤もささげの場合は散るというよりは収穫されるのだが。

 柳の下の川には満潮で海の水が流れ込む。西瓜は、知らない。

 散る柳は、

 

 下葉散る柳の梢うちなびき

     秋風高し初雁の声

              宗尊親王(玉葉集)

 

の歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。「ささげ」は植物、草類。「柳」は植物、木類。

 

六十六句目

 

   露くだるしだれ角豆の散柳

 月は筑地の古キにやどる     麋塒

 (露くだるしだれ角豆の散柳月は筑地の古キにやどる)

 

 筑地(ついぢ)は古くは「つきひぢ」と言った。「つき」は筑地の古語に宿る。

 月に露は十九句目を参照。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六十七句目

 

   月は筑地の古キにやどる

 遁世のよ所に妻子をのぞき見て  芭蕉

 (遁世のよ所に妻子をのぞき見て月は筑地の古キにやどる)

 

 筑地(ついぢ)は泥土で作った塀で、古くなると崩れてたりして中が見える。

 遁世したはずの男はこっそりと妻子の様子を覗きに来たが、崩れた塀の向こうにあるのは月だけだった。

 

無季。恋。「妻子」は人倫。

 

六十八句目

 

   遁世のよ所に妻子をのぞき見て

 つぎ哥耳にのこるよし原     峡水

 (遁世のよ所に妻子をのぞき見てつぎ哥耳にのこるよし原)

 

 つぎ哥は次節(つぎぶし)のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「つきぶし」とも) 元祿(一六八八━一七〇四)の頃、江戸新吉原で流行した小唄。つぎうた。

  ※浮世草子・色里三所世帯(1688)下「女郎は是に気をうつさず色三味線引かけてつきぶしの小歌に日をかたぶけ」

  ※随筆・用捨箱(1841)中「予がおぼえし二歌を混じて、次節にも歌ひしか。次節又次歌といふ」

 

とある。

 遁世の原因は吉原通いが過ぎたからだったか。昔の妻子を覗き見ては吉原の次節を思い出す。

 

無季。恋。

 

六十九句目

 

   つぎ哥耳にのこるよし原

 歩別レ馬は待らん榎陰      其角

 (歩別レ馬は待らん榎陰つぎ哥耳にのこるよし原)

 

 別れて歩いて行くふりをして、実は榎の陰に馬を隠している。駆け落ちか。

 榎は一里塚に植えられることが多い。

 

無季。恋。「馬」は獣類。「榎」は植物、木類。

 

七十句目

 

   歩別レ馬は待らん榎陰

 百姓の家に入て腹切ル      嵐蘭

 (歩別レ馬は待らん榎陰百姓の家に入て腹切ル)

 

 人の家で腹切ったりして迷惑な話だ。馬も榎の所で待たされている。

 

無季。「百姓」は人倫。「家」は居所。

 

七十一句目

 

   百姓の家に入て腹切ル

 是此年先祖の榾の火の消ヌ    昨雲

 (是此年先祖の榾の火の消ヌ百姓の家に入て腹切ル)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「家譜年代記の口調」とある。榾(ほた)は薪のこと。百姓の家で腹を切って家系が途絶える。

 『荘子』養生主編の「指窮於為薪,火傳也,不知其盡也。」による表現か。

 

無季。

 

七十二句目

 

   是此年先祖の榾の火の消ヌ

 時ならず米に生る菌       千春

 (是此年先祖の榾の火の消ヌ時ならず米に生る菌)

 

 「菌」は「くさびら」と読む。キノコのこと。

 稲に茸が生えるというのは聞いたことないが、あったとしたら大変な事態だ。前句の子孫の絶えた理由を飢饉によるものとした。

 

無季。

 

七十三句目

 

   時ならず米に生る菌

 雨を聞て放下の村に閑ヵなる   素堂

 (雨を聞て放下の村に閑ヵなる時ならず米に生る菌)

 

 前句を米櫃の米に茸が生えたとする。

 雨が続いて放下(大道芸人)の住む村は仕事もなくて静まりかえっている。

 放下(ほうか)はウィキペディアに、

 

 「放下は、近世にいたって俗人の手にうつったが、従来の曲芸だけではなく、鞠の曲、玉子の曲、おごけの曲、うなぎの曲、枕の曲(枕返し)、籠抜け、皿回しなども演じた。また、放下芸と獅子舞を生業とする伊勢太神楽の集団が成立したのも近世初頭である。いっぽうで小屋掛けがなされるようになり、寄席演芸のひとつとして、大がかりな曲芸や手品もおこなうようになった。手品は、山芋をうなぎにする、籠より小鳥を出す、絵を鶴にするなどといったもので、元禄年間(1688年-1704年)に活躍した有名な手品師、塩の長次郎も放下師の出身であった。また、『京都御役所向大概覚書』という史料によれば、寛文9年(1669年)、豊後屋団右衛門という人物が歌舞伎などの興行に対抗して「放下物真似」の名代が許されている。

 江戸時代前期にあってはまた、当時流行の歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)との提携も進み、その幕間におおいに演じられた。江戸歌舞伎の座元(太夫元)となった都伝内も放下師の出身であったという。

 元禄以降、しだいに劇場からはすがたを消し、大道芸に回帰していった放下は「辻放下」と呼称され、身分的には非人階級に属し、江戸浅草の車善七の差配にしたがった。

 

とある。

 

無季。「雨」は降物。「放下」は人倫。「村」は居所。

 

七十四句目

 

   雨を聞て放下の村に閑ヵなる

 燕尾小勝が墓に落くる      曉雲

 (雨を聞て放下の村に閑ヵなる燕尾小勝が墓に落くる)

 

 「燕尾小勝」は「つばめこかつ」と読む。小勝は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「女舞の太夫には三勝など勝の字のつくのが多い」とある。コトバンクのの「女舞」の項の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 平安時代、内教坊(宮廷で舞姫を置き、舞楽等を教え、練習させた所)の妓女が舞った舞のこと。妓女舞。

  ※参天台五台山記(1072‐73)三「種々舞楽・雅楽女舞・童舞等如相国寺元三日見物云々」

  ② 舞楽で、特に女が舞う舞のこと。

  ※たまきはる(1219)「右に女まいの出でたりし姿ありさまこそ、まことに、心ありて見えしか」

  ③ 江戸時代、女が天冠、狩衣、大口という装束で、大鼓を用い、歌に合わせて舞った舞のこと。

  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「そこにござるお女郎は女舞(ヲンナマイ)の小勝様じゃ」

 

とある。

 女舞の小勝は放下の村のはずれに葬られたのだろう。燕も悲しんで墓に落ちる。(実際は巣立ちに失敗したのだろう。)

 

季語は「燕」で春、鳥類。

 

七十五句目

 

   燕尾小勝が墓に落くる

 衣装草萌出る翠リ紅に      麋塒

 (衣装草萌出る翠リ紅に燕尾小勝が墓に落くる)

 

 「衣装草」は不明。小勝の墓の周りに草が萌え出て緑や紅の色を添えている。

 草の萌出るは、

 

 春雨に野沢の水はまさらねど

     萌え出づる草ぞ深くなりゆく

              源家長(新後拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「萌出る」で春。「草」は植物、草類。

 

七十六句目

 

   衣装草萌出る翠リ紅に

 雪ふぶき茶や花の端つづき    其角

 (衣装草萌出る翠リ紅に雪ふぶき茶や花の端つづき)

 

 「雪ふぶき」と見せて、あとで「花」と置くことで実は花吹雪だったという。

 「茶や」は『俳諧次韻』の「世に有て」の巻八十四句目の「艶なる茶のみ所」のことか。「端(は)つづき)」は軒を連ねるということで、華やかな遊郭に翠(みど)りや紅の衣装の草(比喩)が萌え出るとする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「雪ふぶき」は降物。

 

七十七句目

 

   雪ふぶき茶や花の端つづき

 御池漕扈従の渡守しばし     峡水

 (御池漕扈従の渡守しばし雪ふぶき茶や花の端つづき)

 

 「扈従(こしやう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「扈」はつきそう意、「しょう」は「従」の漢音) 貴人につき従うこと。また、その人。こじゅう。こそう。

  ※経国集(827)一〇「五言。扈二従聖徳宮寺一一首」 〔司馬相如‐上林賦〕」

 

とある。

 「御池」なので宮中の行事であろう。池には扈従が渡し守を務める。前句は軒を連ねるような花の並木の続く所で茶を召して、と取り成される。

 

無季。「池」は水辺。「扈従」は人倫。「渡守」は人倫、水辺。

 

七十八句目

 

   御池漕扈従の渡守しばし

 薫ふるふか水引の簑       昨雲

 (御池漕扈従の渡守しばし薫ふるふか水引の簑)

 

 「薫」は「かほり」と読む。皇室行事なら渡し守の簑も飾り紐でできていて薫物が振り掛けてあるのだろうか。

 

無季。「簑」は衣裳。

名残表

七十九句目

 

   薫ふるふか水引の簑

 張雀鳴子鳴子におどろきて    麋塒

 (張雀鳴子鳴子におどろきて薫ふるふか水引の簑)

 

 鳴子は元は田畑の害獣を追払うために音を出すものだが、後に楽器として打ち鳴らすのにも用いられた。

 ここでも本来の用途ではなく祭りか何かにして、張り子の雀を驚かせ、水引の簑で踊る。

 

季語は「鳴子」で秋。

 

八十句目

 

   張雀鳴子鳴子におどろきて

 無情人秋の蝉          嵐蘭

 (張雀鳴子鳴子におどろきて無情人秋の蝉)

 

 漢詩っぽく作る、「情(じゃう)なからん、ひと、あきのぬけがら」と読む。

 前句の「おどろきて」を雀を脅す鳴子の音に発心を起こしたとし、「情なからん」で一度文章は切れて、人生というのは蝉の抜け殻(空蝉)のようなものだと悟る。

 

季語は「秋」で秋。「人」は人倫。

 

八十一句目

 

   無情人秋の蝉

 月は問フ山寺どのを離を     其角

 (月は問フ山寺どのを離を無情人秋の蝉)

 

 「離」は「かれがれ」と読む。weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「(人の行き来や歌・手紙のやりとりが)途絶えがちだ。(男女の間柄が)疎遠になっている。

  出典源氏物語 帚木

  「かれがれにのみ見せ侍(はべ)るほどに」

  [訳] ただもう途絶えがちに(姿を)見せておりますうちに。

  参考 和歌では「枯れ枯れなり」とかけて用いることが多い。」

 

とある。

 前句を「情なからん人、秋のぬけがら」とし、手紙の途絶えがちなので私は秋のぬけがらだ、とする。

 ただ、人と人ではなく、月が山寺に「情なからん人」と恨みを述べる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

八十二句目

 

   月は問フ山寺どのを離を

 石風呂の跡は哀ありける     素堂

 (月は問フ山寺どのを離を石風呂の跡は哀ありける)

 

 「石風呂」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 蒸し風呂の一種。岩穴をくりぬき、あるいは石で造った密室に蒸気をこもらせて、蒸気浴をするもの。石で焼いて水をそそぐ方法(温石(おんじゃく))、海草などを焼いて蒸気を出す方法(塩風呂)などがある。かまぶろ。

  ※言継卿記‐大永八年(1528)三月一八日「阿彌陀寺と申し候処にて石風呂候て入り候了」

  ② 石で造った浴槽。石造のすえぶろ。」

 

とある。

 山寺の便りが途絶えてたのはいつの間にか廃寺になっていたからで、石風呂の跡が哀れにも残っている。本来なら修行のための岩屋が残っているとでもいう所だろう。

 

無季。

 

八十三句目

 

   石風呂の跡は哀ありける

 箒木の茂きは鍬に夭せられ    千春

 (箒木の茂きは鍬に夭せられ石風呂の跡は哀ありける)

 

 箒木は今でいうコキアだが、当時は自生していて荒れ果てた印象を与えていた。元禄七年の「あれあれて」の巻二十七句目にも、

 

   鼬の声の棚本の先

 箒木は蒔ぬにはへて茂る也    芭蕉

 

のように、被差別民の皮革業者の店の辺りに箒木の自生している様が描かれている。

 サウナのあった辺りに茂っていた箒木も百姓の鍬で耕され、昔の寺の俤もない。

 

季語は「茂り」で夏、「箒木」は植物、木類。

 

八十四句目

 

   箒木の茂きは鍬に夭せられ

 今其とかげ金色の王       峡水

 (箒木の茂きは鍬に夭せられ今其とかげ金色の王)

 

 出典があるのかないのかよくわからない。蜥蜴を金色の竜王に見立てたのだろう。農耕の神をしたか。

 

季語は「とかげ」で夏。

 

八十五句目

 

   今其とかげ金色の王

 袖に入螭夢を契りけん      芭蕉

 (袖に入螭夢を契りけん今其とかげ金色の王)

 

 「螭」はここでは「あまれう」と読む。雨龍・螭龍などの字を当てることもある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 中国における想像上の動物。雨を起こすといわれる。龍の一種で、とかげに似ているが、大形で、角がなく、尾は細く、全身青黄色という。うりょう。あまりゅう。みずち。

  ※俳諧・毛吹草追加(1647)上「雨龍(アマレウ)や吟じておこる花の雲〈正良〉」

  ② キノボリトカゲなど熱帯産のトカゲの称。昔、長崎に渡来し、飼育されていたという。

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)四「定まってよいものは今まで見せぬ螭龍(アマレウ)の子」

  ③ ①を図案化した紋所の名。龍紋の一種。

  ※人情本・春色辰巳園(1833‐35)後「帯は黒の唐純子(とうどんす)に、雨龍(アマリャウ)の丸く飛々に織いだせし九寸巾」

 

とある。前句の蜥蜴の②の蜥蜴とし、袖の中に入ってきて夢を契ったあの蜥蜴は今や金色の王となった、とする。

 

無季。

 

八十六句目

 

   袖に入螭夢を契りけん

 涙の玉あり明ケ昏レにかはかず  麋塒

 (袖に入螭夢を契りけん涙の玉あり明ケ昏レにかはかず)

 

 竜なら玉を持っている。袖に入る螭龍の涙の玉は乾く間もなく夢を契る。

 涙の玉は、

 

   下つ出雲寺に人のわざしける日

   眞靜法師の導師にて言へりけることを歌によみて、

   小野小町がもとにつかはしける

 包めども袖にたまらぬ白玉は

     人を見ぬめの涙なりけり

             安堵清行(古今集)

   返し

 おろかなる涙ぞ袖に玉はなす

     我はせきあへずたぎつ瀬なれば

             小野小町(古今集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

八十七句目

 

   涙の玉あり明ケ昏レにかはかず

 我聞ケリ鈍士は胸の中黒しと   昨雲

 (我聞ケリ鈍士は胸の中黒しと涙の玉あり明ケ昏レにかはかず)

 

 鈍い部下ほど腹黒い。そのせいで君子の涙の玉は乾く間もない。

 

無季。「我」「鈍士」は人倫。

 

八十八句目

 

   我聞ケリ鈍士は胸の中黒しと

 閣思君境町に溺るる       其角

 (我聞ケリ鈍士は胸の中黒しと閣思君境町に溺るる)

 

 「閣思君」は「わざくれ」と読む。寛政九年初演の歌舞伎に「梅見月恋閣思君(うめみずきこいのわざくれ)」というのがある。意味はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙

  ① 自暴自棄。やけ。〔俳諧・反故集(1696)〕

  ② たわむれごと。いたずら。冗談。

  ※評判記・新野郎花垣(1674)小車「くるくるめくるをくるまのわさくれとおもふばかりぞ」

  ③ いたずらにすること。余技としてすること。手なぐさみ。

  ※浄瑠璃・新うすゆき物語(1741)上「旦那の遊芸は御器用のわざくれ」

  [2] 〘感動〙 自暴自棄の気持を表わしていうことば。どうでもなれ。えい、ままよ。

  ※歌謡・隆達節歌謡(1593‐1611)「夢のうき世の露の命のわざくれ、なり次第よの、身はなり次第よの」

  ※浄瑠璃・東山殿子日遊(1681)二「是非もなしわざくれとお腰をひたと抱き止むる」

 

とある。

 境町は江戸の堺町で今の人形町のあたりにあった。ウィキペディアに、

 

 「堺町の中村座と葺屋町の市村座は同じ通りに面した目と鼻の先に建っていた。また界隈にはこのほかにも小芝居の玉川座、古浄瑠璃の薩摩座、人形劇の結城座などが軒を連ねていたので、この一帯には芝居茶屋をはじめ、役者や芝居関係者の住居がひしめき、一大芝居町を形成した。」

 

とある。

 鈍士に係わるのが煩わしくなって、もうどうにでもなれと芝居見物にとっぷりつかり堺町に溺れる。

 

無季。

 

八十九句目

 

   閣思君境町に溺るる

 肩を踏で短尺とりに立躁グ    曉雲

 (肩を踏で短尺とりに立躁グ閣思君境町に溺るる)

 

 短冊取りはよくわからないが、何やら吊るしてあるものを我先に取り合って騒ぐゲームのように思える。高い所に吊ってあって、前の人の肩に乗ったりして取ったのだろう。

 

無季。

 

九十句目

 

   肩を踏で短尺とりに立躁グ

 奥にての御遊隔塀恋       芭蕉

 (肩を踏で短尺とりに立躁グ奥にての御遊隔塀恋)

 

 「御遊(ぎょゆう)」は本来は宮中の遊びをいうが、ここでは江戸城大奥のことにする。

 「隔塀恋(へいをへだつるこひ)」という題なので、その題で歌を詠むかと思ったら、人の肩に乗って塀を乗り越えて短冊をゲットしなくてはならない。

 

無季。恋。

 

九十一句目

 

   奥にての御遊隔塀恋

 篝火を刀に掛て忍ぶ山      嵐蘭

 (篝火を刀に掛て忍ぶ山奥にての御遊隔塀恋)

 

 前句の「奥」を山奥のこととして、「隔塀恋(へいをへだつるこひ)」は篝火を刀の先に吊って山道を忍んで行く。

 忍ぶ山は福島県福島市にある信夫山という歌枕に掛けて、恋の歌に多く詠まれる。

 

 しのぶ山忍びて通ふ道もがな

     人の心の奥も見るべく

              在原業平(新勅撰集)

 人知れず苦しきものはしのぶ山

     下はふくずのうらみなりけり

              藤原清輔(新古今集)

 

などの歌がある。

 

無季。恋。「篝火」は夜分。「山」は山類。

 

九十二句目

 

   篝火を刀に掛て忍ぶ山

 浪は井積にかくす落人      千春

 (篝火を刀に掛て忍ぶ山浪は井積にかくす落人)

 

 井積は井堰(ゐせき)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 水を他に引くために、土や木などで川水をせきとめた所。い。せき。いで。また用水溝(みぞ)や用水堀をもいう。〔十巻本和名抄(934頃)〕

  ※平家(13C前)四「いせきにかかって流れもやらぬにことならず」

 

とある。

 前句を平家の落人とし、篝火を刀にかけて山奥に行き、生活排水を堰を作ってせき止めて隠す。

 

無季。「井堰」は水辺。「落人」は人倫。

名残裏

九十三句目

 

   浪は井積にかくす落人

 物あらふ盥をふせて暮る程に   峡水

 (物あらふ盥をふせて暮る程に浪は井積にかくす落人)

 

 生活排水を堰を作って下流に流れないようにしてその身を隠す落人は、物を洗った後の盥を臥せて一日を終える。

 

無季。

 

九十四句目

 

   物あらふ盥をふせて暮る程に

 藍搗臼のごほごほし声      麋塒

 (物あらふ盥をふせて暮る程に藍搗臼のごほごほし声)

 

 「藍搗(あいつく)」は発酵させ乾燥させた藍(すくも)を搗いて藍玉を作る作業で、夕暮れには作業が終わり、臼や盥を洗う。

 藍玉はウィキペディアに、

 

 「藍玉(あいだま)とは、藍の葉を発酵・熟成させた染料である蒅(すくも)を突き固めて固形化したもの。玉藍とも。

 藍の葉を収穫して乾燥させた後、蔵の中で寝かせ、これに水を打って良く湿らせながら上下に撹拌し、約75 - 90日間発酵させたものを再び乾燥させると、無色の物質であるインディカンが酸化されて青色のインディゴへと変化して、その色が濃くなることで黒色の土塊状の物質が出来る。これを蒅(すくも)と呼ぶ。蒅の状態でも染料としては十分使用可能であったが、運搬に不向きであったために後にこれを臼で突き固めて乾燥させて扁円形の小さな塊にすることによって運搬を容易にした。これが藍玉である。」

 

とある。

 

無季。

 

九十五句目

 

   藍搗臼のごほごほし声

 市賤の木びらを負る木陰には   曉雲

 (市賤の木びらを負る木陰には藍搗臼のごほごほし声)

 

 市賤(いちがつ)は山賤(やまがつ)に対して作った言葉か。隠士に田舎に籠らない市隠がいるようなものだろう。

 「木びら」は生平(きびら)でコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「苧麻(ちょま)・大麻などの繊維で織った麻布で、さらしてないもの。滋賀県彦根市高宮付近で、多く産出した。《季 夏》」

 

とある。また、「世界大百科事典内の生平の言及」に、

 

 「農民は特殊なものでないかぎり紬以上を禁じられた。武家の下僕は豆腐をこす袋や暖簾(のれん)に使う細布(さいみ)(糸の太い粗布)を紺に染めて着,民間の下僕は生平(きびら)(さらさない麻布)を着た。一般の民衆は麻または木綿を常用した。」

 

とある。藍搗の作業場の下僕が着ていたのだろう。

 

季語は「木陰」で夏、植物、木類。「市賤」は人倫。

 

九十六句目

 

   市賤の木びらを負る木陰には

 日傘さす子と嫗と男と      嵐蘭

 (市賤の木びらを負る木陰には日傘さす子と嫗と男と)

 

 「嫗」は「うば」。日傘さす子は家の跡取りだろうか。お世話をする姥がいて、仕える下男がいる。

 

季語は「日傘」で夏。「子」「嫗」「男」は人倫。

 

九十七句目

 

   日傘さす子と嫗と男と

 玄関にて神楽をまふけ給ひけり  昨雲

 (玄関にて神楽をまふけ給ひけり日傘さす子と嫗と男と)

 

 神楽は通常は神社の祭りの時に行われるもので、玄関まで来るのは獅子神楽であろう。

 

季語は「神楽」で冬。神祇。

 

九十八句目

 

   玄関にて神楽をまふけ給ひけり

 夜と共てらす袋挑灯       素堂

 (玄関にて神楽をまふけ給ひけり夜と共てらす袋挑灯)

 

 「袋挑灯(ふくろちゃうちん)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「折たたみ式の提灯」とある。

 夜神楽で提燈を灯して行われるが用意がなくて、袋提燈で間に合わせる。

 

無季「夜」「袋挑灯」は夜分。

 

九十九句目

 

   夜と共てらす袋挑灯

 花の奥盗人狩に泊して      芭蕉

 (花の奥盗人狩に泊して夜と共てらす袋挑灯)

 

 花の奥というと吉野の花の奥か。盗賊が出るというので討伐の者が駐留し、袋提燈で夜を照らす。

 当時は夜桜見物の習慣はなく、おそらく夜桜は照明設備の整ったわりと最近の習慣ではないかと思う。ただ、ここでは図らずも夜桜見物となる。

 花の奥は、

 

 吉野山霞も深くわけいれば

     花の奥ある春のあけぼの

              慈円(正治初度百首)

 尋ねばや誰が住む窓のひとむらぞ

     主思ほゆる花の奥かな

              藤原良経(秋篠月清集)

 

などの歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「盗人」は人倫。

 

挙句

 

   花の奥盗人狩に泊して

 八重八重霞飛行小天狗      其角

 (花の奥盗人狩に泊して八重八重霞飛行小天狗)

 

 吉野金峯山寺は修験道の総本山でもある。空飛ぶ小天狗は役小角ではないか。役小角は空を飛んだという伝説もある。盗人を退治に八重霞の空を飛んで行く。

 八重霞は、

 

 春残しあしたの原の八重霞

     日をかさねてぞたちまさりける

              相模(続千載集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「霞」で聳物。